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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アクション

『 アウトポスト 』 -戦争の最前線の現実-

Posted on 2021年3月15日 by cool-jupiter

アウトポスト 70点
2021年3月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スコット・イーストウッド ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ オーランド・ブルーム
監督:ロッド・ルーリー

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米トランプ政権で唯一の肯定的評価と言えば、アフガニスタンとイラクからの米兵の撤退方針だろうか。2001年9月11日に端を発する戦争/派兵/駐留が、2021年の今も続いているのは異常である。また、日本はと言えば自衛隊の日報問題の総括もされぬままである。「戦争」とは何なのか。「戦闘」とは何なのか。本作のような硬質な作品を通じて、あらためて考えてみるのも良いかもしれない。

 

あらすじ

2009年6月、アフガニスタンの山麓に位置するキーティング前哨基地。そこは四方を絶壁に囲まれた圧倒的不利な陣地だった。ロメシャ二等軍曹(スコット・イーストウッド)らは、いつタリバン兵から銃撃を受けるか分からない恐怖と緊張の中、日々の任務にあたっていた。そして、いよいよ基地からの撤退の日が迫ってきた時、タリバン兵の総攻撃が始まろうとしていた・・・

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ポジティブ・サイド

戦争の経緯も兵士たちの背景情報も何もないまま、観る側はいきなりキーティング前哨基地に連れて来られる。そして、いつどこから撃たれるか分からない恐怖の現場を体験する。その意味では『 ダンケルク 』によく似ているし、実際に銃撃を浴びる際の恐怖感は『 ハクソー・リッジ 』や『 プライベート・ウォー 』のそれに近いものがある。しかも味方陣地が『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』とは全く逆の低地、というか谷底的なロケーション。関ケ原の戦いでも、実際は高地の要所を抑えた西軍有利をメッケル参謀が一目で断言したという逸話(おそらく創作)がある通り、高地と低地では地の利が違い過ぎる、この絶望感がたまらない。

 

戦闘シーンのカメラワークでも魅せる。『 1917 命をかけた伝令 』のようなロングのワンカットを多用し、それが戦闘の極限の臨場感をさらに高めている。特に終盤には、いったいどうやって撮影したのか分からないアングルからのショットがいくつかあり、非常に興味深かった。特に足を負傷したメイスの救出シーンはワンカット(に見せる編集だと思うが)は印象的だった。

 

傑作戦争映画の例に漏れず、本作でも華美なBGMは流れない。戦闘シーンでは銃火器の発射音、着弾音、爆発音がBGMである。まさに耳を襲撃されているかのような戦闘音の奔流に、否応なく臨場感を感じた。従軍記者をしていた先輩が言っていた「俺はもう花火を見に行けない」という台詞の意味が分かる。

 

タリバンの総攻撃シーンにたどり着くまでに、何度かチャプターが変わるが、それが現場指揮官の交代とリンクしているところが興味深い。勇猛な指揮官が不慮の事故で退場し、臆病な指揮官が着任すると現場の士気が下がる。まるで企業のようである。サラリーマンとして実感できるところが多数あった。特に面白いなと感じたのは、ブロワード大尉に対する下士官の態度と、それを厳しくたしなめるロメシャの図。中間管理職という立場は、会社でも軍でも一番しんどいのだろうな。

 

そうそう、エンドロール後にも重要なシーンが続くので席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

戦闘シーンでは素晴らしいカメラワークの本作であるが、それ以外のシーンでは???である。なにか場面と場面のつなぎがスムーズではなかったり、唐突だったり、あるいはあまりにも作為的だったり。特に橋のシーンはイマイチだった。あのタイミング、あの角度でズームアウトしたら、そりゃそうなるでしょ、と。さらにあの場面、あの爆発で橋が無傷というのも解せなかった。

 

エンドロール後の兵士たちのインタビューで気になったのが、「本作を観て、アメリカの国防について考えてほしい」という趣旨のことを語っていた。英語では for the greater good of the United States’ security. と言っていたかな。Jovianは軍事については素人に毛の生えた程度の知識しかないが、それでもキーティング基地を見たら、それがどれほど不利な場所に作られているかはすぐにわかるし、実際に劇中の兵士たちも同様に感じていた。自分たちの流した血、そして仲間たちの流した血を思えば、当事者たちが上のように言ってしまうのは充分に理解できる。けれど映画の作り手たちは「こんなアホな場所に若い兵士たちを送り込んだ軍上層部は何を考えていたのか」とは考えなかったのだろうか。よく出来た映画であるが、届けようとしているメッセージがなにやらチグハグであると感じた。

 

総評 

戦争映画の傑作である。というよりも戦闘映画の傑作である。こういう作品に接すると、戦争の是非はともかく(そもそも戦争はすべて非だが)、実際の戦闘で命懸けで戦った兵士には敬意を払うしかない。生き残った者には尚更だ。似非医者の高須某がかつて水木しげるを「落伍兵」と侮辱したことがあったが、水木しげるはこういう現場から離脱することなく帰国しているのだ。一般人がこうした戦闘の現実を知ることが、戦争の一番の抑止力となると思えてならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

have the high ground

高い場所を有する、の意。転じて「有利な立場に立つ」、「優位な状況にある」ということを意味する。これは『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』で、オビ=ワンがアナキンに対して放つセリフで有名かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, オーランド・ブルーム, ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ, スコット・イーストウッド, 伝記, 歴史, 監督:ロッド・ルーリー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 アウトポスト 』 -戦争の最前線の現実-

『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2021年3月6日2021年3月6日 by cool-jupiter

無双の鉄拳 60点
2021年3月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ソン・ジヒョ キム・ソンオ キム・ミンジェ
監督:キム・ミンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210306103109j:plain
 

『 あのこは貴族 』には重苦しい清々しさがあった。そんな作品の後には軽い作品がいい。というわけで、マ・ドンソク主演作を借りてきた。

 

あらすじ

魚卸しのカン・ドンチョル(マ・ドンソク)は儲け話にはすぐに乗ってしまうお人好し。妻ジス(ソン・ジヒョ)の誕生日を盛大に祝おうとした席で、カニに投資したことがバレてしまい、ジスは怒って帰ってしまう。ドンチョルが帰宅すると、しかし、ジスは誘拐されていた。すぐに警察に向かうドンチョルだが、警察は頼りにならない。ドンチョルは弟分と胡散臭い探偵と共にジスの行方を追って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 喜劇 愛妻物語 』のような恐妻家ではなく、正しい意味での恐妻家、カン・ドンチョルを強面だが、気は優しくて力持ちなマ・ドンソクが演じる。これだけでストーリーは半分完成している。善良な市民が、カネと、そして妻のために警察やら何やらを振り切って猪突猛進するのを楽しむ作品である。特に巨漢の男に食らわせた逆パイルドライバーには笑ってしまった。なんでもかんでも最後はマ・ドンソクの鉄拳で解決となるのはワンパターンの極みだが、それが結構面白いのだから仕方がない。体作りは大変かもしれないが、マ・ドンソクには一生このスタイルを貫いてほしいもの。

 

端正な美人の嫁ジスも、やはり韓国的。韓国映画にはおしとやかな女性はまるで出て来ず、相手に非ありと見れば、どんどんと自分の意見をぶつけてくる。韓国にはさぞかし恐妻家が多いことだろう。確かに映画の中の韓国人夫婦を見ていると、男はDV男やモラハラ男でなければ、愛妻家もとい恐妻家で妻に頭が上がらない奴がほとんどという印象だ。

 

悪の親玉のキム・ソンオは、なんと『 アジョシ 』でさんざん拷問をくらって爆死させられた悪玉兄弟の弟ではないか。ナチュラルに薬モリモリなテンションで部下を小突いていくという小者っぷり。相手を偽善者と見るや、「金をやるからお前の大切なものを寄こせ」という悪徳成金の権化のような男。こういう清々しいまでにクズなキャラだからこそ、我々は「早く誰かコイツをぶちのめせ!」と思わされてしまう。単純ではあるが、悪役は分かりやすく悪であることが望ましいのだ。

 

本作は悪役側のアクションもなかなか魅せる。終盤に出てくる竜巻旋風脚の使い手はかなりの手練れ。韓国の時代劇を見ていると、槍やら剣やらを持っているのにアクションシーンではテコンドー的な回し蹴りをしているが、そういったお決まりの回し蹴りが容赦なくパワーアップ。韓国のステゴロ自慢に実際に入るかもしれないタイプで、この対決は見ごたえがあった。

 

ネガティブ・サイド

子分と探偵のコミックリリーフが中盤以降はやや過剰だった。検事ネタではなく別キャラのネタは使えなかったか。

 

本作の最大の弱点は、カン・ドンチョルの過去のヤバさ、強さが見えないところだ。『 アジョシ 』なら、その必要はない。この若くして世捨て人になった男は何者だ?ということ自体が謎とサスペンスを生み出すからだ。マ・ドンソクは違う。こんな腕と胸板の奴が普通のわけはないのである。問題は、どれくらい普通ではないのか。序盤の魚市場のシーンで子分が「昔の俺たちを見せてやるか」というシーンで、ほんのちょっとヤバい目つきをする、そうした演出が一瞬でもあれば良かったのだが。

 

クライマックスのカーアクションはやり過ぎ。というか、ジープで思いっきり追突をかましているのに、バンパーもへこまず、ヘッドライトも割れず、その他の外装に傷一つないというのはいただけない。ワンショットごとのつながりをしっかりと編集してこその映画だろうに。

 

総評

とにかくマ・ドンソクのアクションとその子分連中のコミックリリーフっぷりを楽しむ作品である。逆に言えば、このキャラクターの内面は?とか、この風景が象徴するものは?などということを考えずにすむわけで、アクションとユーモアだけに注目することができる。まあ、頭を空っぽにして観るべき作品であろう。こういう作品は頭のリフレッシュのために定期的に観なければならないように感じる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カバン

『 藁にもすがる獣たち 』でも何度も聞こえてきたが、カバンは韓国語でもカバンである。おそらく日本統治時代にそのままカバンという日本語が韓国語に組み込まれたのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, キム・ソンオ, キム・ミンジェ, ソン・ジヒョ, マ・ドンソク, 監督:キム・ミンホ, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

Posted on 2021年1月2日2021年1月11日 by cool-jupiter
『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

新 感染半島 ファイナル・ステージ 60点
2021年1月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:カン・ドンウォン イ・ジョンヒョン
監督:ヨン・サンホ

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『 新 感染 ファイナル・エクスプレス 』の続編。韓国メディアの伝え方やYouTubeのレビューはあまり芳しいものではなかったが、これは前作のクオリティを期待してのことだろう。前作のファンは“Don’t get your hopes up.”を心がけて劇場に赴くべし。

 

あらすじ

KTXでのゾンビ発生から4年。韓国は国家機能が崩壊し、国民は海外へと避難を余儀なくされた。香港に退避した軍人ジョンソク(カン・ドンウォン)は、国外脱出の際に見捨てた民間人や。船で発生したアウトブレイクによって親族を失い、失意の日々を過ごしていた。ある時、彼は「半島に眠っている現金を回収したい」という地元のヤクザ者の依頼を受け、再び故郷の半島に向かうのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主演のカン・ドンウォンおよび他キャストの奮闘が光る。軍人を主人公にすることでアクション方向に思いきり舵を切ることができたのだろう。ハリウッド映画並みのガン・アクションにカー・アクションを盛り込んできた。韓国俳優は多くが兵役経験者のためか、銃火器の扱いに非常に長けているように映る。もちろん監督の演出もあるのだろうが、銃を撃つ動作がリアルかつカッコいい。他にもカー・アクションでは生き残りの少女が『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーに匹敵するドライビング・テクニックを披露。ゾンビを轢いては吹っ飛ばし、吹っ飛ばしは轢いてという痛快シーンを連続して見せてくれる。ゴア描写はほとんどないのも世界的なマーケットを視野に入れてのことだろうか。

 

首都ソウルの荒廃ぶりもリアル。人間がいなくなれば植物が繁茂してくる描写は『 GODZILLA ゴジラ 』でも使われていた定番の手法とはいえ、今という時代から見てみると、新型コロナウィルスの蔓延防止のために経済活動をストップしたところ、中国やインドで如実に見られたように、空気や水が一気に清浄化されたという事実を思い起こさずにはいられない。

 

ジョンソクが出会うことになる生き残りの家族との因果には胸が潰されそうになった。ひとつの家族の運命が韓国という国家の命運と重ね合わされているのだ。ソウルに侵入する直前の道路の落書き「神は我々を見捨てた」という言葉に、世界有数のキリスト教国の韓国の本音が透けて見える。そこには同時に、人間を救うのは人間なのだという意地のようなものも見え隠れする。

 

対決することになる631部隊の狂いっぷりも見事。チェ・ミンシクを意識したような顔つきと髪型の軍曹がヴィランなのだが、基地でやっていることがめちゃくちゃだ。特に『 マッドマックス/サンダードーム 』に着想を得たと思しき「かくれんぼ」(どこらへんがかくれんぼなのか意味不明だが)は、人間は環境によっていくらでも残虐になれることを物語る。またトラックとクルマによるカー・チェイスシーンはまんま『 マッドマックス 怒りのデスロード 』。そこに大量のゾンビをぶち込んでくるのだから、迫力もスリルも倍増である。

 

生き残り家族の母の奮闘も素晴らしい。「女は弱し、されど母は強し」の格言通りである。こちらも現実世界での兵役経験者なのだろうか。シガニー・ウィーバー演じるリプリーやリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーを彷彿させる戦う女性。銃火器の扱いは手慣れたもので、大型トラックもぶん回す。適度にピンチも招くので、ハラハラドキドキも持続する。

 

最後には作ったような感動的シーンが待っている。Home is home. 住めば都とはよく言ったもの。故郷とは何か。人間とは何か。メッセージ性がそれほどある作品ではないが、観終わった後には多くの爽快感とほんの少しの問いが胸に残るはずだ。

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ネガティブ・サイド

CGがふんだんに使われている。それは良い。問題はCGがCGだと丸わかりしてしまうこと。プレイステーション5ぐらいの画質を実現できているのかもしれないが、長女が運転するクルマを外から見るシーンや終盤の631部隊からの追跡シーンはすべてゲーム画面のように見えてしまう。

 

そもそもの発端である、半島で手付かずのまま眠っている現金を集めて回収してくるというミッション自体が不可解だ。何故にわざわざデカいを音を立てるトラックを運転するのか。それこそ、ドル札が詰まったバッグが20個程度なら、成人4人で何とか運べるだろう。ゾンビが大量に眠っているであろう都市部から抜き足差し足忍び足で離れ、そこから移動の船とランデブーするべきではないだろうか。これなら金の延べ棒がトラックに満載されているという設定にすべきだったろう。

 

ゾンビが前作から何も変わっていないところも不満である。特に前作の冒頭では鹿がゾンビ化しているところが明確に描き出されていた。続編では人間以外の動物のゾンビ(たとえば犬や猫)が登場すると期待するではないか。まあ、それをやっても『 バイオハザード 』シリーズの二番煎じになるのだけれど。実質2日程度の物語だった前作と違い、本作はその4年後。ゾンビがどのように生命活動(?)を維持しているのか、そこは素朴な疑問である。ゾンビがゾンビを食う、あるいはゾンビが植物を食べるなどの描写がほんの数秒で良いのでほしかった。そうしたカットがあれば、半島が4年経ってもゾンビ天国だったことに説明がつく。

 

本作で最大の不満は、人間ドラマの薄さである。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロの台詞“Escape now. Hug later.”と言ってやりたい。「さあ、ここで感動してくださいよ」とばかりにスローモーションになってエピックなBGMが流れるが、そこに至るまでのドラマが薄っぺらいせいで、感動が深まらない。前作の何が素晴らしかったのか。主人公を演じたコン・ユが超絶嫌味なキャラから人間味のあるキャラに変化していくところである。マ・ドンソクが血縁関係のない少女に、まだ生まれてきていない我が子を重ね合わせて奮闘するところである。安全な車両にいるバス会社の重役のクソな人間性が極限状況で露わになったように、人間の心の奥底の本性が見える、そこが変化していくところが面白く、感動を呼んだのだ。本作の感動は、極めて教科書的な手法で生み出されていて、そこがどうにも気に入らない。前作ファンならばより一層そう感じることだろう。

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総評

感染、発症、隔離。ゾンビとウィルスには共通点が非常に多い。制作時にはコロナ禍がここまで世界を覆ってはいなかったはずだ。にもかかわらず、これほどの娯楽作品を届けてくるところに、韓国映画界の底力を見るように思う。一本の独立した作品として頭を空っぽにして鑑賞すれば、存外に楽しめるはずだ。事実、前作を未鑑賞のJovian嫁は最初は「なんで前作を観ていない自分の分までチケット買うんじゃゴルァ!!」だったが、観終わった後は満足していた様子だった。コロナ禍で悶々とした気分を一時的にでも吹っ飛ばしてくれるアクション作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in 15 minutes

劇中では“We’ll arrive in Incheon Port in 15 minutes.”=「15分後に仁川港に着く」という具合に使われていた。In a few hoursも使われていたかな。in + 数字 + 時間の単位、という形で覚えよう。

 

in 10 minutes =10分後

in 5 days =5日後

in 4 years =4年後

 

である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, イ・ジョンヒョン, カン・ドンウォン, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ギャガ, 韓国Leave a Comment on 『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

Posted on 2020年12月20日 by cool-jupiter

ワンダーウーマン 1984 70点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ガル・ガドット クリス・パイン クリステン・ウィグ ペドロ・パスカル
監督:パティ・ジェンキンス

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前作『 ワンダーウーマン 』は傑作だった。微妙な出来だった『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』や『 ジャスティス・リーグ 』でも、ワンダーウーマンの登場シーンは良かった。期待を高めすぎるのは禁物だと分かっていながらも、やはり期待して劇場へ向かった。裏切られたとまでは感じないが、前作の方が面白さはあった。

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あらすじ

スミソニアン博物館で働くダイアナ(ガル・ガドット)は、願いを叶えてくれるという謎めいた石の存在を知る。ダイアナがその石に願うと、本当にスティーブ(クリス・パイン)が復活した。再会を喜ぶ二人だったが、実業家のマックス・ロード(ペドロ・パスカル)とダイアナの同僚バーバラ(クリステン・ウィグ)も石に願いを行っていて・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからのセミッシラでのアマゾネスたちの競技大会が奮っている。元々は2020年の夏前の公開予定だったので、これは東京五輪を意識していたのだろう。Jovianの勤務先は東京五輪2020のオフィシャルサポーターではあるが、個人的には日本での五輪開催はもう諦めている。そうした意味で、幼少期のダイアナが大人たちとアスレチックを競うシークエンスには I felt redeemed. 青い空と青い海、そして豊かな緑の中を駆け抜けるアマゾネスたちの姿はそれだけで非常にシネマティックだった。

 

ヴィランの設定も悪くない。神が作った石というのも説得力がある。前作のオープニングは、いきなり神々の話だったし。前作が神殺しであれば、本作は人間の弱さにフォーカスしている。マックス・ロードは悪になろうとして悪になったわけではないし、バーバラも最初から悪を志向したわけではない。強さを求めることそのものを悪とは決して言えない。問題は、力を正しく使えるかどうか。そのことは冒頭のオリンピック的シークエンスで明示されている。単純な善と悪の物語に割り切ってしまわないところに好感が持てるし、本来スーパーヒーローとはそういうものだった。ウルトラマンは街を破壊しながら人間を守ることに疑問を持った少年少女は多いだろうし、『 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』や『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』はまさにヒーローによる戦いが一般の人間に災厄をもたらしている点を鋭く突いていた。本作はテーマ的にそれらの先行作品の一歩先に進んだとも言える。

 

スティーブとダイアナの交流も微笑ましい。前作でダイアナが浮世離れしたファッション・センスを見せつけたが、今作ではスティーブがオールド・ファッション感覚を披露する。第一次大戦から60年以上を経て1984年に蘇ったスティーブがエスカレーターや地下鉄に驚き、自室にあるチープなファースト・フードに大興奮する様はひたすらにチャーミングだ。ありふれたものに幸福を感じられるのも愛する人がそこにいるからだという、ある意味で非常に陳腐な、しかしどこまでも真実である命題が、マックス・ロードが人々の願いを叶える代償として、力を奪っていくことと対比になっている。マックスの最後の選択は、だからこそ説得力があった。

 

アクションも見応え充分。特にエジプトの道路のバトル・シーンは迫力満点。ダイアナがパワーダウンして、ダメージを負うところも緊張感を高めている。チーターと化す前のバーバラとの格闘シーンも手に汗握るもの。バーバラがダイアナと同等の力を持っていて、ダイアナがパワーダウンしているからだ。強すぎるヒーローが戦ってもハラハラドキドキが生まれにくいが、本作はプロットと論理的に絡めて、戦闘シーンの緊張感を高めるのに成功している。

 

エンドクレジットの幕間に続編を予感させるような、予感させないようなスキットが挿入されている。ここで登場する人物に興味がある人は「リンダ・カーター」でググるべし。

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ネガティブ・サイド

ワンダーウーマンのイメージを映画ファンに決定づけたのは、やはり盾と剣だと思われる。そのいずれもが本作でフィーチャーされなかったのは残念だった。

 

前作も『 スーパーマン 』のオマージュに満ちていたが、本作でもそれを繰り返すのはちょっと芸がない。愛する人との生活を手に入れるためにスーパーパワーを失い、自分の使命のためにもう一度スーパーパワーを手に入れるというのは、まんま『 スーパーマンII 冒険篇 』のプロットではないか(ロイス・レーンは死なないけど)。また、ダイアナが空中で右腕を前に突き出して左腕を引いて一気に加速して滑空していくシーンにもスーパーマンのシルエットが見えてくる。ここまで来ると興ざめする。

 

黄金のアーマーを身にまとったダイアナのチーターとの戦闘シーンも暗い。『 アクアマン 』以来、DC映画も“暗さ”から抜け出したと思ったが、ここでも戦闘シーンが暗すぎる。黄金のアーマーがまったく画面上で映えない。前作のように、夜でも爆発の炎に囲まれて十分にライトアップされているという環境を作り出せなかったのだろうか。

 

細かい点だが、エジプトからワシントンD.C.にダイアナとスティーブはどうやって帰ってきたのだ?

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総評

前作『 ワンダーウーマン 』と同レベルのクオリティを期待してはいけない。しかし、キャラクターの造形と成長は素晴らしい。スーパーマンと言えばクリストファー・リーブ、アイアンマンと言えばロバート・ダウニー・Jr.、というのと同じレベルで、ガル・ガドットはワンダーウーマンというキャラクターのイメージを不動のものにしたと言えるだろう。三作目があるのかどうかは現時点では未知数のようだが、ぜひ剣と盾で大暴れする姿を見てみたい。それもDCEUではなく、スタンドアローンで。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

renounce

辞書を引けば「捨てる」、「放棄する」、「断念する」などと出ているが、こういうものは文脈で理解したい。個人的に最もよく目にして耳にする使い方は、“renounce the belt/championship”=ベルト・王座を返上する、というもの。いったん手に入れたものを元の場所に返す、というのがコアの意味となる。そのことは本作からでも十分に理解できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アドベンチャー, アメリカ, ガル・ガドット, クリス・パイン, クリステン・ウィグ, ペドロ・パスカル, 監督:パティ・ジェンキンス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

Posted on 2020年8月27日 by cool-jupiter

サスペクト 哀しき容疑者 70点
2020年8月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ パク・ヒスン
監督:ウォン・シニョン

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コン・ユといえば『 トガニ 幼き瞳の告発 』や『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』のような、非肉体系の俳優という印象だったが、本作では『 アジョシ 』のウォンビンに対抗するかのような華麗かつ残虐なアクションにチャレンジして、ある程度の成功を収めたと言える。

 

あらすじ

脱北した元精鋭工作員のドンチョル(コン・ユ)は、愛する妻子を殺害した犯人を追って韓国で運転代行業を営んでいる。ある夜、韓国経済界の実力者でドンチョルも世話になっていたパク会長の殺害現場に居合わせたドンチョルは暗殺者を撃破。しかし、逆に殺人犯としてミン・セフン大佐(パク・ヒスン)に執拗に追われることになる・・・

 

ポジティブ・サイド

まずコン・ユがここまで格闘アクションをこなすのかとびっくりさせられる。『 The Witch 魔女 』の魔女ジャユンかと見紛う体術を見せたりもする。日本で言えば向井理がバリバリの格闘シーンを演じるような感じだろうか。この強烈な違和感がどんどんと消えていく序盤から中盤、そして終盤にかけての疾走感は素晴らしい。節目節目に格闘、カーチェイス、爆発、狙撃をまじえてくるので中だるみを感じることが全くない。

 

特にカーチェイスは韓国の狭く入り組んだ路地を豪快に走破し、そんな馬鹿なという超絶テクニックで階段をクルマで降りたりもする。副題にある哀しき~は『 哀しき獣 』を意識してのことだろう。あちらはタクシー運転手、こちらは運転代行業。運転が上手いのは当たり前なのだ(上手過ぎではないかと思うが・・・)。邦画では『 プラチナデータ 』が、主人公が真犯人を追いかけながら自らも追われるというプロットだったが、二ノ宮演じる科学者がなぜあれだけ運動神経がよく、なおかつ単車の運転に長けているかの説明はゼロ。2010年代前半で、すでに邦画は韓国映画に負けていたのか。クルマのバリケードをある方法で突破するシーンには笑うと同時に感心もした。現実に実行できそうだぞ、と。とにもかくにも、本作のカーチェイスシーンおよびカーアクションは必見である。

 

パク会長殺害のミステリもストーリーを引っ張る重要な要素となる。食糧難ながらも軍拡に勤しむ北朝鮮へ重要な贈り物を携えて尋ねる予定だったというパク会長は、いったい何を手土産にしていたのか。それは朝鮮半島の緊張を高める代物なのか、それとも融和の機運を高める契機になるのか。ドンチョルの逃走とセフンの追撃が単なる個人の因縁ではなく、朝鮮半島の命運をも握っていると感じさせてくれる。ベタではあるが、まさに手に汗握る展開である。

 

ドンチョルとセフンの因果が交わる時に真相が明らかになる。追う者と追われる者の間に秘かに芽生えた奇妙な連帯感も、ベタではあるが胸を熱くしてくれる。シリアス一辺倒ではなく、セフン大佐の部下が要所要所でユーモアを発揮。アクション、ミステリ、サスペンス、ユーモアを実に適度に織り交ぜた韓流アクションの快作である。

 

ネガティブ・サイド

本作の最大の欠点はオリジナリティの欠如である。北朝鮮の元スパイという要素をごっそり取り除けば、かなりの部分は『 ジェイソン・ボーン 』の焼き直しである。また、一見すると細身の優男が実は凄腕の殺人マシーンというのは『 アジョシ 』のチャ・テシクの二番煎じ。そして、断崖絶壁を訓練で登るのは『 ミッション・インポッシブル 』とトム・クルーズ/イーサン・ハント。北朝鮮と韓国の男同士のほのかで奇妙な交流は『 JSA 』が遥かに先行していて、なおかつ優っている。そもそも妻子を殺された男が復讐のために立ち上がるというプロットが古い。小説から映画まで手垢にまみれまくった題材である。どこかで観たことがある構図や人間関係が多いのが本作の残念なところである。

 

細かいところではドンチョルが妻子の仇を前にして、あっさりと逃げられてしまうところ。普通、両足を撃つか何かして逃げられない、もしくは闘いになったときにアドバンテージをとれるようにするのではないかと思うが。まして、銃を持っているという絶対的な距離のアドバンテージを自分から相手の掌の文字を読みたいからと歩いて近づくか?サスペンスフルなシーンではあるが、現実味があるとは言い難かった。

 

ドンチョルの有能さを強調するあまり、北朝鮮が現実以上の脅威に描かれていた。本当にドンチョル級の工作員を養成する機関であれば、あそこまで過酷な訓練は課さないだろう。金の卵であるが孵化する確率は3%というのは馬鹿げている。自分が総書記なら機関のトップを間違いなく更迭する。

 

総評

韓国映画お得意の北朝鮮絡みのアクションであり、ミステリであり、サスペンスであり、ヒューマンドラマである。ハリウッドから直輸入したと思しきシーンのオンパレードであるが、それが見事に韓流のテイストと融合している。またコン・ユという俳優の底力と、彼の潜在能力を余すところなく引き出す脚本、そして監督の演出力にも舌を巻いた。ハリウッドのスパイ映画、アクション映画に飽きてきたという向きにこそ、本作を強くお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

セフン大佐が何回口にしたか分からないぐらい「イーセッキ」を連発している。イー=この、セッキ=野郎。イーセッキ=この野郎である。英語だと、You bastard、日本語だと、テメーこの野郎、ぐらいだろうか。『 アウトレイジ 』の韓国語吹き替えだと100回ぐらいイーセッキと聞こえてくるような気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, コン・ユ, パク・ヒスン, 監督:ウォン・シニョン, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

Posted on 2020年8月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブラック アンド ブルー 75点
2020年7月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ナオミ・ハリス タイリース・ギブソン
監督:デオン・テイラー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200801133656j:plain
 

Black Lives Matter運動前に制作された映画。黒人市民ではなく黒人警官がこれでもかと虐げられる映画。しかも、その被害者=主役が女性というのも個人的にはタイムリー。ニューオーリンズについては最近見たこのTED TALKS、女性への侮辱的な言動についてはこのYouTube動画が興味深い。事前にこれらを予習しておくのもありだろう。

 

あらすじ

アリシア(ナオミ・ハリス)は新人警察官だが、黒人というだけで一部の同僚から侮辱的な扱いを受けていた。ある夜勤でアリシアは先輩警察官と共に廃工場へ向かった。そこでアリシアは刑事が麻薬の売人を射殺するのを目撃した。自身も撃たれるアリシアだが、防弾ベストのおかげでなんとか助かる。すべてを収めたボディカメラを罪証隠滅のために取り戻そうとする汚職警察官たち、そして彼らの陰謀によりギャングからもアリシアは追われることになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200801133717j:plain
 

ポジティブ・サイド

ニューオーリンズのイメージが一変すること請け合いである。オーリンズとはフランスのオルレアンの英語読みである。『 セルフレス/覚醒した記憶 』で若い肉体を手に入れたベン・キングスレーが悠々自適に街角のミュージシャンの演奏に耳を傾けていた異国情緒あふれる街。空港にルイ・アームストロングの名前をつける街。本作が映し出すニューオーリンズにはそんな呑気な光景は一切出てこない。『 華氏119  』でのミシガン州フリントのように、忌避された土地、警察官すらも近寄らない土地が舞台のすべてである。『 ブラインドスポッティング 』でも黒人と白人の友情が静かに壊れていく過程に緊張感が感じられたが、本作が生み出すサスペンスはそれをはるかに上回る。ギャングと警察が特定の個人を追うという構図は『 悪人伝 』と同じだが、そこにコミカルさはない。『 哀しき獣 』並みの絶望感だけがそこにある。拳や道具、せいぜい刃物で戦う韓国人に比べるとアメリカ人はあまりにも銃火器を使いすぎである。銃の威力も怖いのだが、誰もかれもがそれを持っていること、そして躊躇せず使おうとするところが恐ろしい。

 

アリシアが追われる展開までが非常にスピーディーだが、そこに至るまでの短時間にこれでもかとアリシアが虐げられる。ジョギング中に後ろから来たパトカーにいきなり呼び止められ、白人警官に暴力的に身分照会させられる。「指名手配犯に似ていた」と言い訳されるが、後ろから顔も見ることができないのによくもそんな言い訳ができるなと、一瞬で腹立たしい気分にさせられる。かと思えば、アリシアが黒人コミュニティ内でも「警察官だから」という理由だけで疎外されるシーンを挿入してくる。この孤立無援の感覚がアリシアの逃亡劇の恐怖とサスペンスを否が応にも盛り上げる。

 

BGMと様々な楽曲もアリシアに感情移入するオーディエンスの不安感をさらに煽る。『 ルース・エドガー 』のBGMも我々の心を落ち着かないものにさせるものだったが、ラップや金属音強めのBGMはそれを聴く者の心をざわつかせる効果があるようだ。映画的な文法に沿って言えば「まだ主人公は大丈夫なはず」という場面も、音楽と効果音の力が非常に強く、ハラハラドキドキが持続させられる。

 

アリシアとなし崩し的に逃亡することになるマウスが味わい深いキャラである。白人側に立つのか、黒人側に立つのか。警察官の側に立つのか、市民の側に立つのか。アリシアは複雑な選択を迫られるが、そうした二項対立的な選択肢しか存在しないことを、この映画は糾弾している。マウスはそうした疑問に一定の答えを呈示する役回りだ。この地域では黒人といえども警察官はお断りだという拒否感と、困っている人間を助けなければならないという良心とのジレンマは、そのままアリシアがかつて抱いていた心情である。

 

ラストのアリシア、警察、ギャングのバトルは壮絶の一語に尽きる。暗闇での接近戦は『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソクの格闘を彷彿させ、またクライマックスの二転三転する形勢は冷や汗と鳥肌、両方を体感できた。

 

カメラが重要なモチーフになっている本作であるが、デオン・テイラー監督のメッセージはシンプルだ。見てほしい、そして見せてほしいということだ。差別。貧困。汚職。暴力。目を背けるな。そこには常に誰かがいる。その誰かとは肌の色や性別で区別される存在ではない。その誰かは、別の誰かにとっての子であり、父であり、友であり、同僚なのだ。親がいない人間はいない。社会的に親が存在しないことはあるが、生物学的には絶対に存在する。誰かは確実に誰かの息子であり娘である。人が人を見る時、属性ではなく関係で見る。それこそが求められる一つの答えなのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

様々な場面でのアリシアの行動に合理性や一貫性がない。序盤にカネを払わずコーヒーを買っていく同僚に代わりにカネを店に置いていく一方で、中盤の逃亡中に同じマウスの店でいきなり飲料品をゴクゴク飲みだす。緊急時なのでそれは構わないが、その後、警察の制服を脱ぐところ=一人の人間に戻るところで、代金を払うと申し出る、それをマウスが「要らない」と返すようなやりとりが必要だったのではと思う。あるいは編集でカットしのだろうか。人間同士のやり取りが、相手の帯びる属性で変わってしまうという重要なテーマを、もう少し掘り下げるべきではなかったか。

 

軍人としての経験豊富なアリシアが、武装したギャング連中に追われていることを知りながらあれだけ簡単に道路などの遮蔽物のない空間に飛び出たりするだろうか。司令部への通報を簡単に諦めたりするだろうか。プロットを前に進めるための、かなり強引なご都合主義に感じた。そこでそのスマホを手に入れろ!という場面もあっさりとスルーしてしまう。このあたりは脚本段階で改善の余地があったはずだ。

 

総評

黒人差別問題だけなら、本作の評価はここまで高くはならない。ハリケーン・カトリーナによって街が破壊され、放棄されてしまった。そこに我々はもっと注意を払わねばならない。50年に一度とされる大豪雨や洪水が2~3年に一度起きる国に日本はなってしまった。また#MeToo運動に見られるように、女性への差別問題の根深さも近年あらためて浮き彫りになった。人は人に狼 homo homini lupusや武器の下では法も沈黙する intra arma silent legesという状態からはそろそろ本当に脱出しなければならない。娯楽性とメッセージ性の両方を持つ、隠れた傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Way to go

「よくやった」、「おめでとう」、「グッジョブ!」の意。同僚や家族が良い仕事を成し遂げたら、“Way to go!”と声をかけるようにしよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, タイリース・ギブソン, ナオミ・ハリス, 監督:デオン・テイラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

『 犯罪都市 』 -韓流・マル暴奮闘記-

Posted on 2020年7月9日 by cool-jupiter

犯罪都市 65点
2020年7月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ユン・ゲサン チン・ソンギュ
監督:カン・ユンソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200709234413j:plain
 

『 エクストリーム・ジョブ 』の面白刑事チン・ソンギュが悪役を演じてブレイクしたという映画。安定のマ・ドンソク劇場であり、適度なユーモアがあり、韓国テイストの暴力描写もある。

 

あらすじ

衿川警察の強力班の刑事マ・ソクト(マ・ドンソク)はその強面と腕っぷしで地元ヤクザのいざこざを解決してきた。しかし、中国からやってきたチャン・チェン(ユン・ゲサン)率いる朝鮮族マフィアが台頭。事態は警察、韓国ヤクザ、中国マフィアの三つ巴の抗争の様相を呈し始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

マ・ドンソクの魅力が本作でも爆発している。その腕っぷしでヤクザでも何でも平手で張り倒して、問答無用で言うことを聞かせる。それがなんともユーモラスだ。なんとなくNBAの往年のスター、チャールズ・バークレーやシャキール・オニールを思わせる。ガキ大将がそのままデカく成長しただけのように見える。そこが逆にかっこいい。警察というガッチガチの縦割り組織に身を置きながらも、どこか自由人的な雰囲気も感じさせる。お世辞にも美男子とは言えないが、顔の美醜を超越したカリスマ的なオーラもある。中尾彬をごつくしたような渋さもある。

 

主人公がこれだけキャラが立っていると、悪役側も相当な悪でなければ務まらないが、ユン・ゲサンとチン・ソンギュ演じる朝鮮族の高利貸し男の冷酷無比かつ残忍、さらに狂暴なキャラ設定は、確かにマ・ドンソクと鮮やかなコントラストを成している。序盤に出てくる韓国ヤクザをとことんまで舐め腐った態度に、有無を言わせぬ暴力。はっきり言って人間を人間と思っていない。それはそのまま、彼ら朝鮮族の延辺やハルビンでの扱われ方なのだろう。日本の半グレというのがどの程度のワルの集団なのかはよく知らないし知りたくもないが、この朝鮮族のような失うものがない人間たち、目の前の人間から奪い取ることしか考えない人間の集団ではないことを祈りたい。

 

本作では銃火器が使用されない。その代わりに『 聖女 Mad Sister 』でも使われた長柄ハンマー、『 哀しき獣 』のミョン愛用の手斧など、『 アジョシ 』のテシクのナイフなど、ダメージを与える以上に痛みを与える武器が多用される。視覚的に痛いのだ。よくここまでやれるなと呆れると同時に感心させられる。

 

本作では印象的なアクションシーンが二つある。一つは中盤の朝鮮族マフィアと韓国ヤクザの大乱闘。特に消火器が噴霧された中でのワンカット(に編集された)チャン・チェンとイス組の組長の殺し合いは必見。もう一つは、ラストのチャン・チェンとマ・ソクトのステゴロ。その戦う環境も強烈だし、バトルそのものも周囲を破壊しまくる大迫力。パンチを決定打にするのではなく、submission maneuverを極めてしまうところが妙にリアルだ。

 

適度にひねりもあるし、オチもそれなりに痛快。スカッとした気分になりたい梅雨空の日にちょうど良いだろう。

 

ネガティブ・サイド

ラストのバトルシーンで、何箇所かスタント・ダブルを使っている。できればマ・ドンソクとユン・ゲサンにすべて演じてほしかった。興行収入で『 アジョシ 』超えと言われてもピンとこない。ウォンビンはアクションを全部自分でこなしたではないか。

 

見事な死亡フラグを立てるキャラが予想に反して生き残る。それは別に良い。だが、そこで人が変わってしまうのはどうなのか。あのようなシチュエーションを潜り抜けたら、もっと慎重に、あるいはもっと臆病になってしまうと思うのだが。某キャラクターの豹変ぶりがチト説明しづらいように思う。

 

また広域警察や公安まで出張って来る事態になるのだが、もっと中央の権威というものを呵々と笑い飛ばすような演出が欲しかった。ソウルから来た刑事に握手すると見せかけて、その手を握りつぶすシーンがあるが、この情けないオッサンを班長の代わりにはできなかったか。すなわち、各シーンでリーダーシップを発揮しようとするも微妙に浮いてしまうというキャラだ。本作は究極的にはdick-measuring contest、すなわちアホな男たちの意地の張り合いなのだ。だからこそ、体面やら中央の権威やらはノイズになるのである。

 

総評

普通に面白い作品である。朝鮮族についての背景知識がなくとも、単にヤクザの抗争だと思えばそれで充分。主人公が「気は優しくて力持ち」的な作品にはハズレが少ない。予定調和的であるが、良い意味で手堅くまとまっている。本作か『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』を鑑賞すれば、マ・ドンソクのファンになること請け合いである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カッカチュセヨ

Jovianはこれまでに二回韓国に行ったことがある。そこで非常に重宝したのが、この「カッカチュセヨ」である。値切り交渉ができるところが大阪人と韓国人の共通点である(とヒョーゴスラビア共和国民のJovianが言ってみる)。このチュセヨも便利な表現で何か欲しい時には、全部これで通じる。20年前にガイドさんに教えてもらって、今でも覚えているのが「パチュセヨ(ご飯ちょうだい)」と「ムルチュセヨ(水ちょうだい)」である。これらは実際に大阪・鶴橋のおばちゃん達には通じた。カッカチュセヨも通じたが、飲食代はさすがに負けてくれないのが鶴橋である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, クライムドラマ, チン・ソンギュ, マ・ドンソク, ユン・ゲサン, 監督:カン・ユンソン, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 犯罪都市 』 -韓流・マル暴奮闘記-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

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近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

Posted on 2020年5月4日 by cool-jupiter

聖女 Mad Sister 65点
2020年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・シヨン パク・セワン
監督:イム・ギョンテク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200504230112j:plain
 

『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』に続く、韓流・戦うヒロイン(?)の系譜に連なる一作というTSUTAYAの触れ込みに惹かれた。またプロットも韓国映画ではずれが極めて少ない復讐もの。ということで借りてみた。

 

あらすじ

過剰防衛による服役を終えた警備員のイネ(イ・シヨン)は、軽度の知的障がいを持つ妹ウネ(パク・セワン)のもとへ帰ってくる。再会を喜ぶ二人。しかしウネは学校でいじめの対象になっており、美人局的な仕事をさせられていた。ヤクザ者の手に落ちたウネを取り戻すべく、イネは動き出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

いきなり『 ミッドサマー 』の「顔面破壊」を彷彿させるオープニングである。否が応にも惨劇への期待・・・ではなく予感が高まる。そして、その予感は正しかった。韓国映画の特徴は容赦のないバイオレンス描写にあるが、本作でもそれは健在。というか、『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』のような斬新なアトラクション的カメラワークよりも、オーディエンスに劇中キャラクターが感じる痛みを伝えることにフォーカスしたカメラワークと演出が非常に多い。たいていの人はドアに指を挟んだ経験があるだろうグロ描写は極まるとコメディになるが、本作は視覚的に気持ち悪いということ感覚的に痛いということの差をよく理解した者によって作られている。

 

男を踏みつけるという一種のメタファー的な行為は『 ワンダーウーマン 』でも取り入れられていた(鐘楼のスナイパーのシーン)が、本作の聖女もやっぱり男を踏みつける。なぜに赤いワンピースとハイヒールで大立ち回りを演じるのかと疑問に思うが、中盤のとある踏み付けシーンの痛みを倍加させるためである。終盤には『 アトミック・ブロンド 』のシャーリーズ・セロンばりにハイヒールを武器に転化。お約束の攻撃だが、これも痛い。主演のイ・シヨンは元ボクサーというよりも元総合格闘家、いや、それ以上の何かだ。パンチのみならずキック(膝蹴り含む)に関節技まで織り交ぜて、ナイフ、スタンガン、銃と武器の扱いにも長けている。警備員ではなく、どう考えても『 アジョシ 』同様に韓国軍の特殊部隊上がりとしか思えない。ノースタントでこなしたという数々のアクションは必見。特に中盤の対ヤクザの車内バトルは、一瞬で車の中から外に移動するカメラワークとロングのワンカット構成で見ごたえは抜群、見ているこちらの痛覚もばっちり刺激される。

 

その聖女に引けを取らないのは妹ウネを演じたパク・セワン。韓国映画は『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように障がい者を重要な役に配置することが多い。それは取りも直さず、障がい者への接し方について伝えたいメッセージがあるということだ。ウネの受ける暴力と性的な虐待は正視に堪えない。『 トガニ オサキナ瞳の告発 』同様に、精神的にかなり削られる描写が多い(尺はそれほど長くないが)。だからこそ、聖女の過剰とも思える暴走が観る側に勧善懲悪的なアクションとしての説得力を抱かせる。このコントラストのつけ方は恐ろしいほどに鮮やかだ。『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の白石麻衣が「体を張った」だの「体当たりの演技」だのとちやほやされるうちは、日本の10代20代の女優は韓国の同年代女優たちには勝てない。

 

日本はテレビドラマ『 聖者の行進 』以降、障がい者への容赦のない暴力やレイプを真正面から映し出す作品はあまり作られてこなかった。あったとしても『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』や『 レインツリーの国 』など、どこかromanticというよりもfantasticalな作風の映画ばかりである(『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』は実話ベースなのでちょっと違う)。『 37セカンズ 』のダークな一面をもっと映し出すような作品は、日本でも作れるはずだし、そのような作品を作らねばならないという意識の作り手もいるはずだ。リメイクするか、日本オリジナルのマッド・シスターを生み出してほしい。

 

ネガティブ・サイド

イネは服役帰りという設定だが、このあたりが説得力に欠ける。なぜイネは起訴され、有罪判決を受け、刑務所に行かざるを得なかったのか。事の顛末は中盤に明らかになるが、これで執行猶予がつかない韓国司法に喝!イネの過失はほとんどないだろう。もっとアクシデント、あるいはイネのミスの要素が多くないと、イネの服役に説得力がない。

 

バトルシーンのクオリティが終盤に近付くにつれ低下していくようにも感じた。『 悪女 AKUJO 』は序盤、中盤、終盤ともに隙のない上質のアクションを放り込んできたが、最終盤の大乱闘の迫力が序盤、中盤のそれを上回らなかった。角材という割と身近にある(少なくとも銃や刃物よりは)ものを使ったのはグッドアイデア。問題は、それを使っての驚くべきバトルシーンの演出の不足である。そうだ、いつの間に左拳にバンデージを巻いたのだろうか?

 

総評

韓国映画界からは“バーズ・オブ・プレイ”に参加できそうなタフな女性ヒーローが陸続と生み出されている。そのことが韓国映画特有のバイオレンスや容赦のない愛憎劇の要素をいささかも減じていない。日本でリメイクにトライしてほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オンニ

女性が年上の姉妹あるいは女性を呼ぶときの呼称、つまりは「お姉さん」である。血縁の有無に関係なくこのように呼ぶところは日本語との共通点である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イ・シヨン, パク・セワン, 監督:イム・ギョンテク, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズ., 韓国Leave a Comment on 『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

Posted on 2020年4月26日2020年12月13日 by cool-jupiter

アジョシ 80点
2020年4月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウォンビン キム・セロン 
監督:イ・ジョンボム

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200426120104j:plain
 

『 母なる証明 』のウォンビンが、『 オールド・ボーイ 』のキーワード、孤独で過去に囚われた“アジョシ”になる。それだけで、何か胸が締め付けられていくような気分になる。そして、実際にこれほど胸が締め付けられる作品は極めてまれである。

 

あらすじ 

場末の質屋を営むテシク(ウォンビン)は、隣の部屋の娘、ソミ(キム・セロン)とささやかな交流を持っていた。だが、ソミの母親が地下組織から麻薬を掠め取ったことから、ソミは麻薬と人身売買をなりわいとする組織に連れ去られてしまう。テシクはソミを助け出すべく、動き出す・・・

 

ポジティブ・サイド

カメラワークや照明、小道具に大道具まで、あらゆるスタッフが奮闘したことが伝わってくる、まぎれもない傑作。その中でも、役者の存在感が際立っている。特に子役キム・セロンは、出演時間こそ短いものの、印象的なシーンをいくつも残した。特に序盤、路地での悲痛なまでの心情の吐露。これには打ちのめされた。劇中のテシクならずとも、子どもがこのように大人に対してくれば、どのような凍てついた心も溶けるだろうし、どのような燃え盛る怒りも静まるのではないか。『 トガニ 幼き瞳の告発 』でも感じたが、韓国映画は子役/子どもであっても、演出面で容赦も妥協もしない。苛烈で過酷な環境に置かれた子どもたちの姿には吐き気を催すが、その中にあってもソミの純粋さと優しさは失われない。殺し屋相手にも無垢でまっすぐな視線でもって語りかけ、傷口に絆創膏を貼ってやる。その行為はソミというキャラをしっかり立たせ、さらに終盤の展開への伏線としても機能している。なんという無駄のない、計算された脚本か。

 

だが、役者でいえば何と言ってもウォンビンだ。ウォンビンの存在感、アクション、韓国の俳優らしから無表情の演技、しかしその目は言いようのない怒りや悲しみを何よりも雄弁に語っている。ポリティカル・コレクトネスに無頓着だった時代、我々はよく「男は黙って・・・」という枕詞を多用していた。ほとんど台詞らしい台詞を発することのないテシクは、その意味では古き良き男の像を体現していた。ソミを拉致したラム兄弟一味の用心棒であるラム・ロワンとのトイレでの決闘シーンは、清潔なトイレに血が飛び散るという光景が、血の赤をより際立たせる。かなり狭い空間でのバトルであるにも関わらず、カメラアングルも多彩で、hand to hand combatのシーンもロングのワンカット。両者ともに魅せる。『 不能犯 』の宇相吹正そっくりのいでたちと髪型から、中盤にバリカンで髪を一気に刈り上げ変身するシーンは鳥肌もの。見事に割れた腹筋がサービスで披露されるからではない。『 続・夕陽のガンマン 』で、イーライ・ウォラックの演じた The Ugly のトゥーコさながらに、自分の銃の状態を手触りと音で確かめるからだ。我々はこの瞬間、テシクの底知れなさに戦慄する。同時に、テシクがマンソク兄弟とその一味にもたらすであろう死と破壊への期待が、否が応にも高まる。

 

クライマックスのアジトでの銃撃戦とナイフバトルはアクション映画のバトルの最高峰だろう。普通にテシクも手傷を負うところがよい。凡百のアクション映画は主人公が息も切らさず雑魚敵をなぎ倒していくが、普通はそれだけ動けば、どんな超人でもゼーゼーハーハー状態である。韓国映画がこだわりまくる血しぶきと土埃の演出は本作でも健在。肋骨の隙間を探るように連続で何度も雑魚敵の胸を刺していくテシクには戦慄させられる。単に殺すのではなく、苦痛を与えて殺す。その行為自体が強烈なメッセージだ。相手を殴る時には、頬は拳で、顎は掌底でヒットするようにしているところも見逃せない。そんなにベアナックルで殴りまくったら、普通に骨折するだろうというアクション映画は星の数ほど存在するが、ここでもテシクの体に染みついた殺人術、そのプロフェッショナリズムが見て取れる。ラム・ロワンとのナイフバトルは緊張感の極致。『 初恋 』の日本刀チャンバラをさらにクロースレンジに、さらに高速にした感じで、ヤクザではなく元軍人同士の戦いの様相が色濃く出た。テシクの禁断の噛みつき攻撃には痺れた。韓国映画にはタブーがないのか。

 

本作は登場人物すべてのキャラが立っている。悪役であるマンソク兄弟の悪逆非道さ、児童売買を斡旋し、警察のガサ入れにも平然とカップラーメンをすすり続ける老婆、車イスに乗った障がい者(のフリをした運び屋)に躊躇なく容赦なくドロップキックを見舞う刑事、常に煙草をくゆらせながらも、ここぞというところで煙草を自重する刑事、韓国版『 ローン・ガンメン 』のような警察官、ソミの万引き行為にも鷹揚に構える雑貨屋の店主など、雑多な人間がそれぞれにしっかりと輝いている。2010年代で最高の韓国映画の一本だろう。

 

ネガティブ・サイド

児童売買および監禁をしているばあさんに天誅は下らないのか。もちろん起訴されて間違いなく有罪判決が下るのだろうが、我々が欲するのはもっと直接的な罰の描写である。Jovianが監督なら、不敵にラーメンをすすり続けるばあさんからカップを奪い取り、汁ごと顔面に叩きつける。刑事にそれをさせる。これぐらいの演出は長幼の序を重んじる韓国といえど許容範囲内だろう。

 

ラム・ロワンとテシクの決闘で炸裂した禁断の噛みつきだが、ロワンの手に噛み跡をつけることができれば、まさにパーフェクトだったはず。画竜点睛を欠いたとまでは言わないが、まことに惜しいところだった。

 

後は、テシクの悲しい過去にもう一言だけあれば尚よかった。具体的には決して出会うことのなかった我が子が女の子だった、と分かるシーンがあれば、ソミとテシクの関係性により説得力が生まれたはずだ。

 

総評

児童売買、児童労働、麻薬密売、臓器密売。韓国社会の闇がすべて凝縮されたかのような作品である。そうした問題を決して放置してはならないという社会的メッセージを、凄惨なアクションを通じてオーディエンスに届けてきた。まさにエンターテインメント性と作家性の完全なる融合である。イ・ジョンボム監督の最高傑作で、これ以上のものは最早作れないだろう。絶対に無理だと思うが、日本でもリメイクしてほしい。とりあえずマンソク兄弟の弟は渡辺大知で。テシク役は『 図書館戦争 THE LAST MISSION  』で岡田准一と対決しそうで対決しなかった松坂桃李で。日活か東映が北野武に10億渡して監督させるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So what?

「それがどうした?」の意である。かなり挑発的な表現なので、使いどころに注意のこと。

例)

“The restaurant I went to yesterday was awesome.” “So what?”

“I passed the exam!” “So what?”

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, ウォンビン, キム・セロン, 監督:イ・ジョンボム, 配給会社:東映, 韓国Leave a Comment on 『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

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