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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年12月

2019年総括と2020年展望

Posted on 2019年12月31日2020年8月29日 by cool-jupiter

2019年総括

2019年は劇場、レンタルで約250本の映画を観たのか。この時間とカネを自分磨きに使っていれば・・・などと思っては負けである。今年は『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』や『 主戦場 』、『 サッドヒルを掘り返せ 』など、力のあるドキュメンタリー作品が多かったという印象を抱いている。またCGと実写の境界線が揺らいだという印象も強い。『 アリータ バトル・エンジェル 』や『 ライオンキング(2019) 』、『 ジェミニマン 』は映像の新世紀の幕開けを告げる作品だろう。

一方で、『 アベンジャーズ 』と『 スター・ウォーズ 』という二大シリーズが完結した年でもある。それが悲しむべきことなのか、喜ぶべきことなのかは、今のところよく分からない。確かなことは、義務感によって劇場に足を運ぶ人の数は減るだろうということ。Jovianは『 スター・ウォーズ 』は何回観ても苦にならないが、『 アベンジャーズ 』は一回でお腹いっぱいである。

邦画の世界は、相も変わらず漫画と小説の映画化に血道を上げている。それ自体は悪いことではない。問題は、それがメインストリームになってしまっていることだ。『 イソップの思うツボ 』と『 スペシャルアクターズ 』はもう一つだったが、上田慎一郎のような実験的な監督あるいはアプローチをする者が、もっと出てきてほしい。

それでは個人的な各賞の発表を。

 

2019年最優秀海外映画

『 存在のない子どもたち 』

2018年の『 判決、ふたつの希望 』に続いて2年続けてレバノン映画を選出させてもらった。テーマの鮮烈さ、それを切り取るドキュメンタリー的な技法、最後にようやく映し出される希望の笑顔。メッセージ性の強さでは群を抜いていた。

 

次点

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』

海外映画というよりもグローバル映画と呼びたい。ゴジラという怪獣は日本が生んだ偉大なキャラクターという枠にとどまらず、地球規模で愛され消費されるコンテンツになったのである。『 ホテル・ムンバイ 』や『 クリード 炎の宿敵 』よりもこちらが上回ったのは、ただただJovianがゴジラ好きであるからに他ならない。

 

次々点

『 ジョーカー 』

悪を新しく定義しなおしたことが本作の最大の貢献だろう。狂っているのは自分なのか、社会なのか。世界中が本作に熱狂している/していたことの意味を、我々はよくよく考察すべきだろう。

 

2019年最優秀国内映画

『 翔んで埼玉 』

近年の邦画では突出した面白さ。それはギャグが面白いからではなく、その奥に鋭く社会を批評する精神を内包しているからである。2020年東京オリンピックでは、マラソンを札幌開催となることが強権的にIOCによって決定された。その際のメディアの矛先は、IOCではなく札幌に向かった。これが本社を東京に置く日本のメディアの正体である。東京をユーモラスに、しかし確実に批判している本作は、娯楽要素と社会派要素を高い次元で融合させた傑作である。

 

次点

『 アルキメデスの大戦 』

戦争を知らない世代が政治権力の中枢に居座り、国民を貧困に追いやり、国際情勢にも混乱をもたらしている。今という時代が戦争前夜であるとは思わないが、戦争前夜の様相を呈しているということは、多くの識者や高齢世代が異口同音に語ることでもある。Jovianは戦争映画は好きであるが、戦争は嫌いである。戦争をフィクションとして楽しめる時代の継続を望みたい。

 

次々点

『 主戦場 』

Jovianの母校の恩師は、「歴史とは虚構である」、「現実は多層である」との教えを叩きこんでくださった。歴史とは現在との遠近法の中で何度でも捉え直されるべきものであるし、現実とは一色で塗りつぶされるものでもない。本作を右派と左派の対立にフォーカスしていると感じる視聴者は、もう一度、ミキ・デザキの主張がどこにあるのかを考え直されたし。

 

2019年最優秀海外俳優

ホアキン・フェニックス

『 ドント・ウォーリー 』と『 ジョーカー 』 の二作の主演で間違いなし。というか、アーサー・フレックを演じた『 ジョーカー 』一作だけでも文句なし。

 

次点

シム・ウンギョン

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』と『 新聞記者 』で日本人役を、少々舌足らずではあったが、見事に演じ切った。日本人も、ハリウッドを目指すだけではなく韓国、中国、タイ、ベトナムなどに進出をするべきだ。

 

次々点

フィリップ・ラショー 

『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で残したインパクトは100トン級だった。

 

2019年最優秀国内俳優

成田凌

『 チワワちゃん 』、『 愛がなんだ 』、『 さよならくちびる 』、『 カツベン! 』の四作品出演で文句なし。『 カツベン! 』は映画として悪かっただけで、役者に責められるべきポイントは少なかった。

 

次点

吉沢亮 

『 キングダム 』 の秦王政、『 空の青さを知る人よ 』の慎之介の voice acting で、その確かな演技力を強烈に印象付けた。これまでは出演作のクオリティに恵まれなかったが、2019年は吉沢亮の年になったと言ってよいだろう。

 

次々点

松岡茉優 

『 バースデー・ワンダーランド 』、『 蜜蜂と遠雷 』、『 ひとよ 』 の三作品で選出に異論なし。

 

2019年最優秀海外監督

トッド・フィリップス

コメディ畑の監督が『 ジョーカー 』を成功に導いた。キャッチフレーズである”Put On A Happy Face” の真意は、コメディの何たるかを知る同監督ならではであろう。笑いの仮面をかぶるということは、心の中では泣いている、もしくは怒っているということである。そして、人を笑わせたいと願う男が、人に嘲笑われてしまう。病んでいるのは社会か、それとも己なのか。日本社会からいじめが減らない一つの背景に、「いじめ」と「いじり」が峻別されないという実情がある。職場や学校の人気者とされる人々は、本当に幸せ者か。彼ら彼女らは笑わせているのか、笑われているのか。そんなことを、ふと考えた。

 

次点

ノア・バームバック

『 マリッジ・ストーリー 』一作で文句なし。 芸術性と娯楽性の両方を同時に追求することができる稀有な手腕の持ち主である。

 

次々点

スティーブン・ケイプル・Jr.  

『 クリード 炎の宿敵 』 で文句なし。シルベスター・スタローンの新人監督のポテンシャルを嗅ぎつける嗅覚の鋭さには敬服するしかない。

 

2019年最優秀国内監督

真利子哲也

『 宮本から君へ 』 で現代人向けに強烈なメッセージを送ってきた。お前たちは真に生きているのか、と。本作は暴力を称揚しているわけでも容認しているわけでもない。ただ、男という生き物が力を正しく揮うのだとすれば、それは生存を賭けた闘争か、あるいはつがいの女のためであろう。本作は「漫画を映画化するのなら、これぐらいしてみろ!」という真利子監督の邦画界への一喝である。

 

次点

白石和彌 

『 ひとよ 』 で、家族という共同体の一面の真実を炙り出した。相手が憎いのは「好きでありたい」という気持ちの裏返しであり、相手をどうやって受け入れればいいのか分からないというのも「受け入れてやりたい」という気持ちが無ければ生まれてこない疑問である。家族という虚構の共同体の成り立ちに新たな光を当てたと言える。

 

次々点

石井裕也 

『 町田くんの世界 』 で、主演二人に新人を起用。それでも映画を佳作に仕上げ、なおかつ非現実的な展開も序盤の伏線でクリア。『 宮本から君へ 』の宮本に次いでカッコイイ男、町田くんを世に送り出した功績を称えたい。

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』

これほどオリジナリティに欠けるクリシェ満載のホラー映画は貴重である。企画やストーリーボードの段階で、「これ、作ってもつまらないんじゃ・・・」とは誰も感じなかったのか。類似のテーマでもっと面白い作品を観たいという向きには邦画『 いぬやしき 』をお勧めしておく。

 

次点

『 ジェミニマン 』

ウィル・スミスには悪いのだが、点数ゆえにこの位置に来ざるを得ない。というか、IMDbとかRotten Tomatoesを頼りにつまらなそうな映画を事前にスクリーニングしすぎたのかな。もっと自分の直感を頼りに来年はチケットを買おう。

 

次々点

『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』

豪勢な題材を豪勢なキャストで料理しようとして大失敗。いくら素材が良くても、味を決めるのは料理人たる監督であり、それを味わうお客たる視聴者である。

  

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ニセコイ 』

厳密には2018年の作品なのだろうが、ストーリーの面でも映像芸術としての質の面でも、役者の演技面でも、邦画の最底辺だろう。河合勇人監督には捲土重来を期待する。

 

次点

『 二ノ国 』

『 ニセコイ 』との壮絶な一騎打ちに僅差で敗れた。だが、本作もまた邦画、そしてジャパニメーションの最底辺レベルの作品であることは疑いようもない。

 

次々点

『 貞子 』

ジャパネスク・ホラーの夜明けを告げた『 リング 』シリーズは、本作をもって水平線の向こうに沈んでしまった。再び輝きを放てるのは果たしていつの日か。

 

2020年展望

『 ゴジラVSコング 』の公開が2020年3月から2020年11月へ延期されたというのはショッキングなニュースだった。『 スター・ウォーズ 』の完結によってぽっかりと空いた心の隙間を埋めてもらおうと期待していたのだが。

楽しみなのは『 ハリエット 』。女モーゼとも呼ばれたハリエット・タブマンの映画である。彼女は2020年に米20ドル札の表面に載る。それも1920年の第19回憲法修正で女性に参政権が付与された100周年記念の一環として。職業柄、アメリカ近代史に関心のあるJovianは、本作が楽しみでならない。

私事ではあるが、今年で今の会社を辞めて別の会社へ移ることになった。いわゆる転職である。語学業界内での転職だが、職務は少し変わる。外国語、特に英語学習の需要は高まるばかりだが、通訳機や翻訳機のレベルが指数関数的に向上した時、この業界全体がどのような変化を迫られるのだろうか。上司にメールで退職の意を報告したのは『 ジョーカー 』を鑑賞した直後。何ともcinephileらしいではないか。

新年の抱負としては、2020年は10~20記事にひとつぐらいは日英両語で書くようにしたい。また、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】への完全引っ越しも果たしたい。来年も良い年になりますように。

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代Leave a Comment on 2019年総括と2020年展望

『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

Posted on 2019年12月31日2020年9月26日 by cool-jupiter

パラサイト 半地下の家族 75点
2019年12月30日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ チェ・ウシク パク・ソダム
監督:ポン・ジュノ

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半地下とは面白い構造である。『 怪しい彼女 』でも、バンド名に半地下=パン・ジハとつけられていた。韓国・ソウルは坂の街なので、半地下を持つ家、もしくは半地下に存在する家があることは珍しいことではない。しかし、本作の言う半地下の家族には、それ以上の意味がある。

 

あらすじ

半地下の家に暮らすキム一家は、家族そろって失業者。しかし長男ギウが友人の伝手で富裕家族の娘の家庭教師職を得たところから、妹ギジョンも家庭教師として、そして父も母もその一家から仕事を得るようになる。富裕家族に寄生するキム一家は、しかし、悲劇に巻き込まれて行く・・・

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ポジティブ・サイド

2019年の日本を読み解くキーワードの一つに、間違いなく「上級国民」が挙げられるだろう。その対義語はもちろん、「下級国民」である。かつての日本は一億総中流などと言われていたが、そんな時代は過ぎ去って久しい。上級国民=富裕層、特権階級だとすれば、下級国民=貧民層、社会的セーフティネットからの落伍者となろうか。トマ・ピケティの『 21世紀の資本 』を読むまでもなく、バブル崩壊以後の日本では、富める者がますます富み、中流とされた層がどんどん下層化していった。そして、『 国家が破産する日 』でも描かれていたように、韓国社会の経済的な分断は日本の20年先を行っている。つまり、日本においても本作で描かれているような上流階級と下層貧民の分断の進行、そして下層民が上層民に“寄生”して生きていくような社会の到来はほぼ確実であろう。そしてそれはジョーダン・ピールが『 アス 』で描き出そうとしたテーマ、すなわち「我々の敵は我々自身」というものと共通する。ありうべき自分と実際の自分の隔たりが大きくなる。それが、韓国でも日本でも、そしておそらく全ての先進国で進行している事態である。それを本作はコミカルに、さらにサスペンスフルに描いた。

 

キム一家は富裕な家族にうまく取り入り、元いた家政婦も追い出し、経済的な危地も脱する。それは爽快ですらある。やっていることは犯罪すれすれ、というか犯罪だが、そうでもしなければ抜け出せない負のスパイラルというものがある。自分たちが汚泥に塗れたことが、金持ちにとっては僥倖になる。これは決して比喩でも何でもなく、資本主義社会における極まった搾取の構造の一つである。これは韓国版の『 万引き家族 』ならぬ『 寄生家族 』であり、下剋上でもある。

 

ポン・ジュノ監督の要請に従ってネタばれは避けるが、中盤と終盤に素晴らしいドンデン返しが待っている。特に終盤のとあるキャラの豹変の理由を、とある感覚に求めたところは秀逸であると思う。映画は基本的に映像で見せるものであり、時に音声を聴かせるものでもある。見た目や話し方をどれだけ取り繕っても、存在そのものが放つものはごまかしようがない。それは行動や言動の否定ではなく、存在の否定である。耐えがたい屈辱である。『 ジョーカー 』、『 ボーダー 二つの世界 』に続く、虐げられた者にフォーカスした傑作外国映画がここに誕生した。

 

ネガティブ・サイド

富裕一家の長男の“解読作業”はどうなったのだろう。また、あれだけの金持ちがセンサーの不良と疑われるものをあれだけ長く放置するだろうか。そのあたりに上手い説明がなかったのが気になった。

 

序盤のミニョクとギウの友情はニセモノだったのか。ミニョクを裏切るにしても、もう少しギウに葛藤が欲しかった。『 ジョーカー 』のアーサー・フレックは、環境や状況によって道を踏み外さざるを得ないところに追い詰められた。もちろん本人の病気の問題もあったが、それは本人の人間性とは関係がない。ギウの人間性に疑問符がつくような描き方は、本作が目指す「社会構造の欺瞞を撃つ」というテーマを薄めてしまっている。

 

総評

お隣の韓国もなかなかに大変なようである。というか、放っておくと日本もこうなるのは火を見るよりも明らかである。家族という共同体の強固さと社会的な連帯の弱体化は比例するのか反比例するのか。貧富の格差が固定化された身分として定着してしまった時、第二の「フランス革命」が起きることすら予感させる。韓国発のこのサスペンスは、先進国にとって非常に示唆的な作品になっている。2020年、必見だろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

スポイラー

映画の冒頭で監督から「ネタばれ厳禁」のお願い、キャストから「劇場マナー守ってね」メッセージがあったのだが、ポン・ジュノ監督は「ネタばれ」を「スポイラー」と言っていた。つまり、英語のspoilerである。韓国語にはネタばれにあたる語がないのかもしれない。そういう時には、外来語をそのまま使うのが賢いのだろう。劇中でも日本語が最低2回出てくる。一つはとあるガジェットの文字、もう一つは日本発の特定のタイプの人間を指すinternational languageである。といってもsamuraiやninjaではない。詳しくは劇場でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, チェ・ウシク, パク・ソダム, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

Posted on 2019年12月31日 by cool-jupiter

ギャングース 50点
2019年12月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高杉真宙 渡辺大知 加藤諒 金子ノブアキ
監督:入江悠

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東宝シネマズ梅田で昨年公開していたのを見逃したので、あらためてDVD鑑賞。日本の暗部を上手くエンターテインメント風にまとめてはいるが、最後の最後のショットは人によって好みや解釈が分かれるところだろう。それが入江監督の意図なのかもしれないが。

 

あらすじ

サイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院上がりの3人組。まともに社会復帰ができない彼らは、半グレ集団からのタタキ(窃盗)を稼業にしていた。そして3人で3000万円を貯めて、正道に立ち返ることを目標にタタキに邁進していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

若手俳優たちが躍動している。ヤクザ映画が時代と共に減産となり、入れ替わるかのように盃ごととは異なる次元のアンダーグラウンド世界を描く作品が映画や漫画、小説でも増えてきた。特に高杉真宙は『 君が君で君だ 』のクズ彼氏役が今一つだったが、『 見えない目撃者 』で悪ぶった10代を好演。そして本作でも少年院あがりの半端者をしっかり表現できていた。この調子で精進して第二の菅田将暉を目指すべし。

 

Jovianのお気に入り俳優である渡辺大知も光っていた。『 ここは退屈迎えに来て 』でも、子ども時代になかなか決着をつけられない半端な大人キャラ、さらにはLGBTQをも思わせる役を演じていたが、本作でも爽やかながらに前科者というギャップのあるキャラを、明るさあと腕っ節の両方で描出した。

 

だが何と言っても白眉は加藤諒だろう。三枚目キャラでありながらも最も重い因果を背負っているというギャップがたまらない。刹那的な生き方 ― それはつまり牛丼だ ― を追い求めるのは、一日を生きることにも苦労したことの裏返しである。犯罪を行うことに最も屈託がなさそうに見えるのは、それだけ普通の生活を送ってこなかったことの証明でもある。幸せになりたい、そして誰かを幸せにしてやりたいと心から素直に願えるのは、幸せの閾値が低いからである。それは不幸なことかもしれない。幸せな体験が少ないことを意味するから。一方で、それは幸せなことかもしれない。ありふれたことにも幸せを見出せるから。このカズキというキャラクターをどう捉えるかが、その人の心の豊かさ、または貧しさの度合いを測るリトマス試験紙になっている。そしてカズキは『 存在のない子供たち 』のゼインでもある。詳しくは作品を鑑賞されたし。ところで、このキャラの前科を描くシーンおよび家は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で鶴瓶が妻と間男を刺殺した家だろうか。家もそっくりに見えるし、殺人に至る流れもそっくりであり。

 

金子ノブアキの番頭ぶりも良い。番頭と言えば漫画『 魔風が吹く 』が思い出されるが、金子も負けていない。オレオレ詐欺の前に従業員に対してmotivational speechを行う様は圧巻である。チンピラ的な役が多かったが、年齢相応に存在感やカリスマ性も増してきた。ピエール瀧の後釜を本気で狙ってほしいと思う。

 

MIYAVIも悪くなかった。『 BLEACH 』では信じられないほどの大根演技を披露したが、本作では喋りだけではなく格闘アクションも披露。『 影踏み 』の山崎まさよしのように音楽と演技の二足のわらじを履き続けられるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

事実を取材したというが、リアリティの欠如も多い。半グレの借りている貸倉庫を急襲してタタキを行うのは分かる。半グレは警察に被害届を出すことをためらうからだ。だが、鍵を壊された貸倉庫の業者はためらうことなく被害届を提出するだろう。それとも貸倉庫自体が半グレの経営によるものなのか?そのような描写はなかった。

 

また、今日のメシ代にも困る奴らがクルマを乗り回していることにも違和感を覚えた。ガソリン代はどうやって捻出している?そもそも免許を持っているのか?車検などをしっかりクリアできている車両なのか?車両保険はどうなっている?いままで一度も検問や職質にひっかからなかったとでも言うのか?

 

六龍天が本当に口にするのもはばかられるほどヤバい組織であるという設定はよい。だが、そのトップが腕っぷしで勝負するタイプというのはどうなのだ?ヤクザなら銃やドスを普通に持っている。自分自身が武装していなくても、取り巻きが短刀やスタンガンなどの武器を携帯していないのは不自然極まりない描写に感じられた。

 

本作の裏テーマは、「家族とは何か」である。『 万引き家族 』を観るまでもなく、血のつながりは濃いものであるが、血のつながりよりも濃いものもあるのである。それは『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のテーマでもあった。カズキは疑似的な妹ができるのだが、彼女を引き取ろうという気概はないのか。家族とは作り上げるもの、そしてどんな形であれ最終的には離散するものでもある。子どもとは巣立ちしてナンボなのである。少年院を出たということは少年だったということである。だが、いつまでも少年ではいられない。この3人組は友情を確かめつつも、成長と独立を志向すべきだった。それこそが本当の意味のカタルシスにつながる。エンディングのショットは解釈が割れるだろう。幸せは平々凡々な瞬間に存在するという意味にも受け取れるし、他人の幸せに関心を払う人間など現代には存在しないという風にも受け取れるからである。Jovianは前者の説を取りたい。何故なら、それこそが全編をかけて本作が追い求めてきた真実だからである。だからこそ入江監督には、曖昧な映像ではなく、しっかりとした意図が込められた画で最後を締めて欲しかった。

 

総評

半グレは残念ながら日本社会に根を張ってしまった。そうした半グレを逆に狙う少年たちの物語は、それだけで痛快である。同時にそうした世界に足を踏み入れてしまうことのリスクも一応描かれている。そして、幸せとは何かを考えるきっかけにもなる本作は、中高生の教育用に案外向いているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let us do this heist!

タタキという言葉は完全にジャパニーズ・スラングである。だが、英語では強盗・窃盗はheistという。「このタタキ、やらせて頂きます!」も上の英文でOK。ちなみにheistという単語は傑作映画『 ベイビー・ドライバー 』で頻出する。動詞の選択に迷った時はdoでOKである。

do a presentation   プレゼンをする

do a movie review   映画のレビューを行う

do some cooking   料理をする

do some laundry   洗濯をする

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, クライムドラマ, 加藤諒, 日本, 渡辺大知, 監督:入江悠, 配給会社:キノフィルムズ, 金子ノブアキ, 高杉真宙Leave a Comment on 『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

Posted on 2019年12月31日2020年4月20日 by cool-jupiter

ぼくらの7日間戦争 50点
2019年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:宮沢りえ 北村匠海 芳根京子
監督:村野佑太

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『 ぼくらの七日間戦争 』の30年後を描いている。まるで『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』と『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のようである。だが、前作が持っていたスピリットは弱められてしまっていた。

 

あらすじ

鈴原守(北村匠海)は歴史好きの内向的な高校生。隣に住む千代野綾(芳根京子)に密かな恋心を抱いていた。夏休み直前、綾が突然引っ越しすることになる。そんな綾に守は逃避行を提案する。なんだかんだで一週間の家でキャンプを張ることになった綾は、他にもメンバーを集め、旧石炭採掘工場に集まり・・・

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ポジティブ・サイド

本作は「大人とは何か」という問いに一つの興味深い回答を提示している。これは、いわゆる就職氷河期やゆとり世代に対して当てはまることなのかもしれない。というのも、この世代のサラリーマン(正規であれ非正規であれ)は、平成を通り越して昭和の残り香が漂う職場で、新世代たちとしのぎを削っているからである。自分たちに決定権はない。全ては上に従うばかり。しかし、時代、そして次代の突き上げは確実に迫っており、どうすべきか途方に暮れている。そんな世代の悲哀が透けて見える。王道楽土に連れて行ってくれると信じられるような上の世代が存在しない。そんな作り手たちの思いと、そんな奴らはぶっ潰せという気概の両方が感じられる。これはアラフォーに向けてのエールである。

 

「戦争」という物騒な単語を使うことの意味も認められた。戦争とは、国と国の争いである。つまり、異なる民族の戦いである。そして日本ほど異物を排除する論理および仕組みが強烈に働く文化圏は少ない。とあるキャラクターを通して、本作は日本社会の均質性や人権意識の希薄さを撃つ。これは爽快である。『 国家が破産する日 』で描かれた韓国社会に押し付けられた性急な構造改革は、日本の20年先を行っていた。今、日本と韓国の政治・経済摩擦以外で何が起きているのか。ベトナム人移民労働者の奪い合いである。そして、今後確実に激化するのはフィリピン人花嫁の輸入(何という表現だろうか)である。本作は、北海道の片田舎を通して、確かに日本社会の縮図を描いた。これは褒められるべきであろう。

 

たいしたネタばれではないと判断して書いてしまうが、TM NETWORKの“Seven Days War”は良いタイミングでplaybackされるので期待してよい。

 

ネガティブ・サイド

アニメーション映画にそれほど造詣が深いわけでもなく、外国映画も基本的にすべて字幕派のJovianにとって、一部のキャラクター達の声がとにかくキャンキャンうるさかった。特に女子連中の、まるで何かに媚びるような甲高い声というのは、一体どういった層に訴える効果があるのだろうか。

 

中盤の対大人撃退作戦のテンポが良くない。『 ぼくらの七日間戦争 』は、荒唐無稽ではあるが、スピード感あるカメラワークと演出でそこを巧みにごまかした。本作では、肝心のアクションシーンがもっさりしてしまっている。致命的とは言わないまでも、面白さをマイナスしてしまっていることは否めない。

 

現代的なガジェットも効果的に使用されたとは言い難い。炭鉱から熱気球によって脱出というのは、確かに我々世代には『 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 』を思い起こさせるが、現実に実行したとしてもヘリコプターやドローンに追跡されてオシマイではないか。またはあれだけ目立つものであれば、警察その他のネットワークでいとも簡単に捕捉されてしまうはずだ。どうやって無事に逃げ切った?

 

『 ぼくらの七日間戦争 』にあった体制への不満という要素が消え、非常に私的な領域で物語が進むようになった。それはそれで良いのだが、あまりにも個々のキャラクターの背景描写が弱いために、クライマックスの展開がとってつけたような皮相なものにしか映らない。各キャラクターに、ある意味では現代的なメッセージを託してはいるが、それがどうにもご都合主義に見える。唯一、綾と荘馬というキャラに伏線が二つ張られていたのみで、他キャラの背景は完全に後出しジャンケンである。それではカタルシスは生まれない。少なくとも、すれっからしの中年映画ファンには。そして、中年映画ファンこそ、本作がアピールすべきデモグラフィックであるはずだ。本作が企画され、製作され、公開されたのは、Jovianの同世代がクリエイティブな現場での主力になってきたからであろう。であるならば、若年世代だけではなく、中年世代にも刺さるストーリーを志向すべきである。そしてそれは、日本社会に蔓延する“空気”を晴らすような物語であるべきだ。

 

総評

『 ぼくら 』シリーズの精神を現代に蘇らせているとは言い難い。それでも、ジュブナイル物として観れば、平均的な仕上がりになっている。逆に本作を鑑賞してから『 ぼくらの七日間戦争 』を観るというのもありだろう。昭和と令和の“空気”の違いを如実に感じ取れることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How long have you been in love?

劇中で守のチャット相手のジジババが「いつから懸想しておった?」と尋ねてきたときの台詞である。自分の高校生、大学生の教え子たちは「懸想=けそう」という日本語を知っているだろうかとあらぬことも考えた。be in loveで、「恋をしている」の意である。B’zも“I’m in love?”と歌っているし、『 ベイビー・ドライバー 』でもケビン・スペイシーが“I was in love once.”と語っていた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アドベンチャー, アニメ, 北村匠海, 宮沢りえ, 日本, 監督:村野佑太, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

Posted on 2019年12月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

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スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月26日 梅田ブルク7(ドルビーシネマ)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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劇場鑑賞3度目。今度はドルビーシネマで。英語の批評サイトなどをひとしきり渉猟してみたところ、否定的なレビュー7、肯定的なレビュー3といったところか。面白い傾向として(英語で)読み取れるのは、肯定派と否定派の視点。肯定派はお約束の展開を楽しみ、否定派はお約束の展開を毛嫌いしているようである。『 スター・ウォーズ 』に何を望むのかを通して見えてくるのは、それを観る人間の心の在りようなのだろう。

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個人的には、『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は何度観ても楽しめる。おそらく、あと3~4回は観るだろう。何故か。それは、童心に帰ることができるからだ。まだ自分が生まれていなかった頃に劇場公開された『 スター・ウォーズ 』と実質的に同じような作品をリアルタイムに、自分のお金を使って、自分のスケジュールを調整して観に行くことができる。やっていることは(一応)大人だが、劇場内にいる自分は子どもである。おとぎ話の世界に浸っているのである。

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『 スター・ウォーズ 』が新しい地平を切り拓いたのは間違いない。だからといって、続編が全て新しい地平を切り拓かなければならないわけではない。それに芸術の分野における「新しい地平」は、しばしば古くからある手法を新しい対象に適用した時、もしくは全く新しい手法を古くからある対象に適用した時に現れるものである。前者の好例はヨーロッパの技法でアメリカの風景を描いたトーマス・コール、後者の好例はアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックだろう。『 スター・ウォーズ 』は、古くからある普遍的な要素を持つおとぎ話を、銀河にまたがる冒険譚風に味付けし直したものだ。よく知られていることだが、そこにはテレビドラマの『 フラッシュ・ゴードン 』や黒澤映画『 隠し砦の三悪人 』、さらに児童文学『 オズの魔法使 』の影響がある。というか、これらの作品は『 スター・ウォーズ 』の紛うことなき先行テクストである。『 スター・ウォーズ 』の革新性は対象ではなく、手法にあることは明らかである。どこからどう見てもSF映画なのに、それをおとぎ話的に語るという手法が『 スター・ウォーズ 』の革新性だったはずだ。

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ジョージ・ルーカスが構想していた物語が何であれ、エピソード1、2、3のような世界観は個人的には勘弁願いたい。おとぎ話世界の神秘性を、政治だの経済だの生物学だので剥ぎ取らないでほしい。その一方で、初めて『 スター・ウォーズ 』を初めて観た時に子どもだった者も、42年を経ればどうしたって大人になる。大人になるということは、色々な物事に距離を取ってしまう、もしくは客観視してしまうようになる。それは自然なことである。だが、たまには童心に帰っても良いのではないだろうか。桃太郎に向かって「犬、猿、キジではなく犬、犬、犬を連れて行けよ」だとか、笠地蔵の物語に「そんなことしても意味はないよ」だとか突っ込まないだろう。Rotten TomatoesやYouTubeあたりでネガティブ・レビューをしている者たちは、頭でっかちになりすぎている。普段から鵜の目鷹の目のJovianであるが、自分が好きなものを見る時には片目をつぶるくらいでちょうどよい。『 結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ 』と言われる。『 トレイラーは両目を大きく開いて見よ。 本編を観る時は片目を閉じよ 』が、本作への望ましい接し方ではないだろうか。

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  • 楽しめた点

3度目の鑑賞で感じたのは、『 アクアマン 』のようであるということ。つまり、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのように、「目的地はあそこ。しかし、そこへ行くためにはこのアイテムが必要。そのアイテムはあの洞窟にあって、あの洞窟の敵を効果的に倒すには、この種類の武器を調達するべきだ」という、非常にRPG的な展開をしている。目まぐるしくはあるが、分かりやすくもある。

 

キャリー・フィッシャーが他のキャラクター達と対話するシーンは非常によく練られている。3度目となれば冷静に観察も出来るようになったが、不自然さが感じられない。これらのシーンを完成させたスタッフに最大限の敬意を表したと思う。

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  • 疑問点

マズ・カナタは何故にレジスタンスに加わっているのか?というよりも、レジスタンスでどういう役割を担っているのか。そこが今一つ分からない。前作のラストで銀河中に助けを求めたが、誰も来てくれなかった。反乱軍の将軍ではあるが、一方で亡国の姫でもあるレイアの助けを呼ぶ声には、応じたくても応じられないという勢力がいた。だが、マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

シスのウェイファインダーへのヒントが刻まれた短剣は、いつ作られたのだろう?そもそも、デス・スターの残骸に合わせて作られていて、なおかつルークもそれを追っていたということは、エピソード6とエピソード7の間に作られたということで、その時点で皇帝は蘇っていた?というか、デス・スターは、文字通りに木っ端みじんに吹き飛んだのではなかったか?なぜ、あのように綺麗な断面を保った巨大な残骸が、エンドアの大気圏との摩擦熱で燃え上がった痕跡もなく、存在できているのか?

 

などと考えてはいけない。一見不合理な事象に意味ある説明をしようとすると、暗黒面に囚われてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I could use your help.

レイが惑星キジーミでゾーイに対して言う台詞である。意味は「あなたの助力があれば有り難い」である。could use ~は、「~を使うことができた」ではなく「~があれば助かる」、「~を有り難く思う」である。『 スター・ウォーズ 』でも、デス・スターへの攻撃前にハン・ソロとルークが

“Why don’t you come with us? You’re pretty good in a fight. We could use you. Come on. Why don’t you take a look around?”

“You know what’s about to happen, what they’re up against. They could use a good pilot like you.”

という言葉を交わす。

“I could use some beer!”

“I could use your advice.”

など、色々なものを対象に使える表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

Posted on 2019年12月27日 by cool-jupiter

ぼくらの七日間戦争 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:宮沢りえ 笹野高史 大地康雄 佐野史郎 賀来千香子
監督:菅原比呂志

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30年ぶりの続編というか、地続き世界の物語が公開されている。鑑賞前にオリジナルを見返しておきたいと思い、近所のTSUTAYAで借りてきた。Jovianも嫁さんも、若い頃は宗田理の本は何冊も読んでいた。今回あらためて夫婦で鑑賞し、色々と感じるところがあった。

 

あらすじ

青葉中学の男子生徒菊池ら8人が集団エスケープした。横暴な学校教師や親への反発からだった。彼らは大蔵省管轄下の廃工場で密かに暮らし始めた。そこへ学級委員のひとみ(宮沢りえ)たちも加わり、共同生活は11人に。だが、居場所を嗅ぎつけた教師たちが廃工場にやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

確か劇場でリアルタイムに観るのではなく小学校6年生ぐらいに当時の友人宅のVHSで観た。その友人が本作を好きで、確か彼の家で3回ぐらい観たことを覚えているし、小室サウンドのある意味で原型とも言えるTM NETWORKの“SEVEN DAYS WAR”は、同級生たちの何人もがカセットテープを持っていた。二十数年ぶりに見返したが、まるでタイムマシーンのような作品である。なにしろ冒頭が、宮沢りえが閉まる校門にギリギリセーフで駆けこむシーンなのだから。『 ニセコイ 』で酷評させてもらった閉まる校門のシーンは今考えても論外中の論外だが、本作は実際の校門圧死事件よりも前なのだから。

 

魅力の第一は、宮沢りえだろう。はっきり言って、荒削りもいいところの演技だが、それでも同時代、同世代の榎本加奈子のドラマ『 家なき子 』での大根役者っぷりに比べれば、遥かに高く評価できる。

 

意外なところで笹野高史も印象的だ。『 岸和田少年愚連隊 』で教師役だったが、1980年代に既に今の好々爺の面影が相当に濃い。その一方で佐野史郎は「若返りの泉」の場所でも知っているのだろうか。冬彦さんよりも前の作品である本作では理不尽な教師役を好演。確かにJovianの行った小学校や中学校にも、こういう嫌な大人は存在していた。そして対照的に健康的な色気(色香でも艶でもなく色気)を放つ賀来千香子。テレビドラマ『 ずっとあなたが好きだった 』の冬彦さん同様に、こちらも老化スピードが極端に遅いのか。本当に30年という時が経過しているのだろうか。

 

その賀来千香子にも怒声を放つ大地康雄。本作では、理不尽、暴力的、権威的、頑固一徹、それでいて窮地に陥ると弱いという、まさに日本のダメおやじのネガティブ要素を凝縮したかのようなキャラクターで、観る者を大いに憤らせ、また笑わせてくれる。彼の最終的なコスチュームは、津山三十人殺しの都井睦雄を思わせる出で立ちである。ビデオで何度目かの鑑賞をした後、テレビドラマの『 お父さんは心配症 』を観て、そのキャラクターの落差にびっくりしたことを覚えている。大地康雄は順調に老けていて何故か安心する。

 

倉田保昭演じるジャージの体育教師もどこか懐かしい存在だ。漫画『 ろくでなしBLUES 』の竹原みたいな教師(こちらの方が後発だが)そっくりで、菊池ら男子を蹴散らしていく様は痛快であり滑稽であり、非常に腹立たしくもある。今は体罰がすぐに通報される良い時代である。昔は体育の授業のサッカーやバスケ、ひどい時には柔道の時間に、気に入らない生徒に指導と称した折檻をする教師がいた。中学生たちも反抗したくなろうというものだ。

 

教師や機動隊とのバトルはアクションにしてコメディである。爽快にして笑いの坪も心得ている。教師を追い返すことはできたとしても、機動隊を追い返すのは不可能だろう。『 警察密着24時 』で、全国の祭りに装束で現れる愚連隊数十人を、警棒、盾、ヘルメットその他で装備した同人数程度の機動隊が一瞬で制圧していくのを見たことがある人も多いだろう。爆竹やタイヤでパニックに陥る機動隊員など、リアリティ欠如も甚だしい。だが、そこを巧みなカメラワークと各種ガジェット、そしてコメディタッチの活劇でごまかしきった菅原監督の手腕は認めなければならない。そして、一切何も解決していないが、全てに意味があり、全てが報われたかのように錯覚させる圧倒的にシネマティックなクライマックス。『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』と並んで、Jovian少年の心に与えたインパクトは大だった。

 

ネガティブ・サイド

全体的に演技者のレベルが低すぎる。特に子役連中は、宮沢りえを含めて、基本的な発声や表情の作り方の練習が不足していることがすぐに分かる。その証拠は、彼ら彼女が現代まで生き残っていないからである。

 

また原作と大いに異なる「戦争」シーンは賛否両論あるべきだろう。菅原監督はコメディ色とアクション色を絶妙に配合したが、「ぼくらシリーズ」の骨子である“子どもが大人に挑む”のではなく、子どもが大人をからかう、もしくは翻弄するように見えてしまうのはマイナスだろう。七日間戦争はどう見ても全共闘のミニチュア版で、そのことは校長の「これは国家を揺るがす事態です!」という台詞に端的に表れている。つまり、『 主戦場 』と同じく“思想戦”のパロディもしくはコメディ化なのである。戦争シーンのアクションは痛快ではあるが、大人の醜さ、汚さ、酷さを子どもが大人にそのまま見せつけるというプロットを本作は映像化できなかった。だからこそ、わけのわからんパワーのあるエンディングで押し切ったのだろう。その判断は正しい。しかし、30年後に見返した時に粗が見えてくることも否めない。つまり、時代の空気を醸し出すことはできても、時代の課題や問題意識までもが反映できているわけではない。そのあたりが、友情の普遍性にフォーカスした『 スタンド・バイ・ミー 』などの古典的な作品に比べて劣ると言わざるを得ない。

 

総評

2019年時点の小学校高学年や中学生が観ると、どのような感想を抱くのだろうか。理不尽さとバイオレンスで、途中で観るのをやめてしまうような気がする。だからこそ、アニメーションにして続編を作るのだろう。そして、「ぼくらシリーズ」の持っていた一種の反骨心を現代風に味付けし直すのだろう。本作は懐古趣味をくすぐる出来であったが、さすがに不惑になって観ると粗が目立つ。だが、復習鑑賞してみる価値も色々と見出せた。まずは既に公開されている続編アニメを観に行くのが楽しみになったという意味では、良い作品なのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s talk it out.

佐野史郎が言う「話し合おうじゃないか」の私訳。基本的にtalkとくれば、

talk about ~   ~について話す

talk to / with ~   ~と話す(会話する)

だが、

talk it out = 話し合いで結論を出す、話し合いで決着をつける、不満や納得いかないことについて語り合う

という使い方をすることもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, 佐野史郎, 大地康雄, 宮沢りえ, 日本, 監督:菅原比呂志, 笹野高史, 賀来千香子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

Posted on 2019年12月26日 by cool-jupiter

ヤング・アダルト・ニューヨーク 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベン・スティラー ナオミ・ワッツ アダム・ドライバー アマンダ・セイフライド
監督:ノア・バームバック

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『 マリッジ・ストーリー 』の脚本および監督も手掛けたノア・バームバックとアダム・ドライバーのタッグ作品。確か、嫁さん(当時はまだ結婚していなかったが)だけが劇場鑑賞して、Jovianは観る機会を逸した作品だった。『 スター・ウォーズ 』のシークエル三部作のアダム・ドライバーは一貫して素晴らしいパフォーマンスだった。今後も彼の出演作はマークして行こうと思う。

 

あらすじ

映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は子どものいない夫婦。ジョシュは8年がかりでドキュメンタリーを制作中だったが、出口が見えない。そんな時、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・セイフライド)の20代夫婦と出会う。若いのにレトロな生活を送る二人に刺激を受け、ジョシュは生活にハリが出てきたと感じるが・・・

 

ポジティブ・サイド

悩める中年のベン・スティラーと怖いもの知らずの若者のアダム・ドライバーの対比が映える。40歳を過ぎたところで、自分がなにがしかの仕事を果たせていないことへの焦燥感、子どもを持てていないこと、妻の父が自分よりも遥かに業績を残した映画監督であること、ジョシュのカメラ・オペレータに給金すら出せないこと、そして自分の老いとなかなか向き合うことができず、新しいツールに飛びつくことで、若さにしがみつこうとする。なんともいたたまれない気持ちにさせられる。何故なら、Jovianはベン・スティラー演じるジョシュの行動(それらの多くは無意識にとられている)の多くを、そのまま理解できるからだ。時間と英語力のある方は【 This exactly what’s wrong with this generation 】という動画を13:18時点からご覧頂きたい。そして『 エニイ・ギブン・サンデー 』でアル・パチーノがジェイミー・フォックスらに語った言葉、“When you get old in life, things get taken from you. That’s part of life. But you only learn that when you start losing stuff.”についても考えてみて頂きたい。ジョシュは「膝が痛い」と言う。「自分はまだ44歳と若いのに、なぜ関節炎になるのだ?」と。Jovianも最近、老眼が始まったようである。だが、そうと分かるまでには時を要した。「なぜ自分の目の調子がおかしいと感じられるのだ?目が何かおかしいということ自体がおかしい」と。とにかく、この物語におけるベン・スティラーの仕事、夫婦および家族関係、友人関係(の痛々しさ)は、アラフォー男性に刺さる。特にナオミ・ワッツ演じる妻コーネリアとの夫婦喧嘩は『 マリッジ・ストーリー 』のスカジョとアダム・ドライバーのそれに迫る迫力である。

 

対になるアダム・ドライバーも味わい深い。若いに似合わず古風な生き方を好む好青年なのだが、その実態は情け容赦のない捕食者であり侵略者である。だが不思議なことに、このジェイミーというキャラクターの言動は常に一貫している。彼自身に善悪があるのではなく、周囲の人間、特にジョシュがジェイミーというキャラクターの邪悪さに気付いても、ジェイミーの言動に変化は見られない。『 もしも君に恋したら。 』では、嫌味なクソ野郎に見えて本当は良い奴だったが、その時もアダム・ドライバー演じるキャラクターの言動に変化はなかった。変化したのは、彼とガールフレンドの関係だった。映画ではキャラクターはしばしば変化する。それは成長するからもしれないし、あるいは堕落する、場合によってはダークサイドに堕ちることもあるだろう。『 パターソン 』でも顕著だったが、変化しないキャラを演じさせれば、アダム・ドライバーは当代で一番なのかもしれない。(だとすれば『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は・・・)

 

老いと若さの単純な二項対立のドラマではない。若さの中に老獪さ、老練さが隠れていれば、老いゆく中にも若さへの自信がある。大切なことは、自分で自分をどう形作るのか。そして、他人に自分をどう形作ってもらうのかだ。ダメダメな邦題が多いが、本作の原題“While We’re Young”が『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』と訳されているのは、悪いセンスではないと思う。

 

ネガティブ・サイド

アマンダ・セイフライドの見せ場が少ない。というよりも、ナオミ・ワッツとの年齢的な対照があまり描かれていなかった。邪悪な夫に対して、小悪魔な妻・・・ではなく、倦怠期の妻になってしまっている。それも若さの対比かもしれないが、「子どもを持つ」ということに対する考え方を軸に、コーネリアとダービーのコントラストを描き出すことはできなかったのだろうか。

 

クライマックスのジョシュとジェイミーの対話劇が少々弱い。コーネリアの父の寵愛を巡る闘争の一環なのだが、これを舞台劇風に料理してしまうのは迫力に欠けた。もっと映画的なアプローチはなかったか。例えば、テーブルをはさんで延々と言葉を交わし合うのではなく、スマホで写真や動画を見せながらだとか、ホームページの記述を相手に読ませたりだとか、ジョシュがジェイミーを探ろうとしてきた努力を、もっと目や耳に訴える形で披露できなかったか。そして、それを60代の義父には理解されず、20代のジェイミーに一蹴されるというシークエンスの方が、絶望感はより深まったはずである。

 

エンディングは意味深である。というよりも、余りにも露骨に示唆的である。邦画の『 ミュージアム 』のエンディングにも同じくどさを感じたが、本作のラストの示すところは救いがない。もっとニュートラルな余韻を残してほしかったと切に思う。

 

総評

視点をどのキャラクターに置くかで観る側の印象は相当に異なるのではないか。Jovianは年齢的にどうしてもジョシュ視点で観てしまうが、劇場公開時に一人で鑑賞した嫁さんは、ジョシュの友人男性ひとりを除けば、男性キャラには誰にも好感を抱かなかったという。観る者の性別もきっと影響するだろう。もしかしたら20年後、Jovianが60歳を迎えた時に見直せば、新たな発見があるかもしれない。そんな予感を持たせてくれる作品であるが、まさに子育て中という世代は、エンディングに納得するかもしれないし、または毛嫌いする可能性も大いにある。映画ファンであれば、話のタネにどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is key.

ジョシュが投資家に自分のプロジェクトを説明する時に言う。「これが鍵だ」の意。話のカギになるポイントの前にこう言おう。keyの前にはaもtheも不要。あっても良いし、なくても良い。この“This is key”は【 How to gain control of your free time 】というTEDトークの動画でも聞くことができる。英語プレゼンなどで機会があれば使ってみよう、

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ドライバー, アマンダ・セイフライド, アメリカ, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, ベン・スティラー, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

Posted on 2019年12月23日2020年9月26日 by cool-jupiter

カツベン! 30点
2019年12月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾
監督:周防正行

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成田凌は個人的にかなり買っている。出演作の多さとパフォーマンスの高さから、2018年の国内最優秀俳優の候補にも考えていた。本作ではどうか。素晴らしい演技だった。しかし作品としてはダメダメである。

 

あらすじ

時は大正。染谷俊太郎と栗原梅子は、活動写真館に潜り込んでは活動写真を楽しんでいた。しかし、俊太郎はキャラメルを万引きしたことで捕まってしまう。時は流れ、俊太郎(成田凌)は泥棒一味の中でニセ活動弁士になっていた。アクシデントからカネと共に足抜けを果たした俊太郎は、正道に立ち返るべく、青木館という活動写真館に住みこみで働き始めるが・・・

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ポジティブ・サイド

今年の夏、大阪でJAZZ講談を聞いた時、玉田玉秀斎氏の話芸に驚嘆した。日本には数百年にわたる噺の伝統があり、それが外来の活動写真と結びついたのは必然であったとも言える。そこに周防監督が目を付けたのには、おそらく2つの事由がある。

 

一つには、映画と人々との関わりの変化である。『 アバター 』あたりから少しずつ、しかし本格的に興隆し始めた3D映像体験、IMAXやドルビーシネマといった映像や音響技術の進歩、さらに4DXやMX4Dといった視覚や聴覚以外の感覚にも訴える映画体験技術の導入と普及、さらにイヤホン360上映など、映画館や劇場という場所でしか提供できない価値が生み出されている。ケーブルテレビやネット配信など、映画と人々との距離や関わり方は過去10年で劇的に変化した。今一度、映画の原点を振り返ろう、そして日本の映画が世界的にも実は相当にユニークなものであったという歴史的事実を再確認しようという機運が、映画人たちの中で盛り上がったことは想像に難くない。

 

もう一つには、技術の進歩によって仕事を奪われることになる人間の悲哀の問題である。歴史的な事件としてのラダイト運動や、映画『 トランセンデンス 』のような科学者襲撃事件が起こる可能性は高いと思っている。AIが将棋や囲碁のプロを完全に上回り、レントゲンなどの画像の読影でも専門医を凌駕するようになった。今後10年、20年で消える職業も定期的なニュースになっている。また、RPAにより定型的な事務作業のほとんどが代替される時代も目前である。活動弁士だけではなく、映写技師や楽師といった職業がかつて存在し、映画という媒体の黎明期を支えていたという事実を顕彰することには意義がある。そこになにがしかのヒントを見出すことが、現代人にもできるはずである。

 

成田凌は2018年から2019年にかけて最も伸びた俳優の一人である。それを支える永瀬正敏や音尾琢真は(最後の最後を除いて)素晴らしい仕事をしたと思う。ポジティブな面は以上である。

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ネガティブ・サイド

本作は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』と同じく、一部の役者の演技力に頼るばかりで、プロットの面白さや細部のリアリティが突きつめられていない。非常に残念な出来である。

 

まず、関西人以外が作った、あるいは関西人以外が演じた役者の関西弁というのは、どうしてこれほど下手くそなのか。下手くそという表現が過激ならば、稚拙と言おう。大俳優の小日向文世にして「 血ぃは争えんな 」を「 地位は争えんな 」と発話してしまっている。関西弁は一文字語をしばしば伸ばして発音する。「 目 」は「 目ぇ 」、「 手 」は「 手ぇ 」、「 胃 」は「 胃ぃ 」、「 蚊 」は「 蚊ぁ 」となる。この時、抑揚はつかない。語尾に来る小文字の音程は前音のままとなるのが絶対的ルールである。関西以外の人はテレビなどで関西人の喋りに耳を傾けて頂くか、あるいは身近な関西出身者に尋ねてみて頂きたい。

 

また、最終盤で音尾琢真もやらかしている。ネタばれにならないと思うので書いてしまうが、「 手間かけやがって! 」という謎の日本語を吐く。文脈によってはこれも正しくなるだろう。たとえばお弁当箱を開けてみると、非常に凝った食事が入っていた時などは、弁当の作り手に感謝をこめて「 手間かけやがって 」と言うことはありうる。しかし、この場面は違う。正しい日本語は「 手間取らせやがって! 」か「 手間かけさせやがって! 」である。脚本段階のミスか?それとも、撮影段階に気付かなかった監督はじめスタッフのミスである。『 旅猫リポート 』でも不可思議な日本語があったが、邦画の世界にまで日本語の乱れが広がっているのだろうか。憂うべきことである。

 

大正時代の雰囲気を出そうと頑張っているのは分かるが、細部にリアリティが宿っていない。まず街が清潔すぎる。舗装されていない往来を人や自転車や大八車や自動車が行き交えば土ぼこりも舞う。しかし建物や看板がどれもこれもあまりにもきれいすぎる。作り物感がありありである。また、ネタばれにならない程度に書くが、当時の火消しや官憲がまったくの無能のように描かれているのは、いったい何なのか。現代の官憲の無能さを遠回しに揶揄する意図があるわけでもなさそうであるし、火消し=消防に周防監督はいったい何の不満があるというのか。

 

本作はコメディに分類されるべきなのだろうが、ギャグやユーモアに笑えるところが本当に少ない。タンス攻撃の応酬のいったいどこを笑えというのか。こういうのは吉本新喜劇の舞台のように、やりあう二者が同時に目に入ってこそ面白いのである。一回ごとにカットして場面転換しては面白さが激減してしまう。しかも、くどい。笑いというのは一瞬で喚起されるべきもので、何度も何度も同じことを繰り返して笑わせる手法というのは、故・島木譲二以外が使ってはいけないのである。

 

キャラクター造形もおかしい。俊太郎が活動写真の撮影に割り込むのは、子どものすることなので許せないこともない。しかし、万引きはれっきとした犯罪で、長じてから泥棒一味に加わることに違和感はない。問題は、「自分は騙されたのだ」という俊太郎の被害者意識である。『 ひとよ 』の斎藤洋介の言を借りるまでもなく、万引きは小売業の天敵である。俊太郎の幼少期の万引き常習者という背景は不要である。普通に梅子が引っ越していく。俊太郎はその後、騙されて泥棒の片棒を担がされる。どうしてこのような流れにならなかったのか。これで充分に納得できるはずだし、カネを奪って逃げたのも咄嗟のことで魔が差してしまったで説明できるはずだ。小さな頃から泥棒というのは、キャラクターの高感度を著しく下げるだけで、逆効果である。

 

クライマックスのカメラワークにも不満が残る。活動写真ではなく弁士や楽士のアップをひたすら映す意図がよくわからない。時代に翻弄された職業人たちであるが、これはドキュメンタリーや伝記ではないだろう。映すべきは彼らの仕事=彼らの遺産たる活動写真とそれを鑑賞、堪能する観衆たちとの一体感ではないのか。個々人の顔面を延々と映し出すことに芸術的な意味も娯楽的な意味も見出せない。本当に訳が分からないクライマックスである。

 

総評

『 それでもボクはやってない 』はまぐれだったのか。周防監督の手腕を疑問視せざるを得ない。成田凌のファンでなければ、チケット代と2時間をつぎ込む価値は認められない。時代の転換点に映画はどうあるべきかを考えるきっかけを与えてくれはするものの、それに対して一定の答えを出しているわけでもない。残念ながら駄作と評価せざるを得ない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let me do it.

俊太郎の言う「俺にやらせてください」の英訳である。Let は「させてやる」の意で、ビートルズの名曲“Let it be”やアナ雪主題歌“Let it go”でもお馴染みである。また『 ロケットマン 』でも“Don’t Let The Sun Go Down”が使われていた。つまり、よく使われる動詞ということである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 成田凌, 日本, 永瀬正敏, 監督:周防正行, 配給会社:東映, 高良健吾, 黒島結菜Leave a Comment on 『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

Posted on 2019年12月22日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月21日 東宝シネマズなんば(MX4D・3D・字幕版)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。けれど、おとぎ話の世界は残る。劇中のとあるキャラクターではないが、“記憶”の中に美しいイメージを残しておきたいと思う。なので二度目の鑑賞では、楽しめた点と疑問に思った点を整理したい。

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以下、マイルドなネタばれあり

 

  • 楽しめた点

『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』で、“自分にとってのスター・ウォーズとは、John Williamsの音楽とドロイド、ミレニアム・ファルコン号の三者から成るものである”と認識することができたが、その思いは今でも変わらない。様々なクリーチャーも魅力的ではあるが、やはりドロイドだなと思う。R2-D2、C-3PO、BB-8といった魅力的な面々にD-Oというマスコットが加わった。『 最後のジェダイ 』のポーグも悪くないが、やはりドロイドである。

 

また、ミレニアム・ファルコン号の活躍はもちろんのこととして、ラストの大団円でXウイングとファルコン号が対話をしていたように感じられた。

 

ファルコン「 久しぶりだな。えらいボロボロじゃねーか 」

Falcon: “Been a long time, dude. You’ve become a peace of junk.”

Xウイング「 人のことは言えないだろ、お前 」

X-Wing: “Damn you, Look what you look like.”

 

宇宙船というのも、『 スター・ウォーズ 』世界に欠かすべからざる重要なガジェットである。その宇宙船たちの発する声にも我々は耳を傾けるべきだろう。

 

『 スター・ウォーズ 』映画に皆勤しているC-3POの台詞から毒々しさが薄まって。ユーモアが強まった。あらゆるクリーチャーやドロイドとコミュニケーションを取ることが可能なこのドロイドは、グローバル化しつつある世界におけるコミュニケーションの在り方を示唆しているように思えてならない。

 

この完結作は、これまでの『 スター・ウォーズ 』の要素を随所に取りこんでいるが、基本的には『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のリメイクであると言える。

『 用心棒 』が『 荒野の用心棒 』や『 ボディガード 』になったようなものである。したがって基本的な意味で新しさはない。それをどう評価するかは人による。Jovianは普段は鵜の目鷹の目で映画を観てはいるものの、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話だと思っている。おとぎ話の中身をあーだこーだと精査してもしょうがない。楽しむのみである。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』に出てきたような、極端なまでの naysayer にはなりたくない。彼ら彼女らはシスである。J・J・エイブラムスが、今作で無理やりとも言えるストーリーのまとめ方を選んだのは、そうした人々への意趣返しなのだろう。個人的には拍手喝采を彼には送りたいと思っている。

 

レイのキスについて。賛否両論どころか否の意見が全世界的に渦巻いているが、Jovianは一度目の鑑賞では???、二度目の鑑賞では「これもありだろう」と思えるようになった。一つには、ジェダイは恋愛禁止であるということ。これは取りも直さず、ジェダイの終焉を意味している。ハン・ソロと結婚し子どもも生んだレイア・オーガナは、フォースを使うことはあっても、ジェダイとは決して名乗らなかった。もう一つには、この完結作では“Two That Are One”=「二つで一つ」がテーマにもなっている。光と闇、陰と陽(男と女)、ジェダイとシス。レイが見つめる先の二つの太陽は、かつてはルークとレイアの象徴だった。レイはジェダイの志を受け継ぎながらも、自分探し=自分のパートナー探しを夢想しているのだと考えれば、それもおとぎ話の終焉にふさわしいだろうと個人的には思う。

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  • 疑問点

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』で焼かれたはずの聖なるジェダイ・テキストが何故ファルコン号に積み込まれていたのか。その説明は、少なくとも二回見た限りではなかった。

 

同じく『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のカント・バイトでは、武器商人たちがファースト・オーダーとレジスタンス、両方に兵器・武器の類を売っていることが皮肉たっぷりに描かれた。であるならば、あれほど巨大な規模の艦隊を構成するのには、文字通り天文学的なカネが動いているはず。それを誰も察知できなかったというのか。

 

翻訳のミスのようなものも見受けられた。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』劇場版ではカイロ・レンの“The one from the village”が、「あの村の出身」という、トンデモ誤訳になっていたが、今作でも皇帝パルパティーンの

 

“I made Snoke.”

 

という台詞が

 

「 スノークは余の作り出した幻 」

 

という訳になっていた。その一つ前にレジスタンスの科学者が、闇の科学やらクローン技術(『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』への言及か)やらシスの秘術やらに触れていて、なおかつカイロ・レンがエクセゴルで死者を蘇らせようとしている、あるいは死者から生者を培養しようとしている装置(『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のルークが入れられていたような装置そっくり)を見ているにもかかわらず、幻はないだろう。だったら、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のルークの秘術は何だったのか。ブルーレイでは間違いなく修正されるだろうが、それでは遅い。ここで“幻”などという訳語を選定した林完治氏の罪は重い・・・は言い過ぎか。だが、一定の責任を負うことは免れないだろう。

 

ポー・ダメロンの前身が少し明らかになったが、別に眉をひそめるものでもないだろう。ハン・ソロとチューバッカの方がはるかに悪者でならず者だった。キジーミの存在は否定しないが、このサブプロットは少々ノイズ気味である。

 

MX4Dで鑑賞してみたが、水しぶきが思ったほどではなかった。もちろん、一回当たりにシートに貯蓄可能な水量や、あまりにも観客を濡らしてはクレームが出るなどの懸念もあるだろう。しかし、フォースが距離を超えて、互いに物理的に作用しあう領域まで来ているのだから、荒れ狂う海に囲まれたデス・スターの残骸上でのレイとレンのライトセーバー・バトルでは、もっと激しく水しぶきを出してほしかった。まあ、これは映画ではなく劇場への注文か。

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総評

海外のレビューサイトやプロ・アマの批評家は、本作におおむね厳しい評価を下している。だが、かつての、旧世代の『 スター・ウォーズ 』ファンも、プリクエル三部作には厳しい評価を下していたが、新世代ファンにはそのことが理解できなかった。『 スター・ウォーズ 』をどう評価するのか。それは自分の幼年期にどのように向き合うのかとも言い換えられるだろう。そうした意味では、大人になり映画批評を職業にしてしまうと、子どもの頃のような接し方が難しくなる。何度でも言うが、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話である。それが娯楽作品や芸術作品として高く評価されているが、本質的にはおとぎ話なのである。鑑賞においては、このことを念頭に置かれたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll finish what he started.

レイがルークの後を継いで、とある人物を探すミッションに出る時の言葉である。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがベイダーのマスクに“I’ll finish what you started.”と誓っていた台詞と同じ構造である。【 what S + V =SがVするもの・こと 】である。

 

what I like =私の好きなもの

what I hate about this film =この映画で私の嫌いなもの

what they want to get =彼らが手に入れたがっているもの

what she has to fight for =彼女がそのために戦うもの

 

whatという関係代名詞は日常会話でもビジネスでもバンバン使うので、マスターすることは必須である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。そして批評家やファンの評価は割れている。それはとても良いことだと思う。なぜなら、好きな人はとことん好きになれて、好きになれない人には決して好きになれない。これはそんな物語だからである。Jovianは、これを素晴らしいフィナーレであると感じた。少年時代に帰れた、おとぎ話の世界に戻れた。そのように感じたからである。

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あらすじ

死んだはずの銀河皇帝パルパティーンが復活した!ファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レン(アダム・ドライバー)は、銀河の覇権を争う相手としてパルパティーンと対立。彼を追っていた。一方、レイ(デイジー・リドリー)は来る最終決戦に向けて、レイアから課された修行に励んでいた・・・

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以下、ネタばれ部分は白字

 

ポジティブ・サイド

人によってはこれら全てをネガティブに捉えるのだろうが、Jovianはポジティブに捉えた。すなわち、本作はエピソード1、2、3、4、5、6、7、8のごった煮である。なおかつ『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』や『 ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー 』の要素まで盛り込まれている。どこかで見た風景、どこかで見たキャラクター、どこかで見たプロット、どこかで見たイベント、どこかで見た光と影のコントラスト、どこかで見たカメラアングル、どこかで見たガジェット。それらがジョン・ウィリアムズの音楽と共に観る者に迫ってくる。それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは各人の自由である。

 

新しい要素に全く欠けるのかと言えば、さにあらず。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』がフォースの新たな地平を開拓したように、今作もフォースのさらなる可能性を追求した。しかも、それがミディ=ファッキン=クロリアン的な要素を持ちあわせている。それを受け入れられた自分に驚いている。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』に散りばめられていたユーモアの要素と『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』の恐怖の要素が適度な割合で配合されているところでも、J・J・エイブラムス監督の手腕を称賛したい。オリジナル三部作とシークエル三部作が見事に地続きになっている。『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』で、パルパティーンがルークを暗黒面に誘った時よりも、遥かに強い誘惑をレイに対して行う。愛する者を救うために負の感情にその身を任せよという誘引は、プリクエル三部作、特に『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』が放った強烈なメッセージだった。それがパワーアップして帰ってきた。しかも、確たる意味を伴っている。ずっと謎に包まれてきたレイの出自と絡めた、絶妙の演出である。

 

そのレイをレイアがトレーニングするというアイデアも良い。前作ではカリスマ的な指導者から、ジェダイにしてフォースの使い手であることを体現した。そして演じるキャリー・フィッシャーの死そのものまでも物語に組み込むという大胆不敵なプロットに、フィッシャーはきっと満足しているに違いない。

 

エンディングは涙なしに見ることはできない。『 スター・ウォーズ 』を愛した全ての人は、それぞれに思い入れのある風景を持っていることだろう。だが、J・J・エイブラムスとJovianはこの点で波長が完全に合っていた。『 スター・ウォーズ映画考および私的ランキング 』で、自分にとっての『 スター・ウォーズ 』の原風景を語ったが、J・J・エイブラムスも同じだったようだ。光と闇、陰と陽、ジェダイとシス、そしてスカイウォーカー家のサーガは、見事な円環と共に閉じた。

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ネガティブ・サイド

なぜ2時間22分なのだろうか。きりよく2時間30分の物語にできたはずである。もっともっと語られるべきことを、徹底的に語り、見られるべきものを見せて欲しかった。

 

パルパティーン復活の経緯が完全に不明である。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』の最後に、ヨーダとメイス・ウィンドゥは「シスは常に師匠と弟子の二人」と語っていたが、スノークとパルパティーンの関係をこれで説明してもよかったのではないだろうか。

 

新キャラに元トルーパーが出てくるが、最終盤にランドが引き連れてくる大援軍に元トルーパーの脱走兵らがいれば、なお良かったのだが。存在していたが、編集でカットされたのだろうか。

 

カイロ・レンの物語も見事に閉じるが、母レイアとのツーショットはついに実現せず。これはブルーレイの特典映像、もしくはディレクターズ・カットに収録されるのだろうか。

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総評

“スカイウォーカーの夜明け”という副題は、実は正しかった。なるほど、そうだったのかと感じた。日は沈むが、また昇る。それこそがフォースにバランスをもたらすということなのかもしれない。様々な物語の予感を残しつつも、一つのおとぎ話が幕を下ろした。けれども、少年時代の感動は消えないし、これからも、その“記憶”は続いていく。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid of who you are.

be afraid of ~ =~を恐れる、である。レイアはレイに「自分が何者であるかを恐れるな」と伝える。ヨーダは

 

“Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.”

 

と語った。レイは恐怖に屈しなかった。be afraid of ~という表現自体はそこまで大仰なものではない。I am afraid of dogs. = 私は犬が恐いんです、のように日常会話レベルで頻出する。

 

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