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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年6月

『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』 -是非、劇場で3D鑑賞を-

Posted on 2019年6月30日2020年4月11日 by cool-jupiter

スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 80点
2019年6月29日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:トム・ホランド ゼンデイヤ ジェイク・ジレンホール J・K・シモンズ
監督:ジョン・ワッツ

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親愛なる隣人が帰ってくる。トビー・マグワイア以上にピーター・パーカーを体現しているかもしれないトム・ホランドへの期待は世界的に高い。そしてSonyに敬意を表してか、全世界最速で日本で公開される。そして梅田ブルク7はこれに合わせてDOLBY CINEMA 3Dを導入。ならばさっそく体験せんとチケット購入。2,300円の価値に見合う体験ができた。

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あらすじ

ピーター(トム・ホランド)はアイアンマンとの別離に苦悩しながらも、高校生らしい生活に戻っていた。学校の科学体験ヨーロッパ旅行でMJ(ゼンデイヤ)との距離を縮めようとするピーターの前にしかし、謎の水の怪物とそれを撃退しようとする謎のヒーローが現れ・・・

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ポジティブ・サイド

3Dで鑑賞したが、この判断は正解だったと言えると思う。4DXやMX4Dでも良かったのかもしれない。スパイダーマンのアクションの肝はウェブを使った三次元機動にある。そんな立体的アクション観客に追体験してもらうためには、二次元的なスクリーンではなく3Dや4Dの力こそが必要なのかもしれない。もう一つ、我々はメガネ、アイウェア、ビューワー、呼び名は何であれ、何かを通じて何かを見ることに慣れきっている。それゆえに自分の目で見るという行為に知らず知らずのうちに絶大な信頼を置いている。この「見る」という行為の危うさと確かさを本作は同時に追求する。もの凄い離れ業である。詳しくは本作を堪能して欲しいとしか言えない。

 

スパイダーマンのアクションも順調に進化している。トニー・スタークはストーリーが進むにつれてアイアンマンであることと良くも悪くも不可分になっていったが、ピーター・パーカーはスパイダーマンになっても、ピーター本来のちょっとnerdyな部分も失わない。とあるシーンで理系の秀才の一面を存分に発揮した戦術を披露してくれる。前作では「スーツがないと自分は何者にもなれない」と言っていた子どもが、スーツの力を最大限発揮する為に自らの頭脳を駆使するようになった。こうして少年は少しずつ大人に近づいていくのである。そして、そのシーンでハッピーが流す音楽は完全に映画『 アイアンマン 』およびヒーローとしてのアイアンマン、人間としてのトニー・スタークへのトリビュート。本作鑑賞前には『 アベンジャーズ インフィニティ・ウォー 』、『 スパイダーマン ホームカミング 』、できれば『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』、『 キャプテン・マーベル 』や『 ドクター・ストレンジ 』、更に余裕があれば『 アイアンマン 』も鑑賞しておきたいものである。それだけの価値はきっとある。ピーターが生き生きとスパイダースーツをカスタマイズする様に、我々は“彼”を見出すのである。

 

それにしても、スパイダーマンというのはやはりかなり特殊なヒーローなのだろうなと感じる。気になるあのコのプロムのエスコート役の座をどうやってゲットしようかと思案したり、修学旅行の飛行機であのコの隣の座席をどうやってゲットしようかと悩んだり、自分ではない誰かと盛り上がるあのコを目の当たりにすると、何故これほど胸が千々に乱れるのかが分からない、そんな甘酸っぱい青春の一ページが蘇ってくるようだ・・・と感じられる人は相当に幸せな青春時代を遅れた勝ち組である。リア充爆発しろ

 

Back on track. 非常に現代的~近未来的なテクノロジーがふんだんに使われており、そのことがプロットのリアリティを増している。なおかつ、現代的なのはテクノロジーだけではない。我々は何を信じるのか、どうしてそれを信じるのか、という命題に対して一定の答えを本作は呈示するからだ。情報が溢れかえり、画質や音質、果ては立体映像や嗅覚や触覚まで刺激してくる劇場施設、さらにはVR技術の著しい発達など、現実と仮想の境目はどんどんと曖昧になってきている。それは、ファクトとフェイクの境目がいよいよ混沌になりつつある現代への痛烈な風刺であるように思えてならない。そのことを示唆するポストクレジットシーンは、否応なく次作への期待と不安を高めてくれる。おかえり、J・K・シモンズ!

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ネガティブ・サイド

劇中で用いられる仕掛けとガジェットはそれなりに納得のいくものであるが、それでも全世界75億の人類すべてを納得させられる代物ではありえない。そう考えられる根拠は主に二つある。

 

1つには、アベンジャーズは、なかんずくトニー・スターク/アイアンマンは、戦いによって守った命もあれば、危険に晒した、あるいは奪ってしまった命もある。そのことは『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』でスカーレット・ウィッチがまさに苛むことになった事柄である。単純にアベンジャーズの後釜にヒーローが座ったからといって、万事が丸く収まることなどありえない。むしろ、新たなシビル・ウォーの呼び水になるだけだ。誰かにとっての正義が、万人にとっての正義にならないこと、それこそがシビル・ウォーの原因だった。強大な力は適切に管理されねばならないというトニーの思想は自身が兵器製造会社社長であるという背景から来ている。一方で、国際連合なる組織にアベンジャーズの出動可否を判断させるというのは、国際連盟が世界大戦の勃発を防止できなかったことをリアルタイムで見てきたスティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカにとってはとうてい承服しかねることである。正義の味方の喪失を、新たな正義の味方で補うことの危険性を、MCU世界は理解するはずだ。

 

もう1つには、他のアベンジャーが出張ってきた時にどうするのかということである。大人と子どもの中間であるピーターは騙しおおせても、大人の事情で出張ってこれなかったドクター・ストレンジやキャプテン・マーベル、またはハンク・ピム博士やブルース・バナーでも良い。彼らの目を欺けるだろうか。おそらく不可能だろう。それに、世の中には何でもかんでも陰謀論に仕立て上げてしまう人種も絶対に存在するのである。例えば『 X-ファイル 』のローン・ガンメンのような奴らは、全米だけでも千、もしかすると万の単位で存在しているのだ。ピーター・パーカーはそれなりにnerdyかつgeekyであるが、本気になったオタク連中というのは、ネッドの一億倍は有能であろう。他のスーパーヒーローに関してはこんなことは想像できないが、スパイダーマンは別だ。『 スパイダーマン2 』で列車を見事に止めたスパイダーマンを、ニューヨーク市民たちは見事に団結し、守り、送った。スパイダーマンの世界の市民は無力ではないはずだ。

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総評

色々と考えさせられてしまう面が多く、そのうちのいくつかは重要な示唆を含んでおり、そのうちのいくつかはスパイダーマン世界とどこか調和しない。そのように感じられる。しかし、エンターテインメント要素については優れたアイデアがてんこ盛りで、非常にシネマティックな体験ができることは請け合いである。できれば2Dではなく、3Dや4DXなどで鑑賞をしてほしい。映画館の回し者ならずとも、そのようにお勧めしたくなる快作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, J・K・シモンズ, アクション, アメリカ, ジェイク・ジレンホール, ゼンデイヤ, トム・ホランド, 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』 -是非、劇場で3D鑑賞を-

『 スパイダーマン ホームカミング 』 -新たなスパイディの冒険の序章-

Posted on 2019年6月30日 by cool-jupiter

スパイダーマン ホームカミング 70点
2019年6月27日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:トム:ホランド マイケル・キートン ゼンデイヤ ロバート・ダウニー・Jr.
監督:ジョン・ワッツ

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『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』に向けての復習および『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』の振り返りをしたいと思い、TSUTAYAでBlu-rayを借りてくる。初回に劇場で観た時とは、少々異なる感想を持った。

 

あらすじ

『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』の戦いから、ニューヨークに帰還したピーター(トム・ホランド)は、アベンジャーズの一員になることを夢見て学校生活も上の空。ニューヨークの街で人助けに精を出しながら、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)からの声かけを待っていた。しかし、そこではヴァルチャー(マイケル・キートン)が妖しく蠢動していた・・・

 

ポジティブ・サイド

今作のスパイダーマンは、サム・ライミ監督の初代『 スパイダーマン 』に近い。つまり、ピーター・パーカーがスパイダーマンとしての使命に目覚めていくということである。しかし、そこには本質的な差異がある。前者では、不注意からUncle Benを死なせてしまったことからピーターの物語が始まるが、今作ではトニー・スターク/アイアンマンの力になりたい、アベンジャーズの一員として認められたいというところから、ピーターの成長が始まる。そう、成長である。成長するための基本的な条件とは何か。それは「未熟」であるということである。スパイダーマンは英語ではSpider-Manである。一方でアイアンマンはIron Manと表記される。他にもSupermanやAquaman、Batmanなど、ハイフンを持つスーパーヒーローは少ない。スパイダーマンはおそらく、Manになりきれていないのだ。ピーター自身が、自分はボーイだと言ってしまう場面すらあるのだ。ManとBoyの境目とは何か。それはアメリカ風に言うならば、positive male figureから適切な影響を受けて、自らもpositive male figureになれるかどうかであろう。端的に言えば、文学的な意味で父親殺しができるかどうかにかかっているわけだ。

 

本作に登場する主要な男性キャラは、ネッドを除けば、ほとんど全員がピーターにとって疑似的な父親、あるいは本来の父親が果たすべきポジティブかつネガティブな影響を代理としてピーターに及ぼすキャラクター達である。その筆頭は言うまでもなくトニー・スターク/アイアンマンである。トニーとピーターの対話は、大人と子どもの対話でありながら、父と息子の対話でもある。トニー自身も、自らが父親に抱く複雑な想いと、父親が自分に対して抱いていたであろう愛情を意識したからこそ成立した名場面である。『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』を観た後だからこそ、尚更にそう感じる。

 

もう一人の疑似的な父親、マイケル・キートン演じるヴァルチャーは、トニーとは対照的である。彼は地べたを這いつくばる労働者であり、家族を愛し、守り、食わせるためなら何でもやる男である。つまり、小市民ヒーローなのだ。と同時に、彼はピーターが乗り越えるべき、倒すべきものの象徴でもある。『 バットマン 』、『 バットマン リターンズ 』ではバットマンを、『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』ではバードマンを、そして本作では怪鳥ヴァルチャーを演じるなど、スーパーヒーローから、落ち目の俳優、そしてスーパーヴィランへと進化を遂げた。理知的で爽やかさ、清潔さを感じさせるイケメンだったはずが、強面の中年オヤジに変貌したという意味では、彼はダンディズムを決して失わないトニー・スタークとは真逆であると言えるのかもしれない。

 

アクションのハイライトは客船のシーンだろう。『 スパイダーマン2 』の電車を止めるシークエンスに優るとも劣らない緊張感とスペクタクル。そしてアイアンマンが見せつけるスーパーヒーローとしての格の違い。これは少年と壮年の物語、そして少年が何とか青年になろうと足掻く物語なのだ。『 プーと大人になった僕 』のレビューで、子ども=労働と性から疎外された存在という定義を紹介したが、今作のピーター・パーカーは労働=what you doの面で何とか子どもと大人の中間ぐらいの存在へと成長した。そして、次作では(性的な成熟という意味ではなく、ロマンチックな意味での)性の成長、つまりは男性に、Spider-BoyからSpider-Manになることを予感させて物語は閉じる。見事な脚本、見事なストーリーテリングである。

 

ネガティブ・サイド

FBIを欺き続けたとヴァルチャーは誇らしげに語るが、CIA、NSA、DHSやATFなどその他の機関をも出し抜いたというのは少々信じがたい。冒頭に登場したオバちゃん率いる部隊は相当な無能者の集まりだったのだろうか。

 

フラッシュ・トンプソンのキャラがウザい。いや、ウザいのは原作通りだが、このキャラに嫌味で小憎たらしい白人のクソガキをキャスティングしないのは何故なのだ?答えはおそらくこうだ。原作どおりに進めば、彼はその後、ピーターの友人になるからだ。人種のるつぼ、ニューヨーク万歳というわけだ。キャスティングだけで先が読めてしまうのは興醒めである。

 

ミシェルの見せ方も、もう少し工夫が欲しかった。『 ミーン・ガールズ 』のような生態系で生き抜いてきたような描写が欲しいとは思わないが、あまりにもアッサリとアカデミック・デカスロンのチームに溶け込んでいた。MJは家庭環境が余り良くないイメージをファンならば皆、抱いているはず。何か欠けたもの、何か隠したいもの、それでも何か共有したいものを抱えているからこそ、ピーターとMJは惹かれ合うべきで、その伏線が非常に弱かった。まあ、そのあたりは『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』がしっかりと描写してくれることに期待するとしよう。

 

これはトレイラー作成担当者に文句を言うべきなのだろうが、劇場鑑賞前に熱心な映画ファンがどれくらいの回数、スパイダーマンとアイアンマンがサイド・バイ・サイドで空を飛ぶシーンを見せられただろうか。本編に存在しないシーンでトレイラーを作るのは止めてもらいたい。こうした行為は法律で禁じられないのだろうか。

 

総評

欠点や粗が色々と浮かび上がってくるが、スパイダーマンというヒーローの特殊性、ピーター・パーカーというキャラの未熟さとそれゆえの魅力、そしてヒーローでありながらスーパーではないところ(親愛なる隣人レベルという意味で)が良い。かかる欠点がスパイディの大いなる魅力の源泉なのだ。だからこそ他のヒーロー物ではあまり描写されないビルドゥングスロマン要素が際立つ。サム・ライミ監督の手掛けた初代作品と肩を並べる傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ゼンデイヤ, トム・ホランド, マイケル・キートン, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ホームカミング 』 -新たなスパイディの冒険の序章-

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』 -シチュエーション・スリラーの平均的作品-

Posted on 2019年6月28日2019年6月28日 by cool-jupiter

グランドピアノ 狙われた黒鍵 50点
2019年6月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イライジャ・ウッド ジョン・キューザック
監督:エウヘニオ・ミラ

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ハリー・ポッターに会いたくなって『 スイス・アーミー・マン 』を鑑賞したように、フロド・バギンズに会いたくなって本作を手に取った。このようなリユニオン願望が、ふと訪れることがあるのである。

 

あらすじ

トム(イライジャ・ウッド)は世界的なピアニストだが、過去の失敗から舞台恐怖症となり、5年間コンサートから遠ざかっていたが、恩師の追悼コンサートの場についに復帰する。しかし、トムは演奏中に楽譜に「一音でも弾き間違えれば殺す」との文言を見つける。その脅迫が嘘ではないと知ったトムは、超絶技巧を要する難曲に挑むことになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

ピアニストの演奏中というのは、空間的にも心理的にも密室に近い。そこを狙って脅迫を仕掛けるというのは優れたアイデアだ。密閉空間で生まれるサスペンスについては『 リミット 』(主演:ライアン・レイノルズ)が、衆人環視の中で閉じ込められる恐怖は『 フォーン・ブース 』(主演:コリン・ファレル)が追求した。本作は、ある意味でその二つの良いとこどりである。

 

主人公がピアニストであることが、しっかりとプロット上でワークしている。特に携帯電話でピンチを切り抜けようとする際の手指の動きがリアルである。いや、実際には普通の人間には無理な動きだが、プロのピアニストであれば可能かもしれないと思わせるだけの説得力がある。

 

狙撃手が絶え間なく語りかけてくるという点では『 ザ・ウォール 』とそっくりである。テーマ性、哲学的なメッセージという点ではそちらに譲るが、本作はトムが狙われる理由が不明であること、そして何故トムが脅迫されるのかという理由にそこそこ意外性がある。悪くはない作品である。

 

局所的に他作品へのオマージュが見られる。「ボックスの5番」と聞いてニヤリとできれば、あなたは『 オペラ座の怪人 』のファンであるに違いない。他にも色々とネタが仕込まれていそう。筋金入りのシネフィルなら、色々なeaster eggを発見できるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

何故その曲を弾く必要があるのかについては一定の理解を示すことができるが、どうやってその曲を弾くのかについては突っ込みどころが満載である。劇中で犯人一味も言い争うように、もっと別の良い方法があるはずだし、衆人環視のコンサート会場を犯行の舞台に選び、そのために3年の準備期間を設けるというのは更におかしい。トムの恩師が死んでからトムが表舞台に帰ってくるまで辛抱強く待ったわけだが、そもそもトムが復帰しなかったらどうするつもりだったのか。時系列的に粗も見えてくる。自分なら『 羊と鋼の森 』に解決のヒントを求めると思うし、そちらの方が遥かに現実的であるはずだ。

 

コンサート中にピアニストがあれほど離籍するのもおかしい。将棋指しの対局じゃないんだ。何かただならぬことが起こっていることは誰にでも分かるはずだ。なんせトムはひっきりなしに独り言を呟いている(ように見える)のだ。また、携帯電話を使うのはトムであればギリギリOKだが、トムが友人に電話をしてそれが通じてしまうのは余りにもご都合主義ではないか。舞台の袖の人間に伝言を頼むなど、もう少し回りくどい=より説得力のある演出もあったのではなかろうか。

 

天井からデロ~ンというのは、さすがに『 オペラ座の怪人 』へのオマージュを通り越してオリジナリティの欠如に見えた。また、観る側、少なくともclassical musicにカジュアルにしか接しない人でも認識できるような曲が一つもなかったのは残念である。音楽を題材にした映画は、その音楽の力で観る者の心を掴む必要があるが、まったく初体験の曲でそれをするのは至難の技だろう。だからこそミュージカルは、そこにダンスという視覚的要素をプラスしてくるのである。なにかメジャーな曲の演奏が聴きたかったと切に願う。

 

総評

これも典型的な rainy day DVD であろう。期待に胸を躍らせて観るのではなく、純粋に暇つぶしのために観るべきだ。そうそう、本作のユーモアに theater language の面白い使い方がある。英語では “Good luck!”の意味で“Break a leg!”と言うことがある。『 ワンダー 君は太陽 』などでも聞ける、割とありふれた台詞であるが、最後の最後でクスッと笑わされてしまった。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イライジャ・ウッド, シチュエーション・スリラー, ジョン・キューザック, スペイン, 監督:エウヘニオ・ミラ, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』 -シチュエーション・スリラーの平均的作品-

『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

Posted on 2019年6月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ジョナサン -ふたつの顔の男- 60点
2019年6月25日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート スキ・ウォーターハウス パトリシア・クラークソン
監督:ビル・オリバー

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多重人格ものには豊かな歴史がある。小説そして映画にもなった『 ジキル博士とハイド氏 』から、M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』、日本の小説ではJovianだけが面白い面白いと評価している月森聖巳の『 願い事 』などが挙げられる。本作もありきたりのDIDものかと思わせておいて、ちょっとした趣向が凝らされていた。

 

あらすじ

建築事務所にパートタイマーとして務めるジョナサン(アンセル・エルゴート)には、もう一つの人格、ジョンが宿っていた。彼らは午前7時~午後7時、午後7時~午前7時をそれぞれ分け合って生活していた。互いの時間に経験した事柄をビデオ録画することで周囲にDID(Dissociative Identity Disorder)であることを知られずに生活していた二人だったが、いつしかジョナサンはジョンの行動にちょっとした疑問を抱くようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

多重人格ものの歴史は長い。異なる人格同士は対立または協力関係にあるのが定石である。本作はどうか。35歳以上の世代なら漫画原作でテレビドラマ化もされた『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を覚えておられるだろう。本作はそういう物語である。しかし、本作が最もユニークなのは、ジョナサンのもう一つの人格であるジョンの視点を観客と決して共有しないところである。それにより、観る側は否応なくジョンのビデオメッセージの裏読みをしてしまう。いや、それだけではなく、いつしか我々はビデオメッセージそのものがジョンという存在の全てであるかのような錯覚にまで陥る。これは怖いことだ。何故なら、自分という存在の半分が消えてしまったかのように感じるからだ。我々はネット上のフォーラムなど文字や画像だけでやりとりする人間にも親しみを感じる。ハンドルネームだけしか知らない人間が、ある日、突然投稿を止めただけでも不安になる。お気に入りのブログが更新されなくなっても不安になる。ジョナサンとジョンは一心同体・・・ではなく異心同体なので、片方が無事であればもう片方も無事であることが分かる。しかし、自分の身に何が起こったのか分からない。酒にしこたま酔って、道端や終点駅で目覚めた経験のある人なら、分かる感覚だろう。ジョナサンの不安を、アンセル・エルゴートは巧みに表出していた。

 

異なる人格が同じ女性と恋に落ちるというストーリーは、Jovianは映画や本で体験したことは残念ながらない。だが、これはかなりバナールなプロットではないだろうか。陳腐でありながら、しかし、その後の展開が切ない。観る者の想像力を掻き立てる見せ方、映し方は、低予算映画の常套手段である。それを室内の鏡やテーブルなど、光を反射する素材を効果的に使い、インターミッションとして暗転を用いることで、一人にして二人、一人にして不連続の存在を、映画的演出で以って描写できていた。静謐にして激しい、非常に示唆に富むエンディングには賛否両論あるかもしれないが、あれはジョンを主人格、ジョナサンを副人格とした、新たな一個人の誕生であると受け止めたい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 シンプル・フェイバー 』で既に使われたネタが本作にも仕込まれている。まあ、それも飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』が先行して使っているトリックであるのだが。

 

また、ジョナサンの抱えるDIDは、医学的に存在しうるケースなのだろうか。別人格は生まれてくるものであって、生まれながらにDIDであるという点に疑問が残った。同時に、『 ミスター・ガラス 』でも感じたことだが、人格の交代をコントロールしうる装置が存在することにどうしても納得ができない。外部環境の改善やコミュニケーション、カウンセリングにより複数の人格も統合しうることを小説『 十三番目の人格 ISOLA 』およびその映画化作品『 ISOLA 多重人格少女 』は示した(小説は面白いが、映画はスルー推奨である)。パトリシア・クラークソンなら、『 スプリット 』におけるベティ・バックリーに匹敵するようなカウンセラーを演じられたはずなのに、どうしてこうなった・・・

 

総評

サスペンスフルであり、スリラーテイストもあり、SF的でありながら、ヒューマンドラマでもある。ジャンルとしては、ボーイズ・ラブが一番近いのかもしれない。『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を楽しめたという人なら、本作もおそらく楽しめるはずだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, サスペンス, スキ・ウォーターハウス, スリラー, パトリシア・クラークソン, ラブロマンス, 監督:ビル・オリバー, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

『 ザ・ファブル 』 -トレイラーを極力観ずに鑑賞されたし-

Posted on 2019年6月24日2020年4月11日 by cool-jupiter

ザ・ファブル 65点
2019年6月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田准一 柳楽優弥 安田顕 山本美月
監督:江口カン

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岡田准一には雰囲気がある。オーラと言ってもいい。絵になる男である。殺し屋を演じるてもそれは変わらない。あとはヤクザ役と会社員役を待つばかりである。

 

あらすじ

その殺人の技術の高さから伝説=Fable、ファブル(岡田准一)とまで呼ばれた殺し屋が、ボスから一年間の休業および殺人禁止を言い渡される。普通に平和に暮らすために大阪の地にやってきたファブルは、ひょんなことからミサキ(山本美月)と知り合う。しかし、そのミサキが裏社会の人間に目を付けられ・・・

 

ポジティブ・サイド

不惑も近い岡田准一が、スタントマン無しで数々のアクションに挑んだことは称賛に値する。Jovian含むアラフォーの男性陣は、全裸で筋トレ・・・をする必要はないが、何らかのワークアウトを日常的に行う必要があるだろう。岡田のアクションをフルに堪能するには、『 散り椿 』のような時代劇よりも、『 図書館戦争 』のような現代のバトルの方が適している。もっと言えば、ガン・アクションと格闘技である。その格闘について言えば、漫画『 CUFFS 〜傷だらけの地図〜 』的なmaneuverが見られる。本作の原作漫画は未読なのだが、南勝久が東條仁並みにB級アクション映画ファンであるならば、是非コミックレンタルを検討しようと思う。

 

最も印象に残ったのは、殺し屋役としての福士蒼汰。正直なところ、上手い演技だとは毛ほども思わなかったが、主演クラスで出演する作品を個人的にはどれも高く評価できないことから、演技者・表現者として方向転換するべきだと常々感じていた。今回はそれを見せてくれたということで一定の評価をしたい。

 

同様のことは向井理にも当てはまる。『 君が君で君だ 』で暴力のにおいをぷんぷん漂わせる男を好演したが、優男もしくはイケメン枠の俳優は、ヤクザ役を演じることがキャリアに良い影響を与えるのかもしれない。

 

しかし、最も高く評価したいのは安田顕である。『 その男、凶暴につき 』の北野武のような狂った警察官を、いつか演じてみてもらいたい。また『 キッズ・リターン 』をリメイクするなら、柳楽優弥のキャスティングはmustであろう。

 

本作は下敷きに『 ターミネーター2 』があるように感じられる。殺戮マシーンが人間との触れあいを通じて、ジョークを学び、涙を流す気持ちまで理解するのと同じように、浮世離れした殺し屋ファブルが、そのスキルを活かして人助けをするところに面白みがある。また、このファブルは決して木石ではなく、自分の武器に愛着を持っている。車の窓から銃身の部品を投げ捨てる前に銃を凝視するところ、身の回りのものでおもちゃの銃を作ってしまうところに、『 続・夕陽のガンマン 』におけるトゥーコと共通点を見出せる。こうした細かい描写の積み重ねが映画の面白さの土台を形作っていく。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のアクションシーンでの文字解説は不要である。『 ジョン・ウィック 』や『 悪女 AKUJO 』を意識していると思しきシークエンスだったが、であるならば作り手はもっと受け手を信頼すべきだった。ファブルという超絶技巧の殺しの達人の妙技を、映像と音響だけで伝えるように努力すべきだったし、そのようにして観客をエンターテインすべきである。

 

岡田准一は大阪府枚方市出身にして現・超ひらパー兄さんのCMをよく知っている者として、今作で披露してくれるギャグやスキットは、それほどインパクトのあるものではない。「ワイが、枚方生まれ枚方育ちの、スーパーひらパー兄さんで、おま!」が当時の関西の女子に与えたインパクトを超えるものではなかったように思う。また、枚方市出身の大阪弁ネイティブとは思えないほど、ぎこちない大阪弁であった(兵庫県民のJovianがそこまで言っていいのかどうかは分からないが・・・)。

 

江口カン監督の東京ジャイアニズム的な感性も鼻についた。JR大阪駅周辺の地図を画面に大写しにした次の瞬間に、通天閣および新世界を映すのはどういう了見なのか。大阪→新今宮→岸和田、または大阪→大阪城→枚方のような撮り方および映し方はできなかったのか。

 

全体的にシリアスなパートとギャグのパートのバランスが悪く、それが全体のトーンの一貫性を損なっていた。山本美月も変顔を披露してくれたことは称えたいが、それを吹き飛ばすほどの泣き顔もしくは笑顔が見せらないのであれば、ただの道化である。木村文乃も見せ場に乏しかった。ファブルが素人認定したmaneuverで、仮にもプロを倒してしまうというのはどうなんだ?

 

総評

原作未読者の感想としては、普通に楽しめるアクション映画である。ただ、岡田准一の新たなポテンシャルを呼び覚ました作品ではないし、物語全体のトーンに一貫性がないところも気にかかる。CM畑出身の監督なので、一瞬のインパクトを重視するきらいがあるのだろうが、映画は基本的に90~120分である。江口監督には時間の使い方にもう少し慎重かつ大胆になって頂きたい。最大の見せ場は、本編トレイラーでほぼお披露目済みなので、鑑賞を考えている人はとにかくトレイラーから距離を取るべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 安田顕, 岡田准一, 日本, 監督:江口カン, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 ザ・ファブル 』 -トレイラーを極力観ずに鑑賞されたし-

『 ミスエデュケーション 』 -Educate, don’t indoctrinate-

Posted on 2019年6月23日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ミスエデュケーション 』 -Educate, don’t indoctrinate-

ミスエデュケーション 70点
2019年6月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クロエ・グレース・モレッツ
監督:デジレー・アカバン

Jovianは一応、英会話講師をしている。教育業界人の端くれというわけである。日本語の教育という言葉には、大人もしくはそれを提供する側が主体であるかのような響きがある。英語の education は逆で、これはラテン語起源の形態素に分解すると、ex(外に) + duco(導く) となる。その人の内に眠るポテンシャルを引き出すのが教育の使命なのである。つまり、教育の主役は子どもや生徒の側ということになる。一応、英語には“Educate, don’t indoctrinate”という格言がある。『 ある少年の告白 』と本作を鑑賞して、その意をさらに強くした次第である。

 

あらすじ

女子高生のキャメロン(クロエ・グレース・モレッツ)は、プロムの夜に同性のコリーとカーセックスに及ぼうとするところを同級生に目撃されてしまった。保守的な叔母の手によって矯正施設「神の約束」に入所させられる。キャメロンはそこで理不尽な教育を受けながらも、性とアイデンティティに悩む同世代の男女たちと交流していく・・・

 

ポジティブ・サイド

『 クリミナル・タウン 』では柔肌を披露してくれたクロエが、本作では色っぽい吐息を聞かせてくれる。とある女子とのベッドシーンがあるのだが、こうした場面は極力照明を使わず、わずかに漏れ聞こえてくる声だけの方が観る側を刺激するということは、『 真っ赤な星 』でも証明されていた。クロエのファン、あるいは邪まな映画ファンは、まあまあ期待して良い。

 

『 ある少年の告白 』は、あまりにも男性性を前面に押し出していたが、本作は男女両方が暮らす矯正施設であるためか、一方的なマッチョイズムまたはフェミニズムを前面に押し出してくることは無い。太っちょ、ちょいブス、美男、美女、白人、黒人、アジア系、ネイティブアメリカンの末裔など、多士済済、ダイバーシティの先端を行っていることもあるからか。その代わりに、宗教的な観念が、もっと言えばキリスト教的な哲学が教条主義的に教え込まれる様は、非常にグロテスクである。ゆめゆめ勘違いしないで頂きたいのだが、Jovianはキリスト教をけなしているわけではない。Jovianの母校は国際基督教大学であるし、Jovianが専攻したのは宗教学であった(東洋思想史だったが)。Jovianが異様に感じたのは、価値観を一色に塗りつぶそうとすること、その人間固有の属性を消し去ろうとすること、宗教の名を借りて人間性を変えてしまおうとすること、そのような営為全般である。

 

「神の約束」には男女それぞれの教育者、施設責任者がいるが、こうした大人たちが清々しいまでに醜い。男性は、かつてゲイだったが今はそれを克服したと言う。その言葉を信じるかどうかは別にして、終盤のある事件を機にこの男性が見せる素顔は余りにも弱々しく情けない。それは取りも直さず、「神の約束」の教育(indoctrination)の失敗を意味している。また、女性の方も生徒たちの閾識下にある罪の意識を顕在化させようとあの手この手で語りかけるが、彼女も同じく終盤の事件でその本性を現す。期せずして、ある生徒の本音を引き出してしまった彼女は、それを踏みつぶしてしまうのである。これも、「神の約束」の提供しているものがeducationではなくindoctrinationであることを象徴していることは間違いない。

 

その終盤のとある事件は、一種のホラーの様相を呈している。Jovianは背筋にぞっとするものを感じた。この感覚は『 ウィッチ 』のトマシン(アニャ・テイラー=ジョイ)の弟の死に様を思い起こさせた。奇しくも、『 ウィッチ 』もキリスト教的価値観の共同体から疎外された家族の物語。本当に恐ろしいのは、自分が自分を疎外してしまうことなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

キャメロンの夢のシーンは不要だった。ビジュアルは映画の最大の構成要素であるが、時にはそれをダイレクトに見せるよりも、観る側の想像力を掻き立てるような演出の方が効果的であることが多い。叔母さんとの電話のシーンはそうだったのだから、なおさらこのシーンがノイズであるように感じられてならない。

 

本当はこれはポジティブに評価すべき事柄・演出なのだろうが、女性博士がキャメロンに尋ねる「あなたの両親は、今のあなたのことをどう思うでしょうね」という問いかけには吐き気を催した。このような話術、論法を使う教育者が存在することに慄然とさせられる。どこまでも教条主義的な独善的キャラクターであれば良いものを、このような腐ったヒューマニズムでもって若者を導こうとするのは卑怯者のやることである。ああ、だからこそ衝撃が大きいのか・・・ やはり、これはネガティブに見えるポジティブ要素なのかな。だからこそ、キャメロンとその仲間たちの屈託の無さが映えるのだから。

 

総評

『 ボヘミアン・ラプソディ 』がある意味で頂点を極めたように、現代はLGBT(に代表されるマイノリティ)の主題にする映画が量産される時代である。派手なアクションや爆音が鳴り響くような音響があるわけではないが、『 ある少年の告白 』と同じく、人間の人間らしさを押し殺すことの醜さが窺える佳作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クロエ・グレース・モレッツ, ヒューマンドラマ, 監督:デジレー・アカバン, 配給会社:フィルムライズLeave a Comment on 『 ミスエデュケーション 』 -Educate, don’t indoctrinate-

『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

Posted on 2019年6月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

獣は月夜に夢を見る 35点
2019年6月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソニア・ズー
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190623005042j:plain
原題は“Nar dyrene drommer”、英語では“When Animals Dream”である。日本語にすれば、「獣が夢見る時」ぐらいであろうか。獣とは何か、獣が象徴するものは何なのか。

 

あらすじ

マリー(ソニア・ズー)は父と母と寂れた漁村で暮らす少女。母はほとんど体を動かすことができない車イス生活である。鮮魚の出荷向上に就職したマリーは、周囲からのいじめと、自身の心身に起こる奇妙な変化を経験していた・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどに映画的な演出に乏しい。それが逆に心地よい。北欧の映画にそれほど詳しいわけではないが、『 THE GUILTY ギルティ 』でも顕著だったように、主人公の表情や仕草、立ち居振る舞いに注目をすることが北欧、デンマークの流儀であるようだ。これ見よがしに、取って付けたようなシネマティックな演出などは行わない。しかし、ビジュアル・ストーリーテリングの面では外さない。きっと彼の国の映画ファンの目は肥えているのだろう。

 

主演を張ったソニア・ズーは、セクシーなシーンも厭わず演じる本格派。16歳の役を演じるには少々無理があるが、彼女をキャスティングしたサスペンスやスリラー、ホラーをもう1、2本は観てみたいと思わされた。

 

ネガティブ・サイド

マリーに心身の異常が発生するのが少し早すぎるように感じた。鮮魚出荷工場でのいじめがきっかけであれば素直に納得できる。そうではない理由は何なのだろうか。

 

マリーの獣性の萌芽は、物語の割と序盤から見られるが、母親に対する非人間的な接し方の意図もなかなかに分かり辛い。ごく狭い共同体の中で、母の存在が自らの存在への負担になっていると見ることは容易い。しかし、母の介助や介護の大部分は父によってなされている。思春期真っ只中という設定のマリーの心情を慮るのは難しいが、もう少し母と娘らしい関係の描写があっても良かったのではないか。

 

マリーの獣性が爆発する最終盤、人間と獣の境目を象徴するシーンがあるが、普通の人間に潜む残酷さと獣に宿る愛の対比の描写が非常に弱々しく感じられた。原題にある「獣が夢見る時」というのは、もう少し神々しい、それがあまりにも大仰な表現であると言うなら、もう少し美しい情景であったはずである。

 

総評

これこそRainy Day DVDであろう。梅雨で外出する気が起きない時に、1時間半ほどの時間を潰す目的で観るべきである。本作は、人生を変えるようなインパクトはもたらさない。ありきたりなホラー、ありきたりなスリラーである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, ソニア・ズー, デンマーク, フランス, 監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

Posted on 2019年6月21日2020年4月11日 by cool-jupiter

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 45点
2019年6月20日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:石川界人
監督:増井壮一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190621090413j:plain

一時期、Jovianは何かの弾みで舞城王太郎や清涼院流水、浦賀和宏を読み出して、ラノベ方面にも手を出していた。今は、葉山透の『 9S 』の11巻以降と範乃 秋晴の『 特異領域の特異点 』の3巻を待っているだけである。たまには頭をリフレッシュさせるかと、タイトルだけ見て本作のチケットを購入した。何とも評価に困る作品であった。

 

あらすじ

梓川咲太は、女優にして恋人の桜島麻衣との交際も順調で、学校やバイト先でも仲間に恵まれ、幸せに暮らしていた。、しかし、咲太の初恋の相手の牧之原翔子が現れたことで、咲太と麻衣の関係が少しギクシャクし始めた。なぜなら翔子は「中学生」と「大人」として、二人同時に存在しているため・・・

 

ポジティブ・サイド

ストーリーの軸がぶれなかったの良かった。各キャラに合わせて色々なサブプロットを展開させなかったのは正解である。開始早々、原作未読者を置いてけぼりにする作りになっていることは分かった。これは潔い。ならばこちらは登場人物たちの背景や関係を把握することに努めるのみである。幸か不幸か、どこまでも定番のキャラクターたちが揃っていて、人物の属性把握は極めて容易い。同学年の寡黙な理系メガネ女子や、バイト先の年下妹系キャラなど、これまでに100万回見たり読んだりしてきた紋切り型のキャラクター造形はむしろありがたい。型どおりのキャラクター達が、とあるキャラクターが抱える謎に迫っていくストーリーも100回は体験した気がする。だからこそ分かりやすい。

 

咲太というキャラが、どこまでも純粋なところも共感しやすい。男という生き物は、その実際の生態は別にして、自分自身を純であると認識する傾向がある。本作の狙う客層は95%は男であるだろうし、事実劇場の客はほぼ100%男性(一人客5割、グループ客5割であったように見えた)だった。このようにデモグラフィックをはっきりさせた映画は鑑賞しやすい。メインターゲットの人々にとっては、一昔前に流行ったイージー・リーディングならぬイージー・ウォッチングが可能となる。不覚にもJovianは咲太というキャラを少し応援してしまった。

 

ネガティブ・サイド

王道的なキャラクター、王道的な展開というのは、一歩間違えれば陳腐で凡庸となる。本作はそのあたりの境界線上をかなり慎重に綱渡り的に進んで行くが、相対性理論やら量子力学、超ひも理論、タイムトラベルを持ち出してきたあたりで、面白さが半減してしまった。確かにオタクは、本田透の分析に頼るまでもなく、最先端科学理論と格闘技が好きな生き物である。だからといって、意味のないガジェットにまで凝る必要はない。理系メガネ女子が読む「超ひも理論」の書籍に、ダジャレ以上の何の意味があるのか。タイトルからして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 』へのオマージュになっているには分かるが、それならせめて最低限の科学的一貫性を維持してもらいたい。相対性理論でタイムトラベルを説明するのなら、量子力学を持ち出さないでほしい。この二つの理論の相性は残念ながらすこぶる悪い。オタク相手に媚びたいのかもしれないが、おそらく通常のオタクはもっと科学的に洗練された、あるいは哲学的に深みのある設定を好むのではないか。それとも、それはJovianの世代の感覚で、今の10代や20代は、それっぽい用語や小道具を随所にちりばめておけば満足するのだろうか。タイムトラベルものというのはどこまでも矛盾に満ちているものだが、本作は『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』が採用した、時間=意識説を用いる一方で、歴史を分岐しうる時間線の如く扱っている。無茶苦茶である。支離滅裂である。途中のウサギは『 ドニー・ダーコ 』へのオマージュなのか。やたらと難解SFを模すれば良いというものではないだろう。少しは『 ペンギン・ハイウェイ 』を見習うべきだ。

 

また、入浴シーンやキャラのバストアップのシーンなど、必然性を感じないアングルのショットがところどころで挿入されるのは何なのか。ストーリーテリングの上で必然性があればよいが、とてもそのようには感じられなかった。サービスとエンターテインメントを履き違えていないか。

 

総評

それなりに楽しめるものの、作り手の過剰なサービス精神がマイナスに作用しているという印象を受けた。あくまで原作未読者の感想である。ただ、ラノベが元々は1950~1960年代のSF作品の劣化コピーの延長線上に生まれたものとの認識を持てば、それほど目くじらを立てるほどのものではないのかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, 日本, 監督:増井壮一, 石川界人, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

Posted on 2019年6月20日2020年4月11日 by cool-jupiter

SANJU サンジュ 80点
2019年6月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ランビール・カプール アヌシュカ・シャルマ ソーナム・カプール
監督:ラージクマール・ヒラーニ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190620150241j:plain

ラージクマール・ヒラーニ監督の『 きっと、うまくいく 』と『 PK 』は極上のエンターテインメント作品であった。本作はどうか。やはり傑作であった。

 

あらすじ

サンジャイ・ダット(ランビール・カプール)、通称サンジュはインドの人気俳優。しかし、母の早すぎる死、ドラッグへの惑溺、恋人との別離から彼の人生は転落していく。そして、銃の所持による逮捕、さらにはテロ事件への関与も疑われたサンジュは遂に塀の向こうの人となる。サンジュはしかし、諦めていなかった。信頼できる作家に自分の伝記を書いてもらい、世間に自らの実像を知らせようとしていた・・・

 

ポジティブ・サイド

『 きっと、うまくいく 』でもアーミル・カーンが40代にして大学生役を演じたが、ランビール・カプールも負けていない。『 PK 』の、どこか憎めない兄貴、知らないところで大活躍の兄貴、なんでこんなことになってしまうんだと思わされてしまう兄貴。そんな兄貴を演じたサンジャイ・ダットの波乱万丈を絵にかいたような人生、それを映画化するにあたって、ランビール・カプールも念入りに顔と体を作ってきた。ぎこちない演技、父とのかかわりとプレッシャー、ひょんなことから手を出してしまったドラッグ、無二の親友との出会い、ハイになってしまったまま迎えた恋人との破局、獄中生活のすべてが迫真性を有している。というのも、メディアが報じるサンジュの姿と、我々が追いかけるサンジュの姿に常にずれが生じるからだ。伝記作家ウィニー(アヌシュカ・シャルマ)が取材していく中で浮かび上がっていくサンジュの姿は、それを語る者によって変化する。陰影が強くなるのだ。誰が見ても同じ、誰が語っても同じという人物は極めて皮相的だ。人間というのは、重層的な存在なのだ。そして時に応じて変化する。そうした人間本来のありうべき姿を見事に描出したランビール・カプールは、表現者としての階段をまた一歩上に登ったのではないだろうか。彼のサンジャイ・ダットのportrayalは完璧に思える。

 

ソーナム・カプールも称賛したい。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』では道ならぬ恋慕をするキャリアウーマンを演じたが、今作では悲劇のヒロインに。彼女も an epitome of Indian beauty の一人だろう。美女の顔が悲嘆で歪むのを見るのは、大変なる痛苦である。それをもっと見たいと思ってしまうのは、Jovianにはサドマゾヒスティックな嗜好があったのだろうか。

 

しかし何よりも称賛に値するのはサンジュの無二の親友カムレーシュを演じたヴィッキー・コウシャルだ。メイクアップアーティストやヘアスタイリストの貢献度も大のはずだが、何よりも本人の演技力が光る。若かりし頃と現在とで、サンジュ本人よりも成長や老成の跡が見られる。そして、サンジュ本人は底抜けに明るく、ダークサイドから這い上がってくる強さも併せ持つ、不撓不屈の男でもある。そんなサンジュの苦悩を、カムリが対照的に映し出す。何年も音信不通であり、サンジュの逮捕を伝える新聞記事の切れっぱしを後生大事に持ち歩き、無二の知音を得た夜のことを、まるで昨日のことであるかのように鮮明に思い出せる。女性に対してもプラトニックで、男の純粋さの全てを体現したかのようなキャラクターである。このような友を持つことができる男は果報者である。タイガー、タイガー!

 

実在の映画俳優をフィーチャーしているだけあって、古今東西の映画の小ネタも大量にちりばめられている。最も分かりやすいのは『 ロッキー4 炎の友情 』のトレーニングシーンだろうか。『 ロッキー 』ではなく、『 ロッキー4 炎の友情 』というところが渋い。

 

歌と踊りは少なめであるが、その不満はエンドクレジットが解消してくれる。この何とも可愛らしいダンスは、『 帝一の國 』における美美子のパフォーマンスに優るとも劣らない。というのは、Jovianがもはや美少女よりもオッサンに感動させられる精神年齢に達してしまった証拠なのだろか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190620150643j:plain
 

ネガティブ・サイド

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

 

 

総評

一人の俳優の人生が、インドの社会構造や歴史とリンクしていく様は圧巻である。のみならず、友情の普遍性や家族愛、人間の尊厳という時代や地域を超えて語るべきテーマを、陳腐になる一歩手前で感動的に描くことこそヒラーニ監督の手腕であろう。作品全体にややダークなトーンが貫かれているという点で、『 きっと、うまくいく 』や『 PK 』のような一部だけがダークな作品よりも、少し入りにくいかもしれない。ただ、そのことが本作の大きな減点要因にはならない。ぜひ多くの方にサンジュの人生の追体験をしていただきたい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, インド, ソーナム・カプール, ヒューマンドラマ, ランビール・カプール, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

Posted on 2019年6月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 40点
2019年6月14日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ルーシー・ヘイル
監督:ジェフ・ワドロウ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190617015820j:plain

夏と言えばホラー映画またはサメ映画である。しかし、サメ映画については今年はいいかなと感じている。昨年(2018年)の『 MEG ザ・モンスター 』が収穫だったからではなく、『 アクアマン 』にレーザー光線を放つサメが登場したからである。ならばホラーである。Jovianの嫁さんが激ハマりしていたテレビドラマ『 プリティ・リトル・ライアーズ 』の主人公の一人、ルーシー・ヘイルが主演というのもレンタルの動機になった。

 

あらすじ

オリヴィア(ルーシー・ヘイル)は、親友のマーキーらと共に大学最後のバケーションとしてメキシコ旅行へ行く。そして現地で知り合ったカーターという男性と共に、皆でトゥルース・オア・デアに興じる。それは悪魔のゲームの始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

日本でトゥルース・オア・デア(真実か挑戦か)を実際に行ったことがある人は、それほど多くないだろう。Jovianは一度だけ大学の寮でアメリカ人、ドイツ人、ブラジル人らと興じたことがある。独自ルールとして、真実、挑戦、いずれも拒否の場合はテキーラだったかウォッカだったかのショットを一気飲みが科されていた。若気の無分別というやつである。

 

このゲーム、そして本作の面白さも、ゲームの持つ不思議な魔力にある。我々も普段、じゃんけんやあみだくじで、そこそこ重要な事柄を決めたりしているが、そこには実は合理性は無い。あるのは、じゃんけんやあみだくじの持つ魔力=虚構性への積極的な加担である。そういえば、自分の卒論のテーマもこうだった。宗教(および諸々の社会システム)とは、その虚構性を積極的に認め、維持しようとする持続的な試みなのだ。

 

Back on track. 本作は割と早い段階で、『 ゲーム 』(主演:マイケル・ダグラス 監督:デビッド・フィンチャー)のような大掛かりな仕掛けのあるゲームではなく、『 シェルター 』(主演:ジュリアン・ムーア 監督:モンス・モーリンド ビョルン・スタイン)のようなスーパーナチュラルな存在によるものであることが分かる。恐怖は、怪異の正体が不明であることから生まれる、と『 貞子 』で述べたが、怪異の正体が人為的なものなのか、それとも超自然的なものなのかと登場人物および観客を惑わせるのは非常に効果的であり、なおかつ非常に難易度が高い。本作はそこでスリルやサスペンスを生み出すことをあっさりと放棄した。その代わり、人間の形相を極端に歪めることで観る者に怖気を奮わせる。『 不安の種 』でも使われた手法であるが、これはこれで慣れるまでは結構怖い。本格ホラーは苦手でも、ライトなホラーならイケるという向きにお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

怪異の正体が怖くない。というよりも、この手のホラー映画のパターンというのは、何故にここまで紋切り型なのか。先に挙げた『 シェルター 』もそうであるし、B級ホラーで言えば『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』、A級ホラーで言えば『 エミリー・ローズ 』がそうであるように、宗教的な観念、信仰が背景にある。なので怖い人にとっては怖い。怖くないと言う人にとっては怖くないという、両極端な反応を生み出しやすい。ホラー映画としてユニバーサルな怖さを感じさせる作品の白眉は『 エイリアン 』または『 シャイニング 』だろうか。宗教的または哲学的な観念を背景に紛れ込ませ、結局怖いのは人間なのだと感じさせるのが最も効果的なのかもしれない。

 

本作の弱点として、色々な人の死に方にバリエーションがないのである。どこかで見た死に方ばかりで、正直なところ退屈してしまった。中には『 催眠 』(主演:菅野美穂 監督:落合正幸)そっくりなシーンもあった。まさかパクっているとは思わないが、もうちょっとオリジナリティを追求しなければならない。

 

またゲームの中身も弱い。独自ルールは別に構わないのだが、挑戦の内容が酷い。何が酷いかと言えば、「○○を銃で撃ち殺せ」のようなダイレクトな指示である。我々のハラハラドキドキは、真実を語ることによってどのような人間関係が露わになってくるのか、挑戦を無事に成し遂げられるのかどうか、というところから来るのであって、直接的に害を及ぼそうとしてくるものにはハラハラドキドキはしないのである。

 

結末も容易に読める。というか、始まり方からして『 シンプル・フェイバー 』そっくりなのである。『 貞子 』こそ、こうあるべきだったのだが。

 

総評

中学生~大学生ぐらいまでであれば、それなりに楽しめるのではないか。特に高校生~大学生ぐらいまでのカップルなら、休日に鑑賞して楽しめるかもしれない。逆に年齢がそれよりも上、または映画経験、特にホラー映画経験がそれなりに豊富な人には、ややお勧めしづらい。PLLのファンなら、アリアを応援するつもりでレンタルするのも一つの選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ホラー, ルーシー・ヘイル, 監督:ジェフ・ワドロウ, 配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズLeave a Comment on 『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

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