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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2022年3月

『 リング・ワンダリング 』 -虚実皮膜の間に漂う-

Posted on 2022年3月27日 by cool-jupiter

リング・ワンダリング 75点
2022年3月26日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:笠松将 阿部純子 長谷川初範
監督:金子雅和

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今日も今日とて土曜日出勤。仕事終わりに鑑賞可能な映画をランダムに探して本作をチョイス。あらすじも何も頭に入れずに臨んだが、なかなかの秀作だと感じた。

 

あらすじ

漫画家を目指しながら工事現場で働く草介(笠松将)はニホンオオカミを上手く描けずにいた。ある時、工事現場で犬の頭蓋骨と思しき骨を見つけた草介は不思議なインスピレーションを得る。他にも骨がないかと夜中に現場に赴くも、草介はそこでいなくなった犬を探す不思議な女性ミドリ(阿部純子)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

こう言ってはアレだが、ダメな役者が一人も出ていないだけで、これほど映画の世界というのは引き締まるのだなと感じた。予算をそれなりにかけて、話題になりそうな作品を題材にして、名前が売れている(≠実力がある)キャストで作品を作るのが主流になってしまった邦画の世界だが、まだまだ自らの心映えを作品世界に反映させられる作り手がいるのである。

 

主演の笠松将の空虚に見える目の中に宿る力強い意志の力、またミドリと出会ってからぶっきらぼうな態度が徐々に軟化していく様に説得力があり、またそこで見せる笑顔や、スケッチの際の真剣なまなざしに魅力を感じた。朴念仁ではあるが、その心根は悪くなく、心情の動きも表情や立ち居振る舞いにさりげなく、しかし確実に表れていた。

 

阿部純子も素朴な女性を好演。不思議な女性というよりも妖しげな女性と名状すべき雰囲気を醸し出す。それが物語のファンタジー要素を補強しながらも、説得力を持たせることにも成功している。また、いわゆる日本的な顔であることも大きい。これにより、タイムトラベルしていることに草介が気付かないという、展開の強引さを緩和している。片岡礼子と安田顕の夫婦も脇を固める。全編にわたって無言の演技の多い本作で、それは非常に好ましいことだが、二人が目だけで語り合うシーンはその中でも白眉だった。

 

二ホンオオカミを思うように描けずにいたところ、それらしき骨からヒントを得るというのは、実際にありそうなことだと感じた。『 風立ちぬ 』でも堀越二郎が魚の骨をヒントに飛行機の機体の曲線を思い描いていた。自然の中にこそ創作のヒントが眠っているのだろう。また、本作で描出される自然の美しさにはかなりのものがある。金色に映える一面のススキ野原に、水音とオオカミの遠吠えだけが聞こえる雪山など、暗転した劇場でこそ観たいビジュアルが満載だった。非常に映画らしい映画だと感じた。

 

知らず知らずにタイムトラベルしていた草介が、自分の知らなかった歴史を知り、創作上の駒だとしか考えていなかった自身の漫画の登場人物を血肉化させていくようになるというプロットは凝ったものだと言える。ジャンル分けが難しい映画であるが、敢えて言えばファンタジー風味の人間ドラマだろうか。それとも人間ドラマ風味のファンタジーだろうか。合理的に説明がつく物語ではないが、監督・脚本の金子雅和の言わんとするところは伝わった。すなわち、生あるものは滅ぶ。しかし、滅びても死なないものがある、ということである。

 

ネガティブ・サイド

非常に独創的な作品だが、いくつかのショットは既視感に溢れたものだった。おんぶから一種の異界に至るというのは『 となりのトトロ 』のさつきとメイの構図だし、狼の巣穴のシーンは『 ネバーエンディング・ストーリー 』のグモルクとの対峙シーンにそっくりだった。

 

漫画パートを実写化するのは悪いアイデアとは思わないが、紙とインクの上で繰り広げられるストーリーを映し出すには、やはりモノクロにするなどの違いが必要だったのではないか。そのうえで、あのシーンだけは鮮やかなカラーにしてみせる、などの工夫ができたのではないかと思う。

 

総評

The less you know, the better. な映画だろう。詳しいあらすじを知っていれば、序盤のうちから「何だこりゃ?」と思ってしまったかもしれない。たまには予備知識ゼロで劇場に向かうのもいいものである。タイトルの英語は Ring Wandering。正確な発音は、リング・ウォンダリングに近い。和製英語で、山や森林で一種の vertigo に陥ることのようである。そのタイトル通りに、不思議な時間の円環に誘ってくれる。独特の世界観に浸らせてくれる、映画らしい映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give sb a piggyback ride

誰々をおんぶする、の意味。単に piggyback sb up という言い方もある。基本的に小さな子ども相手にしかしない行為なので、大人同士の会話で使われることはあまりない。ただ、

Let me piggyback on that question.  
その質問に便乗させてください。

I piggybacked on their research and got this data.
彼らのリサーチに便乗して、 このデータを手に入れたんだ。

のように使われることはたまにある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 日本, 監督:金子雅和, 笠松将, 配給会社:ムービー・アクト・プロジェクト, 長谷川初範, 阿部純子Leave a Comment on 『 リング・ワンダリング 』 -虚実皮膜の間に漂う-

『 ウェディング・ハイ 』 -ペーシングに改善の余地を残す-

Posted on 2022年3月24日 by cool-jupiter

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ウェディング・ハイ 60点
2022年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:篠原涼子 中村倫也 関水渚
監督:大九明子

 

『 町田くんの世界 』でJovianの心を射抜いた関水渚の出演作、さらに『 勝手にふるえてろ 』や『 私をくいとめて 』の大九明子の監督作ということでチケットを購入しない理由はなかった。

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あらすじ

石川彰人(中村倫也)と新田遥(関水渚)の二人は、ウェディング・プランナーの中越真帆(篠原涼子)と共に結婚式と披露宴を計画する。しかし、式の当日、招待客たちの思いがけぬあいさつやスピーチなどで進行は大混乱。果たして中越は、新郎新婦の期待に応えて、全ての参列者たちに満足してもらえる式を実現できるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

結婚式そのものがテーマという映画はパッと思いつかない。『 マンマ・ミーア! 』も、結婚式というよりは、結婚式に至るまでの過程のストーリーが主眼である。式の中身で魅せる映画は希少価値があるのではないだろうか。

 

本作は特に若い、未婚の男性にとって良い教材となるだろう。序盤で彰人が結婚式の中身や引き出物などを遥と一緒に決めていくわけであるが、そこで見せる「めんどくさいけど、めんどくささを見せないようにする」という演技には、男性の結婚式経験者の95%が共感できるはずだ。若き女性たちよ、男性がウェディング・プランを練る際にあれやこれやと発話しているのは、ほとんど全部演技である。「真面目に考えてよ!」などと思ったり口にしたりすることなかれ。若き男性たちよ、演技力を磨くべし。こうした場面で意中の女性の心が離れてしまうことほど人生の中で大きな損失はないのである。

 

結婚式にやってくる面々も非常に濃くてよい。Jovian自身は非常に簡素な結婚式および披露宴を行ったが、だからと言ってスピーチや余興で大いに盛り上がる結婚式も決して否定はしない。そうした場の盛り上がりを楽しんだこともあるし、先輩や友人の結婚式で、それこそ『 くれなずめ 』並み、あるいはそれ以上の余興に加担したこともあるのだ。そこにある想いは一つ、人生に(おそらく)一回しかない機会を memorable なものにしたい、というものだけである。本作の登場人物たちも、ほとんど全員が悪意など持っていない。ただ、ひたすらに自分の熱い思いを吐き出しているに過ぎない。

 

そうはいっても、式場は貸し切りというわけではない。次の結婚式や披露宴の予定も当然にあるわけで、善意の行動だからといって結果的に他人に迷惑をかけて良いわけではない。そこでプランナーである中越の奮闘が始まるわけであるが、ここはなかなか見応えがあった。日本企業の多くは社是やら何やらに「創意工夫」なる四文字熟語を使いたがるが、本当にそれができている企業は少数であろう。中越は、しかし、その創意工夫を次々に実践していく。あまり書いてしまうとネタバレになるが、料理の時間短縮のところでは「ほう」と唸らされた。Jovian自身も披露宴の際に「皿が空いた人から順に次の料理を出してください」とお願いし、快く引き受けてもらったことがあるが、こうしたオペレーションというのは実は結構大変なことなのだ。これをちょっとした知恵と工夫で乗り越えていく様は爽快感があった。

 

終盤近くの関水渚の両親への手紙の朗読が、まんまJovian妻の結婚式での手紙の朗読と内容がまるかぶりで、苦笑しながらも感じ入ってしまった。同じように感じる男性は多いのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

主人公が分かりにくい。ウェディング・プランナーの篠原涼子が主人公で、中村倫也と関水渚の夫婦が準主役かと思ったが、ドタバタ群像劇だった。例えは悪いが、珍作『 ギャラクシー街道 』のようなちぐはぐさというか、アンバランスさを感じた。

 

ペースにも大いに難ありだった。多士済済の披露宴であるが、物語の前半に登場してくるキャラクターの背景は割と丁寧に描かれる一方で、物語の後半のキャラについてはおざなりな印象を受ける。序盤、中盤、終盤に隙がない・・・ではなく、序盤、中盤、終盤でテンポがガラリと異なる。もちろん変奏曲的な構成が効果的なこともあるが、本作の、特に終盤では失敗だった。

 

伏線回収が光るという評もあるようだが、これは別に伏線でも何でもなく、単なる前振りだである。この展開に度肝を抜かれるようなら、まずは普通のミステリを10冊ほど読んでみたらよい。綾辻行人、米澤穂信、湊かなえあたりが良いだろう。

 

その終盤の展開も長いし、くどい。さらに下ネタを使ってくる。下ネタは否定しない。だが、演技者の岩田がどうにも振り切れていない。『 町田くんの世界 』では良い感じにダメ男だったのに、本作ではいつものイケメン気取りが足を引っ張って、ダメ男になりきれていなかった。

 

総評

Jovianは民放テレビには疎いので、バカリズムが何なのか良く分からない。『 地獄の花園 』は珍品にしか見えないが、いつかチェックしてみるか。色々と課題を残す作品ではあるが、老若男女問わず勧められる点では良作だろう。『 喜劇 愛妻物語 』などはかなり観る人を選ぶ作品だったが、本作はそれこそ高校生ぐらいからシニアのカップルまで、非常に楽しく鑑賞できるはずだ。ぜひパートナーと共に劇場で鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Speak now, or forever hold your peace. 

「声を上げるならば今である、さもなければ永久に黙っていなさい」の意。牧師(プロテスタント)あるいは神父(カトリック)が結婚式の際に使う口上。要は、「この結婚に意義があるなら、申し出よ」ということ。一昔前、COCO塾のCMで Speak now を実践するCMがあった。興味がある人は観てみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, コメディ, 中村倫也, 日本, 監督:大九明子, 篠原涼子, 配給会社:松竹, 関水渚Leave a Comment on 『 ウェディング・ハイ 』 -ペーシングに改善の余地を残す-

『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

Posted on 2022年3月21日 by cool-jupiter

永遠の831 25点
2022年3月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斉藤壮馬 M・A・O
監督:神山健治

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先週も土曜日出勤。来週も再来週も出勤確定。夏休み並みの長期休暇気分でも味わうつもりで、あらすじも何も知らないままチケットを購入。

 

あらすじ

大災厄が起きた世界。新聞奨学生のスズシロウ(斉藤壮馬)は、大きな怒りを感じると時間を止めてしまうという能力に悩まされていた。ある時、止まった時間の中で自分と同じように動いている少女を見つけたスズシロウは、彼女を密かに尾行するが・・・

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ポジティブ・サイド

大災厄というのが何であるのか明示されないが、それが物語のフィクション性を高めつつ、リアリティも増している。大地震でも津波でも原発事故でもコロナでも何でもよい。ほんの少しでも考えてみれば、日本という国に上がり目がなく、なおかつ日本という国の政治が末期症状の一歩手前に来ていることは、国会論戦の空虚さとコメンテーター連中の頭の悪い評論活動を見れば明らか。そうした作り手の姿勢は嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

『 あした世界が終わるとしても 』で感じた、アニメキャラがモーションキャプチャーでゆらゆら動くことの気味悪さは、個人的には全く克服できそうにない。

 

新聞屋の若い女性オーナーのお色気設定がよく分からない。スズシロウがこの女性に辟易していたところに、対照的に清純そうななずなが現れた・・・というわけでもなかった。お色気担当?要らないな。

 

「時間を止める」というアイデアは古典だから良いとして、時間を止める方法がバラバラであることに必然性を見出せなかった。また時間が止まっている長さが、スズシロウの場合は3分から1週間と幅がありすぎる。おそらく、なずなも同様だろう。そう考えると、この方法で831戦線が犯行を重ねていくのは無理がありすぎる。

 

なずなが時間を止めるために命の危険を感じなくてはならないというのも地味に意味不明だ。いや、その設定自体は受け入れるにしても、兄が妹を銃で撃つ必要があるのか?あれだとすぐに近隣住民から警察に通報されて、犯行もクソもないと思うが。

 

止まった時間の中で、なずなやスズシロウが触ったものが動き出すというのも、これまた地味に意味不明だ。スマホは電波が止まって使えなくなったが、だったら何故エレベーターは電気が通って使えていた?どうして車は走れた?

 

政治的な主張が込められているのは構わないが、それを成し遂げようというのが官僚の息子というのもどうなのか。阿川兄妹のバックグラウンドを考えれば、公安や内閣情報調査室に常にマークされているだろう。

 

総評

細かいところに突っ込みだすと、いくらでも突っ込めてしまう。ストーリーを堪能するのではなく、今という時代を背景にしながら観ることで、個人個人で感じ取れるものを感じ取ればよいのだろう。ただ、アニメはちょっと・・・という層には勧めにくいし、いわゆる日本的なアニメの文法からもかなり逸脱した作品である。鑑賞するのなら、下調べをほとんどせずに臨むか、あるいはこれ以上なくリサーチした上で観るべきだろう。ただ、どういう見方をしてもエンタメ要素に乏しいという欠点は消せないだろうが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ransom

身代金の意。ランサムウェアなる言葉を聞いたことのある方もいるだろう。コンピュータを使用可能にするマルウェアを解除してやるからカネを払え、というやつである。誘拐系のミステリやサスペンス映画ではしょっちゅう聞こえてくるので、そういう作品を鑑賞する時には耳を澄ませてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, M・A・O, アニメ, ファンタジー, 斉藤壮馬, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:WOWOWLeave a Comment on 『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

『 余命10年 』 -難病ジャンルの文法には忠実-

Posted on 2022年3月15日2022年3月15日 by cool-jupiter

余命10年 65点
2022年3月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:小松菜奈 坂口健太郎
監督:藤井道人

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『 デイアンドナイト 』『 新聞記者 』、『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』、『 ヤクザと家族 The Family 』の藤井道人監督の作品。さらにJovianお気に入りの奈緒も出演しているとなれば、チケットを買わないという選択肢は存在しない。超繁忙期なので簡易レビューを。

 

あらすじ

茉莉(小松菜奈)は、百万人に1人の病を患ってしまう。発病後に10年生きた人はほとんどいないことから、彼女は自身の余命を10年以内と悟る。ある日、中学の同窓会で和人(坂口健太郎)と再会するも、和人がアパートの自室から飛び降りてしまう。生きることに自暴自棄になっていた和人に「私も頑張るから、あなたも頑張って」とエールを送る茉莉だったが、自分の病気を知らない和人との距離を縮めることを常に恐れていて・・・

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ポジティブ・サイド

2011年に始まり、2017年に幕を閉じる本作。つまり、7年の歳月を描き切ったわけであるが、主演の小松菜奈はその月日の尊さ、美しさ、素晴らしさを一身に体現する演技を見せた。説明的なセリフも非常に少なく、キャラクターの表情やたたずまいに多くを語らせる姿勢には好感が持てる。いつ死ぬともしれない身だからこそ、一瞬一瞬を生きようとする。季節の移り変わりというのは、ありふれた自然現象であるが、来年にはもう桜は見られない、あるいは来年にはもう雪に触れないとなれば、おのずとそれらを慈しむようになる。茉莉の生き様からはそれが伝わってきた。

 

ビデオカメラがちょうど良い小道具になっていて、茉莉が自分の生きた証を残すものとして効果的に使われる。同時に、その映像が消えていく様に、死がどうしようもない虚無であるという現実も見えてくる。死ぬ準備はできたが、本当は死にたくないと泣く演技では『 秘密への招待状 』のジュリアン・ムーア並みに良かったと思う。

 

余命10年というタイトルが示す通りに、奇跡が起きてハッピーエンドを迎えることはないわけだが、それでも茉莉という名前が残り、茉莉の書く小説が残ることで、彼女は確かに生きていたし、ある意味では今も生き続けていると言える。劇場のあちこちから聞こえてきたすすり泣きは、茉莉の死に対する悲しみに対する涙であったのと同時に、茉莉のように生きられなかった自身に対する改悛の涙なのだろう。Jovianはオッサン過ぎて涙を流すには至らなかったが、劇場に来ていた多くの10代たちの感性は鈍くないのだなと感じるには十分だった。

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ネガティブ・サイド

和人が茉莉の父に「あの子を受け止めてほしい」と言われた後の行動が腑に落ちなかった。中学生から10年経過ということは23歳から25歳。しかも、その時点では茉莉との再会から1~2年過ぎていた?ということは25~27歳でもありうる。この年齢で想い人の父親から上のような言葉を掛けられたら、あっさり引くことはないように感じる。

 

茉莉が家族に対して言う「私たちって、どっちが可哀そうなんだろうね」というセリフにはドキリとさせられた。両親や姉の抱く葛藤を間接的にでもよいので、もっと見せてくれていたら、このセリフの切れ味というか、心に残す傷の深さはもっとすごいものになっただろうに。

 

和人の両親と義絶しているという背景も、少しは見せてほしかった。「父親の会社を継げば人生安泰だったのに」という言葉も聞かれたが、ここらへんの親子関係をほんの少し掘り下げるだけで、和人が茉莉の父にかけられた言葉の重みに気付かなかったことの説明になったのだが。

 

総評

素晴らしい出来映えと評せるが、難病ものというジャンルとして見た場合、真新しさはなかった。藤井道人は社会や人間の光と闇の描き分けに長けているので、もっと茉莉や和人の心の底のダークな面を見せてくれても良かったのにと思う。プロデューサーはキャスティングで若い世代を惹きつけようとしていたのだろう。実際に劇場は7分の入りで、来場者の9割は若者、その半分以上はカップルに見えた。すすり泣いていたのは彼ら彼女らがほとんどだろう。ただJovianは観終わって、三浦透子あるいは奈緒が茉莉を演じていたら、磯村勇人が和人を演じていたら、とも感じた。美男美女の恋愛模様は、どこかファンタジーに見えるのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disown

own = 所有する、の反対語。しばしば「勘当する」や「義絶する」の意味で用いられる。接頭辞の dis は動詞の意味を反対にする。cover = カバーで覆う、discover = 覆いを取り除いて発見する、continue = 続ける、discontinue = 続けるのを止めて廃止する、connect = つなげる、disconnect = つながりを断つ、などは知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 坂口健太郎, 小松菜奈, 日本, 監督:藤井道人, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 余命10年 』 -難病ジャンルの文法には忠実-

『 THE BATMAN ザ・バットマン 』 -最もダークなバットマン-

Posted on 2022年3月13日2022年3月14日 by cool-jupiter

THE BATMAN ザ・バットマン 75点
2022年3月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロバート・パティンソン ゾーイ・クラヴィッツ ポール・ダノ
監督:マット・リーブス

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半強制の土曜出勤後のレイトショーで鑑賞。疲労した状態で3時間の長丁場映画は無謀かと思ったが、緊張感が持続する素晴らしい出来映えだった。

あらすじ

ゴッサム・シティの市長選の最中、現職市長が謎の知能犯リドラーに殺害される。その翌日には警察本部長までもが殺害されてしまう。バットマン(ロバート・パティンソン)は盟友ゴードン警部補と事件を追うが、その過程で自身とその家族の闇を見せつけられ・・・

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ポジティブ・サイド

結論から言うと『 ダークナイト 』と同じくらい面白かった。ティム・バートンの『 バットマン 』、ジョエル・シュマッカーの『 バットマン 』、クリストファー・ノーランの『 ダークナイト 』などと比べても、ヒーローではなく探偵という意味合いが強い。また大富豪として燦然と輝くセレブであるブルース・ウェインと警察や司法の裁けぬ悪を自ら制裁する影のヒーローのバットマンというコントラストが薄れ、圧倒的にダークな雰囲気が物語全体を支配している。

BGMも良い。ダニー・エルフマンの手がけたテーマ曲のイントロ部分を変奏させたような重々しいBGMが物語全体を通奏低音になっていて、重くシリアスな空気を生み出していた。Nirvanaの ”Something in the way” も、バットマンの心情とマッチしていた。

スーパーヒーローは常に狭間に立っている。スーパーマンはクラーク・ケントで、アイアンマンはトニー・スタークで、スパイダーマンはピーター・パーカーである。人間としての生活とスーパーヒーローとしての使命が時に、というか常にぶつかり合う。本作が新しいなと感じられたのは、バットマンの正体がブルース・ウェインなのではなく、ブルース・ウェインの正体こそがバットマンである、とリドラーが喝破するところ。確かに本作では、ブルースはウェイン・エンタープライズの経営にまったく参画していないようで、バットマンとしての生き方を貫こうとする姿勢が先行作品よりも遥かに強く打ち出されている。一方で、ブルース・ウェインとしての弱さもしっかりと表現されており、マット・リーブス監督のさじ加減はかなり巧みであるという印象。バットマンは結局のところ孤児で、自分の人生にかけている positve male figure を常に探し求めている。その対象がアルフレッドであり、ゴードン警部補である。一方で、いつまでも孤児という子どものままではいられないわけで、息子はいつか(文学的な意味での)父親殺しを果たさねばならない。その対象が、本作ではペンギンであり、ファルコーネである。本作はブルース・ウェインというキャラの内面の闇に深く切り込んだ作品であり、物語そのものの重苦しさとあいまって、観ていて消耗が激しい。しかし、鑑賞後にはそれは心地よい疲労に感じられた。

ロバート・パティンソンはバットマンとしてもブルース・ウェインとしてもハマり役。個人的にはバットマン役だけを考えれば

ロバート・パティンソン > ベン・アフレック ≧ マイケル・キートン > クリスチャン・ベール > ヴァル・キルマー >>>>> ジョージ・クルーニー

という序列である。

ヴィランであるポール・ダノは、ジム・キャリーの怪人リドラーとは全く異なるリドラー象を打ち出してきた。『 ダークナイト 』におけるジョーカーのような、犯罪者というよりもテロリスト寄りの人物で、これはこれで十分に恐ろしい人物であると感じた。非イケメンで、どちらかというオタク系の外見をしているポール・ダノが white trash の一つの究極系であるリドラーを演じるというのは、キャスティング上の大勝利なのだろう。実際にポール・ダノはかなりの怪演を見せている。ジョーカーを演じると精神にダメージを負うと言われるが、このリドラーを作り上げるのも相当にダノを苦しめたのではなかろうか。とあるシーンで、スマホでバットマンと通話するリドラーは、エンドルフィンやらドーパミンがあふれ出ているかのような druggy な喋り方だった。麻薬中毒の問題もサブプロットにあるのだが、頭がおかしい人間は脳内麻薬だけでトリップできるのだなと感じさせてくれた。

バットマン初心者向けではないが、バットマン好きで、なおかつマット・リーブス監督と波長が合えば、本作はかなりの傑作と感じられることだろう。

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ネガティブ・サイド

ゾーイ・クラヴィッツのキャットウーマンはなかなか堂に入っていたが、ロマンスの要素を含めようとしたのは感心しない。すわキスか?と期待していたキャットウーマンだったが、バットマンは単にコンタクトレンズ型カメラとイヤホンの装着具合を確かめていただけ、という距離感を保っていたほうが良かった。今作のブルース・ウェインは大人と子どもの境目の存在で、女=ロマンスの対象はノイズである。

いくら父親にあたる存在を渇望しているとはいえ、ファルコーネやらアルフレッドやらに、父トーマスのことをあれこれ言われて、それを全部信じ込んでしまうというのはどうなのか。

続編を強く匂わせる終わり方だったが、次回作ではジョーカー登場?演じていたのは誰?本作をもって『 ジョーカー 』は全てめでたく妄想ということになったのだろうか?

総評

バットマン好きなら見逃してはならない一作。しかし、逆に言えば「バットマンというのは名前しか知らない」という層にはキツイ作品だろう。事実、Jovian妻がこれに該当し、終始訳が分からなかったとのことだった。3時間あるリブートだからといって、全てを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。知らない人からしたら「ペンギンって何?キャットって何?」となってしまう。逆にバットマン世界を知っていれば、ブルース・ウェイン/バットマンを更にもう一段掘り下げた作品として、楽しめることだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be spoken for 

割とよく使われる表現。

Someone is spoken for = 誰かにはお相手がいる

Something is spoken for = 何かが予約済み、売約済みである

という感じに訳されることが多い。劇中では “You’re already spoken for.” という具合に使われていたが、「あなたには先約がある」あるいは「あなたにはすでに相手がいる」のような字幕だった気がする。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, ゾーイ・クラヴィッツ, ポール・ダノ, ロバート・パティンソン, 監督:マット・リーブス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 THE BATMAN ザ・バットマン 』 -最もダークなバットマン-

『 ナイル殺人事件 』 -謎解きを楽しもうとすべからず-

Posted on 2022年3月11日 by cool-jupiter

ナイル殺人事件 50点
2022年3月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ケネス・ブラナー ガル・ガドット
監督:ケネス・ブラナー

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『 オリエント急行殺人事件 』に続くエルキュール・ポワロもの。仕事が超絶繁忙期のため、簡易レビューを。

 

あらすじ

巨額の遺産を相続したリネット(ガル・ガドット)は友人のフィアンセとの略奪婚を果たす。しかしエジプトを新婚旅行中にリネットが殺害されてしまう。ハネムーンに集まった人々は実は全員リネットに怨恨を抱いていた。名探偵エルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)は事件の真相解明に挑むが・・・

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ポジティブ・サイド

ドロドロの愛憎劇として観るなら、かなり良い出来映え。アガサ・クリスティは、友好的な登場人物たちが実は裏では・・・という人間関係を描く最初の世代にして名手である。現代でこそ意外性はないのだが、クリスティの時代はこれが斬新だったのだ。世界が今ほど近代化・都市化しておらず、コミュニティの中の人間関係が十分に可視化される時代だったのだ。だからこそリネットが言う「私に近づいて来る人間は、みんな私のお金が目当て」という言葉に説得力が出ている。

 

巨大なピラミッドやラムセス2世の神殿、そしてナイル川をクルーズする豪華客船とエジプト旅行の雰囲気を味わうことができた。色々と緩和されてきたとはいえ、海外旅行はまだまだ難しそう。劇場で異国情緒を味わうのも一興かもしれない。

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ネガティブ・サイド

『 ねじれた家 』と同じく、ハウダニットを深く考えてはいけない。ホワイダニットだけを考えるべき作品で、その意味ではミステリとしては非常に弱い。一応、最後の最後で筋の通った謎解きはなされるが、推理としては噴飯もの。「説明がつく」ということと「実行することができる」は別のこと。あまりツッコミすぎると野暮だが。

 

ポワロの若き日のエピソードは必要だったろうか。愛する人を偲ぶあまりに独身のまま老年に差し掛かろうとするのは確かに物悲しくはあるが、そのことが本編に深みも奥行きも与えているようには見えなかった。『 ダークナイト 』のトゥーフェイスを見せられても意味が分からない。まあ、更なる続編への布石なのだろうが。

 

総評

悪い作品ではないが、面白いとも感じない。超豪華な火曜サスペンス劇場という感じである。どうせなら『 アクロイド殺し 』を現代風にアレンジして映画化してみてはどうか。超絶技巧が要求されるが、挑んでみたいと思う脚本家は数多いるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

square

色々な意味がある語だが、ここでは人物を指して「四面四角」という意味。He is a square. = あいつは四面四角な奴だ = 融通が利かない面白味のない奴だ、という意味になる。fair and squareと言えば、正々堂々、公明正大という意味にもなる。Let’s fight fair and square. = 正々堂々と戦おうじゃないか、という意味。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, ガル・ガドット, ケネス・ブラナー, ミステリ, 監督:ケネス・ブラナー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ナイル殺人事件 』 -謎解きを楽しもうとすべからず-

『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

Posted on 2022年3月8日 by cool-jupiter

シラノ 65点
2022年3月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ ヘイリー・ベネット ケルビン・ハリソン・Jr.
監督:ジョー・ライト

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『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のシラノが、現代風に換骨奪胎されたミュージカル。期待に胸膨らませて劇場へ赴いたが、Don’t get your hopes up. 

 

あらすじ

騎士のシラノ(ピーター・ディンクレイジ)は、自身の体躯や容姿に劣等感を抱いており、ロクサーヌ(ヘイリー・ベネット)に想いを打ち明けられずにいた。ある時、ロクサーヌは新兵のクリスチャン(ケルビン・ハリソン・Jr.)に一目惚れし、隊長であるシラノに二人の恋を取り持ってほしいと依頼する・・・

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ポジティブ・サイド

ピーター・ディンクレイジ演じるシラノには賛否両論あるだろうが、彼の意外な(と言って失礼か)歌唱力の高さには驚かされた。渋い良い声をしているのは知っていたが、歌声もなかなかのもの。また殺陣もいける。舞台の上でのチャンバラは割と普通だったが、夜の階段で複数の刺客に襲われるシーンはワンカットに見えるように編集されたものだろうが、かなりの迫力だった。目の演技も素晴らしく、パン屋の個室でロクサーヌに恋の相談を持ちかけられるシーンの目の輝き、そしてその目から一瞬にして輝きが消えて虚ろになってしまうのは凄かった。目でこれほど雄弁に語れるのはジェームズ・マカヴォイぐらいだろうか。

 

ロクサーヌを演じたヘイリー・ベネットも feminist theory に則って現代的な女性に生まれ変わった。この変化は肯定的なものと受け止めることができた。理由は二つ。一つには、貴族あるいは素封家との愛のない結婚は悲惨だと高らかに宣言したこと。経済格差が広がり、ブルジョワジーとプロレタリアートに二分されつつある現代社会を間接的に批判している。もう一つには、イケメンだから好きという単純な恋愛観を超えているところ。もちろんクリスチャンはイケメンなのだが、器量良しというだけで惚れ続けてくれるほど甘い女ではないところがポイントが高い。

 

別にフランスだから云々ではなく、それこそ一昔前までは恋愛とは言葉だったのだ。それこそ日本でも平安貴族は顔云々ではなく和歌の巧拙で相手にキュンとなったり、ゲンナリしたりしていたのだ。顔など見ない。噂で美しいと聞いて、御簾の向こうのまだ見ぬ女性(ここでは「にょしょう」と読むべし)に恋文を送っていたのだ。それが日本古来の伝統だったのだ。イギリスでもイタリアでも同じである。不朽の名作『 ロミオとジュリエット 』で感じるのは、圧倒的な修辞の技法である。ロミオは確かにイケメンであったが、顔はきっかけに過ぎず、気品と教養ある言葉の力でジュリエットを攻略したのである。とにかく言葉を尽くすというローコンテクスト言語の特徴がよく出ており、そのことが不細工ながらも詩文の才に恵まれたシラノというキャラクターにリアリティを与えている。

 

ハイライトの一つはバルコニーのジュリエット・・・ではなくロクサーヌと、クリスチャンを手助けするはずのシラノが、いつの間にか自分の言葉でロクサーヌと語り合う場面だろう。この「愛しているが故に姿を見せられない」というジレンマは、男性の90%を占める非イケメンの共感を呼ぶ。だいたい顔面や容姿にコンプレックスのある人間は、恋をすると臆病になる。そしてその臆病さを思いやりにすり替える。「こんなしょうもない男があの子と付き合っても、向こうがかわいそうだ」という認知的不協和を起こす。シラノも同じで、ロクサーヌを愛し、かつ自分のことを愛しきれないが故に、ロクサーヌの幸せのためにクリスチャンの恋路に手を貸してやる。しかし、自分の恋心は隠せない。このシーンで胸が打たれないというなら禽獣だろう(というのはさすがに言いすぎか)。

 

最後のシラノとロクサーヌの語らいの穏やかさと、そこに潜む想いの強さのコントラストが胸を打つ。シラノの健気さ、愚直さ、一途さ、朴訥さに気付いたロクサーヌの涙が、悲恋の悲しさに拍車をかける。散ってこそ桜というが、たまには成就しない恋の物語を味わうのも良いではないか。現実の恋も、上手く行かないことの方が圧倒的に多いのだから。

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ネガティブ・サイド

古典作品のリメイクなのだが、シラノのコンプレックスの原因を鼻ではなく、身長にしてしまうのは賛否両論だろう。Jovianはやや否よりである。手塚治虫のキャラクター、猿田から芥川龍之介の禅智内供、映画で言えば『 エレファント・マン 』や『 グーニーズ 』のスロースや『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のあの男まで、顔が醜いキャラというのはたいてい良い奴である(中には『 オペラ座の怪人 』のような例外もいるが )。ストレートにキモメン俳優をキャスティングしても良かったのではないか。某プロゲーマーが「170cm以下の男性に人権はない」と発言して炎上したことで身長というファクターが思いがけず注目を集めているが、やはり顔の美醜の問題こそがシラノとクリスチャンの最も際立つコントラストであるべきだと思う。

 

楽曲とダンスに決定的な力が不足しているように思う。例えばアンドリュー・ロイド=ウェバーの『 オペラ座の怪人 』のような圧倒的な楽曲の力や、『 ウェスト・サイド物語 』のダンス・パーティーのシーンのような圧巻のパフォーマンスはなかった。これはちょっと、直前に観た作品に引きずられすぎた意見か。

 

物語全体のペーシングに難ありでもあった。微笑ましい舞台のシーンから、シラノに迫る危機とクリスチャンの登場までの序盤、シラノがクリスチャンを陰日向なく甲斐甲斐しく世話を焼いてやる中盤までは良かったが、シラノたちが戦地に赴くことになってからの終盤が異様に長く感じられた。ド・ギーシュ伯爵が戦場でもあれこれ動いたり、あるいはシラノがこそこそと、しかし悲愴な表情で筆まめにしている描写などがあれば、戦地のシーンも少しは締まったはずだと思う。

 

総評

ミュージカル好きにはややパンチが弱いが、超有名戯曲の実写映画化という面では標準以上のクオリティに仕上がっている。シラノ・ド・ベルジュラックなんか知らないよ、という人はこれを機に鑑賞してみるのも一興かと思う。現代日本版にもアレンジできそうに思う題材である。恋する女子をめぐって、イケメンだが口下手という男と、キモメンだがSNSやブログでは雄弁能弁という男がタッグを組んで・・・というロマコメがパッと構想できるが、どうだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

volunteer 

日本語でもボランティアという言葉は定着しているが、本作では志願兵あるいは義勇兵という意味で使われていた。時あたかも三十年戦争の時代。この戦争の講和のために結ばれたウェストファリア条約によって、ヨーロッパ諸国の輪郭が定まり、個人の自由という概念が生まれた。そして今、ロシアがウクライナに侵攻、世界中から義勇兵 = ボランティアがウクライナに駆けつけている。歴史に学べないのも人か。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, ケルビン・ハリソン・Jr., ピーター・ディンクレイジ, ヘイリー・ベネット, ミュージカル, ラブロマンス, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

Posted on 2022年3月6日 by cool-jupiter

ロミオとジュリエット 95点
2022年3月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング
監督:フランコ・ゼフィレッリ

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『 ウェスト・サイド・ストーリー 』および『 ウェスト・サイド物語 』の元ネタである,

シェークスピアの名作『 ロミオとジュリエット 』。いくつかある映画化作品の中でも、おそらく本作が最も完成度が高いだろう。中学2年の時に初めてVHSで観て衝撃を受けたし、大学生の頃にも3回ぐらい観た。久しぶりに再鑑賞したが、間違いなく timeless classic である。

 

あらすじ

イタリアのベローナ。モンタギューとキャピュレットの両家は不和で、街では家中の者同士が騒乱を引き起こしていた。モンタギューの一人息子のロミオ(レナード・ホワイティング)はキャピュレットの舞踏会に潜入、そこで一人娘のジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と出会う。二人は一瞬にして激しい恋に落ちるが・・・

 

ポジティブ・サイド

プロダクションデザインが出色。中世イタリアの雰囲気がよく出ている。日本の古き良き時代劇も例外なく街並みや屋敷や衣服や調度品が真に迫っているが、本作におけるそれらの再現度の高さは素晴らしかったと感じる。

 

主演の二人も輝かしかった。レナード・ホワイティングは本作以外ではさっぱりで、まるでマーク・ハミルのようだ。しかし、それだけ強烈なインパクトを与えたとも言える。仲間が喧嘩で流血しているというのに、一人で街はずれの森を優雅に闊歩しながら恋煩いをこじらせる。それもこれも、ジュリエットに一目惚れして総てがバラ色に。しかし、親友のマキューシオの死にはちゃんと激昂する。若気の無分別と辞書で引けば、例としてロミオ・モンタギューが出てきそうである。ロミオについて特筆すべきは、イケメンでありながらイケメンの余裕が全くないところだろう。シェークスピアは同時代人であるフランシス・ベーコンの格言、”It is impossible to love and to be wise.” を知っていたのだろう(二人が同一人物という説をJovianは取らない)。10代男子の頭の中の80%は異性への興味で、その興味の95%は肉欲、性欲だ。日本の漫画原作の青春恋愛ものの多くは何とかの一つ覚えのごとく学園祭の出し物で『 ロミオとジュリエット 』を上演するが、ロミオ=単なるイケメンであり、そのアホっぷりにフォーカスできていない。このロミオの恋は盲目、恋をしながら賢いままではいられないという人間の普遍的な在り方が限りなくリアルに感じられた。

 

オリヴィア・ハッセーも初めてVHSで観た時は雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えている。それまでは『 ネバーエンディング・ストーリー 』の幼ごころの君の大ファンだったJovian少年は、この瞬間からオリヴィア・ハッセー/ジュリエットがアイドルになった。くるくる変わる表情に清楚をにじませるたたずまい、けれど舞踏会の場でロミオを焦らす様には百戦錬磨のような雰囲気も醸し出す、今風の言葉で言えば年下のお姉さんキャラ。それでも乳母や母の前では、年齢相応の幼さが前面に出てきていた。フランコ・ゼフィレッリ監督はよくここまで演出できたなと感心させられる。撮影時に15~16歳だったらしいが、一瞬とはいえトップレスを見せるというのも素晴らしい女優魂だと思う。

 

アクロバティックなカメラワークが技術的に不可能な時代だが、その代わりにカメラと役者の距離感が絶品。冒頭のちょっとしたいざこざから大きなケンカに発展する流れのスムーズさは『 ウェスト・サイド物語 』の prologue に負けず劣らずの出来。またティボルトとマキューシオの決闘の馬鹿馬鹿しさと深刻さの同居は、それこそキャピュレットとモンタギューが反目すること自体の馬鹿馬鹿しさと深刻さの表れで、それを傍観者視点と当事者視点が入り混じるように撮影したのは上手いと感じた。マキューシオの役者は、舞台俳優がそのままスクリーンに再現されたようで素晴らしかった。出てくるたびに場を自分のものにしてしまう。フィルムの時代なので、気軽に撮ってその場で編集できたわけでもない。なので、セリフから動きまでを完全にマスターしておく必要がある。マキューシオ役をはじめ、舞台のバックグラウンドを持った役者が多く出演していたのだろう。カメラ・オペレーターと役者が互いの仕事を理解しながら各シーンを生み出していったことが窺える。

 

ロミオとティボルトの決闘シーンも真に迫っていた。途中で上着を脱いだり、土埃を浴びるシーンがあるが、すべてのシーンが linear に撮影されていたので臨場感があったし、ワンカットがかなり長かった。BGMのない決闘シーンは『 アジョシ 』のラストのナイフバトルを彷彿させた。壁や階段から落ちるシーンもあり、どれくらいリハーサルが可能だったのだろうか。スローモーションや派手なBGMで乱闘シーンを誤魔化す多くの現代映画は、もっと役者への演出で臨場感を生み出せるということを知るべきだと思う。

 

そうはいっても音楽の力も重要で、本作で言えばニーノ・ロータの ”Love Theme” が要所で流れる。それが 物悲しさや儚さを感じさせる。また舞踏会で歌われる “What is a youth?” の歌詞が物語全体の通奏低音になっている。この楽曲と物語が完璧に合っていて、映画のレベルをさらに一段上げている。フランコ・ゼフィレッリとニーノ・ロータのペアは、G・ルーカスとJ・ウィリアムズ、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネのような組み合わせだと評して良いと思っている。 

 

ロレンス神父やジュリエットの乳母など、脇を固めるキャラクターにも血肉が通っている。二人ともロミオやジュリエットの幸福を祈って行動するが、些細な誤解やすれ違い、思いの違いから悲劇に至る。特に乳母がジュリエットにロミオを見限るように諭すシーンは衝撃的である。乳母の一種の裏切り行為は、ティボルトを失い、ロミオまで追放されてしまったジュリエットにとってはこの世に未練などなくなってもおかしくない。誰も悪など目指していない。ただ憎い相手がいる。しかし、それは個人ではなく家名である。家名は記号であって、実体ではない。ジュリエットの発する “What’s in a name?” という問いは、現代なら “What’s in a nationality?” や “What’s in a color of skin?” 、”What’s in a gender?” などとも言い換えられるだろう。悲恋の物語の最も成功した映画化というだけではなく、20世紀の古典と言っても良い傑作だろう。

 

ネガティブ・サイド

ロレンス神父はジュリエットに「42時間で目覚める」と伝えていたが、夜の9時あるいは10時に服毒したとして、目覚めるのは夕方の5時あるいは6時。ところが実際にジュリエットが目覚めたのは真夜中。薬の効き目にはブレがあって当然とはいえ、ここだけはフランコ・ゼフィレッリ監督の責に帰さなけれなならない。

 

総評

シェークスピアが天才的だなと思うのは、非常に小さな世界の小さな出来事を、これほどドラマチックに、かつ普遍的な事象として描き切ったこと。フランコ・ゼフィレッリは自ら脚本も手掛け、監督として若い二人の演出にも腐心しただろうが、その苦労は実った。This timeless classic will stand the test of time forever. 教育者の端くれがこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、日本の中学高校のカリキュラムにヘッセの『 デミアン 』と『 車輪の下 』を読むこと、そして『 ロミオとジュリエット 』を鑑賞することを組み込んでほしい。それほど若い世代こそ観るべき傑作に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a Capulet

キャピュレット家の一員の意。有名なバルコニーのシーンでのジュリエットがロミオに「モンタギューの名前を捨てて」と独り言ちて、”Then I’ll no longer be a Capulet.” = そうすれば私もキャピュレット家の者であることをやめる、と続く。「a + 固有名詞」は色々な用法があるが、英語を教える仕事に従事する人以外は「そんなのがあるのか」ぐらいの意識でよい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イギリス, イタリア, オリヴィア・ハッセー, ラブロマンス, レナード・ホワイティング, 監督:フランコ・ゼフィレッリLeave a Comment on 『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

Posted on 2022年3月3日2022年3月3日 by cool-jupiter

Ribbon 65点
2022年2月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:のん 能年玲奈 山下リオ 渡辺大知
監督:のん 能年玲奈

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のん(能年玲奈)による主演・脚本・監督作品。メジャーな舞台への復帰を模索するばかりでなく、今後はこういった方向の表現者であることを希求するのも良いのではないか。そう思える出来映えだった。

 

あらすじ

2020年、突如訪れた新型コロナ禍により、大学の卒業制作展が中止となった。制作意欲を失った美大生のいつか(のん)は、手持無沙汰のままステイホームする。ある時、運動不足解消のために散歩を始めたいつかは、近所の公園で不審な若い男性と遭遇するようになり・・・

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ポジティブ・サイド

『 ちょっと思い出しただけ 』や『 真・鮫島事件 』でもコロナ禍は描かれていたが、本作は物語の根幹にコロナ禍が据えられているという点で意義深いと思う。Jovianは一応、2020年春から大学での語学教育に携わっているので、いつかの物語をかなり自分の教え子の経験に重ねて観ることができた。

 

コロナ禍というタイムリーかつシリアスな問題を扱いながらも、のん演じるいつかのアンニュイな日常生活風景には、どこか牧歌的な感じも漂う。いつかの母、父、そして妹が次々といつかのアパートにやって来るが、これが非常に濃い面々。完全防御の汗だくの格好でやってきて手料理を振る舞ってくれる母に、不審者撃退用さすまたを持ち運んでいて職質されたという父に、これまた職質上等スタイルの妹。この上なく深刻なはずの世相が、とてもユーモラスなものになっている。受けて立つのんもなかなかの演技。『 私をくいとめて 』の充実したおひとり様ライフとは対照的に、グダグダの日常を送る姿にも説得力があった。

 

印象に残ったのは圧倒的に母親。いくらなんでも描きかけの絵を捨てるかと思うが、こういう母親は実際に結構な数が存在しているように思う。Jovianも大昔、一人暮らしをしているところに訪ねてきた母親によって、部屋の掃除をしてもらいつつも、大学時代のノートや思い出の品をゴミとして処分されそうになった経験がある。なので、いつかの怒りに共感するところ大だった。

 

コロナ禍によって顕著に変化したのは、人と人との距離だろう。ソーシャル・ディスタンスという物理的な距離も変化したし、ZoomやGoogle Meetなどのツールによって、リアルスペースで出会うことなく仕事をしていくことにも我々は慣れてきた。しかし、見逃してはならないのは、自分と自分との距離まで離れてしまったことだろう。離人症とまでは言わないが、コロナ禍という現実を受け入れられず、精神を病み、休学・退学になってしまった学生もたくさん出たのである。本来あるべき自分になろうとしていたのに、それを阻まれてしまった。その苦悩は若者ほど大きいだろう。「私ってこんなに承認欲求強かったんだあ」といつかと平井は自覚する。その欲求の根源、いつかにとっては中学時代の忘れてしまっていた青春の一コマをやがて回想するようになるという脚本はなかなかの手練れだと感じた。

 

マスクで顔の半分が見えず、誰が誰だか確信が持てない、あるいは素顔を知らないというのは現代人あるあるで、のんが渡辺大知演じる公園の男と絶妙な距離を保つ一連の流れは非常に上質なコント。いや、笑ってはいけないのだが、これはのんがこうした距離感を呵々として笑い飛ばしたいという願望をストレートに表現したのだと受け取ろうではないか。

 

最後にささやかに開かれる卒展に、芸術は人の心を動かす力を持っているのだというメッセージを受け取った。新人監督かつ新人脚本家・のんのまっすぐな心意気は確かに伝わった。

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ネガティブ・サイド

タイトルのリボンがいちかの心情を表していたのだろうが、いかにもCGといった演出には感心しない。美大生の心をリボンの色と動きで表現しようと試みたのだろうが、それならいつかを絵描きではなく、ダイレクトにファインアート作家の卵に設定すればよかった。その方がより自然である。または、いつかが色とりどりのペンキを心象風景のキャンバスにぶちまける様をリボンで表しても良かった。それならリボンの意味もあろうというものだ。いつかの美術のバックグラウンドとリボンがあまり結びついていないのは残念である。

 

親友の平井との諍いは不要。物語を大きく動かしたかったのだろうが、もっと静かに動かしつつ、なおかつ迫真性のあるドラマは生み出せたはず。たとえば、卒展が中止になり、涙ながらに自らの作品を破壊する学生たちの姿が冒頭で映し出されたが、そこから急遽、大学側がオンラインでバーチャル展覧会を開催すると決定、学生たちには歓喜と混乱が広がり・・・という筋立てであれば、多くの大学の2020年および2021年の大学祭と重なるところが多く、リアルな人間ドラマにつなげられただろうと思う。

 

終盤のシーンでも、大声やら大きな音を出してはいけないシチュエーションで思いっきり大声や騒音を出すのはどうかと思った。それが青春の一つの形だとは思うが、リアリティは感じなかった。同じく、BGMを多用しすぎだと感じた。色々と凝りたくなるのだろうが、思い切ってそぎ落とす方が効果的な場合もある。

 

総評

多くの娯楽や芸術に「不要不急」というレッテルが貼られた2020年。確かに不急かもしれないが、不要ではないだろうと思う。そうした憤りや不満を、文書や動画ではなく、映画作品として発表してしまうのだから、大したものだと思う。多くの映画人が記者会見やホームページ、SNSなどで意見を発してきたが、作品という形で「芸術は人間にとって必要なものなのだ」と静かに、しかし高らかに宣言したのは邦画では本作が初めてではないか。ぜひ多くの映画ファンに鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a job offer

「就職内定」の意。an offer of employment もよく使われる。「内定をもらう」という動詞には、get や receive が使われることもセットで覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, のん, 山下リオ, 日本, 渡辺大知, 監督:のん, 能年玲奈, 配給会社:イオンエンターテイメント, 青春Leave a Comment on 『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

Posted on 2022年3月1日 by cool-jupiter

ドリームプラン 70点
2022年2月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演・ウィル・スミス アーンジャニュー・エリス サナイヤ・シドニー デミ・シングルトン
監督:レイナルド・マーカス・グリーン

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『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』以来のテニス映画。テニス映画というよりは、スポコン映画、または子育て映画なのだが、ほぼ同世代であり、かつてテニスを嗜んでいたJovianにとっては馴染みがあり、なおかつ新しい発見もある作品だった。

 

あらすじ

リチャード(ウィル・スミス)は、あるテニス選手が短期間で多額の賞金を稼ぐのを観て、自分の娘のビーナス(サナイヤ・シドニー)とセリーナ(デミ・シングルトン)にテニスの英才教育を施すことに決めた。そして、娘たちをさらに大きく成長させるために、彼は無料でコーチングを引き受けてくれる人材を探して東奔西走するが・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはボリス・ベッカーからテニスを観始めたので、『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』の世代の少し後である。しかし、ビーナス・ウィリアムズとセリーナ・ウィリアムズの二人は、彼女らがプロになりたての頃からグランドスラム大会などで観てきた。マルチナ・ヒンギスのクラシカルでいて、それでいてパワフルでスキルフルなテニスに魅了された世代でもある。伊達公子の実質的な引退試合で、ヒンギスがライジングショットで伊達を圧倒する姿に、世代交代、時代の交代を観たという世代である。しかし、そのヒンギスもL・ダベンポートやメアリー・ピアースは何とかできても、ビーナス・ウィリアムズには敵わなかった。高校生ぐらいの時に読んだテニマガで、父リチャードが「ビーナスは強い。しかし、セリーナはもっと強い」という趣旨のことを述べていて、「それはナンボなんでも言い過ぎやろ」と感じていたが、まったくもって事実だと知って、恐れ入り谷の鬼子母神だと感じたことを今でも覚えている。しかし、父親がこれほどの星一徹的なキャラクターだとは知らなかった。

 

星一徹と決定的に異なるのは、かなり人間的に破綻した人であること、そして娘たちにテニス以外の教育も施したことだ。事実は分からないが、めちゃくちゃな人生を歩まざるを得なかったことが、リチャードの娘たちに対する教育のモチベーションになっているのだろう。前者の点については、物語のかなり後半になるまで触れられないが、その夫婦の row のシーンはかなり真に迫っていたと思われる。例えるなら『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディがメンバーに独立を伝えるシーンか。当人、あるいは娘たちにしか分からないシーンで、これがそのまま事実の再現だったとは思わないが、とにかくリアリティが凄かった。

 

彼の教育としつけは周囲の人間には虐待と映ったようだ。隣人に通報までされている。しかし、家にやってきた警察と保護観察官に対しての毅然とした対応には感動させられた。一方で、名コーチであるリック・メイシーに陽気にたかる姿は、どことなく亀田さん兄弟の父を思い起こさせた。善良かつ厳格なだけの男ではない。良い意味でも悪い意味でも人間臭さというか、人間としての弱さや醜さが出ており、それは自分をぶちのめし、娘をレイプしてやると言い放ったギャングを殺そうと企むシーンにもよく表れていた。ルイジアナというアメリカの南部で生まれ育ち、『 私はあなたのにグロではない 』のJ・ボールドウィンの一つ下の世代であるリチャードが、暴力と差別を知らないはずがない。自分のことなら耐えられても、悪意を娘に向けられた際に見せた相手への憎悪を、誰が否定できようか。

 

彼の人生はある意味で悪意との戦いだったように感じ取れた。それも明確な悪意ではなく、意識されない悪意だ。善意の裏に潜む悪意だ。インタビューしてくるメディアや、スポンサー契約を持ち掛けてくるエージェントに対して「俺たちが白人だったら、お前たちはそんなことを言わないだろう」と言ってみせるが、確かにその通りだろう。我々はついつい本作をテニスで成功を収めた選手の父親の話として観てしまう、あるいは『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』のような女性テニス選手の話として観てしまうが、正しくは『 ドリーム 』(原題”Hidden Figures”)と同系統の作品として観るべきだろう。ゲットーで生まれ育ち、犯罪と貧困の世界から脱出するためにテニスに打ち込んだが、カネには支配されなかった。逆に、カネを持ってくる側をとことん競わせた。このエピソードは知らなかったが、マイク・タイソンにもこのような父親がいれば、あるいはカス・ダマトがもっと長生きしていればと思わされた。

 

本作はテニス映画であるが、それ以上に前例を打ち壊すこと、高潔であること、そして自分を信じることの重要性を真正面から描いている。ホンマかいなと思えるエピソードもあるが、ホンマなのである。亀田三兄弟の父親がまともな人格と哲学の持ち主だったら・・・という思考実験が、本作で可能になる。教育に悩む親など、テニスファン以外にも是非とも鑑賞いただきたい一作となっている。

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ネガティブ・サイド

せっかくのテニス映画なのに、テニスの迫力を伝えるようなシーンや特徴的なカメラワークがなかったのは残念である。それこそ1970年代、80年代のテニスと比べると21世紀のテニスは卓球かと見紛うほどにスピードアップしている。それだけ選手のパワー(とラケットの性能)がアップしたのだ。そのことを伝えるような絵、たとえばビーナスがフラットにボールを叩いた時に、どれくらいボールが潰れているのかだとか、あるいはセンターにサービスエースがバシッと打ち込まれた時に、レシーバー視点ではどう見えるのかを捉えたりといった、そういったものが欲しかった。

 

主人公はリチャードなのだが、もう少しセリーナにも見せ場が欲しかった。Jovianは史上最高の女子テニス選手はマルチナ・ナブラチロワか、シュテフィ・グラフだと思っているが、史上最強の女子テニス選手は文句なしにセリーナ・ウィリアムズだと思っている。

 

映画の出来とは関係ないが、ドリームプランという邦題はもう少し何とかならなかったのか。プランの中身がほとんど劇中で開陳されていないではないか。もっと直接的に「リチャード、ウィリアムズ姉妹の父」のようなストレートな題名でも良かったのでは?

 

総評

2021年の夏に大坂なおみが鬱を告白した。その原因の一つにメディア対応があったとされる。Jovianは詳しく調べていないが、リチャードを苛立たせたのと同じ種類の意識が、大阪にインタビューするメディア側にもあったものと推察される。本作を鑑賞して、そのように感じた次第である。テニスファンはもちろんのこと、無意識の抑圧を感じる人にも鑑賞いただきたい。リチャードの言動には賛否両論あれど、その姿勢からなにがしかを感じ取ることはできるはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You was even born

正しくは You were even born であることは言うまでもないが、African-American Englishでは、しばしば 主語が複数形であってもbe動詞が単数形のままだったりする。ボクシングフロイド・メイウェザーの叔父、ロジャー・メイウェザーの英語はまさにこれで、しばしば We wasn’t surprised. We wasn’t impressed.  などと言っていた。African-American Englishのもう一つの特徴は進行形でのbe動詞の省略で、この用法は古くから白人英語にも輸入されていて、最も有名なのは『 タクシードライバー 』のとラヴィスの “You talking to me?”だろう。 

 

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