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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2022年4月

『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

N号棟 10点
2022年4月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:萩原みのり 筒井真理子
監督:後藤庸介

超絶駄作である。ジャパネスク・ホラーは夜明け前どころか丑三つ時にすらなっていないのではないか。『 成れの果て 』の萩原みのりを目当てにしていたが、チケット購入ではなくポイント鑑賞。その判断は正しかった。

 

あらすじ

死恐怖症を抱える女子大生の史織(萩原みのり)は、元カレが卒業制作のロケハンのために廃団地に行くというので、強引について行く。団地の敷地に入るも、そこには住人が住んでいた。史織が「入居希望者です」と言うと、管理人らは親切に団地を案内してくれるが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

安楽死あるいは尊厳死の是非に対する一つの回答を呈示した点だけは評価できる。もう一つだけ評価するのは、萩原みのりの cleavage ぐらいか(Silly me! = アホな俺)。

ネガティブ・サイド

冒頭から『 ポルターガイスト 』へのオマージュと思しき真夜中のテレビの砂嵐画面だが、ちょっと待て。アナログ放送は2011年に終了している。だったら本作はGoogle Earthリリース(2005年)よりも後で、2011年よりも前?いや、スマホでGoogle Earthを使って、地方の一地点にピンを貼って、しかも人間の顔が見えるほどの高解像度の画像が得られるようになったのは震災後、2015年だとか、そのへんだったはず。冒頭の時点から「いつの時代だ、これは?」と思い、物語に入っていけなかった。

 

肝心の団地も全然怖くない。二番煎じと言われようと『 呪怨 』のようなコテコテのホラーっぽさが必要だった。親切そうな団地の面々が態度を豹変させるのも中途半端。地方の人間が突然に不機嫌になる、あるいはよそよそしくなる様については、後藤庸介監督は横溝正史を読むなどして勉強した方がいい。

 

団地の幽霊(?)も、これまた怖くない。ジャンプ・スケアにありがちなびっくりさせる効果音を多用しなかったが、それがあっても怖くなかっただろうし、あってもやはり怖くなかっただろう。というのも、すべてがテンプレ通りというか、ここでこうなりそうだ、という予感が全部的中するから。別に自画自賛しているわけではない。ちょっと映画を観慣れた人なら、次の展開、次の演出を容易に想像できるだろう。これで怖がれというのは無理がある。

 

無理があるのは団地の仕組み(?)も同様だ。謎の投身自殺はそれはそれで不気味だが、なぜ肝心の死体にクローズアップしない?なぜ肝心の死体を映さない?この人は死んだ、間違いなく死んだという印象を観る側に焼き付けるショットや演出がないために、その後の展開に驚きや戸惑いが生まれない。また、ことあるごとにカメラを回させる史織だが、役立たずの元カレが死体を撮影しないために、史織がタナトフォビアであるがネクロフォビアではない、むしろネクロフィリア的な気質が備わっているという重要な事実を描写する機会を逸している。脚本上の致命的なミスだろう。この描写が欠けているせいで、その後の史織の活劇がすべてギャグに見えてしまう。

 

白日の下でのランチや謎の踊りは明らかに『 ミッドサマー 』へのオマージュだろうが、完全に空回りしている。やるなら徹底的に白い太陽に映える白い装束、そして一糸乱れぬ踊りが名状しがたい不安感を呼び起こす。そんなシーンを模索すべきだった。それに『 ミッドサマー 』へのオマージュなら

1)死体の損壊

2)セックスシーン

この2つの方が本作には合っていたはずだ。1)については、せっかくそれらしいシーンがあったのに何もかもが中途半端(「俺だって、こんなことやりたくねー」の男はその後どうなったのだ?)。2)は、それこそ団地に泊まる羽目になった史織と元カレが、怪奇現象からの現実逃避のために肉欲に溺れるという絶好のサブプロットが追求できたはずなのに、あっさりとそれもパス。がっかりである。

 

一番意味不明なのは、死者が蘇ってくる前に、団地の住民全体でヒステリーを起こすところ。なんか意味あるの?シュールすぎて怖くないし、かといって笑えるでもない。まったくもって意味不明。この絵が恐怖を喚起すると思っていたのなら、後藤監督は金輪際ホラーには手を出さない方がいい。だいたい幽霊も、物を落としたり窓を開けたりはしても、直接危害を加えてくることがゼロなのだから、怖がりたくても怖がれない。というか、筒井真理子の恋人役の霊(?)と肉体、あれはどういう関係?死体の処理は?意味わからん・・・

 

幽霊と暮らしているから死は怖くないという理論は理解できなくもないが、それは史織の抱えるタナトフォビアの解決にはならないだろう。それこそ『 シックス・センス 』のような、「実はもう死んでました」路線で行くべきではなかったか。または『 カメラを止めるな! 』のように、ある時点までの展開はすべて映像作品でした、この映像を使って、観た人を団地におびき寄せます・・・のようなプロットは模索できなかったか。「自分ならここはああする、あそこはこうする」と必死に考えることでしか眠気と格闘できなかった。それぐらい酷い作品である。

 

総評

こんなクソ作品に時間もカネも費やすべきではない。言葉は悪いが、ダメな監督がダメな脚本を映画にしたとしか言えない。2022年に関しては『 大怪獣のあとしまつ 』という couldn’t be any worse な作品が存在するのが救いだが、そうでなければクソ映画オブ・ザ・イヤーの最右翼である。予告で流れてきた『 “それ”がいる森 』は、果たして本作を上回るか、下回るか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. This was such an awful movie that I need to forget it as soon as possible.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 日本, 監督:後藤庸介, 筒井真理子, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

銀河鉄道の夜 85点
2022年4月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:田中真弓 坂本千夏
監督:杉井ギサブロー

『 銀河鉄道999 』シリーズで野沢雅子の声に久々に触れたが、やっぱりイメージとしては孫悟空。ならばクリリン=田中真弓が主人公であり、『 銀河鉄道999 』の元ネタでもある本作も観てみたいと感じ、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

病弱な母と共に北の海の漁から帰らない父を待つジョバンニ(田中真弓)は、星祭りの夜も同級生たちになじめず、町はずれで空を眺めていた。すると空から汽車が現れた。乗りこむと、そこには友人のカムパネルラ(坂本千夏)がいた。二人は不思議な銀河の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

宮沢賢治といえば子ども向け作品のイメージが強かったが、それは非常に表面的な見方だった。何年か前の『 コズミックフロント☆NEXT‏ 』で『 銀河鉄道の夜 』は賢治の時代の最先端の天文学の知識が反映されていたと知って大いに驚いたことを思い出した。

 

『 風の谷のナウシカ 』は小学校の体育館で観たが、本作も確か小3か小4の頃にやはり体育館で観た覚えがある。その後、高校2年生の頃に講談社のバイリンガル文庫の『 銀河鉄道の夜 』を岡山の紀伊国屋で買って読んだ。そうした懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

本作は「文部省特選」と銘打たれているが、子ども向けの作りとは言い難い。冒頭から木の葉落としのように学校に迫っていくカメラワークや、薄暗い教室、クラスメイトに影口をたたかれる少年、活版印刷所で大人に混じって働くも、その大人たちにも揶揄される。父は家に帰って来ず、母親も病身。ジョバンニは幸せとは言い難い。しかし、それこそが賢治が伝えたかったことなのだろう。

 

銀河鉄道に乗ったジョバンニがカムパネルラと共に訪れ、目にする光景はどれも美しく、そして悲劇的である。120万年の時を駆けた証のくるみも、あっという間にボロボロになってしまう。せっかく知り合えた大人や同年代の他者を疎ましく思ってしまう。ジョバンニは自分の小さな幸せを奪われる、あるいは壊されると感じてしまうが、幸せの形とはそのようなものではない。幸せは与えられるものではなく、与えるものである。自己犠牲の先に幸せがある。そう受け取るのは簡単だが、それだけがメッセージではないようにも思う。カール・ブッセの『 山のあなた 』のように、幸せとは常にそれを追い求めていく対象であって、手に入れる対象ではないのだとも言える。ハッピーエンド=父親が帰ってくるかどうかはっきりしないという本作の結末そのものが、それを示唆しているように感じる。

 

キャラクターを猫にしてしまうことで物語の幻想度が増している。これはこれでありだと思う。また絵そのものの美しさも際立っている。ジョバンニたちの住む町の欧風かつオリエンタルなデザインも非常に味わい深い。2010年代後半以降のアニメは光の力が強すぎたり、あるいはキャラが不気味にゆらゆらと動くところが個人的にはしんどい。この時代のアニメーションの方がオッサンにはありがたい。細野晴臣の珠玉のBGMも本作を傑作タラ占めている。ジョバンニの心象風景をそのまま音楽にのせて、観る側にダイレクトに伝えてくる。何でもかんでもナレーションや説明的なセリフにしてしまう今のクリエイターたちに、もう一度基本に立ち返ってほしいと、本作を鑑賞してあらためて感じた。

 

観終わった直後に repeat viewing したが、数々の伏線の妙に驚かされた。特に最後のナレーションで「命は青い照明の明滅」だと語られるが、それがオープニングのクレジット・シーンに反映されていることに衝撃を受けた。他にもジョバンニがカムパネルラ家でアルコールで走る汽車の模型を見たという話は、『 オズの魔法使 』を思い起こさせた。ドロシーはオズへ行ったのか、それとも竜巻の衝撃で頭を打って、一時的な夢を見たのか。それと同じで、ジョバンニは本当に銀河鉄道に乗ったのか、それとも丘の上で一時的にまどろんだだけなのか。いかようにも解釈できるところが本作の素晴らしいところである。

 

ネガティブ・サイド

タイタニック号沈没のシーンは、東日本大震災と津波の被害をリアルタイムで経験した人にとっては相当に苦しい時間になりそう。もちろん賢治がそんなことを予見できるはずもないのだが。

 

無線技士の受け取る謎のメッセージをもう少しだけ鮮明にしてくれれば良かった。ここを海の事故を暗示するものではなく、北の海の漁船が帰ってくるという暗示のようなものにすれば、全体的に重苦しい雰囲気が少しは和らいだものになったと思う。

 

総評

文字通り時を超えた名作。少年の友情物語として鑑賞することもできるし、壮大なファンタジーとしてもアドベンチャーとしても解釈できる。正義・友情・勝利という、少年ジャンプ的な世界観や、2000年代以降のだらだらとした日常系とも一線を画している。親としても自分の子どもに安心して見せられる作品である。もちろん、大人も一緒に鑑賞して、子どもたちが抱くであろう様々な疑問に自分なりに答えてやってほしい。自分でも今度甥っ子たちに買ってやろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

~の悪口を言う、の意。ザネリのような子どもはいつの時代もいる。それはしょうがない。Ill weeds grow fast. 憎まれっ子世に憚る、である。ただ、ザネリたちのジョバンニへの態度は make fun of ~ = ~をからかう、笑いものにする、馬鹿にする、がより適切な訳かとも感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, アニメ, ファンタジー, 坂本千夏, 日本, 田中真弓, 監督:杉井ギサブロー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

Posted on 2022年4月27日 by cool-jupiter

さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 55点
2022年4月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

『 銀河鉄道999 』の続編。これまたアクション多め、かつ旅情もしっかり感じさせてくれる作品。ただ展開の強引さは否めないし、前作の大部分を否定する作りはいかがなものかと思う。

 

あらすじ

惑星メーテルから地球に帰還した鉄郎(野沢雅子)は機械化人と人間の戦乱にその身を投じていた。劣勢の中、メーテルから「999へ乗りなさい」とのメッセージを受け取った鉄郎は、再び銀河鉄道999に乗り込み、アンドロメダを目指すが・・・

ポジティブ・サイド

ある意味で『 ターミネーター 』を先取りしたかのような戦火のただ中にいきなり放り込まれるオープニングはかなりの迫力。ここで次々に倒れていく大人の戦士たちが渋い。ドラマチックな死に方などせず、アッという今に死んでいく。水木しげるが最も顕著だが、松本零士も世代的に10代20代の頃など元兵士が周りにたくさんいたことだろう。そうした人々が描く戦争のリアリティには胸が潰れそうになる。

 

前作よりもさらに西部劇のテイストがアップ。特にオルゴールが重要な役割を果たすシーンは、どうやっても『 夕陽のガンマン 』を思い起こさずにはいられない。鉄郎との間に芽生える奇妙な友情は、前作で過ぎ去ってしまった少年時代の再来だった。このエピソードがないと、鉄郎の少年時代との決別、すなわち literal な意味での父親殺しが達成されず、物語に決着がつけられない。

 

幽霊列車の描写も興味深い。原作漫画の銀河鉄道は国鉄どころか省電のごとき権威で列車のスムーズな運航を至上命題にしていたが、それが堂々と押しのけられるのだから、この幽霊列車のインパクトは大きかった。元ネタはおそらく『 ソイレント・グリーン 』だろう。何のことだか分からないという人は、決してググらないように。また、この幽霊列車は個人的にはFF6の魔列車の元ネタになったのではないかと思っている。間テクスト性が多く見られる作品というのは、それだけ先行作品をリスペクトし、後発作品にリスペクトされているということだろう。そういう意味では黒騎士ファウストも漫画『 キングダム 』の王翦将軍の元ネタになっている?

 

謎の美女メーテルの神秘のヴェールをはぎとってしまった前作を逆手にとって、そのメーテルに別の属性を与えることによって新たな物語を作るのは見事。ミステリアスな美女との旅は、それだけでドラマになる。

 

ネガティブ・サイド

前作と同じで、やはりキャプテン・ハーロックやエメラルダスが前面に出すぎている。これらのキャラは原作漫画やテレビアニメでもたまに出てくるから良かったのだが、2時間の映画でこれだけの頻度で登場すると、さすがに少々煩わしい。

 

機械人間が接種・・・ではなく摂取する「命の灯」のアイデアは悪くはないが、取って付けたような設定にしか見えない。なぜ機械化人は戦争で人間を生け捕りにするのではなく、殺そうとするのか。道理に合わない。プロメシュームの意思は地球には届かない?そんな馬鹿な。それにいくら機械化人が超長命だといえど、戦争の前線に出てきて盛大に散るだろうか。前作の機械伯爵と同じく、頭部など重要部位を破壊されれば、機械化人の生命もそこで終わる。機械と人間の戦争は考えられなくもないが、機械化人と人間の戦争は考えにくい。

 

最も釈然としないのは「サイレンの魔女」と呼ばれる大暗黒彗星。都合よく現れて、機械化人および機械化文明のエネルギーを根こそぎ吸い取っていくが、なぜ機械エネルギーを吸い取って、生きた生命体のエネルギーは吸い取らないのか。本作では機械化人は「命の灯」をエネルギー源にしていることが明示されたが、それと人間の命の違いは何であるのか。またアルカディア号からの砲撃ビームを捻じ曲げるほどの重力あるいは吸引力を有しているのに、鉄郎と黒騎士ファウストの決闘においてはお互いに獲物をまっすぐに打ち合うという矛盾した描写も見られる。このデウス・エクス・マキナによる物語の強引な畳み方は納得しがたい。

 

総評

前作よりもパワーダウン。しかし前作のテーマであった「そして少年は大人になる」についてはしっかりと継承されていた。冒頭で鉄道を999に乗せんと奮戦する中高年オヤジたちのカッコよさよ。不惑を超えて彼らの男らしさにしびれた。もちろん、若い世代が観ても楽しめる要素はいっぱいある。これもGWに親子二代、できれば父と息子のペアで鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

if you like

メーテルから鉄郎に「あなたさえよければ、どこかの惑星で死ぬまで一緒に暮らしてもいい」と言う場面がある。「あなたさえよければ」というのは日本語でもよく使う表現で、これの英訳が ”if you like” である。

I can live with you on some planet for the rest of my life, if you like.

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

Posted on 2022年4月24日 by cool-jupiter

銀河鉄道999 70点
2022年4月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

どういうわけかこのタイミングで本作のデジタルリマスター版が劇場公開。『 ネバーエンディング・ストーリー 』に続いて、A Never Ending Journey へ。

 

あらすじ

星野鉄郎(野沢雅子)は機械伯爵の人間狩りによって母を殺されてしまう。復讐を誓う鉄郎は宇宙のどこかにあると噂される無償で機械の体を与えてくれる星に向かうため、メガロポリスのスラム街で銀河鉄道999の切符を手に入れるチャンスをうかがう。そんな時、鉄郎は自分に銀河鉄道999のパスをくれるという謎の美女メーテル(池田晶子)と出会い・・・

ポジティブ・サイド

冒頭から貧富の格差を描くシーンにぎょっとさせられた。本作が公開された1979年はJovianの生年である。イラン・イラク戦争前夜で、景気が良い時代とは言えないが、それでも経済的な格差の萌芽はすでに当時あったのだろう。松本零士の炯眼と言えるかもしれない。

 

鉄郎とメーテルが999に乗って赴く先がそれぞれに興味深い。特に土星の衛星タイタンが『 オブリビオン 』以前にフィーチャーされているのも先見の明があると感じた。冥王星が惑星から準惑星に格下げになったのは仕方ないが、だからといってその独特の軌道=彷徨う星としての性格が失われたわけでもない。今日では冥王星は実は内部に熱源を持っているとされるが、そのことが本作の価値を損なうわけでもない。宇宙には常にロマンがあり神秘がある。宇宙空間を記者が走るのだ。本作はサイエンス・フィクションではなくファンタジーであり、アドベンチャーである。

 

キャプテン・ハーロックにエメラルダス、海賊アンタレスやトチローなど、主要な登場人物が皆アウトローなのも良い。人間的な秩序が行き渡った宇宙は冒険の対象にはなりえない。特にトチローは(Jovianの勝手な推測だが)松本零士その人の東映・・・ではなく投影だろうと感じる。男は見た目ではなく甲斐性。強い思いに支えられた生き様があれば、エメラルダスのような美女とも添い遂げられる。

 

キャラクターで最も印象深いのは、やはりメーテル。切れ長の目に面長の金髪美女。しかし、服装は上から下まで黒というコントラスト。フードにコートと非常に厚い着こなしだが、脱ぐ時は脱ぐというギャップ。漫画でも映像でも魅せる。主役である鉄郎も漫画のユーモラスなところはそのままに、シリアスさを増したキャラ造形で、漫画の方が男の子なら、映画では「男の子」と「男」の中間だろうか。本作は人類全体の「幼年期の終わり」=Childhood’s End を描いているが、同時に星野鉄郎の「少年期の終わり」=Boyhood’s End をも描いている。

 

銀河鉄道の実現は難しそうだが、軌道エレベーターは何とかなるかもしれない。機械の体は難しくても、人体の一部の機械化なら可能かもしれない。作品自体はレトロだが、現代から未来にかけて考えるべき材料をたくさん含んだ良作だろう。懐かしのテーマソングと共に宇宙旅行に思いを馳せるのも一興である。

ネガティブ・サイド

原作漫画の主要なエピソードを詰め込みすぎな感じがする。アンタレスやエメラルダス、キャプテン・ハーロックなどはいずれもお馴染みのキャラだが、一作に全員を集めてしまうのは少々やりすぎ。鉄郎に何かピンチやトラブルがあるたびに彼ら彼女らが現れる。これではデウス・エクス・マキナと変わらない。もう少し鉄郎とメーテルの二人旅と言うことを強調した作りにはできなかっただろうか。

 

後はメーテルの正体というか、鉄郎の母との関係が少し曖昧だった。機械伯爵に剥製にされた母とプロメシュームの与えた肉体との関係については、もっとはっきりさせるか、あるいはもっとぼんやりさせた方がよかった。

 

総評

あまり小難しいことを考えなくても、アクション多めのアドベンチャー映画になっているので、小さな子どもでも楽しめる構成になっている。ブルートレインに乗ってあちこちへ旅したという世代は、ちょうど本作をリアルタイムで観た、あるいはテレビ放映などで見た世代だろう。ぜひ親子二代で劇場鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

miss one’s stop

電車やバスで「乗り過ごす」ことを言う。誰しも一度は経験があるだろう。個人的に最もショックだったのは、新幹線で新大阪で降りるはずが、福山まで行ってしまったこと。I missed my stop and found myself at Fukuyama station. 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1970年代, B Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

『 ネバーエンディング・ストーリー 』 -王道ファンタジー-

Posted on 2022年4月22日 by cool-jupiter

ネバーエンディング・ストーリー 75点
2022年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:バレット・オリヴァー ノア・ハサウェイ タミー・ストロナッハ
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

ふと思い立ってTSUTAYAで本作をレンタル。古い(といっても1980年代だが)時代の映画には、CGには出せない質感があるなと、あらためて実感。だからこそ自分はこの年齢になっても『 ゴジラ 』が好きなのだろうと再確認した。

 

あらすじ

母の死から逃避するために、以前にも増して本の世界に逃避するバスチアン(バレット・オリヴァー)は、いじめっ子から逃げる際に駆け込んだ本屋で不思議な本と出会う。学校の屋根裏でバスチアンは密かにその本を読みふけるが、やがて物語の中のファンタージェンとバスチアンの世界が重なり始め・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

Jovianは別に幼くして母を亡くしてはいないが、それでも小学生にして江戸川乱歩の世界に惑溺していた。なので初めて鑑賞した時はバスチアンと自分を自然に重ね合わせられたし、今回あらためて観返してみて、やはり少年の気持ちに戻れた。アドベンチャーは、やはり良いものである。

 

ファンタージェンの手作り感が素晴らしい。何でもかんでもCGで表現できてしまい、しかもそれが実写と見紛うばかりのクオリティーに達しつつある現代だが、逆にこうした昔の映画のキャラクター造形、衣装、小道具&大道具、背景などの持つ本物の質感には劣る。ロック・バイターは『 太陽の王子 ホルスの大冒険 』のモーグの実写化のようだし、ナイト・ホブのゴブリンっぷりは、数多くの映画や絵本、ゲームに登場したゴブリンの中でもトップクラスだろう。レース用のカタツムリやコウモリ、巨大なカメのモーラに、ラッキードラゴンのファルコンなど、ファンタジーの王道的なキャラクターばかりである。

 

アトレーユの行く冒険の旅でも、いくつかの野外シーンの背景は絵だろう。『 オズの魔法使 』の時代から使われてきた手法だ。象牙の塔は精巧なミニチュアで、これにもCGには出せない味わいがある。「虚無」の描写も、絶望感が漂ってくる。ドライアイスに色をつけて、カメラを上下逆にして撮影したのだろうか。これらを様々な特撮技術で料理しているのだから、当時の人々の創意工夫には脱帽するしかない。

 

第4の壁をキャラクターが破るというのをJovianは本作で初めて経験したが、よくよく観れば、最初に壁を破ったのはバスチアンの方だった。これはなかなか洒落た構成である。アトレーユの冒険に心躍らせる少年が、実は・・・という一種のトリックは、傑作ゲーム『 Ever17 -the out of infinity- 』をインスパイアしたのではないだろうか。また虚無=The Nothingnessという世界を破壊する現象は『 ファイナルファンタジーV 』に取り入れられたと勝手に信じている。実際にそっくりだし。

 

BGMも素晴らしく、特に象牙の塔のテーマ曲は荘厳さと崇高さを感じさせる名曲。またLimahlの ”The Never Ending Story” も非常に印象的だ。映画や小説は知らなくても、なぜかこの歌は知っている人は結構多いだろう。『 炎のランナー 』や『 スティング 』と同じで、映画そのものよりもサントラの方が長生きしている作品の一つ。けれど、映画そのものの出来栄えも非常に高いと評価できる。大人が観ても楽しめるし、子どもにも積極的に見せたいと思える作品でもある。Jovianも甥っ子たちにDVDを買ってやろうと思う。

 

ネガティブ・サイド

アトレーユの冒険部分の描写がもっと必要だと感じた。アルタクスと共に草原や砂漠を疾走するシーンは勇壮だが、アトレーユが素手で戦う、あるいは危険を予測して見事に回避する、といった展開を2~3分で良いので加えてほしかった。

 

ティーニー・ウィーニーやナイト・ホブたちにもう少し見せ場が欲しかった。彼らが持ち寄った情報をアトレーユに渡す、あるいは南のお告げ所の前後で再会するなどしても良かったのではないか。

 

エンディングが少々拍子抜けである。いじめっ子たちにリベンジを果たして終わり・・・ではなく、多くの子どもたちがバスチアン同様に『 ロビンソン・クルーソー 』や『 指輪物語 』、『 ターザン 』を読むようになったことを明示する、あるいは示唆するようなエンディングこそが A Never Ending Story ではないだろうか。

 

総評

メルヘンでありファンタジーでありアドベンチャーでもある良作。ビブリオフィルが主人公というところも希少価値を高めている。活字の良い点は、読者が想像できるところであり、活字の悪い点は、読者が想像しなければならないところである。テクノロジーの発達で文字よりも映像優位の時代になった。映画の世界でも、これを逆手にとって、本を読むという映画を作ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

keep one’s feet on the ground

直訳すれば「両足を地面につけたままにする」ということだが、意訳すれば「空想に耽らず現実的に考える」ということ。バスチアンが ”I have to keep my feet on the ground!” と叫ぶシーンがあるが、このセリフはその後の展開の伏線になっているところが面白い。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, B Rank, アドベンチャー, タミー・ストロナッハ, ノア・ハサウェイ, バレット・オリヴァー, ファンタジー, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 西ドイツ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ネバーエンディング・ストーリー 』 -王道ファンタジー-

『 ゴヤの名画と優しい泥棒 』 -英国版の鼠小僧物語-

Posted on 2022年4月19日 by cool-jupiter

ゴヤの名画と優しい泥棒 75点
2022年4月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジム・ブロードベント ヘレン・ミレン フィオン・ホワイトヘッド マシュー・グード
監督:ロジャー・ミッシェル

 

妻が観たいというので塚口サンサン劇場へ遠征(と言うほど遠くはないが)。休日の劇場にはかなりの人が戻ってきているが、ミニシアターは元々あまり混んでいないせいか、快適に鑑賞できた。

あらすじ

ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)は妻と息子の3人暮らし。BBCの受信料支払いを拒否しているかどで、時折取り立て人がやって来る。ケンプトンは自分以外の孤独な老人たちの慰めとなるテレビの受信料を何とかしたいと思い、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」に14万ポンドの価値がつけられたことに注目して・・・

ポジティブ・サイド

事実は小説よりも奇なり=Fact is stranger than fiction と言うが、本作の描く物語はまさにその好個の例だろう。ゴヤの名画を盗んで、それを返却する条件に高齢者のBBC受信料を免除せよ、と言うのだから笑ってしまう。1961年の英国に、今のN国党の先駆けになるような個人が存在していたことにもビックリするし、国立の美術館から名画がまんまと盗み出されたことにも度肝を抜かれてしまう。なによりも、この素材を単なる怪盗ものにせず、極上のヒューマンドラマに仕立てた脚本と監督の手腕が素晴らしい。

 

比較対象として『 ジーサンズ はじめての強盗 』が挙げられるかもしれないが、あちらはクライムドラマ。かたや本作はヒューマンドラマにしてファミリードラマ。ケンプトンと妻、そして息子たちの関係の微妙な機微が丹念に描かれる。ここの秘密を序盤にあっさりと見せてしまうことで、もう一つの巨大な秘密がきれいに隠れてしまう。これが事実だったのかどうかは不明だが、脚本の妙と言うしかない。

 

このケンプトン翁、タクシー運転手としての仕事中に要らんことをべらべら喋り、乗客から苦情を食らったりと老害(?)な雰囲気を漂わせるが、その実態にはさにあらず。人種差別に毅然と抗議する義の人である。これは1961年の物語だが、アメリカで公民権運動の真っただ中という時代。逆に言えば、人種差別が今よりも更に激しく、かつ国歌公認で行われていた時代である。ケンプトンが時代に左右されず、自分の信念を貫く人であることが非常によく分かるエピソードである。

 

名画盗難の罪でケンプトンは裁判にかけられてしまうわけだが、ここでの彼の答弁が面白い。詳しくは是非とも鑑賞してほしいが、自分と他人に関する彼の哲学が開陳される。なぜ2020年代に1960年代の事件と人物が掘り起こされるのか。それは、そこに秘められた思いが現代人の、いや、時代を超えて人の心を打つものがあるからである。

 

劇中ではまさに『 ウェスト・サイド物語 』が言及され、スパイダーマン以前の「良き隣人」と出会える。『 ウェスト・サイド物語 』が『 ウェスト・サイド・ストーリー 』にリメイクされた2022年。是非とも多くの映画ファンに本作を鑑賞し、1961年と現代を再びつなげていただきたいと思う。

ネガティブ・サイド

息子が船の修理をしているときに怪しいビジネスの話を持ちかけてくる悪友のパートは不要だったように思う。単に時々家にやって来る、口の悪い田舎の若者ぐらいの位置づけでよかった。その方が物語全体の着地もきれいになったはず。

 

ケンプトンはしばしば妻を怒らせ、あるいは呆れさせるのだが、そこで和解のバリエーションがもっと欲しかった。この夫がこれまでどれほど妻に謝罪をしてきたのかをしのばせるようなエピソードが必要だったように思う。いつもあれだと、亭主関白というか、ヘレン・ミレンが毎回ワンパターンな方法での謝罪を受け入れる従順な妻にしか見えない。

 

総評

一言、傑作である。笑いあり、涙あり、思わぬ真相ありと、映画の醍醐味が詰まった作品。ウェリントン公爵に関する予備知識は不要である。JovianもJ.P.ホーガンの『 巨人たちの星 』で “It was a close-run thing.” の引用で名前だけ知っていたぐらいだったが、本作を楽しむに際して何の問題もなかった。鑑賞時に注意するのは、事前に極力何も調べずに臨むこと、ということぐらいか。歴史的な事件を扱った映画を観る場合は、The less you know, the better. = 知らなければ知らないほど良いのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for the greater good

「大義のために」の意。ちょうど『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』でグリンデルバルドも使っていた。庶民がこういう感覚でいるのは結構だが、権力者がこういう言葉を使いだすと、その国は危ないのかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, コメディ, ジム・ブロードベント, ヒューマンドラマ, フィオン・ホワイトヘッド, ヘレン・ミレン, マシュー・グード, 伝記, 歴史, 監督:ロジャー・ミッシェル, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 ゴヤの名画と優しい泥棒 』 -英国版の鼠小僧物語-

『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

Posted on 2022年4月17日 by cool-jupiter

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ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 40点
2022年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン ジュード・ロウ マッツ・ミケルセン
監督:デビッド・イェーツ

 

『 エイリアン 』、『 エイリアン2 』のせいで自分が一種の面白不感症になっているのか、それとも本作が純粋につまらないのか。ひょっとしたらその両方かもしれない。

 

あらすじ

闇の魔法使い・グリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)は人間界支配の野望を露わにした。魔法動物学者ニュート(エディ・レッドメイン)はそれを阻止すべく、マグルの親友やその他の魔法使いたちと共にチームを組む。その過程で、彼は恩師ダンブルドア(ジュード・ロウ)の秘密を知ることになり・・・

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以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

個人的にはUKの俳優ではジェームズ・マカヴォイに次いでエディ・レッドメインが好きである。本作でも彼のチャーミングさは遺憾なく発揮されている。職業倫理を体現したかのような風貌は、まさに魔法動物学者。年上の役者が兄を演じても、エディ・レッドメインが弟を演じるなら文句はない。

 

グリンデルバルドもジョニー・デップからマッツ・ミケルセンに交代したが、こっちのほうが良い。ジョニー・デップはメイクが濃くなると名作率が高まる気がするが、グリンデルバルドの青白いメイクはいかにも中途半端だった。マッツ・ミケルセンのように素顔と表情で悪のオーラを醸し出せる役者の方がグリンデルバルドに向いている。不謹慎ながら、グリンデルバルドの演説とプーチン露大統領の思想を重ねてしまった。侵略戦争というのは、往々にしてこのような形で始まるものなのかもしれない。

 

待てば海路の日和あり。ジェイコブよ、良かったな。

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ネガティブ・サイド

まずタイトルのファンタスティック・ビースト=魔法動物の面からして弱い。エビとサソリを足して2で割ったようなヘンテコ生物は単なる comic relief だし、チレンだかキリンが真実を見抜くというのも設定としてパンチに欠ける。魔法動物のネタ切れ感が強い。

 

そもそも悪者のはずのグリンデルバルドが、正規の手続きに則って魔法省から無罪放免され、あろうことか魔法省トップの座を選挙で争うというのだから笑ってしまう。第一に、魔法の世界であるにも関わらず、マグルの世界と同じく選挙を行うということに違和感を覚える。いや、別に選挙するのは構わないが、ファンタビはハリポタ世界の延長線上というか、前日譚に当たるものではないのか?同じ世界観を共有しているのではないの?ならば選挙だ政治だ裁判だ戦争だなどという小難しい要素を抜きにして物語を紡いでほしかった。

 

そのグリンデルバルドを倒す作戦もよく理解できなかった。「相手は未来が見えるから」という理由で各々が無手勝流に動くのは作戦としてはありかもしれないが、観ている側もニュート達の行動が意味不明に映ってしまうという逆効果の方が大きいように感じた。

 

副題にある「ダンブルドアの秘密」というのも拍子抜け、かつガッカリする内容。まさかダブルドアとグリンデルバルドが『 君の名前で僕を呼んで 』のような関係だった・・・って、それが誰をハッピーにするの? bromance は否定しないが、もっと魔法世界特有の近畿に触れるような秘密はなかったのだろうか。

 

クリーデンスの出自とダンブルドアの家系図の問題も、今作でさらにこんがらかったように感じる。別に本シリーズの主人公がダンブルドアなら、別にこれで構わない。しかし、ニュートはどこにどう絡んでくるの?ニュートとティナの関係性の進展はなぜ描かれないの?鑑賞中に疑問が湧くばかりで、物語世界に入っていけなかった。

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総評

観終わってから、どこがどう面白かったのかを検討する時間が必要だった作品。一時的な面白不感症だった可能性が高いが、それがなかったとしても「面白い」と感じられたかどうか。それぐらい微妙な出来の作品である、というのが偽らざる本音である。ハリポタとの一番の違いは、ファンタビはビルドゥングスロマンになっていないところだろう。ニュートの成長物語というよりも、ニュートとティナの不器用なロマンスのイメージが強く、さらにはそのティナが本作ではほとんど登場しない。グリンデルバルドの強さもイマイチ伝わらず、シリーズとしては完全な中だるみだろう。まあ、次作も観るつもりではあるが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Keep your head on a swivel.

swivelとは「さる環」のこと。何のことやら分からんという人は画像検索のこと。Swivel がどういう動作なのか、また劇中でどうニュートやテセウスが swivel していたか思い出していただけただろうか。現実には Keep your head on a swivel. = 周囲への警戒を怠るな、という慣用表現で使われることが多い。戦争映画や戦争ゲームでは結構聞こえてくる表現だが、文脈さえ正しければ日常生活で使っても全く問題はない。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, ジュード・ロウ, ファンタジー, マッツ・ミケルセン, 監督:デビッド・イェーツ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

『 エイリアン2 』 -SFアクションの極北-

Posted on 2022年4月13日 by cool-jupiter

エイリアン2 90点
2022年4月6日 レンタルDVD鑑賞
出演:シガニー・ウィーバー マイケル・ビーン ランス・ヘンリクセン
監督:ジェームズ・キャメロン 

 

『 エイリアン 』の続編。ホラー路線を継承しては前作を超えられないという判断か、思いっきりアクション方面に舵を切った。この判断は正解である。

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あらすじ

エイリアンとの死闘から57年後。クライオスリープから目覚めたリプリー(シガニー・ウィーバー)は、会社にエイリアンの話を信じてもらえず、逆にノストロモ号を爆破したことから尋問を受け、職務停止処分となる。しかし環境改良のために送り込まれたLV-426の植民団と通信が途絶。リプリーはアドバイザーという立場で屈強な海兵隊員たちと共に、再びLV-426を目指すが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

前作のタグラインは”In space, no one can hear you sream”(宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない)だったのが、今作では ”This time, it’s war”(今度は戦争だ)になったように、戦争映画の文法に非常に忠実に作られていると感じる。宇宙船スラコ号で、クルーがクライオスリープから目覚めてからLV-426に降下していくまではベトナム戦争映画か何かに見えるが、それがいちいち面白いのだ。まるで『 コマンドー 』や『 プレデター 』のように、面白 one-liner がポンポンと飛び出してくる。それが単に笑えるだけではなく、この海兵隊員たちの関係性(信頼関係や力関係)が浮き彫りになってくる。

 

”Hey, Vasquez. Have you ever been mistaken for a man?”

(おい、バスケス。男に間違えられたことあるか?)

“No. Have you?”

(ないよ。お前は?)

 

このシーンだけでバスケスのファンになってしまうし、ハドソンが面白キャラであることが存分に伝わってもくる。

 

本作はほとんどすべてのキャラクターが立っているのも特徴だ。トラッシュ・トーカーのハドソンはもちろん、女性ランボーと言っていいバスケス、典型的な鬼軍曹タイプのエイポーンに、経験不足の士官ゴーマンなど。結局は誰もが死ぬわけだが、その死に様が一人ひとり異なっていて味わいがある。最後の最後までマシンガントークのまま連れ去られるハドソンに、一瞬で殺されるエイポーン、へなちょこ士官でいつの間にかリプリーに指揮権を奪われるゴーマンが、負傷したバスケスを救うシーンは胸アツだし、そこから二人して自爆するのは感動的ですらある。それだけキャラに感情移入できるのである。

 

完全版ではスペースジョッキー(エンジニア)の不時着した宇宙船にたどり着いて、しっかりフェイスハガーをもらってくる父親と半狂乱の母を見て叫ぶニュートの悲鳴の鋭さよ。ホラー映画における女優の叫び声はもはやクリシェであるが、それでもニュートの悲鳴は群を抜いて観る側を不安にさせる力を持っている。他にも、サムズアップや敬礼など、セリフ以外でも印象的なシーンが多い。女優としては本作だけしか出演していないが、ハリウッド映画史に確実に爪痕を残した子役として語り継がれていくだろう。

 

だが白眉は何と言ってもリプリー。完全版では母親属性が追加され、ニュートとの絆がさらにアップ。またヒックスとの奇妙な連帯が、リプリーが探そうともしなかった夫との関係性をしのばせる。海兵隊員が一人また一人と脱落していく中、銃器を手にニュートの救出に向かう様、そしてクイーンエイリアンとの対面シーンは何度見ても息を呑む。劇場で当時リアルタイムで鑑賞した人は、本当に呼吸が止まったのではなかろうか。卵を焼き払い、ウォーリアーを蹴散らす様は、まさに女コマンドー。またスラコ号内でパワーローダーの乗ってクイーンと対峙する際にリプリーが言い放つ “Get away from her, you bitch!” (ニュートから離れろ、このクソアマめ!)というセリフが強烈な印象を残す。前作のマザーコンピュータへの ”You bitch!” と合わせて、まさに女の戦い、母と母の戦いである。 

 

クイーンの造形も見事としか言いようがない。黒光りしながら粘液を滴らせる巨体、産卵管から卵を産み落とすグロテスクさ、そしてビショップを真っ二つに引き裂く残虐性とパワー。映画史に残るスーパーヴィランと言っていいだろう。『 エイリアン 』で個人的に感じ入ったのはフェイスハガーの死体をアッシュが念入りに調べるシーン。CGではなく現実に存在するものをカメラに収めることでしか生み出せない質感というものが確かに存在する。クイーンは中に人間二人が中に入って動かし、その他の細かい動作は外部からリモートコントロールしていたそうだが、この技術はハリウッドで継承されているのだろうか。モスラやキングギドラのピアノ線による操演はもはやロスト・テクノロジーになっているが、このように実物を作って、人間が動かして、それをカメラに収めるという映画の技術は、しっかりと継承されてほしいと切に願う(その意味で『 JUNK HEAD 』の堀貴秀は奇人であり偉人である)。

 

『 エイリアン 』がSFとホラーの完璧なマリアージュだとすれば、『 エイリアン2 』はSFとアクションの完璧なマリアージュだと言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヒックスとリプリーがニュート救出のために奮闘するのはいいが、この疑似家族形成の過程においてヒックスは華々しく討ち死にするべきではなかったか。ウォーリアーと差し違えるか、あるいはビショップの次にクイーンに切り裂かれるなどすれば、リプリーから妻という属性が消え、母という属性がさらに強められたことだろう。

 

総評

3日間で4回観た。それぐらい楽しめた作品。ジェームズ・キャメロンは『 ターミネーター 』だけの one-hit wonder ではないことを本作で見事に証明した。闘う女性キャラと言えばエレン・リプリーか、それともサラ・コナーか、ってなもんである。とにかく緊張の糸が張りつめっぱなしだが、そこかしこに海兵隊員特有のユーモアやキャラクター同士のケミストリーが感じられ、一度見始めると止められない。CGではなく手作りのプロダクション・デザインの奥深さやキャラの魅力など、何度でも鑑賞できる大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get back on the horse

直訳すれば「馬の背に戻る」ということで「落馬しても、もう一度トライしろ」、つまり「失敗しても、もう一度頑張れ」という意味の慣用句。クリストファー・リーブを思い起こすと言いづらいが、フロンティア・スピリットを感じさせる言葉ではある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, S Rank, SF, アクション, アメリカ, シガニー・ウィーバー, マイケル・ビーン, ランス・ヘンリクセン, 監督:ジェームズ・キャメロン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン2 』 -SFアクションの極北-

『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

Posted on 2022年4月10日 by cool-jupiter

エイリアン 90点
2022年4月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シガニー・ウィーバー トム・スケリット 
監督:リドリー・スコット

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小学生の頃に親父とVHSで観た。その後も何度か観た記憶があるが、とにかくチェスト・バスターのシーンが強烈すぎて、まともに観られなかったことだけはよく覚えている。同時期に確かジェフ・ゴールドブラム主演の『 ザ・フライ 』もテレビか何かで観て、そちらも小学生にはトラウマだった。今回、あらためて本作を鑑賞して、大傑作である。『 プロメテウス 』、『 エイリアン: コヴェナント 』の流れでこの古典的傑作をレンタル。大学の新年度開講前という超絶繁忙期だが、repeat viewingしてしまった。

 

あらすじ

貨物船ノストロモ号は謎の信号を受信、クルーは惑星LV-426に向かう。異星文明の宇宙船内部でクルーの一人が謎の生物に襲われ昏睡状態に。回復したかに見えたクルーの胸部からエイリアンが誕生。航海士リプリー(シガニー・ウィーバー)たちはエイリアンの駆除に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の宇宙船のシーンは『 スター・ウォーズ 』そっくりだが、これは両者が『 2001年宇宙の旅 』に強烈にインスパイアされているからだ。宇宙とは未知の空間で、未知であることは恐怖あるいは畏怖の対象になる。エイリアンという存在が恐怖の成分を完璧なまでに体現しており、宇宙船という典型的なSFのガジェットが、嵐の山荘や絶海の孤島といったクローズド・サークルになっており、そのことがミステリ要素とホラー要素をこれでもかというぐらいに際立たせている。

 

その宇宙船の造形は内部も外部も完璧である。CGでは出せない質感がありありと感じられ、それが物語の迫真性を大いに高めている。またLV-426に不時着している異星文明による宇宙船のあまりにも不吉すぎる外観と内部も、ホラー映画としての本作の価値を高めている。特にスペースジョッキーの謎のミイラは、死体発見=ミステリという定石通り。そこからフーダニットを否応なく考えさせられるが、本作は謎を謎のままに徹底したホラー路線へ舵を切ることで宇宙の神秘と恐怖を一挙に増幅させた。

 

1970年代といえば『 スター・ウォーズ 』と同世代。つまりCGなどなかった時代。だが、フェイス・ハガーやチェスト・バスター、ビッグチャップの造形も息を呑むほどのおぞましさ=素晴らしさ。H・R・ギーガーが手がけたこれらのデザインが構成に及ぼした影響は枚挙にいとまがない。Jovianの世代であればゲームの『 メトロイド 』が一例だし、もっとメジャーなところで言えば漫画『 ドラゴンボールZ 』のフリーザの第3形態もゼノモーフをモチーフにしていることは疑いようがない(鳥山明の作品は様々な古典映画の intertextuality の見本市である)。このエイリアンの造形の巧みさが「怖い、見たくない」と「怖い、けどもっと見たい」という二律背反の欲求を呼び起こす。

 

このエイリアンが、一人また一人とクルーを殺戮していくシーンは、ホラー映画の文法に非常に忠実。宇宙そして宇宙船という環境で怪物が人間を殺していくというのは、言葉にすると陳腐もしくはギャグに感じられるが、それらが完璧なマリアージュを果たすとこれほどの傑作になるのだと証明したリドリー・スコットの功績は果てしない。

 

アンドロイドと船を統括するマザーという人工知能の存在も、現代の視点からは逆に新鮮に映る。人工知能が人間をリードし、人間がその助言や指令を受け入れるという世界観は確実に浸透しつつある。チェスや将棋の世界ではAI無しには研究はもはや成り立たない。医学や天文学の分野でもデータ分析や画像解析はAIの独擅場である。電車や自動車でも自動運転に実現の目途が立ちつつあり、船や飛行機、さらには宇宙船も時間の問題だろう。

 

アンドロイドのアッシュの一種の反乱は、政府ではなく超巨大企業が世界を牛耳るようになりつつある現代の延長線上の近未来への警告と受け取れなくもない。また個人的にいたく感心したのが、リプリーがノストロモ号のマザーコンピュータに”You, bitch!”と叫ぶシーン。母 vs 母 という構図は『 エイリアン2 』のものだと思っていたが、実は本作の時点でそうした対決の萌芽が見られていた。これを見事に引き継いだJ・キャメロンには流石である。

 

これを映画館で観られた人が羨ましい。Jovianが生まれた年に公開された作品だが、どこかでリバイバル上映してくれないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

会社の指令でLV-426に降り立つわけだが、そのことをウェイランド社に報告する様子がない。また、ジョン・ハートが最初に死んだ時にも会社に報告する必要があるのではないだろうか。

 

総評

『 エイリアン 』シリーズをひとつも観たことがなくても、エイリアンと聞けばグロテスクな宇宙生物をイメージする人は多いだろう。それが本作の持つ影響力の大きさである。事実かどうかは定かではないが、外国人登録の訳語として Alien Registration が使われていたが、本作公開後に一部の自治体では Foreign Registration に変えた、という話を聞いたことがある。 とにかく様々なジャンルのメディアに計り知れない影響を及ぼしたのである。コロナ禍の原因、それに対する一つの実験的対処として本作を鑑賞することも可能である。時代を超えた名作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

quarantine

「隔離」「検疫」の意。2020年以降に最も知られるようになった語彙の一つだろう。元々はラテン語の quadraginta = 40 から来ている。Valentine(ヴァレンタイン)とつづりが似ているが、発音はクウォランティーンである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, S Rank, SF, アメリカ, シガニー・ウィーバー, トム・スケリット, ホラー, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

『 ナイトメア・アリー 』 -A Twist of Fate-

Posted on 2022年4月7日2022年4月7日 by cool-jupiter

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ナイトメア・アリー 60点
2022年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ブラッドリー・クーパー ケイト・ブランシェット トニ・コレット ルーニー・マーラ
監督:ギレルモ・デル・トロ

 

簡易レビュー。

 

あらすじ

スタン(ブラッドリー・クーパー)は、偶然出会ったカーニバルで仕事を得る。スタンはそこで様々なショーを学び、また自身も読心術を身に着ける。そして、いつしかモリー(ルーニー・マーラ)と共に恋仲になるが・・・

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ポジティブ・サイド

ブラッドリー・クーパーの好演が光る。貴族的な顔立ちをしているが、この役者は堕ちていく役を演じさせると本領を発揮する。

 

出演陣は非常に豪華。ルーニー・マーラは楚々とした美女役が似合うし。ケイト・ブランシェットも妖しげな美魔女として存在感を発揮した。

 

見世物小屋の一団というのも時代を感じさせるが、こうした江戸川乱歩的な世界観のビジュアルは個人的には嫌いではない。むしろ好物である。なのでカーニバルの中でスタンが徐々に居場所を確立していく序盤は楽しませてもらった。

 

詐術で都市の権力者や金持ちに取り入っていく様もなかなか見応えがあった。カネの力で死者と交信あるいは再会しようなど、あさましいことこの上ない。しかし、そうした富裕層から搾り取れるだけ搾り取ろうとするスタンには共感できるし、やりすぎたスタンが破滅していく様も理解できる。

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ネガティブ・サイド

あまりにも予想通り過ぎる展開。冒頭で正体不明の死体を家ごと焼失させるシーンから、ハッピーエンドには決してならないことが分かる(原作小説の作者はカトリーヌ・アルレーではないので)。では、どんなバッドエンドを迎えるのかと想像するわけだが、これもすぐにピンとくる。ある意味でトレイラーですべてネタバレしている作品だろう。

 

スタンが金に執着する背景が不透明だ。もちろん人間だれしもカネへの欲求はあってしかるべきだが、そのあたりの描写が不足している。もう少し父親との関係(の悪さ)を匂わす描写があれば、ウィレム・デフォーやロン・パールマンらのキャラクターとの絡みに深みが出ただろう。

 

トニ・コレットにもう少し見せ場が欲しかったと思う。

 

総評

『 シェイプ・オブ・ウォーター 』のモンスターと同じく、恐ろしく思える存在も実はそうではない、というところがギレルモ・デル・トロらしいと言えばらしい。CG全盛の今という時代でも、大道具や小道具、衣装その他も、デル・トロらしい力の入れようである。サスペンスとしては、まあまあ面白い。

 

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mentalist

読心術の使い手、の意。DaiGoのようなアホではなく、サイモン・ベーカー主演のテレビドラマ『 メンタリスト 』を観る方が、この言葉の意味がより正確に把握できるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, クライムドラマ, ケイト・ブランシェット, トニ・コレット, ノワール, ブラッドリー・クーパー, ルーニー・マーラ, 監督:ギレルモ・デル・トロ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ナイトメア・アリー 』 -A Twist of Fate-

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