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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: S Rank

『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

Posted on 2022年7月2日 by cool-jupiter

四畳半神話大系 90点
2022年6月15日~6月29日にかけて読了
著者:森見登美彦
発行元:角川文庫

『 ペンギン・ハイウェイ 』のレビューで本作を読み返すと誓っていたが、ここまで遅くなってしまった。仕事で京都の某大学の課外講座を受け持つことになり、その期間中に地下鉄烏丸線や叡山電鉄の車内で本書を読むという、ちょっと贅沢な楽しみ方をしてみた。

 

あらすじ

薔薇色のキャンパスライフを夢見ながら2年間を無為に過ごしてしまった私は、その原因をサークル仲間の小津に帰していた。黒髪の乙女との交際を夢想する私は「あの時、違うサークルに入っていれば・・・」と後悔するが・・・

 

ポジティブ・サイド

多分、読み返すのは4度目になるが、何度読んでも文句なしに面白い。その理由は主に3つ。

 

第一に、文体が読ませる。京大卒の小説家と言えば故・石原慎太郎をして「使っている語彙が難しすぎる」と評された平野啓一郎が思い浮かぶが、森見登美彦の文章にはそうした難解さがない。まず地の文が軽妙洒脱でテンポが良い。各章冒頭の「大学三回生の春までの二年間」から「でも、いささか、見るに堪えない」までのプロローグはまさに声に出して読みたい日本語である。

 

第二に、キャラクターが個性的かつ魅力的である。どこからどう見てもイカ京(近年ではほとんど絶滅しているようだが)の「私」の、良い言い方をすれば孤高の生き様、悪い言い方をすれば拗らせた生き方に、共感せずにいられない。言ってみれば中二病=自意識過剰なのだが、そこは腐っても京大生。衒学的な論理を振りかざして、必死に自己正当化する様がおかしくおかしくてたまらない。また、悪友の小津、樋口師匠、黒髪の乙女の明石さんなど、誰もがキャラが立っている。濃いキャラと濃いキャラがぶつかり合って、そこから何故か軽佻浮薄なドラマが再生産されていく。かかるアンバランスさ、不可思議さが本書の大いなる魅力である。よくまあ、こんな珍妙な物語が紡げるものだと感心させられる。

 

第三に、パラレル・ユニバースの面白さがある。流行りの異世界ではなく並行世界を描きつつ、各章ごとに互いが微妙に、しかし時に大きく相互作用しあう組み立ては見事としか言いようがない。今回は電車の中だけで読むと決めていたが、初めて読んだときは文字通りにページを繰る手が止まらなかった。薔薇色のキャンパスライフを求め、黒髪の乙女との交際を希求する「私」の狂おしさがことごとく空回りしていく展開には大いなる笑いと一掬の涙を禁じ得ない。「私」と自分を重ね合わせながら、あの時の自分がああしていれば、それともこうしていれば・・・と後悔先に立たず。今ここにある自分の総決算を自ら引き受けるしかないのである。

 

四畳半の神話的迷宮から脱出した「私」がたどり着いた境地とは何か。読むたびに世界の奥深さと人生のやるせなさ、そして気付かぬところに存在する矮小な、しかし確かに存在する愛の切なさを痛切に味わわせてくれる本書は、SFとしても青春ものとしても、珠玉の逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ケチをつけるところがほとんどない作品だが、言葉の誤用が見られるのが残念なところ。藪用は「野暮用」の誤用だし、天の采配も「天の配剤」の誤用である。

 

総評

Jovianは現役時に京都大学を受験し、見事に不合格であった。それから四半世紀になんなんとする今でも、時々「あの時、京大に合格できていれば・・・」などと夢想することがある。アホである。Silly meである。だからこそ、あり得たかもしれない自分の姿を思う存分「私」に投影してしまう。常に変わらぬ青春がそこにある。下鴨幽水荘≒吉田寮≒国際基督教大学第一男子寮である。アホな男子の巣窟で青春の4年間を過ごした自分が「私」とシンクロしないでいらりょうか。複雑玄妙な青春を送った、送りつつある、そしてこれから送るであろうすべての人に読んで頂きたい逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sidekick

親友、相棒の意。「私」にとって小津は腐れ縁の悪友だが、客観的に見ると親友だろう。best friend や close friend という言い方もあるが、小津のような男は sidekick と呼ぶのがふさわしい。英語の中級者なら、sidekick という語は知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, S Rank, SF, ファンタジー, 日本, 発行元:角川文庫, 著者:森見登美彦, 青春Leave a Comment on 『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

『 トップガン マーヴェリック 』 -MX4D鑑賞-

Posted on 2022年6月28日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点
2022年6月25日 TOHOシネマズなんばにて鑑賞
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー
監督:ジョセフ・コジンスキー

 

『 トップガン マーヴェリック 』の感想で「なぜ4DXやMX4D上映は日本語吹き替えばかりなのか。航空業界の Lingua Franca は英語と決まっているのだが」と書いたところ、6月中旬から字幕版でも4DXやMX4Dが楽しめるようになった。言ってみるものである。

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭、”Danger Zone” と共に空母から艦載機がどんどん発艦していくシーンから、浮遊感を存分に味わえたし、KAWASAKIのバイクの疾走感も感じられた。マーヴェリックとひよっこ連中との模擬空戦や、trench run や popping up のトレーニングなどでも Four Dimensional な感覚を与えてくれる4DXは本作との相性が特に良かったと感じる。映画の世界ではカーアクションがお馴染みだが、あれは二次元機動。飛行機、特に戦闘機のように高速で激しく三次元機動するような映画は数少ないが、そうした作品は今後も4DXやMX4Dで公開してほしい。

 

一部でミュージックビデオを揶揄された前作『 トップガン 』であるが、本作は前作へのオマージュをふんだんに取り込んでいる。前作で二度聞かれた “Take me to bed, or lose me forever.” =「ベッドに連れて行って、そうじゃないとあなたとは永遠にお別れよ」と対を成すかのように、マーヴェリックがアイスマンに “I could lose him forever.” =ルースターを永遠に失ってしまうかもしれない、と吐露するシーンは素晴らしかった。ビーチバレーとビーチアメフトの対比は目立つが、もっとさり気ないところで前作へのオマージュを示している点が非常に好ましい。 

 

他にもハングマンがバーでルースターに突っかかっていくシーンで “I love this song!” =「この曲、最高だな!」と言い放つ時にかかっているのが “Slow Ride” で、これがそのままルースターの慎重な姿勢、さらにトレーニングでもスローペースで飛んでしまうことの伏線になっていた。

 

劇場はかなりの入りで、20代くらいのカップルが目立った。デートムービーとして重宝されているということだろう。時間とお金に余裕があれば、一度は本作を4Dで鑑賞されたし。

ネガティブ・サイド

戸田奈津子氏の字幕翻訳にはやはりいくつか疑問が残る。

 

ハングマンの言う “In this mission, a man flies like Maverick or a man doesn’t come back. No offense intended.” =「このミッションでは、マーヴェリックのように飛ぶ男じゃないと生還できない。(フェニックスを見ながら)悪気があって言ったわけじゃない」というのが本当のところ。字幕では No offense intended = 「偉そうかな」になっていた。ハングマンは、ウォーロックがマーヴェリックを紹介する前に “the best men and women …” と言ったところでもフェニックスをちらりと見て「女は一人だけなのに、women だってよ」みたいな目つきをしていた。そういったところを踏まえて、No offense intended はもっと直截的に「おっと、女性もいたっけ」のような皮肉にすべきだった。

 

ルースターの言う ”Talk to me, dad.” =「助けて、父さん」という訳もいかがなものか。もっとマーヴェリックに合わせて「やるぞ、父さん」とか思いっきり意訳して「父さんの声が聞こえた」とかでも良かったのでは?

 

総評

アースシネマズ姫路で視野270度の3面マルチプロジェクション上映を行っているが、吹き替えらしい。何故だ?航空業界の Lingua Franca は英語と相場が決まっている。尼崎市民のJovianは姫路に赴くのにやぶさかではない。劇場や配給会社の賢明なる判断を期待したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

level the playing field

「競技場を平らにする」というのが直訳だが、実際の意味は「競争の条件が等しくなる」ということ。

YouTube has leveled the playing field for all the video creators.
ユーチューブによって、すべての動画制作者は等しい条件で勝負できるようになった。

のような使い方をする。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 トップガン マーヴェリック 』 -MX4D鑑賞-

『 トップガン マーヴェリック 』 -劇場再鑑賞-

Posted on 2022年6月5日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点
2022年6月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー
監督:ジョセフ・コジンスキー

また観てしまった。会社でも40代~50代のオッサン連中(日本人&外国人)から「観てきたぜ!」のと報告が相次いでいる。「当時はみんな、レザージャケットを着てKAWASAKIのバイクに乗っていた」と懐古する声が特に印象に残った。会社でも世間でも本作の評判は上々のようである。

 

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

トップガン・アンセムからの『 Danger Zone 』+空母から発艦していくF-18だけで、この世界に吸い込まれていく感覚は2度目の鑑賞でも健在。やはり『 スター・ウォーズ 』のオープニング・タイトル映像+ジョン・ウィリアムズのテーマ音楽に匹敵する力を感じた。

 

前作でも戦闘機の疾走感は存分に味わえたが、今作の工夫として大空ではなく低空を飛行するシーンをかなり多めに使うことが挙げられる。これにより景色が流れていくのを目にすることができ、戦闘機の常識外れのスピードを視覚で直接的に体験することができるようになった。Gを感じることはできないが、爽快感は確実に感じられる。

 

初回鑑賞時に見誤っていたのが、ミッション遂行時の条件。最高高度100フィート、最低速度660ノット/時だった。ゲームのAce Combatでこれをやれと言われても無理である。特にハイGクライムからの背面ダイブ、そして精密爆撃からの再度のハイGクライムはメビウス1やサイファーでも不可能に思える。だからこそ、それをシミュレーションでも本番でもやってのけるマーヴェリックに痺れてしまう。

 

ロシアが仮想敵国として描かれているが、コロナによって上映が2年以上遅れ、プーチンがウクライナへ侵攻したことで、本作の持つ意味が偶然にも大きくなった。「抜かずの剣こそ我らの誇り」とは漫画『 ファントム無頼 』の神田の台詞だが、抜かないからといって剣をなまくらにしておいてよい理由はない。マーヴェリックは米海軍のパイロットでトップガンの教官だが、日本の自衛隊の飛行教導群にもマーヴェリックのような凄腕パイロットはいるはずなのだ。日本はロシア、中国、北朝鮮と覇権主義あるいは先軍主義の国に面しており、地政学的に高い防衛力を要求される国である。平和を脅かす真似をするから先制攻撃・・・という考え方には素直に首肯はできかねるが、平和を維持するためには膨大なエネルギーが必要である。

 

コロナ禍によってエッセンシャル・ワーカーという存在が初めて可視化された。ロシアのウクライナ侵攻によって、我々が気付いていないところで平和の維持に従事する人間がいるのだということが本作によって多くの人によって意識されることと思う。しかし、ゆめゆめ本作のメッセージを誤って受け取ることなかれ。マーヴェリックが望むのは、愛する人と共に平和な空を飛ぶことである。決して撃墜王になることではない。

ネガティブ・サイド

映画そのものの出来とは無関係なこと2つ。

 

なぜ4DXやMX4D上映は日本語吹き替えばかりなのか。航空業界の Lingua Franca は英語と決まっているのだが。

 

ハングマンが言われる、あるいは言う “You look good.” や I’m good.” の「調子が良い」というのは誤訳だと思われる。ニュアンスとしては「良い腕してる」の方が近いはず。最後に颯爽と現れて絶体絶命のマーヴェリックとルースターを助けたところで、フェニックスが  “Hangman is good, but Mav is better.” みたいなことを言っていたことから、調子ではなく腕前と解釈すべきだろう。

 

総評

さすがにプロットが全部わかったうえで鑑賞すると、初回の興奮は消えてしまう。しかし逆に本作の映像的に優れた面により集中して鑑賞することができたように思う。すまじきものは宮仕えと言うが、サラリーマン社会よりも遥かに厳しい軍隊において、自分の美学=仲間を見捨てない、死なせないという思いを貫くマーヴェリックに、勇気をもらうオッサン連中は多いはず。さあ、オッサンたちよ。初回を一人で鑑賞したなら、次は前作を配信やレンタルで家族鑑賞だ。そして本作を家族で劇場鑑賞しようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

at the request of ~

「~のリクエストによって」の意。劇中では “You are here at the request of Admiral Kazansky, a.k.a. Iceman.” という形で使われていた。ネット掲示板ではしょっちゅう、This post was deleted at the request of the original poster. という風にも使われている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 トップガン マーヴェリック 』 -劇場再鑑賞-

『 トップガン マーヴェリック 』 -The sky is the limit-

Posted on 2022年5月29日2022年6月2日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点
2022年5月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー
監督:ジョセフ・コジンスキー

 

『 トップガン 』の続編。待ちに待たされた作品だが、This film is worth the wait! 前作の世界観を見事に受け継ぎ、人間ドラマとエンタメ性を高いレベルで融合させた。今年のベストと言っていいだろう。

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

 

以下、軽微なネタバレあり

ポジティブ・サイド

オープニングからF-18が空母から発艦していく圧巻の映像、それと共に流れる『 トップガン・アンセム 』が郷愁を誘いつつ飛翔も予感させる。そしてケニー・ロギンスの “Danger Zone” で一気に大空へと舞い上がる。これによって『 トップガン 』の世界が一挙に再構築された。『 スター・ウォーズ 』もテーマ音楽だけで一気にその世界に引き込まれるが、『 トップガン 』にもその力がある。また『 スター・ウォーズ 』同様に効果音も脳に刻み付けられている。一時期、”You can’t hear a picture” というミームが流行ったが、映像だけで戦闘機のエンジン音や滑空音が脳内で再生されるというトップガンのファンは多いのではないだろうか。

 

前作へのオマージュを随所にちりばめつつ、現代的な視点も盛り込まれている。ゲーム『 エースコンバット7 スカイズ・アンノウン 』が本作とのコラボ機体をリリースしたのは2019年だったが、思えばよくも待ったものである。ゲームと同じく現実世界でもドローンによる戦争が行われるようになってしまったが、それは取りも直さず人間が航空機に乗り込んでの操縦は不要になることを意味する。つまりパイロットはお払い箱である。そのことは『 エースコンバット6 解放への戦火 』や『 エースコンバット7 スカイズ・アンノウン 』といったゲームでもしきりに言及されていた。その人間不要論を見事に打ち破ったのが本作だと言える。

 

まず、トップガンが挑むミッションがまんまフライトシミュレーターのゲームのミッションそのものである。いや、ある意味ではゲームよりも難易度が高いミッションだろう。Jovianが一時期ハマっていた Ace Combat シリーズは渓谷などの狭いエリアを飛ぶ ミッションが恒例だったが、ゲームでこれをやれと言われても ( ゚Д゚)ハァ? と反応するだろう。下限速度が時速400ノットで上限高度が1000フィート、そして高G加速で山肌に沿って上昇し、背面飛行で下降に転じ、施設を精密爆撃せよというのだから。マスコミあるいは映画評論家は、ぜひ航空自衛隊、できればブルーインパルスのパイロットにこのミッションが達成可能かどうか尋ねてほしい。おそらく答えは否だろう。実際にトップガンの面々もバンバン Mission Failed を連発する。最早このミッションそのものがダメかと思われたところで、マーヴェリックが実演でミッションは achievable と証明するシークエンスは最高に痺れた。 

 

そこまでの過程でグースの息子、テラーとの確執も丹念に描かれる。マーヴェリックは序盤から何度か “Talk to me, Goose.” という例のセリフを口にするが、別離から30年を経てもグースが心の中にいることを観る側にしっかりと伝えてくる。息子のルースターがバーのピアノで “Great Balls of Fire” を熱唱するシーンには我あらず涙ぐんでしまった。こんな単純な演出で泣けてしまうとは、Jovianも年を取ったのかねえ・・・ 二人の間の因縁、そこに込められたマーヴェリックの思いの深さは、そのままグースが愛した者への思いの深さになっている。  

 

いざミッションへと飛び立つトップガンの面々。だが、ルースターは逡巡してしまう。まるで前作のマーヴェリックのように。しかし、やはりパイロットを奮い立たせるのは機体の性能ではなく人間の思いなのだということを、本作はここでも高らかに宣言する。ミッションを成功させ、いざ離脱という時に前作同様の悲劇が隊を襲う。マーヴェリックが文字通りに体を張ってルースターを救うシーンにも、やはり涙ぐんでしまった。なぜ自分はこんなに涙もろくなってしまったのか。そこから続く『 エネミー・ライン 』的な展開では「なんでそこにF-14があるの?」とは思ってしまうが、鹵獲された機体を分析・調査するためだと納得した。

 

最終盤のドッグファイトは前作以上の大迫力。 “It’s not the plane, it’s the pilot.” = 「大事なのは機体じゃない、パイロットなんだ」とマーヴェリックを鼓舞するルースターに胸アツにならずにいられようか。普通に考えれば1980年代のクルマと2010年代のクルマ、もしくは1980年代のコンピュータと2010年代のコンピュータで性能を比較すれば前者は絶対に後者に勝てない。実際にマーヴェリックの十八番であるコブラからのオーバーシュート戦法を上回る、クルビット機動でのミサイル回避を披露する敵側の第5世代戦闘機(まあ、Su-57だろう)を相手にド迫力の空戦が繰り広げられる。手に汗握るとはまさにこのこと。自動運転車や無人機が主流になっていく世の流れは変えられないが、それでも “But not today.” と言い切るマーヴェリックの姿に、人間の誇り、尊厳とは何であるのかを教えられた。紛れもない大傑作である。 

ネガティブ・サイド

チャーリーが出てこなかったのは何故なのか、ギャラで折り合わなかったのか。『 クリード 炎の宿敵 』でもブリジット・ニールセンを三十数年ぶりに出演させたことがドラマを一段と盛り上げた。ヴァル・キルマーだけではなくケリー・マクギリスも必要だった。

 

総評

文句なしの傑作である。オリジナルからの続編のクオリティの高さという点では『 エイリアン 』、『 エイリアン2 』に勝るとも劣らない。カメラワークなどは前作よりも進化しており、Jovianの前の座席に座っていた年配女性たちは「ホンマに自分でも飛んでるみたいやったわ」と感想を言い合っていた。劇場の入りは8割ほどで、年配組が多かったように見受けられたが、若い観客もそれなりにいた。ぜひ前作を鑑賞の上、トム・クルーズの雄姿をその目に焼き付けてほしい。そして人間不要となりつつある世の流れに雄々しく抗う人間ドラマ、人間賛歌を多くの人に味わっていただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll give you that.

この that はひとつ前の言葉の内容を指す。

A: ”Let’s study in the library.” 
B: “That’s a good idea.”

の that と同じ。実際の用例としては、

You’re a good tennis player. I’ll give you that. 
君は良いテニス選手だ、認めよう。

のように「~を認めよう」のような意味になる。相手は you に限らない。They are formidable fighter pilots. I’ll give them that. = 「あいつらは手ごわい戦闘機乗りだ、それは認めよう」のようにも言える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 トップガン マーヴェリック 』 -The sky is the limit-

『 エイリアン2 』 -SFアクションの極北-

Posted on 2022年4月13日 by cool-jupiter

エイリアン2 90点
2022年4月6日 レンタルDVD鑑賞
出演:シガニー・ウィーバー マイケル・ビーン ランス・ヘンリクセン
監督:ジェームズ・キャメロン 

 

『 エイリアン 』の続編。ホラー路線を継承しては前作を超えられないという判断か、思いっきりアクション方面に舵を切った。この判断は正解である。

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あらすじ

エイリアンとの死闘から57年後。クライオスリープから目覚めたリプリー(シガニー・ウィーバー)は、会社にエイリアンの話を信じてもらえず、逆にノストロモ号を爆破したことから尋問を受け、職務停止処分となる。しかし環境改良のために送り込まれたLV-426の植民団と通信が途絶。リプリーはアドバイザーという立場で屈強な海兵隊員たちと共に、再びLV-426を目指すが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

前作のタグラインは”In space, no one can hear you sream”(宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない)だったのが、今作では ”This time, it’s war”(今度は戦争だ)になったように、戦争映画の文法に非常に忠実に作られていると感じる。宇宙船スラコ号で、クルーがクライオスリープから目覚めてからLV-426に降下していくまではベトナム戦争映画か何かに見えるが、それがいちいち面白いのだ。まるで『 コマンドー 』や『 プレデター 』のように、面白 one-liner がポンポンと飛び出してくる。それが単に笑えるだけではなく、この海兵隊員たちの関係性(信頼関係や力関係)が浮き彫りになってくる。

 

”Hey, Vasquez. Have you ever been mistaken for a man?”

(おい、バスケス。男に間違えられたことあるか?)

“No. Have you?”

(ないよ。お前は?)

 

このシーンだけでバスケスのファンになってしまうし、ハドソンが面白キャラであることが存分に伝わってもくる。

 

本作はほとんどすべてのキャラクターが立っているのも特徴だ。トラッシュ・トーカーのハドソンはもちろん、女性ランボーと言っていいバスケス、典型的な鬼軍曹タイプのエイポーンに、経験不足の士官ゴーマンなど。結局は誰もが死ぬわけだが、その死に様が一人ひとり異なっていて味わいがある。最後の最後までマシンガントークのまま連れ去られるハドソンに、一瞬で殺されるエイポーン、へなちょこ士官でいつの間にかリプリーに指揮権を奪われるゴーマンが、負傷したバスケスを救うシーンは胸アツだし、そこから二人して自爆するのは感動的ですらある。それだけキャラに感情移入できるのである。

 

完全版ではスペースジョッキー(エンジニア)の不時着した宇宙船にたどり着いて、しっかりフェイスハガーをもらってくる父親と半狂乱の母を見て叫ぶニュートの悲鳴の鋭さよ。ホラー映画における女優の叫び声はもはやクリシェであるが、それでもニュートの悲鳴は群を抜いて観る側を不安にさせる力を持っている。他にも、サムズアップや敬礼など、セリフ以外でも印象的なシーンが多い。女優としては本作だけしか出演していないが、ハリウッド映画史に確実に爪痕を残した子役として語り継がれていくだろう。

 

だが白眉は何と言ってもリプリー。完全版では母親属性が追加され、ニュートとの絆がさらにアップ。またヒックスとの奇妙な連帯が、リプリーが探そうともしなかった夫との関係性をしのばせる。海兵隊員が一人また一人と脱落していく中、銃器を手にニュートの救出に向かう様、そしてクイーンエイリアンとの対面シーンは何度見ても息を呑む。劇場で当時リアルタイムで鑑賞した人は、本当に呼吸が止まったのではなかろうか。卵を焼き払い、ウォーリアーを蹴散らす様は、まさに女コマンドー。またスラコ号内でパワーローダーの乗ってクイーンと対峙する際にリプリーが言い放つ “Get away from her, you bitch!” (ニュートから離れろ、このクソアマめ!)というセリフが強烈な印象を残す。前作のマザーコンピュータへの ”You bitch!” と合わせて、まさに女の戦い、母と母の戦いである。 

 

クイーンの造形も見事としか言いようがない。黒光りしながら粘液を滴らせる巨体、産卵管から卵を産み落とすグロテスクさ、そしてビショップを真っ二つに引き裂く残虐性とパワー。映画史に残るスーパーヴィランと言っていいだろう。『 エイリアン 』で個人的に感じ入ったのはフェイスハガーの死体をアッシュが念入りに調べるシーン。CGではなく現実に存在するものをカメラに収めることでしか生み出せない質感というものが確かに存在する。クイーンは中に人間二人が中に入って動かし、その他の細かい動作は外部からリモートコントロールしていたそうだが、この技術はハリウッドで継承されているのだろうか。モスラやキングギドラのピアノ線による操演はもはやロスト・テクノロジーになっているが、このように実物を作って、人間が動かして、それをカメラに収めるという映画の技術は、しっかりと継承されてほしいと切に願う(その意味で『 JUNK HEAD 』の堀貴秀は奇人であり偉人である)。

 

『 エイリアン 』がSFとホラーの完璧なマリアージュだとすれば、『 エイリアン2 』はSFとアクションの完璧なマリアージュだと言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヒックスとリプリーがニュート救出のために奮闘するのはいいが、この疑似家族形成の過程においてヒックスは華々しく討ち死にするべきではなかったか。ウォーリアーと差し違えるか、あるいはビショップの次にクイーンに切り裂かれるなどすれば、リプリーから妻という属性が消え、母という属性がさらに強められたことだろう。

 

総評

3日間で4回観た。それぐらい楽しめた作品。ジェームズ・キャメロンは『 ターミネーター 』だけの one-hit wonder ではないことを本作で見事に証明した。闘う女性キャラと言えばエレン・リプリーか、それともサラ・コナーか、ってなもんである。とにかく緊張の糸が張りつめっぱなしだが、そこかしこに海兵隊員特有のユーモアやキャラクター同士のケミストリーが感じられ、一度見始めると止められない。CGではなく手作りのプロダクション・デザインの奥深さやキャラの魅力など、何度でも鑑賞できる大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get back on the horse

直訳すれば「馬の背に戻る」ということで「落馬しても、もう一度トライしろ」、つまり「失敗しても、もう一度頑張れ」という意味の慣用句。クリストファー・リーブを思い起こすと言いづらいが、フロンティア・スピリットを感じさせる言葉ではある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, S Rank, SF, アクション, アメリカ, シガニー・ウィーバー, マイケル・ビーン, ランス・ヘンリクセン, 監督:ジェームズ・キャメロン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン2 』 -SFアクションの極北-

『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

Posted on 2022年4月10日 by cool-jupiter

エイリアン 90点
2022年4月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シガニー・ウィーバー トム・スケリット 
監督:リドリー・スコット

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小学生の頃に親父とVHSで観た。その後も何度か観た記憶があるが、とにかくチェスト・バスターのシーンが強烈すぎて、まともに観られなかったことだけはよく覚えている。同時期に確かジェフ・ゴールドブラム主演の『 ザ・フライ 』もテレビか何かで観て、そちらも小学生にはトラウマだった。今回、あらためて本作を鑑賞して、大傑作である。『 プロメテウス 』、『 エイリアン: コヴェナント 』の流れでこの古典的傑作をレンタル。大学の新年度開講前という超絶繁忙期だが、repeat viewingしてしまった。

 

あらすじ

貨物船ノストロモ号は謎の信号を受信、クルーは惑星LV-426に向かう。異星文明の宇宙船内部でクルーの一人が謎の生物に襲われ昏睡状態に。回復したかに見えたクルーの胸部からエイリアンが誕生。航海士リプリー(シガニー・ウィーバー)たちはエイリアンの駆除に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の宇宙船のシーンは『 スター・ウォーズ 』そっくりだが、これは両者が『 2001年宇宙の旅 』に強烈にインスパイアされているからだ。宇宙とは未知の空間で、未知であることは恐怖あるいは畏怖の対象になる。エイリアンという存在が恐怖の成分を完璧なまでに体現しており、宇宙船という典型的なSFのガジェットが、嵐の山荘や絶海の孤島といったクローズド・サークルになっており、そのことがミステリ要素とホラー要素をこれでもかというぐらいに際立たせている。

 

その宇宙船の造形は内部も外部も完璧である。CGでは出せない質感がありありと感じられ、それが物語の迫真性を大いに高めている。またLV-426に不時着している異星文明による宇宙船のあまりにも不吉すぎる外観と内部も、ホラー映画としての本作の価値を高めている。特にスペースジョッキーの謎のミイラは、死体発見=ミステリという定石通り。そこからフーダニットを否応なく考えさせられるが、本作は謎を謎のままに徹底したホラー路線へ舵を切ることで宇宙の神秘と恐怖を一挙に増幅させた。

 

1970年代といえば『 スター・ウォーズ 』と同世代。つまりCGなどなかった時代。だが、フェイス・ハガーやチェスト・バスター、ビッグチャップの造形も息を呑むほどのおぞましさ=素晴らしさ。H・R・ギーガーが手がけたこれらのデザインが構成に及ぼした影響は枚挙にいとまがない。Jovianの世代であればゲームの『 メトロイド 』が一例だし、もっとメジャーなところで言えば漫画『 ドラゴンボールZ 』のフリーザの第3形態もゼノモーフをモチーフにしていることは疑いようがない(鳥山明の作品は様々な古典映画の intertextuality の見本市である)。このエイリアンの造形の巧みさが「怖い、見たくない」と「怖い、けどもっと見たい」という二律背反の欲求を呼び起こす。

 

このエイリアンが、一人また一人とクルーを殺戮していくシーンは、ホラー映画の文法に非常に忠実。宇宙そして宇宙船という環境で怪物が人間を殺していくというのは、言葉にすると陳腐もしくはギャグに感じられるが、それらが完璧なマリアージュを果たすとこれほどの傑作になるのだと証明したリドリー・スコットの功績は果てしない。

 

アンドロイドと船を統括するマザーという人工知能の存在も、現代の視点からは逆に新鮮に映る。人工知能が人間をリードし、人間がその助言や指令を受け入れるという世界観は確実に浸透しつつある。チェスや将棋の世界ではAI無しには研究はもはや成り立たない。医学や天文学の分野でもデータ分析や画像解析はAIの独擅場である。電車や自動車でも自動運転に実現の目途が立ちつつあり、船や飛行機、さらには宇宙船も時間の問題だろう。

 

アンドロイドのアッシュの一種の反乱は、政府ではなく超巨大企業が世界を牛耳るようになりつつある現代の延長線上の近未来への警告と受け取れなくもない。また個人的にいたく感心したのが、リプリーがノストロモ号のマザーコンピュータに”You, bitch!”と叫ぶシーン。母 vs 母 という構図は『 エイリアン2 』のものだと思っていたが、実は本作の時点でそうした対決の萌芽が見られていた。これを見事に引き継いだJ・キャメロンには流石である。

 

これを映画館で観られた人が羨ましい。Jovianが生まれた年に公開された作品だが、どこかでリバイバル上映してくれないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

会社の指令でLV-426に降り立つわけだが、そのことをウェイランド社に報告する様子がない。また、ジョン・ハートが最初に死んだ時にも会社に報告する必要があるのではないだろうか。

 

総評

『 エイリアン 』シリーズをひとつも観たことがなくても、エイリアンと聞けばグロテスクな宇宙生物をイメージする人は多いだろう。それが本作の持つ影響力の大きさである。事実かどうかは定かではないが、外国人登録の訳語として Alien Registration が使われていたが、本作公開後に一部の自治体では Foreign Registration に変えた、という話を聞いたことがある。 とにかく様々なジャンルのメディアに計り知れない影響を及ぼしたのである。コロナ禍の原因、それに対する一つの実験的対処として本作を鑑賞することも可能である。時代を超えた名作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

quarantine

「隔離」「検疫」の意。2020年以降に最も知られるようになった語彙の一つだろう。元々はラテン語の quadraginta = 40 から来ている。Valentine(ヴァレンタイン)とつづりが似ているが、発音はクウォランティーンである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, S Rank, SF, アメリカ, シガニー・ウィーバー, トム・スケリット, ホラー, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

Posted on 2022年3月6日 by cool-jupiter

ロミオとジュリエット 95点
2022年3月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング
監督:フランコ・ゼフィレッリ

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『 ウェスト・サイド・ストーリー 』および『 ウェスト・サイド物語 』の元ネタである,

シェークスピアの名作『 ロミオとジュリエット 』。いくつかある映画化作品の中でも、おそらく本作が最も完成度が高いだろう。中学2年の時に初めてVHSで観て衝撃を受けたし、大学生の頃にも3回ぐらい観た。久しぶりに再鑑賞したが、間違いなく timeless classic である。

 

あらすじ

イタリアのベローナ。モンタギューとキャピュレットの両家は不和で、街では家中の者同士が騒乱を引き起こしていた。モンタギューの一人息子のロミオ(レナード・ホワイティング)はキャピュレットの舞踏会に潜入、そこで一人娘のジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と出会う。二人は一瞬にして激しい恋に落ちるが・・・

 

ポジティブ・サイド

プロダクションデザインが出色。中世イタリアの雰囲気がよく出ている。日本の古き良き時代劇も例外なく街並みや屋敷や衣服や調度品が真に迫っているが、本作におけるそれらの再現度の高さは素晴らしかったと感じる。

 

主演の二人も輝かしかった。レナード・ホワイティングは本作以外ではさっぱりで、まるでマーク・ハミルのようだ。しかし、それだけ強烈なインパクトを与えたとも言える。仲間が喧嘩で流血しているというのに、一人で街はずれの森を優雅に闊歩しながら恋煩いをこじらせる。それもこれも、ジュリエットに一目惚れして総てがバラ色に。しかし、親友のマキューシオの死にはちゃんと激昂する。若気の無分別と辞書で引けば、例としてロミオ・モンタギューが出てきそうである。ロミオについて特筆すべきは、イケメンでありながらイケメンの余裕が全くないところだろう。シェークスピアは同時代人であるフランシス・ベーコンの格言、”It is impossible to love and to be wise.” を知っていたのだろう(二人が同一人物という説をJovianは取らない)。10代男子の頭の中の80%は異性への興味で、その興味の95%は肉欲、性欲だ。日本の漫画原作の青春恋愛ものの多くは何とかの一つ覚えのごとく学園祭の出し物で『 ロミオとジュリエット 』を上演するが、ロミオ=単なるイケメンであり、そのアホっぷりにフォーカスできていない。このロミオの恋は盲目、恋をしながら賢いままではいられないという人間の普遍的な在り方が限りなくリアルに感じられた。

 

オリヴィア・ハッセーも初めてVHSで観た時は雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えている。それまでは『 ネバーエンディング・ストーリー 』の幼ごころの君の大ファンだったJovian少年は、この瞬間からオリヴィア・ハッセー/ジュリエットがアイドルになった。くるくる変わる表情に清楚をにじませるたたずまい、けれど舞踏会の場でロミオを焦らす様には百戦錬磨のような雰囲気も醸し出す、今風の言葉で言えば年下のお姉さんキャラ。それでも乳母や母の前では、年齢相応の幼さが前面に出てきていた。フランコ・ゼフィレッリ監督はよくここまで演出できたなと感心させられる。撮影時に15~16歳だったらしいが、一瞬とはいえトップレスを見せるというのも素晴らしい女優魂だと思う。

 

アクロバティックなカメラワークが技術的に不可能な時代だが、その代わりにカメラと役者の距離感が絶品。冒頭のちょっとしたいざこざから大きなケンカに発展する流れのスムーズさは『 ウェスト・サイド物語 』の prologue に負けず劣らずの出来。またティボルトとマキューシオの決闘の馬鹿馬鹿しさと深刻さの同居は、それこそキャピュレットとモンタギューが反目すること自体の馬鹿馬鹿しさと深刻さの表れで、それを傍観者視点と当事者視点が入り混じるように撮影したのは上手いと感じた。マキューシオの役者は、舞台俳優がそのままスクリーンに再現されたようで素晴らしかった。出てくるたびに場を自分のものにしてしまう。フィルムの時代なので、気軽に撮ってその場で編集できたわけでもない。なので、セリフから動きまでを完全にマスターしておく必要がある。マキューシオ役をはじめ、舞台のバックグラウンドを持った役者が多く出演していたのだろう。カメラ・オペレーターと役者が互いの仕事を理解しながら各シーンを生み出していったことが窺える。

 

ロミオとティボルトの決闘シーンも真に迫っていた。途中で上着を脱いだり、土埃を浴びるシーンがあるが、すべてのシーンが linear に撮影されていたので臨場感があったし、ワンカットがかなり長かった。BGMのない決闘シーンは『 アジョシ 』のラストのナイフバトルを彷彿させた。壁や階段から落ちるシーンもあり、どれくらいリハーサルが可能だったのだろうか。スローモーションや派手なBGMで乱闘シーンを誤魔化す多くの現代映画は、もっと役者への演出で臨場感を生み出せるということを知るべきだと思う。

 

そうはいっても音楽の力も重要で、本作で言えばニーノ・ロータの ”Love Theme” が要所で流れる。それが 物悲しさや儚さを感じさせる。また舞踏会で歌われる “What is a youth?” の歌詞が物語全体の通奏低音になっている。この楽曲と物語が完璧に合っていて、映画のレベルをさらに一段上げている。フランコ・ゼフィレッリとニーノ・ロータのペアは、G・ルーカスとJ・ウィリアムズ、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネのような組み合わせだと評して良いと思っている。 

 

ロレンス神父やジュリエットの乳母など、脇を固めるキャラクターにも血肉が通っている。二人ともロミオやジュリエットの幸福を祈って行動するが、些細な誤解やすれ違い、思いの違いから悲劇に至る。特に乳母がジュリエットにロミオを見限るように諭すシーンは衝撃的である。乳母の一種の裏切り行為は、ティボルトを失い、ロミオまで追放されてしまったジュリエットにとってはこの世に未練などなくなってもおかしくない。誰も悪など目指していない。ただ憎い相手がいる。しかし、それは個人ではなく家名である。家名は記号であって、実体ではない。ジュリエットの発する “What’s in a name?” という問いは、現代なら “What’s in a nationality?” や “What’s in a color of skin?” 、”What’s in a gender?” などとも言い換えられるだろう。悲恋の物語の最も成功した映画化というだけではなく、20世紀の古典と言っても良い傑作だろう。

 

ネガティブ・サイド

ロレンス神父はジュリエットに「42時間で目覚める」と伝えていたが、夜の9時あるいは10時に服毒したとして、目覚めるのは夕方の5時あるいは6時。ところが実際にジュリエットが目覚めたのは真夜中。薬の効き目にはブレがあって当然とはいえ、ここだけはフランコ・ゼフィレッリ監督の責に帰さなけれなならない。

 

総評

シェークスピアが天才的だなと思うのは、非常に小さな世界の小さな出来事を、これほどドラマチックに、かつ普遍的な事象として描き切ったこと。フランコ・ゼフィレッリは自ら脚本も手掛け、監督として若い二人の演出にも腐心しただろうが、その苦労は実った。This timeless classic will stand the test of time forever. 教育者の端くれがこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、日本の中学高校のカリキュラムにヘッセの『 デミアン 』と『 車輪の下 』を読むこと、そして『 ロミオとジュリエット 』を鑑賞することを組み込んでほしい。それほど若い世代こそ観るべき傑作に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a Capulet

キャピュレット家の一員の意。有名なバルコニーのシーンでのジュリエットがロミオに「モンタギューの名前を捨てて」と独り言ちて、”Then I’ll no longer be a Capulet.” = そうすれば私もキャピュレット家の者であることをやめる、と続く。「a + 固有名詞」は色々な用法があるが、英語を教える仕事に従事する人以外は「そんなのがあるのか」ぐらいの意識でよい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イギリス, イタリア, オリヴィア・ハッセー, ラブロマンス, レナード・ホワイティング, 監督:フランコ・ゼフィレッリLeave a Comment on 『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

『 もののけ姫 』 -日本アニメ映画の最高峰の一角-

Posted on 2020年7月27日 by cool-jupiter

もののけ姫 90点
2020年7月25日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:松田洋治 石田ゆり子
監督:宮崎駿

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確か高3の夏に最初はメルパルク岡山で観た。その後、神戸の駿台予備校に通いながら、神戸国際会館で5回ぐらい観たと記憶している。それぐらいの衝撃作だった。宮崎駿の狂暴なまでのメッセージは、当時も今も健在である。

 

あらすじ

東国の勇者アシタカ(松田洋治)は、村を襲ったタタリ神を討ち、呪いをもらってしまった。掟に従い村を去ったアシタカは、呪いを解く術を求めて西国に旅立つ。その旅先で、森を切り拓き、鉄を作るたたら場とそこに生きる人々、そして山犬と共に生きる少女サン(石田ゆり子)と出会う・・・

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ポジティブ・サイド

宮崎駿作品全般に言えることであるが、やはり映像が素晴らしく美しい。森、山、川、空、雲のいずれもが、独自の色彩を持っている。Jovianの嫁さんは「日本の森や山に見えない」と言っていたが、それはたぶん間違い。室町時代あたりの日本の山川草木は、本作に描かれているようなものだったはず。戦後の植林政策などで人為的に作り出された山や森ではない姿が確かにそこにあった。特に昼なお暗く、シダ植物や地衣類が旺盛に繁茂するシシ神の森には、元始の日本を強く意識させられた。また、これから劇場やDVDなどで鑑賞する人は、アシタカがヤックルに乗って疾走するシーンの背景の森に注目してほしい。緑一色と効果線だけで済ませてしまってよいところだが、この細部へのこだわりが宮崎駿のプロフェッショナリズムであり、なおかつ本当に表現したいものの一つであったことは疑いようがない。

 

久石譲のサウンドトラックもパーフェクト。Jovianは高3の冬に神戸で久石譲のコンサートに行ったが、そこで最も感銘を受けたのは『 ソナチネ 』の“Sonatine I”(久石本人も「我々が最も得意にしている」と語っていた)と“アシタカせっ記”だった。『 風の谷のナウシカ 』の疾走感と浮遊感溢れるサントラとは対照的に、地の底から響いてくるようなコントラバスとドラムが通奏低音になり、弦楽器がアシタカの旅に悲壮感と勇壮感を与えている。宮崎駿と久石譲は、日本のセルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネであると評しても良いだろう。

 

宮崎アニメにしては珍しい Boy Meets Girl なストーリーと言えるが、甘ったるいロマンスなどは存在しない。あるのは人間の業への飽くなき思索である。『 風の谷のナウシカ 』では語られるのみで描かれることがなかった、“火”と“水と風”のコントラストが本作では描かれる。火の力によって鉄を作り出す人間が、その火をもって太古からの神々を焼き払う。人間の叡智を、これは正しく使えているのだろうか?しかし、その火を使わなければ生きていけない、自衛もできないというたたら場の現実を無視できるのか。一方で、もののけ姫サンとエボシ御前の一騎討ちを取り囲んで「殺せ!」と連呼するたたら場の民。そして、そのたたら場の隙をついて来襲する地侍。人の優しさや温かさではなく人の醜さや汚さを真正面から描く本作は、子ども向きとは言い難いが、それこそが宮崎駿が時代を超えて子どもに見てほしいと感じていることである。

 

本作も公開から20年以上が経過しても全く古くなっていない。それは映像や音楽の素晴らしさ以上に、本作が描く数々のテーマによる。例えば、世界的な政治のテーマとなっているものに“分断”がある。本作に描かれる森の精たちは決して一枚岩ではない。猪や猩々、山犬らは一致団結ができない。人間同士が争う世界は珍しくも何ともないが、人間と激しく対立する神々や動物が団結できないというのは何と象徴的であることか。そのような世界観の中、人間にもなれず山犬でもないサンと流浪の異邦人であるアシタカの関係の、なんと遠くて近いことか。この二人が清いかと言われれば決してそうではない。アシタカは呪われた身で、いかに英雄的に振る舞おうとも、憎しみと恨みにその身をゆだねる瞬間があるし、サンも悲しみと怒りを隠すことがない。けれど、それもまた人の姿ではないのか。アシタカの右手にわずかに残る呪いの痣に、負の感情は決して消えることは無いという人間の業を垣間見たように思うし、サンの言う「アシタカは好きだが、人間は許せない」というセリフもそれを裏付けている。

 

公開当時はタタリ神をエイズやエボラ出血熱の象徴であると感じていたし、今もそれは変わらない。そこにCOVID-19が加わって来たのかなと思う。一方で、シシ神の生首を欲する帝や師匠連というのは、特効薬やワクチンを欲しがる上級国民の謂いなのかとも感じたし、荒ぶるデイダラボッチはまさに森を切り拓きすぎたがために解き放たれた致死性病原体なのかと思った。コロナの思わぬ副産物として世界各国の環境改善が報じられているが、そうした文脈から本作を再評価・再解釈することもできそうだ。

 

人間の業の深さと自然界との距離、そして他者との共生。圧倒的なスケールの映像と音楽でこうした問いとメッセージを放つ本作を劇場で鑑賞せず、どうするのか。これは現代の古典となるべき名作である。

 

ネガティブ・サイド

宮崎駿のポリシーなのだから仕方がないが、石田ゆり子のサン役はかなり無理がある。強い声が出せないし、感情がイマイチ乗っていない。

 

エボシの庭にいるハンセン病患者たちの長の台詞に、もっと余韻を持たせるべきだ。ナウシカがじい達の手を「きれいな手」と言うところからさらに踏み込んで、「腐った手を握ってくれる」というエボシ御前の行為の持つ意味は大きい。自然を破壊する一方で、穢れとされる存在を内包するたたら場、それを率いるエボシの業を物語る重要な場面なのだから。

 

総評

『 風の谷のナウシカ 』と並んで、宮崎駿の天才性を証明する作品である。『 響 -HIBIKI- 』にも見られたように、天才は社会性をまとわない。宮崎自身はかなり偏屈なじいさんで、スタッフの心をへし折るような発言をすることもしばしばであると言われる。だからといって、その作品に社会性や娯楽性がないわけではない。異民族、動植物、神々との共生。これはそっくりそのまま現代にも当てはまる、というよりも20年前と比べれば、現代にこそ当てはまるテーマである。ショッキングなシーンも多い作品であるが、小学校の低学年ぐらいから鑑賞させてもよい。保護者の皆さんは夏休みにはお子さんを可能な限り劇場に連れて行ってあげてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get in one’s way

アシタカが何度か言う「押し通る、邪魔するな!」の後半、「邪魔する」の意味である。しばしば、Don’t get in my way. = 俺の道に入って来るな=俺の邪魔をするな、と命令形で使われる。仕事に集中している時にいきなり電話が鳴ったりした時、自宅でテレワーク中にいきなり呼び鈴が鳴った時などに“Don’t get in my way.”と心の中で悪態をつこう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, S Rank, アニメ, ファンタジー, 日本, 松田洋治, 歴史, 監督:宮崎駿, 石田ゆり子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 もののけ姫 』 -日本アニメ映画の最高峰の一角-

『 風の谷のナウシカ 』 -日本アニメ映画の最高峰の一つ-

Posted on 2020年7月19日 by cool-jupiter

風の谷のナウシカ 90点
2020年7月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:島本須美 榊原良子
監督:宮崎駿

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たしか初めて観たのは小学2年生の時、学校の体育館でだった。その後もテレビのロードショーで何度か観たし、大学の寮で留学生たちと一緒にも観た。おそらくそれが最後の鑑賞だった。今回はおよそ20年ぶりの鑑賞となる。ごく最近、駄作を観てしまったがために、どうしても口直しが必要だった。劇場の大画面で鑑賞して、あらためて本作は傑作だと再確認できた。

 

あらすじ

世界を焼き尽くした「火の七日間」から1000年。人類は、腐海と虫に脅かされながら生きていた。風の谷の姫ナウシカは、メーヴェを駆って、腐海を巡り、世界の真実を探求していた。だが、列国は貧困と恐怖の中でも戦争を行っていた。そしてナウシカと風の谷も、否応なくその戦いに巻き込まれていく・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200719012200j:plain
 

ポジティブ・サイド

30年以上前の作品であるにも関わらず、そのテーマの現代性に驚かされる。一つには、行き過ぎた技術文明への警鐘があり、もう一つには大自然が人類を脅かすことである。小説家の新城カズマに言わせれば「SF作品とは、人類と文明の遠近法」だが、その意味では1980年代のSFは、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』といったロボットものか、そうでなければスペース・オペラまたはスペース・ファンタジーだった。中には『 ブレードランナー 』のような異色作もあったが、そこにあるのは人間が「機械」を見る眼差しだった。本作はそこに「生命」を見出している。腐海という、一見すれば究極のディストピアを、単なる恐怖や脅威の領域ではなく、ある大きな仕組みの一部として見ている。そこが非常に独特で、宮崎駿の異能あるいは異端さが際立っている。

 

本作は様々な戦争作品を取り入れつつも、それ自体が全く新しいジャンルを切り拓いたという点でも、日本映画史に残る作品である。巨神兵という、一見すれば『 ゴジラ 』にインスパイアされたように見えるモンスターが、その後の『 新世紀エヴァンゲリオン 』をインスパイアした点も興味深い。1980年代のゴジラと言えば、『 ゴジラ(1984) 』が本作と関連が深い。内容が、ではなく背景がである。オープニングでユパが探索している村に降る胞子は、どうしても核戦争後の「死の灰」を我々に想起させる。『 ゴジラ(1984) 』ではゴジラが原発を破壊し、そして日本の上空で核爆発が起きる。腐海の瘴気=放射能と見るのはいとも容易い。そして、COVID-19の第二波または第一波の揺り返しに遭っている現代日本では、もはや必携アイテムになってしまったマスクが本作では重要なガジェットになっている。世界観に普遍性があるのだ。「姫様、マスクをしてくだされ、死んじまうー!」という爺さんたちの叫びは、ブラックジョークにも悲痛な叫びにも聞こえる。時代を超えたユーモアがあり、恐怖感もあるのだ。時代と時代、ジャンルとジャンルの結節点である本作らしいと言えはしないか。

 

本作を傑作たらしめている最大の要因は、やはり主人公のナウシカのカリスマ性だろう。20年ぶりに観て、その戦闘力や指導力、カリスマ性、英知、博愛の精神に打ちのめされた。「お姫様」という存在は、基本的に王または王子なしには無力な存在である。宮崎駿はそこをひっくり返した。病に倒れた王ではなく、その娘のナウシカこそが風の谷の事実上の王である。そして指導者たる王が肉体労働を厭わず、自己犠牲に躊躇しない。国民が姫、あるいは王族の姿を見て結束、連帯する、あるいは分断、抗争していくのは世の常。それは上皇后・美智子様への国民的な感情と、親王妃・紀子様、あるいはJovianの後輩にあたる眞子内親王や佳子内親王への国民的な感情を比較してみれば分かる。2010年代のハリウッドが「機は熟した」とばかりに、優秀な“女性”にフォーカスした作品を陸続と送り出してきたが、それはほとんど『 ドリーム 』のような歴史に埋もれていた女性たちの物語だった。ナウシカのように、誰かに構想されたキャラクターはいなかった。ここでもクリエイターとしての宮崎駿の天才性が見える。もちろん、他キャラも素晴らしい。苛烈なクシャナとどこか憎めないクロトワの名コンビに、風の谷の爺さん連中、そしてよく働く子どもたちも強く印象に残る。

 

今の若い世代、10代の中学生や高校生は本作のアニメーションを見て、どのような感想を抱くのだろうか。「場面によってはあまり動かない絵があるな」とか、「画質が粗いな」と感じるのだろうか。一応説明しておくと、これは全て手描きのアニメーションなのだ。美しいかどうか、精巧かどうかという点で現代のアニメ映画、たとえば『 ウォーリー 』などとは比較にならない。だが、作画に注ぎ込まれたエネルギーの総量は決して負けていないのである。昨年(2019年)に放火被害に遭った京アニはジブリ作品にも深く関わってきたのである。

 

音楽も素晴らしい。宮崎駿作品と中期までの北野武作品には久石譲の音楽が欠かせないが、宮崎と久石のコラボとは、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネが組む、あるいはジョージ・ルーカスとジョン・ウィリアムズが組むようなものである。特にナウシカの飛ぶシーンのBGMが最高に情景にマッチしている。また効果音を聞き逃せない。『 スター・ウォーズ 』のミレニアム・ファルコン号やTIEファイターの飛行音、またライトセイバーのヴゥンという効果音は、そのオブジェそのものと不可分になっているが、本作ではメーヴェがそれにあたる。「飛ぶ」という行為を、視覚的にだけではなく聴覚的にも表現した宮崎の大いなる勝利である。

 

物語の内容と展開にも文句のつけようがない。劇作の基本として、物語には、キャラクターによって動かされるものと状況によって動かされるものに大別される。本作はその両方がパーフェクトなバランスで使われている。ナウシカは常に点から点へとせわしなく動くが、それは彼女自身の意思と、状況に応じた柔軟な判断である。同時に、彼女の意思とは無関係な他国の侵略や他国間の戦争によってでもある。ナウシカという万能に近い主人公が、状況をコントールしながらも状況に翻弄される。そのバランスが絶妙としか言いようがない。ストーリーの内容だけではなく、ストーリーの構成や展開も完璧である。

 

ネガティブ・サイド

ユパが「良い名を贈らせてもらう」と言った赤ちゃんの名前は結局どうなったのか。

 

巨神兵を積載したトルメキアの大型艦は、過積載で風の谷に墜落したが、それではそもそもどうやって離陸したのだろうか。他の航空機にえい航されながら滑走および離陸をしたとでも言うのか。また、蟲に襲われていたが、その蟲たちもどこで拾ってきたのだろうか。ウシアブは空を飛べるから分かるが、小型王蟲のような飛べなさそう蟲が船体に張り付いていたのは不可解だった。

 

声優陣はさすがの仕事ぶりだったが、唯一アスベルの声だけは、素人っぽく聞こえた。

 

総評

問答無用の大傑作である。小中高校生は、夏休みの宿題として本作を観るようにと各学校がお達しを出してもよいくらいである。三密を満たさないように、それこそ体育館で各学校で一日中、上映してもよい。宮崎駿がこれだけヒット作を連発できるということは商業性や大衆性というものをよく理解している証拠だが、一方で異能性や天才性も併せ持っている。ぶっちゃけた言い方をすれば、黒澤明や小津安二郎に並ぶクリエイターであると言っても良い。岩井俊二や是枝裕和は、まだ宮崎駿には及ばないというのがJovianの勝手な私見である。その宮崎の作品の中でも本作は一、二を争うクオリティである。親や祖父母は子や孫を是非とも映画館に連れて行ってあげてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

Please put on the mask!

put on ~ = ~を身に着ける、の意である。対して(文脈にもよるが)、Wear a mask. は「普段からマスクを着用せよ」の意になる。日本の英語学習者はしばしばPlease relax. =どうぞおくつろぎください、のように言ってしまうが、Pleaseを頭につける命令文というのは、(これも文脈や口調によるが)かなり切羽詰まって聞こえる。「頼むからリラックスしてくれ」のような感じである。その意味で「姫様、マスクをしてくだされ」の英訳にはPleaseをつけるのがふさわしい。

 

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『 母なる証明 』 -女は弱し、されど母は強し-

Posted on 2020年2月17日2020年9月27日 by cool-jupiter

母なる証明 90点
2020年2月16日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘジャ ウォンビン
監督:ポン・ジュノ

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『 スノーピアサー 』に続いて、シネマート心斎橋にて鑑賞。これも以前にWOWOWで観たんだったか。しかし、再度の鑑賞をしてみると違った風景が見えてくる。これが再鑑賞の面白いところ。

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あらすじ

軽度の知的障がいを持つトジュン(ウォンビン)は、近所の女子高生の殺害容疑で警察に逮捕されてしまった。母(キム・ヘジャ)は息子の無実を証明すべく、独りきりで事件を調査していくが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭のEstablishing Shotの美しさよ。乾いた空気の草原に木が一本だけ佇立している。その向こうには林があり、外界の視線からは完全に遮断されている。その場で踊り始める母の姿は『 ジョーカー 』のトイレでダンス・シーンを思い起こさせた。『 ジョジョ・ラビット 』のエルサの言葉を借りるまでもなく、ダンスとは自己表現である。無表情で踊る母の姿に、我々は虚無感と歓喜の両方を見出す。非常に美しく、そして示唆的なオープニングである。

 

母親が息子のために孤軍奮闘、奔走する様は『 ベン・イズ・バック 』のジュリア・ロバーツが神がかり的な演技を見せたが、本作のキム・ヘジャはそれに勝るとも劣らないパフォーマンスを披露してくれた。この母親、名前がない。いや、あるはずだが、それが劇中で呼ばれることは一切ない。名前が呼ばれないキャラクターは時々いる。『 用心棒 』の三船敏郎や『 荒野の用心棒 』、『 夕陽のガンマン 』、『 続・夕陽のガンマン 』のクリント・イーストウッドらがそれである。彼らにも名前はあるが、それらは便宜上のもので、そこに本質的な意味はない。「名は体を表す」と言うが、名が無い者は行動で体を表すしかない。その恐るべき行動力で、役立たずの警察や弁護士を振り切り、韓国社会の一種の闇に切り込んでいく。キム・ヘジャ演じる“母”が『 ベン・イズ・バック 』のジュリア・ロバーツに勝ると思われる点は、母なき者に涙を流すことができるところである。ジュリア・ロバーツは我が子ではない他人を容赦なく、躊躇なく地獄に落とすような真似をするが、この母は母親としての普遍的な情を持っている。それが良いか悪いかは別にして、「女は弱し、されは母は強し」を実現し、そして実践している。

 

本作は様々なシーンが伏線であり、重要な前振りとなっている。特に冒頭のダンス・シーンの直後の「血」は、単純ではあるが、強力な伏線である。ミステリ要素が強く、まるで邦画『 二重生活 』のようなシーンもある(というか、『 二重生活 』の一部シーンが本作にインスパイアされた可能性があると言うべきか)。非常に基本的なことであるが、伏線にはインパクトが必要で、ポン・ジュノ監督はそれを反復という形で表現する。本作における「血」に代表される一連のモチーフは、さりげなく、しかし周到に張り巡らされている。ミステリ愛好家も納得させうる構成になっていると感じる。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』と同じく、本作も途中でトーンがガラリと変わる。ミステリ/サスペンスだったはずが、ある瞬間がホラーなのである。特にトジュンとアジョンの遭遇シーンの闇。闇とは不思議なもので、実体がない、単に光が欠如した空間であるにも関わらず、圧倒的な存在感を持つことがある。『 パラサイト 半地下の家族 』でも、壁の向こうには闇が広がっていた。同じく、懐中電灯に照らし出される老婆のシーンもホラーである。2019年に邦画は『 貞子 』を送り出し、訳の分からん老婆をガジェットとして配置するだけの一方で、韓国映画界はそのさらに10年前に、ホラー映画ではないのに並みのホラー映画以上に怖い演出を生み出している。いつも間にどうやってこのような差がついたのか。

 

ポン・ジュノ監督の特徴に中盤で映画の様相がガラッと変わるというものがあるが、同時にこの監督は自らの作品の随所に社会的なメッセージを込めてくるという特徴もある。10年以上前の映画なので同時代的なレビューはできないが、それでもトジュンや母が暮らす街がアーバン・スプロール化現象の先端部にあることは分かる。トジュンの悪友ジンテや廃品回収業者の男の住居などは、その最先端部だろう。まるで『 ボーダーライン 』のとあるメキシコの町のように、無秩序が支配する空間である。殺害された少女アジョンを巡る人間関係の混沌が、居住空間の混沌と不可思議なフラクタルを形成している。ポン・ジュノ監督の社会への透徹した眼差しを、ここに見て取ることができる。

 

『 ジョーカー 』に通じる(というか、『 ジョーカー 』が受け継いだ)ダンスで始まり、さらにダンスで終わるこのエンディングは、善悪の彼岸を超越した境地に母という存在があることを示しているかのようだ。夕陽に照らされ、踊り狂う数々の黒のシルエットを通じて見えてくるのは、個としての母ではなく、象徴としての母なのか。英語に“Like father, like son.”という諺があるが、“Like mother, like son.”とも言えそうである。母とは、子を産んでこそ母で、トジュンという、これまた善悪の彼岸にあるかのような、ある意味でとても純粋無垢な存在の無邪気さに、我々は怖気を震うのである。母はあの鍼で何を忘れようとし、そして忘れたのか。本作を観る者は、等しくその思考の陥穽に落ちることだろう。何と気持ち悪く、そして心地よい感覚であることか!

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ネガティブ・サイド

真相の描写がややアンフェアであると感じた。「あのシーン、実はこうだったんです」と後から言われても、納得しがたい。もっとボカした描写も追求できたのではないだろうか。

 

ジンテとミナのセックスシーンは眼福だったが、あれは母の位置から見たものだったのだろうか?カメラアングルを母の目線のそれに合わせれば、よりスリリングで背徳感のある絵が取れたと思うのだが。

 

トジュンの元同級生の刑事が、どこまでもうざったい。最後に「真犯人を捕まえた」と母に報告に来るシーンでも、普通ならもっと神妙になってしかるべきではないか。我が国の警察の人権意識や冤罪への注意の度合いはこんなに低いですよ、というポン・ジュノ監督のメッセージなのかもしれない。だが、シリアスさを増していくばかりの終盤の展開ではノイズのように感じられた。

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総評

これは大傑作である。『 パラサイト 半地下の家族 』よりも面白さでは上であると感じる。細部の記憶があいまいになった状態で再鑑賞したことで、ところどころでトジュン的な気分も味わうことができた。ポン・ジュノ監督は、そこまで計算して本作を作り上げたのだろうか。二度目に鑑賞することで、印象がガラリと変わる作品というのは稀にしか巡り合えない。本作は間違いなくその稀な一本である。

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Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン 

チンチャ

本当、の意である。劇中で何度か「チンチャ」と聞こえてきた。日本語と同じように形容詞や副詞として使われているのだろうか。最近の10代の間では「チンチャそれな」というような日韓チャンポンの言葉も使われているらしい。日本も「もったいない」、「カイゼン」に続く言葉の輸出に本腰を入れるべきだ。そのためには韓国に負けないような音楽やダンス、テレビドラマ、映画などのコンテンツを作り、世界に届ける仕組み作りが必要だ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, S Rank, ウォンビン, キム・ヘジャ, サスペンス, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 母なる証明 』 -女は弱し、されど母は強し-

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