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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

Posted on 2021年3月8日 by cool-jupiter

野球少女 65点
2021年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イ・ジュヨン イ・ジュニョク
監督:チェ・ユンテ

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日本プロ野球の歴史上、印象的な韓国人助っ人と言えばソン・ドンヨルだろうか。千葉ロッテマリーンズファンのJovianはイ・スンヨプも忘れがたい。そんな韓国から、プロを目指す野球女子のストーリーが届けられたので、興味津々でチケットを買った。

 

あらすじ

女子高生チュ・スイン(イ・ジュヨン)は、プロ野球選手になることを目標にしていた。しかし時速130kmという速球も「女子にしては」という但し書き付きの評価で、トライアウトも許可されない。そんな時に、独立リーグ出身のチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が新人コーチとしてチームに加わり・・・

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ポジティブ・サイド

野球少女というタイトルではあるが、決して過度に主人公スインの女性性を強調したりはしない。もちろん更衣室が別だとか合宿に行くと個室が必要だから余計に金がかかるだとか、そういう描写や説明はある。しかし、スインが学校や野球部で「女子であること」が明確なハンディキャップになっている描写はない。それをやってしまうと、スインの努力が、韓国野球史上で前例のないことへの挑戦ではなく、学校や部を見返してやることに矮小化してしまう。そこを避けたのは賢明だった。むしろ、スインの友人女子がオーディションで落ちたことを通じて、歌やダンスの練習をどれだけ積み重ねても見た目で拒絶されてしまうという現実を突きつけてくる。これは効果的だった。セクシズムだけではなくルッキズムも含まれる、いや、もっと言えばチャンスを与えてもいい人間とチャンスを与えるまでもない人間がいるという考え方を厳しく批判することになっているからだ。

 

コーチが微妙に負け犬設定なところもいい。これが元プロだとか、元大学野球のスターとか、釈迦人野球で実績を残したという人物だと、観る側も共感しづらい。だがチェ・ジンテは独立リーグ出身。プロに近い世界ではなく、プロからかなり離れたところ出身のコーチだからこそ、自分の果たせなかった夢を追うスインが最初は気に食わなかった。しかし、そんな自分がスインを育成することこそがredemptionになるのではないかと腹を括るシーンはよかった(校庭を30周も走らせるのはどうかと思うが)。その後の「短所はカバーできない、長所を伸ばせ」というアドバイスは適切だったと思う。

 

クライマックスをトライアウトに持ってきたのは正解。本作は『 野球少女 』というタイトルだが、実際に描かれているのは固定観念の打破、機会均等(≠結果の平等)の追求なのだ。スインの目標はトライアウトの合格だが、物語が描き出したいのはトライアウトにこぎつけること。チェ・ユンテ監督がスインの物語と映画の物語を一致させなかったのは英断だと思う。スインが実際にプロ野球選手として活躍できるかは誰にも分からない。というか、むしろその可能性は限りなく低い。球団のお偉いさんの「スインが本当に大変なのはこれからですよ」という言葉が真実だろう。ただ、エンドロールの最後に聞こえてくる鳥の鳴き声に、長かった冬の終わりが予感させられる。それは季節が変わったということだけではなく、一つの新しい時代が到来したということの暗示でもあるのだろう。

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ネガティブ・サイド

もっと野球そのものにフォーカスしてほしかったと思う。スインがナックルを選択するようになったのは当然だが、そのナックルの魔球ぶりをもっと分かりやすく見せてほしかった。日韓のファン、特にJovianとほぼ同世代の本作監督チェ・ユンテならボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールド投手をテレビでリアルタイムに観ていたはず。その時も捕手はボールをミットのど真ん中ではなく、先っぽや土手でキャッチすることがしばしばあった。トライアウト時に捕手がミットを大きいものに変えるシーンがあったが、同じようにナックルをミットの真ん中でなく先っぽや土手でかろうじて受けているという描写が欲しかった。

 

スインの野球選手としての苦悩の部分の見せ方も弱かったと思う。たとえばスインのリトル・リーグや中学時代の練習や試合の風景を映し出す。そこで得た野球選手としての称賛に「女の子なのに」や「女の子でも」といった枕詞が必ずついてくる。そうした経験をスインがしてきたという説明は、セリフだけではなく実際に映像として見せるべきだった。その方がスインの感じる抑圧感、今風の言葉で言えばガラスの天井の存在を、より強く観る側に印象付けることができたはずだ。

 

他にもそぎ落とせるサブプロットがいくつもあった。最も不要だと感じたのは、父親の資格試験。普通に不合格でした、で充分だった。逮捕劇によって家族にさらなる亀裂と劇的な関係改善が・・・ということもなかった。いったいあれは何だったのか。

 

総評

韓国映画が得意とするドラマチックな物語ではない。演出面でも少々物足りない。しかし、性別を理由に門戸が開放されない職業など、本来は存在しないはず。保守的とされる韓国であるが、よくよく考えれば女性大統領を輩出するなどgender equalityの面では日本の先を行っている。女性のプロ野球選手も案外、日本よりも韓国が先に輩出するかもしれない。日本も負けていてはいられない。スポーツでもその他の分野でも。そんな気にさせてくれる映画である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

『 ブラインド 』でも紹介した表現。「分かった」の意。韓国映画を観ていると、ほぼ間違いなく出てくる表現。他にもアルゲッソヨ=「分かりました」もよく聞こえる表現だが、こちらは同じ意味でも丁寧な言い方。映画やドラマで語学を学ぶ利点の一つに、人間関係やストーリーの中で学べるということがある。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, C Rank, イ・ジュニョク, イ・ジュヨン, スポーツ, 監督:チェ・ユンテ, 配給会社:ロングライド, 韓国Leave a Comment on 『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

Posted on 2021年3月7日 by cool-jupiter

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けったいな町医者 80点
2021年3月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:長尾和宏
監督:毛利安孝

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我が町・尼崎のけったいな町医者にフォーカスしたドキュメンタリー。監督の毛利安孝は『 樹海村 』や『 さよならくちびる 』で助監督、『 犬鳴村 』で監督補を務めるなどした現場上がりの人。本作は現代日本への真摯なメッセージであり、このような作品が送り出されることを評価したい。

 

あらすじ

長尾和宏は勤務医時代の患者の自殺、阪神淡路大震災を経て、兵庫県尼崎市で町医者となる。医療=往診という哲学の元、痛くない死に方、在宅での看取りを追求する長尾と患者、その家族の奮闘の日々が描かれる。

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ポジティブ・サイド

冒頭から、医療=往診であるという文言がスーパーインポーズされる。つまり、それこそが本作が一番に訴えたいメッセージだということだ。確かに我々は病気や怪我をすると、医者のところに行くということを当たり前だと感じている。しかし、それは実は違うのではないか。医師こそが患者の元に出向くべきではないのか。それこそがドクター長尾の意思である。

 

劇中で長尾医師は、現代日本の医療の根本を覆すような過激な言動を見せる。その一つが「製薬会社に魂を売ってない大学教授がいたら見せてくださいよ」というものである。大学教授の講演=薬の宣伝であると厳しくは批判しているのだ。政府や大企業に忖度など一切せず、歯に衣着せぬその言動は痛快である。誰もがうすうす「こんなに薬が必要なのかな?」と思っているが、誰もその疑問を口に出せない。医師という職業は権威だからだ。「そんなことはない、医者もただの人間だ」と思う人もいるだろうが、そうした人も「はい、では呼吸と心臓のチェックをします」と言われれば、服を上げて裸の胸を晒すし、「おなかの調子は?」と聞かれれば、便の状態などを話したりもする。警察や弁護士も権威だが、服を脱いだり、排せつ物の話をしたりはしないだろう。それこそが医師の権威というものである。ところが長尾医師は、権威の象徴たる白衣を一切着ない。その理由は本編を観てもらうとして、この町医者は患者を患者としてではなく、まず人間として看る。

 

コロナ禍の最中の今の目で見ると信じられないほどに、長尾医師は患者に触れる。それは患者の手だったり、顔だったり、腕だったり、肩だったりと様々だ。もちろん触れることによって得られる医学的な知見(脈拍や体温など)もあるからだろうが、それよりも目の前にいる人間を患者ではなく“人間”として見ているからだろう。長尾医師は舞台挨拶で「どうか人間を好きになってほしい」とおっしゃった。その通りのことを実践していた。『 人生、ただいま修行中 』でも述べたが、Jovianはかつて看護学生だった。そこで「304号室の胃がんだけど、~~~」のように、患者を名前ではなく病名で呼ぶ医師や看護師をちらほら見たのである。これは日本中の病院で観察される日常の一コマであると思われる。長尾医師の診療風景はかなり変わっている。診察を受けたことがある人なら誰でも、医師の第一声は「今日はどうされましたか?」だと感じている。長尾医師は症状などは尋ねない。ひたすら自分のことを語る。あるいは患者さんと家族の関係について語り、またそのことを尋ねる。最後の最後に体調や症状を聞いたり、今後の治療について話す。普通の診療とは全然違う。

 

長尾医師が追い求める平穏死についても劇中で描写される。死にたてホヤホヤの人も出てくるので、そこは事前に注意が必要かもしれない(決してグロい死体ではない)。本作で描かれるのは、死=敗北という価値観ではなく、死=生の成就という価値観である。今も訪問看護師として働くJovianの母は「人は生きたように死ぬ」と言う。あっさりと生きてきた人はあっさりと死ぬ。粘り強く生きてきた人は粘り強く死ぬ。前者はJovianの父方の祖母で、後者はJovianの母方の祖母がそうだった。本作ではある人の死が直接的に描かれるが、そこでは是非その方の背景情報を思い出してほしい。Jovianは、その死に様にその方の生き様が現れているように感じた。

 

多死社会であり、医療崩壊も現実に起きることが立証された時代である。在宅医療、終活、看取り。現代日本がヒントにすべき医療と死の問題への対処法の一端がここには描かれている。多くの人に鑑賞いただきたい労作である。

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ネガティブ・サイド

A Downtown Doctorという英語タイトルには感心しない。まず尼崎はダウンタウンの出身地ではあっても、いわゆる英語のdowntownではない。英語のdowntownはビジネスや商業の中心地のことで、長尾先生はそうしたエリアで働いているわけではない。いや、阪神尼崎周辺は確かに尼崎の中ではdowntownだが、それをdoctorに冠してしまうと、作品の持つメッセージが薄まる、というか誤解されてしまうだろう。海外セールス担当者は、もっと専門家と協働しないと。

 

長尾医師を指して「規格外の人」と、ある人物が評すシーンがあるが、このような第三者視点がもう少しだけ必要だったと思う。クスリの量や数を減らしたことで状態が良くなったという患者、あるいは家族の声などを聴くことができれば、現代の医療体制批判のメッセージがより強くなり、長尾医師のけったいさがもっと強調されただろう。

 

総評

劇場前が人でごった返していたびっくりしたが、初回も満員、Jovianが観た2回目の舞台挨拶付き上映も9割の入りだった。塚口サンサン劇場にこれほどの人が集まるのはいつ以来だろう。もちろん地元が舞台ということもあるのだろうが、実際に劇場に来ていた人の多くは、家族を長尾医師に看取ってもらった方々なのではないかと思う。あまり感心しないが、映画の台詞を先に言ってしまうおばちゃん(本人?)あり、「ああ、あん時は確かにこうやったわ」と独り言ちるおばあちゃんありと、当事者だらけでしゃべりまくりという異例の映画体験だった。コロナ禍の中、あまり感心はしないが、臨場感のある作品に仕上がっているということである。尼崎市民ならずとも必見のドキュメンタリーである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The People’s Doctor

町医者というのは辞書ではgeneral practitionerだと記載されていることが多いが、感覚的にはtown doctorだろうと思う。Jovianは長尾医師が自身を指して言う町医者の英訳語に“The People’s Doctor”を用いたい。モハメド・アリやマニー・パッキャオといったボクサーが“The People’s Champion”と呼ばれていた、そして今でも呼ばれているのは、彼らが市井の人々に寄り添ってきたからに他ならない。長尾医師にもそうした寄り添いを強く感じるからこそ、このように呼称したい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ドキュメンタリー, 日本, 監督:毛利安孝, 配給会社:渋谷プロダクション, 長尾和宏Leave a Comment on 『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2021年3月6日2021年3月6日 by cool-jupiter

無双の鉄拳 60点
2021年3月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ソン・ジヒョ キム・ソンオ キム・ミンジェ
監督:キム・ミンホ

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『 あのこは貴族 』には重苦しい清々しさがあった。そんな作品の後には軽い作品がいい。というわけで、マ・ドンソク主演作を借りてきた。

 

あらすじ

魚卸しのカン・ドンチョル(マ・ドンソク)は儲け話にはすぐに乗ってしまうお人好し。妻ジス(ソン・ジヒョ)の誕生日を盛大に祝おうとした席で、カニに投資したことがバレてしまい、ジスは怒って帰ってしまう。ドンチョルが帰宅すると、しかし、ジスは誘拐されていた。すぐに警察に向かうドンチョルだが、警察は頼りにならない。ドンチョルは弟分と胡散臭い探偵と共にジスの行方を追って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 喜劇 愛妻物語 』のような恐妻家ではなく、正しい意味での恐妻家、カン・ドンチョルを強面だが、気は優しくて力持ちなマ・ドンソクが演じる。これだけでストーリーは半分完成している。善良な市民が、カネと、そして妻のために警察やら何やらを振り切って猪突猛進するのを楽しむ作品である。特に巨漢の男に食らわせた逆パイルドライバーには笑ってしまった。なんでもかんでも最後はマ・ドンソクの鉄拳で解決となるのはワンパターンの極みだが、それが結構面白いのだから仕方がない。体作りは大変かもしれないが、マ・ドンソクには一生このスタイルを貫いてほしいもの。

 

端正な美人の嫁ジスも、やはり韓国的。韓国映画にはおしとやかな女性はまるで出て来ず、相手に非ありと見れば、どんどんと自分の意見をぶつけてくる。韓国にはさぞかし恐妻家が多いことだろう。確かに映画の中の韓国人夫婦を見ていると、男はDV男やモラハラ男でなければ、愛妻家もとい恐妻家で妻に頭が上がらない奴がほとんどという印象だ。

 

悪の親玉のキム・ソンオは、なんと『 アジョシ 』でさんざん拷問をくらって爆死させられた悪玉兄弟の弟ではないか。ナチュラルに薬モリモリなテンションで部下を小突いていくという小者っぷり。相手を偽善者と見るや、「金をやるからお前の大切なものを寄こせ」という悪徳成金の権化のような男。こういう清々しいまでにクズなキャラだからこそ、我々は「早く誰かコイツをぶちのめせ!」と思わされてしまう。単純ではあるが、悪役は分かりやすく悪であることが望ましいのだ。

 

本作は悪役側のアクションもなかなか魅せる。終盤に出てくる竜巻旋風脚の使い手はかなりの手練れ。韓国の時代劇を見ていると、槍やら剣やらを持っているのにアクションシーンではテコンドー的な回し蹴りをしているが、そういったお決まりの回し蹴りが容赦なくパワーアップ。韓国のステゴロ自慢に実際に入るかもしれないタイプで、この対決は見ごたえがあった。

 

ネガティブ・サイド

子分と探偵のコミックリリーフが中盤以降はやや過剰だった。検事ネタではなく別キャラのネタは使えなかったか。

 

本作の最大の弱点は、カン・ドンチョルの過去のヤバさ、強さが見えないところだ。『 アジョシ 』なら、その必要はない。この若くして世捨て人になった男は何者だ?ということ自体が謎とサスペンスを生み出すからだ。マ・ドンソクは違う。こんな腕と胸板の奴が普通のわけはないのである。問題は、どれくらい普通ではないのか。序盤の魚市場のシーンで子分が「昔の俺たちを見せてやるか」というシーンで、ほんのちょっとヤバい目つきをする、そうした演出が一瞬でもあれば良かったのだが。

 

クライマックスのカーアクションはやり過ぎ。というか、ジープで思いっきり追突をかましているのに、バンパーもへこまず、ヘッドライトも割れず、その他の外装に傷一つないというのはいただけない。ワンショットごとのつながりをしっかりと編集してこその映画だろうに。

 

総評

とにかくマ・ドンソクのアクションとその子分連中のコミックリリーフっぷりを楽しむ作品である。逆に言えば、このキャラクターの内面は?とか、この風景が象徴するものは?などということを考えずにすむわけで、アクションとユーモアだけに注目することができる。まあ、頭を空っぽにして観るべき作品であろう。こういう作品は頭のリフレッシュのために定期的に観なければならないように感じる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カバン

『 藁にもすがる獣たち 』でも何度も聞こえてきたが、カバンは韓国語でもカバンである。おそらく日本統治時代にそのままカバンという日本語が韓国語に組み込まれたのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, キム・ソンオ, キム・ミンジェ, ソン・ジヒョ, マ・ドンソク, 監督:キム・ミンホ, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

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近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

Posted on 2021年2月28日 by cool-jupiter

藁にもすがる獣たち 75点
2021年2月27日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:チョン・ドヨン チョン・ウソン ペ・ソンウ チョン・マンシク
監督:キム・ヨンフン

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『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』をブルク7で観た際に本作の予告編を観て、気になっていた。原作は日本の小説とのことだが、これは相当に脚色されているのだろう。見事なまでに韓国色に染まっている。

 

あらすじ

サウナのロッカーに残されたカバンの中に眠る札束の山。失踪板恋人の残した借金で首が回らない男、家業を潰してしまい、アルバイトで生計を立てる男、夫によるDVから逃れたい女、様々な人間たちが人間性をかなぐり捨ててカネを求めていく先には・・・

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ポジティブ・サイド

日本の原作小説は知らないが、これだけ漫画や小説の実写映画化が花盛りの日本で映画化されず、逆に韓国で映画化されるということは、『 オールド・ボーイ 』と同じくガンガン人が死ぬ、あるいは傷つけられる展開がてんこ盛りだからだろう。実際に本作でも死人が出るし、暴力的な描写もえげつない。スラッシャー・ムービーと見紛うシーンもあるが、そこは直接は映し出されないので安心してほしい。

 

いや、それにしても“獣たち”とは言い得て妙である。人間など、一皮むけば獣なのだ。特に痴情と大金が絡めば尚更である。獣たちが一匹ずつ章ごとに紹介され、彼ら彼女らの物語が独自に展開されていく。そして、最後にはすべてが見事にひとつに収斂していく。これは脚本家の手腕だろう。それとも原作もそうなのか。いずれにしても、映画の面白さの第一は脚本=キャラクターとストーリーなのだ、

 

本作の獣、もといキャラクターたちは誰もかれもが「あ、見たことあるぞ」という役者たちばかり。つまりは実力派俳優ばかり。彼ら彼女らのアンサンブル・キャストは見応え抜群。特にチョン・ドヨンの凛とした美しさとやられたら倍返しの精神は、さすがの一語に尽きる。40代後半に差し掛かろうというのに露天風呂で柔肌を披露。肌も美肌で、服を着ている時でも健康的な魅力と妖しい魔力の両方を同時に放つという魔性の女。石田ゆり子や篠原涼子がチョン・ドヨン並みに攻めてくれれば、邦画の演技・演出レベルも少しは上がるのだが。

 

また『 息もできない 』の良心担当のチョン・マンシクが本作でも信販業者の社長としてカムバック・・・してくれたのは結構だが、これはちょっとイメチェンしすぎではないか。はっきり言ってヤバい人である。もちろん普通のビジネスマンにも『 アウトレイジ 最終章 』の白竜のようなヤバい人はいる。しかし、今回のチョン・マンシクはヤバいの意味が違う。気に入らない相手は銃で撃ち殺すのではなく、包丁で切り刻んでしまう。そして用心棒が肉や内臓を食べてしまう。ムチャクチャである。その用心棒も風貌が凄いのだ。『 殺人の追憶 』の序盤で警察が容疑者連中を雑に取り調べていくシーンでもインパクト抜群の顔面の持ち主がいたが、この用心棒もすごい。いったいどこからこんな個性的な顔の役者を見つけてくるのだろか。

 

大金の入ったヴィトンのカバンを巡って、次から次へとキャラクターたちが入れ代わり立ち代わりで物語をあちらこちらへと無秩序に進めていく様のスピード感よ。同時に、被害者が加害者に、弱者が虐げる側へと簡単に変貌していく様からは、人間の弱さや滑稽さをまざまざと見せつけられた感じがする。

 

本作はストーリー進行にちょっとしたネタが仕込まれている。原作が日本産というところ、章立てで話が進んでいくというところから『 去年の冬、きみと別れ 』を思い浮かべられればVery goodである。Jovianは途中で気が付いたが、登場人物たちの関係や、そのつながりの開陳の仕方、その鮮やかさにすっかり魅了されてしまった。映像芸術の面でも見どころは満載だ。あるキャラの元の商売が刺身屋さん、そして刺身の盛り合わせがチョン・マンシク演じる社長の脅迫シーンのカメラの端に映し出されているのは上手いと思った。キャラのつながりの暗示であると同時に、「切り刻まれて食べられたいのか?」というこれ以上ない脅しの小道具としても機能していた。他にもネオン街からの赤のストロボが、とあるキャラの室内の惨状とキャラクターの心情を如実に表していて、これまた巧みだと感じた。キム・ヨンフン監督はこれが長編の商業映画デビュー作だという。『 はちどり 』のキム・ボラ監督もそうだが、隣国の新人映画監督のレベルはちょっと高過ぎじゃないですかね・・・

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ネガティブ・サイド

いくら韓国の警察が無能だと言っても、まさか刺青で身元確認はしないだろう。わざとらしく髪の毛を切るシーンがあれば「ああ、DNA鑑定だな」とこちらも思う。そうした一瞬の演出が欲しかった。

 

夜中の2~3時に人をクルマで撥ねて、その死体を山まで運び、穴を掘って、そこに埋めて、また街中まで帰って来たのに、まだ夜が明けていないとはこれいかに。その後も延々と夜のシーンが続くという謎の時間軸。ここだけは矛盾があまりにも大きく減点せざるを得ない。

 

韓国のクルマにはエアバッグの装着が義務化されていないのだろうか。クルマで人をドカンと撥ね飛ばしたら、エアバッグが作動しそうだが。といっても、邦画やアメリカ映画でもエアバッグはこういう時は作動しないお約束になっているからね。

 

総評

これぞまさしく韓国ノワールとも言うべき作品である。人がどんどん死ぬので、そのあたりに耐性がない人は観るべきではない。デートムービーにも決して向かない。逆に言えば、デートで観にさえ行かなければ良い。韓国お得意の人間の内面を容赦なく抉り出す、さらけ出す極上エンターテインメント作品である。映画好きならば見逃す手はない。原作小説を読んだという人にも、ぜひ鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヨボセヨ

日本語で言うところの「もしもし」である。これも韓国映画や韓流ドラマでお馴染みである。電話の第一声であることが多いが、ドアをノックしながら「ヨボセヨ」と言うこともあるし、相手がボーっとしている時にも「ヨボセヨ」と言える。まさに日本語の「もしもし」である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, チョン・ウソン, チョン・ドヨン, チョン・マンシク, ペ・ソンウ, 監督:キム・ヨンフン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

Posted on 2021年2月27日2021年2月27日 by cool-jupiter

秘密への招待状 75点
2021年2月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ミシェル・ウィリアムズ ジュリアン・ムーア ビリー・クラダップ アビー・クイン
監督:バート・フレインドリッチ

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タイトル(邦題)はイマイチだが、ミシェル・ウィリアムズとジュリアン・ムーアの共演および対決というだけでチケット購入。期待以上の出来栄え。大人のテーマを大人の映画技法で語りつくした逸品。

 

あらすじ

インドで孤児院を運営するイザベル(ミシェル・ウィリアムズ)は、200万ドルの支援を検討している会社経営者テレサ・ヤング(ジュリアン・ムーア)に会いにニューヨークへ向かう。「娘の結婚式に来てくれればもっと話せる」というテレサの招待に応じたイザベルだが、そこで目にしたのはテレサの夫はかつての恋人オスカー(ビリー・クラダップ)だった・・・

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ポジティブ・サイド

ジュリアン・ムーアの演技力が光っている。カリスマ的な会社経営者、精力的に働くキャリアウーマン、良妻賢母(という表現はもしかしたらアメリカではnot PCかもしれないが)のすべてを情感たっぷりに演じている。見どころは、イザベルとのとある会食前のシーン。友人たちとにこやかに談笑したかと思えば、自分の部下を恐ろしく口汚い言葉で罵る。ジェットコースターのように気分があちらこちらへと瞑想・・・ではなく迷走する。ラストの慟哭も観る者に深く、痛く突き刺さる。

 

ミシェル・ウィリアムズは対照的に抑えた演技で魅せる。二度だけ声を荒げるが、その他のシーンは基本的には感情を押しとどめている。逆に、所作で存分に語っている。靴を脱ぎ捨て、足早に階段を下りていくシーンに彼女の内面の怒りや混乱がよく表れている。こうした演出の方が逆に彼女の内面をよりはっきりと伝えてくれる。監督の演技指導やカメラマンの腕前もあるのだろうが、日本の女優もミシェル・ウィリアムズが本作で見せる演技を参照してほしい。

 

全体的なストーリーテリングも巧緻だ。イザベルとオスカーの口論や、グレイスとイザベルがアルバムを一緒に見るシーンなど、過去に何があったのかを断片的に物語ってはいるものの、全体像や真実は決して明らかにしない。それは、本当に重要なのは「今」であるという作り手の信念の反映なのだろう。グレイスが父オスカーに“Did you love her?”と問い、さらに“Do you?”と重ねて尋ねるシーンがそのことを証明していると思う。

ドラマチックなシーンでも妙に凝ったカメラワークやBGMに頼らず、あくまで俳優たちのエモーションを淡々と映し出し続けたのが心地よかった。『 私は確信する 』でも感じたことだが、テンプレに沿って映画を作っている日本の監督たちは、時には調味料なしで素材の味だけで勝負する度胸を持って欲しい。

 

家族とは、結婚とは、子育てとは、仕事とは、人間関係とは。様々な問いが渦巻く本作では、明確な答えは示されない。巨大な企業で、白人、黒人、アジア系、男性、女性の区別なく人を雇い、血のつながらぬ子供も血を分けた子どもも育てたテレサ。ひっそりと孤児院を運営するイザベラとは対照的だが、血縁者以外を家族として扱う点では同じ。そのことは、彼女たちだけではなく今後の世界では広く共有されるべき価値観となるはず。イザベラの言う“It’s your life. You decide.”という信念・理念がそれを表しているように思えてならない。彼女自身、息子のように育てている孤児のジェイに人生の選択を委ねるシーンには何とも言えない苦みと少しのさわやかさが残る。日本では『 ヤクザと家族 』が家族の意味を問い直してきたが、アメリカでも家族の意味を再定義する時期に差し掛かってきているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

色々な解釈の余地を残す本作で、逆にそれが心地よいのだが、一つだけ気になる点が。テレサがイザベラのニューヨーク訪問を強硬に主張した理由の真相は何だったのか。偶然だったのか、必然だったのか。

 

イザベラおよび施設のマザーらしき女性がカネにこだわるのは大いに理解できる。しかし、そのカネへの執着に説得力を持たせるには、第一にインドの子ども達が置かれている窮状、惨状をよりつぶさに映し出すこと。そして第二にニューヨークのホテルの部屋をスイートからスタンダードに変えてくれ、その差額を寄付金に加えてくれという要求。この二つが少なくとも必要だったのではないか。

 

総評

上質なドラマである。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』のように養子制度にあまり抵抗のなさそうな韓国、『 朝が来る 』で養子という制度への気づきが高まった日本でも、機を見てリメイクしてほしいもの。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国が自国の特色を盛り込めることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grace

楽曲『 アメージング・グレース 』でお馴染みの語。意味は「恩寵」。スペイン語のありがとう=グラシアス(gracias)やイタリア語のありがとう=グラッツェ(grazie)などと語源を同一にする語。大河ドラマ『 麒麟がくる 』の主人公・明智光秀の娘たまが細川ガラシャとなるが、ガラシャというのはラテン語のGratia=英語のgraceである。Every picture tells a story. Every word tells a story, too.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アビー・クイン, アメリカ, ジュリアン・ムーア, ヒューマンドラマ, ビリー・クラダップ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:バート・フレインドリッチ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

Posted on 2021年2月26日 by cool-jupiter

もらとりあむタマ子 70点
2021年2月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:前田敦子 康すおん 富田靖子 伊藤沙莉
監督:山下敦弘

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映画貧乏日記のcinemaking氏がrepeat viewingをしているという傑作とのことで、近所のTSUTAYAでレンタル。観ている最中はクスクスと笑ってしまい、観終わってからちょっぴりホッとする作品だった。

 

あらすじ

東京の大学を卒業したものの修飾もせず、甲府の実家で怠惰な日常を送るタマ子(前田敦子)。食って寝て漫画を読んでゲームをする日々に父親(康すおん)も苦言を呈すが、タマ子はやはり自堕落なまま。しかし、春になってタマ子は秘かにある就職活動を始めようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングから笑ってしまう。黙々と働く父親を尻目に、遅くに起きてきたタマ子が冷えてしまった朝食を無言でむしゃむしゃ食べ始めるシーンだけで笑ってしまった。これは間違いなくダメ人間。何故かって?それは2009年ごろにちょっとだけ実家に帰ってモラトリアムを過ごしていたJovianの生活パターンそのままだからです。

 

両親は離婚、姉は結婚して子供もいる、母親は東京という状況でシングルファーザーの父の実家でひたすらに自堕落に過ごすタマ子が、どういうわけかたまらなく愛おしい。いや、女性的な魅力があるというわけでは決してない(失礼!)。愛おしいというのは、見守ってやりたいという気持ちにさせてくれるということだ。何故そう思わされてしまうのか。その絶妙な仕掛けを知りたい人は、ぜひ本作を鑑賞されたし。自分が自分らしくあることが大切だ、という意味がありそうで実は意味がない言説を、前田敦子はたった一人で覆してしまったと言える。

 

父親役の康すおんが古き良き父親という感じで非常に良い。昭和的な父親ではなく平成的な父親だ。黙々と仕事をするが、掃除に洗濯、料理までこなすという21世紀の男性像が見事に体現されていた。食事シーンが頻回に映される本作は、食べると演じるがしばしば同時進行する。日本の役者は食べる演技の時には小栗旬や永谷園の男(名前を忘れてしまった)のような演技になるが、本作は違う。食べると演じるが不可分になっていて、そこはなかなか面白いと感じた。

 

途中で登場する富田靖子が素晴らしく魅力的で、蒼井優があと10年ぐらいしたらこんな感じになるのだろうなという美熟女。父親の側にこんな女性の影がちらついたら、子どもは確かに心穏やかにはいられませんわな。同時に、こんな女性像を目の当りにしたら、そりゃあダメ人間な自分も良い刺激を得てしまいますわな。

 

本作は映画的なメタファーを徹底的にそぎ落としている。大袈裟なBGMもないし、キャラクターの心象風景を仮託されたような風景描写もない。ひたすらタマ子にフォーカスすることで、逆に観る側がタマ子の胸の内を想像するようになっていく。そしてタマ子に同化していく(おそらくモラトリアム期間を経験したことのある人間はタマ子を同一視してしまうだろう)。この構成には恐れ入った。

 

エンドロールの終わりにちょっとしたサプライズ(?)映像もあって楽しい。演じているという演技ではなく、やはり素の前田敦子だったのか?

 

ネガティブ・サイド

タマ子と不思議な交流をする中学生男子の滑舌が今一つだった。素人らしさを強調したいのかもしれないが、やはりあれでは浮いてしまう。見た目は、地方都市の純な中学生っぽさ全開で素晴らしかったけれどね。

 

富田靖子の出番が少ない。もっと彼女にスクリーンタイムを!富田靖子と中村久美が井戸端会議している画が一瞬あれば、それはそれでタマ子の想像力をものすごくかき立てると思うのだが。

 

父親の掘り下げにもう一工夫できたのではないか。パセリのエピソードは確かに笑ってしまうが、それが自家栽培だとしたらどうだろう。プランターでパセリを育てることが、実家でタマ子を養ってやる姿と奇妙なコントラストを形成して面白かっただろうなあ、と思う。

 

総評

脱力系のコメディなのかヒューマンドラマなのか。とにかく前田敦子の役への没入感が素晴らしいとしか言いようがない。安易にビルドゥングスロマンにせず、かといって全く清涼しないわけでもない。店を開けたり、父親の下着も嫌がらずに干したり、成長とは言えないような変化であるが、それでも観る側がエネルギーをもらえるのだから不思議なもの。肩の力を抜いて、夕飯時に家族でわいわいやりながら観てみると面白いに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

No one must know about this.

劇中でタマ子が言う「これ、誰にも言っちゃダメだからね」の私訳。直訳すれば、“You can’t tell anyone about this.”となるだろうが、No one must ~というのもネイティブはよく使う。「誰でもない人がこれについて知らなければならない」=「誰もこのことについて知ってはならない」=「誰にもこのことを言うな」となる。No one や Nobody を主語にした英文をパッと作れるようになれば、英会話の中級者以上である。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, 伊藤沙莉, 前田敦子, 富田靖子, 康すおん, 日本, 監督:山下淳弘, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

Posted on 2021年2月25日2021年2月25日 by cool-jupiter

ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン

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TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。

 

あらすじ

ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。

 

EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。

 

本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。

 

太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。

 

また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・

 

クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・

 

総評

政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tomorrow

言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, ジャン・ジュエ, ジャン・ラン, ロマンス, 中国, 監督:レン・ウェン, 配給会社:竹書房Leave a Comment on 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

Posted on 2021年2月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

あの頃。 60点
2021年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 仲野太賀 若葉竜也
監督:今泉力哉

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『 愛がなんだ 』の今泉力哉監督作品。仲野太賀が助演というだけでチケットを購入。

 

あらすじ

バイトとバンド練習で特に生き生きすることもなく暮らしていた劔(松坂桃李)は、ふとしたことで松浦亜弥のDVDを見て、感動。ハロプロのアイドルの熱烈ファンになる。そしてトークイベントで知り合ったコズミン(仲野太賀)たちのハロプロファンたちとともに、中学10年生のようなノリで楽しい日々を過ごすようになるが・・・

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ポジティブ・サイド 

Establishing Shotからして、なかなか凝っている。防音スタジオでセッション中に、劔がミスをして怒鳴られるというシーン。これだけで、劔が非常に狭い世界で窮屈な思いをしながら生きているという実感が簡単に伝わってくる。このオープニングがあるからこそ、あややのDVDに感涙してしまう劔の姿に説得力が生まれる。

 

時代の空気もうまい具合に反映されている。劇中で主に描写されるゼロ年代というと、オタクが少数民族として迫害された90年代とは違い、個々人の様々な趣味嗜好が徐々に社会に受容されつつある時代だった。Jovian自身も大学生の頃にはモーニング娘。の『 LOVEマシーン 』を寮の行事でノリノリで踊ったりしていた。なので、ハロプロにハマる劔やコズミンの感覚には充分に共感できた。

 

同時に、コズミンが仲間に向かってしばしば吐き捨てる「無職のオッサン連中」的な侮蔑の言葉も理解できるのだ。なぜハロプロなのか。なぜオタク趣味にハマるのか。それは社会に明るさが無いからだ。働くことそのものに喜びや希望が見いだせないからだ。あの頃は、そういう時代だったのだ。そして、その頃の空気の一部は現代にも確実に受け継がれている。だからこそ、本作は現在進行形ではなく過去形で語られる。本作は現在10代の若もには刺さるところが少なく、逆に30代40代50代には刺さりまくりだと思われる。

 

松坂桃李が良い感じ。歌が超絶下手くそなところも、逆に好感度を上げている。パンツ一丁の姿を堂々と披露するなど、サービス精神も旺盛だ。複数の女子といい感じにムードが盛り上がりながらも、結局何もしないままに終わってしまうところもオタクらしさ全開で非常に良い。

 

しかし、主役のはずの松坂桃李からsteal the showをしたのは中村太賀。こんなに憎たらしいキャラでありながら、しかし心底からは憎めないというギリギリの線を見切った演技。オタクにあるまじき肉食系男子で、略奪愛もなんのその。しかし、ネット弁慶ではあってもリアルの喧嘩(殴り合いではなく)ではへっぴり腰という、非常に血肉の通ったキャラクター。こんな奴と一緒に過ごす青春は、確かに忘れがたいだろう。『 佐々木、イン、マイマイン 』の佐々木に続く、青春の青臭さと素晴らしさを決定づけるキャラクターである。

 

大人になれば卒業はないとは言うものの、大人になるということは社会に適応するということ。つまり、個人の趣味嗜好をある程度は制限することになる。けれど、そこにギリギリのところで折り合いをつける生き方を選び取ったかに見える劔やその仲間たちには、なれなかったもう一人の自分を重ね合わせるかのような感慨がある。ラストシーンはなかなかに感動的。冒頭で劔が自転車で通り過ぎるあるシーンにつながり、この場面があることで劔やコズミンの物語が彼らだけのものではなく、広く他の人間にも当てはまることであるという演出になっている。良い作品とは、対象との距離を縮めてくれる作品である。

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ネガティブ・サイド

劔の友人の「パチンコ」のアクセントがもうダメダメである。もっと大阪弁を勉強しろと言いたい。仲野太賀の第一声は何と言ったか忘れてしまったが、そこでも思わず頭を抱えてしまった。なんだかんだで大阪弁は現代日本の方言の中でも別格の地位にある。役者たるもの、もっと勉強してほしいし、監督もそうそう簡単にOKを出すべきではない。フォローをしておくと、仲野太賀のそれ以後の大阪弁の演技はすべて及第点以上だった。なぜ第一声だけが・・・

 

『 アンダー・ユア・ベッド 』の高良健吾が本質的にキモメンではないように、松坂桃李も本質的にキモメンではない。そこはやはりミスキャストか。勘違いしないで頂きたいが、オタク=キモメンと言っているわけでも、キモメン=オタクと言っているわけではない。このあたりについては『 ヲタクに恋は難しい 』のネガティブ・サイドでも論じたので、本稿では省略させていただく。

 

劔が常に「今が一番楽しい」というのは、作品そのもののテーマと矛盾しているように感じる。「今も楽しいけど、あの頃の楽しさはまったくの別物だった」という台詞こそがふさわしかったのではないか。

 

それにしても、なぜ本物の松浦亜弥を起用できなかったのだろうか。代役も悪い役者には見えなかったが、オーラが無かった。本人を起用してデジタル・ディエイジングを施すか、もしくはあやや役の女優の顔だけ松浦亜弥に差し替えるという選択肢はなかったのか。

 

総評

鮮烈・・・とは言い難いが、それでも印象的な青春ドラマである。ゼロ年代に20代だったJovianと同世代の映画ファンならば、当時の空気が再現されていることを懐かしく感じ取ることができるだろう。令和の今も、閉塞感溢れる社会という意味では、ゼロ年代と似通ったところがある。「松浦亜弥って誰?」となる若い世代も、意外に楽しめる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

過去記事で何度か紹介した表現。「あの頃が懐かしい」、「当時は良かった」の意味。このように言い合える仲間がいれば、それは人生が豊かであったことの証明だろう。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 仲野太賀, 日本, 松坂桃李, 監督:今泉力哉, 若葉竜也, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

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