Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: D Rank

『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

Posted on 2021年2月25日2021年2月25日 by cool-jupiter

ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210225010825j:plain
 

TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。

 

あらすじ

ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。

 

EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。

 

本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。

 

太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。

 

また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・

 

クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・

 

総評

政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tomorrow

言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, ジャン・ジュエ, ジャン・ラン, ロマンス, 中国, 監督:レン・ウェン, 配給会社:竹書房Leave a Comment on 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215905j:plain

 

ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215850j:plain
 

原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215935j:plain
 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215958j:plain
 

ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

Posted on 2021年2月11日 by cool-jupiter

哀愁しんでれら 50点
2021年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 田中圭 COCO 山田杏奈
監督:渡部亮平

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215123j:plain
 

なにやらストーリーがさっぱり分からないトレイラーばかりを見せられているうちに、気になってきた作品。土屋太鳳が母親役を演じるということで、新境地が見られるかと思い、劇場へと向かった。

 

あらすじ

市役所で自動相談員として働く小春(土屋太鳳)は、10歳の頃に母親に捨てられたことから、そんな大人にだけはなるまいと誓っていた。祖父の入院、実家の火事などの災難続きなところへ恋人の浮気も発覚。どん底にいた小春は、偶然にもクリニック経営者の大吾(田中圭)を踏切内で助ける。大吾の娘のヒカリにも気に入られた小春はとんとん拍子に大吾と結婚、幸せな生活が始まるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215150j:plain
 

ポジティブ・サイド

土屋太鳳の新たな一面が見られる。これまでのどこか受動的なキスではなく扇情的なキス。閨事のはじまりに、事後のピロートークなど、年齢相応の役を演じられるようになってきた。『 累 かさね 』でも鼻持ちならないキャラを演じていたが、本作をもってそうしたキラキラ女子高生および女子大生イメージからは完全に脱却したと言っていいだろう。

 

相手の田中圭も安定感のある演技で応える。さわやか系ではあるが、チンピラから暴力的な刑事まで何でも過不足なく演じられる標準以上の俳優で、今回は哀愁しんでれら相手のプリンス・チャーミング役を好演。白馬に乗った王子様であるが、この王子様は馬刺しを食べる王子様である。

 

役者陣で最も印象的だったのはCOCOという子役。『 コクソン 哭声 』の子役のキム・ファンヒの怪演には及ばないが、それでも最近の子役のパフォーマンスでは白眉。無邪気な小学生の顔ともう一つの顔を見事に演じ分けた。監督の演出と本人の個性がマッチしたのだろう。こういう子どもが『 約束のネバーランド 』にいれば、ミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうに。

 

ところどころに人間の根源的な願望というか、見たいものを見るという選択的な意志が働くショットがあり、そこは面白いと感じた。そして、そのビジョンの一つを実現させてしまうラストには笑ってしまった。邦画らしくない邦画で、こうした企画が通り、実現されるのだから、日本の映画界ももう少し見守ろうという気になれる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215216j:plain
 

ネガティブ・サイド

土屋太鳳を追い込むなら、もっと徹底的にやるべきだ。男性器をかわいらしく言い換えた言葉も使うが、そこは「あんたの粗末なアレ」とか言うべきだったと思う。序盤と終盤での土屋の変化の落差を印象付けたかったのだろうが、すでにこの時点で小春は不幸のどん底だった。つまり、本音がポロリと漏れやすい状態、思わずきつい言葉を吐いてしまう状態だったわけで、落差を印象付けるなら、ここだった。

 

新居となる家が大きすぎる。『 シンデレラ 』の城のイメージなのだろうが、それなら靴ばかりに不自然にフォーカスするのではなく、小春のバックグラウンドも分かりやすくシンデレラのようにするべきだった。母親に捨てられるというのは辛い体験であるが、その後に家族と共に結構楽しそうに暮らしていては、シンデレラ・ストーリーを成立させにくい。家族によって無意識のうちに抑圧されていたという背景を小春に持たせた方が、荒唐無稽なストーリーにも少しはリアリティが生まれる。

 

その迷い込んでしまった城でも、ホラーのクリシェが多すぎる。薄気味悪いガジェットで埋め尽くされた部屋も既視感ありありだし、気味の悪い肖像画というのもお馴染みのアイテム。シンデレラ・ストーリーを恐ろしいものに見せたいのなら、王子様が怖い人だったという構成ではなく、お城暮らしをするようになったシンデレラが、いつの間にか下々の者を見下すようになっていた、という筋立ての方が説得力があっただろう。山田杏奈演じた小春の妹が大吾にネチネチと嫌味を言われるシーンがあるが、こういった言葉を小春自身が可愛がっていた妹に知らず知らずのうちに浴びせていたという方がサイコな怖さを演出できたと思う。

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』並みにジャンル・シフトする作品である。だからといって面白さはその域には全然達していない。けれども、邦画が及び腰になっていた領域に果敢に突っ込んでいった点は評価せねばなるまい。ドラマスペシャル『 図書館戦争 BOOK OF MEMORIES 』、『 図書館戦争 THE LAST MISSION 』の二人のreunionを喜べる人であれば、チケットを購入してみてもいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disqualify

失格させる、の意。元々の動詞、qualifyに否定の接頭辞disがくっついたものである。「母親失格です」ならば“You are disqualified as a mother.”となる。他にもunderqualifiedやoverqualifiedなどの語は、外資系で採用に携わっている人はしょっちゅう耳にしていることだろう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, COCO, D Rank, スリラー, 土屋太鳳, 山田杏奈, 日本, 田中圭, 監督:渡部亮平, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

Posted on 2021年2月9日 by cool-jupiter

THE 焼肉 MOVIE プルコギ 50点
2021年2月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松田龍平 山田優 井浦新
監督:グ・スーヨン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210209002043j:plain
 

『 偶然にも最悪な少年 』のグ・スーヨン監督の作品。焼肉を通じて経済活動の醜さと人間関係の尊さを面白おかしく描いている。2020年の1129(いい肉)の日にテレビ放送されていたが見逃したため、今回レンタルにて鑑賞。

 

あらすじ

兄と生き別れた韓国人孤児から成長したタツジ(松田龍平)は北九州のプルコギ食堂で伝説のじっちゃんの下で修行の日々を過ごしていた。そんな時、テレビの焼肉対決番組で破竹の連勝を続ける虎王の経営者トラオ(井浦新)から挑戦があり・・・

 

ポジティブ・サイド

本当においしい店は外観にカネなどかけない。まるで『 焼肉ドラゴン 』のようなたたずまいの店で、従業員も客も笑い合う。コロナ禍の中で見られなくなった“会食”の風景に、こちら側も笑顔になれた。

肉そのものへのフォーカスにも抜かりはない。赤肉と白肉(=いわゆるホルモン)の対比を軸に、トラオとタツジの対決につなげていくが、そこで実際に虎王によって供される肉料理もなかなかのもの。『 フードラック!食運 』が疎かにした、焼肉以外のメニューを本作はしっかりフィーチャー。さらにプルコギ食堂が出すメニューやまかない飯もかなり食欲をそそる。特に豆もやしスープは、ニンニクとわかめのスープほど焼肉料理屋ではメジャーではないが、好きな人は何より好きだという通のメニュー。さすがに在日二世のグ・スーヨン監督である。特に荏胡麻の葉っぱ(ケンニップ)のしょうゆ漬けを持ってきたところに、監督のこだわりを見た。メニューに荏胡麻の葉がある店はそんなに多くないが、実際はありふれた総菜の一種である。これに加えられた隠し味が焼肉対決でも、またタツジの兄探しにも大きな役割を果たしている。

 

プルコギ食堂でも虎王でも、調理場でさりげなく復讐種類の包丁がフレームに収められているところでニヤリ。『 フードラック!食運 』がエンドクレジットの実在の店のショットで初めて映したところを、本作は全編にさりげなく忍び込ませている。焼肉を食べるのが好きな人が作ったのが『 フードラック!食運 』。焼肉という料理そのものを好きな人が作ったのが本作だということが伺える。そのことは、肉の焼き色ではなく、肉と油が熱によって内側で爆ぜる音に耳を澄ますという描写からも明らかである。

 

俳優たちも何気に豪華だ。松田龍平の無表情さは孤児のバックグラウンドを感じさせるし、山田優も若さそのままの健康的な色気を放っている。劇中で死亡してしまった韓老人を演じた田村高廣の遺作となってしまったが、その死の演技は圧巻の一語に尽きる。『 ターミネーター2 』のディレクターズカットで、T-800のプログラムをいじくる時のシュワちゃんの静止演技をはるかに超える長尺ワンカットでまばたき一つしないという超絶的な演技を見せた。名優に合掌。

 

ネガティブ・サイド

津川雅彦をはじめとした焼肉バトルの審査員がボキャ貧もいいところだ。もっと肉の美味さを映像的に分かる形で表現しないと。特に赤身肉の美味さというのは、タンパク質=筋肉の繊維がしっとりとしていて、噛めば肉汁を出しながらすんなり噛み切れるところにある。そういった肉の特徴を、もっと擬音語や擬態語でもって語らないと。「噛むと肉汁がじゅーっと溢れて、それでお肉もサックサクで、のど越しもツルン」みたいな大仰な表現をしてほしかった。

 

タツジが納得いかない出来の肉を皿ご放り投げるシーンには、元焼肉屋ならずとも腹が立った。タツジのキャラクターを描くうえで重要な演出でもないし、「これ、処理しといて」とか「テレビのスタッフさん、食べてください」とでも言えば、横柄ではあるものの食べ物を粗末にしない人間であるというふうに描出できたはず。

 

コメディ調ではあるものの、そのトーンが一貫しない。牛を連れてきて対決をする男にひらすらセロリをかじる男。セクシーギャルを使っての客引きなど、コメディっぽいシーンはふんだんにある。一方で、暴力沙汰も結構あり、これらのシーンは笑えない。このあたりのアンバランスさが本作のトーンから一貫性を奪って、ジャンル不詳にしてしまっている。

 

最も気になったはタイトルにあるプルコギがほぼ出てこないこと。プルコギはどちらかと言うと韓国風すき焼きで、韓国風焼肉とは別物。ちなみにJovianが思い描く、そして韓国で実際に食べた韓国風焼肉とは、鉄板で焼いた豚肉・牛肉を、玉ねぎやニラやニンニクと少量のご飯と共に葉野菜でくるんで食すものを指す。せっかく北九州という韓国に非常に近い土地にフォーカスしているのだから、朝鮮半島由来の料理をもっと登場させてみても良かったのでは?

 

総評

焼肉は比較的安全な外食とされるが、まだまだ不安のある人も多いことだろう。そうした向きが観ると良いかもしれない。井浦新が、この頃はまだARATA名義である。井浦のファンならば是非見よう。もちろん、松田龍平ファンにもお勧めである。誰かと一緒に食べることが難しい今だからこそ、本作の持つ「一緒に食べて友達になろう」というメッセージが、より尊く響いてくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grill

「(鉄板や網に乗せて)焼く」の意。日本語では「焼く」は「焼く」だが、英語では他にもburnやbake, broil, roastなど、焼き方によって様々な動詞がある。無理やり丸暗記するのではなく状況と共に、かつビジュアルイメージを持って理解することが、コロケーションの知識を深めていくことにつながる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, コメディ, 井浦新, 山田優, 日本, 松田龍平, 監督:グ・スーヨン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

Posted on 2021年2月6日 by cool-jupiter

シャッフル 50点
2021年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック
監督:メナン・ヤポ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210206184255j:plain


 

緊急事態宣言以後、嫁から尼崎市内から極力出るなとのお達しが出ている。本当は梅田や心斎橋に足を伸ばしたいのだが・・・。一方で映画を観る人は増えているようだ。事実、近所のTSUTAYAは明らかに客が増えている。配信ではなくレンタルというところに日本のデジタル化の遅れを実感するが、それでもVHSからDVD、Blu-rayのカバーボックスの表と裏でキービジュアルやプロットをチェックするのは楽しい。本作もタイトルとカバーのデザインだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

リンダ(サンドラ・ブロック)のもとに保安官が訪れ、夫のジムが交通事故で死亡したと告げる。呆然自失するリンダは翌日、出勤前にリビングでくつろぐ夫と出会う。だが、さらにその翌日、ジムは亡くなっていた。時間の流れがシャッフルされているのか。リンダはジムを救うことができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』を映像化すると、このような作品になるのだろう。タイムトラベルやタイムスリップは、それこそ星の数ほど小説でも映画でも使われてきたが、時間をバラバラに経験するというのは珍しい。時間の描写を逆にするのは『 メメント 』などもあり、珍しいものではなくなってきているが、本作のように時間の順序をシャッフルしてしまうというアイデアは秀逸だと思う。このことによって思わぬサスペンスが生まれている。

 

例えば娘の顔の傷。あるいは洗面所に無造作に放置された錠剤。謎が生まれるたびに、その謎がいつの時点で発生したのかを考えてしまい、引き込まれる。これが例えば『 オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式 』のような普通のタイムトラベルものだと、現代と過去の違い(たとえば片方の腕の有無)から、過去に何かが起きたと分かる。問題は、時間の流れが一方通行であるため、現代につながる事件の起きる瞬間に対して主人公たちが受け身にならざるを得なかったところ。本作は逆に、待っていれば欲しい情報が得られるわけではない。次から次へと意味不明の展開が起こり、別の曜日になってみて初めて、その意味が分かる。ある意味で『 TENET テネット 』のような構成なのだ。ここが非常に新鮮で面白かった。

 

オチも、この手の時間改変スリラーの中では王道と言えるものだが、後味は悪くない。むしろ、Memento moriの元来の意味に近いCarpe diemという哲学を想起させる。Milfyなサンドラ・ブロックが堪能できる佳作。

 

ネガティブ・サイド

超常現象、あるいは怪奇現象を思わせる演出のすべてがノイズである。カラスの死骸のシーンでは、「あれ、これって『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』の系統のストーリーなの?」と感じてしまった。妙な演出など不要、ストレートに不可解なシャッフル現象だけを取り上げれば良い。ストーリーの根本にあるのは「何故こうなっているのか」ではなく、「この状況で何をなすべきか」なのだから。

 

ジムの出棺のシーンもめちゃくちゃ。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』でも、御棺を警察官2人で軽々と運ぶシーンがあったが、プロレスラー並みの力持ちかいな。本作は本作で、男二人で運ぼうとした棺をガタンと落としてしまい、中から首がゴロゴロゴロ、ってそんな馬鹿な。普通は簡単にでも縫い合わせる。その上で縫合部に包帯を巻くのが常道だ。ここでも場に不穏な空気を流したいという園主のためだけに、リアリティが著しく損なわれてしまっている。なんでもかんでも現実に即せと言いたいわけではない、念のため。その作品の持つ世界観と合っていないのだ。

 

世界観にマッチしない最大のノイズと感じたのは、牧師?神父?がリンダに教えを与えるシーン。信仰の本質を突いた鋭い説教だと感じたが、これを最終盤手前に持ってくるのなら、序盤のホラー的な演出はすべてが無意味である。なので、このシーンをバッサリ削るか、あるいはこけおどしシーンを全て切り落として説教のシーンを活かすかである。監督:メナン・ヤポ監督は、このあたりのバランスを見失った。二兎を追う者は一兎をも得ずである。

 

総評 

壮大な謎や陰謀の存在をにおわせるが、その謎解きも無し。けれども『 エミリー・ローズ 』のように謎を解くことに主眼があるのではなく、その謎に立ち向かう人間の姿に美点を見出すならば、なかなかの良作と言えるのではないだろうか。英語でたまにa rainy day DVD=雨の日にちょうど良いDVDと言ったりするが、時代に合わせてa stay-home day DVD=外出自粛日にちょうど良いDVDという言葉を提唱したい。本作は、a stay-home day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』でも紹介したフレーズ。「言われなくても分かってるさ」、「まったくその通りだ」、「よく分かるよ」という意味である。こうした表現をナチュラルに使えるようになれば、上級者の一歩手前である。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, サンドラ・ブロック, スリラー, 監督:メナン・ヤポ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

『 さんかく窓の外側は夜 』 -ホラーならホラー路線に振り切れ-

Posted on 2021年1月25日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210125013034j:plain

 

さんかく窓の外側は夜 45点
2021年1月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田将生 志尊淳 平手友梨奈 滝藤賢一
監督:森ガキ侑大

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210125013123j:plain
 

『 シン・ゴジラ 』で布告された緊急事態宣言も、現実の日本では二度目の発出。慣れとは怖いものだ。「コロナより怖いのは、私たち人間ね」と言いたくなるニュースがこの半年は多かった。「呪いよりも怖いのは人間なのか?」との問いを立てて本作を鑑賞した。

 

あらすじ

幼いころから幽霊が見えてしまう三角(志尊淳)は、ひょんなことから除霊ができる冷川(岡田将生)の相棒として仕事をすることになる。ある時、冷川の馴染みの刑事・半澤(滝藤賢一)から持ち込まれた事件を捜査しているうちに、ヒウラエリカ(平手友梨奈)という謎の女子高生の存在が浮上し・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210125013139j:plain
 

ポジティブ・サイド 

完全に偏見なのだが、『 ストレイヤーズ・クロニクル 』および『 秘密 THE TOP SECRET 』が超絶駄作(特に前者)だったため、岡田将生が主役級という作品は避けていた。が、『 星の子 』での演技はなかなかのものだったので、もうそろそろ無意味な偏見から解放されてもよい頃合いと思い、本作を鑑賞。演じやすい=特徴を出しやすいキャラクターという面に救われている面はあるものの、冷川という癖のある男を好演できていた。さわやかなイケメンというのは時と共に消費されつくして次世代に取って代わられるもの。今後は自信満々で鼻持ちならない系のキャラを極めていくのもいいだろう。『 君が君で君だ 』の向井理のようなチンピラ役にも挑戦してもらいたい。

 

除霊する時に、その霊の生前をうかがい知れるイメージを挿入するのは、なかなか親切な演出だと感じた。バディものの変形とはいえ、これほどあからさまに野郎同士の身体接触を決めのシーンとして描くのは、今日の目で見ると違和感というか、逆に新鮮味が感じあれる。

 

呪いや幽霊一辺倒になるのではなく、滝藤賢一演じる「信じない」キャラという存在が物語を引き締めている。J・ピール監督の『 ゲット・アウト 』でも主人公の親友が極めて堅実かつ現実路線の男(ギャグやユーモア担当でもある)だったおかげで、荒唐無稽なストーリーが“現実”と上手く対比された。滝藤演じる半澤刑事は、同じような作用を本作にもたらしている。

 

「簡単な除霊作業」の先に壮大な陰謀が隠されている、という展開も王道でよろしい。超自然的な現象の根本を人知の及ばない領域に求めるのではなく、そうした超自然的な現象をも人間の業の一部に組み込んでしまうというのは現代的である。カルトの存在を真正面から描くという意味では、本作は邦画の中では珍しいと言える。近年では『 スペシャルアクターズ 』や『 星の子 』ぐらいだろうか。本作のシリアスさは、これらの中間ぐらいである。

 

目に見えない存在が人間に害をなす。これまではそうした存在の代表は幽霊だった。今ではウィルスが大きく存在感を増してきており、こうした現実がフィクションである物語の奥行きを深めている。そうした見方をすれば、単なる中途半端なBL物語以上のものとして鑑賞することができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210125013158j:plain
 

ネガティブ・サイド

最初に劇場で予告編を観た時は、「すわ、オリジナル脚本か?」と思ったのだが、これもやはり漫画原作だった。そのせいか、各エピソードやキャラの背景描写が非常に底浅い、もしくはつながりやまとまりに欠ける。最も気になったのは、志尊淳演じる三角。幼少の頃に同級生が川で幽霊に襲われる(多分、死んだ)という経験がトラウマになっているのではないのか。にもかかわらず、冷川と組んでの最初の除霊作業で自身も水難事故に遭いかけるとか、おかしいだろう。さらに冷川から「霊はたいていは無害」とか説明されて反論もしないのは何故だ?例を見るたびに「うわっ」と驚くのも妙だ。散々見てきたでのははないのか。自身のトラウマ体験と折り合いをつけられずに生きてきたという背景が全く活かされていない。また、逆にラストの母親とのシーンでは空回りになってしまっている。原作の漫画はおそらく大部のエピソードでもってこのあたりの流れを描いているのだろうが、2時間足らずの映画では完全に描写不足。志尊淳の芝居(特に涙のシーン)は全編を通じてかなり良かっただけに、なおのこと物語とキャラと演技者の乖離が悪い意味で目立ってしまった。

 

平手友梨奈は『 響き-HIBIKI- 』の主人公役でインパクトを残したが、本作ではさっぱりだった。ミステリアスな雰囲気を出したいのは分かるが、それはその異能性ゆえに周囲から浮いてしまうことで放たれるもの。女子高生と言いながら、学校や同級生の描写がほとんどと言っていいほど存在しない本作では、その属性は不要だったのでは?むしろ『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』の神奈川ケンイチのように、学校に行かず日夜街を徘徊して、人間の悪意をばらまいている、あるいは吸収している存在に描いた方が面白かったのではないか。

 

その人間の悪意が“言葉”だという点にも正直なところ拍子抜けさせられた。それも『 白ゆき姫殺人事件 』の二番煎じにもなれていないように見えた。言葉が悪意で、それが呪いとして成就しないのは、それを巧みに利用する者が存在するからだという背景はもっと丁寧に、なおかつ説得力のある方法で描けたはずなのだ。

 

クライマックスの“貯金箱”の描写もチープの一語に尽きる。これ以外にも、バラバラ殺人の被害者のパーツを集めて一つの人体に再構成するというサブプロットで、つなぎ合わされた死体が腐敗していない謎が最後まで説明されないなど、色々な要素を置いてきぼりにしたまま物語が進んでいく。続編制作に色気を持たせる終わり方だが、これだけとっちらかった序章では『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』の二の舞を演じることになるだろう。

 

総評

出演者の演技は総じて悪くない。だが、脚本と演出が破綻してしまっている。コロナ禍という現実を下敷きに本作を観るという醍醐味もあるにはあるが、ストーリーを純粋に楽しむ、キャラクターの背景や経験を追体験するという映画的な楽しみ方は難しい。岡田や志尊のファンにならば勧められるか。Jovianは滝藤賢一目当てだったので、彼のパートだけはまあまあ楽しめた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

cast a curse on ~

~に呪いをかける、の意。普通に考えれば日常生活で使うことはない表現だが。ファンタジーやホラーではたまに聞こえてくる表現。単に“I’ll curse you”または“Curse you”=呪ってやる、とも言うが、日本語でも「呪いをかける」の方が「呪ってやる」よりも本格的に聞こえるように、英語でもcast a curse on ~の方がシリアスに聞こえる。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ホラー, 岡田将生, 平手友梨奈, 志尊淳, 日本, 滝藤賢一, 監督:森ガキ侑大, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さんかく窓の外側は夜 』 -ホラーならホラー路線に振り切れ-

『 カリキュレーター 』 -平均的なロシアSF-

Posted on 2021年1月17日 by cool-jupiter

カリキュレーター 50点
2021年1月17日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:エフゲニー・ミローノフ アンナ・シポスカヤ
監督:ドミトリー・グラチョフ

 

友人の勧めでロシア映画を鑑賞。ロシアと言えば、面白そうなSFを定期的に作っているなという印象があったが、『 惑星ソラリス 』を高校生および大学生時に鑑賞して、いずれも睡魔によって撃沈されたJovianは、以来ソ連・ロシアの映画から遠のいてしまっていた。今年あたり、韓国映画、インド映画に加えてロシア映画も観始めていこうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210117233230j:plain
 

あらすじ

惑星XT-59は、すべてが「システム」および総統の統治下にあった。この星の犯罪者は、シールドの外の過酷な生態系の果てにある「幸福の島」へ向けて追放される。エルヴィン(エフゲニー・ミローノフ)はクリスティ(アンナ・シポスカヤ)と共に「幸福の島」を目指すが、危険な犯罪者ユスト達から追跡されて・・・

 

ポジティブ・サイド

ロシア的な美意識が様々なオブジェやガジェットから垣間見える。特に小キューブが立方格子上に連なったキューブ状の「システム」や、直方体の頂点から角が生えたような形状の飛行船(これも直方体に変化したりする)など、メカメカした感じではなくミステリアスな雰囲気をたたえるものが多い。

 

XT-59の大地も荒涼とした雰囲気を醸し出している。おそらく一部はCGなのだろうが、灰色の大地に巨岩が点在し、地平線の果てまで見渡せるような景色には、やはり広大なロシアの自然観や世界観が表れているように感じた。

 

クリスティ役の女優さんが眼福だ。フィギュアスケートで見るような妖精のような少女ではなく、成熟したロシアン・ビューティー。ニップレスなし風のタンクトップ姿はサービスか。いったいどんな犯罪をやらかしたのかと思ったが、なるほど、ロシア人女性は怒らせてはいけないらしい。

 

「幸福の島」を目指す旅路は貴志祐介の小説『 クリムゾンの迷宮 』とよく似ている。協力を持ちかける人間、敵対する人間、そして自分たち以外の人間など、サバイバル小説や映画によくある展開が待ち受けていて、良く言えば基本を押さえている。悪く言えば展開が読みやすい。本作はそこに、奇妙な生物を織り交ぜてくることで、別の緊張感を生み出している。特に殺人カビ(というより糸を出す粘菌に見えたが)は実際の宇宙に存在していそうな生命形態で説得力を感じた。

 

エルヴィンが「システム」に仕掛けた罠も『 インディペンデンス・デイ 』的で、これも良く言えば基本的、悪く言えばクリシェ。しかい、そこに同じ囚人のユストや総統の手先が追撃に現れ、「殺したいけど殺せない」というジレンマに陥るところはそれなりにユニークだ。

 

オチもなかなか考えさせられる。Jovianの世代だとソ連邦の崩壊をリアルタイムで体験しているので、抑圧的なシステム(社会主義)の元から解放された人々が屈折した人間心理を発達させてしまうことを知らされている。当然、現代ロシア人もソ連のことをよく覚えているだろう。そうした作り手がこのようなオチをつけるところに、自由の意味を考えずにはいられなくなってしまう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210117233306j:plain
 

ネガティブ・サイド

低予算映画のためか、シーンとシーンのつなぎが貧弱だ。惑星XT-59がどのような自然環境の惑星で、人々はそこでどのような営みに従事し、どのような社会制度や文化を発達させてきたのかを徹頭徹尾映し出してくれない。このため、エルヴィンの置き土産によって「システム」がダウンしてしまうことが、惑星および社会にどのような影響を及ぼすのかが分からない。そこが分からないため、終盤の展開にカタルシスを感じにくい。

 

また、総統も何をしたいのかが意味不明だ。エルヴィンを殺す機会などいくらでもあっただろうに。回りくどく動きすぎて単なる狂言回しになっている。

 

ヒロインのクリスティも行動と感情に一貫性が感じられない。エルヴィンとの距離感の設定が色々とおかしい。最初は無関心、それが嫌悪になり、ある時から好意に変わる。または最初が嫌悪、それが無関心に変わり、いつしか好意に変わっていく。それなら理解できる。しかし、嫌悪と無関心の間をジェットコースター並みに行ったり来たりして、最後に「愛してる」とか言われても、説得力がない。まるで90年代のC級のハリウッド映画だ。

 

けれども一番キャラ設定がおかしいのはカリキュレーター=計算機であるエルヴィンだろう。自らをもって数学者を任じるなら、もっと思考や行動に数学という根拠を持たせるべきだ。確率や統計、力学の蘊蓄などをもう少しだけでも披露していれば、カリキュレーターというタイトルロールとしてもっと説得力が持てていたことだろう。口癖が「論理的だ」とか「非論理的だ」だけでは数学者とは言えない。

 

エルヴィンがもっとストレートに「クリスティを救いたいが、自分にはその権限がない。だから自分も囚人になって、過酷な流刑先で守護してやらねば」と奮い立ったという設定の方が、低予算映画として分かりやすい。無理やりロマンスの要素を入れたがために、ロシア的な要素が行きなかったように思われる。もしくは、最初からグローバルに売り出すつもりなら、ハリウッド的な文法で物語を作って、キャラクターや世界観にロシアっぽさを盛り込むべきだろう。全体的なトーンが一貫しないところが目についた。

 

総評

非常に鑑賞しやすい映画である。時間も90分足らずだし、登場人物の数も多くない。さらにストーリーも複雑ではなく、ほぼ一本道である。ロシアの人間ドラマや青春ドラマはどんなものなのかは分からないが、少なくとも『 コズミック フロント☆NEXT 』でコンスタンチン・ツィオルコフスキーに興味を持ったJovianは本作のSF部分をそれなりに楽しめた。もともとバレエなどの舞台芸術や文学の分野に強いロシアである。今後、韓国やインドのように力強い作風の映画を送り出してきてくれることを願いたい。

 

Jovian先生のワンポイントロシア語会話レッスン

スバシーバ

ロシア語で「ありがとう」の意。劇中で何度か聞こえてくる。「ありがとう」は何か国語で言えても損はない。大学時代の寮の仲間のロシア人に「ゼイビシ」なるスラングを教えてもらったことがある。意味は「Fucking good」だったと記憶しているが、ネットで調べてみてもヒットしない。ロシア語に詳しい方からご教授いただけると幸いです。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アンナ・シポスカヤ, エフゲニー・ミローノフ, ロシア, 監督:ドミトリー・グラチョフ, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 カリキュレーター 』 -平均的なロシアSF-

『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』 -平均的なコメディ-

Posted on 2021年1月15日 by cool-jupiter

おとなの事情 スマホをのぞいたら 55点
2021年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:東山紀之 常盤貴子
監督:光野道夫

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210115010507j:plain
 

原作も、2019年に心斎橋シネマートで公開されていた韓国版リメイクも未鑑賞。ということは新鮮な目で本作を味わえるわけで、期待を胸に劇場へ。そこそこのコメディに仕上がっていた。

 

あらすじ

雇われ店長とその妻、パラリーガルの夫と子だくさんの妻、たたき上げの美容整形外科医の夫とテレビでも活躍する精神科医の妻、そして独身で塾講師の三平(東山紀之)はCAFFE ANGELAに集って晩餐を楽しんでいた。ふとしたことからスマホをテーブルに置き、通話やメールを全員に公開するというゲームを行うことに。そして、着信やメールのたびに、隠されていた秘密や人間関係が露わになっていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210115010529j:plain
 

ポジティブ・サイド

腹筋やらジョギングを欠かさないというマッチョなイメージの東山紀之が非常に良い味を出している。男らしいからではない。5ちゃんの塾講夜話をしげしげと眺めていそうな、どこか浮世離れした塾講師をリアルに体現できていた。

 

パラリーガルの田口浩正も素晴らしい。曲者ぞろいの晩餐会参加者の中でコミックリリーフをほぼ一手に引き受けていた。顔面で演技ができるタイプで、表情がくるくる変わり、心情をダイレクトに伝えられるのが強み。のみならず、土着的な中年日本人顔で、とにかく親近感が湧くのである。東山紀之と絶妙な掛け合いを披露してくれるが、数多くの中年男性映画ファンが感情移入し、なおかつ声援を送るのは、東山ではなく田口だろう。

 

電話の着信やメールやテキストの受診のたびに明かされていく秘密も、まあまあ面白いし、中には心臓が飛び出るかと思うほどのシリアスな通話もあったりする。秘密の大部分は夫婦関係に属するものなので、脛にやましいところがある諸兄は細君を劇場鑑賞のお供に誘わないこと。『 喜劇 愛妻物語 』を本当に喜劇として受け取れる夫婦なら、全く問題ないだろう。

 

役者同士の演技合戦や、テンポの良い進行、ほとんど一か所だけで展開されるし、時間もわずか一晩のこと。『 キサラギ 』を楽しめたという人なら、チケットを買って損はない(『 キサラギ 』の方が面白さという点では上だろうけれど)。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210115010552j:plain
 

ネガティブ・サイド

これだけの演技派をそろえたのだから、アンサンブル・キャストに徹してほしかった。明らかに木南晴夏のスクリーン・タイムは短かったように感じる。もちろん、魂の絶叫や意外なところからのメール受信など見せ場はあったが、ゲームの言い出しっぺであるためか、他キャラよりも目立たなかった。

 

鈴木保奈美と益岡徹の夫婦仲の崩壊とそこからの回復は、なんというか非常にシラケるものだった。木南晴夏にも突っ込まれていたが、良い話でも何でもない。そもそも精神科医の妻が、「夫が自分に話してくれないことがある!」と憤慨するのがおかしい。話の内容ではなく、話さないという態度などから鑑別(別に病気ではないが)していくというプロフェッショナルな姿勢が見られなかった。他のキャラが仕事をネタにした話をする、あるいは職務で身に着いた喋りや振る舞いを見せているだけに、鈴木保奈美のキャラだけはもう少し深掘りができたのではないかと思ってしまった。

 

益岡徹が最後に種明かし的に語り始めるパートもノイズだった。おそらくこの部分が日本版リメイクで付け加えられた部分なのだろう。序中盤でちらっと見せられていたガジェットや、各キャラの発する伏線となる台詞を丁寧に説明したくなるのは分かるが、これはミステリではなくシチュエーション・コメディ。もっとスパッと説明するか、あるいは回想シーンにしてしまっても良かった。引っかかるのは「11月下旬に台風が本州、しかも関東にやってきて、建物の3階まで浸水するような大雨を降らせるか?」という疑問である。まあ、深く考えては負けなのだろう。

 

総評

突出した面白さがあるわけではないが、かといってチケット代を損したなどという気分にはならない。Jovianと同世代なら、すっかりmilfyになった常盤貴子目当てで劇場を訪れるのも良いだろう。誰と一緒に観に行くかで感想が変わるかもしれない。そうそう、一つだけアドバイスするが、ファミリーで見に行ってはいけない。直接的なラブシーンなどはないが、気まずくなること請け合いである。子どもが小学生ぐらいなら、質問攻めにされることだろう。タイトル通り、「おとな」が楽しむ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got mail.

「あなたはメールを受け取りました」の意。劇中でメールを受信するたびにスマホがこのように喋ってくれる。トム・ハンクスとメグ・ライアンの『 ユー・ガット・メール 』の原題も“You’ve Got Mail”である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 常盤貴子, 日本, 東山紀之, 監督:光野道夫, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』 -平均的なコメディ-

『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

Posted on 2021年1月4日 by cool-jupiter

ソング・トゥ・ソング 50点
2021年1月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ライアン・ゴズリング マイケル・ファスベンダー ナタリー・ポートマン ルーニー・マーラ
監督:テレンス・マリック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210104154001j:plain
 

『 ドント・ウォーリー 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』など、通常とは趣が異なる関係の一方を演じさせれば天下一品の女優。ルーニー・マーラ目当てで鑑賞。ライアン・ゴズリングもカナダ人俳優の中ではJovianのfavorite actorだ。
 

あらすじ

シンガーソングライターのBV(ライアン・ゴズリング)は、辣腕プロデューサーのクック(マイケル・ファスベンダー)と組んで、徐々に頭角を現していく。BVはギタリストのフェイ(ルーニー・マーラ)と恋仲になるが、フェイは以前から秘かにクックと関係を持っていて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210104154024j:plain
 

ポジティブ・サイド

ルーニー・マーラとライアン・ゴズリングに加え、マイケル・ファスベンダーとナタリー・ポートマン、そして中盤以降にはケイト・ブランシェット、さらには名のあるスターもさらに数名登場。俳優陣がとにかく豪華だ。俳優たちに加えて、イギーポップらの本物のアーティストも多数登場。彼ら彼女らがコンサートやパーティー。アメリカ各地やメキシコのリゾート地などを巡る画は、どれもこれもが美しい。まるで自分もそのイベントに参加し、旅をしているかのような気分にさせてくれる。

 

彼ら彼女をカメラに収めるはエマニュエル・ルベツキ。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』では全編ワンカットに見える絵を巧みの技で撮り切った。そのルベツキの手腕が今作でも遺憾なく発揮されている。各ショット内の人物と事物のサイズ比や色合いがシネマティックに計算されていて、まるで『 続・夕陽のガンマン 』のようにどのシーンも絵になる、というのは流石に褒めすぎか。それでも、各地の建築や街並み、自然の風景を捉えたショットの数々は目の保養にもってこいである。暗転した劇場の大画面にこそ映える絵だ。

 

アメリカでも日本と同じく、モラトリアムの期間が長くなっているのだろうか。Jovianと同世代であるBVやクックが仕事に精を出すのは当然として、確固とした恋愛観や人生観を持てていないことにどういうわけか安心させられる。ふとした出会いから恋愛面でもビジネス面でもシリアスな人間関係に発展するまでの経過描写が短く、確かに大人になると時間感覚が若い頃よりも格段に速くなるし、仕事も人間関係も深まるのも速ければ冷めるのも速い。そうした青年期以降、壮年期の観客は登場人物とシンクロしやすいだろう。事実、Jovianは最初から最後までライアン・ゴズリング演じるBVに己を重ね合わせていた。出会い、別れ、そして再会する。多くの関係を結んできた、そして多くの関係を壊してしまってきたからこそ、人間関係の本当の機微や価値が分かるようになる。人生の本当の意味や目的が見えるようになる。中年夫婦で観に行くことをお勧めしたい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210104154145j:plain
 

ネガティブ・サイド 

ストーリーはあるにはあるが、とにかく薄い。まるで『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』と『 アリー / スター誕生 』を足して5で割ったものから、エロ成分をマイナスしたような作品。いや、一応女性のトップレスが拝めるシーンはあるにはあるが、エロティックでは全然ない(別に脱いでくれた女優さんに他意があるわけではない、念のため)。各シーンの映像美は素晴らしいが、そのシーンに深い意味が認められない。まるで『 フィフティ・シェイズ・フリード 』を観ているようだった。つまり、眠気との勝負である。正直なところ、ルーニー・マーラが小悪魔~魔性の女風の視線や表情を定期的に見せてくれなければ、多分Jovianは2~3回は寝落ちしていたように思う。マーラの魅力に感謝である。

 

タイトルが“Song to song”であるにも関わらず、肝心かなめのキャラクターの心情はナレーションで語ってしまうのはどういう了見なのか。BVがピアノの弾き語りをしながら作曲するシーンが、かろうじて彼の心情を表しているぐらいで、全編これ会話、しかもドラマを盛り上げない雑談で進むとはこれ如何に。テレンス・マリック監督におかれては、映像美にこだわるのもよろしいが、『 はじまりのうた 』や『 カセットテープ・ダイアリーズ 』を観て、音楽で語るとはどういうことかを研究して頂きたいものである。

 

会話劇としても盛り上がりに欠ける。『 TENET テネット 』のような難解極まる会話ではなく、非常にカジュアルな会話、表面的な意味しか持たない言葉のやりとりには、いささか閉口させられた。絞り出すような言葉、丁々発止のやりとりなどはほとんど存在しないので、やはりどれだけキャラクターに自分を重ね合わせられるかが肝になる。老親の介護が現実の問題として迫ってきているというのは30代40代あたりなら我が事のように感じられるだろうが、いかんせんキャラクターの多くが音楽業界でセレブ然とした生活を送っているものだから、やはりシンクロするのは難しい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210104154203j:plain
 

総評

鑑賞して評価するには、かなりの文学的素養が求められると思われる。キャラクターがどれもこれも浮世離れしていて、地に足がついていない。大人の人間関係を描いてはいるが、これを見たままに消化吸収して解釈するには、かなりの映画的ボキャブラリーが必要だ。Jovianはその任に堪えない。英語のレビューをこれから渉猟しようとは思うが、それらを読んで自分の感想が変わるとも思えない。チケット購入を検討中の向きは、娯楽作品ではなく映像芸術だと思われたし。劇場ではなく美術館に赴くようなものと心得られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take ~ back

~を後ろに持っていく、の意。take back ~ という形でも使われる。テニスや野球をする人なら「テイクバック」という言葉を聞いたことがあるはず。ボールを打つ前にラケットやバットを後ろに引く動作のこと。物体以外にも、コメントや約束を撤回する時にも使われる。

 

The politician never took back her comment regarding LGBT people.

その政治家はLGBTに関する自身のコメントを撤回しなかった。

 

のように使う。take backという句動詞には他にも多様な意味があるが、まずは「後ろに持っていく」、転じて「撤回する」を覚えておこう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ナタリー・ポートマン, マイケル・ファスベンダー, ライアン・ゴズリング, ルーニー・マーラ, 監督:テレンス・マリック, 配給会社:AMGエンタテインメント, 青春Leave a Comment on 『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

Posted on 2020年12月31日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120258j:plain

AWAKE 50点
2020年12月29日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:吉沢亮 若葉達也 落合モトキ 寛一郎
監督:山田篤宏

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120219j:plain
 

Jovianの映画以外の趣味として、ボクシング観戦、テニス、そして将棋がある。実際に2015年の電王戦も、それをさらにさかのぼる渡辺明 vs ボナンザ戦もリアルタイムで観ていた。阿久津主税 vs AWAKEに着想を得た本作はどうか。将棋の部分のリアリティが不足していたと言わざるを得ない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120239j:plain
 

あらすじ

奨励会の大一番で幼少期からのライバル・浅川陸(若葉竜也)に敗れた清田英一(吉沢亮)は、将棋から足を洗い、大学に入学するも、将棋意外に人とのかかわりを持てない英一は孤立。しかし、自宅で父親がコンピュータ将棋をしているのを見て、大学の人工知能研究同好会に向かい、そこで磯野(落合モトキ)と出会う。英一は将棋プログラムの開発に没頭するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド 

吉沢亮といえば『 リバーズ・エッジ 』、『 キングダム 』、『 青くて痛くて脆い 』など、どこかダークサイドを内に秘めたキャラを演じることに長けている。その力を今作でも遺憾なく発揮している。碁打ちや将棋指しは完全情報ゲームで戦っているので、建前上そして理論上は勝ち負けに運の要素はない。すべては実力で決まる(ことになっている)。そうした勝負の最中の敗北を悟った瞬間の目の演技は見事だった。また、『 聖の青春 』で東出昌大が羽生の仕草を完コピしていたのを参考にしていたのだろう。羽生の癖をよくよく研究していると思しき演技にも好感が持てた。

 

若葉竜也演じる浅川陸が阿久津主税に似ているかというと、さにあらず。現実の阿久津は、飲む打つ買うの三拍子そろった昭和気質の悪童・・・ではなく、酒とパチンコを嗜む現代的な将棋指しである。ただ、本作は阿久津のドキュメンタリーではないので、そこのディテールにこだわる必要なし。棋士とはどういったたたずまいの生き物なのか、どういった生態なのかを描出できていれば合格。その意味では、和服で対局室に向かう浅川の姿は、写真集『 棋神 』に掲載されている谷川浩司を意識したとしか思えない構図のショットあり、往年の中原誠の所作をコピーしたと思われるタイトルホルダーあり、また大山康晴の格言「助からないと思っても助かっている」を忠実に表す局面ありと、将棋ファンのノスタルジーを大いに刺激してくれる。

 

ストーリーも現実の改変度合いが適度だったと感じた。現実の電王戦2015は、双方ともに納得のいく展開でも結末でもなく、ソフト開発者にも阿久津にも賛否両論があった。そうした現実のドロドロはいったん無視して、清田と浅川を幼少期からのライバルという設定を導入したのは面白かった。棋譜を読み込むことが生活の一部だった清田が、プログラミングの教科書を読むだけで丸暗記するところは、非現実的でありながら「元奨ならありそうだ」と思えた。またプロ棋士浅川が将棋以外はからっきしの音痴であるという設定もリアルだ。漫画『 将棋の渡辺くん 』を読めばわかるが、トッププロは著しく家事家政能力やその他の日常生活関連の知識や技能に乏しいことが多い(渡辺は徐々に料理ができるようになったようだが)。プロ棋士を変に天才や超人のように描かないところも、本作のテイストに合っていた。

 

浅川とAWAKEの決戦の緊張感は、リアルタイムで当時の対局を見守っていた頃のハラハラドキドキを思い起こさせてくれた。結末が分かっていても、それでも安心できない。当時の対局の空気感を本作は見事に蘇らせている。当時を知る人も知らない人も、人間とコンピュータが激突することの意味を改めて現代に問い直すために、本作を鑑賞されたし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120322j:plain
 

ネガティブ・サイド

人間の、特に将棋に夢破れた人間の負の感情がストレートに吐露されたイベントだった電王戦の空気が再現され、棋士の姿も将棋ファンを満足させる程度には練り上げていた。決定的に欠けていたのは、電王戦に至るまでの歴史的な経緯だ。特にボナンザのソースコードが公開されたというくだりは不要だろう。そこに言及してしまうと渡辺明 vs ボナンザが存在したことになってしまう。そうするとドワンゴが主催する電王戦というイベントの重みが急に軽くなってしまう。また、清田のメンターでありパートナーとなる磯野は「将棋は完全情報ゲームだから、それを解明しても人類の進歩に寄与しない」と吐き捨てていたが、だったら何故全幅探査型のボナンザのコードにあれほど興奮するのか、不思議でならなかった。磯野がコンピュータ将棋に前のめりになるきっかけのようなものを30秒でよいので描くべきだった。

 

ボナンザという現実のソフトの名前を出しながら、GoogleがGeegloに、WikipediaがWakipediaになっているのもいかがなものか。変えるべきは阿久津や巨瀬氏の名前であって、その他の人物や事物、出来事については現実に即したもののままで良かった。また、「私は失敗などしていない。上手く行かない方法を1万通り見つけただけだ」と嘯いたのはトーマス・エジソンだが、何故か磯野はそれを息子のチャールズ・エジソンの言葉にしている。このあたりの現実世界とのシンクロしない点がリアリティを殺いでおり、そこが大いに不満である。

 

何名かの女性キャラクターもノイズだ。浅川の姉や磯野の妹は完全に不要なキャラ。もしも登場させるなら、もっと浅川や磯野のキャラクター背景を掘り下げるために使うべきで、残念ながら本作の本筋に彼女らの居場所はなかった。

 

重大なミスも散見された。2点だけ指摘する。電王戦前の浅川の段位が「七段」 、電王戦終局直後の記者の呼びかけが「浅川八段」、そして翌日の新聞の見出しでは「浅川七段」。この大ポカに脚本段階でも撮影段階でも編集段階でも誰も気付かなかったのだろうか。もう一点はとある縁台将棋的な場面。「それは教えてもらって打ってるんだぞ」という台詞が気になった。確かに直前には持ち駒を「打った」が、その次の手は盤上の駒を「指して」いたのではなかったか。上で「碁打ちや将棋指し」と敢えて書いたが、囲碁は打つ、将棋は基本は指す、持ち駒は打つものである。将棋の素人ならまだしも、『 聖の青春 』や『 3月のライン 』では決して見られなかったミスである。製作者側の取材や勉強が不足していると感じる。

 

最後に・・・プロのタイトル戦経験者と2枚落ちで指せるガキンチョとはいったい・・・6枚落ちではなく?プロと2枚落ちで指せる(≠勝てる)=アマチュア3段レベルで、小学生になったばかりぐらいの子が・・・はっきり言って藤井聡太レベルの器だろう。つまり、非現実的だ。最後にスクリーンに映し出されるキャプションも、「今日も人間同士の戦いは続いている」などで終わっていれば、電王戦だろうと伝統的な将棋だろうと、結局は人間と人間のぶつかり合いなのだな、と納得できたのだが。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120346j:plain
 

総評

日本将棋連盟も制作に協力していたようだが、実在のプロ棋士をモデルにしたと思しきキャラクターは数えるほどしかいない。将棋界の面白さは、1.将棋というゲームの面白さ、2.将棋指したち自身の面白さ、の二つで成り立っている。将棋というゲームの面白さを映画で描くことは困難だ。だが、将棋指しの面白さを伝えることは比較的容易だろう。テレビで加藤一二三を見て「このじいさん、面白い」と多くの人が感じているではないか。浅川や清田という人間にもっとフォーカスを当てた物語を作るべきだった。ライトな将棋ファンならまだしも、生粋の長年の将棋ファンをも唸らせるクオリティには本作は残念ながら達していない。

 

私的電王戦雑感

『 泣き虫しょったんの奇跡 』で以下のように述べていたので引用する。

 

元奨の残念さという点では、電王戦FINALで21手で投了した巨瀬亮一を思い出す。FINALはハチャメチャな手が飛び出しまくる闘いの連続で、特に第一局のコンピュータの水平線効果による王手ラッシュ、第二局のコンピュータによる角不成の読み抜け(というか、そもそも読めない)など、ファンの予想の斜め上を行く展開が続いた。特に第二局は、▲7六歩 △3四歩 ▲3三角不成 という手が指されていれば一体どうなっていたのか。

 

Jovianは個人的には巨瀬氏は28角を誘導されたからといって投了すべきではなかったと今でも強く思っている。劇中でも少年時代の清田が奨励会幹事に「自分の力でどうしようもなくなったら投了するんだ」と諭されていたが、それは明確な詰みがある、一手一手の寄りで受けがない、攻防ともに見込みがないなどの局面でのこと。とんでもない悪手を指したから投了というのが許されるのは、芸術家気質の強い棋士(例:谷川浩司)ぐらいのもの。最低限、飛車で馬がボロッと取られるところまでは指すべきだった。投了するならばそこの局面であるべきだった。本作を通じてプロ棋士の姿がほとんど見えてこないのは、それだけプロが電王戦、なかんずくAWAKEの開発者の巨瀬氏に複雑な感情を抱いているからだと見ることもできる。本作で提示される清田の葛藤にどれだけ共感できるか、そこは人によってはかなり難しいのではと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

awake

劇中では動詞として紹介されていたが、実際は形容詞として使われることの方が圧倒的に多い(動詞で“眠りから覚ます”、“覚醒させる”のならawakenを使う)。職場で眠気に襲われてコーヒーを淹れてくる際に

 

I need some coffee to keep myself awake.

眠らないようにするためにコーヒーが必要だよ

 

と一声かけてみよう。

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 吉沢亮, 寛一郎, 日本, 歴史, 監督:山田篤宏, 若葉竜也, 落合モトキ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

投稿ナビゲーション

過去の投稿

最近の投稿

  • 『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-
  • 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-
  • 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-
  • 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-
  • 『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

最近のコメント

  • 『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- に cool-jupiter より
  • 『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- に 伊藤 より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に 匿名 より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme