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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2021年12月

2021年総括と2022年展望

Posted on 2021年12月31日2021年12月31日 by cool-jupiter

2021年総括

 

コロナが荒れ狂った年始と夏、しかし激減した秋、そしてオミクロン株がじわりと広がりつつある年末。繁華街の人出は2020年以前のそれに戻りつつあるように感じるが、2021年の年始にコロナ罹患者が激増したことを忘れてはならないし、夏には医療崩壊が現実に起こったことも忘れてはならない。

 

そんな中でも劇場での映画鑑賞という営為には基本的には飲食もなく、会話もない。コロナ禍においても比較的普段通りに楽しめる娯楽であり経済活動であったということが再認識されたように思う。

 

一方であらゆるものがオンライン化、デジタル化の方向に向かい、映像コンテンツも例外ではなかった。配信と劇場公開、どちらかがメインストリームになるのか、それとも両方がメインストリームになるのか、または第3の選択肢が生まれてくるのか。それは近い将来に分かるのだろう。

 

色々あったが、個人的な各賞の発表をば。

 

2021年最優秀海外映画

『 少年の君 』

主演のチョウ・ドンユィの演技力、そして監督のデレク・ツァンの演出力に、ただただ圧倒されるばかりの映画体験だった。なぜ中国映画にもっと目を向けてこなかったのかと、自分の蒙昧さを悔いるばかりだった。本作鑑賞後、同じく主演チョウ・ドンユィ、監督デレク・ツァンの『 ソウルメイト 七月と安生 』が劇場でリバイバル上映されていると知り、居ても立っても居られず、無理やり仕事で後半休を取ってしまった。デレク・ツァンが韓国におけるポン・ジュノ的なポジションに着くのにそれほど時間はかからないだろう。10年以内に米アカデミー賞を受賞しても驚かない。それほどの才能の持ち主であると感じた。

 

次点

『 17歳の瞳に映る世界 』

女二人組の一風変わったロードトリップものだが、全編を徹底的なリアリズムが貫いていた。映画とは見せる/聞かせるものであるが、本作は一歩踏み込んで、観客にキャラクターの背景をありありと想起させてくれた。カウンセリングのシーンの静かな問いかけ、それに応答する主人公オータムの演技は、『 万引き家族 』の安藤サクラの取り調べシーンでの演技に比肩する。2021年のトップ3に入るシーンだった。

 

次々点

『 サムジンカンパニー1995 』

本邦が『 地獄の花園 』を作っている最中に、隣国ではこのような傑作を作っていた。これでは差が縮まるどころか開く一方だろう。



2021年最優秀国内映画

『 JUNK HEAD 』

数々の優れた先行作品の影響を色濃く残しつつも、極めてユニークでオリジナルな世界観を現出せしめた。国はクール・ジャパンなどという過去の遺産をいかに展示する箱モノを作るかというアホな事業にカネを出さず、堀貴秀のような狂気のクリエイターこそを支援すべきだ。

 

次点

『 すばらしき世界 』

このなんとも逆説的なタイトルをどう解釈すべきか。誰かが社会的に受け入れがたい存在であっても、そのことが相手を自分個人として受け入れがたい存在にするわけではない。とかく人間の中身ではなく属性ばかりに注目する日本および日本人への、西川美和監督の鋭い問題提起である。

 

次々点

『 ヤクザと家族 The Family 』

家族とは血のつながりなのか、それとも自ら選び取るものなのか。家庭内暴力や離婚件数は過去30年で増加の一途であるが、こどもに関連する問題に歯止めをかけるために創設されるのが「こども家庭庁」であると言う。それを作ろうとしているのが、派閥の力で長をトップに押し上げ、権力を掌握しようという政治屋どもなのだから恐れ入る。現代日本で組織のトップを「オヤジさん」と呼ぶのはヤクザか政治家ぐらいだろう。そうした目で本作を見れば、痛烈な社会批評になっていることは明らかである。

 

2021年最優秀海外俳優

チョウ・ドンユィ

『 少年の君 』で見せた高校生役は圧巻の一語。悲愴な面持ちの演技をさせればアジアでナンバーワンだろう。ルックス重視で配役する日本は韓国に追い抜かれて久しいが、中国に追い抜かされる日も近い。

 

次点

マット・デイモン

『 最後の決闘裁判 』における誇り高さと傲慢さの見事な演じ分けが光った。

 

次々点

レオナルド・ディカプリオ

『 ドント・ルック・アップ 』の必死過ぎて空回りする天文学者のパフォーマンスは最高だった。顔はアイドルだが、演技力は間違いなくアメリカでもトップクラス。

 

2021年最優秀国内俳優

鈴木亮平

『 孤狼の血 LEVEL2 』で圧倒的な存在感を発揮した。コロナ禍で仕事が激減したことで、とことんこの役作りに取り組めたとのことだが、今後の邦画界での徹底した役作りとは、本作における鈴木が一つの水準になることだろう。『 土竜の唄 FINAL 』でも旧弊を打破する若手ヤクザを演じたが『 孤狼の血 LEVEL2 』一作だけで選出に異論は出ないだろう。

 

次点

山田杏奈

元々アンオーソドックスなキャラクターを演じることが多かったが、今年の『 ひらいて 』で、正に花開いた感がある。『 彼女が好きなものは 』『 哀愁しんでれら 』、『 名もなき世界のエンドロール 』、『 樹海村 』に出演し、確実に2021年に爪痕を残した。

 

次々点

磯村勇斗

『 ヤクザと家族 The Family 』の終盤の出演シーンを完全に自分のものにしていた。ラストの表情と視線にノックアウトされた観客は多かったに違いない。

 

2021年最優秀海外監督 

ジョン・M・チュウ

『 イン・ザ・ハイツ 』は近年のミュージカルでは白眉だった。ミュージカルにうるさい Jovian を entertain してくれたことに敬意を表したい。

 

次点

J・ブレイクソン

世界一の高齢社会、を通り越してもはや多死社会の日本にとって非常に示唆に富む作品だった『 パーフェクト・ケア 』の監督を推す。ストーリーの深刻さと軽妙なテンポを絶妙に組み合わせたバランス感覚は見事の一語に尽きる。

 

次々点

キム・ヨンフン

『 藁にもすがる獣たち 』の監督を選出。『 殺人鬼から逃げる夜 』のクォン・オスンとは僅差だったが、サスペンスの中にもミステリ風味を存分に効かせたキム・ヨンフン監督を推したい。



2021年最優秀国内監督

岨手由貴子

『 あのこは貴族 』

水原希子、門脇麦のイメージを覆すような演出を見せてくれた。前者を庶民に、後者を上級国民的に描き出すことで、物語に迫真性が付与された。

 

次点

松本荘史

『 サマーフィルムにのって 』を評価する。Jovian は兎にも角にも「映画を作る映画」が好物なのである。

 

次々点

平尾隆之

『 映画大好きポンポさん 』から選出。ロマンチックな要素を一切排したアニメ作品は、それだけで希少価値があると思っている。

 

2021年海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 アンチ・ライフ 』

ストーリー、撮影、脚本、役者の演技のすべてがクソ。普通に映画学科や映像学科の大学生でも、もっとマシな作品を作れるだろう。劇場に観に行かなかったのは、ある意味で救いであった。

 

次点

『 ズーム/見えない参加者 』

着想は悪くないのだが、それ以外がまるでダメ。劇場公開にこぎつけるべく、文字通り取って付けたような映像を最後に持ってきたところが見苦しさの極み。

 

次々点

『 エターナルズ 』

映像は派手だが、「それはもう、〇〇〇で見ただろ?」というシーンと展開のパッチワークだった。素直な感想をTwitterで述べたところ、変な自主映画製作者に英語で絡まれたという、個人的に曰はく付きの作品。

 

2021年国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 CUBE 一度入ったら、最後 』

一体全体どういう構想をもって『 CUBE 』をリメイクしようと思ったのか、まったく見えてこない作品だった。演技も幼稚、構成にひねりがなく、本来あるべき緊張感をアホな演出でことごとくそぎ落とすという、わざとつまらなくしようとしているとしか思えない作りだった。「一度入ったら、最後」というのは、チケットを買って劇場に入った観客の謂いだったか。

 

次点

『 いのちの停車場 』

原作の問題提起をすべてぶち壊す最終盤の展開に呆れるしかなかった。現実味のないキャラクター、さらに現実味のないキャラクターが見せる現実味のない演技など、邦画のダメな部分が凝縮されてしまった残念極まりない作品。

 

次々点

『 そして、バトンは渡された 』

一瞬一瞬の役者の無理やりな演技と感動的なBGMだけで観客を泣かせてやろうという、これまた邦画のダメな部分が詰まった一品。『 樹海村 』と大接戦だったが、山田杏奈というMVP級の活躍をした女優に免じて、本作をチョイスした。

 

2022年展望

『 トップガン マーヴェリック 』が延期に次ぐ延期で2022年にも果たして公開されるのやら。『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』が広げまくってしまった大風呂敷を『 ジュラシック・ワールド / ドミニオン 』は果たしてきれいにたたむことができるのか。

 

邦画では個人的に『 前科者 』を楽しみにしている。原作をLINE漫画で読んでいて、これを映画化するからには相当な社会批評になっているのだろうと確信している。2019年の私的邦画ベスト『 翔んで埼玉 』の続編も公開予定とのことだが、コロナによって格差と分断がさらに進んだ日本を呵々と笑い飛ばす快作に仕上がっていることを願う。

 

韓国映画はまあまあ劇場で鑑賞できたが、インド映画をもっと大スクリーンで観てみたい。配給会社の一層の活躍を期待したい。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代Leave a Comment on 2021年総括と2022年展望

『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

Posted on 2021年12月30日 by cool-jupiter

モスラ 80点
2021年12月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フランキー堺 小泉博 香川京子
監督:本多猪四郎

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ゴジラが唯一まともに勝利したことのない怪獣、それがモスラである。Monsterverseでも怪獣の女王と崇め奉られるなど、誕生から50年以上が経過しても存在感はいささかも薄れない。4Kデジタルリマスターで上映されるというのでチケットを購入。

 

あらすじ

台風のために太平洋上で座礁した第二玄洋丸の船員は、船を捨てて脱出する。その後、水爆実験によって放射能汚染されたインファント島から救出されるが、船員らには放射能汚染の症状は一切なかった。「原住民に飲ませてもらった赤い液体のおかげ」という言葉から、インファント島行きの調査団が組まれる。調査団に同行した新聞記者の福田(フランキー堺)と中条博士(小泉博)は、島で不思議な小美人に遭遇し・・・

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ポジティブ・サイド

小学4年生ぐらいにVHSで観た時以来である。平成モスラシリーズの作品はいずれも2回鑑賞しているが、本家本元はなかなか再鑑賞できていなかった。午前十時の映画祭に感謝である。

 

昭和ゴジラシリーズに通底していた「時代と向き合う」という姿勢が本作でも明確だった。本多猪四郎が監督なのだからそれも当然か。第二玄洋丸は第五福竜丸を下敷きにしているのは明白である。その第二玄洋丸の座礁の原因が台風というのも寓意的である。初代ゴジラの大戸島での登場もそうだが、怪獣とは大自然の脅威の実体化なのだ。わざわざ台風の瞬間最大風速が80メートルなどと表現するのは、モスラという大怪獣がもたらす大旋風は、まさに台風なのだと言いたいからだろう。

 

小美人を発見したネルソンが、彼女らを捕獲して見世物小屋をプロデュースするというのも時代を表していると言える。昭和のど真ん中の江戸川乱歩の小説には、しばしば見世物小屋や、それにインスパイアされたと思しきパノラマが登場する。人権意識もなにもないが、『 キングコング 』も元々は見世物にされるためにアメリカに連れてこられた。当時の日本人が小美人を観るために長蛇の列を作ったというのは大いにありうる話である。悪役ネルソンを見事に演じきったジェリー伊藤は素晴らしい。

 

それに対するは新聞記者と学者。学者が主人公というのは初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラvsデストロイア 』、怪獣ジャンル以外でも『 夏への扉 』や『 ダ・ヴィンチ・コード 』などいくらでも思いつく。ジャーナリストが主役の映画となると、『 プライベート・ウォー 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』、変化球では『 スーパーマン 』もあるが、邦画では『 新聞記者 』ぐらいしか思いつかない。メディアと学問に信を置ける時代があったのだなと感じる。同時に髑髏島やインファント島といった未知なる土地がなくなり、誰もがミニコミとして自由に情報を検索し、かつ発信できる時代に、メディアは何をすべきかを本作は描いている。それは人々の良心に訴えかけることである。また学者とは問題を解決する手段を見出す者であることも本作は描き出している。この50年で日本が得たもの、そして失ったものがありありと見えてくるではないか。

 

モスラが東京タワーを折って繭を作るシーンは美しいと同時に、当時の時代背景がしのばれて興味深い。ちょうど石原裕次郎が銀幕のスターからテレビのスターに変貌する時期で、本多猪四郎らの映画人からすれば、東京タワー=地上波テレビという図式が成立したのだろう。こういう社会批評と個人の意志表明とエンタメ性を同時に追求する試みは、高く評価されねばならない。

 

それにしてもフランキー堺の軽妙さの中に見えるプロフェッショナリズムは素晴らしいと思う。スッポンの善ちゃんは言い得て妙で、いつでもどこでも記者魂は忘れないし、体を張って闘うときは闘う。結構長めのアクションもワンカットでこなすなど、フィルム撮影の時代の俳優のプロ根性が垣間見えて良かった。

 

モスラが中盤以降にもたらす破壊の数々も味わい深い。ニューカーク市街地をただ単に飛ぶだけで蹂躙してしまう。もちろん壊れているのはミニチュアだが、これを汗水たらして作った人々、そしてモスラを操演した人々の姿が浮かんでくる。こういった特撮にはCGで出せない質感、リアリティがある。製作者側はミニチュアの出来に満足していなかったと言うから、どれだけ本物志向だったのか。流れ作業的に映画を作っている今の”職業”映画監督たちには昭和の古き良き映画に時々立ち帰ってほしいと願う。

 

初代モスラは明確に人類の味方ではないという描写も今の目で見れば新鮮だった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のマイケル・ドハティ監督は、怪獣=自然の回復力の象徴として描いたが、現代人は自然を保護するものと考えすぎなのかもしれない。SDGsはその好例だろう。モスラにしろ小美人にしろ、本来いるべき場所から遠ざけてはいけないのである。自然保護をしなくてもよいと主張しているわけではない。自然を利用するにしろ保護するにしろ、人間の力で自然を何とかできると考えてしまうのはいささか傲慢にすぎるのではないかというアジア的な価値観をもう一度見つめ直そうというだけである。

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ネガティブ・サイド

ロリシカから提供された兵器が謎すぎる。普通に自衛隊と米軍のアライアンスでモスラに攻撃をする、で良かったのではないだろうか。ロリシカもアメリカで良かったのでは?なにかロシアとアメリカを足したような名前で、この架空の国家は少々奇異すぎるように思えてならない。

 

人類が怪獣とコミュニケーションが可能というのは、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でも重要な設定となったが、インファント島原住民の野生のダンスと歌ともっと直接的な関連のあるコミュニケーション方法が望ましかった。キリスト教の影響を色濃く受けたコミュニケーションというのは、東宝、つまり日本の生み出した怪獣にはそぐわないと思う。

 

総評

初代『 ゴジラ 』に次ぐ怪獣映画の原点で、会社は違うものの人間の味方をする『 ガメラ 』という大怪獣にも与えた影響は大きいと思われる。手作りでしか出せない味わいが随所に感じられる。怪獣映画でありながら、人間賛歌ともなっており、本作をあらためて鑑賞することによって勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

know right from wrong

善悪/正邪の区別がつく、の意。right or wrong ではないので注意。小美人は「モスラに善悪の区別はありません」と言っていたが、それを訳すならこの表現が使われると思う。

Even very young children know right from wrong. 
小さな子どもでも善悪の区別はつく。

You are old enough to know right from wrong.
君はもう善悪の分別がついてしかるべき年齢だ。

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1960年代, A Rank, フランキー堺, 小泉博, 怪獣映画, 日本, 監督:本多猪四郎, 配給会社:東宝, 香川京子Leave a Comment on 『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

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『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

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ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

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ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

ソラリス 60点
2021年12月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー
監督:スティーブン・ソダーバーグ

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『 ドント・ルック・アップ 』という地球滅亡もの、さらになかなか終わらないコロナ禍のせいで、ついつい本作に手を出してしまった。古い方の『 惑星ソラリス 』は確か高校生ぐらいの時にテレビ放送で観た。こちらは確か大学卒業後に観た記憶がある。約20年ぶりの再鑑賞である。

 

あらすじ

精神科医のケルビン(ジョージ・クルーニー)は、惑星ソラリスの軌道上で観測任務にあたる友人から「来てほしい」との依頼を受ける。現地に赴いたケルビンは一部のクルーの死亡を知る。残ったクルーに話を聞くが、要領を得ない。そんな中、ケルビンの元に亡き恋人、ハリーが現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

SFというジャンルは基本的に論理による面白さを追求するものである。論理とは科学的な思考である。その意味でSF=Science fictionである。けれども、f の字を fantasy であると解釈することもある。『 スター・ウォーズ 』はSFと見せかけたファンタジーであり、おとぎ話である。では本作はどうか。これは fiction と fantasy を上手い具合に配分していると言える。

 

死人が生き返るというのは邦画では結構お馴染みで『 黄泉がえり 』や『 鉄道員(ぽっぽや) 』など、これまで数多く作られてきている。ただ、本作のユニークなところは舞台が地球ではなく宇宙空間であるところ。つまり、生き返っても絶対にそこには来れない場所であるところである。この蘇ってきた存在が持つ記憶というのも非常にユニーク。恩田陸の小説『 月の裏側 』の着想はおそらく本作および原作だろう。

 

アッと驚くとまでは言わないが、ある種のミステリを読み慣れている、あるいは観慣れている人なら予想できる展開だろう。それでもJovianも初見では唸らされた。この人間ではない存在と人間の奇妙な交流と、人間の定義 - つまり見た目なのかコミュニケーション能力なのか、それとも記憶なのか - が本作の眼目である。『 アド・アストラ 』や『 ミッドナイト・スカイ 』のような思弁的な物語を好む向きに、コロナ禍の今こそ鑑賞いただきたい作品である。逆の意味で会いたくなくなったりするかもしれないが。

 

ネガティブ・サイド

オリジナルの『 惑星ソラリス 』も本作も、悪いけれども退屈極まりない。探査船内のショットにしても、クルー以外には誰もいないことを強調するためのアングルで構成されているが、そんなことは観る側全員が分かっている。だからこそ、いるはずのない子どもを追うケルビンの表情であったり、その逸る足取りであったりを映すなど、緊張感やサスペンスを生み出すようなカメラワークが欲しかった。

 

ケルビンとハリーの恋愛回想シーンもかなりくどいという印象。ソダーバーグはこれをSFではなくラブロマンスと解釈したのかもしれないが、それは原作者であるスタニスワフ・レム御大へのリスペクトに欠ける。ジャンルを変えるにしてもヒューマンドラマにしておくべきで、それなら愛憎のどちらも描くことができた。

 

BGMの使い方も気になった。楽曲のクオリティではなく、音楽そのものが果たして必要だったか疑問に感じた。ほぼ探査船内と回想シーンだけで構成されている本作からは、BGMは極力そぎ落とすべきだった。音楽の力で観る側の思考や感情に影響を与えるのは映画の技法の一つではあるが、本作本来の極めて思弁的なSFという性格を打ち出すには音楽は邪魔であったように思う。

 

総評

コロナ禍収束の兆しが世界的に見えない。日本も水際対策に失敗した後で水際対策を強化するありさま。帰省についても政府は「慎重に判断を」と言うばかり。Zoom飲み会なるものも提案され、実行された瞬間に廃れた。「直接に出会う」ということの意味が見直されている時代だからこそ、本作のような思弁的な作品が新たな意味を帯びるのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Depends

That depends. の省略形。意味は「時と場合によりけりだ」である。How long does it take to make curry? = 「カレーを作るのにどれくらいの時間がかかる?」という質問は、レトルトなのか、それともすじ肉のワイン煮込みベースのカレーなのかで、数分から数日まで答えが変わってくる。そうした質問に対して Depends. / That depends. と返すようにしよう。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, SF, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ラブロマンス, 監督:スティーブン・ソダーバーグ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

『 マトリックス レザレクションズ 』 -どこか煮え切らない第4章-

Posted on 2021年12月21日 by cool-jupiter

マトリックス レザレクションズ 65点
2021年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:キアヌ・リーヴス キャリー=アン・モス
監督:ラナ・ウォシャウスキー

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『 マトリックス 』、『 マトリックス リローデッド 』、『 マトリックス レボリューションズ 』に続く第4作目。『 インディ・ジョーンズ 』シリーズの第4作ほど酷い出来では決してない。だが、別に制作しなくても良かったのではないかとも思う。

 

あらすじ

大ヒットゲーム『 マトリックス 』3部作の制作者のアンダーソン(キアヌ・リーブス)は、会社から第4作の製作が決定したと伝えられる。それ以来、不可思議なビジョンを見るようになったアンダーソンの目の前に、ゲームのキャラクターであるトリニティに瓜二つのティファニー(キャリー=アン・モス)が現われる。さらに、謎の男モーフィアスも現われ、アンダーソンにある選択を迫る・・・

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以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

オープニングからメタな自己言及がどんどんとされていて、脳みそが良い感じに刺激される。『 マトリックス 』の最大の衝撃は仮想現実という言葉が人口に膾炙するようになったかならないかの頃に、大規模な仮想現実世界を構想し、創造してしまったところにある。仮想現実が実現したわけではないが、VR体験などは徐々に社会に浸透しているし、シミュレーションによって様々な予測を行うことは最早常識となっている。そうした時代に『 マトリックス 』の新作がリリースされるということで、どのような衝撃を放ってくるのかと期待していたが、まずはその期待は裏切られなかった。マトリックスの中でマトリックスというゲームを作る、すなわち仮想現実の中で仮想現実を疑似体験させるという入れ子構造で、この導入は面白いと感じた。

 

モーフィアスの正体についても触れられており、これも面白い感じた。マトリックス世界には漂流者や救世主など、通常とは異なる挙動の存在がいることは旧作からも明らかだったが、いくら再起動(リロード)しても、outlier は出てくるものだ。そうした我々にショックを与えた前3作の世界観を、本作にうまく融合させている。そこから機械と人間の(部分的な)共存にもつながっていく。シベーベというマシンキャラはなかなかに可愛らしい。

 

アクションシーンも、キアヌが老体に鞭打って頑張っている。”I still know kung fu.” のセリフは、第1作の”I know kung fu.” を思い出して、思わずニヤリ。エージェント・スミスの大群の代わりに、ボットを導入し、『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』のゾンビのごとく、全方位から襲い掛かってくるのも、マトリックスのアップデートとして受け入れられた。

 

本作は『 マトリックス 』とはある意味で真逆の展開かつ第1作のリブートという離れ業を演じている。これは pro でもあり、con でもあるのだが、pro を見れば、『 マトリックス 』では救世主としてのネオを懐疑していたトリニティが、ネオを救世主として認めることで、ネオが本当に救世主として覚醒した。本作では、救世主としてのネオがトリニティを覚醒させることで、新たな救世主を覚醒させた。これはポリコレが云々という話ではなく、純粋にマトリックスという世界を一歩押し広げたものであると評価したい。マトリックスは常に救世主を必要とし、それによってリロードを繰り返してきた。本作ではマトリックスを作り変えることが強く示唆されるが、それは冒頭で明らかにされた入れ子構造を強く意識させるもののように思えてならない。親マトリックスから子マトリックスが生まれるイメージである。更なる続編があったとして、まずは観てみようという気持ちになれた。

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ネガティブ・サイド

なにか『 マトリックス 』3部作の現代版を無理やり1作に詰め込んだ感が拭えない。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』は、ほとんどそのまま『 スター・ウォーズ 』(『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』)のプロットの焼き直しだったが、こちらは新旧キャラクターがうまい具合にバトンタッチを果たした。一方のこちらは、肝腎かなめのヒューゴ・ウィービングやローレンス・フィッシュバーンが出ていないではないか。「マトリックス」と聞いて一番に思い浮かべるのは、黒服のサングラス=エージェント・スミスなのである。モーフィアス役はまだしも、あの俳優がスミス役というのは無理がありすぎる。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』の若きハン・ソロよりも無理がある。『 キャプテン・マーベル 』で採用されたデジタル・ディエイジング技術は、こういう時にこそ使うものなのではないだろうか。

 

第1作のリリースから20年以上になるが、映像技術の面で衝撃を与えるものがなかった。バレット・タイムの視点を変えるというのは面白いアイデアだったが、もっとエクストリームな展開を見たかった。バレット・タイムを使うネオをさらに上回るバレット・タイムを使うスミスをさらにネオが上回って・・・のような突き抜けた展開が欲しかった。

 

それにしても、彼の国の映画で描かれる日本という国の「これじゃない」感は何なのだろうか。韓国などは国を挙げて映画製作を後押しし、また他国の映画撮影に対しても非常にオープンだと聞く。それはつまり自国のイメージを常に世界に発し続けているということだろう。日本もいい加減、文化的鎖国状態を解くべき時期に来ている。ウォシャウスキーの言う好きな日本の映画監督は黒澤、小津、溝口だが、これをもってウォシャウスキーを親日家と言うのは無理があるだろう。

 

総評

『 マトリックス 』シリーズの一種のスピンオフ、あるいはリメイクとして捉えるのが吉かもしれない。”新章の開幕”的な位置づけになる可能性があることを漂流者たちに声高に喧伝させているが、それを観たいかと問われれば、個人的にはノーである。ただ、懐かしい世界観に浸ることは十分にできたし、現代的なメッセージや監督本人の作家性(というよりも個人性、属性?)が十分に発揮されてもいる。旧作に親しんだことのある人なら、鑑賞しないという手はないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Have we met?

「私たち、以前に会ったことがあったっけ?」の意。映画やドラマでは割とよく使われる表現。似たような表現に “Do I know you?” もある。この ”Have we met?”は pickup line =口説き文句の始まりにもよく使われる。英語でこれを実際に口に出せれば、かなりの社交家であると自覚してよい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, キャリー=アン・モス, 監督:ラナ・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス レザレクションズ 』 -どこか煮え切らない第4章-

『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

Posted on 2021年12月19日 by cool-jupiter

ドント・ルック・アップ 80点
2021年12月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス
監督:アダム・マッケイ

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『 バイス 』や『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のアダム・マッケイ監督が、なんとも小気味良いコメディかつ壮大な現代世界の風刺劇を送り出してきた。エンタメ性と社会性はこうやって両立させるのだというお手本のような作品である。

 

あらすじ

大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は天文観測中に偶然にも彗星を発見する。連絡を受けた教官のミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)は彗星の軌道計算を行うが、その結果は地球への衝突であった。二人はなんとかこのことを世に知らせ、対策に乗り出そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

映画『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のシチュエーションに、機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の要素を足したような物語、つまりはありふれたストーリーなのだが、これがべらぼうに面白いのである。その秘密は何か。

 

第一に、人間があまりにも人間らしいのである。だいたい終末ジャンルの作品は、映画であれ小説であれ、メインのキャラクターは、終末に対して懐疑論者であっても非常に理知的で理性的である。しかし本作は違う。メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領が自国の天文学者の切なる声にまともに耳を傾けない。その理由が極めて(アホな)政治的な理由なのだから面白い。

 

ディカプリオ演じるミンディ教授もジェニファー・ローレンス演じる博士課程のケイトも、世間に対して彗星衝突の脅威を伝えようとしていく中で、自身のプライベートな生活がボロボロになっていく様が笑えると同時に哀しい。が、哀しさよりも可笑しさの方が勝っている。ホワイトハウスに訴えてもダメだった二人が、今度はテレビ局に赴くが、頭のおかしい人扱いされて終わり。そこでディカプリオは milfy なTVアンカーに上手く食われてしまい、家庭崩壊に一直線。ケイトもケイトで、テレビで絶叫してしまったせいで恋人にあっさり振られてしまう。どこまでもシリアスな話なのに、常に笑いに転化してしまうアダム・マッケイの手腕にも笑ってしまうしかない。

 

しかし、シリアスに捉えようとも、頭のおかしい学者の妄言と捉えようとも、彗星の接近は事実なのである。ここで観る側としてはどうしたって新型コロナのパンデミックの始まりとその後の展開を思い起こさずにはいられない。「コロナはただの風邪だ」と力説する者、「コロナは生物兵器である」と断定する者、「マスクは無意味」論者、「ワクチンで5Gに操られる」という陰謀論者などなど、21世紀も20年になんなんとする今という時代が、実は中世の啓蒙の時代と対して知的レベルは変わらないのではないかと思わされてしまう。劇中でも同じように「彗星は実在しない」として、空を見上げるな = “Don’t look up!”をスローガンにする勢力が登場する。元米大統領のD・トランプがマスク着用を小馬鹿にしていた、さらにその反マスクの姿勢に共感する共和党支持者に奇妙なまでにそっくりである。 

 

本作は、一見突拍子もないSF物語に見えるが、実際は現実世界の分断を大いに嗤うブラック・コメディである。大統領首席補佐官が労働者階級をあざ笑うかのようなスピーチをしつつ、その労働者たちがその演説を支持する様はとことん皮肉で笑えるのだが、そうした人々を笑う我々も実は笑っていられない。特に熱心な自民や維新の支持者は、一度冷静に考えてみるべきである。

 

本作のタイトルである Don’t look up には様々な意味が込められている。「上を見るな」とう意味だが、この上というのは物理的な方向としての上だけではなく、社会経済的階級あるいは権力構造の上の方を見るなという意味であるとも受け取れる。あるいは「調べ物をするな」という意味にも解釈可能である。実際に政治指導者層や超富裕層は、ピンチを自らの利に変えようとする、というか変えてしまう。その一方で、自らの提唱する政治・経済理論の正当性を決して検証しようとしない。このあたり、失われた30年と言われながらも、常に財政出動に及び腰かつ雇用の非正規化に邁進するばかりのどこかの島国は、曲学阿世のエセ学者・竹中平蔵や、イソジンでコロナが減らせるとエビデンスも糞もない「嘘のような嘘の話」を振りまいた吉村洋文らがペテン師であるということにいい加減に気が付くべきである。 

 

ディカプリオの見せる迫真の演技と渾身の演説が、漫画的なコマ割りのごとく良い感じにぶつ切りにされて、さらに笑いと悲哀を誘う。メリル・ストリープによる大統領役や、その息子のジョナ・ヒル補佐官の存在感も大きく、出てくるたびに「アホか、こいつら」と思わせてくれる。一方で、物語は進行していくにつれてドンドンと深刻さを増してくる。それまでは平穏な日常を過ごしていた人々も、look up して彗星が視認できるようになると、さすがに事の深刻さを理解する。つくづく Seeing is believing. で、そういう意味では目に見えないコロナウィルスの存在をいまだに疑う人々が一定数存在することには一定の説得力がある。

 

すべてを笑いに転化しようとする本作であるが、クライマックスは二つの意味で笑えない笑いをもたらす。一つには、いわゆるトリクルダウン理論を彗星を使って本当に行ってしまい、その結果として大多数の一般庶民が苦しみ死んでいく様を淡々と描いているから。もう一つには、人類滅亡の結末として、社会の上層に位置する人々を徹底的にコケにしているから。なんとも言えぬ余韻を残す本作であるが、ブラック・コメディの傑作であることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

ネットフリックス映画ということで、自宅鑑賞を前提にしているのかもしれないが、『 アイリッシュマン 』といい、本作といい、映画館で鑑賞するには膀胱への負担が大きい。映画は2時間ちょうどか、それをやや下回るぐらいがちょうどよい。

 

ケイトとその恋人との別れのその後、特にヒメシュ・パテルの役とティモシー・シャラメの役の対比がなされる場面があれば、なお良かった。

 

字幕にいくつかミスがあった。序盤で comet を「惑星」、終盤近くで best and brightest を「最新鋭」と する字幕があった。映画の欠点ではないが、一応指摘しておく。

 

総評

一言、傑作である。『 アルマゲドン 』や『 ディープ・インパクト 』の頃のような、無邪気なハリウッド映画の面影は全くなく、かといってエンタメ性の追求を忘れたわけでもない。『 シン・ゴジラ 』で日本はアメリカを容赦ない侵略国として描いたが、本作ではアメリカ人自身がアメリカ国家をそのように描いている。アメリカという国の精神的な成長を見る思いである。世界的な混乱を生むという意味ではコロナと彗星を重ね合わせて見ることも十分に可能である。観ている最中にはずっと笑えて、観終わった後にも笑える。しかし、笑いの裏にある現実批判の意味を悟れば、笑えなくなる。なんとも深みと苦みのある、大人の映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit tight and assess

「静観して精査する」の意。コロナ禍の始まりにおいて、我が国のアホな大臣が連発していた「高い緊張感をもって状況を注視する」という、「実質的には何もしません」宣言と同じような表現がアメリカにもあるようだ。ちなみにここでの sit は「座る」という意味ではなく「そのままでいる」という意味。sit still = じっとしている、sit idle = (機械などが)アイドリング状態である・使用中ではない、のように使われる。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジェニファー・ローレンス, ブラック・コメディ, レオナルド・ディカプリオ, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

『 ヴェノ:レット・ゼア・ビー・カーネイジ 』 -バトルシーンがイマイチ-

Posted on 2021年12月18日 by cool-jupiter

ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ 45点
2021年12月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ハーディ ミシェル・ウィリアムズ ウッディ・ハレルソン 
監督:アンディ・サーキス

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『 ヴェノム 』の続編。普通の地球生物ではヴェノムには勝てないので、ヴェノム自身からライバルを生み出した。アメコミでは『 スーパーマン 』以来のお約束である。

 

あらすじ

かつての売れっ子ジャーナリストのエディ(トム・ハーディ)は、地球外生命体ヴェノムに寄生されながらも、奇妙な共同生活を送っていた。しかし、かつての恋人のアン(ミシェル・ウィリアムズ)とは復縁できず、ジャーナリストとしての信用も取り戻せずにいた。そんな時、シリアルキラーのクレタス(ウッディ・ハレルソン)が「洗いざらいを話して、伝記を書かせてやる」とエディに話を持ち掛けてきて・・・

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ポジティブ・サイド

エディとヴェノムの掛け合いは本当に面白い。『 寄生獣 』のミギーも阿部サダヲの意外に可愛げのある声のおかげで非常にユーモラスなキャラになっていたが、こちらのヴェノムはもはやギャグの領域。最も面白いのは、エディとヴェノムだけが分かるやりとり。特に、元カノのアンとの再会のシーンでのヴェノムの囁きには筆舌に尽くしがたい面白さおかしさと一掬のパトスがある。何が面白いかというと、ヴェノムの声もトム・ハーディが演じているところ。つまりは一人二役なわけで、元カノあるいは意中の相手を前にアプローチをかけられない男の内面の声を我々は聞かされるわけである。これが可笑しくない、さらに哀しくないわけがない。

 

なんやかんやでヴェノムとカーネイジが対決することになるが、単純な力と力のぶつかりあいではカーネイジに分がある。しかし、クレタスとカーネイジのコンビは、エディとヴェノムのようなバディになりきれていない。また、別の男とくっついてしまったアンも紆余曲折を経てエディとヴェノムに加勢してくれる。一方のカーネイジは、共生しているとは言い難く、そこにヴェノムたちの勝機がある。この対比は面白かった。

 

ポストクレジットでは「そう来たか」と思わせるシーンあり。ヴェノムというヴィランが、ついに本来のヴィランとしての立ち位置に戻ることを強く予感させる。ヴェノムに必要のは、ダークヒーローとしての活躍ではなく、ヒーローを(比ゆ的な意味で)食ってしまうヴィランとしての活躍。それがいよいよ拝めそうである。

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ネガティブ・サイド

自分でもうまく説明できないが、ヴェノムとエディがなんやかんやと掛け合いをしている時の方が、バトルアクション全開の時よりも面白い。これは何故なのだろうか。CG技術は過去10年だけでも相当に進歩したが、観る側がその凄さに気付けないのか、あるいは観る側はもはや高精細かつハイスピードのCGを求めていないのか。別に本作に限った話ではなく、スーパーヒーロー映画全般のバトルというのは、どんどん面白く感じられなくなている。まるで金太郎飴のように、どこをとっても同じに見えてしまう。ヴェノムというシンビオートであってもそれが同じであるというのは残念である。

 

本作の敵役であるカーネイジも、正直なところ『 スーパーマンⅣ / 最強の敵 』のニュークリアマンの焼き直しだろうし、『 ゴジラvsスペースゴジラ 』や『 ゴジラvsビオランテ 』ともそっくりで、困ったら主役の亜種というのは、洋の東西を問わずネタ切れ間近の時の常とう手段であろう。いずれにせよカーネイジはアメコミの典型的なヴィランで、これも食傷気味である。というか、何故カーネイジ = Carnage = 大虐殺を名乗っているのだろう。稀代のシリアルキラーに寄生したからには、その殺戮シーンを見せつけてもらわなければならない。そうでないと名前負けするし、ヴェノムとのコントラストも際立ってこない。

 

カーネイジの宿主たるクレタスや、その恋人であるフランシスもまさにテンプレ的キャラクター。シリアルキラーが特定の人物だけに秘密を打ち明けようとするのは『 羊たちの沈黙 』そっくりだし、フランシスの使うシュリークという絶叫系の技も『 X-MEN 』か何かで見たことがある。そもそもこれらのキャラクターの導入があまりにも唐突すぎて、物語に上手くフィットしているとは言い難い。もっと言えば、本作はヴェノムというキャラクターをより深く掘り下げるというよりも、次なるステージへのつなぎのように見えてしまう。

 

全体的に薄っぺらい印象がぬぐえず、本作単独での魅力、あるいは前作とのつながりといシリーズ物としての魅力に乏しいと評価せざるを得ない。

 

総評

ヴェノムをヴィランと思ってはいけない。愛すべきマスコットのような存在として見ることができるなら楽しめるはず。エンターテイメント要素はてんこ盛りであるが、人間ドラマのパートが皮相的である。ヴェノムとカーネイジの激突に必然性が薄いのもマイナスポイント。逆に、キャラが丁々発止に掛け合い、ドカンと派手にぶつかり合うアクションを純粋に楽しみたいという向きになら、十分にお勧めできる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Another one bites the dust

「地獄へ道連れ」・・・というのはQueenの同名曲の邦訳。字義に忠実に訳せば、「もう一人が地面に倒れて土ぼこりを噛んだ」となる。つまり、また一人くたばった、の意。bite the dust はまあまあ使う表現で、その対象は人間だけではなく動物や事業も含む。He started a restaurant, but it bit the dust in a year. = 彼はレストランを始めたが、そこは一年で潰れた、のように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, トム・ハーディ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:アンディ・サーキス, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ヴェノ:レット・ゼア・ビー・カーネイジ 』 -バトルシーンがイマイチ-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

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『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

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ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

Posted on 2021年12月10日 by cool-jupiter

パーフェクト・ケア 75点
2021年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク ピーター・ディンクレイジ エイザ・ゴンザレス 
監督:J・ブレイクソン

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『 ゴーン・ガール 』で一気にトップスターに昇りつめたロザムンド・パイクの最新作。介護ビジネスを悪用するやり手の話というのは、世界随一の高齢社会である日本にとっても非常に興味深いものがある。

 

あらすじ

マーラ(ロザムンド・パイク)は、高齢者をケアホームで保護しつつ、実はクライアントの財産を食い物にする悪徳後見人だった。独り身の高齢者ジェニファーの財産に目をつけるが、彼女をホームに送り込むが、彼女の背後にはロシア系マフィアの存在があり・・・

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ポジティブ・サイド

日本はもはや多死社会だが、アメリカも相当な高齢社会である。畢竟、介護の需要が高まるが、行政と民間の二軸でサポートする日本と違い、彼の国では司法が民間業者に一般人の保護を命じることが当たり前のようにあるらしい。この制度を上手く利用して儲けてやろうと目論むところが痛快・・・もといプラグマティックである。

 

『 ゴーン・ガール 』で世間の目を見事に欺いたロザムンド・パイクが本作でも魅せる。法廷で高齢者の家族から「勝手に財産を処分して、その金を自分の懐に入れている」と糾弾されても、「高齢者の保護が私の仕事で、仕事であるからには報酬を受け取る」といけしゃあしゃあと言ってのける。そして判事も納得させる。何という女傑だろうか。

 

こうして高齢者家族を煙に巻き、裁判所を味方につけ、友人の医師に株とのトレードで資産家高齢者の情報と診断書を得ていくマーラだが、次の獲物のジェニファーが曲者。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、背後にいるマフィア(ピーター・ディンクレイジ)が登場してくるあたりから、悪 vs 悪の図式となり、一挙にストーリーが加速する。

 

ハイライトは2つ。一つはマフィアに拉致されたマーラが、その親玉であるピーター・ディンクレイジに交渉を持ちかける場面。どれだけ狂った人生を送ったら、このような言葉を実際に口に出せるようになるのだろうか。『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステイン演じるスローン女史と並ぶ、強烈な女性キャラクターの誕生を目撃した気分になった。二つ目は、マフィアへのリベンジを果たすマーラが、ピーター・ディンクレイジから交渉を受けるところ。こちらもアメリカ社会の闇を感じさせるが、それはある意味で日本社会にもそっくりそのまま当てはまる。

 

平成の初期から、独居老人のもとに足繁く通って話し相手になり、信頼を得たところで高額な羽毛布団を売りつけるセールスマンというのは、全国津々浦々にいたのである。今後は高齢者向けにビジネスをするのではなく、高齢者そのものをビジネスにしようとする動きが、先進国で加速していくだろう。それがどういう結末になるのか、本作は一定の示唆を与えて終わっていく。

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ネガティブ・サイド

エイザ・ゴンザレスの存在感が今一つだった。マーラとビジネスパートナーであり、セックスのパートナーでもあったが、さらにもう一歩踏み込んだ関係性を構築できていなかったように思う。もしもマーラがこのキャラに介護ビジネスの帝王学を伝授しているようなシーンがあれば、終幕のその先にもっと色々な想像が広がるのだが。

 

マフィアのピーター・ディンクレイジがチト弱いし、詰めも甘い。普通なら即死させて終わり。死体は、それこそ手慣れた始末方法があるはず。『 ベイビー・ドライバー 』のケビン・スペイシーはそういうキャラだった。拉致するまでの手際があまりに見事なせいで、その相手を事故死に見せかけて殺すところで下手を打つところに、どうにもリアリティがない。

 

ストーリー上のコントラストのために、介護の現場で甲斐甲斐しく働くケアワーカーの姿が必要だったが、それが一切なかった。もちろん現場で働く人たちはいたが、フォーカスは警備員や経営者であった。正しい意味で介護をビジネスとしている人々の姿編集でカットされていたとしたら残念である。

 

総評

一言、傑作である。弱点はあるが、それを補って余りある展開の良さとキャラクターの濃さがある。現代社会の闇にフォーカスしながら、単なるヒューマンドラマではなく極上のエンタメに仕上げている。介護の現場にパワードスーツやロボットが導入されるなど、その営為は様変わりしつつあるが、介護のニーズが減じることは、今後数十年はない。その数十年の中で、本作のような出来事は必ず起こる。それを是とするのか非とするのか、それは鑑賞後にじっくりと考えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bona fide

ラテン語の「ボナーフィデー」で、bona = good, fides = faithの奪格である・・・と言っても何のこっちゃ抹茶に紅茶であろう。英語では「ボウナファイド」と発音し、意味は「本物の」や「真正の」となる。奪格=副詞句的には使われず、形容詞として使われることがほとんど。This is a bona fide autograph of Muhammad Ali. = これは本物のモハメド・アリのサインだ、のように使う。英検1級以上を目指すなら、同じラテン語のbona由来の pro bono = 無料で、も知っておきたい。こちらは副詞句として使うが、慣れるまでは on a pro bono basis を使うといい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エイザ・ゴンザレス, クライムドラマ, ピーター・ディンクレイジ, ロザムンド・パイク, 監督:J・ブレイクソン, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

Posted on 2021年12月7日 by cool-jupiter

私のボクサー 70点
2021年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テグ イ・ヘリ キム・ヒウォン イ・ソル
監督:チョン・ヒョッキ

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『 ファイター、北からの挑戦者 』を観に行くタイミングがなかなか取れない。代わりに、軽めに思えた本作をTSUTAYAでチョイスしたが、ラブコメと見せかけたシリアスなボクシング・ドラマだった。

 

あらすじ

ビョング(オム・テグ)は将来を嘱望されるボクサーだったが、脳挫傷のために引退を余儀なくされる。しかし、館長(キム・ヒウォン)の厚意で事務の雑用係をすることで暮らしていた。ある日、ピョングはダイエット目的でジムにやってきたミンジ(イ・ヘリ)のコーチとなるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

開始早々から、黄昏時の海辺でシャドーボクシングをする男性のシルエットと太鼓を打ち鳴らす女性という、何とも奇妙な Establishing Shot である。この昼でも夜でもない海辺の男女という構図は非常に重要なので、これから鑑賞される方はこの絵をぜひとも脳裏に焼き付けられたし。

 

多くのボクシングものが、主人公が激闘の末に徐々に眼や脳にダメージを負っていく、あるいはその疑いが生じるというプロットを採用している。『 ロッキー5/最後のドラマ 』然り、『 アンダードッグ 』然り。しかし本作は主人公たるビョングがすでに脳にダメージを受けてしまった後から物語が始まる。「え?」と言うしかない。Jovianはここで、赤井英和のアナザーストーリーであるかのように錯覚してしまい、物語に引き込まれてしまった。

 

赤井英和はかつで朝日新聞だか毎日新聞だかのインタビューで「ボクシングはピークの頃の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語った。吉野弘幸はキャリア晩年に「まだまだ金山俊治戦みたいな試合ができる」とボクシング・マガジンか何かで語っていた。ボクサーのこうした習性というか本能のようなものを知っていれば、本作のビョングが29歳にしてリングへの復帰に熱い思いを抱くのも無理からぬことと納得できる。

 

ミンジへのコーチ、ジムメイトのギョンファンとの奇妙な友情と確執、犬を拾ってフォアマン(もちろん「老いは恥ではない」の言で知られるジョージ・フォアマンにあやかってだろう)と名づけるところ、そしてパンソリ・ボクシングを始めるきっかけとなったジヨンとの思い出。すべてが色鮮やかに語られながら、しかし、ビョングの暗くつらい過去、そして現在のパンチドランカー症状につながっていく。このあたりの語り口は非常に軽く、しかし同時に重い。ミンジというキャラの明るさと気の強さ、そしてビョングの朴訥さが、凸凹コンビ的でありながら、非常に清々しいパートナー関係に映る。

 

紆余曲折あってからのリング復帰を果たしたビョングを待ち構えるのは、どういうわけか因縁のジムメイトだったギョンファン。ビョングのパンソリ・ボクシングにかける想いには、ベタベタな演出ながら不覚にも感動してしまった。

 

ラストの燦々たる陽光のシーンをどう受け取るべきか。黄昏時の海辺のシャドーボクシングとの鮮やかすぎるコントラスト。これは現実なのか、それともビョングの見ている夢なのか。ひとつ確かなのは、ビョングは矢吹ジョーの如く「燃え尽きる」ことができたということだろう。

 

ネガティブ・サイド

韓国ではプロボクシングが斜陽産業であることは承知している。しかし、いくらなんでもコミッションが適当すぎやしないか。一度は引退を余儀なくされたボクサーの復帰に際して、メディカル・チェックがないわけがないだろう。そこを館長があれやこれやで回避するサブプロットを2分ぐらいよいので描くべきだった。

 

肝腎かなめの試合のシーンもおかしい。ボクシングシーンが非現実的なのは、どこの国のいつの時代のボクシング映画にも共通している。本作で決定的におかしいのは、ダウンシーン。ダウンを奪った側が颯爽と赤コーナーに向かう。ニュートラルコーナーではない。撮影中、そして編集中に誰一人としておかしいと思わなかったのだろうか。野球映画で、守備側の大ピンチに野手がピッチャー・マウンドではなく二塁(別に一塁でも三塁でもいい)に集合したらおかしいだろう。

 

総評

DVDのカバーが醸し出すポワンとしたラブコメ感は、実は本編にはほとんどない。序盤以外はほとんど硬質なドラマである。本作ではあるキャラが「韓国らしさは世界に通じる」と喝破するが、けだし韓国映画人の本音であろう。主演のオム・テグのシャドー・ボクシングは『 ボックス! 』の市原隼人並みにキレッキレである。ラブコメ好きにはお勧めしない。硬派なヒューマンドラマを求める向きにこそお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ニム

過去記事でも紹介したことがあるが、「~様」の意味となる。劇中ではミンジはピョングを「コーチニム」=コーチ様と呼んでいた。韓国では社長様や先生様という二重尊称が当たり前で、あらためて遠くて近い、近くて遠い国であると思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ソル, イ・ヘリ, オム・テグ, キム・ヒウォン, ヒューマンドラマ, 監督:チョン・ヒョッキ, 韓国Leave a Comment on 『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

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