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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

Posted on 2022年5月9日 by cool-jupiter

マイスモールランド 85点
2022年5月7日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:嵐莉菜 奥平大兼
監督:川和田恵真

これはまた凄い作品が送り出されてきた。個人的には『 存在のない子供たち 』に近い衝撃を受けた。年間ベスト候補の一つである。

 

あらすじ

難民として日本にやってきたクルド人家族たち。幼い頃から日本で暮らしてきた高校生のサーリャ(嵐莉菜)はアルバイト先で聡太(奥平大兼)と出会い、親しくなっていく。しかし一家の難民申請は却下され、サーリャたちは在留資格を喪失してしまう・・・

ポジティブ・サイド

クルド人と聞いてピンとくる人はどれくらいいるだろうか。Jovianもせいぜい第二次湾岸戦争時のアメリカがイラク攻撃の口実として「イラクは過去にクルド人を虐殺するために化学兵器を使った、だから今も大量破壊兵器を持っているはずだ」という無茶苦茶な論理を振りかざしていた時に初めて耳にした。少し調べてみると、まさに現在のウクライナと似通っていて、ある土地に住まう民族は何も変わっていないのに、周辺国の論理で国境線が書き換えられ、その結果、根無し草になってしまった。つまりは、パレスチナ人と同じくディアスポラなのだ。その意味で移民・難民とは無縁だった日本人には『 テルアビブ・オン・ファイア 』のようなブラック・コメディはウケなかったが、今後はもう違う。ロヒンギャやウクライナの現実を目の当たりにして、無知・無関心ではいられないだろう。

 

Jovianは語学教育業界に10年いるが、たまにネイティブ非常勤講師が警察のお世話になる。事件や事故を起こしたとかではなく、たまたま職質された時に在留カードを不携帯だった、あるいは財布やカバンと一緒に在留カードを紛失したので、警察に遺失物届を出しに行ったら、何故かそのまま拘留された、などのトラブルが年に1~2回程度の頻度で起こる。その度に会社の講師人事担当者は上を下への大騒ぎとなる。大阪や京都在住のアメリカ人やカナダ人といった白人でもこうなのだ。非白人、非欧米人が日本でどういう扱いを受けるかは推して知るべしだろう。

 

クルド式の結婚式に戸惑いながらも、日本の学校、日本のアルバイト先、日本の地域に溶け込んでいるサーリャとその家族は、無情にも難民認定申請が却下される。それによって就労禁止になったり、埼玉県外への移動が原則不可となる。入管は入管としての仕事をしているだけなのだろうが、ここで考えざるを得ないのは日本人が移民・難民にならざるを得なくなった時のこと。外国で日本人が同じ対応をされても、これでは文句を言えないと思う。ウクライナ戦争が泥沼化、台湾情勢も緊迫とは言わないまでも楽観視できない。そして先軍政治に邁進する北朝鮮と、日本の平和と安全もいつまで保てるやら。肝心なのは「やられる前にやる」の精神ではなく、そうしたことをさせない外交努力、そして万一戦禍を被ったとしても助けてくれる友邦を持つことだ。

 

閑話休題。働くな、県外に出るなと言われても、生活があるのだからそうは行かない。サーリャも自身の夢を叶えるために、大学進学のために、バイト代を貯めねばならない。そこで出会う同世代の聡太との出会いが、何ともドラマチックさに欠けるボーイ・ミーツ・ガールだ。しかし、ドラマチックであるということは非現実的でもあるということ。本当に何気ない言葉の掛け合いから始まるサーリャと聡太の関係にこそ迫真性がある。超えてはならない荒川をしばしば超える二人は、織姫と彦星のようではないか。サーリャから聡太に贈る「こんにちは」と「さようなら」のスキンシップは、この上なくロマンチックで、しかしこの上なく物悲しくもある。

 

押し付けられていると感じるクルドの宗教、文化、風俗習慣、さらに父親から「聡太にはもう会うな」と言われてしまうサーリャの心情はいかばかりか。一方で、その父が逮捕拘留されるという悲劇。クルドに帰属感を得られず、日本にも帰属できず。これは本当につらい。引き裂かれるような気持ちで観た。しかし、父の秘めたる愛情、そして聡太の不器用な想いに何とか救われたような気持になる。ラストシーンをどう解釈するかは我々次第である。日本というのは国籍と民族がほとんどの場合一致する世界的に珍しい国である。しかし、日本に住んでいることと日本人であることが一致しなくなりつつある現在、日本は排外的になるのか、それとも包摂的になるのか。それを決めるのは我々である。

 

ネガティブ・サイド

平泉成演じる弁護士が無能すぎる。これも国選弁護人か?とんでもない田舎でもない限り、在留外国人をサポートする非営利・非政府系の団体は結構ある。そういうところと連携しなさいよ。そうした団体が実際に力になるかどうかは別にして、サーリャ一家の危機を全てこの弁護士に任せっきりにしてしまう物語は少しリアリティに欠けると感じた。綿密な取材の上、支援団体は当てにならないと判断したのかもしれないが、希望の光を少しは見せてくれないと、ラストのサーリャの祈りの言葉の解釈が難しくなる。

 

総評

派手なBGMや、奇をてらったカメラワークを一切排除した、セミ・ドキュメンタリー風の作品である。観る人を選ぶかもしれないが、中学生、高校生、大学生にこそ観てほしいと心から思う。同時に、その親世代にも観てほしい。新時代の日本がどうあるべきかを示唆する2022年の最重要作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take refuge

避難する、の意。危険や危機から逃れるための行動を指す。take refuge from Ukraine to Poland のように使う。似たような表現に take shelter があるが、これは核爆発があったら核シェルターに逃げ込む、のような安全な場所そのものへ逃げ込むことを指す。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 奥平大兼, 嵐莉菜, 日本, 監督:川和田恵真, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

Posted on 2022年5月7日 by cool-jupiter

死刑にいたる病 80点
2022年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:阿部サダヲ 岡田健史 宮崎優
監督:白石和彌

大袈裟な言い方をすると『 羊たちの沈黙 』や『 殺人の追憶 』に近い衝撃を受けた。邦画もアメリカ映画や韓国映画に負けないダークな世界を追求できるのだと証明した逸品だと言える。

 

あらすじ

大学生の雅也(岡田健史)は、24人を殺したとされる榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙を受け取る。雅也は中学生の頃、榛村の営むパン屋の常連客だった。死刑判決を受けた榛村だったが、起訴された9件のうち、最後の9件目だけは自分の犯行ではないと言う。雅也は独自に事件の調査を始めるが・・・

以下、マイナーなネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

これは原作小説の勝利なのだが、まず設定が素晴らしい。24人を殺したとされるが、そのうちの1件は自分ではないと訴える死刑囚。これだけで興味を惹き起こされずにはいられない。また、演じる阿部サダヲが素晴らしい。人好きのする好青年から無表情に人を痛めつける殺人鬼、そしてカリスマ性すら感じさせるサイコパスを具体化している。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』から更にレベルアップしたと感じる。瞬きしないのは役者の基本だが、その絶妙に黒目がちになるうっすらとした目の開け方が底知れない不気味さを更に引き立てる。サイコパスの演技の到達点だと言っていいかもしれない。日本のハンニバル・レクターとは褒めすぎかもしれないが、それほどの凄みを感じた。

 

対する岡田健史は『 弥生、三月 君を愛した30年 』や『 望み 』での、どこか弱々しい息子役という印象しかなかったが、本作で一皮むけたと言える。いや、弱々しい息子という点では本作でも同じなのだが、まるで『 殺人の追憶 』のソ刑事のように、序盤と終盤で別人であるかのように変貌する。元々の家族関係の悪さから内に相当なフラストレーションが堆積していたのが、調査を進めていく中でとある可能性に遭遇することで、一気に爆発する。その描き方がリアルだった。特に雅也が大学に行くたびに、背景の時間と雅也の時間がずれているのが秀逸。まさに「異なる世界に住んでいる」あるいは「この世界には属していない」という描写だった。

 

最もサスペンスフルなのは、何度か行われる榛村と雅也の面会シーン。BGMを一切廃し、役者の台詞とカメラワークと照明、音響だけで勝負していた。そして勝利を収めていたと評してよいだろう。今やお馴染みとなったアクリル板のこちらと向こうで、微妙に声の響かせ方・聞こえ方を変えて臨場感を生み出していた。また、しばしば雅也と榛村の顔の反射がアクリル板上で重なり合う。これにより二人の心理的・心情的な同化が視覚化されていた。面会シーンはどれもその場の空気が伝わって来るかのような緊迫感と臨場感があり、一つの謎が明かされると、更なる謎が生まれるという、ミステリーがサスペンスを生み、サスペンスがミステリーを生み出すというエンタメの極致だった。

 

雅也の重要な変化を示すものとして、雅也と二人の女性との距離が挙げられる。一人目は中山美穂演じる母親。最初は地方の旧家にありがちな極めて封建的・保守的な中年女性に見えたが、そこには別の被抑圧的な因子があったことが判明する。もう一人は雅也が大学で再会する同級生、灯里。大学に一切なじめない、つまり実家と榛村以外に現実と接点のない雅也の貴重な友人、そして恋人(というか情婦?)となる。この灯里との距離感がそのまま榛村との距離感と反比例する、という構成は非常に巧みであると感じた・・・その次の瞬間にすべてをぶち壊された。良い意味でも悪い意味でも。これは例えて言うなら、小説『 イニシエーション・ラブ 』の最後の2行に匹敵するインパクトとでも言おうか。これ以上書くと興ざめになるので止めておく。とにかく劇場でも配信でもレンタルでも良いので、出来るだけ多くの人に本作を鑑賞してほしいと思う次第である。

ネガティブ・サイド

榛村の弁護士(国選弁護人か?)が無能という印象を受ける。いや、別に無能でもよいのだが、リアリティがない。雅也の調査について中盤以降にあれこれと言ってくるが、だったら最初から色々と説明しておけと思う。また、そうした説明があったほうが雅也が矩を踰えるようになっていく展開が、雅也の内面の変化をより如実に表わせたのではないだろか。

 

総評

間違いなく阿部サダヲの代表作である。阿部定事件並み、いやそれ以上に猟奇的なシーンもあるので、鑑賞には注意を要する。いずれにせよ白石和彌監督が『 孤狼の血 LEVEL2 』を上回る衝撃作を世に送り出してきたのは間違いない。ちょっとジャンルは違うが、野崎まどの小説『 舞面真面とお面の女 』や『 死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~ 』を読んで楽しかったという人は、本作も堪能できると思う。この二冊を読了の上で本作を鑑賞してみようという酔狂な方は、是非とも本作冒頭と最後のシーンの意味のつながりを絞殺されたし。または本作鑑賞後に、上記の二冊を読むというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look into ~

~を調べる、の意。その殺人事件を調べる = look into the murder case のように使う。事実を掘り下げたりする意味での「調べる」ということで、辞書などで語句の意味を「調べる」時には look up を使う。Jovianも大学の授業で時々 “You have 30 seconds to look up this word in your dictionary app.” と言っている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, サスペンス, 宮崎優, 岡田健史, 日本, 監督:白石和彌, 配給会社:クロックワークス, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

銀河鉄道の夜 85点
2022年4月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:田中真弓 坂本千夏
監督:杉井ギサブロー

『 銀河鉄道999 』シリーズで野沢雅子の声に久々に触れたが、やっぱりイメージとしては孫悟空。ならばクリリン=田中真弓が主人公であり、『 銀河鉄道999 』の元ネタでもある本作も観てみたいと感じ、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

病弱な母と共に北の海の漁から帰らない父を待つジョバンニ(田中真弓)は、星祭りの夜も同級生たちになじめず、町はずれで空を眺めていた。すると空から汽車が現れた。乗りこむと、そこには友人のカムパネルラ(坂本千夏)がいた。二人は不思議な銀河の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

宮沢賢治といえば子ども向け作品のイメージが強かったが、それは非常に表面的な見方だった。何年か前の『 コズミックフロント☆NEXT‏ 』で『 銀河鉄道の夜 』は賢治の時代の最先端の天文学の知識が反映されていたと知って大いに驚いたことを思い出した。

 

『 風の谷のナウシカ 』は小学校の体育館で観たが、本作も確か小3か小4の頃にやはり体育館で観た覚えがある。その後、高校2年生の頃に講談社のバイリンガル文庫の『 銀河鉄道の夜 』を岡山の紀伊国屋で買って読んだ。そうした懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

本作は「文部省特選」と銘打たれているが、子ども向けの作りとは言い難い。冒頭から木の葉落としのように学校に迫っていくカメラワークや、薄暗い教室、クラスメイトに影口をたたかれる少年、活版印刷所で大人に混じって働くも、その大人たちにも揶揄される。父は家に帰って来ず、母親も病身。ジョバンニは幸せとは言い難い。しかし、それこそが賢治が伝えたかったことなのだろう。

 

銀河鉄道に乗ったジョバンニがカムパネルラと共に訪れ、目にする光景はどれも美しく、そして悲劇的である。120万年の時を駆けた証のくるみも、あっという間にボロボロになってしまう。せっかく知り合えた大人や同年代の他者を疎ましく思ってしまう。ジョバンニは自分の小さな幸せを奪われる、あるいは壊されると感じてしまうが、幸せの形とはそのようなものではない。幸せは与えられるものではなく、与えるものである。自己犠牲の先に幸せがある。そう受け取るのは簡単だが、それだけがメッセージではないようにも思う。カール・ブッセの『 山のあなた 』のように、幸せとは常にそれを追い求めていく対象であって、手に入れる対象ではないのだとも言える。ハッピーエンド=父親が帰ってくるかどうかはっきりしないという本作の結末そのものが、それを示唆しているように感じる。

 

キャラクターを猫にしてしまうことで物語の幻想度が増している。これはこれでありだと思う。また絵そのものの美しさも際立っている。ジョバンニたちの住む町の欧風かつオリエンタルなデザインも非常に味わい深い。2010年代後半以降のアニメは光の力が強すぎたり、あるいはキャラが不気味にゆらゆらと動くところが個人的にはしんどい。この時代のアニメーションの方がオッサンにはありがたい。細野晴臣の珠玉のBGMも本作を傑作タラ占めている。ジョバンニの心象風景をそのまま音楽にのせて、観る側にダイレクトに伝えてくる。何でもかんでもナレーションや説明的なセリフにしてしまう今のクリエイターたちに、もう一度基本に立ち返ってほしいと、本作を鑑賞してあらためて感じた。

 

観終わった直後に repeat viewing したが、数々の伏線の妙に驚かされた。特に最後のナレーションで「命は青い照明の明滅」だと語られるが、それがオープニングのクレジット・シーンに反映されていることに衝撃を受けた。他にもジョバンニがカムパネルラ家でアルコールで走る汽車の模型を見たという話は、『 オズの魔法使 』を思い起こさせた。ドロシーはオズへ行ったのか、それとも竜巻の衝撃で頭を打って、一時的な夢を見たのか。それと同じで、ジョバンニは本当に銀河鉄道に乗ったのか、それとも丘の上で一時的にまどろんだだけなのか。いかようにも解釈できるところが本作の素晴らしいところである。

 

ネガティブ・サイド

タイタニック号沈没のシーンは、東日本大震災と津波の被害をリアルタイムで経験した人にとっては相当に苦しい時間になりそう。もちろん賢治がそんなことを予見できるはずもないのだが。

 

無線技士の受け取る謎のメッセージをもう少しだけ鮮明にしてくれれば良かった。ここを海の事故を暗示するものではなく、北の海の漁船が帰ってくるという暗示のようなものにすれば、全体的に重苦しい雰囲気が少しは和らいだものになったと思う。

 

総評

文字通り時を超えた名作。少年の友情物語として鑑賞することもできるし、壮大なファンタジーとしてもアドベンチャーとしても解釈できる。正義・友情・勝利という、少年ジャンプ的な世界観や、2000年代以降のだらだらとした日常系とも一線を画している。親としても自分の子どもに安心して見せられる作品である。もちろん、大人も一緒に鑑賞して、子どもたちが抱くであろう様々な疑問に自分なりに答えてやってほしい。自分でも今度甥っ子たちに買ってやろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

~の悪口を言う、の意。ザネリのような子どもはいつの時代もいる。それはしょうがない。Ill weeds grow fast. 憎まれっ子世に憚る、である。ただ、ザネリたちのジョバンニへの態度は make fun of ~ = ~をからかう、笑いものにする、馬鹿にする、がより適切な訳かとも感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, アニメ, ファンタジー, 坂本千夏, 日本, 田中真弓, 監督:杉井ギサブロー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220209233632j:plain

『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220209233645j:plain

ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, アンドリュー・ガーフィールド, ミュージカル, ロビン・デヘスス, 伝記, 監督:リン=マニュエル・ミランダ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

Posted on 2022年1月11日 by cool-jupiter

スパイダーマン 80点
2021年1月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ホランド ゼンデイヤ ベネディクト・カンバーバッチ ジェイコブ・バタロン
監督:ジョン・ワッツ

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『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』の続編にして完結作。よくこれだけ壮大なストーリーを構想して、それを一本の映画に落とし込んだなと感心させられた。過去の『 スパイダーマン 』シリーズを鑑賞していることが望ましい・・・というか必須である。

 

あらすじ

自分がスパイダーマンであることが白日の下にさらされてしまったP・パーカー(トム・ホランド)は、助けを求めてドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪れる。ドクター・ストレンジは、全世界にP・パーカー=スパイダーマンであることを忘れさせる魔法を実行するが、そのせいで他の世界のヴィランを呼び寄せてしまうことになり・・・

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以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

見事なまでにスパイダーマン世界の文法に従い、スパイダーマンというキャラクターの特徴を描き出している。スパイダーマンの特徴とは、マン=男になろうとするボーイ=少年の物語であるということである。『 スパイダーマン:ホームカミング 』でT・スタークに”This is where you zip it. The adult is talking!”=「黙れ、大人が喋っているんだぞ」というシーンが象徴的だったが、本作でも子どもらしさが全開。大人(ひねくれてはいるが)のドクター・ストレンジが魔術を使おうと集中しているところに何度も何度も割り込むさまは、まさに子ども。Jovianも大学で教えている時に、たまにP・パーカーのようにマシンガンのようにまくし立てて、こちらを遮ってくる学生に遭遇する。スパイダーマンとは、このピーターという少年の成長物語なのである。

 

トレイラーで明らかにされていたドック・オックの出現、もっと言えば前作『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』のラストにJ・K・シモンズ演じる例の編集長が登場していたことに、もっと敏感になる必要があった。うーむ、悔しい。あそこに本作の胆の部分が大いに示唆されていたのだなあ。Jovianは『 スパイダーマン スパイダーバース 』が劇場公開された際にスルーしてしまった。

 

スパイダーマンが新しいスーツでドック・オックと激闘を繰り広げるシーンとそのオチはなかなか面白かったし、その他のお馴染みヴィランが次から次へと登場して、しかもそれらを演じるのもウィレム・デフォーやジェイミー・フォックスといったお馴染みの面々。「こいつら全員をまとめて相手するのは無理ちゃう?」と感じたが、ここまで来て鈍いJovianはやっとのことトビー・マグワイアやアンドリュー・ガーフィールドが登場する可能性に思い至った。そしてアンドリュー・ガーフィールド、そしてトビー・マグワイアが登場した際には、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』のトレイラーで、ジェダイの帰還ならぬハン・ソロとチューバッカの帰還を知った時と同じような感覚を味わうことができた。

 

アクションも見せる。トムホのスパイダーマンがドクター・ストレンジとの一騎打ちで、まさかの大金星。MagicよりもMathだ、という発言には説得力があったし、P・パーカーがボストンの大学を志望するほどの優等生であるという背景ともちゃんと連動している。ドック・オックとの対決でも、ナノテク・スーツが文字通りに勝敗を分けた。観る側をひやひやさせつつ、しっかり笑わせてもくれた。

 

スパイダーマンは親愛なる隣人である一方、若さゆえの過ちや純粋な不運から、周囲の人を不幸にしたり、あるいはヴィランに変えてしまう。グリーン・ゴブリンなどが好例だが、そうした歴代でお馴染みのヴィランを本作は fix =治療しようとする。これには驚いた。同時に、やはりスパイダーマンは大事な人を喪失してしまう。これには胸が痛んだ。同じく、アメイジング・スパイダーマンが落下していくMJを見事に救い出したシーンには、彼自身が果たせなかったグウェンの救出を重ね合わせて観ることができた。まさにジョン・ワッツのスパイダーマンだけではなく、サム・ライミやマーク・ウェブのスパイダーマン世界をも包括した大団円には、目頭が熱くなった。

 

MCUはちょっと食傷気味のJovianも、本作はほとんどすべての瞬間を純粋に楽しむことができた。シリーズのファンなら、本作を鑑賞しないという選択肢は絶対にありえない。

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ネガティブ・サイド

マルチバースからやって来たヴィランたちやP・パーカーたちがあっさりと異世界に順応するのには、少々違和感を覚えた。彼らの世界には魔術師は存在しなかったはずだ。

 

ポストクレジットシーンが長い、というか informercial のようになっている。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のように、壁画だけを数秒間映し出してパッと暗転、クレジットへ・・・というので充分だと思う。

 

これは映画の出来とは関係ないが、明らかな誤訳はどうかと思う。林完治は売れっ子翻訳家だが、vigilanteを悪党と訳すのは、さすがにダメだろう。まさか villan と混同したわけはないだろうが、これはちゃんと「自警団」あるいは「自警団員」、もしくは「警官気取り」とでも訳すべきだ。もちろん映画字幕の字数制限については承知しているが、スパイダーマンを悪党呼ばわりはあんまりだと思った次第である。

 

総評

2022年最高の一本とまでは言わないが、間違いなくトップ10には入るだろう出来映え。トップ5もありえるかもしれない。過去の『 スパイダーマン 』映画の鑑賞がマストであるが、その労力は報われるはず。というよりも、本作を観る層の90%は過去作品を鑑賞済みだろう。スパイダーマン世界をきれいに終わらせつつ、新たな世界の幕開けにつなげるという離れ業を演じたジョン・ワッツに満腔の敬意を表したいと思う。政府がまん防や緊急事態宣言を出す前に鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a people person

字面だけ見ると何のことやら分からないかもしれないが、

He’s a dog person.
彼は犬好き人間だ。

She is a cat person. 
彼女は猫派だ。

I am a rabbit person. 
俺はウサギ大好き人間なんだ。

と来ると、a people person = 人間が好きな人、人付き合いが好きな人という意味が見えてくるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アクション, アメリカ, ジェイコブ・バタロン, ゼンデイヤ, トム・ホランド, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

Posted on 2022年1月3日 by cool-jupiter

成れの果て 80点
2021年1月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:萩原みのり 柊瑠美 木口健太
監督:宮岡太郎

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新年の劇場鑑賞第一号。TOHOシネマズ梅田や大阪ステーションシティシネマあたりは、野放図な若者がちらほらいたりして、小康状態のコロナの再燃が懸念される。梅田茶屋町も若者だらけで妻がなかなか首を縦に振ってくれないが、元日なら店も開いていない=若者が少ないということで、テアトル梅田へ。

 

あらすじ

小夜(萩原みのり)は姉あすみ(柊瑠美)から「結婚を考えている」という電話を受ける。しかし、その相手は小夜にとってどうしても許せない相手、布施野(木口健太)だった。帰郷した小夜は、周囲の人間関係に波紋を呼び起こしていき・・・

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ポジティブ・サイド

観終わってすぐの感想は「迎春の気分が一気に吹っ飛んだなあ」というものだった。とにかく、観る側の心に重い澱を残す作品であることは間違いない。予定調和なハッピーエンドを望む向きには絶対にお勧めできない作品である。しかし、この作品がミニシアターではなく大手シネコンなどを含め全国200館以上で公開されるようになれば、それは日本の映画ファンが韓国化したと言っていいだろう。それが良い変化なのか悪い変化なのかは分からない。

 

だだっ広い部屋の真ん中でプリンを食べるあすみをロングで撮り続けるファーストショットからして不穏な空気が充満していることを感じさせる。「誰か死んだ?」と問いかけてくる小夜にも心臓がドキリとする。「お姉ちゃん、そういうことでしか電話してこないし」というセリフから、この姉妹の一筋縄ではいかない関係性が垣間見える。

 

小夜と布施野の因縁が何であるかはすぐに見当がつく。問題は、その事件が狭いコミュニティ内であまねく知れ渡っていること。これは本当にそうで、田舎の情報伝播速度と情報保存の正確さは都市のそれとは比較にならない。本作はそうした村社会の怖さを間接的にではあるが存分に描き出してもいる。

 

それにしても主演の萩原みのりの鬼気迫る演技は大したものだ。なかなか解釈が難しい役だが、それを上手く消化し、自分のものにして描出できていたように思う。特に過去の自分を知る人間たちと再会した時に見せる相手を射抜くような視線の強さには感じ入った。ネガティブな意味での眼光炯々とでも言おうか、相手を刺すような目の力があった。『 佐々木、イン、マイマイン 』でもそうだったが、萩原みのりは陰のある女性、毒を秘めた女性という役が上手い。

 

本作は極めて少人数の登場人物かつ短い上映時間ながら、その人間関係はとてつもなく濃密である。それは役者一人一人の役柄の解釈が的確で、演技力も高いからだ。原作が小説や漫画ではなく舞台であることも影響しているのだろう。臨場感を第一義にする舞台演劇の緊張感が、スクリーン上でそのまま再現されているように感じた。人物のいずれもがダークサイドを抱えていて、それがまた人間ドラマをさらに濃くしていく。狭いコミュニティ内の閉塞感から脱出しようとする者、そこに敢えて安住しようという者が入り混じる中、東京からやってきた小夜とその友人の野本が絶妙な触媒になっていく。

 

この野本という男、ガタイも良く、顔面もいかつい。一種の暴力装置として小夜に随伴してきているのだが、本業はメイクアップアーティストで、しかもゲイという、political correctness を意識したキャラなのかと思ったが、これは大いなる勘違い。小夜が布施野に仕掛けた罠のシーンでJovianは『 デッドプール 』の ”Calendar Girl” のワンシーンを思い浮かべた。これはすこぶる効果的なリベンジで、『 息もできない 』の主人公サンフンが「殴られないと痛みは分からない」というようなことを言いながら、相手をボコボコに殴るシーンがあったが、結局はそういうことなのかもしれない。

 

邦画が韓国映画に決定的に負けていると感じさせられるものに演技力がある。特に、女性が半狂乱を通り越して全狂乱になる演技の迫真性で、日本は韓国にまったく敵わない。しかし、本作の女性の発狂シーンの迫力は韓国女優に優るものがある。「士は己を知る者のために死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」と言われるが、化粧の下にある女性の本性をこれほどまでに恐ろしい形で提示した作品は近年では思いつかない。最終盤のこのシーンだけでもチケットの代価としては充分以上である。

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ネガティブ・サイド

マー君というキャラが学校に居場所を作った方法というのに、少々説得力が足りない。あれこれ事件のことを吹聴したとしても、そんなものは一過性のブームのようなもの。そこからスクールカーストの最下層から脱出したとしても、ブームが終わればすぐに最下層民に転落しそうに思える。

またあすみの同居人である婚活アプリ女子も、金欲しさに家屋の権利書を持ち出そうとするが、それで家や土地を金に換えられるわけがない。なぜ通帳やキャッシュカードではなかったのだろうか。

 

総評

大傑作であると断言する。『 カメラを止めるな! 』がそうだったように、まっとうなクリエイターが、自身のビジョンを忠実に再現すべく、信頼できるスタッフや役者と共に作り上げた作品であることが伝わってくる。予定調和を許さない展開に、容赦のない人間の業への眼差し。日本アカデミー賞がノミネートすべきはこのような作品であるべきだ。良いヒューマンドラマは人間の温かみだけではなく、人間の醜さも明らかにする。その意味で、本作は紛れもなく上質なヒューマンドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pick out

劇中でとあるキャラクターが「それを私がピックアップして~」などと語って、観る側をとことんイラつかせるシーンがある。ピックアップはある意味で和製英語で、「抜き取る」、「選び出す」などの意味で使われているが、英語の pick up にそのような意味はない。そうした意味を持つのは pick out である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 木口健太, 柊瑠美, 監督:宮岡太郎, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

Posted on 2021年12月30日 by cool-jupiter

モスラ 80点
2021年12月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フランキー堺 小泉博 香川京子
監督:本多猪四郎

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ゴジラが唯一まともに勝利したことのない怪獣、それがモスラである。Monsterverseでも怪獣の女王と崇め奉られるなど、誕生から50年以上が経過しても存在感はいささかも薄れない。4Kデジタルリマスターで上映されるというのでチケットを購入。

 

あらすじ

台風のために太平洋上で座礁した第二玄洋丸の船員は、船を捨てて脱出する。その後、水爆実験によって放射能汚染されたインファント島から救出されるが、船員らには放射能汚染の症状は一切なかった。「原住民に飲ませてもらった赤い液体のおかげ」という言葉から、インファント島行きの調査団が組まれる。調査団に同行した新聞記者の福田(フランキー堺)と中条博士(小泉博)は、島で不思議な小美人に遭遇し・・・

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ポジティブ・サイド

小学4年生ぐらいにVHSで観た時以来である。平成モスラシリーズの作品はいずれも2回鑑賞しているが、本家本元はなかなか再鑑賞できていなかった。午前十時の映画祭に感謝である。

 

昭和ゴジラシリーズに通底していた「時代と向き合う」という姿勢が本作でも明確だった。本多猪四郎が監督なのだからそれも当然か。第二玄洋丸は第五福竜丸を下敷きにしているのは明白である。その第二玄洋丸の座礁の原因が台風というのも寓意的である。初代ゴジラの大戸島での登場もそうだが、怪獣とは大自然の脅威の実体化なのだ。わざわざ台風の瞬間最大風速が80メートルなどと表現するのは、モスラという大怪獣がもたらす大旋風は、まさに台風なのだと言いたいからだろう。

 

小美人を発見したネルソンが、彼女らを捕獲して見世物小屋をプロデュースするというのも時代を表していると言える。昭和のど真ん中の江戸川乱歩の小説には、しばしば見世物小屋や、それにインスパイアされたと思しきパノラマが登場する。人権意識もなにもないが、『 キングコング 』も元々は見世物にされるためにアメリカに連れてこられた。当時の日本人が小美人を観るために長蛇の列を作ったというのは大いにありうる話である。悪役ネルソンを見事に演じきったジェリー伊藤は素晴らしい。

 

それに対するは新聞記者と学者。学者が主人公というのは初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラvsデストロイア 』、怪獣ジャンル以外でも『 夏への扉 』や『 ダ・ヴィンチ・コード 』などいくらでも思いつく。ジャーナリストが主役の映画となると、『 プライベート・ウォー 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』、変化球では『 スーパーマン 』もあるが、邦画では『 新聞記者 』ぐらいしか思いつかない。メディアと学問に信を置ける時代があったのだなと感じる。同時に髑髏島やインファント島といった未知なる土地がなくなり、誰もがミニコミとして自由に情報を検索し、かつ発信できる時代に、メディアは何をすべきかを本作は描いている。それは人々の良心に訴えかけることである。また学者とは問題を解決する手段を見出す者であることも本作は描き出している。この50年で日本が得たもの、そして失ったものがありありと見えてくるではないか。

 

モスラが東京タワーを折って繭を作るシーンは美しいと同時に、当時の時代背景がしのばれて興味深い。ちょうど石原裕次郎が銀幕のスターからテレビのスターに変貌する時期で、本多猪四郎らの映画人からすれば、東京タワー=地上波テレビという図式が成立したのだろう。こういう社会批評と個人の意志表明とエンタメ性を同時に追求する試みは、高く評価されねばならない。

 

それにしてもフランキー堺の軽妙さの中に見えるプロフェッショナリズムは素晴らしいと思う。スッポンの善ちゃんは言い得て妙で、いつでもどこでも記者魂は忘れないし、体を張って闘うときは闘う。結構長めのアクションもワンカットでこなすなど、フィルム撮影の時代の俳優のプロ根性が垣間見えて良かった。

 

モスラが中盤以降にもたらす破壊の数々も味わい深い。ニューカーク市街地をただ単に飛ぶだけで蹂躙してしまう。もちろん壊れているのはミニチュアだが、これを汗水たらして作った人々、そしてモスラを操演した人々の姿が浮かんでくる。こういった特撮にはCGで出せない質感、リアリティがある。製作者側はミニチュアの出来に満足していなかったと言うから、どれだけ本物志向だったのか。流れ作業的に映画を作っている今の”職業”映画監督たちには昭和の古き良き映画に時々立ち帰ってほしいと願う。

 

初代モスラは明確に人類の味方ではないという描写も今の目で見れば新鮮だった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のマイケル・ドハティ監督は、怪獣=自然の回復力の象徴として描いたが、現代人は自然を保護するものと考えすぎなのかもしれない。SDGsはその好例だろう。モスラにしろ小美人にしろ、本来いるべき場所から遠ざけてはいけないのである。自然保護をしなくてもよいと主張しているわけではない。自然を利用するにしろ保護するにしろ、人間の力で自然を何とかできると考えてしまうのはいささか傲慢にすぎるのではないかというアジア的な価値観をもう一度見つめ直そうというだけである。

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ネガティブ・サイド

ロリシカから提供された兵器が謎すぎる。普通に自衛隊と米軍のアライアンスでモスラに攻撃をする、で良かったのではないだろうか。ロリシカもアメリカで良かったのでは?なにかロシアとアメリカを足したような名前で、この架空の国家は少々奇異すぎるように思えてならない。

 

人類が怪獣とコミュニケーションが可能というのは、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でも重要な設定となったが、インファント島原住民の野生のダンスと歌ともっと直接的な関連のあるコミュニケーション方法が望ましかった。キリスト教の影響を色濃く受けたコミュニケーションというのは、東宝、つまり日本の生み出した怪獣にはそぐわないと思う。

 

総評

初代『 ゴジラ 』に次ぐ怪獣映画の原点で、会社は違うものの人間の味方をする『 ガメラ 』という大怪獣にも与えた影響は大きいと思われる。手作りでしか出せない味わいが随所に感じられる。怪獣映画でありながら、人間賛歌ともなっており、本作をあらためて鑑賞することによって勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

know right from wrong

善悪/正邪の区別がつく、の意。right or wrong ではないので注意。小美人は「モスラに善悪の区別はありません」と言っていたが、それを訳すならこの表現が使われると思う。

Even very young children know right from wrong. 
小さな子どもでも善悪の区別はつく。

You are old enough to know right from wrong.
君はもう善悪の分別がついてしかるべき年齢だ。

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1960年代, A Rank, フランキー堺, 小泉博, 怪獣映画, 日本, 監督:本多猪四郎, 配給会社:東宝, 香川京子Leave a Comment on 『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

Posted on 2021年12月19日 by cool-jupiter

ドント・ルック・アップ 80点
2021年12月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス
監督:アダム・マッケイ

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『 バイス 』や『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のアダム・マッケイ監督が、なんとも小気味良いコメディかつ壮大な現代世界の風刺劇を送り出してきた。エンタメ性と社会性はこうやって両立させるのだというお手本のような作品である。

 

あらすじ

大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は天文観測中に偶然にも彗星を発見する。連絡を受けた教官のミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)は彗星の軌道計算を行うが、その結果は地球への衝突であった。二人はなんとかこのことを世に知らせ、対策に乗り出そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

映画『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のシチュエーションに、機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の要素を足したような物語、つまりはありふれたストーリーなのだが、これがべらぼうに面白いのである。その秘密は何か。

 

第一に、人間があまりにも人間らしいのである。だいたい終末ジャンルの作品は、映画であれ小説であれ、メインのキャラクターは、終末に対して懐疑論者であっても非常に理知的で理性的である。しかし本作は違う。メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領が自国の天文学者の切なる声にまともに耳を傾けない。その理由が極めて(アホな)政治的な理由なのだから面白い。

 

ディカプリオ演じるミンディ教授もジェニファー・ローレンス演じる博士課程のケイトも、世間に対して彗星衝突の脅威を伝えようとしていく中で、自身のプライベートな生活がボロボロになっていく様が笑えると同時に哀しい。が、哀しさよりも可笑しさの方が勝っている。ホワイトハウスに訴えてもダメだった二人が、今度はテレビ局に赴くが、頭のおかしい人扱いされて終わり。そこでディカプリオは milfy なTVアンカーに上手く食われてしまい、家庭崩壊に一直線。ケイトもケイトで、テレビで絶叫してしまったせいで恋人にあっさり振られてしまう。どこまでもシリアスな話なのに、常に笑いに転化してしまうアダム・マッケイの手腕にも笑ってしまうしかない。

 

しかし、シリアスに捉えようとも、頭のおかしい学者の妄言と捉えようとも、彗星の接近は事実なのである。ここで観る側としてはどうしたって新型コロナのパンデミックの始まりとその後の展開を思い起こさずにはいられない。「コロナはただの風邪だ」と力説する者、「コロナは生物兵器である」と断定する者、「マスクは無意味」論者、「ワクチンで5Gに操られる」という陰謀論者などなど、21世紀も20年になんなんとする今という時代が、実は中世の啓蒙の時代と対して知的レベルは変わらないのではないかと思わされてしまう。劇中でも同じように「彗星は実在しない」として、空を見上げるな = “Don’t look up!”をスローガンにする勢力が登場する。元米大統領のD・トランプがマスク着用を小馬鹿にしていた、さらにその反マスクの姿勢に共感する共和党支持者に奇妙なまでにそっくりである。 

 

本作は、一見突拍子もないSF物語に見えるが、実際は現実世界の分断を大いに嗤うブラック・コメディである。大統領首席補佐官が労働者階級をあざ笑うかのようなスピーチをしつつ、その労働者たちがその演説を支持する様はとことん皮肉で笑えるのだが、そうした人々を笑う我々も実は笑っていられない。特に熱心な自民や維新の支持者は、一度冷静に考えてみるべきである。

 

本作のタイトルである Don’t look up には様々な意味が込められている。「上を見るな」とう意味だが、この上というのは物理的な方向としての上だけではなく、社会経済的階級あるいは権力構造の上の方を見るなという意味であるとも受け取れる。あるいは「調べ物をするな」という意味にも解釈可能である。実際に政治指導者層や超富裕層は、ピンチを自らの利に変えようとする、というか変えてしまう。その一方で、自らの提唱する政治・経済理論の正当性を決して検証しようとしない。このあたり、失われた30年と言われながらも、常に財政出動に及び腰かつ雇用の非正規化に邁進するばかりのどこかの島国は、曲学阿世のエセ学者・竹中平蔵や、イソジンでコロナが減らせるとエビデンスも糞もない「嘘のような嘘の話」を振りまいた吉村洋文らがペテン師であるということにいい加減に気が付くべきである。 

 

ディカプリオの見せる迫真の演技と渾身の演説が、漫画的なコマ割りのごとく良い感じにぶつ切りにされて、さらに笑いと悲哀を誘う。メリル・ストリープによる大統領役や、その息子のジョナ・ヒル補佐官の存在感も大きく、出てくるたびに「アホか、こいつら」と思わせてくれる。一方で、物語は進行していくにつれてドンドンと深刻さを増してくる。それまでは平穏な日常を過ごしていた人々も、look up して彗星が視認できるようになると、さすがに事の深刻さを理解する。つくづく Seeing is believing. で、そういう意味では目に見えないコロナウィルスの存在をいまだに疑う人々が一定数存在することには一定の説得力がある。

 

すべてを笑いに転化しようとする本作であるが、クライマックスは二つの意味で笑えない笑いをもたらす。一つには、いわゆるトリクルダウン理論を彗星を使って本当に行ってしまい、その結果として大多数の一般庶民が苦しみ死んでいく様を淡々と描いているから。もう一つには、人類滅亡の結末として、社会の上層に位置する人々を徹底的にコケにしているから。なんとも言えぬ余韻を残す本作であるが、ブラック・コメディの傑作であることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

ネットフリックス映画ということで、自宅鑑賞を前提にしているのかもしれないが、『 アイリッシュマン 』といい、本作といい、映画館で鑑賞するには膀胱への負担が大きい。映画は2時間ちょうどか、それをやや下回るぐらいがちょうどよい。

 

ケイトとその恋人との別れのその後、特にヒメシュ・パテルの役とティモシー・シャラメの役の対比がなされる場面があれば、なお良かった。

 

字幕にいくつかミスがあった。序盤で comet を「惑星」、終盤近くで best and brightest を「最新鋭」と する字幕があった。映画の欠点ではないが、一応指摘しておく。

 

総評

一言、傑作である。『 アルマゲドン 』や『 ディープ・インパクト 』の頃のような、無邪気なハリウッド映画の面影は全くなく、かといってエンタメ性の追求を忘れたわけでもない。『 シン・ゴジラ 』で日本はアメリカを容赦ない侵略国として描いたが、本作ではアメリカ人自身がアメリカ国家をそのように描いている。アメリカという国の精神的な成長を見る思いである。世界的な混乱を生むという意味ではコロナと彗星を重ね合わせて見ることも十分に可能である。観ている最中にはずっと笑えて、観終わった後にも笑える。しかし、笑いの裏にある現実批判の意味を悟れば、笑えなくなる。なんとも深みと苦みのある、大人の映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit tight and assess

「静観して精査する」の意。コロナ禍の始まりにおいて、我が国のアホな大臣が連発していた「高い緊張感をもって状況を注視する」という、「実質的には何もしません」宣言と同じような表現がアメリカにもあるようだ。ちなみにここでの sit は「座る」という意味ではなく「そのままでいる」という意味。sit still = じっとしている、sit idle = (機械などが)アイドリング状態である・使用中ではない、のように使われる。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジェニファー・ローレンス, ブラック・コメディ, レオナルド・ディカプリオ, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

Posted on 2021年11月8日2021年11月8日 by cool-jupiter

ジョーカー 85点
2021年11月5日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ
監督:トッド・フィリップス

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再鑑賞のきっかけは、やはり京王線の事件。アメリカでも本作公開後にBLM、さらにそのどさくさ紛れの暴動が多発したが、持たざる者からさらに収奪しようとする時、社会はしっぺ返しを食らってもおかしくないという本作のビジョンは概ね正しかったことが残念ながら改めて証明されたように思う。

 

あらすじ

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、緊張すると笑ってしまうという障がいを抱えながらも、ゴッサムの片隅でピエロ稼業をしながら、コメディアンになることを夢見ていた。母親と二人暮らしで、フランクリン・マレー(ロバート・デ・ニーロ)がホストのテレビ番組を楽しんでいた。だが、街も人々も彼の存在をどこまでも軽んじる。そんな時、同僚から護身用にとアーサーは拳銃を手渡され・・・

 

ポジティブ・サイド

今回の再鑑賞の目的は2つ。1つは、どこまでが現実でどこまでがアーサーの妄想なのかを考えてみたいということ。もう1つは、この映画に人を狂気あるいは凶行に走らせる要素があるのかどうかということ。

 

現実か妄想かについて。日英の両語で色々なサイトを渉猟してみたが、百家争鳴の感はぬn拭えない。トッド・フィリップスも、様々なインタビューで「自分たちは何が現実で何が妄想か分かっている。たくさんのセオリーが存在して、そのどれもが興味深い」という趣旨を述べており、正解については煙に巻いている。そこで自分なりの仮説を。

 

1.すべて現実

2.最初と最後だけ現実

3.最初だけ現実で残りはすべて妄想

4.最後だけ現実で残りはすべて妄想

5.すべて妄想

 

2.が有力かとは思うが、5.も捨てがたい。よく言われる時計が11時11分を指しているシーンは間違いなく妄想だろうが、そのことが他のシーンを現実だと決定づける要素でもない。事実、テレビのシーン、ソフィーとデートするシーンなど、間違いなく妄想だとしか思えない。結局、アーサーの言う通り、人生は悲劇ではなく喜劇、何が面白いかは社会全体が決めることなのかもしれない。そして社会は時に、たった一人の象徴によって大きく歪むことがありうる。そして、その象徴は社会の大きな歪みから生まれる。循環論法である。これは、妄想している人間が「自分は妄想している」と自覚した時の自己言及矛盾とも共通するだろう。結局のところ、アーサーは”You wouldn’t get it.” = 「あんたには分からない」と言って、自らのジョークを説明することを拒否している。自分のジョークは自分にしか分からない。つまり、社会自体を拒絶している。だとすると、仮説4.もそれなりに有力?トッド・フィリップスの仕掛けた陥穽にどっぷりハマってしまったかもしれない。

 

本作が人を凶行に走らせる要素があるかどうか。これは正直なところ、ある。なぜならJovian自身が本作に影響されて、ほとんど発作的に前職を辞したから。ストレートに本作の物語を受け取るなら、家族、仕事、人間関係、さらに(メンタルの)健康にまで恵まれない男が、半ば偶発的に殺人を犯してしまったが、それによって Kill the rich = 金持ちを殺せというムーブメントが形成され、殺人犯たる自分がアイコンに祭り上げられた。ここから導き出せるのは「持たざる者から奪うな。そうすろと思わぬしっぺ返しが来るぞ」という社会の側への警告であって、「俺は持たざる者だ。だから持つ者に対して攻撃を加えてよいのだ」という個人へのメッセージにはならないだろう。その意味では京王線ジョーカーはリテラシーが足りなかった。ただ、Jovian自身も「自分の仕事がイマイチ面白くないのは自分ではなく会社のせいだ」という気持ちを本作によって後押しされたことは否めない。結局は、どのようなメッセージを受け取るのかも、喜劇と同じく、主観的なのだろう。

 

サントラが恐ろしい力を持っていて、チェロの低音がいつまでも耳に残る。

 

Put on a happy face. = 幸福の仮面をかぶれ、というキャッチフレーズが重苦しい。愛想笑いという社交儀礼について、我々は少し見方を変えるべきなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

やはり、マレーのショーに登場する際に初めて「ジョーカー」という名前に言及されるべきだった。

 

総評

「ジョーカーに憧れた」という言葉がどこまで本当なのか、それは本人にしか分からない。しかし、社会擾乱を是とする見方を後押ししていると解釈されてもおかしくない作品になっていると感じた。日本社会はある時(おそらく宮崎勤の事件)から、凶悪犯罪の病理を既存のメディア、特にゲームや漫画に求めるようになった。実際にそうしたオタク文化とされるものが凶悪犯罪に結びついた事例は聞いたことがないが、2021年になって遂に出てきてしまったとも言える。本作の評価が定まるのはもう少し先になりそうだが、日本では今後10年地上波で放送されることはないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

decide

 

「決める」という意味の動詞。他動詞の場合、decide ~ =「~を決める」だが、自動詞の場合は decide on ~ = 「~に決める」となる。 Jovianが講師をしていた時には

Ohtani decided on the Angels. = 大谷はエンゼルスに決めた。

Ohtani hit a homer and decided the game. = 大谷はホームランを放って、試合を決めた。

という例文で説明をしていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ホアキン・フェニックス, ロバート・デ・ニーロ, 監督:トッド・フィリップス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

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