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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: SF

『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 カリキュレーター 』 -平均的なロシアSF-

Posted on 2021年1月17日 by cool-jupiter

カリキュレーター 50点
2021年1月17日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:エフゲニー・ミローノフ アンナ・シポスカヤ
監督:ドミトリー・グラチョフ

 

友人の勧めでロシア映画を鑑賞。ロシアと言えば、面白そうなSFを定期的に作っているなという印象があったが、『 惑星ソラリス 』を高校生および大学生時に鑑賞して、いずれも睡魔によって撃沈されたJovianは、以来ソ連・ロシアの映画から遠のいてしまっていた。今年あたり、韓国映画、インド映画に加えてロシア映画も観始めていこうか。

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あらすじ

惑星XT-59は、すべてが「システム」および総統の統治下にあった。この星の犯罪者は、シールドの外の過酷な生態系の果てにある「幸福の島」へ向けて追放される。エルヴィン(エフゲニー・ミローノフ)はクリスティ(アンナ・シポスカヤ)と共に「幸福の島」を目指すが、危険な犯罪者ユスト達から追跡されて・・・

 

ポジティブ・サイド

ロシア的な美意識が様々なオブジェやガジェットから垣間見える。特に小キューブが立方格子上に連なったキューブ状の「システム」や、直方体の頂点から角が生えたような形状の飛行船(これも直方体に変化したりする)など、メカメカした感じではなくミステリアスな雰囲気をたたえるものが多い。

 

XT-59の大地も荒涼とした雰囲気を醸し出している。おそらく一部はCGなのだろうが、灰色の大地に巨岩が点在し、地平線の果てまで見渡せるような景色には、やはり広大なロシアの自然観や世界観が表れているように感じた。

 

クリスティ役の女優さんが眼福だ。フィギュアスケートで見るような妖精のような少女ではなく、成熟したロシアン・ビューティー。ニップレスなし風のタンクトップ姿はサービスか。いったいどんな犯罪をやらかしたのかと思ったが、なるほど、ロシア人女性は怒らせてはいけないらしい。

 

「幸福の島」を目指す旅路は貴志祐介の小説『 クリムゾンの迷宮 』とよく似ている。協力を持ちかける人間、敵対する人間、そして自分たち以外の人間など、サバイバル小説や映画によくある展開が待ち受けていて、良く言えば基本を押さえている。悪く言えば展開が読みやすい。本作はそこに、奇妙な生物を織り交ぜてくることで、別の緊張感を生み出している。特に殺人カビ(というより糸を出す粘菌に見えたが)は実際の宇宙に存在していそうな生命形態で説得力を感じた。

 

エルヴィンが「システム」に仕掛けた罠も『 インディペンデンス・デイ 』的で、これも良く言えば基本的、悪く言えばクリシェ。しかい、そこに同じ囚人のユストや総統の手先が追撃に現れ、「殺したいけど殺せない」というジレンマに陥るところはそれなりにユニークだ。

 

オチもなかなか考えさせられる。Jovianの世代だとソ連邦の崩壊をリアルタイムで体験しているので、抑圧的なシステム(社会主義)の元から解放された人々が屈折した人間心理を発達させてしまうことを知らされている。当然、現代ロシア人もソ連のことをよく覚えているだろう。そうした作り手がこのようなオチをつけるところに、自由の意味を考えずにはいられなくなってしまう。

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ネガティブ・サイド

低予算映画のためか、シーンとシーンのつなぎが貧弱だ。惑星XT-59がどのような自然環境の惑星で、人々はそこでどのような営みに従事し、どのような社会制度や文化を発達させてきたのかを徹頭徹尾映し出してくれない。このため、エルヴィンの置き土産によって「システム」がダウンしてしまうことが、惑星および社会にどのような影響を及ぼすのかが分からない。そこが分からないため、終盤の展開にカタルシスを感じにくい。

 

また、総統も何をしたいのかが意味不明だ。エルヴィンを殺す機会などいくらでもあっただろうに。回りくどく動きすぎて単なる狂言回しになっている。

 

ヒロインのクリスティも行動と感情に一貫性が感じられない。エルヴィンとの距離感の設定が色々とおかしい。最初は無関心、それが嫌悪になり、ある時から好意に変わる。または最初が嫌悪、それが無関心に変わり、いつしか好意に変わっていく。それなら理解できる。しかし、嫌悪と無関心の間をジェットコースター並みに行ったり来たりして、最後に「愛してる」とか言われても、説得力がない。まるで90年代のC級のハリウッド映画だ。

 

けれども一番キャラ設定がおかしいのはカリキュレーター=計算機であるエルヴィンだろう。自らをもって数学者を任じるなら、もっと思考や行動に数学という根拠を持たせるべきだ。確率や統計、力学の蘊蓄などをもう少しだけでも披露していれば、カリキュレーターというタイトルロールとしてもっと説得力が持てていたことだろう。口癖が「論理的だ」とか「非論理的だ」だけでは数学者とは言えない。

 

エルヴィンがもっとストレートに「クリスティを救いたいが、自分にはその権限がない。だから自分も囚人になって、過酷な流刑先で守護してやらねば」と奮い立ったという設定の方が、低予算映画として分かりやすい。無理やりロマンスの要素を入れたがために、ロシア的な要素が行きなかったように思われる。もしくは、最初からグローバルに売り出すつもりなら、ハリウッド的な文法で物語を作って、キャラクターや世界観にロシアっぽさを盛り込むべきだろう。全体的なトーンが一貫しないところが目についた。

 

総評

非常に鑑賞しやすい映画である。時間も90分足らずだし、登場人物の数も多くない。さらにストーリーも複雑ではなく、ほぼ一本道である。ロシアの人間ドラマや青春ドラマはどんなものなのかは分からないが、少なくとも『 コズミック フロント☆NEXT 』でコンスタンチン・ツィオルコフスキーに興味を持ったJovianは本作のSF部分をそれなりに楽しめた。もともとバレエなどの舞台芸術や文学の分野に強いロシアである。今後、韓国やインドのように力強い作風の映画を送り出してきてくれることを願いたい。

 

Jovian先生のワンポイントロシア語会話レッスン

スバシーバ

ロシア語で「ありがとう」の意。劇中で何度か聞こえてくる。「ありがとう」は何か国語で言えても損はない。大学時代の寮の仲間のロシア人に「ゼイビシ」なるスラングを教えてもらったことがある。意味は「Fucking good」だったと記憶しているが、ネットで調べてみてもヒットしない。ロシア語に詳しい方からご教授いただけると幸いです。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アンナ・シポスカヤ, エフゲニー・ミローノフ, ロシア, 監督:ドミトリー・グラチョフ, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 カリキュレーター 』 -平均的なロシアSF-

『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし-

Posted on 2020年9月20日2021年1月22日 by cool-jupiter

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

inversion

「逆行」や「反転」の意。動詞はinvert、「逆向きにする」、「反対向きにする」の意。『 トップガン 』の冒頭でマーヴェリックがソ連のミグ戦闘機に接近した方法は inverted dive だった。invertの仲間のavert=回避する、convert=転換する、なども併せて覚えておきたい。

 

総評

二回観ることを前提に作られていると言われているが、この手の構造に慣れている人なら1度の鑑賞で充分かもしれない。ただし、鵜の目鷹の目でそこかしこに挿入されるオブジェやガジェットに目を光らせる癖を持っていなければならないが。9割がた席の埋まったTOHOシネマズなんばでは終映後、劇場に明かりが灯った途端に誰もかれもが「難しかった」、「意味わからん」を連発していた。本作を鑑賞するにあたっての心得は、細部に目を光らせながらも常に全体を考えよ、終盤の展開を思い描きながら必ず序盤を思い出せ、である。楽しんでほしい。

 

ネガティブ・サイド

エンドクレジットにキップ・ソーンの名前が観られたが、科学的・物理学的に説明がつかない描写もかなり多く観られる。たとえば、序盤に主人公が銃弾を逆行させるシーン。普通に考えれば《撃った》瞬間に手に凍傷を負うはずだ。ガソリンの爆発で低体温症になる世界なのだから、銃弾が的に命中する時の衝撃=変換された熱エネルギーがすべて銃弾に返ってくるのだから。また、逆行世界では光の粒子も逆に進む、つまり常に網膜から光子が離れていっているわけで、何も見えないか、あるいは網膜剥離の時の光視症(目の前にいきなりチカチカした光が現れる。目をつぶっていてもそれが見える)のような状態になるはずだ。また、空飛ぶカモメの声がドップラー現象的に聞こえてくるが、これもおかしい。カモメの声と姿が同時に認識できていたが、実際は音がはるかに先に届いて(正確には鼓膜から音が逆反射されて)、それが音速(毎秒300m以上)で鳥の方に返っていく。なのでカモメの逆回しの鳴き声が聞こえたら、数百メートル以上離れたところに鳥が視認できなければおかしい。

 

スタルスク12の大規模戦闘シーンで敵の姿がほとんど見えないのも不満である。銃撃戦も良いが、我々が本当に観たかったのは、大人数vs大人数での時間の順行・逆行の入り乱れる近接格闘戦だった。ノーランをしても、それを撮り切れなかったのかと少し残念な気持ちである。

 

悪役であるセイターの背景にも少々興ざめした。世界が絶賛しJovianが酷評している『 ソウ 』のジグソウか、お前は。もっと魅力ある悪役が設定できていれば、主人公がもっと輝いたはず。その主人公の相棒ニールも、どうしても『 ターミネーター 』のカイル・リースと重なって見えてしまう。RoundなキャラクターとFlatなキャラクターの差が激しい。視覚効果はノーラン作品の中でも随一だが、キャラの造形は今一つであると言わざるを得ない。

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ポジティブ・サイド

本人は至って真面目でいながらも傍から見るとコミカルでユーモラスだった『 ブラック・クランズマン 』とは一転して、ジョン・デビッド・ワシントンは非常にシリアスなエージェントを好演した。アクションも緻密にして派手。序盤の時間を逆行する男との目も眩むような格闘戦と、中盤の用心棒たちとの肉弾戦からは黒ヒョウのしなやかさと力強さが感じられた。

 

ヒロイン的な位置づけのキャットも素晴らしい。『 ブレス あの波の向こうへ 』のつかみどころのない美女が、夫に虐げられながらも、凛とした美貌と母としての本能を失わない女性像をリアルに構築した。彼女の序盤のとあるセリフは終盤の展開への大いなる布石になっている。より正確に言えば、本作は序盤の展開が終盤の展開と不思議なフラクタル構造を成している。細部が全体なのである。Jovianのこの捉え方がノーラン監督の意図したものかどうかは分からないが、少なくとも的外れではないはずだ。時間の逆行・逆転現象が頻発する本作において、キャットはある意味で観客にとっての道しるべである。能動的に動いているキャットは常に順行である。『 インセプション 』ではマイケル・ケインが存在するシーンが現実だと言われているが、それと同じだと思えばよい。

 

一番の見どころは時間の逆行シーンである。トレイラーでも散々流されているが、高速道路のカーチェイスシーンや、最終盤のスタルスク12の大規模戦闘シーンは、初見殺しである。これを一度で理解できるのは天才か変人だろう。だが、予測不能、理解不能、解釈不能なシークエンスの数々を楽しむことはできる。特に、とある建造物の下部が修復、上部が爆発するシーンには痺れた。ブルース・リーではないが、まさに「考えるな、感じろ」である。そうそう、劇中でも序盤に似たようなセリフが出てくる。深く考えてはいけない。主人公が味わう混乱に素直に没入するのが初回の正しい鑑賞法だ。

 

とはいえ、鑑賞中にも「ああ、なるほど」と思わせてくれるカメラアングルが特に序盤に多くある。したがって自信のある人やノーランの作風に慣れている人であれば、初回鑑賞でもある程度は驚きと納得の両方をリアルタイムに味わえるようにフェアに作られている。

 

以下、微妙にネタバレになりかねないが、本作の構成(≠物語)の理解の助けになりそうな先行作品を紹介しておく。

 

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 巨人たちの星 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 Mission to Minerva 』(2020年9月19日時点で日本語翻訳なし)

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ あしたはきのう 』

 

特に『 星を継ぐもの 』のプロローグとエピローグ、『 巨人たちの星 』の序盤と終盤のつなぎ方は、「ノーラン監督はホーガンのこれらの作品の構成をそのままパクったのでは?」と思えるほどである。興味のある向きは読んでみるべし。

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あらすじ

男(ジョン・デビッド・ワシントン)はとあるテロ事件鎮圧後、テロリストに捕らえられ拷問を受けていた。隙を見て服毒自殺した彼は、ある組織の元で目覚める。そして、時間を逆行する弾丸を教えられる。未来で生まれた技術のようだが、いつ、誰がどうやって開発したのかは謎。それを探り、第三次世界大戦を防ぐというミッションに男は乗り出すことになり・・・

 

TENET テネット 70点
2020年9月19日 TOHOシネマズなんばにてMX4Dで鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー
監督:クリストファー・ノーラン

 

間違いなく現代の巨匠のひとりであるクリストファー・ノーラン、その最新作である。自身の初期作品『 メメント 』に、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』を混ぜ込んだような時間逆行系の難解映画であった。

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, エリザベス・デビッキ, ケネス・ブラナー, ジョン・デビッド・ワシントン, ロバート・パティンソン, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- への2件のコメント

『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

Posted on 2020年8月23日2021年1月12日 by cool-jupiter

12モンキーズ 80点
2020年8月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ブルース・ウィリス マデリーン・ストウ ブラッド・ピット クリストファー・プラマー
監督:テリー・ギリアム

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アホな政治家は「コロナは高温多湿に弱い」と言っていたが、日本は完全に第二波のただ中のようである。こういう時こそ過去のウィルス系の映画を観返すべきだと思う。手洗いは完全に市民に定着したようだが、我々は今こそ本作中でもブラピによって言及されるセンメルワイス医師の功績を再認識しようではないか。

 

あらすじ

2035年、人類はウィルスにより大多数が死滅。生き残った者も地下深くで生活し、地上には動物たちが闊歩している。

 

ポジティブ・サイド

ブルース・ウィリスが良い感じ。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが生きたタコを貪り食ったが、ブルース・ウィリスも蜘蛛をむしゃむちゃ。シャワーでは尻の割れ目を披露。そして第一次大戦のフランス軍の塹壕では一瞬だが逸物も披露。シリアスな話のはずが、どこかユーモラスだ。そこにクスリ漬けにされたウィリスと、正気ではあるが現代人の目からは狂人に見えるウィリスという二面性。序盤の時間軸とストーリーの虚実が定まらないこの感じが、いかにもテリー・ギリアムのテイスト。

 

ブラピの狂いっぷりもなかなかの見どころ。科学の進歩をテロで食い止めようとする輩は『 トランセンデンス 』などに見られるようにスマートに狂った輩が多い。そうした意味では本作のブラピのストレートな狂いっぷり(こちらも負けじと尻の割れ目を披露)は、文字通りの意味で世紀末的である。ブラピが最も面白いのは、最後の最後に実行する社会擾乱罪だろうか。なるほど、これはなかなか愉快なテロ行為で、なおかつ2020年代の現在でもリアリティがある。ブラピが最も不気味なのは、精神病棟でテレビの録画について滔々と解説するシーンだろうか。大昔に観た時には何も感じなかったが、20年以上ぶりに観返して、背筋がゾッとした。デイヴィッド・ピープルズとジャネット・ピープルズの二人の脚本家は天才ではあるまいか。ウィリスが目にする数々の動物のビジョンや他のデジャヴにも感心させられたが、このテレビ録画のシーンの気味の悪さと意味の深さには唸らされた。

 

ストーリーは軽妙にして重厚、単純にして複雑である。ウィリスもブラピも、人類を救うべく行動しているという点では同じである。重い使命である。そして、地下生活に順応してしまったウィリスの地上生活への憧憬と音楽などの世俗的な娯楽の享受が、とても大きな意味を持っている。人類のため、ではなく、自分のためにと行動するウィリスが次第次第に正気を失っていく様は痛々しい。12モンキーズという謎の軍団の探求のミステリーとサスペンスでぐいぐいと観る者を引き込んでいく。普通に鑑賞してもあっという間の2時間10分であり、再鑑賞すればさらに引き込まれる2時間10分である。

 

ネガティブ・サイド

ウィリスを途中から甲斐甲斐しく支えることになるキャサリンが、割と安易にロマンチックな関係に陥ってしまうのは何故なのか。この手のプロフェッショナルが、患者やクライアントに恋愛感情を抱くのはご法度であり、自身の気持ちをコントロールする術もある程度は体得しているはずだ。そうした人物が、相手が未来人とはいえ、いや未来人だからこそ、適切な距離を保てないというのは腑に落ちなかった。

 

ウィリスのキャラクターが最後まで混乱しっぱなしというのも気にかかった。並外れた記憶力の良さを買われた割には、肝心なところを思い出せないというのはご都合主義的だと感じた。

 

総評

幾重にも張り巡らされた伏線を見返すのも楽しいし、現今のコロナ禍と重ね合わせて人間考察してみるのもよいだろう。まだ観たことがないという若い映画ファンは、配信やレンタルで要チェックである。『 マトリックス 』や『 マイノリティ・リポート 』のようなテイストの作品を好む向きであれば、ぜひ鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ventilation

「換気」の意。今やいかに rooms with good ventilation / well-ventilated= 風通しの良い部屋を確保するかが、どこのオフィスや学校でも喫緊の課題になっている。知っておくべき語と言えるだろう。ちなみに緊張状態やストレスから起こるとされる「過呼吸」は hyper ventilation と言う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, SF, アメリカ, クリストファー・プラマー, ブラッド・ピット, ブルース・ウィリス, マデリーン・ストウ, 監督:テリー・ギリアム, 配給会社:松竹富士Leave a Comment on 『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

『 風の谷のナウシカ 』 -日本アニメ映画の最高峰の一つ-

Posted on 2020年7月19日 by cool-jupiter

風の谷のナウシカ 90点
2020年7月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:島本須美 榊原良子
監督:宮崎駿

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たしか初めて観たのは小学2年生の時、学校の体育館でだった。その後もテレビのロードショーで何度か観たし、大学の寮で留学生たちと一緒にも観た。おそらくそれが最後の鑑賞だった。今回はおよそ20年ぶりの鑑賞となる。ごく最近、駄作を観てしまったがために、どうしても口直しが必要だった。劇場の大画面で鑑賞して、あらためて本作は傑作だと再確認できた。

 

あらすじ

世界を焼き尽くした「火の七日間」から1000年。人類は、腐海と虫に脅かされながら生きていた。風の谷の姫ナウシカは、メーヴェを駆って、腐海を巡り、世界の真実を探求していた。だが、列国は貧困と恐怖の中でも戦争を行っていた。そしてナウシカと風の谷も、否応なくその戦いに巻き込まれていく・・・

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ポジティブ・サイド

30年以上前の作品であるにも関わらず、そのテーマの現代性に驚かされる。一つには、行き過ぎた技術文明への警鐘があり、もう一つには大自然が人類を脅かすことである。小説家の新城カズマに言わせれば「SF作品とは、人類と文明の遠近法」だが、その意味では1980年代のSFは、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』といったロボットものか、そうでなければスペース・オペラまたはスペース・ファンタジーだった。中には『 ブレードランナー 』のような異色作もあったが、そこにあるのは人間が「機械」を見る眼差しだった。本作はそこに「生命」を見出している。腐海という、一見すれば究極のディストピアを、単なる恐怖や脅威の領域ではなく、ある大きな仕組みの一部として見ている。そこが非常に独特で、宮崎駿の異能あるいは異端さが際立っている。

 

本作は様々な戦争作品を取り入れつつも、それ自体が全く新しいジャンルを切り拓いたという点でも、日本映画史に残る作品である。巨神兵という、一見すれば『 ゴジラ 』にインスパイアされたように見えるモンスターが、その後の『 新世紀エヴァンゲリオン 』をインスパイアした点も興味深い。1980年代のゴジラと言えば、『 ゴジラ(1984) 』が本作と関連が深い。内容が、ではなく背景がである。オープニングでユパが探索している村に降る胞子は、どうしても核戦争後の「死の灰」を我々に想起させる。『 ゴジラ(1984) 』ではゴジラが原発を破壊し、そして日本の上空で核爆発が起きる。腐海の瘴気=放射能と見るのはいとも容易い。そして、COVID-19の第二波または第一波の揺り返しに遭っている現代日本では、もはや必携アイテムになってしまったマスクが本作では重要なガジェットになっている。世界観に普遍性があるのだ。「姫様、マスクをしてくだされ、死んじまうー!」という爺さんたちの叫びは、ブラックジョークにも悲痛な叫びにも聞こえる。時代を超えたユーモアがあり、恐怖感もあるのだ。時代と時代、ジャンルとジャンルの結節点である本作らしいと言えはしないか。

 

本作を傑作たらしめている最大の要因は、やはり主人公のナウシカのカリスマ性だろう。20年ぶりに観て、その戦闘力や指導力、カリスマ性、英知、博愛の精神に打ちのめされた。「お姫様」という存在は、基本的に王または王子なしには無力な存在である。宮崎駿はそこをひっくり返した。病に倒れた王ではなく、その娘のナウシカこそが風の谷の事実上の王である。そして指導者たる王が肉体労働を厭わず、自己犠牲に躊躇しない。国民が姫、あるいは王族の姿を見て結束、連帯する、あるいは分断、抗争していくのは世の常。それは上皇后・美智子様への国民的な感情と、親王妃・紀子様、あるいはJovianの後輩にあたる眞子内親王や佳子内親王への国民的な感情を比較してみれば分かる。2010年代のハリウッドが「機は熟した」とばかりに、優秀な“女性”にフォーカスした作品を陸続と送り出してきたが、それはほとんど『 ドリーム 』のような歴史に埋もれていた女性たちの物語だった。ナウシカのように、誰かに構想されたキャラクターはいなかった。ここでもクリエイターとしての宮崎駿の天才性が見える。もちろん、他キャラも素晴らしい。苛烈なクシャナとどこか憎めないクロトワの名コンビに、風の谷の爺さん連中、そしてよく働く子どもたちも強く印象に残る。

 

今の若い世代、10代の中学生や高校生は本作のアニメーションを見て、どのような感想を抱くのだろうか。「場面によってはあまり動かない絵があるな」とか、「画質が粗いな」と感じるのだろうか。一応説明しておくと、これは全て手描きのアニメーションなのだ。美しいかどうか、精巧かどうかという点で現代のアニメ映画、たとえば『 ウォーリー 』などとは比較にならない。だが、作画に注ぎ込まれたエネルギーの総量は決して負けていないのである。昨年(2019年)に放火被害に遭った京アニはジブリ作品にも深く関わってきたのである。

 

音楽も素晴らしい。宮崎駿作品と中期までの北野武作品には久石譲の音楽が欠かせないが、宮崎と久石のコラボとは、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネが組む、あるいはジョージ・ルーカスとジョン・ウィリアムズが組むようなものである。特にナウシカの飛ぶシーンのBGMが最高に情景にマッチしている。また効果音を聞き逃せない。『 スター・ウォーズ 』のミレニアム・ファルコン号やTIEファイターの飛行音、またライトセイバーのヴゥンという効果音は、そのオブジェそのものと不可分になっているが、本作ではメーヴェがそれにあたる。「飛ぶ」という行為を、視覚的にだけではなく聴覚的にも表現した宮崎の大いなる勝利である。

 

物語の内容と展開にも文句のつけようがない。劇作の基本として、物語には、キャラクターによって動かされるものと状況によって動かされるものに大別される。本作はその両方がパーフェクトなバランスで使われている。ナウシカは常に点から点へとせわしなく動くが、それは彼女自身の意思と、状況に応じた柔軟な判断である。同時に、彼女の意思とは無関係な他国の侵略や他国間の戦争によってでもある。ナウシカという万能に近い主人公が、状況をコントールしながらも状況に翻弄される。そのバランスが絶妙としか言いようがない。ストーリーの内容だけではなく、ストーリーの構成や展開も完璧である。

 

ネガティブ・サイド

ユパが「良い名を贈らせてもらう」と言った赤ちゃんの名前は結局どうなったのか。

 

巨神兵を積載したトルメキアの大型艦は、過積載で風の谷に墜落したが、それではそもそもどうやって離陸したのだろうか。他の航空機にえい航されながら滑走および離陸をしたとでも言うのか。また、蟲に襲われていたが、その蟲たちもどこで拾ってきたのだろうか。ウシアブは空を飛べるから分かるが、小型王蟲のような飛べなさそう蟲が船体に張り付いていたのは不可解だった。

 

声優陣はさすがの仕事ぶりだったが、唯一アスベルの声だけは、素人っぽく聞こえた。

 

総評

問答無用の大傑作である。小中高校生は、夏休みの宿題として本作を観るようにと各学校がお達しを出してもよいくらいである。三密を満たさないように、それこそ体育館で各学校で一日中、上映してもよい。宮崎駿がこれだけヒット作を連発できるということは商業性や大衆性というものをよく理解している証拠だが、一方で異能性や天才性も併せ持っている。ぶっちゃけた言い方をすれば、黒澤明や小津安二郎に並ぶクリエイターであると言っても良い。岩井俊二や是枝裕和は、まだ宮崎駿には及ばないというのがJovianの勝手な私見である。その宮崎の作品の中でも本作は一、二を争うクオリティである。親や祖父母は子や孫を是非とも映画館に連れて行ってあげてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

Please put on the mask!

put on ~ = ~を身に着ける、の意である。対して(文脈にもよるが)、Wear a mask. は「普段からマスクを着用せよ」の意になる。日本の英語学習者はしばしばPlease relax. =どうぞおくつろぎください、のように言ってしまうが、Pleaseを頭につける命令文というのは、(これも文脈や口調によるが)かなり切羽詰まって聞こえる。「頼むからリラックスしてくれ」のような感じである。その意味で「姫様、マスクをしてくだされ」の英訳にはPleaseをつけるのがふさわしい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, S Rank, SF, アニメ, 島本須美, 日本, 榊原良子, 監督:宮崎駿Leave a Comment on 『 風の谷のナウシカ 』 -日本アニメ映画の最高峰の一つ-

『 SPACE BATTLESHIP ヤマト 』 -邦画の欠点が凝縮されている-

Posted on 2020年7月18日 by cool-jupiter

SPACE BATTLESHIP ヤマト 15点
2020年7月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:木村拓哉 黒木メイサ
監督:山崎貴

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『 アルキメデスの大戦 』を観ても分かる通り、この国はどんづまりになると起死回生の大艦巨砲主義を選ぶ。緊急事態宣言然り、秋に囁かれる解散総選挙然り。GO TOキャンペーンなど狂気の沙汰、亡国政策だろう。劇場公開当時、華麗にスルーした本作だが、今という時に観返して何か発見があるかどうか。なかった。ただただ邦画の限界、弱点、欠点を見せつけられただけだった。

 

あらすじ

ガミラスの遊星爆弾攻撃により放射能汚染された地球。人類は地下に潜り、なんとか生き延びていた。そんな時、遠い宇宙から謎のメッセージが届く。そこには宇宙のとある座標と波動エンジンの設計図が込められていた。人類は戦艦ヤマトを駆って、宇宙へと飛び立っていく・・・

 

ポジティブ・サイド

ヤマトのワープの使い方に頷けるものがあった。これは確かに最高のヒット・アンド・アウェイである。ワープの演出がアニメ版の瞬間移動的なものとは異なっているが、これは確かに瞬間移動だと、ここだけは得心した。

 

緒形直人演じる島大介だけは良かった。

 

後はBGM。『 スーパーマン リターンズ 』でも John Williams のあの音楽が流れる瞬間は鳥肌が立ったようなもの。

 

ネガティブ・サイド

どこからツッコミを入れていいのかどうか分からないが、とにかく『 宇宙戦艦ヤマト 』の精神を受け継いでいないし、キャラクターの再現度も極めて低い。さらに同時代に送るメッセージもない。

 

古代進が「あのさぁ」とか言って、人に話しかけるか?森雪が平手打ちならまだしも、グーで人を殴るか?なぜ西田敏行が佐渡医師ではなく機関長なのだ?山崎努は、第二次大戦映画ならまだしも、沖田艦長のイメージでもないし、本人も似せようとしていない。また監督もそのような演出をしていない。何がしたいのだ?

 

言葉の使い方もいろいろとおかしい。「ガミラス機を捕獲しろ」ではなく「ガミラス機を鹵獲しろ」ではないのか?古代が「第三艦橋に取り残された者たちを見殺しにしました」と沖田艦長にサラッと大嘘を報告するのもどうなのか。実際は見殺しではなく、自分から切り捨てたというのに。妙なところでリアリズムが欠如している。というか、虚偽が混じっている。

 

行動も妙だ。直前のシーンでぜえぜえ言っているキャラが、次の瞬間に呼吸が落ち着いている。シーンとシーンがつながっていない。敬礼も沖田だけ脇を開く角度を極端に小さくする海軍式。その他のキャラは陸軍もしくは空軍式。混成軍だと言ってしまえばそれまでだが、宇宙戦艦という狭い空間内なら海軍式に統一すべきだ。あるいは人類最後の希望は寄せ集めであるというを見せる描写が必要だ。パイロット連中が最終出撃前に「ウェーイ!!!」というハイテンションになっているのは何故なのか。凡作だった『 空母いぶき 』でもパイロット連中は冷静さを保っていた。というかパイロット然り、キャビンアテンダント然り。空を飛ぶ連中、あるいは海に潜る連中に何よりも求められる資質は、冷静さを保てることだ。こんな連中がよく生き残れたな。またキムタク・・・じゃなかった、古代進のクライマックスでの「波動砲は撃てるか?」の問いにもズッコケである。軸線上に地球があるのに波動砲を撃とうという狂った発想は、一体全体どこから湧いてくるのか。

 

戦闘シーンも『 スター・ウォーズ 』と『 インディペンデンス・デイ 』を自分流にやってみたかったんだよね~、という山崎監督のエゴの声が聞こえてきそうな陳腐さ。CGやYFXの質に文句をつけているのではない。オリジナリティの欠如を嘆いている。あるいは、低いハードルを越えて満足している姿を憂いているのである。

 

細かいところではあるが、地球から42万キロメートルにいるシーンで、地球が異様に小さく映るのは何故か。月よりもほんのちょっと遠いだけだろう。編集時点で誰も気付かなかったのか。

 

ガミラスを個にして全、アルファにしてオメガな存在に描く必要はあったのか?『 風の谷のナウシカ 』や聖書を堂々とパクって開き直れる姿勢は称賛、ではなく硝酸に値する。

 

総評

ネガティブな評だけで5000~6000字は書けそうだが、それはあまりにも生産性が低い行為である。総評を書くのも面倒だ。何故ここまで原作をレイプできるのか。そして時代に向き合わないのか。何も原発事故やコロナ禍を予見しろなどと言っていない。だが、この中身スッカスカの実写版を観て、何を感じ取れと言うのか、誰か教えてほしい。キムタクが古代で森雪が黒木メイサ?役者を責めているのではない(演技面で褒められるものはなかったが)。そうしたキャスティングをしてしまう業界の構造や企画立案のプロセスにこそ邦画制作の病巣がある。そのことが再確認できただけの作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this awfully bad film ASAP.

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, F Rank, SF, 日本, 木村拓哉, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝, 黒木メイサLeave a Comment on 『 SPACE BATTLESHIP ヤマト 』 -邦画の欠点が凝縮されている-

『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

Posted on 2020年4月26日 by cool-jupiter
『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

11人いる! 80点
2020年4月26日 YouTubeにて鑑賞
出演:神谷明 河合美智子
監督:出崎哲 冨永恒雄

映画館に行けなくなって久しい。まさに世界は、ゾンビが彷徨している。あるいは未知のウィルスが蔓延しているという設定のディストピアSFの様相を呈している。そこで、ふと思い出したのが本作。まさに“三密”な宇宙船内に多種多様な人種を詰め込んだ環境は、COVID-19が猖獗を極める今こそ、再鑑賞するのにふさわしい。Amazon Primeに見当たらなかったが、YouTubeで発見。ありがたや。

 

あらすじ 

タダ(神谷明)はコスモ・アカデミーへの第一次・第二次入学試験を順調にパスした。そして最終第三次試験で、漂流中の宇宙船内で他の9名の受験生、合計10名で53日間を過ごすという最終試験に臨む。宇宙船に到着した一行は、しかし、自分たちが11人いるということが判明し・・・

 

ポジティブ・サイド 

1950~1960年代の作家的想像力をメインに構築されていたSF作品ではなく、1970年代以降のジェイムズ・P・ホーガン的な、つまり当時の最先端の科学的知見を盛り込んだSFである。ここでいうSFとはScience Fictionではなく、Space Fantasyである。原作が1975年なので、『 エイリアン 』(1979年)や『 スター・ウォーズ 』(1977年)よりも前。つまり、『 2001年宇宙の旅 』の系譜を日本が引き継いだ作品とさえ言える。冒頭の鈍く銀色に輝く巨大宇宙船を見よ。巨大な宇宙船の船体表面をクロースレンジでじっくりと映し出すことで大きさを強調する手法は、『 2001年宇宙の旅 』に始まって『 スター・ウォーズ 』や『 エイリアン 』に直接継承された手法である。本作は1986年に劇場公開された。製作者たちが、これらの先行映像作品に影響を受けなかったはずはない。重力制御装置や超距離エレベーターなど、先行SF作品でお馴染みのガジェットが随所に詰め込まれている。

 

疾走感と虚無感を併せ持ったBGMも素晴らしい。どこかファミコンゲーム『 グラディウス 』に共通するテイストの音楽が、爆発とレーザーで彩られる終盤の展開を上手く観る側に予感させてくれるような気がする。

 

宇宙の様々な星系からの人種のトップ層が、コスモ・アカデミーに集まるというのも当時としては斬新な世界観だったのではないか。今では中国やインド、ナイジェリアやブラジルの超秀才がアメリカの大学や大学院で学ぶのはもはや既定路線になっている。世界的な視点では普通のことであるが、日本的な視点からは異質だ。日本発の同時代のSF作品の金字塔である『 機動戦士ガンダム 』は、地球人同士の争いであるし、『 宇宙戦艦ヤマト 』に登場する宇宙人は、第二次世界大戦時の日本の敵国人種の投影である。そうした意味で、萩尾望都は日本人離れした先見性と想像力を持っていたと、あらためて評価することができる。

 

キャラクター造形も素晴らしい。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプの概念を先取りしたのような直感力に秀でた主人公タダを始めとして、ほとんどのキャラが立っている。特に正真正銘の王様でありながら、民主主義的に多数決を自ら提案し、その多数決の結果に諾々と従うという“王様”はユニークだ。ヒロイン的なポジションにどっかと座るフロルも良い。男勝りなところがいかにもクリシェだが、本作は1980年代半ばに公開されていて、原作は1975年であることを思い出そう。女性である、女性になる、女性として生きるという概念が今とは全く異なる、まさに別の時代において、萩尾望都が産み出したこのキャラは、漫画家というよりも女流作家、いやクリエイターとして常に新境地を切り拓いてきた氏の投影そのものだったのだろう。

 

疑心暗鬼の船内、奇病の発生、ワクチンの争奪戦など、まさにCOVID-19が猛威を振るう世界そして日本の縮図的な環境が、ここには描き出されている。SFとしてだけでなく、ミステリとしてもサスペンスとしても、また青春ものとしても、非常にハイレベルに仕上がった逸品である。

 

ネガティブ・サイド

メニールが雌雄同体というのは、厳密には誤っている。実際は無性体または雌雄未分化と言うべきだろう。このあたりの科学的知識は、1970~1980年代においてもしっかり共有されていたはず。作家というよりも編集者や校正がカバーすべきだった。

 

船内の爆発物を除去しないという序盤の過ごし方についても、なんらかの説明が必要だったはず。特にコスモ・アカデミーのような合格率が数万分の一というような超難関の最終試験に残るような頭脳エリート集団が、何故このような選択をしたのか。またハンドガンの存在をコスモ・アカデミーは感知していたのか否か、そのあたりの説明も不十分だった。

 

ほとんどのキャラが存在感を放つ一方で、赤鼻やトトは明らかに出番も少ないし存在感もない。議論がヒートアップした時などに赤鼻が上手く仲裁する、あるいは妥協できる案を提出するなどすれば、彼のアカデミー卒業後の進路に説得力が生まれた。トトにしても同じで、『 オデッセイ 』のマット・デイモン並みに限られた資源で野菜や果物の栽培に成功したという描写がほんの少しでもあれば、尚よかった。

 

船内スクリーンに時々映し出される50 DAYS TO THE ENDや24 DAYS TO THE ENDというのは、非標準的な英語だ。50 DAYS REMAININGまたは50 DAYS LEFTの方がナチュラルな表現である。

 

総評

おそらく2050年になっても古さを感じさせない古典である。Jovian自身、鑑賞はおそらく4~5度目だが、ワンシーンごとに演出がしっかりしており、無駄が一切ない。1時間30分と非常にコンパクトにまとまっている点もポイントが高い。ある意味で性別を超越したロマンス展開もあり、Xジェンダーというアイデンティティを1970年代にして認知していた最初の作品群の一つであるとも評価できるかもしれない。家に引きこもってYouTubeを観るのなら、ぜひ本作もWatch Listに加えるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is fate.

ヌーの口癖、「これも定め」の私訳。fateについつい冠詞のaをつけてしまう人が多いが、これはほとんどの場合、無冠詞で使う語である。冠詞の使い方をマスターすれば、英検マイナス1級、TOEIC L&R換算1400点である。こういったものは丸暗記に限る。そして、丸暗記するのならば文法書や問題集ではなく、歌詞や映画の台詞にしよう。Jovianは『 インデペンデンス・デイ 』のウィットモア大統領の演説、“Perhaps it’s fate that today is the Fourth of July”を暗記している。

YouTube

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, SF, アニメ, 日本, 河合美智子, 監督:冨永恒雄, 監督:出崎哲, 神谷明, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

Posted on 2020年2月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

スノーピアサー 65点
2020年2月11日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:クリス・エヴァンス ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲したのには、びっくりした。確かに相当に面白い作品だと感じた(75点をつけた)が、自分としては大穴的に『 ジョーカー 』が作品賞まで獲ると勝手に思っていた。この快挙を祝福すべく、シネマート心斎橋へ。ここは韓国映画推しの劇場で、2019年11月か12月の時点でポン・ジュノ特集を決めていた。劇場支配人の慧眼、恐るべしである。

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あらすじ

地球温暖化を止めるために人類は大気中にCW-7という薬品を散布した。結果として、予想以上に気温が低下し、地表は氷に覆われた。人類はスノーピアサーと呼ばれる列車の中でかろうじて生き延びていた。その列車の前方には上流階級が住み、後方には下層社会が形成されていた。後方車両の住人カーティス(クリス・エヴァンス)は仲間と共に前方車両へ反旗を翻すが・・・

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ポジティブ・サイド

WOWOWで放映されていたのを観たことがあったので、二度目の鑑賞になる。アカデミー賞受賞監督の作品という先入観を持って鑑賞しているわけだが、なかなかに凝った作りであると感じる。

 

まず、絶滅寸前の人類が、地下や海底、あるいはスペース・ステーションなどではなく、列車に暮らしているというのが面白い。我々も日頃から電車には乗るわけだが、電車には優等列車や優等車両というものがある。新幹線のグリーン車に日常的に乗るという人は、決してマジョリティではあるまい。一般庶民にして勤め人である我々は、満員電車で押し合いへし合いしながら奇妙な連帯感を育む。そうした我々の生活の究極の延長線上にあるのが、スノーピアサーの世界である。何をどうしたって、クリス・エヴァンス演じるカーティスを応援したくなるではないか。

 

こうしたディストピアもので思い出されるのは『 ソイレント・グリーン 』である。人口が爆発した世界とは対照的に、こちらの世界では人口が数百のオーダーにまで減ってしまっているが、いずれにしても頭を悩ませるのは食糧生産と管理である。『 ソイレント・グリーン 』もなかなか衝撃的であったが、こちらもかなりショッキングである。だが、見方を変えれば非常にリアリティのある設定とも言える。昆虫食は人類の人口爆発を支えるポテンシャルを秘めているし、あるいは人口が極限的に減ってしまった時にも、手間が家畜ほどにはかからないとも考えられる。似たような極限状態を描いた作品には『 白鯨との闘い 』がある。どこまで行っても人間の本質は、Homo homini lupusなのかもしれない。

 

人類最後の砦となるものが塔だとか迷宮だとか地下の要塞であれば、爆破するなどの破壊的な強硬手段も考えられるが、半永久的に走り続ける列車なので、爆破してしまうと先頭車両に置いて行かれてしまう。なので、一車両ごとに律義に攻略していかねばならない。これも設定の妙である。その扉を一つ一つ開けていくソン・ガンホ演じるナムグン・ミンスが良い味を出している。これほど美味そうに、かつ気だるい感じで煙草を吸うのは、石原裕次郎ぐらいしか他には思いつかない。また、眼の奥にただならぬ力を感じさせる顔面の表現力はアジア随一であろう。

 

反乱は成功するのか。先頭車両には何が待ち受けているのか。『 Vフォー・ヴェンデッタ 』のジョン・ハートは、やはり正義を標榜した悪役が似合う。

 

本当は60点だが、ご祝儀で5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

スノーボール・アースとなってしまった説明はそれなりに納得がいくものの、何故スノーピアサーという列車が走っているのか。そもそも何故そんな列車の建造が計画され、世界を一周するような線路が敷設されたのか。そのあたりの説明が不足していた。ましてやスノーピアサーが運行を開始して、たった17年である。これが走り始めて100年も経っていたなら、もはや何故、どのようにしてスノーピアサーが走り始めたのかは歴史以前のこととして受け止められるが、17年というのはいかにも短い。このあたりはキャラクター同士の人間関係というものもあり、なかなか設定が難しかったのかもしれないが、何らかの説明が必要であるとは感じた。

 

COVID-19が収束を見ない状況だからかもしれないが、後方車両の人間たちはあの衛生状態では長く生きられないだろうと思われる。一度でも何らかの感染症がアウトブレイクしてしまえば一網打尽だろう。閉鎖環境であっても病人は発生するし、異所性感染のリスクも常に存在するのである。

 

後は仏像にこだわる日本人というのが面白くなかった。もちろん、日本は朝鮮半島を植民地にして多くの文物を奪っていったわけだが、グローバルな視点からジャパン・バッシングをしたいのなら、妙な精神世界を持っているという特徴よりも、徹底的な集団同調主義かつ日和見主義に描いた方が面白くなったはずである。

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総評

祝日ということを差し引いても、いつも以上の客の入りだった。シネマート心斎橋の席が8割以上埋まっているというのは初めて見たように思う。それだけアカデミー賞4冠のインパクトは大きいのだろう。本作も標準以上の面白さを備えた佳作であり、ポン・ジュノ監督の問題意識の萌芽が色濃く反映された痛烈な現実批判映画でもある。格差に対しては二通りの対処がある。1つには、格差を生む構造そのものをぶち壊すこと。もう1つには、自分が「持たざる者」から「持てる者」にとって代わること。本作の結末が示唆するのは何か。それは、レンタルや配信でお確かめ頂きたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How’s it hanging?

How is it hanging?とは言わない。必ずHow’s it hanging?という短縮形で使われる。Hello. や What’s up? と同じ意味で、よりカジュアルな言い方である。ほぼ男同士のしゃべりでしか使われない。その意味はこのフレーズを直訳してみた時に、itが何を指すかを考えてみれば分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, ソン・ガンホ, フランス, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 スノーピアサー 』 -階級社会の打破と脱出-

『 AI崩壊 』 -ありきたりの天才科学者サスペンス-

Posted on 2020年2月6日2020年9月27日 by cool-jupiter

AI崩壊 35点
2020年2月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:大沢たかお
監督:入江悠

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AIの進化が著しい。日本は良きにつけ悪しきにつけ新しいものを使っていくことを好まない。しかし将棋棋士がAIを効果的に使い、今も棋力を向上させているように、普通の仕事でもAIを使い、効率や能率を上げていくことが期待される。だが、AIが『 ターミネーター 』のスカイネットにならない保証はどこにもない。本作はそんな物語・・・とはちょっと違う。

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あらすじ

桐生浩介(大沢たかお)は病気の妻を救えなかった。しかし、彼の開発したAI「のぞみ」は医療と健康管理のため国民的ツールとして普及し、日本人の健康増進に寄与していた。だが「のぞみ」は突如、暴走。国民を「生存」と「死亡」にカテゴライズし始める。その原因を開発者の桐生にあると判断した警察は、桐生の逮捕に乗り出す。桐生は逃げ延び、「のぞみ」暴走の原因を解明できるのか・・・

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ポジティブ・サイド

一部の分野ではAIが人間の能力をはるかに凌駕していることは周知の事実である。完全自動操縦の自動車がリリースされない理由は、費用が高くなりすぎること、そして事故があった時の責任の所在がどこ(製造者?所有者?運転していない同乗者?)にあるのかが議論しつくされていないという政治的・倫理的理由からである。逆に言えば、技術的には可能なわけで、ならば健康管理AI「のぞみ」という存在も荒唐無稽とは言い切れない。実際には飛行機は、離陸と着陸以外はオートパイロットで飛ばしている。厳密にはAIとは言えないものにも、我々はすでに命を預けているのである。

 

本作ではドローンも大活躍する。特に地下道で放たれるドローンのデザインはなかなか良い。Droneとはミツバチの雄を指す言葉で、蜂を模した形の超小型ドローンは近未来的でクールである。

 

微妙なネタバレになるが、本作には現実の政治批判の意味も込められている。序盤早々に女性総理大臣が死亡するが、その跡を継ぐ副総理の姓は、亡国の・・・いや、某国の総理大臣に縁のある姓だからである。入江監督の思想がどのようなものかは寡聞にして知らないが、国民を「上級国民」と「下級国民」に選別することは止めよ、というメッセージを入江監督は持っているようである。その意気や良し。

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ネガティブ・サイド

『 プラチナデータ 』と重複する部分が多い。犯人の思想もそっくりであるし、警察が使用するAI「百眼」による捜査方法もそっくりである。つまり、新鮮な驚きがない。いや、『 プラチナデータ 』の公開当時、歩行パターン認識などはまだまだマイナーな技術だった。その点に、説得力はあまりなかったが、驚きは十分にあった。一方、本作の「百眼」の性能には驚きを感じられるものがなかった。それがマイナス点である。後発作品は、先行作品を何らかの意味で乗り越える努力をすべきである。また、百眼も高度に発達したAIである割には、自律的思考力を持っているとは到底思えない判断を最終盤で連続して下している。もはやギャグの領域で、ここまで来るとリアリティも何もない。また、桐生が下水道の中を逃げる時の足音を聞いて、「これは桐生である」と百眼が判断する場面もあるが、元データをいつ採取したのだろうか。百眼という存在のアイデアは悪くはないが、才物の詰めの設定が甘すぎる。

 

また、百眼を使う警察があまりにも最初から強引すぎる。これではのぞみ暴走の黒幕が誰であるのか、あっという間に分かってしまう。本作はSFサスペンスであり、ミステリ要素は確かに薄い。しかし、謎の見せ方にはもう少し節度を持ってもらいたい。ミランダ宣告をしないのはまだしも、容疑者かどうかも怪しい段階でいきなり銃を突きつけるか?最初は「話はとにかく署で聞く」ぐらいの堅物さ、強引さで、そこからのぞみ暴走のカウントダウンが進んでいくとともに警察も過激になっていく、という展開で良かったのにと思う。

 

逃げる桐生を警察官の描写にも不満がある。土地勘があるとは思えない桐生が、土地勘を持っていないとおかしい所轄の警察官たちを、路地裏などを通って次々と振り切っていくシークエンスには説得力がない。元警察官のJovianの義父が本作を観たら、笑うか呆れるか、さもなくば警察官たちに憤慨するであろう。

 

「のぞみ」の暴走にもリアリティが不足している。「のぞみ」が命の選別をすることにリアリティがないのではない。「のぞみ」のカメラアイは『 2001年宇宙の旅 』のHALをどうしても想起させるが、人を殺害するAIというアイデアは大昔から存在してきたのである。問題は、AIが人を殺すことを考えたときに、その思考過程をわざわざ人に見せるだろうか、ということである。もちろん、それを見せてくれないことには物語が前に進まないのだが、「のぞみ」暴走のカウントダウンにどうしても緊張感が生まれなかった。というのも、パッと見た限り、「のぞみ」は命の選別を1秒間に6人ほど行っているように見えるが、この計算で行くと、1分で360人、1時間で21,600人、24時間でも518,400人である。10年後の日本の人口が1億人にまで減っていたとしても、全く届いていないではないか。「のぞみ」がモニター越しに見せる命の選別の過程がスロー過ぎて、観ている側に焦燥感や恐怖などの負の感情が生まれてこないのだ。

 

黒幕は命の暴走によって日本を救いたいわけだが、その思想もすでに漫画『 北斗の拳 』のカーネルが「神はわれわれを選んだのだ!!」という言葉で先取りしている。実際に命の選別をやってしまえば、諸外国から非人道的との烙印を押され、あっという間に中露、あるいはアメリカあたりに力での侵略を許す口実を与えるだけになると考えられる。それに墓場はともかくとしても(全部無縁仏扱いしてしまえばよいので)、火葬場などで死体を荼毘に付す処理が絶対に追いつかないだろう。それとも、死体の大部分は腐敗するに任せるというのか。馬鹿馬鹿しいようであるが、こうしたことまで考えられて作られた物語に見えないのである。

 

桐生も『 逃亡者 』のリチャード・キンブルさながらに逃げまくるが、盗んだノートPCであまりにも多くのことを成し遂げ過ぎではないか。「俺はもう人工知能の開発はやっていない」と言いながら、発砲を辞さない警察に追われるという極限の緊張の下、5年ぶりであっても流れるようにコードを書くというのは、プログラマーならぬJovianの目にはスーパーマンに見える。桐生が卓越した頭脳と肉体の両方を備えていることが、物語を逆につまらなくしている。桐生が百眼やのぞみと対峙し、たとえば『 search サーチ 』のように、カメラなどを通じてではなく各種のウェブ上に記録を多角的に総合的に分析することで、AIとの“対話”を行うような形での対決をしてくれれば、もっとリアルに、もっとスリリングになっただろう。発想は陳腐だが悪くない物語である。物語の進め方にもっと工夫の余地があったはずである。

 

総評

桐生にも警察にもリアリティがない上に、肝心のAIも過去作品の模倣の域を出ない。AIを巡る思想についても、山本一成が『 人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか? 』で語った「いいひと」理論が先行している。映画館はかなりの人が入っていたが、正直なところ、映画ファンの期待には届かなかったと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

trigger-happy

『 図書館戦争 』ほどではないが、本作は警察がバンバンと発砲する。そのような、すぐに撃つ短慮な性格を指してtrigger-happyと言う。40歳以上の世代なら、『 おそ松くん 』における本官さんを思い出してもらえればよい。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』でも、ホルドがポーを指して“trigger-happy flyboy”と揶揄していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, SF, サスペンス, 大沢たかお, 日本, 監督:入江悠, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 AI崩壊 』 -ありきたりの天才科学者サスペンス-

『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

Posted on 2020年1月24日 by cool-jupiter

ブラックホール 65点
2020年1月23日 INTERNET ARCHIVEにて鑑賞
出演:マクシミリアン・シェル ロバート・フォスター
監督:ゲイリー・ネルソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200124005119j:plain
 

小学校5年生ぐらいの頃、実家にあったVHSで観た。テレビでも何度か放映されたように記憶している。ずんぐりむっくりのV.I.N.CENT.がR2-D2的でとても可愛らしかった一方で、初めてマッド・サイエンティストという存在に触れたのも今作だったように思う。こちらの方が後発作品だが、『 ソイレント・グリーン 』の真相に驚かなかったのは、本作を先に観たからだと自己分析している。

 

あらすじ

地球外に新天地を求める航行に出たホランド船長(ロバート・フォスター)らクルーは、超巨大ブラックホール近傍にシグナス号を発見する。ラインハート博士(マクシミリアン・シェル)は、シグナス号で孤独にブラックホールの謎を解き明かすために研究開発をしていたというのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

謎の天体ブラックホールの姿がはじめて観測されたとのニュースが近年あったが、今作で示されるブラックホールの姿は、我々の感覚的なものに近い。科学的に正しい姿ではないかもしれないが、我々がイメージするブラックホールは、『 インターステラー 』の黒い球体ではなく、こちらの渦巻く降着円盤を備えた“穴”である。

 

またテレパシーが存在する世界観も悪くない。宇宙に飛び出すことで人類の一部が新たな環境に適応し、進化するということはありうる。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプは、本作のケイトから着想を得たものだったとしても不思議はない。

 

世捨て人かつマッド・サイエンティストのラインハート博士は『 アド・アストラ 』のトミー・リー・ジョーンズを思い起こさせる。というよりも、乗員を犠牲にし、無限の虚空で独り内的な世界に閉じこもる老科学者像という点で、彼ら二人は全く同じである。ラインハート博士は、現代においてもインスピレーションの源になっているのかもしれない。

 

本作は一部ホラー映画である。特にヒューマノイドの頭部・顔面が鏡面になっていて、「話せるのか?」と尋ねるハリーの顔が映り込む姿は、否が応にも観る側の不安と恐怖を駆り立てる。これはなかなか上手い演出である。

 

終盤のV.I.N.CENT.とマクシミリアンの一騎打ちは手に汗握る対決である。ロボットとロボットの対決としては、SF映画史においてもかなりユニークなものだろう。その後の脱出のシークエンスは山本弘に影響を与え、小説『 アイの物語 』の「ブラックホール・ダイバー」のヒントになった・・・かもしれない。

 

エンドクレジットに映るダイヤモンド・リングは、間違いなく偶然の一致だろうが、実際に撮影されたブラックホールの画像と不思議によく似ている。オープニングと同じくジョン・バリー作曲の不気味なシンフォニーが、ブラックホールという謎の天体の不可解さを最後まで際立たせている。

 

ネガティブ・サイド

子どもの頃に何度か観た時は、「スケール大きいなあ」と素直に感心できていたが、おっさんになって再鑑賞してみると「先行作品のパクリが目立つなあ」となる。パクリという表現はディズニーを刺激しかねないので、オマージュと言い換えるべきか。『 スタートレック 』『 スター・ウォーズ 』の宇宙船内の造形にそっくりだし、超弩級宇宙船シグナス号の船体をサーチライトで照らしながら、その巨大さを強調しつつ、光の当たらない闇の部分の多さを強調するのは、『 エイリアン 』の宇宙船ノストロモ号の見せ方と同じ。この船はやばいですよと視覚的に教えてくれているが、その方法は陳腐である。というか、これらもすべて『 2001年宇宙の旅 』をちょっと味付けしなおしたものだ。制作・公開当時でも、オリジナリティは感じられなかったことだろう。

 

また行進するヒューマノイドの部隊の目を避けて脱出しようとするシーンや、隊列を組んだヒューマノイドとの赤いレーザービームでの銃撃戦は『 スター・ウォーズ 』のパクリだろう。ここまでくるとオマージュではすまない。

 

またラインハート博士が生涯をかけて解き明かそうとしているブラックホールの謎のかなりの部分は、実はすでに解けているのではないか。V.I.N.CENT.もB.O.B.もマクシミリアンも半重力装置によって浮遊している。つまり、キグナス号でラインハートが開発したとされるブラックホールの重力を遮断する技術は、彼以前に発明され、実用化されている。しかも、ブラックホールの重力を遮断するどころか、それを無効化し、逆らってすらいる。クライマックスでV.I.N.CENT.がチャーリーを救い出しているのが、その証拠である。この設定、科学的な考証の破綻は当時の知識水準でも指摘できたはずだ。

 

総評

多くの優れた先行作品のおいしいところを大胆に取り入れ、その後に続く数々のSF作品に影響を及ぼしと思しき作品である。ディズニーは黒歴史にしているのかもしれないが、実験的な作品としては高いクオリティを持っていると感じる。現代のCGだらけの映像よりも、特撮は目に優しいし、実物感や実在感がある。英語リスニングに自信がある、またはストーリーをよく知っている、過去に何度も観たことがあるという人は、INTERNET ARCHIVE で鑑賞してみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I told you.

「言わんこっちゃない」、「だから言ったのに」の意味である。I told you so. とも言う。自分が注意、警告したにもかかわらず誰かがやらかしてしまった時に、心の中で唱えよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, C Rank, SF, アメリカ, マクシミリアン・シェル, ロバート・フォスター, 監督:ゲイリー・ネルソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

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