パターソン 75点
2019年12月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー ゴルシフテ・ファラハニ ネリー
監督:ジム・ジャームッシュ
『 マリッジ・ストーリー 』が傑作だったので、アダム・ドライバー作品をさらに渉猟。こちらも良作。映画らしくない映画だが、そこが映画らしいと思えるのはエンターテイナーというよりはアーティストであるジャームッシュの持ち味か。
あらすじ
バスの運転手のパターソン(アダム・ドライバー)は愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィン(ネリー)と暮らしていた。バスの運転手と変わり映えのしない毎日を送るパターソン。しかし、彼は詩を読むことが日課だった。ある朝、ローラは双子を身ごもった夢の話を語る。その時からパターソンの目には街の様々な双子が映るようになり・・・
ポジティブ・サイド
なんという平々凡々とした日々の繰り返しだろうか。それ自体は映画に限らず、様々な物語の導入部として充分に機能する。しかし、本作は最初から最後まで、ほとんどがパターソンの日常を描写するのみ。それが不思議な心地好さを生み出す。物語には事件がつきものである。そして、主人公は往々にして事件に巻き込まれるか、主人公の持つ背景がその事故の遠因になっているものだ。そうした映画的、物語的文法は本作には存在しない。まるで自分の日常であるかのように、彼の仕事ぶりや家庭人としての姿にリアリティが感じられる。パターソンという男の平穏無事な日常、そこにあるちょっとしたアクセントを存分に観察して堪能してほしい。
それにしてもアダム・ドライバーという男は稀有な存在である。大柄できわめて個性的な顔立ちをしていながらも、どんな役にもハマる。『 スター・ウォーズ 』でのカイロ・レンも良いし、『 ブラック・クランズマン 』での警察官役もクールにこなし、『 もしも君に恋したら。 』の悪友役も魅力的だった。本作でも、仕事をきっちりこなし、近所のバーで毎晩一杯やり、バーテンダーや常連客とちょっとした会話をし、妻を抱いて眠り、妻を抱きながら目覚め、白河夜船の妻にキスをする、そんな至って普通の男をこれ以上ないリアリティで演じた。まるで特徴のない男にすら思えるが、さにあらず。彼には詩人としての顔がある。Jovianには詩の何たるかを語る能力が不足しているので、例を二つ引きたい。漫画『 蒼天航路 』で夏侯惇が「こういう日にゃ詩才のないのが腹立たしくなる」とぼやくと、曹操が「続けろ、もう少しで詩になる」と促す。つまりはそういうことである。もう一つの例は詩人ジェームズ・ライトの“It goes without saying that a fine short poem can have the resonance and depth of an entire novel.”という言葉である。「洗練された短い詩一篇には小説一冊分の響きと深みが宿りうるということは言うまでもない」のである。パターソンが書きつける詩の言葉の一つひとつが、変わり映えしない日常の中のアクセントなのである。
妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニもとても愛らしい雰囲気を醸し出している。手作りカップケーキがマーケットで売れたことで大喜びし、その臨時収入で夫とディナーをして白黒映画を観に行く。子どものいない夫婦であれば、特に珍しい光景ではない。しかし、そうした外出を心から喜び、楽しみ、夫に感謝し、人生を謳歌する様を見て、我々アホな男連中は「愛」という感情、そして「結婚」という因習の重みと意義を知るのである。『 ファウスト 』の「時よ止まれ、お前は美しい」ではないが、一つひとつの瞬間に有りがたみを感じられれば、それは素晴らしい人生であり、人間関係なのだ。フーテンの寅さんの言葉を借りれば、「なんて言うかなあ、ほら・・・、はあ、生まれきてよかったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。ねえ、そのために人間、生きてんじゃないのか?」である。そうした心構えを実践し、こちらもそうした気分にさせてくれるローラは、妻の鑑である。
だが何と言っても、本作を最も輝かせているのはマーヴィンを演じたブルドッグのネリーである。TVドラマ『 まだ結婚できない男 』のタツオには悪いが、演技者としては月とすっぽんである。もちろん、ネリーが月でタツオがすっぽんである。それほど、この犬の演技は本作ではずば抜けている。終盤になって大事件を引き起こしてくれるが、そこに至るまでにも数々の名演技を披露する。特にイスの上から「何だ、テメー、この野郎」的にパターソンを見つめる様は、目の演技としては『 ジョーカー 』のJ・フェニックスに次ぐものであると感じた。
終盤、唐突に日本人が登場する。彼とパターソンが交わす言葉、彼がパターソンに贈るものの意味を考えてみよう。パターソンの生活は、一歩間違えればスティーブン・キングが『 ドリームキャッチャー 』で言うところの“SSDD, same shit, different day(日は変わっても同じクソ)”なのである。そうした日々が輝くのは何故か。それは彼が詩人だからである。なんと清々しい物語であることか!!!
ネガティブ・サイド
双子以外にも、カップケーキやギターなど、愛妻ローラの言葉を媒介に、パターソンが世界を観察する目を変えていく描写が欲しかったと思うのは贅沢だろうか。それは描かれなかった二週目、三週目の物語だろうか。
後は、パターソンがあまりにも普通の男過ぎて、映画に彩り、色が足りなかった。別の女性に話しかけてみたいという欲求があるのなら、それを試してみればよかったのだ。その上で、妻との会話や触れあいでしか得られない満足感や充足感があるのだということを、ほんのちょっと、本当に些細な出来事を通して描くことはできなかったか。しかし、このあたりの塩梅は実に難しい。それをひとつのイベントにしてしまうと物語世界全体のトーンが崩れる。かといって、そうした要素を極限まで排してしまうと観客が眠気を催す。だが、トライをしてみて欲しかったと思うのである。パターソンは、全ての平凡な男の象徴なのだから。
総評
アダム・ドライバーという役者のキャリア的には『 マリッジ・ストーリー 』と鮮やかなコントラストを成している作品である。どちらも傑作である。しかし、雨の日の室内デートでの鑑賞にはおそらく耐えられない。既婚で子どもなしという夫婦で鑑賞してみてほしい。いや、むしろTHE虎舞竜の『 ロード 』をカラオケで歌って、一人たそがれるようなオッサンにこそ観て欲しいと思える作品である。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
Speak of the devil.
「噂をすれば影」の意である。バーのとあるシーンで、女性が呟く一言である。ちなみに中国語では「说曹操,曹操就到」、「曹操の噂をすれば、曹操がやって来る」と言うようである。