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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 スノーデン 』 -裏切ったのは国家なのか、スノーデンなのか-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

スノーデン 70点
2020年1月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット シャイリーン・ウッドリー ニコラス・ケイジ
監督:オリバー・ストーン

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Jovianが高校3年生の頃、クリスマスの季節に関西学院大学と国際基督教大学から絵葉書が送られてきた。おそらく、模試の時にそれらの学校を第一志望と書いていたらからである。テストの業者がその情報を大学に売るか渡すかしていたのである。そして、高校卒業の直前、代ゼミやら駿台から「あなたの学力なら入学金無料!授業料は半額!」みたいな手紙も届いた。おそらく高校(もしくは一部の教師)が名簿を業者に売ったのであろう。それが1990年代のことである。今では個人情報やプライバシーは保護されている。建前上はそうなっているが・・・

 

あらすじ

エドワード・スノーデン(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)は愛国心から軍に入隊。しかし、負傷により除隊となる。だが彼は諦めることなく、NSA、そしてCIAに入局し、国家に奉仕していく。その中で、テロリストだけではなくアメリカ内外の一般人の情報まで監視するプログラムが存在することに彼は疑問を抱き始め・・・

 

ポジティブ・サイド

スノーデンの告発と亡命はリアルタイムでニュースになっていた。正直なところ、当時は「やっぱりね」ぐらいにしか思っていなかった。なので、本作が劇場公開された時も、スルーを決め込んでしまった。今回、はじめてこの映画を観たことで、エドワード・スノーデンの人物像に迫ることができた。伝記映画というのは対象をある程度美化するものだが、彼は紛れもない同時代人。多少の誇張はあっても美化はされていないだろう。彼の語る言葉は、充分に美しい。

 

決して肉体的に恵まれているわけでもないスノーデンが、なぜ軍に入隊することを志願したのか。アダム・ドライバーと同じである(彼はかなり大柄だが)。除隊の仕方までよく似ている。つまり、説得力がある。しかし、スノーデンの生き方に共感できるのは、彼が国家に忠誠を誓おうとするからではない。彼が国家に忠誠を誓い、国家に奉仕しようとする心が、彼自身の正義感や信条と一致しているからである。日本の右翼の言論が単なるネトウヨの妄言に埋め尽くされてしまって久しいが、個人の信念と国家の方針ならば、個人は自らの信念を優先すべきである。人類史の流れを大雑把にまとめれば

 

集団生活 → 共同体・国家の成立 → 個人の確立

 

となる。もしくは銀英伝のヤン・ウェンリーの言葉を借りれば

 

「人間は国家がなくても生きられますが、人間なくして国家は存立しえません」

 

となるだろうか。

 

本作はスノーデンの経歴を詳細に映し出す一方で、彼の私生活の描写にも時間を割いている。そこから分かるのは、彼は生身の人間であったということである。飯田譲治が小説『 アナザヘブン2 』で、殺人事件を捜査中の刑事が、妻に自分の追っている事件の詳細を話すことができず、ストレスを溜めて、暴発してしまうくだりがあった。日本でもそうだろう。自衛官の妻や夫、両親や子どもは、仕事で何をしているのか、どんなストレスを抱えているのかを聞こうにも聞けないだろう。そうしたスノーデンの苦しみを、彼の伴侶であるリンゼイを通じて我々は知る。そこにいるのはCIA職員だとかNSA職員ではなく、一人の小市民である。普通の人間である。人間の条件とは何か。思いやりがあることである。これは何も、他人に優しく接するということではない。他人も自分と同じ人間であると認められるということである。スノーデンの勤務するNSAやCIAは確かにテロ実行犯と思しき人物をマークしているのかもしれない。しかし、それらの人物を確証なく抹殺することにためらいを見せない。また自国民を監視することにも抵抗を感じていない。憲法修正第4条の精神など、どこ吹く風である。どうだろうか。スノーデンは国家を裏切ったのだろうか。それとも、国家がスノーデンを裏切ったのだろうか。

 

スノーデンが母国を捨ててまで語りたかったこと、それもやはりヤン・ウェンリーが語っている、「法にしたがうのは市民として当然のことだ。だが、国家が自らさだめた法に背いて個人の権利を侵そうとしたとき、それに盲従するのは市民としてはむしろ罪悪だ。なぜなら民主国家の市民には、国家の犯す罪や誤謬に対して異議を申したて、批判し、抵抗する権利と義務があるからだよ」と。弱い者いじめに精を出す政権が安定して続くどこかの島国に暮らす我々は、スノーデンの発したメッセージにもっと敏感にならなくてはならない。

 

ネガティブ・サイド

分かる人には分かるのだろうが、CIAやNSAのシステムやらプログラムに関する話は、ほとんど何も理解できなかった。とにかく超巨大な通信傍受システムが秘密裏に、しかし超大規模に運用されているのだということは伝わったが、話のスケールが大き過ぎ、なおかつ使われている jargon が晦渋過ぎて、ただの小市民にはリアリティが感じられなかった。もっと、スノーデンの私生活部分にスポットライトを当てても良かったのではないか。だが、それをすると彼が恐れたプライバシーの侵害になるのが痛し痒しか・・・

 

スノーデンの告発に協力するジャーナリストたちをもう少し掘り下げても良かったかもしれない。ネームタグやCIA副長官と一緒に映っている写真などからスノーデンの identification を行うというのは、記者にしてはあまりにも脇が甘いと感じた。

 

スノーデンの日本での生活もごく短時間描かれるが、相変わらず日本の家屋の何たるかを欧米の映画人は正しく理解できていないようである。『 GODZILLA ゴジラ 』ですら、間違った日本の住居を描写していたのだから、これも仕方がないのか。

 

総評

劇中でさらりと、日本がアメリカ様によって首根っこを押さえられていることが語られている。日本は戦後一貫してバイ・アメリカンであったが、ここまで主権を侵害されていると、もはや属国である。本作はエンターテインメントであるが、それは reader よりも watcher の方が多数派だからである。オリバー・ストーン監督は多くの人々に、スノーデンのメッセージを受け取って欲しいと思っている。ならば受けとろうではないか。そして、安全とは何か、安全の代償に事由を差し出してよいのかどうか、真剣に考えようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

whistleblower

「内部告発者」の意である。直訳すれば「笛を吹く人」である。サッカーで反則が行われた時、審判は笛を吹く。そう考えれば、悪いことを見逃さず、それを周囲に知らしめる人であるというイメージも湧いてくる。blow the whistle = 笛を鳴らす、というのも「不正を通報・告発する」という意味の慣用表現として使われる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, シャイリーン・ウッドリー, ジョゼフ・ゴードン=レヴィット, ドイツ, ニコラス・ケイジ, フランス, 伝記, 監督:オリバー・ストーン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 スノーデン 』 -裏切ったのは国家なのか、スノーデンなのか-

『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

フォードvsフェラーリ 75点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン クリスチャン・ベール
監督:ジェームズ・マンゴールド

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タイトルはやや misleading である。アメ車のフォードとイタ車のフェラーリの戦いというよりは、フォード社内のイニシアチブ争いがメインになっている。そういう意味では『 OVER DRIVE 』というよりは、『 七つの会議 』&『 下町ロケット 』的である。もちろん、カーレースは迫力満点で描写されており、アクション面でも抜かりはない。

あらすじ

フォード社はフェラーリ社を買収しようとするも失敗。フォード2世はその腹いせにフェラーリを公式レースで破ることを決意。ル・マン24優勝経験者のキャロル・シェルビー(マット・デイモン)を登用する。シェルビーはドライバー兼開発者のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)と共に、新車の開発に邁進するが・・・

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ポジティブ・サイド

マット・デイモンが光っている。元ドライバーとしての炎がくすぶっていながら、健康上の理由でレースには出られない。カリスマ性と口舌で車のセールスマンとして成功しながらも、勝負師として完全燃焼しきれないというフラストレーションが隠せていない、そんな男を好演した。このレーサーでありながら会社員という二面性が、シェルビーというキャラクターを複雑にし、また味わい深い人物にしている。サラリーマンがロマンを感じやすく、なおかつ親近感を覚えやすいのである。

そんなシェルビーのsidekick を演じたケン・マイルズも渋い。ふと、『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーは、ケンの孫、つまりピーターの息子なのかな、などとあらぬことも考えた。スポーツカーはスポーツカーらしく乗れと顧客に言い放つのは、傲慢さからではなく、クルマへの純粋な愛着からである。そのことは、自分のクルマを“she”と呼ぶことからも明らかである。男性は自分の乗り物をしばしば愛車や愛機と呼ぶのである。だからといってケンがクルマ一辺倒の男だというわけではない。彼にはプロフェッショナリズム以上に妻と息子への愛情があり、チームへの信頼がある。開発中のクルマのパーツや性能の不満をあけすけに語るのは、それをチームが改善できると確信しているからだ。

この現場組と、フォード2世をはじめとする経営側、つまり背広組の間のイニシアチブ争いがプロットの大きな部分を占めている。フェラーリ買収の失敗はドラマの始まりであり、1966年のル・マン24時間レースは、ドラマの大きな山であるが、本筋は男たちの友情と、ある種の権力闘争である。営業と企画、支部と本社など、普通のサラリーマンが入りこめる話である。特に、現場のリーダーであるシェルビーに己を重ね合わせる一定年齢以上の会社員は多いのではないか。中間管理職として胃が痛くなるような展開が続き、ただでさえ心臓に爆弾を抱えているようなものなのに、胃にまで穴が開いてはかなわない。そんなシェルビーがル・マンのレースで、犯罪スレスレの行為で敵チームをかく乱する一方で、フォード社の獅子身中の虫とも言うべき副社長を相手に一歩も引かない対決姿勢を鮮明にする。このような男を上司にしたい、またはこのような男を同僚に持ちたい、と感じるサラリーマンは日本だけで300万人はいるのではないか。

レースシーンも迫力は十分である。特に7000rpmの世界は新幹線のぞみ以上の世界で、人馬一体ならぬ人車一体の世界である。“There’s a point at 7,000 RPMs where everything fades. The machine becomes weightless. It disappears.”というシェルビーの呟きが何度か聞こえるが、何かもが消え去った世界でケン・マイルズの脳裏に浮かんだものは何であったのか。それは劇場でご確認いただきたい。

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ネガティブ・サイド

レースシーンの結構な割合がCGである。CGの醸し出すウソ臭さは、気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。Jovianは気になってしまうタイプである。ちょうどグランフロント大阪のピクサー展でサーフェシングやライティングについて見学をしてきたというタイミングの良さ(悪さ?)もあったのかもしれないが。

背広組で唯一、現場の力になろうとするリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)の存在感が皆無である。上層部へのプレゼンの失敗フェラーリの買収交渉失敗、副社長の現場介入阻止の失敗と、失敗続きである。これが史実なのだろうか。もうちょっと美化した描き方はできなかったのだろうか。

翻訳に一か所、間違いを見つけてしまった。新聞のヘッドライン“FORD LOSES BIG”が、「 フォード、巨額の損失 」と訳されていたが、これは誤りである。正しくは、「フォード、(レースで)惨敗」である。林完治氏のポカであろう。

総評

これは血沸き肉躍る傑作である。レースのスリルと迫力よりも、モノづくりに全精力を惜しみなく注ぎこむ男たちのドラマを楽しむべきである。男と男が分かり合うためには激しい言葉をぶつけあうことも必要だが、取っ組み合いの喧嘩の方が早い場合もある。我々がシェルビーとマイルズの関係に魅せられるのは、二人が子どものまま大人になっているからなのだ。男一匹で観ても良し、夫婦でもカップルでも良し、家族でそろって観るのも良しである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll be damned.

「こいつは驚いた」というニュアンスの表現である。かなりインフォーマルな表現である。とにかくビックリした時に使おう。“I’ll be damned.”だけでも頻繁に使われるが、 I’ll be damned if ~ という形で使われることも多い。

I’ll be damned if he knocks out the champion.

I’ll be damned if I fail this test.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, スポーツ, ヒューマンドラマ, マット・デイモン, 伝記, 歴史, 監督:ジェームズ・マンゴールド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

フランシス・ハ 75点
2020年1月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:グレタ・ガーウィグ アダム・ドライバー
監督:ノア・バームバック

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『 レディ・バード 』の監督グレタ・ガーウィグの主演作。モノクロ映画というのは観る側の想像力を掻き立てるものがある。

 

あらすじ

NYの街でモダン・ダンサーになることを夢見るフランシス(グレタ・ガーウィグ)は親友のソフィーと二人暮らし。しかし、ボーイフレンドとの同居を拒んだことから破局。その上、ソフィーは将来を見据えて転居することに。フランシスは仕方なく元カレの友人のルームメイトであるレヴ(アダム・ドライバー)の家に転がり込むが・・・

 

ポジティブ・サイド

主人公フランシスが何とも愛おしい。美人だからとかセクシーだからとかではない。彼女の人生は、実はまったく上手く行っていない。にもかかわらずフランシスはへこたれない。ウソでもホラでも何でもござれの奇妙なバイタリティで突き進んでいく。しかし、その方向も全然正しくない。こんなキャラクターが主人公なのに、なぜこれほどフランシスを応援したくなってしまうのか。

 

一つには彼女の目指すものがモダン・ダンサーであるということ。Jovianは職業柄、TOEFL iBTというテスト対策を教えることが多い。そこでは、しばしばアメリカ史が扱われるが、その傾向はほとんど常に“時代の転換点”である。モダン・ダンスはバレエの枠を破壊することから生まれた。フランシスは、サクラメントの片田舎出身の自分という枠を、ニューヨークで華々しく踊る自分という像でもって壊そうとしている。ダンスとは自己表現の極まった形である。ところが、これが上手く行かない。いつまで経ってもフランシスは実習生(apprentice)のままである。自分というものをさらけ出しているにもかかわらず、それが認められない。なんとも現代的ではないか。

 

もう一つには、彼女の年齢もあるのだろう。27歳というと、一昔前の日本なら所帯を持ち始めることを期待される年齢だろう。それはアメリカでも同じようである。だが、モラトリアム期間が長くなった現代、27歳は本当ならまだまだ自分の可能性を模索することに多くの時間を費やしてよい年齢にも思える。一方で、親友のソフィーが結婚に向けて動き出したように、人生の形をある程度定めることを考え始めなくてはならないのも事実である。このあたりが『 ブリジット・ジョーンズの日記 』と共通するところで、それゆえに男性よりも女性の支持や共感を得るポイントだろう。この、若いけれどもそれほど若くない、というジレンマをブリジットとは違う切り口で描いたところに本作の価値がある。

 

さらに、彼女の出身地と、実際に暮らしている場所のギャップもある。『 レディ・バード 』でも描かれていたが、サクラメントは極めて保守的な土地だ。ニューヨークとは全く異なる世界とも言えるだろう。だが、サクラメントで家族や地元の人々と過ごすクリスマスの何と充実していて、なおかつ何と寒々しいことか。濃密な交流が行われているにもかかわらず、フランシスは溶け込めない。充実した人間関係とは、親交のある人間の数ではなく、親交の深さで測られるべきなのだ。そして、非モテ=undatableとのレッテルを貼られた自分が、本当に必要としているものが何であったのかに気がつく。保守的な土地から先進的な土地に出てきた自分の考えが保守的になっていたことに、フランシスは気付く。哲学者M・ハイデガーの言う「気遣い」、日本語で言うところの「有難み」である。自分探しとは、畢竟、自分と世界との関わり方を規定するということなのだ。

 

モノクロ映画ゆえに色の表現が乏しいが、それゆえに想像力が刺激される。実際に、フランシスが腕から出血しているところはよく見えないし、実家のまな板の色が赤であることも伝わらない。しかし、バームバックの狙いはそこではない。フランシスの行く先々では、様々な人々の会話や交流が生まれるのだが、それらが必ずしも描かれない。夏合宿の寮の管理人として、廊下でうずくまって泣く少女とのシーンが好例である。大人と子どもの鮮やかな対比が描かれ、フランシス自身が自分の姿に気付く・・・というシーンは描かれない。だが、それで良いのである。世阿弥の言う「秘すれば花なり」である。想像力を刺激する。それだけで、それは素晴らしい芸術である。

 

フランシス・ハの「ハ」は、おそらく間投詞だろう。英語圏でも、よく使われる音声である。Jovianは大昔、ナムコの『 エースコンバット 』シリーズにハマっていた。その一つ、『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』でWingmanのピクシーというキャラは鉄器を撃墜すると“Ha!”と叫んでいた。またディスク表面のタイトル表記も、このことを裏付けているように思う。我々が文字を大きく書くのは、それを大きな声で読んで欲しい時である。以上より、フランシスは最後の最後にフランシスに成長した。そのことに、自ら感嘆の声を上げていると考えられる。何とも素敵な演出ではないか。

 

ネガティブ・サイド

アダム・ドライバーの出番が少ない。まあ、それはしょうがない。彼が本格的に売れる前の作品なのだから。

 

二番目のルームメイトとなるベンジーがいい奴すぎる。こんな素敵な男性がいるのだろうか。Jovianは大学の四年間を男子寮で暮らしていたから分かる。こんなに良い男はめったにいない。ベンジーに一瞬でもグラリと来ないフランシスはどうかしている。一瞬の気の迷いのようなものでもよい。ベンジーとフランシスの間にロマンティックな空気が流れる瞬間があればよかったのだが。

 

最後の最後は『 オズの魔法使 』のように、一瞬だけカラーに転じても良かったかもしれないと、少しだけ思う。

 

総評

女の友情が基軸となっているが、男でも同じである。自分が何者であるのか、または何者になるのか、そのことに悩み苦しむのが若さである。奇しくも同じテーマは同じくバームバック監督の『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』でも繰り返されている。回り道に見えても、振り返ってみれば、それが最適なルートだった。人生とは往々にしてそういうものである。日本ではアラサー前後の男女がデモグラフィックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pass up

見逃す、の意味である。テレビ番組を見逃すのではなく、チャンスを見逃すの意味で使われる。劇中では“It is too good to pass up.”=「それ(そのアパート)は良過ぎて、逃す手はないの」という具合に使われていた。またジョージ・ルーカスも『 ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス 』で“It was an opportunity I could not pass up.”というように、この表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, グレタ・ガーウィグ, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:エスパース・サロウLeave a Comment on 『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

ロード・オブ・モンスターズ 30点
2020年1月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エイドリアン・ブーシェ
監督:マーク・アトキンス

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TSUTAYAのボックスカバーは、思いっきり『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』をパクっていて、これはクソ映画に違いないと確信した。I was in the mood for some American garbage, especially after watching a great Korean film and a great French film.

 

あらすじ

海底資源探査の会社を経営するフォード(エイドリアン・ブーシェ)は、偶然にも巨大な“怪獣”に遭遇してしまう。マグマを血液に持つ規格外の生物“テング”に立ち向かうため、フォードは地質神話学者や沿岸警備隊と連携する。そして、テングを倒すには伝説の怪獣“生きた山”を目覚めさせるしかないと分かり・・・

 

ポジティブ・サイド

原題はMonster Island、これだけ聞くと『 怪獣総進撃 』を思い出してしまうし、敢えてそうさせようというマーケティング上の理由があるのだろう。中身はゴジラとは似ても似つかない怪獣が現れるストーリーからである。少しでもビューワーの気を惹くためなら、多少の無理めな邦題やパッケージ・デザインでも行ってまえ!というノリは買いである。

 

設定は荒唐無稽だが、劇中で披見される科学的知識や地質神話学の知見は、まあまあ納得できる。太古、“怪獣”とは地震や火山噴火、津波の謂いであったとうのは宗教学専攻だったJovianにも首肯できる意見である。

 

また遠洋に船を出す爺さんが良い味を出している。いきなり映画『 アビス 』を持ちだして、“They are down there. = 未知の生命は海底にいる”と呟く様は渋い。海の男は、海を知り尽くしているという雰囲気よりも、海はどこまでも奥深い領域であると弁えた雰囲気を湛えているものなのだろう。その方が東洋の世界観の産物である“怪獣”とよくマッチすると、あらためて思わされた。

 

ネガティブ・サイド

科学的な知識はそれなりに正しいのに、主人公たちは自分で使っている機材やテクノロジーについての設定をすぐに忘れてしまう。間抜けにも程がある。海中探査用ROVの映像には1分のタイムラグがある、と冒頭で説明しておきながら、その後の描写ではほぼリアルタイムで映像を見ているとしか思えない反応を示す。監督兼脚本のM・アトキンスは何をやっているのか。また40メートル級の津波はどこへ行った?

 

またテングの質量が250万トンというのは無茶苦茶にも程がある。最新ゴジラが9万トンなのだから、その30倍弱の重量というのは規格外過ぎる。怪獣映画の基準はゴジラであるべきで、そこから逸脱しすぎるとファンタジーになる。

 

またテングの卵から生まれるのが、似ても似つかぬクリーチャーというのは何故だ?テングがヒトデで、なおかつメスで、オスを探しているのではないか?という仮説は「お?『 GODZILLA ゴジラ 』のMUTO的な展開か?」と期待させてくれたが、それもなし。興奮を煽っておきながら、おあずけされるとはこれ如何に。怪獣映画ファンはマゾでないと務まらないのか。

 

そしてクライマックスの“テング”と“生きた山”の激突とその結末は・・・とんでもない拍子抜けである。男性キャラクターはあっさりと死ぬ、というポリシーを持っていた本作であるが、最後の最後に来てそれを引っ繰り返した。これをドンデン返しと受け取れというのは、いくらなんでも無理である。ポリシーは一貫してこそポリシーである。ひどいクソ映画であり、ひどいクソ結末である。

 

総評

超低予算、超短期間撮影、超ローテクで作った割には、クソ映画レベルにまとまっている。決して、超絶駄作ではない。怪獣好き、洋画の中で唐突に日本語が聞こえてくるのが好き、という変わった趣向の持ち主なら楽しめるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

They are down there.

英語のWe, You, Theyというのは奥深い人称代名詞である。日本語ではWeの用法があるが、それは主に企業や組織で使われている。保険会社やクレジットカード会社のコールセンターのオペレーターは例外なく「私ども」という言葉を使うが、複数形にすることで組織代表になるわけである。Theyには、その場にいない者たち全般の意味となり、SF映画や生物学者、天文学者たちはしばしば

“We are not alone. But where are they?”

という問いを立てる。「我々地球人は(この広い宇宙の中で)孤独ではない。だが彼ら=宇宙の他の生命体たちはどこにいるのだ?」の意である。ここまでスケールが大きくなくとも、Theyというのは英語ネイティブがあらゆるレベルで頻繁に使う言葉である。これを自然に使えるようになれば、英会話力は中級以上である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, エイドリアン・ブーシェ, 怪獣映画, 監督:マーク・アトキンスLeave a Comment on 『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

アニー・イン・ザ・ターミナル 30点
2019年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー サイモン・ペッグ デクスター・フレッチャー
監督:ボーン・ステイン

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前々から気になっていたので、TSUTAYAで準新作になったので早速レンタル。マーゴット・ロビーとサイモン・ペッグに惹かれたが、中身はイマイチであった。

 

あらすじ

ロンドン地下鉄のとあるターミナルの24時間営業カフェで働くアニー(マーゴット・ロビー)は、地下クラブで働くコールガールでもあり、フィクサーの下で街のトラブルを裏で解決する仕事人でもあった。彼女の真の狙いは・・・

 

ポジティブ・サイド

マーゴット・ロビーの怪演とサイモン・ペッグの熟練の演技ぐらいしかい観るべきものはない。赤のストロボライトの明滅の合間に妖しい笑顔と平然とした表情を織り交ぜるのは絵としては良かった。

 

またロンドンは20km離れれば、日本で言えば200km離れたぐらいに違う言葉を話すと言われているが、劇中では確かにそのように感じられた。殺し屋稼業の二人組とサイモン・ペッグ、夜間管理人の男たちは、同じLondonerでも、日本で言えば大阪弁と岡山弁ぐらい違う言葉を話していた。

 

ネガティブ・サイド

クリシェだらけである。

 

時系列を狂わせて物語を見せるのは『 市民ケーン 』以来の一つの型であるが、そのことが結末の驚きにつながってこない。というか、それなりに型破りな見せ方をするのであれば、結末にもっとアッと驚く仕掛けを持ってきてほしい。邦画の『 イニシエーション・ラブ 』の方がはるかに優っている。

 

また『 グッドウィル・ハンティング 』以来、掃除人には何かがあると考える癖が映画ファンにはついてしまった。またはテレビドラマ『 家なき子 』の庭師のじいさんでよいだろう。こうしたjanitorは往々にして見かけ以上の役割を担っている。

 

また、地下世界への案内人が白ウサギという“アリス”以来の伝統にも変化球が必要である。『 マトリックス 』のように、ウサギはウサギでも、ウサギっぽくなさそうなキャラを用意すべきである。うさ耳カチューシャをつけたコールガールというのは、あまりにも下品である。

 

なによりもクリシェなのはアニーそのものに仕込まれたトリックである。まさか2010年代にもなってこのようなネタを使ってくるとは、脚本家は何を考えているのか。せめて『 シンプル・フェイバー 』ぐらいの変化球を放るべきである。このような手垢のついたトリックはもはや害悪である。そういう設定で観る者を驚かせたいなら、邦画『 キサラギ 』や同じく邦画『 アヒルと鴨のコインロッカー 』を参考にすべきだろう。

 

総評

はっきり言って観る価値はない。マーゴット・ロビーの熱烈なファン以外に勧めることはできない。といっても、マーゴット・ロビー信者でもこのプロットには腹を立てると思われるが・・・ 中盤まではひたすらに眠くなるような展開なので、一種の睡眠導入剤にはなるのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

have bigger fish to fry

実は今作で初めて耳にした表現である。しかし、ストーリーの文脈から意味はすぐに分かった(アニーは ”We got bigger fish to fry.” と言った)。直訳すれば「揚げるべきもっと大きな魚がいる」だが、その意味は「もっと大事な用事がある」である。調べてみたところイギリス英語らしいが、コンテクストが明らかであればアメリカ人にも通じると思われる。フィッシュ&チップスのお国らしい、面白い表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, イギリス, サイモン・ペッグ, ハンガリー, マーゴット・ロビー, ミステリ, 監督:ボーン・ステイン, 配給会社:アットエンタテインメント, 香港Leave a Comment on 『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

Posted on 2020年1月3日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2020年1月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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新年早々、また観に行ってしまった。中毒症状を呈している・・・とまでは思わないが、義務感に駆られているわけでもない。正月にすることがない。だからチケットを買い、劇場に行く。そこでたまたま『 スター・ウォーズ 』が上映されているだけのことである。

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久々に父と母に会ってきた。父は『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』を観て、卒業したとのことである。父は元々、筋金入りのトレッキーである。SF好きではあるが、そのルーツは劇場でリアルタイムで観た『 2001年宇宙の旅 』であり、『 エイリアン 』であったという御仁である・映画好きではあるが、『 ハリー・ポッター 』や『 ロード・オブ・ザ・リング 』はシリーズ途中で離脱している。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』を観る気にならないというのなら、それも善哉である。

 

母は、本作にいたく感動していた。シークエル三部作にはオリジナル三部作に共通するものが多く、それが良いと語っていた。最も気に入ったのは、CGがあまり使われていない、ということらしいが、それは母の目が曇っている。CGだらけである。だが、事の本質はそこではない。オーガニックな雰囲気が良いのである。オールドファンは着ぐるみに安心するのである。

 

今回もいくつかのこと考えながら鑑賞した。

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  • 楽しめた点

輸送船は確かに二隻あった。盲点というのは怖いものである。

 

エンド・クレジットにElisa Kamimoto(だったような気がする)という名前を発見。日系人も頑張っている。

 

スター・デストロイヤーは初代『 スター・ウォーズ 』の冒頭から登場している馴染みの戦艦だが、ついにその名の通り、星をデストロイする性能を手に入れた。このぶっ飛んだ発想は嫌いではない。

 

キジーミの酒場のJohn Williams、確認。2018年に大阪・福島のシンフォニーホールで【 Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~ 】を聴いたが、指揮者の尾高忠明氏はジョン・ウィリアムズを評して「生まれるのが200年早ければ、ベートーベンになっていたかもしれない人」と言っていた。『 スーパーマン 』や『 E.T. 』のテーマも唯一無二だが、『 スター・ウォーズ 』を『 スター・ウォーズ 』たらしめる最大の要素は、ジョン・ウィリアムズの音楽、そして各種の効果音(タイ・ファイターの飛行音やライトセーバーのバズ音など)かもしれない。それほど、『 スター・ウォーズ 』における音は特徴的である。そのことが本作で十二分に確かめられた。

 

最近、立て続けにアダム・ドライバーの出演作品を鑑賞していたせいか、本作を観る時にも主人公のレイ以上にカイロ・レンに注目してしまう。そして見れば見るほどに、この稀代の悪役にして正義のヒーローというキャラクター造形から、『 ハリー・ポッター 』シリーズのセブルス・スネイプに並ぶ愛憎入り混じる複雑な人物に仕上がったように思えてくる。奇しくも、黒を基調とした服装に、髪型や顔の造りにも共通点があるように思うが、いかがだろうか。彼がベン・ソロに回帰し、レイからライトセーバーを受け取る直前の険の消えた表情は、アダム・ドライバーのこれまでの役者人生のハイライトだろう。もちろん、この男のピークはここで終わりではないはずである。

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  • 疑問点

序盤のレイの修行シーン。BB-8はどうやって崖を超えたのだろうか。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』でR2-D2が飛んだ時は、驚嘆したと同時にとてつもない後出しジャンケンを喰らった気持ちになったことを覚えている。どこか迂回路があったのであろう。

 

レンのスター・デストロイヤーに乗り込んだ際に、フィンが覚醒しつつあるフォースを使って、「どっちか分からないが、ついてこい!」というシーンでは、何故かレイの方が先に走り出している。フィンの見せ場は・・・ まあ、レイのフォースの方が格段に強く、正確だというふうに受けとめておきたい。

 

巷であーだこーだ言われているレイの妊娠説について。私見では、それはない。が、その可能性を追究しようとする人は世界中にいるようである。このことは実は、THE CANTINAやRedditで映画の公開初日から議論されていることである。Jovianがレイ妊娠説を否定する根拠は主に二つ。一つには、J・J・エイブラムスは「スカイウォーカー家のサーガを終わらせる」と宣言していたこと。またルークも“Some things are stronger than blood.”と明言していた。もう一つには、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』でレイはカイロ・レンを、“ベン・ソロ”と呼ぶことはあったが、“ベン・スカイウォーカー”とは一度も呼ばなかった。そのベンの子を身ごもったことを理由にスカイウォーカー姓を名乗るだろうか。またレイを蘇らせようと手を胸ではなく腹に置いたこと根拠にする人もいるようだが、卵巣も子宮もそこにはない。まあ、ライフ・フォースは手を当てた位置の少し先に作用する(地下の巨大蛇やカイロ・レン)ようであるが、それを基に考えても、やはり純粋に蘇生の為にわき腹に手を置いたと考えるのが自然なような気がする。レイの妊娠説は仮説としては面白いが、仮説の域を決して出ない。

 

もう1~2回ぐらいは劇場鑑賞してみたいと思う。親父を無理やり連れて行こうかな。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

Posted on 2019年12月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

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スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月26日 梅田ブルク7(ドルビーシネマ)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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劇場鑑賞3度目。今度はドルビーシネマで。英語の批評サイトなどをひとしきり渉猟してみたところ、否定的なレビュー7、肯定的なレビュー3といったところか。面白い傾向として(英語で)読み取れるのは、肯定派と否定派の視点。肯定派はお約束の展開を楽しみ、否定派はお約束の展開を毛嫌いしているようである。『 スター・ウォーズ 』に何を望むのかを通して見えてくるのは、それを観る人間の心の在りようなのだろう。

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個人的には、『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は何度観ても楽しめる。おそらく、あと3~4回は観るだろう。何故か。それは、童心に帰ることができるからだ。まだ自分が生まれていなかった頃に劇場公開された『 スター・ウォーズ 』と実質的に同じような作品をリアルタイムに、自分のお金を使って、自分のスケジュールを調整して観に行くことができる。やっていることは(一応)大人だが、劇場内にいる自分は子どもである。おとぎ話の世界に浸っているのである。

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『 スター・ウォーズ 』が新しい地平を切り拓いたのは間違いない。だからといって、続編が全て新しい地平を切り拓かなければならないわけではない。それに芸術の分野における「新しい地平」は、しばしば古くからある手法を新しい対象に適用した時、もしくは全く新しい手法を古くからある対象に適用した時に現れるものである。前者の好例はヨーロッパの技法でアメリカの風景を描いたトーマス・コール、後者の好例はアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックだろう。『 スター・ウォーズ 』は、古くからある普遍的な要素を持つおとぎ話を、銀河にまたがる冒険譚風に味付けし直したものだ。よく知られていることだが、そこにはテレビドラマの『 フラッシュ・ゴードン 』や黒澤映画『 隠し砦の三悪人 』、さらに児童文学『 オズの魔法使 』の影響がある。というか、これらの作品は『 スター・ウォーズ 』の紛うことなき先行テクストである。『 スター・ウォーズ 』の革新性は対象ではなく、手法にあることは明らかである。どこからどう見てもSF映画なのに、それをおとぎ話的に語るという手法が『 スター・ウォーズ 』の革新性だったはずだ。

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ジョージ・ルーカスが構想していた物語が何であれ、エピソード1、2、3のような世界観は個人的には勘弁願いたい。おとぎ話世界の神秘性を、政治だの経済だの生物学だので剥ぎ取らないでほしい。その一方で、初めて『 スター・ウォーズ 』を初めて観た時に子どもだった者も、42年を経ればどうしたって大人になる。大人になるということは、色々な物事に距離を取ってしまう、もしくは客観視してしまうようになる。それは自然なことである。だが、たまには童心に帰っても良いのではないだろうか。桃太郎に向かって「犬、猿、キジではなく犬、犬、犬を連れて行けよ」だとか、笠地蔵の物語に「そんなことしても意味はないよ」だとか突っ込まないだろう。Rotten TomatoesやYouTubeあたりでネガティブ・レビューをしている者たちは、頭でっかちになりすぎている。普段から鵜の目鷹の目のJovianであるが、自分が好きなものを見る時には片目をつぶるくらいでちょうどよい。『 結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ 』と言われる。『 トレイラーは両目を大きく開いて見よ。 本編を観る時は片目を閉じよ 』が、本作への望ましい接し方ではないだろうか。

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  • 楽しめた点

3度目の鑑賞で感じたのは、『 アクアマン 』のようであるということ。つまり、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのように、「目的地はあそこ。しかし、そこへ行くためにはこのアイテムが必要。そのアイテムはあの洞窟にあって、あの洞窟の敵を効果的に倒すには、この種類の武器を調達するべきだ」という、非常にRPG的な展開をしている。目まぐるしくはあるが、分かりやすくもある。

 

キャリー・フィッシャーが他のキャラクター達と対話するシーンは非常によく練られている。3度目となれば冷静に観察も出来るようになったが、不自然さが感じられない。これらのシーンを完成させたスタッフに最大限の敬意を表したと思う。

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  • 疑問点

マズ・カナタは何故にレジスタンスに加わっているのか?というよりも、レジスタンスでどういう役割を担っているのか。そこが今一つ分からない。前作のラストで銀河中に助けを求めたが、誰も来てくれなかった。反乱軍の将軍ではあるが、一方で亡国の姫でもあるレイアの助けを呼ぶ声には、応じたくても応じられないという勢力がいた。だが、マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

シスのウェイファインダーへのヒントが刻まれた短剣は、いつ作られたのだろう?そもそも、デス・スターの残骸に合わせて作られていて、なおかつルークもそれを追っていたということは、エピソード6とエピソード7の間に作られたということで、その時点で皇帝は蘇っていた?というか、デス・スターは、文字通りに木っ端みじんに吹き飛んだのではなかったか?なぜ、あのように綺麗な断面を保った巨大な残骸が、エンドアの大気圏との摩擦熱で燃え上がった痕跡もなく、存在できているのか?

 

などと考えてはいけない。一見不合理な事象に意味ある説明をしようとすると、暗黒面に囚われてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I could use your help.

レイが惑星キジーミでゾーイに対して言う台詞である。意味は「あなたの助力があれば有り難い」である。could use ~は、「~を使うことができた」ではなく「~があれば助かる」、「~を有り難く思う」である。『 スター・ウォーズ 』でも、デス・スターへの攻撃前にハン・ソロとルークが

“Why don’t you come with us? You’re pretty good in a fight. We could use you. Come on. Why don’t you take a look around?”

“You know what’s about to happen, what they’re up against. They could use a good pilot like you.”

という言葉を交わす。

“I could use some beer!”

“I could use your advice.”

など、色々なものを対象に使える表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

Posted on 2019年12月26日 by cool-jupiter

ヤング・アダルト・ニューヨーク 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベン・スティラー ナオミ・ワッツ アダム・ドライバー アマンダ・セイフライド
監督:ノア・バームバック

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『 マリッジ・ストーリー 』の脚本および監督も手掛けたノア・バームバックとアダム・ドライバーのタッグ作品。確か、嫁さん(当時はまだ結婚していなかったが)だけが劇場鑑賞して、Jovianは観る機会を逸した作品だった。『 スター・ウォーズ 』のシークエル三部作のアダム・ドライバーは一貫して素晴らしいパフォーマンスだった。今後も彼の出演作はマークして行こうと思う。

 

あらすじ

映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は子どものいない夫婦。ジョシュは8年がかりでドキュメンタリーを制作中だったが、出口が見えない。そんな時、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・セイフライド)の20代夫婦と出会う。若いのにレトロな生活を送る二人に刺激を受け、ジョシュは生活にハリが出てきたと感じるが・・・

 

ポジティブ・サイド

悩める中年のベン・スティラーと怖いもの知らずの若者のアダム・ドライバーの対比が映える。40歳を過ぎたところで、自分がなにがしかの仕事を果たせていないことへの焦燥感、子どもを持てていないこと、妻の父が自分よりも遥かに業績を残した映画監督であること、ジョシュのカメラ・オペレータに給金すら出せないこと、そして自分の老いとなかなか向き合うことができず、新しいツールに飛びつくことで、若さにしがみつこうとする。なんともいたたまれない気持ちにさせられる。何故なら、Jovianはベン・スティラー演じるジョシュの行動(それらの多くは無意識にとられている)の多くを、そのまま理解できるからだ。時間と英語力のある方は【 This exactly what’s wrong with this generation 】という動画を13:18時点からご覧頂きたい。そして『 エニイ・ギブン・サンデー 』でアル・パチーノがジェイミー・フォックスらに語った言葉、“When you get old in life, things get taken from you. That’s part of life. But you only learn that when you start losing stuff.”についても考えてみて頂きたい。ジョシュは「膝が痛い」と言う。「自分はまだ44歳と若いのに、なぜ関節炎になるのだ?」と。Jovianも最近、老眼が始まったようである。だが、そうと分かるまでには時を要した。「なぜ自分の目の調子がおかしいと感じられるのだ?目が何かおかしいということ自体がおかしい」と。とにかく、この物語におけるベン・スティラーの仕事、夫婦および家族関係、友人関係(の痛々しさ)は、アラフォー男性に刺さる。特にナオミ・ワッツ演じる妻コーネリアとの夫婦喧嘩は『 マリッジ・ストーリー 』のスカジョとアダム・ドライバーのそれに迫る迫力である。

 

対になるアダム・ドライバーも味わい深い。若いに似合わず古風な生き方を好む好青年なのだが、その実態は情け容赦のない捕食者であり侵略者である。だが不思議なことに、このジェイミーというキャラクターの言動は常に一貫している。彼自身に善悪があるのではなく、周囲の人間、特にジョシュがジェイミーというキャラクターの邪悪さに気付いても、ジェイミーの言動に変化は見られない。『 もしも君に恋したら。 』では、嫌味なクソ野郎に見えて本当は良い奴だったが、その時もアダム・ドライバー演じるキャラクターの言動に変化はなかった。変化したのは、彼とガールフレンドの関係だった。映画ではキャラクターはしばしば変化する。それは成長するからもしれないし、あるいは堕落する、場合によってはダークサイドに堕ちることもあるだろう。『 パターソン 』でも顕著だったが、変化しないキャラを演じさせれば、アダム・ドライバーは当代で一番なのかもしれない。(だとすれば『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は・・・)

 

老いと若さの単純な二項対立のドラマではない。若さの中に老獪さ、老練さが隠れていれば、老いゆく中にも若さへの自信がある。大切なことは、自分で自分をどう形作るのか。そして、他人に自分をどう形作ってもらうのかだ。ダメダメな邦題が多いが、本作の原題“While We’re Young”が『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』と訳されているのは、悪いセンスではないと思う。

 

ネガティブ・サイド

アマンダ・セイフライドの見せ場が少ない。というよりも、ナオミ・ワッツとの年齢的な対照があまり描かれていなかった。邪悪な夫に対して、小悪魔な妻・・・ではなく、倦怠期の妻になってしまっている。それも若さの対比かもしれないが、「子どもを持つ」ということに対する考え方を軸に、コーネリアとダービーのコントラストを描き出すことはできなかったのだろうか。

 

クライマックスのジョシュとジェイミーの対話劇が少々弱い。コーネリアの父の寵愛を巡る闘争の一環なのだが、これを舞台劇風に料理してしまうのは迫力に欠けた。もっと映画的なアプローチはなかったか。例えば、テーブルをはさんで延々と言葉を交わし合うのではなく、スマホで写真や動画を見せながらだとか、ホームページの記述を相手に読ませたりだとか、ジョシュがジェイミーを探ろうとしてきた努力を、もっと目や耳に訴える形で披露できなかったか。そして、それを60代の義父には理解されず、20代のジェイミーに一蹴されるというシークエンスの方が、絶望感はより深まったはずである。

 

エンディングは意味深である。というよりも、余りにも露骨に示唆的である。邦画の『 ミュージアム 』のエンディングにも同じくどさを感じたが、本作のラストの示すところは救いがない。もっとニュートラルな余韻を残してほしかったと切に思う。

 

総評

視点をどのキャラクターに置くかで観る側の印象は相当に異なるのではないか。Jovianは年齢的にどうしてもジョシュ視点で観てしまうが、劇場公開時に一人で鑑賞した嫁さんは、ジョシュの友人男性ひとりを除けば、男性キャラには誰にも好感を抱かなかったという。観る者の性別もきっと影響するだろう。もしかしたら20年後、Jovianが60歳を迎えた時に見直せば、新たな発見があるかもしれない。そんな予感を持たせてくれる作品であるが、まさに子育て中という世代は、エンディングに納得するかもしれないし、または毛嫌いする可能性も大いにある。映画ファンであれば、話のタネにどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is key.

ジョシュが投資家に自分のプロジェクトを説明する時に言う。「これが鍵だ」の意。話のカギになるポイントの前にこう言おう。keyの前にはaもtheも不要。あっても良いし、なくても良い。この“This is key”は【 How to gain control of your free time 】というTEDトークの動画でも聞くことができる。英語プレゼンなどで機会があれば使ってみよう、

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ドライバー, アマンダ・セイフライド, アメリカ, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, ベン・スティラー, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

Posted on 2019年12月22日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月21日 東宝シネマズなんば(MX4D・3D・字幕版)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。けれど、おとぎ話の世界は残る。劇中のとあるキャラクターではないが、“記憶”の中に美しいイメージを残しておきたいと思う。なので二度目の鑑賞では、楽しめた点と疑問に思った点を整理したい。

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以下、マイルドなネタばれあり

 

  • 楽しめた点

『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』で、“自分にとってのスター・ウォーズとは、John Williamsの音楽とドロイド、ミレニアム・ファルコン号の三者から成るものである”と認識することができたが、その思いは今でも変わらない。様々なクリーチャーも魅力的ではあるが、やはりドロイドだなと思う。R2-D2、C-3PO、BB-8といった魅力的な面々にD-Oというマスコットが加わった。『 最後のジェダイ 』のポーグも悪くないが、やはりドロイドである。

 

また、ミレニアム・ファルコン号の活躍はもちろんのこととして、ラストの大団円でXウイングとファルコン号が対話をしていたように感じられた。

 

ファルコン「 久しぶりだな。えらいボロボロじゃねーか 」

Falcon: “Been a long time, dude. You’ve become a peace of junk.”

Xウイング「 人のことは言えないだろ、お前 」

X-Wing: “Damn you, Look what you look like.”

 

宇宙船というのも、『 スター・ウォーズ 』世界に欠かすべからざる重要なガジェットである。その宇宙船たちの発する声にも我々は耳を傾けるべきだろう。

 

『 スター・ウォーズ 』映画に皆勤しているC-3POの台詞から毒々しさが薄まって。ユーモアが強まった。あらゆるクリーチャーやドロイドとコミュニケーションを取ることが可能なこのドロイドは、グローバル化しつつある世界におけるコミュニケーションの在り方を示唆しているように思えてならない。

 

この完結作は、これまでの『 スター・ウォーズ 』の要素を随所に取りこんでいるが、基本的には『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のリメイクであると言える。

『 用心棒 』が『 荒野の用心棒 』や『 ボディガード 』になったようなものである。したがって基本的な意味で新しさはない。それをどう評価するかは人による。Jovianは普段は鵜の目鷹の目で映画を観てはいるものの、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話だと思っている。おとぎ話の中身をあーだこーだと精査してもしょうがない。楽しむのみである。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』に出てきたような、極端なまでの naysayer にはなりたくない。彼ら彼女らはシスである。J・J・エイブラムスが、今作で無理やりとも言えるストーリーのまとめ方を選んだのは、そうした人々への意趣返しなのだろう。個人的には拍手喝采を彼には送りたいと思っている。

 

レイのキスについて。賛否両論どころか否の意見が全世界的に渦巻いているが、Jovianは一度目の鑑賞では???、二度目の鑑賞では「これもありだろう」と思えるようになった。一つには、ジェダイは恋愛禁止であるということ。これは取りも直さず、ジェダイの終焉を意味している。ハン・ソロと結婚し子どもも生んだレイア・オーガナは、フォースを使うことはあっても、ジェダイとは決して名乗らなかった。もう一つには、この完結作では“Two That Are One”=「二つで一つ」がテーマにもなっている。光と闇、陰と陽(男と女)、ジェダイとシス。レイが見つめる先の二つの太陽は、かつてはルークとレイアの象徴だった。レイはジェダイの志を受け継ぎながらも、自分探し=自分のパートナー探しを夢想しているのだと考えれば、それもおとぎ話の終焉にふさわしいだろうと個人的には思う。

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  • 疑問点

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』で焼かれたはずの聖なるジェダイ・テキストが何故ファルコン号に積み込まれていたのか。その説明は、少なくとも二回見た限りではなかった。

 

同じく『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のカント・バイトでは、武器商人たちがファースト・オーダーとレジスタンス、両方に兵器・武器の類を売っていることが皮肉たっぷりに描かれた。であるならば、あれほど巨大な規模の艦隊を構成するのには、文字通り天文学的なカネが動いているはず。それを誰も察知できなかったというのか。

 

翻訳のミスのようなものも見受けられた。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』劇場版ではカイロ・レンの“The one from the village”が、「あの村の出身」という、トンデモ誤訳になっていたが、今作でも皇帝パルパティーンの

 

“I made Snoke.”

 

という台詞が

 

「 スノークは余の作り出した幻 」

 

という訳になっていた。その一つ前にレジスタンスの科学者が、闇の科学やらクローン技術(『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』への言及か)やらシスの秘術やらに触れていて、なおかつカイロ・レンがエクセゴルで死者を蘇らせようとしている、あるいは死者から生者を培養しようとしている装置(『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のルークが入れられていたような装置そっくり)を見ているにもかかわらず、幻はないだろう。だったら、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のルークの秘術は何だったのか。ブルーレイでは間違いなく修正されるだろうが、それでは遅い。ここで“幻”などという訳語を選定した林完治氏の罪は重い・・・は言い過ぎか。だが、一定の責任を負うことは免れないだろう。

 

ポー・ダメロンの前身が少し明らかになったが、別に眉をひそめるものでもないだろう。ハン・ソロとチューバッカの方がはるかに悪者でならず者だった。キジーミの存在は否定しないが、このサブプロットは少々ノイズ気味である。

 

MX4Dで鑑賞してみたが、水しぶきが思ったほどではなかった。もちろん、一回当たりにシートに貯蓄可能な水量や、あまりにも観客を濡らしてはクレームが出るなどの懸念もあるだろう。しかし、フォースが距離を超えて、互いに物理的に作用しあう領域まで来ているのだから、荒れ狂う海に囲まれたデス・スターの残骸上でのレイとレンのライトセーバー・バトルでは、もっと激しく水しぶきを出してほしかった。まあ、これは映画ではなく劇場への注文か。

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総評

海外のレビューサイトやプロ・アマの批評家は、本作におおむね厳しい評価を下している。だが、かつての、旧世代の『 スター・ウォーズ 』ファンも、プリクエル三部作には厳しい評価を下していたが、新世代ファンにはそのことが理解できなかった。『 スター・ウォーズ 』をどう評価するのか。それは自分の幼年期にどのように向き合うのかとも言い換えられるだろう。そうした意味では、大人になり映画批評を職業にしてしまうと、子どもの頃のような接し方が難しくなる。何度でも言うが、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話である。それが娯楽作品や芸術作品として高く評価されているが、本質的にはおとぎ話なのである。鑑賞においては、このことを念頭に置かれたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll finish what he started.

レイがルークの後を継いで、とある人物を探すミッションに出る時の言葉である。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがベイダーのマスクに“I’ll finish what you started.”と誓っていた台詞と同じ構造である。【 what S + V =SがVするもの・こと 】である。

 

what I like =私の好きなもの

what I hate about this film =この映画で私の嫌いなもの

what they want to get =彼らが手に入れたがっているもの

what she has to fight for =彼女がそのために戦うもの

 

whatという関係代名詞は日常会話でもビジネスでもバンバン使うので、マスターすることは必須である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

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