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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東和ピクチャーズ

『 トップガン マーヴェリック 』 -The sky is the limit-

Posted on 2022年5月29日2022年12月31日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点
2022年5月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー
監督:ジョセフ・コジンスキー

 

『 トップガン 』の続編。待ちに待たされた作品だが、This film is worth the wait! 前作の世界観を見事に受け継ぎ、人間ドラマとエンタメ性を高いレベルで融合させた。今年のベストと言っていいだろう。

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

 

以下、軽微なネタバレあり

ポジティブ・サイド

オープニングからF-18が空母から発艦していく圧巻の映像、それと共に流れる『 トップガン・アンセム 』が郷愁を誘いつつ飛翔も予感させる。そしてケニー・ロギンスの “Danger Zone” で一気に大空へと舞い上がる。これによって『 トップガン 』の世界が一挙に再構築された。『 スター・ウォーズ 』もテーマ音楽だけで一気にその世界に引き込まれるが、『 トップガン 』にもその力がある。また『 スター・ウォーズ 』同様に効果音も脳に刻み付けられている。一時期、”You can’t hear a picture” というミームが流行ったが、映像だけで戦闘機のエンジン音や滑空音が脳内で再生されるというトップガンのファンは多いのではないだろうか。

 

前作へのオマージュを随所にちりばめつつ、現代的な視点も盛り込まれている。ゲーム『 エースコンバット7 スカイズ・アンノウン 』が本作とのコラボ機体をリリースしたのは2019年だったが、思えばよくも待ったものである。ゲームと同じく現実世界でもドローンによる戦争が行われるようになってしまったが、それは取りも直さず人間が航空機に乗り込んでの操縦は不要になることを意味する。つまりパイロットはお払い箱である。そのことは『 エースコンバット6 解放への戦火 』や『 エースコンバット7 スカイズ・アンノウン 』といったゲームでもしきりに言及されていた。その人間不要論を見事に打ち破ったのが本作だと言える。

 

まず、トップガンが挑むミッションがまんまフライトシミュレーターのゲームのミッションそのものである。いや、ある意味ではゲームよりも難易度が高いミッションだろう。Jovianが一時期ハマっていた Ace Combat シリーズは渓谷などの狭いエリアを飛ぶ ミッションが恒例だったが、ゲームでこれをやれと言われても ( ゚Д゚)ハァ? と反応するだろう。下限速度が時速400ノットで上限高度が1000フィート、そして高G加速で山肌に沿って上昇し、背面飛行で下降に転じ、施設を精密爆撃せよというのだから。マスコミあるいは映画評論家は、ぜひ航空自衛隊、できればブルーインパルスのパイロットにこのミッションが達成可能かどうか尋ねてほしい。おそらく答えは否だろう。実際にトップガンの面々もバンバン Mission Failed を連発する。最早このミッションそのものがダメかと思われたところで、マーヴェリックが実演でミッションは achievable と証明するシークエンスは最高に痺れた。 

 

そこまでの過程でグースの息子、テラーとの確執も丹念に描かれる。マーヴェリックは序盤から何度か “Talk to me, Goose.” という例のセリフを口にするが、別離から30年を経てもグースが心の中にいることを観る側にしっかりと伝えてくる。息子のルースターがバーのピアノで “Great Balls of Fire” を熱唱するシーンには我あらず涙ぐんでしまった。こんな単純な演出で泣けてしまうとは、Jovianも年を取ったのかねえ・・・ 二人の間の因縁、そこに込められたマーヴェリックの思いの深さは、そのままグースが愛した者への思いの深さになっている。  

 

いざミッションへと飛び立つトップガンの面々。だが、ルースターは逡巡してしまう。まるで前作のマーヴェリックのように。しかし、やはりパイロットを奮い立たせるのは機体の性能ではなく人間の思いなのだということを、本作はここでも高らかに宣言する。ミッションを成功させ、いざ離脱という時に前作同様の悲劇が隊を襲う。マーヴェリックが文字通りに体を張ってルースターを救うシーンにも、やはり涙ぐんでしまった。なぜ自分はこんなに涙もろくなってしまったのか。そこから続く『 エネミー・ライン 』的な展開では「なんでそこにF-14があるの?」とは思ってしまうが、鹵獲された機体を分析・調査するためだと納得した。

 

最終盤のドッグファイトは前作以上の大迫力。 “It’s not the plane, it’s the pilot.” = 「大事なのは機体じゃない、パイロットなんだ」とマーヴェリックを鼓舞するルースターに胸アツにならずにいられようか。普通に考えれば1980年代のクルマと2010年代のクルマ、もしくは1980年代のコンピュータと2010年代のコンピュータで性能を比較すれば前者は絶対に後者に勝てない。実際にマーヴェリックの十八番であるコブラからのオーバーシュート戦法を上回る、クルビット機動でのミサイル回避を披露する敵側の第5世代戦闘機(まあ、Su-57だろう)を相手にド迫力の空戦が繰り広げられる。手に汗握るとはまさにこのこと。自動運転車や無人機が主流になっていく世の流れは変えられないが、それでも “But not today.” と言い切るマーヴェリックの姿に、人間の誇り、尊厳とは何であるのかを教えられた。紛れもない大傑作である。 

ネガティブ・サイド

チャーリーが出てこなかったのは何故なのか、ギャラで折り合わなかったのか。『 クリード 炎の宿敵 』でもブリジット・ニールセンを三十数年ぶりに出演させたことがドラマを一段と盛り上げた。ヴァル・キルマーだけではなくケリー・マクギリスも必要だった。

 

総評

文句なしの傑作である。オリジナルからの続編のクオリティの高さという点では『 エイリアン 』、『 エイリアン2 』に勝るとも劣らない。カメラワークなどは前作よりも進化しており、Jovianの前の座席に座っていた年配女性たちは「ホンマに自分でも飛んでるみたいやったわ」と感想を言い合っていた。劇場の入りは8割ほどで、年配組が多かったように見受けられたが、若い観客もそれなりにいた。ぜひ前作を鑑賞の上、トム・クルーズの雄姿をその目に焼き付けてほしい。そして人間不要となりつつある世の流れに雄々しく抗う人間ドラマ、人間賛歌を多くの人に味わっていただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll give you that.

この that はひとつ前の言葉の内容を指す。

A: ”Let’s study in the library.” 
B: “That’s a good idea.”

の that と同じ。実際の用例としては、

You’re a good tennis player. I’ll give you that. 
君は良いテニス選手だ、認めよう。

のように「~を認めよう」のような意味になる。相手は you に限らない。They are formidable fighter pilots. I’ll give them that. = 「あいつらは手ごわい戦闘機乗りだ、それは認めよう」のようにも言える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズ『 トップガン マーヴェリック 』 -The sky is the limit- への4件のコメント

『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

Posted on 2021年6月27日 by cool-jupiter

クワイエット・プレイス 破られた沈黙 75点
2021年6月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エミリー・ブラント キリアン・マーフィー ミリセント・シモンズ
監督:ジョン・クラシンスキー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025358j:plain

『 クワイエット・プレイス 』の続編。音を立てると化け物がすっ飛んでくるという設定の妙葩今作でも健在。さらにホラーでありながら、見事なファミリードラマにしてビルドゥングスロマンに仕上がっている。

 

あらすじ

エヴリン(エミリー・ブラント)は生まれたばかりの赤ん坊と娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)、息子のマーカスと共に新たな家を求めて旅をしていた。そこで偶然にもかつての友人、エメット(キリアン・マーフィー)と出会う。しかし、彼は「生き残っている人間に救う価値などない」と言ってエヴリンへの助力を断る・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025437j:plain

ポジティブ・サイド

すべての根源である Day 1 も適度に謎めいていて良い。超巨大宇宙船の全貌を見せないのは、まだまだ続きがあるという予告のようでもある。またリーガン視点(聴点と言うべきか)で物語が描写されるシーンでは、違う意味でのサスペンスが生まれる。音が一切聞こえなくなるため、死角の出来事に対して無防備になってしまう。「志村、うしろー!」的なアレである。単純だが、この演出は効果的だった。

 

エミリー・ブラントが今作でも戦う母親像を好演。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』や『 ボーダーライン 』のような戦う女性として輝きを放っていたが、今シリーズではそこに母親属性が加わった。それもPolitically correctな理由で戦っているのではなく、生存のために戦っている。しかし、元々強い女性だから生き残っているのではなく、その強さを夫から受け継いだという設定もいい。

 

前作は『 死の谷間 』のように一つの場所、一つのコミュニティでの物語だったのが、今作では世界が一気に広がった。前作で生まれた赤ん坊がいつ泣き出すか分からないというスリルの元だが、泣き声を予防・防止する方法も現実的。ミリセント・シモンズ演じる長女リーガンと頼りない長男マーカスの壮大なるビルドゥングスロマンになっている点にも感銘を受けた。positive male figureがいなくとも家族は大きく育つようにも見えるが、やはりpositive male figureの存在が必要だ。しかし、安易に新しい男を迎えるのではなく、死んだ夫・父親の精神を受け継いでいくという筋立ては、陳腐ながら、なんと説得力があるのか。

 

二ヵ所で同時進行するクライマックスはまさに手に汗握る鳥肌もののスリルとサスペンス。知恵と勇気で怪物に立ち向かうエミリー・ブラントは美しいの一語に尽きるし、雄々しく立ち上がる長男の姿は感涙もの。単純明快にして非常にpredictableな展開であるにも関わらず、ここまで心が揺さぶられるのは何故か。その仕組みを知りたい人は、前作を鑑賞の上、劇場へ赴かれたし。

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ネガティブ・サイド

序盤のところどころでジャンプ・スケアが使われるのが気に入らない。そういうこざかしい演出は不要である。

 

荒廃した世界で怖いのは生き残った人間、というのは映画に限らず創作物の文法に等しいが、それでも今作の生き残り組のワル達にはリアリティがない。いったいあの方法で何を手に入れたいのか。どうせなら『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』並みに怪物を飼って遊んでいるといったぶっ飛んだ描写が観てみたかった。

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総評

『 ZOOM / 見えない参加者 』という珍品も制作される当世だが、ハウリングがいかに耳障りなものであるかを体感した人も多いことだろう。ビデオ会議が極めて一般的になった今という時代に鑑賞することで、逆にリアリティを増している。「音を立てたら超即死」という極めてドギツイ宣伝文句も、「咳やくしゃみをしたらアウト」という現代に重なるところがあり面白い。三作目も作られそうだ。期待して待ちたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How do you say ~ ?

「~はどう言う?」という意味。物語の序盤で何気なく出てくるが、実は非常に重要な伏線になっている個所で使われている表現。How do you say otsukaresama? や、How do you say ittekimasu?というのは英語話者が日本語を習い始めた時に言う定番表現である。What do you call ~? もよく使う。よくこの二つを混同して、What do you say ~?やHow do you call ~?と言ってしまう人がいるので、そこだけは注意のこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エミリー・ブラント, キリアン・マーフィー, サスペンス, ホラー, ミリセント・シモンズ, 監督:ジョン・クラシンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

Posted on 2021年4月4日 by cool-jupiter

モンスターハンター 50点
2021年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ トニー・ジャー
監督:ポール・W・S・アンダーソン

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実はJovianはモンハンはプレイしたことがない。しかし、モンハン製作者の方の一人と交流があるため、モンハンは応援しているフランチャイズの一つである。USJでモンハンのアトラクションにも行ったし、幸運にもコンサートに招待されたこともある。CDを買って、サインをしてもらったこともある。けれど映画は映画、ゲームはゲーム。批評は公平にせねばならぬと言い聞かせてもいる。

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あらすじ

国連軍所属のアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は隊と共に砂漠の嵐に飲み込まれた。気が付くとそこは巨大な怪物が跋扈する異世界だった。隊員は巨大蜘蛛に殺されてしまい、アルテミス自身も窮地に陥る。しかし、そこで彼女はハンター(トニー・ジャー)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

ディアブロスやネルスキュラといったモンスターの迫力が素晴らしい。JovianはあまりCGそのものには感動しないのだが、大学生の頃に観た『 ロード・オブ・ザ・リング 』のバルログを心底怖いと思ったが、あの感覚に近い。『 ホビット 竜に奪われた王国 』の邪竜スマウグにも同様の感覚を抱いた。ゴジラやガメラといった怪獣は着ぐるみとの親和性高いし、『 エイリアン 』のゼノモーフなども着ぐるみであるからこその実在感があった。だが、モンハン世界は神話や伝説のファンタジー世界の方に近いのでCGでも問題はなしである。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチとカプコンは相性が良いのかな。『 バイオハザード 』と『 バイオハザードⅡ アポカリプス 』は面白かった(シリーズ最後の2つは観ていないが)。本作でも、いわゆる戦う女性としてのアイデンティティを見事に発揮。アリス役で銃を撃ちまくる姿を思わず重ね合わせたファンは多いのではないだろうか。

 

ハンター役のトニー・ジャーはミラ・ジョヴォヴィッチを上回る存在感。ゲーム未プレイのJovianでも「あ、なんかゲームのキャラっぽい」と直感した。格闘能力や弓矢の腕前、ハントの知恵など、本当はもっとたくさんいるはずのハンターたちの属性を一手に引き受けていたように思うが、確かにそれらをすべて体現していた。タイ人ということだが、日本人でもこういう無言・無口で、しかしアクション能力は抜群みたいな役者は、ハリウッドを目指すべきだと思う。トニー・ジャーが今作で見せたパフォーマンスは日本や韓国、インドの役者がハリウッド進出を目指す際の一つの目安になるのではないか。

 

ディアブロスとの戦闘シーンは迫力満点。ゲームのドラクエやFFなど、明らかに自分よりも遥かに巨大なモンスターと戦っている時の自らの脳内イメージに近いものがあったし、ファンタジー世界に浸っているという感覚も十分に味わえた。モンハン未プレイ者としては、それなりに満足できた。

 

ネガティブ・サイド

製作者の方が言っていた「モンハンの魅力はチームワークとコミュニケーション」がきれいさっぱり抜け落ちていた。きれいさっぱりは言い過ぎか。一応、序盤のAチームの面々にはチームワークとコミュニケーションがあった。が、それは単なる死亡フラグやろ・・・

 

タイトルが『 モンスターハンター 』、コンセプトも「モンスターを狩る」ということのはずなのに、そこが弱い。アルテミス大尉とハンターのバトルはそれなりに見どころはあるものの、はっきり言って不要なシークエンスだった。映画自体は続編のありきの作り方とはいえ、人間パート、もっと言えば人間同士のバトルのパートはもっと削って「モンスターを狩る」、「モンスターの皮や角や牙から武器防具やアイテムを作る」というモンハンならではの世界観の構築に時間とエネルギーを費やすべきだった。そしてそうした思考や行動は現代人であるアルテミスにも可能なはず。普通に考えれば、現代兵器が通用しないモンスターの皮なら実用的な防弾ベストが作れると考えるはずだし、そうすべきだった。どこからともなくアルテミスの体のサイズにぴったりの鎧が出てきたのは不可解だし、逆に鎧を着せるなら、その鎧を手に入れる過程こそしっかり描くべきだった。

 

アルテミスというキャラについても疑問に感じられる点が一つ。自分は指輪というアイテムを後生大事に持っている癖に、ハンターが祈りを捧げる人形にまったくリスペクトを払わないというのはこれ如何に。国連軍所属ということは世界のあらゆる地域の紛争に介入する可能性があるということ。つまり、異文化への理解が不可欠なはずなのだ。そうした職業軍人としての背景と行動が矛盾しているし、単純に見ていて気持ちの良いものではない。

 

一点だけ映画のプロットに関係のないネガティブを。それは序盤の字幕。”I got it!”とあるキャラが叫ぶシーンがで字幕が「分かった!」になっていたが、これは間違い。正しくは「(エンジンが)かかった!」である。

 

総評

アクション映画、ファンタジー映画として観ればそこそこの出来である。ゲーム『 モンスターハンター 』の映画化として観れば微妙だろう。モンハンのいわゆるテーマソング、あれが少しでも使われていれば、それだけで一部のファンはゲーム世界と映画世界がつながったと感じられたはず。まあ、良くも悪くもゲーム世界と映画世界は別物だと理解して鑑賞するかどうかを決める必要がある。ちなみにMOVIXあまがさきの客入りはさびしいものだった。ゲームファン世代であるべき10代~30代はほとんどおらず、どういうわけか年配の方々ばかり。公開から1週間以上が経過しているとはいえ、土曜の昼にこのありさまと言うことは、ゲームファンからそっぽを向かれた作品なのだろう。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bait

エサの意。ただし、ペットの犬や金魚にエサをやるという時のエサではなく、獲物などを呼び寄せる時に使うエサのこと。釣りを嗜む人ならベイトやルアーなどの言葉に馴染みがあるだろう。魚をベイトでルアーするわけである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, トニー・ジャー, ファンタジー, ミラ・ジョヴォヴィッチ, 監督:ポール・W・S・アンダーソン, 配給会社:東和ピクチャーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

Posted on 2019年11月3日2020年4月20日 by cool-jupiter

ジェミニマン 40点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィル・スミス メアリー・エリザベス・ウィンステッド クライブ・オーウェン ベネディクト・ウォン
監督:アン・リー

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個人的にはウィル・スミスはB級SF作品で光を放つ俳優である。『 インデペンデンス・デイ 』しかり、『 メン・イン・ブラック 』シリーズしかり。『 アラジン 』はスルーさせてもらったが、B級SFの臭いをプンプンと漂わせる本作をスルーする理由は見当たらなかった。

 

あらすじ

ヘンリー(ウィル・スミス)は世界最高のスナイパー。高速列車に乗るバイオ・テロリストを射殺した時、引退を決意した。しかし翌日からDIAに命を狙われる。自身の監視役のDIAエージェントのダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と共に逃亡を図るが。そこに立ちはだかったのは若き日の自分、クローン人間だった・・・

 

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ポジティブ・サイド

『 ライオン・キング(2019) 』のCGにも度肝を抜かれたが、あれは人間ではなく、動物たちだった。それでもCG技術の極致を見た思いがした。また『 ブレードランナー2049 』は2017年に公開され、その製作には1年半を要したというが、ポスプロの大部分はレイチェルをCGIで蘇られることに費やされたと言われている。それほど生きた人間のCGIを造ることは難しいとされてきた。にもかかわらず、本作は信じられないほどのハイクオリティで、若いウィル・スミスを生み出し、動かしている。テクノロジーの進歩もここまで来たかと唸らされた。美空ひばり復活プロジェクトが先日テレビで放映されていたが、故人をCGの形でスクリーンに蘇らせることが(技術的に)可能な時代が到来するのは時間の問題なのかもしれない。『 キャプテン・マーベル 』でサミュエル・L・ジャクソンの顔にデジタル・ディエイジングを施したのとは違い、ゼロからキャラクターを作れることの意義は大きい(問題は、モデルになった人間のギャラが発生するのか否かだろう)。

 

アクションは豪快で爽快である。コロンビアの建物内外での銃撃戦ではプロのスナイパーの機転と技を堪能できたし、バイクのチェイスシーンは『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』よりもハラハラドキドキさせられた。

 

クライブ・オーウェンといえば悪役にして黒幕、黒幕で悪役といえばクライブ・オーウェンというぐらいに、この男はワル役が似合っている。顔がナチュラルに悪人で、纏っているオーラも普通に邪悪さを感じさせるところは只者ではない。この男の出演作には傑作はないが、ハズレもない。作品の面白さを事前に測るバロメーターとして、個人的には重宝している。

 

ネガティブ・サイド

CGは一流である。しかし超一流とまでは評せない。なぜなら、最終盤の昼間のシーンで、明らかに若スミスがその場面に“溶け込んでいなかった”からだ。言葉で説明するのは難しいが、CGはどこまで行ってもCGに過ぎないのか。しかし、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』でタルキン提督が振り返った瞬間、Jovianは度肝を抜かれた。ということはCGのCGらしさが今作の最後の最後で目立ってしまったのは、本人(ウィル・スミス)がそこにいたからなのか。夜、あるいは照明の弱い場所では若スミスのリアリティも保たれていたが、最後の最後にそれが壊れてしまったのは興醒めだった。

 

バイクの追跡アクションは痛快だったが、若スミスがバイクを使って今スミスをボコっていくのはもはやギャグにしか見えない。いったいぜんたいどこの誰が、こんな技をクローン兵士に仕込むというのか。バイクの曲乗り技術を叩きこむぐらいなら、もっと他に有用な知識や技術を教え込めるだろう。せっかくのスリリングなバイク・チェイスが着地で失敗してしまっている。また、同シーンでは若スミスが最後に文字通りに消える。目を疑うかもしれないが本当に消える。

 

CGも佇んでいたり、歩いていたりするぐらいなら良いが、近接格闘となると途端に粗が目立つ。カタコンベでのド突き合いはリーアム・ニーソンの『 トレイン・ミッション 』のような非現実的なものだった。あるいは、『 ターミネーター 』のT-800のアニマトロニクスがカイル・リースをぶん殴っていくシーンのクオリティを極限にまで高めたとでも言おうか。つまり、どこまで行ってもリアルさに欠けるということである。

 

本作の最大の欠点はストーリーが非常につまらないことにある。大前提として、クローンの物語は小説、映画ともに星の数ほど生産されてきた。それらから引き出せる分類として

 

1.同一人物のクローンを多数作る

2.異なる人物のクローンを多数作る

3.オリジナルも実はクローンである

 

の三つが挙げられる。本作はクローンものとしてジャンルを壊す、あるいはジャンルを新たに生み出すものではなかった。

 

また、ヘンリーの戦友であるベネディクト・ワンのキャラクターがただのアッシー君でしかないところも大いに不満である。それにブダペストで出会うロシア側のエージェントも非常に思わせぶりな台詞を吐きながら、そのままフェードアウト。DIA内部の人間関係も描写されるが、それも至って中途半端。

 

最も納得が行かないのは、良心の呵責を持たない兵士を生み出したいという点だ。だったら、何故にクローンをオリジナルと対面させたりするのか。そうすることでクローン人間の内面にどういう変化が生まれるのか、シミュレーションができないのか。一つの可能性は、クローンがオリジナルを抹殺し、冷酷非情なアサシンに成長を遂げる。もう一つの可能性は、自らの出自や人生そのものに疑問を抱き、予想も出来ない行動に走ること。この点については『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でも証明されている。家でも船でも飛行機でもミサイルを撃ち込んでヘンリーを殺す。その上で若スミスを着任させればシャンシャンではないか。“ジェミニ”を巡るDIAのお歴々のやっていることが全くもって意味不明であることが本作の致命的な欠陥になっている。

 

総評

ウィル・スミスのファン、あるいはB級SFをこよなく愛する人であれば劇場へGoである。しかし、ストーリーの整合性やリアリズムを重視する映画ファンに自信を持って勧められる作品ではない。安易なロマンス展開もないので、デートムービー向きでもないだろう。姉さん女房的な女性と付き合っているという幸運な若者男性なら、彼女同伴で鑑賞もありかもしれないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re better than that!

 

直訳すれば「お前はそれよりも良い」だが、実際は「お前はそんなダメな奴じゃない」ぐらいだろうか。家族の一員や友人、親しい同僚などが期待に応えられずにやらかしてしまった時に使われる台詞である。最も印象的なところでは『 ロッキー・ザ・ファイナル 』のロッキーの息子への叱咤だろう。このフレーズの使い方については、こちらの動画

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アクション, アメリカ, ウィル・スミス, クライブ・オーウェン, メアリー・エリザベス・ウィンステッド, 監督:アン・リー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

Posted on 2019年8月27日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

ロケットマン 70点
2019年8月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:タロン・エガートン リチャード・マッデン ブライス・ダラス・ハワード
監督:デクスター・フレッチャー

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ブライアン・シンガーが降板した『 ボヘミアン・ラプソディ 』を、ある意味で立て直したデクスター・フレッチャーの監督作品である。それだけでも話題性は十分だが、日本との関係で言えば、テレビドラマの『 イグアナの娘 』のテーマ曲だったことを覚えている30代、40代は多いだろう。Jovian自身のエルトン・ジョンとの邂逅はロッド・スチュワートのアルバム『 スマイラー 』収録の“レット・ミー・ビー・ユア・カー”だった。ライトなエルトン・ジョンのファンとしては、本作はそれなりに楽しめた。

 

 

あらすじ

レジー・ドワイト少年はピアノの神童だった。奨学金を得て王立音楽院に通えるほどの才能に恵まれていながら、彼はいつしかロックに傾倒していった。そして、名前をエルトン・ジョン(タロン・エガートン)に変え、音楽活動を本格化する。そして作詞家バーニー・トーピンと出会い、意気投合。彼らは成功を収めるも、エルトンは満たされたとは感じられず・・・

 

 

ポジティブ・サイド

タロン・エガートンの歌唱力、ピアノの演奏、そしてエルトンの動きの模倣。これらはラミ・マレックが『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたの同じレベルにある。ただ、あまりにもあからさまなので、アカデミー賞は取れないだろうが。それでも、容姿の点ではマレックとマーキュリーよりも、エガートンとジョンの方が近い。その点は素晴らしいと称賛できるし、何よりもエルトンの幼年期を演じた子役のシンクロ度よ。写真で見比べて「うおっ!」と感嘆の声を上げてしまうほどだ。

 

そしてブライス・ダラス・ハワードは、ますますmilfy(気になる人だけ意味を調べてみよう)になったようだ。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』でアリソン・ジャネイが演じた母親とは一味違う、恐怖の母親を演じた。子どもにとって生みの親に愛されないことほど辛いことはない。その愛情がスパルタ教育という形で表れるのは、まだましな方なのかもしれない。愛の反意語は無関心であると喝破したのは、マザー・テレサだったか。この母親は子どもの持つ並はずれた才能にも頓着せず、カネの無心ばかり。このあたりの演技と演出方法が抜群であるため、物語の開始早々から我々はレジーの心象風景であるミュージカルシーンに違和感なく入っていくことができる。この冒頭のシークエンスは、どこか『 グレイテスト・ショーマン 』の“A Million Dreams”に通じるものを感じた。子どもというのは空想、イマジネーションの世界に遊ぶことができるのだ。その媒体としての音楽=LPレコードとの出会いを、今度は父親が無下に拒否する。我々の心はさらに締め付けられる。かくしてレジーは音楽へ没入せざるを得なくなる。

 

そのレジーが生涯の友のバーニーと邂逅するシーンはリアルである。エルトン・ジョン自身が監修しているのだから当然と言えば当然だが。初対面の二人は互いの音楽の趣味嗜好を確かめ合うのだが、それがぴたりと合う。そこからは意気投合あるのみ。このあたりは『 はじまりのうた 』でマーク・ラファロがキーラ・ナイトレイと互いの音楽の趣味について語り合った場面と共通するが、あれをもっと一気に凝縮した感じである。音楽家同士が理解し合うのに百万言は必要ないのである。このカフェのシーンは実に印象的だ。

 

楽曲面で言えば、すべてを自らの声で歌いきったタロン・エガートンには称賛することしかできない。特に“Your song”は、歌詞からインスピレーションを得て生まれてくるメロディにピアノと声で生命を与えていくシークエンスには、魂が震えるような衝撃を受けた。また個人的にはストーリー中盤のライブでの“Pinball Wizard”が白眉だった。発声可能上映が期待される。

 

エンターテインメントとして完成度が高く、ダンスシーンも圧巻の迫力。なによりもエルトン・ジョンのファンではなくとも、彼の抱える苦悩と共感しやすい作りになっている。愛情を得られない子ども、仮面をかぶり自分を偽る大人、自分という存在を認めてくれる別の存在を求めて彷徨するvagabond。自己を表現することで自己を隠していた天才的パドーマー。愛されるためには、愛さねばならない。そんな人生の真理のようなものも示唆してくれる。稀代の歌い手の前半生を追体験できる伝記映画にして娯楽映画の良作だ。

 

ネガティブ・サイド

映画がフィーチャーしている時代が異なるので仕方がないと言えば仕方がないのだが、エンドクレジットにおいてすら“Candle in the wind”が流れないのは解せない。もしかして、最初から続編の予定ありきなのだろうか。

 

また、一部のニュースによると、ラミ・マレック演じるフレディを作中に登場させるという構想もあったらしいが、それも色気を出し過ぎだし、話題を無理やり作りたい=商業主義的な考え方が透けて見えてしまう。そんなにクロスオーバーをしたいのであれば、悪徳マネージャーのジョン・リードをエイダン・ギレンに演じさせれば良かったのだ(クイーンにとってのジョン・リードはそこまで悪辣ではなかったらしいが)。

 

また、せっかくエルトン・ジョンの前半生に焦点をあてるのなら、レジー・ドワイトの時代にもう数分を割いてもよかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』の構成で最も印象深かったのは、フレディ・マーキュリーがファルーク・バルサラであった時代に光を当て、なおかつフレディがライブ・エイドの最中にファルークに戻って、母親にキスを送るシーンだ。もちろん、別人の物語なので全く同じ構成にはできないが、もっと王立音楽院での学びが後のキャリアに生きてくる描写なども欲しかった。B’zの松本も音楽の専門学校でジャズを学んだことが創作活動に活かされていると常々語っているではないか。

 

最後に、やはり締めには壮大なライブシーンが欲しかった。『 リンダリンダリンダ 』や『 ソラニン 』もそうだったが、音楽の映画の締めにはライブこそふさわしいと思うのである。

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総評

これは素晴らしい作品である。色々と注文をつけたくなるのも、それだけ素材が良いからである。1970~1980年代に青春を過ごした日本のシニア層には『 ボヘミアン・ラプソディ 』並みに刺さるのではないか。エルトン・ジョンを知らない世代でも、両親や親戚、会社の先輩などと一緒に(気が向けば)鑑賞に出かけてほしい。サム・スミスのような新世代の歌手が生まれてきた下地を作ったのは、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルのような偉大な先達なのだから。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

“We’ll be in touch.”

『 殺人鬼を飼う女 』で日→英で紹介したフレーズがさっそく登場した。ビジネスパーソンならば、是非とも使ってみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, タロン・エガートン, ヒューマンドラマ, ブライス・ダラス・ハワード, ミュージカル, リチャード・マッデン, 監督:デクスター・フレッチャー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

『 ベン・イズ・バック 』 -タフな母親を描く上質サスペンス-

Posted on 2019年6月9日2020年4月11日 by cool-jupiter

ベン・イズ・バック 75点
2019年6月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジュリア・ロバーツ ルーカス・ヘッジス
監督:ピーター・ヘッジス

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本作ではジュリア・ロバーツ会心の演技が堪能できる。こうしたタフな母親像というのは『 スリー・ビルボード 』でミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンド、『 ハナレイ・ベイ 』におけるサチを演じた吉田羊で一つの完成形を見たと思ったが、ジュリア・ロバーツが新しい解を提供してくれたようである。

 

あらすじ

クリスマスイブの朝、薬物依存症者のリハビリ施設にいるはずのベン(ルーカス・ヘッジズ)が前触れもなく帰ってきた。まっすぐにベンを受け入れる母ホリー(ジュリア・ロバーツ)だが、父や妹は懐疑的な態度を崩せない。一日だけ共に過ごすことを認められたベンだが、家族が教会から帰ると自宅が荒らされ、愛犬が消えていた。昔のドラッグ仲間の仕業と確信するベンは家を出る。それを追いかけるホリーだが・・・

 

ポジティブ・サイド

近年、特にこの3年ほどは女性を主題に持つ映画が量産されてきた。その中でも本作は異色である。『 エリン・ブロコビッチ 』や『 ワンダー 君は太陽 』で力強い母親を演じてきたジュリア・ロバーツが、さらに複雑な母親像を描き出すことに成功したからだ。『 スリー・ビルボード 』のミルドレッドは警察署長のがんの告白にも一切動じない鉄面皮だったが、今作のホリーは菩薩の慈悲深さと鬼夜叉の激情を併せ持つ、まさしく「母親」という獣を描出した。息子の帰還に心から喜びを表現しながら、その数分後には鬼の形相で「これから24時間、あなたを監視下に置く」と宣言する。いや、息子に強く厳しく接するだけならよい。この母は、息子の薬物依存のきっかけを作った、今や認知症の症状を呈する医師にも牙をむく。このシーンは多くの観客を震え上がらせたことであろう。街を当て所もなく彷徨うホリーは『 ハナレイ・ベイ 』のサチを思い起こさせる。しかし、なによりも強烈なのは、息子の居場所を知るためなら、薬物依存から抜け出したがっている、しかし禁断症状に苛まされているかつての息子の友人に、情報と引き換えにあっさりと薬物を渡してしまう場面である。息子の居場所を探るためなら、誰がジャンキーになっても良い。ホリーの息子ベンへの態度、歪んでいるようにすら映ってしまう愛情の濃さ、深さ、強さは、彼女自身が息子依存症を罹患しているのではないかと疑わせるほどだ。母親という人種は洋の東西を問わず、非常に強かな生き物なのだ。Women are weak, but mothers are strong. 『 ある少年の告白 』のニコール・キッドマンも脱帽するであろう渾身の演技をジュリア・ロバーツは見せてくれた。

 

『 ある少年の告白 』で主人公のジャレッドを演じたルーカス・ヘッジズは、今作では薬物依存症者を演じる。『 ビューティフル・ボーイ 』でティモシー・シャラメは薬物依存の暗黒面に堕ちていってしまうが、そこで描かれたのは彼の心理的なダークサイドが主であった。今作では、ベンの心の中の闇の深さは、ミーティングに出席するワンシーンを除いては、ほとんど描写されない。だが、彼が社会的に与えた負のインパクトの大きさ、彼がドラッグを通じて培ってしまった闇の人間関係の深さと薄汚さに、観る者の多くは怖気を振るうだろうし、そこに躊躇なく突っ込んでいける母親像にも、感銘を受けるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ジュリア・ロバーツが車のドアを開けて嘔吐するシーンは必要だっただろうか。耳をふさぎたくなるような悪態をつくぐらいでよかった。彼女の神経の太さと意外な繊細さを表すには、もっと適切な手法・演出があったのではないかと思う。

 

ベンが踏み込んでいった先のアングラな連中が、それほど恐ろしさを感じさせないのもマイナス点。『 運び屋 』でも顕著だったが、麻薬取引に関わる人間というのは、一見して堅気ではないと分かる、独特のオーラを纏っている(ことが多そう)。本作に出てくるクレイトンは、そういう意味ではちょっと迫力不足である。

 

最後の最後のシーンでは、ベンの胸が全く上下しないにもかかわらず、息を吹き返していた。肺に空気が届いているようには見えず、ちょっと冷めてしまった。

 

総評

ジュリア・ロバーツの近年の出演作、というか彼女自身のキャリアを通じても一、二を争うほどの会心の出来栄えではないだろうか。我々(特に男性陣)は、しばしば母親を慈母のイメージで眺めてしまう。特に本作のようなクリスマスイブが舞台であれば、なおさらそのようなイメージを喚起させられる。しかし、鬼夜叉の如き母親というのも、母の確かな一面であるし、その新境地を開拓してくれたロバーツには脱帽するしかない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, ジュリア・ロバーツ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ピーター・ヘッジズ, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ベン・イズ・バック 』 -タフな母親を描く上質サスペンス-

『 バンブルビー 』 -本家よりも面白いスピンオフ-

Posted on 2019年3月28日2020年1月9日 by cool-jupiter

バンブルビー 65点
2019年3月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヘイリー・スタインフェルド ジョン・シナ
監督:トラヴィス・ナイト

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本家本元は『 トランスフォーマー 』、『 トランスフォーマー リベンジ 』、『 トランスフォーマー ダークサイド・ムーン 』の3つだけ観た。観れば観るほど面白さを失っていく作りで、マイケル・ベイにはいささか失望させられた。最後の2作はスルーさせてもらっている。しかし、Jovianが推しているヘイリー・スタインフェルドが主演とあらば、観ないわけにはいかない。

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あらすじ

時は1980年代。父の死を乗り越えられない孤独な少女チャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は、リペアショップから黄色のビートルを譲り受ける。しかし、それはサイバトロンの戦士B-127が姿を変えたものだった。チャーリーは記憶と声を失った戦士をバンブルビーと名付けた。種を超えた友情を育む二人。しかし、そこにディセプティコン達が現れ、チャーリーとバンブルビーは否応なく戦いに巻き込まれていく・・・

ポジティブ・サイド

トランスフォーマー映画の大きな弱点の一つに、巨大ロボットたちの肉弾戦に説得力がないことだった。金属生命体同士の激突に、質量が感じられないことが個人的には一番の不満だった。スケールは全く違うが、『 シン・ゴジラ 』でJovianが最も好きなシーンの一つは、第四形態ゴジラが踏みしめた脚を上げただけで、家屋がバラバラになって空中を舞うシーン。おそらく時間にして2秒ほどだが、これでシン・ゴジラの実在性、迫真性が大いに増した。ちなみに、そうした細かな描写がほとんどなく、怪物同士が激突するだけのCGI shit festに『 パシフィック・リム 』がある。トレーラーにもあり、本編でもかなり笑えるシーンの一つとして、バンブルビーがチャーリーの家のソファに座って、それを壊してしまうシーンがある。彼のお茶目さを表すとともに、ボットの質量を表現する重要なシーンでもあった。

バンブルビーというキャラの魅力付けにもぬかりは無い。声を無くした彼が、コミュニケーション手段としての音声を手に入れるシークエンスは、非常にノスタルジックだ。カセットテープにレコードと、昭和の終わりから平成の初めの頃を思い出す。80年代のヒットチューンも満載で、一定以上の年齢層には刺さるだろう。バンブルビーがビートルの姿で疾走するエキサイティングなシーンから、非常にコミカルなシーンまであり、彼が単なる金属生命体ではなく、使命感と責任感のある戦士であり、それ以上に非常に心優しい人間味のあるキャラクターであることが如実に伝わってくる。ガレージで微妙に絶妙にノリノリになっているバンブルビー、嫌なものは嫌だと断固拒絶するバンブルビーを、我々はどうしたって愛さずにはいられない。

バンブルビーが魅力あるキャラクターに仕上がったのは、チャーリー演じるヘイリー・スタインフェルドの演技に依るところも大きい。こじらせ女子を演じさせれば右に出る者が無いないのは『 スウィート17モンスター 』で証明済みだ。そうそう、スティーヴィー・ニックスの楽曲は本作でも聞こえてくる。おそらくヘイリーのfavorite singerなのだろう。お父さんっ子であり、元高飛び込み選手であり、遊園地の売店のパートタイマーであり、メカニックの卵でもある。単に孤独な少女なのではなく、生き場をなくし、それでも生き場を求める少女が、それをオートリペアショップの古ぼけたビートルに見出す様、そしてバンブルビーの名付け親になり、ある意味での育ての親になり、無二の親友になり、戦友になっていく様はビルドゥングスロマンである。今も昔もメカやコンピュータにのめり込むのは男の子だったが、それを女の子にするだけでドラマが明るくなるし、よりカラフルになる。

ジョン・シナはプロレスラーとしては同時期のカート・アングルやJBLに遥かに劣った。しかし、演技に関してはストンコやバティスタよりも上かもしれない。ただ、軍人以外のキャラを見ないことには何とも言えないが。

シリーズ全てを知らなくとも楽しめるようになっているし、シリーズを全て追っている人ならもっと楽しめるだろう。とにかく監督がマイケル・ベイでなければ良いのである。

ネガティブ・サイド 

チャーリーの隣人の男の子役はキャラが上手く固まっていないという印象を受けた。気になる女子に話しかけたいが、うまくいかない。だがそれはタイミングが悪いのであって、彼が話しかける時を弁えていないというわけではない。一方で、自分で自分に ”You’re not a nerd, You’re not a nerd, You’re not a nerd.” と言い聞かせるところからして、設定ではオタクらしい。にも関わらず、部屋に飾ってあるポスターは『 遊星からの物体X 』。だがこれはリメイクのそれ。ナードならオリジナルの方を貼っとけと言いたい。また部屋にあった姉のものだと言っていた化粧品らしき瓶の数々は何なのだ?一瞬トランスジェンダーか何かかと思ったが、それならチャーリーが好きなことが説明しづらい。このキャラが充分に立っていないというか、属性が不明なのが気になって仕方が無かった。

不可解なシーンはチャーリー絡みでもあった。ネタばれになるので詳細は書けないが、何故そこでバンブルビーにそんなことをするのだ、というシーンが存在する。チャーリーのメカニックの卵設定はどこへ行ったのだ?

総評

シリーズを全て観ていない者の感想なので、見落としているもの、見誤っているものがあるはずである。それでも、欠点よりも長所が目立つ作品である。バンブルビーという名前が与えられる瞬間もいい。Prequel作品として見れば『 ハン・ソロ スター・ウォーズウォーズ 』よりも上質である。 もしも黄色のビートルが良いなと感じられたら、Jovianの先輩、水沢秋生の実質的デビュー小説『 ゴールデンラッキービートルの伝説 』をどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, ヘイリー・スタインフェルド, 監督:トラヴィス・ナイト, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 バンブルビー 』 -本家よりも面白いスピンオフ-

『クワイエット・プレイス』 -突っ込みどころ満載のSFスリラー-

Posted on 2018年10月9日2019年8月24日 by cool-jupiter

クワイエット・プレイス 50点
2018年10月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エミリー:ブラント
監督:ジョン・クラシンスキー

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以下、ネタばれに類する情報あり

あらすじ

地球はいつの間にか静寂の支配する世界に変貌してしまった。音を立てるものを容赦なく抹殺する謎の侵略が原因である。そんな世界でも、エヴリン(エミリー・ブラント)とリー(ジョン・クラシンスキー)の家族は、手話やその他の工夫を凝らしながら生き延びていた。しかし、末っ子が音の出るおもちゃで遊んでしまい、あえなく襲われ死亡。その遠因となってしまった聴覚に障害を持つ姉は、罪悪感に苛まされる。それから約1年、エヴリンはお腹に新たな子を宿していた。しかし、謎の侵略の魔手がすぐそこまで迫っていた・・・

 

まず、この映画は突っ込みどころが満載である。その点を最初に指摘しておかねばならない。何故、人類は滅亡の一歩手前まで追いやられてしまったのか。何故、そこに至るまで音を立ててはいけないという鉄則に気付かなかったのか。許容される音の大きさや波長はどうなっているのか。次から次へと疑問が湧いてくる。しかし、それらのマイナス点と同じくらいプラスな点もある。まずはそれらを見ていこう。

 

ポジティブ・サイド

エミリー・ブラントとジョン・クラシンスキーの演技の全てが圧巻である。実生活でも夫婦である二人だからこそか、手話や、本当に小さな囁き声でしか会話ができない世界でも、ほんのちょっとした表情や仕草でコミュニケーションが成立するのは見事である。といっても、我々も実は同じようなことをやっている。例えば、ベテラン夫婦になってくると、「なあ、アレってどこやったっけ?」という夫に対して「ほら、コレやろ?」というように返す妻はそれほど珍しくないだろう。必要最低限以下の言葉でも通じてしまうのが、夫婦の絆の一つの証明と言えるかもしれない。

 

またクラシンスキーのキャラは、科学者でありエンジニアでもある。文明が崩壊した世界でも川で魚を獲り、住処の周りに警戒網と信号を張り巡らし、他都市との通信もあきらめず、娘のために補聴器を試作したりさえする。まさにアメリカ社会の思い描く Positive Male Figure の体現というか理想形のような男である。『 オデッセイ 』が強く打ち出していたことであったが、科学的な知識と技術はサバイバルの基礎であり土台である。そのことが分かっているから、エヴリンも息子への教育を怠らない。この一家は未来への希望を捨てていないのだ。話の設定上、台詞で状況を説明することができないのだが、それを逆手にとって濃密な人間ドラマを構築する。SFホラー映画のはずが、いつの間にやら見事なヒューマンドラマ、ファミリードラマに仕上がっている。クラシンスキーは監督としてもなかなかの手練れである。

 

ネガティブ・サイド

一方で否定的にならざるを得ない面も確かに存在する。本作は『 フィフス・ウェイブ 』と『 クローバーフィールド HAKAISHA 』的な事態が地球上で展開され、『10 クローバーフィールド・レーン』および『 死の谷間 』的な世界に取り残された一家が、『サイン』さながらに『スーパー8』のモンスターから逃れようとする映画である。つまり、どこかで観たようなシーンのツギハギ、パッチワークなのである。そこに「 音 」という要素をぶち込んできたのが、古い革袋に新しい酒というやつで、本作の売りになる部分なのだが、とにかくストーリーが余りにも弱すぎる。その他のオリジナリティが無さ過ぎる。

他には、冒頭の末っ子が殺されてしまうシークエンスについて。あの世界のあのシチュエーションで目を離すか?何をするか分からないのが子どもという存在で、夫婦としての経験値の高さと親としての経験値の低さの同居を見せられたような気がして、その後の展開にもう一つ釈然としない場面が出てきた。ああでもしないことには平穏無事に一家が過ごしてしまっては映画にならないのは分かるが、しかし・・・

 

また、音を立ててはいけない世界でジャンプスケアを使うというのは、あまりにも陳腐ではないか。我々が恐怖を感じるのは、恐怖を感じる対象の正体が不明だからであって、ジャンプスケアには恐怖を感じない。あれはただ単にびっくりしているだけなのだ。というか、ジャンプスケアのタイミングも余りにも予定調和すぎる。ホラー映画初心者ならいざ知らず、ある程度の映画鑑賞経験の持ち主には子供だまし、こけおどしに過ぎない。音でびっくりさせるのではなく、いつ、どこで、どのように音が鳴ってしまうのか分からない。そんなシチュエーションでこそスリルやサスペンスが生まれるし、それこそが本作が目指すべき王道のホラー路線だったはずだ。いきなり化け物や悪霊、エイリアンが姿を現すのではなく、その姿を見せながらゆっくりとゆっくりと近づいていくる異色のホラー作品『イット・フォローズ』のように、もしかしたらホラー映画にパラダイム・シフトを起こし得たかもしれないポテンシャルを秘めていたのにと思う。続編があるらしいが、期待できるのだろうか。

 

総評

もしも観るとするなら、レイトショーがお勧めかもしれない。本作のような作品を芯からじっくりと味わうためには、真っ暗な劇場で、少数の観客と互いに呼吸や衣擦れの音さえも意識し合いながら、大画面に没入したい。中学生辺りが劇場にいると、空気を読まずにポップコーンをボリボリと頬張ったり、隣の奴とひそひそ声で話したりするからだ。エミリー・ブラントが体現する「女は弱し、されど母は強し」を味わうも良し。クリシェ満載と知りながら、敢えてホラー要素を楽しむも良し。チケット代の価値は十分にあるだろう。

 

考察

あの侵略者は、上位の異性文明のペット動物か人工生命体だよね?続編を作るなら、世界観を壊すことなくリアリティを確保しなければならないけれど、『 インディペンデンス・デイ:リサージェンス 』の続編(出るの?)みたいに、嫌な予感しかしない。You have to prove me wrong, John Krasinski !!

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エミリー・ブラント, サスペンス, ジョン・クラシンスキー, スリラー, 監督:ジョン・クラシンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『クワイエット・プレイス』 -突っ込みどころ満載のSFスリラー-

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

Posted on 2018年8月6日2019年4月25日 by cool-jupiter

ミッション:インポッシブル フォールアウト 60点

2018年8月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:トム・クルーズ ヘンリー・カビル レベッカ・ファーガソン サイモン・ペッグ 
監督:クリストファー・マッカリー

プルトニウムを奪ったテロ組織がマッドサイエンティストを使って、核兵器製造および使用を企てる。『アメリカン・アサシン』を挙げるまでもなく、ソ連崩壊から現代に至るまで、数限りなく生産されてきた物語である。そして上の記事でも触れたように、スパイ映画における上司や同僚という関係には、常に裏切りの可能性が示唆される。トム・クルーズは余りにもイーサン・ハントであるが、チャーリー・マフィン的な要素をもう少し持たないと、スパイなのか軍人なのか、区別がつかなくなってくる。

かなりネタ切れ感が強い。はっきり言って見せ場は全てトレーラーで描かれている。何故にこんなことをするのか。とにかく劇場に来てもらってチケット代だけ払ってもらえればよいと思っているのか。いや、さすがにこれは言葉が激しすぎたか。しかし、続編を作る気満々の終わり方だが、スパイ映画の面白さに立ち返らないと尻すぼみになるよ。リアリティの無いハラハラドキドキ満載アクションよりも、冷や汗がたらりと頬を伝い落ちるような感覚を味わわせてくれる映画を作っておくれ。ヘリコプター操縦の訓練を積んで云々や、パラシュート降下を何回も何回も繰り返して云々というのも雑音だ。これだけCGが発達した時代に、手間暇をかける意味は確かにあるだろうし、逆にここまでCGが発達しても、見た瞬間に「あ、これはCGだな」と分かるものは分かってしまう。本物の素材を映すことは確かに重要で意義あることではあるが、それが面白さや観客の満足度につながるかと言えば、必ずしもそうではない。そのことは『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』の飛行機墜落シーンと、その映画そのものの評価から身に沁みて分かったのではなかったか。さらにキャスティング上のミスも。『アンロック 陰謀のコード』と同じミスをやらかしている。しかし、こうしたミスは『ビバリーヒルズコップ3』の頃からあるのだ。

とネガティブな評価はここまで。ここから先はポジティブな評価も。IMFのチームワーク!これはもう完全に熟成され、円熟の域に達している。サイモン・ペッグやビング・レイムスとは、もはや旧友であるかのように感じてしまう。『スター・ウォーズ』のオリジナル・キャストとまではいかないが、もはやこのメンツでなければ生み出せない空気というのが確かにそこにある。そしてトム・クルーズ! 爆風スランプの“RUNNER”も斯くやの爆走を見せる。御年とって五十数歳。サ〇エ〇ト〇ジーへの傾倒を除けば、理想的な中年であろう。

マンネリズムから逃れることが難しいシリーズ物ではあるが、今作ではあらためてイーサン・ハントの人間性が掘り下げられるシーンがある。逆にそれが次作への大いなる伏線になっていることを窺わせる展開もある。シリーズ総決算も近いかもしれない。色々と文句をつけてきたが、スパイ映画であるということを一度頭から追いやってしまえば、単純に手に汗握る展開を2時間超楽しむことができる。トム様ファンなら観ておいて後悔はしないだろう。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, サイモン・ペッグ, トム・クルーズ, ヘンリー・カビル, レベッカ・ファーガソン, 監督:クリストファー・マッカリー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

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