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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 37セカンズ 』 -鮮やかなビルドゥングスロマン-

Posted on 2020年2月11日 by cool-jupiter

37セカンズ 80点
2020年2月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佳山明 神野三鈴 大東駿介 渡辺真起子 板谷由夏
監督:HIKARI

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日本に格差が根付いて久しい。その一方で、コンビニの店員さんがノン・ジャパニーズでいっぱいになったり、あるいはあちこちの中規模駅にエレベーターが設置され、車イスの乗客を見ることが日常的になったりと、日本社会は確実に包括的な方向にも向かっている。そうした中、障がい者に焦点を当てた映画に、また一つ傑作が生まれた。

 

あらすじ

23歳の貴田ユマ(佳山明)は脳性まひのため、手足の運動が思うようにならない。しかし、絵を描く才能に恵まれていたユマは、売れっ子漫画家のアシスタント(実際はゴーストライター)をして生計を立てていた。そんなユマを母(神野三鈴)は過保護に育てていた。自立を求めるユマはアダルト誌に原稿を持ち込むが「性体験がないとリアルな作品は描けない」と言われてしまう。夜の歓楽街、風俗街に入り込んだユマは、そこで舞(渡辺真起子)や俊哉(大東駿介)らと知り合い、新しい世界を知るようになる・・・

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ポジティブ・サイド

車イス、あるいは重度の障がい者が主人公や主要キャストの映画となると、

『 ドント・ウォーリー 』
『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』
『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』
『 ブレス しあわせの呼吸 』
『 最強のふたり 』
『 パーフェクト・レボリューション 』
『 博士と彼女のセオリー 』 

などがパッと思い浮かぶ(一部、クソ作品が混じっているが思いついた順に列挙しているだけなので気にしないでほしい)。それぞれにテーマがあり味わい深い作品であるが、この『 37セカンズ 』が特に優れている点は二つある。一つには、主演を務めた佳山明の演技と、それを引き出した監督の力量。もう一つには、障がい者ということそのものをテーマの主軸にしていないことである。

 

演技のバックグラウンドのない主役を、経験豊富な役者たちがカバーすることで生まれる一体感というのは確かにある。毎回ではないが、時々素晴らしいケミストリーを起こす。最近では『 町田くんの世界 』の主役二人にそれを感じたし、『 風の電話 』からも感じ取れた。それでは本作の主役である佳山明が実力ある脇役に支えられながら、町田君やハル以上に輝くのは何故なのか。彼女自身が脳性まひを患った本当の身体障がい者であるということが指摘できる。それにより演技が演技に見えないのである。というか、演技なのに演技ではないのである。映画というのは一部のジャンルや作風を除けば虚構の芸術である。『 ボヘミアン・ラプソディ 』は伝記映画であったが、現役の歌手にフレディを演じさせるという選択肢も、制作前には検討されたはずである。役者に歌わせるよりも、歌手に演技させた方が良いという場合もある(ちなみに、これで大失敗したのが『 タイヨウのうた 』)。実力ある俳優に障がい者を演じてもらうよりも、障がい者が物語世界に降臨した方が説得力がある。これはそうした作品であり、さらにそれを成功させている。冒頭の入浴介助のシーンでは佳山も神野もヌードを披露してくれる。Jovianはこれで一気に本作をドキュメンタリー映画であると受け止めてしまった。すべてが計算ずくで作られたドラマではなく、現実を忠実に映し取った作品であると感じたのだ。このような導入でリアリティを生み出すとは、HIKARI監督は手練手管を心得ている。障がい者が障がい者を演じるのは演技と言えるのかと思う人もいるかもしれない。だが、こう考えてみてはどうだろう。邦画お得意の実写青春映画で美少女が美少女を演じることはどうなのか。イケメンがイケメンを演じるでもいい。橋本環奈が不細工な女子高生という設定や、松坂桃李が醜男という設定に納得できる人がいるだろうか。本作での佳山のキャスティングにケチをつける人は、一度自分の思考を整理されたし。それがすなわち差別であるとまでは言わないが、障がい者を特別視している自分がいることに気づくことだろう。

 

本作で佳山が特に光っているのは、人懐っこい笑顔を見せる時である。上で書いたことと少々矛盾して聞こえるかもしれないが、人が人を魅力的に思うのは見目麗しさ以上に、笑顔であると思われる。ユマの笑顔を見よ。これほどチャーミングな笑顔が邦画の世界でどれほど映し出されてきただろうか。そう思えてくるほどに、ユマの笑顔には魅力がある。人間関係の基本にして究極がそこにある。目の前の人を笑顔にすること。それに必要なのは、介護の知識やスキル、ポリコレ意識ではなく、対等な人間関係を結ぶということなのだろう。

 

本作は障がいそのものをテーマとはしていない。障がい者であるユマが恋愛やセックスに興味を持つのは年齢的にも肉体的にも自然なことである。似たようなところでは『 聖の青春 』の村山聖が挙げられる。もしくは『 覚悟はいいかそこの女子。 』の恋愛未経験イケメン男子を思い起こしてもいいだろう。恋愛やセックスは健常者だと障がい者、イケメンだとかブサメンだとかは関係ない、普遍的なテーマなのである。本作のユマがユニークなのは恋愛やセックスへの興味以上に、自分の仕事の幅を広げたい、あるいは深みを増したい、自立をしたいという強い想いに駆られている点である。恋愛やセックスそれ自体がゴールになっていることが多い日本の多くのエンタメ作品とは、そこが決定的に異なっている。『 娼年 』をカネで買ってスムーズに初セックス・・・とならない。このあたりから物語が一気に加速していく。舞や俊哉と共に生き生きと過ごすユマに、我々は逆説的に教わる。すなわち、恋愛やセックスはそれ自体が単独で成立するイベントではなく、濃密なコミュニケーションや人間関係の一側面である、と。そして、ユマに対等に接してくれるのは夜の街のポン引きだったり、クィアな方々であったり、ゲイバーの店員と思しき人々だったりする。社会のはみ出し者、日陰者とされているような人々なのだ。だが、彼ら彼女らの交流の模様がスクリーンを鮮やかに彩るのを見れば、「障がいも個性の一つ」という少々行き過ぎた考えにも頷けるような気がしてくる。ユマが不意に宇宙人を夢想するのは、宇宙人から見れば、地球人はすべて地球人という同じカテゴリに分類されるからだろう。そこにはもはや人間関係の上下や思考の左右の違いはない。本作は障がい者ではなく人間を映し出している、言葉そのままの意味でのヒューマンドラマなのだ。

 

ユマの自立への旅は思わぬ方面にまで飛んでいくことになるが、そこはぜひ劇場で鑑賞を。彼女が家に帰って来るシーンでの母親の落涙は、完璧に計算された証明とカメラアングル、そして演技によって成立している。ここには作為を感じたが、その美しさに観る者の胸はいっぱいになることだろう。

 

映画的な文法に忠実に従って、すなわち映像で物語を語らせる場面が多いのも良い。未見の方は、ユマが這ってシャワーを浴びに行くシーンで、彼女の両足に土踏まずが全くないことを見逃さないようにしよう。そのうえで、母親が見つめるとあるアイテムが何なのかをじっくり考えるようにしよう。その先には非常に上質な人間ドラマが待っている。

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ネガティブ・サイド

大東駿介演じる介護士はいったい何者なのだ?片言ではあるが、英語や、その他外国語を操れるのは何故だ?組織に属する介護士ではなく、フリーランス・自営業的に介護サービスを提供しているのか?いや、それでは自分が風邪を引いただけで代わりを見つけることもできず、顧客に迷惑をかけるだけだ。この男はいったい・・・

 

またユマがパスポートをしっかりと持っているのは何故だ。所有しているだけなら構わないが、あのタイミングで持っていることは不可解極まりない。運転免許証以外の身分証明書。ということなら普通に障がい者手帳で間に合うはずである。終盤入り口の超展開には少々納得がいかなかった。

 

アダルト誌編集長を演じた板谷由夏の「セックスをしたことがないとリアルな作品を描けない」というのは一理あるが、別にセックス経験がなくとも面白い作品は描けるはずだ。「人を殺したことがないのに、面白い殺人事件は書けないだろう」などと言う編集者がいたら「頭がおかしいのか?」と思うだろう。

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総評

エンドクレジットになぜか我が町・尼崎の尼崎市立身体障害者福祉センターが出てきてびっくりした。何か縁があったのだろう。分断をキーワードにする映画が続々と生産されるなか、“包括”や“包含”をテーマにする作品も同じくらい作られていいはずだ。本作を観れば、世界が目指すべきは分断ではなく包括であることは自ずから明らかである。とにかく、できるだけ多くの老若男女に観てもらいたいと思える傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get laid

セックスする、の意である。直訳のhave sex でも良いが、日常会話ではget laidをよく使う気がする。面白いことに、この表現では相手を表現することは滅多にない。他に同様の意味の表現としては

have sex with somebody

sleep with somebody

make love to somebody

hook up with somebody

などがある。こういう表現が実地に使えるようになれば、英会話スクールは卒業してよい。

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, 佳山明, 大東駿介, 日本, 板谷由夏, 渡辺真起子, 監督:HIKARI, 神野三鈴, 配給会社:エレファントハウスLeave a Comment on 『 37セカンズ 』 -鮮やかなビルドゥングスロマン-

『 人生、ただいま修行中 』 -看護師の卵に光を当てた異色ドキュメンタリー-

Posted on 2020年2月9日 by cool-jupiter

人生、たたいま修行中 75点
2020年2月8日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:看護師の卵たち
監督:ニコラ・フィリベール

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2019年にシネ・リーブル神戸で上映していたのを見逃したが、塚口サンサン劇場のおかげでキャッチアップ。何を隠そう、Jovianは大学卒業→就職→退職→内定取り消し→看護学校入学→看護学校中退→再就職→現在に至る、という経歴の持ち主である。看護学校には2年ちょい通っていたが、体を壊したのと他にも諸々あって辞めてしまったが、本作を観て I genuinely felt redeemed.

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あらすじ

フランスはパリ郊外の看護学校。そこには年齢や性別、人種などが異なる学生たちが看護師になるべく学んでいた。彼ら彼女らは、座学、実技を学び、看護実習を経て、教師らとの対話を持って、成長していく・・・

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ポジティブ・サイド

本作は

1.座学と実技
2.病院実習
3.学校で教師と共に実習を振り返る

の三部構成になっている。Jovianは冒頭のシーンから、言葉そのままの意味でスクリーンに引き込まれてしまった。血圧測定に挑む看護学生が動脈の位置を探り、マンシェットを巻き、聴診器を肘当たりに当てて、エアを送り込み始めたあたりから、ザワザワとしていた周囲の医療スタッフが一斉にシーンと静まったからである。まさに看護学校の空気である。初回にバルブ調整を失敗し、一気に空気を抜いてしまうのは、多くの看護学生が通る道である。また、その学生が収縮期血圧を聞き取れなかったのに対し、指導スタッフがそれを読み取っていた、というのも「看護学生あるある」である。また看護倫理に関わる講義の内容は、Jovianが学んだものとまったく同じであった。余談として、映画では触れられていなかったものの、看護の世界で学んだSOAP記録方式や14の基本的ニーズの考え方は、職業人としてMECEを意識する際の大いなる助けになっている。特にSOAP方式は語学学習に悩む人に適切なカウンセリングや学習コンサルテーションを提供する際に非常に重宝する思考ツールになっている。

 

Back on track. 看護学校で繰り広げられる座学や実技の演習には、キラキラとした青春の輝きなどはない。日本と違ってフランスでは、看護学生というのはある程度酸いも甘いも嚙み分けた人間、20代後半以上の者が通っているようである。このことが、個人的なredemptionにつながってきた。本作にはナレーションもBGMもない。製作スタッフからのインタビューに答えるような形での独白も挿入されてはいない。徹頭徹尾『 サウナのあるところ 』と同じく、人が心情を素直に吐露する瞬間を収めることに努めている。それが非常に心地よく映る。映画というのは基本的には100%作為が働いて作られるものであるが、ドキュメンタリー映画の登場人物や台本通りに動く役者ではない。だからこそ出せる味というものがあり、本作にはその“味”が随所で濃厚に出ている。

 

病院実習の場面も看護学生あるあるのオンパレードである。初回の実習というのは症状がかなり軽い、あるいは退院目前の方の問診程度であるが、Jovianは確か4人組で行ったと記憶している。そして、その4人が4人、思い思いに自分のしたい質問を患者さんにぶつけてしまい、深い情報、欲しい情報は誰も取れなかった。あの時は自分の実習のことを考えてしまい、患者さんの容態や気持ちについて考えていなかった。その余裕がなかったのではなく、そうすべきであるということ思い至っていなかった。シチュエーションは全く違うが、急変した患者さんにわらわらと群がり、口々に質問を投げかける実習生たちに10年以上前の自分の姿を見た。そして心の底から「頑張れ!」とエールを送ることができた。「何やってんだ、このボンクラ!」と普段の自分なら思いそうなところで、肯定的な気持ちになれた。看護学校中退を黒歴史だとか人生の汚点だとは思わないが、肯定的に思えたこともなかった。本作によって、過去の自分に対してポジティブに向き合えた気がした。思いがけない収穫だった。この章で個人的に最も首肯したのは、「白衣の有無について」だった。学生であろうとプロであろうと、白衣を着ている限り頼りになる人、あるいは人によっては「敵」と見なしたりすることもある。本作には出てこないが、小児科の患者、つまり小さな子どもは時々そういう態度をとるし、症状の軽い整形外科の喫煙患者などもその傾向がある。白衣で心を開く人もいれば、白衣によって心を閉ざす人もいる。これはその他多くの仕事にも当てはまるかもしれないと思う。また、Jovianは看護師の母の勤める病院で血液検査を受けたことがある。その時に母の同僚の看護師さんが採血するにあたって、「あら、どっちの血管で取ろうかしら!」と言った後、思いついたように「学生さーん!!」と実習生を呼んで、練習台にさせられた。良い思い出である。同じように、患者さんは実習生に対して優しく接してくれているのを見て、癒された。「俺は注射が大好きだぜ!」と笑っていいのかどうか分からないジョークを飛ばす患者も登場する。もしも採血の時に学生を呼ばれたら、それはあなたの血管が非常に太く、見やすく、練習に適しているからである。どうか看護師の卵に寛大に接してあげてほしい。

 

教師と共に実習を振り返る最終章では、多様性についての温かな眼差しがあった。「自分は技術屋で事務仕事はしてこなかった。採血や注射はいいが、書類仕事は勘弁してほしい」という男子学生や、「自分は頭を使って色々考えることはできたが、他の学生やスタッフとうまくコミュニケーションが取れなかったし、患者の心にも寄り添えなかった」という、やはり男子学生に大いに共感した。そして、そんなある意味で不器用な男たちに「色々な看護師が存在して良いのだ」というフィードバックを与える教員に、Jovianは赦しを与えられたように感じた。Redemptionである。漫画『 おたんこナース 』の最終話と同じく、多様性を許容する土壌と度量がフランスにはある。伝え聞くところによると日本の看護学校は大昔から、知識、器用さ、寄り添う心のすべてを学生に求めるようである。Jovianは自分で言うのもアレだが知識面は問題なかったが、寄り添いの心と手先の器用さに当時は難があった。そのことを教員に責められもした。受け持ちの患者さんが急変し、緊急手術になったと泣いていた学生を怒鳴りつける教員などもいたのである。泣いても解決にならないのは確かであるが、しかし、死にそうになっている人に対して動揺し、涙を流してしまうという感性は決して否定されるべきではないはずだ。十人十色という多様性を肯定することわざの意味を考えるべきであろう。本作に出てくる教員の一人が言う「自分の感性を受け入れれば、それは仕事の妨げにはならない」という言葉は、多くの看護学生への励ましになるだろうし、ドロップアウトしたJovianのような人間にとっては福音にも聞こえる。

 

看護師というと白衣の天使だとか何だとか言われるが、実際には苦悩する血肉のある人間なのである。学生ならば尚更である。そうした学生と教員、指導現場のスタッフとのやりとりをほとんどありのままに切り取った本作は、ドキュメンタリーとしては異色であるが、人間の根源に迫っているという意味では王道である。

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ネガティブ・サイド

一部のテクニカルタームは一般人にはさっぱりであろう。というか看護学校中退のJovianにもよくわからない話が時々あった。カジュアルであろうとディープであろうと、通常の映画ファンにはわかりづらい場面が多いかもしれない。特に頭で場面場面を分析しながら観るスタイルの人には疲れる映画だろう。

 

また、当然至極ではあるが、スペクタクルなカメラワークなども存在しないし、視覚的に訴えてくるような演出もない。BGMすらない。つまりは、シネマティックではないということである。そのためかどうかは分からないが、Jovianの嫁さんは前半は船を漕いでいた。

 

また特定の登場人物にフォーカスしていないので、感情移入しづらいかもしれない。彼ら彼女らの名前も一切明らかにされないので、シーンごとに入り込めないと、非常に傍観者的な気分にさせられるだろう。

 

総評

エンターテインメントではないが、上質なドキュメンタリーである。看護師の卵たる学生や本職のプロの看護師、それに医療従事者、さらに教育者や親やサラリーマンなども、本作からは多大な示唆を得られるだろう。人と人との対話や交わりに関して、非常に inspirational な作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Oui, s’il vous plait

英語では“Yes, please.”、日本語では「はい、お願いします」となる。学生が教員「に実際に手本を見せようか?」と言われて、“Oui, s’il vous plait”と返すシーンがある。“Non merci”とセットで身につけておきたいフランス語の基本的表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, ドキュメンタリー, フランス, 監督:二コラ・フィリベール, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 人生、ただいま修行中 』 -看護師の卵に光を当てた異色ドキュメンタリー-

『 9人の翻訳家 囚われたベストセラー 』 -犯人に思わず共感-

Posted on 2020年2月7日2020年9月27日 by cool-jupiter

9人の翻訳家 囚われたベストセラー 75点
2020年2月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ランベール・ウィルソン オルガ・キュリレンコ
監督:レジス・ロワンサル

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Jovianは子どもの頃は宇宙飛行士になりたかった。長じてからは翻訳家や通訳になりたいと考えるようになった。今は何故か英会話スクールで働いている。それでも翻訳家がテーマとなった作品となると、やはり食指が動く。そして本作は傑作だった。

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あらすじ

世界的なベストセラー小説『 デダリュス 』の完結編を翻訳するために、カテリーナ(オルガ・キュリレンコ)ら9人の翻訳家が外部との接触が断たれた豪邸に缶詰めにされた。彼ら彼女はそこで1日に20ページずつ翻訳をしていった。しかし、ある時、出版契約を持つ出版社の社長エリック・アングストローム(ランベール・ウィルソン)に「『 デダリュス 』の冒頭20ページをネットに流出させた。カネを払わないと、さらに流出させる」という脅迫が届く。いったい誰が原稿を流出させたのか・・・

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ポジティブ・サイド

『 アメリカン・アニマルズ 』+『 11人いる! 』+『 ア・フュー・グッド・メン 』=本作、というのがJovianの観終わった直後の印象である。序盤は少々だるい展開を見せるが、中盤以降から物語は一気に加速する。サスペンスを盛り上げるためには、こういう展開・構成が必要なのだ。『 AI崩壊 』と同日に観たので、なおさら強くそう感じた。

 

本作の事件の元となる『 デダリュス 』が覆面作家の手による作品という点が、物語の大きなスパイスになっている。覆面作家というのは、その作品が売れれば売れるほどに、その正体にも注目が集まるものである。そして翻訳家というのは、作家が著名であろうと無名であろうと、正体が分かっていようと不明であろうと、ほとんど常に黒子である。Jovianは翻訳家が池央耿というだけで古本屋で買ってしまった文庫がいくつかあるが、そんな購買行動をする人間はマイノリティも良いところだろう。池ほどの翻訳の手練れでも、アイザック・アシモフやジェームズ・P・ホーガンなど巨匠の名前に埋もれてしまう。それが翻訳家の悲哀である。本作は、そんな影の存在である翻訳家たちの、いわば心の中のドロドロを様々な形で吐き出す。その思いにJovianは強く共感を覚えた。

 

本作のスリルとサスペンスは、1)脅迫者は誰か、2)覆面作家の正体は誰か、3)原稿はどうやって流出したのか、などの疑問が深まっていくのに比例して、どんどんと高まっていく。これらの1)、2)、3)の絡まった謎が次々に解き明かされていく終盤の怒涛の展開は、文字通りに手に汗握るものである。ここでもJovianは犯人に強く共感した。Jovian自身、以前の会社の退職時に、職務著作の取り扱いその他に関して会社と少々トラブルを持ったからである(権利の帰属の問題ではない、念のため)。小説であれ教材であれ、創作物であるからには作った人間がいるのである。そして、作った者にしてみれば、作りだされた物は、大げさな言い方をすれば我が子にも等しいのである。あれこれと書きすぎるとネタバレをしてしまいそうである。一つ言えるのは、この犯人の犯行は一部の人の心を文字通りに鷲掴みにするだろうということだ。

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ネガティブ・サイド

エリックが脅迫に屈して、カネを捻出するために自らの持ち株を売却するが、それが本当にあっという間に売れてしまう。Jovianは株式取引のプロでも何でもないが、まとまった株を市場で一気に売却すれば、それだけでその銘柄の株が値崩れを起こすのではないだろうか。それに、買い手がないと売れないのは株でも何でも真理である。「売れ」と言った途端に大金が口座に転がり込んでくるというのは、少々現実離れしていた。

 

クルマをバンバン走らせるシークエンスがあるが、誰もバイクには乗れなかったのだろうか。『 ドラゴン・タトゥーの女 』ばりのバイク・アクションを魅せるチャンスだったと思うが。

 

劇中で断片的に『 デダリュス 』のプロットについて語られるが、全体的な構成や、前巻がどのようなクリフハンガーで終わったのかを、誰かに喋らせてくれても良かったと思う。

 

総評

多言語が飛び交うクライマックスの展開の緊張感は、近年の映画の中では出色である。また、どこか『 女神の見えざる手 』を思わせるエンディングは、続編の予感も漂わせている(実際に作るとなると、プリクェル=前日譚となるだろうが)。少人数を旨とするフランス産ミステリーにしては登場人物が多いが、それが全くストレスにならない。これだけ話を詰め込んで1時間45分というのは脚本と監督と編集の大いなる勝利だと言えるだろう。素晴らしい作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

nothing to lose and everything to gain

nothing to lose=失うものは何もない、というよく知られたフレーズだが、実際は have nothing to lose and everything to gain =失うものは何もなく、逆に何もかもが手に入る、というようにeverything to gainがくっついてくることも多い。“The challenger has nothing to lose and everything to gain in this fight.”のように、ボクシングなどで比較的よく聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, オルガ・キュリレンコ, サスペンス, フランス, ベルギー, ミステリ, ランベール・ウィルソン, 監督:レジス・ロワンサル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 9人の翻訳家 囚われたベストセラー 』 -犯人に思わず共感-

『 イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 』 -やや演出過多か-

Posted on 2020年2月4日2020年9月27日 by cool-jupiter

イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 65点
2020年2月1日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:フェリシティ・ジョーンズ エディ・レッドメイン ヒメーシュ・パテル
監督:トム・ハーパー

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原題は“The Aeronauts”、飛行士であるが、aviator=アビエイターが飛行機の操縦士を指す一方で、気球の操縦士を主に指す。ジェームズ・グレイシャーは実在した気象学者だが、アメリア・レンは歴史上の人物たちから着想を得た架空の人物である。エディ・レッドメインとフェリシティ・ジョーンズのコンビは、『 博士と彼女のセオリー 』には及ばないものの、またも良作を作り上げた。

 

あらすじ

時は1862年、ロンドン。科学者のジェームズ・グレイシャー(エディ・レッドメイン)は気象を予測できるようになりたいと研究心を燃やしていたが、学会では相手にされなかった。そんな折、気球操縦士のアメリア・レン(フェリシティ・ジョーンズ)の気球に乗せてもらえることになるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

気象学は目立たないながらも非常に重要な学問である。スパコンの使い道のトップは天気予報であるとも言われる。日本のここ数年の猛暑酷暑に、今季の暖冬など、さらに本土での竜巻の発生やゲリラ豪雨など、日本の天候気候は確実に変化しつつある。天気予報や気象学の果たす役割は大きくなるばかりである。そうした時代の到来を予見していたのかどうかは分からないが、気象学の始祖の一人であるジェームズ・グレイシャーにフォーカスするというのは意義深いことであると感じた。

 

エディ・レッドメインは年齢に不相応なチャーミングさがある。『 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』のニュート・スキャマンダー役でも若い魔法生物学者をこれ以上ないほど具現化してくれたが、本作でも少年の目と志を持つ科学者を体現した。科学者は往々にして子どもがそのまま大きくなったような人間が多く、純粋さというものを感じさせることが多い。それは素晴らしくもあり、また危うくもある。マッド・サイエンティストというのは大抵の場合、好奇心があまりにも旺盛で、それが倫理を大きく上回ってしまう時に生まれてしまう。本作のジェームズも、科学調査の名の下に自信の装備を軽視し、フライトそのものを危機においやってしまう。観る側に、「頑張れ!」という気持ちと「何やってんだ、お前は!」というフラストレーションを絶妙のバランスで起こさせるのである。

 

有川浩の自衛隊三部作ではないが、『 海の底 』と『 空の中 』というのは人類にとってかつては謎多き領域であり、今に至っても謎が残された領域である。航空パニック映画などではしょっちゅう乱気流に揺さぶられたり、積乱雲の中で雷に襲われたり(『 天空の城ラピュタ 』が好例だろう)するのが定番である。そこに、ほぼむき出しの気球で挑もうというのだから、なにをどうしたってスリリングになる。実際に、『 ゼロ・グラビティ 』とまではいかないが、全編これスリルと驚異と恐怖のオンパレードである。

 

それに立ち向かうヒロインとして、フェリシティ・ジョーンズが気球操縦士を熱演した。彼女は、ジェシカ・チャステイン同様に、クソ作品に出演することはあるが、自身の演技がクソだったことは無いという素晴らしいactressである。未亡人として打ちひしがれていながらも、社交界の場で如才なく振舞う。そしてダンスパートナーを抜かりなく観察し、王立協会の権威に屈従することもない。アメリア・レンは架空のキャラクターであるが、そのファースト・ネームからはどうしたって『 アメリア 永遠の翼 』のアメリア・エアハートを思い起こさずにはおれない。空を飛ぶことが危険なのではなく、墜落することが危険なのであるが、ヴィクトリア朝時代には、飛行がそれなりに娯楽であったようだ。ジョーンズは、いわばそうした道化の役どころも理解していた。言ってみれば、ありえないほど完璧な人物なのである。それを嫌味に感じさせないのが、この役者の凄いところである。

 

『 キャッツ 』のクライマックスにも気球が出てくるのだが、映画そのものの出来はイマイチだった。だが、本作によって個人的にはredeemされたかなと感じることができたのは僥倖であった。

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ネガティブ・サイド

スリルを生むための演出なのだろうが、ジェームズがベテラン飛行家アメリアのアドバイスを聞かず、防寒着を持ってこないというのは考えられない。気球による飛行そのものの歴史が極めて短いというのならまだしも、フランスでも高度7000メートルを飛んだという知らせが届いている。つまり、新聞記事なり何なりで、その高度の空はどのような環境なのか、知っているはずだ。それはアメリアにしても同じで、なぜ手袋を持ってこないのか。自他ともに認める経験豊富なaeronautであるならば、せめて自分だけでも装備は万全を期してもらいたい。そうするとスリルやサスペンスを生み出しづらくなる、というのは製作者側の甘えである。

 

また、アメリアもジェームズも危機的な状況の中、しゃべり過ぎである。観る側に状況説明をしてくれるのはありがたいが、どのような仕組みで危機が到来しているのかを解説してくれなくても構わない。飛ぶことは危険なことではない。落ちるのが危険なのだ。そのことは、現代人たる我々観客はよくわかっている。ピンチの場面でのセリフ量をもっと減らし、映像やBGMに状況を語らせる努力をトム・ハーパー監督は行うべきだった。

 

また一部の危機的な飛行シーンでアメリアが超絶的な活躍を見せるのは、正直言って演出が過剰であると感じた。ほんの少しでよいので、アメリアが気球を作る作業場で、ロープの素材やその強度、球皮の素材や厚みなどについて語ってくれていれば、彼女の行動は無鉄砲さではなく勇気や信念に支えられたものであると確信できたのだが。

 

映画そのものについての注文ではないが、字幕にも少々注文を付けたい。アメリアが新聞記事を読んで落胆と後悔がないまぜになったような表情を見せるシーンで、新聞の文字はPierre and his brideとなっているところが、「ピエールとアメリア」となっていた。女性は男性の所有格付きで表現される時代に、aeronautとしての矜持を捨てなかったアメリアの葛藤を描く重要なシーンだが、字幕がそれを壊してしまっていたと感じる。細かいところではあるが、指摘しておきたい。

 

総評

ケチをつける箇所もあるが、良作であることは間違いない。ジェームズとアメリアが吊り橋効果のせいでロマンスを始めてしまうということもない。劇場の大画面で美しい空や荒れ狂う空を体感頂きたいと思う。気球(のような乗り物)が重要なテーマやモチーフになっている作品としては、野尻抱介の小説『 ふわふわの泉 』や『 沈黙のフライバイ 』所収の短編『 大風呂敷と蜘蛛の糸 』をお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

reach for the stars

直訳すれば「星に向かって手を伸ばす」であるが、実際は「手に入れられそうにないものを得ようとする」という比喩的な表現である。これは割とよく使われる表現で、テレビドラマ『 ニュースルーム 』のシーズン1のエピソード1の冒頭シーンのジェフ・ダニエルズの名演説でも使われているし、『 グレイテスト・ショーマン 』のtheme songである“This is me”の歌詞の一部として力強く歌われている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エディ・レッドメイン, ヒメーシュ・パテル, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 歴史, 監督:トム・ハーパー, 配給会は:ギャガLeave a Comment on 『 イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 』 -やや演出過多か-

『 ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密 』 -過大評価が過ぎる-

Posted on 2020年2月2日2020年9月27日 by cool-jupiter

ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密 55点
2020年2月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリストファー・プラマー ダニエル・クレイグ
監督:ライアン・ジョンソン

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『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』の監督ライアン・ジョンソンが脚本および監督を手掛け、アメリカでは喝采を浴びたとのことだ。うーむ。正統派の倒叙(的)ミステリをそれなりに上手く撮影しただけのはずが、SWエピソード8をいじくりまわした監督の作品ということで必要以上に持ち上げられているだけではないのか。原題のKnives Outは英語の慣用表現のthe knives are out、すなわち「矛先を向ける」、「刃を抜く」、「牙をむく」など、誰かを(物理的というよりも比喩的に)攻撃する体制ができている状態」から来ているのだろう。

 

あらすじ

ミステリ作家にして大富豪のハーラン・スロンビー(クリストファー・プラマー)は、彼自身の誕生日パーティーの翌日に遺体となって発見された。謎の人物から依頼を受けた名探偵ブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)は、彼の遺産を相続できる立場にある家族全員を容疑者と考え、唯一、ハーランの死亡による恩恵を受けない専属看護師を助手に調査を進めていくのだが・・・

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ポジティブ・サイド

大きな館でミステリ作家が死ぬ。これ以上ないほどにクリシェな設定ではあるが、だからこそ光り輝くものもある。ダニエル・クレイグ演じるブノワ・ブランは、いわゆる安楽椅子探偵やハードボイルド系の肉体的に屈強な探偵という像を見事に覆した。理知的であるが、感情的でもある。頭脳明晰であるが、コミュニケーション能力に少々難がある。端的に言って、面白いオジサン探偵である。クレイグのファンであれば、彼の怪演を楽しむためにチケットを買うのもありだろう。

 

容疑者連中は豪華な顔ぶれである。特に『 ノクターナル・アニマルズ 』や『 シェイプ・オブ・ウォーター 』、『 華氏451(2018) 』などで、善人だろうが悪人だろうが、頑迷固陋なまでに信念を貫く頑固者を演じさせれば天下一品のマイケル・シャノン、『 ヘレディタリー/継承 』など、顔芸と言えばこの人、トニ・コレットの二人は要チェックである。

 

真相もそれなりに捻ってある。あまり詳しくは書けないが、ハーランの死の真相はなかなかにショッキングである。ライアン・ジョンソンはアガサ・クリスティ的なミステリを志向したとインタビューで語っていたそうだが、Jovianのような鵜の目鷹の目のすれっからしには、カトリーヌ・アルレー的なミステリを志向したように映った。真犯人(これはすぐに分かる)ではなく、真相の方をあれこれと考えて、その部分では騙された。以下、白字 カトリーヌ・アルレーであれば、マルタの嘔吐症をマルタ自身が長年かけて周到に準備した演技であると設定したことだろう。だが、この演出はそれなりに楽しくもあり、またカタルシスをもたらしてもくれる。

 

アメリカ映画というのは、往々にしてロボットやAI、そして異星人といった存在を“敵”として描いてきたが、近年では『 アス 』など、意識の変化が見て取れる。本作ではアメリカ人が敵視するのは移民である。このことを我々はどう感じるべきなのか。アメリカ人自身がヨーロッパからの移民であるということを忘れてしまっているわけだが、人類はその歴史的な発展段階のどこを取り上げても、ほぼ例外なく移民である。陸路の面でも、海流に任せた海路の面でも、日本は移動する人類の最終目的地の一つであったことは疑いようがない。ミステリ要素以外、つまりハーランの家族たちの思考や思想をどう見るのか。日本の映画ファンの感想を、これから渉猟してみたいと思っている。

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ネガティブ・サイド

ダニエル・クレイグの名探偵っぷりは堂に入ったものであるが、その推理は穴だらけである。詳しく書くと興が削がれるので、ある程度ぼやかして書くが、冒頭のEstablishing Shotで重要な役割を帯びていることが示唆される犬の扱いがめちゃくちゃである。なぜランサムが1度目に来た時には犬にまとわりつかれ、2度目には犬に気づかれず、3度目にはまた犬に気づかれ、吠えられたのかについて合理的な説明がなかった。

 

警察も同じで、容疑者として考えられる者には、屋敷を立ち去った時間だけではなく、帰宅した時間も尋ねなければならない。そのうえで街中の防犯カメラの映像と屋敷の防犯カメラの映像などとも合わせて、アリバイを確認する、もしくは崩していくのが王道であり定石である。何故そのようにしないのか。屋敷の防犯カメラの映像は消去されたとなったら、なおさら他の方法でアリバイを確認しなければならないではないか。何故あっさりとあきらめるのか。

 

また登場人物の行動原理にも不可解なところがある。ある人物が怪しい行動をしているところをたまたま目撃した。その人物に人気のないところに呼び出されたので、逆に詰問してやろうとその場に向かったところ、返り討ちにあってしまった・・・って、アホかいな。これではまるで火曜サスペンス劇場である。何故のこのこそんなところに出向くのか?何故に警察や探偵、もしくは自分が信頼できる相手に自分の目撃した事柄を伝えないのか?あるいはメモや手紙を残さないのか?現実に殺人事件があったとして、「ひょっとしてコイツが犯人なのでは?」と疑っている人物の誘いにホイホイ乗る人間がどれくらい存在するだろうか?おそらく100人に1人いるかいないかだろう。

 

本作の真相(≠真犯人)で個人的に最も納得がいかないのは、ブラン探偵の推理、すなわちマルタが長年の経験から来る感覚で、ラベルが貼り変えられていたにもかかわらず、モルヒネとそうではない薬品を、間違えることなくハーランに投与していた、ということである。って、そんなわけがあるかーーーーい!!!由良三郎先生の『 ミステリーを科学したら 』に敬意を表して、モルヒネの投与量が実はそれほど過剰ではいとか、ハーランはモルヒネにかなりの耐性を持っていたはずだとか、10分で死に至るということに科学的な根拠がないということなどには納得ができる。問題なのは、薬液のちょっとした色味や粘度の違いを看護師ならば感覚的に感知できるという設定である。念のため、看護師歴30年以上のJovian母に尋ねてみたが、「においのあるビタミンB剤や抗生剤なら、『 ん?匂いがしないぞ? 』と感じることはあっても、透明な薬液の違いは分からないし、何よりもラベルをダブルチェックするという習慣が身についているので、ラベルを疑うことはない」という返答だった。そしてバイアルというのは匂いを外に出すような作りの容器ではない。一度ひっくり返したものを、さらにもう一度ひっくり返すというのは、なかなかのどんでん返しであるが、アイデアだけが先行してしまっている感は否めない。『 屍人荘の殺人 』でも指摘した、“理論的に実行可能なトリック”と“実際に実行可能なトリック”の境目を本作はあまり上手くごまかせていない。アイデアは秀逸だが、見せ方がまずいのである。

 

アメリカの批評家連中がやけに本作を高く評価しているらしいが、彼ら彼女らは“移民”というテーマを絶賛しているのであって、ミステリ要素が好評を博しているのではないのだと思いたい。それも、今後時間を見つけて色々と読んでいってみたい。

 

総評

ミステリとして真剣に捉えるか、それとも火サスのようなライトなサスペンスものと割り切って捉えるかで評価がガラリと変わる。Jovianはこれをミステリだと思ってチケットを買った。そして裏切られた。これはサスペンス、あるいは松本清張ばりの社会派ミステリだと思えば、また違った感想を持ったことだろう。『 アガサ・クリスティー ねじれた家 』のような本格ミステリを期待する向きは、そうではないということを心してチケットを買うべきである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Up your arse.

ムカつくことを言われた時の返答にしばしば使われるスラングである。日本語にすれば、「うるせー、黙れ」ぐらいだろうか。TVドラマの『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』のとあるエピソードでも、ベテラン刑事コーサックがジェーンに向かって“Up your arse, Rizzoli.”と不敵に言い放つシーンがあった。ムカつく上司にムカつくことを言われたら、心の中で“Up your arse.”と唱えようではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, クリストファー・プラマー, サスペンス, ダニエル・クレイグ, 監督:ライアン・ジョンソン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密 』 -過大評価が過ぎる-

『 デンジャラス・バディ 』 -やや凡庸な女刑事バディもの-

Posted on 2020年1月27日2020年1月28日 by cool-jupiter

デンジャラス・バディ 55点
2020年1月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック メリッサ・マッカーシー
監督:ポール・フェイグ

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嫁さんが借りてきて、一緒に観た。まあ、普通の出来ではないだろうか。真犯人はこの二人のどっちかだろう、と迷っている最中にヒントが。まあ、ミステリではないので謎解き要素を求めなければ、そこそこ楽しめるはず。

 

あらすじ

敏腕FBI捜査官のアッシュバーン(サンドラ・ブロック)は上司の昇進に伴って、空いたポジションを得ようと意気込むが、その上司からボストンの事件を担当するに命じられる。そこでは粗野で乱暴な女刑事マリンズ(メリッサ・マッカーシー)とコンビを組むことになってしまった。水と油の二人は果たしてバディとして認め合って、事件を解決できるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

劇場公開2014年の作品であるが、アラフィフのサンドラ・ブロックが胸元をかなり露出し、悪玉にお色気作戦で近づき、そしてバディ役であるメリッサ・マッカーシーに酒場その他の猥談で完敗を喫するのだから面白い。サンドラ自身も、こういう映画を大ヒットさせようとはあまり思っておらず、気分転換にたまには映画製作を気軽に楽しもうというノリでいるのではないか。そう思えるほどに脚本はぺらっぺらである。次の展開が見え見えである。だが、それで良いのである。アッシュバーンというキャラもどこかで観たキャラ要素の寄せ集め。美人で頭脳明晰な腕利き刑事。しかし男には縁がなく40代で独身。Single cat ladyをしているが、肝心の猫はお隣さんの借り物。吉田羊とテイラー・スウィフトを足して二で割ったようではないか。

 

バディ役を努めるメリッサ・マッカーシーは『 ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン 』をテアトル梅田で観た記憶がある。そして『 ゴーストバスターズ(2016) 』でも。レベル・ウィルソンと渡辺直美とフランシス・マクドーマンドを足して三で割ったようなキャラである。美貌はないが、勘の良さと腕っぷし、そして正義感と報われない家族愛とセックス・フレンドを持っているという、アッシュバーンとは正反対のキャラ。こういう二人を組ませようというのは、作ったような話でリアリティはない。だからこそ、逆に安心して観られるのである。

 

アッシュバーンとマリンズが互いを人間として認め合えるようになるため二つのクラブが重要な役割を果たすが、これらのシークエンスは誠にユーモラスである。我々が笑うのは、たいてい意味や認識にずれが生じている時だが、アッシュバーンの服装をマリンズが強制的に変えてしまうところに、ニヤリとさせられてしまう。決してエロティックな意味ではなく(それもないことはないが)、服をビリビリと破いてしまうことで、逆に男っ気のなさが際立ってしまうからである。このあたりから、この一風変わった女刑事たちが本格的な凸凹コンビに見えてくる。そして、次なるクラブのシークエンスで、凸凹コンビはバディとなる。酒というのは人間関係の潤滑油にも燃焼材にもなるが、酔っぱらった女二匹の乱痴気騒ぎは、確かに観る側をして彼女らを応援したくなる気持ちにさせてくれる。

 

事件の解決の仕方も明快だ。アッシュバーンに男はいりませんよ、というビジュアル・メッセージである。陳腐ではあるが、死線を共に潜り抜ける経験は「血よりも濃いものを作ることがある」(B’zの“RUN”)のである。

 

ネガティブ・サイド

ドジでお茶目なアッシュバーンが序盤から中盤にかけてどんどん冴えてくるのが、ちょっと不満である。敏腕であることは十分に伝わる。ただ、バリバリに仕事ができる女刑事ではなく、どういうわけか事件を解決できてしまう不思議ちゃん的なキャラが面白さの源泉なのだから、その設定を崩してはダメである。終盤でそのおっちょこちょいのダメ設定が復活するが、流血ネタにする必要はあったのだろうか?また仮にも警察官であればハイムリッヒ法ぐらい知っているのではないかと思うが。

 

マリンズのファック・バディが一人だけしか出てこないのも不満である。ファックの相手は10人中9人が黒人だというなら、黒人のバディも出すべきだ。そうすることでアッシュバーンとマリンズの女の艶のコントラストがくっきりと浮かび上がってきたことだろう。それによってアッシュバーンがマリンズ相手にシャッポを脱ぐのもスムーズになっただろうと思われる。そうしたシーンがないと、麻薬のディストリビューターの黒人男が追いかけて痛めつけるシークエンスが一種の弱いものイジメに見えてしまう。

 

また、内勤の黒人刑事も色々な情報を渡してくれるが、結局は主役の女性二人の引き立て役になってしまっている。サポート役ではなく引き立て役である。彼に警察官らしい見せ場を作ってほしかった。

 

総評

基本的にコメディであって、サスペンスやミステリ要素を期待してはいけない。とにかくメリッサ・マッカーシーのパワフルなパフォーマンスと、サンドラ・ブロックの微妙にずれた変なおばさんっぷりを楽しむ映画である。まあ、典型的なrainy day DVDだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Same page

縁の下の力持ちポジションの黒人捜査官のセリフである。正しくは“We are on the same page.”だが、略してsame pageとなっている。be on the same page = 同じページにいる = 共通の認識を持っている、という意味である。外資系企業の会議では“Are we on the same page?”や“I believe they and we are on the same page on this deal.”というように使われているはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, コメディ, サンドラ・ブロック, メリッサ・マッカーシー, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:エスピーオーLeave a Comment on 『 デンジャラス・バディ 』 -やや凡庸な女刑事バディもの-

『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

Posted on 2020年1月27日2020年2月9日 by cool-jupiter
『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

キャッツ 25点
2020年1月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:フランチェスカ・ヘイワード テイラー・スウィフト
監督:トム・フーパー

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『 マンマ・ミーア! 』のレビューで「Jovian個人が選ぶオールタイム・ベストのミュージカルは『 オズの魔法使 』と『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』で、次点は『 ウエスト・サイド物語 』」であると述べた。それらに続くのが『 オペラ座の怪人 』と『 キャッツ 』である。両親が劇団四季・友の会の会員だったのだ。劇は確か5回観た。サントラはオリジナル・ロンドン・キャストで数限りなく聞いた。その上で言う。これは映画化失敗である。

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あらすじ

ロンドンの片隅。新参猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)が迷い込んだのは年に一度のお祭り、ジェリクル・ボールだった。オールド・デュトロノミーによって選ばれた一匹の猫は天上に昇り、新たな生を得るのだ。その座を競って、猫たちは夜を徹して歌い、踊って・・・

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ポジティブ・サイド

オールド・デュトロノミーを雌に変えたことに最初は戸惑ったが、これはこれでありだろう。英語では、猫の人称(猫称?)代名詞はしばしばsheになるし、イングランドに君臨するのは女王である。ロンドンの猫たちの頂点が雌であっても不都合は何もないし、それぐらいの設定変更をしないと、映画化の意義もない。実際にジュディ・デンチは良かった。

 

また、アスパラガスをイアン・マッケランに演じさせるというのはキャスティングの大いなる勝利である。老人が時代を嘆くのは滑稽かもしれないが、それを実力者が演じることで大いに説得力が増している。

 

アンドリュー・ロイド・ウェバー御大とテイラー・スウィフトの手による“Beautiful Ghosts”は言葉で説明するのが難しいほどに感情を揺さぶる音楽であり歌詞であり歌唱である。劇中で歌うヘイワードとエンディング・ロールで歌うテイラーに最敬礼する。

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ネガティブ・サイド

見た目や動きの気持ち悪さは英語でも日本語でも死ぬほど語られているので、敢えてJovianが触れるまでもないだろう。ジェニエニドッツとゴキブリどもとの大きさの比率がおかしいし、水を飲むバストファー・ジョーンズの顔が一切濡れないのも不自然である。どうしても言わないと気が済まないのはこれぐらいか。

 

夜中~深夜にかけて街中を散歩していると、公園の砂場で猫たちが集会を開いている場面に遭遇することがある。そうした経験のある人は多いだろうし、人からそのような話を聞いたことがある人も多いことだろう。その中には首輪をした猫もいれば、ボロボロに傷を負った野良もいるのである。まさかジェリクル・ボールを本当に開いているとは思わないが、それでも猫たちの営為には、人知の及ばないミステリアスな領域が常に存在しているようである。『 キャッツ 』というのは、そうした人間の与り知らない猫の世界の物語である。であるにも関わらず、オープニングでいきなりロンドンの街のネオンライトを浴びながら自己紹介をしていく猫たちに強い違和感を覚えた。“月明かりの中”で密やかに、しかし盛大に行われるのがジェリクル・ボールではないのか。夜目が効く猫があんな光を浴びたら動けなくなるのではないのか。というか、人間の世界の片隅で繰り広げられるドラマのはずが、人間の世界のど真ん中で行われるかのような演出を入れるのには感心しない。舞台演出をそのまま映像にしてしまうとシネマティックにならないというフーパー監督の判断なのだろうが、それは間違っている。映像的に煌びやかであることと、それが素晴らしいものであるということは必ずしもイコールではない。キャッツのような物語は特にそうである。

 

色々と演出にも首尾一貫性がない。ジェニエニドッツが躾けるゴキブリやネズミの寸法がおかしかったかと思えば、バストファー・ジョーンズの言う高級クラブ通いは実際は高級残飯漁りという猫の生活のリアルさを描いている。一方で、舞台版ではスキンブルシャンクスが車掌を務める“魔法列車”はゴミとして捨てられた廃品の寄せ集めで作られたものという、これまた猫の生活のリアルさを表現していた一方で、こちらの映画では本物の線路に本物の鉄道を見せていた。なぜ人間の領域に出てくるのだ?ロンドンの片隅でこっそりやってくれ。シネマティックな演出をするなら、猫のリアルな生態とミステリアスな側面を絶対に外してはいけないのである。

 

マキャビティとグロールタイガーが手を組むというのも妙に感じた。犯罪世界のナポレオンが海賊と組むか?フーパー流の新規の味付けなのだろうが、これは個人的には受け入れられなかった。またイドリス・エルバ演じるマキャビティがどこかユーモラスになってしまっていたのも減点対象である。神出鬼没で猫世界のルールもお構いなしというのが、マキャビティの魅力であり、怖さでもあった。それが生まれ変わりを切望して、オールド。デュトロノミーを脅迫するチンピラに成り下がるとは・・・ 舞台版ではジェリクル・キャッツ候補たちが総力を結集して追い払う悪の権化が、なんともみみっちく矮小化されてしまったという印象である。

 

ハイライトであるはずのグリザベラが歌う“Memory”のシークエンスにも不満である。心の底からの“TOUCH ME!”という悲痛ともいえる叫び、そして歌い終わって、猫たちに背を向けながらも、後ろに手をそっと差し出し、誰かがその手に触れてくれるのを恐る恐る待つグリザベラ、そこにデュエットを歌ってくれたシラバブがグリザベラの手をそっと撫でる。そして猫たちが次々にグリザベラに触れていくという、あの流れが感動を呼ぶのではないか。天に昇る猫を選ぶのはオールド・デュトロノミーだと言いながらも、その場の猫たち全員がデュトロノミーの宣告を待たずにグリザベラを認めるという、あのシークエンスが胸を打つのではないか。それを序盤からヴィクトリアがべたべたとグリザベラに触り、あまつさえジェリクル・ボールに招き入れる。違う。ボロボロに打ちひしがれていながらも、それでも誰かに触れてほしい、抱いてほしいというグリザベラの勇気と圧巻のパフォーマンスが我々の心を震わせるのである。無理やり連れてきてはいけないのだ。なぜトム・フーパーとリー・ホールはこのような脚本を書いてしまったのか。理解に苦しむ。最も感動的であるはずのシーンで萎えてしまうった。おそらく舞台『 キャッツ 』を愛する人の多くが、このように感じたのではないだろうか。

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総評

舞台版をこよなく愛する人と、本作を映画で初めて観る人によって、評価はガラリと変わるのだろう。実際にJovianの嫁さんはミュージカルを未見の状態で本作を鑑賞し、高い評価を与えていた。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』の評価が割れているのも、従来通りの物語を期待するファンと、新世代の物語を期待するファンの間で評価が割れていて、それが予想以上の低評価につながっている。SWでは後者の勢力がマジョリティであるが、本作『 キャッツ 』では前者の勢力が優勢なようである。舞台版『 キャッツ 』を愛する人は、期待をせずに劇場へ向かわれたし。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ghost

幽霊、の意ではない。テイラー・スウィフトが歌う“Beautiful Ghosts”というのは、おそらく Beautiful Ghosts(from the past)のことかと思われる。a ghost from the past は「過去の亡霊」という意味ではなく、「長らく出会っていなかった過去の知り合い」ぐらいの意味である。生まれ変わるグリザベラに「あなたはこれだけ多くの素晴らしい猫たちに祝福された」というメッセージを送っている・・・のだと思う。猫とポエムを真面目に解釈しようとしてはいけない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, イギリス, テイラー・スウィフト, フランチェスカ・ヘイワード, ミュージカル, 監督:トム・フーパー, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

『 テリー・ギリアムのドン・キホーテ 』 -Let’s go crazy!-

Posted on 2020年1月27日 by cool-jupiter

テリー・ギリアムのドン・キホーテ 70点
2020年1月24日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー ジョナサン・プライス ステラン・スカルスガルド オルガ・キュリレンコ
監督:テリー・ギリアム

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アダム・ドライバーと『 2人のローマ教皇 』のジョナサン・プライスの競演を、テリー・ギリアムが監督する。見逃す理由はない。

 

あらすじ

若手CM映画監督のトビー(アダム・ドライバー)はスペインでドン・キホーテの映画を撮影していた。ある時、トビーはDVDを渡される。収録されていたのは10年前にトビーが作った『 ドン・キホーテを殺した男 』だった。ドン・キホーテを演じた老人ハビエル(ジョナサン・プライス)とトビーは再会するが、ハビエルは自分が本当にドン・キホーテだと思い込んでいた。かくしてハビエルはトビーを従者サンチョだと勘違いし、二人は何故か冒険の旅に出ることになってしまった・・・

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ポジティブ・サイド

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』や『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』などのインド映画の持つ色彩感覚と、『 荒野の用心棒 』や『 続・夕陽のガンマン 』といったウェスタンの乾いた世界観が、ほどよくブレンドされている。目に優しいというわけではないが、entertainingでinspiringな世界を切り取ることは、映画作りにおいて重要なパートである。

 

アダム・ドライバーも新境地を切り拓いたかもしれない。『 パターソン 』での妻を愛する平々凡々な男から『 マリッジ・ストーリー 』での泥沼離婚調停中の舞台演出家まで、基本的に何でもこなせる男だが、今作では現実と妄想の間を揺れ動く役を見事に演じきった。自分が狂っているのであれば自分で自分を狂っているとは認識できない。眼前で起こる不可思議な事態の数々が事実であるのか虚構であるのか、その虚実皮膜の間に囚われた男の混乱を、非常にシリアスに、また非常にコメディックに表現した。特に、アンジェリカが炎にその身を今まさに焦がされようとしているシーンは、とてつもないサスペンスを感じつつも、不謹慎にも笑ってしまった。悔しい!舞台演劇などで、ちらほら目にする演出なのに!それでも、トビーのリアクションのクソ真面目さによって逆にコメディの色合いがより濃くなっている。真面目にやればやるほど馬鹿馬鹿しくなるのである。その塩梅が素晴らしいと感じた。

 

だが、それでも本作はジョナサン・プライスの独擅場であると言わねばならない。「我こそは崇高なる騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ!」と高らかに宣言し、愛馬と共に時に荒野を、時に宮廷(に見せかけた修道院)を堂々と闊歩する姿はいっそ神々しい。自身とサンチョの旅をアドベンチャーともクエストとも表現するが、それは実に正しい。冒険の旅は、しばしば冒険そのものが目的になる。『 アクアマン 』や『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』でも、Aという目的のためにはBというアイテムが必要、しかしそのアイテムはCという人物にしか在処が分からず、そのCはDという街に住んでいて・・・ という構造になっていたが、これは我々が慣れ親しんできたゲーム『 ドラゴンクエスト 』の典型的なパターンである。魔王を倒すでも巨人を倒すでもいい。しかし、冒険の旅というものは旅立ち、放浪し、各地を巡り、未知なる人と邂逅するだけで目的のほとんどを遂げていると言っていい。まるで人生のようだ。盲目的に自分の使命を信じるハビエルは滑稽ではあるが、リスペクトに値する。その思いにおいて、いつしか我々観る側はトビーの思いとシンクロしてしまう。ドン・キホーテという世界で最も有名な狂人を、これほどまでに血肉化させてくれたジョナサン・プライスの姿に、ますますアカデミー賞助演男優賞獲得の予感が強まった。

 

ネガティブ・サイド

ロシアのウォッカ王の迫力と言うか、貫禄と言うか、存在感がもう一つだった。財力にモノを言わせて、ある意味でとても無垢な老人を引っかけて笑い者にしてやろうという企みは、映画の作り手としても人生においても老境に入った自分を笑う人間を、さらに笑ってやろうというメタメタな構造のユーモアなのかもしれない。だが構想30年、企画と頓挫が9回にしてやっと作品が完成し日の目を見たのだから、出資者をパロディにするにしても、もう少し敬意を持ったやり方はなかったのだろうか。まあ、テリー・ギリアム御大には何を言っても無駄かもしれないが。

 

ペーシングにやや難がある。序盤のトビーの監督シーンなどはもう少し圧縮できると思われる。また、荒野を放浪するシーンや行き倒れそうになるシークエンスも、もう少し圧縮できたと思う。全体的にテンポが一定しておらず、一部のシーンでは眠気を誘われてしまった。

 

総評

ドゥルシネア姫への忠節、愛、敬慕の念で動くドン・キホーテが恐ろしくカッコ悪く、逆にそれがカッコ良く見えてくるのだから不思議なものである。そのキホーテが狂乱の喧騒から目覚める時に、確かにバトンは受け渡された。周囲の声に惑わされることなく、自らの信じる道を突き進めという、ギリアム御大の、ある意味での遺言なのかもしれない。ドン・キホーテに関する基礎的な知識が必要とされるが、冒険譚であると思えば、多少の意味不明な旅路のイベントも消化できるだろう。

 

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I feel it in my bones.

劇中で三回ぐらい使われるセンテンスである。「直感的にそれが分かる」の意で、それはしばしば直前に言及された事柄を指す。I know it in my bones. またはI knew it in my bones.とも言う。it以外を目的語に取ることも可能である。映画で用例を確認している暇はないという大多数の向きは、One Directionの“Story of My Life ”か作詞作曲エルトン・ジョン、歌唱ロッド・スチュワートの“Country Comfort ”を視聴してみてはどうだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アドベンチャー, イギリス, コメディ, ジョナサン・プライス, スペイン, フランス, ベルギー, ポルトガル, 監督:テリー・ギリアム, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 テリー・ギリアムのドン・キホーテ 』 -Let’s go crazy!-

『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

Posted on 2020年1月24日 by cool-jupiter

ブラックホール 65点
2020年1月23日 INTERNET ARCHIVEにて鑑賞
出演:マクシミリアン・シェル ロバート・フォスター
監督:ゲイリー・ネルソン

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小学校5年生ぐらいの頃、実家にあったVHSで観た。テレビでも何度か放映されたように記憶している。ずんぐりむっくりのV.I.N.CENT.がR2-D2的でとても可愛らしかった一方で、初めてマッド・サイエンティストという存在に触れたのも今作だったように思う。こちらの方が後発作品だが、『 ソイレント・グリーン 』の真相に驚かなかったのは、本作を先に観たからだと自己分析している。

 

あらすじ

地球外に新天地を求める航行に出たホランド船長(ロバート・フォスター)らクルーは、超巨大ブラックホール近傍にシグナス号を発見する。ラインハート博士(マクシミリアン・シェル)は、シグナス号で孤独にブラックホールの謎を解き明かすために研究開発をしていたというのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

謎の天体ブラックホールの姿がはじめて観測されたとのニュースが近年あったが、今作で示されるブラックホールの姿は、我々の感覚的なものに近い。科学的に正しい姿ではないかもしれないが、我々がイメージするブラックホールは、『 インターステラー 』の黒い球体ではなく、こちらの渦巻く降着円盤を備えた“穴”である。

 

またテレパシーが存在する世界観も悪くない。宇宙に飛び出すことで人類の一部が新たな環境に適応し、進化するということはありうる。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプは、本作のケイトから着想を得たものだったとしても不思議はない。

 

世捨て人かつマッド・サイエンティストのラインハート博士は『 アド・アストラ 』のトミー・リー・ジョーンズを思い起こさせる。というよりも、乗員を犠牲にし、無限の虚空で独り内的な世界に閉じこもる老科学者像という点で、彼ら二人は全く同じである。ラインハート博士は、現代においてもインスピレーションの源になっているのかもしれない。

 

本作は一部ホラー映画である。特にヒューマノイドの頭部・顔面が鏡面になっていて、「話せるのか?」と尋ねるハリーの顔が映り込む姿は、否が応にも観る側の不安と恐怖を駆り立てる。これはなかなか上手い演出である。

 

終盤のV.I.N.CENT.とマクシミリアンの一騎打ちは手に汗握る対決である。ロボットとロボットの対決としては、SF映画史においてもかなりユニークなものだろう。その後の脱出のシークエンスは山本弘に影響を与え、小説『 アイの物語 』の「ブラックホール・ダイバー」のヒントになった・・・かもしれない。

 

エンドクレジットに映るダイヤモンド・リングは、間違いなく偶然の一致だろうが、実際に撮影されたブラックホールの画像と不思議によく似ている。オープニングと同じくジョン・バリー作曲の不気味なシンフォニーが、ブラックホールという謎の天体の不可解さを最後まで際立たせている。

 

ネガティブ・サイド

子どもの頃に何度か観た時は、「スケール大きいなあ」と素直に感心できていたが、おっさんになって再鑑賞してみると「先行作品のパクリが目立つなあ」となる。パクリという表現はディズニーを刺激しかねないので、オマージュと言い換えるべきか。『 スタートレック 』『 スター・ウォーズ 』の宇宙船内の造形にそっくりだし、超弩級宇宙船シグナス号の船体をサーチライトで照らしながら、その巨大さを強調しつつ、光の当たらない闇の部分の多さを強調するのは、『 エイリアン 』の宇宙船ノストロモ号の見せ方と同じ。この船はやばいですよと視覚的に教えてくれているが、その方法は陳腐である。というか、これらもすべて『 2001年宇宙の旅 』をちょっと味付けしなおしたものだ。制作・公開当時でも、オリジナリティは感じられなかったことだろう。

 

また行進するヒューマノイドの部隊の目を避けて脱出しようとするシーンや、隊列を組んだヒューマノイドとの赤いレーザービームでの銃撃戦は『 スター・ウォーズ 』のパクリだろう。ここまでくるとオマージュではすまない。

 

またラインハート博士が生涯をかけて解き明かそうとしているブラックホールの謎のかなりの部分は、実はすでに解けているのではないか。V.I.N.CENT.もB.O.B.もマクシミリアンも半重力装置によって浮遊している。つまり、キグナス号でラインハートが開発したとされるブラックホールの重力を遮断する技術は、彼以前に発明され、実用化されている。しかも、ブラックホールの重力を遮断するどころか、それを無効化し、逆らってすらいる。クライマックスでV.I.N.CENT.がチャーリーを救い出しているのが、その証拠である。この設定、科学的な考証の破綻は当時の知識水準でも指摘できたはずだ。

 

総評

多くの優れた先行作品のおいしいところを大胆に取り入れ、その後に続く数々のSF作品に影響を及ぼしと思しき作品である。ディズニーは黒歴史にしているのかもしれないが、実験的な作品としては高いクオリティを持っていると感じる。現代のCGだらけの映像よりも、特撮は目に優しいし、実物感や実在感がある。英語リスニングに自信がある、またはストーリーをよく知っている、過去に何度も観たことがあるという人は、INTERNET ARCHIVE で鑑賞してみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I told you.

「言わんこっちゃない」、「だから言ったのに」の意味である。I told you so. とも言う。自分が注意、警告したにもかかわらず誰かがやらかしてしまった時に、心の中で唱えよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, C Rank, SF, アメリカ, マクシミリアン・シェル, ロバート・フォスター, 監督:ゲイリー・ネルソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

トップガン 90点
2020年1月22日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:トム・クルーズ
監督:トニー・スコット

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『 ティーンスピリット 』が個人的にイマイチだったので、なにか音楽+ドラマで盛り上がれそうなものをAmazonで漁っていたら、本作に行き着いた。確か親父が買ってきたVHSを一緒に観ていたら、ラブシーンを早送りされたんだったか。今年は続編も公開予定なので、ちょっと早めの復習鑑賞を。

 

あらすじ

F-14パイロットのマーベリック(トム・クルーズ)は無鉄砲な操縦を繰り返す海軍の問題児。そんな彼と相棒のグースはエリート養成機関「トップガン」に送り込まれる。他の部隊の腕利きや教官との衝突や、民間人アドバイザーのチャーリーとのロマンスを通じて、マーベリックは成長していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

本作も通算では6~7回は観ているように思う。確か二度目に観たのは大学4年生ぐらいの時で、戦闘機のカッコよさにしびれて、ゲームの『 ACE COMBAT 04 shattered skies 』を衝動的に買って、かなりハマってしまったんだった。さらにつられて、漫画『 エリア88 』や『 ファントム無頼 』も古本屋で全巻買ったんだったか。

 

MiGがA-4スカイホークなのはご愛敬。本作の面白さの一つは、戦闘機のリアルさにある。ゲームのAce Combatさながら(というか、ゲームが映画を真似ているのか)、本物の戦闘機のジェットエンジン音を使うことで臨場感が増す。そのおかげで、本物のF-14やA-4の飛行シーンと模型を使った撮影シーンが混在していても違和感がない。近年の映画では戦闘機などもCGで描かれるが、その挙動に空気感がない。空気抵抗と言ってもいい。泳ぐように空を飛ぶと言うと変だが、実際の飛行機で戦闘機動(combat maneuver)を行えば、そういう挙動になるものだ。本作はCGが発達していない1980年代の制作ゆえに逆に臨場感と迫真性が生まれている。撮影に協力したアメリカ空軍と海軍のパイロットに満腔の敬意を表したい。また、空母から飛び立つF-14を誘導するクルー、カタパルトをチェックするクルーなど、空を飛ばない人たちの存在もしっかりとフィーチャーされているところもポイントが高い。『 エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー 』の空母ケストレルからの最初の発艦シーンは、本作へのオマージュであることは間違いない。

 

酒場でのパーティーやビーチバレーなども刹那的な青春を感じさせる。いつ死ぬか分からないパイロットの生態を上手く表していると感じたし、中盤まではゲイなのかと思うほど互いにベッタリなマーベリックとグース、アイスマンとスライダーのコンビは、『 ファントム無頼 』の神田と栗原のようである。彼らの友情と衝突と別れ、そしてチャーリーとのロマンス、父の死の真相など、ドラマパートも大いに盛り上がる。それらに主に80年代のヒットソングが彩りを加えている。特に“Take My Breath Away”、“Danger Zone”、“Mighty Wings”、“Top Gun Anthem”は本作のトーンに絶妙にマッチしている。マイケル・ジャクソン以来、音楽と映像の関係は密接不可分なものに昇華したが、これほど歌と映像が見事にコラボしている作品80年代では、『 ロッキー 』シリーズの“Eye of the Tiger”と“Burning Heart”ぐらいだろうか。

 

クライマックスの空中戦の迫力と臨場感は圧巻である。友の死、父の死、そして自らの死の恐怖を乗り越えて、数で勝る敵機に立ち向かっていくマーベリックの雄姿に、アドレナリンが過剰分泌される。そしてオーバーシュートさせてからの敵機撃墜で、血圧と心拍数はマックスとなる。軍事的な考証などは考えなくていい。戦闘機映画としても、ビルドゥングスロマンとしても、音楽と映像のコラボレーションの面でも、20世紀の映画作品の中でも最高峰の一つと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

せっかく戦闘機の挙動が真に迫っているのだから、訓練や実戦の際にもパイロットやRIOにGを感じるシーンや演出が欲しかった。それがあれば更にリアリティが増したことだろう。

 

あとはMiG-28にもっと似た飛行機を採用できていれば・・・。

 

総評

頭を空っぽにして2時間楽しめる映画である。音楽もいい。40代以上なら、ノスタルジーを感じさせる楽曲が多いだろう。様々な要素を詰め込みながら、テンポが緩まず、ドラマもしっかり盛り上がる。続編の『 トップガン マーヴェリック 』も2020年7月に公開予定とのこと。Jovianは、親父を誘って観に行こうと思っている。父親が息子を誘ってもよいし、祖父が孫を映画館に連れて行ってやるのもありだろう。たとえ続編が駄作だったとしても、本作の価値はいささかも減じることはない。世代を超えて観られるべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is what I call ~

That is what I call ~ もある。「これでこそ~だ」のような意味合いで頻繁に使われる表現である。とても美味しい寿司を食べて、「これぞ寿司だ」と思ったら、

“This is what I call sushi.”

「これこそ正にアクション映画だ!」と思ったら、

“This is what I call an action movie!”

会議でブレストが上手く行っていたら

“This is what I call brainstorming.”

何度か使えば身につくので、状況に応じて使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ロマンス, 監督:トニー・スコット, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

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