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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ファンタジー

『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

Posted on 2022年10月29日 by cool-jupiter

秘密の森の、その向こう 70点
2022年10月26日鑑賞 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジョセフィーヌ・サンス ガブリエル・サンス
監督:セリーヌ・シアマ

予備知識ゼロで鑑賞。あらすじすら読まなかった。Twitter友達から勧められたからなのだが、そういう人からのお勧めは当たり率が非常に高い。

 

あらすじ

ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は両親に連れられ、祖母が住んでいた森の中の一軒家を片付けに来る。しかし、母は自分の母を喪失した悲しみから、家を出て行ってしまう。残されたネリーは森を散策するうちに、母と同じ名前の少女マリオン(ガブリエル・サンス)と出会い、友達になる。ネリーはマリオンの家に招かれるが・・・

ポジティブ・サイド

何とも言えない余韻を残す作品。鑑賞中に思い浮かんだのは『 思い出のマーニー 』と『 リング・ワンダリング 』の二作。時を巡る、そして自らのルーツに図らずも迫ってしまう物語である。

 

BGMはほとんどない。しかし、それが使われる際の情景の美しさとキャラクターの心象風景とのマッチング具合は素晴らしいの一言。キャラクターも少なく、さらに台詞も多くない。台詞が発されたとしても、多くの場合は何らかの比喩というか婉曲的な表現が多く、それが観る側をぐいぐいと惹きつける。フランスといえば少ない登場人物にもかかわらず読者を翻弄するミステリの良作を生み出す国だが、映画でもその技法は存分に活かされている。

 

母マリオンが姿を消した直後に現れる、母と同じ名前の少女マリオン。ネリーとマリオンの子ども同士の無邪気な交流が、いつしか魂の交感にまで昇華される。普通なら2時間はかかりそうなものだが、シアマ監督は70分でそれをやってのける。ここまで研ぎ澄まされた演出と編集は見たことがない。

 

「人はいつか死ぬ。早いか遅いかだけだ」とは『 もののけ姫 』のジコ坊の言。死ぬ時期を知ってしまうというのはシビア極まりないことだが、同時に確実に出会える人間がいるのだ、という希望にもなる。なるほど、これは男を主軸にしては作れない物語。男の自分でも心揺さぶられるのだから、女性視点ではどうなるのだろう。有休を使って一人で観に行ったことがある意味で悔やまれる佳作だ。

ネガティブ・サイド

ネリーとマリオンはなかなか見分けがつかない。双子のキャスティングというのは吉とも凶とも出るが、今作ではその中間ぐらいだろうか。

 

ネリーの父が、終盤の手前でネリーとマリオンの両方に出会うシーン。ここにマリオンを連れてこず、ネリーと父との会話だけでもう一日だけ滞在を延ばす(予定の繰り上げをやめる、が正しいか)ようにすれば、さらにファンタジー色が強まっただろうと思う。

 

総評

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』を鑑賞した時に近いインパクトがあった。フランス映画はたまにこういう静謐な傑作を送り出してくる。『 トップガン マーヴェリック 』では疑似的な父と息子の関係作りに失敗したマーヴェリックが、ペニーとアメリアの母と娘の関係性から学ぶ姿が印象的だったが、本作はもっと直接的に母と娘の関係性に切り込んでいく。父と息子というのは『 オイディプス王 』の時代からの古典的テーマであるが、本作は母の母と、母の娘という対極的なテーマの古典になりうる力を秘めている。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

Excusez-moi

エクセキューゼ・モワという感じの発音。英語で言うところの Excuse me. で、軽めの謝罪であったり、あるいはちょっと話しかけたり、ちょっと通らせてもらったり、といった時に使える。日本語の「すいません」に相当するのだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』
『 天間荘の三姉妹 』

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, ガブリエル・サンス, ジョセフィーヌ・サンス, ファンタジー, フランス, 監督:セリーヌ・シアマ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

『 LAMB/ラム 』 -神話を大胆に読み替える-

Posted on 2022年10月10日2022年10月10日 by cool-jupiter

LAMB/ラム 70点
2022年10月9日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ノオミ・ラパス ヒナミル・スナイル・グブズナソン
監督:バルディミール・ヨハンソン

今年の頭ぐらいから気になっていた作品。劇場に赴くと、9割ほどの入りという大盛況でビックリした。

 

あらすじ

人里離れた山中で暮らす羊飼い夫婦のマリア(ノオミ・ラパス)とイングヴァル(ヒナミル・スナイル・グブズナソン)。ある日、二人は羊の出産の手助けをしていた。順調なお産だったが、一頭の羊が奇妙な子どもを生んだ。二人はその羊の子を密かに育て始めるが・・・

以下、ネタバレと個人的な物語解釈あり

 

ポジティブ・サイド

2017年にカナダのアルバータ州に旅行で赴いたが、そこで目にした山の景色と本作で目にする山の景色が非常によく似ている。緯度が近いからだろうか。荒々しい自然はまさに wilderness と呼ぶにふさわしい。そこで生きる羊飼いの夫婦に起きる怪異。雰囲気としては『 ウィッチ 』に近い。 

 

Jovianは国際基督教大学で宗教学専攻(キリスト教専攻ではなかったが)だったので、どうしても本作は聖書的な世界観で構築されたものとして観てしまう。すなわち、イングヴァル=アダム、マリア=イヴである。失楽園後の二人が荒涼たる辺境の大地で羊飼いをしているというイメージである。

 

あるいはマリア=聖母マリア、イングヴァル=アベル、イングヴァルの弟ペートゥル=カインのように考えてしまう。もちろんマリアが処女懐胎するわけでもないし、ペートゥルがイングヴァルを殺害するわけでもない。しかし、第2章以降の人間関係からはどうしてもカインによる兄アベル殺しの物語を想起せずにはおれない。

 

何故だか生まれてしまった半羊半人の子どもにアダと名づけ、育てるイングヴァルとマリアの姿に寒々しさを感じるのは、背景のアイスランドの山々のせいばかりではない。マリアが見せる羊飼いにあるまじきとある行動や、あるいはアダが身に着ける衣服の原料が〇〇であったりと、本作が象徴するのは聖書的な世界だけではないことが徐々にあらわになってくる。

 

最終盤でマリアから”観客に対して”向けられる射貫くような目線に、我々は凍り付く。飼われる側、毛を利用される側、命を奪われる側だった羊と人の立場が一気に逆転する。「ああ、これは壮大なイサク献供物語の逆バージョンなのか」と、Jovianはひとり茫然自失した。人間が羊を食い物にしていいのなら、羊が人間を食い物にしてはいけない理由など見当たらない。何とも秀逸な寓話である。

 

ネガティブ・サイド

R15指定なので、何か強烈なシーンでもあるのかと思ったが、映し出されたのは夫婦の営み。この場面は不要、カットしてよかった。

 

アダと羊たちとの交流のようなシーンが欲しかった。特に birth mother との出会いや触れ合い、その光景に心ざわめくマリアやイングヴァルのような画があれば、このダーク・ファンタジーにもっとサスペンスが生まれたものと思う。

 

シェパード犬はそれなりに出番を与えられたが、猫は意味ありげに窓辺にたたずむだけ。もっと、猫特有の本能が発揮される場面を構想できたはず。あるいは飼い猫とアダの交流も描いてほしかった。

 

総評

北欧ダーク・ファンタジーの秀作。『 ボーダー 二つの世界 』には及ばないが、『 ハッチング -孵化- 』よりも上であると感じた。様々に解釈できるという意味で、repeat viewing も可能だ。劇場は大賑わいで、照明がついた瞬間からあちこちで「あれは✖✖✖か?」、「これって△△やんな?」などと口々に意見や考察を交換し合っていた。しかも若い観客たち。始めは軽めのホラーで彼女に「キャッ!」と言わせたい軽佻浮薄な輩たちかと思っていたが、シリアスな映画ファンが集っていたようだ。さあ、秋の夜長に本作でも鑑賞して、現代文明を批判するか、あるいは自らのライフスタイルを省みるか。非常にチャレンジングな作品がアイスランドから届いた。

 

Jovian先生のワンポイントアイスランド語レッスン

ヤー

劇中で何度か聞こえてくる。意味は「はい」、英語なら Yes の意。アイスランド語の「はい」はドイツ語と同じでヤーらしい。ちなみに No はネイと聞こえた。これは古い英語の Nay と同じなのだろうか。 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 ソングバード 』
『 千夜、一夜 』

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アイスランド, ノオミ・ラパス, ヒナミル・スナイル・グブズナソン, ファンタジー, ポーランド, 監督:バルディミール・ヨハンソン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 LAMB/ラム 』 -神話を大胆に読み替える-

『 夏へのトンネル、さよならの出口 』 -もう少しオリジナリティを-

Posted on 2022年9月11日 by cool-jupiter

夏へのトンネル、さよならの出口 60点
2022年9月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:鈴鹿央士 飯豊まりえ
監督:田口智久

半日出勤の後、昼寝。その後ふらりと近所の映画館に赴き、タイトルだけでチケット購入。素材は良いと感じたが、料理する側のスキルが平々凡々だったという印象。

 

あらすじ

そこに入ると欲しいものが何でも手に入るというウラシマトンネル。しかし、代償として100歳老化してしまうという。過去のある出来事がトラウマになっている塔野カオル(鈴鹿央士)は、自暴自棄になって家を飛び出したある夜に、偶然にもウラシマトンネルを発見する。そこは時間の流れが外界とは全く異なるトンネルだった。カオルは転校生の花城あんず(飯豊まりえ)とトンネルを調査するための共同戦線を結び・・・

ポジティブ・サイド

原作小説は未読だが、ウラシマトンネルという設定は悪くない。時間を一つのテーマにするのはクリストファー・ノーランのような大巨匠も好むところである。本作はタイトルからして『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』のは明らか。原作もラノベらしいので、まず間違いなくボーイ・ミーツ・ガールだろうと予測した(100人いれば97人はそう予測するはず)。

 

アニメーションは美麗である。キャラもゆらゆらと揺れたりしないところは個人的に気に入った。随所に挿入される山や海、そして空の景色の美しさが、鬱屈したカオルとあんずの心象風景とは真逆で、二人がこの世界に馴染めていないことを静かに、しかし確実に印象付けた。

 

ウラシマトンネルを調査するシークエンスは面白かった。通話しながら境界線の位置を測ったり、時間の流れの違いを数値化したり。特に時間の境界線の内側から外側を見た時の視界は、なかなかにSF的だった。ガラケーが重要なアイテムになっていて、懐かしさを感じた。スマホだと、映像を録画したり、それを配信したりできてしまうので、時代設定は適切だった。

 

カオルとあんずのつかず離れずの距離感がもどかしくもありながら、同時に好ましくもあった。水族館でのデートで、ジンベエザメが陰と陽になって混ざり合いそうになり・・・というシーンは、二人の行く末の暗示として上手い演出だったと感じる。『 君の名は 』っぽさがありつつも、『 ナビゲイター 』的な終わり方にも好感が持てた。

ネガティブ・サイド

オリジナリティの無さには感心しない。色々ありすぎて頭が痛いが、「なんじゃこりゃ」とガッカリさせられたのは『 新世紀エヴァンゲリオン 』の綾波レイの「どいてくれる?」のまるパクリ。いや、別に監督の好みでも脚本家の好みでも何でもいい。ただ、このようなオマージュは、やるならやるで徹底的にやるべき。カオルの左手の位置はそこではないだろう。『 インターステラー 』や『 ほしのこえ 』へのオマージュも、やるならもっと徹底的にすべし、だ。

 

あんずの造形および性格が一部の層に媚びすぎている、というのはJovian妻の言。Jovianも同意する。黒髪ロングのクール系美少女がだんだんと打ち解けてくるのは、ステレオタイプでしかない。カオルとあんず、二人とも声に「演技力」がないので、キャラに深みが生まれないのもマイナス要素だ。

 

疑問なのは、単線電車の走る田舎町で、クラスメイトもカオルとあんずがあーだこーだというゴシップに興じるほど情報伝播の速い。にもかかわらず、二人が頻繁に踏切で出会い、線路を歩いていく姿が目撃されなかったのだろうか。

 

総評

時間と漫画を巡る不思議な物語という意味では『 リング・ワンダリング 』のようであり、夏と時間を巡る物語という点では『 永遠の831 』とも共通するところがある。批判すべき点も多いが、90分弱でコンパクトにまとめられていて、非常に観やすい。高校生、大学生のデートムービーにはちょうどいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

flip

フィギュアスケートでたまに聞こえる語。意味は「引っくり返す」である。映画では懐かしのガラケーが重要なアイテムになっていたが、これは英語で flip phone と言う。モニター部分がカパッと開いたり閉じたりするところが、flip になっているからである。英検1級受験者なら、二次試験で試験官に “Now, flip over the card and put it down.” と言われたことがあるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:田口智久, 配給会社:ポニーキャニオン, 鈴鹿央士, 青春, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 夏へのトンネル、さよならの出口 』 -もう少しオリジナリティを-

『 マインド・ゲーム 』 -This Story Has Never Ended-

Posted on 2022年8月24日2022年8月24日 by cool-jupiter

マインド・ゲーム 75点
2022年8月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:今田耕司 前田沙耶香 藤井隆
監督:湯浅政明

『 犬王 』以来、ずっと観たいと思っていた本作を、ついに借りることができた。脳が溶けるような映像&物語体験であった。

 

あらすじ

幼なじみにして初恋の相手みょんちゃん(前田沙耶香)に再会した西(今田耕司)は、みょんちゃんの父親の借金の取り立てにきたヤクザに射殺されてしまう。あの世で神に出会った西は、神の言いつけに逆らって、現世に舞い戻るが・・・

 

ポジティブ・サイド

今田耕司の声だけで笑ってしまうが、物語自体も極めてクレイジーとしか言えない。幼馴染にして初恋の相手、中学の時には両想いになれたのに真剣交際に発展せず。あれよあれよという間にみょんは別の男と付き合い始め、cherry pop ・・・ 哀れ、西は漫画家を目指す。

 

20歳にして偶然にみょんと再会する西だが、みょんにはやはり他に男が。しかも婚約者。もうこの時点でヘタレの西に感情移入するしかない。さらにみょんの実家での西の妄想というか、手前勝手な思考回路はまるで『 君が君で君だ 』の尾崎豊(偽物)を思い起こさせる。Jovianはここで西に同化してしまった。自分でも同化している・・・ではなく、どうかしていると思うが、この西の物語を見届けたい、見届けなければならないという気分にさせられた。

 

ビックリするのは、その次の瞬間にあっさりと西が死んでしまうこと。正確には殺されるわけだが、まず殺される直前の緊迫した空気に戦慄させられる一方で、西の殺され方には不謹慎にも笑ってしまう。このテンションのジェットコースター的な上がり下がりが、物語の全編を通じて続いていく。

 

ストーリーは荒唐無稽もいいところだが、これらは全て西の人生観や世界観のメタファーだ。クジラはどう見ても西の胎内回帰願望だろう。母の子宮内で胎児でいることほどストレスフリーな生き方はない。騒音もなく、常にぬるま湯の中。呼吸をする必要もなく、食事を自分で用意する必要もない。しかし、そんな安楽な環境にいつまでもいられるはずはない。人は常に生み出されなければならない。西にもその時が来る。

 

本作のメッセージは、あまりにもストレートだ。死んだ気になれば、いつでも生まれかれるということだ。絵柄も独特、ストーリーも独特、キャラも独特。何もかもが既存のアニメや既存の映画という枠に囚われない、非常に自由な湯浅政明色の演出に染められている。さあ、脳が溶けてしまうようなトリッピーな映像世界を味わおうではないか。

 

ネガティブ・サイド

西とみょんちゃんのセックスシーンは、もっと婉曲的に描けなかったのだろうか。二人の身体が重なり合うところをもっと抽象的に描く方法はあったはず。機関車=ピストン運動のような非常に直接的かつ間接的案、もっと記号的な形で西とみょんのまぐわいを描く方法を湯浅監督には模索してほしかった。

 

ところどころでキャラクターが実写化されるのはノイズに感じた。島木譲二がヤクザの親分とか、笑えるのは笑えるが、それは面白いから笑っているのではなく、「しゃーないな」と思って笑っているのである。

 

総評

なんというか、『 トップガン マーヴェリック 』を鑑賞し続けているせいか、本作を観て “Don’t think. Just do.” という言葉が思い出された。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

kick one’s ass

「しばく」の意。標準語にするなら「ぶん殴る」か。俗説だが、アメリカ人はストリートファイトであっても蹴ることはあまりない。蹴るのは卑怯で、闘うなら拳だろうと思われているらしい。なんにせよ、kick one’s ass を能動態で日常会話で使うことはあまりないはず。実際は I got my ass kicked. = ぼろ負けした、のように受け身で使うことが多いだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, コメディ, ファンタジー, 今田耕司, 前田沙耶香, 日本, 監督:湯浅政明, 藤井隆, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 マインド・ゲーム 』 -This Story Has Never Ended-

『 夜は短し歩けよ乙女 』 -Time flies when you’re having fun-

Posted on 2022年8月9日 by cool-jupiter

夜は短し歩けよ乙女 70点
2022年8月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:星野源 花澤香菜
監督:湯浅政明

 

『 四畳半神話大系 』同様に、原作が森見登美彦、監督は湯浅政明。青春の儚さと濃さを幻想的に描く異色のアニメである。

あらすじ

「黒髪の乙女」(花澤香菜)に恋する「先輩」大学生の私(星野源)は、可能な限り偶然を装って黒髪の乙女の目に留まろうと努力を重ねる。しかし、乙女は酒や本を求めて夜の木屋町を徘徊する。私はなんとか彼女の目に留まらんと奮励努力するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 四畳半神話大系 』とも共通するが、京都の町、それもごくごく狭い範囲の空気をよく伝えている。Jovianはその昔、烏丸御池を勤務地としていたので、あのあたりの地理や空気をそれなりに理解していると自負するが、京都出身ではない湯浅政明監督がこれだけ京都(京都府でも京都市でもない、京都人の脳内地図の赤いエリア)をこれだけアニメで再現できるということに脱帽するしかない。

 

一夜の中で繰り広げられる先輩と乙女の経験する奇想天外なイベントの数々が極彩色で描かれる。はっきり言ってアホとしか言えない出来事のオンパレードなのだが、若さとはそもそも愚かさでもある。そして恋は愚かでないとできない。あるいは恋を人は愚かにする。ナカメ作戦(なるべく 彼女の 目に留まる の頭文字を取った作戦)など愚の骨頂であるが、それを我々が笑えるのは、自分がまさにそうだったからに他ならない。この対象と自分との距離感が森見登美彦作品の特徴である。ハマる人はドハマりするのだ。

 

一夜の出来事というのはもちろん若さのメタファーで、その若さをどのように過ごすのかが本作のテーマである。乙女の時計の進みが遅く、その他のキャラ、特に高齢者の時計が恐るべき速さで時を刻むのは、それだけ過ごしている時間の密度の差があることを意味している。高速で動くと時の進みが遅くなるというのは相対性理論だが、乙女は常に動き回っている。そしてそれを追いかける先輩も。あるいは文系もしくは文系上がりならアンリ・ベルクソンの純粋持続を思い出そう。夜は短しと言いながら、濃密な時間がそこにはある。

 

もちろん衒学的な理屈などこねずとも、本作の面白さは十分に堪能できる。火鍋のシーンの意味不明なまでのテンションや、古本市で聞かれる古本の神の長広舌など、理屈抜きで面白いシーンがたくさんある。原作ではそれぞれ独立していたエピソードを上手く一夜にまとめた脚本の勝利でもある。森見ファンはぜひ観よう。湯浅ファンもぜひ観よう。

 

ネガティブ・サイド

原作もそうなのだが、乙女に対するセクハラ描写は必要なのだろうか。

 

ミュージカルのシークエンスが少しダレていたと感じた。また歌唱のレベルもミュージカルのそれではない。もちろん素人が素人劇をやっているのだが、それでももう少しミュージカルであることそれ自体にエンタメ要素を持たせてほしい。

 

後は星野源の声の演技か。上手い下手ではなく、先輩のイメージに合わなかった。ジョニーの声が『 四畳半神話大系 』と同じなら、先輩の声も浅沼晋太郎で良かった。もしくはジョニーの声優を変えるべきだった。

 

総評

『 四畳半神話大系 』と同じく、森見登美彦の恋愛哲学と湯浅政明の世界観が華麗に融合している。『 四畳半タイムマシンブルース 』も湯浅政明に監督してもらいたかったが、異なるテイストで森見作品を料理してほしいという気持ちもある。何はともあれ、自意識過剰なアホ大学生(別に中学生でも高校生でも社会人でもいい)に感情移入できるなら、青春の濃さと儚さを本作を通じて体験してみよう。オッサンにもお勧めしたい。「ああ、俺もこうやったわ」と青春を振り返ってしまうこと請け合いである。

 

Jovian先生のワンポイントラテン語レッスン

Ars longa vita brevis.

正式には Ars longa est, vita brevis est.  be動詞に当たる est が省略されているが、古典ラテン語にはよくあること。元々は Art is long, life is short. = 技術は長く、人生は短い = 技術の習得には長い時間がかかるのに、人生は短いという意味だったが、英語では 美術・芸術は長く、人生は短いと解釈されるようになった。『 ゲティ家の身代金 』を観ると、確かにそうなのかもしれないと思わされる。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ファンタジー, 日本, 星野源, 監督:湯浅政明, 花澤香菜, 配給会社:東宝映像事業部Leave a Comment on 『 夜は短し歩けよ乙女 』 -Time flies when you’re having fun-

『 アクセル・フォール 』 -スリラーに徹すべし-

Posted on 2022年7月24日 by cool-jupiter

アクセル・フォール 30点
2022年7月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シャーロット・ベスト
監督:アンティーン・ファーロング

夏と言えばホラーまたはスリラー。『 TUBE チューブ 死の脱出 』のようなシチュエーション・スリラーかなと思い、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

アリア(シャーロット・ベスト)が目覚めると、そこは超高層ビルのエレベーター内だった。エレベーターの扉は開かず、急激な下降と上昇を繰り返してアリアを痛めつける。誰が?何のために?謎が謎のままに、エレベーターのモニターにはアリアの父が拷問を受ける映像が映り・・・

 

ポジティブ・サイド

エレベーターは密室でありながら、動くという特徴を持つ。地震の多い日本という国では、エレベーター内に閉じ込められるというのは現実的な恐怖として感じやすい。その意味で、アリアの置かれた状況を我が事のように感じられた。

 

アリアの父の拷問シーンも、観ていて結構痛い。やはり低予算映画が力を入れるべきは、高額な役者や美麗なCGではなく、苦痛の表現だ。アリア自身も結構痛めつけられるが、観ていて本当に自分でも脳震盪を起こしそうに感じた。

 

状況が全く不明なままアリアが痛めつけられ、スマホに残る謎のメッセージや、モニターに映る父の様子など、序盤のミステリ要素とサスペンスの風味はなかなかのもの。シチュエーション・スリラーというジャンルは、序盤だけは面白さは保証されている。

 

ネガティブ・サイド

原題は Rising Wolf = 立ち上がる狼ということで、このタイトルならそもそも借りなかった。やはりアリアに訳の分からない超能力があった、という設定が本作を一気に駄作に落としている。

 

エレベーターの急降下でアリアが気絶するたびに謎の回想シーンが入るが、これが物語のテンポを悪化させている。回想シーンそのものに面白さというか、様々な謎を解く鍵、あるいはさらに謎を膨らませる要素があればよかったが、それも無し。その代わりにアリアには双子の妹ザラがいて、二人そろって謎の超能力があり、父親はCIAのエージェントで・・・って、色々と詰め込みすぎ。

 

まず超能力の設定が不要。なおかつ、その超能力が本当に超がつくようなむちゃくちゃな能力。サスペンス要素を盛り上げたいなら、アリアの能力は通信あるいは何らかの感知・検知能力にすべきだろう。エレベーターという密室で最も必要になるのは、まずは情報。その情報を得るには、外部と通信するか、または自ら感じ取ることが必要。備え付けの電話やスマホが使えなくなった。そこで過去の回想で、ザラや、あるいは両親とテレパシーでコミュニケーションしていた。あるいは、壁の向こう側が見えたり、遠いところの音や声が聞こえたりといった経験が思い出されて・・・という展開なら、まだ分かる。超能力自体が的外れな上に、それがエレベーターという密室と上手にリンクしないのはマイナスである。

 

悪役がロシア人というのはある意味でタイムリーであるが、「エンジニア」なる謎の存在を探すというのがクリシェだし、エレベーター内のモニターが切れている時だけ、アリアが叔父のジャックと通話できるというのも都合が良すぎて、すぐにピンとくる。特にゲームの『 メタルギアソリッド2 』や『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』をプレーしたことがあれば「これはアレか」となるだろう(ジャックが実在するかどうかではなく、ジャックの正体は誰なのか、という点で)。

 

覚醒したアリアはまさに Rising Wolf のタイトルにふさわしいが、何だろうか、この「私の戦いはまだ始まったばかり」感満載の終わり方は・・・ 続編作る気満々に見えるが、今どきのジュブナイル小説でも、もっとちゃんとしたプロットを組み立てるだろう。サイキックパワーやらタイムトラベル、原子分解から原子再構成までやりたい放題やったのだから、いさぎよく一作で完結しておくべきだろう。まあ、これの続編にカネを出そうというスポンサーはいないだろうが。

 

総評

オーストラリア発の珍品である。クオリティとしては、毎年夏になると出てくる珍品ゾンビ映画、あるいは珍品サメ映画と変わらない。超能力ものは嫌いではないが、それは超能力が世界観とマッチするときだ。配信やレンタルショップで目にしても、視聴はお勧めしない。視聴するなら自己責任でどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rising

いわゆる分詞の形容詞的用法というやつである。意味は「立ち上がる」、「上昇する」など。Rising Star = 人気や知名度が上昇中のスター、The Land of the Rising Sun = 日出ずる国など、多少英語を勉強した人なら馴染み深い分詞だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, オーストラリア, シチュエーション・スリラー, シャーロット・ベスト, ファンタジー, 監督:アンティーン・ファーロング, 配給会社:AMGエンタテインメントLeave a Comment on 『 アクセル・フォール 』 -スリラーに徹すべし-

『 四畳半神話大系(DVD) 』 -原作小説の秀逸な分解・再構成-

Posted on 2022年7月9日 by cool-jupiter

四畳半神話大系 80点

2022年7月4日~7月5日に視聴

出演:浅沼晋太郎 坂本真綾 吉野裕行

監督:湯浅政明

 

本業の大学関連業務で忙殺されているので簡易レビューを。


あらすじ

薔薇色のキャンパスライフを夢見る「私」(浅沼晋太郎)は、大学の様々なサークルから勧誘を受ける。だが、どのサークルに所属しても小津(吉野裕行)という悪友に出会い、黒髪の乙女との交際は遠のいてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

原作小説のテンポの良さはそのままに、浅沼晋太郎が「私」に見事に生命を吹き込んでいる。坂本真綾も、どこか冷笑的だが人間味のある明石さん役を好演。悪童・小津を演じた吉野裕行の愛の込められただみ声も印象深い。

 

小説中の様々なエピソードを見事に膨らませ、様々なサークルに所属しながら無為で無意義な大学生活を繰り返してしまうという原作ストーリーの根幹部分をうまく補強している。

 

オープニングの下鴨幽水荘のループ的な映像演出が素晴らしい出来映えで、各話の冒頭からエンディングまでの流れが一種の様式美にまで昇華している。各キャラクターの動きを最小限に抑えていることが、逆に小説の静的なイメージとも共通していて良い感じ。

 

最終11話の出来が特に秀逸。確かに英訳が The Tatami Galaxy になるのもうなずける。

 

小津の「藪用」が野暮用になっていた。Nice correction.

 

ネガティブ・サイド

天の采配はそのままだった・・・

 

総評

小説『 四畳半神話大系 』のアニメ化で、『 犬王 』の湯浅政明が監督。『 四畳半タイムマシンブルース 』の予習にと再鑑賞したが、全4章の原作を11エピソードのアニメに巧みに分解・再構成している。一つひとつはぶつ切りかつ独自のエピソードだが、順番通りに見ることが大きな意味を持つようになっている。小説を読んだ人は、ぜひ映像でも楽しもうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

maze

「迷宮」の意。『 キラー・メイズ 』でもメイズという言葉が使われているように、入り組んだ構造のことを指す。対照的に、labyrinth = ラビリンスは『 迷宮物語 』のラビリンス*ラビリントスのように、入る(そして出る)箇所が一つに絞られるような迷路を指す。もう一つよく言われるのは、メイズもラビリンスも迷路だが、屋根がないものがメイズ、屋根があればラビリンスだというもの。昔、同僚ネイティブに maze と labyrinth の違いを尋ねたが、彼は呻吟するばかりであった。その後、「癇に障る」と「癪に障る」の違いは何だ?「桁外れ」と「桁違い」の違いは何だ?と反撃された。英語マニアだけが知っていればいい違いと言えるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, アニメ, ファンタジー, 吉野裕行, 坂本真綾, 日本, 浅沼晋太郎, 監督:湯浅政明, 青春Leave a Comment on 『 四畳半神話大系(DVD) 』 -原作小説の秀逸な分解・再構成-

『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

Posted on 2022年7月2日 by cool-jupiter

四畳半神話大系 90点
2022年6月15日~6月29日にかけて読了
著者:森見登美彦
発行元:角川文庫

『 ペンギン・ハイウェイ 』のレビューで本作を読み返すと誓っていたが、ここまで遅くなってしまった。仕事で京都の某大学の課外講座を受け持つことになり、その期間中に地下鉄烏丸線や叡山電鉄の車内で本書を読むという、ちょっと贅沢な楽しみ方をしてみた。

 

あらすじ

薔薇色のキャンパスライフを夢見ながら2年間を無為に過ごしてしまった私は、その原因をサークル仲間の小津に帰していた。黒髪の乙女との交際を夢想する私は「あの時、違うサークルに入っていれば・・・」と後悔するが・・・

 

ポジティブ・サイド

多分、読み返すのは4度目になるが、何度読んでも文句なしに面白い。その理由は主に3つ。

 

第一に、文体が読ませる。京大卒の小説家と言えば故・石原慎太郎をして「使っている語彙が難しすぎる」と評された平野啓一郎が思い浮かぶが、森見登美彦の文章にはそうした難解さがない。まず地の文が軽妙洒脱でテンポが良い。各章冒頭の「大学三回生の春までの二年間」から「でも、いささか、見るに堪えない」までのプロローグはまさに声に出して読みたい日本語である。

 

第二に、キャラクターが個性的かつ魅力的である。どこからどう見てもイカ京(近年ではほとんど絶滅しているようだが)の「私」の、良い言い方をすれば孤高の生き様、悪い言い方をすれば拗らせた生き方に、共感せずにいられない。言ってみれば中二病=自意識過剰なのだが、そこは腐っても京大生。衒学的な論理を振りかざして、必死に自己正当化する様がおかしくおかしくてたまらない。また、悪友の小津、樋口師匠、黒髪の乙女の明石さんなど、誰もがキャラが立っている。濃いキャラと濃いキャラがぶつかり合って、そこから何故か軽佻浮薄なドラマが再生産されていく。かかるアンバランスさ、不可思議さが本書の大いなる魅力である。よくまあ、こんな珍妙な物語が紡げるものだと感心させられる。

 

第三に、パラレル・ユニバースの面白さがある。流行りの異世界ではなく並行世界を描きつつ、各章ごとに互いが微妙に、しかし時に大きく相互作用しあう組み立ては見事としか言いようがない。今回は電車の中だけで読むと決めていたが、初めて読んだときは文字通りにページを繰る手が止まらなかった。薔薇色のキャンパスライフを求め、黒髪の乙女との交際を希求する「私」の狂おしさがことごとく空回りしていく展開には大いなる笑いと一掬の涙を禁じ得ない。「私」と自分を重ね合わせながら、あの時の自分がああしていれば、それともこうしていれば・・・と後悔先に立たず。今ここにある自分の総決算を自ら引き受けるしかないのである。

 

四畳半の神話的迷宮から脱出した「私」がたどり着いた境地とは何か。読むたびに世界の奥深さと人生のやるせなさ、そして気付かぬところに存在する矮小な、しかし確かに存在する愛の切なさを痛切に味わわせてくれる本書は、SFとしても青春ものとしても、珠玉の逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ケチをつけるところがほとんどない作品だが、言葉の誤用が見られるのが残念なところ。藪用は「野暮用」の誤用だし、天の采配も「天の配剤」の誤用である。

 

総評

Jovianは現役時に京都大学を受験し、見事に不合格であった。それから四半世紀になんなんとする今でも、時々「あの時、京大に合格できていれば・・・」などと夢想することがある。アホである。Silly meである。だからこそ、あり得たかもしれない自分の姿を思う存分「私」に投影してしまう。常に変わらぬ青春がそこにある。下鴨幽水荘≒吉田寮≒国際基督教大学第一男子寮である。アホな男子の巣窟で青春の4年間を過ごした自分が「私」とシンクロしないでいらりょうか。複雑玄妙な青春を送った、送りつつある、そしてこれから送るであろうすべての人に読んで頂きたい逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sidekick

親友、相棒の意。「私」にとって小津は腐れ縁の悪友だが、客観的に見ると親友だろう。best friend や close friend という言い方もあるが、小津のような男は sidekick と呼ぶのがふさわしい。英語の中級者なら、sidekick という語は知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, S Rank, SF, ファンタジー, 日本, 発行元:角川文庫, 著者:森見登美彦, 青春Leave a Comment on 『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

Posted on 2022年6月26日2022年6月26日 by cool-jupiter

犬王 80点
2022年6月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アヴちゃん 森山未來
監督:湯浅政明

 

会社の同僚が激しく心揺さぶられたと評した作品。振休を使って、梅田ブルク7に向かう。平日の昼間で公開から3週間経過しているにも関わらず、半分近くの入りで驚いた。

あらすじ

南北朝の統一前夜、奇形児として生まれた犬王(アヴちゃん)は、独自に猿楽を学ぶ。ある日、犬王は草なぎの剣の呪いによって盲目となってしまった琵琶法師の少年・友魚(森山未來)と出会う。犬王の異形の姿が見えない友魚は、すぐに犬王と意気投合。二人は独自の楽曲と舞踊で、たちまち都の話題を呼び・・・

 

ポジティブ・サイド

三種の神器によって呪われてしまった友魚と、とある人物からの呪いをその身に受けて異形の身体に生まれてしまった犬王。社会や家族から cast out された二人が織りなす楽曲の斬新さが目を引く。鎌倉時代には絶対にありえない演出がふんだんに施されていて、二人のライブが類まれなるスペクタクルになっている。猿楽を現代のロック調に再解釈し、歌詞は当時のものさながらに、新たなエモーションを乗せることに成功している。また光による演出も映画館で鑑賞するにふさわしく、eye-candy である。個人的にはクジラの歌と演出が最も心に残っている。

 

同時に、二人の楽曲が平家の亡霊の鎮魂歌になっているという設定がユニーク。忘れがちであるが、平安以降の日本はほとんど常に乱世で、それだけ人の死が身近にあった時代。なおかつ、娯楽もなく、さりとて一般庶民が文字として記録されたり、あるいは何かを記録する時代でもない。そこから『 図書館戦争 』や『 罪の声 』の脚本を務めた野木亜紀子の主張が垣間見える。いつの世であっても、最も救済が求められるのは名もなき無辜の民や、歴史の闇に葬り去られる運命の敗者たちなのである。

 

パフォーマンスが成功するたびに犬王の異形の身体が少しずつ普通になっていく。また友魚も名を友有と変え、自分の一座を持つ。時の将軍、足利義満の御前での仮面なしのパフォーマンスも成功に導き、順風満帆な二人だったが、好事魔多し。その将軍の意向により、二人は窮地に追いやられてしまう。この展開の辛さよ。虐げられてきた自分たちのパフォーマンスが虐げられてきた者たちを救ってきたにもかかわらず、為政者は事故の権力の正当化に汲々とするばかり。600年前も今も、権力者と庶民の関係は変わらないのか。

 

ちょうど大河ドラマで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉政権内のゴタゴタに焦点が移っているところである。これが上手い具合に劇中の平家の滅亡と南北朝統一を推進する足利幕府内部のゴタゴタとシンクロしている。同時に、多様性や包摂を謳いながらも、それが出来ない現代日本社会、さらに政権にとって都合の良い歴史の主張など、時代劇でありながら現代風刺になっている。アニメとしてもミュージカルとしても、近年では出色かつ異色の出来の邦画である。多くの人に鑑賞いただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

犬王に関しては想像力を自由に働かせる余地があるものの、ストーリーにオリジナル要素が足りなかった。手塚治虫の漫画『 火の鳥 太陽編 』にそっくりだと感じた。

 

明らかに『 ボヘミアン・ラプソディ 』にインスパイア・・・というかパクったシーンが終盤にある。いや、中盤にもあるのだが、そこはオマージュと受け取れた。が、最終盤のステージ入りのシーンはオマージュとは言えないような気がする(楽曲の方も厳密にはアウトかもしれない)。

総評

Jovianは洋画のサントラは結構たくさん持っているが、邦画は久石譲以外持っていなかったりする(ミーハーの誹りは甘んじて受ける)。そんなJovianが「これはサントラを買わねば!」と強く感じたのが本作である。虐げられ歴史に抹殺された者たちが、時を超えて訴えかけてくるメッセージには確かに心揺さぶられずにはおれない。

そうそう、予告編で『 四畳半タイムマシンブルース 』が9月に公開されると知り、非常に興奮した。めちゃくちゃ楽しみである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Once upon a time

「今は昔」の意。スター・ウォーズの始まりもこれである。他にも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』など、割と使用頻度は高いように思う。B’zも『 once upon a time in 横浜 〜B’z LIVE GYM’99 “Brotherhood”〜 』 というDVDを昔、出していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, アヴちゃん, ファンタジー, ミュージカル, 日本, 森山未來, 歴史, 監督:湯浅政明, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

Posted on 2022年5月20日 by cool-jupiter

ザ・メッセージ 60点
2022年5月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベラ・ソーン リチャード・ハーモン
監督:スコット・スピア

近所のTSUTAYAで目についたので準新作をレンタル。塚口サンサン劇場で『 スターフィッシュ 』のポスターを見て「おお、DVD出てるやんけ」と勘違いして借りてしまった。『 ステータス・アップデート 』と『 ミッドナイト ・サン タイヨウのうた 』のスコット・スピア監督作品だったではないか。

 

あらすじ

シカゴで起きた事故により、世界には残存者と呼ばれる亡霊が存在するようになった。ロニー(ベラ・ソーン)は自宅の浴室の鏡に謎の残存者が「逃げろ」というメッセージを残すところを目撃する。ロニーは転校生のカーク(リチャード・ハーモン)と共に残存者の謎の解明に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

幽霊が見えるというのはネタとしては陳腐である。アメリカ映画では『 シックス・センス 』のような傑作、邦画でも『 さんかく窓の外側は夜 』のような凡作まで、特定の誰かに幽霊が見えるという作品は枚挙にいとまがない。しかし、誰でも幽霊が見える世界というのは結構珍しいのではないか。しかもそれが自由に動き回って人間に害をなす存在ではなく、決められた動きをするだけの残像であるというアイデアはユニーク。

 

ロニーとカークの二人が、謎の残存者からのメッセージの意味を探っていく展開はなかなか引き込まれる。手詰まりと思えるところから思いがけぬ発見があり、物語がダイナミックに動いていくところもいい。特にロニーの父親の読む新聞記事のアイデアは着眼点が非常に良いと感じた。ロニーと母親との関係は物語に若干の影を落としているが、それを効果的に使った脚本の妙が後半にあり、観る側を飽きさせない。

 

生きている人間たち、そして死んでしまった人間たちのそれぞれの思いが交錯する終盤は見応えがある。真犯人に意外性がないと感じられるかもしれないが、本作はミステリーではなくファンタジー、そしてヒューマンドラマとして鑑賞するべし。

 

ネガティブ・サイド

誕生日ネタはもう少しひねりを利かせられなかったか。Jovian母は実はうるう年の2月28日生まれなので、このネタには早い段階でピンと来てしまった。ある目的のために誕生日が重要なファクターなのだが、誕生日ではなくうるう年のうるう日をファクターにする、そのことに(物語世界のルールの中で)合理的な説明をつけられれば、映画世界への没入度がもっと高まったことだろう。

 

ブライアンは言ってみればハリポタにおけるスネイプ先生的なキャラなのだから、必要以上にホラーっぽいCG演出をする必要はなかった。それをせずにブライアンを恐怖の対象に見せるのが演出というものだろう。

 

総評

『 ザ・メッセージ 』という邦題はイマイチ。原題は I Still See You、つまり「私は今もあなたを見ている」ということ。このタイトルから受け取る印象が序盤、中盤、終盤で変わってくる。それは作りが乱暴だからではなく計算されたものだから。低予算映画のにおいがプンプン漂ってくるが、それがマイナスに作用していない。逆にアイデアで勝負する潔い作品になっている。海外レビュワーの評価はイマイチだが、Jovianはそこそこ楽しめた。梅雨時の週末のステイ・ホームのお供にちょうどよいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ground zero

爆心地の意。おそらく9.11でこの表現を知った人も多いのではないかと思う。ヒロシマやナガサキは原爆の爆心地だが、爆弾以外でも9.11のような想定外の巨大なインパクトがもたらされた場所にも使われる表現である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ファンタジー, ベラ・ソーン, リチャード・ハーモン, 監督:スコット・スピアLeave a Comment on 『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

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