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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:パルコ

『 MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 』 -アイデアの勝利-

Posted on 2022年11月15日 by cool-jupiter

MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 75点
2022年11月15日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:円井わん マキタスポーツ
監督:竹林亮

どこのラノベだと思わせるタイトルだが、これがべらぼうに面白かった。『 カメラを止めるな! 』に迫る低予算のアイデア一発勝負映画の秀作だ。

 

あらすじ

小さな広告代理店に勤める吉川(円井わん)は、大手広告代理店への転職を目指し、職場に泊まり込む毎日を過ごしていた。ある日、二人の後輩から、自分たちが同じ1週間を何度も繰り返していることを知らされる。吉川たちはこのタイムループを原因は永久部長が身に着けているブレスレットにあると睨み、なんとかそれを破壊するための算段を練ろうとするが・・・

ポジティブ・サイド

タイムループものは小説でも映画でも数多くの秀作が生産されてきた。実際に劇中でも『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』や、『 ハッピー・デス・デイ 』、『 恋はデジャ・ブ 』などが言及される。本作も秀作である。

 

まず、タイムループの現場を会社にしたのがユニーク。その会社もかなりハードな様子。ネタなのか事実なのか分からないが、ブラック企業勤務の人が「とうとう iPhone が会社を自宅だと認識し始めた」みたいなことを言うが、まさにそんな会社。これだけで同じサラリーマンとして吉川やその他の面々に大いに感情移入してしまう。

 

本作でもう一つユニークなのが、タイムループに巻き込まれた面々の大半がタイムループに巻き込まれていることに気づいていないこと。そして、気付いた者たちが気付いていない者たちに気付きを促す流れが笑えるのだ。特に本丸である永久部長にタイムループに気付いてもらうために上申制度をそのまま使うところに笑ってしまう。どこまでサラリーマンやねん。異常事態にあっても社畜根性が抜けない。そんな彼ら彼女らの姿を笑いながら、冷や汗をかいている人も多いのではないだろうか。日本人の多くは地震や台風でも出社したがるからなあ・・・

 

閑話休題。本作はコメディでありながら、上質なヒューマンドラマにもなっている。小さな広告代理店で仕事をさばきながら、大きな広告代理店への転職が内定している吉川は、同僚や恋人への接し方に少々問題あり。しかし、そんな彼女がタイムループ脱出のために、部長の抱える問題の解決のために、一致団結して協力していく中で人間として成長していく。

 

毎日が同じ仕事の繰り返しのように感じられる人は多いはず。Jovian自身もそうだった。しかし、そういった閉塞的な状況をどう捉え、どう行動するのか。本作はそこに大きな示唆を与えてくれるという意味で、単なるコメディ以上の作品に仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

開始10分で「ああ、この人が実はキーパーソンやね」とすぐに気づいてしまう。ここをもう少しうまくカバーするような仕組みがあれば、中盤の驚き展開をもっと強烈にできたはず。

 

ずっとほったらかしにしてしまっていた吉川のボーイフレンドは、結局どうなったのだろう。そこも少しで良いのでフォローしてほしかった。

 

総評

サラリーマン的な世界観を提示して、それを笑わせながら、いつの間にやらそのサラリーマン的な世界観に感動させられた。決して万人受けする作品ではないだろうが、刺さる人には刺さること間違いなし。低予算であっても脚本が良ければ勝負できる。有名俳優が出演していなくても、しっかりとした演出ができればキャラにもストーリーにも説得力が生まれる。こうした王道以外の作品が邦画の世界でもっと生み出されてほしい。すまじきものは宮仕えと言うが、サラリーマンは本作を観て、明日への勇気をもらおうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make it up to someone

誰かに対して埋め合わせをする、の意味。吉川は仕事に忙殺されて、ボーイフレンドを放置してしまい、それに対して電話で「埋め合わせするから」と言う。英語字幕なら、間違いなく I’ll make it up to you. である。この表現を使うということは何らかの穴を開けてしまっているわけで、積極的に使うべきフレーズではないだろう。ただ、人間関係の中でこう言わざるを得ない場面はきっとある。知っておいて損はないはず。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザ・メニュー 』
『 ザリガニの鳴くところ 』
『 ドント・ウォーリー・ダーリン 』

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, コメディ, マキタスポーツ, 円井わん, 日本, 監督:竹林亮, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 』 -アイデアの勝利-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

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『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

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ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

Posted on 2021年8月3日 by cool-jupiter

17歳の瞳に映る世界 80点
2021年7月31日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シドニー・フラニガン タリア・ライダー セオドア・ペレリン
監督:エリザ・ヒットマン

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原題は”NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS”、「決してない、ほとんどない、時々ある、常にある」の意味である。この原題がいったい何を意味するのかが分かるシーンは2021年屈指の名シーンであり、多くの男性を慄然とさせることだろう。

 

あらすじ

17歳のオータム(シドニー・フラニガン)は妊娠してしまう。同じスーパーでアルバイトをしている従妹のスカイラー(タリア・ライダー)は、バイト先の金を着服して、中絶のために保護者の同意が必要ないニューヨークに向かうが・・・

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ポジティブ・サイド

中絶をテーマにした作品には『 JUNO ジュノ 』や『 ヘヴィ・ドライヴ 』など、ちらほら作られてきた。特にアメリカは北部と南部でpro-choice(中絶容認)派とpro-life(中絶反対)派が激しく対立する社会で、州によって中絶の可不可がくっきりと別れている。本作の主人公オータムが暮らすペンシルバニアは中絶が可能。しかし、保険証を使うと両親に請求が行ってしまい、中絶手術が露見してしまう。それを避けたいオータムと、彼女を見守るスカイラーの旅路が本作のメインを占める。言ってみればロード・ムービーなのだが、その旅路の中で(いや、旅路の前でも)彼女たちが目にする世界には、色々と考えさせられるものがあった。

 

冒頭、何らかのイベントのステージで、次々に皆が歌を歌っていく。その中でオータムがギターの弾き語りを披露する中、客席からは”Slut!”という罵声が飛ぶ。通常の映画なら「なるほど、この声の主がオータムのロマンスの相手か、または恋路を邪魔する男なのだな」と感じるところなのだが、オータムはレストランで自分をまったく気にかけない父親を無視し、罵声を浴びせてきた相手の男の顔面に水をぶちまける。無表情ではあるが、激情型であることを明示する。

 

バイト先のスーパーでも無遠慮な男性客にセクハラ丸出しの店長と、17歳の瞳に映る世界には『 SNS 少女たちの10日間 』に出てくるような sexual predator が数多く生息していることが分かる。しかし、ここまでなら「とんでもない男がいるもんだな」で話は済む。

 

問題はこの先で、ニューヨークのクリニックで中絶に際してのカウンセリングをオータムが受けるところ。原題にある”Never, Rarely, Sometimes, Always”という表現のいずれかを使って、質問に答えるシーン。BGMもなく、音響効果も視覚効果もなく、ただただ役者の演技だけを淡々と映し続ける。ただそれだけであるにもかかわらず、胸が締め付けられてしまう。17歳にしてはオータムの性経験が豊富だなと感じるからではない。邦題にある通り、『 17歳の瞳に映る世界 』は決して安住できる世界ではないからだ。質問に対して言葉を詰まらせるオータムの姿の向こうに、色々な男性の姿が想起されてくるのだ。

 

このシーン、男性諸賢はよくよく噛みしめられたい。「そうか、なかなかしんどい関係を持ってきたんだな」で終わらせてはならない。このシーンを自分とパートナーの関係に置き換えて鑑賞しなければならない。たとえば自分の恋人に「いいでしょ」とか、「え、ダメなの?」とか、「大丈夫だから」とか、優しい口調で、しかしプレッシャーを与えるような言葉を発したことがない男性はどれくらいいるだろうか。よくよく自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

 

オータムの良き理解者であり従妹であり親友でもあるスカイラーだが、二人の距離感はなかなかに複雑だ。日本の少女漫画のようなあからさまなケンカと、お約束の仲直りなどはそこにはない。くっつきすぎず、しかし離れすぎず。道中のバスでアダム・ドライバー的な顔立ちの男がちょっかいを出してきて、これがスカイラーとなかなか良い感じになってしまう。17歳の女子など機会があればアバンチュールしてしまうものだが、こうした展開が逆にリアリティを増している。しかもこの男、下心丸出しでありながら、普通にgood guyでもある。10代の男の性欲など、鳩や犬のようなものだが、それをある意味で上手に利用するオータムとスカイラーも、搾取されるだけの弱い女子ではない。

 

特に大きな事件もない。大きな人間関係の進展や破綻もない。どこまでも淡々とした物語である。だからこそ、実は世界のどこかで常にこうした物語が現在進行形で進んでいるのではないか。そのように思わされた。

 

ネガティブ・サイド

最初のクリニックからの二度目の電話はどうなったのだろうか?

 

ラストの余韻をもう少し長く味わわせてほしかった。『 スリー・ビルボード 』のエンディングも素晴らしいものがあったが、個人的にはもう20~30秒欲しかった。本作も同じ。もう数秒から数十秒でよいので、オータムの表情にカメラに捉え続けてほしかったと思う。

 

総評

一言、大傑作である。Jovianはこの夏、多くの日本の中学生、高校生、大学生たちに本作を観てほしいと心底から願う。女子同士で鑑てもいいし、カップルで鑑賞するのもありだろう。エンタメ要素は皆無だが、これほどまでに観る者の心を打つ作品には年間でも2~3本しか巡り合えない。本作は間違いなくその2~3本である。映画ファンならば、チケット代を惜しんではならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

positive

様々な意味を持つ語だが、ここでは「陽性」の意味・用法を紹介する。本作では妊娠検査の結果を指してpositive = 妊娠している、という意味で使われているが、現実の世界でも毎日のように市井の一般人から有名人までコロナ陽性者が報じられている。英語では「彼はテストの結果、コロナ陽性となった」=”He tested positive for corona.” のように表現する。テストの結果、陰性であると判明した場合は、”test negative”となる。ちょうど五輪たけなわであるが、ドーピング検査などでも同様の表現を使うので、英字新聞を読む人なら既によく知っている表現だろう。受験生なども今後は必須の語彙・表現になるのではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, シドニー・フラニガン, セオドア・ペレリン, タリア・ライダー, ヒューマンドラマ, 監督:エリザ・ヒットマン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

Posted on 2021年3月14日 by cool-jupiter

ビバリウム 55点
2021年3月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:イモージェン・プーツ ジェシー・アイゼンバーグ
監督:ロルカン・フィネガン

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トレイラーを観ただけで好みの作風と判断。『 エスケープ・ルーム 』や『 迷宮物語 』のような、非現実的な領域に迷い込んでしまう話が好きなのである。

 

あらすじ

教師のジェマ(イモージェン・プーツ)と庭師のトム(ジェシー・アイゼンバーグ)は、二人で住む家を探して不動産屋へ。ヨンダーという郊外の住宅地で内見をするが、住宅地から抜け出せなくなってしまう。そして「育てれば解放する」というメッセージと共に謎の赤ん坊が届けられて・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭のEstablishing Shotが奮っている。托卵の結果、カッコウの雛は他の卵を落とし、さらには雛も落とし、自分だけぬくぬくと他人(他鳥?)に育ててもらう。このショットが適切かどうかは別にして、それが自然の摂理であるということは強く伝わってきた。

 

育てることになった子どもが上げる奇声の不穏なことと言ったらない。神経を逆撫でする声である。ジェマの台詞に“I’ve never heard such perfect silence”(こんな完璧な静寂、聞いたことがない)というものがあったが、こんな空間でこんな声聞かされたらノイローゼになること必定である。この子(Itと呼ぶべきか)の不気味さを増す要素に、ジェマとトムの言葉をオウム返しする習性が挙げられる。そりゃトムも壊れるわな・・・ 『 光る眼 』や『 アンダー・ザ・スキン 』のような、変則的な侵略SFが好きな向きは本作も問題なく楽しめることだろう。

 

という見方がオーソドックスだろうか。

 

もう一つの見方は、本作はマイホーム購入後の人生をカリカチュアライズしているのではないかというもの。元々、子どもなんていうものはエイリアンみたいなもの。母親の体液をチューチューと啜って成長する生き物、と書けば哺乳類全体がいきなりヤバい生物に感じられるが、事実はそうなのである。親のすねかじりこそがある程度の高等生物の本質なのではないか。

 

本作の子どもの振る舞いを見れば、子育てがどれだけ大変かが分かる。腹が減るたびにギャーギャーと泣き喚き、親の言葉をオウム返しするのも言語を獲得する過程の一部に過ぎない。成長すれば深夜まで訳の分からんテレビを観るのに没頭して、外ではどこで誰と何をやっているのか分からない。Z世代というのは個性を重視すると言われるが、全世界的に観ても今の30代後半以上の世代は、恋愛にせよ仕事にせよ、何らかの「モデル」(その多くは小説や映画、テレビドラマや企業の商品CM)を良い意味でも悪い意味でも押し付けられてきた。ロルカン・フィネガン監督はJovianと同世代。そんな彼が現代の子育て事情を目の当たりにして、「俺たちが何を育てさせられているんだ?」という問題意識に基づいて作ったのが本作なのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーに二転三転がない。グッド・エンドであれ、バッド・エンドであれ、途中で適度に上げたり落としたりするべきだろう。タバコのポイ捨てによって、何か突破口が広がりそうに予感させるが、それをトムがジェマに見せる。それによってわずかな希望が生まれる。あるいは、トムがタバコをポイ捨てして見せるが、芝生に変化なし。ジェマはトムを少し信用できなくなる、といった演出も可能だったはずだ。

 

あと、これはカッコウの托卵とは構図が真逆ではないか?どちらかというと、サムライアリとクロヤマアリの関係に近いと思う。なんらかのミスリードなのかなとも思ったが、そうでもないようだ。人間という生き物の性質と托卵戦略を取る外的侵略種の狭間の物語であることを強調するなら、もう少し別の見せ方もあったように思う。

 

ジェシー・アイゼンバーグの見せ場が少なかった。それこそ得意のマシンガントークをかまして、それを子どもがひたすら真似するというシーンがあれば、子どもの気味の悪さも一層際立ったことだろう。

 

総評

公開直後ということもあり劇場はかなりの入りだったが、特に若いカップルが目立った。はっきり言ってデートムービーには向かない。人によっては本作をホラーに分類するかもしれない。子育て真っ最中の人にもお勧めはしづらい。子育て一段落の世代なら、適度な距離感で鑑賞できるものと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ium

プラネタリウムやアトリウム、シンポジウムなど、iumで終わる英単語は日本語になっているものも多い。意味は「場所」である。サナトリウム=sanatoriumは療養所だし、スタジアム=stadiumはスポーツファンにはお馴染みだろう。ビバリウム=vivariumは「生きる場所」の意味で、辞書的には動植物飼養場となるらしい。「ビバ」と聞いて万歳=Long live!だとつなげて考えられれば、本作のストーリーも腑に落ちるのではないか。語彙素の知識は不可欠とは思わないが、知っておいて損になることはまずない。ちなみにプレステで『 シーマン 』をプレーしていたJovianと同世代または上の世代は、ビバリウムという言葉自体には聞き覚えがあるはず。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アイルランド, イモージェン・プーツ, ジェシー・アイゼンバーグ, スリラー, デンマーク, ベルギー, 監督:ロルカン・フィネガン, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

Posted on 2020年12月2日2020年12月6日 by cool-jupiter
『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

佐々木、イン、マイマイン 75点
2020年11月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原季節 細川岳 遊屋慎太郎 森優作 河合優実
監督:内山拓也

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このタイトルのインパクトは大きい。『 我が心の佐々木 』でもなく『 佐々木よ、お前を忘れない 』でもなく、『 佐々木 イン マイ マインド 』でもなく、『 佐々木、イン、マイマイン 』。なんかよく分からんが、凄いタイトルであることだけは分かる。そして中身も負けず劣らずに凄かった。

 

あらすじ

役者として芽が出ない悠二(藤原季節)は、職場で偶然、高校の同級生で親友だった多田(遊屋慎太郎)と再会する。変わっていく他人。変わっていない自分。それを意識する悠二は、佐々木(細川岳)という奇妙な親友のことも思い起こしていき・・・

 

ポジティブ・サイド

何というか、まるで自身の高校時代、そして紆余曲折あった20代をまざまざと見せつけられたように感じた。もちろん、悠二の人生とJovianの人生はまったく異なるものだが、この物語には普遍性がある。プロット自体はありふれたもの。夢を追い求めているものの、その夢に届かないまま現実に埋没していく男が、過去の輝いていた、少なくとも楽しんでいた、笑えていた時期を思い起こして、今を生きるためのエネルギーを得るというもの。読み飽きた、見飽きた物語である。では、何が本作をユニークにしているのか。

 

それはタイトルロールにある佐々木である。誰しも中学や高校、または大学の同級生に「そういえば〇〇というアホな奴がいたなあ」と思い出せることだろう。だが、本作で映し出される佐々木はただのアホではない。無邪気に笑う少年で、苦悩する男で、血肉のある人間なのだ。回想シーンでは、佐々木のアホな面ばかりが強調されるが、真に見るべきはそこではない。一昔前の言い方をするならば母親のいない欠損家庭の育ちであり、父親も家にはあまり帰ってこず、命綱はカップラーメンという高校生である。佐々木コールでスッポンポンになる姿は微笑ましいと同時に痛々しい。下の名前を呼んでくれる存在がいないのだ。

 

『 セトウツミ 』の川べりでのしゃべりのように、家でゲームをし、球にバッティングセンターに行く4人組。親友であることは間違いない。だが、上京する者あり、地元に残って就職する者あり、地元に残って就職しない者もありと、いつの間にか離散してしまっている。このあたりの描写が中年には結構きつい。身につまされる思いがする。あの友情はどこに行ってしまったのか。出会えば幼馴染のように一気に昔の関係に戻れるが、一方がスーツで既婚、もう一方がヨレヨレの私服でバイト暮らしでは、その関係性も昔のままのようにはなかなか行かない。そうした友情の在り方を本作は一面では問うている。その反面、そうした友情を愚直に、無邪気に、馬鹿正直なまでに大切にし、ずっと心の中で維持し続けてくれる友人もいる。それが佐々木なのだ。佐々木とは、我々中年が本当ならば保っているべき友への感謝、信頼、期待などの気持ちの代弁者であり体現者なのだ。

 

佐々木という豪快で繊細な男を演じ切った細川岳のパフォーマンスは見事の一語に尽きる。親友、そして事実上の喪主とも言える女性と巡り合えたことは僥倖だったし、そのことを我が事のように嬉しく感じられた。芝居で芽が出ない悠二も、自分の生き方と「役者」としての生き様が交錯するラストも万感胸に迫るものがある。10代20代よりも30代40代50代にこそ突き刺さる、青春映画の傑作の誕生である。

 

ネガティブ・サイド

悠二と同棲している元カノの存在が微妙にノイズであると感じた。夢の中身を「今日はどんな世界だった」と尋ねるのも奇異だ。別れた女と同棲しているのなら、そんなロマンティックな会話は慎めよと思うが、どうやらそれがルーティンらしい。だったらフラれた後にも、しっかりと口説き続けろと悠二には言いたい。

 

村上虹郎に「僕はあなたの芝居が好きだ」と評された悠二の芝居の独特なところや印象的なところ、佐々木にも「お前は続けなきゃだめだ」と言われた演技力が、回想シーンでは一度も描かれなかったのは残念である。

 

総評

佐々木には実在のモデルがいるということには驚かないが、これが長編デビュー作という内山監督のポテンシャルには驚く。次作以降へも期待が高まる。傑作を作るのに有名キャストや有名監督は必ずしも必要だとは限らないという好個の一例である。仕事にくたびれた中年サラリーマンよ、疲れているかもしれないが劇場へ行こう。その労力以上のエネルギーを本作から受け取ることができる。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chant

日本語で言うところの「コール」である。「佐々木コールやれよ!」というのは、“Do the Sasaki chant!”または“Break out the Sasaki chant!”となり、「イチローコールは忘れられない」というのも“The Ichiro chant is unforgettable.”となる。応援などで言うcall=コールは典型的なジャパングリッシュなので注意のこと。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 森優作, 河合優実, 監督:内山拓也, 細川岳, 藤原季節, 遊屋慎太郎, 配給会社:パルコ, 青春Leave a Comment on 『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

Posted on 2020年6月7日2021年1月21日 by cool-jupiter

ハリエット 65点
2020年6月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シンシア・エリヴォ ジャネール・モネイ
監督:ケイシー・レモンズ

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これまでにも『 グリーンブック 』や『 アメリア 永遠の翼 』、『 2019年総括と2020年展望 』など、当ブログでもハリエット・タブマンについては何度か触れてきた。その映画がついに公開である。極端な話、Jovianはコロナ禍の今年はこれと『 ゴジラVSコング 』だけで良いとすら思っていたほどである。Don’t get your hopes up …

 

あらすじ

アラミンタ・ロス(シンシア・エリヴォ)は、メリーランド州で奴隷として過酷な労働に従事させられていた。ある時、さらに過酷な南部へ売り出されることになったミンティはブローダス家から逃げ出し、自由のある北部を目指す。無事に逃げ切ったミンティは、名をハリエットに変え、南部奴隷の解放に尽力するようになり・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは英会話講師(現在はトレイナー業務がメインになっている)で、特にTOEFL iBTを担当することが多かった。なのでアメリカ近現代史はそれなりに勉強せざるを得なかったし、その中で最も多く名前が出てくる人物というのはユリシーズ・グラント、ジョージ・ワシントン、ハリエット・タブマン、ジョン・ミューアあたりだろうか。トレイラーでシンシア・エリヴォを見た時、キャスティングの正しさを直感した。そして実際に本編を観て、キャスティングの正しさを確認できた。シンシア・エリヴォは、演技力だけではなく歌唱力と存在感でハリエット・タブマンという立志伝中の英傑をスクリーン上に現出せしめた。特に印象的だったのは「決めつけないで!」と一喝するシーン。女性だとか黒人だとかの前に、人間としての尊厳を問う、非常に鋭い演出だったと感じた。

 

公開のタイミングが良いのか悪いのか分からないが、警察官によるジョージ・フロイド氏の殺害事件、それに対する抗議(暴動は除く。あの大多数はよその土地から来た火事場泥棒であることが判明している)が静かな内戦状態(英語ではThe Civil War = 内戦 ≒ 南北戦争)になっているところを見れば、黒人差別問題の根深さがどこまで遡れるかが分かるだろう。そうした奴隷たちが歌うバラードが一種の暗号として働くところは、史実を知る者としてニヤリとさせられた。同時に、作業の手を止めると容赦なく暴力を振るわれる労働環境にも慄然とさせられた。自分がテキストや問題集、ネット上のpassageで知っていたハリエット・タブマンとその時代が、情報ではなく、現実として迫ってきたからだ。

 

ハリエットの女モーゼとしての活躍は目覚ましい。Jovianの知識では彼女は北部のフィラデルフィアに脱出後に19回南部へ旅立ち、合計で200~300人(一説には800人とも)の脱出を助けたとも言われているが、本作は70人という数字を呈示した。それもリアリスティックな数字だろう。徒歩で、集団で、馬と犬と銃で追ってくる相手から数日~数十日を逃げ切るというのがどれほど大変なことか。そうした逃走劇の難しさも本作は描いている。

 

当然ながら、歌や音楽も素晴らしい。特にTheme Songである“Stand up”は、『 キャッツ 』の主題歌“Beautiful Ghosts”に勝るとも劣らない哀切さと希望への確信をもって歌われているし、サム・クックの“A change is gonna come”とボブ・マーレーの“Redemption Song”のように聞く者にインスピレーションを与えてくれもする。これもまたシンシア・エリヴォの起用が正解たる理由である。

 

それにしても日本の映画レビューサイトや評論家は、ハリエット・タブマンを指して「紙幣に載るのは黒人女性として初」のような御幣のある表現、あるいは自分自身が誤解している、もしくは勉強不足であることを露呈してしまうかのような書き方をするのだろうか。ハリエット・タブマンは黒人女性として初なのではなく、女性として初であり、もっと言えばアメリカ紙幣にこれまで顔が載ったのはすべて大統領である。ゆえにハリエット・タブマンを正確に評するなら、「大統領以外でアメリカ紙幣に載った人物」となる。そして2020年現在、アメリカ史に女性大統領は存在していないし、今年2020年に女性候補者が立つ見込みもない。

 

ネガティブ・サイド

ハリエットが散発的な失神症状に悩まされていたのはよく知られている。だが、意識を喪失している間に神と交信していた、というのは初めて聞いた。おそらくケイシー・レモンズ監督の独自解釈なのだろうが、ハリエットの妙な神格化はやめてほしかった。『 ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男 』にもあったように、沼地の渡れるポイントを知るごく一部の人間、のような描かれ方の方が好ましかった。劇中でも川を渡っていたが、実際にハリエットが追っ手を振り切るのに使った地形は沼が最も多かったとされている(Jovianが文献などで知る限りでは)。その卓越した自然の観察力と洞察力、人間の五感と運動能力をフルに駆使して追走者から毎回見事に逃げおおせる、という描写はできなかったのだろうか。

 

ジョー・アルウィン演じる領主の描写にも不満である。これではまるで『 ジャンゴ 繋がれざる者 』のディカプリオではないか。もちろん、当時の白人地主がああいう格好であったことは承知している。それでも、これではあまりにもstereotypicalであるし、ハリエットの追走者として役不足である。

 

ハリエット・タブマンと言えば「地下鉄道」、「地下鉄道」と言えばハリエット・タブマンのはずだが、肝心かなめのこの人的ネットワークがほとんど描写されなかった。地下鉄道のユニークなところは黒人と白人、両方で構成されているところで、なおかつそのネットワークの全容を知る人間がほとんどいなかった、と考えられているところである。実際に劇中でも、逃走奴隷をかくまったとしてハリエットの父が追われることになるが、組織の全容を知る人間が増えるとそれだけ危険が増す。誰か一人でも捕まって拷問されてしまったら組織として一巻の終わりだからである。そうした人的ネットワークの広大さと緻密さ、その大きさを全て知っている組織人かつ一匹狼のハリエットという人間像が打ち出されなかったのは個人的には少しがっかりであった。

 

総評

普通に面白い作品、標準以上のレベルに仕上がった伝記映画のはずだが、観る側が期待に胸を高鳴らせすぎたようである。ただし、これはハリエット・タブマンをそれなりによく知っている人間の感想である。実際にJovianの嫁さんはかなり感動したらしく、本作を絶賛していた。現実の世界と本作を重ね合わせて見ることで、様々なものが浮かび上がって来るという意味では、単なるエンタメ的な伝記以上の価値があるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

「自由」、「解放」といった意味である。劇中ではfreedomやliberationといった語が使われていたと記憶しているが、emancipationはなかった。だが、アメリカの奴隷解放には、このemancipationが使われている。Freedom, liberation/liberty, emancipationの使い分けが適宜にできるようになれば、英検1級レベルの手前ぐらいだと判断できる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, ジャネール・モネイ, シンシア・エリヴォ, 伝記, 歴史, 監督:ケイシー・レモンズ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

Posted on 2019年12月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

ラスト・クリスマス 70点
2019年12月7日 東宝シネマズなんばにて感想
出演:エミリア・クラーク ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ヨー エマ・トンプソン
監督:ポール・フェイグ

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英国には偉大なシンガーを生み出す土壌がある。『 イエスタデイ 』のビートルズ、なかんずくジョン・レノン、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョン、そして現代ではサム・スミス。本作はワム!、特にジョージ・マイケルの楽曲で彩られている。上に挙げた歌い手に共通するのは、愛を求めて彷徨ったということだろうか。永遠の名曲“Last Christmas”にインスパイアされた本作も、大きな愛を歌っている。

 

あらすじ

ユーゴスラビアからの移民であるケイト(エミリア・クラーク)は、“サンタ”(ミシェル・ヨー)の経営するクリスマスショップで働きながら、歌手としてデビューすることを夢見て、オーディション参加を繰り返していた。家族と疎遠であるケイトは、友人宅などを泊まり回るも、トラブルばかりで行き先をなくしてしまう。そんな時、店先に現れた不思議な青年(ヘンリー・ゴールディング)と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

名曲“Last Christmas”に新たな解釈を施したエマ・トンプソンに満腔の敬意を表したい。失恋からの立ち直りの歌をこうも鮮やかに再解釈するのかと唸らされた。何をどう解説してもネタばれの恐れがあるので、敢えて類似の作品を挙げるだけに留める。

 

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』

『 イソップの思うツボ 』

『 思い出のマーニー 』

『 勝手にふるえてろ 』

 

パッと思いつくのは、これらだろうか。作品タイトルだけでネタばれになりかねないので、シネフィルな方々におかれては、鑑賞前に上の白字部分を読むのは自己責任でお願いしたい。

 

『 シンプル・フェイバー 』でもヘンリー・ゴールディングを起用したポール・フェイグ監督だが、そのヘンリー・ゴールディングは『 クレイジー・リッチ! 』に続いてアジアのレジェンド女優ミシェル・ヨーと共演。アジア人がメインキャストを占めて、舞台がロンドン、製作国はアメリカというところに、時代の変化を感じざるを得ない。また、主人公がユーゴスラビア移民であること、国際化・多様化が極度に進むロンドンを舞台にしていることにも大きな意味がある。そしてJovianが冒頭でF・マーキュリーやE・ジョンやS・スミスに言及したことにも意味がある。ミシェル・ヨーというマダムがメインキャストを張ることにも意味があるのである。生きるとは、助け合うことであるということを本作は高らかに宣言する。

 

エミリア・クラークは『 ターミネーター:新起動 ジェニシス 』ではウブ、『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』ではウブから百戦錬磨に、本作では逆に百戦錬磨からウブに戻って行く感じがして、非常に健康的な魅力を物語中盤からふりまくようになった。特にスケートリンクでのシーンは『 ロッキー 』でのロッキーとエイドリアンの語らいを彷彿とさせた。

 

小説『 クリスマス・キャロル 』では、スクルージは悔い改め、クリスマスは孤独に過ごすものではなく、家族と過ごすものだと気付いた。本作ではケイトも同じことに気付く。そう、これは家族の物語だったのだ。ケイトが見つけ出した家族とは誰か?それは劇場で確認して欲しい。クライマックスに楽曲と共にもたらされるカタルシスは『 リンダ リンダ リンダ 』のそれに匹敵する。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーが本当の意味で始まるまでに、かなりの時間を要する。また、ケイトのあまりのダメ人間っぷりは、何らかの精神的な疾患もしくは障がいをも疑わせるレベルである。もしくは『 女神の見えざる手 』のスローン女史のような、セックス依存症一歩手前なのかとも考えた。終盤になってこのあたりの事情が明かされるのだが、これは少々アンフェアというか、非常に分かりづらかった。青春の真っただ中を空爆されるユーゴスラビアで恋を知らずに生きてきた反動で、bitchになってしまったのかと思ったが、そういうわけでもない。このへんの見せ方とストーリー上の秘密を、もう少し上手い具合に組み合わせるべきだった。

 

ビミョーにネタばれになるが、“Last Christmas”を一曲まるごと、どこかの場面で歌う、もしくは流してほしかった。『 ロケットマン 』でも“Your Song”がフルで流れることがなかったように、少々フラストレーションがたまる構成である。また、ワム!というよりは、ジョージ・マイケルにフォーカスした楽曲の選定になっているので、ワム!のファンは少々物足りなく感じるかもしれない。

 

総評

ジョージ・マイケルのファンにもワム!のファンにも観て欲しい。彼らのファンではない方々にも観てもらいたい。聖歌ではないクリスマス・ソングとしては、おそらくビング・クロスビーの “White Christmas” に並ぶ知名度の“Last Christmas”を聴いたことがないという人は、日本でも超少数派だろう。ジョージ・マイケルが泉下の人となって3年。この偉大なアーティストへのR.I.P.の念も込めて、是非多くの人にこの物語を味わってほしい。

そうそう、本作をきっかけにユーゴスラビアに興味を持った向きには、米澤穂信の小説『 さよなら妖精 』をお勧めしておく。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・トンプソン, エミリア・クラーク, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ラブロマンス, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

Posted on 2019年10月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

アップグレード 70点
2019年10月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ローガン・マーシャル=グリーン
監督:リー・ワネル

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Jovianは小説でも映画でもSFが好きである。本作も、当初はflying under my radar。しかし、大阪ステーションシティシネマのパンフレットで先月ぐらいに本作を知った。アイデア勝負の低予算C級SF映画は嫌いではない。むしろ好物である。しかし、本作はC級ではなかった。間違いなく良作である。

 

あらすじ

自動車修理工のグレイ(ローガン・マーシャル=グリーン)は、自動運転車の事故に遭ったところを、謎の男たちに襲撃され、妻は殺害され、自身も首から下が麻痺状態という深刻なダメージを負う。しかし、顧客である大企業オーナーにして科学者の男性から、STEMというAI搭載チップを頸椎に埋め込まれることで、グレイは身体能力を取り戻した。彼は妻の敵を討つべく、独自の捜査に乗り出すが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191018011029j:plain

 

ポジティブ・サイド

なんとまあ、多くのSF映画へのオマージュになっていることか。『 ブレードランナー 』、『 ブレードランナー2049 』的な社会の到来前夜といった趣の世界に、ボロボロの身体のはずが『 エリジウム 』的に復活し、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』のような身体を動きを見せる。人間ではないものが人間らしそうで人間らしくない動きをする例として、『 エイリアン2 』のビショップも忘れるわけにはいかないだろう。ビショップの披露したナイフの早業へのオマージュに思わずニヤリ。さすがに『 ジョジョの奇妙な冒険 』のスタープラチナがモデルではないだろう。それだけではなく、『 マトリックス 』や『 アリータ バトル・エンジェル 』のような格闘を独特のカメラワークと音響効果で魅力的に演出してしまうのだから、リー・ワネルはどこまでSF好きでどこまでサービス精神旺盛な監督なのだろう。イヤホンからの指示で動くのは現実でも映画でもお馴染みの光景であるが、自分の体内にあるものとコミュニケーションを取るバディ・ムービーはそれほど量産されてきてはいない。メジャーなところでは邦画なら『 寄生獣 』、洋画なら『 ヴェノム 』ぐらいか。そして敵キャラは漫画『 コブラ 』のようなサイコガン・・・ではないが、銃を腕に仕込むという中二病的設定。『 エクス・マキナ 』的な結末が悲劇的とは映らず、むしろ

『 イヴの時間 』的な世界への過渡期が到来するのだ予感させてくれる、この味わいの複雑さよ。とにかく名作SFへのオマージュをちりばめた近未来サイバーパンク要素てんこもりのエンターテインメント作品に仕上がっている。これぞ正に掘り出し物である。インパクトだけならば、昨年の『 search サーチ 』に並ぶかもしれない。

 

ストーリーも一本道に見えて、適度にひねりが効いている。日本なら野﨑まど、神林長平、または小川一水あたりが思いつきそうなプロットである。タイトルの真の意味が明らかになるエンディングのシークエンスにはため息が出るであろう。これらの作家のファンは直ぐに劇場に向かうべし。これら作家のファンではなくてもライトなSFファンは、劇場に向かうべし。ディープでハードコアなSFファンも劇場へGoである。

 

ネガティブ・サイド

STEMのしゃべりであるが、何をどうやってグレイの鼓膜に音波を送っているというのか。神経に直接働きかけて、コミュニケーションをとっている設定では駄目なのか。耳の中の産毛を巧みに操って、あのような人工的な声を出しているのか?到底理解できないし、納得もできない。また、STEMはグレイの知覚したものしか知覚できないというが、だったらどうやって終盤の高速道路でのチェイスを、あのような方法で切り抜けたというのか。STEMという非常に凶暴で頼りになる相棒に、リアリティが足りないのが本作の最大の欠点である。

 

中盤のハッカーの存在も非常に中途半端である。『 ブレードランナー 』におけるセバスチャン的なポジションかと思わせて、fizzle out する。期待外れもいいところである。

 

同じくその中盤、ハッカー関連のシークエンスで、プロット的に破綻しているとまでは言わないが、小さな綻びが見られる。サスペンスを生み出したかったのだろうが、これのせいで最終盤の展開の驚きが減じる。もしくは鑑賞後に考察していると、???となってしまう。

 

総評

弱点や矛盾点も存在するが、とにかく製作者の映画愛が溢れんばかりに満ちた作品である。95分と非常にコンパクトにまとまっているのもポイントが高い。繰り返しになるが、SFファンならば、直ぐにチケット購入に走られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t give a shit.

 

I don’t give a damn. や I don’t give a fuck. とも言う。「んなもん知るか、ボケ」のような意味およびニュアンスである。汚い言葉であるが、それゆえに多用されている。『 ア・フュー・グッドメン 』でジャック・ニコルソンが“I don’t give a damn what you think you are entitled to!”と絶叫するシーンは特に有名である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アクション, アメリカ, ローガン・マーシャル=グリーン, 監督:リー・ワネル, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

『 サラブレッド 』 -一筋縄ではいかない女の友情-

Posted on 2019年10月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

サラブレッド 65点
201910月3日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オリビア・クック アニャ・テイラー=ジョイ
監督:コリー・フィンリー

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Jovianは『 ウィッチ 』以来、アニャ・テイラー=ジョイの大ファンである。映画ファンならば、○○が出演していたら観る、あの監督の作品は観る、あの脚本家の作品は絶対にチェックする、そういう習性があるものだろうが、アニャはJovianの一押しなのである。

 

あらすじ

感情のないアマンダ(オリビア・クック)と彼女の家庭教師を引き受けている旧友のリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)。二人は奇妙な友情を育んでいた。そして、リリーは憎い継父の殺害計画をアマンダと共に練るようになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

これまでも胸元を露わにする服装はちらほら着用してくれていたが、今回は遂に水着を解禁。アニャのファンは狂喜乱舞すべし。というのは冗談だが、それでもプールに潜るアニャは大画面に大いに映える。彼女はどこかファニー・フェイスなのだが、水中で目を閉じて黒髪がたゆたうに任せるアップのショットはひたすらに cinematic である。

 

オリビア・クックも魅せる。『 ラ・ラ・ランド 』でエマ・ワトソンが桁違いの演技力を見せつけたが、冒頭のリリーの住む屋敷を散策して回るシーンと、テレビを観ながら泣いて見せるシーンは、オリビアの演技力の高さを大いに物語っている。

 

監督のコリー・フィンリーは舞台の演出家で、映画の監督はこれが初めてのようだ。先に述べたアマンダの屋敷を見て回るシーンはロングのワンカットで撮影されており、カメラ・オペレーターが役者との絶妙な距離感を保ちつつ、どこか『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』を彷彿させるドラムを主旋律にした人間の不安を掻き立てるようなBGMが奏でられる。『 記憶にございません! 』の中井貴一と吉田羊の情事前のシーンは技術的に際立っていたが、映画的な技法としての完成度は本作のオープニングシーン(馬の後である、念のため)の方が上である。Establishing Shotの極致であり、迷走する人間関係と心理のメタファーになっている。

 

殺人を計画するにあたって、チンケなドラッグ・ディーラーを使うところもよい。やるかやらないか分からない、そんな根性がありそうでなさそうな pathetic な男と、獣性を秘めた女性たちのコントラストがサスペンスを盛り上げている。男という生き物は本質的には女の引き立て役なのかもしれない。Rest in peace, Anton Yelchin.

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ネガティブ・サイド

登場人物があまりにも少ないせいで、オリビアの感情の欠落が周囲の人間にどのように受けとめられてきたのか、あるいは受け入れられずにきたのかが分からなかった。ちょっとエキセントリックな奴、と思われるだけならいいが、「サラブレッドを殺した奴」というのはちょっと違うと思う。走れなくなった馬を安楽死させるのは、割とよく知られた事実であるし、レースに勝てず気性が穏やかな馬は、乗馬クラブに行き、レースに勝てず気性が荒い馬は動物園で肉食動物のエサにされている。これもよく知られた事実である。馬を殺したこと、その方法が残虐であったことを指してアマンダを「ヤバい奴」に認定するのはちょっと納得がいかなかった。これはJovianの実家がかつては焼肉屋で、Jovian自身も小学校6年生の時に牛の屠殺場に実際に親子で見学に行った経験を持つからかもしれない。

 

継父を殺したいほど憎く思っている背景の描写も弱い。登場シーンからして張りつめた空気が二人の間に漂っているが、そうした緊張感の漲るシーンをもう2,3か所、時間にして2~3分ほどでよいので、各所に挿入されていれば、劇中に二つ存在する真夜中のシーンのサスペンスがもっと盛り上がったのにと思う。

 

総評

女は怖い。つくづくそう感じさせてくれる。女性に対して満腔の敬意と言い知れぬ恐怖を抱くJovianのような小市民は、本作のような女の物語を非常に怖く、危うく感じる。これはネガティブにではなく、作品に対するポジティブな賛辞である。小市民男性は本作を観て、男と言う生き物のケツの穴の小ささを再確認しよう。亭主関白を自認する人は観ないことをお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

outside the box

 

しばしば think outside the box という使い方をする。直訳すれば「箱の外で考える」だが、意訳すれば「固定観念にとらわれることなく考える」、「既存の枠組みを超えて思考する」ということ。これができるかどうかが、学生にとっても社会人にとっても、ますます重要になってくるだろう。

 

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『 マーウェン 』 -Welcome to Marwen, a traumatized man’s fantastical oasis-

Posted on 2019年8月3日2020年2月2日 by cool-jupiter

マーウェン 65点
2019年7月28日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:スティーブ・カレル
監督:ロバート・ゼメキス

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監督はロバート・ゼメキスである。Jovianは『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』シリーズは大好きだが、『 フォレスト・ガンプ 一期一会 』は楽しめなかった。おそらく自分にとって波長の合うゼメキス作品というのは、現実がフィクションに彩られる作品であって、フィクションが現実を彩る作品ではないのだろう。事実、『 リアル・スティール 』はそこそこ面白かったが、『 ザ・ウォーク 』には少々拍子抜けした。本作はどうか。これはフィクションと現実が溶け合う物語である。

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あらすじ

マークの乗る戦闘機はベルギー上空で高射砲に被弾。川に不時着したマークはナチス兵に包囲されるも、友軍の女性らの援護射撃で窮地を脱する・・・という人形劇を、マーク(スティーブ・カレル)は撮影していた。マーウェンと名付けた架空の村、それが彼と女性たちの楽園、そして終わることのないナチス兵との戦いの舞台なのだ。そしてマークは、過去に受けた暴行事件のダメージに今も苦しんでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianはトイ・ストーリーに興味は持ってこなかったが、人形劇にも一定の面白さがあることが分かった。人形とは、端的に言って依り代である。自分でありながらも、自分ではない自分をそこに投影することができる。マーク自身がいみじくも語るが、なぜ第二次大戦を舞台に、人形劇を展開し、それを写真に収めるのか。それはアメリカが善である戦争だったからと言う。つまり、マークは自分自身を善に捉えたいという願望もしくは欲求があるのである。さもなければ、そうすることでしか癒しを得られない事情がある。一見、平和的に見えるマークの暮らしに、彼の抱える暗黒面が垣間見える。彼は悪人ではない。ただ、心に抱えた闇がちょっと人より濃いだけである。彼が食らった暴行事件の大元の原因は実に他愛ないものである・・・と言い切れないのが、本作の評価を一部の批評家の間で難しくしているところだと推測する。マークは、本命女性(の人形)以外には優しく接するものの、本質的に優しくはしていない。一部のシーンで明らかになることだが、彼は身の回りの女性たち(本命除く)を性的な欲望の対象にしない。はっきり言って、これで好感度をアップしてくれる女性は、よほどのウブか、あるいはプロであろう。普通の一般的な女性というのは『 愛がなんだ 』のテルコのように「わたしって、そんなに魅力ないか?」と拗ねてしまうものなのだ。人形ではあるが、胸を丸出しの女性をオブジェのように扱うマークに恐れ慄いた男女は多いのではないだろうか。Jovianは、マークの在り方をそこまで奇異であるとは思わない。彼は、作家の本田透と非常に近い思考の持ち主なのだろう。つまり、一途な純愛を貫こうとするあまりに自分の気持ち悪さに気がつかないのだ。自分の気持ちだけに忠実になって、対象を見ずに暴走する。それは時に若気の無分別などとも言われたりするが、早い話が「恋は盲目」なのだ。いい年こいたオッサンが中学生ぐらいの精神年齢でロマンティックな夢を見る。いくらマークが心に抱える闇があるとはいえ、これを美しいと感じるのはマイノリティで、マジョリティはこれをキモいと感じるだろう。Jovianはもちろんマイノリティだ。

 

『 アリータ バトル・エンジェル 』が切り拓いた、実写とCGのシームレスなつながりを、スケールは全く違うが本作も多用する。というよりも、アリータはいつの間にか実写(そのほとんどは実際はCGのはず)世界に違和感なく溶け込んだが、本作ではいつの間にか我々はマークの妄想世界である人形劇世界、マーウェンに違和感なく溶け込む。ただし、これもかなり人を選ぶ演出だろう。マーウェンはマークにとっての桃源郷であっても、客観的にはそうではないからだ。好意的に見ればマークは芸術家でマーウェンは芸術作品だ。しかし否定的に見れば、マークはキモオタでマーウェンは同人作品だ。このあたりも波長が合うかどうかで見方が綺麗に割れるであろう。Jovianは波長が合った。マークは象牙の塔に住む芸術家である。

 

マーウェンを荒らすナチス兵との終わりなき闘争がマークの心象風景であるというメタ的構造も良い。中盤から終盤にかけて、マークの心的世界が現実世界を侵食することを明示するカメラワークがある。スクリーンそのものに語らせる、映画の基本的な技法にして究極の技法でもある。その上で、誰もが揺りかごの中で一生を全うできる訳ではない。現実世界は時に疲れるし、ロッキー・バルボアに説教されるまでもなく「世界は陽光と虹だけでできているわけでもない」=“The world ain’t all sunshine and rainbows.”それでも、幸せは世界に存在する。メーテルリンクの『 青い鳥 』と同じく、それに気付けるかどうかなのだ。ほろ苦さを漂わせながら、甘酸っぱさを予感させつつ物語は閉じる。なんとも不思議な余韻である。

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ネガティブ・サイド

再度強調するが、本作を堪能できるかどうかは、ゼメキスの世界観と波長が合うかどうかにかかっている。おそらく普通の映画ファンの7割は波長が合わないと思われる。彼ら彼女らはマークに都合の良い妄想全開のマーウェン、そして健気に甲斐甲斐しくマークを見守る人形たちを「非現実的」、「人格者」、「性格良すぎ」と見るであろう。もっとダイレクトに言えば、マーウェン=ハーレムだと捉える向きもいるはずだ。そこでプラトニックに振る舞うマークを心から格好いいと思える人は少数派で間違いない。マークは万人受けしないキャラなのだ。男からも女からも好かれにくいキャラなのだ。最初からマイナーな層しか狙っていないのかもしれないが、それを万人受けする作品に昇華させてこその巨匠だろう。マーティン・スコセッシやクエンティン・タランティーノのように、アクが強くても、メジャーヒットする作品を生み出せる人は生み出せるのだ。

 

スティレット・ヒールは1960年代になって初めて作られた、つまり第二次大戦中には決して存在しないことを明示するシーンがあるが、「マーウェンでは時々不思議なことが起こるのざ」とマークは嘯く。その時のBGMは“Addicted to love”。これは1980年代の楽曲だろう。マーウェンという独特な空間の神秘性を棄損してしまっている演出であるように感じるのはJovianだけだろうか。

 

『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』のパロディをやるなら、徹底的にやってもらいたい。デロリアンは権利関係か何かで使えないのか?それなら、燃えるタイヤ痕もいらない。非常に中途半端な演出であり、シークエンスだった。

 

裁判所のシーンも、保護司や弁護士はマークがああなってしまうことは予見できなかったのだろうか。日本でもレイプ被害者の女性が裁判員裁判で、フード、サングラス、マスク、マフラー、手袋などの完全装備で出廷したという新聞記事を読んだ記憶がある。何がきっかけでPTSDを発症するかは分からないが、それでも避けられる不安や懸念は避けるべきだ。このあたりが事実に基づくのか、事実と相違するのかは調べてみなければ分からない。しかし、マークがマーウェンから卒業するきっかけ作りのための態の良い演出に使われてしまった感は否めない。

 

総評

観る人を選ぶ映画であることはすでに述べた。誰にお勧めしたいかよりも、どんな人にお勧めしないか、それを語ったほうが有益かもしれない。中高大学生ぐらいのカップルのデートムービーには間違いなく不向きである。君達は素直に『 天気の子 』でも観に行きなさい。オッサンからの心からのアドバイスである。大人のお一人様も避けた方が良いだろう。自分を客観視した時に、「何やってんだ、俺は?」と感じることはある程度以上の年齢の人間には避けられない、一種の賢者タイムであるが、それをチケット代を払って大画面に没頭した後に味わいたいという奇特な人は、きっとマイノリティであろう。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, スティーブ・カレル, ヒューマンドラマ, ファンタジー, ロバート・ゼメキス, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 マーウェン 』 -Welcome to Marwen, a traumatized man’s fantastical oasis-

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