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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ヒューマンドラマ

『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

Posted on 2019年5月18日2020年2月8日 by cool-jupiter

ソラニン 70点
レンタルDVDにて鑑賞
出演:高良健吾 宮崎あおい 桐谷健太
監督:三木孝浩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190518023514j:plain

Jovianは高良健吾を高く評価している。三木孝浩監督については、まだ評価は定まっていない。『 坂道のアポロン 』、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』は良作、『 先生! 、、、好きになってもいいですか? 』、『 アオハライド 』は駄作、『 ホットロード 』、『 青空エール 』は凡作であると思っているからである。ちなみに『 フォルトゥナの瞳 』を観るつもりはない。原作者を好きではないからである。

 

あらすじ

バンドのヴォーカル兼ギタリストの種田(高良健吾)は、アルバイト生活をしながら音楽に夢を見続けていた。そんな彼と同棲している芽衣子(宮崎あおい)は、OL生活二年目にして要領の悪い生き方、働き方をしていた。そんな芽衣子がある日、会社を辞めてしまう。経済的に不安定になる二人。しかし、種田は音楽に賭ける決心をして・・・

 

ポジティブ・サイド

『 チワワちゃん 』とは一味違った青春模様である。といっても、ほとばしるエネルギー、若気の至り、といったような青春の正の面にフォーカスするのではなく、かといって無分別さのような負の面にフォーカスするでもなく、モラトリアム的な時間をいかに生きるべきかに光が当たる。Jovianはいわゆる就職超氷河期の人間だが、確かに大学4年生や社会人1~2年生というのは、子どもでもない大人でもない宙ぶらりんの存在である。小説および映画の『 何者 』ではないが、本当に何者にもなれていないのである。自分の可能性を追求できる最後のチャンス、それがこの時期なのだ。種田と芽衣子の関係の強さが、どこか儚げでどこか朧げなのは、二人の可能性が追求されていないからなのだ。そのことがほんのちょっとした言葉のやり取りや表情、立ち居振る舞いに表れている。種田の無邪気な笑顔は確かにパートナーをエンパワーしている。しかし、経済的に自立できていない以上、そこに説得力は無い。しかし、若さがある。そこにはポテンシャルが確かにある。そうした二律背反的な不安定さを種田と芽衣子のみならず、ドラムの桐谷健太やベースの近藤洋一も持っている。彼らが実家の薬局を継いだり、就職先を決めていくことは、彼らの音楽的な可能性、音楽で生きる未来像が閉じていくことと同義である。それは若さへの決別でもある。しかし、音楽によって永遠を生きることも可能なのではないか。そのことを非常に婉曲的に示唆したの『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』であり、圧倒的なリアリティで主張したのが『 ボヘミアン・ラプソディ 』ではなかったか。少人数の間の濃密過ぎず薄すぎない人間関係の描写がコンパクトで心地よい作品である。

 

ネガティブ・サイド

うだつの上がらないOLの芽衣子が「辞表」を出すのはどういうわけなのだ?そこは「退職願」もしくは「退職届」だろう。脚本およびそれの校正担当者の重大ミスである。

 

宮崎あおいの歌唱力は、もう少し鍛えられなかったのだろうか。『 リンダ リンダ リンダ 』のペ・ドゥナのような野性的な歌唱でも良いから、魂の叫びが聞いてみたかった。

 

桐谷健太は、もっとドラムでもって心情を語らしめることができたはずだ。『 TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ 』でも見事な腕前を披露してくれたのだから、部屋で雑誌の山をベシベシ叩くだけではなく、色んなものをぶっ叩くシーンがあっても良かったし、ラストのステージシーンでも、芽衣子に声をかけるのではなく、シンバルでも一発バーンと気付けに鳴らしてやればよかったのではないか。音楽にフィーチャーした映画なのだから、そうした演出がもっと必要だった。

 

総評

宮崎あおいの若々しさと高良健吾の若さ。この二つが良い感じにブレンドされた作品である。音楽に生きる男とそれについて行く女という構図は『 アリー / スター誕生 』とそっくりだが、こちらの方が個人的には面白さは上であると感じる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 宮崎あおい, 日本, 桐谷健太, 監督:三木孝浩, 配給会社:アスミック・エース, 高良健吾Leave a Comment on 『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

Posted on 2019年5月17日 by cool-jupiter

ドント・ウォーリー 70点
2019年5月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ジョナ・ヒル ルーニー・マーラ
監督:ガス・ヴァン・サント

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原題は“Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot”である。つまり、「心配無用。あの男は遠くまでは歩けない」ぐらいであろうか。障がい者を扱う作品は近年、特に増えてきている。本作はしかし、アルコール依存など諸々の別テーマも放り込んでくる興味深い作りになっている。

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あらすじ

ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は常に酒びたりのアルコール依存症。酒屋で酒を買うときにも手の震えが隠せない末期症状だ。そんな自堕落な男がとあるパーティーの帰り道、同乗者の飲酒運転で事故に遭い、胸から下が不随になってしまう。しかし彼は、新たに手に入れた車イスと風刺画の才、そしてアルコール依存脱却を目指すグループの人間関係で、第二の人生を歩んでいく・・・

 

ポジティブ・サイド

ホアキン・フェニックスの熱演よりも、ジョナ・ヒル演じるドニーの度量の大きさ、その器の大きさと小ささ、慈しみとその源泉たる悲しみ、語り口、表情などが圧倒的な迫力で迫ってきた。これは本当にジョナ・ヒルなのか。彼のファンならば決して見逃してはいけない。そう断言できるほどの会心の演技を披露してくれた。

 

主演のホアキン・フェニックスも魅せる。我々は障がい者に何らかの清い属性を投影しがちである。そのことは『 アイ・アム・サム 』や『 フォレスト・ガンプ 』などの作品を観ればよく分かる。一方で実在の障がい者を描いた作品は、彼ら彼女らの苦悩や人間的にごく自然で基本的な欲求を満たせないことから来るストレスなどを真正面から描く。『 ブレス しあわせの呼吸 』や『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』が好例であろう。ジョン・・キャラハンという主人公が自分では酒瓶を開けることができず、満足に動かせない手でボトルを掴み、コルクに齧りつく姿は滑稽以外の何物でもない。しかし、その姿に我々が見出すのは酒に溺れた憐れな男ではなく、生命力にあふれるしぶとい男なのである。食欲、性欲、睡眠欲は三大欲求と言われるが、キャラハンの飲酒欲は、彼が確かに生きていることの証明になっている。

 

そしてセックス方面もしっかり経験するから、スケベ映画ファンはそれなりに期待してよい。『 ドラゴン・タトゥーの女 』のレイプ/被レイプのような滅茶苦茶なベッドシーンではなく、非常にマイルドな描写なのであくまでも期待はほどほどに。それにしても、ルーニー・マーラは不思議な女優だ。ある作品では包容力ある大人の魅力ある女性を演じたかと思えば、別の作品ではパンクで過激な一匹狼を演じたりもする。我々にはもっとこういう女優が必要なのである。

 

そして、疾走するキャラハンの車椅子のスピード感よ。車イスと同じく、物語もテンポよくスイスイと進んでいく。ホアキン・フェニックスの近年の作品では白眉だろう。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』には及ばないものの、ヒューマンドラマの佳作になっている。

 

ネガティブ・サイド

キャラハンとルーニー・マーラ演じるアンヌの関係の深堀りが見たかった。障がい者のロマンスには、常にサスペンスとスリルとドラマがある。トントン拍子ではないベッドシーンが見たかったと個人的には思う。

 

キャラハンが車イスに適応するまでがかなり短く感じられた。そこはそんなものかと納得できないこともないが、彼の車椅子生活への順応と、周囲の人間のキャラハンへの順応の過程も見たかった。馴染みの店や学校以外の場所でもキャラハンが生き生きとしている描写があれば、彼という人間のリアリティがもっと生み出せたはずである。不世出の天才物理学者スティーブン・ホーキングが車イスで街中を散歩するのが馴染みの光景になっていたように、キャラハンもコミュニティの重要な風景の一部になっていれば、彼の人生の迫真性がもっと増したはずである。

 

総評 

障がいと向き合うというよりも、人生における不運、アクシデントにいかに向き合うのかというストーリーである。アンヌとジョンの関係にもっと迫った作りのストーリー、つまり障がい者のロマンス、またはセックスが見たいという向きはベン・リューイン監督の『 セッションズ 』、松本准平監督の『 パーフェクト・レボリューション 』などもお勧めである。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ジョナ・ヒル, ヒューマンドラマ, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, 監督:ガス・ヴァン・サント, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

Posted on 2019年5月14日 by cool-jupiter

PK 85点
2019年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アミール・カーン アヌシュカ・シャルマ 
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ゴールデンウィーク中の神戸国際松竹のインド映画祭りで鑑賞が叶わなかった作品。やっとこさDVDを借りてきたが、思わず2回鑑賞してしまうほどのインパクトをJovianにもたらした。PKの母星は地球から目視できるようだが、それは木星なのか(劇中で語られる距離からすると違うようだが・・・)?

 

あらすじ

ベルギーに留学中のジャグー(アヌシュカ・シャルマ)はサルファラーズと恋人になるも、思わぬ形で破局。失意の彼女は故国インドに帰り、報道アナウンサーになる。ある日、彼女は「神様 行方不明」というビラを配布して回る奇妙な男、PK(アーミル・カーン)に遭遇して・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ターミネーター 』を思わせる冒頭のシーンで、アミール・カーンの役作りの本気度が分かる。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でもそうだが、クリスチャン・ベールや松山ケンイチ、鈴木亮平のように役に合わせて体を作るものだ。それ以上に、まばたきをしない演技というクリシェのレベルを一段上に引き上げたことを評価したい。『 予兆 散歩する侵略者 劇場版 』の東出昌大はアミール・カーンから多大に学ぶことができるはずだ。

 

もちろん、ヒロインのジャグーを演じたアヌシュカ・シャルマも素晴らしい。次世代Indian Beautyという感じで、まるで森見登美彦(の描くへたれ男子キャラ)が恋焦がれてしまいそうなファーティマー・サナー(『 ダンガル きっと、つよくなる 』)とは、また違ったタイプの短髪アヒル口の美女である。彼女の導入シーンも、『 ヒットマンズ・レクイエム 』のパロディもしくはオマージュになっている。ベルギーで In Bruges で、一見すれば似た者同士が仲違いしそうになり、それでも上手く付き合っていきながら、しかしさらに上位の力のせいで・・・ と、やはりラージクマール・ヒラーニ監督は本作の着想のヒントを、マーティン・マクドナーから得たのではあるまいか。

 

インドという国は、日本とは多くの意味で異なる。おそらく最も理解が難しいのは宗教の違いだろう。これについてはインド人自身も自覚があるようで、これまでにも『 ボンベイ 』や『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』のような傑作が生み出されてきた。しかし、本作がこれらの先行作品に優る(と断言してしまう)のは、ヒンドゥー教とイスラム教といったような特定の宗教間の対立にフォーカスするのではなく、あらゆる宗教をまとめて張り倒して、それでも後に残るものは何かを追求しようとした点にある。『 ボンベイ 』で主人公が油を自らかぶって、「さあ、火をつけろ!」などと怒鳴るような方法で、相手も自分も宗教は違えど同じ人間だと気付かせる方法もある。一方で、『 インディペンデンス・デイ 』のように、宇宙人の襲来をもって、人類皆兄弟とある意味で強制的に納得させてしまう手法も存在する。本作のアプローチは後者の宇宙人型であるが、そこはハリウッドではなくボリウッド。宇宙人、必ずしも侵略者ならずである。

 

Jovianは大学で宗教哲学(古代東洋思想)を専攻したが、電話のかけ間違い(Wrong Number)という発想にはいたく感心した。これは哲学者アンリ・ベルクソンの「脳=電話交換局」というアナロジーに通じるところがあるからだ。人間と人間の対話がしばしば誤ってしまうのと同じく、人間と神との対話もしばしば誤ってしまう。このアナロジーが、さらに大きな意味で物語の入れ子構造になっている点にはさらにいたく感心した。『 きっと、うまくいく 』にも同様のプロット構造が採用されていたが、本作ではそれをさらに brush up した形で用いている。親子間の、また言葉によるコミュニケーションの難しさを実感する次第である。同時に、国籍や人種、信仰といった属性を剥いでしまった時に残るものを尊重できるかどうか。そのことの難しさと尊さをも実感させてくれる。

 

映画とは直接関係の無いところで面白いと感じたのは、宇宙人が language を必要としない種族であること。荒唐無稽に思えるが、language は communication を可能にする一つの媒体に過ぎず、心を読む能力さえあれば事足りるというのは説得力がある。心を読むとき、我々は抱くイメージ(!)は、文章を読むのではなく心象風景を読む、という心象風景である。知能=画像、と喝破する山本一成の知能論に説得力を感じつつあるJovianとしては、なぜ自分が殊更にビジュアル・ストーリーテリングを重視するのか。また、映像美に惹かれるのかを、本作に間接的に教えられたような気がする。

 

ネガティブ・サイド

PKの恋慕がやや唐突であった。ジャグーとの出会いの頃から、ほんのちょっとした会話や視線などを積み上げていくシーンがいくつかあれば、もっと良かった。

 

また、ダンスの兄貴との出会いをひ交通事故で描く必要性はあったのだろうか。何かもっと違う出会い方をしてほしかった。特に終盤の兄貴の story arc を考えると、勧善懲悪と言おうか、因果応報的な宗教的観念がどうしたって脳裏に浮かんでくる。兄貴には兄貴のカルマがあるのは分かるが、そこでもう少しマイルドな描写を模索して欲しかったと切に願う。

 

総評

宗教とは無関係、宗教には無関心。そうした姿勢の日本人は多い。しかし、本作に描かれるPKの神を巡る旅路は、宗教哲学的思考の実践としても、クリティカル・シンキングの模範としても、大いに参考になるものである。Dancing Carの部分だけはR15かもしれないが、その他のシーンでは中高生以上のあらゆる年齢層にとってeye-openingにしてjaw-droppingなストーリーを堪能することができる。これは文句なしに傑作である。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, アミール・カーン, インド, コメディ, ヒューマンドラマ, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

Posted on 2019年5月5日 by cool-jupiter

ある少年の告白 70点
2019年5月4日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ルーカス・ヘッジズ ニコール・キッドマン ジョエル・エドガートン ラッセル・クロウ
監督:ジョエル・エドガートン

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ルーカス・ヘッジズとティモシー・シャラメが、Jovianの考える20代のアメリカ人俳優のトップランナーの二人である。『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』では嫌なガキンチョでありながら傷心を隠せない少年、『 レディ・バード 』では可愛い男子からのゲイ、『 スリー・ビルボード 』では、姉の喪失と母親の支配に何とか抗おうともがく少年と、非常にゲイ達者・・・ではなく、芸達者であることが分かる。Jovian一押しのH・スタインフェルドとの共演を早く実現して欲しいものである。

 

あらすじ

ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)はカーディーラーにして牧師の父マーシャル(ラッセル・クロウ)と母ナンシー(ニコール・キッドマン)によって、同性愛矯正プログラムを実施している施設に送られる。そこで彼が体験したのは、プライバシーの侵害やマッチョイズムへの盲信、体罰に近い行為や言葉の暴力だった・・・

 

ポジティブ・サイド

こうした事実は小説よりも奇なりを地で行く物語には、ドラマチックさは必要であっても、シネマティックさは不要かもしれない。そう感じさせるほどに、全編に乾いた空気が流れている。光や音の鮮やかさによって魅せるのではなく、それらの欠如によって逆に浮かび上がってくる人間の心の仄い領域を本作は映し出す。単なるダークサイドではなく、それを正義であると思い込む人間の恐ろしさが、静かに、しかし確実に伝わってくる。監督も務めたジョエル・エドガートンは、ジャレッドの送り込まれる施設の長をしているのだが、この男の言動に漂う危うさは何なのか。それは、言葉に論理性も一貫性もないところである。同性愛を忌避の対象と最初から決め付け、なおかつその性的志向の源を家族のアルコール歴、ドラッグ歴、その他諸々に求める姿勢は滑稽千万である。しかし、観る側からすれば吐き気すら催すような男が、劇中ではそれなりにリスペクトされ、権威と権力を有し、数多くの子女に教育的指導を行っている。ジョエル・エドガートンはそうした“矛盾”を内包したキャラクターを卓越した演技力で体現してみせた。

 

彼の課すプログラムの一つにこのようなものがある。アルコール中毒や薬物中毒、刑務所での服役などを経た男による講話である。エドガートン演じるサイクス施設長によれば、地獄から生還した男は、男の中の男である。その男の話は、同性愛者にとって有意義である、ということだ。普通に考えれば、まともな男なら、酒にも薬物にも溺れないし、塀の向こうで過ごすようなことはしない。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズとサイクスの共通点は、両者ともに信念に基づいて行動していること。相違点は、前者の虐待的行為にはプロの信念があるが、後者の虐待的行為には何の裏付けもないということである。ホームワークとしてジャレッドが過去を回想することと、現在進行形の矯正プログラムを交互に映し出していくことで、サイクス施設長の存在感が徐々に薄れ、その化けの皮が剥がれていく。いかに不条理なプログラムなのかがどんどんと浮き彫りになっていき、最後には魔女狩り、異端審問的なところにまでたどり着く。

 

ジャレッドがこうしたプログラムに対して突き付ける拒絶の反応は痛快ですらある。それは彼が自身の考えや感情に基づいて行動するからである。彼は宗教的に厳格な父親との間に葛藤を抱えている。父親の言葉は全くの正論ではあるが、それは聖書の権威の押し売り以外の何物でもない。劇中で旧約聖書のヨブ記が言及されるが、これは誠に象徴的である。義人ヨブはある時、突然に神からすべての祝福を奪われ、財残を無くし、家族も無くし、自身の身体にもダメージを負う。それでもヨブは神を呪わなかったのだが、友人達との対話の末に、理不尽な仕打ちを止めるようにと遂に神に異議申し立てを行う。我々は神をしばしば「彼」と男性化して呼び表すが、ジャレッドが異議申し立てを行った相手は誰だったのか。これが本作の真のテーマなのではないだろうか。自分の心に問いかけよ。権威に盲目的に従うなかれ。同性愛者に向ける眼差しは、自分のものなのか、それとも他人のものなのか。

 

ニコール・キッドマンは母親役ばかりをオファーされ、受けているようだが、その演技は実に堂に入ったもの。キャリアの円熟期を迎えつつあるようだ。ラッセル・クロウもルーカス・ヘッジズもジョエル・エドガートンも素晴らしい仕事をしていたのに、最後にニコール・キッドマンがすべて持っていた感じがした。彼女のファンなら最後の最後まで席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

原作の書籍もこのように起伏に乏しいのだろうか。施設で行われていた矯正プログラムはどれも衝撃的というか、少年院もしくは刑務所と見紛うような代物なのだが、観る側が受けるショックと、作り手側が与えたいショックの種類が異なっていたようである。いや、Jovianのこの見方もずれている可能性がある。というのも、隣の隣の席にはえらい年配の男性同士が来ており、上映後に「あんなん日本では考えられんで。やっぱりアメリカやからやろうなあ」という感想を漏らしていた。Jovianからすれば、アメリカのような合理主義の国が、何の根拠もなく単純にマッチョイズムを信仰しているだけの人間に、かくも多くの人間が同性愛者の子女の矯正を依頼するところに驚きがある。逆にこの舞台が現代日本なら、そもそも施設など存在しないだろう。対象の子は座敷わらしになるだろうからだ。元々、織田信長や武田信玄の頃から同性愛は盛んだったはずだが、ハンセン病と同じく、そうしたものは忌避の対象になってしまったからだ。

 

神様と犬のネタでサイクスを攻撃する場面も見てみたかった。施設の恐ろしさは、何の学問的な裏付けも存在しないにもかかわらず、堂々と「治療する」「矯正する」というポリシーが罷り通ってしまっているところだった。それを可能にするのが、神への過剰ともいえる帰依、信仰である。そうした連中へのレジスタンスとして、神と犬ネタを使わなかったのはなぜだったのだろうか。尋常ではないダメージを与えられたと思うのだが。

 

総評

ルーカス・ヘッジズの静的な演技よりも、ジョエル・エドガートンの怪演が勝ってしまった。そんな印象である。しかし、だからこそ本作のメッセージ性はよりクリアになったも言える。異質な者を見る時、なぜ自分はその対象を異質だと感じるのか。異質だとして、それが矯正や、究極的には排除の対象になるのか。同性愛者に向ける眼差しを、乳幼児や高齢者、外国人に向けていないか。自分がそうだったらという想像力を持てるかどうか。特定の事象だけではなく、もっと普遍性のあるテーマが本作には隠れている。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ジョエル・エドガートン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

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全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

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  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

Posted on 2019年4月27日2020年1月29日 by cool-jupiter

ウォールフラワー 70点
2019年4月25日 レンタルDVD鑑賞
出演:ローガン・ラーマン エマ・ワトソン エズラ・ミラー
監督:スティーブン・チョボウスキー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190427022401j:plain

日本であろうとアメリカであろうと、学校には冷酷非情な生態系が存在する。スクールカーストというやつだ。高校生という、ちょうど大人と子どもの中間にある存在は、時に非常に脆く、時に非常に危うく、時に非常に強かで逞しい。そんな時期を追体験させてくれるのが本作である。

 

あらすじ

チャーリー(ローガン・ラーマン)は高校入学初日に、誰とも友達になれなかった。国語教師のアンダーソン先生(ポール・ラッド)にはポテンシャルを認められるも、生徒達とはどうしても距離が生まれてしまう。しかし、ある時、フットボールの試合で上級生のパトリック(エズラ・ミラー)とその義理の妹サム(エマ・ワトソン)と知り合い、友達になる。しかし、チャーリーにはある秘密があって・・・

 

ポジティブ・サイド

上級生にして親友となるパトリックを演じるエズラ・ミラーの演技。これは素晴らしい。『 ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 』、『 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』では完全なるダウナー系(にしてマグマをため込むタイプ)を演じ、『 ジャスティス・リーグ 』ではフラッシュという天然アッパー系キャラを演じていた。次代のハリウッドを牽引する可能性を秘めた役者であり、アダム・ドライバー並みか、それ以上に活躍できるポテンシャルがありそうだ。本作でも優しさと包容力がありながら、自分なりの闇や負の側面をも抱えたキャラを見事に体現した。登場の瞬間から観る者に違和感を抱かせるのだが、そそっかしい人は妙な演技と勘違いしてしまうかもしれない。それは妙なのではなく、分かりにくい分かりやすさ、もしくは分かりやすい分かりにくさなのだ。特に珍しい属性ではないので、慣れた人ならすぐに見抜くだろうし、慣れていない人でもすぐに納得できるだろう。このあたりの演技のさじ加減が絶妙なのである。

 

エマ・ワトソンも魅せる。なぜかダメ男とばかり付き合ってしまう女性は、往々にして良い女なのだ。いや、女が器量よしだから、そばに立つ男のダメさが余計に際立つのだろうか。本作にはハーマイオニーの面影は無い。ダニエル・ラドクリフが『 ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館 』や『 ヴィクター・フランケンシュタイン 』でハリーのイメージを払しょくしたのと同じく、今作はエマ・ワトソンは非常に racy なバックグラウンドを有する slutty なキャラを具現化した。これらの英単語の意味を調べるのが億劫な人は是非本作を鑑賞しよう。

 

原題の The Perks of Being a Wallflower とは、壁の花でいることの利点、ぐらいの意味か。パーティーなどで部屋の中央に陣取る花形ではなく、壁に背をつけて時間をつぶす、いわゆるはみ出し者キャラのことである。ローガン・ラーマンもそうしたキャラを説得力ある形で体現した。彼にはとある秘密(というか特徴)があり、まるで『 君が君で君だ 』の尾崎豊的なところがある。というか、普通の男であればこうした特徴を大なり小なり有しているものであるし、Jovianはこのキャラクターがいたく気に入った。学校でまともに話せるのが先生だけ、という状態から同世代の友人を得て、恋の素晴らしさを知り、また恋の恐ろしさを知る(それは自分の弱さや残酷さを知ることでもある)というビルドゥングスロマンが、心の琴線に触れるのだ。詳しくは観てもらうしかないが、チャーリーの“理屈”に賛同しする、あるいは同じように感じたことがあると思い当る男性連中は多いはずだ。

 

そうそう、国語教師のポール・ラッドも良い味を出していた。千万言を費やすよりも、自分の愛読書を読んでもらう方が、思いやりや尊敬、信頼の気持ちをより強く表すことができる。そんな理想的な教師像を彼の姿に見た。俺もこんな風になりたいなと思えた。

 

ネガティブ・サイド

チャーリーに仕込まれたトリックというか、とあるトラウマの秘密が、ややありきたりである。極端な話、漫画『 ベルセルク 』のガッツの抱えるトラウマと同質のものの方がよりインパクトがあり、なおかつパトリックという兄貴キャラとの整合性というか、相性の面でもより良かったのではないかと思う。

 

また、チャーリーの家族との触れあい、交流の場面がもっと欲しかった。チャーリーという主人公が、どのように変わり、また変われないのかを最もよく知るのは、やはり家族だからだ。

 

もう一つ、チャーリーの恋の始まり方の説得力が弱かった。この恋の終わり方がハチャメチャなので、始まりもある意味ではもっとぶっ飛んだ、若気の無分別で良かった。ここでの無分別というのは性欲と恋心を混同するというような意味ではなく、周囲に遅れているのではないかという焦燥感や異性への純粋な好奇心、そうしたものから偶発的に始まってしまった関係だったほうが、チャーリーというキャラによりマッチしていたように思う。

 

総評

青春ものとして佳作である。日本で同じテーマを描こうとしても、様々な意味で難しいだろう。しかし、こうしたはみ出し者たちの心温まる交流風景や衝突、断絶を経ての成長物語は普遍的なテーマであるはずで、誰が観ても何がしかのメッセージを受け取ることができるし、共感を呼び起こされるはずである。高校生以上なら充分に理解ができるはずだし、青春のほろ苦さを予習もしくは追体験することができる。お勧めの一作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エズラ・ミラー, エマ・ワトソン, ヒューマンドラマ, ローガン・ラーマン, 監督:スティーブン・チョボウスキー, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

Posted on 2019年4月25日2020年1月28日 by cool-jupiter

ハンターキラー 潜航せよ 65点
2019年4月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジェラルド・バトラー ゲイリー・オールドマン
監督:ドノバン・マーシュ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190425155227j:plain

『 アメリカン・アサシン 』のように、ちと欠点は抱えているものの、新時代の物語と評してよい作品である。米ロ(米ソ)の対立を描くに際して、北の海の下に潜水艦が蠢いているということは漫画『 沈黙の艦隊 』で描かれていた。あの漫画のようなスーパー潜水艦を期待してはいけない。だが、米ソ冷戦から時代は着実に移り変わっているのだと思わせてくれる作品である。

 

あらすじ 

ある時、ロシア近海でアメリカの原潜が消息を絶つ。撃沈されたものと推測された。米海軍は急きょ、ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)艦長率いる攻撃型原潜(ハンターキラー)を派遣するが・・・

 

ポジティブ・サイド

潜水艦映画の白眉は『 U・ボート 』や『 レッド・オクトーバーを追え! 』だろう。だが本作は、これらと同列に語るべきではない。何故なら舞台は潜水艦であっても、ストーリーの照準はキャラクターであるからだ。『 U・ボート 』のような濃密な船内生活の描写は無いし、『 レッド・オクトーバーを追え! 』のような重厚な心理戦も無い。本作は、国家という枠を超えたキャラクターたちのケミストリーにその魅力が凝縮されている。ある意味、『 ロッキー4 炎の友情 』のようなものなのだ。

 

ここでいうキャラクター達とは、二人の艦長、ジェラルド・バトラー演じるジョー・グラス艦長とミカエル・ニクビスト演じるアンドロポフ艦長である。ちなみにニクビストはスウェーデン人。こんなところもドルフ・ラングレンに通じるように思える。Rest in peace. You did a fantastic job portraying a seasoned veteran skipper.

 

Back on track. 本作は、国家という枠を壊そうとする者を、国家という枠を超えて信頼し合う者たちが食い止める物語なのだ。『 アメリカン・アサシン 』は国家が執行しようとする正義の姿が、幸か不幸か個人の復讐心と一致してしまったのだが、今作はロシア国防相によるクーデターをロシア大統領の側近とアメリカ人チーム、そして上述の二人のベテラン船乗りのタッグが防ぐ。潜水艦というのは、一度潜ってしまえば定期通信以外では海中深く隠密行動するのが基本で、まさに「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり。」手練れの軍人にして人間味溢れる男が、副長の諌めを聞かず、ただひたすらに自らの信じる道を貫き通す様は清々しい。世のサラリーマンの今後あるべき姿、すなわち会社の名前ではなく、個の器、知識、技能、信用を基に雄々しく生きている姿がグラス艦長に投影されているからか、一頃クソ映画専門俳優として定着しかけていたジェラルド・バトラーも、本作で息を吹き返したのではないか。

 

潜水艦アクションを期待してはいけないのだが、その他のアクションはバッチリあるので、そこは期待してもよい。特に1980年代に少年時代を過ごした世代は弾幕とは薄いものであるという思い込みがあるのだが、本作はそんな固定観念を見事に打破してくれるシーンがある。手に汗握るシーンなので楽しみにしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、本作に描かれるロシア軍人たちは、誰も彼もが少々間が抜けている。それは原作小説を映画用に大胆に書き変えた影響もあるからであろうが、それにしてもリアリティに欠ける。アンドロポフ艦長は優秀な軍人のようだが、それならば何故にアメリカ原潜にケツにぴたりと貼りつかれて気付かなかったのか。だいたい、ロシア軍には歩哨はいないのか。挟み撃ちという戦術はないのか。武器をくれと言って、銃を手渡されたキャラクターがその武器を使うシーンがほとんど無いのは何故か。

 

また撃ち殺すなら、きっちり撃ち殺す。そのために撃つべき箇所は限られている。だいたい映画で水に落ちる奴というのは死んでいないのだ。水に落ちるというのは、生死を不明にしたい時のclichéである。『 キングコング対ゴジラ 』から『 フレディVSジェイソン 』に至るまで、水に落ちる=まだ死んでいない、なのである。

 

その水関連で言えば、たった今まで寒中水泳していた男の髪の毛が濡れていないのはどういうわけか。『 ニセコイ 』か。その男たちのロシア潜入シーンは、『 ゴジラ(2014) 』や『 ミッション・インポッシブル フォールアウト 』にそっくりという有様。もっとこのあたりは練り上げることができたはずだ。潜水艦や駆逐艦のシーンばかり考えていて、こういったシーンの絵作りが疎かになっていたのだろうか。

 

おそらく編集中にカットされたのだろうが、グラス艦長とアメリカ海軍の通信シーンや、ロシア軍の捜索・索敵ミッションの一部がカットされているために、全体を通して物語を観た時に、「さっきのあれは結局どうなった?」と感じるシーンがいくつかある。こうしたところが本作の弱点として挙げられる。

 

総評

ド派手なアクションを期待してはいけない。アクションファンを唸らせるような出来ではない。しかし、新時代の軍人像を確かに描いており、そこに共感できる宮仕え人(要するにサラリーマン)なら、殊のほか楽しめるのではないか。大型連休にそこまでたくさんお金を使うことはないよ、という人は映画館で本作を鑑賞するのも選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イギリス, ゲイリー・オールドマン, ジェラルド・バトラー, ヒューマンドラマ, 監督:ドノバン・マーシュ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

Posted on 2019年4月19日2020年2月2日 by cool-jupiter

ビューティフル・ボーイ 70点
2019年4月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スティーブ・カレル ティモシー・シャラメ
監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190419015618j:plain
元プロ野球選手の清原和博、そしてミュージシャンかつ俳優のピエール瀧など、日本でも違法薬物に手を染めてお縄を頂戴する羽目に陥る人間は定期的に現れる。だが、彼ら彼女らの問題は薬物ではない。そのことを本作はうっすらと、しかし、はっきりと宣言する。単に父子の愛の美しさを称揚する映画だと思って鑑賞すると、ショックを受けるかもしれない。

 

あらすじ

フリーランスで文筆業を営むデビッド・シェフ(スティーブ・カレル)は、息子ニコラス(ティモシー・シャラメ)が薬物に徐々にはまっていくのを見ながらも、どこかで楽観視していた。自分も経験してきた、若気の無分別だと。しかし、ニックの依存症は深刻さを増すばかりで・・・

 

ポジティブ・サイド

ダークサイドに堕ちていくティモシー・シャラメ。もしも今、『 スター・ウォーズ 』のエピソードⅢをリメイクするなら、アナキン役はこの男だろう。そう思わせるほどの迫真性があった。クスリでハイになった人間を描くには二通りが考えられる。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオやジョナ・ヒルのように徹底的にコメディックに描くか、あるいは『 レクイエム・フォー・ドリーム 』のように徹底的にシリアスに描くかだ。本作は明確に後者に属する。

Jovianは煙草を止めて7年9カ月になるが、チャンピックスが効き始める前、手持ちの煙草の箱が空になった時が最もしんどかった。イライラするので夜に近所を散歩していたら、目の前を歩くオッサンが火がついたままの煙草をポイ捨てした。それを拾ってスパスパ吸ってやりたい衝動に駆られたのを今でもよく覚えている。本作はクリスタル・メスという薬物の依存症を描くが、おそらくこの薬の魔力は煙草の1,000万倍ではきかないと思われる。もはや自分の意志で何とかなるものではないのだ。

ティモシー・シャラメは『 ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界 』ではアンセル・エルゴートにボコられてしまったが、今作で役者としてもキャリアの面でもアンセルを抜いたと言ってよい。少年の無邪気さをその目に宿しながら、どこか世界を斜に構えて見るところがある。それでいて、血のつながらない母や弟や妹にも愛情たっぷりに接する。しかし、文筆と絵画の才に秀でた彼が内に秘めていた黒い想念は、ホラー映画かくあるべしと思えてくるほどの恐怖を観る側に与えてくる。なぜなら、そこにいるビューティフル・ボーイは素の彼ではなく、薬に操られるがままのマリオネットだからである。

父を演じたスティーブ・カレルは今まさに円熟期を迎えている。アメリカ社会が必要であり理想と考えるpositive male figureの役割を果たすことに心魂を傾注するが、それは決して無条件に息子を信頼することではない。彼は完璧超人でも聖人君子でも何でもない。至って普通の男なのである。怒りで声を荒げてしまうこともあるし、息子の助けを拒絶することもある。自分の非力、無力を痛感し、専門家にも頼る。等身大の父親なのだ。『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』ではダウナー系の中年を、『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』や『 プールサイド・デイズ 』では嫌味な男をそれぞれ好演していたが、『 40歳の童貞男 』を超える代表作になったと言ってよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

デビッドまでがドラッグをやる描写は必要だったのだろうか。いや、アメリカ人に「ドラッグをやったことはあるか?」と尋ねるのは愚の骨頂であるらしいことからして、息子と一緒になってハッパを吸い込むぐらいなら良い。しかし、スラム街で売人から購入した白い粉を鼻からスーッと吸引する場面は必要だっただろうか。あれは、観る側の想像力に委ねるような描写や演出の方がより効果的だったように思う。

また、ジョン・レノンの“ビューティフル・ボーイ”は劇中ではほとんど聞けない。看板に偽りありとまでは言わないが、拍子抜けだった。デビッドは言葉でも文字でもニックにビューティフル・ボーイと語りかけるが、本来のボーイたるべきニックの弟にはそのようには呼びかけない。このあたりの父と息子たちへの接し方の違いを、もう少し丹念に描写するシーンが欲しかった。

物語のペーシングにもやや難ありである。「え、まさかこれで終わり?」というシーンが何度かあるのである。また、時系列的に混乱を呼びかねない描写もいくつかある。回想シーンなのか現在のシーンなのか分かりにくいというのがJovianの嫁さんの感想であった。このあたり演出力は『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』の方が優っている。

 

総評

違法薬物の使用で芸能人がしょっ引かれるのは何年かに一度のお約束であるが、本作公開のタイミングは、その意味ではパーフェクトである。薬物そのものの恐ろしさもあるが、結局は薬物に頼らざるを得ない原因があるということを、繰り返しになるが、本作は暗示的に、しかし、力強く明示する。中学生ぐらいの子どもがいれば、親子で劇場鑑賞するのも良いだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スティーブ・カレル, ティモシー・シャラメ, ヒューマンドラマ, 監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

Posted on 2019年4月16日2020年2月2日 by cool-jupiter

マイ・ブックショップ 65点
2019年4月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エミリー・モーティマー ビル・ナイ パトリシア・クラークソン
監督:イザベル・コイシェ

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嫁さんが思い立ったように「観たい」と言ってきたのが本作である。『 続・夕陽のガンマン 』を観て以来、どうも面白不感症に罹患しているらしい。そういう時は、自分のレーダーではなく、誰か別の人間の感性に身を委ねてみるのも一案である。

 

あらすじ

戦争の傷跡からようやく立ち直りつつある英国の海沿いの町。フローレンス(エミリー・モーティマー)はそこに、戦死した夫と共に見た書店を開くという夢を実現すべく奔走する。なんとか開業にこぎつけたものの、有力者のガマート夫人(パトリシア・クラークソン)の妨害を受けてしまう。しかし、バイト少女のクリスティーンや素封家にして読書家のブランディッシュ(ビル・ナイ)の助力を得たフローレンスは、敢然と立ち向かうが・・・

 

ポジティブ・サイド

「毅然」という言葉を辞書で引けば、今作のエミリー・モーティマーを使った挿絵が出てくるのではないか。そう感じさせるほどの会心の演技であろう。彼女の書店開業への道は ”It’s been no bed of roses, no pleasure cruise” である。銀行が融資を渋るのだが、これは当時の世相を反映しただけのものではなく、現代の現実を鋭く批評する姿勢の現れである。現代日本には、紳士服を売る店が溢れている。しかし、女性が大きなコンベンションやパーティーに着て行って恥ずかしくないスーツが売られている店は本当に少ない。銀座英國屋ぐらいしかない。これは、とある大阪の女性経営者の声である。Jovianは冒頭のシーンで、この女性経営者の声を思い出さずにはいられなかった。モーティマー演じるフローレンスは数々の苦難に負けることなく、オールドハウスを手に入れ、書籍を仕入れ、書店を見事にオープンさせるのだが、そこにパトリシア・クラークソン演じるガマート夫人の横やりが、これでもかと入ってくる。海辺の小さな町ではあるが、彼女はいわゆる、『 きばいやんせ!私 』で描かれていたような地元のボスキャラである。この町には本屋はいらない。この町に本を読む人はいない。こうした姿勢は、反知性主義、反啓蒙主義である。これまた鋭い現実批評である。政府自らフェイクニュースを垂れ流すどこかの島国の愚行をスケールダウンして見ているかのようである。

 

フローレンスには、そこから先にも数々の苦難が襲い来るのだが、ガマート夫人の攻撃を防がんと立ち上がるビル・ナイが、ここで一世一代の演技を披露する。彼の演じるブランディッシュとガマート夫人の対話は、近年の映画の中でも出色のサスペンスを生み出している。そしてビル・ナイがここで振るう渾身の長広舌は、観る者の魂を揺さぶるかのような迫力に満ちている。

 

それでも、まるで『 おしん 』のように耐え忍ぶフローレンスに、ついに限界が訪れる。このシーンは悲痛である。正義の無力さを思い知らされるかのような虚無感に襲われる。しかし、最後の最後にカタルシスも待っている。それが何であるのかはネタばれになるので言えない。ただ、始まりのシークエンスがどのようなものであったのかを脳裏に刻みつけておいてほしい。また、劇中でたびたび挿入されるナレーションにも注意を払って欲しい。しかし、払い過ぎないで欲しい。ややネタばれめいたことを言わせてもらえるなら、ノンフィクション・エッセイ『 僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 』を読んだ時のような衝撃が待っている(ちなみに、この本のレビューは決して読んではいけない)。

 

ネガティブ・サイド

『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』ような陰惨、陰鬱な絵ではない。むしろ映像はやや明るく綺麗でもある。スクリーンの明るさと物語の暗さの対比が、やや適切ではないのかなと感じた。

 

フローレンスというキャラクターにも、強かさが欲しかった。お人好しが過ぎる言うか、もう少し警戒心や猜疑心を持っていても良かった。実際には夫を戦争でなくした未亡人なわけで、世の中を綺麗ごとだけで渡って行けるわけではないだろう。このような性格や気質であるからこそブランディッシュが立ち上がったのだとも言えるが、逆に言えば、このようなキャラであっては、最終盤の行動が説明できない。このあたりは賛否両論が生まれるところだろう。Jovianは否と見る。

 

思わぬドンデン返しというか、新鮮な驚きがあるところはプラスだが、『 ショーシャンクの空に 』のように、最悪であるはずの刑務所を自分の才覚で変えていく、倒すべき悪をしっかりと倒すという筋書きの物語を体験したかった。最終盤に得られるカタルシスの大部分はストーリーテリングに関わるもので、ストーリーそのものに対するインパクトの面では弱かった。

 

総評

非常に静かな映画である。しかし、登場する人物たちの中にはドロドロとした情念が渦巻いている。牧歌的な物語でも堪能しようと鑑賞すれば裏切られるだろう。だが、人間模様をつぶさに観察できる、自身を取り巻く現実との対照で映画を観るような人ならば、本作は豊穣な時間を提供してくれることであろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エミリー・モーティマー, ココロヲ・動かす・映画社○, スペイン, ヒューマンドラマ, ビル・ナイ, 監督:イザベル・コイシェ, 配給会社:Leave a Comment on 『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

Posted on 2019年4月8日2020年2月2日 by cool-jupiter

記者たち 衝撃と畏怖の真実 70点
2019年4月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェームズ・マースデン
監督:ロブ・ライナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190408013310j:plain

9.11当時、Jovianは大学4年生だった。大学の寮のテレビで、飛行機がWTCに突っ込む映像を観て青ざめていたアメリカ人のdorm mateたちのことは今でも忘れられない。あれから20年近くが経とうとする今、この映画が作られ、公開される意味は何か。当時の日本の政治状況と世界市民の声を覚えていて、そして2010年代後半、特に米トランプ政権誕生以後の権力とニュース・情報・報道の関係を考えるならば、受け取るべきメッセージは自ずから明らかである。

あらすじ

ナイト・リッダー社の記者、ジョナサン・ランデー(ウッディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は、9.11発生からアルカイダとイラク・フセイン政権を結びつけ、第二次湾岸戦争に突き進もうとするブッシュ政権に疑問を抱く。取材を通じて、彼らは政権中枢の権力者の嘘を暴いていくが・・・

ポジティブ・サイド

珍しく良い邦題である。原題はShock and Aweであり、これが「衝撃と真実」の意なのだが、同時にこれは米軍がフセイン政権打倒の軍事行動に名付けた作戦名でもあるのである。フセインを逮捕し、殺害し、その死骸を海に遺棄するという暴挙に出たオバマ政権であるが、その結果として中東はどうなったか。ISISの台頭およびその他の小部族の乱立と割拠により、戦争前よりも混迷度の度合いを増している。だが、そうした面に光を当てる映画作りはマイケル・ムーアに任せよう。

本作が描き出すのは、記者としての矜持と批判の精神、そして不屈の行動力をもって躍動する2人のバディである。彼らの人間性や私生活も描かれはするものの、スクリーンタイムの大部分は彼らの職務たるジャーナリストとしての取材活動に充てられる。それが、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描かれるのだ。この“タッチ”というのが味噌である。本作は、報道ドキュメンタリーではなく、さりとてサスペンス要素満載だった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』のようなシリアスなドラマでもない。適度なリアリズム感覚とでも言おうか、ランデーとストロベルの上役にして監督をも務めるロブ・ライナーの現実感覚がここに見て取れる。彼は国家権力の暴走の可能性を注視しながらも、市井の人々の良心にも望みを抱いている。このあたりが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』当時のベトナム戦争と、本作の映し出す第二次湾岸戦争、イラク戦争との違いであり、共通点でもある。

『 ブラック・クランズマン 』や『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、アメリカ市民は“Hell no! We won’t go!”と叫んで戦争反対への意思表示をしていた。それは戦争に関する情報があまりにも少なく、不正確だったからだ。しかし、この現代という時代、様々なメディアがあり、情報ソースがあり、それらに容易にアクセスできる環境も整備されているにもかかわらず、なぜ戦争が始まってしまったのか。国家規模で開戦に突き進んでしまったのは、いかなる機序によってだったのか。それがまるでどこかの島国にそっくり当てはまるように見えてしまうのは、Jovianの杞憂に過ぎないのか。それとも、2002~2003年にかけて、戦争への道をひたすらに邁進するアメリカに“Show the flag!”と言われた翌日に「アメリカを支持する!」と世界に先駆けて宣言した、小泉総理・自民党総裁を思い起こさせて来るような、ショッキングな世界市民のデモ映像が当時の不穏な空気を、そして現代においても勤労統計の不正操作や様々な公文書の改竄疑惑が晴らされていないということを、どうしても想起させられるからなのか。

権力とメディアの双方に信を置くことが難しくなっているこの時代、そして社会に生きる者として、客観性(それは劇中では数字に象徴される)と良心の重要性を訴えかけてくる本作は高校生、大学生以上の日本人にとって必見かもしれない。

ネガティブ・サイド

現実が充分にドラマチックであるせいか、チェイニーやラムズフェルド、ブッシュらのスピーチやコメントがテレビ画面に映るたびに、それは圧倒的なリアリティを帯びる。当たり前だ。実在する人物が現実に発した言葉なのだから。問題は、それらのパートとのバランスを取るべき記者たちの人間の部分、私生活の部分が弱いことである。例えば、ストロベル記者の love interest になる女性リサ(ジェシカ・ビール)は完全に都合のよい狂言回しだった。

同じく、ランデーの妻ヴラトカ(ミラ・ジョボビッチ)の存在感ももう一つである。ユーゴスラビア系のルーツを持つのであれば、NATOによるユーゴ空爆の話なども交え、いかにアメリカが変わらないのかをもっと厳しく追及できたはずだ。あまりにも中道を行き過ぎたか、もう少し劇的な要素が織り交ぜられていても良かったのではないか。

総評 

弱点はあれど、本作は今というタイミングで送り出される価値のあった作品である。そしてそれはアメリカのみならず、多くの国家と国民にとって共通の事象を浮き彫りにする。すなわち、国家あっての国民なのか、それとも国民あっての国家なのかということである。『 銀河英雄伝説 』のヤン・ウェンリーの言葉、「政治の腐敗とは 政治家が賄賂を取ることじゃない それは政治家個人の腐敗であるにすぎない 政治家が賄賂を取っても  それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ」ということを、我々はゆめ忘れてはならない。イラク戦争絡みの映画で、戦争と一個人の生き様が見事に交錯する作品として、シリアスな『 ゼロ・ダーク・サーティ 』、どこまでもユーモラスな『 オレの獲物はビン・ラディン 』などもお勧めできる。特に後者は、国家や国民という枠組みを笑い飛ばす破壊力を秘めた珍品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, ジェームズ・マースデン, ヒューマンドラマ, 監督:ロブ・ライナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

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