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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

Posted on 2020年11月21日 by cool-jupiter

グエムル-漢江の怪物- 75点
2020年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソン・ガンホ ペ・ドゥナ ピョン・ヒボン パク・ヘイル オ・ダルス
監督:ポン・ジュノ

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『 ゴジラ 』がそうであるように、怪獣は戦争や災害、あるいは人間の業の象徴である。本作を通じてポン・ジュノは何を描こうとしたのか。英語タイトルが“The Host”であるところから、『 パラサイト 半地下の家族 』の対になる作品であることは間違いない。

 

あらすじ

在韓米軍基地は毒薬を漢江に垂れ流していた。その数年後、突如として漢江から巨大なオタマジャクシのような怪物が出現し、人間を襲っていく。怪物に娘ヒョンソをさらわれたカンドゥ(ソン・ガンホ)は家族総出でヒョンソを救出しようとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』が韓国人家族と韓国人家族(と韓国人家族)の寄生関係を描いたものであるとすれば、本作の英語タイトルが指し示す“宿主”とは何か。それは歪な韓国社会そのものだろう。歪とはどういうことか。それは宗主国たるアメリカの軍部に言われれば、自らの国土を猛毒で汚染することもいとわない国家の体質だ。いわば、このグエムルは韓国社会の鬼子なのだ。

 

本作は怪獣映画にしては珍しく、怪獣の登場を引っ張らない。開始10分も経たないうちに怪獣が姿を現す。そして人々を襲っていく。ゴジラ級のサイズではなく、マイクロバス程度の大きさの怪獣が白昼堂々と全身を晒して人間を食べていく様は爽快ですらある。凡百の作り手ならば、グエムルの初登場は夜、それも酔っぱらって、ひとり夜風にあたろうと川べりにやってきた者を尻尾でヒュンと引き寄せて終わり、のような焦らす構成にするはず。ポン・ジュノ監督はそれをせず、怪獣の見せ場をいきなり序盤に持ってきた。そうして怪獣の社会に与えるインパクトを最大限に観客に見せつけ、そこから怪獣に対処していく韓国政府や米軍、そして娘を奪われた家族の動きに視線をフォーカスしていく。『 GODZILLA ゴジラ 』のサブプロットになりそうだった「怪獣出現によって離散してしまった(主人公とは赤の他人の)親と子の物語」を、『 エイリアン2 』でリプリーがニュートを救出せんとする勢いで展開される家族の奮闘物語は、日本の怪獣映画ジャンルではあまり見られなかったものだろう。怪獣が暴れていなくても、カンドゥの家族が当局や軍を向こうに回して奮戦して、緊張感が途絶えない。

 

ダメ男であるソン・ガンホが娘のために立ち上がり、一度はあきらめかけた家族が、それでもヒョンソ救出のために一致団結して、韓国の当局や米軍をも相手に回して、堂々とグエムルに立ち向かっていく描写は、リアリスティックとは言えないが、非常に力強く上質なファミリードラマになっている。ぺ・ドゥナがアーチェリー選手というのもいい。映画の世界では『 ロード・オブ・ザ・リング 』のレゴラス、『 ハンガー・ゲーム 』のジェニファー・ローレンスに次ぐ射手で、スマートに標的を素早く射抜くのではなく、泥まみれになって必中のタイミングを待つタイプである。終盤の一撃はひたすらにかっこいい。

 

本作の背景には『 サニー 永遠の仲間たち 』で描かれたような、軍事政権に圧迫されていた民衆の蜂起の歴史がある。グエムルは鬼子であって奇形生物であり、その原因は米軍が作ったとなると、どうやってもベトナムを想起しないわけにはいかない。『 息もできない 』で描かれたように、戦争は人間の心を壊すのである。本作は、家族の再生物語でもあるのだ。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』にも通じる、というか受け継がれたエンディングがそこにある。邦画の世界が『 朝が来る 』で提示したテーマを、韓国は10年以上前に先取りしていたようである。さらにCOVID-19やMERS以前でありながら、マスク姿の市民のパニックを正確に描き出してもいる。ポン・ジュノの慧眼、恐るべし。

 

ネガティブ・サイド

結末がちょっと・・・ 韓国の家族観には感動させられることもあるが、困惑させられることもある。本作はその両方を味わわせてくれるが、感動3:困惑7の割合である。

 

グエムルを倒すための最終兵器もやや???である。グエムルに効いて、人間相手には効いたり、効かなかったりする。もちろん米軍への皮肉なのであろうが、気象条件によっては使用できない兵器というのはいかがなものか。いっそのこと、漢江に対グエムルの物質を大量に放流するぐらいのエクストリームな展開にしてもよかったのではないかと思う。

 

最後に米軍サイドの人間にもなんらかの勧善懲悪的な展開があってほしかった・・・ これは大人の事情で難しいか。

 

総評

シンプルに面白い一作。コロナ禍の今だからこそ再鑑賞する意味や機運が高まっていると言えそう。怪物グエムルのCGっぽさに2000年代を感じさせるが、その他の家族ドラマの部分には普遍性が感じられるし、国家や社会の怪物(およびウィルス)への反応には先見性が感じられる。年末年始は里帰りせずstay homeの予定であるという向きは、本作をwatch listに入れておかれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be broad-minded

『 罪の声 』で三頭竜=Three-headed Dragonなど、分詞の形容詞的用法の例を紹介させてもらった続きである。序盤の米軍科学者が“The Han River is a broad river. Let’s be broad-minded.”=漢江は広い川だ。我々も広い心を持とう(そして汚染物質を川に流そう)と言うシーンがある。narrow-minded=偏狭な、狭量な、心の狭い、とセットで覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, オ・ダルス, ソン・ガンホ, パク・ヘイル, ヒューマンドラマ, ピョン・ヒボン, ペ・ドゥナ, 怪獣映画, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:角川ヘラルド映画, 韓国Leave a Comment on 『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』 -軽妙洒脱なフレンチ・コメディ-

Posted on 2020年11月17日2022年9月19日 by cool-jupiter

シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 75点
2020年11月14日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:トマ・ソリベレ
監督:アレクシス・ミシャリク

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『 シラノ恋愛操作団 』という佳作があったが、戯曲『 シラノ・ド・ベルジュラック 』はいつの時代、どの地域でも、男性の共感を得るだろう。その戯曲の舞台化の舞台裏を映画にしたのが本作である。

 

あらすじ

エドモン・ロスタン(トマ・ソリベレ)に大物俳優クランの主演舞台の脚本を書く仕事が舞い込んできた。だが決まっているのは「シラノ・ド・ベルジュラック」というタイトルだけ。そんな中、エドモンは親友レオの恋の相手とレオの代わりに文通することに。そのことに触発されたエドモンは次第に脚本の執筆にも興が乗っていくが・・・

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ポジティブ・サイド

『 コレット 』と同じくベル・エポック華やかなりし時代である。舞台となったパリの街並みが美しい。街並みだけでなく、家屋や劇場の調度品も、その細部に至るまでが絢爛なフランス文化を表している。まさにスクリーンを通じてタイムトラベルした気分を味わえる。

 

主役のエドモンを演じたトマ・ソリベレがコメディアンとして良い味を出している。特に、周囲の事物をヒントにしてコクランの指定する文体で物語の内容を即興で諳んじていく様は、そのテンポの軽やかさと文章の美しさや雄渾さ、そしてユーモアと相まって、非常にエンタメ色あふれるシークエンスになっている。

 

同じく、親友のレオに成り代わって即興でジャンヌと言葉を交わし合うシーンでもエドモンが才気煥発、女心はこうやって掴めというお手本のように言葉を紡いでいく。このあたりはイタリア人の領域だと勝手に思っていたが、フランス人男性の詩想もどうしてなかなか優れているではないか。

 

現実世界でのエドモンの影武者的な活躍が、エドモンの手掛ける舞台劇に投影されていくところにメタ的な面白さがあり、さらにその過程を映画にしているところがメタメタ的である。エドモンが実際に生きた時代と地域を歴史に忠実に再現してみせる大道具や小道具、衣装やメイクアップアーティストの仕事のおかげで、シラノが先なのかエドモンが先なのかという、ある意味でメタメタメタな構造をも備えた物語になっている。

 

さらに劇中の現実世界=エドモンが代理文通を行っていることが、エドモンの家庭の不和を呼びかねない事態にもなり、コメディなのにシリアス、シリアスなのにコメディという不条理なおかしみが生まれている。そう、エドモンがコクランの無茶ぶりに必死に答えるのも、エドモンがレオの恋慕をアシストするのも、エドモンが妻にあらぬ疑いをかけられるのも、すべては不条理なおかしみを生むためなのだ。

 

主人公たるシラノも、レオナルド・ダ・ヴィンチを思い起こさせる万能の天才でありながら、その醜い鼻のためにコンプレックスを抱くという不条理に見舞われている。しかし、それこそが本作のテーマなのだ。本作に登場する人物は、皆どこかしらに足りないものを抱え、それを埋めるために奔走している。それが劇を作り上げるという情熱に昇華されていくことで、とてつもないエネルギーが生まれている。

 

テレビドラマの『 ER緊急救命室 』で多用されたカメラワークを存分に採用。劇場内の人物をじっくりを追い、ズームインしズームアウトし、周囲を回り、そして他の人物にフォーカスを移していく。まさに舞台上の群像劇を目で追うかのようで、実に楽しい。随所でクスクスと笑わせて、ラストにほろりとさせられて、エンドロールでほうほうと唸らされる。そんなフランス発の歴史コメディの良作である。

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ネガティブ・サイド

マリアをあそこまで文字通りに奈落の底に突き落とす必要があったのだろうか。この瞬間だけは正直なところ笑えなかった。

 

またジャンヌをめぐってエドモンとレオの仲がギクシャクしてしまう瞬間が訪れるが、元はと言えばその元凶はレオその人の発した何気ない一言ではないか。不条理がテーマの本作とは言え、ここだけは得心しがたかった。ここで懊悩すべきはエドモンではなくレオその人ではないのだろうか。

 

リュミエール兄弟の映画発明と同時期なのだから、もっと「活動写真」の黎明期の熱を描写してほしかったと思う。その上で、舞台の持つ可能性や映画との差異をもっと強調する演出を全編に施して欲しかった。コロナ禍において、映画は映画館で観るものから、自宅のテレビやポータブルなデバイスで観るものに変わりゆく可能性がある。古い芸術の表現形態が新しい技術に取って代わられようとする中での物語という面を強調すれば、もっと現代の映画人や映画ファンに勇気やサジェスチョンを与えられる作品になったはずだ(こんなパンデミックなど誰にも予想はできなかったので、完全に無いものねだりの要望であはあるのだが)。

 

総評

戯曲『 シラノ・ド・ベルジュラック 』のあらすじはある程度知っておくべし。それだけで鑑賞OKである。ハリウッド的な計算ずくで作られた映画でもなく、韓国的な情け容赦ないドラマでもない、とてもフランスらしい豪華絢爛にして軽妙洒脱な一作である。エンドクレジットでも席を立たないように。フランスで、そして世界で最もたくさん演じられた劇であるということを実感させてくれるエンドロールで、『 ファヒム パリが見た奇跡 』のジェラール・ドパルデューの雄姿も見られる。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

Non merci

英語にすれば、“No, thank you.”、つまり「いえいえ、結構です」の意である。Oui merci = Yes, thank you.もセットで覚えておけば、フランス旅行中に役立つだろう。別に言葉が通じなくても、相手のちょっとしたサービスや気遣いに対して、簡単な言葉で返していくことも実際にはよくあることだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, トマ・ソリベレ, フランス, ベルギー, 歴史, 監督:アレクシス・ミシャリク, 配給会社:キノフィルムズ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』 -軽妙洒脱なフレンチ・コメディ-

『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル-

Posted on 2020年11月8日2020年11月8日 by cool-jupiter

ジーザス・クライスト・スーパースター 80点
2020年11月4日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:テッド・二―リー カール・アンダーソン
監督:ノーマン・ジュイソン

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嫁がHuluで『 イエス・キリストの生涯 』に偉く感じ入っていた。曰はく、『 世界ふしぎ発見! 』のクイズが無いバージョンで全8話構成らしい。時々、イエスその人や父ジョセフ。母マリア。当時のユダヤ世界について質問をしてくる(Jovianは宗教学専攻だったのだ)。色々と質問に答えているうちに、「これを見せた方が早いのではないか?」と本作を久しぶりに嫁さんと鑑賞。嫁はこれまた痛く感じ入っていた。

 

あらすじ             

ユダ(カール・アンダーソン)は懸念していた。ナザレのイエス(テッド・二―リー)がその卓越した教えをもって勢力を膨らませることが、ローマを刺激しかねないことに。ユダはなんとかイエスを諫めようとしつつも、一行はさらなる宣教のためにエルサレムへと向かうことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

初めて観たのはVHSだった。当時は小学校の高学年ぐらいで、物語の意味はちんぷんかんぷんだったが、イエス・キリストの名前は何となく知っていたし、イスカリオテのユダは漫画『 北斗の拳 』で知っていた。それでも本作のキャラクターたちのドラマには圧倒されたし、『 キャッツ 』や『 オペラ座の怪人 』と同じく、アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽には激しく魅了された。

 

大学で宗教学(といっても専攻は東洋思想史)やら聖書学を学んでユダヤ教やキリスト教に関する知識を得ていたころ、大学の劇団「黄河砂」が本作を舞台劇として英語で公演もした(Jovianの寮の先輩も鞭を振るう役で出演した)。はっきり言ってクオリティはイマイチだったが、それでも物語の骨格の意味がはっきりと伝わってきたことを覚えている。同時に、ノン・クリスチャンや宗教学専攻ではない者にとっては、やはりチンプンカンプン物語であることも周囲の反応から分かった。

 

そこで恩師である旧約聖書学の異端の大家・並木浩一と新約聖書学の碩学。永田竹司にそれぞれ『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』を観たか、そしてどのように感じたかをオフィス・アワーにインタビューするという暴挙に出た。今にして思えば愚行であるが、そんな学生にも対応してくれるところが我が母校の懐の深さだったか。並木先生は「あんなものは論評に値しない」と言い、永田先生は「あのような形式でしか語れないものもある。発表当時は賛否両論あったが、自分は賛である」とおっしゃった。Jovianも永田先生の意見に与すものである。

 

前置きが長くなりすぎた。本作の魅力は、繰り返しになるが、アンド・ロイド・ウェバーの音楽である。“Jesus Christ Superstar Overture”は、イエスが権威や威厳ではなく、熱狂の源であったことを感じさせてくれる(そしてその解釈はおそらく正しい)し、マリアが歌う“I Don’t Know How To Love Him”も、イエスの神性と人間性の両方のはざまで揺れ動く心情を、百万言を費やすよりも雄弁に語っている。熱心党のサイモンの姿にSEALDsを見出すのは行き過ぎかもしれないが、『 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』の大学生たちのような熱量を感じ取ることは十分に可能だろう。

 

しかし、本作の最大の魅力は、Jovianの好物ジャンルである「映画を作る映画」になっているところである。こうしたメタ構造を冒頭のシーンからあっけらかんと見せてしまうことで、たとえば我が恩師・並木のような評論は、それ自体が的外れになってしまう。エンディングでユダが歌う“Jesus Christ Superstar”は奥深い。小説および映画の『 ダ・ヴィンチ・コード 』の作者ダン・ブラウンは本曲にインスパイアされたというのがJovianの勝手な推測である。今、見直しても十分に面白いし、キリスト教に興味のあるという人は、本作をお勧めしたい。そこらの凡百の書籍よりも遥かに面白く核心を突いている。

 

ネガティブ・サイド

Amazon Prime Video版は音声と映像が若干ではあるが、ずれている。これはVHSでもそうだったが、せっかくデジタル化するなら、現代の技術を使ってより精緻に仕上げるべきではなかったか。モノクロ映画のカラー化に反対したジョージ・ルーカスも、リップシンクの精度を高めるのには反対すまい。また、泉下のカール・アンダーソンも“Israel in 4 BC had no mass communication”ではなく“America in 1970 AD had no personal computers”と言ってくれるのではないか。

 

ヨーロッパや中南米、アメリカや韓国のような根っからのキリスト教国であれば、本作をすんなりと消化できるのだろうが、それ以外の国の人にはきついと思われる。特に、イエスが弟子たちに「この愚か者ども」、「嘘つきめ」などと怒鳴るシーンは、一般人にはポカーンであろう(新約聖書では、イエスがペテロあたりに「悪魔よ、黙れ」みたいに言う描写がいくつもあったりする)。イエスの人間性について、もう少しだけ掘り下げる歌や演出が必要だったのでは?また、裏切り者とされるユダが、いかにインテリで、いかにイエスの信頼を得ていたかの描写も欲しかった、というか必要だった。1分半で描けるはずだ。

 

総評 

ロック・ミュージカルの金字塔であると断言する。歴史的、宗教的背景を押さえておかないと物語の深みを味わえないが、それでも本作の音楽と歌、そして俳優陣の鬼気迫る演技、そして“現代視点からの再解釈”を楽しむことは十分に可能である。キリスト者の一部には本作の演出を嫌う人もいるのは事実であるが、人物や社会の描写はおおむね性格であるということは、国際基督教大学で宗教学を専攻したJovianが勝手に保証する。ミュージカル好きなら must-watch である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit on the fence

字義通りの意味は「フェンスの上に座る」であるが、本当の意味は「あいまいな態度でいる」、「どっちつかずの状態でいる」ということである。カヤパの台詞で、ジーザスをどうすべきかについて自分たち取るべき姿勢をはっきりさせてこなかった際に放たれる台詞。

How long has our client been sitting on the fence about our offer?

うちのクライアント、どれだけこちらのオファーについての態度を保留させているんだ?

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, アメリカ, カール・アンダーソン, テッド・二ーリー, ミュージカル, 伝記, 歴史, 監督:ノーマン・ジュイソン, 配給会社:CIC『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル- への2件のコメント

『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

Posted on 2020年11月7日 by cool-jupiter

息もできない 80点
2020年11月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヤン・イクチュン キム・コッピ チョン・マンシク
監督:ヤン・イクチュン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201107173131j:plain
 

インディーズの名作として名高い本作。保守的な日本の家族観、風変わりな日本の家族観、新時代の日本の家族観を提示する作品を立て続けに観たので、外国が提示する「家族像」を消化してみたいと思い、レンタル。前評判通りに、暴力的な面白さを持った作品であった。

 

あらすじ 

借金の取り立て人のサンフン(ヤン・イクチュン)は女子高生ヨニ(キム・コッピ)と最悪の形で出会う。だが、二人はいつしか惹かれ合い始める。お互いが家族、特に父に問題を抱えていたからだ。ヨニとの交流からサンフンは借金取り稼業から足を洗おうと考え始めるが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演かつ監督のヤン・イクチュンがサンフンというキャラクターを完璧な形で描出したことに満腔の敬意を表したい。目つきから歩き方、平手打ちの食らわせ方からストンピングまで、まさにチンピラとしか言えない。そして、路上ですれちがっただけのヨニにつばを吐きかけ、あまつさえ頭部にパンチさえお見舞いする。真正のDV体質としか思えない。事実、サンフンは暴力に憑りつかれている。暴力を能動的、自発的に振るっているのではなく、何かに突き動かされて暴力を振るっている。その何かが劇中で徐々に明らかにされると共に、サンフンも徐々に変わり始めていく。そのきっかけがヨニである。

 

『 君が君で君だ 』のソンでも薄幸の女性を演じたが、本作では薄幸でありながらも勝ち気で強気な女子高生を100点満点で演じ切った。はっきり言って『 サニー 永遠の仲間たち 』のミン・ヒョリンや『 建築学概論 』のスジのような、息を吞むような美人ではないのだが、だんだんと惹きつけられると言うか、どんどんと魅力的に見えてくるから不思議である。最近の映画だと、『 はちどり 』のキム・セビョクにも同じことを感じた。

 

この二人が出会い、徐々に惹かれ合っていく過程に言葉は要らない。屋台で飲み食いし、ちょっとしたウィンドウショッピングをして、街を練り歩くだけでいい。それまで色彩などほとんど感じられなかったサンフンの世界が、急に色づき始める。画面にはほとんど他者はおらず、サンフンの世界では他者とは殴る対象だったはずが、普通の人たちの普通の営みで画面が覆いつくされる。それだけでサンフンとヨニの距離が縮まったということの説得力は十分である。

 

ヨニは言葉使いも粗く、服装も地味なのだが、そうした自分と共通する外面にサンフンの荒れ果てた心が癒されるわけではない。ヨニの健気さや屈託のなさがそうするわけでもない。サンフンは自分が憎いのだ。憎むべき父親と同じことを繰り返してしまっている自分が憎くてたまらない。自分が好きではないから、本当は可愛がってやりたいと思っている甥っ子や気にかけている姉に対して素直になれない。だからこそ、自分に対してどこまでも素直に接してくるヨニの存在が突き刺さるのだ。そうしたサンフンの心情が手に取るように分かるのである。主演のヤン・イクチュンは脚本・監督を務めているため、キャラを誰よりも巧みに表現することは当然とはいえ、これほど固い殻に覆われた心の内を、言葉ではなく表情や動作、ちょっとした所作で表現するのは見事である。ヨニに膝枕をしてもらうシーンは、動物が腹を見せる=降伏の意思表示にも見えた。同病相憐れむ二人のシーンはあまりにも王道すぎて反則ではないか。

 

ストーリーも期待に応えてくれる展開と予想を裏切ってくれる展開が入り混じっていて良い。ヨニの弟ヨンジェとサンフンが同じ事務所で働き始めることで生じる不穏な空気。そこで同時に生じる淡い期待。少し先への展開を読ませやすくすることで敢えて読ませにくくしているところも印象深い。

 

また高利貸し事務所のマンシク社長という存在のおかげで、ストーリー全体が裏社会のそれに引っ張られず、社会の一隅の現実であるという領域に留まっていることも大きい。自分の生活世界のどこかでこんな物語が起きている、または起きてもおかしくないと感じられるからである。

 

エンディングのシークエンスは文字通りに「息もできない」もの。ヨニの目にした光景は、ヨニにある心象風景をもたらした。ヨニの心情がヨニ自身によって語られることはなく、物語は閉じていく。それを想像せよ!ということが本作のメッセージなのだろう。暴力とは受け継がれるものなのか。人は暴力に引き寄せられるのか。暴力に憑りつかれた者は暴力からは逃れられないのか。観る者の心に何かを沈殿させることは間違いない作品である。

 

ネガティブ・サイド

一つだけ不満を述べさせてもらえるなら、サンフンの過去を回想するシーンのいくつかをもっと短く、もっと断片的にできなかったかということだろうか。サンフンの過去を詳細に描写する必要はない。それこそヨニが母を思い出すシーンぐらいでよかった。ほんのちょっとした記憶しかもはや残っていない、それでも自分はその過去、体験に突き動かされてしまっているという描写の方が、暴力の原体験の根深さを逆に想像しやすくなるのではないだろうか。

 

総評

まさに「息もできない」物語である。劇中で展開される暴力は、『 マーターズ 』で見せつけられる“目的のある暴力”ではなく、無意味で衝動的な暴力である。そのことが観る者の心を抉る。憎むべき暴力を愛する家族に向けてしまう、そしてその暴力性が子に引き継がれる。この連鎖が思いがけない形で連鎖してしまうところに本作の悲劇性があり、それが本作を衝撃的な作品に押し上げている。悲恋の物語としても純愛の物語としても王道作品にして一級品である。『 血と骨 』を見事に映像化した北野武に本作をリメイクしてほしいという夢想を抱いてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

シバル

主人公サンフンが劇中で使いまくる卑罵語。意味は英語でf**cぐらいの意味らしい。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオがFワードを連発していたのと同じようなインパクトを感じる。英語であれ韓国語であれ、ネイティブスピーカーの真似は効果的な学習方法であるが、状況や文脈を無視した安易な真似はご法度である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・コッピ, チョン・マンシク, ヤン・イクチュン, ラブロマンス, 監督:ヤン・イクチュン, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

『 スタートアップ! 』 - 韓流・腕力コメディ-

Posted on 2020年10月25日2022年9月16日 by cool-jupiter

スタートアップ! 55点
2020年10月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:マ・ドンソク パク・ジョンミン チョン・へイン ヨム・ジョンア
監督:チェ・ジョンヨル

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序盤はコメディ色が強めだが、終盤はやはり腕力で全てを解決売る展開に。ある意味予想通りの作りである。シネマート心斎橋は9割以上の入り。『 鬼滅の刃 無限列車編 』も熱いが、韓国映画、そしてマ・ドンソクも固定客をガッチリと掴んでいる印象。

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あらすじ

テギル(パク・ジョンミン)とサンピル(チョン・へイン)の悪童連は、大学にも予備校にも行かず自堕落な日々を過ごしていた。サンピルはカネを稼ぐために就職するが、そこはヤクザの高利貸しだった。一方のテギルも地元を飛び出し、偶然に立ち寄った中華料理屋で異彩を放つ料理人、コソク(マ・ドンソク)に出会うが・・・

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ポジティブ・サイド

しょっぱなから主人公のテギルが殴られまくる。まずはヨム・ジョンア演じる母親からビンタを食らいKOされる。そして、謎の赤髪サングラス女子にもボディーブローでKOされる。極め付きは住み込みバイトをすることになった中華料理屋でもマ・ドンソク演じるコソク兄貴にもKOされる。いったいどこまで殴られるんだ?さらにこいつはどれだけ打たれ強いんだ?と、笑ってしまうほどに思わされる。しかし、住み込み初日明けの朝、逃げ出そうとするテギルにコソク兄貴が、拳ではなく言葉で語ってくる。それによって、殴られるよりも効いてしまうテギル。負け惜しみで「逃げるんじゃねえ。ウンコに行くだけだ」と言うのだが、このセリフが終盤のちょっとした伏線になっているのはお見事。

 

このテギルとコソク兄貴の関係を軸に、多種多様な人間関係が描かれていくが、実は彼ら彼女らは皆、社会のメインストリームから外れた者たちである。つまり、本作は「連帯」を描いているわけだ。社会の一隅には、こんな人たちがいる。しかも健気に生きている。そこにヤクザ者や半グレ集団が絡んできて、そしてそのヤクザ者の中に旧知の間柄の人物が・・・という、ある意味では陳腐な物語ではある。だが、非常に示唆的だなと感じたのは、弱い立場の人間を虐げる者の中にも、実は弱い人間がいるということ。誰も初めから弱者を虐げ搾取しようなどとは思わない。ヤクザの高利貸しがドスを効かせて言う「どんな仕事も長く続ければ、それが天職になるんだ」というセリフには、そうしたヤクザ者たちも最初はその仕事を嫌がっていたということが仄めかされている。

 

なんだかんだで最後はマブリーが腕力と胆力で解決するわけだが、テギルとサンピルの悪ガキコンビの成長も併せてしっかり描かれている。また、それを見守る中華料理屋のオーナーの渋みと深みよ。この人、『 エクストリーム・ジョブ 』のチキン店オーナーだったり、『 暗数殺人 』のマス隊長だったりと、見守る役を演じさせると天下一品だなと感じる。日本で言えば『 風の電話 』の三浦友和の雰囲気に通じる。陳腐な人間ドラマではあるが、感じ入るものがある。マ・ドンソクのファンなら観ておきたい。

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ネガティブ・サイド

テギルとサンピルのキャスティングは、逆の方が良かったのでは?これはJovianの嫁さんも同感だったようである。イケメンが反抗期で、ケンカの腕もたいしたことないのに、ところかまわず生意気盛りにケンカを売って殴られまくる方がより笑えるように思う。絵的にも、生傷が絶えない金髪テギルの方が借金取りに似合っている。というか、この男、DNA的に菅田将暉と遠い共通のご先祖様を持っている・・・???

 

テギルの母が元バレーボール選手という設定もあまり活きていない。ビンタよりも脳天唐竹割りの方がバレーのスパイクと似ているし、絵的にも笑えるのではないかと思うが、いかがだろうか。

 

個人的にはマ・ドンソクのおかっぱ頭にはそれほど笑えなかった(TWICE好きでノリノリで踊るには笑ったが)。いかつい風体の男が、目を開けて寝たり、中華鍋を華麗に振るったりするだけで十分にギャップがある、つまり面白い。おかっぱ頭はビジュアル的にはインパクトがあるが、それなしで勝負することも十分にできたと思うのだが。結局、最後はいつものマ・ドンソクに戻るわけだし。

 

社会的弱者の連帯を謳った本作であるが、未解決の問題も数多く残されたままストーリーは完結する。もっと荒っぽくてもよいので、無理やりにでも大団円にできなかったか。一部の問題は、まるで最初から存在しなかったかのようですらある。

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総評

序盤のギャグには面白いものとつまらないものが混在している。『 エクストリーム・ジョブ 』は劇場内のあちこちから「ワハハ」という声が聞こえてきたが、本作はそこまでではない。ちょこちょこ「クスクス」という笑いが漏れてくる程度だった。もっと振り切った笑いを追求できたはずだし、あるいはもっと容赦の無いバイオレンス描写も追求できたのではないか。マ・ドンソクの魅力やカリスマに頼りすぎた作品という感じがする。ファンなら観ておくべきだが、コメディ要素を期待しすぎると少々拍子抜けするかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

『 サスペクト 哀しき容疑者 』でも紹介した表現。意味は「てめえ、この野郎」ぐらいだろうか。本作でも何十回と聞こえてくる。邦画でここまで罵り言葉を連発するのは北野武映画くらいか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, チョン・へイン, パク・ジョンミン, マ・ドンソク, ヨム・ジョンア, 監督:チェ・ジョンヨル, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 スタートアップ! 』 - 韓流・腕力コメディ-

『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

Posted on 2020年10月24日2021年1月18日 by cool-jupiter
『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

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同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

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ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの国家権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争や公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サシャ・バロン・コーエン, サスペンス, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, 伝記, 歴史, 監督:アーロン・ソーキン, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

『 22ジャンプストリート 』 -シュミット&ジェンコよ、永遠なれ-

Posted on 2020年10月17日 by cool-jupiter

22ジャンプストリート 60点
2020年10月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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『 21ジャンプストリート 』の続編にして完結編。前作と比較すれば若干パワーダウンしているが、暇つぶしに観る分には全く問題ない。監督としてのジョナ・ヒルはまだまだこれから花開いていくのだろうが、俳優としてのジョナ・ヒルの真価はコミック・リリーフであることだ。

 

あらすじ

ジェンコ(チャニング・テイタム)とシュミット(ジョナ・ヒル)の凸凹コンビが、麻薬捜査のために今度は大学に潜入する。売人と思しき男を見つけ、供給元を探り当てるミッションのはずが、ジェンコがフットボールの才能を開花させてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

前作と同じく、古今の映画やドラマをネタにしまくるのは、単純ではあるが、やはり楽しい。メタなネタではチャニング・テイタムが「俺はいつかシークレット・サービスになって大統領を警護するんだ」という不発作『 ホワイトハウス・ダウン 』をジョークの種に使ってしまうところが特に面白い。

 

大学潜入後も基本的のノリは前作と同じ。二人なりに必死に捜査はするものの、いつの間にやら大学生活が楽しくなってしまい、大学に残って人生をやり直そうかなと感じてしまうジェンコは、滑稽ではあるが、観る者の共感を呼ぶ。

 

前作ではロマンス方面で最後までシュミッ行けなかったシュミットも、今作ではいきなり美女とベッドイン。確かにアメリカの大学の寮には、こういうノリがある。その相手の美女の正体というか、とあるキャラクターとの関係が判明した瞬間には、文字通りの意味で時が止まったかのように感じた。『 スパイダーマン ホームカミング 』によく似た構図があって、その時も肝をつぶしたものだが、この元ネタは本作だったのかもしれない。色んな映画をネタにしている本作がネタにされるというのも、それはそれで愉快ではないか。

 

警察官としての捜査もそれなりに見応えがあるし、中盤のコペルニクス的転回も悪くない。終盤は『 スプリング・ブレイカーズ 』的なビジュアルとストーリーで眼福である。ジョナ・ヒル演じるシュミットのラスボスとの格闘シーンは意味不明すぎるバトルで、笑ってしまった。クライマックスもコメディ映画ならではの力業で、謎のカタルシスをもたらしてくれる。なによりもエンディングが秀逸だ。前作でも続編を予感させる終わり方だったが、続編たる本作はまさに完結編。完璧なまでのクロージングである。

 

ネガティブ・サイド

前作では、高校時代に不遇をかこったシュミットがどちらかというと主役だったが、今作ではジェンコが青春(というか高校潜入捜査)を取り戻そうとするところに違和感を覚えた。前作で仲良くなったナード連中が登場したから、余計にそう思う。

 

シュミットがそうしたジェンコに愛想を尽かしそうになってしまうのもどうかと思う。パートナーはパートナー、友人は友人と割り切ることができる大人のはずだ。特に警察官や軍人などはそうだろう。いけ好かない相手であってもミッションとなれば協力するものだ。ならば、自分の相棒が多少誰かと親しくなっても、それも職務上のことだと割り切るべきだ。このあたりの二人の仲の微妙な揺れ動きに説得力がなかった。

 

エンディングの続編ネタの連続スキットはこの上なく楽しめたが、最後の最後のシーンは蛇足だった。

 

総評

ジョナ・ヒルかチャニング・テイタムのファンであれば前作と併せて鑑賞しよう。『 レディ・プレイヤー1  』には劣るが、古今の映画へのオマージュやネタに満ち溢れていて、クスリとさせられる場面からゲラゲラ笑えるシーンまである。バディものとしての面白さも健在。コメディ好きならレンタルもしくは配信で視聴する価値は十分にある作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

two peas in a pod

直訳すれば「一つのさやの中の二つのえんどう豆」で、意味は「瓜二つ」または時に「絶妙のコンビ」、「一心同体」のような意味で使われることもある。劇中ではズークとジェンコのアメフトコンビ二人を指して、実況が“These two guys are peas in a pod.”のような言い方をしていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジョナ・ヒル, チャニング・テイタム, 監督:クリストファー・ミラー, 監督:フィル・ロードLeave a Comment on 『 22ジャンプストリート 』 -シュミット&ジェンコよ、永遠なれ-

『 82年生まれ、キム・ジヨン 』 -男性よ、まずは自分自身から変わろう-

Posted on 2020年10月13日2022年9月16日 by cool-jupiter

82年生まれ、キム・ジヨン 80点
2020年10月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:チョン・ユミ コン・ユ チョン・ドヨン
監督:キム・ドヨン

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大学の同級生たちがFacebookで原作書籍をベタ褒めしていたことから興味を持っていた。本当は本を読んでから劇場に向かうべきだったのだろうが、色々あってそれもかなわず。封切初日のブルク7のレイトショーは75%ほどの入り。その8割以上は仕事帰りと思しき20代と30代の女性たち。この客の入りと客層だけで、本作の持つ力が分かる。

 

あらすじ

ソウルの専業主婦のジヨン(チョン・ユミ)は家事に育児に忙殺されている。ある正月、夫の実家で過ごしている時に、ジヨンは憑依状態になってしまった。夫デヒュン(コン・ユ)は妻の身を案じて、心療内科への通院をそれとなく勧めてみるが・・・

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ポジティブ・サイド

これが韓国の1990年代から2010年代の韓国の空気なのか。まるで故・栗本薫(中島梓)が『 タナトスの子供たち 過剰適応の生態学 』で喝破したように、女性は長じるに及んでアイデンティティを喪失していく。すなわち、「〇〇さんの奥さん」や「□□くんのお母さん」として認識されるようになる。日本人の栗本の1990年代の論考が、そのまま同時代から現代の韓国社会に当てはまることに驚かされる。自分というものを「誰かにとっての誰か」として認識せざるを得ない状況で、ジヨンが自分を「母の娘」であると認識するのは畢竟、自然なことだろう。序盤の夫の実家のシーンで統合失調的な症状を呈するジヨンの姿に、自分の母や叔母の姿を想起する男性は(劇場には少なかったが)きっと大いに違いない。なぜ夫の実家であるのに、赤の他人のはずの嫁がそこで率先して働くのか、疑問に思った人は多いだろう。Jovianも中学生ぐらいの頃にふと気が付いた。あまりにも当たり前のことが、実は当たり前でも何でもないのだ。

 

メインの登場人物に誰一人として明確な悪人がいないところが、本作を複雑かつリアルなものにしている。誰もジヨンを意図的に攻撃もしないし抑圧もしない。ただ、本人の思う価値観を出しているだけに過ぎない。痴漢に遭いそうになったことを指して「スカートの丈が短いのが悪い」というのは、確かにそういう面もあるのだろうとは思う。だが一方で、なぜスカートという形態の衣料品を女性は身に着けるのか。スカートだけではない。エプロンもそうだし、化粧もそうだ。極論すれば、マタニティ・ドレスすらもそうなのだ。特定の個人に抑圧者や差別主義者はいない。しかし、社会というシステムにそうした構造が抗いようもなく組み込まれている。ジヨンは個人としての生き方と社会的な役割の間のジレンマに引き裂かれる現代人(その多くは女性)の代表者なのだ。

 

一方で、現代の男性(夫、そして父親)を体現しているのはコン・ユ。『 トガニ 幼き瞳の告発 』、『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』でもチョン・ユミと共演したが、今回はついに夫婦役。このデヒュン、実に良い男で育児も積極的に手伝ってくれるし、妻を気遣う言動も忘れない。ああ、俺もこういう風にならなきゃいけないな・・・と思わせてくれる。それが罠である。どこがどう罠であるかは、ぜひその目で確かめて頂きたいと思う。一点だけ事前に念頭に置いておくとよいのは病院の待合室の光景。もし想像できないのなら、ぜひ大きな病院の待合スペースを覗いてきてほしい。女性は一人で受診しているが、男性はかなりの確率で伴侶と一緒である。これは日本も韓国も同じなようである。

 

それにしても韓国映画は母の愛を実に力強く描く。『 母なる証明 』は別格(というかジャンル違い)としても、母親も祖母の娘で、祖母も曾祖母の娘という視点は、当たり前であるが、新鮮だった。我々は安易に「母は強し」などと言うが、母とはその人間の全属性ではない。母とは妻でもあり、娘でもあり、それ以上に一個人なのだ。本作でもチーム長やジヨンの同僚など、女性たちの置かれている社会的な抑圧構造が詳細に映し出される。女性を女性性という記号でしか認識できないアホな男がいっぱい存在する中で、女性たちは実に個性豊かなバックグラウンドを持っていることがエネルギッシュに開陳される。そうした一連のストーリーを消化したうえで、ジヨンが職務に復帰するのを断念するシーンの悲壮さが観る者の胸に穴を開ける。そうか、これが女性の背負わされるジレンマなのか・・・と、我々アホな男はようやく気が付くのである。

 

本作は各シーンの隅々にまで神経が行き届いている。街中のちょっとした看板や、すれ違う人、景色の遠くぼやけて映る人影までもが、明確な意味を有している。特に、終盤にジヨンが路上でベビーカーを押すシーンの遠景に、もう一人ベビーカーを押す女性がぼんやりと見えている。そう、ジヨンはこの社会の至るところにいるのである。いきなり社会変革などする必要はない。アジアの文化の大親分の中国は儒教という抑圧的な道徳を生み出した。だが、その経典の一つに「修身斉家治国平天下」という遠大なる処世訓がある。まずは自分自身をしっかりしろ、そして家族で家のことを整えよ、そうすれば国が治まって、世界も平和になるということだ。社会や国家はそうそう変わらない。そのことは物語終盤で明確に主張される。だが、自分自身や家族は良い方向に変えられる。まずは「隗より始めよ」である。

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ネガティブ・サイド

ジヨンの弟も父親も、作劇的には非常に良いキャラである。つまり、悪いという意識がなく誰かを追い詰め、時に傷つけている。そうした二人が話し合うシーンが欲しかったと思う。男同士で、娘そして姉に対してどのように思い、どのように接してきたのか、あるいは接してこなかったのかを語らうシーンが欲しかった。実際に言葉を交わさなくてもよいのだ。なんらかの自省につながる話をしているのだと、観る側に感じさせる一瞬の演出だけでもよかったのだが。

 

ジヨンの憑依現象の第2番目に登場する人格は不要だったのでは?ジヨンに憑依してくる人格は常に誰かの母であった方が一貫性もあったし、その方が逆に怖さも際立ったものと思う。

 

総評

女性の生きづらさや息苦しさ、社会的・心理的な抑圧の構造をこれほど鮮やかに描き出した作品は稀ではないか。本作を観て、「俺も反省せねば」と思う韓国人男性は多いだろうし、それは日本人でも同じだろう。いや、「女の敵は女」を地で行くような国家議員数名が今も跋扈しているだけ、本邦の方が事態は深刻かもしれない。このご時世に劇場にやって来た多くの女性客、そして不自然なぐらいに少ないと感じた男性客の比率に、問題の根はより深く広く根付いているかもしれないと感じ取るのはJovianだけではないはず。芸術的な面では『 はちどり 』に譲るが、社会的なメッセージ性では本作が少し上だろう。男性諸賢、本作を劇場鑑賞すべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オッパ

ジヨンが夫デヒュンに呼びかける際に使う表現。意味は「お兄さん」だが、血がつながっていなくても、親しい年上の男性に使うらしい。『 悪人伝 』では男同士の呼びかけにヒョンが使われていたが、オッパは女性→男性で使われるようである。何語であれ、語学学習は背景情報のリサーチと学習とセットで行いたい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, コン・ユ, チョン・ドヨン, チョン・ユミ, ヒューマンドラマ, 監督:キム・ドヨン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 82年生まれ、キム・ジヨン 』 -男性よ、まずは自分自身から変わろう-

『 21ジャンプストリート 』 -にせもの高校生のダイ・ハード潜入捜査-

Posted on 2020年10月11日 by cool-jupiter

21ジャンプストリート 65点
2020年10月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム ブリー・ラーソン ロブ・リグル
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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『 mid90s ミッドナインティーズ 』がかなりビターな味わいだったので、ジョナ・ヒルの持ち味であるユーモアを堪能すべく近所のTSUTAYAでレンタル。荒唐無稽なストーリーでありながら、上質のヒューマンドラマでもあった。

 

あらすじ

日陰で高校時代を過ごしたシュミット(ジョナ・ヒル)と学校の人気者だったジェンコ(チャニング・テイタム)は、ともに警察官になっていた。二人は「見た目が若い」という理由で、新種の麻薬がはびこっていると噂される高校に、高校生として潜入し、捜査しろとのお達しを受けて・・・

 

ポジティブ・サイド

よくもまあアホな設定を思いつくものだと思うが、何と元々はテレビドラマらしい。そのドラマが出世作となった大俳優が、チョイ役で出てくるのはそういうことか。出演者も無駄に豪華で、張り切ってB級映画を作ってやるぜという俳優陣および裏方の心の声が聞こえてきそうである。

 

冴えない青春を送ったシュミットが思わぬ形で高校という生態系に受容され適応されていく様は、ベタではあるが爽快である。一方で、日なたの青春時代を過ごしたジェンコが、空気の読めないちょっとアブナイ男かつナードとして認識されるのも痛快だ。もちろん麻薬犯罪を捜査するための警察官として高校に通っているわけだが、主役二人の今と昔の光と影のコントラストが、互いをバディとして認識するようになる流れを際立たせている。フィル・ロードとクリストファー・ミラーの二人の監督はなかなかの手練れである。

 

かといってシリアスに傾きすぎるわけでもない。ひょんなことから麻薬の売人高校生にコンタクトされたのは、シュミットとジェンコの振る舞いがあまりにもアホすぎて、「こいつらが警察なわけがない」と思ってもらえたからこそ。いったい何をやったのか。それは本編をどうぞ。彼ら自身が新種の麻薬でラリってしまうシーンは結構面白い。彼らの上司がこれを見たら、きっと頭を抱えたことだろう。

 

麻薬組織との対決はスリリングである。意外性のある人物が黒幕だったり、絶体絶命の状況からの思わぬ援軍の登場だったりと、観る側を飽きさせない。そしてクライマックスのカーチェイスとオチ。笑っていいのか悪いのか分からないが、とにかく天網恢恢疎にして漏らさず、この世に悪が栄えた試しなし。『 デンジャラス・バディ 』のようなコメディ・タッチのバディものが好きな人にお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

警察であることを隠し通すのが至上命題であるのに、銃を渡された瞬間に空き缶や空き瓶に次々と命中させていくのは、ギャグにしてもお粗末ではないか。「こいつらは絶対に警官じゃない」と確信してくれた売人を、わざわざ訝しがらせるような行動をとってどうする?そして、売人も感心している場合か。相手は下手したら警官、もしかすると銃の密売人またはギャングの可能性まであるというのに・・・

 

ジェンコが化学ナードたちから得た知識を使って終盤のカーチェイスと銃撃戦で活躍するが、他のクルマや通行人もいる街中であれをやるか?アクション最優先で、コメディ要素を忘れてしまっている。やるなら、もっと茶化した感じの銃撃戦するべきだった。

 

細かいところだが、ミランダ警告ができない警官などいるのか?初逮捕劇を台無しにしてしまう大失態で、面白いと言えば面白いのだが、これは警察をさすがに茶化し過ぎているように思う。やるなら韓国映画のように、とことん警察をカリカチュアライズすべきだろう。

 

総評

ジョナ・ヒルの本領は、やはりこうしたコミカルなストーリーでこそ発揮される。肉体派のチャニング・テイタムが、筋肉や運動神経よりも頭を使う展開は、意外性もあって悪くない。だが、テイタムはやはりそのathleticismで勝負すべきだ。続編も見てみよう。きっと上質のa rainy day DVDに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a dump

ジェンコが試験を抜け出す時に“Can I go take a dump?”と言う。意味は「ウンコに行っていいですか?」である。ダンプカー(dump car)が積み荷をドサッと降ろすところを想像すれば、take a dump が何かをドサッと降ろす行為をするのだな、と感じられるだろう。take a leak = おしっこすると合わせて覚えよう。

 

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『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

Posted on 2020年10月4日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

フェアウェル 75点
2020年10月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オークワフィナ
監督:ルル・ワン

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『 オーシャンズ8 』や『 クレイジー・リッチ! 』などで存在感を発揮したオークワフィナの主演作。設定は陳腐だが、キャラクターの造形と文化背景の描写の巧みさで、良作に仕上がっている。

 

あらすじ

ニューヨークに暮らすビリー(オークワフィナ)は、中国の祖母ナイナイが末期がんで余命3か月と知らされる。親戚一同は最後に彼女と出会うためにビリーのいとこのフェイクの結婚披露宴を画策する。告知すべきと信じるビリーだが、中国には治らない病気については本人に告げないという伝統があるため、親族は反対する。そんな中、ビリー達とナイナイの最後に過ごす数日が始まり・・・

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ポジティブ・サイド

Based on an actual lie = 本当にあった嘘に基づく、というスーパーインポーズから始まるのはなかなか珍しい。普通は、Based on a true story = 実話に基づく、である。なかなか洒落が効いている。

 

いきなり小ネタを挟むが、中国の伝統医学は我々の常識、というよりも西洋医学的な常識とは異なっている。つまり、医者は人々に健康指導をすることで報酬をもらう。なので、人々がなんらかの病気に罹患してしまうと、それは医者としての職務に失敗したとみなされ、報酬を受け取れなくなる。人々がケガや病気になって、それを治療することで謝礼を受け取る西洋的・近代的な医療とは非常に対照的である。そうした予備知識を以って本作を鑑賞すれば、単なる告知問題を超えた、一種の東西文明論により深く入り込んでいけるはずである。

 

本作のテーマは、Is it wrong to tell a lie? =「嘘をつくことは間違っているのか?」である。これはJovianも大学の西洋哲学入門か何かで議論をしたことがあるし、看護学校でも「善行の原則」や「真実の原則」やらで、やはりディベートをしたことがある。個人的な結論は、「時と場合と相手による」である。本作で親族たちがナイナイにつく嘘はセーフなのか、アウトなのか。それは個々人が劇場で確かめるべきだろう。

 

アメリカで学芸員になることを目標にしながらもなかなか夢がかなわないビリーという人物の造形がリアルだ。オークワフィナの愁いを帯びた表情が真に迫っている。移民(実際の彼女はピーター・パーカー/スパイダーマンと同じく生粋のニューヨーカーだが)として、アメリカと中国、どちらにもルーツを持ち、どちらにもルーツを持っていないという背景が、祖母ナイナイとの別離を特別に難しいものにしている。そのことが痛いほどに伝わって来る。

 

その祖母ナイナイの貫禄とコミカルさは、亡くなった祖母を思い起こさせた。孫の結婚式のあれこれに口を出し、家の中での食事ではあれこれと指図し、祖父の墓参りでは「いやいや、なんぼ星になったいうても、平凡な一般人の祖父ちゃんにそこまでの願い事を叶える力はないやろ」と思わせるほどの願い=親族の幸福を祈る様は、まるでうちの母が他の祖母そっくり。東北アジア人というのはそれぞれに全然違う民族のはずだが、文化的・精神風土的な根っこは同じか、極めて近いのだろう。

 

親族の結婚式を前に、親戚が一堂に会して食卓を囲む。そんなシーンの連続であるにもかかわらず、本作にはドラマがある。それはナイナイに確実に忍び寄る病魔と、そのことをほとんど感じさせないナイナイの健啖家ぶりと矍鑠とした立ち居振る舞いのギャップによるものだ。ある意味でディアスポラ=離散家族であるビリーの親族は、皆それぞれに複雑な背景を持っている。だが、共通していることは、ナイナイがいなければ彼ら彼女は誰一人としてこの世に誕生しなかったということである。言葉にできない感情。しかし、それが言葉になる時、人はこのようになるのかというスピーチのシーンには感涙してしまった。また、ビリーが母との言い争いで、祖母に寄せる思いを溢れ出させるシーンには胸がつぶれた。陳腐なドラマであるはずなのに、心が震わされる。本作は観る者の肉親の情の濃さを測るリトマス試験紙のようだ。

 

ネガティブ・サイド

一部の肉親以外のキャラの作り方が粗雑である。ナイナイの同居人の高齢男性は、最後に何か活躍するだろうと思ったが、何もなし。何だったのだ、このキャラは。

 

フェイク結婚披露宴の新婦であるアイコの扱いも酷い。確かに日本人は感情の表出がヘタであるが、感情を出さないからといって感情が無いわけではない。もう少しアイコをhumanizeするためのシーンが必要だったと思う。

 

いくつかのシーンに医学的な矛盾が見られる。まず、序盤でナイナイが受けていたのはMRI検査(音がドンドンガンガンしていた)で、大叔母さんの言う「CT検査」ではない。肺がんであれば、圧倒的にCT適応で、MRI適応ではないはずだ。このことは肺以外への転移を強く示唆している。したがって、・・・おっと、これ以上は言ってはいけないんだった。

 

総評

文化の違いはあれど、人の死、それも身近な人、血のつながりのある人との別れを悼む気持ちは普遍的なものだろう。そうした部分を直視した本作は、洋の東西や時代を問わず、広く観られるべきである。これまではチョイ役でしかなかったオークワフィナの、とてもヒューマンなところが見られる。本作は彼女の代表作にして出世作になることは間違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bid farewell to ~

「~に別れを告げる」の意。かなり格式ばった表現で、カジュアルな話し言葉ではめったに使わない。最近のニュースでは“Microsoft will officially bid farewell to its web browser Internet Explorer 11 in 2021”(マイクロソフト、2021年に自社のウェブブラウザ、インターネット・エクスプローラーに正式に別れを告げる)というものがあった。生まれたからには必ず死ぬし、出会ったものには必ず別れの時が来る。そんな御別れの表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オークワフィナ, ヒューマンドラマ, 監督:ルル・ワン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

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