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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 プラットフォーム 』 -救世主は生まれるのか-

Posted on 2021年9月26日 by cool-jupiter

プラットフォーム 70点
2021年9月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イバン・マサゲ ソリオン・エギレオル
監督:ガルダー・ガステル=ウルティア

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210926204007j:plain

梅田ブルク7での公開時に見逃した作品。現実逃避のお供にTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

ゴレン(イバン・マサゲ)が目を覚ますと、謎の老人トリマガシ(ソリオン・エギレオル)と共に謎の部屋にいた。そこは48階層で、部屋の中央には巨大な穴があった。その穴を通じて台座が下りてきて、食事が与えられる。食事は上の階層の人間の食べ残しだった。一定期間ごとに眠らされ、ランダムに別の階層に移動させられるというこの場所で、ゴレンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

あきれるほどに直接的なメッセージに嗤ってしまう。これはつまりトリクルダウン理論を可視化したものである。上層は豪勢な食事を好きなだけ食べ、下層に行くほどそのおこぼれにあずかるしかないというのは、まさに現代世界の経済の縮図である。世界は残酷な場所であるという現実が、ゴレンの視点を通じて観る側に一発で伝わる。

 

2030年に起きるとされる食糧問題を考えるまでもなく、このコロナ禍において、必要な支援が必要なところに届かないという事実を我々はこれでもかと突きつけられた。マスクの買占め、ワクチンの偏在、自宅療養という名をつけられた医療資源の不平等な分配など、世界は上層と中層と下層に分かれているという身もふたもない現実があらわになった。ついでに言えばオリンピックもだろう。アホのように弁当を注文して、それがボランティアにも行き渡らず、生活困窮者にも行き渡らず、ひっそりと廃棄される。日本はある意味、本作の描くプラットフォームすら存在しない社会の位相にあると言える。

 

「人は人に狼」=Homo homini lupus と言うが、本作は本当に狼になってしまう。各階層をめぐって次々と相手を殺していく者もいるし、食べるものがないなら、普段食べないものを食べればいいという展開もある。以下、白字。

『 羊たちの沈黙 』
『 ハンニバル 』
『 タイタス・アンドロニカス 』
『 ソイレント・グリーン 』

こうした系列の映画である。他にも『 悪魔を見た 』のように脱糞シーンが収められている。そちら方面の嗜好の持ち主も満足できるだろう。ことほどさようにショッキングなシーンが満載である。

 

持てる者と持たざる者の対比以外にも、本作はあからさまにキリスト教的な概念を随所に挿入してくる。ワインとパンを体内に取り入れることの意味は『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』を観るまでもなく明らかであるし、333階層×2人=666人というのは「ヨハネの黙示録」の獣の数字として知られている。リンゴと言えばアップル、アップルと言えばPC、ニュートン、知恵の実というのはシリコンバレーのジョークだが、リンゴを食べて自分が本当になすべきことを悟るという展開には笑ってしまった。Jovianは宗教学専攻だったのだ。

 

コロナ禍で世界中の中産階級とされる層が、大きな経済的ダメージを受けた。一方で、世界の富の大部分を独占する層は、さらにその資産を増やしたとされる。そんな不条理な現実世界を下敷きに本作を鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

モザイク不要。アダルトビデオではないのだ。人間に対する残酷描写、ゴア描写は映さないのに、それが人間以外になるとOKになるというのは何故なのか。

 

いくら文明から隔絶された空間とはいえ、あそこまで行儀悪く食事をするだろうか?いや、コロナの脅威がアジアと欧米で異なる理由に食事マナーが挙げられることも多いが、あんな手づかみで食べまくっていたら、服がめちゃくちゃ汚れるだろうと。洗濯機があるわけでもない環境で、トリマガシたちの服が割と清潔を保っていたところが不自然に感じられた。

 

総評

カルト映画『 キューブ 』同様、シチュエーション・スリラーの醍醐味が凝縮された作品。トマ・ピケティの経済理論をさらに補強するかのような現実世界の事実を別の角度から見つめ直したかのような世界。人間の弱さと尊さを、流血&グロ描写で見せてくれる。心臓の弱い人やそっち方面に耐性がない人は観るべからず。逆にそっち方面は全然平気だという映画ファンにが自身を持ってお勧めができる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

obvio

英語でいうところの obvious、つまり「明らか」の意。劇中で何度も何度も使われるので、とても印象に残った。英語の idiot が idiota だったり、やはり英語とスペイン語は言語間距離が短い。というよりも、スペイン語はJovianが勉強していたラテン語の直系の子孫で、英語はさらにその親戚であると言った方が歴史的、言語学的には正しいか。  

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イバン・マサゲ, シチュエーション・スリラー, スペイン, ソリオン・エギレオル, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 プラットフォーム 』 -救世主は生まれるのか-

『 死体が消えた夜 』 -もう少し演出に工夫を-

Posted on 2021年9月25日2021年9月25日 by cool-jupiter

死体が消えた夜 60点
2021年9月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ガンウ キム・サンギョン キム・ヒエ
監督:イ・チャンヒ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210925191841j:plain

大学が開講したことの目まぐるしさから一時の逃避を求めてTSUTAYAへ。

あらすじ

大学教授のジンハン(キム・ガンウ)は教え子の学生と不倫、彼女は妊娠した。ジンハンは開発中の新薬で妻を殺害し、彼女は病死とされた。しかし、ジンハンの元に「遺体が消えた」との連絡が入る。誰かが妻の遺体を運び出したのか、それとも妻は死んでいなかったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

ミステリなのか、それともオカルトなのか、ということをはっきりさせないことで、これは一体なんなのかと観る側を疑心暗鬼にさせる。なかなかに良い雰囲気。

 

妻を見事に片づけたことに安堵しているジンハンから色々と事情聴取をする刑事ジュンシクが型破りだ。署の駐車場に車を停めるのに、車の後部をぶつける事故を起こしたり、上梓である署長の携帯番号を「クソ署長」で登録していたりと、なかなかに型破り。

 

タイトルが『 死体が消えた夜 』なので、この取調室の一夜をスーパーナチュラル・スリラーっぽい要素を交えてネットリと描き出すのかと思ったら、さにあらず。ストーリーは思わぬ方向へ進み、最後にはすべてのピースがパズルのごとくピタリとはまった。韓国映画らしいエンタメ要素と社会的メッセージの両方が備わった佳作である。

 

ネガティブ・サイド

電話のシーンは不要である。こうした場合、通話先の相手の様子は見せる必要はない。ミスリードしたいのだろうが、それなら声だけでよかったのではないか。

 

色々な工夫が凝らされていはいるものの「そんなもん、どこで手に入れた?」というアイテムや、「その場しのぎにはなっても、長くは通用しないだろう」という手がバンバン使われている。急速展開と役者の演技でギリギリもたせているものの、論理的にはかなり破綻したストーリーと言わざるを得ない。

 

総評

韓国映画らしい社会の上層と下層の対比が映える。弱点も多い作品だが、長所がそれらを上回る。イ・チャンヒ監督はラブコメの『 あなたの彼女 』を2019年に公開しており、この時点では無名の監督。それでも無名監督らしい「俺はこういうストーリーを描きたいんだ」の一点突破で成立している作品である。ホラーは無理、オカルトなら何とか、ミステリやサスペンスなら全然大丈夫、という人は本作をどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ソンセンニム

「先生」の意。先生=センセイは、確かにソンセンという音に近い。ニムの意味は『 悪人伝 』でも触れたが、韓国はとにかく目上には様をつける。先生様や社長様、会長様など、とにかく相手を敬うときには様=ニムなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ガンウ, キム・サンギョン, キム・ヒエ, スリラー, 監督:イ・チャンヒ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 死体が消えた夜 』 -もう少し演出に工夫を-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210924001931j:plain

『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

『 白頭山大噴火 』 -韓流ディザスタームービーの佳作-

Posted on 2021年9月3日 by cool-jupiter

白頭山大噴火 75点
2021年8月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ イ・ビョンホン マ・ドンソク ペ・スジ
監督:イ・ヘジュン キム・ビョンソ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210903224429j:plain

仕事が多忙を極めているため簡易レビューを。

 

あらすじ

白頭山の巨大噴火を阻止しようと奮闘する者たちの物語。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210903224452j:plain

ポジティブ・サイド

邦画で火山がフィーチャーされた作品というと『 日本沈没 』ぐらいしか思いつかない。しかも火山がテーマではない。他には火山噴火が導入になっている『 ドラゴンヘッド 』か、あるいは火山噴火が味付けになっている『 火口のふたり 』ぐらいか。ハリウッドはこの分野で傑作から駄作まで一通り作ってきたが、火山大国である日本からではなく韓国から火山噴火映画が出てきた。喜ぶべきか、嘆くべきか。

 

白頭山の噴火というのは、それなりに現実的な設定。しかし、それを食い止める、あるいは噴火の規模を抑えるための策が、地下での核爆発、しかもその核を北朝鮮から奪おうというのだから、荒唐無稽もいいところである。まるで1970~1980年代にかけてブライアン・フリーマントルの謀略小説のようである。あるいは 『 鷲は舞い降りた 』のような不可能ミッションのようである。そんなプロットをとにもかくにも成立させてしまうのは、主演のハ・ジョンウとイ・ビョンホンの力によるところが大きい。

 

ハ・ジョンウの頼りなさげな指揮官と、イ・ビョンホンの不穏極まりないオーラを放つ工作員の対比が、物語に奇妙なユーモアとシリアスさを同居させ、それがいつの間にやら極上のバディ・ムービーへと変貌していく。特にイ・ビョンホンはその演技ボキャブラリーの多彩さを本作でも見せつけて、他を圧倒している。デビューの頃から自慰シーンを見せたり、『 王になった男 』では下品な腰使いに排便シーンも見せてくれたが、今作でも野糞と立小便を披露。同年代である竹野内豊や西島秀俊が同じことをやれるだろうか?まず無理だろう。

 

米中露の政治的な駆け引きと思惑あり、ファミリードラマあり、アクションありと、面白一本鎗志向の中にもリアルな要素と鉄板の感動要素を盛り込んでくるのが韓国映画で、本作もその点ではずれなし。核を本当にぶっ放す映画としては『 アメリカン・アサシン 』や『 PMC ザ・バンカー 』よりも面白い。今夏、劇場でカタルシスを求めるなら、本作で決まりだろう。

 

ネガティブ・サイド

序盤のカーアクションのシーンは不要。CGで注力すべきは、地震による建造物の倒壊であるべきだった。

 

マ・ドンソクのインテリ役には少々違和感があった。ハ・ジョンウの嫁を保護するシーンで、多少は腕力を披露してくれても良かったのではないだろうか。

 

ジェット機が飛べなくなるほど上空に火山灰が舞い散っているのに、北朝鮮国内の、しかも北方の白頭山に近いエリアにほとんど灰が降り積もっていなかったのは多大なる違和感。同日にNHKのサイエンスZEROで『 富士山 噴火の歴史を読み解け 』を観たので、なおさら不自然に感じた。

 

総評

韓国映画の勢いはまだまだ止まらない。北朝鮮が国家として存在している以上、ドラマは無限に生み出せる。羨ましいような羨ましくないような状況だが、それすらもエンタメのネタにしてしまうところは邦画も見習うべきなのだろう。火山の国としても、また核を持たない軍事的な小国という立場からも、日本の映画ファンに幅広く鑑賞してもらいたい佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

erupt

噴火する、噴出するの意。ex + rupt = 外に + 破れる というのが語源になったラテン語の意味である。rupt = 破れる だと理解すれば、interruptやbankrupt, disrupt, abruptなどの意味を把握するのは容易だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, イ・ビョンホン, ハ・ジョンウ, パニック, ペ・スジ, マ・ドンソク, 監督:イ・ヘジュン, 監督:キム・ビョンソ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 白頭山大噴火 』 -韓流ディザスタームービーの佳作-

『 ミスミソウ 』 -いじめられっ子の壮絶なる復讐譚-

Posted on 2021年9月2日 by cool-jupiter

ミスミソウ 75点
2021年8月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:山田杏奈 清水尋也 中田青渚
監督:内藤瑛亮

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210902230658j:plain

『 ザ・ハント 』と一緒に借りてきた作品。これまたゲテモノ・グロ・バイオレンス映画。まるで韓国映画かと見紛うほどの復讐物語にして残虐流血描写の数々。邦画もこれぐらいやればできるのである。

 

あらすじ

東京から転校してきた春花(山田杏奈)は、学校で凄絶ないじめを受けていた。春花は唯一の味方であるクラスメイトの相場(清水尋也)を心の支えに耐えていたが、いじめはエスカレートするばかり。そして春花の家族にある事件が起こったことから、春花はいじめっ子たちへの復讐を開始する・・・

 

ポジティブ・サイド

残虐な暴力と流血の描写が素晴らしい。その暴力も発狂した結果の暴力ではなく、どこまでも冷静冷徹に相手を傷つけ痛めつける。Jovianの仕事の一部に「夏でも長袖を着ている子に『暑くないの?』と言わないようにしましょう。傷を隠していることもあるからです」みたいな注意?や研修?もあるが、この主人公は違う。相手にダメージを与えることに躊躇がない。好感度を高めてCMに出たい、といったあざとさを感じない。山田杏奈はまさに異色のヒロインである。これまでのフィルモグラフィーを見ても、普通の女子高生や女子大生役は少ないし、今後もそうした役柄での出演は少なそう。期待ができるし、多くの女優はそうあるべきだと芯から思う。

 

春花の復讐が始まるまでの、学校でのいじめの描写も壮絶である。大人が介入しなければならない場面で、この担任の先生の無能っぷりよ。観る側の絶望はさらに深まり、それゆえに春花の復讐を素直に応援したくなる。『 君が世界のはじまり 』で好演した中田青渚のいじめと、彼女が家で受ける父親からの虐待のコントラストも見事。この学校および生徒に関わる何もかもを一度全てをぶち壊してやるべきではないか、とさえ思わされてしまう。

 

数々の流血描写の中でも内臓ポロリのシーンと除雪車で文字どおりにぐっちゃぐっちゃのミンチにしてしまうシーン。『 デッドプール 』では製氷機で相手をひき殺そうとするシーンがあり、やや消化不良。『 デッドプール2 』ではゴミ収集車の回転板に巻き込こまれて死ぬシーンがあり個人的に満足できたが、この除雪車に巻き込まれて肉片や血がドバドバと飛び散る様は壮観の一言。「邦画もやればできるじゃないか」と言いたい。

 

登場人物が基本的にほとんど全員狂っている本作だからこそ浮き彫りになる世界観がある。表層では、もちろん「いじめは絶対にダメ」ということ。深層では、人間の奥深いところには常に暴力性が潜んでいて、何かのはずみでそれが一挙に立ち現われてくることがあるということ。本作はある意味で最も濃厚なヒューマンドラマを描いたとも言える。

 

清水尋也や大塚れななどの期待の若手も圧巻の演技を見せてくれるし、内藤監督は金太郎飴状態の邦画界でますます異彩を放っている。バイオレンスに耐性がある向きは是非とも鑑賞されたい。

 

ネガティブ・サイド

ほぼ全編通じてニヤニヤしながら鑑賞させてもらったが、「ん?」と眉をひそめざるを得なかったシーンもある。その最大のものはエピローグ。これはまさに蛇足というものだろう。『 トガニ 幼き瞳の告発 』並みに救いのないエンディングの方が個人的には満足できただろうし、その方が物語全体のトーンにも合っていたはず。

 

最後のボウガンはまだしも、春花の周りにちょっとあまりにも都合よく武器になるものが落ちていすぎではなかろうか。もっと咄嗟に身の回りにある物を使う、あるいは普段から身に着けている物、持ち歩いている物を使って、相手を痛めつけて殺すシーンというものを模索してほしかったと思う。

 

総評

間違いなく観る人を選ぶ作品である。刺さる人には刺さるだろうし、途中で観るのを断念する人もいるだろう。韓国映画や北野武映画の持つ血生臭さに抵抗がなければぜひウォッチ・リストに加えられたし。『 キャラクター 』や『 ホムンクルス 』にいまいち満足できなかったという人なら、本作でかなり満たされた気分を味わえるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bully

「いじめる」という動詞でもあるし、「いじめっ子」という名詞でもある。ボクサーやプロレスラーが時折相手を挑発する際に、”You’re just a bully. Now, try to bully me.”=「お前はただの弱い者いじめだ。俺のことをいじめてみろや」というようなことを言うことがある。どこの国でもいつの時代でも、いじめがダメであることは言うまでもない。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, スリラー, 中田青渚, 山田杏奈, 日本, 清水尋也, 監督:内藤瑛亮, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『 ミスミソウ 』 -いじめられっ子の壮絶なる復讐譚-

『 王になった男 』 -現代韓国人の歴史意識が垣間見える-

Posted on 2021年8月22日 by cool-jupiter

王になった男 70点
2021年8月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ビョンホン ハン・ヒョジュ リュ・スンリョン チャン・グァン シム・ウンギョン
監督:チュ・チャンミン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210822223534j:plain


『 白頭山大噴火 』前にイ・ビョンホン出演作を観ておきたくなったので、近所のTSUTAYAでレンタル。韓国映画人の歴史意識がどのようなものなのかが見えてくる良作。

 

あらすじ

光海君(イ・ビョンホン)は何物かに暗殺を企てられたことから人間不信に陥り、自身の影武者となれる者を探していた。そこで自身に瓜二つの道化師ハソン(イ・ビョンホン)をひそかに宮廷入りさせるが、光海君はケシによって意識不明の重体になってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

イ・ビョンホンの一人二役が冴えわたる。下品で粗野な道化師ハソンと人間不信の光海で表情が全く違う。もちろんメイクアップアーティストの力によるところも大きいし、照明の当て方で印象もがらりと変わる。それでもやはり役者本人の力が大きい。最初は簡単に見分けがついたけれども、それが場面によってどちらが本物でどちらが影武者か分からなくなるシーンがある。ハソンが「王になりたい」と言った時に描いた王のイメージ、そして我々が抱く「王様とはかくあるべし」という認識が一致するからこそだろう。本作が呈示する『 王になった男 』という像は、劇中の登場人物たちに向けてではなく、観る側に向けられている。いわばメタ構造の映画になっているのだ。

 

王の影武者として政務にあたるハソンをサポートする都承旨と内官の二人も素晴らしい。都承旨ホギュンを演じたリュ・スンリョンは『 エクストリーム・ジョブ 』の班長。コメディからシリアスまで、その演技ボキャブラリーの広さに脱帽である。宦官でもあるチョ内官は、なんと『 トガニ 幼き瞳の告発 』で一人二役を演じた恐怖の校長先生。人間の皮をかぶった悪魔というキャラが、イ・ビョンホン以外にも本作にはいた。それがまた、なんとも温かみのある宮廷人を演じている。序盤こそホラーなテイストで描かれるシーンもあるが、文字通りの意味で陰に陽に”王”を支える忠臣である。その他にもユーモア満点の立ち居振る舞いからの、あまりにもシリアスな結末を迎えてしまうト部将など、一人一人の役者の演技力の高さが目立つ。

 

名女優のシム・ウンギョンも、宮廷という伏魔殿で翻弄される女官を好演。入れ替わった王様の変化を皆で笑ったり、王様の食べ残しを有難く頂戴する序盤のシーンから、庶民の置かれた苦境、それによって人身売買に等しい行為によって宮廷入りせざるを得なかったという悲哀がダイレクトに伝わってくる。

 

政治の世界とは「1を与えて1を奪う」と都承旨ホギュンは言うが、それでは何も変わらない。持たざる者から奪うな。それが『 ジョーカー 』や『 パラサイト 半地下の家族 』の一面が訴えていたことではなかったか。それを力強く覆していく「王」の姿は感動的ですらある。格差の深刻さを訴える現代韓国映画は多いが、だからこそ平等を一時的にでも施行しようとした光海君を現代(21世紀)に蘇らせようとしたのだろう。それはとりもなおさず、現代の政治が”上級国民”を優遇し、下層民から搾り取っているからに他ならない。このあたりの感覚は、史実かどうかも疑わしいエピソードの再現にばかり凝る日本のドラマや映画製作者も見習うべきだろう。

 

ネガティブ・サイド

前半のコメディタッチが少々強すぎだと感じた。王の排泄物を医官が詳しく調べるのは『 宮廷女官チャングムの誓い 』でもお馴染みだったが、食べて味を確認するシーンは必要だったか・・・ 排泄分云々かんぬんに力を入れるのは『 悪魔を見た 』だけで充分である。

 

政務パートにもう少し力を入れてほしかった。2010年代といえば、すでに国策として映画を作り始めていたはず。ということは外国もマーケットだったわけで、もう少し当時の李氏朝鮮の情勢というものを、実際の政治を通じて見せてくれても良かったのではないか。皆が皆、韓国紙に詳しいわけではないのだから。

 

ハソンが見たくて見たくてたまらなかったハン・ヒョジュの笑顔は見られずじまい。なんたること・・・

 

総評

韓国史、あるいは一般的な王制や封建制度・貴族制度に関する知識がないと、宮廷で何が行われているのかが分からないだろう。逆に言えば、そうした知識がある程度あれば、なぜ韓国映画人が、史実に虚構の要素を交えながら本作を制作したのかが浮かび上がってくる。イ・ビョンホンの迫力やハン・ヒョジュの美貌だけではなく、脇を固めるキャストの確かな演技力が本作の物語性を豊かにしてくれている。韓国の歴史ドラマ好きなら観て損はないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

チューナー

「殿下」の意。韓国の歴史ドラマを見ると、1話で10回以上使われているのではないかと思う。大昔が舞台、たとえば『 太王四神記 』では為政者はペーハー=陛下と呼ばれている。これは当時の朝鮮半島が中国の冊封体制に組み込まれていたかどうか、早い話が属国だったかどうかで変わる。独立国ならペーハー、属国ならチューナーとなるわけである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ビョンホン, シム・ウンギョン, チャン・グァン, ハン・ヒョジュ, リュ・スンリョン, 歴史, 監督:チュ・チャンミン, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 王になった男 』 -現代韓国人の歴史意識が垣間見える-

『 海獣の子供 』 -海は異界へ通じる-

Posted on 2021年8月16日2021年8月17日 by cool-jupiter

海獣の子供 75点
2021年8月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:芦田愛菜
監督:渡辺歩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210816204800j:plain
 

つかの間の盆休み。夏らしい映画を求めて近所のTSUTAYAを渉猟。本作をピックアウトした。

 

あらすじ

学校に居場所をなくした琉花(芦田愛菜)は、父の勤める水族館に出向く。そこで偶然に空と海という、二人の少年に出会う。琉花の父は、二人は海でジュゴンに育てられたのだと言う。交流を深める3人だったが、琉花はそれが宇宙の生命誕生の秘密につながっていくことを知らなかった・・・

 

ポジティブ・サイド

暴力的なまでの映像の迫真性に冒頭から圧倒される。水族館の中とはいえ、そこも海。その海に住まう生き物たちの命の躍動をこれでもかと伝えようとしてくる映像は、しかし、ほんの序章に過ぎなかった。海、そして海洋生物をこれほどまでに神秘的かつ神々しいまでのトーンで描いた作品を他に知らない。アニメでしか表現できない、アニメだからこそ表現できる世界が全編で堪能できる。

 

ボーイ・ミーツ・ガールあるいはガール・ミーツ・ボーイは珍しくもなんともないが、ガール・ミーツ・ボーイズと複数形になるところが斬新。しかも、ひと夏のロマンスまたはアドベンチャーと見せかけて、SF風味のファンタジー。ジャンル不明の作品であるが、一つだけ言えるのは、どの要素を取り上げてもそこそこ面白くなっている。

 

人魂という謎の現象、海の生き物、なかんずくクジラの歌うソング。空から琉花へ、琉花から海へと託されていくことになる隕石。壮大な命の誕生をめぐる宇宙的な叙事詩を物語にしてやろう、映像と音楽でとことん表現してやろうという渡辺歩監督およびSTUDIO4℃の気概は買いである。

 

個人的には『 ペンギン・ハイウェイ 』に並ぶ傑作である。世界とは何か。生きるとは何か。そして、何故この世界で生きているのか。我々は知らぬ間にこの世界に投げ出されて生きているが、われわれ人間が生きるという営為が持つ意味は、実は我々のものではないのである。そうした視点を本作から得ることができる。本作は優れた哲学にして文明論である。

 

ネガティブ・サイド 

映像の美しさは文句なしだが、様々な点でオリジナリティに欠ける。というよりも、どこかで見たイメージがてんこ盛りであるとさえ言える。最も分かりやすいのは『 エヴァンゲリオン 』的な心象風景描写および創世のイメージだろう。そして、クライマックスの生命誕生シーンは、まんま『 LUCY/ルーシー 』の脳の覚醒100%のイメージ。映像の美しさと独創性は両立するはずなので、もっとそこを追求してほしい。

 

ダークマターとダークエネルギーを混同するシーンが出てくるが、いくら海洋学者といえども感心しない。宇宙の96%はダークマターではなく、ダークマター26%とダークエネルギー68%である(多少の誤差はあるにしろ)。宇宙の創世とパンスペルミア説を描く本作の製作者サイドには、もう一度宇宙論の基本的な勉強からお願いしたい。

 

総評

ある程度の自然科学的な知識の有無で評価ががらりと変わりそうな作品。多少の知識があれば面白いと受け止められるだろうが、そうでなければチンプンカンプン物語かもしれない。いや、案外、生物学や天文学、哲学などの知識を持たないまっさらな状態の方が本作を”直感的”に受け止められるかもしれない。小学生ぐらいの子どもを持つファミリーが鑑賞すると良いのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

meteorite

「隕石」の意。商売柄、TOEFL iBTを教える際に彗星や小惑星、隕石の違いを解説することがあるが、彗星=尾を引く小天体、小惑星=惑星軌道上にある小天体、隕石=地球表面にまで落ちてきた小天体だと解説している。ちなみにmeteorという語の原義は「空から落ちてくるもの」を指す。雨も雪も雷も、基本は空から地面に落ちてくる。なので、meteorology = 気象学となる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:渡辺歩, 芦田愛菜, 配給会社:東宝映像事業部Leave a Comment on 『 海獣の子供 』 -海は異界へ通じる-

『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

Posted on 2021年8月13日 by cool-jupiter

ソウルメイト 七月と安生 80点
2021年8月3日 京都シネマにて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ マー・スーチュン トビー・リー
監督:デレク・ツァン

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『 少年の君 』鑑賞後に打ちのめされてしまい、チョウ・ドンユィの作品、またはデレク・ツァンの作品を一刻も早く観なければという思いに駆られ、超絶繁忙期にもかかわらず無理やり半休を取って京都に出陣。京都シネマが本作をリバイバル上映してくれていたことに感謝である。

 

あらすじ

アンシェン(チョウ・ドンユィ)とチーユエ(マー・スーチュン)の二人は13歳の頃からの親友。常に二人で友情をはぐくんできたが、チーユエにジアミン(トビー・リー)という恋人ができたことで、二人の関係は微妙な変化を見せていき・・・

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ポジティブ・サイド

デレク・ツァンの映画製作手法がこれでもかと詰め込まれている。『 少年の君 』と同じく、キャラクターと物語の両方がdevelopしていく。13歳から高校生、専門学校生、そしてその先へとアンシェンとチーユエが進んでいく。凄いなと感じたのは、二人が関係の始まりから「女」だったこと。邦画が絶対に描かないであろう、少女同士の奇妙な友情。それがどうしようもなく「男」の存在を想起させる。

 

その男、ジアミンの存在をめぐる二人の関係は単純にして複雑だ。要するに、親友の恋人を好きになってしまったという、古今東西の恋愛話あるあるなのだが、その描き方が秀逸。アンシェンは家庭的には恵まれておらず、チーユエの家でしょっちゅうご飯を食べさせてもらい、風呂にも入れてもらう。そうした有形無形の様々な借りのようなものが、アンシェンをしてチーユエとジアミンから遠ざかることを決断させるのだが、そこに至る道筋の描き方がとにかくcinematic、つまり映像によって語られるのだ。冒頭ではナレーションが多めだったが、それ以降は徹底して映像で登場人物の心象を映し出す。風景、街並み、ちょっとした視線の先にあるもの。それらがとても雄弁だ。

 

アンシェンとチーユエとジアミンが連れ立ってサイクリングと山登りに興じるところで、ついに3人の微妙な距離感が壊れていく。アンシェンとジアミンの接近、それを見て見ぬふりをするチーユエ。下手なサスペンスよりもスリリングで、ここからドラマも大きくうねり始める。

 

地元に縛られながらジアミンとの交際を続けるチーユエと、文字通りに世界をめぐりながら男遍歴を重ねていくアンシェン。アンシェンの方が旅先から一方的に手紙を送るので、チーユエは返信のしようがない。この距離感と一方通行性が、終盤のとある展開に大きく作用してくる。この脚本の妙。

 

そしてついに再会を果たす二人の旅行と、その旅先のレストランでのケンカのシーンは白眉。映像で物語られてきたシーンの意味を再確認させつつ、目の前で起きている二人の感情変化も同時に伝えてくれる。ケンカになるシーンは終盤手前にもう一つ。こちらはバスルームでの感情のぶつけあいなのだが、こちらもロングのワンショットで二人の赤裸々な感情の衝突を淡々と描く。『 美人が婚活してみたら 』でも女性同士の醜い言い争いがあった。迫力では負けていないが、一方がしゃべるたびにカメラがそちらにカットしていくことには閉口した。明らかに作られたシーンだからだ。本作のケンカのシーンは、言い争う二人をカメラが長回しで捉え続けながら、少しずつ引いていく。まるで自分がそこにいるかのように。しかし、実際には周りには誰もいないということを強調するかのように。基本的な演出だが、迫真の演技と合わさることで、素晴らしい臨場感を生み出している。

 

チョウ・ドンユィの演技力抜きに本作を語ることはできない。中学生から20代後半までを全く違和感なく演じるその能力には脱帽するしかない。単純に年齢だけではなく、純粋な10代半ば、すれていく10代後半、早くも人生の酸いも甘いも嚙み分けた感のある20代前半、険のとれた20代半ばと、まさに変幻自在。チーユエを演じるマー・スーチュンの硬軟織り交ぜた演技も素晴らしい。無邪気な笑顔の裏にあるほんのわずかな毒、愁いを帯びた表情の中にあるちょっとした安堵。女の見せる表情=心情という等式が成り立たないということを、この役者はよくよく体現していた。

 

ネット小説と絡めた筋立ても良い。小説は小説でも、フィクションではなくノンフィクション、あるいは私小説であるが、そこに虚実皮膜の間がある。終盤では様々な事柄が次々に明かされるが、何が事実なのか、何が真実なのか。その境目を揺るがすような怒涛の展開には、まさに息もできない。愛憎入り混じる二人の関係、そこに女性と社会の歪な関係性も挿入された傑作である。『 Daughters(ドーターズ) 』を楽しめた人なら、本作はその10倍楽しめるだろう。

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ネガティブ・サイド

けちのつけようのない本作であるが、一点だけ。アンシェンとジアミンの”関係”は、もっと密やかに描くべきだった。もしくは、その”関係”を仄めかすことすらも、もしかしたら不要だったかもしれない。そうすれば、終盤の車内でのアンシェンとジアミンの会話の内容が、もっと衝撃的に聞こえてきたかもしれない。

 

総評

2016年の映画であるが、この時点で中国映画はこんなにも面白かったのかとビックリさせられる。香港映画と中国映画は別物で、中国映画と言えば『 ムーラン 戦場の花 』のように、面白いけれど洗練されていないという印象を抱いていたが、それは偏見だった。おそらく中国は韓国の10年前ぐらいの段階にいるのだろう。つまり、国を挙げて映画をバンバン作って、てんこ盛りの凡作の上にごくわずかな傑作を積み上げて行っているのだろう。本作が聳え立つ凡作の山の頂きに立つわずかな作品の一つであることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

soul

soul = 魂 であるが、では魂とは何かというと哲学になってしまう。ここではより実践的な使い方を説明するために、昔、Jovianが数名のネイティブに尋ねた質問と回答を持ってくる。

「”You are on my mind.”と”You are in my heart.”と”You are in my soul.”では、どの順に想いが強い?」

答えは全員同じで、

1.You are in my soul.

2.You are in my heart.

3.You are on my mind.

であった。英語の上級者を自任する人であれば、サザンオールスターズの『 いとしのエリー 』とRod Stewartの『 You’re in my soul 』を聞き比べてみるのも一興かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, チョウ・ドンユィ, トビー・リー, ヒューマンドラマ, マー・スーチュン, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』 -コスプレ大会からの脱却-

Posted on 2021年6月10日 by cool-jupiter

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るろうに剣心 最終章 The Beginning 65点
2021年6月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 有村架純
監督:大友啓史

 

シリーズ完結作品。最高傑作との呼び声が高いが、それは見方によるか。なぜ『 るろうに剣心 最終章 The Final 』が先で、こちらが後だったのか疑問だったが、本作を鑑賞して納得することができた。

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あらすじ

時は幕末。長州志士たちは江戸幕府の打倒を目指して京都に集結していた。その中で緋村抜刀斎(佐藤健)は幕府の要人の暗殺を担っていた。しかし、幕府も尊王攘夷派を抑え込むために新選組を組織し、両者の構想は激化。その最中、抜刀斎は謎の女性、巴(有村架純)に幕府側の暗殺者を切り殺す現場を目撃されて・・・

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ポジティブ・サイド

開幕から圧巻の殺陣、というか殺戮が展開される。今作では剣心ではなく抜刀斎であるため、不殺の誓いはない。つまり、殺しまくる。若き抜刀斎自身、マイク・タイソンもかくやという耳噛み攻撃を繰り出すなど、狂気十分。『 るろうに剣心 京都大火編 』の新月村でのソードアクションも迫力満点だったが、あちらは逆刃刀による不殺のアクション。BGMに合わせて左右からボコボコする映画的演出が満載だった。一方の本作の冒頭は、そうした演出は極力省き、ダークな幕末の雰囲気をそのまま再現しようと試みている。事実、照明は限りなく抑えられており、巴が剣心を街に連れ出すシーン以外はほとんどすべて薄暗いシーン。二人が農家で暮らすシーンにも、光あふれる演出はない。

 

そうした世界観はキャラクターの造形や人物像にも徹底されている。たとえば、相楽左之助という名脇役がいたことで、命のやり取りであるはずの真剣勝負でも、彼の戦いだけはどこかに必ず笑える演出が盛り込まれていた。本作にはそうしたコミック・リリーフは一切出てこない。漫画原作の追想編の空気を見事に再現できていたように感じる。

 

佐藤健もよく節制している。撮影時は29か30歳ぐらいか?体力的にも肌つやの面でも少しずつ衰えが始まる頃だが、そこをうまく遅らせているという印象。素晴らしい。チャンバラも魅せる。特に、原作では斎藤一に出番を奪われてしまった某キャラとの一騎打ちは素晴らしいファンサービスだった。

 

剣心と巴のロマンス(当時の言い方にすれば野合)の過程の描き方も説得力があった。恋愛という言葉も概念も行動も、日本では近代以降のフィクション。そうした背景を理解して鑑賞するなら、巴と清里の関係、剣心と巴の関係、その悲劇的な末路にも十分に共感ができるはず。幸せという形がすでにあり、それを所与のものとして受け取る江戸時代(末期も末期だが)に、幸せという形を一から自分の力で見出そうとしていく剣心に新しい時代の風を感じられた。

 

闇乃武との戦いで巴を斬り殺してしまうシーンにしんしんと降る雪。血の赤と雪の白のコントラストが美しかった。このシーンを際立たせるために全編を暗めに撮影していたのか。幕末の暗殺者から鳥羽伏見の戦いでの遊撃剣士に、そこから『 るろうに剣心 』冒頭へとつながる流れは見応えがあった。

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ネガティブ・サイド

有村架純の演技は素晴らしかったが、やはり漫画原作の巴の痩身長躯のクールビューティーというビジュアルは体現できていなかった。単純に身長や体形でキャスティングするわけにはいかないが、それでも新木優子や水原希子といった女優が巴を演じていればどうなっていただろうか。また剣心と巴の初夜(とは少し違うが)もなんだかなあ、である。有村架純は『 ナラタージュ 』で濡れ場は演じているわけで、せめて漫画本編にあったような裸から着物を身に着けていく巴・・・というシーンを演じるべきだった。これまでの武井咲=薫では出せなかった味を、有村架純=巴は出すべきだった。

 

漫画で剣心は「一番隊、二番隊、三番隊の組長は文句なしに強かった」と語っていたが、シリーズを通じて(まともな形で)戦ってくれた組長は一人だけとはこれいかに。また、これはごく個人的な要望だが、若いころの鵜堂刃衛も出してほしかったし、志々雄にもカメオ出演してほしかった。

 

闇乃武だけコスプレ臭がしたが、それ以上に徳川の世うんたらかんたらの長広舌が耳障りだった。単なる偶然だろうが、度重なる緊急事態宣言で公開延期の苦渋を何度も味わわされた自民党政治と徳川政治には共通点が多いため、余計にうるさく聞こえてしまった。

 

総評

一作目から戌亥番神が登場したりと、大友啓史監督が脚本執筆段階で全体的な構想を持っていなかったことは明らか。FinalとBeginningは先行する作品と毛色が違うが、特にこのBeginningは異彩を放っている。漫画原作にそれなりに忠実でありながら漫画色が感じられない。シリーズ全体を通じて本作を鑑賞するのと、本作はスピンオフと割り切って鑑賞するのでは、全く異なる感想になると思われる。漫画的な爽快痛快アクションを求めているなら、Final鑑賞で終わってもいいかもしれない。鑑賞するならスピンオフと割り切って観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

traitor


「裏切り者」の意。幕末に限らず、動乱の時代=謀略の時代である。必然的に裏切り者も多く出てくる。長州側の裏切り者が本作の一つの焦点だが、幕府側にも裏切り者はいたはず。さもなければ、抜刀斎があれだけの数の幕府の要人を暗殺できたはずがない。内通者は必要悪であろう。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがフィンに対して”Traitor!”と怒鳴るシーンは格好の使用例である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 有村架純, 監督:大友啓史, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』 -コスプレ大会からの脱却-

『 JUNK HEAD 』 -奇才の誕生-

Posted on 2021年6月9日 by cool-jupiter

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JUNK HEAD 85点
2021年6月5日 第七藝術劇場にて鑑賞
出演:堀貴秀
監督:堀貴秀

 

ずっと気になっていて、しかし仕事も休めないのでなかなか観に行けなかった作品。七藝に感謝である(大阪府知事には感謝しない)。2021年の作品と読んでいいのかどうかわからないが、今年最高レベルのインパクトをJovianに与えてくれた。

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あらすじ

未知のウィルスにより人口が減少した未来世界。テクノロジーにより人類は超長寿を得たが、生殖能力を失ってしまった。大昔に地下世界を探索させていた人工生命体マリガンに生殖能力がある可能性が確認された。調査のためパートン(堀貴秀)は地下世界に降りていくが、マリガンにより撃墜される。気が付くと、彼の頭部はマリガンによって機械の体に移植されていた・・・

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ポジティブ・サイド

まず2010年に製作開始、2017年に完成した作品ということは、完全にコロナ前ということ。2009年の新型インフルエンザの騒動にインスパイアされたというのは当然あるにしても、今という時代ほど本作の描く世界観がフィットするタイミングもそうそうないだろう。

 

オリジナリティがあるかと言われれば、答えはイエスでありノーである。冒頭の物語は誰にも意味が分からないが、これはジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』と同じ構成。主人公のパートンはいきなり爆殺されるわけだが、そこから義体とも言うべき体を手に入れるまでの展開はまんま『 ロボコップ 』+『 攻殻機動隊 』+『 アリータ バトル・エンジェル 』である。広大な未知の領域で特定の遺伝子を探し求めて放浪するのは『 BLAME! 』のキリイそっくり。地底世界で出会う様々なマリガンはH.G.ウェルズの『 タイムマシン 』的な世界観を彷彿させるし、そのマリガンの造形も『 エイリアン 』のゼノモーフをモチーフに、ゲームかつ映画の『 サイレントヒル 』のクリーチャーを足したもの・・・などなど、どこかで観た作品のパッチワークで全編覆いつくされている。にもかかわらず、古い革袋に新しい酒である。何が新しい酒かと言えば、ストップモーション・アニメである。

 

ウィリス・オブライエンやレイ・ハリーハウゼンの時代ならともかく、21世紀という時代、高性能なコンピュータを個人が廉価に購入できる時代、パソコンというプラットフォーム上で一個人がYouTuberという映像作家になれてしまう時代に、ストップモーション・アニメである。それも一人で。常軌を逸した量の作業量である。しかし、そうした孤独で単調な作業に没頭できる才能を堀貴秀が持っていた。そのことに胸を打たれる。

 

考えてみれば、一昔前まではCGと言えば粗いものだった。『 ジュラシック・パーク 』を映画館で初めて見たときは圧倒されたものだが、今の目で見れば露骨なまでにCGである。しかし、『 ライオンキング 』や『 ウォーリー 』ぐらいのクオリティになるとCGはCGでも、それがCGであると脳が意識していないと、CGであることが意識しにくい。このペースで行くと2030年には、もはや実写とCGの区別がつかなくなるのではないか。そんな時代だからこそ、たとえば『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』のような着ぐるみと特撮が我々の目にはこの上なく新鮮なものに映る。そこへストップモーション・アニメで構築された未知のウィルスが跋扈するサイバーパンクな世界である。単なる懐古主義ではなく、まさに現代のリアルな一側面を切り取るという意味で、CGではない表現手段が必然であったかのように思えてくる。

 

全編を通じてサイバーパンクな雰囲気に覆われているが、それを感じさせないコミカルさも大いに感じさせられる。わかりやすい例として、男性器のシンボルと糞便が挙げられる。また謎の関西弁を操る詐欺師キャラに、肝っ玉母ちゃん的キャラ、おべんちゃらばかり言うキャラなど、マリガンたちの生態は人間と何一つ変わらない。世界が変わっても人間の本質は変わらないし、人間が人工生命体であるマリガンと変わらないということは、人間自体も人工生命体である可能性を示唆しているように感じた。

 

広大な世界とそれを上回る広大な世界観。それを文字通りに質感ある形で視覚化した労作。パートンとマリガンたちをめぐる物語世界を今こそ体験してほしい。

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ネガティブ・サイド

全体的にキャラクターの話す音量が小さいと感じた。ただでさえ誰もかれもが低周波音域で話していて聞き取りづらかったので、ここは次作で改善してほしいところ。

 

ラスボス的な変異マリガンも少し小さいと感じた。もう1.5倍くらいの大きさであれば正真正銘の化物になる。また、この変異マリガンが、たとえばデスワームを引きちぎって食べてしまうというような描写があれば、ボスキャラとしてもっと説得力を持ったことだろう。

 

総評

続編が待ち遠しい。その一方で、これだけのクオリティの作品を作ってしまったのだから、もういいだろうという気もする。しかし堀氏は仕事もやめて、作品作りに邁進しているらしい。もう、とことんまで好きにやってくれ。日本はこういう類の奇人変人をもっとサポートしなければならない。そのためにも劇場鑑賞できる人は劇場鑑賞してほしい。そしてパンフレットもぜひ購入されたし。本作は映画受難の2021年において必見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

God is dead.

近代ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として有名な「神は死んだ」の英訳。正しくは「神は死んでいる」なのだが、まあ、そこはいいだろう。”God is dead. God remains dead. We have killed him” =「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」というのは非常に有名な quote なので、丸暗記してしまおう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, SF, アニメ, 堀貴秀, 日本, 監督:堀貴秀, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 JUNK HEAD 』 -奇才の誕生-

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