Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 2010年代

『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

Posted on 2019年2月15日2019年12月22日 by cool-jupiter

チワワちゃん 70点
2019年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 成田凌 吉田志織
監督:二宮健

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190215023423j:plain

門脇麦と成田凌という『 ここは退屈迎えに来て 』でも見れらた若手の実力者の共演である。それだけでもチケットを買う価値はある。実際に I got my money’s worth. 

 

あらすじ

「チワワ」(吉田志織)が死んだ。バラバラ殺人だ。ミキ(門脇麦)はチワワの恋人だったヨシダ(成田凌)やその取り巻き、友人、知人らにチワワがどんな人間だったのかを確かめていく。そこで知ったのは、自分が全く知らないチワワの姿で・・・

 

ポジティブ・サイド

非常にドラッギーな映像から始まる。まるで、これから見るのは映像麻薬ですよ、とでも宣言しているかのようだ。そして実際にその通りである。女子の下着パーティーあり、プール内での美少女同士のキスありと、いったい何を観に来たのだろう?と頭がクラクラしてくるような映像を二宮監督は放り込んでくる。Good jobである。

漫画が原作であるということで敬遠することなかれ。いわゆる少女漫画を原作とする十把一絡げの青春ムービーとは明らかに一線を画す映画である。大ヒット(少女)漫画のストーリーというのは、基本的にファンタジーである。王子様に見出されるお姫様のお話である。なので、そうした映画を観ながら「ああ、俺にもこんな甘酸っぱい、青っちい時代があったなあ」という風にはとても感じられないのである。もしもそのように感じられる映画ファンがいれば、相当に幸運な人生を送れた証である。リア充爆発しろ。しかし、本作の描く青春模様はファンタジーではない。それは青春の一面を異常に肥大化させた、あるいは極度に誇張させたものである。美少女または美男子が転校して来て、自分の隣の席に座るようになる、やがてその相手と劇的展開を経て恋仲になるなどという漫画のような、というか漫画そのものの経験をしたことのある人など、一万人に一人ぐらいしかいないのではなかろうか(分母が十万人でも五千人でも、希少性が高いという意味では大差ないだろう)。しかし、本作で描かれるような若気の無分別を経験したことのない人というのは、あまりいないように感じる。もちろん、危ない筋から大金を強奪するというのは論外だが、ちょっとしたあぶく銭を一瞬の享楽のために溶かしてしまっただとか、行きずりの相手とベッドインしただとか、家に帰れない事情があって知人友人宅を転々としただとか、クラブで飲んで踊り明かしただとか、そういう経験である。Jovian自身もこの映画ほどのクレイジーな経験はしていないが、大学時代には先輩の車に同級生らと乗り込めるだけ乗り込んで、吉祥寺の「ホープ軒」でアホほどラーメンを喰ったその足で、環七沿いの「なんでんかんでん」でやはりしこたま豚骨ラーメンを喰い、そのまま何故か港の見える丘公園に乗り込んで大騒ぎし、返す刀で井の頭公園に戻って、やはり乱痴気騒ぎに興じたことがあった。良い思い出であると同時に、今思い起こしてみても、何故あれほど全力で騒いで遊んで楽しめたのか分からない。

本作はチワワがなぜ殺さなければならなかったのかについては明確な答えは出さない。その筋の仕業だろうとは推測されるが、もはやそれは重要でも何でもない。本作には大人と言えるキャラクターが数えるほどしか出てこない。その一人、浅野忠信は圧倒的な迫力と存在感でカメラ小僧を威圧する。このカメラ小僧はある意味で子どもの代表であり象徴でもある。チワワに恋焦がれるも、カメラのファインダー越しにしかチワワを見ることができず、チワワと個人的な関係を築きたいという欲望が隠しきれないにもかかわらず、自分の撮る映画に出演して欲しいという願いを伝えることでしか、コミュニケーションが取れない。映画に出て欲しいというのは、自分にとっての理想的なキャラクターになって欲しいという意味だろう。浅野忠信はチワワという「現存在」が未来に「投企」されていないという事実を冷徹にも暴きだした。一方でカメラ小僧は美しく天真爛漫で無邪気に快楽を享受するチワワを記録しようとして、ヨシダにそれをぶち壊される。この成田凌演じるヨシダは大人と子どものちょうど境目である。B’zの“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の「あいつ」のような男なのだ、と言えばピンと来るB’zファンあるいは邦楽ファンも多いだろう。青春群像劇としては異色の野心作に仕上がっている。吉田志織という原石がこれからどういう光を放つようになるのかは未知数だが、期待の若手勢ぞろい作品という点では『 十二人の死にたい子どもたち 』よりも本作の方が面白い。

 

ネガティブ・サイド

舞台を現代に設定し直す必要はあったのだろうか。確かにSNSが効果的なガジェットして使用はされていたが、チワワという存在の皮相性と深層性を際立たせるものではなかった。舞台を原作のまま1990年代にして、『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の如く、若さゆえの暴走、若さゆえに無分別、それゆえの刹那的な輝きを記憶に留めるような物語の方がより印象的になったのではと思う。SNSが発達した時代というのは、携帯のカメラやデジカメなども相当に進化している世界なわけで、チワワの画像や映像、音声やテキスト情報などが膨大な量で残っていても全く違和感がない、というかチワワに関するそうした記録。情報の類があまりにも少なすぎて、「本当に現代なのか?」という違和感が最後までどうしても拭えなかった。

 

これは完全に自分が監督になったつもりでのぼやきだが、劇中でチワワが歌って踊る“Television Romance”を何故エンドクレジットシーンに採用しなかったのだろうか。チワワとその周辺の人間関係はほとんど全部この歌で描写されてしまっているではないか。チワワの物語の余韻に浸るべき瞬間にこそ、このテーマソングがより強く輝けるのではないのか。そこのところを非常に惜しいと思う。

 

総評

「くだらなかったあの頃に 戻りたい 戻りたくない」という“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の一節が強烈に脳裏に浮かんでくる。そんな一作である。もちろん、いい年こいたオッサンの抱く感傷と、まさに20歳前後の登場人物たちと同世代の映画ファンの抱く感想は、大いに異なるはずだ。観る者によって呼び起される感覚が異なるというのは、それだけ良い作品なのだ。一面ではなく多面的に見ること、見られること。それを是非、劇場で大画面で体験しよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, ミステリ, 吉田志織, 成田凌, 日本, 監督:二宮健, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

Posted on 2019年2月12日2019年12月22日 by cool-jupiter

PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 45点
2019年2月3日 東宝シネマズなんばにて鑑賞
出演:野島健児 佐倉綾音 弓場沙織
監督:塩谷直義

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190212030628j:plain

タイトルが挑発的だ。日本社会における突出したサイコパスとしては、『 友罪 』の元ネタにもなった神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗、そして佐世保女子高生殺害事件の女子高生などが思い浮かぶ。社会はそうした人間を排除してはならない。しかし、慎重に隔離せねばならないと個人的には考えるが、意見を異にする人も多いはずだ。そうした意見を表明するに際して、娯楽作品の形を借りるのは幅広い層にメッセージを届けるにはある程度効果的だと思われる。

 

あらすじ

時は近未来。「システム」の開発と普及により、サイコパシーを数値で割り出すことが可能になった世界。個人は、犯罪だけではなく、自らの潜在的なサイコパス指数によっても拘束を受ける社会。宜野座伸元(野島健児)は青森の潜在犯隔離施設に何かを嗅ぎつけるが、そこには国家的な陰謀が展開されており・・・

 

ポジティブ・サイド

トム・クルーズの『 マイノリティ・リポート 』のようである。ただ、犯罪、特に殺人を防ごうとするマイノリティ・リポート的世界とは異なり、サイコパスそのものを取り締まる本作の世界観はリアリスティックでありながらも異様でもある。社会とは元々は一人もしくは少数ではサバイバル不可能な人間という生物が、生存可能性を最大にするために編み出したものであろう。古代人の骨から、重篤な障がいを持ちながらも、成人するまで生きていた個体も多数いたことが判明している。社会は様々な個性を包括することで強くなる。しかし、本作の描く社会には排除の論理が強く働く。もともと障がいは“障害”だった。Jovianの視力はかなり悪く、眼鏡やコンタクトレンズなしには生活や仕事は難しい。もしも戦国時代に生まれたなら、結構な穀潰しとして扱われたのは間違いない。しかし、視力は矯正できる。また『 ブレス しあわせの呼吸 』や『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』でも描かれているように、我々の社会は確かに障がい者を包括する方向へと変化してきている。十年前に比べると、エレベータ付きの駅、車いす対応のタクシー、その他にも車いす対応の映画館や美術館の数などは格段に増えた。しかし、精神的な障がい(と呼ぶべきかどうかは悩ましい)は目に見えないため、対応も難しい。『 ザ・プレデター 』は駄作中の駄作だったが、自閉症に関する非常に興味深い仮説を提示した。本作は個人の内に犯罪係数なるものを読み取るシビュラシステムというものが存在する。これはこれでありうる装置であると感じた。『 ターミネーター3 』も凡庸なSFアクションだったが、T-800がジョン・コナーに向かって、呼吸や脈拍のデータからその行動は云々と伝えるシーンを思い起こさせた。人間の精神を崇高なものではなく、あくまでフィジカル面から読み取れるものだという非常に乾いた世界観は悪くない。

 

ネガティブ・サイド

プロットにあまりにも捻りがなさすぎる。「サンクチュアリ」というのは現実の日本社会への風刺であろうが、それをやるならば大多数の無辜の民に思える人間たちこそが実は・・・という形でないと、現実批判にはならない。サイコパスの理想郷、桃源郷なるものを作れるとすれば、それは社会の支配者層をサイコパスが占めることだろう。そして、実は現実世界で多大な成功を収める政治家や実業家、芸術家にはかなりの割合でサイコパスが含まれているというのは周知の事実である。ユートピアに見えたものが一皮剥げばディストピアだった、というのは1950年だから続くSFのクリシェである。そうした norm をひっくり返すような強烈なアイデアを期待したかったが、それは無い物ねだりだったのだろうか。

 

また宜野座の義手が強力すぎないか。義手そのものの強度はそういう設定であるとして、彼の体のその他の部分は生身だ。そしてまっとうな物理法則(作用反作用や慣性etc)を考えれば、あのような無茶苦茶なアクションシークエンスは生み出せないし、鑑賞することもできない。シビュラシステムという虚構にリアリティを持たせるためにも、その他の要素も充分にリアリスティックに作るべきであったが、そのあたりのポリシーや哲学が製作者側に欠けていたか。虚淵玄の強烈な、ある意味で凶暴な思想と個性に振り回されてしまったか。

 

もう一つ。本作はMX4Dで鑑賞したが、それによってプラスアルファの面白さが生まれたとはとても思えなかった。次作を鑑賞する時は、通常料金またはポイント鑑賞をしようと思う。

 

総評

『 亜人 』やアニメゴジラなど、アニメーション作品の3部作構成がトレンドなのだろうか。できれば『 BLAME! 』のように、重要エピソードを一作品に程よくまとめてくれると有りがたいのだが。アニメーションに抵抗がなければ、見ても損はしない。しかし、得もしないか。第二部はスルーしようかと思案中である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, サスペンス, 佐倉綾音, 弓場沙織, 日本, 監督:塩谷直義, 配給会社:東宝映像事業部, 野島健児Leave a Comment on 『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

Posted on 2019年2月11日2019年12月21日 by cool-jupiter

七つの会議 65点
2019年2月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野村萬斎 香川照之
監督:福澤克雄

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190211024641j:plain

働くことの正義を問うとは大仰な煽り文句だ。しかし、『 空飛ぶタイヤ 』が結構なカタルシスをもたらしてくれる娯楽作品であると同時に、現実を鋭く抉る批評的作品でもあったことから、本作も同工異曲の映画であろうと予想していた。働くことの正義なるものについての論評はしがたい作品であるが、水準以上の面白さは有していた。

 

あらすじ

東京建電の八角民夫(野村萬斎)は、居眠り八角の異名を持つ怠け者。しかし、八角の排除を試みようとした社員は皆、謎の異動に処されてしまう。八角の勤務態度の裏にあるものとは?上司の北川(香川照之)と八角の関係は?そこには東京建電の抱える深い闇が広がっていて・・・

 

ポジティブ・サイド

どのキャラクターも見事に立っている。主人公の八角演じる野村萬斎がまさに狂言回しである。それに輪をかけて北川演じる香川照之がブラック企業の幹部を体現している。それはリアリティを追求する方法ではなく、一部の特徴を誇張・肥大化させることで達成されている。それは正しいドラマの作り方でもある。古代ギリシャの時代から、ドラマツルギーとは人間の一側面を過大に描くことで成り立ってきたとさえ言える。本作に登場するキャラクターは、誰もかれもが典型的なキャラをその役割や職務に応じて演じている。「現実的であるということは陳腐なことである」とは小説家・奥泉光の言だが、いわゆるブラック企業の在り方やダメ社員の処遇については、我々は実はほとんど知らないのではないか。我々の耳目に入る情報は極端なものか、メディアが編集したものか、もしくはひときわ声の大きい個人が知らせてくれるものぐらいだろう。そうした意味で、この映画に出てくるあらゆるキャラクターはリアルさには欠けるものの、典型的と評してよい。キャラクターが立っているというのは、そういうことである。

 

さらに池井戸潤作品の特徴である現実批評の精神は本作にも通底している。特に政府による文書の改竄や統計データの不正が明らかになった昨今、明らかに我々が本作を視聴する目は厳しくなる。厳しいというのは審美眼のことではなく、フィクションと現実を重ね合わせてみようとする姿勢のことである。東芝やオリンパスのような巨大企業の不祥事の構造の全貌が判明せず、チャレンジなる曖昧模糊とした言葉で管理職は平社員にプレッシャーを与え、そして責任のはっきりしない不祥事が発生する。本作はそんな現実世界の出来事を忠実になぞるかのように、次から次へと悪役候補が現れては消え、そしてまた現れてくる。これは面白い。我々はあまりにも「皆が悪いのだ」という論調に慣れ過ぎている。これは『 華氏119  』の当時のB・オバマ米国大統領の言葉でもある。しかし、元凶というものは確かに存在し、そしてそれは追及されねばならないと、本作は宣言している。特に上位の会社が下位の会社の財布の中身まで覗き込み、カネの使い方にまであーだこーだとくちばしを突っ込んでくるところは、某愛知の自動車メーカーと某大阪・寝屋川市自動車部品メーカーの関係を見るかのようだった。不正とは、現場レベルやノンタイトルの従業員が行うようなものではない。それは上からの圧力によるものであることがほとんどだろう。一部のサラリーマンや公務員にとっては、本作は非常に胸のすく展開であるに違いない。

 

ネガティブ・サイド

残念だが細部にリアリティが不足しているように思う。『 真っ赤な星 』にもあった不倫ネタ、「俺、お前とのことを真剣に考えているから」という台詞は陳腐であるからこそリアルなのであるが、これはお仕事ムービーであり、サラリーマン映画なのである。前半の不倫プロットのパートは不要というか、八角の存在感の無さ、そして神出鬼没さ、目敏さ、そして意外なコミュニケーション力を演出したかったのだろうが、この部分がかなり冗長だったように感じた。

 

また東京建電の抱える闇であるが、こんな事実が発覚しなかった方がおかしいとすら感じる。あの業界やあの業界は独自に部品のスペックをチェックしているし、特に福知山線の脱線事故からこちら、列車の製造およびメンテナンスの主眼は安全性に置かれていると聞く。キャラクターは典型的でも良いのだが、ストーリーにはやはりリアリティを求めたい。製造業や営業という職務に従事する人が鑑賞すれば、かなり突っ込みどころの多い作品になっていることは、容易に想像がつく。そこが本作の惜しいところである。

 

総評

単体の映画として見れば『 空飛ぶタイヤ 』に軍配が上がる。しかし、社会全体を風刺する、または国民性を追究する、サラリーマンという生き物を“生態模写”するという意味の面白さでは優るとも劣らないものがある。新元号になってから就業していく、世に出ていく中高生たちが見てみれば、平成という世の働き方に良い意味でも悪い意味でも感じ入ることがあるのではないだろうか。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, 日本, 監督:福澤克雄, 配給会社:東宝, 野村萬斎, 香川照之Leave a Comment on 『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

『 メリー・ポピンズ・リターンズ 』 -前作とのつながりが薄いファンタジー-

Posted on 2019年2月6日2019年12月21日 by cool-jupiter

メリー・ポピンズ・リターンズ 55点
2019年2月2日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:エミリー・ブラント ディック・ヴァン・ダイク
監督:ロブ・マーシャル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190206231614j:plain

メリー・ポピンズが50年以上の時を経て、続編に帰って来る。ジュリー・アンドリュースの後を継ぐのは、ブリティッシュ・アクトレスのトップの一人、エミリー・ブラント様とくれば期待しないわけにはいかない。ややCGヘビーなトレイラーが気になったものの、いざ劇場へ。予想や期待をしていた作品ではなかったが、これはこれで受け入れ可能だ。

 

あらすじ

『 メリー・ポピンズ 』の時代から時を経ること幾星霜。時は大恐慌時代。マイケルは妻を亡くし、画業をあきらめ、銀行の出納係をしながら、子どもたちと屋敷に暮らしていた。姉ジェーンも手助けはしてくれていたが、金策ならず、家を失う危機に瀕していた。しかし、そんな時、空からメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が降臨してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

エミリー・ブラントによるメリー・ポピンズ。どちらかと言うと童顔だったジュリー・アンドリュースのメリー・ポピンズよりも、原作小説の雰囲気が出ていたのではないだろうか。メリー・ポピンズは結構気難しいキャラだからだ。それでいて優しさや情もある。歌って踊れる素敵な魔法使い。エミリー・ブラント以外のキャスティングは今では考えられない。なによりも登場シーンが良い。風吹きすさぶ空の雲間から光と共に神々しく現れる。凧と共に降りてくるのにも意味がある。これは物語の最後の最後で見事なコントラストを成す。

 

メリー・ポピンズは乳母であるが、バンクス家のマイケルが妻を亡くし、その子どもたちには母親代わりとなるべき人物が必要だった。メリー・ポピンズがマイケルの子どもたち、ジョン、アナべル、ジョージーを風呂に入れたり、花瓶の世界に連れて行ったりするシーンは、前作のアニメーションとの融合をかなり意識した作りになっている。つまり、一目でそれと分かるCGになっている。だが、今回はそれが不思議と心地よい。なぜなら、自分が観ているものがリアルなものではなくマジカルなものであるという意識があるからだ。トレイラーで観た時は「なんじゃ、この出来損ないのCGは」と思わされたが、本編で観てみると印象がガラリと変わる。これこそ映画のマジックであろう。

 

現代的なメッセージもふんだんに盛り込まれている。時代が世界恐慌時代、なので1929年~1939年のどこかの時点の物語ということになるが、本作が訴えるのは80年前の時代の問題ではない。最も分かりやすいのは母子家庭の問題だろう。人生にはpositive female figureが必要とされる時期もあるのである。叔母や家政婦では力不足なこともある。母親不在という現実から逃避するには、非行に走るぐらいしかない。しかし、もし本当に現実逃避ができるなら?本作は魔法使いのメリー-・ポピンズに仮託して、子どもという存在の想像力と生命力のたくましさについて高らかに称揚する。シングル・マザーが激増している日本社会は何某かを感じ取るべきだろう。

 

不況なのはどこの先進国でも同じだが、その構造も共通している。大資本による庶民の搾取だ。トマ・ピケティの御高説を拝聴するまでもなく、資本は資本のあるところに集まるものである。トリクルダウンなる考え方は虚妄に過ぎない。本作はファンタジー映画であるが、容赦のない現実世界の経済論理が展開されており、子どもと一緒に観に行った保護者はかなり心理的にきつい思いを味わわされたのではないだろうか。そうした苦しい思いをしたからこそ、バンクス家の絆はさらに強まるのだ。ディック・ヴァン・ダイク御大との再会は我々に新鮮な感動と驚きをもたらしてくれる。水戸の御老公様が印籠を見せる時のようなカタルシスが味わえた。

 

ネガティブ・サイド

メリル・ストリープの出番はあれで終わりなのか?せっかくの大女優の出張ってもらったのだから、再訪場面まで描いて欲しかった。

 

クライマックスの風船は悪いアイデアではないが、『 プーと大人になった僕 』が既にガジェットとして使っている。というか、風船と言えばプーだろう。良い絵ではあったものの、個人的にはインパクトが弱かった。

 

前作の煙突掃除人に相当するシークエンスとしての、街灯点灯夫たちの大移動があるが、何故あのような『 マッドマックス 怒りのデス・ロード 』的な画作りをするのだろうか。正直なところ、あれでかなり白けた。普通にやればよいのにと今でも思う。

 

だが本作の最大の弱点は、前作の名曲を何一つとして引き継がなかったことであろう。「チム・チム・チェリー」は煙突がフィーチャーされないので無理だとしても、「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(Supercalifragilisticexpialidocious)は使っても良かったはずだ。ジョン、アナべル、ジョージーの3人と一緒にこれを歌うポピンズに、打ちひしがれていたマイケルとジェーンも加わってくる。誰もがそうしたシーンを観る前に夢想してはずだ。権利関係の鬼のディズニーなのだから、いや、だからこそ、楽曲の権利関係をきっちりとさせて、映画ファンに望むものを提供して欲しかったと切に願う。『 マンマ・ミーア! 』と『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィ-・ゴー 』が同一の世界観であると受け取られたのは、同じ役者が同じ役で続投したことと同じくらいに、”Dancing Queen”が歌って踊られたという事実があるからだ。”Dancing Queen”が流れてこその世界とも言える。前作からの楽曲が無かったのには大人の事情もあろうが、個人的には大減点をせざるを得ない。

 

総評

それなりに楽しい映画である。ミュージカル好き、ディズニー映画好きであればチケットを買っても損はしないだろう。Jovianはかなりバイアスが強い鑑賞者なので、あまりレビューの点数は気にしないで頂けると幸いである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190206231644j:plain

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190224120315j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エミリー・ブラント, ディック・ヴァン・ダイク, ファンタジー, ミュージカル, 監督:ロブ・マーシャル, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 メリー・ポピンズ・リターンズ 』 -前作とのつながりが薄いファンタジー-

『 あした世界が終わるとしても 』 -あまり変わり映えしないJapanimation-

Posted on 2019年2月4日2019年12月21日 by cool-jupiter

あした世界が終わるとしても 45点
2019年1月31日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:梶裕貴 中島ヨシキ 内田真礼 
監督:櫻木優平

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190204003122j:plain

これは『 風の谷のナウシカ 』以来の戦闘美少女の系譜の物語に、別世界(parallel universeやalternate realityと呼ばれるアレ)との対立、そして戦闘ロボットや、それでも変わらない醜い人間の政治力学などを一挙にぶち込んだ野心作である。しかし、監督やクリエイターたちのやりたいことを多すぎて、観る側にメッセージが伝わりづらくなっている。将棋指しが勝負師・芸術家・研究家の三つの顔を持つように、映画製作者も芸術家としてだけではなく、発信者や発明者のような側面にも力を入れて欲しいと願う。

 

あらすじ

何故かこの世界では人が突然死する。狭間真の母もそうして死んでしまった。以来、父は仕事に没入するあまり家のことを顧みなくなった。一人になった真に寄り添ってくれているのは幼馴染の琴莉だった。二人の仲がようやく動き出そうとする時に、突如、ジンが現れる。ジンはもう一つの世界の真だった。彼の目的は二つ。一つは真の保護、もう一つは・・・

 

ポジティブ・サイド

映像は文句なしに美麗である。ディズニーのように巨額予算が無くても、ここまで出来るというのがJapanimationの利点であろう(アニメーターの待遇の悪さ、および中国資本化によるアニメーターの待遇改善のニュースもあったが・・・)。アクションシーンでズームインとズームアウトを頻繁に行いながらも、キャラクターを猛スピードで動かすところには唸らされた。『 BLAME! 』でも用いられた手法であるが、それをもう一歩先に推し進めた印象を受けた。

 

また企業が政府に先立って動く世界というのも、この現実世界を先取りしているように思える。プーチン政権下のロシアがクリミアを力で併合したり、トランプ政権がメキシコ国境に壁を作る/作らないで大揉めしていたりしているが、歴史的な流れとして世界はどんどんとボーダーレスになっていっている。そして国境を超えることで新たな価値を帯びるのは情報と貨幣だ。特に仮想通貨の浸透とその暴落は記憶に新しい。今は振り子の針の揺り戻しが来ているが、反対方向に大きく振れるのも時間の問題だろう。

 

閑話休題。本作で最も面白いなと感じたのは、美少女ロボの言動。むしゃむしゃと食べ物を頬張り、「出るところから出るような構造になっています」と説明するのは、一部の純粋なマニアやオタクを欣喜雀躍させるか、あるいは彼ら彼女らは怒り心頭に発するのではないだろうか。好むと好まざるとに依らず、技術は進歩していく。ユダヤ・キリスト教の神がImago Deiに似せて人間を作ったように、人間もロボットをどんどんと人間に似せていく。これは間違いない。『 コズミック フロント☆NEXT 』の1月17日の回「 どこで会う!?地球外生命体 」で、ある科学者が「肉体というものは不完全で不要かもしれない、けれど、この目で美しい景色を見たり、この耳で美しい音楽を聴いたり、この口で美味しいものを食べたりすることが生き物としてのあるべき姿だと思う」という趣旨を述べていた。本作に登場するミコとリコに対して親近感を抱けるか、もしくは嫌悪感を催すかで、観る側の心根がリトマス試験紙のように測れてしまうかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

オマージュなのか、それとも作り手の意識の中にそれだけ強く刻みこまれてしまっているのか。作品のそこここに先行テクストからの影響が色濃く現れている。これが道尾秀介の『 貘の檻 』が横溝正史の『 八つ墓村 』へのオマージュになっていたのと同様の事象なのか、それとも意識して様々な作品の要素をぶち込むことで、監督兼脚本の櫻木優平氏が悦に入っているのか。おそらく後者ではないかと思われる。現代は、しかし残念ながら、パスティーシュやオマージュではなく、オリジナリティで勝負しなければならない。まずは守破離ではないが、何か一つの要素をしっかりと追求する。そこから自分なりのスタイルを確立していくことを目指すべきだ。以下、Jovianが感じたオリジナリティの無さについて。

 

まず並行世界というもの自体が、手垢に塗れたテーマだ。その古い革袋に新しい酒を入れてくるのかと期待したら、その世界の発生のきっかけは旧日本軍の研究開発していた次元転送装置とは・・・ 旧日本軍て、アンタ・・・ 『 アイアン・スカイ 』以上に荒唐無稽だ。こちらとあちらに同じ人間が存在していて、その命がリンクしているという設定がすでに理解できない。なるほど、世界が分裂してしまった時点ではそうだろう。だが、極端な例を考えれば、こちらの世界の妊婦さんが流産をしてしまった時、あちらの世界の人は必ず妊娠しているのか?そうでなければ、例えば妊婦が死んでしまった場合は胎児も自動的に死亡すると思われるが、そもそもあちらの世界で存在しない命がこちらで消えてしまった時は?などなど、観ている瞬間から無数に疑問が湧いてきた。並行世界というのは、タイムトラベルや記憶喪失ものと並んで、非常にスリリングな導入部を構成することができるジャンルだが、それだけに細部を詰め方、および物語そのものの着地のさせ方が難しい。その意味で本作は、離陸した次の瞬間に墜落炎上したと言っていいだろう。

 

また、その並行世界の成り立ちの説明がどういうわけかナレーションで為される。どうしても言葉で説明したいというのなら、何らかのキャラクターに喋らせるべきだ。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』における酔っ払い男のように。このナレーションは完全にノイズであった。

 

そこで生まれた世界の日本には皇女がいるという。ならば「にほんこうこく」というのは日本皇国かと思っていたら、日本公国であるという。どういう国体を護持すれば、そんな国が生まれるというのか。平安時代に並行世界が生まれたのならまだしも、昭和の中頃にこれはない。いくらアニメーション作品と言っても、歴史的な考証は最低限行わなくてはならない。映画とは、リアリティを追求してナンボなのだ。なぜなら、映画という芸術媒体が発するメッセージは往々にしてフィクションだからだ。だからこそ、それ以外の部分はリアルに仕上げなくてはならない。まあ、本作にはそもそもメッセージが無いわけだが。

 

護衛兼攻撃用ロボットが、エヴァンゲリオン、『 BLAME! 』のセーフガードなど、様々な先行作品の模倣レベルから脱していない。ボス的キャラもネットでしばしばネタにされる小林幸子を否応なく想起させてくる。そしてセカイ系で散々消費された僕と美少女戦士達の闘いが、世界そのものの命運を決めることになるという、周回遅れのストーリー。また『 ミキストリ -太陽の死神- 』と全く同じ構図がヒロインキャラに投影されていたりと、どこかで見た絵、どこかで聞いた話の寄せ集め的な物語から脱却できていない。櫻木監督の奮起と精進に期待をしたい。

 

総評

ポジティブともネガティブとも判断できなかったものに、キャラの動きが挙げられる。モーション・キャプチャをアニメの絵に適用しているのだと思うが、とにかくキャラがゆらゆらと動く。生きた人間であれば自然なのかもしれないが、アニメのキャラにこれをやられると不気味である。『 ターミネーター 』や『 ターミネーター2 』のシュワちゃんが、非常にロボットらしい動きをするのと対比できるだろう。しかし、CGアニメーションがもっと進化して、小さい頃からそのような作品に慣れ親しむ世代は、旧世代のアニメーションを見て「不気味」と感じるのかもしれない。何もかもを現時点の目で判断することは独善になってしまう恐れなしとしないだろう。この点については判断を保留すべきと感じた。冒頭10分は何となくゲームの『 インタールード 』を彷彿させた。カネと時間が余っていて、アニメーションに抵抗が無いという人なら、1800円を使ってもいいのかもしれない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, 中島ヨシキ, 内田真礼, 日本, 梶裕貴, 監督:櫻木優平, 配給会社:松竹メディア事業部Leave a Comment on 『 あした世界が終わるとしても 』 -あまり変わり映えしないJapanimation-

『 十二人の死にたい子どもたち 』 -真新しさに欠ける子供騙し映画-

Posted on 2019年2月3日2019年12月21日 by cool-jupiter

十二人の死にたい子どもたち 35点
2019年1月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:新田真剣佑 北村匠海 高杉真宙 萩原利久
監督:堤幸彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190203022003j:plain

出演に男4人だけをリストしたのは、単純にスペースの問題であって、それ以上の意味もそれ以下の意味もない。本当は自分の好み的には萩原利久だけでもよかったのだが、それだけではアンバランスだなと感じただけのことに過ぎない。それにしても、堤幸彦監督というのは、良作と駄作を一定周期で生み出してくるお人である。本作はどちらか。残念ながら駄作であった。まさに文字通りの意味で子供騙しであった。

 

あらすじ

廃病院。集められた十二人の少年少女。皆、闇サイトの呼び掛けに応じ、集団自殺する為に集って来た。しかし、そこには十三人目が既に先着していた。物言わぬ死体として・・・

 

ポジティブ・サイド

期待の若手俳優をずらりと並べたのはインパクトがあった。Jovianは萩原利久を推しているので、彼の登場は素直に嬉しい。他にも杉作や北村など、確かな演技力、表現力を有するキャスティングは、タイトルの持つインパクトとの相乗効果で、多くの映画ファンを惹きつける。

 

劇中に何度もフォーカスされる謎めいた絵画やオブジェも興味深い。妊婦を想起させるだけではなく、♂と♀のマークの複合体、つまりは性行為を意識させるようなデザインでもあり、デストルドーに衝き動かされる子どもたちの奥底に眠るリビドーを模しているかのようでもある。これからご覧になる方々は、これらの絵や像のショットがどういう場面で挿入されてくるかに是非注意を払って見て欲しい。

 

ネガティブ・サイド

端的に言ってしまえば、どこかで観た、もしくは読んだ作品のパッチワークである。タイトルから『十二人の怒れる男 』を思い起こした方は相当数いることは間違いないし、あらすじを読んで、または予告編を見て『 11人いる! 』や『 ソウ 』の影響を受けた作品なのだなという印象を持った人も多いだろう。あるいはmislead目的としか思えない「死にたい」連発のトレイラーを見て、『 インシテミル 7日間のデス・ゲーム 』や『 JUDGE ジャッジ 』の類のデスゲームなのかと勘違いさせられた人も一定数いただろうことは想像に難くない。原作者が冲方丁だと知って、意外に感じた向きも多かったのではないだろうか。Jovianはてっきり、米澤 穂信か土橋真二郎の小説が原作なのだと思い込んでいた。何が言いたいかと言うと、オリジナリティに欠けるわけである。

 

本作をジャンル分けするならば、シチュエーション・スリラー風味のミステリ兼ジュブナイル映画ということになるだろうか。だが、ミステリとして鑑賞させてもらうと、粗ばかりが目立って仕方がない。あまりにもご都合主義に満ちているのだ。堤監督は明らかに『 イニシエーション・ラブ 』を意識した画作りおよび演出を施したシークエンスを用意してくれているが、説得力が全く違う。まさに月とすっぽんだ。それはもちろん、『 イニシエーション・ラブ 』が月で、本作がすっぽんという意味である。あれを見せられて、「ははあ、なるほど、そうなっていたのか」と膝を打つ人がいるのだろうか。

 

とにかく論理的に破綻している、または都合が良すぎる点を指摘してしまうときりがない。なので、ひとつだけ余りにも間抜けすぎる台詞を紹介しておきたい。廃病院前に軽トラが止まったのを見て「なんで?!改修工事はまだ先のはずよ?」とは・・・ どこからどう見ても積み荷ゼロの軽トラック一台にそこまで焦る必要があるのは何故だ。某人物が廃病院に来るまでに使った車いす対応タクシーの運転手が警察に通報するという可能性は考慮しなかったのだろうか。

 

総評

はっきり言って面白くない。ミステリとしてもスリラーとしてもサスペンスとしても、中途半端すぎる。キャスティングに魅力を感じるのであれば鑑賞も可だろう。しかし、ちょっと面白そうだから観てみるかという気持ちで劇場に行くと、ガッカリさせられる可能性が高いだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190203022025j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 北村匠海, 新田真剣佑, 日本, 監督:堤幸彦, 萩原利久, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高杉真宙Leave a Comment on 『 十二人の死にたい子どもたち 』 -真新しさに欠ける子供騙し映画-

『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』 -インド発ロードムービーの傑作-

Posted on 2019年2月1日2019年12月21日 by cool-jupiter

バジュランギおじさんと、小さな迷子 80点
2019年1月27日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:サルマーン・カーン ハルシャーリー・マルホートラ
監督:カビール・カーン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190201102653j:plain

今年の初めにパンフレットを見た時に「おー、ジョン・ハムがインド映画に出るのか」と思ったのを覚えている。実際は全く別の役者さんだが、そのように見えてしまった映画ファンは全世界で数千人はいたのではないだろうか。

 

あらすじ

パキスタンの山奥で暮らす娘シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)は口がきけない。お祈りのために訪れたインドで不運にも迷子になってしまう。そこでパワン、通称バジュランギ(サルマーン・カーン)と出会う。バジュランギは熱心なヒンドゥー教徒で、学歴は無いが素直で誠実で無邪気な男だった。彼はこの娘をムンニーと呼び、ビザもバスポートも無しにパキスタンに彼女を送り届けようと決意するのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 バーフバリ 』二部作、そして『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』に続くインド映画の傑作がまたも現れた。と思ったら、現地での公開は2015年だったとのこと。『 ウィッチ 』のように2年経ってから公開されるケースはあるが、4年ものスパンを空けてというのはかなり珍しいのではないか。それだけ、今このタイミングで、日本で劇場公開する意義を配給会社が認めたということなのだろう。

 

何よりも、シャヒーダーがあまりにも可愛い。このような純粋無垢な少女を前に、大人はあまりにも無力である。つまりはベイビネスである。実際は6歳ぐらいなので、シャヒーダーをベイビーであると看做すの無理がある。しかし、シャヒーダーの口がきけないという特徴が、彼女を赤ん坊的な存在に留める大きな役割を果たしている。赤ん坊の特徴はその無垢さ、タブララサ tabula rasa であることが挙げられる。赤ん坊は白紙なのだ。シャヒーダーは白紙の存在ではない。彼女はパキスタン人であり、ムスリムであり、クリケット好きである。しかし、周囲のインド人の目には、そうした属性が可視化されていない。つまり、彼女は彼女の最も純粋な部分、つまりは人間としての部分が扱われる。彼女が肉を食べ、イスラム教のモスクに入り、クリケットのパキスタン代表チームを応援することで、周囲の人間は彼女を異物であると認識するようになる。非常に悲しいことではあるが、日本人の中には、コンビニ店員がベトナム人、中国人、韓国人、フィリピン人であるというだけのことで、非常に居丈高になり、時には高圧的、攻撃的にさえなる者が存在する。人間には様々な違いがあるものだが、そうした違いのいくつかは非常に皮相的で、自分では決定的だと思っていた差違も、実は自分の心が作り出していた幻想に過ぎないということを、本作はある意味では非常にあっけらかんと明かしてしまった。インドとパキスタンの歴史は、西ドイツと東ドイツ、北朝鮮と韓国のようには、なかなか理解はできない。なぜなら前者の差違は宗教的なもの、つまりは心の問題であって、後者の差違は社会システム、つまりは制度的なものであるからだ。シャヒーダー、いやムンニーと旅するバジュランギは、自分がどれほど狭隘な精神世界に住んでいたのかを、旅の中で認識するようになる。彼がモスクの中でムンニーを見つめるシーンは、終盤で非常に鮮やかなコントラストを生み出す。これには唸らされた。信じる対象は異なっても、信じるという心の営みそのものには何らの違いもなく、等しく尊重されるべき心の在り様であるということを、本作は観る者に提示する。ぜひ多くの方にご覧いただきたいと思う。

 

本作はさらにもう一歩踏み込んで、梅田望夫が言うところの「不特定多数無限大への信頼」を体現するプロットも組み込まれている。ネットの世界には技術的には国境は無く、マスコミと同程度、時にはそれ以上の信頼をミニコミが生み出すことさえある。そうした、非常に現代的な世界の在り方を本作はリアリスティックに映し出す。傑作インド映画『 ボンベイ 』で描かれたような、圧倒的な憎悪と暴力が発露される場面があるが、その同じ力が負ではなく正の方向に作用する時、観る者に圧倒的な感動をもたらしてくれる。事実、シネ・リーブル梅田は『 カメラを止めるな! 』以来の満席であったが、クライマックスでは劇場内のそこかしこからすすり泣きの声が聞こえてきた。インド映画、そしてインドという国に対する見方を我々はアップデートしなければならない時期に差し掛かっている。

 

そうそう、主演のサルマーン・カーンのフィルモグラフィーを事前にチェックしておくと、劇中でクスリとさせられること請け合いである。興味のある方はお試しあれ。

 

ネガティブ・サイド

最後の最後のショットがやや腑に落ちない。そこに至るまでは非常にハイレベルにまとめられていたのに、あのような構図にする必要があったのだろうか。端的に言えば、この美しい映画の物語の余韻を少し壊すようにすら感じられた。

 

また、一部で露骨に『 ビバリーヒルズ・コップ 』をパクった、またはパロったシーンがあるが、こうした場面でこそ本作のオリジナリティを発揮して欲しかったと願う。

 

総評

『 search サーチ 』の監督アニーシュ・チャガンティの活躍にも見られるように、インド映画、およびインド系の映画人は今後ますます活躍していくものと予想される。そうした大きな流れの端緒の一つとして、本作は記録され、記憶されるだろう。傑作であると断言する。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, サルマーン・カーン, ハルシャーリー・マルホートラ, ヒューマンドラマ, 監督:カビール・カーン, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』 -インド発ロードムービーの傑作-

『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』 -『 レディ・プレイヤー1 』への意趣返し?-

Posted on 2019年1月29日2019年12月21日 by cool-jupiter

シュガー・ラッシュ オンライン 60点
2019年1月24日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ジョン・C・ライリー サラ・シルバーマン ガル・ガドット タラジ・P・ヘンソン
監督:リッチ・ムーア フィル・ジョンストン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190129123942j:plain

およそプリンセスらしくないプリンセスのヴァネロペが、インターネット世界で様々なプリンセスおよびキャラクターと邂逅する。そして、ラルフとの友情に一つの区切り、転換点を迎える。前作の『 シュガー・ラッシュ 』が役割と人格を巡る物語であるとすれば、本作は主体の主体性、すなわち自由を巡る物語であると言える。Jovianは作家の奥泉光に私淑しているが、彼は我々の共通の師である並木浩一との対談で、並木から「自由とは、自由であろうとすること」との言葉を引き出している。Jovianがここで言う自由も、自由であろうとすることを指しているとご理解頂きたい。

 

あらすじ

ラルフとヴァネロペは、それぞれのゲームで活躍しながら、良好な親友関係を続けていた。ある日、ハプニングにより、シュガー・ラッシュのゲーム筺体が破損。修理部品を手配する為に、ラルフとヴァネロペはインターネットの世界に飛び込んでいく。そこでヴァネロペは様々な出会いを通じ、自分が本当にやりたいことを見つけ出すのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

前作でも同じことを感じたが、CGが違和感なく感じられるのは個人的には大いなるプラス。現実世界のゲームのCGは余りにも美麗になりすぎたが、一定以上の世代の人間ならドラゴンクエストやファイナルファンタジーの二次元ドット絵に愛着を感じるだろうし、パックマンやインベーダー・ゲーム、ドンキーコングのようなグラフィックでも充分だとさえ言える。CG嫌いが少し弱まってきたのだろうか。

 

前作ではレトロゲームのキャラが多数カメオ出演していたが、今作ではネットのビジネス世界の列強が勢ぞろいしている。日本からは楽天が参戦しており、そのほかにもLineやmixiも目に入ってきた。その他のネットビジネスの巨人であるAmazon,eBayを筆頭にYouTube,Facebook,Google,InstagramにTwitterと何でもござれ。これらのサービスの全てもしくはいくつかを使ったことがある人ならば、思わずニヤリとさせられる描写も多く、なおかつインターネットという世界を直観的に理解できるようなビジュアル世界も構築できている。これは凄いことだ。最も象徴的なのは、ネット世界では距離の概念が“ほとんど”無いのだということを描き出していること。また、IPアドレスによって個を識別しているということ。そしてデータのコピーにかかるコストがほぼゼロであることを良い意味でも悪い意味でも映し出したこと。これらに個人的には最も唸らされた。

 

今作ではラルフとヴァネロペの友情に新たな展開が見られる。自分の役割を受け入れることができたラルフと、やっと自分の役割を果たせるようになったヴァネロペの間に、温度差が生まれるのは蓋し当然でもあっただろう。ラルフは悪役であることを受け入れ、ゲーム外の時間でヴァネロペと変わらない時間を過ごす。しかし、ヴァネロペは決まり切ったレースコースを走ることに厭いていて、変化を求めている。シュガー・ラッシュ内でも他キャラがプリンセスとして接してくるのに対して、対等な関係を求める。ヴァネロペは「自分が自分らしくある」ことを目指したいのだ。それこそが主体の自由である。ゲームの垣根を乗り越えて、自らのアイデンティティを定めようとしてく、このリトル・プリンセスの姿に、一つのグローバル時代の個の在り様を見るようである。

 

また、本作ではディズニー世界のプリンセスが勢ぞろいする。Jovianは一部しか作品は鑑賞していないが、それでも彼女たちが語るプリンセスの条件(予告編で散々流れているのでネタばれにはあたらないだろう)に、我々はいかに個の在り方が非常に限定的、なおかつ与えられた役割を全うすること、もっと言えば非常に受動的な属性で塗り固められているかということを思い知らされ、愕然とする。ヴァネロペがネット世界でゲームの垣根を超えていくこと、麗らかに、しかし、強かに個を主張する様は、繰り返しになるが、グローバル時代の個人の来し方行く末を見るかのようだ。幅広い年代層にアピールできる作品になっている。

 

ネガティブ・サイド

ラルフは元々、the sharpest tool in the box = 頭が切れるタイプではないが、ヴァネロペの旅立ちを阻止したいが為だけに、ここまでやるか?という行為に及ぶ。現実世界でこれをやれば、御用である。ネット世界でこれをやっても、やはり御用である。ラルフは典型的な男のダメな部分をあまりに率直に、飾らずに体現してしまっている。それは共感力の欠如である。「俺は毎日楽しいぜ」と自己主張をしてもしゃーないのである。シャンクとヴァネロペの会話は至って正常なガールズトークで、だからこそラルフには理解ができない。こうした描写はクリシェとさえ呼べるが、これを見せられてしまうと男としてはかなり暗澹たる気分にさせられる。例えばラルフがシャンクに直接、自分がどれほどヴァネロペとの友情に感謝しているのか、それによって生かされているのかを訥々とでもよいから語るような場面があれば、男のダメさ加減の体現描写も少しは薄められたはずなのだが・・・

 

総評

『 レディ・プレイヤー1 』のメッセージは、「外に出ろ、人と交われ」だった。しかし、本作はもっと踏み込んで、「多様な世界に触れろ、変化を恐れるな」と言っているかのようだ。世代によって本作の受け取り方は相当に異なると思われるが、あらゆる見方が正しいのだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, アメリカ, ガル・ガドット, サラ・シルバーマン, ジョン・C・ライリー, タラジ・P・ヘンソン, ヒューマンドラマ, 監督:フィル・ジョンストン, 監督:リッチ・ムーア, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』 -『 レディ・プレイヤー1 』への意趣返し?-

『 バンド・エイド 』 -真正面から向き合えない夫婦なら観てみよう-

Posted on 2019年1月28日2019年12月21日 by cool-jupiter

バンド・エイド 50点
2019年1月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ゾーイ・リスター=ジョーンズ アダム・パリー フレッド・アーミセン
監督:ゾーイ・リスター=ジョーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190128031031j:plain

原題も“Band Aid”である。絆創膏と「音楽バンドによる助け」のダブルミーニングである。音楽によって人間関係の修復を図る作品では『 はじまりのうた 』が思い出される。テイラー・スウィフトは『 Bad Blood 』で「バンドエイドでは銃創は治せない」と歌った。しかし、バンドで治せる傷もあるはずだ。そう確信する人々が作ったのが本作であろう。

 

あらすじ

アナ(ゾーイ・リスター=ジョーンズ)はUberの運転手、ベン(アダム・パリー)は企業ロゴのデザイナーで、互いに収入は不安定。二人の間では常にケンカが絶えなかった。しかし、バンド活動の間だけはケンカを楽曲に昇華することができた。近所に住む性依存症のデイヴ(フレッド・アーミセン)を交えて、バンドを始める二人。バンド活動は順調に見えたが、アナとベンには真正面から向き合えない辛い過去があり・・・

 

ポジティブ・サイド

サンダンス映画祭に出品された作品ということで、登場人物も少なく、時間的・空間的にもそれほどの広がりを見せない。つまり鑑賞しやすく、理解もしやすい。夫婦喧嘩を経験したことのない夫婦はいないだろうし、未婚・独身者であっても、夫婦喧嘩の何たるかはある程度は想像ができるはずだ。そんな夫婦間のドロドロした愛憎を音楽活動に昇華させる。非常に健全な試みであろう。アナとベンが互いに”Fuck you, Fuck you, Fuck you”とお互いを罵るようにシャウトする様は非常にコメディックである。

 

映画をある程度見なれた人であれば、もしくは夫婦というものをある程度経験していれば、アナとベンの間に起きた悲しい過去については簡単に推測できるだろう。しかし、それに向かい合うことは決して簡単なことではない。特に女性であれば、アナが女友達とおしゃべりをするシーン、そして友達の子どもの誕生日パーティーに出席するところで、非常に強く共感するか、もしくは相当に身につまされる思いをするか、どちらかではないだろうか。

 

中盤以降には、もしかすると日本の少子化、もっと言えばセックスレスの原因はこれではないかと示唆してくるようなシークエンスがある。これはおそらく夫側がかなり身につまされるシーンになるのではないか。現代ではセックスは生殖活動以上に、愛情表現、濃密なコミュニケーションとしての意味合いの方が強い。だからこそ依存症が発生したりするわけだが、かといって生殖の意味合いが薄れたわけでは決してない。本作は夫婦の在り方を時にラブコメ調に、時にシリアスに映し出す。主演も兼ねた監督ゾーイ・リスター=ジョーンズの面目躍如といったところだろうか。

 

ネガティブ・サイド

アメリカの女性というのは、人生で一番輝いていた時期に囚われる傾向が殊更に強いのだろか。『 ワン・ナイト 』や『 ラフ・ナイト 史上最悪!?の独身さよならパーティー 』など、人生の最盛期を振り返る映画は枚挙に暇がない。アナも、過去に本を出版するチャンスを掴みかけたのだが、それは結局実現することが無かった。これはあまりに陳腐だ。もっと別の角度から、アナの苦境を描くことはできたはずだ。本というものが、あるモノのシンボルであることは承知している。そうであるならば歌詞にそのあるモノを示唆するものが出てこなくてはならなかったが、そんなものはなかった。それが残念だ。

 

もう一つ指摘することがあるとすれば、アダム・パリ―の演技。下手だと言いたいわけではない。ただ、妻に対する時と母に対する時で演技に違いがないのは頂けない。目つき、顔を傾ける角度、声のトーンなど、目に見える、耳に聞こえる形で演技を差をつけられないのは表現者としては敗北であろう。もちろん、監督その人によってそのような演技をするように指示された可能性もあるが、彼の一本調子の演技は本作にとってはマイナス要素である。

 

総評

テイラー・スウィフトは2015年の東京ドームでのライブで“You are not your own mistakes.”と語った。『 あなたの旅立ち、綴ります 』でシャーリー・マクレーン演じるハリエットは“You don’t make mistakes. Mistakes make you. Mistakes make you smarter.”と語った。弱点はあるものの、もしも夫婦関係に間違いがあると感じているのならば、何某かのヒントが得られるかもしれない作品に仕上がっている。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アダム・パリー, アメリカ, ゾーイ・リスター=ジョーンズ, ヒューマンドラマ, フレッド・アーミセン, 監督:ゾーイ・リスター=ジョーンズ, 音楽Leave a Comment on 『 バンド・エイド 』 -真正面から向き合えない夫婦なら観てみよう-

『 シュガー・ラッシュ 』 -深い示唆に富むディズニーアニメの秀作-

Posted on 2019年1月26日2019年12月21日 by cool-jupiter

シュガーラッシュ 70点
2019年1月22日 レンタルBlu Rayにて鑑賞
出演:ジョン・C・ライリー サラ・シルバーマン
監督:リッチ・ムーア

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190126024155j:plain

原題は“Wreck-It Ralph”、「壊し屋ラルフ」とでも言おうか。スルーするつもりだったが、どういうわけか突然『 シュガー・ラッシュ オンライン 』を鑑賞してみたくなった。ならば、前作を観ねばなるまいと近所のTSUTAYAで借りてきた次第である。

 

あらすじ

ゲームセンターの「Fix-It Felix」は悪役ラルフが建物を壊して、善玉フェリックスがそれを直していくというゲーム。ゲームセンターの閉店後、ゲームのキャラたちは自分の時間を過ごしていたが、悪役のラルフはゲームの時間以外でも他のキャラから敬遠されていた。自分もヒーローになりたいと願ったラルフは他のゲームに「ターボ」する。そして「 シュガー・ラッシュ 」の世界でバグ持ちの少女、ヴァネロペと出会う。ゲーム世界で疎外されてきた二人は友情を育んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド 

『 レディ・プレイヤー1 』はこれに触発されたのではないかと言うぐらい、レトロゲームのキャラクターが登場する。ザンギエフやベガに、かつてゲーセンで貴重な百円玉数枚を投じて1時間遊んだことを思い出す者もいれば、スーパーファミコンでストⅡ、ダッシュ、ターボを延々とプレーした思い出を持つ者もいるだろう。あるいはパックマン・ゴーストに郷愁を感じる者も多かろう。『 ピクセル 』はクソ映画で、中途半端にリアルなCGも現実世界と相容れない不自然さがあったが、本作では同じようにレトロゲームのキャラや世界観を構築しても、全く不自然ではない。なぜなら、世界そのものがゲームの内部だからだ。そしてたいていのゲームは、何度プレーしても同じ物語が紡ぎ出されるように出来ている。中には『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』のように、シューティングゲームでありながら分岐シナリオを取り入れた例もあるが、それでもゲームの物語やキャラの最終的な行動や属性は大きくは変化しない。

 

しかし、キャラクターが変化を望めば?キャラクターに自発的な意志があれば?それが主人公ラルフの葛藤になる。彼自身は自分は悪役であることを認識している。しかし、彼は自分のことを悪人だとは考えていない。役割は決して人格とイコールではないのだ。だからこそ、シュガー・ラッシュのヴァネロペに共感しつつも、その存在を守ろうとする。ヴァネロペは逆に不安定なバグ(glitch)を有するが故に、卓越したレーサーでありながらレースに参加することが許されない。役割を果たすことができないということが、彼女の存在意義を揺るがす。ラルフとは逆なのだ。彼女は、たとえゲーム世界が崩壊し、自分というキャラクターがリセットされてしまっても、自分の役割を全うしようとする。存在意義を果たそうとすることで存在が消えてしまうとは何たる悲劇かと思うが、そのことが物語にドラマとサスペンスと感動を与えている。

 

ここで思い出される映画がある。『 マジック・マイク 』だ。終盤でチャニング・テイタム演じるマイクは「俺は俺のライフスタイルじゃない。俺は俺の仕事じゃない。ストリッパーは俺の仕事(what I do)だけど、それが俺の人格(who I am)じゃない」と心境を吐露する。これこそがラルフの葛藤の正体であろう。これは子どもが観ても、大人が観ても、直観的に理解できる内容だ。このメッセージを届けるために舞台をゲーム世界に設定したのだとすれば、脚本家の慧眼には感服するしかない。なぜなら、ラルフという悪役が存在しなければ、フェリックスという善玉は必要とされないからだ。ラルフが何かを壊してくれてこそ、フェリックスの直す能力が重宝される。悪役にも存在理由がしっかりとあるのだ。現実の世界を舞台にこのことを描き出した傑作に『 ダークナイト 』が挙げられる。または『 アンブレイカブル 』もこのカテゴリに入れてもよいのかもしれない。現実世界を舞台に悪の存在意義=その対比としての善が存在する、ということを描こうとすると子どもが置いてけぼりになってしまう。その意味では本作は、子どもから大人までしっかり鑑賞して、なおかつ楽しむことができる逸品である。

 

ネガティブ・サイド

センチピードやQバートはそれなりに可愛いが、ヴァネロペの声(オリジナルの英語)が可愛くない。むしろ少し怖い。というか、ヴァネロペという屈折したキャラクターをよく表す声だとは思うが、話し方そのものがかなりSmart Alecな感じで、とにかく鼻につく。続編は思い切って日本語吹き替えにしようかと検討している。

 

一つ気になってしまったのが、ラルフの心境の最終的な変化。悪役も悪くは無いと感じるのは良しとして、それはヴァネロペを好いてくれるプレイヤーの存在に帰せられることなのだろうか。バグを持った破天荒プリンセスキャラが愛されるなら、壊し屋の自分だって愛されていいんじゃないのかという結論に至らないのが、個人的にはやや解せない。

 

また、クライマックスの展開は割と簡単に読めてしまうのが残念なところだろうか。それでも嫁さんはびっくりしていたので、度肝を抜かれる人はこんな展開にも度肝を抜かれるものなのだなと再認識。個人的にはこの逆転のドンデン返しはすぐに見えてしまった。

 

総評

子ども向け作品と侮るなかれ、『 グリンチ 』とは一味もふた味も違う。完成度はこちらの方が遥かに高く、かつてレトロゲーマーだった大人以外の大人たちの鑑賞にも耐えられる作品である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, アメリカ, サラ・シルバーマン, ジョン・C・ライリー, ヒューマンドラマ, 監督:リッチ・ムーア, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 シュガー・ラッシュ 』 -深い示唆に富むディズニーアニメの秀作-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 射鵰英雄伝 』 -しっちゃかめっちゃか中国歴史アクション・ファンタジー-
  • 『 映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城 』 -より現代的・教育的なリメイク-
  • 『 大栗先生の超弦理論入門 』 -読みやすいが入門書ではない-
  • 『 HELP 復讐島 』 -孤島のリベンジ-
  • 『 ここにひとつの▢ がある 』 -眩暈を覚える連作短編集-

最近のコメント

  • 『 桐島です 』 -時代遅れの逃亡者- に ヒフミヨのヒンメリの歌灯に より
  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2026年3月
  • 2026年2月
  • 2026年1月
  • 2025年12月
  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme