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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 日本

『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

Posted on 2022年6月2日 by cool-jupiter

南極物語 75点
2022年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高倉健 渡瀬恒彦
監督:蔵原惟繕

NHKの『 歴史探偵 』で南極タロジロ物語を観て、「そういえばVHSで観たな」と思い出した。しかし覚えていたのはオーロラのシーンだけ。今回あらためて鑑賞して、なかなかのリキ作であると感じた。

 

あらすじ

国際地球観測年、日本は南極へ第一次観測隊を派遣する。その中には犬ぞりを引くための22頭の犬の姿もあった。第一次観測隊は、犬たちを南極基地に残したまま第二次観測隊と入れ替わろうとするも、天候が急激に悪化。隊は基地に入れず、犬たちは南極に取り残されてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

南極の過酷さがよく出ている。実際に多くのシーンは南極で撮影したらしい。荒ぶる海、どこまでも続く極寒の大地、凍てつく風。むき出しの自然の荒々しい力が画面越しにも伝わってくる。近年の邦画にはない、非常に角度の広い、そして奥行きの深い絵がこれでもかと映し出される。映画館の大画面なら、どれほどの迫力があっただろうか。

 

1980年代なら第一次観測隊のメンバーの多くが存命だろうから、製作者や役者隊も存分に隊員たちに取材ができたことだろう。日焼け具合に無精ひげ、伸びきった髪などが、極地までの旅路、そして極致での生活がどんなものであるのかを雄弁に物語る。説明的なセリフを挿入すりゃいいんだろ、と開き直り気味の現代の作り手は、このあたりを大いに意識すべきだろう。犬ぞりでの南極観測も自然の大スペクタクルを堪能させてくれる。凍てつく大地の乾いた空気に、ヴァンゲリスの音楽が非常にマッチしており、この絵と音楽だけで画面に文字通り釘付けになってしまう。

 

人間パートも熱い。救助に来てくれたアメリカ艦船の乗員に啖呵を切るのはどうかと思うが、当時の日本人あるいは映画の作り手には日本人としての誇りや矜持があったことがひしひしと伝わる。また高倉健が「それなら自分が犬を殺してくる」と宣言するシーンも史実なのだろう。普通なら「そこまで思うか?」と感じるだろうが、見渡す限り無人の氷原で、人と犬が昼夜を問わず行動を共にすれば、連帯感などという言葉では生温い紐帯が生まれても不思議ではないだろう。

 

その南極で生き抜く犬たちのドラマが渋い。ほとんど推測なのだろうが、アザラシを襲ったり、氷に閉じ込められた小魚を食べたりというのは実際に考えられそうだし、そうした絵を実際に撮ってしまう構想力に感服する。犬たちの関係性、協力、別離、再会、生存が人間の介在なしに濃密に描かれていく。オーロラのシーンは特に素晴らしい。過酷すぎる大地にほんの少しの福音を予感させている。氷の斜面を犬が滑落したり、氷海に落ちたりと、いったいどうやって撮影したのか分からないが、雪に人間の痕跡を一切残さずこれらのシーンを全て撮り切ったのには脱帽するしかない。ドッグトレーナーにも I take my hat off.

 

犬たちが雄々しく生き、そして死んでいく一方で、高倉健は大学を辞して、犬の飼い主たちへのお詫び行脚に出る。それがまた痛々しい。特にある姉妹にリキのことを詫びる高倉健が、すべてを飲み込んでただただ沈黙する場面は名シーンである(演じている姉が若き日の荻野目慶子なのだ)。また渡瀬恒彦も婚約者との仲睦まじさを見せつけるが、完全に心ここにあらず状態。魂を南極に置き忘れてきた男を好演した。南極の男たちが日本本土で世捨て人同然になってしまう。しかし、南極の大地に再び舞い戻ってタロとジロと再会することで生気を取り戻すというコントラストが最後の最後に鮮やかに際立つ。「生きる」ということの尊さに、人も犬もないということがよく分かるリキ作である。

 

ネガティブ・サイド

製作された年代が年代とはいえ、渡瀬恒彦が犬たちに本物の鞭をふるうシーンは観ていて本当に痛々しい。犬好きにはお勧めしづらい作品になってしまっている。

 

南極隊員と犬の関係者ばかりにフォーカスしすぎで、世間一般の反応についてもう少し描写があってもよかった。当時の報道によって、一般大衆からはボロクソに叩かれたらしいが、そうした世間からの容赦ないバッシングがあれば、高倉健や渡瀬恒彦らの打ちひしがれた姿がもっと印象的になったかもしれない。

 

南極の氷原を犬ぞりで駆けていくシーンのカメラの手ブレが酷い。酔いそうになった。当時の技術的限界かもしれないが、信じられないくらいブレまくるシーンがいくつかあるので、そこも鑑賞時は注意を要する。

 

総評

『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』など、1980年代の邦画には犬をテーマにした良作映画があったのだなあと懐かしく感じた。またJovian世代は子どもの頃にちょうど『銀牙 -流れ星 銀-』を漫画またはテレビアニメで観ていた。なので、本作のタロやジロたちもある程度勝手に脳内で喋らせることができたりする。犬好きなら是非観よう。高倉健や渡瀬恒彦といった大御所も出ている中、こっそり佐藤浩市も出演している。今の時代には珍しくなってしまった飾らない人間の物語、そして犬たちのドラマが堪能できる。若い世代にも観てほしい。



Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sled

「そり」の意。あまりなじみのない言葉かもしれないが、ボブスレー = bobsled だと分かれば理解・記憶しやすいだろう。ちなみにそりには sleigh もあるが、こちらは sled よりも乗る位置が高いものを指す。クリスマスの定番曲『 Jingle Bells 』の Jingle bells, jingle bells, jingle all the way. Oh what fun it is to ride in a one-horse open sleigh. という歌詞からサンタクロースの乗るそりを連想されたし。ボブスレーは直接雪と接するが、サンタの座っている部分は雪とは直接は接しない。   

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 1980年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 歴史, 渡瀬恒彦, 監督:蔵原惟繕, 配給会社:日本ヘラルド映画, 配給会社:東宝, 高倉健Leave a Comment on 『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

Posted on 2022年5月26日 by cool-jupiter

ハケンアニメ! 60点
2022年5月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉岡里帆 中村倫也 柄本佑 尾野真千子
監督:吉野耕平

 

「嫁さんが 観たいというので 劇場へ」と一句できた。それはさておき、辻村深月原作とは知らずに鑑賞した。『 冷たい校舎の時は止まる 』と『 かがみの孤城 』は傑作である。

あらすじ

斎藤瞳(吉岡里帆)は、とあるアニメ作品と出逢った衝撃から、務めていた県庁の職を辞し、アニメ業界に飛び込んだ。それから7年、新人監督としてデビューすることになった瞳は、プロデューサーの行城(柄本佑)の仕掛けによって、天才の誉れ高い王子千晴(中村倫也)と対談することになった。王子こそ、瞳がアニメ業界を志望するきっかけになった作品の生みの親だったのだ。対談の中で瞳は、王子の作品に勝って、覇権を手にすると高らかに宣言するが・・・

ポジティブ・サイド

Jovianは「映画を作る映画」が好きだが、アニメを作る映画というのも悪くないと感じた。アニメ制作については、ジブリ読本のようなものを読んだり、宮崎駿や庵野秀明のドキュメンタリー番組を観たりして得られる程度の知識しかない。その意味では本作の鑑賞は面白い体験でもあった。

 

冒頭は『 ER 緊急救命室 』の影響の色濃いロングのワンカットで、アニメ制作現場とそこで働く様々な職種の人間を映し出す。このシーンは非常に印象的で、アニメ業界へのイントロダクションとして素晴らしいものだったと感じる。

 

瞳と王子の対談は迫力満点。一億総オタクという言葉を「上から目線」と切って捨て、リア充という存在の対にあるのはみじめなオタクではなく別の形のリア充であるということを宣言するシーンは、アニメに限らず漫画やゲーム、ラノベなど他ジャンルのクリエイターたちの声をも代弁していたものだろう。それを受けても果敢に王子に宣戦布告する瞳の姿に、胸が熱くならずにいられようか。瞳と王子の両者の芯の強さを見せる名場面だった。

 

テレビアニメと映画の最大の違いは、その鑑賞方法にある。すなわち前者は実況中継可能で、後者は実況中継が不可能である。あるいは、前者は個人で鑑賞し集団で楽しむもの、後者は集団で鑑賞し個人で楽しむもの、と言い換えられるかもしれない。『 天空の城ラピュタ 』のテレビ放映時に一時期流行った「バルス祭り」は、その最たるものと言えるかもしれない。それを想起させるSNSへの書き込みテキストが画面を埋め尽くす様はなかなかに壮観だった。このテキストのスーパーインポーズの印象度は『 白ゆき姫殺人事件 』に次ぐ。

 

本作の一種のビルドゥングスロマンである。瞳という一人のキャリアウーマンの成長物語でもあり、同時に人間としての成長物語でもある。『 見えない目撃者 』と本作で、吉岡里帆はセクシーさを強調することなく売り出せるようになったという意味では、吉岡本人の成長にもなっている(『 ホリック xxxHOLiC 』は現時点では鑑賞予定なし)。監督だからといっても所詮は新米。絶対権力者でも何でもなく、実績やカリスマ性があるわけでもない。けれども自分のアニメ作りに懸ける想いはひたすらに真摯で、だからこそ次第に周囲のスタッフたちをも巻き込めるだけの熱量を生み出せたのだと納得できるだけの成長を見せてくれた。瞳を支えるプロデューサーを演じる柄本佑が業界人っぽさを好演。実に嫌味ったらしい男をけれんみたっぷりに演じている。最初は「なんだこいつは?」と感じるのだが、物語が進むにつれて、この男の一挙手一投足にグイグイと引き込まれてしまう。その絶妙な仕掛けを知りたい人はぜひ本作を鑑賞されたし。

 

対する王子と、彼を支えるプロデューサーの尾野真千子のコンビも魅せる。天才的なクリエイターで、初発作品があまりにも high quality だったせいで、二作目や三作目も標準以上の出来映えなのに、物足りなさを感じてしまう。映画や文芸の世界でたまにいる(森博嗣のデビュー作『 すべてがFになる 』が一例ではないか)が、アニメ界も同様だろう。そうした天才の虚飾の仮面とその奥の素顔を、中村倫也が好演している。それを支える尾野真千子が、会社上層部の指令と王子のわがままの間で悪戦苦闘する様は、サラリーマンの激しい共感を呼ぶ。

 

アニメで覇権を取ろうとする少々珍しい作品だが、それも大切な日本文化の一つ。感動的な作品ではあるので、週末の予定に入れておくのも良いだろう。意外にデートムービーにも使えるはず。そうそう、ポストクレジットシーンがあるので、慌てて席を立たないように。

ネガティブ・サイド

冒頭で気になったのが「アニメ」の発音、そのアクセントの位置。ナレーションはアに強勢を置いていたが、キャラクターの多くはメに強勢を置いていた。統一する必要はないだろうが、それでも業界人はメに強勢、その他の人々はアに強勢と、使い分けを徹底することもできただろうにと思う。

 

アニメ作りの現場で声優の収録シーンにばかりフォーカスが当たっていたが、もっとBGMや効果音にも焦点を当ててほしかった。特に瞳が作る『 サウンドバック 奏の石 』は、音がテーマなのだから、コンポーザーやミキサー、フォーリー・アーティストこそ脚光を浴びるべきではなかったか。

 

冒頭でプロデューサーがオープニング・ロゴのデザインにケチをつけていたが、そんな越権行為が現実に存在するのか。プロ野球チームのGMが選手の打撃フォームや投球フォームを力づくで矯正したら大問題だろうと思うが。

 

本作の最大の欠点は日本的デスマーチをある意味で礼賛してしまっているところ。そして、有能なクリエイターに正当な対価ではなく情でもって仕事を依頼するところだろう。神作画と称賛されるようなクリエイターをこんな風に使うからこそ大企業なのかもしれないが、これでは日本のクリエイターは国内向け資本相手に仕事しなくなる。もしくはクリエイター志望者そのものが減って、ピラミッドの頂点がどんどん低くなる。由々しき問題だ。デスマーチを是とするのもいかがなものか。助監督が味噌汁を作って頑張ると同レベルの、元・制作進行、現プロデューサーがおにぎりを作って頑張るというのは美しいことは美しいが、そこに美徳を見出せるのはせいぜい1980年代生まれまでではないか。今の30代以下は、本作に映し出される労働の現場をどう見るだろうか。好意的に見る者がマイノリティであることは間違いない。

 

総評

良くも悪くも『 バクマン。 』そっくりである。個の力を最大限に称揚するのは確かに美しいが、そこに芸術的な美しさは見えない。また、日本的な超人的な個の働きへの依存と現場の空気に染まるという「失敗の本質」が色濃く出た作品でもある。だが、それはそれ、である。そうした日本の伝統的にダメな部分はいったん忘れて物語世界に没入できさえすれば、クリエイターたちを取り巻く豊かな人間ドラマが味わえるだろう。鑑賞時には思い切って片目をつぶろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emerge victorious

瞳が王子に「勝って、覇権を取ります!」と宣言した台詞の私訳。 I will emerge victorious. = 私が勝者になる、という意味で覇権うんぬんではないのだが、そこは訳出不要と判断。emerge victorious というのはボクサーが計量後の記者会見などで使うのをよく聞く。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 中村倫也, 吉岡里帆, 尾野真千子, 日本, 柄本佑, 監督:吉野耕平, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

『 流浪の月 』 -善悪の境目はどこにあるのか-

Posted on 2022年5月24日 by cool-jupiter

流浪の月 70点
2022年5月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 広瀬すず
監督:李相日

『 悪人 』、『 怒り 』の李相日監督の作品。今回も人間社会の善悪や強弱について、非常に示唆に富む作品を送り出してきてくれた。

 

あらすじ

家に居場所のない10歳の少女・家内更紗は、ある夏、佐伯文(松坂桃李)の家で過ごすことになる。しかし、文は警察に逮捕され、更紗は元の家に帰ることに。15年後、恋人と同棲する更紗(広瀬すず)は、思わぬ場所で文と再会することになり・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

まずは主演の松坂桃李と広瀬すずの脱皮に感銘を受けた。広瀬すずは冒頭からベッドシーンを披露。見せてはいないが、脱いではいるし、触らせてもいる横浜流星爆発しろ。『 ラストレター 』のような静かな役もあったが、基本的に天真爛漫な役ばかりを演じてきた広瀬すずが、初めて陰のあるキャラクターになりきったように思う。バイトに恋人との生活にと、充実した生活を送っているように見えるが、その目は常に空虚だった。文と再会してからの目とそれまでの目、あるいは文を見る目と恋人の亮君を見る時の目の違いに注目してほしい。この目の演技は素晴らしいの一語に尽きる。李相日監督の演技指導もあるだろうが、広瀬自身の演技力向上も大きいだろう。

 

松坂桃李も負けていない。『 空白 』では徐々に目から生気が抜けていく青年を演じたが、本作では最初から最後まで空っぽの目をしていた。その空っぽの目の奥には、しかし、ある光景が焼き付いていた。人生のある時点で目にしてしまったその光景によって、文の目には現実ではなく「自分」しか映らなくなってしまった。しかし、そこに更紗という存在が現れ、空っぽの目に徐々に力が戻っていく、という『 空白 』とは逆の演技を見せた。役者として着実にレベルアップしているという印象である。また、脱ぎっぷりという意味では『 娼年 』に次ぐ、ショッキングなシーンがある(『 いのちの停車場 』でも脱いでいたが、あれはノーカウント)。Jovianは看護学校で習った内容をうっすら覚えていたが、文はかなりの確率で先天的な染色体異常だろう。まあまあの確率で男は美形になるが不能になるという疾患があったと記憶している。その意味では松坂桃李のキャスティングは正解である。

 

かつての二人の幸せだった時間を回想しつつ、物語は現在を冷静に追っていく。誘拐の被害者として憐憫の情を集める更紗と、前科者としての烙印を押されっぱなしの文が、それゆえに互いを求め合うという展開には胸を打たれる。弱者とは誰なのか?善とは、そして悪とは何であるのか?当人ではどうにもならない属性をもって人を判断する、あるいは当人のものではない属性をその人に押し付ける行為を差別と定義づけるならば、更紗と文は紛れもなく被差別者であり、二人の周囲の人間の多くは差別者である。

 

「死んでもバレてほしくないことがバラされてしまう」という序盤の文の言葉、さらに「人は見たいように人を見る」という更紗の言葉から、文は真性のロリコンではなく、ロリコンを隠れ蓑に自分の性的不能を誰からも隠し通したかった、というのが真相か。だからこそ、過去のトラウマからセックスに嫌悪感を抱く更紗との奇妙な連帯関係が成立したのだろう。

 

様々に歪な親子の関係をまざまざと見せつけ、家族というものに対する希望を消していく。『 真っ赤な星 』同様に寄る辺ない二人の逃避行を予感させて物語は静かに閉じていく。この何とも言えない苦味の余韻こそ、本作が観る側に与えたかったものなのだろう。現代社会における人間関係、就中、家族に代わる新しい関係性の模索こそが、一種のタブーでありながらも今まさに求められていることであると思う。

ネガティブ・サイド

松坂桃李も子役をもっと使えなかったのだろうか。少年院に入ったということは犯行当時は未成年。『 娼年 』の時点で大学生役はギリギリセーフだが、今作での大学生役は相当無理があった。

 

広瀬すずの子役は顔の造形がそっくりでびっくりしたが、少女時代の方が声が低いとはこれいかに。まあ、似た顔と似た声なら、似た顔の方が探しやすいか。

 

ファミレスでのバイトで本名を名乗るのは現代ではほとんどないと思われる。冒頭、スマホを観ていたガキンチョどもが2007年のニュースを指して「15年前か」のように言っていたが、2022年ならファミレスでもコンビニでもコールセンターでも、労働者はほぼ全員が源氏名を名乗っている。特に更紗のようなバックグラウンドの持ち主が馬鹿正直に本名を名乗るのは非現実的に過ぎる。

 

児童相談所に通報があったわけでもないのに、いきなりリカを保護する道理はいくら警察でもないだろう。また逮捕状がない=任意同行を求めているはずなのに、実力行使に出る警察を見て、頭がクラクラした。元警官のJovian義父なら憤慨したことだろう。

 

総評

邦画特有の弱点も抱えているが、完成度の高い非常にシリアスな物語である。現代社会への鋭い問題提起も行うという、李相日監督らしい作品である。松坂桃李、広瀬すず共に表現者としての階段を確実に一歩昇ったという印象を受ける。高校生、大学生の子どもがいる親御さんは、家族で鑑賞してみてはどうか。親子関係、友人関係などについて考察を深める良いきっかけとなることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drift away

徐々に消えていく、の意。劇中で更紗が文に語る「二人で流れていこう」の私訳。ネタバレ回避のためにそのやりとりを英語にすると

文: People might take notice of us.
更紗:Then, we can drift away.

のような感じになるだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 広瀬すず, 日本, 松坂桃李, 監督:李相日, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 流浪の月 』 -善悪の境目はどこにあるのか-

『 シン・ウルトラマン 』 -『 シン・ゴジラ 』には及ばず-

Posted on 2022年5月15日 by cool-jupiter

シン・ウルトラマン 60点
2022年5月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斎藤工 長澤まさみ 西島秀俊
監督:樋口真嗣

ウルトラマンと聞いて胸が躍るのは1970~1980年代に少年時代を過ごした者が大半だろう。実際に劇場に来ていたのもJovianより少々上の世代と思しきオッサンとオバサンが多かった。

 

あらすじ

なぜか日本にだけ現れる謎の巨大生物「禍威獣」に対抗するため、政府は「禍威獣特設対策室専従班」を設立。班長の田村(西島秀俊)や神永(斎藤工)らが禍威獣撃退の任にあたっていた。ある時、謎の巨大外星人が地上に降り立ち、禍威獣を撃破する。ウルトラマンと呼称された謎の巨人の正体を探るため、禍特対に浅見(長澤まさみ)が派遣されてくるが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

映画の開始から空想特撮映画であることを強調する。赤地に白抜きの文字でウルトラマンと表示されれば、昔懐かしの空気が画面から漂ってくるのを感じ取られずにはいられない。庵野秀明や樋口真嗣といった特撮大好き少年だった大人が、少年時代に帰って作った作品だと感じられる。つまり、製作者側と波長が合うかどうかで、本作の評価はガラリと変わるだろう。Jovianはまあまあ面白いと感じたが、Jovian妻はほとんどずっと寝ていた。

 

面白いと感じたのは以下の3点。

 

第一に、『 シン・ゴジラ 』同様に日本政府が主体となって禍威獣を撃退しようとするところにリアリティが認められる。【現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)】ならぬ【現実(ニッポン) 対 虚構(禍威獣+外星人)】になっているところ。日本政府が現実の脅威に対抗できる能力を有しているかどうかは極めて疑わしいが「アホなのはトップ、現場では有能な人間が死に物狂いで頑張っている」という幻想がコロナ禍で生まれたことに本作は華麗に便乗することに成功している。

 

第二に、禍威獣ではなく外星人とのストーリーをメインに据えるという決断。これは是々非々ありそうだが、Jovianは是と取る。禍威獣メインのプロットでは『 シン・ゴジラ 』の二番煎じになりかねない。冒頭で次から次に出現する禍威獣を禍特対が知恵を絞って打ち破ることで、まずは人間側を上げておく。そこにザラブ星人やメフィラス星人といった頭脳派外星人を出すことで、知的サスペンスが生まれる。子どもはここで脱落させられるだろうが、本作の target audience はオッサンオバサン連中なのだから気にしてはいけない。特に山本耕史演じるメフィラス星人は、その硬軟取り混ぜた語り口が非常に印象的で、禍特対のメンバー以外では抜群の存在感を示した。

 

第三に、ゼットンをゼットン星人の兵器ではなく、光の星の最終兵器に設定転換したことには驚かされた。再放送で観ていた小学生Jovianですら、ウルトラマンがゼットンにボロ負けした時には「・・・・・・は?」となったものだ。リアルタイムで観ていた今の50代、60代の受けた衝撃はいかばかりだっただろうか。そのゼットンが、何と光の星の兵器なのだというからビックリ。GMKのキングギドラが護国聖獣・千年竜王という善性を帯びる設定よりも衝撃的だった。

 

ハヤタならぬ神永とウルトラマンの絆、人間同士の絆、そしてウルトラマンに頼りきるのではなく、対ゼットン作戦を世界の叡智を結集させて実現するという展開はオリジナルへのリスペクトに溢れており、個人的にも胸アツだった。

ネガティブ・サイド

マルチバースという言葉がゾフィー達から聞かれたが、『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』とは意味合いがずいぶん異なっていた。映画のスタート時に「シン・ゴジラ」のスーパーインポーズに割って入る形で「シン・ウルトラマン」と表示されていたが、これはマルチバースの中の2つのパラレル・ユニバースを示唆している?その割には、ゼットンをプランク・ブレーンに放逐しようとした時に、別宇宙ではなく時限のはざま的なところへ行ってしまった。マルチバースネタというのは便利な反面、何でもありを可能にしてしまうので、取り扱いには本当に注意を要すると思う。

 

長澤まさみの巨大化には度肝を抜かれたが、それをやる意味は薄かった。もちろんメフィラスの高度な知性と科学力のプレゼンテーションの一環だとは受け取れたが、それを映すアングルが意味不明。あんたら、童心に帰ってキャッキャッしながら作ってたんちゃうの?スケベ少年になってニヤニヤしながら作ってたのか?別に巨大化していない時でも、やたらと長澤まさみのヒップにズームインするショットが多いのは何故?コメディでもないのに自虐的なセリフを吐かせるのは何故?そこに必然性が全く見当たらなかった。

 

人間ドラマにも課題が残る。神永と浅見の噛み合わないバディ同士が、結局最初から最後まで噛み合わない。ウルトラマンを分析考察する任を与えられた浅見があっさりと「何も分からない」とお手上げになってしまうのは、コメディとしてはありだが、ドラマとしては無し。仕草に地球人と共通するものを感じるとか、闘い方に環境への配慮が見られるとか、何かしらの仕事はできたはず。それを知った神永が浅見の炯眼に心の中で敬意を表すような演出が少しでもあれば、拉致された神永を浅見が追跡・発見するシークエンスにもっと説得力が生まれただろう。

 

総評

賛否両論ありそうな作品だが、『 大怪獣のあとしまつ 』で憤慨させられた映画ファン、特に特撮ファンや怪獣ファンなら鑑賞しても損はしないはず。活動制限はあってもカラータイマーが無いなど、ウルトラマンらしからぬところもあるが、ウルトラマン愛に溢れていることは間違いない。続編製作の可能性もあるだろう。その時はバルタン星人てんこもりでお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Less is more.

過ぎたるは猶及ばざるが如し、に近い意味で使われる。辞書では Too much is as bad as too little. と出ていることが多いが、実際には Perhaps too much of everything is as bad as too little. と言われることが多い。これも冗長なので、やはり Less is more. が言いやすい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, SF, 怪獣, 斎藤工, 日本, 監督:樋口真嗣, 西島秀俊, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 シン・ウルトラマン 』 -『 シン・ゴジラ 』には及ばず-

『 愛なのに 』 -不思議な愛の物語-

Posted on 2022年5月13日 by cool-jupiter

愛なのに 75点
2022年5月8日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:瀬戸康史 さとうほなみ 河合優実 中島歩
監督:城定秀夫

テアトル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場にて上映中。R15作品だからなのかどうか知らないが、観客の中高年男性率が非常に高かった。

 

あらすじ

古本屋を営む多田(瀬戸康史)は女子高生の岬(河合優実)に突如プロポーズされる。「自分には好きな人がいるから」と丁重に断る多田だが、岬はあきらめない。一方、ただの想い人である一花(さとうほなみ)は婚約者の亮介の浮気を知ってしまい・・・

ポジティブ・サイド

事実は小説より奇なりと言うが、この脚本は実際にはなかなか現実にはならないだろう。アラサー男が女子高生に求婚される。丁重にお断りする。またまた求婚される。丁重にお断りする。その理由は他に好きな人がいるから。しかし、その好きな人は婚約者に浮気をされていた。しかも浮気相手が自分たちの結婚式のプランナー・・・。よくこんな人間模様を構想できるなと感心する。この設定だけで面白いと感じられる。

 

女子高生を演じる河合優実が本作でも鮮やかな存在感を放つ。恋に恋する女子高生で、多田にストレートに「結婚してください」と伝える。「そんなこと(=淫行)したら俺、逮捕されちゃう」という多田に、「あ、そういうのは無しで」とぬけぬけと言ってのける。もうこれだけで笑えてしまう。微笑ましい気分になる。その後も同級生男子と多田の間を行きかい、さらには親まで出張らせる始末。まさにおぼこさと小悪魔さの両方を遺憾なく発揮している。

 

極めて対照的なのがさとうほなみ演じる一花。こちらはトップレスを披露し、妖艶な濡れ場も熱演。『 RED 』の夏帆を上回る色気を存分に堪能させてもらった。多分、劇場に来ていた中高年たちも、さとうほなみを見に来ていたのだと思われる。いや、それにしても河合優実が小悪魔なら、こちらは悪魔というか魔女、いや魔性の女?婚約者に浮気されたからと、自分も同じことをしてやろうという発想もなかなかユニークだし、その相手に自分を一途に想い続ける男を選ぶというのも、ナチュラルに鬼畜だ。元々ミュージシャンということだが、表現方法が独特。無表情なようで表情がある。感情の起伏に乏しそうで、しかし感情が時に爆発する。自然体と言おうか、演技が上手いなあと感じない。等身大の悩めるアラサー女子を act しているのではなく、等身大の悩めるアラサー女子に be しているからだろう。素晴らしいとしか言いようのない performance である。

 

本作のテーマはタイトル通りに「愛」なのだが、『 愛なのに 』という逆接の通りに、きれいに成就することがない。愛する相手から愛のない求められ方をされることがどれほど酷なことか。それでいて、その求めに応じざるを得ないというジレンマ。瀬戸康史の渾身の演技に我あらず感情移入してしまった。男性の99%は恋を引きずった経験があるはずだが、そうした気持ちがわずかでもあれば、きっとこの多田という男とシンクロできはずだ。

 

本作の撮影はおそらく三鷹市だろう。Jovianの母校は三鷹市の国際基督教大学で、見覚えのある街並みがいくつかあった。おそらくゲーセン(芸術文化センター)あたりなのではないかと思う。上連鳥というバス停にも思わず笑ってしまった。上連雀など、まさにかつての庭である。さらに物語終盤の神父様の説教が笑える。Jovianは霊肉一致の神学論を打ち出した関根正雄の弟子の並木浩一門下だったので、この神父の説教が何であるのかよく理解できた。なので一花が盛大な勘違いをしているのをニヤニヤしながら映画を鑑賞していた。おそらく濃厚なベッドシーン目的にチケットを購入していたどのオッサン連中よりも、Jovianの方がキモイ表情をしていたはずだ。まあ、それだけ刺さる人には刺さる作品になっているということである。

ネガティブ・サイド

現代風のLINEと古風な手紙。昔からの想い人である一花とのやりとりがスマホで、Z世代の女子校生の岬とのやりとりが手紙というコントラストが十全に追究されていたとは言い難かった。このあたりを愛のないセックスとセックスのない結婚との対比にまでつなげられていれば、年間ベスト級に仕上がったのではないだろうか。

 

終盤近くの多田のある台詞があまりにも陳腐である。ここはそれこそタイトル通りの「愛なのに!」でよかった。

 

総評

R15ということは、場合によっては高校生や大学生のカップルでも鑑賞できるわけだが、子どものデート向きではない。むしろ30代以上の夫婦で余裕をもって鑑賞するべき作品であると思う。愛の形はそれぞれで、何が正解というものでもない(不正解はありうるが)。男女のあれやこれやを赤裸々に語り、男にとっては非常にショッキングなセリフも聞こえてくるが、世の男性諸賢に提案したい。逆にそうしたシーンこそ呵々と笑ってしまおうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

To err is human, to forgive divine. 

「過つは人の常、許すは神の業」の意。確か高校生の時に学校で配られた『 WORD BANK 4000 』という単語帳で初めて見たと記憶している。大学の寮生活でネイティブ連中が何度か ”To err is human” と言って自己弁護しているのを聞いて「ああ、ホンマに使うんやなあ」と感動したのも覚えている。今度、仕事でミスった時に同僚ネイティブ相手に使ってみようと思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, さとうほなみ, ラブロマンス, 中島歩, 日本, 河合優実, 瀬戸康史, 監督:城定秀夫, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 愛なのに 』 -不思議な愛の物語-

『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

Posted on 2022年5月9日 by cool-jupiter

マイスモールランド 85点
2022年5月7日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:嵐莉菜 奥平大兼
監督:川和田恵真

これはまた凄い作品が送り出されてきた。個人的には『 存在のない子供たち 』に近い衝撃を受けた。年間ベスト候補の一つである。

 

あらすじ

難民として日本にやってきたクルド人家族たち。幼い頃から日本で暮らしてきた高校生のサーリャ(嵐莉菜)はアルバイト先で聡太(奥平大兼)と出会い、親しくなっていく。しかし一家の難民申請は却下され、サーリャたちは在留資格を喪失してしまう・・・

ポジティブ・サイド

クルド人と聞いてピンとくる人はどれくらいいるだろうか。Jovianもせいぜい第二次湾岸戦争時のアメリカがイラク攻撃の口実として「イラクは過去にクルド人を虐殺するために化学兵器を使った、だから今も大量破壊兵器を持っているはずだ」という無茶苦茶な論理を振りかざしていた時に初めて耳にした。少し調べてみると、まさに現在のウクライナと似通っていて、ある土地に住まう民族は何も変わっていないのに、周辺国の論理で国境線が書き換えられ、その結果、根無し草になってしまった。つまりは、パレスチナ人と同じくディアスポラなのだ。その意味で移民・難民とは無縁だった日本人には『 テルアビブ・オン・ファイア 』のようなブラック・コメディはウケなかったが、今後はもう違う。ロヒンギャやウクライナの現実を目の当たりにして、無知・無関心ではいられないだろう。

 

Jovianは語学教育業界に10年いるが、たまにネイティブ非常勤講師が警察のお世話になる。事件や事故を起こしたとかではなく、たまたま職質された時に在留カードを不携帯だった、あるいは財布やカバンと一緒に在留カードを紛失したので、警察に遺失物届を出しに行ったら、何故かそのまま拘留された、などのトラブルが年に1~2回程度の頻度で起こる。その度に会社の講師人事担当者は上を下への大騒ぎとなる。大阪や京都在住のアメリカ人やカナダ人といった白人でもこうなのだ。非白人、非欧米人が日本でどういう扱いを受けるかは推して知るべしだろう。

 

クルド式の結婚式に戸惑いながらも、日本の学校、日本のアルバイト先、日本の地域に溶け込んでいるサーリャとその家族は、無情にも難民認定申請が却下される。それによって就労禁止になったり、埼玉県外への移動が原則不可となる。入管は入管としての仕事をしているだけなのだろうが、ここで考えざるを得ないのは日本人が移民・難民にならざるを得なくなった時のこと。外国で日本人が同じ対応をされても、これでは文句を言えないと思う。ウクライナ戦争が泥沼化、台湾情勢も緊迫とは言わないまでも楽観視できない。そして先軍政治に邁進する北朝鮮と、日本の平和と安全もいつまで保てるやら。肝心なのは「やられる前にやる」の精神ではなく、そうしたことをさせない外交努力、そして万一戦禍を被ったとしても助けてくれる友邦を持つことだ。

 

閑話休題。働くな、県外に出るなと言われても、生活があるのだからそうは行かない。サーリャも自身の夢を叶えるために、大学進学のために、バイト代を貯めねばならない。そこで出会う同世代の聡太との出会いが、何ともドラマチックさに欠けるボーイ・ミーツ・ガールだ。しかし、ドラマチックであるということは非現実的でもあるということ。本当に何気ない言葉の掛け合いから始まるサーリャと聡太の関係にこそ迫真性がある。超えてはならない荒川をしばしば超える二人は、織姫と彦星のようではないか。サーリャから聡太に贈る「こんにちは」と「さようなら」のスキンシップは、この上なくロマンチックで、しかしこの上なく物悲しくもある。

 

押し付けられていると感じるクルドの宗教、文化、風俗習慣、さらに父親から「聡太にはもう会うな」と言われてしまうサーリャの心情はいかばかりか。一方で、その父が逮捕拘留されるという悲劇。クルドに帰属感を得られず、日本にも帰属できず。これは本当につらい。引き裂かれるような気持ちで観た。しかし、父の秘めたる愛情、そして聡太の不器用な想いに何とか救われたような気持になる。ラストシーンをどう解釈するかは我々次第である。日本というのは国籍と民族がほとんどの場合一致する世界的に珍しい国である。しかし、日本に住んでいることと日本人であることが一致しなくなりつつある現在、日本は排外的になるのか、それとも包摂的になるのか。それを決めるのは我々である。

 

ネガティブ・サイド

平泉成演じる弁護士が無能すぎる。これも国選弁護人か?とんでもない田舎でもない限り、在留外国人をサポートする非営利・非政府系の団体は結構ある。そういうところと連携しなさいよ。そうした団体が実際に力になるかどうかは別にして、サーリャ一家の危機を全てこの弁護士に任せっきりにしてしまう物語は少しリアリティに欠けると感じた。綿密な取材の上、支援団体は当てにならないと判断したのかもしれないが、希望の光を少しは見せてくれないと、ラストのサーリャの祈りの言葉の解釈が難しくなる。

 

総評

派手なBGMや、奇をてらったカメラワークを一切排除した、セミ・ドキュメンタリー風の作品である。観る人を選ぶかもしれないが、中学生、高校生、大学生にこそ観てほしいと心から思う。同時に、その親世代にも観てほしい。新時代の日本がどうあるべきかを示唆する2022年の最重要作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take refuge

避難する、の意。危険や危機から逃れるための行動を指す。take refuge from Ukraine to Poland のように使う。似たような表現に take shelter があるが、これは核爆発があったら核シェルターに逃げ込む、のような安全な場所そのものへ逃げ込むことを指す。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 奥平大兼, 嵐莉菜, 日本, 監督:川和田恵真, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

Posted on 2022年5月7日2022年12月31日 by cool-jupiter

死刑にいたる病 80点
2022年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:阿部サダヲ 岡田健史 宮崎優
監督:白石和彌

大袈裟な言い方をすると『 羊たちの沈黙 』や『 殺人の追憶 』に近い衝撃を受けた。邦画もアメリカ映画や韓国映画に負けないダークな世界を追求できるのだと証明した逸品だと言える。

 

あらすじ

大学生の雅也(岡田健史)は、24人を殺したとされる榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙を受け取る。雅也は中学生の頃、榛村の営むパン屋の常連客だった。死刑判決を受けた榛村だったが、起訴された9件のうち、最後の9件目だけは自分の犯行ではないと言う。雅也は独自に事件の調査を始めるが・・・

以下、マイナーなネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

これは原作小説の勝利なのだが、まず設定が素晴らしい。24人を殺したとされるが、そのうちの1件は自分ではないと訴える死刑囚。これだけで興味を惹き起こされずにはいられない。また、演じる阿部サダヲが素晴らしい。人好きのする好青年から無表情に人を痛めつける殺人鬼、そしてカリスマ性すら感じさせるサイコパスを具体化している。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』から更にレベルアップしたと感じる。瞬きしないのは役者の基本だが、その絶妙に黒目がちになるうっすらとした目の開け方が底知れない不気味さを更に引き立てる。サイコパスの演技の到達点だと言っていいかもしれない。日本のハンニバル・レクターとは褒めすぎかもしれないが、それほどの凄みを感じた。

 

対する岡田健史は『 弥生、三月 君を愛した30年 』や『 望み 』での、どこか弱々しい息子役という印象しかなかったが、本作で一皮むけたと言える。いや、弱々しい息子という点では本作でも同じなのだが、まるで『 殺人の追憶 』のソ刑事のように、序盤と終盤で別人であるかのように変貌する。元々の家族関係の悪さから内に相当なフラストレーションが堆積していたのが、調査を進めていく中でとある可能性に遭遇することで、一気に爆発する。その描き方がリアルだった。特に雅也が大学に行くたびに、背景の時間と雅也の時間がずれているのが秀逸。まさに「異なる世界に住んでいる」あるいは「この世界には属していない」という描写だった。

 

最もサスペンスフルなのは、何度か行われる榛村と雅也の面会シーン。BGMを一切廃し、役者の台詞とカメラワークと照明、音響だけで勝負していた。そして勝利を収めていたと評してよいだろう。今やお馴染みとなったアクリル板のこちらと向こうで、微妙に声の響かせ方・聞こえ方を変えて臨場感を生み出していた。また、しばしば雅也と榛村の顔の反射がアクリル板上で重なり合う。これにより二人の心理的・心情的な同化が視覚化されていた。面会シーンはどれもその場の空気が伝わって来るかのような緊迫感と臨場感があり、一つの謎が明かされると、更なる謎が生まれるという、ミステリーがサスペンスを生み、サスペンスがミステリーを生み出すというエンタメの極致だった。

 

雅也の重要な変化を示すものとして、雅也と二人の女性との距離が挙げられる。一人目は中山美穂演じる母親。最初は地方の旧家にありがちな極めて封建的・保守的な中年女性に見えたが、そこには別の被抑圧的な因子があったことが判明する。もう一人は雅也が大学で再会する同級生、灯里。大学に一切なじめない、つまり実家と榛村以外に現実と接点のない雅也の貴重な友人、そして恋人(というか情婦?)となる。この灯里との距離感がそのまま榛村との距離感と反比例する、という構成は非常に巧みであると感じた・・・その次の瞬間にすべてをぶち壊された。良い意味でも悪い意味でも。これは例えて言うなら、小説『 イニシエーション・ラブ 』の最後の2行に匹敵するインパクトとでも言おうか。これ以上書くと興ざめになるので止めておく。とにかく劇場でも配信でもレンタルでも良いので、出来るだけ多くの人に本作を鑑賞してほしいと思う次第である。

ネガティブ・サイド

榛村の弁護士(国選弁護人か?)が無能という印象を受ける。いや、別に無能でもよいのだが、リアリティがない。雅也の調査について中盤以降にあれこれと言ってくるが、だったら最初から色々と説明しておけと思う。また、そうした説明があったほうが雅也が矩を踰えるようになっていく展開が、雅也の内面の変化をより如実に表わせたのではないだろか。

 

総評

間違いなく阿部サダヲの代表作である。阿部定事件並み、いやそれ以上に猟奇的なシーンもあるので、鑑賞には注意を要する。いずれにせよ白石和彌監督が『 孤狼の血 LEVEL2 』を上回る衝撃作を世に送り出してきたのは間違いない。ちょっとジャンルは違うが、野崎まどの小説『 舞面真面とお面の女 』や『 死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~ 』を読んで楽しかったという人は、本作も堪能できると思う。この二冊を読了の上で本作を鑑賞してみようという酔狂な方は、是非とも本作冒頭と最後のシーンの意味のつながりを考察されたし。または本作鑑賞後に、上記の二冊を読むというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look into ~

~を調べる、の意。その殺人事件を調べる = look into the murder case のように使う。事実を掘り下げたりする意味での「調べる」ということで、辞書などで語句の意味を「調べる」時には look up を使う。Jovianも大学の授業で時々 “You have 30 seconds to look up this word in your dictionary app.” と言っている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, サスペンス, 宮崎優, 岡田健史, 日本, 監督:白石和彌, 配給会社:クロックワークス, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

Posted on 2022年5月7日 by cool-jupiter

女子高生に殺されたい 65点
2022年5月5日 梅田ブルク7にて鑑賞

出演:田中圭 南沙良 河合優実 細田佳央太
監督:城定秀夫

タイトルだけでスルーしようとしていたが、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良が出演していると気付いて、ギリギリでチケット購入。上映最終日であっても、劇場の入りは4割程度となかなかだった。

 

あらすじ

教師の欠員が出た二鷹高校に赴任してきた東山春人(田中圭)は、そのルックスと人当たりの良さでたちまち人気教師となる。しかし、彼には秘密があった。目をつけていた女子高生、佐々木真帆(南沙良)に殺されたいというオートアサシノフィリアの持ち主だった。春とは密かに練っていた計画を進めようとするが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

タイトルだけ読めば「どこのアホの妄想だ?」と思わされるが、中身はどうしてなかなか練られていた。シネフィル=映画好きな人、シネフィリア=映画好きということだが、オートアサシノフィリアというのは初めて聞いた。ありそうだと感じたし、実際に存在するようだ。この一見突飛な性癖(この語も、ここ10~20年で意味が変わってきたように思う)に説得力を持たせる背景にも現実味がある。田中圭は『 哀愁しんでれら 』あたりから少しずつ芸風を変え始めたようで、もう少し頑張れば中堅からもう一つ上の段階に進めるかもしれない。

 

女子校生役で目についたのは河合優実。『 サマーフィルムにのって 』や『 佐々木、イン、マイマイン 』など、作品ごとにガラリと異なる演技を見せる。今作のキャラにリアリティがあったかどうかはさておき、キャラの迫真性は十分に堪能できた。テレビドラマなどには極力出ずに、映画や舞台で腕を磨き続けてほしい役者だ。

 

南沙良の目の演技も見応えがあった。正統派の美少女キャラよりも、陰のある、あるいは闇を秘めた役を演じるのが似合う。こういう女子高生になら殺されたい。

 

最初は意味不明に思えた春人の行動の数々が中盤以降に一気に形を成していくプロセスは面白かった。高校生ものでゲップが出るくらい見飽きた学園祭をこういう風に使うのには恐れ入った。学園祭の変化球的な使い方の作品といえば恩田陸の小説『 六番目の小夜子 』と赤川次郎の小説『 死者の学園祭 』が印象に残っているが、本作も同様のインパクトを残した。

 

色鮮やかな序盤から陰影の濃くなる終盤の照明のコントラストがキャラクターたちの心情を反映している。またBGMも静謐ながら不穏な空気を醸し出すのに一役買っていた。タイトルで損をしていると思うが、普通に面白い作品。河合優実のファンなら要チェックである。

 

ネガティブ・サイド

本作の肝である「春人は一体誰に殺されたいのか?」という謎の部分がやや弱い。いじめっ子、柔道娘、予知娘、多重人格娘と取り揃えてはいるが、4択ではなく実質的には2択だった。というよりも1択か。最初から2択に絞り込むか、あるいは4択のまま観る側を惑わすような展開にもっと力を入れた方が中盤までのミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうと思う。

 

河合優実のキャラの地震予知能力は必要だったか?あの世界には緊急地震速報というものはないのだろうか。というか、予知能力と物語が何一つリンクしていなかった。この設定はそぎ落としてよかった。

 

南沙良のキャラのDIDも、もっとさり気ない演出を要所に仕込めたはず。『 39 刑法第三十九条 』などを参考にすべし。駄作だった『 プラチナデータ 』もそのあたりの伏線はしっかりと張ってあった。殺してほしい相手を南沙良の1択に絞って、ほんのちょっとした仕草や表情などを追い続けた方が物語の一貫性やフェアな伏線が生まれたはず。

 

総評

多重人格の扱いがちょっとアレだが、ストーリー自体はかなり面白い。南沙良、河合優美などの、いわゆるアイドルではなくオーディションを潜り抜けてきた若手女優たちの演技も光っているし、照明や音楽も良い仕事をしている。それらをまとめ上げる城定秀夫監督の手腕は称賛に値する。劇場で見逃してしまった人も、ぜひレンタルや配信で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

auto

元々はギリシャ語の self に当たる語に由来している。意味は「自身」あるいは「自動」。automobile = 自分で動く = 自動車である。他にも FA = factory automation = 工場稼働の自動化だし、autobiography = 自分で書く伝記 = 自伝である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 南沙良, 日本, 河合優美, 田中圭, 監督:城定秀夫, 細田佳央太, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

『 さがす 』 -邦画サスペンスの良作-

Posted on 2022年5月4日2022年5月4日 by cool-jupiter

さがす 75点
2022年5月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:佐藤二朗 伊東蒼 清水尋也
監督:片山慎三

 

テアトル梅田で見逃した作品。地元の塚口サンサン劇場で遅れて上映していたので、これ幸いとチケット購入。邦画もまだまだ捨てたものではない、と感じさせてくれた。

あらすじ

大阪市西成区に暮らす原田楓(伊東蒼)の父、智(佐藤二朗)が突如失踪した。智は前日に報奨金300万円で指名手配中の連続殺人犯を偶然見かけたと言い残していた。警察も取り合ってくれない中、楓は父の働く日雇いの工事現場を訪れる。そこには原田智という名前の全く別人が働いていた。しかし、その男は智が目撃したと言っていた指名手配犯に酷似しており・・・

ポジティブ・サイド

舞台が大阪、それも新今宮=西成区なので、コテコテの大阪を通り越して、時代に取り残された大阪が活写されている。尼崎出身、尼崎在住のJovianには非常に親近感のある風景である。単に下町が舞台だからではなく、地べたを這いずり回って生きる人間の姿がしっかりと見えた。邦画だと『 万引き家族 』以来の描写であるように思う。

 

佐藤二朗と伊東蒼の親子がリアリティを生んでいる。特に佐藤二朗はダメな大人を見事に体現している。20円が足りずに万引きしようとし、そこへ娘が駆け込んでくる冒頭のシーン、さらに路上でクッチャクッチャと音を立てながら食べる父親、それを注意しながらも、家に帰れば互いに気の置けない親子であることを映し出す。外で見える風景と中から見る風景のコントラストが鮮やかである。

 

万引きの場面では警察官がスーパーの店長に示談を勧める。元大阪府警のJovian義父が憤慨するであろうシーンだが、大阪府警=無能という印象を一発で観る側に与える非常に効果的な演出である。これがあるおかげでその後の様々な警察絡みの展開に無理がなくなっている。

 

父を必死に探す楓を伊東蒼が熱演。『 空白 』でトラックにはねられる万引き娘や『 ギャングース 』の家なき子の印象が残っているが、本作の熱演はそれらの印象をすべて上書きするもの。まさに西成のじゃりン子で、身寄りのない子を引き取るシスターの顔面に唾を吐きかけるわ、街中で先生に相手に大声で悪態をつくわと、周りの大人の協力を自ら遠ざける。しかし、一方で日雇い外国人労働者とはじっくり話ができるなど、他者や大人をすべて拒絶しているのではなく、同病相憐れむ的な価値観で動いていることが分かる。このあたりは日本の現実、就中、大阪という都市の闇も垣間見せていて興味深い。

 

単純に姿を消した父親を娘が探し出そうとする物語と見せかけてさにあらず。スクリーンに「3か月前」と表示されたところから、一気に物語の背景が明かされ始める。そこで明らかになる真実に関しても、序盤のうちにフェアな伏線が張られているので、納得しながら受け入れることができる。この脚本は上手いと感じた。

 

疑惑の殺人鬼役を清水尋也が怪演。『 ミスミソウ 』でも存在感を発揮していたが、日本の俳優で異常者を正面から演じられる若手俳優は少ない。『 キャラクター 』のFukaseや『 ミュージアム 』の妻夫木聡が印象に残っているが、清水は韓国のクライム・サスペンスなどに出ても爪痕を残せるのではないかと感じた。『 殺人の追憶 』を日本でリメイクするとしたら、柔らかい手の青年は清水尋也で決まりだろう。

 

近年話題になったSNSの闇や、人間の生と死についての非常に現実的な問題提起もなされている。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』や『 いのちの停車場 』などが有耶無耶にしてしまった命の尊厳について逆説的な形で切り込んでいった野心作。かなり血生臭いが、ぜひ多くの人に鑑賞いただきたい一作である。

ネガティブ・サイド

伊東蒼はさすがの大阪弁ネイティブだが、佐藤二朗の大阪弁はイマイチだった。じゃりン子チエ役の中山千夏レベルとまでは言わないが、それぐらいにまでは仕上げてほしかった。佐藤の芸歴なら出来るはずだし、片山監督もそこまで演出してもよかった。

 

楓のボーイフレンドが終始役立たずだった。この男が活躍する、そしてあっさり撃退されるシーンや、あるいは楓の父・悟に正面からぶつかっていくような展開があれば、もっとドラマが盛り上がっただろうと思う。

 

総評

佐藤二朗というと福田雄一作品の常連だが、ハッキリ言ってJovianは福田はあまり好きではない。『 HK 変態仮面 』は面白かったが『 ヲタクに恋は難しい 』あたりで絶望して『 新解釈・三國志 』は観ても腹が立つだけだろうと思い、回避した。佐藤二朗もNHKの『 歴史探偵 』の所長っぷりがチャラけていて好きではなかったが、良い脚本および良い演出に巡り合えば、こんなにも違う顔を見せるのかと感心させられた。老老介護の悲劇やSNSを通じた集団自殺・殺人など、命について考える機会が否応なく増える日本社会において、本作の放つメッセージは決して軽くはない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Not a chance

劇中であるキャラが言う「んなわけねーだろ」の私訳。Not a chance = そんな可能性はない、という意味で、質問に対する答えとして使われる。

A: Do you think I’ll get a job offer from them?
あの会社から内定もらえるかな?

B: Not a chance.
まあ、無理だろ。

というのが用例である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 伊東蒼, 佐藤二朗, 日本, 清水尋也, 監督:片山慎三, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 さがす 』 -邦画サスペンスの良作-

『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

N号棟 10点
2022年4月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:萩原みのり 筒井真理子
監督:後藤庸介

超絶駄作である。ジャパネスク・ホラーは夜明け前どころか丑三つ時にすらなっていないのではないか。『 成れの果て 』の萩原みのりを目当てにしていたが、チケット購入ではなくポイント鑑賞。その判断は正しかった。

 

あらすじ

死恐怖症を抱える女子大生の史織(萩原みのり)は、元カレが卒業制作のロケハンのために廃団地に行くというので、強引について行く。団地の敷地に入るも、そこには住人が住んでいた。史織が「入居希望者です」と言うと、管理人らは親切に団地を案内してくれるが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

安楽死あるいは尊厳死の是非に対する一つの回答を呈示した点だけは評価できる。もう一つだけ評価するのは、萩原みのりの cleavage ぐらいか(Silly me! = アホな俺)。

ネガティブ・サイド

冒頭から『 ポルターガイスト 』へのオマージュと思しき真夜中のテレビの砂嵐画面だが、ちょっと待て。アナログ放送は2011年に終了している。だったら本作はGoogle Earthリリース(2005年)よりも後で、2011年よりも前?いや、スマホでGoogle Earthを使って、地方の一地点にピンを貼って、しかも人間の顔が見えるほどの高解像度の画像が得られるようになったのは震災後、2015年だとか、そのへんだったはず。冒頭の時点から「いつの時代だ、これは?」と思い、物語に入っていけなかった。

 

肝心の団地も全然怖くない。二番煎じと言われようと『 呪怨 』のようなコテコテのホラーっぽさが必要だった。親切そうな団地の面々が態度を豹変させるのも中途半端。地方の人間が突然に不機嫌になる、あるいはよそよそしくなる様については、後藤庸介監督は横溝正史を読むなどして勉強した方がいい。

 

団地の幽霊(?)も、これまた怖くない。ジャンプ・スケアにありがちなびっくりさせる効果音を多用しなかったが、それがあっても怖くなかっただろうし、あってもやはり怖くなかっただろう。というのも、すべてがテンプレ通りというか、ここでこうなりそうだ、という予感が全部的中するから。別に自画自賛しているわけではない。ちょっと映画を観慣れた人なら、次の展開、次の演出を容易に想像できるだろう。これで怖がれというのは無理がある。

 

無理があるのは団地の仕組み(?)も同様だ。謎の投身自殺はそれはそれで不気味だが、なぜ肝心の死体にクローズアップしない?なぜ肝心の死体を映さない?この人は死んだ、間違いなく死んだという印象を観る側に焼き付けるショットや演出がないために、その後の展開に驚きや戸惑いが生まれない。また、ことあるごとにカメラを回させる史織だが、役立たずの元カレが死体を撮影しないために、史織がタナトフォビアであるがネクロフォビアではない、むしろネクロフィリア的な気質が備わっているという重要な事実を描写する機会を逸している。脚本上の致命的なミスだろう。この描写が欠けているせいで、その後の史織の活劇がすべてギャグに見えてしまう。

 

白日の下でのランチや謎の踊りは明らかに『 ミッドサマー 』へのオマージュだろうが、完全に空回りしている。やるなら徹底的に白い太陽に映える白い装束、そして一糸乱れぬ踊りが名状しがたい不安感を呼び起こす。そんなシーンを模索すべきだった。それに『 ミッドサマー 』へのオマージュなら

1)死体の損壊

2)セックスシーン

この2つの方が本作には合っていたはずだ。1)については、せっかくそれらしいシーンがあったのに何もかもが中途半端(「俺だって、こんなことやりたくねー」の男はその後どうなったのだ?)。2)は、それこそ団地に泊まる羽目になった史織と元カレが、怪奇現象からの現実逃避のために肉欲に溺れるという絶好のサブプロットが追求できたはずなのに、あっさりとそれもパス。がっかりである。

 

一番意味不明なのは、死者が蘇ってくる前に、団地の住民全体でヒステリーを起こすところ。なんか意味あるの?シュールすぎて怖くないし、かといって笑えるでもない。まったくもって意味不明。この絵が恐怖を喚起すると思っていたのなら、後藤監督は金輪際ホラーには手を出さない方がいい。だいたい幽霊も、物を落としたり窓を開けたりはしても、直接危害を加えてくることがゼロなのだから、怖がりたくても怖がれない。というか、筒井真理子の恋人役の霊(?)と肉体、あれはどういう関係?死体の処理は?意味わからん・・・

 

幽霊と暮らしているから死は怖くないという理論は理解できなくもないが、それは史織の抱えるタナトフォビアの解決にはならないだろう。それこそ『 シックス・センス 』のような、「実はもう死んでました」路線で行くべきではなかったか。または『 カメラを止めるな! 』のように、ある時点までの展開はすべて映像作品でした、この映像を使って、観た人を団地におびき寄せます・・・のようなプロットは模索できなかったか。「自分ならここはああする、あそこはこうする」と必死に考えることでしか眠気と格闘できなかった。それぐらい酷い作品である。

 

総評

こんなクソ作品に時間もカネも費やすべきではない。言葉は悪いが、ダメな監督がダメな脚本を映画にしたとしか言えない。2022年に関しては『 大怪獣のあとしまつ 』という couldn’t be any worse な作品が存在するのが救いだが、そうでなければクソ映画オブ・ザ・イヤーの最右翼である。予告で流れてきた『 “それ”がいる森 』は、果たして本作を上回るか、下回るか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. This was such an awful movie that I need to forget it as soon as possible.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 日本, 監督:後藤庸介, 筒井真理子, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

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