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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ラブロマンス

『 アリー / スター誕生』 -脚本に現代的な味付けが足りない-

Posted on 2018年12月27日2019年12月6日 by cool-jupiter

アリー / スター誕生 40点
2018年12月22日 にて鑑賞
出演:ブラッドリー・クーパー レディー・ガガ
監督:ブラッドリー・クーパー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181227140025j:plain

バーブラ・ストライザンドや、古くはジュディ・ガーランドにまでさかのぼるスター誕生物語の系譜が現代の歌姫、レディー・ガガに受け継がれた。ガガの歌唱力と意外な演技力、ブラッドリー・クーパーのカリスマ性をもってしても、しかし、これは残念ながら凡作の烙印を押されることを免れ得ないだろう。

 

あらすじ

アリー(レディー・ガガ)は、昼はウェイトレスを、夜は場末のバーで歌いながら、歌手になる夢を見ていた。そのバーに、有名ミュージシャンのジャクソン(ブラッドリー・クーパー)が来店。アリーの歌に魅了されたジャクソンは、彼女を自分のコンサートの舞台に立たせる。喝采を浴びたアリーのキャリアとロマンスが動き始める・・・

 

ポジティブ・サイド

“Shallow”と“Always Remember Us This Way”は素晴らしい。容易に歌詞が視覚化されてくる。それは映画のシーンとそれだけシンクロ率が高いからだ。極端な例を挙げれば、あのゴジラのテーマを聞けばゴジラが思い浮かぶし、ジョン・ウィリアムズのSuperman’s Themeを聞けば、クリストファー・リーブが思い浮かぶ。最近だと、ハンス・ジマーのワンダー・ウーマンのテーマがキャラを完璧に体現する傑作だった。冒頭の二曲は、本作を思い起こす上で絶対に欠かすことのできないピースになっているとさえ言える。

 

また、ガガの意外な素顔というか、彼女は普通の格好をしてノーメイクまたはかなり薄いメイクぐらいが最も美しいという意外な発見もある。露出多めの衣装も着てくれるし、入浴シーンやラブシーンもかなりある。スケベなビューワーも期待してよろしい。実際、ブラッドリー・クーパーはこういうシーンがやりたくて自分で監督及び主演をしたんじゃないのかと勘繰られても文句は言えまい。そういえば、シルベスター・スタローンもその昔、『 スペシャリスト 』という何とも微妙な映画で一部のファンや批評家から批判されていた。曰く、「シャロン・ストーンとベッドシーンを演じたかっただけじゃないのか」と。それでも、本来は歌手であって女優ではなかったはずのガガがここまで体を張ってくれるのだから、映画ファンは眼福とばかりに思わず、その表現をしかと受け止めねばならない。

 

個人的には映画のピークは駐車場のシーンかな。何気ない会話にこそ本当のドラマがあるように思う。『 ロッキー 』でエイドリアンとロッキーが無人のスケートリンク内で語り合うシーンこそが、Jovian的には the most romantic moment ever in filmなのだが、夜の駐車場シーンにも似たような趣があった。

 

ネガティブ・サイド

アメリカの成功者とは、なぜ酒、ドラッグ、女に溺れて身を持ち崩すのだろうか。そういうのは『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』などで散々見てきたし、冒頭のジュディ・ガーランドへのオマージュであろうか、アリーの歌う“Over the Rainbow”が夢の国への旅立ちとそこでの試練、そして現実への回帰を予感させる。それはかつて何度もリメイクされてきた本作のストーリーのフラクタルでもあるだろう。それでも、この物語の陳腐さはもう少しどうにかならなかったのだろうか。雌伏、雄飛、成功、愛憎、別離、そして悲劇と、今日日の韓国ドラマでももう少し何らかの手を加えてくるだろうという、その起伏そのものが余りにも平板に感じられてしまうストーリー展開。はっきり言って、ガガの成功と歌唱力、パフォーマンスを我々があらかじめ知っているからこそ感情移入できるし説得力も生まれているのだが、これが誰か別のキャスト、たとえば歌唱力抜群だが、本当に自分の容姿容色にコンプレックスを抱いているような若い女性を起用したらどうなっていただろうか。恐らく、何の変哲もない凡百の作品との評価を受けて終わりだろう。それほど、本作のプロットは平々凡々である。

 

また現代というテクノロジーの転換期にある時代、梅田望夫の言葉を借りるならば「総表現社会」においては、すでに類似の事例がいくつもある。スケールはまったく異なるが、少し古いところではニコニコ動画初のKURIKINTON・FOXがメジャーデビューを果たしたり(その後、色々あったようだが・・・)、現在でも米津玄師やDAOKOなど、インターネット上のプラットホームからメジャーデビューを果たすという事例は、もはや珍しいものではなくなっている。また、海外の事例を挙げるとするならば、Rod Stewartに見出されたグラスゴーのストリート・パフォーマー、Amy Belleであろう。“I don’t want to talk about it”のデュエットは、始めて見た時、文字通り鳥肌が立った。

 

ことほど左様に、本作のストーリーは現実世界によってそのファンタジー性を剥ぎ取られてしまっている。YouTubeでバズったというだけでは現代に本作をリメイクする意味が無い。もっと新しいアイデアが盛り込まれてしかるべきだった。クーパーの嗅覚も少し鈍ったのだろうか。個人的には、ジャクソンとアリーは、RodとAmyのデュエットを超えなかった。

 

総評

映画としては普通の面白さである。ここで言う普通をどう捉えるかは観る人次第である。ガガやクーパーのファンであれば観るべきだ。しかし、『 ボヘミアン・ラブソディ 』と比較してはならない。音楽も演技も演出も映像も、『 ボヘミアン・ラブソディ 』に軍配が上がる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ブラッドリー・クーパー, ラブロマンス, レディー・ガガ, 監督:ブラッドリー・クーパー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 音楽Leave a Comment on 『 アリー / スター誕生』 -脚本に現代的な味付けが足りない-

『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

Posted on 2018年11月3日2019年11月21日 by cool-jupiter

タイヨウのうた 30点
2018年10月31日 レンタルDVD鑑賞
出演:YUI 塚本高史 麻木久仁子 岸谷五朗 通山愛里
監督:小泉徳宏

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181103235056j:plain

『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』の元ネタである。近所のTSUTAYAがリコメンドしていたので借りてみたが、色々な意味で残念な作品であった。『 ちはやふる 』の脚本/監督を努めた小泉徳宏も、こういった作品を撮ることて腕を磨いていたと思うべきなのだろう。

 

あらすじ

太陽光アレルギーの薫は、いつも窓からバス停を眺めていた。そこに気になる男の子がいるからだ。夜に外出しては駅前で歌う薫(YUI)は、しかし、ひょんなことからいつも見ていた男子高校生の孝治(塚本高史)と出会い、パニックに。素っ頓狂な猛烈アピールをしてしまうのだが、そこを親友に制止されてしまう。しかし、薫と孝治の距離は確実に縮まっていく・・・

 

ポジティブ・サイド

岸谷五朗はアメリカ版のリメイクと比較しても、説得力のある父親像を描出できていた。言葉と行動が直結しているタイプ、直情型の親父で、だからこそ娘への愛情が時には大声であったり、大げさなアクションであったりという分かりやすい形で表出されていた。我が子が難病だからといって自分まで暗くなるまい。病気の娘にはできるだけ普通の形で接してやりたい。そうした気持ちをストレートに出す父親として良い味を出せていた。しかし、諸手を上げて褒められるのはそこまでで、後はことごとく後発のリメイクに軍配が上がる。

 

ネガティブ・サイド

酷評をさせてもらえるならば、これは映画ではない。ミュージック・ビデオだ。薫はキャラクターであって、YUIという歌手ではない。映画製作側にどのような思惑があったのかは邪推するしかないが、映画は歌手のプロモーションのために製作されているのではない。なぜ薫の歌を聴かせなければならないシーンで、スタジオ録りの歌のアフレコを聞かされなければならないのか。もちろん、YUIを見たくて本作を見る人も一定数存在することは確かだ。しかし、銀幕の中では本人ではなくキャラクターになってもらいたい。

 

更に指摘せねばならないことは、総じて役者の演技力が低いということ。特に薫の親友役の通山愛里は、高校の学芸会並みの棒読み演技を披露する。というよりも、脚本家の罪も重い。日本語のネイティブスピーカーが、「彼」とか「彼女」といった三人称を使うことがあるのかどうか、普通の頭で普通に考えてもらいたい。

 

さらにドラマ版にある程度、忠実であろうとした結果、存在感・・・というよりも存在意義の疑われるキャラクターも出てきた。その最たるものは母親、ついで孝治の悪友2人。リメイクはこれらをバッサリと切り捨ててしまうことで、かえってドラマ性を高めることに成功した。なぜなら家族の団らんシーンを削り、その分、ケイティ(=薫)とクイン(=美咲)のガールズ・トークに時間を割くことで、ケイティは卑屈でも何でもない、非常に少女らしい感性や思考の持ち主であることが強調されていた一方で、元祖の方では病気持ちの可哀そうな女の子として見られたくないという心理を示唆する場面がほぼゼロという有様。もちろん観る側としてはそこを想像できるわけだが、ドラマ的なノリであれもこれもと詰め込んだせいで、主役にとって、もしくは物語全体にとって不可欠な描写が削られては本末転倒だろう。Re・リメイクを期待したいが、10年後でも厳しいだろうなと思わざるを得ない。

 

最後に、物語後半のバス停のシーンで、影の向きが決定的におかしいシーンがある。なぜ人間の影の向きだけがその方向にその長さで伸びるのだ?と思わされるシーンが存在するのだ。もちろん、その反対方向に照明がいるからなのだが、編集時点で誰もこれに気がつかなかったのだろうか。本作はある意味、XPという悲劇的な病気のせいで、太陽光の有無、その強弱、向きなどに過敏にならざるを得ないのだ。それは登場人物にしても観客にしても同じ。にも関わらず、このような初歩的かつ致命的なミスを犯してしまっては・・・

 

総評

深夜ドラマのダイジェストだと思えば鑑賞に堪えないことはない。しかし、これ一作で原作の世界観を受け手に伝えられているかというと甚だ疑問が残る。本作を見たならば、その直後にアメリカ版リメイクも直後に観るべし。作品の優劣に関して、残念なコントラストが見出されるであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, E Rank, YUI, ラブロマンス, 塚本高史, 岸谷五朗, 日本, 監督:小泉徳宏, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

Posted on 2018年10月31日2019年11月20日 by cool-jupiter

エンジェル、見えない恋人 60点
2018年10月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エリナ・レーベンソン フルール・ジフリエ マヤ・ドリー ハンナ・ブードロー
監督:ハリー・クレフェン

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フランス小説、特にミステリが一時期は好きだった。アメリカ産の小説は、人物紹介欄にたいてい15~20人の記載があるものだが、フランス産ミステリは少人数、5~8人ぐらいで、非常に読みやすい。なおかつ、ミステリなのか超常的なスリラーなのか見分けがつかないような作品を送り出す作家も多い。カトリーヌ・アルレーが好個の一例である。そんなフレンチ・テイストの興味深い作品(ベルギー産)が生み出された。原題は“Mon Ange”、My Angelの意である。

 

あらすじ

あるマジシャン夫婦がステージで消失マジックを行っていたのだが、夫の方が本当に消えてしまった・・・ その後、身籠っていた妻(エリナ・レーベンソン)は「目に見えない透明な男児」を出産し、Mon Angeと名付け、密かに育てる。エンジェルはすぐそばの家の盲目の少女マドレーヌ(ハンナ・ブードロー、マヤ・ドリー、フルール・ジフリエ)と友達になり、共に成長する。片方は目が見えず、片方は姿が見えない。それゆえに惹かれ合う二人。しかし、マドレーヌが目の手術を受けるために家を離れることに、そしてエンジェルの母とも別離の時が迫っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

盲目の少女もしくは女性が、異形の、または異相の男を愛するというのは、古今東西で特に珍しいプロットではない。この系統の変化球では漫画『 HUNTER×HUNTER 』のコムギとメルエムが最近では記憶に新しい。しかし、片方が盲目、もう片方が透明というのは記憶にないし、少しググってみてもそれらしきプロットは見当たらなかった。これはアイデアの勝利であろう。透明人間というアイデアそれ自体はH・G・ウェルズの時代から存在するが、それをロマンティックに描き、なおかつ一定の成功を収めたところに本作の貢献がある。

 

まず、ヒロインのマドレーヌの幼少時代を演じたハンナ・ブードローと少女時代を演じたマヤ・ドリーが素晴らしい。盲目は人生最大の悲劇と言う人すらいるが、そのことが陰のあるキャラクターを生み出すのではなく、逆にエンジェルをエンパワーするようなエネルギーのあるキャラクターを生んでいる。実際にかくれんぼではマドレーヌは常にエンジェルを見つけてしまう。これがどれほどエンジェルの心に安心感を与えたことか。また、そうしたキャラクターの心情をむやみにナレーションにしてしまわないところもポイント高し。この監督は、観客を信頼している。その意気や良し。しかし、本作で最大の存在感を放つのは、エンジェルの母親である。ベルギーにも菩薩様がいるとすれば、このような女性(×じょせい× ○にょしょう)であろう。母性と辞書で引けば、挿絵はこの人だろうなと思わせるほどの説得力ある演技を披露してくれた。拍手である。

 

『 君の名前で僕を呼んで 』と同じく、人工的なBGMがほとんどなく、オーガニックな音や生活に根差した基調音で静かに満たされたシークエンスの連続は、主役二人の存在感を逆に大きく際立たせた。『 スターウォーズ/最後のジェダイ 』や『 君の名は 』のように全編が一種のミュージックビデオという作品もあるが、今作のような心地よい静謐さと適度な生活感をもたらすBGMも非常に良いものである。

 

ネガティブ・サイド

本作はPG12なのだが、実際はR15+ではなかろうか。エンジェルとマドレーヌのまぐわいは、確かに透明ならそうなるだろうなという部分をねっとりと描写する。だが、そこには美しさはあっても新しさは無い。こうした描写はインディ系、もしくは実験的なマイナー映画が既にやりつくした感がある。違いは前者は consensual で、後者は non-consensual だということ。

 

それと、観客への信頼の度が過ぎるというか、全編ほとんどがエンジェル目線で進むため、男性視点としては説得力を持つが、女性目線で見た時はどうなるのだろうか。エンジェルの顔や体は想像もしくは妄想で補ってくださいというのは、さすがに甘えすぎのような気もするが。『 何者 』では「どんな作品でもアイデア段階では傑作なんだ」という趣旨の台詞があったが、確かに顔が見えなければどんな男もイケメンの可能性は残る。しかし同時にオペラ座の怪人の可能性もあるわけだが。

 

エンジェルの父親は結局どこへ消えたのかという疑問や、エンジェルの存在が数年にも亘って施設に露見することがなかったのは何故かという疑問には、答えは一切呈示されない。その他、透明人間ものにおいてはクリシェと化した要素も一切が排除され、ややリアリティに欠ける世界観が構築されてしまっているのが残念なところである。

 

総評

デートムービーにちょうど良いだろう。しかし、高校生カップルには微妙かもしれない。大学生でもどうだろうか。逆に、付き合う前の仲の良い男女で鑑賞すべきかもしれない。エンジェルとマドレーヌの関係が友達から恋人へと発展し、難しい局面を乗り越え、思いっきりポジティブな解決策をひねり出して見事な円環を形作る過程を見るのは、カップルよりも友達向きである。20代独身サラリーマンは、違う部署のちょっと気になるあのコを誘ってみてはどうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エリナ・レーベンソン, ハンナ・ブードロー, フルール・ジフリエ, ベルギー, マヤ・ドリー, ラブロマンス, 監督:ハリー・クレフェン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

『 アラサー女子の恋愛事情 』 -邦題をつけた担当者に天誅を-

Posted on 2018年10月28日2019年11月3日 by cool-jupiter

アラサー女子の恋愛事情 45点
2018年10月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ クロエ・グレース・モレッツ サム・ロックウェル
監督:リン・シェルトン

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原題は ”Laggies” である。監督のリン・シェルトンは当初は本作の舞台をオレンジ・カウンティにしようとしていたようである。オレンジ・カウンティと聞いてピンとくる人はかなりの大谷翔平ファンであろう。そう、カリフォルニア州オレンジ郡なのである。しかし、様々な事情から舞台はシアトルに移る。このYouTube動画によると、シアトル(の一部の界隈、一部の世代?)では、Laggieという言葉を、友人や仲間を指す時に使うらしい。本作を鑑賞すれば、Laggiesとは誰のことを指すのかが分かる。それにしても、このようなふざけた邦題が付けられてしまうメカニズムとは一体何であるのか。映画ファンはもっと真剣に呆れ、怒ってもよいはずだ。

 

あらすじ

大学院卒の肩書を有しながら、仕事と言えば公認会計士の父親の事務所の看板持ちという28歳のメーガン(キーラ・ナイトレイ)は、女友達やボーイフレンドに囲まれ、それなりに幸せに暮らしていた。しかし、あるパーティーであるものを目撃したことでパニックになる。ひょんなことから知り合ったアニカ(クロエ・グレース・モレッツ)の家に匿ってもらうのだが、アニカやその友人たちの交流、そしてアニカの父親のクレイグ(サム・ロックウェル)との出会いにより、彼女は変化を自覚し始める・・・

 

ポジティブ・サイド

主要キャラの中では、キーラ・ナイトレイが最も素晴らしかった。コテコテのブリティッシュ・イングリッシュしか話せないと思っていたが、どうしてなかなかアメリカン・イングリッシュも上手い。また、同世代の仲間たちとの微妙なズレを知ってか知らずか際立たせてしまう、いわゆる空気の読めないキャラクターであることを絶妙な不器用さで序盤はに描き切った。この部分の説得力の有無が、物語のクライマックスの成否に関わってくるのだが、ひとまず合格点を与えられる。

 

サム・ロックウェルはちょいワル親父の雰囲気を存分に醸し出す安定の演技力を披露。この人の真価は、『 グリーンマイル 』や『 スリー・ビルボード 』のように、目には見えないものの、しっかりと圧を発するというか、ヤバい奴オーラとでも言おうか、底知れなさが魅力なのだが、どうしてなかなか普通のおっさんキャラもいける。『 プールサイド・デイズ 』のような、positive male figureを演じられる役者として、まだまだ出番は絶えないだろう。

 

ネガティブ・サイド

このあたりは主観になるが、キーラ演じるメーガンと観る側の距離感によって、彼女は最高のキャラであり、また最低のキャラにもなりうる。Jovianの目には、最低に近いキャラに映った。それは演技力の勝利でもあるのだが、脚本としては失敗であろう。第一に、自分の親が過ちを犯してしまうところで酷く動揺するのだが、自分も全く同じ構図の過ちを犯してしまうところ。しかも、こちらの方が性質が悪いというおまけ付き。第二に、人間関係というのは常に変化し続けるものだという尊い教えを得たというのに、結局その人間関係に引きずられて、切るべきところを切らずに、切らなくていいところを切ってしまうというトンデモな決断をしてしまう。これは我が妻もドン引きしていたので、あながち男目線だけによる一方的な分析ではないはずである。第三に、アニカという10歳も年下の女子相手にすることで自尊心を回復させてはいけない。もちろん、そんなことをするようなダメ人間だからこそ愛おしいと思える人もいるはずだ。しかし、『 はじまりのうた 』でヘイリー・スタインフェルドに余裕たっぷりに講釈を垂れたのとは、画的にはそっくりでも、その内実は全くもって異なる。あちらは大人と子ども、こちらは子どもと子どもだからだ。

 

サム・ロックウェルも、弁護士という、ある意味で人間の真実と嘘の最前線に立つ職業でありながら、キーラの咄嗟の出まかせにあっさり騙されるのは少し不可解だった。

 

全体的に見れば、アラサー女子なる不可解なワードは、映画の内容をしっかり伝えるためではなく、本作を手にして安心をしてほしい(と広告代理店などが思う)人、つまり30歳前後の仕事もプライベートもどこか地に足のつかない女性を対象にしているからなのかと妙に納得できる。『 ブリジット・ジョーンズの日記 』よろしく、ある意味で自分は何も変わらずに幸せを掴みたいという夢を見るだけの人は、本作で大いに勇気づけられるのかもしれない。そんな人は少数派だろうと信じでいるが。

 

総評

邦題に騙されてはいけない。そこまで浅はかな作りではない。しかし、練りに練られた作品かと問われれば、答えは否。結婚を意識していないカップルが、雨の日のお部屋デートに鑑賞して、気まずくなるのか、それとも真剣に将来に向き合おうとするのか、そこは分からないが、なにやらそうしたカップルのリトマス試験紙的な意味でなら、鑑賞する価値はあるかもしれない。すでに結婚している人や、高校生以下の人は敢えて観るまでもない。

 

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Posted in 未分類Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, キーラ・ナイトレイ, クロエ・グレース・モレッツ, サム・ロックウェル, ラブロマンス, 監督:リン・シェルトンLeave a Comment on 『 アラサー女子の恋愛事情 』 -邦題をつけた担当者に天誅を-

『 おと・な・り 』 -音と大人とお隣と音鳴りの物語-

Posted on 2018年10月14日2019年10月31日 by cool-jupiter

おと・な・り 70点
2018年10月11日 レンタルDVD鑑賞
出演:岡田准一 麻生久美子
監督:熊澤尚人

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181014203626j:plain

タイトルはおそらくquadruple entendreになっている。【音】、【大人】、【お隣】、【音鳴り】の4つの意味が考えられる。これは音を鍵にした物語であり、二人の30歳の大人の物語であり、その二人は同じアパートのお隣さん同士であり、音を媒介に人と人とが繋がる物語である。

 

あらすじ 

風景専門の写真家に転向したいのだが、事務所や仕事の状況がそれを許してくれない野島聡(岡田准一)。フランスに留学し、フラワーデザイナーになるという目標に邁進する登川七緒(麻生久美子)。同じアパートに住む隣人同士だが、顔を合わせたことはない。しかし。幸か不幸か、安普請のアパートで互いの生活音や大きな声は筒抜け。二人には奇妙な連帯感が生まれていた・・・

 

ポジティブ・サイド

「基調音」は、『 羊と鋼の森 』のレビューで概説した、サウンドスケープの構成概念である。街行く人の多くがイヤホンで耳をふさぎ、個人の趣味や学びに没入する時代であるが、それでも自分の生活圏やコミュニティ特有の音というものには親しんでいるはずである。おそらく多くの人がお盆や年末年始に帰省することで、それを実感しているものと思われる。例えば都会に住んでいる人が地方の田舎に帰れば、静けさと鳥や虫の鳴き声などに驚き癒され、あるいは田舎の人間が大都市に出てくれば、電車や車の走行音や人々の雑踏に驚き煩わされるかもしれない。基調音は、読んで字のごとく生活のベースに根付いた音なのである。そういう意味では、我々が基調音を最も意識するのは、基調音が存在しない時と言えるであろう。

 

本作で聡が出す声や音、七緒が出す声や音は、互いの生活リズムに深く刻まれている。その基調音が非在の時、もしくはそこに強烈なノイズが混じった時、自分はどう感じるのか。どう動くのか。そんなことを思わず考えさせられてしまう。

 

また30代という、難しい年齢そのものがテーマにもなっている。ステレオタイプな見方を本作は採るが、男は自分のキャリアの方向性について大きな決断を迫られ、女は恋愛や結婚に向けて動くべきなのか、それともキャリアを追求すべきなのかを迫られる。迫られる、という受動態に注目されたい。自分にその選択を迫ってくる主体は誰なのか、何であるのか。それは両親かもしれないし、友人かもしれないし、知人かもしれないし、上司かもしれないし、耳を傾けることを拒否してきた自分の内なる声かもしれない。本作は、その内なる声を、非常に独創的な方法で鑑賞者に聞かせる手法を取る。これは上手い。女性をロマンティックに誘う時には、相手に本音を言わせてはならない。女性を怒らせる時には、相手に喋らせる。個人差はあるだろうが、女性という生き物は確かにこのような性質を有しているようだ。

 

映画というのはリアルを積み重ねて、面白さを追求していく媒体であり芸術だ。そして、我々が最もリアルを感じるのは、キャラクターに共感できた時なのである。そうした意味で本作は30歳前後で人生の岐路に立つ男女に、大きな示唆を与えうる作品である。

 

また、エンディング・クレジットにも注目、いや注耳してほしい。陳腐と言えば陳腐だし、画期と言えば画期的な仕掛けが施されている。レンタルする方は最後までしっかりと鑑賞をしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

ペーシングにやや難ありと言わざるを得ない。まるで韓国ドラマを観ているかの如く、「早く出会え、早く気付け」と思わされてしまう。また、そこに至るまでにSHINGOの話を引っ張りすぎている。谷村美月は素晴らしい仕事をしたが、彼女の出演シーンはもう3分は削れただろう。それを岡田准一と麻生久美子のパートに費やして欲しかった。しかし、それを見せずに想像させるのも、一つの手法として認められるべきだろう。音がテーマの本作なら尚更である。なので、このあたりのネガティブな評価は意見が分かれるところだろう。

 

もう一つケチをつけるとするなら、岡田准一のカメラマンとしてのたたずまいが少し弱い。風景専門のカメラマンならば、『 LIFE! 』におけるショーン・ペンのような雰囲気を醸し出して欲しかった。つまり、ベストショットを撮れるまで辛抱強く待ち構える根気と、ベストショットを嗅ぎつける動物的な嗅覚である。もちろん、かつて写真を撮った橋の、度の位置のどの方角かまでしっかりと記憶しているというプロフェッショナリズムは垣間見えたが、もっとカメラマンを演じて切ってほしかった。これも無い物ねだりだろうか。

 

総評

非常に完成度の高いヒューマンドラマに仕上がっている。2009年の作品だが、岡田准一のキャリア自身も投影されていたのではないだろうか。アイドルとしての自分と俳優としての自分。どの道を選択し、究めようとするのか。そのあたりの人生の岐路を役に託して撮影に臨んだのかもしれない。その他、麻生久美子、岡田義徳、市川実日子、森本レオらも素晴らしい仕事した。アラサーに大きな示唆を与えうる映画であるし、キャリアや人間関係にストレスを抱える人の鑑賞にも耐える作品である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, ラブロマンス, 岡田准一, 日本, 監督:熊澤尚人, 配給会社:ジェイ・ストーム, 麻生久美子Leave a Comment on 『 おと・な・り 』 -音と大人とお隣と音鳴りの物語-

『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』 -テーマの重さを描き切れていない-

Posted on 2018年10月8日2019年8月24日 by cool-jupiter

パーフェクトワールド 君といる奇跡 30点

2018年10月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 杉咲花
監督:柴山健次

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 本作の主題は、「障がい者と恋愛できるか」ということ。そしてその奥にあるテーマは、「障がい者を見る目線は、自分が障がい者になった時に人から向けられる目線である」ということ・・・ではなかった。一瞬でも良いので登場人物の行動を通じて、そのような心理を描写して欲しかったと思うのは贅沢というものだろうか。

 川奈つぐみ(杉咲花)は、職場の同僚との飲み会に高校の先輩にして初恋の人である鮎川樹(岩田剛典)が来ることを知り、飲み会に参加する。再会した樹はしかし、車イスに乗っていた。大学3年生の時に交通事故にあり、脊髄に損傷を負ったのだ。仕事に真摯に、健気に気高く生きる樹に、つぐみは抑えていた思慕を募らせる。二人の距離は縮まる。果たして恋人になれるのか。そしてその先には・・・

 結論から言うと、本作は失敗である。何よりも訴えたいテーマが無い。いや、原作の漫画にはあるのだろうが、それを2時間弱の映画に過不足なく織り込むことには失敗している。この分野にいくつかの優れた先行作品がある。その最たるものは『 博士と彼女のセオリー 』であると思っている。そこには肉欲もあり、愛情だけでは乗り越えられないケアの問題もあり、愛情を超えた互いへのリスペクトもあり、さらには美しい後悔もあった。また『 ブレス しあわせの呼吸 』でも、夫婦(もしくはカップル)としてのドロドロとした人間関係の部分というか、閨房も映しだしていた。もしくはある意味でこの部分に特化した作品として『パーフェクト・レボリューション』を挙げても良いだろう。映画はだいたいにおいてフィクションであるが、その面白さは虚構性よりも迫真性、真実味、現実感などから生まれてくるものだからだ。

 脊髄損傷のため歩けない、移動は車イス、ということがどれほどのハンデになるのかという描写からしてまず弱い。たとえば車イスを押したことがある人なら、もしくはベビーカーを押したことがある人なら、減ってきたとはいえ、日本の街にどれほどのバリアが残っているかをしみじみと実感したことがあるはずだ。そうしたネガティブな感覚というのはいつしか降り積もり、そのストレスが思わぬ形で噴出されてしまう。ベタだが、そうしたシーンを挿入する余裕もなかったか。いや、それでもテレビドラマだが、この分野には『 Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜 』という先行テクストもある。何故つぐみは樹を好きになったのか。そして、その好きという感情が車イスに乗る樹を目の当たりにした時、どう揺らいだのか。そしてその揺らぎが収まり、想いが溢れるまでに至ったきっかけは何であったのか。つぐみが本来感じなくては不自然な、感情や思考のジェットコースターが、ほとんど描写されないままに二人は恋人となる。それは確かに胸を打つのかもしれないが、非常に皮相的な感動だ。樹が排泄障害について言及するところなど、本当はぼかしてはいけないシーンなのだ。つぐみが樹の抱える様々な困難に対して、人間的に葛藤し、苦悩し、それでも寄り添っていたいと自律的に考ねばならないのに、それを樹自身の強さに仮託してしまってはいけない。パースの仕上げに、元美術部員として腕を奮うようなつぐみが、もっと随所に出てこなくてはいけなかった。

 本作の弱点は他にもある。エンドクレジットは一応全て見たつもりだが、医療監修がいなかった。これは致命的だ。物語の面白さは細部のリアリティへのこだわりで補強されるのだから、樹の病院での処置シーンにはもっと監督はこだわるべきだった。最も眩暈がしたのは、樹の初期段階の褥瘡にガーゼを貼付するシーンだ。劇場で鑑賞した医師、看護師、その他の医療従事者の方々は映画製作者の不勉強に頭を抱えたことだろう。また、軽度とはいえ、つぐみの父がおそらく左脳に脳梗塞を発症させ、おそらく右側に軽い麻痺が残ってしまったのだろうが、そのことによって父が何か苦労するシーンが無かった。健常者から障がい者となった時、どのように自己像が揺らぐのかを描写しない限り、ただの嫌な中年わがまま親父にしか見えない危険性がある。また、爪切りはないだろう、爪切りは。ただでさえ樹が感覚障害から足先に知らぬ間に怪我を負ってしまう(重度の糖尿病患者にはよく見られるものなので、ご存知の方も多いだろう)描写があるのに、ちょっとした怪我につながりかねないパチンといくタイプの爪切りを使うとは・・・爪やすりの存在を知らないのか。原作が、時代背景があってそうなっていないのかもしれないが、現代の映画として改作するのであれば、リアリティを増す方向に行ってもらいたい。映画は小説やアニメと違って、現実を最も忠実に描写する文化芸術なのだということを、日本の映画製作者はもっと心してもらいたい。

 良いテーマを持つ作品を映画化したとは思うが、そのテーマの重さを映画製作者側が受け止めきれなかった、もしくは中高生向けにライトな内容だけに絞り込みすぎてしまった、という印象はどうしたって拭えない。柴山監督には猛省と次作へ向けての一層の奮励を促したい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ラブロマンス, 岩田剛典, 日本, 杉咲花, 監督:柴山健次, 配給会社:LDH PICTURES, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』 -テーマの重さを描き切れていない-

『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

Posted on 2018年6月25日2020年2月13日 by cool-jupiter

わたしに××しなさい! 50点

2018年6月24日 梅田ブルク7にて観賞
出演:玉城ティナ 小関裕太 佐藤寛太 山田杏奈 金子大地 佐藤寛太
監督:山本透 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180624213244j:plain

*以下、ネタバレに類する記述あり

まず、こんなポスターを作った配給会社の担当者および責任者は記者会見を開いて謝れ。景品表示法違反の疑いがある。というのは冗談だが、別に過激ミッションでも何でもない。単なるこじらせウェブ小説家女子高生(雪菜=玉城ティナ)が、自身の作品に恋愛要素を織り交ぜていくために、自分でも恋愛的な体験をしていくことで、作品の質も上がるだけではなく、当初予想もしていなかった自分自身の変化に戸惑いを感じ初めて・・・という、そこだけ見ればよくある話。むしろ、このストーリーを支えるのは、疑似恋愛の相手役である生徒会長(北見時雨=小関裕太)や、ウェブ小説のライバルである氷雨(=金子大地)、雪菜の従兄弟の霜月晶(=佐藤寛太)、さらには時雨の幼馴染の水野マミ(=山田杏奈)や小説の編集者(=オラキオ)などだ。

主人公は『 暗黒女子 』で輝けそうで輝けなかった玉城ティナ(清水富美加に光をかき消されたという印象)。『 あさひなぐ 』の西野七瀬もそうだったが、メガネが似合う女子というのは、一昔前に比べて確実に増えているらしい。それでもこのメガネ女子は、冒頭のクレジットシーンで見事なキャットウォークを披露して、独立不羈で我儘、甘えたい時に甘えて、無視する時は無視しますよ、というキャラクターであることを観る者に予感させてくれる。そして、その期待は裏切られない。

ウェブ小説が好評を博している雪菜は、編集者や読者からの要望もあり、恋愛要素を作品に取り入れようとする。しかし、空想するばかりで実体験の無い自分にはそれはできそうにない。そうか、それなら疑似恋愛体験をして、それを自作に盛り込めばよい、と考える。ここで候補として従兄弟の昌が浮上してくるが、雪菜はあっさりと拒絶。その代わりに、ひょんなことからダークサイドを秘めていた北見時雨の弱みを握り、ミッションと称して、手を握らせたり、ハグさせたりして、その心象風景を小説に取り入れていく。それにより、ライバル作家の氷雨に一歩リードするものの、時雨の幼馴染には何かを感づかれ・・・

というように、どこかで見たり聞いたりしたようなプロットのモンタージュ作品である。それによってある意味、安心して観賞もできるが、興奮させられたり驚かされたりすることも少ない作品である。したがって、観る側の興味は畢竟、役者の演技や作品の演出に移行していく。

まずは主演の玉城ティナ。何度でも言うが、メガネが似合う。そして定番中の定番、女友達がいない。これは安心して見ていられる。女の友情は一定年齢以上の男には共感できないところが多い(理屈である程度の理解はできるのだが、長々と大画面で見せつけられるのは正直キツイ。『 図書館戦争 』での柴崎と笠原の関係ぐらいが清々しくていい)。特徴的なのは容姿だけではない。話し方もだ。当り前だが、活字と発話は異なる。漫画や一部のライトノベルなどでおなじみの手法として、特徴的な語彙を多用する、または語尾を特定の形に統一する、などがある。雪菜の喋りは、この文法に映画的に正しく則っており、メガネ以外のもう一つの特徴としてキャラ立ちに大きく貢献しており、彼女の役者としての力量を見た気がする。

相手役の古関は『 覆面系ノイズ 』では学ランがパツパツで、高校生役はちょっと無理では?という印象を受けたが、ブレザーなら充分に通用する。また終盤では素の顔と仮面の顔を一瞬で入れ替えるシーンがあるが、こんな演技力あったっけ?とも思わされた。どこか坂口健太郎を思わせるルックスもあって、同じぐらいの活躍を期待したい。

その他、三白眼が印象的な佐藤寛太、武田玲奈とキャラもろ被りに思える山田杏奈、普通に出版社もしくは証券会社あたりにいそうな会社員役のオラキオなど、若手を中心に今後に期待を持てるキャストが集まっていた。だからこそ、もっとユニークなテーマを追求してほしかったと思う。「誰かを傷つけたくない」というのは恋愛(に限らず人間関係全般)において、美しいお題目ではあるが、ただ臆病であることを誤魔化したいからこその台詞。そんなことは誰もが分かっている。それを乗り越えるのが青春の、醍醐味であり、ある意味では終わりでもある。実験的なテーマの作品に、ポテンシャルを秘めた若手キャストで挑むからには、監督にも何らかのチャレンジが求められるが、エンディングのあのバレット・タイムは何とかならなかったのだろうか。他にもっと印象的な絵作りはできなかったのか。監督と自分の波長が合わなかっただけなのだが、最後の最後の着地で少しミスってしまった作品、そんな感想を抱いた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 古関裕太, 日本, 玉城ティナ, 監督:山本透, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

『図書館戦争 THE LAST MISSION』 -この恐るべき想像のパラレルワールドでいかに生きるか-

Posted on 2018年6月18日2020年2月13日 by cool-jupiter

図書館戦争 THE LAST MISSION 55点

2015年10月18日 大阪ステーションシネマおよびWOWOWにて観賞
出演:岡田准一 榮倉奈々 松坂桃李
監督:佐藤信介

*『図書館戦争』および本作に関するネタバレあり

 子どもたちのために有害図書を追放する。耳障りは確かに良い。だが、例えばごく最近の新幹線内での無差別殺傷事件の犯人が読んでいた本がハイデガーやドストエフスキーだったということに対して、識者からは特に何も聞こえてこない、少なくとも宮崎勤事件の時のような欺瞞と偏見に満ちたようなコメントは。

前作が追求したテーマが思想の対立であったとすれば、今作が追求するテーマは対立を解消するために思想を捨てられるか、ということだ。言い換えれば、命と信念、どちらをより大切に感じるのかということでもある。3秒以内にどちらかを選べ、と言われればたいていの人は「命」を選ぶのではないか。だが、ちょっと待て。人類の歴史、なかんずく戦争という視点から見れば、人間は命よりも大切なものをずいぶんとたくさん見出してきたようである。「命より大切なものがあるというのが戦争を始める口実で、命より大切なものは無いというのが戦争を終える口実」というのは誰の言葉だったか。けだし本質を突いた言葉であろう。本作で図書隊タスクフォースの面々は、本を読む自由、思想の自由、検閲に対抗するための力の存在の必要性のために勇敢に戦う。だが図書隊員の中には、命よりも尊い守るべき価値のあるものに対して疑念を抱くものがいた。そしてそれは元図書隊エリートにして現文科省職員、そして手塚(福士蒼汰)の兄(松坂桃李)の思惑によるもので、彼の次なる狙いの矛先は笠原(榮倉奈々)へと向かい・・・

相変わらず現実の日本社会と乖離した世界が物語世界では展開されている。しかし、笑えないのはその現実離れの度合いではなく、その現実離れが映し出す現実の残酷さ、冷酷さである。前作のフィナーレは、メディア良化委員会と図書隊の戦闘の様子が遂にメディアで大々的に報じられ、国民の関心が検閲を可能にしたメディア良化法に厳しく向けられる可能性を示唆するものだった。だが続編たる今作では、またも国民は図書隊の闘いに無関心であった。そしてそれは現実の日本に生きる我々にも当てはまってしまうことではないのか。国会で議論が尽くされていない自衛隊のイラク・サマワ派兵(派遣ではなく派兵と書くしかない)に関して、また南スーダン派兵に関しても現地で戦闘行為があったことは、もはや隠しようの無い事実である。そしてそのことがどうして斯くの如く長期に隠蔽されてきたのか。それは結局、国民が無関心だったからに他ならない。記者会見でアホのように泣き喚いた兵庫県西宮市の市議会議員が、政務活動費を不正にじゃんじゃん使いまくれたのはなぜか。そして彼以降、メディアや市民が目を光らさせたことで同様の問題が激減したのはなぜか(もちろんその過程で10人以上が辞職せざるを得なかった富山市議会のような自治体も出てきたが)。

大切だと思えることを必死で守ろうとする。それを実行に移せることこそが自由なのではないか。笠原が任務を全うしようと走るのは、自らの思想信条のためではなく、愛する堂上(岡田准一)のためであり、仲間のためであろう。思想と命、どちらを選ぶのが正解なのかではなく、どちらを選ぶにしろ、その選択が自由意思によって為されることが真に大切なのではないかと思う。哲学者のE・カントは自由を「先立つ一切の前提に囚われないこと」と定義した。与えられた選択肢以外を選ぶ者がいてもよいではないか。そうしたテーマ性を感じさせてくれた佳作である。

ひとつ不満に思えるのは、岡田准一と松坂桃李の対面シーン。「直接来い」という岡田の挑発に「兵隊は辞めました」という松坂。もちろんここで観る者は「ははーん、そんなことを言いながらも、最後はこの2人の一騎打ちか」と期待する。しかし、そんな展開は訪れなかった。残念至極である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, ラブロマンス, 日本, 松坂桃李, 榮倉奈々, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『図書館戦争 THE LAST MISSION』 -この恐るべき想像のパラレルワールドでいかに生きるか-

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