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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』 -『 レディ・プレイヤー1 』への意趣返し?-

Posted on 2019年1月29日2019年12月21日 by cool-jupiter

シュガー・ラッシュ オンライン 60点
2019年1月24日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ジョン・C・ライリー サラ・シルバーマン ガル・ガドット タラジ・P・ヘンソン
監督:リッチ・ムーア フィル・ジョンストン

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およそプリンセスらしくないプリンセスのヴァネロペが、インターネット世界で様々なプリンセスおよびキャラクターと邂逅する。そして、ラルフとの友情に一つの区切り、転換点を迎える。前作の『 シュガー・ラッシュ 』が役割と人格を巡る物語であるとすれば、本作は主体の主体性、すなわち自由を巡る物語であると言える。Jovianは作家の奥泉光に私淑しているが、彼は我々の共通の師である並木浩一との対談で、並木から「自由とは、自由であろうとすること」との言葉を引き出している。Jovianがここで言う自由も、自由であろうとすることを指しているとご理解頂きたい。

 

あらすじ

ラルフとヴァネロペは、それぞれのゲームで活躍しながら、良好な親友関係を続けていた。ある日、ハプニングにより、シュガー・ラッシュのゲーム筺体が破損。修理部品を手配する為に、ラルフとヴァネロペはインターネットの世界に飛び込んでいく。そこでヴァネロペは様々な出会いを通じ、自分が本当にやりたいことを見つけ出すのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

前作でも同じことを感じたが、CGが違和感なく感じられるのは個人的には大いなるプラス。現実世界のゲームのCGは余りにも美麗になりすぎたが、一定以上の世代の人間ならドラゴンクエストやファイナルファンタジーの二次元ドット絵に愛着を感じるだろうし、パックマンやインベーダー・ゲーム、ドンキーコングのようなグラフィックでも充分だとさえ言える。CG嫌いが少し弱まってきたのだろうか。

 

前作ではレトロゲームのキャラが多数カメオ出演していたが、今作ではネットのビジネス世界の列強が勢ぞろいしている。日本からは楽天が参戦しており、そのほかにもLineやmixiも目に入ってきた。その他のネットビジネスの巨人であるAmazon,eBayを筆頭にYouTube,Facebook,Google,InstagramにTwitterと何でもござれ。これらのサービスの全てもしくはいくつかを使ったことがある人ならば、思わずニヤリとさせられる描写も多く、なおかつインターネットという世界を直観的に理解できるようなビジュアル世界も構築できている。これは凄いことだ。最も象徴的なのは、ネット世界では距離の概念が“ほとんど”無いのだということを描き出していること。また、IPアドレスによって個を識別しているということ。そしてデータのコピーにかかるコストがほぼゼロであることを良い意味でも悪い意味でも映し出したこと。これらに個人的には最も唸らされた。

 

今作ではラルフとヴァネロペの友情に新たな展開が見られる。自分の役割を受け入れることができたラルフと、やっと自分の役割を果たせるようになったヴァネロペの間に、温度差が生まれるのは蓋し当然でもあっただろう。ラルフは悪役であることを受け入れ、ゲーム外の時間でヴァネロペと変わらない時間を過ごす。しかし、ヴァネロペは決まり切ったレースコースを走ることに厭いていて、変化を求めている。シュガー・ラッシュ内でも他キャラがプリンセスとして接してくるのに対して、対等な関係を求める。ヴァネロペは「自分が自分らしくある」ことを目指したいのだ。それこそが主体の自由である。ゲームの垣根を乗り越えて、自らのアイデンティティを定めようとしてく、このリトル・プリンセスの姿に、一つのグローバル時代の個の在り様を見るようである。

 

また、本作ではディズニー世界のプリンセスが勢ぞろいする。Jovianは一部しか作品は鑑賞していないが、それでも彼女たちが語るプリンセスの条件(予告編で散々流れているのでネタばれにはあたらないだろう)に、我々はいかに個の在り方が非常に限定的、なおかつ与えられた役割を全うすること、もっと言えば非常に受動的な属性で塗り固められているかということを思い知らされ、愕然とする。ヴァネロペがネット世界でゲームの垣根を超えていくこと、麗らかに、しかし、強かに個を主張する様は、繰り返しになるが、グローバル時代の個人の来し方行く末を見るかのようだ。幅広い年代層にアピールできる作品になっている。

 

ネガティブ・サイド

ラルフは元々、the sharpest tool in the box = 頭が切れるタイプではないが、ヴァネロペの旅立ちを阻止したいが為だけに、ここまでやるか?という行為に及ぶ。現実世界でこれをやれば、御用である。ネット世界でこれをやっても、やはり御用である。ラルフは典型的な男のダメな部分をあまりに率直に、飾らずに体現してしまっている。それは共感力の欠如である。「俺は毎日楽しいぜ」と自己主張をしてもしゃーないのである。シャンクとヴァネロペの会話は至って正常なガールズトークで、だからこそラルフには理解ができない。こうした描写はクリシェとさえ呼べるが、これを見せられてしまうと男としてはかなり暗澹たる気分にさせられる。例えばラルフがシャンクに直接、自分がどれほどヴァネロペとの友情に感謝しているのか、それによって生かされているのかを訥々とでもよいから語るような場面があれば、男のダメさ加減の体現描写も少しは薄められたはずなのだが・・・

 

総評

『 レディ・プレイヤー1 』のメッセージは、「外に出ろ、人と交われ」だった。しかし、本作はもっと踏み込んで、「多様な世界に触れろ、変化を恐れるな」と言っているかのようだ。世代によって本作の受け取り方は相当に異なると思われるが、あらゆる見方が正しいのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, アメリカ, ガル・ガドット, サラ・シルバーマン, ジョン・C・ライリー, タラジ・P・ヘンソン, ヒューマンドラマ, 監督:フィル・ジョンストン, 監督:リッチ・ムーア, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』 -『 レディ・プレイヤー1 』への意趣返し?-

『 バンド・エイド 』 -真正面から向き合えない夫婦なら観てみよう-

Posted on 2019年1月28日2019年12月21日 by cool-jupiter

バンド・エイド 50点
2019年1月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ゾーイ・リスター=ジョーンズ アダム・パリー フレッド・アーミセン
監督:ゾーイ・リスター=ジョーンズ

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原題も“Band Aid”である。絆創膏と「音楽バンドによる助け」のダブルミーニングである。音楽によって人間関係の修復を図る作品では『 はじまりのうた 』が思い出される。テイラー・スウィフトは『 Bad Blood 』で「バンドエイドでは銃創は治せない」と歌った。しかし、バンドで治せる傷もあるはずだ。そう確信する人々が作ったのが本作であろう。

 

あらすじ

アナ(ゾーイ・リスター=ジョーンズ)はUberの運転手、ベン(アダム・パリー)は企業ロゴのデザイナーで、互いに収入は不安定。二人の間では常にケンカが絶えなかった。しかし、バンド活動の間だけはケンカを楽曲に昇華することができた。近所に住む性依存症のデイヴ(フレッド・アーミセン)を交えて、バンドを始める二人。バンド活動は順調に見えたが、アナとベンには真正面から向き合えない辛い過去があり・・・

 

ポジティブ・サイド

サンダンス映画祭に出品された作品ということで、登場人物も少なく、時間的・空間的にもそれほどの広がりを見せない。つまり鑑賞しやすく、理解もしやすい。夫婦喧嘩を経験したことのない夫婦はいないだろうし、未婚・独身者であっても、夫婦喧嘩の何たるかはある程度は想像ができるはずだ。そんな夫婦間のドロドロした愛憎を音楽活動に昇華させる。非常に健全な試みであろう。アナとベンが互いに”Fuck you, Fuck you, Fuck you”とお互いを罵るようにシャウトする様は非常にコメディックである。

 

映画をある程度見なれた人であれば、もしくは夫婦というものをある程度経験していれば、アナとベンの間に起きた悲しい過去については簡単に推測できるだろう。しかし、それに向かい合うことは決して簡単なことではない。特に女性であれば、アナが女友達とおしゃべりをするシーン、そして友達の子どもの誕生日パーティーに出席するところで、非常に強く共感するか、もしくは相当に身につまされる思いをするか、どちらかではないだろうか。

 

中盤以降には、もしかすると日本の少子化、もっと言えばセックスレスの原因はこれではないかと示唆してくるようなシークエンスがある。これはおそらく夫側がかなり身につまされるシーンになるのではないか。現代ではセックスは生殖活動以上に、愛情表現、濃密なコミュニケーションとしての意味合いの方が強い。だからこそ依存症が発生したりするわけだが、かといって生殖の意味合いが薄れたわけでは決してない。本作は夫婦の在り方を時にラブコメ調に、時にシリアスに映し出す。主演も兼ねた監督ゾーイ・リスター=ジョーンズの面目躍如といったところだろうか。

 

ネガティブ・サイド

アメリカの女性というのは、人生で一番輝いていた時期に囚われる傾向が殊更に強いのだろか。『 ワン・ナイト 』や『 ラフ・ナイト 史上最悪!?の独身さよならパーティー 』など、人生の最盛期を振り返る映画は枚挙に暇がない。アナも、過去に本を出版するチャンスを掴みかけたのだが、それは結局実現することが無かった。これはあまりに陳腐だ。もっと別の角度から、アナの苦境を描くことはできたはずだ。本というものが、あるモノのシンボルであることは承知している。そうであるならば歌詞にそのあるモノを示唆するものが出てこなくてはならなかったが、そんなものはなかった。それが残念だ。

 

もう一つ指摘することがあるとすれば、アダム・パリ―の演技。下手だと言いたいわけではない。ただ、妻に対する時と母に対する時で演技に違いがないのは頂けない。目つき、顔を傾ける角度、声のトーンなど、目に見える、耳に聞こえる形で演技を差をつけられないのは表現者としては敗北であろう。もちろん、監督その人によってそのような演技をするように指示された可能性もあるが、彼の一本調子の演技は本作にとってはマイナス要素である。

 

総評

テイラー・スウィフトは2015年の東京ドームでのライブで“You are not your own mistakes.”と語った。『 あなたの旅立ち、綴ります 』でシャーリー・マクレーン演じるハリエットは“You don’t make mistakes. Mistakes make you. Mistakes make you smarter.”と語った。弱点はあるものの、もしも夫婦関係に間違いがあると感じているのならば、何某かのヒントが得られるかもしれない作品に仕上がっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アダム・パリー, アメリカ, ゾーイ・リスター=ジョーンズ, ヒューマンドラマ, フレッド・アーミセン, 監督:ゾーイ・リスター=ジョーンズ, 音楽Leave a Comment on 『 バンド・エイド 』 -真正面から向き合えない夫婦なら観てみよう-

『 シュガー・ラッシュ 』 -深い示唆に富むディズニーアニメの秀作-

Posted on 2019年1月26日2019年12月21日 by cool-jupiter

シュガーラッシュ 70点
2019年1月22日 レンタルBlu Rayにて鑑賞
出演:ジョン・C・ライリー サラ・シルバーマン
監督:リッチ・ムーア

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原題は“Wreck-It Ralph”、「壊し屋ラルフ」とでも言おうか。スルーするつもりだったが、どういうわけか突然『 シュガー・ラッシュ オンライン 』を鑑賞してみたくなった。ならば、前作を観ねばなるまいと近所のTSUTAYAで借りてきた次第である。

 

あらすじ

ゲームセンターの「Fix-It Felix」は悪役ラルフが建物を壊して、善玉フェリックスがそれを直していくというゲーム。ゲームセンターの閉店後、ゲームのキャラたちは自分の時間を過ごしていたが、悪役のラルフはゲームの時間以外でも他のキャラから敬遠されていた。自分もヒーローになりたいと願ったラルフは他のゲームに「ターボ」する。そして「 シュガー・ラッシュ 」の世界でバグ持ちの少女、ヴァネロペと出会う。ゲーム世界で疎外されてきた二人は友情を育んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド 

『 レディ・プレイヤー1 』はこれに触発されたのではないかと言うぐらい、レトロゲームのキャラクターが登場する。ザンギエフやベガに、かつてゲーセンで貴重な百円玉数枚を投じて1時間遊んだことを思い出す者もいれば、スーパーファミコンでストⅡ、ダッシュ、ターボを延々とプレーした思い出を持つ者もいるだろう。あるいはパックマン・ゴーストに郷愁を感じる者も多かろう。『 ピクセル 』はクソ映画で、中途半端にリアルなCGも現実世界と相容れない不自然さがあったが、本作では同じようにレトロゲームのキャラや世界観を構築しても、全く不自然ではない。なぜなら、世界そのものがゲームの内部だからだ。そしてたいていのゲームは、何度プレーしても同じ物語が紡ぎ出されるように出来ている。中には『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』のように、シューティングゲームでありながら分岐シナリオを取り入れた例もあるが、それでもゲームの物語やキャラの最終的な行動や属性は大きくは変化しない。

 

しかし、キャラクターが変化を望めば?キャラクターに自発的な意志があれば?それが主人公ラルフの葛藤になる。彼自身は自分は悪役であることを認識している。しかし、彼は自分のことを悪人だとは考えていない。役割は決して人格とイコールではないのだ。だからこそ、シュガー・ラッシュのヴァネロペに共感しつつも、その存在を守ろうとする。ヴァネロペは逆に不安定なバグ(glitch)を有するが故に、卓越したレーサーでありながらレースに参加することが許されない。役割を果たすことができないということが、彼女の存在意義を揺るがす。ラルフとは逆なのだ。彼女は、たとえゲーム世界が崩壊し、自分というキャラクターがリセットされてしまっても、自分の役割を全うしようとする。存在意義を果たそうとすることで存在が消えてしまうとは何たる悲劇かと思うが、そのことが物語にドラマとサスペンスと感動を与えている。

 

ここで思い出される映画がある。『 マジック・マイク 』だ。終盤でチャニング・テイタム演じるマイクは「俺は俺のライフスタイルじゃない。俺は俺の仕事じゃない。ストリッパーは俺の仕事(what I do)だけど、それが俺の人格(who I am)じゃない」と心境を吐露する。これこそがラルフの葛藤の正体であろう。これは子どもが観ても、大人が観ても、直観的に理解できる内容だ。このメッセージを届けるために舞台をゲーム世界に設定したのだとすれば、脚本家の慧眼には感服するしかない。なぜなら、ラルフという悪役が存在しなければ、フェリックスという善玉は必要とされないからだ。ラルフが何かを壊してくれてこそ、フェリックスの直す能力が重宝される。悪役にも存在理由がしっかりとあるのだ。現実の世界を舞台にこのことを描き出した傑作に『 ダークナイト 』が挙げられる。または『 アンブレイカブル 』もこのカテゴリに入れてもよいのかもしれない。現実世界を舞台に悪の存在意義=その対比としての善が存在する、ということを描こうとすると子どもが置いてけぼりになってしまう。その意味では本作は、子どもから大人までしっかり鑑賞して、なおかつ楽しむことができる逸品である。

 

ネガティブ・サイド

センチピードやQバートはそれなりに可愛いが、ヴァネロペの声(オリジナルの英語)が可愛くない。むしろ少し怖い。というか、ヴァネロペという屈折したキャラクターをよく表す声だとは思うが、話し方そのものがかなりSmart Alecな感じで、とにかく鼻につく。続編は思い切って日本語吹き替えにしようかと検討している。

 

一つ気になってしまったのが、ラルフの心境の最終的な変化。悪役も悪くは無いと感じるのは良しとして、それはヴァネロペを好いてくれるプレイヤーの存在に帰せられることなのだろうか。バグを持った破天荒プリンセスキャラが愛されるなら、壊し屋の自分だって愛されていいんじゃないのかという結論に至らないのが、個人的にはやや解せない。

 

また、クライマックスの展開は割と簡単に読めてしまうのが残念なところだろうか。それでも嫁さんはびっくりしていたので、度肝を抜かれる人はこんな展開にも度肝を抜かれるものなのだなと再認識。個人的にはこの逆転のドンデン返しはすぐに見えてしまった。

 

総評

子ども向け作品と侮るなかれ、『 グリンチ 』とは一味もふた味も違う。完成度はこちらの方が遥かに高く、かつてレトロゲーマーだった大人以外の大人たちの鑑賞にも耐えられる作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, アメリカ, サラ・シルバーマン, ジョン・C・ライリー, ヒューマンドラマ, 監督:リッチ・ムーア, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 シュガー・ラッシュ 』 -深い示唆に富むディズニーアニメの秀作-

『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

Posted on 2019年1月25日2019年12月21日 by cool-jupiter

ミスター・ガラス 55点
2019年1月20日 東宝シネマズ伊丹にて鑑賞
出演:サミュエル・L・ジャクソン ブルース・ウィリス ジェームズ・マカヴォイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:M・ナイト・シャマラン

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シネマティック・ユニヴァース=Cinematic Universeが花盛りである。アベンジャーズに代表されるMarvel Cinematic Universeに、ゴジラを中心に展開されていくであろうモンスター世界=Monsterverse、『 ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 』の不発により始まる前に終わってしまったDark Universeなどなど。そこにシャマラン世界、すなわちShyamalan Universe、略してシャマラン・ヴァースもしくはシャマラノヴァースとも呼ばれている。今作は『 アンブレイカブル 』と『 スプリット 』の正統的続編なのである。期待に胸を膨らませずにいられようか。

 

あらすじ

フィラデルフィアには監視者と呼ばれる男がいた。警察が捉えられない悪を裁くのだ。彼の名はデイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)。触れることで悪を感知する不死身の肉体を持つ男。その頃、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)は4人の女子高生を誘拐、監禁していた。24の人格を宿す人ならざる人。この二人の出会いを待ち構えていた精神分析医のサラ。彼女の施設には狂人にして天才、極度に脆い身体を持つミスター・ガラスことイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。彼女は彼らに、超人など存在しないということを証明しようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

ジェームズ・マカヴォイの多重人格者の演技。これだけでチケット代の半分になる。特に9歳児のヘドウィグの演技は前作に引き続き、圧倒的である。少年の心の無邪気さと不安定さを一瞬で表現するところは圧巻。同僚のロンドナーも、「演技力では、ジェームズ・マカヴォイ >>> ベネディクト・カンバーバッチ、トム・ヒドゥルストン、マイケル・ファスベンダー」と認めている。一度演じた役とはいえ、こうも簡単にあれだけの役を再現できるのかと感心させられる。

 

そしてまさかのスペンサー・トリート・クラークの再登場。父親に銃まで向けたあの息子も、今ではすっかり父ダンのサポーター役が板に付いた。というか、子どもの頃と顔が全く変わっていない。ハーレイ・ジョエル・オスメントも面影をかなり残しているが、ジェイソン・トレンブレイも今の顔のまま大人になるのだろうか。

 

閑話休題。ビーストとダンの対決は、日本のキャラクターの対決に例えるとするなら、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』の志々雄真実と『 魁!!男塾 』の江田島平八を闘わせるようなものだろうか?もしくは、ウルトラマンとゴジラの対決か?何が適切な例えになるのか分からないが、とにかくこの対決はシャマランファン垂涎のマッチアップなのである。一人自警団を実行していくであろうダンには強力なライバルが必要だった。しかし、普通の人間ではとうていダンには歯が立たない。であるならば、普通ではない人間が必要となる。バットマンがジョーカーを呼び寄せたように。またはスーパーマンにとってのレックス・ルーサーのように。それにしても、今作を観てやっと前作『 スプリット 』における駅と花束の意味が分かった。だからこそ本作のタイトルは『 ミスター・ガラス 』なのだ。誰よりも弱い身体を持つが故に、その頭脳は誰よりも冴える。何という男なのだろうか。演じ切ったサミュエル・L・ジャクソンにも脱帽だ。

 

ネガティブ・サイド

これはネタばれだが、特にメジャーなネタばれでもないので書いてしまう。一体全体、催眠ストロボとは何なのだ?いや、原理はどうでもいい。9歳児のヘドウィグならまだしも、デニスやバリーやパトリシアまでもが、「目をつぶる」という余りにも簡単な回避方法を思いつかないのは何故だ?

 

前作であれほどまでにベティ・バックリー演じるカウンセラーに自らの存在する意味、全ての人格は主人格のケヴィンを守るために存在するのだと、ビーストはケヴィンの究極の守護者なのだと確信していたにも関わらず、謎の研究者のほんの少しの言葉で、なぜあれほどまでにパトリシアたちは動揺するのか。同じことを描くにしても、前回のような本格的な、徹底的なカウンセリングシーンが欲しかった。これではフレッチャー博士も浮かばれない。

 

また本来の主人公であるミスター・ガラス、イライジャの天才性と狂人性の描写がもう一つ弱かった。いや、天才性は最後に爆発したが、『 アンブレイカブル 』で階段から落ちながらも、とある事柄を確認したことで浮かべた不気味極まりない笑顔。あれに優る狂気の表情が見られなかったのはマイナスだろう。イライジャの思考はそれが思い込みであれ、信念であれ、確信であれ、誰よりも強い。その想念の強さと大きさを宿したようなアクションまたは表情がどうしても見てみたかったが。

 

最後に個人的なネガティブを一つ。ケイシーを演じたアニャ・テイラー=ジョイの出番が少ない。Jovianは彼女とヘイリー・スタインフェルド推しなのである。

 

総評

色々と腑に落ちないこともあるが、『 アンブレイカブル 』がデイヴィッド・ダンがスーパーヒーローとして覚醒する物語で、『 スプリット 』はスーパーヴィランの誕生物語だった。狂人ミスター・ガラスはスーパーヒーローなのか、それともスーパー・ヴィランなのか。それは観る者が直接その目で確認すべきなのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, サスペンス, サミュエル・L・ジャクソン, ジェームズ・マカヴォイ, ブルース・ウィリス, ミステリ, 監督:M・ナイト・シャマラン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

『 メリー・ポピンズ 』 -1960年代ミュージカルの傑作-

Posted on 2019年1月20日2019年12月21日 by cool-jupiter

メリー・ポピンズ 70点
2019年1月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジュリー・アンドリュース ディック・ヴァン・ダイク
監督:ロバート・スティーブンソン

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元々は絵本である。しかし日本では、おそらく歌の『 チム・チム・チェリー 』の方が有名かもしれない。一部の世代や地域の人であれば、小学校もしくは中学校の音楽の教科書に載っていたかもしれないし、今でも幼稚園や保育園では歌っているかもしれない。エミリー・ブラント主演の新作が公開される前に、復習鑑賞も乙なものかもしれない。

 

あらすじ

時は1910年、ところはロンドン。バンクス家のジェーンとマイケルは悪戯ばかりで、乳母役が次から次に辞めていく。父は厳格な銀行家。母は参政権獲得運動に没頭と、家庭を顧みない両親。ジェーンとマイケルは自分たちが望む乳母役募集の広告をしたためるも、父はそれを破いて暖炉に捨ててしまう。しかし、その紙切れは雲の上の魔法使い、メリー・ポピンズ(ジュリー・アンドリュース)の元に届いて・・・

 

ポジティブ・サイド

ジュリー・アンドリュースの歌声の美しさ。そしてそれ以上に、彼女の演技力。決して優等生ではない子どもたちに接するに、優しさや包容力、ユーモアだけではなく、一定の厳しさ、威厳を以ってする乳母役を見事に体現した。これはそのまま『 サウンド・オブ・ミュージック 』のマリア役に結実したわけである。もちろん、ダンスの面でも卓越した技量を見せる。

 

だが、それよりもストリートパフォーマーにして煙突掃除人のバートを演じたディック・ヴァン・ダイクの歌唱とダンス、パントマイムには驚かされた。『 グレイテスト・ショーマン 』のヒュー・ジャックマンやザック・エフロンよりも、エンターテイナーとして上質なパフォーマンスを披露してくれたように感じた。特に、煙突掃除人の大集団を率いる形の歌とダンスは圧巻の一語に尽きる。『 マジック・マイク 』と『 マジック・マイクXXL 』のチャニング・テイタムでも渡り合えない(マジック・マイクはそもそも歌わない・・・)。特に夕焼けを背景に掃除人たちのシルエットが躍動するシーンは印象的だった。Jovianは今でも映画で最も衝撃的な体験といえば、『 オズの魔法使 』でモノクロがカラーに切り替わる瞬間を挙げる。映画は第一に映像の美しさ=光の使い方を追求すべきものだが、1960年代に、印象的な影の使い方があったのかと感心させられた。

 

小道具や特殊効果の使い方にも工夫と手間が見られる。部屋を片付ける魔法などは当時の映画製作技術からすれば、数時間ではとても撮れなかっただろうし、大砲の振動で家が揺れるシーンも、カメラを揺らして、それに合わせて小道具を落下させたりしていたはずだ。日本でも映画製作技術が発達したことで、例えばラドンやモスラやキングギドラを大人数でピアノ線で操演する技術は、ロスト・テクノロジーになってしまったと言われている。CGや特殊効果全盛の今、知恵と工夫で魅せる映画は逆に新鮮である。

 

ラストで、メリー・ポピンズが傘と共に帰っていくシーンには哀愁が漂う。しかし、それさえも54年ぶりの続編を予感させるものと受け止めれば、肯定的に映る。これは良作である。

 

ネガティブ・サイド

メリー・ポピンズ登場までが長い。何と開始から21分以上、メリー・ポピンズが姿を現さない。雲の上にいるのがちらりと映りはするものの、ディック・ヴァン・ダイクの熱演をもってしても、相当に長く感じた。このあたりのペース配分には一考の余地があったことだろう。

 

また、メリー・ポピンズ初登場シーンで、面接希望で長蛇の列をなしている女性たちを魔法で文字通りに吹き飛ばしたのは、参政権運動に熱を上げたり、職を求めたりする女性を貶める意図があってのことだろうか。時代が時代とはいえ、少し気になった。ロンドンでも当時は『 未来を花束にして 』のようなムーブメントが盛んだったのは間違いないが、それが(おそらく公開当時でも笑えない)ユーモアにされているのは、現代視点からするとさらに笑えない。

 

また、銀行家たちの貴族意識、選民思想に凝り固まった姿も鼻についた。Jovianのかつての同僚にヨークシャー出身のイングランド人がいたが、彼は時々、”Americans destroyed our English.”と言って、アメリカ人の文法的に破格な英語をネタにしていた。これはユーモアだが、本作に描かれる銀行家たちの歴史観は、ちょっと笑えない。もちろん時代背景が異なることは重々承知しているが、こういった考え方をいたいけな子どもたちに注入しようとすることの是々非々は、地域や時代に関わらず常に問われるべきことであろう。古今東西の古典的な名作と言うのは、時代を超えた普遍的なテーマに挑んでいるから、古典なのである。その意味では本作は傑作ではあれど古典ではない。

 

総評

1960年代は、伝説的なミュージカルが多く生み出された時代である。『 ウェストサイド物語 』、『 チキ・チキ・バン・バン 』、『 サウンド・オブ・ミュージック 』、『 マイ・フェア・レディ 』など。それらに優るとまでは言えないが、決して劣りはしない。エミリー・ブラントによる続編が上映されるまでにDVDや配信サービスで鑑賞しておくのは、悪い考えではないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, B Rank, アメリカ, ジュリー・アンドリュース, ディック・ヴァン・ダイク, ミュージカル, 監督:ロバート・スティーブンソン, 配給会社:ブエナビスタLeave a Comment on 『 メリー・ポピンズ 』 -1960年代ミュージカルの傑作-

『 クリード 炎の宿敵 』 -家族の離散と再生の輪廻にして傑作ボクシングドラマ-

Posted on 2019年1月18日2019年12月21日 by cool-jupiter

クリード 炎の宿敵 85点
2019年1月12日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:マイケル・B・ジョーダン シルベスター・スタローン テッサ・トンプソン ドルフ・ラングレン フロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ
監督:スティーブン・ケイプル・Jr.

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『 クリード チャンプを継ぐ男 』には、まだまだ追求すべきサブプロットがあった。アドニスのキャリアのその後はもちろん、ロッキーのホジキンリンパ腫、ビアンカのキャリアと聴力の問題、独りになってしまったメアリー・アンなどなど。それらを描きつつも、トレーラーが明かしたある名前に、ファンは騒然となった。運命の決着はいかに。

 

あらすじ

世界タイトルマッチの惜敗から、6連勝で世界ランクを駆け上がったアドニス(マイケル・B・ジョーダン)はついに世界ヘビー級タイトルを獲得する。その勢いのままにビアンカ(テッサ・トンプソン)にプロポーズ。ビアンカもほどなく妊娠し、アドニスは幸せそのものだった。しかし、そこに父アポロの怨敵、イヴァン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子、ヴィクター(フロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ)が現れ、アドニスに挑戦を表明する。勝負を受けるべきでないと判断するロッキー(シルベスター・スタローン)からアドニスは離反、ヴィクターとの対決に臨むも・・・

 

ポジティブ・サイド

毎度のことではあるが、ボクシング映画に出演してボクサー役を演じる役者には敬服するしかない。体作りやボクシング的なムーブの習得は生半可な努力では不可能だからだ。わけても本シリーズは、ボクシングのリアリティを特に強く追求する。それは実際にパンチを当てるからではない。ボクサーのメンタリティをよくよく表現しているからだ。そこに、家族を持たなかったアドニスが、家族を得て、そして自分が決して知ることがなかった父という存在に、自分が成ろうとするドラマが織り込まれる。そしてそれは、ロッキーにも当てはまることだ。偉大すぎる父を持つ息子は、反発してカナダに移り住んだ。息子がいながらも、息子に対して上手く接することができないロッキー。父がいないながらも、その父の影を追うアドニス。この父と子の関係に、ドラゴ親子のドラマが重層的に折り重なって来る本作は、ボクシング映画にしてヒューマンドラマでもある。その両者の融合にして極致でもある。『 エイリアン 』がSFとホラーの両ジャンルで頂点を極める作品であるように、本作もマルチ・ジャンルの作品として、一つの到達点に達していると称えたい。

 

冒頭でいきなりWBC世界ヘビー級タイトルマッチに挑むアドニスにクエスチョン・マークが浮かんだファンも多いだろう。前作ではライト・ヘビー級ではなかったか、と。しかし、HBOの実況に前作から引き続きマックス・ケラーマンとジム・ランプリーが登場、そして字幕や画面には出てこなかったが、コメンテーターとしてロイ・ジョーンズ・Jrを迎えていたことに思わずニヤリ。ライト・ヘビー級からヘビー級に“飛び級”して王座を獲得した実在のボクサーをリングサイドに置くことによって、アドニスの体重増と階級アップを説明しようというわけだ。ボクシングファンに向けたファンサービスであると同時に高度なアリバイ作りというわけで、再度ニヤリ。

 

それにしてもマイケル・B・ジョーダンの演技とボクシングは素晴らしいの一語に尽きる。メディアを前にしてのオープン・ワークアウトでは圧巻のミット打ちを披露するが、このわずか十数秒のために、何十時間、いや百数十時間は費やしてきたのではないか。それは本シリーズのみならず、すべてのボクシング映画出演者にも言えることだが、スタローンや『 サウスポー 』のジェイク・ジレンホールを超えたと評しても良いように思う。ボクサーの苦悩、それは打ちのめされての敗北にあるのではない。その姿を誰がどう見るのか。それが問題なのだ。苦労人・西岡利晃は世界王座防衛の旅に、娘をリングに上げていた。つまり、西岡は自らの雄姿を娘に見せたかったのだろう。では、アドニスは自分の雄姿を誰に見せたかったのか。そして誰に見せられなかったのか。前作のクライマックスで彼は父アポロの姿を想起することでダウンから立ちあがった。今作で彼が絶体絶命のピンチで想起するのは誰なのか。彼が体感した世界とは何だったのか。Jovianはそのシーンで鳥肌が立った。あまりにも的確で、なおかつそれがあまりにもドラマチックで、あまりにもシネマティックでもあったからだ。スティーブン・ケイプル・Jrという新人監督の力量は見事である。ほぼ新人だったライアン・クーグラーを見出したのと同様に、スタローンはこの偉才をどうやって見出したのか。その眼力の確かさには御見逸れしましたと言うしかない。

 

本作が単なるスポーツもの、ボクシングものに留まらないのは、アドニスとロッキーの関係以上に、イヴァン・ドラゴとヴィクター・ドラゴの親子関係に依るところが大きい。あまり細かく述べるとネタばれになるのだが、あの亀田親子を思い出せば分かりやすいのではないか。ボクシングによって挫折を味わった父(亀田父はそもそもプロになれなかったが)が、自らの息子にボクシングを叩き込む。そこに母親の姿は無い。しかし、その母親(ブリジット・ニールセン)が帰って来た。まるで『 レッド・ドラゴン 』で蘇った(という表現は正しくないが)チルトン博士と再会した時のような気持ちになれた。『 ビバリーヒルズ・コップ2 』以来だったか。スタローン・・・ではなく、ドルフ・ラングレンの妻役として華麗にリターンして、息子の心をかき乱す。ドラゴ親子のひたすらに内向きな関係性は亀田親子のそれとよく似ている。亀田史郎は対内藤大助戦で大毅に反則指示を行ったが、イヴァンはヴィクターにどんな指示を送ったか。そこを見て欲しい。そこにイヴァンと亀田史郎の共通点があり、その後の対応に彼らの決定的な相違が現れる。これ以外に納得のいく決着の方法は無かったであろう。

 

ネガティブ・サイド

意外なことにクライマックスを欠点に挙げたい。というのも、ここだけは誰が監督でもこうなるだろうと思える出来だったからだ。ケイプル監督が“Gonna Fly Now” を使ってのビジョンを描いていたのは間違いない。誰でもそうする。Jovianが監督したとしても間違いなくそうする。悔しいのは、それでも心動かされてしまったことだ。本作はアドニスが父を追い、父と重なり、そして文学的な意味での父殺しを果たす物語でもあるのだ。ロッキー映画の公式をぶち壊すぐらいのことをしてほしかった。それほど、陳腐にして完成度の高いクライマックスだった。おそらく、これ以上の物語は必要ない。続編を作るとすれば、それはスタローンの晩節を汚し、マイケル・B・ジョーダンのキャリアの汚点となるようなものになるだろう。

 

もう一つだけ弱点を挙げれば、ニューメキシコのロードワークのシーンが弱い。照りつける太陽、吹きすさぶ砂嵐、飢え、渇き、敗北のビジョン、そうしたものをモンタージュ的にもっと効果的に見せられなかっただろうか。『 ロッキー4 炎の友情 』の、雪原でのロッキーのトレーニングと対象的なところを見せたいという意図があったのだろうが、そこのところの描写に説得力が欠けていたように感じた。

 

総評

大小いろいろと欠点はあるものの、それは観る者が何を期待しているかによる。一つ言えるのは、これにてロッキー、そしてアドニスの物語は終わりであるということ。続編を作ってはならない。『 ロッキー5 最後のドラマ 』は毀誉褒貶の激しい作品だが、個人的には蛇足にして駄作だったと思っている。あれをリメイクする必要はどこにもない。折しもカナダの超人アドニス・ステヴェンソンがあわやリング禍というダメージを負った。アドニス・クリードにグローブを吊るせと言いたいわけではないが、これ以上のストーリーは悲劇にしかならない。ロッキー世界という一大ボクシング叙事詩の閉幕を、ぜひ大画面でその目に焼き付けるべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, シルベスター・スタローン, スポーツ, ヒューマンドラマ, マイケル・B・ジョーダン, 監督:スティーブン・ケイプル・Jr, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 クリード 炎の宿敵 』 -家族の離散と再生の輪廻にして傑作ボクシングドラマ-

『 クリード チャンプを継ぐ男 』 -The torch has been passed-

Posted on 2019年1月12日2019年12月21日 by cool-jupiter

クリード チャンプを継ぐ男 80点
2019年1月6日 レンタルBlu Rayにて鑑賞
出演:シルベスター・スタローン マイケル・B・ジョーダン
監督:ライアン・クーグラー

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『 猟奇的な彼女 』と言えば、腰の入ったパンチ。パンチと言えばボクシング、ボクシングと言えば『 ロッキー 』。その魂はアポロ・クリードの息子、アドニス・ジョンソンに受け継がれた。クリードの最新作に備えて、前作を復習鑑賞した。

 

あらすじ

アポロ・クリードの息子、アドニスは我流でボクシング技術を磨いていた。メキシコのティファナで連戦連勝するも、アメリカの世界ランカーにはスパーで一蹴されてしまう。アドニスは父、アポロと激闘を繰り広げ、盟友となったロッキー・バルボアの指導を仰ぐべく、フィラデルフィアにやってきた。エイドリアンやポーリーが世を去る中、イタリアン・レストランを独り切り盛りするロッキーは、アドニスに“虎の目”を見出して・・・

 

ポジティブ・サイド

アドニスと拳を合わせる相手にSuper Sixの覇者アンドレ・ウォード、ミドル級のゲートケーパー的存在ガブリエル・ロサド、そして英国のやんちゃ坊主、トニー・ベリューと本物のプロボクサーを豪華に配置。これだけでもボクシングファンには嬉しいキャスティング。スタローン映画『 エクスペンダブルズ3 ワールドミッション 』に出演したヴィクター・オルティズは映画に出たことでキャリアが下降してしまったが、ウォード、ベリューらは既にキャリアの最終盤に入っていた。そうした意味でも安心できた。現役ボクサーが映画に出ても、あまり良いことは無いのだ。WOWOWでExcite Matchを熱心に観ている人なら、マイケル・バッファやHBOのマックス・ケラーマンやジム・ランプリーの存在が更なるリアリティを生んでいると感じられるだろう。そのHBOも2018年末でボクシング中継から撤退。何とも景気の悪い話である。

 

閑話休題。本作には Eye of the Tiger は流れないが、字幕が良い仕事をしてくれる。その瞬間は絶対に見逃しては、いや聞き逃してはいけない。

 

マイケル・B・ジョーダンは本作と『 ブラックパンサー 』のキルモンガー役で完全にトップスターの仲間入りを果たしたと評しても良いだろう。スタローンもボクシングのシルエットがきれいだったが、ジョーダンは元々の身体能力+ボクシングセンスで、スタローン以上のボクシング的な動きを披露する。

 

中盤の試合のワンテイクは圧倒的である。ズームインやズームアウトがされていたので、どこかで合成、編集されているのであろうが、はじめて東宝シネマズなんばで鑑賞した時は魂消たと記憶しているし、今回の復習鑑賞でもやはり驚かされた。

 

初代の『 ロッキー 』がそうであったように、本作も単なるボクシングドラマではない。アドニスというサラブレッドが、何者にもなれずにいることのフラストレーション、世間が自分を見る目と自分は自分でしかないという認識のギャップに、ロッキーが語った「自分はnobodyだった」という言葉が蘇ってくる。家族を失ったロッキーと、家族を手に入れようとするアドニスの、何とも切ない邂逅の物語なのだ。ロッキーがアドニスに自らの魂を渡す瞬間、“Gonna Fly Now”のファンファーレが響き渡る!!もう、この瞬間だけで100点を献上したくなる。

 

『 ロッキー 』シリーズはこれまでに何度も観てきたが、今後もふと疲れた時、目標を見失いかけた時、心が折れそうになった時に、何度でも立ち返るだろう。特に1、2と本作は何度でも見返すことだろう。

 

ネガティブ・サイド

中盤のアドニスの試合のワンショットだが、実時間では1ラウンド3分ではなかったし、ラウンド間のインターバルも1分ではなかった。そんなことに拘っても仕方がないが、映画ファンでもありボクシングファンでもあるJovian的には非常に気になるところではあった。体内時計世界王者対決というテレビ企画もあったように、ボクサーは3分を肌で分かっているものだ。映画はリアリティの追求が生命なのだから、試合の時間についてもリアルを追求して欲しかったと思うのは、高望みをし過ぎなのだろうか。

 

そして、これは完全に無理な注文だと分かってのことだが、オープニングのMGM(Metro Goldwyn Mayer)のレオを、本作に限って虎に変えるは流石に無理か。『 ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』でも、オープニングの20th Century Foxのロゴのシーンの音をいじっていた。レオを虎には・・・やはり無理だろうか。これをもって減点すべきではないのだろう。

 

総評

ボクシングは最も歴史の古いスポーツの一つであると同時に、最も近代的なエンターテインメントでもある。アメリカのラジオ放送でニュース以外に初めて放送されたのは、ボクシングの世界タイトルマッチであった。そんなボクシングを題材にした物語が、面白くないわけがない。ましてや、この物語は『 ロッキー 』世界の出来事なのだ。ロッキーファンのみならず、広く映画ファンに勧められる傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, シルベスター・スタローン, スポーツ, ヒューマンドラマ, マイケル・B・ジョーダン, 監督:ライアン・クーグラー, 配給会社:ワーナー・ブラザーズ映画Leave a Comment on 『 クリード チャンプを継ぐ男 』 -The torch has been passed-

『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

Posted on 2019年1月5日2019年12月20日 by cool-jupiter

ボヘミアン・ラプソディ 85点
2019年1月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ラミ・マレック ルーシー・ボーイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョセフ・マッゼロ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ
監督:ブライアン・シンガー

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2018年11月17日に大阪ステーションシネマで鑑賞した『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“胸アツ”応援上映を体験。『 シン・ゴジラ 』の時にも大都市圏で実施された発声可能上映とだいたい同じと思えばよろしい。映画自体の感想は変わらない。むしろ、repeat viewingによって各シーンの構図やカメラアングルの意味がよりはっきりと伝わってくる。複数回劇場に足を運ぶ人が多くいるというのもむべなるかな。

 

Jovianは嫁さんと観に行ったが、劇場の入りは1割程度だっただろうか。箱の大きさに対して観客数も少なく、また実際にスクリーンに字幕が表示されるパートは大音量なので、かなり叫んだつもりでも、囁き程度にしか聞こえなかった。これは自分も嫁さんも確認している。それにしても客の入りとは関係なく、こうした試みはどんどん広がるべきであると思う。映画館に行くというのは能動的な営為であっても、映画を鑑賞するというのは極めて受動的な営為だ。しかし、そこに発声や手拍子、足踏みなどが加われば、受動でありながら能動のエンターテインメントが出来上がる。

 

問題があるとすれば、劇中の楽曲はすべてのパートが歌唱され、演奏されるわけでもない。またきれいにフェードアウトしてくわけでもないため、大声で歌っていると、いきなり画面が切り替わって、劇場内に自分の声が響き渡る、ということもありうる。「でもそんなの関係ねぇ」な小島よしおな人は、“胸アツ”応援上映を体験すべきだ。目立つのはちょっと・・・という控え目な人は、途中の “We Will Rock You” のシーン、最後のライブ・エイドのシーンで思いっきり絶叫すればよい。Jovianはそうさせてもらった。特に “We Are The Champions” では涙腺決壊必定である。嫁さんと二人で涙を流し、声に詰まりながら、何とか歌い切った。英語(に限らず、たいていの言語)には Editorial We と呼ばれる語法が存在する。新聞記事などで「~~~であると思われる」という、あの表現である。また書き言葉以外でも、特にメディアの質問やインタビューでも盛んに用いられるということは『 響 -HIBIKI- 』のレビューでも示した通りである。知らず知らずのうちに読者や視聴者を著者や話者の視点に包含するわけだ。フレディの抱える劣等感、葛藤、苦悩・・・ 我々はいつの間にか彼と同化する。心に闇を抱えない者がいようか。そうした懊悩の全てが We are the champions という歌詞と歌唱と共に吹き飛ばされていったように感じられた。なんというカタルシス!

 

観終わった後、隣の座席の母娘の会話が漏れ聞こえてきた。「お母さん、ゲイって何?」娘の方はおそらく小6~中1ぐらいだっただろうか。おそらく本作をきっかけに、このような会話が日本の津々浦々で交わされたに違いない。これは、クイーンというバンドの生み出した音楽の力を称揚するだけの映画では為し得ないことだ。受け手にしっかりと考えるきっかけを与える映画である。さあ、あなたも時間と懐に余裕があれば“胸アツ”応援上映に Go! である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ラミ・マレック, ルーシー・ボーイントン, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 』 -Life is all about how you carry your mind-

Posted on 2019年1月3日2019年12月7日 by cool-jupiter

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 65点
2018年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エイミー・シューマー ミシェル・ウィリアムズ ナオミ・キャンベル
監督:アビー・コーン マーク・シルバースタイン 

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原題は ”I Feel Pretty” である。そう聞けば『 ウェスト・サイド物語 』の同名の歌が思い浮かぶ。見目麗しくあることは常に世の女性の目標であり、それが同性からも異性からもプレッシャーとなって彼女らに重く圧し掛かる。しかし、美しさの定義とは何なのか。それは定量的に測れるものなのか。それともきわめて主観的な尺度なのか。美しい女が恋をするのか、それとも恋をするから美しくなるのか。本作は極めて普遍的なテーマを扱っている。

 

あらすじ 

レネー・ベネット(エイミー・シューマー)はぽっちゃり女子。職場は有名ブランド化粧品会社の通販部だが、オフィスはチャイナ・タウンの薄暗い地下倉庫。何とか自分を変えようとジムの扉を叩いたエイミーは、エアロバイクで大ハッスルするも、バイクが破損し、転倒。頭を強打してしまう。意識を取り戻したエイミーは、しかし、鏡に映る自分を見て、絶世の美女になったと信じ込んでしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

まず主演を張ったエイミー・シューマーを称賛したい。『 ピッチ・パーフェクト 』のファット・エイミーを超えるキャラクターを世に送り出してきたからだ。元々がコメディアンであるということだが、『 アリー / スター誕生 』のレディー・ガガのように、役者でない人間が演じるということが少しずつ一般的になって来ているようだ。エイミーの演技の素晴らしさは、その表情や行動、立ち居振る舞いの変化に見て取れる。視線、口角の上がり下がり、歩き方、口調、身振り手振りの一つ一つが、まるで別人であるかのように観る者を惑わせ、驚かせる。コメディとは面白いもので、面白いものとは笑えるものだ。笑いは、自己と対象の距離がずれた時に生じるが、そういう意味ではコメディアンは役者の素養があるとも言える。

 

日本でもお笑い芸人が映画に出演することが増えて来ているように感じるが、これは悪い傾向ではないだろう。クラシカル音楽のバックグラウンドが無い者がハリウッド映画の音楽をどんどんプロデュースするこの時代、役者に○○をさせる、ではなく○○できる者に役者をやらせる、という発想があっても良い。そうした突飛な発想で成功したのが、WWEの悪のオーナー、ビンス・マクマホンではなかったか。役者にプロレスをさせるよりも、プロレスラーに役者をさせることでアメリカのマット界は一気にエンターテインメント性を確立した。同時にドウェイン・ジョンソン、デイヴ・バウティスタらを役者として世に送り出した。日本の映画界の中でも外でも、もっと異業種交流が進んで欲しいと思う。ハリウッドの新陳代謝の良さを印象付けるという意味でも良作であると評価できる。

 

エイミーの上司を演じたミシェル・ウィリアムスも味わい深かった。元々演技力の高さは折り紙つきだったが、今作では妙に甲高い声にコンプレックスを持つ抱く女性経営者を好演している。声というのは不思議なもので、ある意味では容姿以上に人物を特徴づけることがある。そのことはクリスチャン・ベイル、そしてベン・アフレック演じるバットマンによく表れている。かといってそれだけが特徴というわけでもない。『 プラダを着た悪魔 』のミランダを正反対にしたようなキャラを、その頼りなさそうな表情、そしてルネーの忌憚のない意見に真剣に耳を傾ける姿勢、そしてその時に目の奥に宿る力強い光でもって、見事に体現していた。『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』の好演は伊達ではなかった。

 

ネガティブ・サイド

残念ながらクライマックスへ向かっての盛り上がりが弱い。レネーが超絶ポジティブ・シンキングで仕事に恋に大ハッスルして、エスタブリッシュメント層への階段を駆け上がっていく様は痛快ではあるが、そこでいわゆる嫌な女に変身してしまう必要性はあったのだろうか。いや、それが物語をより面白くするのであれば良い。しかし、本作のクライマックスでよりカタルシスを感じさせるのであれば、レネー目線のアドバイスや指摘がいつの間にか普通の女の子目線ではなくなっていく、という方が良かったように思う。

 

もう一つ、ミシェル・ウィリアムスのキャラの弟がもう一つ弱い。レネーの恋人になる男との対面シーン、会話シーンなどは元々脚本になかったか、編集でカットされてしまったのか。レネーのロマンスが絶好調になるのは良いとしても、そのことが思わぬ副産物を生み出してしまうことで、さらなるコメディもしくはドラマが展開されるポテンシャルがあったはずなのだ。これはしかし、尺の関係で泣く泣く削られてしまったというのが真相であろうが。

 

総評

近年は『 スリー・ビルボード 』、『 女神の見えざる手 』、『 ワンダーウーマン 』、『 ドリーム 』、『 パティ・ケイク$ 』など、アウトサイダーでありながらも独立不羈の精神を持つような女性に光を当てる作品が多く創り出されるようになってきた。本作もその系譜に連なる非常に軽快なコメディである。『 プラダを着た悪魔 』のアン・ハサウェイを『 ブリジット・ジョーンズの日記 』のブリジットに置き換えたような話だと乱暴にまとめてしまえば、食指が動く向きも多いと思われる。さあ、あなたもルネーを応援しよう。自分のまま、自分で自分を今よりちょっぴり好きになろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, エイミー・シューマー, ナオミ・キャンベル, ヒューマンドラマ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:アビー・コーン, 監督:マーク・シルバースタイン, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 』 -Life is all about how you carry your mind-

『 ロッキー4 炎の友情 』 -政治的なメッセージ以上のメッセージを持つ作品-

Posted on 2019年1月1日2019年12月7日 by cool-jupiter

ロッキー4 炎の友情 65点
2018年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シルベスター・スタローン タリア・シャイア カール・ウェザース ドルフ・ラングレン
監督:シルベスター・スタローン

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12月25日はクリスマスである。クリスマスと言えば、『 ホーム・アローン 』や『 ナイトメア・ビフォア・クリスマス 』ではなく『 ロッキー4 炎の友情 』なのである。どこかに昔、WOWOWで録画したロッキーシリーズのDVDがあるはずだが、探すよりも借りてきた方が早いと思い、近所のTSUTAYAに行ってきた次第。

 

あらすじ

かつて死闘を繰り広げたロッキー(シルベスター・スタローン)とアポロ(カール・ウェザース)は友情を育み、悠々自適の生活を送っていた。そんな中、ソビエト連邦からイヴァン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)がアメリカにやって来て、ロッキーと戦いたいとの意向を表す。アポロはロッキーではなく自分こそがドラゴと闘うとリングへ復帰、エキシビションに臨むもドラゴの強さの前に沈み、リング禍となってしまった。ロッキーはアポロとの友情に応えるべく、妻エイドリアン(タリア・シャイア)の制止を振り切り、ドラゴの待つソビエトに向かう・・・

 

ポジティブ・サイド

あらためて見返して、ドルフ・ラングレンがスタローンよりもボクシングの型が整っていることに感心する。もちろんアマチュアのバックグラウンドがあるというキャラ設定によるものだが、普通にボクシングをやっていてもアメリカで8回戦ぐらいまではいけたのでは?と思わせる。昔も今も、ロシア人のボクサーは得体の知れない雰囲気を纏っている。日本と縁の深いボクサーで言えば、勇利アルバチャコフや、長谷川穂積も対戦を避けたサーシャ・バクティンなどが当てはまる。例外は池原信遂に貫禄勝ちしたウラジミール・シドレンコぐらいか。そうした不気味なソビエト人を、その図体と表情と無骨な喋りで演じ切ったラングレンに喝采。

 

ロッキーのトレーニングシーンも良い。もはや定番、クリシェと化しているトレーニング・シーンのモンタージュであるが、最新科学理論に基づき、機器を用いての効率的トレーニングを積むドラゴと、あくまで原始的なトレーニングに打ち込むロッキーのコントラストが、 ”Heart’s on Fire” に実にマッチする。ここでのロッキーのトレーニング風景は、Jovianが勝手にヘビー級プロボクサー史上最強(≠最高)と認定しているビタリ・クリチコのトレーニングとそっくりである。腹筋、雪中のランニング、丸太運び、薪割りと、笑ってしまうほどのシンクロ率である。ウクライナ人のビタリとアメリカ人のロッキーの不思議なトレーニング風景の一致は、現実(リアル)と映画(フィクション)の境目を曖昧にし、2018年という時代に見返してみた時、映画に更なる説得力(リアリティ)を持たせることに成功している。もちろん、“Burning Heart”はこれまでも、今も、これからも多くのプロボクサーに愛される名曲である(亀田興毅除く)。

 

本作の持つテーマには実に危ういものがある。友情は命に勝るのか。そして、アスリートは代理戦争を闘うべきなのか。前者に関しては分からない。しかし、後者に関しては今ならYesと言える気がする。イディ・アミンはある意味で正しかったと思う。紛争であれ戦争であれ、何らかの形で大規模な軍事力の衝突を引き起こすのなら、それらの国の首脳が殴り合えばよい。Jovianは大学時代にデンマーク人の友人から、「サッカーってのは疑似戦争なんだ!」と熱弁を振るわれたことがある。それはボクシングにも当てはまることで、近年の例で言えば、やはりフィリピンの英雄マニー・パッキャオ。彼がメキシコ人(フィリピン人からするとメキシカンはスペイン人のようなものらしい)やアメリカ人をぶっ倒すたびに国中がお祭り騒ぎになっていた。それはフィリピンがスペイン、日本、アメリカの実質的な植民地、属国になっていたという歴史と大いに関係がある。アメリカのアクション映画や戦争映画は9.11を境に大きく変わったと言われる。アンジェリーナ・ジョリーの『 トゥームレイダー 』が無邪気なアクション映画としては最後の作品であると考えられている。本作はもちろん、無邪気な映画。しかし、そんな無邪気な映画であるからこそ、あちこちに火種の燻る現代の世界を考えるに際して、ヒントになるものがあるように思えてならない。

 

ネガティブ・サイド

フィラデルフィアのロッキー・ステップが映されないとは何事か。監督スタローンに喝!

 

あのポーリーに贈った家政婦的なロボットはいったい何を象徴しているのだろうか。どう考えても、当時のアメリカの楽天主義丸出しの未来予想図にしか思えない。最新科学をトレーニングにしっかりと反映させるソビエトに対して、ロッキーは原始的なトレーニングに拘る。しかしそれはロッキーがロッキーだからであって、アメリカは決して科学技術においてソビエトに後れをとっているわけではありませんよというポーズなのだろうか。

 

そして日本版の副題をつけた配給会社に喝!なんでもかんでも『 炎の~ 』にするのが当時のトレンドだったのは分かる。音楽シーンでもマイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のように、何でもかんでも『 今夜は~ 』という日本語をつけてしまう時代だったのは確かだ。映画の『 ランボー 』シリーズにしてもそうで、何でもかんでも『 怒りの~ 』にすればよいというものではない。スティーブン・セガールの映画がやたらと『 沈黙の~ 』になってしまったように、日本の映画配給会社は一度前例ができてしまうとそれを変えたがらない。まるで官僚のようだ。映画本編とは関係のないところで陰鬱な気分にさせられてしまった。

 

総評

シリーズの中でもモスクワで闘うという異色の展開を見せる作品である。ロッキー映画の方程式は維持しているものの、舞台のほとんどがフィラデルフィアでないことに釈然としないファンも多かろう。しかし、『 クリード 炎の宿敵 』の日本公開が間近に迫る今、復習の意味で鑑賞する意義は充分に認められる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, C Rank, アメリカ, カール・ウェザース, シルベスター・スタローン, スポーツ, タリア・シャイア, ドルフ・ラングレン, ヒューマンドラマ, 監督:シルベスター・スタローン, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 ロッキー4 炎の友情 』 -政治的なメッセージ以上のメッセージを持つ作品-

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