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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

Posted on 2020年1月27日2020年2月9日 by cool-jupiter
『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

キャッツ 25点
2020年1月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:フランチェスカ・ヘイワード テイラー・スウィフト
監督:トム・フーパー

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『 マンマ・ミーア! 』のレビューで「Jovian個人が選ぶオールタイム・ベストのミュージカルは『 オズの魔法使 』と『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』で、次点は『 ウエスト・サイド物語 』」であると述べた。それらに続くのが『 オペラ座の怪人 』と『 キャッツ 』である。両親が劇団四季・友の会の会員だったのだ。劇は確か5回観た。サントラはオリジナル・ロンドン・キャストで数限りなく聞いた。その上で言う。これは映画化失敗である。

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あらすじ

ロンドンの片隅。新参猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)が迷い込んだのは年に一度のお祭り、ジェリクル・ボールだった。オールド・デュトロノミーによって選ばれた一匹の猫は天上に昇り、新たな生を得るのだ。その座を競って、猫たちは夜を徹して歌い、踊って・・・

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ポジティブ・サイド

オールド・デュトロノミーを雌に変えたことに最初は戸惑ったが、これはこれでありだろう。英語では、猫の人称(猫称?)代名詞はしばしばsheになるし、イングランドに君臨するのは女王である。ロンドンの猫たちの頂点が雌であっても不都合は何もないし、それぐらいの設定変更をしないと、映画化の意義もない。実際にジュディ・デンチは良かった。

 

また、アスパラガスをイアン・マッケランに演じさせるというのはキャスティングの大いなる勝利である。老人が時代を嘆くのは滑稽かもしれないが、それを実力者が演じることで大いに説得力が増している。

 

アンドリュー・ロイド・ウェバー御大とテイラー・スウィフトの手による“Beautiful Ghosts”は言葉で説明するのが難しいほどに感情を揺さぶる音楽であり歌詞であり歌唱である。劇中で歌うヘイワードとエンディング・ロールで歌うテイラーに最敬礼する。

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ネガティブ・サイド

見た目や動きの気持ち悪さは英語でも日本語でも死ぬほど語られているので、敢えてJovianが触れるまでもないだろう。ジェニエニドッツとゴキブリどもとの大きさの比率がおかしいし、水を飲むバストファー・ジョーンズの顔が一切濡れないのも不自然である。どうしても言わないと気が済まないのはこれぐらいか。

 

夜中~深夜にかけて街中を散歩していると、公園の砂場で猫たちが集会を開いている場面に遭遇することがある。そうした経験のある人は多いだろうし、人からそのような話を聞いたことがある人も多いことだろう。その中には首輪をした猫もいれば、ボロボロに傷を負った野良もいるのである。まさかジェリクル・ボールを本当に開いているとは思わないが、それでも猫たちの営為には、人知の及ばないミステリアスな領域が常に存在しているようである。『 キャッツ 』というのは、そうした人間の与り知らない猫の世界の物語である。であるにも関わらず、オープニングでいきなりロンドンの街のネオンライトを浴びながら自己紹介をしていく猫たちに強い違和感を覚えた。“月明かりの中”で密やかに、しかし盛大に行われるのがジェリクル・ボールではないのか。夜目が効く猫があんな光を浴びたら動けなくなるのではないのか。というか、人間の世界の片隅で繰り広げられるドラマのはずが、人間の世界のど真ん中で行われるかのような演出を入れるのには感心しない。舞台演出をそのまま映像にしてしまうとシネマティックにならないというフーパー監督の判断なのだろうが、それは間違っている。映像的に煌びやかであることと、それが素晴らしいものであるということは必ずしもイコールではない。キャッツのような物語は特にそうである。

 

色々と演出にも首尾一貫性がない。ジェニエニドッツが躾けるゴキブリやネズミの寸法がおかしかったかと思えば、バストファー・ジョーンズの言う高級クラブ通いは実際は高級残飯漁りという猫の生活のリアルさを描いている。一方で、舞台版ではスキンブルシャンクスが車掌を務める“魔法列車”はゴミとして捨てられた廃品の寄せ集めで作られたものという、これまた猫の生活のリアルさを表現していた一方で、こちらの映画では本物の線路に本物の鉄道を見せていた。なぜ人間の領域に出てくるのだ?ロンドンの片隅でこっそりやってくれ。シネマティックな演出をするなら、猫のリアルな生態とミステリアスな側面を絶対に外してはいけないのである。

 

マキャビティとグロールタイガーが手を組むというのも妙に感じた。犯罪世界のナポレオンが海賊と組むか?フーパー流の新規の味付けなのだろうが、これは個人的には受け入れられなかった。またイドリス・エルバ演じるマキャビティがどこかユーモラスになってしまっていたのも減点対象である。神出鬼没で猫世界のルールもお構いなしというのが、マキャビティの魅力であり、怖さでもあった。それが生まれ変わりを切望して、オールド。デュトロノミーを脅迫するチンピラに成り下がるとは・・・ 舞台版ではジェリクル・キャッツ候補たちが総力を結集して追い払う悪の権化が、なんともみみっちく矮小化されてしまったという印象である。

 

ハイライトであるはずのグリザベラが歌う“Memory”のシークエンスにも不満である。心の底からの“TOUCH ME!”という悲痛ともいえる叫び、そして歌い終わって、猫たちに背を向けながらも、後ろに手をそっと差し出し、誰かがその手に触れてくれるのを恐る恐る待つグリザベラ、そこにデュエットを歌ってくれたシラバブがグリザベラの手をそっと撫でる。そして猫たちが次々にグリザベラに触れていくという、あの流れが感動を呼ぶのではないか。天に昇る猫を選ぶのはオールド・デュトロノミーだと言いながらも、その場の猫たち全員がデュトロノミーの宣告を待たずにグリザベラを認めるという、あのシークエンスが胸を打つのではないか。それを序盤からヴィクトリアがべたべたとグリザベラに触り、あまつさえジェリクル・ボールに招き入れる。違う。ボロボロに打ちひしがれていながらも、それでも誰かに触れてほしい、抱いてほしいというグリザベラの勇気と圧巻のパフォーマンスが我々の心を震わせるのである。無理やり連れてきてはいけないのだ。なぜトム・フーパーとリー・ホールはこのような脚本を書いてしまったのか。理解に苦しむ。最も感動的であるはずのシーンで萎えてしまうった。おそらく舞台『 キャッツ 』を愛する人の多くが、このように感じたのではないだろうか。

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総評

舞台版をこよなく愛する人と、本作を映画で初めて観る人によって、評価はガラリと変わるのだろう。実際にJovianの嫁さんはミュージカルを未見の状態で本作を鑑賞し、高い評価を与えていた。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』の評価が割れているのも、従来通りの物語を期待するファンと、新世代の物語を期待するファンの間で評価が割れていて、それが予想以上の低評価につながっている。SWでは後者の勢力がマジョリティであるが、本作『 キャッツ 』では前者の勢力が優勢なようである。舞台版『 キャッツ 』を愛する人は、期待をせずに劇場へ向かわれたし。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ghost

幽霊、の意ではない。テイラー・スウィフトが歌う“Beautiful Ghosts”というのは、おそらく Beautiful Ghosts(from the past)のことかと思われる。a ghost from the past は「過去の亡霊」という意味ではなく、「長らく出会っていなかった過去の知り合い」ぐらいの意味である。生まれ変わるグリザベラに「あなたはこれだけ多くの素晴らしい猫たちに祝福された」というメッセージを送っている・・・のだと思う。猫とポエムを真面目に解釈しようとしてはいけない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, イギリス, テイラー・スウィフト, フランチェスカ・ヘイワード, ミュージカル, 監督:トム・フーパー, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 キャッツ 』 -映画化の意義を捉え損なっている-

『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

Posted on 2020年1月24日 by cool-jupiter

ブラックホール 65点
2020年1月23日 INTERNET ARCHIVEにて鑑賞
出演:マクシミリアン・シェル ロバート・フォスター
監督:ゲイリー・ネルソン

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小学校5年生ぐらいの頃、実家にあったVHSで観た。テレビでも何度か放映されたように記憶している。ずんぐりむっくりのV.I.N.CENT.がR2-D2的でとても可愛らしかった一方で、初めてマッド・サイエンティストという存在に触れたのも今作だったように思う。こちらの方が後発作品だが、『 ソイレント・グリーン 』の真相に驚かなかったのは、本作を先に観たからだと自己分析している。

 

あらすじ

地球外に新天地を求める航行に出たホランド船長(ロバート・フォスター)らクルーは、超巨大ブラックホール近傍にシグナス号を発見する。ラインハート博士(マクシミリアン・シェル)は、シグナス号で孤独にブラックホールの謎を解き明かすために研究開発をしていたというのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

謎の天体ブラックホールの姿がはじめて観測されたとのニュースが近年あったが、今作で示されるブラックホールの姿は、我々の感覚的なものに近い。科学的に正しい姿ではないかもしれないが、我々がイメージするブラックホールは、『 インターステラー 』の黒い球体ではなく、こちらの渦巻く降着円盤を備えた“穴”である。

 

またテレパシーが存在する世界観も悪くない。宇宙に飛び出すことで人類の一部が新たな環境に適応し、進化するということはありうる。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプは、本作のケイトから着想を得たものだったとしても不思議はない。

 

世捨て人かつマッド・サイエンティストのラインハート博士は『 アド・アストラ 』のトミー・リー・ジョーンズを思い起こさせる。というよりも、乗員を犠牲にし、無限の虚空で独り内的な世界に閉じこもる老科学者像という点で、彼ら二人は全く同じである。ラインハート博士は、現代においてもインスピレーションの源になっているのかもしれない。

 

本作は一部ホラー映画である。特にヒューマノイドの頭部・顔面が鏡面になっていて、「話せるのか?」と尋ねるハリーの顔が映り込む姿は、否が応にも観る側の不安と恐怖を駆り立てる。これはなかなか上手い演出である。

 

終盤のV.I.N.CENT.とマクシミリアンの一騎打ちは手に汗握る対決である。ロボットとロボットの対決としては、SF映画史においてもかなりユニークなものだろう。その後の脱出のシークエンスは山本弘に影響を与え、小説『 アイの物語 』の「ブラックホール・ダイバー」のヒントになった・・・かもしれない。

 

エンドクレジットに映るダイヤモンド・リングは、間違いなく偶然の一致だろうが、実際に撮影されたブラックホールの画像と不思議によく似ている。オープニングと同じくジョン・バリー作曲の不気味なシンフォニーが、ブラックホールという謎の天体の不可解さを最後まで際立たせている。

 

ネガティブ・サイド

子どもの頃に何度か観た時は、「スケール大きいなあ」と素直に感心できていたが、おっさんになって再鑑賞してみると「先行作品のパクリが目立つなあ」となる。パクリという表現はディズニーを刺激しかねないので、オマージュと言い換えるべきか。『 スタートレック 』『 スター・ウォーズ 』の宇宙船内の造形にそっくりだし、超弩級宇宙船シグナス号の船体をサーチライトで照らしながら、その巨大さを強調しつつ、光の当たらない闇の部分の多さを強調するのは、『 エイリアン 』の宇宙船ノストロモ号の見せ方と同じ。この船はやばいですよと視覚的に教えてくれているが、その方法は陳腐である。というか、これらもすべて『 2001年宇宙の旅 』をちょっと味付けしなおしたものだ。制作・公開当時でも、オリジナリティは感じられなかったことだろう。

 

また行進するヒューマノイドの部隊の目を避けて脱出しようとするシーンや、隊列を組んだヒューマノイドとの赤いレーザービームでの銃撃戦は『 スター・ウォーズ 』のパクリだろう。ここまでくるとオマージュではすまない。

 

またラインハート博士が生涯をかけて解き明かそうとしているブラックホールの謎のかなりの部分は、実はすでに解けているのではないか。V.I.N.CENT.もB.O.B.もマクシミリアンも半重力装置によって浮遊している。つまり、キグナス号でラインハートが開発したとされるブラックホールの重力を遮断する技術は、彼以前に発明され、実用化されている。しかも、ブラックホールの重力を遮断するどころか、それを無効化し、逆らってすらいる。クライマックスでV.I.N.CENT.がチャーリーを救い出しているのが、その証拠である。この設定、科学的な考証の破綻は当時の知識水準でも指摘できたはずだ。

 

総評

多くの優れた先行作品のおいしいところを大胆に取り入れ、その後に続く数々のSF作品に影響を及ぼしと思しき作品である。ディズニーは黒歴史にしているのかもしれないが、実験的な作品としては高いクオリティを持っていると感じる。現代のCGだらけの映像よりも、特撮は目に優しいし、実物感や実在感がある。英語リスニングに自信がある、またはストーリーをよく知っている、過去に何度も観たことがあるという人は、INTERNET ARCHIVE で鑑賞してみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I told you.

「言わんこっちゃない」、「だから言ったのに」の意味である。I told you so. とも言う。自分が注意、警告したにもかかわらず誰かがやらかしてしまった時に、心の中で唱えよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, C Rank, SF, アメリカ, マクシミリアン・シェル, ロバート・フォスター, 監督:ゲイリー・ネルソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

トップガン 90点
2020年1月22日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:トム・クルーズ
監督:トニー・スコット

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『 ティーンスピリット 』が個人的にイマイチだったので、なにか音楽+ドラマで盛り上がれそうなものをAmazonで漁っていたら、本作に行き着いた。確か親父が買ってきたVHSを一緒に観ていたら、ラブシーンを早送りされたんだったか。今年は続編も公開予定なので、ちょっと早めの復習鑑賞を。

 

あらすじ

F-14パイロットのマーベリック(トム・クルーズ)は無鉄砲な操縦を繰り返す海軍の問題児。そんな彼と相棒のグースはエリート養成機関「トップガン」に送り込まれる。他の部隊の腕利きや教官との衝突や、民間人アドバイザーのチャーリーとのロマンスを通じて、マーベリックは成長していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

本作も通算では6~7回は観ているように思う。確か二度目に観たのは大学4年生ぐらいの時で、戦闘機のカッコよさにしびれて、ゲームの『 ACE COMBAT 04 shattered skies 』を衝動的に買って、かなりハマってしまったんだった。さらにつられて、漫画『 エリア88 』や『 ファントム無頼 』も古本屋で全巻買ったんだったか。

 

MiGがA-4スカイホークなのはご愛敬。本作の面白さの一つは、戦闘機のリアルさにある。ゲームのAce Combatさながら(というか、ゲームが映画を真似ているのか)、本物の戦闘機のジェットエンジン音を使うことで臨場感が増す。そのおかげで、本物のF-14やA-4の飛行シーンと模型を使った撮影シーンが混在していても違和感がない。近年の映画では戦闘機などもCGで描かれるが、その挙動に空気感がない。空気抵抗と言ってもいい。泳ぐように空を飛ぶと言うと変だが、実際の飛行機で戦闘機動(combat maneuver)を行えば、そういう挙動になるものだ。本作はCGが発達していない1980年代の制作ゆえに逆に臨場感と迫真性が生まれている。撮影に協力したアメリカ空軍と海軍のパイロットに満腔の敬意を表したい。また、空母から飛び立つF-14を誘導するクルー、カタパルトをチェックするクルーなど、空を飛ばない人たちの存在もしっかりとフィーチャーされているところもポイントが高い。『 エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー 』の空母ケストレルからの最初の発艦シーンは、本作へのオマージュであることは間違いない。

 

酒場でのパーティーやビーチバレーなども刹那的な青春を感じさせる。いつ死ぬか分からないパイロットの生態を上手く表していると感じたし、中盤まではゲイなのかと思うほど互いにベッタリなマーベリックとグース、アイスマンとスライダーのコンビは、『 ファントム無頼 』の神田と栗原のようである。彼らの友情と衝突と別れ、そしてチャーリーとのロマンス、父の死の真相など、ドラマパートも大いに盛り上がる。それらに主に80年代のヒットソングが彩りを加えている。特に“Take My Breath Away”、“Danger Zone”、“Mighty Wings”、“Top Gun Anthem”は本作のトーンに絶妙にマッチしている。マイケル・ジャクソン以来、音楽と映像の関係は密接不可分なものに昇華したが、これほど歌と映像が見事にコラボしている作品80年代では、『 ロッキー 』シリーズの“Eye of the Tiger”と“Burning Heart”ぐらいだろうか。

 

クライマックスの空中戦の迫力と臨場感は圧巻である。友の死、父の死、そして自らの死の恐怖を乗り越えて、数で勝る敵機に立ち向かっていくマーベリックの雄姿に、アドレナリンが過剰分泌される。そしてオーバーシュートさせてからの敵機撃墜で、血圧と心拍数はマックスとなる。軍事的な考証などは考えなくていい。戦闘機映画としても、ビルドゥングスロマンとしても、音楽と映像のコラボレーションの面でも、20世紀の映画作品の中でも最高峰の一つと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

せっかく戦闘機の挙動が真に迫っているのだから、訓練や実戦の際にもパイロットやRIOにGを感じるシーンや演出が欲しかった。それがあれば更にリアリティが増したことだろう。

 

あとはMiG-28にもっと似た飛行機を採用できていれば・・・。

 

総評

頭を空っぽにして2時間楽しめる映画である。音楽もいい。40代以上なら、ノスタルジーを感じさせる楽曲が多いだろう。様々な要素を詰め込みながら、テンポが緩まず、ドラマもしっかり盛り上がる。続編の『 トップガン マーヴェリック 』も2020年7月に公開予定とのこと。Jovianは、親父を誘って観に行こうと思っている。父親が息子を誘ってもよいし、祖父が孫を映画館に連れて行ってやるのもありだろう。たとえ続編が駄作だったとしても、本作の価値はいささかも減じることはない。世代を超えて観られるべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is what I call ~

That is what I call ~ もある。「これでこそ~だ」のような意味合いで頻繁に使われる表現である。とても美味しい寿司を食べて、「これぞ寿司だ」と思ったら、

“This is what I call sushi.”

「これこそ正にアクション映画だ!」と思ったら、

“This is what I call an action movie!”

会議でブレストが上手く行っていたら

“This is what I call brainstorming.”

何度か使えば身につくので、状況に応じて使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ロマンス, 監督:トニー・スコット, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

ウォーリー 85点
2020年1月21日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ベン・バート
監督:アンドリュー・スタントン

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Jovianはアニメーション映画をそれほど好まない。アニメ映画は、それなりに鑑賞する。アニメーション=映像を主眼にする。アニメ=ストーリーテリングを主眼にする。手塚治虫にならって、そのように区別したい。その意味では、本作はアニメーションとアニメ、両方の分野における極北である。まさに炉火純青である。

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あらすじ

人類が宇宙に旅立った後の荒涼とした地球で、ロボットのウォーリー(ベン・バート)はゴミ収集に明け暮れていた。唯一の友だちはゴキブリのハル。だが、ある日、空から宇宙船がやってきて、探査ロボット、イヴを置いていった。イヴに一目惚れしたウォーリーは、何とかイヴとコミュニケーションを取ろうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

ピクサー作品はLA行きの機内で観た『 モンスターズ・インク 』が個人的にさほどでもなかったので、以来長きにわたって敬遠していた。しかし、先日訪れたピクサー展の内容をつぶさに見て、その技術の粋に感銘を受けた。そして、ストーリーが最も面白そうな本作を借りてきた。その判断は間違いではなかったと思う。これは文句なしの傑作である。

 

オープニングから数十分、セリフが全くない。これだけで名作の予感がする。『 続・夕陽のガンマン 』もそうだった。テレビドラマではないのだから、映画は映像でもって物語を語らしめるべきである。『 グリンチ(2018) 』のアニメーションも美麗だったが、ピクサーはその一段上を行っている。その技術の高さについては、関西在住の方は大阪梅田のグランフロントでピクサー展を行っているので、そちらに行かれたし。このクオリティのCG画像が2008年のものだとすると、現在のピクサーの技術水準はどのあたりにあるのだろうか。それとも、時間とカネと人手をかければ、どこの組織や会社でも、この画のレベルに到達できるのだろうか。

 

それにしてもウォーリーというキャラクターの可愛らしさよ。それは外見から来るものではない。人によっては見方は様々だろうが、パッと見ではウォーリーは可愛らしくは見えない。しかし、誰もいない世界で一人せっせとゴミを収集し続ける様に、観る側もどうしても孤独感を共有してしまう。そしてその孤独さは、人間だけではなくロボットすらも蝕むものであることを思い知る。『 孤独なふりした世界で 』でピーター・ディングレイジの演じたデルという男の broken な様はウォーリーにインスピレーションを得たのではないかとも感じられた。孤独に適応した者ほど、他者とのつながりを断ち切りにくいのだ。

 

このウォーリーはR2-D2やディズニー映画『 ブラックホール 』のV.I.N.CENT.やB.O.B.の系譜に連なるロボットである。つまり、初見では可愛くは見えないのだが、徐々に愛着が湧いてくるタイプである。その造形は『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』的であるとも言える。ウォーリーが長く孤独なゴミ収集生活から、文化的な品々を選り分け、大切に保管していることに、Humanity=ヒューマニティー=人間性と、Humanities=ヒューマニティーズ=人文学の両方の芽生えが見て取れる。一方で、地上のみならず軌道上までゴミだらけにしていく人類=Humanityとは、いったい何であるのか。そして、宇宙船アクシオム号で怠惰に生きる人類に、人間性はあるのか。その人間性が欠落したかに見える人類の産物であるイヴに、どうやって人間性が芽生えるのか。その過程が素晴らしく美しい。邦画『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』のとある脚色部分は、本作に着想を得たのではないか。

 

融通の利かないロボットたちと、故障扱いされたロボットたちのスラップスティックな対立、そして『 2001年宇宙の旅 』的な人間vs人工知能という対立、それらをすべて内包する形で花開くウォーリーとイヴの物語は、2000年代最高峰のものの一つだろう。

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ネガティブ・サイド

ストーリーにオリジナリティが少々欠けている。未来そして宇宙の世界の人間像は、漫画『 銀河鉄道999 』のとあるエピソードの丸パクリ(まあ、偶然の一致・・・というか、誰でも考え付く陳腐な未来像)である。

 

『 エリジウム 』や『 オブリビオン 』、『 インターステラー 』、『 パッセンジャー 』といった作品の下敷き的な描写もあるが、そもそも荒涼とした地球、そして宇宙に新天地を求める人類といったテーマ自体が手垢のついたものになっている。ウォーリーの孤独と人類の業をもう少し新たな次元で関連付けることはできなかっただろうか。

 

また、映像はめちゃくちゃ美しいが、これは小学校低学年の子どもを引き付けられるのだろうか。Jovian自身の経験や、甥っ子たちの観察からすると、子どもを引き付けるのは絵だけではなく声もである。その声が序盤はほとんど聞こえない、つまり本当に小さな子どもなら序盤で寝落ちしてしまう恐れなしとしないところが弱点である。

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総評

愛嬌のあるロボットの物語というのは、元来は日本のお家芸だったはずである。アメリカでロボットと言えば『 アイ、ロボット 』のように反乱するのがお約束。『 ターミネーター 』も元々は殺戮マシーンだった。だが、本作で紡がれるウォーリーとイヴの物語は、CG映像よりも美しい。中学生以上であれば、何かを感じ取れるに違いない。もちろん大人が楽しむことも十二分に可能な大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

rogue

凶暴な、荒くれの、面倒な、のような意味である。劇中でウォーリーとイヴが“Caution, rogue robots”としてアクシオム艦内で指名手配される。人間に危害を加えかねないロボットにつき注意というわけだ。『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』や『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』など、メジャーな映画のタイトルにも含まれている語。ドナルド・トランプ米大統領が北朝鮮を指して「ならず者国家」と言った時にも’Rogue Nation’という表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, SF, アニメ, アメリカ, ベン・バート, ロマンス, 監督:アンドリュー・スタントン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

『 ジョジョ・ラビット 』 -戦争と差別の愚かしさをユーモラスに批判する-

Posted on 2020年1月21日 by cool-jupiter

ジョジョ・ラビット 75点
2020年1月20日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ローマン・グリフィン・デイビス トマシン・マッケンジー スカーレット・ジョハンソン サム・ロックウェル
監督:タイカ・ワイティティ

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正直なところ、トレイラーを観る限りは面白そうに思えなかった。しかし、アメリカではかなり評価が分かれているようである。評価が分かれるというのは、好きな人は好きになれるし、嫌いな人にとっては忌むべき作品ということである。誰もが50点をつける映画ならば、お呼びでないのである。

 

あらすじ

母ロージー(スカーレット・ジョハンソン)と暮らすジョハネス(ローマン・グリフィン・デイビス)はナチズムを信奉する10歳のドイツ人少年。彼のイマジナリー・フレンドはアドルフ・ヒトラー総統その人だった。ヒトラーの親衛隊になることを夢見るジョジョは、キャプテン・K(サム・ロックウェル)が開く合宿で、手りゅう弾による怪我を負ってしまう。自宅で養生するジョジョは、母が匿っているユダヤ人のエルサ(トマシン・マッケンジー)と遭遇してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

役者陣の奮闘が目立つ。コメディカルでフレンドリーでありながら、ファシストの顔を全く隠せていないヒトラーを演じた監督タイカ・ワイティティは、正直なところ総統閣下に外見は似ていない。しかし、髪を振り乱し、大げさなジェスチャーで、煽るかのようにがなり立てるのは、確かにヒトラーその人の特徴をよく捉えていた。

 

その友だち(?)であるジョジョと、さらにその友だちであるヨーキーは、確かに子供らしい子どもだった。『 IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』の子どもたちは一部「ガキども」と呼びたい連中が混ざっていたが、ヨーキーは純粋だった。純粋ということは染まりやすいということで、染まりやすいということは、別の色にもすぐに染まるということである。事実、ユダヤ人の脅威を感じていたヨーキーは、戦局苛烈となるとすぐさま反ロシア、反アメリカに転じた。このことがヨーキーの心を揺るがす様は切ない。そして、ジョジョが蝶を追いかけた先で見せる表情そして動作に、我々は心臓を握りつぶされてしまうかのような苦しみを感じる。この子役たちの演技は見事である。

 

しかし最も印象に残ったのはスカーレット・ジョハンソンとサム・ロックウェルだった。『 マリッジ・ストーリー 』でも母親役を熱演したが、ジョハンソンはこのまま篠原涼子の路線に突入するのであろう。つまり、健康的な色気を振りまきつつ、硬軟を自在に織り交ぜた母親像を見せてくれるに違いない。演技面でも、コロコロと変わる表情に、元々ハスキーな声を生かしたシークエンスが光っていた。そして、嗚呼、サム・ロックウェル!頭のイカれた軍人と思わせて、人間味溢れる大人の男を好演した。ある尋問のシーンの睨みつけるような目つき、そして連行されていく時の「やり切った男の誇らしげな笑顔」に、我あらず敬礼をしてしまった。

 

第二次大戦当時の街並みや服装、家具調度品にはリアリティがあったし、ブリティッシュ寄りの、ややゲルマン風の英語を話す役者たちも、ドイツ人として受け取ることができた。そのドイツ人の中でも、ゲシュタポ(秘密警察)の連中の馬鹿馬鹿しさと恐ろしさの同居した言動は、ファシズムの再来は絶対に阻止せねばならないとの思いを強くさせてくれる。同時に、このような恐怖と脅威の源は「国家のため」という美辞麗句と共にやって来るのだということを改めて知った。ゲシュタポのリーダー格の長身の大尉が見せる笑顔は、狂信者のそれである。あの時代のドイツがいかに狂っていたのか、背筋が寒くなる。なぜなら、それは当時の日本の姿でもあるからである。

 

エルサとジョジョの関係は、どうなるのか。それは観る者の想像力に委ねられているのだろう。しかし、『 The Fiction Over the Curtains 追記とその他雑感 』で触れたように、誰かに強制された形ではなく、自発的な意志で表現することが必要である。それこそが自由の証だからである。二人が幸せになれたかどうかは分からない。だが、エルサとジョジョは自由になった。それだけで鑑賞後、胸がいっぱいになった。

 

ネガティブ・サイド

ジョジョの顔の怪我の程度が軽すぎる。『 ワンダー 君は太陽 』のオギーとまでは言わないが、せめて『 累 かさね 』の累ぐらいのメイクは施せたのではないか。こうした妙な配慮のようなものが、ディズニーの悪いところの一つである。

 

ジョジョが母ロージーから言い渡される「ウサギのように勇敢で賢くあれ」という教えを体現する場面が欲しかった。ゲシュタポが登場するシーンで、ジョジョが機転を利かせると期待したのだが・・・

 

どうでもいいことだが、ウサギの死体をあのように放り投げても、あんなにクルクル回転はしないと思うが。その嫌な年上の少年の顛末を描いてくれなかったのは、少々残念だった。Jovianの脳内では、あの二人組は戦地の上官に修正を喰らって、歯を2~3本折られたことになっている。

 

総評

前半はコメディ、中盤で一瞬だけ『 ダンケルク 』的な戦争映画となり、後半からエンディングはジョジョのビルドゥングスロマンである。子どもの目から見ると戦争や差別的な思想が空虚で愚かに映るのか、それとも戦争や差別が、本来はタブラ・ラサである子どもをアホにしてしまうのか。おそらくは両方ともが正解なのだろう。このヒトラー率いるドイツ(とムッソリーニ率いるイタリア)と同盟を組んで世界を敵に回し戦った日本は、悪い意味で忘れてはならない。偏狭なナショナリズムが(またも)台頭しつつある日本人こそ、本作を観るべきではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I couldn’t care less.

ジョジョことジョハネスの脳内ヒトラーのセリフである。直訳すれば「今以上に少なく気にかけようと思ってもできない」である。意訳すれば「クソどうでもいい」となる。Less = より少なく、can’t / couldn’t = できない、を組み合わせて、「より少なくできない、なぜなら今が最小だからだ」ということ。似たような表現に I couldn’t agree more. = 今以上に賛成しようとしてもできない=「これ以上なく賛成」がある。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, コメディ, サム・ロックウェル, スカーレット・ジョハンソン, トマシン・マッケンジー, ヒューマンドラマ, ローマン・グリフィン・デイビス, 監督:タイカ・ワイティティ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ジョジョ・ラビット 』 -戦争と差別の愚かしさをユーモラスに批判する-

『 リチャード・ジュエル 』 -権力は暴走する-

Posted on 2020年1月19日 by cool-jupiter

リチャード・ジュエル 70点
2020年1月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ポール・ウォルター・ハウザー サム・ロックウェル
監督:クリント・イーストウッド

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『 ザ・レポート 』や『 スノーデン 』で描かれていたように、巨大な力を持つ組織というのは、暴走する危険を常に孕んでいる。クリント・イーストウッドはその点でFBIに目を付けた。日本でも、安倍首相にヤジを飛ばしただけで警察官に引っ張っていかれる時代である。本作を見て学べることは多いかもしれない。

 

あらすじ

リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は法執行官に憧れる警備員。記念公園の警備中に発見した不審なリュックには爆弾が仕掛けられていた。人々を必死に避難させる中、爆発が起こる。リチャードは英雄として報じられた。しかし、FBIは彼を容疑者として扱い始めた。リチャードは旧知の弁護士ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)に救いを求めて・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは1996年当時、高校生だったので、なんとなくこの事件のことは覚えている。が、それよりも松本サリン事件や地下鉄サリン事件のインパクトの方が強かった。どちらにも共通するのは、権力は暴走するということだ。序盤にリチャードとワトソンが出会い、そして別れるシーンが特に印象的だ。ワトソンの言う“Don’t become an asshole.”=「クソ野郎になるな」というのは、クリント・イーストウッドがメディアや警察権力に対して発したいメッセージなのだろう。『 ハドソン川の奇跡 』と本作は、その最も象徴的な作品である。

 

フェイクニュースの時代の萌芽が1990年代に既に見られていたというのは、新鮮な発見だった。こうした風潮は、インターネットの発達を見た2000年代に端を発すると思っていた。メディアスクラムの圧迫感はいつの時代、どの地域でも変わらないことも再確認できた。メディアが欲しているのは英雄でも極悪人でもなく、ニュースそのものであるようだ。終盤にリチャードが言い放つセリフは、そのまま松本サリン事件の冤罪被害者の河野義行氏の言葉と受け取ることもできる。権力に屈してはならないのだ。アメリカでも日本でも、世界のたいていの国では、主権者は国民であって、国家や国家機関ではない。これに関しては、まんまとレバノンへの逃亡を果たしたカルロス・ゴーンに対して法相の森雅子が「無罪を自ら証明せよ」と発言して、日本は“推定有罪”の国だと改めて内外に示したことを思い出してもよらえばよい。権力は暴走する。そして暴走した権力ほど厄介なものはない。『 スノーデン 』でも感じたことだが、権力の暴走に歯止めをかけるのは権力側ではなく、市民・国民側なのだ。そして、そのためには適切な知識も必要である。日本のテレビドラマでは今でも取り調べに弁護士が同席しないことがほとんどのようである。『 まだ結婚できない男 』の何話目かにそんなエピソードがあった。めちゃくちゃである。何かの間違いで警察に引っ張られたら、弁護士の同席および黙秘を主張する。本作からは、あらためてそのことを学ぶことができる。

 

それにしても、主演のポール・ウォルター・ハウザーは『 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル 』で“But I do.”を繰り返した、薄気味悪い陰謀論男そのままの雰囲気。それゆえに英雄から容疑者に転落していく様が、奇妙に似合っている。劇中でも形容されたように、「下層白人男性」という表現が合っている。White Trashという概念もこの時代に生まれていたのだろうか。はっきり言って、弁護士のアドバイスを実行できないアホなのであるが、それはアホだからではなくナイーブだからである。そのことは、彼とその母ボビの関係から見て取れる。その母を演じたキャシー・ベイツは、圧巻の演技。今すぐアカデミー賞の助演女優賞にノミネートしろ、と言いたくなるほどである。特に中盤終わりに記者会見の場で行ったスピーチは、母親という人種の愛の深さを観る者の心に切々と訴えかけてきた。

 

弁護士のワトソンを演じたサム・ロックウェルは、本人には全然似ていない。しかし、情報不足でメディアに揚げ足を取られながらも、自らが見込んだ男を救うために真剣に取り組む様にプロフェッショナリズムを見た。Jovianも最近、弁護士の先生から法的な助言を頂く機会があったが、情報というのは包み隠さず伝えなければならない。医療従事者と法曹相手にはなおさらであると、改めて感じた次第である。喋るなと言われているのにペラペラと喋るリチャードの弁護を降りなかったのは、それだけで尊敬に値する。ないとは思いたいが、本格的に弁護士の力を借りる事態が出来すれば、このような男に依頼したい。

 

ネガティブ・サイド

アトランタ・ジャーナルの女性記者はいったいどこまでが実話なのだろうか。ワトソンの車に勝手に乗り込んだり、FBI捜査官から文字通りの寝技で情報を取ったり、“疑惑”と“事実”と合弁したりと、支離滅裂である。特に、疑惑を事実として報じる姿勢は『 ザ・レポート 』の素人心理学者の言う「彼が真実を言っていない、という真実が明らかになった」という論法と同じである。屁理屈の極みである。その同じ女性が、リチャードの母の魂の演説に心動かされ、改悛の涙で頬を濡らすのは、あまりにも唐突すぎやしないか。もっと丹念にリチャードの周辺を調査したり、今風に言えばファクトチェックを綿密に行ったりする描写がないままに心変わりを見せられても、シラケるだけである。

 

その調査についてもFBIはお粗末の一語に尽きる。公衆電話までの距離や、そこに到達するまでの時間も調査すらしない。普通に考えればリチャードとその母の家の捜索および物品の押収に踏み切るまでに、公衆電話の受話器の指紋の有無や、当日のリチャードの荷物や服装に関する聞き込み、各所にあるはずの防犯カメラの映像のチェックなど、素人ですらパッと考え付く捜査を行わない。少なくともそのような描写はない。FBIから突っ込みが入りそうである。もしくは事実として、これらの捜査は(少なくとも事件の初期段階では)行われていなかったのだろうか。背景に何があったのかが見えないので、メディアやFBIの方針転換が唐突に映ってしまうのが弱点である。

 

日本語版トレイラーにあった、【 最後に明らかになる衝撃の真実とは- 】という煽りは必要か?そういう物語ではないはずだが。

 

総評

繰り返して言うが、権力とは暴走するものである。アメリカの、それも1990年代のことだからと、他人事と思うことなかれ。真実を追わず胡散臭そうな者を追う警察の腐敗した姿勢は、日本に生きる我々も注意せねばならない点である。カタルシスには少々欠けるし、伝記映画として見ても、キャラクターの深掘りが足りない。しかし、ヒューマンドラマとしては立派に成立している。社会派映画としても良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Give me a holler.

直訳すると「叫び声をよこせ」だが、実際は「呼んで/声かけてね」ぐらいの意味である。『 サイモン・バーチ 』でも、まったく同じセリフが使われているシーンがあった。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, ポール・ウォルター・ハウザー, 伝記, 監督:クリント・イーストウッド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 リチャード・ジュエル 』 -権力は暴走する-

『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

Posted on 2020年1月18日 by cool-jupiter

スティーブ・ジョブズ(2016) 50点
2020年1月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・ファスベンダー
監督:ダニー・ボイル

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Jovianの大学の図書館や寮のPCはある時期までマッキントッシュ一辺倒だった。中にはWindowsを熱心に推す先輩や同級生もいて、派閥抗争の様相を呈することもあった。当時はIEとネスケのブラウザ戦争が決着して数年という時代で、新しい何かを求める空気があったように思う。その新しい何かをもたらした男、ジョブズが死去して10年近くが経つ。あらためて映画でジョブズを振り返るのも良いかもしれない。

 

あらすじ

スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)は新作マッキントッシュのプレゼンテーション前のあわただしい時間を過ごしていた。「ハロー」と発話するはずのPCが発話しない。「何としても直せ!」と部下に詰め寄るジョブズ。そこに認知していない娘リサとその母親クリスアンが訪れて・・・

 

ポジティブ・サイド

スティーブ・ジョブズについては生前から色々なことが報じられてきた。だいたいコンピュータ産業(現IT産業)で一旗揚げられる人間は偏屈な geek であると相場は決まっている。そしてジョブズはまさにその通りの人物であった。本作は、ジョブズの背景などには極力迫ることなく(この映画を観る人は、かなりの程度知ってるでしょ?的なスタンスで)、ジョブズの転機となった三つのプロダクト・ローンチのプレゼンの舞台裏を、超高速会話劇で描いている。なのでテンポは素晴らしい。サクサクと進んでいく。

 

また、セリフに次ぐセリフでドラマを動かしていく一方で、肝心な部分は映像で伝えてくる。幼い娘リサがマッキントッシュを使って線画を描くところが、その好例である。ジョブズのビジョンは常に、「直感的に使えるもの」、「子どもや老人でも手軽に使えるもの」だったことはよく知られている。その通りに、未就学児童のリサがマックを使えたということに感銘を受けるジョブズは、大人や親としてはどうかと思うが、ビジョナリーやアントレプレナーとしては素晴らしい。本作sはそうしたジョブズの欠落した人格の中に多大な能力や天才性を、実に巧みに浮かび上がらせている。

 

本作は、これまで経営者としてフォーカスされることの多かったジョブズの、家庭人(?)としての顔を浮かび上がらせた。ジョブズがいかに夫としても父親としても不適格な人間であるかを浮き彫りにすることで、彼の人間的な臭さと言おうか、もっと言えば娘に対する不器用すぎる接し方(それを愛情と呼ぶこともできるかもしれない)を前面に出すことで、頭のネジの外れた短気で吝嗇のテックナードという人間像が虚像に見えてくる。なんとも不思議であるが、それゆえに愛すべき嫌味な男という、ジョブズの人間性が際立っている。マイケル・ファスベンダーの面目躍如である。

 

ネガティブ・サイド

スティーブ・ジョブズやアップル、マッキントッシュに関する背景知識がある程度ないと、ストーリーに入っていくことができない。冒頭のコンピュータ産業の黎明の部分を、もう1~2分伸ばして、もう少しintroductoryなオープニングにできなかっただろうか。

 

ジョブズ以外のアップルの主要な登場人物たちが、とても味わいのあるキャラクターに描かれている反面、最後の最後にはジョブズの引き立て役にされてしまっているのが気になった。同じスティーブの名を持つウォズニアックを、小さな親切大きなお世話をする人間に描いてしまう(そう映った)のは、うーむ・・・ 本当の意味でコンピュータ産業を“前進”させたのは、ウォズニアックのはずだ。ジョブズはアントレプレナーでビジョナリーであった。それは間違いない。だが、時代を変えるようなプラグラマーやエンジニアではなかった。経営者 > 現場の人間 のような描き方は、小市民かつ平社員のJovianには刺さらなかった。

 

この作品は人間ジョブズの一面を捉えてはいるが、あくまで一面である。おそらくジョブズの歴史的評価も、2040年代や2050年代に定まってくるのかもしれない。ジョブズが執着した「コンピュータも芸術作品であるべき」という信念や、直感的に使い方が分かるプロダクトを作るという情熱の源については触れられない。そうした視点からのジョブズ映画も今後は作られてくるのだろうが、本作単体を見たとき、 biopic としての奥行に欠ける点は否めないだろう。

 

総評

天才というのは往々にして奇人変人狂人である。なので、彼ら彼女らのbiopicは上手く作れば面白くなるし、調理法を間違えると好みが大きく分かれてしまう。本作は、そういう意味ではかなり好みが分かれる作品に仕上がっている。日本は出る杭を打つか、引っこ抜くかしてしまうので、天才を描いた物語は存外に少ない。だが邦画の世界も、もっと真剣なbiopicを作るべきであると考える。中村哲先生とか、絶対にやるべきだと思うのだが。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll give you that.

「それは認めよう」の意。thatは、その直前の内容を表している。

Kei Nishikori is a fantastic tennis player. I’ll give him that.

のように、you以外を据えて使うことも可能な表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, マイケル・ファスベンダー, 伝記, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

Posted on 2020年1月18日2020年8月29日 by cool-jupiter

ザ・レポート 70点
2020年1月17日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー
監督:スコット・Z・バーンズ

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遅ればせながらAmazon Prime Videoにsubscribeした。動画配信サービスはNetflixやHuluやUstreamなど、色々あって迷ったが、まずは通販で慣れ親しんだAmazonを選択。余裕が生まれれば、Netflixにも加入してみたいと考えている。まあ、アナログ人間なので、近所のTSUTAYAにも足繫く通い続けるとは思うが。

 

あらすじ

ダニエル・ジョーンズ(アダム・ドライバー)は、米上院議員のファインスタインの下で、CIAの行ってきた拘留および尋問に関する調査を行う。資料の山から判明したのは、CIAが「強化尋問テクニック」と呼ばれる拷問を行っていたということ、そしてその事実がひた隠しにされてきたということだった・・・

 

ポジティブ・サイド

9.11の余波は留まることを知らない。あのテロ事件によって、戦争とは国家間で行われるものではなく、国家ではない集団と国家の間でも起こりうるものだと認識されるようになったからだ。そして、戦争ほど非人道的かつ違法/不法な行為もないと思う。本作は、“戦時下”のアメリカにおける正義と愛国の意味を厳しく問うている。

 

拷問を「強化尋問テクニック」と言い換えるのは詭弁であり詐術である。まるで旧日本軍が撤退を「転進」と、全滅を「玉砕」と言い換えたのと同じである。拷問は拷問で、許されるものではない。戦争を錦の御旗にして暴走するCIAを、我々は本当ならば他山の石とせねばならない。しかし、日本では警察の取り調べすら、なかなか可視化されない。さらに、CIAによる文書やデータの隠蔽、さらには削除が行われていることも示唆されている。どこかの島国は何事も米国の20~30年遅れで行う傾向があるが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』で描かれたベトナム戦争時代のアメリカと同じような隠蔽工作が今も堂々と行われていることに唖然とさせられる。

 

真実を追求するのに効果を持たない拷問を、なぜにCIAは継続して行ったのか。そこに愛国心の罠がある。本作の劇中でも、とある女性キャラクターが「私たちは愛する国を守りたいから」拷問・・・ではなく、強化尋問テクニックを使っていると主張する。それに対してアダム・ドライバー演じる主人公ダン・ジョーンズは「僕も同じだ」として、愛国心ゆえにCIAの調査をしていると答える。愛国とは何か。国を愛することである。では、愛するとはどういう営為なのか。CIA局員たちは国家と自分を同一視する。自分の身が可愛い。自分の身を守りたい。偏狭な自己愛である。ダン・ジョーンズの愛国心は異なる。自分の理想とする国家像があり、国家がその姿になっていなければ、国家がそあるべく厳しく働きかける。どちらが健全な愛国心であるかは火を見るよりも明らかである。精神を国家に従属させる輩が昨今の日本の言論空間にも跋扈しているが、愛とは美しいものであり、同時に厳しいものでもあるはずだ。我々はそうした心構えを持たなければならない。心からそう思う。

 

それにしても、『 マーターズ 』とまではいかないが、繰り返される拷問の数々はショッキングである。普通の神経であれば、人間をそこまで痛めつけることに躊躇を覚えるはずである。そうならないのは、CIA側に負い目があるからではないか。すなわち、次のテロの情報が欲しいというのは建前で、9.11を阻止することができなかったという心理的なトラウマを、誰でもいいから痛めつけることで、癒したかったのではないか。『 新聞記者 』で描かれた日本の内調も狂っているが、CIAはもっと狂っている。作中で上院議員に「裏切者として」言及される『 スノーデン 』だが、ダン・ジョーンズはエドワード・スノーデンというよりも、『 JFK 』のジム・ギャリソンである。愛国とは、国の間違いを正す勇気を持つことである。愛国無罪は愛国ではなく、売国である。本作のメッセージを現代日本は真摯に受け止めなければならない。

 

ネガティブ・サイド

『 スノーデン 』でも『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、このようなbiopicの最後には本人が登場するものであるが、本作ではダニエル・ジョーンズその人は登場しない。残念である。しかも、演じるアダム・ドライバーが本人と似ても似つかない。アダム・ドライバーは今、最も旬な俳優であるが、もう少し容姿が似た役者をキャスティングできたのではないか。

 

制作国はイギリスであるが『 アンロック 陰謀のコード 』では主人公はCIA局員にして尋問のスペシャリストである。こうしたエキスパートが現在、CIAにいるのかどうかも知りたかった。退役軍人が歪んだ愛国心を振りかざし、付け焼刃ですらない知識を元に、「強化尋問テクニック」を生み出し、CIAがそれを採用するというのは、歴史の汚点である。その汚点が修正されたのかを我々は知りたいのである。

 

総評

Amazon Prime Videoでしか視聴できないようだが、こういった作品こそ日本の提供会社・配給会社は劇場公開できるように努力すべきである。「アメリカって怖いな」という感想にとどまってはならない。愛国心とは何か。正義とは何か。人権とは何か。問われているのはそれである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

see the light of day

字義どおりに「日の目を見る」の意である。

It’s a shame that his achievement hasn’t seen the light of day.

I’ve waited a long time for my debut book to see the light of day.

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, Amazon Prime Video, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, サスペンス, 伝記, 監督:スコット・Z・バーンズLeave a Comment on 『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

Posted on 2020年1月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2020年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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色々とニュースやレビューやインタビュー内容や考察に接しているうちに、また観たくなってしまった。なので5度目の鑑賞へ。もっと時間とカネを有効活用せねばとは思うが、引き寄せられてしまうのだから仕様がない。

 

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』で、BB-8はどうやって崖を越えたのかという疑問を呈したが、よく見ると越えていなかった。一度向こう側へジャンプしたレイを、こちら側でずっと待っていたのを確認できた。やはり何事もよく目を凝らして見なければならない。

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今回は主にベン・ソロを鑑賞。確かに人差し指を立てて「黙れ」の意思を相手に伝えるのは、『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』のハン・ソロっぽかった。またブラスターのノー・ルック射撃も、『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロへのオマージュなのだろう。

 

日本語のレビュー・感想でも英語のレビュー・感想でも、多くの人が共通して不満、または不可解に思っているのは、最後の最後にやってくる援軍。クレイトの戦いでの呼び掛けに応じなったのに、今回は何故だ?ということのようだ。素直に考えれば、自分のミニ脅威が迫っていることが分かったからだろう。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のスター・キラーも相当にヤバい代物だったが、今作のスター・デストロイヤーは本当に星を破壊してしまう。それが何百隻、何千隻と建造されて、出撃の時を待っていると聞かされれば、普通は「はあ?」だろう。だが、惑星キジーミが実際に破壊されたとの報は銀河を駆け巡ったことだろう。そうなると、明日は我が身。座して死を待つよりは、義勇軍として立ち上がり、乾坤一擲の勝負に出る。そのように考える者は何千、何万、何十万人と存在するはずだ。

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レイとベン(≠レン)のキスに異議を唱える人も多い。別にええやんけ・・・と思う。本編ではカイロ・レンの台詞としては出てこなかったが、トレイラーにあった

レイ “People keep telling me they know me. No one does.”

レン “But I do”

というやりとりが全てだろう。アダム・ドライバーも出演していた『 フランシス・ハ 』で、フランシスが自身の恋愛観を開陳するが、それは以下のようなものだ。

 

I want this one moment. It’s – it’s what I want in a relationship…which might explain why I am single now. Ha, ha. It’s, uh – It’s kind of hard lo – it’s that thing when you’re with someone…and you love them and they know it…and they love you and you know it…but it’s a party…and you’re both talking to other people…and you’re laughing and shining…and you look across the room…and catch each other’s eyes…but – but not because you’re possessive…or it’s precisely sexual…but because…that is your person in this life. And ifs funny and sad, but only because…this life will end, and it’s this secret world…that exists right there…in public, unnoticed, that no one else knows about.It’s sort of like how they say that other dimensions exist…all around us, but we don’t have

the ability to perceive them. That’s – That’s what I want out of a relationship. Or just life, I guess. Love.

 

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=frances-ha

 

かいつまんで言うと、「皆がいる公共の場で、それでも誰にも気付かれることなく、他の人々には知覚できないが確かに実在する別次元で目と目を合わせることができるような関係」をフランシスは「愛」と定義し、そうした関係を人生で手に入れたいと願っている。これはまさにレイとレンの関係そっくりである。文字通り、別次元で語らい戦う二人なのである。キスぐらい大目に見てやろうではないか。

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コリン・トレヴォロウの手によるEP9のスクリプトがYouTube経由でRedditにリークされたというニュースが入った。このバージョンではランド・カルリジアンが密輸業者の勢力を糾合する役割を担うとされていたらしい。2019年12月29日の『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のレビューで

 

>マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、

>それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

という疑問を呈したが、トレヴォロウと似たようなことを考え付いた自分を褒めてやりたいと思う。

 

何か新しいニュースや考察が出てきたら、また劇場で鑑賞したいと思う。5回観たので、普通の『 スター・ウォーズ 』ファンの義理は果たしたと思いたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

up and running

元気である、正常である、順調である、などの意味で、人やモノ、システムなどを対象に使われる。しばしば

have / get + O + up and running

という形で使われる。ポーがミレニアム・ファルコン号の修理が完了したかどうか尋ねる際に“Did you get it up and running?”のように言っていた(台詞はうろ覚え)。ビジネス英語では、まあまあよく使われるので知っておいて損はないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

Posted on 2020年1月14日 by cool-jupiter

ティーンスピリット 20点
2020年1月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エル・ファニング
監督:マックス・ミンゲラ

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Jovianはエル・ファニングのファンである。しかし、それでも言わなければならない。これは駄作である。完全なる失敗作である。2020年は始まったばかりだが、海外クソ映画オブ・ザ・イヤー候補の最右翼であると言える。

 

あらすじ

ヴァイオレット(エル・ファニング)は英国に暮らす、歌手を夢見るポーランド系移民。ある時、“ティーンスピリット”の予選が地元で開催されることを知ったヴァイオレットは、オーディションに申し込みを行う・・・

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ポジティブ・サイド

オープニング直後にエル・ファニングが歌う“I was a fool”という歌は雰囲気があった。ストーリーの向かうところを暗示するEstablishing ShotならぬEstablishing Songだった。

 

またクライマックスの“Good Time”からのファニングの独唱そして熱唱は、『 ソラニン 』よりも上、『 リンダ リンダ リンダ 』に並ぶカタルシスをもたらしてくれた。

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ネガティブ・サイド 

Jovianが古い人間なのだろうか。今世紀の歌手の歌の数々にあまり魅了されなかった。『 アリー / スター誕生 』でも同じことを感じたが、音楽映画であるにもかかわらず、無条件に入っていける、ノセテくれる楽曲があまりにも少ないのは致命的である。そういう意味では『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は秀逸だった。

 

また、このタイトルからは何をどうやってもNirvanaの“Smells Like Teen Spirit”を想起せずにはいられない。しかし、映画全体を通じてカート・コバーンのような「叛逆」や「打破」といった荒ぶるパワーは感じられなかった。もっと言えば、アイデンティティに悩む10代特有のドラマがない。敬虔なカトリックであるヴァイオレットの母親とヴァイオレット自身の距離感の描写が不足しているし、学校で特別に影が薄い存在として描かれているわけでもない。家庭や学校でヴァイオレットが疎外を感じる描写や演出があまりなく、ヴァイオレットが馬の世話と音楽に逃避することへの説得力が生まれていない。その馬が買われていく時にも、取り乱しはするものの、鬱になるでもなく、さりとて音楽の力で立ち直るでもない。オープニングで、ブルーアワーの牧草地で馬を世話しながらiPodの音楽に耽溺する様はいったい何だったのだろうか。

 

ヴラドというキャラクターの構築も中途半端だ。呼吸法のレクチャーには、亀の甲より年の功といった趣が感じられたが、それだけ。元プロのオペラ歌手として、精神論以外のアドバイスを送ることはできなかったのか。大手レーベルとの駆け引きでも、クロアチアで培った経験や業界の裏事情通であるところなどを披露し、ナイーブでいたいけなヴァイオレットを金の亡者の大人たちから守るのかと期待させて、それもなし。唯一褒められるのは、甘やかされてダメになりそうなクソガキをぶっ飛ばしたところだけ。

 

ヴァイオレットの成功があまりにトントン拍子で、彼女自身が抱えていた問題の描写も弱いことから、サクセス・ストーリーがサクセス・ストーリーに見えない。同じく音楽にフォーカスしていた『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は、成功を掴めば掴むほどに、自身の抱える心の闇がより深まっていくことがはっきりと描写されていた。だからこそ、最後のステージでカタルシスが爆発した。ヴァイオレットは違う。元々抱えていたアイデンティティの問題や学校や家庭での疎外もいつの間にやら解消、というかそんなものは最初からなかったかのようである。

 

これにより、ヴァイオレットが自らの人生に欠いているpositive male figureとしてヴラドを受け入れるようになる、というプロットが空回りしている。ネックレスの件も同じである。実の父親を心のどこかで求めていながら、しかし、父親代わりの人物を実の父以上に慕うようになるという下地が描かれていない。ヴラドが母親に花束を贈っただけでは説得力など生まれない。それともお互いにポーランドとクロアチアからの移民で、同病相哀れむということなのだろうか。母子家庭であるヴァイオレットの家族と、ヴラドと自身の娘の関係の描写がとにかく薄くて浅くて弱い。この出来で、ヒューマンドラマで盛り上げれと言われても無理である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200114011747j:plain

 

総評

エル・ファニングの熱烈ファン以外にはお勧めできない。というよりも、エル・ファニングの熱烈ファンにすらお勧めしづらい。単に彼女の体の線が露わになるタンクトップで髪を振り乱して踊り狂うところを見たいというファンぐらいしか堪能できない作品である。脚本および監督のマックス・ミンゲラの力量不足は明らかである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I get that a lot.

「よくそう言われる」の意味である。ヴラドに年齢を尋ねられ、ヴァイオレットは21歳だとサバを読む。そこでヴラドに「もっと若く見えるぞ」と言われ、“I get that a lot.”と返した。このthatは、

“Let’s go for a drink after work.”

“That sounds awesome.”

のように、一つ前の事柄全般を受ける代名詞のthatである。それをしょっちゅうgetする=「よくそう言われる」となる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, 監督:マックス・ミンゲラ, 配給会社:KADOKAWA, 音楽Leave a Comment on 『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

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