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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 マローボーン家の掟 』 -精緻に作られた変則的スリラー-

Posted on 2020年4月21日 by cool-jupiter

マローボーン家の掟 65点
2020年4月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・マッケイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:セルヒオ・G・サンチェス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200421164937j:plain
 

アニャ・テイラー=ジョイが出ていたら、とりあえず観る。それがJovianのポリシーである。『 1917 命をかけた伝令 』で堂々たる演技を見せたジョーイ・マッケイも英国紳士然としていて好感が持てる。これはきっと良く出来たクソホラーに違いない。そう思っていたが、どうしてなかなかの佳作であった。

 

あらすじ

辺鄙な街はずれで暮らすマローボーン家。長男のジャック(ジョージ・マッケイ)はアリー(アニャ・テイラー=ジョイ)と恋仲になっていた。しかし、母ローズが亡くなってしまう。兄弟たちはジャックが法的に成人と認めらる21歳になるまで、母の死を秘匿することを誓う。だが、虐待者であり殺人者の父の影が屋敷に迫っていて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200421165002j:plain
 

ポジティブ・サイド

どこかロン・ウィーズリー/ルパート・グリントを思わせる顔立ちのジョージ・マッケイが輝いている。母代わりに一家を主導する者として、青春のただ中の青年として、そして父親に立ち向かう長兄として、様々な役を一手に引き受けている。『 1917 命をかけた伝令 』でも序盤はあどけなさを残しつつ、中盤のある女性との交流からエンディングまでの流れで一人前の男の顔になっていた。なんとも男前な役者である。

 

本作のテイストを一言で説明するのは難しい。『 ヘレディタリー/継承 』と『 スプリット 』と『 ジョジョ・ラビット 』を足した感じとでも言おうか。ジュブナイルで始まり、サスペンスが盛り上がり、スーパーナチュラル・スリラーのテイストが色濃く現れてくる中盤までは、まさにホラーの王道。このあたりまでは「ああ、やっぱり良く出来たクソホラーだな、こりゃ」と高を括っていた。だが、本作が本当に面白くなるのはここからである。前半~中盤ははっきり言って盛り上がりに欠ける展開だが、全てはあるプロットのためなのである。やはり白字で書くが、『 カメラを止めるな! 』とまでは行かなくとも、『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』ほどにはぶっ飛ばされる。悔しいなあ、こんな演出に引っかかるなんて。しかし、伏線の張り方としては、これは非常にフェアであると言える。物語のどの部分を見返しても、ちゃんと筋が通っている。

 

最終盤は山本弘の短編小説『 屋上にいるもの 』を思い起こさせる。同時に、作中の様々なキャラクターやガジェットがどれもこれも見事なコントラストを成していることにも気づかされる。またまた悔しいなあ、こんな仕掛けに気づかないとは。観終わってDVDプレーヤーのトレーを開けて、また悔しい思いをさせられた。これはジェームズ・アンダースンの小説『 証拠が問題 』を出版した東京創元社の Good job のパクリ見事な模倣、オマージュになっているではないか。借りる時にも気付けなかったのか。アニャ大好き、『 スプリット 』大好きな、このJovianが・・・

 

エンディングも味わい深い。『 ゴーストランドの惨劇 』はとてつもない悲劇だが、ある意味ではこの上なく幸せな状態でもあった。これもまた、一つの愛のカタチなのだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200421165026j:plain
 

ネガティブ・サイド

日本の宣伝広報が言うような、5つの掟というのは、話の本筋でも何でもない。古くは『 ヘルハウス 』、近年では『 パラノーマル・アクティビティ 』や『 インシディアス 』といった屋敷や館に巣食う何かを呼び起こさないようにルールを守る。あるいは、その何かに立ち向かうというストーリーに見せかけているのは何故なのか。羊頭狗肉の誹りを恐れないのか。まあ、ちょっとでも下手な売り出し方をすると、本作の面白いところをスポイルしてしまうという懸念は理解できなくもないが、そこを巧みに宣伝するのが腕の見せ所というものだろう。安易なクソホラーに見せかけたPRは評価できない。

 

アニャ・テイラー=ジョイの出番が少ないし、見せ場もほとんどない。『 ウィッチ 』的な、人里離れた森でジャックら兄弟と不思議な出会い方をしたところでは、「ああ、ここからアニャがロマンスとミステリ/ホラー要素をバランスよく体現していくのだろうな」と予感させて、しかし実際はほとんど退場状態。スリラーやサスペンスの申し子のアニャをもっと効果的に使える脚本や演出があったはずだ。アリーはアリーで、母親から苛烈な仕打ちを受けていてだとか、あるいは以前に付き合った男がとんでもないDV野郎で、ジャックといい雰囲気になっても体が無意識に拒絶してしまうだとか、なにか不安感や緊張感を盛り上げる設定を盛り込めたのに、と感じる。

 

総評

一時期、高齢者の死亡を届け出ずに、年金を不正に受給し続ける世帯がたくさんあったと報じられたことがあった。まあ、今でも日本の津々浦々で起きていることだろう。それにプラスして、世界中の人間が“家に引きこもっている”という現状を下敷きに本作を観ると、なかなかに興味深い。ホラーというよりも、スリラーやサスペンスである。ホラーはちょっと・・・という向きも、ぜひ家に引きこもって観てみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t have all day.

直訳すれば「一日全部を持っているわけではない」=「そんなに暇ではない」=「早くしてくれ」となる。取引先に電話してみたら「確認して、すぐに折り返しますね」と言われた。しかし、30分待っても1時間待っても連絡がない。そういった時に心の中で“C’mon, I don’t have all day.”=おいおい、早くしてくれよ、と呟いてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, ジョージ・マッケイ, スペイン, スリラー, 監督:セルヒオ・G・サンチェス, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 マローボーン家の掟 』 -精緻に作られた変則的スリラー-

『 ヘヴィ・ドライヴ 』 -アメリカ下層社会の現実-

Posted on 2020年4月18日 by cool-jupiter

ヘヴィ・ドライヴ 65点
2020年4月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テッサ・トンプソン リリー・ジェームズ
監督:ニア・ダコスタ

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まずDVDのジャケットを作ったデザイナーおよびコピーライターに天誅を。原題は‘Little Woods’なのに邦題は『 ヘヴィ・ドライブ 』、しかも爆発をフィーチャーしたジャケットに、惹句が【 国境を越えろ! 世界一ヤバいブツを運べ! “運び屋”エンタテインメント 】である。運び屋の部分は確かにほんの少しだけ『 運び屋 』的な人間ドラマだが、その他は全部、誇大広告か虚偽広告である。

 

あらすじ

オリー(テッサ・トンプソン)はドラッグ所持のかどで保護観察処分に。その処分があと10日で解けるという時に妹のデブ(リリー・ジェームズ)が子どもを連れて現れる。しかも妊娠して。中絶を望む彼女に金銭的援助を与えるために、オリーはドラッグの密売稼業に戻るのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

デブを演じたリリー・ジェームズのやさぐれ感がいい。もちろんメイクアップアーティストやヘアドレッサー、照明の尽力あってのことだが、『 シンデレラ 』の頃の可憐さは一切なかった。そして『 ベイビー・ドライバー 』のデボラを思わせるデブ(Deb)という名前。本名はデボラ(DeboraまたはDebra)なのだろうが、『 ベイビー・ドライバー 』直後のデボラの末路、あるいは『 イエスタデイ 』でジャックが駅に来なかった世界のスピンオフを見ているようで、妙に物悲しく感じた。近年、スカーレット・ジョハンソンがママキャラへと見事な変貌を遂げたが、リリー・ジェームズにも役者としての転機が訪れている。社会の下層にいながら、それでも与えられることなく奪われる一方という境遇の悲哀を巧みに表現できていた。

 

主役のテッサ・トンプソンの静かな存在感も光る。トレイラーを走らせ、日雇い労働者的な男たちに食品や物品を都合する何でも屋を営む姿に、個の強さを見た。また前身が drug trafficker というのもアメリカ社会の闇を表していて、何とも言えない悲壮感と皮相な人生観を表している。生きるということは尊いことであるが、一方で生きることにはどうしようもない汚さやもある。ドラッグを売りさばいて得たカネで生計を立てるのは悪である。だが、そうしなければ生きていけない社会に誰がした?あるいは、下層に生きる人間の生には尊厳などないと言うのか。このあたりは『 ジョーカー 』が提起した問題であり、今なお解決を見ないし、今後も解決はされないだろう。

 

カネがいると言いながら、子どもの父親から受け取ったカネは投げ捨てる。衣食住の問題ではないと言いながら、衣食住を頑張って提供するというお腹の子どもの父親の言葉は拒絶する。一見するとデブの言動は支離滅裂だ。だが、「生きる」という営為の意味を真摯に見つめれば、そこに一定の答えが見えてくる。本作で衝撃的なのは、中絶を巡る姉妹それぞれの思いと人間関係だ。我々はよく妊娠、そして出産を崇高なものとして報じ奉る。一方で、自宅で出産したとか、誰にも妊娠を知らせることなく死産させてしまったというニュースが報じられるたびに、「なぜ周囲の協力や理解を得ないのか」と無責任に批判する。生が持つはずの尊さや崇高さが、別のものにかき消されていることに気づかない。タバコの紫煙を吐き出すデブの姿と、その姿に涙するオリーの姉妹の絆に、何とも言えないショックを受けた。『 イニシエーション・ラブ 』で前田敦子が「プハーッ!!」とビールを一気飲みするシーンがあるが、あのようなシーンの意味について我々はもっと思いを馳せるべきなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほんの少しで良いので、オリーとデブの母親が健在だった頃、またはオリーとデブの幼少期の回想シーンが欲しかった。姉妹と言いながらも、姉は黒人、妹は白人。複雑な背景があるのは分かる。長じてから疎遠になってしまった姉妹だが、心の奥底では通じ合えている。それはかつて、こんなドラマが二人にあったから・・・というベタな演出をちょっとでいいから観たかった。

 

カナダとの国境近くの町で偽造IDの仕事を頼むことになる野郎どもがクズである必要はあったのか。こういう奴らがダーク・ヒーローであるとは決して思わないが、少なくとも必要悪なのではないか。違法な仕事で身を立ててますが何か?と開き直るぐらいでよかった。こういうクズな若い男を出すのならば、『 ガルヴェストン 』で安モーテルを経営していたナンシー・コヴィントン的な老婆を出すべきである。そうでないとストーリーのバランスが取れない。

 

総評

何か普通に日本でもありそうなストーリーで、時に胸を締め付けられるような気持にすらさせられる。これをアクション・クライムドラマとして売り出している日本の宣伝広報担当の会社および担当者は腹を切るべきである。それができないならば眼科と耳鼻科を受診すべし。なぜなら本作を正しく観たり聞いたりできていないことは明らかだからである。巣ごもり中の映画ファンは、凡百のアクション映画と思うことなかれ。かなり深いヒューマンドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be natural.

オリーの保護観察官が、面接前のオリーにかける言葉。字幕は「自然体でな」だったか。TOEFL ITPのWorkbookで時々出てくるマジシャンのDai Vernonの有名なQuoteの一つに“Be natural, be yourself.”というものがある。思想家のラルフ・ワルド・エマーソンあたりが残していそうな箴言である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, テッサ・トンプソン, ヒューマンドラマ, リリー・ジェームズ, 監督:ニア・ダコスタLeave a Comment on 『 ヘヴィ・ドライヴ 』 -アメリカ下層社会の現実-

『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

Posted on 2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ(2014) 50点
2020年4月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョシュ・ブローリン エリザベス・オルセン シャルト・コプリー
監督:スパイク・リー

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『 オールド・ボーイ 』のハリウッド版リメイク。オリジナルとリメイク、両方見比べるのも乙なものである。邦画は韓国映画にいつの間にか置き去りにされてしまったが、ハリウッドはどうか。

 

あらすじ

うだつの上がらないセールスマンのジョセフ・デューセット(ジョシュ・ブローリン)は、いきなり拉致され、監禁されてしまう。そして、閉じ込められた部屋のテレビで、妻が殺害され、その容疑者が自分であることを知る。誰が、いったい何のために・・・ そして20年が過ぎた時、彼は突然解放されて・・・

 

ポジティブ・サイド

エリザベス・オルセンの濡れ場、これに尽きる。眼福であった。

 

で終わったら、レビューでも何でもないので真面目に書く。ジョシュ・ブローリンの起用は正解だった。2018年総括でジョシュ・ブローリンを海外最優秀俳優の次点に挙げさせてもらったが、サノスという史上最強級のヴィランを演じる男は、生身でも相当の強者でなければならない。暴れるのを見ていて違和感がなかった。また、険のある顔もいい。特に目当ての餃子を見つけて、確信を得るためにそれを貪り食う時の表情は、本家チェ・ミンシクに負けていなかった。

 

黒幕役に配するのが、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる『 第9地区 』のシャルト・コプリーというのも、趣があっていい。分かりやすい悪役というのはブリティッシュ・イングリッシュを話すか、あるいはロシア語訛りの英語を話すというのが、ハリウッドから決して消えないクリシェである(そのうち中国語訛りの悪役がわんさか登場するだろうが)。韓国版にあった、いつでも死ねるスイッチというやや意味不明なガジェットは削除。その代わりに、ボディガードを女性にすることで、薄っぺらい悪役との印象をさらに濃くすることに成功した。ジョセフに「タイムリミットまでに謎を解け」と迫るのも、小物感があってよい。裏で糸を引いている人間がちっぽけに見えれば見えるほど、計画の壮大さが際立つ。

 

アクション・シーンはなかなかの見ごたえ。街のチンピラではなく、アメフトのプレーヤーたちをなぎ倒していくことで、ジョセフのスーパー・パワーアップをきっちりと説明。オリジナルにあった廊下での大立ち回りは本作にも引き継がれ、金づちを使うアクションの量もアップ(その分、ボクシング要素はダウンしたが)。特に、その直前に『 ボヘミアン・ラプソディ 』で主演を張ったラミ・マレックが頭をカチ割られるシーンは痛快だ。オリジナルにはなかった『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュなのか、マレックが最後にかけられる言葉が「モンテ・クリスト伯」というのもなかなか面白い(『 ショーシャンクの空に 』では、”Count of Monte Chrisco”だった笑)。

 

オリジナルとは異なるエンディングも個人的には納得。オリジナルを鑑賞した時に「オ・デスはこうするのでは?」と思った行動をジョセフが取ってくれる。『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホの行動に相通ずるものがある。このあたりのアメリカ流の解釈は気に入った。

 

ネガティブ・サイド

えらくきれいなシロネズミがジョセフの監禁先に現れるが、そこはドブネズミだろう。スパイク・リーのセンスを疑う。また、オリジナルでオ・デスがエアロビのインストラクターや女性歌手に欲情したシーンも、こちらには輸入されず。代わりに定期的に差し入れられる酒を便器に流す日々。このあたりがアメリカの限界か。韓国映画が容赦なく描く人間の決して美しくないが、しかし本質的な面を描くのを巧妙に避けている。また、序盤でジョシュ・ブローリンが上半身裸で鏡の前にたたずむシーンがあるが、それもいらない。そういうシーンを挿入するのなら、痩せてあばらが浮いた体か、あるいはビール腹を見せてくれないと、監禁生活で体を鍛えまくった時とのコントラストが生まれない。このあたりもオリジナルに負けている。

 

またオリジナルの欠点でもあった、シャバに出てきた主人公が周囲の環境や新しいテクノロジーに馴染むのが早すぎるという点も解消あるいは改善されていなかった。20年も運転から遠ざかっていたら、そうそういきなりはクルマを乗りこなせないだろう。

 

クライマックスの迫力も弱い。監禁の真相を知らされたジョセフはとある自傷行為に出るが、イマイチである。躊躇なく相手の靴をベロベロ舐めまわし、情けなく犬になって尻をふりふりするオ・デスの方が遥かに衝撃的だった。

 

サミュエル・L・ジャクソンは・・・ミスキャストだったかな。サノスにへいこらするニック・フューリーに見えたわけではないけれど、この役にここまでの大物を配置する必要はなかった。

 

総評

オリジナルの『 オールド・ボーイ 』に軍配が上がる。ただし、アメリカ流の解釈も悪くはない。ますます日本版リメイクの制作が待たれる。残念ながら日本で長期にわたる拉致監禁事件は定期的に明らかになっている。今こそ日本流の新解釈が期待されるところだ。アメリカ版を先に観た人は韓国版を観よう。両方を観た人はJovianと同じように、日本版リメイク制作の機運を盛り上げようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hold still.

ジョセフがあるキャラを拷問にかける時に言うセリフである。「動くな」、「じっとしていろ」の意である。stillというのはなかなかに味わい深い語である。日本語でスチル写真やスチル画像というのは、このstillであり、その原義は「動かない」である。I still love you.=「I love youという状態は動いていない」=「僕はまだ君を愛している」というわけである。「まだ」と辞書に載っていることからyetと混同する人が多いが、still=動かない、というイメージで把握しよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エリザベス・オルセン, シャルト・コプリー, ジョシュ・ブローリン, スリラー, 監督:スパイク・リー, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』 -究極の共生を目指して-

Posted on 2020年4月10日 by cool-jupiter

ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 80点
2020年4月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジョン・チェスター モリー・チェスター
監督:ジョン・チェスター

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200410000147j:plain
 

4月5日の19:30の時点で座席の売れ行きをHPで確認。何とゼロ!密閉空間ではあるが、密集も密接もしない。以前から気になっていた映画の数々を涙を飲んでスルーしているが、今回は地元の映画館に現金を落とすべく出動した。非国民と呼ばば呼べ。ちなみに劇場鑑賞者はJovian含め3人だった。

 

あらすじ

ジョンとモリーのチェスター夫婦は、愛犬トッドの鳴き声が原因でLAのアパートを出ることに。それを機に料理ブロガーであるモリーは、自身の古くからの夢である健康的な食材を自分たちで育てるという夢を実現すべく、投資を募り、アランというアドバイザーを得て、前代未聞の規模の有機農場を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

これは2020年屈指の名作である。ドキュメンタリーというジャンルに限定すれば、間違いなく年間ベストである。2020年がまだ3か月しか経過していない時点で、Jovianはそう断言してしまう。それほど、本作が観る者に与える示唆とインスピレーションは巨大である。

 

本作でジョンとモリーが作り出そうとする農園は、その精緻さとスケールにおいて『 サッドヒルを掘り返せ 』における共同円形墓地、『 マーウェン 』における架空の村マーウェン、『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』における壮大な宮殿に勝るとも劣らない。いや、生きた動植物を直接に扱っているぶん、モリー夫妻のファームの方が、発展させていくのはより難しいかもしれない。

 

本作の描くテーマは“共生”である。共生とは、人間と微生物、人間と虫、人間と動物、人間と植物、つまり大げさに言えば人間と地球の共生である。NHKのテレビ番組『 ダーウィンが来た! 』や『 サイエンスZERO 』で海底火山の噴火で拡大した西ノ島の様子が特集されていたが、そこでは鳥の死骸を虫が食べ、その糞と岩が細かく砕かれた砂が混じることで、植物を育てうる土壌が生み出されているとリポートされていた。チェスター夫妻、そして彼らのメンターのアランの行おうとしていることも、これと同じである。様々な生物 -牛や豚や鶏そしてミミズなど- らを不毛な大地に放ち、それらの糞尿で大地を文字通りに肥やしていく。まるで文明そして農業の歴史の曙光を見るかのようである。小説『 死都日本 』でも「これからは生ゴミや排せつ物の争奪戦が始まります!」という日本国総理大臣の勇ましい演説が聞けるが、このファームはまさにそうした食べて出して食べて出してのサイクルを見事に回している、まことに稀有な農場である。こうした発想の有機農法を、アジア人ではなくアメリカ人が発想し、そして実行していることに衝撃を受けた。

 

また、ビッグ・リトル・ファームの面積が200エーカーというのも驚きである。『 プーと大人になった僕 』で100エーカーの森が描かれたが、あの2倍の広さである。当然、チェスター夫妻が解き放った多種多様な動物たちだけではなく、野生の動物たちもやってくるわけである。そして農園になる野菜や果物が、動物たち、そして虫たちに食い荒らされる。卵を手に入れるために飼っているニワトリも、コヨーテに襲われる。人間が自然をコントロールするのは、やはりおこがましいことなのか・・・ だが、ここで奇跡が起きる。パズルのピースがすべてそろった時、我々は自然の全体像を知る。生きとし生けるものには、すべて役割があったのである。中には少々痛ましいシーンもあるのだが、それも『 野性の呼び声 』にリアリティを与えるものであろう。飼い犬のロージーは野性の呼び声を聞いたのである。

 

本作を観てつくづく感じるのは、天命は確かに存在するということである。そして、現代人の価値観(それは多くの場合、経済的な観念に支配されているのだが)では、カネを稼いでナンボである。だが、カネは手段であって目的ではない。目的は、幸福を生み出すことだ。そして究極の幸福は、夢の実現と他者との共生にある。本作は、そのことを教えてくれる。観る者に生きる勇気と希望を与えてくれる珠玉のドキュメンタリーである。

 

ネガティブ・サイド

序盤の『 インターステラー 』の迫り来る砂塵のごとき山火事の煙のシーンは、最終盤に回してよかったのではないか。すべての歯車がガッチリと噛み合い回り始めた矢先にアクシデントが起きる・・・という展開の方が、ベタではあるが、物語に起伏は生まれただろう。

 

また、ジョンとモリーのメンターであるアランの経歴をもっと知りたいと感じた。最初はとんだいっぱい食わせ者かと思わせてくれたが、実は恐るべき忍耐力と慧眼の持ち主である。偏見を承知で言わせてもらうが、アメリカ人らしからぬ思想・哲学の人である。彼の先祖はヨーロッパ系ではなく17000年前にアメリカ大陸に渡ってきたアジア系移民であろう。

 

また、チェスター夫妻に金を出してくれた投資家というのも、どんな人物なのか気になるし、1年分のカネを6か月で使ってしまったというセリフもあった。カネの流れや動きについても、ほんの少しだけでいいから描写が欲しかったところである。

 

総評

あるシーンでは『 スター・ウォーズ 』のTシャツを着たキャラクターが登場する。その意味するところは明らかである。つまりは、世界にバランスをもたらすことである。映画館が休業する前に本作を鑑賞できたことを映画の神様に感謝したい。ぜひ劇場が再会したら、またはDVDや配信で視聴可能になったら、多くの方に本作を観て頂きたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in harmony with ~

「~と調和して」の意である。live in harmony with nature=自然と調和して生きる、となる。“和を以て貴しとなす”を是とする日本人であれば、こうした表現を知っておいても良いだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジョン・チェスター, ドキュメンタリー, モリー・チェスター, 監督:ジョン・チェスター, 配給会社:シンカLeave a Comment on 『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』 -究極の共生を目指して-

『 ベイビー・ドライバー 』 -音楽+クルマ+犯罪+ロマンス=Baby Driver-

Posted on 2020年3月29日 by cool-jupiter

ベイビー・ドライバー 85点
2020年3月28日 所有Blu-rayにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート リリー・ジェームズ
監督:エドガー・ライト

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これは2017年の夏に梅田ブルク7で鑑賞して以来、劇場で6~7回観た。それぐらい衝撃を受けた作品だった。4DXを体験しに、わざわざ四條畷のイオンモールまで遠征したり、爆音上映を楽しむためにMOVIX京都まで出向いたのだった。心斎橋シネマートで『 幼い依頼人 』や『 娘は戦場で生まれた 』を観たかったのだが、外出自粛要請&嫁さんからのストップ。なので自宅のテレビで本作を改めて鑑賞している。

 

あらすじ

ベイビー(アンセル・エルゴート)は逃がし屋ドライバー。音楽を聴くことで運転のスキルが極限にまで高まる。数々の強盗事件の犯人を、自慢の運転スキルで逃がしてきた。しかし、ある日ダイナーでデボラ(リリー・ジェームズ)に出会ったことで、足を洗おうと決意するが・・・

 

ポジティブ・サイド

何といっても冒頭の6分間の銀行強盗からの逃走シーンが秀逸だ。The Jon Spencer Blues Explosionの“Bellbottoms”で一気にハイになったベイビーが、天才的なドライビング・テクニックでパトカーの大群を振り切り、ヘリコプターの追跡からも見事な機転で逃げ切るのは、2010年代の映画の中でも最高のオープニングの一つだろう。市街地でドリフトで疾走する様は、まさにドライバーがやりたいという願望を持っていても絶対にやれないことを代わりに実現してくれたようで、実に爽快かつ痛快である。

 

大柄で童顔なアンセル・エルゴートが“ベイビー”というのもいい。ベイビーのごとくほとんどしゃべらないこと、幼少の頃の事故のトラウマから今も抜け出せていないこと、母親(母親的な人物)を探し求めていることなど、様々な属性を持つキャラクターであるベイビーだが、まさに名は体を表す。記憶力(retention)も抜群で、テレビをザッピングしながら様々なセリフを一瞬で気暗記していく。そのセリフを再生することで他キャラと思わぬinteractionが生まれる。まさに周囲の真似っこをするという意味で“ベイビー”=赤ん坊なのだが、そのベイビーがどんどんと自分の言葉を獲得していく過程も興味深い。

 

そのベイビーを成長させるようとして本作は2つの基軸を提示する。すなわち、疑似的な父親との関係と恋人との関係である。本作に登場する疑似的な父親はケビン・スペイシーが演じるドク、ジェイミー・フォックスが演じるバッツ、ジョン・ハムが演じるバディ、そしてCJ・ジョーンズ演じるジョーである。特にCJ・ジョーンズは本当に耳が聞こえないそうで、このような役者を起用できるところにあちら側の懐の深さを感じる(日本でもようやく『 37セカンズ 』という秀作が出たが)。文学的な意味で言えば父親とは殺すべき対象であり、実際の人間の成長過程においては乗り越えるべき対象であり、またその支配や庇護から独立すべき対象である。両親のいないベイビーに対して、虐待的な父親=バッツ、趣味を同じくする父親=バディ、支配的な父親=ドク、そして世話をしなければならない父親=ジョーとの関係、そしてそれらの関係の終わりには、何とも味わい深いものがある。アクションだけではなく、このあたりのキャラクター造形、キャラクターの関係の深さと豊かさが、2017年のJovianをrepeat viewingに走らせたのだ。

 

だが、何といってもデボラとベイビーのロマンスだ。冒頭のコーヒーを買う時のロングのワンカット(実際は30回以上の撮影を経てワンカットに見えるように編集したらしい)で、ベイビーが恋に落ちる瞬間が視覚的に表現されている。このシーンは“Harlem Shuffle”の歌詞と壁や電柱の落書き、つまり音声と文字との一致ばかりに目が行きがちだが、どうかそれ以外のアートにも注目をしてほしい。Jovianは劇場で、確か4度目ぐらいの鑑賞であるオブジェの色の変化に気が付いて、感嘆の声を漏らしたのを覚えている。そのデボラとの出会いがカフェというのも良い。運命の相手とは、しばしば日常的なシーンで出会うものだからだ。一際良かったのはベイビーが実際に恋に落ちる瞬間の演出、というより恋に落ちたと確信する瞬間の演出か。わざとらしいスローモーションやズームインを全く使わず、淡々とした会話だけでそれを表現したのが逆に非常に新鮮に映った。デボラは母親的な存在ではない。が、いずれベイビーと結婚するのだろうと予感させてくれる。そのことはベイビーがダイナーで言う“Yes, I do.”というバディの質問への返答に表れている。

 

本作のBGMは、ほとんどすべて既存の歌であり楽曲である。シーンや演出に合わせて音楽が生まれたのではなく、エドガー・ライトが使いたい音楽がまずそこにあり、それに合うようなシーン演出がなされている。それが最も端的に表れているのが、中盤の“Tequila”に合わせた銃撃戦シーンと、終盤手前の“Hocus Focus”に合わせた銃撃戦シーンである。Jovianは今でもBGMと役者の演技の融合の白眉(ミュージカル作品除く)は、『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』で、地上げ屋が車載電話でプーッ・プーッ・プ・プーッとダイヤルするシーンだと思っているが、本作の音楽とアクションのシンクロ具合は、間違いなく映画演出の最高峰である。

 

エンディングもひたすらに美しい。ジュディ・ガーランドの『 オズの魔法使 』の如く、白黒がカラーに転じる瞬間に一瞬垣間見える虹に、自分の幼少期の映画体験の原点が強烈に思い起こされた。おそらく、エドガー・ライトも同様の経験を幼少期に持ったのではないか。白黒がカラーに転じるあの瞬間に、カンザスとオズ、つまり現実と夢幻の世界の境界が溶けたのだ。それと同じく、ベイビーとデボラが再び出会い、音楽を流し、あてどないRoad Tripに出るというビジョンが現実なのか幻想なのかはもはや重要ではないのである。

 

本作では数々の名曲がフィーチャーされているが、オッサン映画ファンとしては、本作を機に若い世代にコモドアーズの“Easy”を特に堪能してほしいと思う。

 

ネガティブ・サイド

奥手であるとしか思えないベイビーがバッカナリアという高級レストランで如才なく振る舞えるのには少々違和感を覚えた。バディの台詞をコピーして、それでデボラをディナーに誘うのはいいが、そこから先がトントン拍子過ぎる。テレビをザッピングしながら、モテる男のデートでの振る舞い方のようなものを一瞬だけでも良いのでインプットするシーンがあれば良かったのだが。

 

個人的にはベイビーがピザ屋として働くシーンや、何気ないデボラとの逢瀬のシーンがもう2~3分欲しかった。BabyからBoyに、そしてBig Boyになっていく過程がもう少しだけあれば、それぞれの疑似的な父親たちとの対決や別離がもっともっとドラマチックに感じられことだろう。

 

総評

カーチェイス映画であり、アクション映画であり、クライム映画であり、歌と音楽とダンスの映画であり、アングラノワールであり、ラブロマンスであり、コメディーであり、ヒューマンドラマであり、ビルドゥングスロマンでもあり、ファンタジー映画ですらある。古い革袋に新しい酒と言うが、全てのシーンが古くて新しい。どこかで観たような映画の構図がてんこ盛りなのだが、それがまったく気に障らず、適度なオマージュとして機能している。エドガー・ライトの才気煥発、面目躍如の一作である。鬱々とした気分をぶっ飛ばしたい時にこそお勧めの逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk shop 

劇中ではドクが“Shop, let’s talk it.”と言う。talk shopで「仕事の話をする」という意味である。商談の場であいさつやちょっとした雑談をして、本格的に仕事の話をするときなどに使ってみよう。shopを使う表現としては他に、set up shop=開業する、事業を始める、というものがある。He set up shop as a lawyer recently. =彼は最近、弁護士として開業した、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, アンセル・エルゴート, ラブロマンス, リリー・ジェームズ, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ベイビー・ドライバー 』 -音楽+クルマ+犯罪+ロマンス=Baby Driver-

『 マーターズ(2016) 』 -完全なる劣化リメイク-

Posted on 2020年3月28日 by cool-jupiter

マーターズ(2016) 20点
2020年3月26日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ベイリー・ノーブル トローヤン・べリサリオ
監督:ケビン・ゴーツ マイケル・ゴーツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200328002339j:plain
 

かの怪作『 マーターズ 』のアメリカ版劣化リメイクである。パスカル・ロジェの持つ生々しいビジュアルへの感覚と哲学・死生観といったものが、本作からはごっそり欠落している。

 

あらすじ

リュシーはかつての監禁のPTSDに悩まされながらも、アンナの介護によって回復していった。しかし15年後、リュシー(トローヤン・べリサリオ)は自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、彼らのアジトに踏み込んでいく。しかし、それは監禁と拷問の幕開けだった・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianの嫁さんがハマっていたテレビドラマ『プリティ・リトル・ライアーズ 』のトローヤン・べリサリオは美人である。原作のモルジャーナ・アラウィに負けていない。

 

クライマックス手前のショベルのアクションシーンは良かった。原作にはない暴れっぷりと流血シーンで、ここだけはちょっと「お!」となった。

 

ネガティブ・サイド

悲しくなるくらいに何もかもがダメである。モンスターの幻影・幻覚も劣化、暴力描写も劣化、中盤のアンナとリュシーを巡る主役交代もなし、そして何とも知り切れトンボな幕切れ。ケビンとマイケルのゴーツ兄弟は、オリジナル作品から何を読み取ったのか。そして本作を通じで何がしたかったのか。

 

まずもってべリサリオが脱がないのは何故なのか。PLLでは、トップレスではなかったとはいえ、裸体の結構な部分を見せてくれていたではないか。いや、ヌードを見せろと言っているわけではない。人間の尊厳を失うような暴力描写がもっと必要なのではないかということだ。女性の裸に性的な魅力を認めるのではなく、むしろ逆に「女の命」である髪を情け容赦なく切っていくオリジナルの方が、はるかに迫力が感じられたし、すべてはある崇高な目的のためという、オリジナルにあったマドモアゼルたちの狂信性が、本作からはごっそりと抜け落ちていた。

 

原作でリュシーが見たビジョンも本作では再現されず。いや、別にダンテの『 神曲 』的なビジョンでなくてもよいのだ。監禁・拷問・虐待の果てに見出せる境地があるとすれば、それはとても禍々しいものか、その逆にひょっとしたら神々しいものなのかもしれない。そうしたビジョンの特徴を、観る側と共有できるような共通の記号あるいはガジェットとして、オリジナルはダンテの『 神曲 』的なイメージを効果的に使った。本作にはそれがない。裸でもない、髪を切られたわけでもない、生皮をはがされたわけでもないべリサリオが白目を剥いているだけ。拍子抜けもいいところである。

 

最後の最後もシラケる。オリジナルのambivalentでenigmaticな雰囲気が、文字通りの意味で吹っ飛ばされる。オリジナルでマドモアゼルはなぜ念入りに化粧をしていたのか。狂信的なまでの信念の持ち主とは思えない言葉を吐いたのは何故なのか。そうした謎をすべてぶっ飛ばす本作の終わり方には失望を禁じ得ない。

 

総評

90分をドブに捨てた気分である。COVID-19がオーバーシュートしそうなクリティカルなフェーズなため、シアターでムービーをウォッチすることにもためらいが生まれてしまう(小池百合子風)。オリジナルを観たら、本作を観る必要はない。逆に本作から観たという人は、絶対にパスカル・ロジェの『 マーターズ 』を観るべきだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You tell me.

本作の字幕では「見れば分かる」だったが、この訳も微妙である。本来は文字通りに「あなたが私に教えて」であるが、転じて「知らんがな」というような意味でも使われる。『 ベイビー・ドライバー 』で、ベイビーに予定を尋ねられたデボラが“You tell me.”と返していた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, トローヤン・べリサリオ, ベイリー・ノーブル, ホラー, 監督:ケビン・ゴーツ, 監督:マイケル・ゴーツ, 配給会社:AMGエンタテインメントLeave a Comment on 『 マーターズ(2016) 』 -完全なる劣化リメイク-

『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 65点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー ユアン・マクレガー
監督:キャシー・ヤン

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『 スーサイド・スクワッド 』で唯一(と言っていいだろう)輝きを放ったハーレイ・クインが、ついにピンとなった。マーゴット・ロビーは『 ワンダーウーマン 』のガル・ガドットに勝るとも劣らないはまり役を手に入れたと言えるだろう。

 

あらすじ

ジョーカーと破局したことを、思い出の化学プラントを爆破することで吹っ切ったハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)。ゴッサムの悪人たちは今こそ復讐の好機とばかりにハーレイに襲い掛かって来る。そんな時、ブラックマスクの異名を持つローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)の手下からダイヤを盗んだ少女をハーレイは成り行きで救うことになり・・・

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ポジティブ・サイド

女性が男性をぶっ飛ばす様が痛快というたぐいのストーリーは近年とくに量産傾向にあり、本作も例外ではない。しかし、それが本作の主題というわけではない。ハーレイ・クインが独立不羈の奇人・狂人・極悪人に成長していくのがストーリーの眼目だ。

 

面白いと感じたのは主に二つ。一つは、ハーレイ・クインの人間性。当たり前だが、ハーレイは生身の人間で、人間であれば『 風の電話 』の三浦友和の言うように、「食べて出して」を繰り返さねばならない。極上エッグサンドにかぶりつこうとするハーレイに、我々は彼女も人間であるという事実を思い知らされる。DCUEだけではなくMCUでも同じで、『 アベンジャーズ 』のエンドクレジット後にも、スーパーヒーロー連中がケバブを黙々と食べていた。「スーパーヒーローも腹が減るのか」と妙に印象に残った。また、へべれけになって嘔吐したり、失恋の痛手から涙したりと、序盤で描かれるハーレイは市井に普通に生きる人間と何ら変わるところがない。親近感が湧いてくるのである。ヒーローの人間性を巧妙に突いた例としては『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』のレックス・ルーサーJr.(スーパーマンの母マーサの誘拐)や『 スパイダーマン 』シリーズのピーター・パーカーが正義のヒーローでいることとMJやグウェン・ステイシーらのガールフレンドとの間で引き裂かれることなどがお馴染みだ。だが、悪人の人間性をここまで鮮やかに描いた作品は記憶にない(未見の作品にいっぱいあるのかもしれないが)。『 スーサイド・スクワッド 』のデッドショットは人間性や人間味というよりは、ただの良き父親だったが、今作のハーレイは血肉を持った一人の人間になっている。

 

二つ目は、アクションである。スーパーパワーを持たないハーレイは銃にバット、そして自らの肉体を武器に戦う。一番の見どころは中盤と終盤の hand to hand combat である。Jovianは『 ブラックパンサー 』の異例とも言える規模のヒットの要因は、他のスーパーヒーロー連中が実はそこまでやらない肉弾戦を前面に押し出していたからではないかと勝手に分析している。ブルース・リーへの壮大なオマージュである『 マトリックス 』もそうだった。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』でも、一番面白かったのはバットマンが素手で雑魚敵をバッタバッタと倒していくシーンだった。WWEのディーバのごときマニューバーで留置場の男たちを蹴散らすハーレイは、単純に見ていて楽しくなる。また終盤の遊園地のアトラクションの中での女性軍のバトルは、多様な足場や背景もあり、 eye candy だった。ガン・アクションやレーザービームが飛び交うバトルも悪くないが、プロレス風ロイヤル・ランブルはそれ以上に楽しい。

 

ロマンスや友情は人間にとってこの上なく大切なものである。だが同じくらい大切なことは、自分が自分らしくあることではないだろうか。ハーレイが一人の人間としてたくましく雄々しく一歩を踏み出していく様は、老若男女を問わず多くの人を勇気づけることだろう。

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ネガティブ・サイド

序盤の展開がかなりもたもたしている。化学プラントをタンクローリーで吹っ飛ばすところまでがスローで、そこから一気にテンポを加速させていくかと思いきや、またもスローダウン。序盤の展開の遅さには少々眠気を催された。

 

ヴィランであるはずのローマン・シオニスが怖くない。ゴッサムでジョーカーやバットマンと渡り合えるような器の持ち主に見えない。異名の元であるブラックマスクをかぶっても何がどうなるわけでもない。ベイン(『 ダークナイト 』シリーズの方)がよほど迫力も貫禄もあった。完全にユアン・マクレガーの使い方を間違えている。

 

ハーレイのペットであるハイエナのブルースも、特に活躍しない。『 野性の呼び声 』のバックとまでは言わないが、それなりの見せ場はあるだろうと思ったが、全くなし。せいぜいゴッサムのチンピラの恨みの原因の一部になったぐらい。完全にこけおどしの設定である。これなら金魚とかヘッジホッグといった、もっと乙女チックなペットで良かったのではないか。

 

エンドクレジットの最後にハーレイのちょっとしたトークがあるが、映像はなく声だけ。『 デッドプール 』的なスキットにはできなかったのか。続編作る気満々のようだが、『 バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生 』が暗殺者ウィルソンを出してきたように、何らかのライバルの存在を示唆してほしかった。あるいはデッドプールがケーブルの登場を予告したように、バディでもよい。バットマンの情報は要らない。バットウーマンやキャットウーマン、またはポイズン・アイビーの情報が欲しいのだ。

 

総評

Bird of Prey結成がストーリーの本筋に絡んでこないのだが、それでも女性軍団が立場を超えて結束し、拳で男どもをなぎ倒していくのは爽快である。悪vs悪などと考えず、自分らしさとは何かを追求しようとする人間たちの物語として見ること。何が善で何が悪かなど誰にも分からない。確かなことは、自分が自分の生き方に満足しているかどうか。そのことを素直に前面に押し出してくるハーレイは、その行為の過激さは別にして、多くの人の手本になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I dare you

通常、命令形に続けて“I dare you”と言うことで「やってみろよ」的な意味になる。作中ではハーレイが“Call me a softie, I fucking dare ya.”=「私を弱虫だって呼んでみなさいよ、コノヤロー」と言っていた。英語学習中級者なら、このCyanide & Happinessの意味が分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, アメリカ, マーゴット・ロビー, ユアン・マクレガー, 監督:キャシー・ヤン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

Posted on 2020年3月15日2020年9月26日 by cool-jupiter

エスケープ・ルーム 55点
2020年3月14日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:テイラー・ラッセル
監督:アダム・ロビテル

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2016年だったか、JovianはMOVIXあまがさきでリアル脱出ゲーム「ある映画館からの脱出」にトライしたことがある。結果は、本の半分くらいまでしか進められなかった。あと1時間半あれば、もしかしたら全部解けた・・・かもしれない。そういうわけで、ある意味でリベンジを期して本作に臨んだが、頭脳系というよりはアクションとサスペンスの風味が強めだった。

 

あらすじ

このエスケープ・ルームを最初に攻略した者には賞金1万ドル。各地から集まってきたゾーイ(テイラー・ラッセル)ら6人は、シカゴのビルの一室でゲーム開始を待っていた。だが、部屋のドアノブが外れたのを合図に脱出ゲームがいきなり開始された。この脱出ゲーム、エンターテイメントというにはあまりにもシリアスで過酷なもので・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からただなぬら雰囲気である。足を怪我していると思しき男が、上階から天井を突き破って落下してきた。そしてドアに取り付けられた暗号鍵のヒントを探す。だが、そうする間にも部屋はみるみると縮まっていき、調度品を押しつぶしていく・・・

 

まるでスペインの怪作『 キューブ■RED 』(ちなみにこれは『 キューブ:ホワイト 』と同じで、いわゆる『 CUBE 』の名を模しただけの作品である)のクライマックスにそっくりである。色々な部屋に恐ろしい趣向が凝らしてあるというのは、まさに『 CUBE 』の精神を受け継いでいる。

 

一つ一つの部屋も、しっかりと作りこまれている。このあたりも『 CUBE 』的である。また、一見して建物の中とは思えない部屋も存在する。扉が開くごとに異世界に放り込まれる感覚は、『 キラー・メイズ 』を格段にシリアスにしたようにも感じられた。『 ジュマンジ 』はゲームのキャラになる話だが、こちらはリアル脱出ゲーム。どこかコミカルな前者と違い、全編に緊張感・緊迫感があふれている。

 

集められてきた面々にも「ある要素」が仕込まれており、そのことが物語の早い段階でフェアな形で暗示されている。このあたりは巧みな構成であると感じた。また、彼ら彼女らは集められてきたわけであるが、では集めた側はどうなっているのか。このあたりは米澤穂信の小説および映画化もされた『 インシテミル 』の経済格差社会バージョン。我々が昔、TBSのスポーツエンタメ番組『 SASUKE 』を見ているようなものか。構造は『 インシテミル 』と似ていても、観る側がスーパーリッチ(その姿は当然見えない)であるというところは現代的であると感じた。

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ネガティブ・サイド

キャラクターがほとんど全員立っていない。優等生で内気な少女やゲームヲタクの少年などはその最たる例だろう。死んでいく順番も手に取るように分かってしまう。このあたりにもう少し意外性を期待したかった。

 

ゲームの主催者がビルから一切合切の痕跡を残さず去ってしまうのも、相当に無理がある。現実にゲーム参加者ではない者の死体、それも銃殺されたものがある以上、本腰を入れて捜査せざるを得ないはずだ。なので、捜査は行われるも一切進展せず。警察はあてにならない。という流れの方が説得力があったと思われる。

 

また用意されていた各参加者の死亡新聞記事も、つじつま合わせとしては少々苦しい。特にゲーオタ少年などはほぼ100%、ネット上で活発に発言し、行動するナードだろう。「これから最難関の脱出ゲームに行ってきます!」のようなブログ記事やオンラインメッセージ、メールや友人知人への吹聴などがあったに決まっている。そういったもの全てを消し去る、あるいは歪曲するのは、不可能に思える。

 

総評

続編作る気満々で、実際に早々に続編制作をも決まったらしいが、どうなることやら。こういう作品は単体では面白いが、シリーズ化されてしまうと途端に陳腐になってしまう。それは『 CUBE 』や『 ソウ 』の証明するところである(特にJovianは開始10~15分で『 ソウ 』の仕込みを見破ったから猶更そう感じる)。あまり深く考えず、遊園地のアトラクション的なノリで鑑賞するのが正解かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work

劇中で何度か“It didn’t work.”というセリフが使われたが、「働く」という意味ではない。「上手くいく」という意味である。“It didn’t work.”は「(入力したパスコードが)ダメだった」ということである。日常生活でも

“Your advice worked.”

“This medicine will work.”

などという具合に使ってみるべし。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, シチュエーション・スリラー, テイラー・ラッセル, 監督:アダム・ロビテル, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

Posted on 2020年3月8日2020年9月26日 by cool-jupiter
『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

野性の呼び声 65点
2020年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ハリソン・フォード ダン・スティーブンス オマール・シー
監督:クリス・サンダース

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Jovianは小さい頃にアニメ『銀牙 -流れ星 銀- 』が好きだった。ある程度活字にはまるようになってからは本作の原作者ジャック・ロンドンの『 白い牙 』も繰り返し読んだ(文庫や単行本ではなく、巻末に付録がたくさんついた児童文学書だった)。本作は『 白い牙 』とは裏腹に、飼い犬が野性に帰っていくストーリーである。

 

あらすじ

19世紀末。飼い犬だったバックは、盗難の末に売り飛ばされ、そり犬となる。郵便配達人のそりを引く群れに加わったことでバックは徐々に野性を取り戻していく。しかし、その郵便配達チームも解散。数奇な運命をたどるバックは、ジョン・ソーントン(ハリソン・フォード)と再会を果たして・・・

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ポジティブ・サイド

本作には厳然たるテーマが存在する。バックが最初に連れて来られるアラスカ州、そしてユーコン準州は大自然という言葉では言い表せない自然の威厳、驚異、そして美がある。日本人は「自然」という英語をしばしば nature と訳すが、本作に描かれる自然はまさに wilderness である。本作の大部分はカナダだが、鑑賞中にアメリカの裸足の郵便配達人(ジェームズ・E・エド・ハミルトンが特に著名)を思い起こした。本作の描く一つ目のテーマは現代社会にも共通するものである。

 

一つには、テクノロジーの発展により仕事を奪われる者が出てくることである。そして、仕事を奪われるのは人間だけとも限らない。犬もそうである。時と場所を変えれば、牛や馬もそうだろう。郵便配達人として犬そりを操るペロー(オマール・シー)の情熱と、それゆえに仕事を失った時の落胆のコントラストは、現代社会に生きる我々にも大きな説得力を持って迫って来る。

 

二つには、大自然への憧憬である。今という時代ほど、科学が日進月歩し、人類全体の世界に対する知識が向上しつつある時代はなかった。GoogleアースやGoogleマップ、Googleストリートビューは、良いか悪いかは別にして、地球上の大部分から未知の土地という概念を奪い取ってしまった。人間はすでに持っているものよりも、持っていないものを欲しがる生き物である。文学『 野性の呼び声 』が時を超えて何度も映画化されるのは、我々がそれだけ大自然への憧憬、さらには畏怖を求めているからに他ならない。そうした文脈で考えれば、なぜキングコングが現代に復活し、ゴジラと対決するのかにも意味を見出すことができる。地図にない土地を目指すソーントンとバックのコンビは、逆説的であるが現代人の姿をそのまま反映したものである。

 

三つには、人間性とは何かという問いである。本作のテーマの柱はバックが野性の呼び声を聞き、野性に回帰していくことであるが、それが同時にバックの相棒であるソーントンが人間性を取り戻す旅路でもある。人間とは何かを定義、説明することは難しい。だが我々は直感的に人間らしくない事柄は理解することができる。「血も涙もない奴だな。それでもお前は人間か!」と思ったことは誰でもあるだろう。もしくは「そこまでやっちゃあ、人間おしまいだよ」でも良い。我々は本能的にありうべき“人間像”を持っている。ソーントンを巡っては大きく二つの物語がある。一つは彼の家族、もう一つは彼と揉めて、彼を狙うゴールド・ハンターである。家族との別離に懊悩するのも人間であるが、その苦しみから逃れるために人里離れたユーコンに引きこもるのは人間らしいとは言えない。そのソーントンがバックとの交流を通じて変化していく様には迫真性がある。特に砂金を集めて何をするのかを自問するソーントンの姿は、ともすれば経済活動に没頭しがちな現代人への遠回しな批判となっている。

 

ハリソン・フォードのナレーションが耳にとても心地よい。『 ショーシャンクの空に 』におけるモーガン・フリーマンの何とも言えないゆったりとしたナレーションにそっくりで、それが耳にとてもよく馴染む。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』でも、息子と難しい関係を持つ父親を演じていたが、本作のフォードの演技はそれよりも遥かに味わい深いものがある。

 

動物にとっての自然なこと、そして人間にとって自然なこと。そうした雄大なテーマをユーコンやアラスカの大自然を背景に描く本作は、ファミリーで観るのにうってつけだろう。小中学生の息子と父親というペアをお勧めしたい。

ネガティブ・サイド

『 ライオンキング 』のCGと同じで、バックという犬、その他の犬や動物たちの再現度も非常に高い。にもかかわらず、やはりCG酔いを起こしてしまいそうになるのは、本作はテーマにおいても映像面においても、自然と人工物(CG)の対比がこれ以上なく露になるからである。『 ライオンキング 』のように、全編にわたって一切人間が出てこないのであれば、CG動物たちにも映像的な一貫性が感じられる。だが、人間との交流や動物同士の交流や対立をふんだんに描く本作では、バックがあまりにも擬人化されていると感じられたり、他の犬とバックとの関係にあまり動物らしさを感じられなかったりもした。『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』のような、本物の犬を起用した映画はもう作れないのだろうか。JovianはAnimal rightsの考え方に大方では同意するが、それでも動物に危害を加えない方法での映画撮影というのはできると思っている。

 

全編を通じて、本作はBGMが弱い。BGMのクオリティが低いという意味ではない。音量が全体的に小さすぎると思う。犬ぞりが疾走するシーンや雪崩のシーン、カヌーで川下りをするシーンなどでは特にそう感じた。本作は会話劇やアクションで魅せるタイプの映画ではない。映像と音楽・効果音で観る者の想像力を刺激しなければいけないタイプの作品である。その意味では、音質ではなく音量の低さが少々気になったところである。せっかくの素晴らしいBGMが、腹にまで響いてこなかった。

 

総評

チケット代の元は十分に取れるクオリティの作品である。単なる動物物語ではなく、そこに時代を切り結ぶテーマがあり、さらに普遍的なテーマもある。だからといって小難しい理屈が分からないと楽しめないというわけではない。アニメの『 フランダースの犬 』が理解できる子どもであれば、人間と犬は非常に濃密な関係を構築することが肌で理解できることだろう。今般の事情では難しいが、親子連れで映画館で鑑賞してほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Here be dragons

作中で直接使用される表現ではないが、地図の範囲外、あるいは地図はあっても誰もその内部を探検したことがないという領域は“Here be dragons”と呼称される。外資系に勤めている方で、完全に新規の事業を興したり、あるいは新規の地域での顧客開拓を目指すとなった時に、「そこは“Here be dragons”ですね」と(心の中で)呟いてみてはどうだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アメリカ, オマール・シー, ダン・スティーブンス, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 監督:クリス・サンダース, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

『 黒い司法 0%からの奇跡 』 -人間の良心に切々と訴える-

Posted on 2020年3月2日2020年9月26日 by cool-jupiter

黒い司法 0%からの奇跡 75点
2020年2月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マイケル・B・ジョーダン ジェイミー・フォックス ブリー・ラーソン
監督:デスティン・ダニエル・クレットン

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原題は“Just mercy”。これはdouble meaning=ダブル・ミーニングで、一つの意味は「ただ慈悲のみ」、もう一つの意味は「公正な慈悲」である。民法のドキュメンタリー番組か何かのタイトルのごとき邦題に頭痛がしてくる。黒人差別(正確には貧困差別)を撃つ作品のタイトルに「黒い」という形容詞を用いるセンスがよく分からない。普通に「慈悲と公正」とか「司法と正義」のような比較的シンプルなタイトルにできなかったのだろうか。

 

あらすじ

アラバマ州で林業を営むジョニー・D(ジェイミー・フォックス)は、突然警察に逮捕され、死刑囚にされてしまった。犯してもいない罪で、刑務所に入れられた彼のような人々の元に、ハーバード大学卒業の黒人弁護士ブライアン・スティーブンソン(マイケル・B・ジョーダン)がやって来た。冤罪を晴らし、自由を得るための苦闘が始まるが・・・

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ポジティブ・サイド

これが30年前のアメリカの現実であり、そして21世紀も20年が過ぎようとしている今という時代にも現在進行形の物語である。そのことに驚かない自分に驚かされる。『 私はあなたのニグロではない 』から『 ブラック・クランズマン 』まで、黒人差別をテーマにした映画は、それこそ無数に作られてきた。本作は何が違うのか。それは、差別の構図に別の角度から光を当てたことである。

 

冤罪で収監され、有罪判決を受けた黒人。それを支援しようとする黒人弁護士。だが、ジョニー・Dはそのことに心を動かされない。彼にとっては最初、ブライアンは同胞でも味方でもない。北部からやってきたよそ者、大学卒のエリート。そうした自分とは異なる属性の人間だった。黒人差別や人種差別という言葉には、それ自体に差別の概念が埋め込まれている。なぜなら黒人は黒人を差別しない、アジア人はアジア人を差別しない、そうしたことを無邪気に前提しているかのように聞こえるからである。実際にはそうでない。ブライアンは最終盤で、差別の構造を鮮やかに解き明かして見せる。このシーンではJovianは思わず膝を打った。日本でも“上級国民”なるワードが人口に膾炙するようになって久しい。本当にそうした人種が存在するのかどうかはさておき、池袋高齢者ドライバー暴走事故は確かに我々に上級国民の存在を示唆する非常に象徴的な事件となった。上級国民の反対概念とは何か。それは下級国民である。では、下級とはどのようにして決まるのか。ブライアンは“それ”を正義の反対概念に置くことで、世界で急速に進む富の寡占、世界の分断を遠回しにだが強烈に撃ち抜く。ジョニー・Dの有罪の決め手となった証言をしたマイヤーズという男の肌の色、そして経済状態を見よ。彼こそが下級国民の象徴である。

 

同時に本作は差別からの解放を謳い上げるだけではなく、人間の尊厳についても非常に鋭く切り込んでいく。ベトナム戦争によりPTSDになり、殺人に至ってしまった男の死刑執行のシークエンスには恐怖と荘厳さが同時に存在する。なぜ死刑囚の死にこれほど心が揺さぶられるのか。それは我々が彼に同化するからである。共感するからである。ブライアンに心を開かなかったジョニー・Dが、なぜブライアンと共闘する気持ちになったのか。囚人たち(大部分は冤罪だが)が互いに固い絆を結び合っているのはどうしてなのか。それは孔子の言う仁である。巧言令色鮮し仁と言うが、ブライアンがジョニー・Dとの面談を重ねていく過程をよくよく見てほしい。人権派弁護士とは、理論家ではなく行動家なのだ。看護師の祖ナイチンゲールも「天使とは、美しい花を振り撒く者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ」と喝破している。ブライアンは、『 クリード チャンプを継ぐ男 』、『 クリード 炎の宿敵 』のアドニス・クリード並みに戦っている。派手さはない。しかし、ブライアンもまたファイターであることは疑いようもない。

 

それにしてもアメリカでも日本でも、裁判官というのはむちゃくちゃだなと思わされる。『 裁判官! 当職そこが知りたかったのです。 -民事訴訟がはかどる本-  』は知り合いの弁護士先生方にすこぶる評判が悪いが、普通の人間であるならば感じるべきことを感じられない裁判官の存在に、恐ろしいまでの無力感や絶望感を味わわされてしまう。これは下手のホラー映画よりも遥かに怖い。ブライアンはそれをどう乗り越えたんか。それは良心である。従容として電気椅子に座る死刑囚にも、自らの正義を盲信する保安官にも、良心がある。それこそが人間を人間にしてくれるのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

ブライアンが受ける屈辱的な仕打ちや、命の危険すら感じる脅迫的な警察の対応が序盤でパタッと終わってしまうのは少々拍子抜けである。アラバマというディープ・サウスの土地柄を表しているのかもしれないが、実際には調査や接見のあらゆる局面で差別や妨害があったはずである。職務上のパートナーであるエバ(ブリー・ラーソン)も脅迫を受けるが、そうしたシーンやプロットにもう少し尺を割けなかっただろうか。再審請求までが、少しトントン拍子に進み過ぎているように感じられた。差別されるのは黒人という属性ではない。エバは白人であっても差別の対象になっている。マイヤーズもそうだ。序盤の展開があまりにも黒人差別にフォーカスしているせいで、終盤に差別の本質が明かされた時のインパクトがあまり強くなっていないように感じられた。

 

ブライアンを脱がせた刑務所職員の男の変節(?)というか変化も不自然に感じられた。彼が変わっていく契機は、死刑の執行ではなく、囚人たちの人間関係に感化されることであるべきだった。

 

総評

これは傑作である。このような戦う弁護士が存在し、着実にたくさんの人々を救ったということに畏敬の念を抱かずにはいられない。同時に、正義とは何であるのかについても強く考えさせられる。法の下での平等がただのお題目に過ぎないのか。法治国家と言いながらも人治国家になりつつある某島国に暮らす人々は本作を観よう。袴田事件に憤り、涙を流す人なら、本作は必見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get away with murder

直訳すれば「殺人をもって逃げる」だが、実際は「めちゃくちゃなことをしてもお咎めなし」、「好き勝手し放題である」というような意味となる。ジョニー・Dは冤罪であり、真犯人は「文字通りの意味で殺人を犯しながらもお咎めなしで済んでいる(=literally get away with murder)」と劇中では使われている。読売新聞が米大統領の発言を「(日本や中国は)25年にわたって『殺人』を犯しておきながら許されている」と訳して物議をかもしたのは記憶に新しい。日本の貿易が犯罪的であるかどうかは別にして、某国の某総理大臣夫妻などはまさにこれ=get away with murderであろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ジェイミー・フォックス, ヒューマンドラマ, ブリー・ラーソン, マイケル・B・ジョーダン, 伝記, 監督:デスティン・ダニエル・クレットン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 黒い司法 0%からの奇跡 』 -人間の良心に切々と訴える-

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