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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 』 -もう一度コンセプトを見直せ-

Posted on 2021年8月20日 by cool-jupiter

ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 60点
2021年8月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イドリス・エルバ マーゴット・ロビー ジョン・シナ
監督:ジェームズ・ガン

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デイヴィッド・エアー版の『 スーサイド・スクワッド 』をジェームズ・ガンがリブート。エアー版より良くなっているところもあるが、やはり悪者軍団の魅力が描き切れていないのではないだろうか。

 

あらすじ

減刑10年と引き換えに集められた犯罪者たち。彼ら彼女らに与えられたミッションは、南米の小国にある施設ヨトゥンヘイムに侵入し、世界の平和をおびやかす研究を破壊すること。そのためにブラッドスポート(イドリス・エルバ)やハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)らがタスクフォースXとして現地に派遣されるが・・・

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ポジティブ・サイド

開始から数分で前作のキャラがドンドン退場していく。そのあまりの小気味の良さに笑ってしまう。しかも、まあまあのゴア表現もあり、なかなかよろしい。いきなり仲間内から裏切り者が出て、その裏切り者もあっさりと殺されてしまう。これでこそ悪人ぞろいのスーサイド・スクワッドという感じがした。

 

新生したザ・スーサイド・スクワッドの各メンバーも多士済済。前作では、ディアブロが強すぎ、キャプテン・ブーメランが弱すぎという、かなりアンバランスな構成で、見せ場の多くはデッド・ショットが持って行ってしまった。今作ではブラッドスポートがデッド・ショット的なポジションながら、スクワッドのメンバーがちゃんと ensemble cast になっている。このへんの匙加減が『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』を思わせる。

 

中盤のハーレイ・クインの大暴れが一番の見どころ。結構な殺しっぷりだが、『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』同様に、人間がカラフルな紙吹雪状になって散華していく様はやっぱり笑ってしまう。ブラッドスポートとピースメイカーの殺し合い合戦もユーモラス。「こやつら、かなりできる」と観客に思わせてからのオチにも笑った。

 

極悪隊員たちが怪獣に挑むというスペクタクルは圧巻。敵の倒し方にも説得力がある。スーパーパワーで敵を倒しては興ざめで、ちゃんとスクワッドのメンバーの固有の能力で倒してくれたのが良かった。

 

フラッグ大佐や真の悪党アマンダおばさんが続投してくれていることで、DCEUとのつながりも保たれている。またジョーカーが一切出てこないので、ストーリーの軸がぶれない。続編があるなら(そして”Pop Goes the Wiesel”な展開になるなら)、映画館で観てみようかと思う。

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ネガティブ・サイド

やはり何か違う。前作では、なぜDCの正統的なスーパーヒーロー、たとえばスーパーマンやワンダーウーマンが出張って来ないのか分からなかった。今作でもそれは同じ。言ってみれば、アメリカの暗部に直結する dirty work = 汚れ仕事をこなす汚れ役、それがスーサイド・スクワッドであり、ザ・スーサイド・スクワッドでもある。ただ、相手が宇宙生命体にして怪獣である(トレイラーに散々映っているので spoiler ではないだろう)となれば、大げさに言えば地球の危機。ならばゴジラかスーパーヒーローを呼んで来いという話になる。極悪人に、同じくらいの極悪人をぶっ殺してこいというミッションなら分かるが、これでは刑務所にいる悪党どもを集める意味がそもそもないではないか。

 

フラッグ大佐のキャラのトーンが前作と違うのも気になった。前作では「どうやってこいつらをまとめ上げればいいんだ」と苦悩する生真面目な軍人風味だったのが、今作ではどこか抜けた雰囲気の軍人になってしまった。かと思うと、アマンダの非道っぷりは変わらず。このあたりのキャラを続投させるなら、前作の性格をちゃんと引き継がせてほしかった。

 

総評

爽快感は間違いなくある。アクションは派手かつコミカルで、人間ドラマの要素もしっかりと組み込まれている。しかし、何かが違う。悪人が結局、善人になってしまっては面白くもなんともない。最終的に家族ドラマに落ち着いてしまっては、前作と同じ、かつアメリカ的な正統なイデオロギーから脱していない。つまり、スーパーヒーロー映画と根本的に同じになってしまう。「 “極”悪党、集結 」などという邦題に期待しなければ、楽しめる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

suicide

「自殺」の意。形態素解析すると、それぞれラテン語で sui + cide となる。sui = self, cida = killer である。cida が英語になる際に cide と綴りが変わった。cide = killer と覚えておけば色々と応用が利く。pesticide = 小さな動物を殺すもの = 殺鼠剤、殺虫剤となるし、homicide = 人間を殺すもの = 殺人となる。英検一級を目指すなら、regicide や fratricide を知っておきたい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, アメリカ, イドリス・エルバ, コメディ, ジョン・シナ, マーゴット・ロビー, 監督:ジェームズ・ガン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 』 -もう一度コンセプトを見直せ-

『 ドント・ブリーズ2 』 -第3作に続くか-

Posted on 2021年8月19日 by cool-jupiter

ドント・ブリーズ2 70点
2021年8月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スティーブン・ラング ブレンダン・セクストン3世 マデリン・グレース
監督:ロド・サヤゲス

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前作『 ドント・ブリーズ 』の脚本家が続編を監督。普通に面白かった。『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』のように続編も前作のオリジナルを保っていて、なおかつ『 ボーダーライン 』で主役だったエミリー・ブラントが、続編『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』では退場、主役をベニシオ・デル・トロが引き継いだ構図とよく似ている。

 

あらすじ

盲目の元ネイビーシールズ隊員のノーマン(スティーブン・ラング)は、少女フェニックス(マデリン・グレース)を、厳しくトレーニングしながら養育していた。ある日、自宅が謎の男レイラン(ブレンダン・セクストン3世)たちに襲撃される。応戦するノーマンだったが、フェニックスをさらわれてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

前作では家そのものが一つの巨大なキャラクターのようだったが、本作でもそうした雰囲気は健在。序盤で男たちが家に侵入してきた際に、家屋内を縦横無尽にワンカットで移動していくカメラワークには痺れた。終盤のとあるロケーションでの闘いも、視覚によって聴覚と触覚を表すという演出が素晴らしく印象に残った。

 

ゴア強めのアクション要素がアップしたのは個人的には嬉しい。第一作は、盲目の老人が超強い+相手の家から出ようにも出られないという、二つのホラー要素が上手くハマった。まともに戦えば勝てないが、相手は盲目。しかし、場所は相手のホームグラウンドという設定が絶妙だった。逆に言えば、一回こっきりでしか使えないアイデアだった。今作では相手も元軍人にすることで、バトルに緊迫感をもたらした。このホラー路線からアクション路線への変更は奏功したと言っていい。

 

盲目老人のがハンデを次々に克服して、レイラン一味を追い詰めていく方法にも、まあまあ説得力がある。またレイランがフェニックスを狙う理由もなかなかに狂っていて、人間の業を感じさせる。ある意味、エゴとエゴがぶつかり合っているわけだが、観る側はレイランよりもノーマン老を応援したくなる。その仕掛けは、ぜひ劇場でお確かめあれ。

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ネガティブ・サイド

Don’t breathe = 息をするな、という要素がなくなってしまった。それどころか、序盤では2度ほど”Breathe”=「息をしろ」というシーンが作られていて、「これは終盤に”Don’t breathe!”なシーンが来るという伏線だな」と感じさせられたが、それもなし。クライマックスの「煙幕」シーンで、”Don’t breathe!”と叫ばせることも可能だったのではないだろうか。

 

犬の扱いが雑ではないか。前作では良い味を出していた黒犬のシャドウもそうだが、もう一頭の方は節操がなさすぎる。もちろん、元の飼い主のレイランの言動もちょっとアレだが、もう少しノーマンが犬を手懐けるために行っているほんのちょっとした技のようなものを見せておいてくれれば、中盤以降の展開にもっと説得力が生まれる。

 

エンディング(ポスト・クレジット前)のシーンはまんま『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のエンディング。重要なシーンだからこそ、もう少しオリジナリティが欲しかった。

 

総評

主人公の変態属性が薄まったが、戦闘能力は健在。アウェーでもそこそこの説得力のある戦いになっており、ホラー色が薄まったものの、アクション要素がパワーアップ。前作の恐怖要素に辟易した向きも、本作になら入っていきやすいのではないか。ほんのわずかだがポスト・クレジットの映像があるので、最後まで御覧あれ。期待せずに待とうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

go home

家に帰る、の意。よくある間違いとして go back home というものがあるが、これはしばらく家に帰っていない人が使う表現。たとえば単身赴任している人が久しぶりに家に帰る時などに使う。職場や学校などで「今日は何時に家に帰る?」というのは、”What time are you going to go home today?”と言う。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, スティーブン・ラング, ブレンダン・セクストン3世, マデリン・グレース, 監督:ロド・サヤゲス, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ドント・ブリーズ2 』 -第3作に続くか-

『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

Posted on 2021年8月9日2021年8月9日 by cool-jupiter

イン・ザ・ハイツ 80点
2021年8月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンソニー・ラモス メリッサ・バレラ
監督:ジョン・M・チュウ

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仕事の超繁忙期なので簡易レビューしか書けない・・・

 

あらすじ

ウスナビ(アンソニー・ラモス)は、発展していくNYの中でも取り残されつつあるワシントン・ハイツ地区で、移民のルーツを持つ仲間たちと必死に、しかし夢をもって生きてきた。しかし、ある真夏の夜に大停電が起き、そこで彼らの運命を変えることになる事件が起きる・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から圧巻の歌とダンスのシーンが繰り広げられる。その点では『 ラ・ラ・ランド 』と全く同じなのだが、あちらがいかにも人工的に作った映像と音楽だったのに比べ、こちらはそこに生きている人間の息遣いが感じられた。それは究極的には『 ラ・ラ・ランド 』は夢見る白人たちの物語であって、その世界に生きる人間の夢も、LAというエンターテイメント業界の中心地における成功以上の意味合いが感じ取れなかったから。『 イン・ザ・ハイツ 』は、社会のメインの潮流から cast out されてきた人々の連帯の物語。どちらに感情移入しやすいか、どちらに自分を重ね合わせ安いかとなると、Jovianとしては後者である。また楽曲やダンスのクオリティも『 ラ・ラ・ランド 』よりも高いと感じた。冒頭の8分間は『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭6分間にも匹敵すると言っても過言ではない。

 

あとは物語世界の中でキャラクターたちが必死に生きる姿を追いかけるだけで良い。『 ラ・ラ・ランド 』では一方が夢をあきらめてしまったり、『 ベイビー・ドライバー 』はクライム・ドラマだったりしたが、本作にはそうしたネガティブな要素は出てこない。いや、途中で出てくるには出てくるが、そのキャラクターも一度は諦めた夢をもう一度追いかけることを決断する。そこには家族、恋人、そして地域の愛があった。陳腐な表現を使えば、現代社会で忘れられかけた連帯というものが、力強くフォーカスされていた。停電という一種の人災の中、知恵と工夫で乗り切ろうとする人々、自らの職務に愚直に邁進する人々、そうした人々の姿に大いに胸を打たれた。邦画でミュージカルをやるとだいたいコケるのだが、本作でスポットライトが当たっているラテンの世界には歌と踊りの伝統がある。『 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 』でも描かれていたように、歓喜も悲哀も歌に昇華してしまうのがラテンのノリ。それがあるからこそミュージカルという形式がハマる。

 

貧富の格差がどうしようもなく拡大しつつある現在、それでも carpe diem な精神を持って、Home is home という生き方を体現するワシントン・ハイツの人々の生活を大スクリーンと大音響で体験されたし。

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ネガティブ・サイド

『 パブリック 図書館の軌跡 』では最大級の寒波が到来しているにもかかわらず、吐く息が全く白くならないというミスがあった。本作も同じく、熱波が到来している中での停電にもかかわらず、誰も汗を滴らせていないというのは気になった。

 

舞台を映画化したということだが、途中でライトセーバーをCGで表現したりするシーンは感心しなかった。無いものを見せる。それが表現力であるし演出力だろう。ライトセーバー特有のあのヴーンという効果音を使う方がより効果的だっただろう。

 

総評

快作である。日々のうっぷんが晴れるかのような気分になった。弱者という言葉がふさわしいかどうか分からないが、発展に取り残された街区での人々の連帯という点が、コロナ禍において行政や科学技術の面で立ち遅れた日本に暮らす自分の心を大いに射抜いた。楽曲の良さも保証できる。ミュージカルというジャンルに慣れていない人にも、ぜひ鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no place like home.

『 オズの魔法使 』でドロシーがカンザスに帰るために赤い靴を履いて念じた言葉。本作でも、ある歌唱&ダンスのシーンで使われている。この表現自体は超有名かつ使いどころも非常に多い。たとえばsummer vacationが明けて職場に帰ってきた。同僚に”Did you enjoy summer vacation?”と尋ねられ、”Yeah, I went to Nagano, but there’s no place like home.”のように言うこともできる。Naganoというのはパッと頭に浮かんだ地名であり、何か含むところがあるわけではない。念のため。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アンソニー・ラモス, ミュージカル, メリッサ・バレラ, 監督:ジョン・M・チュウ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

Posted on 2021年8月3日 by cool-jupiter

17歳の瞳に映る世界 80点
2021年7月31日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シドニー・フラニガン タリア・ライダー セオドア・ペレリン
監督:エリザ・ヒットマン

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原題は”NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS”、「決してない、ほとんどない、時々ある、常にある」の意味である。この原題がいったい何を意味するのかが分かるシーンは2021年屈指の名シーンであり、多くの男性を慄然とさせることだろう。

 

あらすじ

17歳のオータム(シドニー・フラニガン)は妊娠してしまう。同じスーパーでアルバイトをしている従妹のスカイラー(タリア・ライダー)は、バイト先の金を着服して、中絶のために保護者の同意が必要ないニューヨークに向かうが・・・

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ポジティブ・サイド

中絶をテーマにした作品には『 JUNO ジュノ 』や『 ヘヴィ・ドライヴ 』など、ちらほら作られてきた。特にアメリカは北部と南部でpro-choice(中絶容認)派とpro-life(中絶反対)派が激しく対立する社会で、州によって中絶の可不可がくっきりと別れている。本作の主人公オータムが暮らすペンシルバニアは中絶が可能。しかし、保険証を使うと両親に請求が行ってしまい、中絶手術が露見してしまう。それを避けたいオータムと、彼女を見守るスカイラーの旅路が本作のメインを占める。言ってみればロード・ムービーなのだが、その旅路の中で(いや、旅路の前でも)彼女たちが目にする世界には、色々と考えさせられるものがあった。

 

冒頭、何らかのイベントのステージで、次々に皆が歌を歌っていく。その中でオータムがギターの弾き語りを披露する中、客席からは”Slut!”という罵声が飛ぶ。通常の映画なら「なるほど、この声の主がオータムのロマンスの相手か、または恋路を邪魔する男なのだな」と感じるところなのだが、オータムはレストランで自分をまったく気にかけない父親を無視し、罵声を浴びせてきた相手の男の顔面に水をぶちまける。無表情ではあるが、激情型であることを明示する。

 

バイト先のスーパーでも無遠慮な男性客にセクハラ丸出しの店長と、17歳の瞳に映る世界には『 SNS 少女たちの10日間 』に出てくるような sexual predator が数多く生息していることが分かる。しかし、ここまでなら「とんでもない男がいるもんだな」で話は済む。

 

問題はこの先で、ニューヨークのクリニックで中絶に際してのカウンセリングをオータムが受けるところ。原題にある”Never, Rarely, Sometimes, Always”という表現のいずれかを使って、質問に答えるシーン。BGMもなく、音響効果も視覚効果もなく、ただただ役者の演技だけを淡々と映し続ける。ただそれだけであるにもかかわらず、胸が締め付けられてしまう。17歳にしてはオータムの性経験が豊富だなと感じるからではない。邦題にある通り、『 17歳の瞳に映る世界 』は決して安住できる世界ではないからだ。質問に対して言葉を詰まらせるオータムの姿の向こうに、色々な男性の姿が想起されてくるのだ。

 

このシーン、男性諸賢はよくよく噛みしめられたい。「そうか、なかなかしんどい関係を持ってきたんだな」で終わらせてはならない。このシーンを自分とパートナーの関係に置き換えて鑑賞しなければならない。たとえば自分の恋人に「いいでしょ」とか、「え、ダメなの?」とか、「大丈夫だから」とか、優しい口調で、しかしプレッシャーを与えるような言葉を発したことがない男性はどれくらいいるだろうか。よくよく自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

 

オータムの良き理解者であり従妹であり親友でもあるスカイラーだが、二人の距離感はなかなかに複雑だ。日本の少女漫画のようなあからさまなケンカと、お約束の仲直りなどはそこにはない。くっつきすぎず、しかし離れすぎず。道中のバスでアダム・ドライバー的な顔立ちの男がちょっかいを出してきて、これがスカイラーとなかなか良い感じになってしまう。17歳の女子など機会があればアバンチュールしてしまうものだが、こうした展開が逆にリアリティを増している。しかもこの男、下心丸出しでありながら、普通にgood guyでもある。10代の男の性欲など、鳩や犬のようなものだが、それをある意味で上手に利用するオータムとスカイラーも、搾取されるだけの弱い女子ではない。

 

特に大きな事件もない。大きな人間関係の進展や破綻もない。どこまでも淡々とした物語である。だからこそ、実は世界のどこかで常にこうした物語が現在進行形で進んでいるのではないか。そのように思わされた。

 

ネガティブ・サイド

最初のクリニックからの二度目の電話はどうなったのだろうか?

 

ラストの余韻をもう少し長く味わわせてほしかった。『 スリー・ビルボード 』のエンディングも素晴らしいものがあったが、個人的にはもう20~30秒欲しかった。本作も同じ。もう数秒から数十秒でよいので、オータムの表情にカメラに捉え続けてほしかったと思う。

 

総評

一言、大傑作である。Jovianはこの夏、多くの日本の中学生、高校生、大学生たちに本作を観てほしいと心底から願う。女子同士で鑑てもいいし、カップルで鑑賞するのもありだろう。エンタメ要素は皆無だが、これほどまでに観る者の心を打つ作品には年間でも2~3本しか巡り合えない。本作は間違いなくその2~3本である。映画ファンならば、チケット代を惜しんではならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

positive

様々な意味を持つ語だが、ここでは「陽性」の意味・用法を紹介する。本作では妊娠検査の結果を指してpositive = 妊娠している、という意味で使われているが、現実の世界でも毎日のように市井の一般人から有名人までコロナ陽性者が報じられている。英語では「彼はテストの結果、コロナ陽性となった」=”He tested positive for corona.” のように表現する。テストの結果、陰性であると判明した場合は、”test negative”となる。ちょうど五輪たけなわであるが、ドーピング検査などでも同様の表現を使うので、英字新聞を読む人なら既によく知っている表現だろう。受験生なども今後は必須の語彙・表現になるのではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, シドニー・フラニガン, セオドア・ペレリン, タリア・ライダー, ヒューマンドラマ, 監督:エリザ・ヒットマン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

『 デューン/砂の惑星 』 -復習鑑賞-

Posted on 2021年8月2日 by cool-jupiter

デューン / 砂の惑星 50点
2021年7月28日 WOWOW録画鑑賞
出演:カイル・マクラクラン
監督:デビッド・リンチ

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これは確か子どもの頃に父親がレンタルで借りてきたのを一緒に見た記憶がある。サンドワームを観て、「あ、『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』の宇宙ナメクジや!」と思ったが、本当に先なのはこちら。ヴィルヌーヴ版の公開を前に昔のDVDを引っ張り出して復習鑑賞。

 

あらすじ

巨大なサンドワームが巣食う砂の惑星アラキス、通称デューンでは「メランジ」と呼ばれる恒星間移動を可能にするスパイスが産出される。そのスパイスの採掘をめぐり宇宙皇帝、アトレイデス家、ハルコネン家の間で陰謀と闘争が繰り広げられて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 スター・ウォーズ 』シリーズや『 トータル・リコール 』などに見られる宇宙の違う星での出来事、という感覚が全編を通じて伝わってくる。それは衣装や小道具・大道具の力によるところが大で、これが小説と映画の違い。文字で書けば20語で済むようなことでも、映像化させるとなると途轍もない手間が必要。そのミッションを完遂した裏方スタッフさんたちに満腔の敬意を表したいと思う。

 

皇帝側の送り出してくる刺客連中の醸し出す雰囲気も『 ブレード・ランナー 』のレプリカント的であり、『 マッドマックス/サンダードーム 』的でもある。これも、元祖は本作。スティングのキャスティングも、ティナ・ターナーのキャスティングと共通するものを感じる。歌手を役者にするという、ある種の時代の潮流を本作が作ったのかもしれない。

 

主人公のポールがフレーメンに合流して、サンドワームを乗りこなし、銀河皇帝を相手に一挙に蜂起していく様は爽快の一言。campyとしか言いようがない特殊技術の数々であるが、当時の技術レベルを考えれば、非常にmajesticなシーンの数々だったのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

やはりストーリーが意味不明である。スパイスである「メランジ」は元々、超長寿命を手に入れられる秘薬ではなかったか。本作ではそこのところがぼやけている。

 

皇帝と様々な公爵家の関係や、銀河に存在する多くの星系同士の関係がどうしても見えてこない。超巨大スケールのスペクタクルのはずが、どうしても非常にこじんまりとした内輪もめの話にしか感じられない。

 

欠点と言ってしまうと言い過ぎかもしれないが、主人公ポールの成長過程、および妹の誕生過程の描写が薄い。もっとも、ここを丹念に描くと作品全体の長さが3時間になってしまう。それでも、アトレイデスとハルコネンの確執や、ポールが自身の力を自覚し、鍛え、成長していく中で、野望が確信に変わる様を、もっと丁寧に映し出してほしかったと思う。

 

総評

今の目で見るとなかなかキツイ。しかし、昭和のゴジラ作品や『 スーパーマン 』を鑑賞するような姿勢で臨めば、それなりに楽しめるはず。映像技術については時代背景を考慮する。ストーリーやキャラクター造形にも当時の世相がある程度反映されていることを承知しておく。是非それを心がけれられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am not here.

直訳すれば「俺はここにいない」という矛盾した意味になるが、要するに居留守あるいはオフィスにいるのに離席中ということにしたい時にこう言う。実際にJovianの同僚は、割と頻繁にこの表現を使ってくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, D Rank, SF, アメリカ, カイル・マクラクラン, 監督:デビッド・リンチLeave a Comment on 『 デューン/砂の惑星 』 -復習鑑賞-

『 ブラック・ウィドウ 』 -二代目ブラック・ウィドウの誕生-

Posted on 2021年7月31日 by cool-jupiter

ブラック・ウィドウ 50点
2021年7月24日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:スカーレット・ジョハンソン フローレンス・ピュー
監督:ケイト・ショートランド

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『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以来のMarvel映画。Jovianは正直なところ、ゴジラとスター・ウォーズはいつまでも観ていたいが、Marvelはどれもこれも1~2回観ればいいかなと常々感じてきた(スパイダーマン除く)。本作も世評ほどの佳作には感じなかった。

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あらすじ

ナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ジョハンソン)は、キャプテン・アメリカ側について「シビル・ウォー」を起こしたことから国際指名手配されていた。逃避先のノルウェーで謎の敵に襲われたナターシャは、ブダペストの隠れ家に向かう。そこでかつての妹、エレーナ(フローレンス・ピュー)に再会する。自分たちを超一流のスパイかつ暗殺者に育て上げた組織「レッドルーム」が今もウィドウと呼ばれる暗殺者たちを養成していると知った彼女たちは、かつての家族の助力を得ようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

”Smells Like Teen Spirit”の女性カバーによって淡々と描かれるナターシャの成長と暗殺の歴史。ブラック・ウィドウのガールの部分は序盤で割と丁寧に描き、ウーマンやワイフにあたる部分はダイジェストにするのは間違った判断ではない。クロゴケグモよろしく、『 AVA / エヴァ 』におけるジェシカ・チャステインのような任務をいくつも性交・・・ではなく成功させてきたのだろうが、スーパーヒーローにそうした描写は似合わないし、時代が要請するものでもない。

 

ストーリーもアクション多めというのは有難い。Marvel Cinematic Universeに通暁していなくても、単にど派手なアクションを鑑賞して楽しむこともできる。特にブラック・ウィドウは肉弾戦が主体で、ビームの打ち合いになったりしないところが良い。ブダペストの隠れ家での姉妹のバトルはプロレス的な楽しさがあったし、その後のカーアクションはど派手の一言。邦画でもこれぐらいのカーアクションをもっと観たいと思わせてくれた。

 

姉妹の共闘、父親の救出、そして母親との合流など、ストーリー進行のテンポが早い。『 アクアマン 』のように、次から次へとミッションを進めながらクライマックスに向かっていく疾走感が心地よい。悪い男に操られていた女性たちが独立不羈の存在になっていくというストーリーは、ベタではあるが現代的なメッセージだと言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

ナターシャというキャラクターで、個人的に最も知りたいと思っていたのは「なぜハルクと良い感じの雰囲気になれたのか」だったが、そうした部分に迫るような背景描写は一切なかった。アベンジャーズを疑似的ではあるが家族として捉えていたのは本物の家族がいないことの裏返しであることは分かったが、偽物の家族でも本物の家族になりうるというのは、映画一本かけて追究しようとするテーマだろうか。もちろん『 万引き家族 』という優れた先例もあるが、本作ではそれが本筋ではないように感じた。

 

フローレンス・ピュー演じる妹も、いちいちナターシャの挙動に突っ込みを入れるのは面白くなかった。ここらへんのユーモアは受け取り手ごとに感想は様々に変わるのだろうが、Jovianは「それはもう『 デッドプール 』でもうやっただろ?」としか思わなかった。

 

細部の描写もリアリティを欠く。父親のアレクセイが背中にタトゥーを彫ってもらいながら次々に色んな相手と腕相撲をしていたが、そんなことが可能か?きっと背中にはグニャグニャの刺青が入ったことだろう。この親父も父親像としてはピンとこなかった。典型的なpositive male figureとして描く必要はないが、どこらへんに父親としてのパワーがあるのか伝わってこなかった。これが例えば、上述のタトゥーが、実はかりそめに過ぎないわずか数年の間の家族への惜別の情を表したものだった、ということであれば人物像もガラリと変わるのだが、そんなことはなかった。この男に感情移入しろというのはなかなかに難しい注文だった。

 

ポスト・クレジットでは「うーん、その方法で盛り上がるのか?」というストーリーが示唆される。『 ゴジラvs.コング 』のような展開になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

総評

つまらなくはないが、手に汗握る面白さでもない。アクションだけが見どころというわけではないが、では一体何を楽しめばいいのか、鑑賞後の今もよく分からない。『 アベンジャーズ /エンドゲーム 』以前と以後の両方をつなぐ物語としての説得力が弱いと感じた。個人的にはナターシャのウィドウとしての活躍よりも、ガールの頃をもう少し丹念に描いてほしかったと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

No shit.

『 プライベート・ウォー 』でも紹介した表現。意味としては”You bet.” =「そのとおり」と同じだが、ニュアンスが違う。expletiveな語が使われているように、やや過激なニュアンスがあるが、フランクな日常会話では結構頻繁に使われる表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, フローレンス・ピュー, 監督:ケイト・ショートランド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ブラック・ウィドウ 』 -二代目ブラック・ウィドウの誕生-

『 ゴジラvs.コング 』 -劇場再鑑賞-

Posted on 2021年7月17日 by cool-jupiter

ゴジラvs.コング 70点
2021年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アレクサンダー・スカルスガルド ミリー・ボビー・ブラウン レベッカ・ホール ブライアン・タイリー・ヘンリー 小栗旬
監督:アダム・ウィンガード

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ゴジラとコングのどつき合いを再鑑賞。良かった面と物足りない面の両方が浮き彫りになったと感じた。

 

あらすじ

キングギドラが倒されてから3年。一切姿を見せていなかったゴジラが突如米国のエイペックス社を襲撃する。同社従業員のバーニー(ブライアン・タイリー・ヘンリー)は会社の陰謀を暴くべくポッドキャストで放送を繰り返していた。その一方で、モナークは髑髏島にコングの収容基地を作っていたが、巨大に成長したコングをこれ以上には収容できそうになかった。アイリーン(レベッカ・ホール)は島から出すとゴジラがコングを襲撃してくると主張するが・・・

 

ポジティブ・サイド

あらためて思うのは、肉弾戦の面白さ。昭和の怪獣プロレスは今の目で見ると極めて campy であるが、そこにはCG全盛の今には出せない味があった。もちろんコングもゴジラもフルCGの本作であるが、そのバトルは基本的にすべてフィジカル・コンタクトを伴うもの。MarvelやD.C.のスーパーヒーローものでは最終的にはレーザービームの打ち合いからの大爆発になることが多いが、やはり視覚的にも聴覚的にも、ドシン、ドスン、ドカンのような擬音語が聞こえてきそうなバトルは楽しい。噛みつきからの一本背負いからストンピングに移行するところなど、WWEのヒールを思わせるムーブ。このシーンのためだけにもう一度劇場に行ってみたい。

 

ゴジラが四つん這いになって、それこそオオトカゲのように動くシーンは記憶にない。これもコングという霊長類とゴジラという爬虫類・両生類のコントラストを大いに強調していた。コングが武器を持つのもまさにプロレス。令和ではどうか分からないが、昭和のプロレスに凶器は欠かせないのである。

 

KOMよりも破壊の迫力が増していたのもポイントが高い。モンスター・ゼロ=キングギドラとゴジラの初顔合わせが南極だったこともあり、人工物の破壊が足りなかった。今作ではゴジラとコングの顔合わせが洋上だったが、巡洋艦から艦載機、空母まで撃沈と、ゴジラのもたらす破壊を堪能することができた。

 

香港の街には悪いが、ひたすらゴジラ(と少しだけコング)に破壊されるのを観るのも楽しかった。最初はなぜ香港?という疑問に、つい最近まで西洋文明に属し、今では東洋文明に属しているという、The Battle of East and Westにふさわしい舞台だからとも感じられた。

 

カイル・チャンドラーやミリー・ボビー・ブラウンの人間パートの薄さに初回は眉をひそめたが、再鑑賞で「モナークのあれやこれやのドラマは要らないか」と思えた。

 

ネガティブ・サイド

KOMとの一番の違いというか、最も残念だったところは伊福部サウンドのゴジラのテーマ音楽がなかったところ。もちろん、よく似たサウンドは挿入されていたが、それは『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』でジョン・ウィリアムスによるテーマ曲のパロディが使われていたのと同様の感覚を受けた。

 

ゴジラとコングの最初の遭遇で、ゴジラの放射熱線で空母が撃沈されてしまったが、あれではあの海域は思いっきりフクシマ状態では?

 

レン・セリザワ(敢えてこう書く)が何故anti-Godzillaなのか。その部分の説明が不足していた。1954年の『 ゴジラ 』の芹沢博士も実は結構マッドな発言をしていたが、それは科学者として純粋すぎるあまりのものだった。レンについても何か一つ、背景を物語るもの、たとえば渡辺謙が『 GODZILLA ゴジラ 』で見せたような懐中時計のようなものがあれば良かったのだが。

 

総評

ヒューマンドラマ要素を期待してはいけない。怪獣が大暴れして、人間の造形物が次から次へと壊れていく様を楽しむための映画である。コロナ禍が続く中、人類の叡智の結晶であるワクチンが自然の脅威であるコロナウィルスへの切り札になるのかという想いを、メカゴジラに託して観てみるのも興味深い。そうした現実世界を下敷きに本作を鑑賞すれば、渡辺謙の言った”We will be his.”=我々人類がゴジラのペットになるのだ、というセリフが味わい深くよみがえってくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

duke it out

スラングとまではいかないが、かなりinformalな表現。日本語にすれば「どつき合う」となる。

Godzilla duked it out with Kong. = ゴジラがコングとどつき合った。

Godzilla and Kong duked it out with each other. = ゴジラとコングがどつき合いをした。

のように使う。まあ、こんな表現を知っているなら英会話スクールに通う必要はない。Camblyなどを使って、ひたすらネイティブと話せるレベルだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, アレクサンダー・スカルガルド, ゴジラ, ブライアン・タイリー・ヘンリー, ミリー・ボビー・ブラウン, レベッカ・ホール, 小栗旬, 監督:アダム・ウィンガード, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラvs.コング 』 -劇場再鑑賞-

『 ゴジラvsコング 』 -ゴジラ映画というよりもコング映画-

Posted on 2021年7月4日2021年7月6日 by cool-jupiter

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ゴジラvsコング 70点
2021年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アレクサンダー・スカルスガルド ミリー・ボビー・ブラウン レベッカ・ホール ブライアン・タイリー・ヘンリー 小栗旬
監督:アダム・ウィンガード

 

待ちに待っていた一作。可能な限り事前情報はシャットアウトし、当日はゴジラTシャツとゴジラキャップでMOVIXあまがさきへ出陣。本当はTOHOシネマズなんばあたりへ向かいたかったが、コロナが落ち着くまでは繁華街は避けねば・・・

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あらすじ

キングギドラが倒されてから3年。一切姿を見せていなかったゴジラが突如米国のエイペックス社を襲撃する。同社従業員のバーニー(ブライアン・タイリー・ヘンリー)は会社の陰謀を暴くべくポッドキャストで放送を繰り返していた。その一方で、モナークは髑髏島にコングの収容基地を作っていたが、巨大に成長したコングをこれ以上には収容できそうになかった。アイリーン(レベッカ・ホール)は島から出すとゴジラがコングを襲撃してくると主張するが・・・

 

以下、ネタバレあり

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ポジティブ・サイド

ハリウッド版ゴジラ(*ジラを除く)の属性がしっかりと引き継がれている。すなわち、ゴジラは人間の活動は基本的に歯牙にもかけない怪獣王であるということ。これは良かった。今作のゴジラの新しい面としては、爬虫類的に這いまわる動きが、ゴジラとは思えないほどに俊敏であること。昭和ゴジラまでにしか見られなかったストンピング攻撃もポイントが高い。

 

コングの設定も伝統的なもの。動きも1930年代コングを踏襲していて、ピーター・ジャクソン版と見た目の共通点も多い。素手では何をどうやってもゴジラには勝てないので武器を持たせてあげたが、これぐらいはハンデとしてちょうどいい。電気の力でパワーアップする、あるいは復活するというのもコングのお約束であり、そこもしっかり踏襲されている。美女ではなく少女と交流するというのも時代の流れか。耳の聞こえない少女ジアの自然で、それでいて力強いたたずまいは、確かにコングをして「守ってやらねば」と思わせるに足るものがあった。

 

怪獣映画というのは基本的にプロレス的な肉弾戦で、『 アベンジャーズ 』シリーズの中でも『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』をJovianが最も面白いと感じるのは、ヒーロー同士の戦いがプロレスのそれで、最後の最後のキャップとアイアンマンの戦いが電撃やらビームがメインではなく、肉弾戦になっているからだ。ゴジラとコングが『 キングコング対ゴジラ 』並みのプロレスを形だけでも見せてくれたことに個人的には満足している。ゴジラがコングを踏みつけながら咆哮する様は「負けを認めんかいゴルァ!」のように聞こえて面白かった。まあ、これは予想通りの結果。何をどう考えても、コングがゴジラに敵うわけがないのである。

 

『 GODZILLA ゴジラ 』や『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でさらりと触れていた地球空洞説を本作は追究。『 ザ・コア 』などのように定期的に出てくるネタだが、衛星によって地表が丸裸にされている現代、地下に目を向けるのはごく自然な発想であろう。地下世界が単なる地底旅行ではなく、文字通りに別世界、漫画『 HUNTER×HUNTER 』で言うところの暗黒大陸のようで、これも面白い。ここから新たにキングギドラ級の別の怪獣が現われてくる可能性も感じさせてくれた。

 

メカゴジラの出現情報は事前にシャットアウトできなかったが、今作のようなどちらが勝ってもどちらが負けても賛否両論が生まれるような対決には、両者に共通する第三の敵を登場させるのが常道。『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』もそうだった。メカゴジラもお約束通り。宇宙人ではなく人類がメカゴジラを作ると暴走してしまうのは、『 ゴジラ×メカゴジラ 』や『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』でお馴染みである。そしてメカゴジラは基本的にクソ強い。アホみたいな火力を有して、プロレスでも強いという反則キャラである。本作でもその強さを遺憾なく発揮し、ゴジラを圧倒。そのメカゴジラをコングとゴジラの共闘で倒す流れは、これまた予想通りとはいえ、楽しむことができた。

 

あまり小難しいことは考えず、巨大怪獣たちが激突するところを観たいという向きにお勧めしたい。

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ネガティブ・サイド

ゴジラのパートとコングのパートがアンバランス。というか、これはゴジラ映画ではなくコング映画。アメリカの制作会社が作ったものとはいえ、もう少しゴジラに尺を与えてくれ。伊福部サウンドも権利関係か何かで使えなかったのか?

 

KOMの続きにも見えない。前作のキーパーソンの一人だったラッセル(ミリー・ボビー・ブラウン)もほとんど何もしていないし、父親カイル・チャンドラーに至ってはKOMで芹沢から渡されたバトンをどこにやったのか分からない。サリー・ホーキンスを死なせていなければ代役が見事に務まっていただろうに。芹沢の息子の小栗旬も、なぜモナークではなくエイペックスに属しているのかが謎。父親の遺志を受け継ぎたくない事情があるのなら、それを説明すべきだ。あるいは、それをほのめかすべきだった。

 

怪獣たちの通った後で自然が復活したという前作の終わりから今作に至るまで、世界がどう復興してきたのか。その過程でゴジラという怪獣王の君臨する世界で人間が大自然に対してどのように振る舞ってきたのかを見せる描写が一切なかったのが悔やまれる。エイペックス、あるいは世界のどこかの国が「怪獣?SDGs?知るか!この世界は人間がexploitしてナンボなんじゃいヨッシャー!」みたいな考え方をしているということが見せられていれば、メカゴジラの開発にもっと説得力が生まれる。

 

そのメカゴジラ自身の強さの見せ方も微妙。スカルクローラーを倒しても、今さら誰も感銘を受けたりなどしない。コングとゴジラが壮絶なプロレスに興じている中、KOMのごとく、ラドンやMUTOなどの怪獣が誰が王の座に座るのかを見届けるために集まってきた。そこにメカゴジラが登場。『 ゴジラvsメカゴジラ 』のようにあっさりとラドンを病院送りにする。次の生贄は・・・という瞬間に小栗旬が変調。メカゴジラが暴走を始める・・・であれば、メカゴジラの強さがもっと具体的に伝わってきたはず。

 

総評

モンスターバースのことを考えずに、単独作品としてゴジラとコングがdick-measuring contestをプロレス的にやっていると割り切って観るべし。小栗旬のファンならば、その扱いのひどさに天を仰ぐことだろう。けれど日本人俳優がハリウッドに行くというのはこういうこと。筒香や秋山を見るべし。誰もがイチローや大谷になれるわけではないのだ。本当は60点ぐらいなのだが、ゴジラというキャラに5点、コングというキャラにも5点を与えたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Who’s your daddy?

劇中で実際に使われているセリフではないが、ゴジラがコングに対して「負けを認めろ」と迫るシーンの咆哮の意味を考えてみた。私的に英語字幕を付けるとするならば、これで決まりである。直訳すれば「お前の父ちゃんは誰だ?」となるわけだが、ここでの意味は「俺の方が強いだろう?」のような感じである。相手にこちらの優位を見せつける時の言葉である。もちろん本当の親子の間で使うこともある。同僚アメリカ人が自分の娘に対して説教するときに、これを言っているのを聞いたことがある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, アレクサンダー・スカルガルド, ゴジラ, ブライアン・タイリー・ヘンリー, ミリー・ボビー・ブラウン, レベッカ・ホール, 小栗旬, 監督:アダム・ウィンガード, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラvsコング 』 -ゴジラ映画というよりもコング映画-

『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

Posted on 2021年6月27日 by cool-jupiter

クワイエット・プレイス 破られた沈黙 75点
2021年6月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エミリー・ブラント キリアン・マーフィー ミリセント・シモンズ
監督:ジョン・クラシンスキー

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『 クワイエット・プレイス 』の続編。音を立てると化け物がすっ飛んでくるという設定の妙葩今作でも健在。さらにホラーでありながら、見事なファミリードラマにしてビルドゥングスロマンに仕上がっている。

 

あらすじ

エヴリン(エミリー・ブラント)は生まれたばかりの赤ん坊と娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)、息子のマーカスと共に新たな家を求めて旅をしていた。そこで偶然にもかつての友人、エメット(キリアン・マーフィー)と出会う。しかし、彼は「生き残っている人間に救う価値などない」と言ってエヴリンへの助力を断る・・・

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ポジティブ・サイド

すべての根源である Day 1 も適度に謎めいていて良い。超巨大宇宙船の全貌を見せないのは、まだまだ続きがあるという予告のようでもある。またリーガン視点(聴点と言うべきか)で物語が描写されるシーンでは、違う意味でのサスペンスが生まれる。音が一切聞こえなくなるため、死角の出来事に対して無防備になってしまう。「志村、うしろー!」的なアレである。単純だが、この演出は効果的だった。

 

エミリー・ブラントが今作でも戦う母親像を好演。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』や『 ボーダーライン 』のような戦う女性として輝きを放っていたが、今シリーズではそこに母親属性が加わった。それもPolitically correctな理由で戦っているのではなく、生存のために戦っている。しかし、元々強い女性だから生き残っているのではなく、その強さを夫から受け継いだという設定もいい。

 

前作は『 死の谷間 』のように一つの場所、一つのコミュニティでの物語だったのが、今作では世界が一気に広がった。前作で生まれた赤ん坊がいつ泣き出すか分からないというスリルの元だが、泣き声を予防・防止する方法も現実的。ミリセント・シモンズ演じる長女リーガンと頼りない長男マーカスの壮大なるビルドゥングスロマンになっている点にも感銘を受けた。positive male figureがいなくとも家族は大きく育つようにも見えるが、やはりpositive male figureの存在が必要だ。しかし、安易に新しい男を迎えるのではなく、死んだ夫・父親の精神を受け継いでいくという筋立ては、陳腐ながら、なんと説得力があるのか。

 

二ヵ所で同時進行するクライマックスはまさに手に汗握る鳥肌もののスリルとサスペンス。知恵と勇気で怪物に立ち向かうエミリー・ブラントは美しいの一語に尽きるし、雄々しく立ち上がる長男の姿は感涙もの。単純明快にして非常にpredictableな展開であるにも関わらず、ここまで心が揺さぶられるのは何故か。その仕組みを知りたい人は、前作を鑑賞の上、劇場へ赴かれたし。

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ネガティブ・サイド

序盤のところどころでジャンプ・スケアが使われるのが気に入らない。そういうこざかしい演出は不要である。

 

荒廃した世界で怖いのは生き残った人間、というのは映画に限らず創作物の文法に等しいが、それでも今作の生き残り組のワル達にはリアリティがない。いったいあの方法で何を手に入れたいのか。どうせなら『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』並みに怪物を飼って遊んでいるといったぶっ飛んだ描写が観てみたかった。

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総評

『 ZOOM / 見えない参加者 』という珍品も制作される当世だが、ハウリングがいかに耳障りなものであるかを体感した人も多いことだろう。ビデオ会議が極めて一般的になった今という時代に鑑賞することで、逆にリアリティを増している。「音を立てたら超即死」という極めてドギツイ宣伝文句も、「咳やくしゃみをしたらアウト」という現代に重なるところがあり面白い。三作目も作られそうだ。期待して待ちたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How do you say ~ ?

「~はどう言う?」という意味。物語の序盤で何気なく出てくるが、実は非常に重要な伏線になっている個所で使われている表現。How do you say otsukaresama? や、How do you say ittekimasu?というのは英語話者が日本語を習い始めた時に言う定番表現である。What do you call ~? もよく使う。よくこの二つを混同して、What do you say ~?やHow do you call ~?と言ってしまう人がいるので、そこだけは注意のこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エミリー・ブラント, キリアン・マーフィー, サスペンス, ホラー, ミリセント・シモンズ, 監督:ジョン・クラシンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

Posted on 2021年6月3日 by cool-jupiter

アナと世界の終わり 65点
2021年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エラ・ハント
監督:ジョン・マクフェール

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土日は映画館が閉まっているため、読書かYouTube、またはレンタルDVD鑑賞。最近、YouTubeでたまたま上がってきたTim Minchinによる『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のユダ役が素晴らしかったので、ミュージカルでも観るかと近所のTSUTAYAで本作をチョイス。ゾンビ要素が濃いめかなと思いきや、意外にも本格的なミュージカル映画だった。

 

あらすじ

アナ(エラ・ハント)は父と二人暮らし。オーストラリア旅行のためにバイトしていることが、友人のジョンのせいで父にばれてしまい口論に。翌日、学校へ向かうアナとジョンの前に突如ゾンビが現れる。辛くもゾンビを撃退したアナだが、街はいつの間にかゾンビだらけ。アナたちは皆がいるはずの学校へ向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

ゾンビワールドとコロナ禍の現在は、人との接触を避けなくてはならないという意味で、よく似ている。ゾンビ物を観るたびに、脚本家や監督といったアーティストのビジョンには感心させられる。愛する人であっても、無理やり離れなければならないという状況は、まさにコロナが蔓延する今という時代そのままである。

 

それよりも本作で堪能すべきはミュージカル・パートだろう。冒頭からどこか満たされないティーンたちが歌う”Break Away”がなかなかの名曲。正直、このナンバーだけでレンタル代の元は取れたと感じた。アップテンポの明るいメロディでありながら、歌詞は現状からの脱却を力強く渇望する歌。それを歌うエラ・ハントたちの歌声が力強く、それでいて哀し気だ。ゾンビ蔓延世界の登校風景で颯爽と歌われる”Turning My Life Around”でも主演エラ・ハントの歌唱力が光る。 Hey, it’s a brand new day. のHeyを高音域で伸びやかに歌えるのが素晴らしい。また、陽気に絶望的な状況を歌っているのも、背景のシュールさと絶妙なコントラストになっている。エラ・ハント以外では悪の校長サヴェージ先生が、”Nothing Gonna Stop Me Now”でひときわ目立つ輝きを放っている。『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のカヤパをほうふつとさせる。 

 

ゾンビ映画というのは、それこそ星の数ほど制作されてきており、またミュージカルもそれなりの数が生み出されてきた。しかし、ゾンビ・ミュージカルというのは、ありそうでなかったジャンル・ミックスだ。ミュージカル形式で感情を爆発させる登場人物たち。そして「え、このキャラ、ここで死ぬの?」という意外な展開の組み合わせで、ぐいぐいと引き込まれてしまう。グロ描写はそこまで多くないが、田舎町で鬱屈した気分のティーンたちによる人間関係と恋模様は結構ドロドロである。案外、梅雨の時期の室内デートにも使えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コメディとして振り切れていないところが惜しい。ボーリング場での対ゾンビのバトルなど、もっと面白くできるはず。ボウリングの球でゾンビの頭を潰したシーンでは、「お、ゾンビをボウリングのピンに見立てて、遊びながら倒していくか?」と期待させたが、それはなし。その一方で、ゾンビの頭がボールリターンにゴロゴロゴロと帰ってくるという茶目っ気ある演出。コメディとして振り切るパートは全力でコメディに徹してほしかった。

 

ミュージカル・パートの楽曲の良さと反比例するかのように、ゾンビ・パートの展開があまりに陳腐だ。人間社会の規範が壊れることで人間の本性が明らかになるというのはゾンビ映画文法にあまりにも忠実すぎる。意外性が欲しい。無茶苦茶だと自分でも思うが、アナの父がゾンビの群れの中に亡き妻の幻を見出して・・・のようなサブプロットがあれば、個人的には大満足だったのだが。

 

アナの親友のリサを演じたマルリ・シウにもう少し見せ場が欲しかった。ステージで彼女が歌う歌は、ダブル・ミーニング満載である。字幕でも面白さは伝わるが、英語が分かる人はぜひ聞き取って、色々と調べてほしい。この歌の暗喩するところ、ゾンビ・パートでもう少し実現してしかるべきではなかったか。

 

総評

究極的には好みの問題だが、『 ラ・ラ・ランド 』の楽曲よりも本作の楽曲のほうが個人的には楽しめたし感銘を受けた。愛する人々を助けたい一心で行動するのはゾンビ映画としては陳腐だが、その過程の描写が『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』のようにスタイリッシュだ。イギリスのどこか陰鬱な空気が全編を覆っているが、それを吹き飛ばす楽曲のパワーも全編に満ち溢れている。ゾンビ映画と敬遠するなかれ。ミュージカル好きなら要チェックだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be lost in ~ 

「~に夢中になる、没頭する」の意。序盤早々の歌唱シーンで使われているが、字幕に盛大な誤訳があるので注意。

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

外には広い世界が待ってるのに みんな諦めちゃってるの?

 

となっているが、正しくは

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

すぐそこに世界が広がってるのに みんなは目の前のゲームに夢中なの?

 

が正しい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エラ・ハント, ミュージカル, 監督:ジョン・マクフェール, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

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