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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東宝

『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

Posted on 2021年9月19日 by cool-jupiter

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マスカレード・ナイト 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞 
出演:木村拓哉 長澤まさみ 
監督:鈴木雅之

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大学後期の開講ラッシュで仕事が多忙を極めているが、なんとか映画館通いは継続させたい。そこでお気軽に犯人当てでもするかと思い、本作をチョイス。犯人は2択まで絞って、なんとか的中させた。

 

あらすじ

都内アパート暮らしの女性殺人事件を捜査する警察の元に匿名ファックスが届く。その事件の犯人が、大みそかに仮面舞踏会を主催するホテル・コルテシア東京に現れるというのだ。警視庁捜査一課の刑事の新田(木村拓哉)は捜査のため再びフロント係としてホテルに潜入し、腕利きコンシェルジュの山岸尚美(長澤まさみ)と共に事件の解決に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

前作『 マスカレードホテル 』に引き続き、豪華キャストをよく揃えたものだと思う。木村拓哉と長澤まさみを当て書きしたかのようにハマっていたが、今作でも他人をどこまでも疑う刑事と他人をどこまでも信じるホテルマンの対比が映える。

 

ホテルのフロントロビーのプロダクションデザインも、やはり見事の一語に尽きる。前作のスタートは拍子抜けするようなホテル外観のCGから始まったが、マスカレード=仮面舞踏会をタイトルに持つ本作は、そんな Establishing Shot は持ってこない。

 

冒頭の殺人事件から、怪しい客が次から次にやって来るシークエンスは確かに引き込まれる力を持っている。そこへ、他人のかぶる仮面を引っぺがしたい新田と他人のかぶる仮面を守りたい山岸のぶつかりあい=漫才的な掛け合いは、ワンパターンではあるが面白い。

 

冒頭の殺人事件の犯人、その密告者、そして犯人と密告者の関係が複雑に絡まりう展開は観る者をぐいぐいと引き込んでくる。謎解き要素を別にすれば、デートムービーにもなりうるだろう。

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ネガティブ・サイド

これはミステリに対してどれだけ慣れているかによるが、おそらく密告者が誰であるかは、分かる人はかなり早い段階で分かったのではないか。ズバリこの人物だと指摘できないまでも、こんな「属性」の人物あろうと見当はつく。これから観る人は、映画製作者(小説の作者も)は、新田や山岸を騙そうとしているのはなく、我々を騙そう、ミスリードしてやろうと思っていることを忘れるべからず。同時に、我々に対して結構フェアに伏線を呈示してくれてもいる。だが、今回の新田のファックスの文言への指摘は、あからさまにミスリードすぎるだろう。もう少し見せ方に工夫が必要だった。

 

犯人候補=ホテル客なのだが、ここの見せ方もあからさますぎた。「さあ、この人物は怪しいですよ」という人間を何度も何度も出し入れするが、さすがにここまでやるとすれっからしならずとも犯人候補からは外すだろう。このキャラをもっと怪しく見せる小道具として、とある隠語になっていない隠語(以下白字、Love Affair、情事、不倫、頭文字を取ればLA)をもっと効果的に使えたはずだ。

 

別の犯人候補について言えば、小日向文世が語る捜査情報とあからさまに食い違う情報が呈示された瞬間(以下白字、夫の死亡時期)に「こいつだ!」と思えたが、新田がその矛盾に反応できなかったのは無理がある。また、この犯人候補同士のとあるインタラクションをコンシェルジュである山岸がお膳立てせざるを得ない場面があるが、この展開にはおそらく全世界のホテルマンが頭を抱えることだろう。無理が通れば道理が引っ込むという極めて日本的な悪弊の顔が見える。もちろん、最後には痛快な肘鉄を食らわせるわけだが、この切羽詰まったタイミングでこんな展開を持ってくるか?この無茶苦茶な展開のおかげで「やっぱりあいつが犯人だ」と確信した。もっと純粋に推理をさせてほしかった・・・

 

ホテルのバックヤードに設置された警察の捜査本部は無能の集まり。「なんとしても犯人を見つけろ」の一点張りで、捜査の方向性も論理的な指揮も何もない。元警察官のJovianの義理の父親が見たら、どう感じることか。また、犯人の犯行動機も前作の極めてパーソナルなものから、巨大な相手に対する憎悪になっているが、そんなもんのどこに説得力があるのか。警察の権威を失墜させたいなら、衆人環視の中での犯行を止められなかったという汚名を着せるのではなく、誰も注目していない事件には警察は本腰を入れないということをもっと効果的に満天下に知らせるべきだろう。気宇壮大な犯行動機だが、ここまでくると小説ではなく漫画に思える。

 

総評

ミステリ小説の映画化というよりも、割と上質な2時間ドラマ、テレビ映画、またはドラマの劇場版だと捉えるべきだろう。長澤まさみはキャリアウーマンや母親役として芸域を開拓していくだろう。キムタクはおそらくキムタクのままか。おそらく第三弾も制作されるだろうが、その時はもっともっと純粋ミステリに徹してほしいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the 

冠詞は英文法の中で最も難しいと思っている。ちなみに難しさランク2位は単数・複数の使い分け、3位は前置詞である(あくまで私見)。時々、ホテル名には the をつけるべしと解説する書籍やサイトを見るが、厳密には正しくない。 

ホテル~には the はつかない

~ホテルには the がつく

というのが正しい解説。例を挙げると

〇 The Cortesia Hotel

✖ Cortesia Hotel

〇 Hotel Cortesia

✖  The Hotel Cortesisa

となる。英検1級、TOEFL iBT90点、IELTS7.0を目指す人なら正しく理解しておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 日本, 木村拓哉, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

『 竜とそばかすの姫 』 -結論ありきの物語-

Posted on 2021年7月31日 by cool-jupiter

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竜とそばかすの姫 40点
2021年7月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中村佳穂
監督:細田守

 

細田守作品の特徴がよく出ている。つまり、観る人によって波長が合う合わないがはっきりする作品である。

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あらすじ

女子高生すず(中村佳穂)は仮想世界「U」で「ベル」という歌姫に生まれ変わった。「U」の世界で謎の歌い手として注目を集める彼女の前に、突如として竜と呼ばれる獣の姿をしたアバターが現われ・・・

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ポジティブ・サイド

予告編の段階で「なんか印象に残る歌声だな」と感じていたが、すずを演じた中村佳穂の歌唱力は称賛に値する。声質は全然違うが、近年だと『 不能犯 』のエンディングで耳にしたGLIM SPANKYに似たインパクトが感じられた。従来ではスカウトが才能を発掘するのが常だったが、ネットの発達により才能を自主的に公開することができるようになった。ジャスティン・ビーバーが一例だろう。そうした世界の在りようの変化が、細田守の世界観にも取り入れられている。

 

「U」の世界の映像も極彩色で、多種多様な人間と機能がそこに存在することが如実に示されていた。『 シュガー・ラッシュ 』や『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』以上のビジュアルの豪華絢爛さで、日本のアニメーションのレベルはやはり高いのだと再確認できた。

 

また「U」の世界以上に、高知県の自然が美しく描出されていた。高知というと『 県庁おもてなし課 』のイメージ通り、豊かな自然がアピール・ポイントで、日本の地方が抱える過疎化や公的サービスの低下などの問題もさり気なく描写しつつ、田舎の素朴な情景や人間関係を生き生きと描き出していることに好感を抱いた。

 

本作は究極的には、家族の再結合の物語。そしてそれは細田守が常に追究してきたテーマ。それを繰り返しと見るか、尽きぬ鉱脈と見るかは人による。Jovianは今作が呈示してきた家族観は、十分に受け入れられるものとして捉えた。

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ネガティブ・サイド

細田作品全般に言えることだが、結論が先にあり、それを補強するために物語が存在しているかのようだ。逆だろう。物語が展開していくその先に結論があるべきだ。あまりネタバレをしたくないが、これは冒頭で描かれることだからいいだろう。すずの母親が死んでいくエピソードがあまりにも fictional に感じた。そしてそのことを嘲笑するかのようなネットの声。「なるほど、50億人が参加する「U」にすずが入っていけない理由はこれか。この作品ではすずがどうネットと現実の共通点と相違点をどう乗り越えていくのかがテーマなのだな」と思わせて、ほとんどそうなっていない。この展開にはずっこけた。アズを設定する場面で指が震えるのはネット世界の誹謗中傷への恐怖感を表していたが、そんなすずが「U」の世界への参入後にいきなり歌い出すシーンは???だった。そうではなく、恐る恐る入っていった「U」の世界で、全く知らない他者にちょっと助けてもらう、それによってすずの心にあったネット世界へのわだかまりが少し消えていく。そんな描写こそ必要ではなかったか。

 

「U」というネット世界についても説明が不足している。「U」のアズは本人に秘められた潜在能力を引き出すというが、一体全体どうやってそんなことが可能なのか。「U」が、たとえば『 レディ・プレイヤー1 』のオアシスのようなゲーム世界ならば理解できる。しかし「U」はゲームではない。なぜ現実の地続きであるはずのネット世界にそのような機能が備わっているのか、謎だ。「U」をインターネットのひとつの巨大機能あるいは一つの巨大プラットフォームであることは分かるが、そこに参加する現実の人間の肉体や意識はどうなっているのか。PC画面を見ながらキーボードやマウスを操る感覚なのか、それとも多くのSFで描かれるように現実では意識レベルが極度に低下するのか、あるいは半覚醒状態、つまり現実であれやこれやを行いながら「U」のアバターも操作できたりするのか。そのあたりの情報がまったく無いのでリアリティを感じない。事実、本作はファンタジーである。『 美女と野獣 』への過度のオマージュからも、それは明らかである。ファンタジーならばファンタジー要素を追求すればよいが、そこに現実の社会批判的なメッセージを込めるからおかしなことになっている。

 

ネタバレになるので言及は避けるが、竜の正体に関連してある事実が明らかになるのだが、その問題の根本へのアプローチが全くないまま問題が解決した(かのように映る)クライマックスは、すずの「U」参入以上に???????である。「U」という巨大なファンタジー空間が、まるで現実になったかのようである。思わず頭の中で「おいおい、すずは『 マトリックス リローデッド 』のラストのネオなのか・・・」とつぶやいてしまった。

 

その他の細かい突っ込みポイントも数限りなくある。その中でも最も際立っているのが、竜のオリジン探し。すずの親友のヒロちゃんというのがデイトレーダーよろしく複数ディスプレイに無数のブラウザのタブやらウィンドウを立ち上げるデータ派であるにもかかわらず、竜のオリジンを探すことになると、なぜか人々のインタビューを追っていくという超アナログなリサーチを行う。なんだそれは・・・ 普通に考えれば、竜の活動時間を真っ先にデータ化するべきだろう。AIではなく人間が操作する以上、睡眠時間にはアズは現われないはず。そこからパターンを読み取れば、竜のオリジンがいる地域は割り出せるはず。たとえば日本時間の9:00~23:00にもっぱら現われているのであれば日本あるいはその周辺に住んでいる人間である判断できるし、活動の自国だけではなく曜日や季節から、社会人なのか学生なのかも割り出せるはず。「U」の世界の言語的なコミュニケーションがどうなっているのかめ明示されていなかったが、50億人が参加しているのなら、間違いなく自動通訳ソフトが組み込まれているはず。そうしたところから言語パターンを割り出して、地域や国を特定することも可能なはず。こうした疑問がいくらでも簡単に思いつくが、これに対する答えを出す材料は作中ではほとんど出されない。このあたりのリアリズムの欠如とファンタジー要素の強さから、現実の社会批判を行おうとする細田守の作劇の姿勢はご都合主義が過ぎるとの批判を免れ得ないだろう。

 

総評

アニメーション作品として観れば、映像も音楽も及第以上だ。しかしストーリーのある映画として観ると「うーむ・・・」とならざるを得ない。細田守の作品はたいていそういうものだと割り切ってしまえばよいのだろうが、宮崎駿の後継者の一人と目されていることには納得がいかない。この御仁はテーマに取り組むのではなく、結論ありきで物語やキャラクターを作っている。優れたアニメーターではあっても、優れたクリエイターとは言えない。それがJovianの細田守評である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bell

「鈴」の意。プロレスなどでレフェリーが”Ring the bell!”=「ゴングを鳴らせ!」と叫んでいる。ちなみに音階が変わらないのが bell、音階が変わるのが chime である。劇中ではフランス語が起源のように語られていたが、現フランスは2000年前はガリア地方の一部。そのガリア地方はカエサルによって征服され、ローマ=ラテン語圏に組み込まれた。ラテン語で bella というと、「戦争」の複数形(主格)か、それとも「美しい」という形容詞の女性系(主格)なのか分かりにくいという、ラテン語初習者殺しの語である。哲学や政治学に明るい英語上級者なら、bellum omnium contra omnes = war of all against all = 万人の万人に対する闘争という格言を知っている人も多いことと思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アニメ, ファンタジー, 中村佳穂, 日本, 監督:細田守, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 竜とそばかすの姫 』 -結論ありきの物語-

『 キャラクター 』 -もっとグロテスクな展開を-

Posted on 2021年7月18日 by cool-jupiter

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キャラクター 65点
2021年7月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 Fukase 高畑充希 中村獅童 小栗旬
監督:永井聡

 

大学関連業務で鼻血が出そうなので簡潔に。

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あらすじ

漫画アシスタントの山城圭吾(菅田将暉)ある夜、一家殺人事件とその犯人を目撃してしまった。、警察には「犯人の顔は見ていない」と述べたが、圭吾はその殺人犯をインスピレーションに「34」という両機サスペンス漫画を描き、人気を博す。しかし、やがて漫画通りの殺人事件が現実に引き起こされ始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 罪の声 』の刑事と同じく、小栗旬が良い味を出している。背景がどうであれ、共感力はどんな仕事でも必要。警察官ならなおさらだろう。いつの間にか相手の懐に入っているのは、テクニックではなく思いやりだから。『 ミュージアム 』みたいな刑事よりも、こうした刑事像の方がより小栗旬の味を引き出せるように思う。『 ゴジラvs.コング 』では白目むくだけのキャラだったが、ここで少し挽回した。

 

殺人鬼役のFukaseは歌手とのこと。今作で初めて見たが、第一印象は「棋士の佐藤天彦みらいなやつやな」というもの。演技は素人だが、それが奏功している。こうしたソシオパス兼サイコパスみたいな奴は実は市井のどこにでもいる。エヴァンゲリオンの生みの親である庵野に対して「殺す」という脅迫がなされたり、庵野の殺し方を延々と話し合うスレッドなども存在したのである。なんらかの創造物からインスピレーションを得ることは誰にでもある。問題になるのはその程度が大きすぎた時。役者としての背景がない=どんなキャラにも結び付けられることがない人間をキャスティングしたのは正解だった。

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ネガティブ・サイド

いくら漫画が売れたからといって、一年足らずで億ション(賃貸だろうが)に住めるだろうか。というか、住む気になるだろうか。厳重な警備が欲しいのは分かるが、慶敏もしくは管理人付きの物件に住むべきだろう。

 

漫画通りの殺人事件を起こすというのは着想としては面白いが、山道の一家全員殺害と自動車転落などは、一人では不可能であると思う。

 

山城の編集者が最初は真犯人なのかと思った。犯人がプロット製作段階の情報を知りえているとなれば、その情報をリークした者がいるはずだが、そこは掘り下げられず・・・ 漫画『 推しの子 』で、編集者の仕事=売れる漫画を描かせる&売れた漫画を終わらせないことだと述べられていて、なかなかに狂った商売だなと感じた。その線で考えれば、ヒットメーカーとして言及されていたこの編集者が、山城の創作に狂気や毒を交えていっても良かったのかなと思う。

 

総評

それなり凄惨なシーンがあるが、ほとんど全部事後。なのでゴア描写に極端に弱い人でなければ大丈夫だろう。『 見えない目撃者 』の真犯人が意味不明なお題目の元に殺人を行っていたのと同じく、本作の犯人の背景や動機にも疑問が残る。韓国映画界にリメイクしてほしい。そうすれば、殺しの生々しいシーンを見せつけてくれて、なおかつサイコキラーの心情をリアルに描写してくれるはず。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a family of four

四人家族の意。同じように、a group of fourなら4人のグループになる。『 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 』で言及された4人組のバンドなら a band of fourとなる。もちろん、数字の部分は適宜にthreeやfiveに変えても良いし、必ずしも a group や a band のように a である必要もない。仕事柄、Jovianは高校生や大学生に、Make five groups of six. =6人で1グループを5つ作りなさい、などの指示をして、グループワークをさせている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, Fukase, サスペンス, スリラー, 中村獅童, 小栗旬, 日本, 監督:永井聡, 菅田将暉, 配給会社:東宝, 高畑充希Leave a Comment on 『 キャラクター 』 -もっとグロテスクな展開を-

『 ゴジラvs.コング 』 -劇場再鑑賞-

Posted on 2021年7月17日 by cool-jupiter

ゴジラvs.コング 70点
2021年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アレクサンダー・スカルスガルド ミリー・ボビー・ブラウン レベッカ・ホール ブライアン・タイリー・ヘンリー 小栗旬
監督:アダム・ウィンガード

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ゴジラとコングのどつき合いを再鑑賞。良かった面と物足りない面の両方が浮き彫りになったと感じた。

 

あらすじ

キングギドラが倒されてから3年。一切姿を見せていなかったゴジラが突如米国のエイペックス社を襲撃する。同社従業員のバーニー(ブライアン・タイリー・ヘンリー)は会社の陰謀を暴くべくポッドキャストで放送を繰り返していた。その一方で、モナークは髑髏島にコングの収容基地を作っていたが、巨大に成長したコングをこれ以上には収容できそうになかった。アイリーン(レベッカ・ホール)は島から出すとゴジラがコングを襲撃してくると主張するが・・・

 

ポジティブ・サイド

あらためて思うのは、肉弾戦の面白さ。昭和の怪獣プロレスは今の目で見ると極めて campy であるが、そこにはCG全盛の今には出せない味があった。もちろんコングもゴジラもフルCGの本作であるが、そのバトルは基本的にすべてフィジカル・コンタクトを伴うもの。MarvelやD.C.のスーパーヒーローものでは最終的にはレーザービームの打ち合いからの大爆発になることが多いが、やはり視覚的にも聴覚的にも、ドシン、ドスン、ドカンのような擬音語が聞こえてきそうなバトルは楽しい。噛みつきからの一本背負いからストンピングに移行するところなど、WWEのヒールを思わせるムーブ。このシーンのためだけにもう一度劇場に行ってみたい。

 

ゴジラが四つん這いになって、それこそオオトカゲのように動くシーンは記憶にない。これもコングという霊長類とゴジラという爬虫類・両生類のコントラストを大いに強調していた。コングが武器を持つのもまさにプロレス。令和ではどうか分からないが、昭和のプロレスに凶器は欠かせないのである。

 

KOMよりも破壊の迫力が増していたのもポイントが高い。モンスター・ゼロ=キングギドラとゴジラの初顔合わせが南極だったこともあり、人工物の破壊が足りなかった。今作ではゴジラとコングの顔合わせが洋上だったが、巡洋艦から艦載機、空母まで撃沈と、ゴジラのもたらす破壊を堪能することができた。

 

香港の街には悪いが、ひたすらゴジラ(と少しだけコング)に破壊されるのを観るのも楽しかった。最初はなぜ香港?という疑問に、つい最近まで西洋文明に属し、今では東洋文明に属しているという、The Battle of East and Westにふさわしい舞台だからとも感じられた。

 

カイル・チャンドラーやミリー・ボビー・ブラウンの人間パートの薄さに初回は眉をひそめたが、再鑑賞で「モナークのあれやこれやのドラマは要らないか」と思えた。

 

ネガティブ・サイド

KOMとの一番の違いというか、最も残念だったところは伊福部サウンドのゴジラのテーマ音楽がなかったところ。もちろん、よく似たサウンドは挿入されていたが、それは『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』でジョン・ウィリアムスによるテーマ曲のパロディが使われていたのと同様の感覚を受けた。

 

ゴジラとコングの最初の遭遇で、ゴジラの放射熱線で空母が撃沈されてしまったが、あれではあの海域は思いっきりフクシマ状態では?

 

レン・セリザワ(敢えてこう書く)が何故anti-Godzillaなのか。その部分の説明が不足していた。1954年の『 ゴジラ 』の芹沢博士も実は結構マッドな発言をしていたが、それは科学者として純粋すぎるあまりのものだった。レンについても何か一つ、背景を物語るもの、たとえば渡辺謙が『 GODZILLA ゴジラ 』で見せたような懐中時計のようなものがあれば良かったのだが。

 

総評

ヒューマンドラマ要素を期待してはいけない。怪獣が大暴れして、人間の造形物が次から次へと壊れていく様を楽しむための映画である。コロナ禍が続く中、人類の叡智の結晶であるワクチンが自然の脅威であるコロナウィルスへの切り札になるのかという想いを、メカゴジラに託して観てみるのも興味深い。そうした現実世界を下敷きに本作を鑑賞すれば、渡辺謙の言った”We will be his.”=我々人類がゴジラのペットになるのだ、というセリフが味わい深くよみがえってくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

duke it out

スラングとまではいかないが、かなりinformalな表現。日本語にすれば「どつき合う」となる。

Godzilla duked it out with Kong. = ゴジラがコングとどつき合った。

Godzilla and Kong duked it out with each other. = ゴジラとコングがどつき合いをした。

のように使う。まあ、こんな表現を知っているなら英会話スクールに通う必要はない。Camblyなどを使って、ひたすらネイティブと話せるレベルだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, アレクサンダー・スカルガルド, ゴジラ, ブライアン・タイリー・ヘンリー, ミリー・ボビー・ブラウン, レベッカ・ホール, 小栗旬, 監督:アダム・ウィンガード, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラvs.コング 』 -劇場再鑑賞-

『 ゴジラvsコング 』 -ゴジラ映画というよりもコング映画-

Posted on 2021年7月4日2021年7月6日 by cool-jupiter

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ゴジラvsコング 70点
2021年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アレクサンダー・スカルスガルド ミリー・ボビー・ブラウン レベッカ・ホール ブライアン・タイリー・ヘンリー 小栗旬
監督:アダム・ウィンガード

 

待ちに待っていた一作。可能な限り事前情報はシャットアウトし、当日はゴジラTシャツとゴジラキャップでMOVIXあまがさきへ出陣。本当はTOHOシネマズなんばあたりへ向かいたかったが、コロナが落ち着くまでは繁華街は避けねば・・・

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あらすじ

キングギドラが倒されてから3年。一切姿を見せていなかったゴジラが突如米国のエイペックス社を襲撃する。同社従業員のバーニー(ブライアン・タイリー・ヘンリー)は会社の陰謀を暴くべくポッドキャストで放送を繰り返していた。その一方で、モナークは髑髏島にコングの収容基地を作っていたが、巨大に成長したコングをこれ以上には収容できそうになかった。アイリーン(レベッカ・ホール)は島から出すとゴジラがコングを襲撃してくると主張するが・・・

 

以下、ネタバレあり

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ポジティブ・サイド

ハリウッド版ゴジラ(*ジラを除く)の属性がしっかりと引き継がれている。すなわち、ゴジラは人間の活動は基本的に歯牙にもかけない怪獣王であるということ。これは良かった。今作のゴジラの新しい面としては、爬虫類的に這いまわる動きが、ゴジラとは思えないほどに俊敏であること。昭和ゴジラまでにしか見られなかったストンピング攻撃もポイントが高い。

 

コングの設定も伝統的なもの。動きも1930年代コングを踏襲していて、ピーター・ジャクソン版と見た目の共通点も多い。素手では何をどうやってもゴジラには勝てないので武器を持たせてあげたが、これぐらいはハンデとしてちょうどいい。電気の力でパワーアップする、あるいは復活するというのもコングのお約束であり、そこもしっかり踏襲されている。美女ではなく少女と交流するというのも時代の流れか。耳の聞こえない少女ジアの自然で、それでいて力強いたたずまいは、確かにコングをして「守ってやらねば」と思わせるに足るものがあった。

 

怪獣映画というのは基本的にプロレス的な肉弾戦で、『 アベンジャーズ 』シリーズの中でも『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』をJovianが最も面白いと感じるのは、ヒーロー同士の戦いがプロレスのそれで、最後の最後のキャップとアイアンマンの戦いが電撃やらビームがメインではなく、肉弾戦になっているからだ。ゴジラとコングが『 キングコング対ゴジラ 』並みのプロレスを形だけでも見せてくれたことに個人的には満足している。ゴジラがコングを踏みつけながら咆哮する様は「負けを認めんかいゴルァ!」のように聞こえて面白かった。まあ、これは予想通りの結果。何をどう考えても、コングがゴジラに敵うわけがないのである。

 

『 GODZILLA ゴジラ 』や『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でさらりと触れていた地球空洞説を本作は追究。『 ザ・コア 』などのように定期的に出てくるネタだが、衛星によって地表が丸裸にされている現代、地下に目を向けるのはごく自然な発想であろう。地下世界が単なる地底旅行ではなく、文字通りに別世界、漫画『 HUNTER×HUNTER 』で言うところの暗黒大陸のようで、これも面白い。ここから新たにキングギドラ級の別の怪獣が現われてくる可能性も感じさせてくれた。

 

メカゴジラの出現情報は事前にシャットアウトできなかったが、今作のようなどちらが勝ってもどちらが負けても賛否両論が生まれるような対決には、両者に共通する第三の敵を登場させるのが常道。『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』もそうだった。メカゴジラもお約束通り。宇宙人ではなく人類がメカゴジラを作ると暴走してしまうのは、『 ゴジラ×メカゴジラ 』や『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』でお馴染みである。そしてメカゴジラは基本的にクソ強い。アホみたいな火力を有して、プロレスでも強いという反則キャラである。本作でもその強さを遺憾なく発揮し、ゴジラを圧倒。そのメカゴジラをコングとゴジラの共闘で倒す流れは、これまた予想通りとはいえ、楽しむことができた。

 

あまり小難しいことは考えず、巨大怪獣たちが激突するところを観たいという向きにお勧めしたい。

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ネガティブ・サイド

ゴジラのパートとコングのパートがアンバランス。というか、これはゴジラ映画ではなくコング映画。アメリカの制作会社が作ったものとはいえ、もう少しゴジラに尺を与えてくれ。伊福部サウンドも権利関係か何かで使えなかったのか?

 

KOMの続きにも見えない。前作のキーパーソンの一人だったラッセル(ミリー・ボビー・ブラウン)もほとんど何もしていないし、父親カイル・チャンドラーに至ってはKOMで芹沢から渡されたバトンをどこにやったのか分からない。サリー・ホーキンスを死なせていなければ代役が見事に務まっていただろうに。芹沢の息子の小栗旬も、なぜモナークではなくエイペックスに属しているのかが謎。父親の遺志を受け継ぎたくない事情があるのなら、それを説明すべきだ。あるいは、それをほのめかすべきだった。

 

怪獣たちの通った後で自然が復活したという前作の終わりから今作に至るまで、世界がどう復興してきたのか。その過程でゴジラという怪獣王の君臨する世界で人間が大自然に対してどのように振る舞ってきたのかを見せる描写が一切なかったのが悔やまれる。エイペックス、あるいは世界のどこかの国が「怪獣?SDGs?知るか!この世界は人間がexploitしてナンボなんじゃいヨッシャー!」みたいな考え方をしているということが見せられていれば、メカゴジラの開発にもっと説得力が生まれる。

 

そのメカゴジラ自身の強さの見せ方も微妙。スカルクローラーを倒しても、今さら誰も感銘を受けたりなどしない。コングとゴジラが壮絶なプロレスに興じている中、KOMのごとく、ラドンやMUTOなどの怪獣が誰が王の座に座るのかを見届けるために集まってきた。そこにメカゴジラが登場。『 ゴジラvsメカゴジラ 』のようにあっさりとラドンを病院送りにする。次の生贄は・・・という瞬間に小栗旬が変調。メカゴジラが暴走を始める・・・であれば、メカゴジラの強さがもっと具体的に伝わってきたはず。

 

総評

モンスターバースのことを考えずに、単独作品としてゴジラとコングがdick-measuring contestをプロレス的にやっていると割り切って観るべし。小栗旬のファンならば、その扱いのひどさに天を仰ぐことだろう。けれど日本人俳優がハリウッドに行くというのはこういうこと。筒香や秋山を見るべし。誰もがイチローや大谷になれるわけではないのだ。本当は60点ぐらいなのだが、ゴジラというキャラに5点、コングというキャラにも5点を与えたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Who’s your daddy?

劇中で実際に使われているセリフではないが、ゴジラがコングに対して「負けを認めろ」と迫るシーンの咆哮の意味を考えてみた。私的に英語字幕を付けるとするならば、これで決まりである。直訳すれば「お前の父ちゃんは誰だ?」となるわけだが、ここでの意味は「俺の方が強いだろう?」のような感じである。相手にこちらの優位を見せつける時の言葉である。もちろん本当の親子の間で使うこともある。同僚アメリカ人が自分の娘に対して説教するときに、これを言っているのを聞いたことがある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, アレクサンダー・スカルガルド, ゴジラ, ブライアン・タイリー・ヘンリー, ミリー・ボビー・ブラウン, レベッカ・ホール, 小栗旬, 監督:アダム・ウィンガード, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラvsコング 』 -ゴジラ映画というよりもコング映画-

『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

Posted on 2021年7月3日 by cool-jupiter
f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231417j:plain

夏への扉 ーキミのいる未来へー  30点
2021年6月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 清原果耶
監督:三木孝浩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231446j:plain

ロバート・A・ハインラインの古典的名作のリメイク。Jovianも高校生の時にハヤカワの文庫本で読んだ。当時はまだ1990年代。2000年はそれなりに近未来だった。

あらすじ

若き天才ロボット開発者の高倉宗一郎(山崎賢人)は、猫のピートと育ての親の娘、璃子(清原果耶)に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、信頼していた共同経営者と婚約者に騙され、会社の株券および開発物すべてを奪われてしまう。挽回を試みる宗一郎は逆に元婚約者によってコールド・スリープさせられ、30年後の世界で目覚めるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231505j:plain

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

清原果耶の存在感よ。あからさまに拗ねるところ、敢えて一歩引くところ、逆に一歩踏み込んでくるところ。それぞれのシーンで璃子の想いが見え隠れする。観る側に伝わるように、しかし宗一郎には伝わらないようにというバランス感覚が良い。

原作にないアンドロイドのピートというキャラも素晴らしい。アンドロイドらしく瞬きをしない演技。『 ターミネーター 』シリーズのシュワルツェネッガーのようなメカメカしい動き。なおかつ、序盤の登場時に醸し出す『 エイリアン 』のアッシュのような雰囲気も不穏だった。こんなキャラであるが、これが唯一無二のバディになっていく過程は存外に楽しめた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231524j:plain

ネガティブ・サイド

なにかタイムトラベルものの一番悪いところを見せつけられたように思う。特に某キャラの言う「時間は一本の線で一周回ってつながっている」的な解説は完全に余計な代物。『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』や小林泰三の短編『 酔歩する男 』のように、時間=意識と捉える方向でよかったのに、あるいは余計な説明は一切挿入すべきではなかったと思う。肝腎かなめのタイムトラベル前の部分で、オープニングで描かれたパラレルワールドという設定がぶち壊しである。

過去に戻ってのあれやこれやの裏工作、自分が二人いる場面などは『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 』のようだったが、同作ほどの緊迫感は達成できず。というか緊迫感がゼロだった。

そのタイムトラベルの装置もデロリアンの次元転移装置とそっくり。そしてタイムトラベル先に行きつく際の描写はまんま『 ターミネーター 』のそれ。いくら原作が超有名SF作品とはいえ、その他の演出部分まで過去の有名SF映画からパクってもいいわけではない。

藤木直人演じるピートは最高のキャラだったが、ひとつだけ残念だったのはトラックを奪うために走っているシーンは『 ゴジラvsキングギドラ 』のM11そっくりでげんなりさせられてしまった。

三木孝浩監督は腕が悪い監督とは思わないが、結局のところ漫画や小説を原作にした映画しか作れない人。自分自身のイマジネーションやインスピレーションを作品にぶち込むというより、自分の中にある既存のイメージを上手く流用するのに長けた、ある意味ではルーティンで映画を作れるプロフェッショナルか。レビューするのに類似の過去作に言及する癖のあるJovianであるにもかかわらず、こういう映画製作者はどうしても高く評価できない。

総評

正直なところ、かなり微妙な出来である。ハインラインの着想を現代に蘇らせようという意図が伝わってこない。いや、時を超えて愛する人に巡り合うというのは普遍的な物語であるが、それを現代日本で敢えてリメイクする意味は?ネタが品切れ気味の邦画界の象徴的作品になってしまった。これでは今秋公開予定の『 CUBE 』についても一抹の不安を禁じ得ない。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You set me up.

「俺をはめたな」、「俺をだましたな」の意。序盤早々に一杯食わされる宗一郎があまりにも不憫であるが、人生は順風満帆にはいかないもの。こんなセリフは自分では使いたくないが、映画やドラマでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, SF, 山崎賢人, 日本, 清原果耶, 監督:三木孝浩, 配給会社:アニプレックス, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

Posted on 2021年6月30日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 75点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:鶴巻和哉 中山勝一 前田真宏
総監督:庵野秀明

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210630013444j:plain

仕事が忙しすぎるのだが、週末ぐらいはなんとか時間を作れるので、公開終了前に再鑑賞。

 

あらすじ

葛城ミサト率いるヴィレはパリ市街をコア化から解放するために使徒もどきと激闘を繰り広げていた。その頃、カヲルを失って放心状態になっていたシンジ(緒方恵美)は日本の第三村で大人になったトウジやケンスケと再会して・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210630013507j:plain

ポジティブ・サイド

冒頭の使徒もどきvsヴンダーの搭載艦&マリは圧巻のスペクタクル。この部分だけでも繰り返し観たいと思わせる迫力。

 

大人になったトウジやケンスケが、壊れてしまった世界の再建に微力ながら貢献している様に、本来の大人のあるべき姿を見る思いである。子ども=性と労働から疎外された存在であるなら、大人とは性と労働に従事する存在だから。

 

シンジの立ち直りと綾波のそっくりさんやアスカとの精神的な別れを経て、父親であるゲンドウを精神的に殺すに至る過程。そして海という母の羊水の象徴から抜け出て、また別の海=マリに向かっていくという流れに再鑑賞でシンクロできた。綾波、式波、真希波の軍艦名ばかりが注目されるが、マリ=Mari=Mare=イタリア語の海の複数形だということも強調されてよいはずだ(牽強付会という自覚はある)。

 

ゲンドウとシンジの一騎打ちは初回鑑賞時と同じく笑った。再鑑賞では、精神的な意味での父親殺し以上に、あまりにも自分の欲望に素直でいるために結果として素直になれないという逆説的な自分の心の葛藤を表しているように感じられた。

 

結局のところ、シンジ=庵野秀明の自己投影だという構図が最後まで維持された。いや、『 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に 』で「現実=夢の終わり」と明言した、あの嫌な庵野がいなくなったと言うべきか。嫌な庵野というのは、現実で満たされない自分を虚構の作品の中でも満たそうとしない屈折した精神構造の持ち主という意味である。庵野も大人になったということか。mellowになったと言い換えてもいい。エヴァンゲリオンが存在しない世界というのは、もはや胎内回帰を必要としない世界ということで、男が母親離れするのは妻ができた時と相場が決まっている。マリ=安野モヨコだと巷間よく言われることだが、正にその通りなのだろう。おめでとう、碇シンジ=庵野秀明。君は自慰にふける少年を脱して、愛し愛される大人になったのだ。

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ネガティブ・サイド

サクラたちがシンジをどこまで敵視する描写がくどい。トウジからの手紙を受け取ったサクラがちょっと改心、あるいは回心するような描写が欲しかったと思う。

 

今更ケチをつけてもしょうがないが、宇多田ヒカルの歌う『 One Last Kiss 』や『 Beautiful World 』のストレートすぎる歌詞が新世紀エヴァンゲリオンの世界観に合わないように感じる。どうしようもなく。『 残酷な天使のテーゼ 』や『 魂のルフラン 』、『 心よ原始に戻れ 』が持っていた強烈な寓話性が感じられない。

 

総評

びっくりしたのが、再鑑賞時の劇場の客の入り。底を脱したとはいえコロナ禍のただ中で4割ほど入っていた。そして観客のほとんど全員がリアルタイム世代のJovianよりも若かった。20歳前後と思しき女子やナード男子4人組など、どう考えても彼ら彼女らも再鑑賞組。リアルタイム世代以外でもファンになり、完結作品を何度もしっかり見届けるファンがいることを知って、邦画(アニメだが・・・)もまだ死んでいないと思わされた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

doggo

犬のちょっと可愛らしい言い方。つまり、ワンコくんの試訳。たぶん、劇中の大部分でマリはシンジをpuppyと呼んでいるのだろうが、最後の最後だけはdoggoと呼んでいるような気がする。doggoは元々はインターネットスラングかつインターネットミームだったのだが、今では普通に会話でも使うようになった。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:中山勝一, 監督:前田真宏, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

Posted on 2021年4月4日 by cool-jupiter

モンスターハンター 50点
2021年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ トニー・ジャー
監督:ポール・W・S・アンダーソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023821j:plain

実はJovianはモンハンはプレイしたことがない。しかし、モンハン製作者の方の一人と交流があるため、モンハンは応援しているフランチャイズの一つである。USJでモンハンのアトラクションにも行ったし、幸運にもコンサートに招待されたこともある。CDを買って、サインをしてもらったこともある。けれど映画は映画、ゲームはゲーム。批評は公平にせねばならぬと言い聞かせてもいる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023846j:plain

あらすじ

国連軍所属のアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は隊と共に砂漠の嵐に飲み込まれた。気が付くとそこは巨大な怪物が跋扈する異世界だった。隊員は巨大蜘蛛に殺されてしまい、アルテミス自身も窮地に陥る。しかし、そこで彼女はハンター(トニー・ジャー)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

ディアブロスやネルスキュラといったモンスターの迫力が素晴らしい。JovianはあまりCGそのものには感動しないのだが、大学生の頃に観た『 ロード・オブ・ザ・リング 』のバルログを心底怖いと思ったが、あの感覚に近い。『 ホビット 竜に奪われた王国 』の邪竜スマウグにも同様の感覚を抱いた。ゴジラやガメラといった怪獣は着ぐるみとの親和性高いし、『 エイリアン 』のゼノモーフなども着ぐるみであるからこその実在感があった。だが、モンハン世界は神話や伝説のファンタジー世界の方に近いのでCGでも問題はなしである。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチとカプコンは相性が良いのかな。『 バイオハザード 』と『 バイオハザードⅡ アポカリプス 』は面白かった(シリーズ最後の2つは観ていないが)。本作でも、いわゆる戦う女性としてのアイデンティティを見事に発揮。アリス役で銃を撃ちまくる姿を思わず重ね合わせたファンは多いのではないだろうか。

 

ハンター役のトニー・ジャーはミラ・ジョヴォヴィッチを上回る存在感。ゲーム未プレイのJovianでも「あ、なんかゲームのキャラっぽい」と直感した。格闘能力や弓矢の腕前、ハントの知恵など、本当はもっとたくさんいるはずのハンターたちの属性を一手に引き受けていたように思うが、確かにそれらをすべて体現していた。タイ人ということだが、日本人でもこういう無言・無口で、しかしアクション能力は抜群みたいな役者は、ハリウッドを目指すべきだと思う。トニー・ジャーが今作で見せたパフォーマンスは日本や韓国、インドの役者がハリウッド進出を目指す際の一つの目安になるのではないか。

 

ディアブロスとの戦闘シーンは迫力満点。ゲームのドラクエやFFなど、明らかに自分よりも遥かに巨大なモンスターと戦っている時の自らの脳内イメージに近いものがあったし、ファンタジー世界に浸っているという感覚も十分に味わえた。モンハン未プレイ者としては、それなりに満足できた。

 

ネガティブ・サイド

製作者の方が言っていた「モンハンの魅力はチームワークとコミュニケーション」がきれいさっぱり抜け落ちていた。きれいさっぱりは言い過ぎか。一応、序盤のAチームの面々にはチームワークとコミュニケーションがあった。が、それは単なる死亡フラグやろ・・・

 

タイトルが『 モンスターハンター 』、コンセプトも「モンスターを狩る」ということのはずなのに、そこが弱い。アルテミス大尉とハンターのバトルはそれなりに見どころはあるものの、はっきり言って不要なシークエンスだった。映画自体は続編のありきの作り方とはいえ、人間パート、もっと言えば人間同士のバトルのパートはもっと削って「モンスターを狩る」、「モンスターの皮や角や牙から武器防具やアイテムを作る」というモンハンならではの世界観の構築に時間とエネルギーを費やすべきだった。そしてそうした思考や行動は現代人であるアルテミスにも可能なはず。普通に考えれば、現代兵器が通用しないモンスターの皮なら実用的な防弾ベストが作れると考えるはずだし、そうすべきだった。どこからともなくアルテミスの体のサイズにぴったりの鎧が出てきたのは不可解だし、逆に鎧を着せるなら、その鎧を手に入れる過程こそしっかり描くべきだった。

 

アルテミスというキャラについても疑問に感じられる点が一つ。自分は指輪というアイテムを後生大事に持っている癖に、ハンターが祈りを捧げる人形にまったくリスペクトを払わないというのはこれ如何に。国連軍所属ということは世界のあらゆる地域の紛争に介入する可能性があるということ。つまり、異文化への理解が不可欠なはずなのだ。そうした職業軍人としての背景と行動が矛盾しているし、単純に見ていて気持ちの良いものではない。

 

一点だけ映画のプロットに関係のないネガティブを。それは序盤の字幕。”I got it!”とあるキャラが叫ぶシーンがで字幕が「分かった!」になっていたが、これは間違い。正しくは「(エンジンが)かかった!」である。

 

総評

アクション映画、ファンタジー映画として観ればそこそこの出来である。ゲーム『 モンスターハンター 』の映画化として観れば微妙だろう。モンハンのいわゆるテーマソング、あれが少しでも使われていれば、それだけで一部のファンはゲーム世界と映画世界がつながったと感じられたはず。まあ、良くも悪くもゲーム世界と映画世界は別物だと理解して鑑賞するかどうかを決める必要がある。ちなみにMOVIXあまがさきの客入りはさびしいものだった。ゲームファン世代であるべき10代~30代はほとんどおらず、どういうわけか年配の方々ばかり。公開から1週間以上が経過しているとはいえ、土曜の昼にこのありさまと言うことは、ゲームファンからそっぽを向かれた作品なのだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023937j:plain

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bait

エサの意。ただし、ペットの犬や金魚にエサをやるという時のエサではなく、獲物などを呼び寄せる時に使うエサのこと。釣りを嗜む人ならベイトやルアーなどの言葉に馴染みがあるだろう。魚をベイトでルアーするわけである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, トニー・ジャー, ファンタジー, ミラ・ジョヴォヴィッチ, 監督:ポール・W・S・アンダーソン, 配給会社:東和ピクチャーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ??点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 
監督:庵野秀明

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311174830j:plain
 

ちょっと頭が混乱している。何か大きな感動を味わったような気もするし、肝心なところは有耶無耶なまま騙されたような気もする。レビューも書けそうにない。前3作はすべて劇場で観たが、最後のQから何年経ったのか。やはり復習鑑賞無しで臨むのは無理があったか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311174852j:plain
 

以下、取り留めのないメモ

 

・トウジやケンスケ、委員長が「大人」になっていることを素直に嬉しく思えた。子ども=性と労働から解放されている者、大人=性と労働に関わる者である。

 

・第三村のパートが少し冗長か。

 

・碇ゲンドウがひたすらキモイ。これはもう昔からそうだが、ユイと再会したいと願いつつ、結局そこにあるのは胎内回帰願望。人類補完計画と大仰に銘打っても、結局はユイを抱きたい、ユイに抱かれたいという非常に幼児的な欲求でしかないように思う。

 

・綾波の笑顔は、やはり絵が粗い最初期のものが一番ステキだなと感じる。

 

・アスカ、報われない女・・・

 

・マリ、いい女。

 

・『 残酷な天使のテーゼ 』も『 魂のルフラン 』も流れなかった。:||という反復記号の意味は・・・?

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311175018j:plain元々のテレビアニメはJovianが高校生の頃に深夜放送していた。当時は“知る人ぞ知るアニメ”だったように思う。それこそクラス人数30人のうち、見ていたのは自分含め3人ぐらいしかいなかった。そこから一つの大きな潮流が生まれ、そして完結するという事象をリアルタイムに体験することができたのは僥倖だが、作品そのものを楽しめたのかどうか、それが自分でも分からない。本作で碇シンジはエヴァンゲリオンから「卒業」したわけだが、これはクリエイターとしての庵野秀明にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件で閉塞感に満ちた世界から、ある意味で逃避できる作品だったのかな。かつて庵野から「いい加減、目を覚ませ」と痛烈なメッセージをリアルに受け取った世代としては、本作が完結であると受け止めづらい。そう感じるのは碇シンジが音になってしまったからなのか、庵野秀明が大人になってしまったからなのか、自分が大人になってしまったからなのか、それとも自分が大人になり切れていないからなのか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, アニメ, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

Posted on 2020年12月28日 by cool-jupiter
『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

映画 えんとつ町のプペル 60点
2020年12月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 芦田愛菜
監督:廣田裕介

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225204j:plain
 

キングコング西野がうんたらかんたらと言われているが、Jovianはクラシカルな芸人にしか知らない。テレビで観るのは大御所の漫才か吉本新喜劇ぐらいなのだ。本作はそのビジュアルとキャラクターに惹かれて鑑賞した。何の贔屓目も無しに良作と言えると思う。

 

あらすじ

常に煙に覆われたえんとつ町のゴミ集積場に流星が舞い降りた。その流星はゴミを引き寄せ、ゴミ人間(窪田正孝)に。ゴミ人間はえんとつ町でプペル(芦田愛菜)と運命的な邂逅を果たす。プペルは、かつて父が語っていた、晴れない空の向こうに星があることを信じていて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225237j:plain
 

ポジティブ・サイド

冒頭からスタジオ4℃の絢爛豪華なアニメーションが映える。Jovianが知る最も古いスタジオ4℃の作品はゲーム『 エースコンバット04 』の紙芝居風CG劇だが、時代を経ることでこれほどに表現の幅が出てくるものなのかと素直に感心する。この映像体験は大画面でこそ体験されるべきだろう。

 

キャラクターの造形もなかなかだ。適度にデフォルメされたアニメ的な人物像、なかんずく主人公のルビッチは、庇護したいという気持ちを観る側に生じさせるだけではなく、その成長を見守りたいという気持ちにもさせてくれる。つぶらな瞳の奥底に意志の強さが垣間見えるのだ。相棒となるゴミ人間のプペルの形や声もいい。思わぬスペクタクルから始まる二人の友情に思わず胸が熱くなってしまった。というか、友達を通り越してお前らはもう戦友だろう?と感じてしまった。ルビッチとプペルの交流のすべてが実に微笑ましく、だからこそ生じる関係の亀裂とその真相が明かされるとき、我々は友情の本当の意味を知る。

 

えんとつ町の秘密も(一点を除けば)なかなかに練られていると思う。子どもなら異端審問所が悪、真実を追求するルビッチやプペルが善、という二項対立的な見方をすることもできるし、10代後半以上なら善悪や正誤以上に信念を貫き通すことの尊さを感じ取ることもできる。大人であれば、陳腐ではあるが、非常にダイレクトに閉塞感の横溢する日本社会批判になっていることに気付くだろう。

 

原作の絵本は未読だが、エンタメ映画としては良いペースで物語を展開できている。100分というのはちょうどよい塩梅に感じた。年末年始にちびっ子を映画に連れていくなら、ドラえもんよりも本作を選ぶべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225304j:plain
 

ネガティブ・サイド 

Spectacularな映像という意味ではオリジナリティはまったくない作品である。えんとつ掃除の人夫が勢ぞろいしてアクションするのは『 メリー・ポピンズ 』で既視感ありありだし、トロッコによるスピード・アクションは『 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 』をどうしたって彷彿させるし、終盤の船のシーンはまんま『 アポカリプト 』と『 ハウルの動く城 』である。えんとつ町そのものもゲーム『 ファイナルファンタジーVII 』の都市ミッドガルに道頓堀と東大阪の要素を付け足したようなもの(これは大阪人なら感じ取れるはず。生粋の南大阪人のJovian嫁が感じたことで手、兵庫人のJovianも同じように感じた)。

 

えんとつ町の貨幣制度は非常に興味深いが、法定通貨の交換可能性を担保(あるいは強制)しているのは一体誰なのか。異端審問所?普通に考えれば、長い年月を経過するほどに物々交換制度に移行していきそうなものだが。世界史上における戦争の99%は経済戦争であるが、貨幣を奪おうとして戦争が起こった例などほとんど存在しない。狙われるのは資源であって貨幣ではない。なかなか練られた世界観だが、ここだけは決定的な違和感を覚えた。

 

ストーリー全体も『 天空の城ラピュタ 』と『 天国から来たチャンピオン 』のごった煮。せっかく映像はcinematicに映えているのだから、もっと映像で物語るべきだ。劇中に2~3度挿入される歌もノイズに感じた。語るのではなく感じ取らせる、映像と音楽と効果音と物語でそれを行う。それが映画である。ストーリーのメッセージ部分をナレーションで伝える最終盤の展開にもやや興ざめ。これでは本当に絵本か紙芝居だ。次回作以降では廣田裕介監督のoriginalityとcreativityに期待をしたい。

 

総評

各所のレビューでは絶賛コメントが溢れているが、おそらくかなりの割合がサクラだろう。良作ではあるが傑作ではない。もちろん、面白さの基準は人それぞれだが、映画という媒体として評価されるべき点(脚本、演出、撮影etc)に触れたものが非常に少ないところが気になる。オリジナリティの無さも癖の無さ、つまり万人に受け入れられやすい作りになっていると見ることもできる。すべては相対的なのだ。今後鑑賞される諸賢は、主人公ルビッチの言うように「見ていないのにどうして分かる?」というニュートラルな姿勢で臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look up

上を見る、の意。Look up at ~で、~を見上げる、と言える。Look up to ~は本来は「~を尊敬する、敬愛する」の意味だが、同じように「~を見上げる」の意味で使われることがあるのは『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“Open your eyes, look up to the skies and see”の歌詞からも分かる。他にもlook ~ up in a dictionary = ~を辞書で調べる、という用法もある。別にa dictionaryのところはwikipediaでもdatabaseでも何でもよい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:廣田裕介, 窪田正孝, 芦田愛菜, 配給会社:吉本興業, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

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