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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ワーナー・ブラザース映画

『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

Posted on 2022年3月1日 by cool-jupiter

ドリームプラン 70点
2022年2月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演・ウィル・スミス アーンジャニュー・エリス サナイヤ・シドニー デミ・シングルトン
監督:レイナルド・マーカス・グリーン

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『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』以来のテニス映画。テニス映画というよりは、スポコン映画、または子育て映画なのだが、ほぼ同世代であり、かつてテニスを嗜んでいたJovianにとっては馴染みがあり、なおかつ新しい発見もある作品だった。

 

あらすじ

リチャード(ウィル・スミス)は、あるテニス選手が短期間で多額の賞金を稼ぐのを観て、自分の娘のビーナス(サナイヤ・シドニー)とセリーナ(デミ・シングルトン)にテニスの英才教育を施すことに決めた。そして、娘たちをさらに大きく成長させるために、彼は無料でコーチングを引き受けてくれる人材を探して東奔西走するが・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはボリス・ベッカーからテニスを観始めたので、『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』の世代の少し後である。しかし、ビーナス・ウィリアムズとセリーナ・ウィリアムズの二人は、彼女らがプロになりたての頃からグランドスラム大会などで観てきた。マルチナ・ヒンギスのクラシカルでいて、それでいてパワフルでスキルフルなテニスに魅了された世代でもある。伊達公子の実質的な引退試合で、ヒンギスがライジングショットで伊達を圧倒する姿に、世代交代、時代の交代を観たという世代である。しかし、そのヒンギスもL・ダベンポートやメアリー・ピアースは何とかできても、ビーナス・ウィリアムズには敵わなかった。高校生ぐらいの時に読んだテニマガで、父リチャードが「ビーナスは強い。しかし、セリーナはもっと強い」という趣旨のことを述べていて、「それはナンボなんでも言い過ぎやろ」と感じていたが、まったくもって事実だと知って、恐れ入り谷の鬼子母神だと感じたことを今でも覚えている。しかし、父親がこれほどの星一徹的なキャラクターだとは知らなかった。

 

星一徹と決定的に異なるのは、かなり人間的に破綻した人であること、そして娘たちにテニス以外の教育も施したことだ。事実は分からないが、めちゃくちゃな人生を歩まざるを得なかったことが、リチャードの娘たちに対する教育のモチベーションになっているのだろう。前者の点については、物語のかなり後半になるまで触れられないが、その夫婦の row のシーンはかなり真に迫っていたと思われる。例えるなら『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディがメンバーに独立を伝えるシーンか。当人、あるいは娘たちにしか分からないシーンで、これがそのまま事実の再現だったとは思わないが、とにかくリアリティが凄かった。

 

彼の教育としつけは周囲の人間には虐待と映ったようだ。隣人に通報までされている。しかし、家にやってきた警察と保護観察官に対しての毅然とした対応には感動させられた。一方で、名コーチであるリック・メイシーに陽気にたかる姿は、どことなく亀田さん兄弟の父を思い起こさせた。善良かつ厳格なだけの男ではない。良い意味でも悪い意味でも人間臭さというか、人間としての弱さや醜さが出ており、それは自分をぶちのめし、娘をレイプしてやると言い放ったギャングを殺そうと企むシーンにもよく表れていた。ルイジアナというアメリカの南部で生まれ育ち、『 私はあなたのにグロではない 』のJ・ボールドウィンの一つ下の世代であるリチャードが、暴力と差別を知らないはずがない。自分のことなら耐えられても、悪意を娘に向けられた際に見せた相手への憎悪を、誰が否定できようか。

 

彼の人生はある意味で悪意との戦いだったように感じ取れた。それも明確な悪意ではなく、意識されない悪意だ。善意の裏に潜む悪意だ。インタビューしてくるメディアや、スポンサー契約を持ち掛けてくるエージェントに対して「俺たちが白人だったら、お前たちはそんなことを言わないだろう」と言ってみせるが、確かにその通りだろう。我々はついつい本作をテニスで成功を収めた選手の父親の話として観てしまう、あるいは『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』のような女性テニス選手の話として観てしまうが、正しくは『 ドリーム 』(原題”Hidden Figures”)と同系統の作品として観るべきだろう。ゲットーで生まれ育ち、犯罪と貧困の世界から脱出するためにテニスに打ち込んだが、カネには支配されなかった。逆に、カネを持ってくる側をとことん競わせた。このエピソードは知らなかったが、マイク・タイソンにもこのような父親がいれば、あるいはカス・ダマトがもっと長生きしていればと思わされた。

 

本作はテニス映画であるが、それ以上に前例を打ち壊すこと、高潔であること、そして自分を信じることの重要性を真正面から描いている。ホンマかいなと思えるエピソードもあるが、ホンマなのである。亀田三兄弟の父親がまともな人格と哲学の持ち主だったら・・・という思考実験が、本作で可能になる。教育に悩む親など、テニスファン以外にも是非とも鑑賞いただきたい一作となっている。

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ネガティブ・サイド

せっかくのテニス映画なのに、テニスの迫力を伝えるようなシーンや特徴的なカメラワークがなかったのは残念である。それこそ1970年代、80年代のテニスと比べると21世紀のテニスは卓球かと見紛うほどにスピードアップしている。それだけ選手のパワー(とラケットの性能)がアップしたのだ。そのことを伝えるような絵、たとえばビーナスがフラットにボールを叩いた時に、どれくらいボールが潰れているのかだとか、あるいはセンターにサービスエースがバシッと打ち込まれた時に、レシーバー視点ではどう見えるのかを捉えたりといった、そういったものが欲しかった。

 

主人公はリチャードなのだが、もう少しセリーナにも見せ場が欲しかった。Jovianは史上最高の女子テニス選手はマルチナ・ナブラチロワか、シュテフィ・グラフだと思っているが、史上最強の女子テニス選手は文句なしにセリーナ・ウィリアムズだと思っている。

 

映画の出来とは関係ないが、ドリームプランという邦題はもう少し何とかならなかったのか。プランの中身がほとんど劇中で開陳されていないではないか。もっと直接的に「リチャード、ウィリアムズ姉妹の父」のようなストレートな題名でも良かったのでは?

 

総評

2021年の夏に大坂なおみが鬱を告白した。その原因の一つにメディア対応があったとされる。Jovianは詳しく調べていないが、リチャードを苛立たせたのと同じ種類の意識が、大阪にインタビューするメディア側にもあったものと推察される。本作を鑑賞して、そのように感じた次第である。テニスファンはもちろんのこと、無意識の抑圧を感じる人にも鑑賞いただきたい。リチャードの言動には賛否両論あれど、その姿勢からなにがしかを感じ取ることはできるはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You was even born

正しくは You were even born であることは言うまでもないが、African-American Englishでは、しばしば 主語が複数形であってもbe動詞が単数形のままだったりする。ボクシングフロイド・メイウェザーの叔父、ロジャー・メイウェザーの英語はまさにこれで、しばしば We wasn’t surprised. We wasn’t impressed.  などと言っていた。African-American Englishのもう一つの特徴は進行形でのbe動詞の省略で、この用法は古くから白人英語にも輸入されていて、最も有名なのは『 タクシードライバー 』のとラヴィスの “You talking to me?”だろう。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アーンジャニュー・エリス, アメリカ, ウィル・スミス, サナイヤ・シドニー, スポーツ, デミ・シングルトン, 伝記, 歴史, 監督:レイナルド・マーカス・グリーン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

Posted on 2022年2月26日 by cool-jupiter

バットマン・フォーエヴァー 65点
2022年2月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:バル・キルマー ジム・キャリー トミー・リー・ジョーンズ ニコール・キッドマン
監督:ジョエル・シュマッカー

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『 THE BATMAN ザ・バットマン 』公開前に復習鑑賞。多分20年ぶりくらいに鑑賞したが、ダークな中にユーモアを内包するティム・バートンのバットマンとは異なり、本作はユーモアの中に狂気を内包している。

 

あらすじ

検事ハーヴィー・デント(トミー・リー・ジョーンズ)は狂気の怪人、トゥー・フェイスとなり、ゴッサム・シティの銀行を襲撃する。バットマンによって凶事は防がれたものの、今度はウェイン・エンタープライズの従業員、エドワード・ニグマ(ジム・キャリー)が海神リドラーに変身。ブルース・ウェイン(バル・キルマー)に彼らの魔の手が迫る・・・

 

ポジティブ・サイド

再鑑賞して真っ先に思ったのは、プロダクションデザインに相当に力が入っているなということ。CGが全盛になる前の、ある意味で正統派の映画を観たように感じた。ウェイン宅の調度品からバット・ケイブの造作まで、これはこれでジョエル・シュマッカーの世界観が出ている。前二作は、ジャック・ニコルソンの狂喜のジョーカーに、シリアスでダークで政治色も強めの哀れなペンギンだったので、ある意味の揺り戻しが来たのも納得。

 

トミー・リー・ジョーンズは素晴らしい役者だと感じた。個人的には『 タイ・カップ 』がベストだと感じているが、本作のトゥー・フェイス役もかなりのはまり役。この作品だけ単体で観ればただの変なおじさんだが、作品ごとにガラリと芸風を変えられる演技ボキャブラリーを持っていることが分かる。笑いながら笑えない暴力を行使するキャラとしては、ジャック・ニコルソンのジョーカーに次ぐ奇妙な可笑しさと怖さがあると思う。ビリー・ディー・ウィリアムズがトゥー・フェイスを演じても、おそらくここまで突き抜けたキャラにはなれないだろう。

 

このトゥー・フェイスを上回るどころか、主役のバットマンさえ霞ませるのがジム・キャリー演じるリドラー。『 マスク 』や『 グリンチ 』など、マスクをかぶったり変装したりするキャラで本領を発揮する怪優だが、本作でもその高い演技力を遺憾なく発揮している。頭が飛びぬけて良いが狂っている、あるいは狂っているが恐ろしく頭脳明晰という二律背反キャラを完璧なまでに演じている。コミカルな動きでバット・ボムを放り投げてバット・ケイブおよびバット・モービルを破壊していく様の何ともいえない薄気味悪さと怖さはジム・キャリーにしか出せない味だろう。Jovianの職場はカナダ人が多めだが、彼ら彼女らが高く評価する自国の俳優はだいたいジム・キャリーである(ちなみに監督だとジェームズ・キャメロン)。

 

バル・キルマーは結構よいキャスティングだった。若くてハンサム、そして経営者としてのカリスマ性も感じられ、ブルース・ウェインとして説得力があった。バットマンとしても、hand to hand combat でトゥー・フェイスの手下たちを次から次へと片付けていく様子が非常に小気味良かった。ミステリアスさなどの影の部分が前面に出ていたマイケル・キートンとは一味違ったバットマン像を打ち出せていた。ダークナイトとしての使命を果たそうとしながら、一人の人間としての人生も生きようとする姿が、悪役トゥー・フェイスやニグマ/リドラーと奇妙なコントラストを成していた。ティム・バートンの描き出す陰影のあるゴッサムおよびバットマンとは大いに趣が異なるが、こうしたバットマンもありだろうと感じた。

 

ネガティブ・サイド

ロビンのキャラが軽すぎるように感じた。トゥー・フェイスに復讐を果たしたい理由があるのは分かるが、脚本に説得力を欠いていた。家族の復讐のためというよりも、ヴィランが二人なので、バットマンの相棒ロビンを出そうという意味合いの方が強かったように映った。もちろんロビンにはロビンの悲しい過去があり。バットマンにはバットマンの悲しい過去があるのだが、互いが相手を必要とするようになる過程の描写が弱かったと感じる。

 

トゥー・フェイスとリドラーの直接の絡みはもう少し減らして良かった。アクの強い者同士を混ぜると、たいていは bad chemistry となる。本作もそうなってしまった。両ヴィランとも単独で十分にキャラ立ちしており、共闘することで1+1=2ではなく、1+1=1になっていたように思う。基本的には一映画で一ヴィランであるべき、もしくはヴィランを一人倒したら、また新たなヴィランが現われるという方が、ゴッサム・シティらしいのでは。

 

トゥー・フェイスを殺してしまうのはバットマンらしくない。コインの表裏で潔く自決するようなプロットは描けなかったものか。

 

総評

久しぶりに鑑賞したが、リドラーの予習にはならないと実感。悪役が強烈すぎて主役が食われてしまっている。ただ『 THE BATMAN ザ・バットマン 』に興味があって、なおかつ「リドラーって誰?」という人は本作を鑑賞するのも一つの手かもしれない。最新作は間違いなく、恐ろしいほど狂ったリドラーではなく、恐ろしいリドラーを描いているはず。そのギャップをJovianは楽しみにしている。この次のシュワちゃんのMr. フリーズは文字通りの意味で寒いギャグが連発されるので、猛暑の夏にでも気が向いたら再鑑賞しようと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Old habits die hard.

直訳すれば「古い習慣は一生懸命死ぬ」だが、意訳すれば「古い習慣はなかなか消えない」となる。日常生活でもビジネスでも時々使われる表現。die hard というとブルース・ウィリスを思い浮かべる映画ファンは多いだろうが、あれも「一生懸命死ぬ」転じて「なかなか死なないタフな奴」の意味である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アクション, アメリカ, ジム・キャリー, トミー・リー・ジョーンズ, ニコール・キッドマン, バル・キルマー, 監督:ジョエル・シュマッカー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

『 マトリックス レザレクションズ 』 -どこか煮え切らない第4章-

Posted on 2021年12月21日 by cool-jupiter

マトリックス レザレクションズ 65点
2021年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:キアヌ・リーヴス キャリー=アン・モス
監督:ラナ・ウォシャウスキー

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『 マトリックス 』、『 マトリックス リローデッド 』、『 マトリックス レボリューションズ 』に続く第4作目。『 インディ・ジョーンズ 』シリーズの第4作ほど酷い出来では決してない。だが、別に制作しなくても良かったのではないかとも思う。

 

あらすじ

大ヒットゲーム『 マトリックス 』3部作の制作者のアンダーソン(キアヌ・リーブス)は、会社から第4作の製作が決定したと伝えられる。それ以来、不可思議なビジョンを見るようになったアンダーソンの目の前に、ゲームのキャラクターであるトリニティに瓜二つのティファニー(キャリー=アン・モス)が現われる。さらに、謎の男モーフィアスも現われ、アンダーソンにある選択を迫る・・・

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以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

オープニングからメタな自己言及がどんどんとされていて、脳みそが良い感じに刺激される。『 マトリックス 』の最大の衝撃は仮想現実という言葉が人口に膾炙するようになったかならないかの頃に、大規模な仮想現実世界を構想し、創造してしまったところにある。仮想現実が実現したわけではないが、VR体験などは徐々に社会に浸透しているし、シミュレーションによって様々な予測を行うことは最早常識となっている。そうした時代に『 マトリックス 』の新作がリリースされるということで、どのような衝撃を放ってくるのかと期待していたが、まずはその期待は裏切られなかった。マトリックスの中でマトリックスというゲームを作る、すなわち仮想現実の中で仮想現実を疑似体験させるという入れ子構造で、この導入は面白いと感じた。

 

モーフィアスの正体についても触れられており、これも面白い感じた。マトリックス世界には漂流者や救世主など、通常とは異なる挙動の存在がいることは旧作からも明らかだったが、いくら再起動(リロード)しても、outlier は出てくるものだ。そうした我々にショックを与えた前3作の世界観を、本作にうまく融合させている。そこから機械と人間の(部分的な)共存にもつながっていく。シベーベというマシンキャラはなかなかに可愛らしい。

 

アクションシーンも、キアヌが老体に鞭打って頑張っている。”I still know kung fu.” のセリフは、第1作の”I know kung fu.” を思い出して、思わずニヤリ。エージェント・スミスの大群の代わりに、ボットを導入し、『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』のゾンビのごとく、全方位から襲い掛かってくるのも、マトリックスのアップデートとして受け入れられた。

 

本作は『 マトリックス 』とはある意味で真逆の展開かつ第1作のリブートという離れ業を演じている。これは pro でもあり、con でもあるのだが、pro を見れば、『 マトリックス 』では救世主としてのネオを懐疑していたトリニティが、ネオを救世主として認めることで、ネオが本当に救世主として覚醒した。本作では、救世主としてのネオがトリニティを覚醒させることで、新たな救世主を覚醒させた。これはポリコレが云々という話ではなく、純粋にマトリックスという世界を一歩押し広げたものであると評価したい。マトリックスは常に救世主を必要とし、それによってリロードを繰り返してきた。本作ではマトリックスを作り変えることが強く示唆されるが、それは冒頭で明らかにされた入れ子構造を強く意識させるもののように思えてならない。親マトリックスから子マトリックスが生まれるイメージである。更なる続編があったとして、まずは観てみようという気持ちになれた。

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ネガティブ・サイド

なにか『 マトリックス 』3部作の現代版を無理やり1作に詰め込んだ感が拭えない。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』は、ほとんどそのまま『 スター・ウォーズ 』(『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』)のプロットの焼き直しだったが、こちらは新旧キャラクターがうまい具合にバトンタッチを果たした。一方のこちらは、肝腎かなめのヒューゴ・ウィービングやローレンス・フィッシュバーンが出ていないではないか。「マトリックス」と聞いて一番に思い浮かべるのは、黒服のサングラス=エージェント・スミスなのである。モーフィアス役はまだしも、あの俳優がスミス役というのは無理がありすぎる。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』の若きハン・ソロよりも無理がある。『 キャプテン・マーベル 』で採用されたデジタル・ディエイジング技術は、こういう時にこそ使うものなのではないだろうか。

 

第1作のリリースから20年以上になるが、映像技術の面で衝撃を与えるものがなかった。バレット・タイムの視点を変えるというのは面白いアイデアだったが、もっとエクストリームな展開を見たかった。バレット・タイムを使うネオをさらに上回るバレット・タイムを使うスミスをさらにネオが上回って・・・のような突き抜けた展開が欲しかった。

 

それにしても、彼の国の映画で描かれる日本という国の「これじゃない」感は何なのだろうか。韓国などは国を挙げて映画製作を後押しし、また他国の映画撮影に対しても非常にオープンだと聞く。それはつまり自国のイメージを常に世界に発し続けているということだろう。日本もいい加減、文化的鎖国状態を解くべき時期に来ている。ウォシャウスキーの言う好きな日本の映画監督は黒澤、小津、溝口だが、これをもってウォシャウスキーを親日家と言うのは無理があるだろう。

 

総評

『 マトリックス 』シリーズの一種のスピンオフ、あるいはリメイクとして捉えるのが吉かもしれない。”新章の開幕”的な位置づけになる可能性があることを漂流者たちに声高に喧伝させているが、それを観たいかと問われれば、個人的にはノーである。ただ、懐かしい世界観に浸ることは十分にできたし、現代的なメッセージや監督本人の作家性(というよりも個人性、属性?)が十分に発揮されてもいる。旧作に親しんだことのある人なら、鑑賞しないという手はないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Have we met?

「私たち、以前に会ったことがあったっけ?」の意。映画やドラマでは割とよく使われる表現。似たような表現に “Do I know you?” もある。この ”Have we met?”は pickup line =口説き文句の始まりにもよく使われる。英語でこれを実際に口に出せれば、かなりの社交家であると自覚してよい。 

 

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『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

Posted on 2021年11月8日2021年11月8日 by cool-jupiter

ジョーカー 85点
2021年11月5日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ
監督:トッド・フィリップス

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再鑑賞のきっかけは、やはり京王線の事件。アメリカでも本作公開後にBLM、さらにそのどさくさ紛れの暴動が多発したが、持たざる者からさらに収奪しようとする時、社会はしっぺ返しを食らってもおかしくないという本作のビジョンは概ね正しかったことが残念ながら改めて証明されたように思う。

 

あらすじ

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、緊張すると笑ってしまうという障がいを抱えながらも、ゴッサムの片隅でピエロ稼業をしながら、コメディアンになることを夢見ていた。母親と二人暮らしで、フランクリン・マレー(ロバート・デ・ニーロ)がホストのテレビ番組を楽しんでいた。だが、街も人々も彼の存在をどこまでも軽んじる。そんな時、同僚から護身用にとアーサーは拳銃を手渡され・・・

 

ポジティブ・サイド

今回の再鑑賞の目的は2つ。1つは、どこまでが現実でどこまでがアーサーの妄想なのかを考えてみたいということ。もう1つは、この映画に人を狂気あるいは凶行に走らせる要素があるのかどうかということ。

 

現実か妄想かについて。日英の両語で色々なサイトを渉猟してみたが、百家争鳴の感はぬn拭えない。トッド・フィリップスも、様々なインタビューで「自分たちは何が現実で何が妄想か分かっている。たくさんのセオリーが存在して、そのどれもが興味深い」という趣旨を述べており、正解については煙に巻いている。そこで自分なりの仮説を。

 

1.すべて現実

2.最初と最後だけ現実

3.最初だけ現実で残りはすべて妄想

4.最後だけ現実で残りはすべて妄想

5.すべて妄想

 

2.が有力かとは思うが、5.も捨てがたい。よく言われる時計が11時11分を指しているシーンは間違いなく妄想だろうが、そのことが他のシーンを現実だと決定づける要素でもない。事実、テレビのシーン、ソフィーとデートするシーンなど、間違いなく妄想だとしか思えない。結局、アーサーの言う通り、人生は悲劇ではなく喜劇、何が面白いかは社会全体が決めることなのかもしれない。そして社会は時に、たった一人の象徴によって大きく歪むことがありうる。そして、その象徴は社会の大きな歪みから生まれる。循環論法である。これは、妄想している人間が「自分は妄想している」と自覚した時の自己言及矛盾とも共通するだろう。結局のところ、アーサーは”You wouldn’t get it.” = 「あんたには分からない」と言って、自らのジョークを説明することを拒否している。自分のジョークは自分にしか分からない。つまり、社会自体を拒絶している。だとすると、仮説4.もそれなりに有力?トッド・フィリップスの仕掛けた陥穽にどっぷりハマってしまったかもしれない。

 

本作が人を凶行に走らせる要素があるかどうか。これは正直なところ、ある。なぜならJovian自身が本作に影響されて、ほとんど発作的に前職を辞したから。ストレートに本作の物語を受け取るなら、家族、仕事、人間関係、さらに(メンタルの)健康にまで恵まれない男が、半ば偶発的に殺人を犯してしまったが、それによって Kill the rich = 金持ちを殺せというムーブメントが形成され、殺人犯たる自分がアイコンに祭り上げられた。ここから導き出せるのは「持たざる者から奪うな。そうすろと思わぬしっぺ返しが来るぞ」という社会の側への警告であって、「俺は持たざる者だ。だから持つ者に対して攻撃を加えてよいのだ」という個人へのメッセージにはならないだろう。その意味では京王線ジョーカーはリテラシーが足りなかった。ただ、Jovian自身も「自分の仕事がイマイチ面白くないのは自分ではなく会社のせいだ」という気持ちを本作によって後押しされたことは否めない。結局は、どのようなメッセージを受け取るのかも、喜劇と同じく、主観的なのだろう。

 

サントラが恐ろしい力を持っていて、チェロの低音がいつまでも耳に残る。

 

Put on a happy face. = 幸福の仮面をかぶれ、というキャッチフレーズが重苦しい。愛想笑いという社交儀礼について、我々は少し見方を変えるべきなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

やはり、マレーのショーに登場する際に初めて「ジョーカー」という名前に言及されるべきだった。

 

総評

「ジョーカーに憧れた」という言葉がどこまで本当なのか、それは本人にしか分からない。しかし、社会擾乱を是とする見方を後押ししていると解釈されてもおかしくない作品になっていると感じた。日本社会はある時(おそらく宮崎勤の事件)から、凶悪犯罪の病理を既存のメディア、特にゲームや漫画に求めるようになった。実際にそうしたオタク文化とされるものが凶悪犯罪に結びついた事例は聞いたことがないが、2021年になって遂に出てきてしまったとも言える。本作の評価が定まるのはもう少し先になりそうだが、日本では今後10年地上波で放送されることはないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

decide

 

「決める」という意味の動詞。他動詞の場合、decide ~ =「~を決める」だが、自動詞の場合は decide on ~ = 「~に決める」となる。 Jovianが講師をしていた時には

Ohtani decided on the Angels. = 大谷はエンゼルスに決めた。

Ohtani hit a homer and decided the game. = 大谷はホームランを放って、試合を決めた。

という例文で説明をしていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ホアキン・フェニックス, ロバート・デ・ニーロ, 監督:トッド・フィリップス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

Posted on 2021年11月7日2021年11月7日 by cool-jupiter

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そして、バトンは渡された 20点
2021年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 石原さとみ 田中圭
監督:前田哲

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トレイラーを観て「なるほど、大体こういうストーリーのはずだが、どこかでひねりを入れてくるに違いない」と期待して、チケット購入。ひねりは全くなかった。感動の押し売りは結構である。

 

あらすじ

いつでも笑顔の優子(永野芽郁)は、血のつながらない父、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。これまでに苗字が4回も変わったことから、学校に友達もいない。ある時、優子は卒業式の合唱のピアノを担当することになる。そこで出会った同級生の早瀬のピアノ演奏に、優子は心を奪われて・・・

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ポジティブ・サイド

みぃたんを演じた子役の稲垣来泉が印象に残った。子どもと動物は時々予想のはるか上を行くことがある。稲垣が演じることでみぃたんというキャラの健気さ、気丈さ、明るさ、そして憂げな感じが巧みに描出されていた。

 

田中圭は『 哀愁しんでれら 』とは全く違うテイストが出せていた。今後は『 アウトレイジ 』の椎名桔平のような武闘派ヤクザ役に期待。

 

一応、色々な伏線的なものがフェアに張られているところは評価したい(ちょっとあからさますぎだとは思うが)。

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ネガティブ・サイド

 

以下、ネタバレあり

 

原作小説は未読だが、映像化に際してかなり改変されていることだろう。改悪と言うべきか。本というのは自分のペースでページをめくっていくことができるので、物語を自分なりに消化しながら進んでいくことができる。本作はペーシングの面でかなりの問題を抱えている。2時間17分の作品であるが、体感では2時間40分ほどに感じた。前半と後半でもっとメリハリをつければ2時間ちょうどにできたはず。『 いのちの停車場 』でも感じたことだが、削るべきは削らねば。

 

キャラの行動原理が色々と意味不明だ。大森南朋演じる最初かつ実の父親のあまりの無軌道ぶりに本気で怒りを覚えた。「家族なら俺の夢についてこい!」って、アホかいな。いや、夢を持つことは全然否定しないし、むしろ素晴らしいし応援したい。問題は、ブラジル行きを誰とも相談することなく決め、また勝手に会社も辞めてしまったこと。若気の至りで済ませられるものではない。また若気の至りと言えるような年齢のキャラでもない。普通に成熟したカップルでも、パートナーにそれをやられたらかなりの確率で破局だろう。それに梨花の病気のことを知っていながら、気候も食事も言語も文化も違うブラジルに移り住もうというのは、非人間的とすら感じる。手紙のやりとり云々を絡めて美談にしようとしているが、やってしまったことが社会人失格、家庭人失格なので、終盤の父親巡りで「はい、ここで感動してくださいよ」というシーンではひたすらに白けるばかりであった。

 

田中圭演じる森宮さんの価値観もおかしい。いや、森宮さんというか原作者や脚本家の思想かな。やたらと「俺は父親なんだから」と口にし、職場では損な役回りながらも真面目に働き、家では料理を始め家事もこなす。再婚することなく、女の影もなく、酒も断って、子育てに邁進する。それは美しい。けれど、それが全て「バトン」を渡すためって何やねん。優子はモノ扱いなのか。しかも、渡す先の男に優子も森宮もそろって「ピアノ弾け」って、音大なめてるやろ。芸術の分野で一回レール外れてから元に戻るのがどれだけ大変か。そこから音楽一つで食っていけるようになるのがどれだけ大変か。しかも預金たんまりの通帳を渡しておきながら「これから大変だぞ」って、思いやりなのか嫌味なのか。こんな風に感じるのはJovianがひねくれ者だからなのか。いやいや、優子自身も大手レストランをあっさり自分から辞めているわけで、料理人でも音楽家でも、一本立ちへの道のりは険しい。それを分かっていて、片方に甘く、片方に厳しいというのは、古い父親像と新しい父親像が悪い意味で混淆している。自分というものがない、単に物語を都合よく進めていくだけのデウス・エクス・マキナとしか思えなかった。

 

ストーリー以外の演出面でも不満が残る。ピアノにフォーカスするのなら、いっそのこと劇中BGMは全部ピアノにしてしまうぐらいの思い切りがあっても良かったのではないか。また優子がピアノを好きになるシーンの演出も弱く感じた。友達がピアノを習っているから、というくだりは不要であると感じた。母子家庭になってしまったことで、友達の親が「みぃたんとはあまり付き合っちゃいけません」的なことを言うシーンがあり、さらに傷心のみぃたんがピアノの音に癒され、ピアノを心底好きになる。そんなシーンが望ましかった。雨の中でピアノの音に合わせて踊るみぃたんはシネマティックだったが、ここをそれこそ『 雨に唄えば 』のジーン・ケリー並みにみぃたんを躍らせていれば、みぃたんにとってのピアノの意味がもっと大きくなり、そのピアノを弾く早瀬くんへの思慕も大きくなった。これならもっと説得力があった。

 

石原さとみの梨花という母親像の好き嫌いは言うまい。ただ『 母なる証明 』のキム・ヘジャや『 MOTHER マザー 』の長澤まさみのような強烈な母性があったかというと否である。母親であろうとする姿に絶対性がなかった。

 

総評

世間の評価がやたら高いが、これこそ典型的な感動ポルノでは?邦画の悪いところが全部詰まった作品にしか思えなかった。キャラの行動原理が、自分自身の思考や信念、哲学に基づいたものではなく、観る側を感動させるためには何が必要か、で決まっているように見えて仕方がなかった。まるで昔の徳光和夫の感動押し売り家族再会バラエティーを見ているかのよう。Jovianがひねくれているのか、それとも予定調和の感動物語の需要が高いのか。まあ、両方だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give someone away

someone =「誰か」だが、ほとんどの場合、ここには bride =「花嫁」が入る。『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』でソフィが、”Who’s gonna give me away?”というシーンがあったが、これは「結婚式の場で父が娘を新郎に手渡す」という意味である。ごく限定されたシチュエーションでしか使わない表現だが、知っておいて損はない。give ~ away は、「~をどんどん与える」というコアのイメージを押さえておけば、『 プラネタリウム 』でも触れた”Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.”の意味もすぐに類推できるはずである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 永野芽郁, 田中圭, 監督:前田哲, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

Posted on 2021年10月31日 by cool-jupiter

コンテイジョン 75点
2021年10月28日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:マリオン・コティヤール ローレンス・フィッシュバーン マット・デイモン ジュード・ロウ
監督:スティーブン・ソダーバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211031223409j:plain

コロナは収まりつつあるとはいえ、第六波の到来も予測されている。実際に、世界では全然収まっていない。そんな時は『 アウトブレイク 』の時と同様に、ウィルス感染テーマの作品を鑑賞して、少し未来を想像してみる。

 

あらすじ

ミッチ・エムホフ(マット・デイモン)は、出張帰りの妻ベスが急激な体調不良になったことから病院に急行。しかし、ベスは死亡した。未知のウィルスによるものだった。そのウィルスは世界各地に拡散、パンデミックとなる。アメリカCDCのチーヴァー(ローレンス・フィッシュバーン)はウィルスの正体を突き止め、感染拡大を防止しようと奮闘するが・・・

 

ポジティブ・サイド

始まりから終わりまで、全てが淡々とした空気で進んでいく。突出したヒーロー然とした人物がおらず、それがリアルさを増している。世界各地で静かに、しかし確実にウィルスが勢力を拡大していく様も淡々と映し出される一方で、現場の右往左往、そしてその奥のWHOやCDC内部の人間の奮闘が描かれている。このCDCやWHOが現実世界でいまいち働いているように見えないのがポイント。実際は悩み苦しむ人間が多くいることが描かれている。本作のウィルスは虚構だが、そこに現実の豚インフルエンザを絡めてくることでリアリティが増している。2009年、日本でも薬局やコンビニからマスクが消えたことを覚えている人は多いだろうし、それこそ2020年春のマスク争奪戦の記憶は誰しもの脳裏に焼き付いていることだろう。そうした記憶を下敷きに本作を見れば、人間はなかなか教訓を学ばないものなのだなと思わされる。

 

ウィルスの起源をリサーチする役割のケイト・ウィンスレットがさっそくウィルス感染し、死亡する。この無情さがいい。日本でもコロナの深刻さ(それを疑問視する向きも多数いるが)が認識されたのは、志村けん死亡のニュースからであったと思う。ウィルスは相手に忖度などしない。一方で、最初から抗体を持っている、あるいは免疫の強さによって影響を受けない者もいるという設定も、SFではお馴染み(『 アンドロメダ病原体 』など)ながら説得力がある。

 

マット・デイモンやローレンス・フィッシュバーン、ケイト・ウィンスレット、グウィネス・パルトロウなどの名のあるスターを起用しながら、誰かが飛び抜けた活躍をするわけでもなく、誰かがとんでもない事件を起こすわけでもない。人間のちょっとした弱さがその人間を悪事に走らせる展開があるが、それもまた自然な展開に思える。

 

パンデミックが進行し、人々が自主的にロックダウンを実施した時に何が起こるのかを、まるでドキュメンタリー作品のようなタッチで映し出していく。ミッチの娘がボーイフレンドとテクストする中で、ステイホーム生活を jail = 牢屋 と表現していたが、これは若者には本当にそのように感じられるのだ。たまたまJovianは大学の教壇に立たせていただいているが、20歳前後の若者にとっての青春の時期というのは、空虚で低生産な時間を過ごすことに定評のある日本のオッサンの日常とは大いに異なるのである。 

 

ジュード・ロウ演じるブロガーが怪しげな情報をふりまいて支持を得るというのも、コロナ、およびコロナに対するワクチンに対するネガキャンでしこたま儲けたという医療従事者や評論家連中の登場を正確に予見していたものとして評価できる。というか、どんな苦難の状況にあっても、それを鉄火場にできる人間は必ず出てくるということか。

 

最後の終幕も苦い余韻がある。結局は人類が自然破壊を推し進めてしまったことがパンデミックをもたらした。現実の新型コロナの起源についても、「突き止めた!」、「発表する!」とトランプ政権時代のアメリカはやたらとかまびすかしかったが、全て大山鳴動ねずみ一匹。真相は案外本作の示す通りなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

映画なので、ある程度ご都合主義にならざるを得ないのだろうが、現在の我々の目から見てかなり不自然に映る描写がある。最も気になったのはケイト・ウィンスレットのキャラクター。Jovianは看護学校中退の経歴があるので言わせてもらうが、マキシマム・プリコーションどころかスタンダード・プリコーションすら施さずに調査にあたるのは杜撰を通り越して無能ではないだろうか。もちろん、感染してもらわないといけないキャラが防御が万全では話が進まないが、もうちょっとここに説得力が必要だった。

 

また、ジュード・ロウのキャラにR-0、いわゆる基本再生産数について議論を吹っ掛けられたチーヴァーが言葉に詰まってしまうのも不自然だった。SARSや2009年の新型インフル騒動でも、いわゆるスーパー・スプレッダーの存在は報じられていた。R-0が2というのは、単純に2のべき乗で感染者数が増えていくわけではない、クラスター(これについても言及されていた)を潰していくことが最善の対処である、というような旨の反論ができたはずなのだが・

 

総評

コロナ・パンデミックの始まりから猖獗までを見てきた現代人にとって、非常に示唆に富む内容になっている。映画製作者たちの取材力と考察力に裏打ちされた想像力と創造力は大したものだなと心から感心する。第6波、さらにその先(コロナは相撲で言うと関脇とされており、大関や横綱は今後100年でやって来るとされる)に、我々がどう振る舞うべきで、またどう振る舞うべきではないのかについてのヒントが満載である。パンデミックなど社会の擾乱を奇貨とする輩をフォローしないという教訓だけでも学ぶべきだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be immune to ~

~に免疫がある、の意。普通は医学的な文脈で使われるが、卓球の水谷のように、”I’m immune to criticisim.”のように言ってもいい。「批判の言葉をいくら投げつけてきても、俺には全く効かないぜ」ということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アメリカ, サスペンス, マット・デイモン, マリオン・コティヤール, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

『 DUNE デューン 砂の惑星 』 -続編に期待・・・?-

Posted on 2021年10月17日 by cool-jupiter

DUNE デューン 砂の惑星 50点
2021年10月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ レベッカ・ファーガソン オスカー・アイザック
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

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『 デューン / 砂の惑星 』の現代リメイク、いやリブートと言うべきか。事前情報をとことん断って劇場に向かったが、これは前編であった。良い意味でも悪い意味でもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の美意識が炸裂した作品。続編=完結編はおそらく製作されると思うが、やはり元々映画化に不向きな作品なのかもしれない。

 

あらすじ

スパイスが産出される砂の惑星アラキス。宇宙皇帝の命によって、そのと統治権が大領ハルコネン家から同じく大領アトレイデス家に移ることになった。レト公爵(オスカー・アイザック)は妻ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、息子ポール(ティモシー・シャラメ)らと共に兵団を率いてアラキスへと赴くが、それは宇宙皇帝およびハルコネン家による大いなる陰謀の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

紛れもなく古典小説『 デューン 』の映像化になっている。荒涼とした砂漠に潜むゲリラ的な民族。皇帝から派遣された統治者。その統治者の交代。それに伴う様々な陰謀。これはまさしくローマによるイスラエル統治と、その後の政治的擾乱をモチーフにしている。そこに『 アバター 』ならぬ『 ポカホンタス 』の要素を混ぜ込んだ、壮大な叙事詩である。

 

映像の雄大さと美麗さにおいて素晴らしい。特に砂漠とそこに住まう民というイメージは間違いなく『 スター・ウォーズ 』に影響を与えているし、『 モンスターハンター 』のディアブロスは巨大なサンドワームにインスパイアされたものだとしか考えられない。古典SF小説家の想像力を見事に映像に翻訳したと言えるだろう。

 

砂漠のサンドワームが1984年の『 デューン / 砂の惑星 』よりも大迫力で再現されていて、それだけでも満足。加えてハルコネン家によるアトレイデス家への襲撃も1984年版とは比較にならない規模で展開される。CGの乱用にはJovianは常に懐疑的であるが、これぐらい派手にやるのなら、CGもありだろう。

 

ティモシー・シャラメ演じるポールは正に悲劇のプリンス。元々貴族的なルックスのシャラメなので、今作のような役は大いにハマる。英才教育を受けた悲劇の王子にして、野望を秘めた瞳に宿る芯の強さは他の役者には出せないと思わせるだけの迫力と説得力がある。できれば次作で完結と言わず、小説世界以上に宇宙帝国の転覆および新たな宇宙秩序構築の物語にまで発展させていってほしい。

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ネガティブ・サイド

これは小説の映像化なのか、それとも映画化なのか。映像化であれば満点だが、映画化としては疑問が残る。一つにはスパイスの存在意義。1960年代であれば恒星間宇宙旅行は、それこそ超高速プラス超長時間の旅だった。だからこそスパイスの存在意義があった。しかし、SF作品においてワープが当たり前になった現代では、スパイスに新たな意味付けが必要である。そこを避けてしまったのは頂けない。

 

アトレイデスやハルコネンについても、予備知識があるならまだしも、まっさらで鑑賞する人には厳しいだろう。実際、Jovian嫁は「最初から最後まで意味わからん」という感想を述べた。今にして思えば、デビッド・リンチ版の冒頭のナレーションは非常に親切なものであったと再評価できる。

 

全体的に長い。『 デューン / 砂の惑星 』のレビューで、ポールの成長過程および妹の誕生過程を丹念に描いてしまうと、3時間になってしまうと指摘した。が、本作は2時間35分でポールがやっとフレメンたちに受け入れらるところまでしか進んでいない。はっきり言って遅すぎる。サンドワームを乗りこなして、アラキスを掌握。フレメンの協力を得て、一気にハルコネンを駆逐し、銀河皇帝に戦いを挑む・・・という展開2時間30分~3時間にまとめるなら分かる。だが、物語のほとんどが儀礼と政治的な駆け引きで、アクションと呼べるシーンはハルコネン家の急襲とポールの決闘ぐらい。これでカジュアルな映画ファンに続編を期待してもらおうというのは虫が良すぎる。多分、ライトな鑑賞者は結構な割合で寝てしまったものと思われる。

 

ポールの見る予知夢がしばしば挿入されるが、これが前編の終わりの引きにつながっていない。謎ばかりが深まる中、最後の最後にゼンデイヤとポールがサンドワームに騎乗し、大軍勢を率いているビジョンがあれば、後編のスペクタクルに否が応にも期待が高まるはずなのだが。

 

総評

映像を鑑賞することはできても、映画として楽しむのはなかなかキツイ作品になってしまった。後編の製作が決まっている、もう撮影もされているというのであれば、期待もできる。けれど、そうではないらしい。世界的にコケないことを祈る。ヴィルヌーヴは思弁的なSFは監督できても、アクション巨編はもう困難なのかもしれない。同じSF古典の『 火星のプリンセス 』を思いっきりエンタメ路線に染め上げた『 ジョン・カーター 』のアンドリュー・スタントン監督にメガホンを取ってほしいとさえ思ってしまう。そんな出来栄えである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

unquenchable

quench = 水を飲んで渇きを癒やす、(炎などを水で)消す、の意。否定の接頭辞 un と可能の接尾辞 able がつくことで「癒やせない」、「消すことができない」の意味になる。しばしば unquenchable thirst や unquenchable desire, unquenchable passionのように使われる。『 ロッキー4 炎の友情 』の ”Burning Heart” でも 

In the burning heart 
Just about to burst 
There’s a quest for answers 
An unquenchable thirst 

というサビの一節の印象が強烈だ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, SF, アメリカ, オスカー・アイザック, ティモシー・シャラメ, レベッカ・ファーガソン, 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 DUNE デューン 砂の惑星 』 -続編に期待・・・?-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

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『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

『 レミニセンス 』 -トレイラーに偽りあり-

Posted on 2021年9月23日 by cool-jupiter

レミニセンス 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヒュー・ジャックマン レベッカ・ファーガソン
監督:リサ・ジョイ

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大学の後期開講で多忙を極めるので簡潔なレビューを。

 

あらすじ

温暖化で都市は水没。戦争で人心は荒廃。人々は美しかった過去に囚われた。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は、人々に過去の記憶を再現させる装置を使った生業をしていた。そこに謎めいた女性メイ(レベッカ・ファーガソン)が失くしものを探したいという依頼で舞い込んできた。やがてニックはメイと恋仲になるが、メイはある日、忽然と消えてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からの水没した都市の遠景から徐々にズームインしていく中、ヒュー・ジャックマンの語るナレーションにはしびれた。人々が絶望し、何かに救いを求めざるを得ない世界は十全に創り出されていた。土地持ち=資本家と、その下で生きる大多数の一般庶民という構図は、今後ますます顕著になっていくのかもしれない。

 

BGMも良い。金属質な音と液体的な音が効果的に背景に使われ、世界観を増強する。サントラの中でもレベッカ・ファーガソンが歌う ”Where or when” は初めて聞いたが、素晴らしい楽曲であると感じた。

 

消えたメイを追慕して装置に入り浸るニック、そして全く異なる事件の容疑者の記憶の中に偶然に見つかったメイを追ううちに、予期せぬ人物や思わぬ展開が目まぐるしく入り乱れる展開は、エンターテインメント性は抜群である。

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ネガティブ・サイド

ネタに新鮮味がない。ウィリアム・アイリッシュの小説『 幻の女 』以来の消えた女を追うというテーマに、『 秘密 THE TOP SECRET 』と『 インセプション 』と『 アンダー・ユア・ベッド 』の要素を足したように見える。

 

肝腎かなめの記憶再生の装置の仕組みも謎であるし、何よりも記憶が立体ホログラム再生されるのが腑に落ちない。一応、ヒュー・ジャックマンがレベッカ・ファーガソン相手にそれらしく説明するシーンがあるもの、この説明で「なるほど」と納得できる人間がどれだけいるのだろうか。たいしたネタバレではないので書いてしまうが、「ファーストキスを思い浮かべろ」と言われて、その時の記憶が3Dで俯瞰的に、あるいはやや離れたところから広角レンズで捉えたもののように脳内で再生される人がどれだけいるというのか。せっかく映像と音によって構築された世界観が、この時点でガラガラと音を立てて崩れ落ちた。Jovianはそのように感じた。

 

映画の本筋とは関係ないが、日本版のトレーラーや各種販促物のあらすじは一体全体何なのか。よくもこれだけ間違った情報を流布できるものだと感心させられてしまう。ニックは記憶潜入捜査官ではないし、トレーラーや色々な紹介サイトで触れられている記憶世界の3つのルールもストーリーにほとんど絡んではこない。公正取引委員会に訴えることもできるほどの酷さである。

 

総評

映像と音楽・音響は素晴らしい。ケチのつけようがない。しかし展開に全く意外性がない。どこかで観たり読んだりした物語のパッチワークである。ライトな映画ファンにはお勧めできるが、ディープな映画ファンには勧め辛い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

serve in the military

軍役に就く、の意。service = サービスであるが、これには戦務や戦役の意味もある。日本で使うことはまずない表現だが、戦争映画や歴史ドキュメンタリーではよく使われる表現なので、中級以上の学習者なら知っておいてよいだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, SF, アメリカ, ヒュー・ジャックマン, レベッカ・ファーガソン, 監督:リサ・ジョイ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 レミニセンス 』 -トレイラーに偽りあり-

『 TENET テネット 』 -Blu rayで再鑑賞-

Posted on 2021年9月13日 by cool-jupiter

TENET テネット 80点
2021年8月28日~2021年9月5日にかけてレンタルBlu rayにて複数回鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー
監督:クリストファー・ノーラン

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『 TENET テネット 』の記事にコンスタントに色々な方からコメントを頂戴していて、ずっと再鑑賞を考えていた。忙しいなら忙しいなりに観るしかないと決意して近所のTSUTAYAでレンタル。様々な解説記事や解説動画と合わせて観ては戻り、観ては戻りを繰り返したところ、初回鑑賞時とは全く異なる感想を持つに至った。これは傑作である。

 

あらすじ

男(ジョン・デビッド・ワシントン)はとあるテロ事件鎮圧後、テロリストに捕らえられ拷問を受けていた。隙を見て服毒自殺した彼は、ある組織の元で目覚める。そして、時間を逆行する弾丸を教えられる。未来で生まれた技術のようだが、いつ、誰がどうやって開発したのかは謎。それを探り、第三次世界大戦を防ぐというミッションに男は乗り出すことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

映像の迫真性に息を飲むことたびたび。初見時には話の筋を理解することに脳のリソースの結構な割合が費やされていたが、そこを抜きに目だけで鑑賞することで色彩の一貫性やカメラワークの巧みさが光る。決して極彩色にすることなく、全体に非常に金属的な鈍い色のトーンが全編を支配するが、それが時間の順行と逆行というテーマによくマッチする。

 

BGMも派手さはないものの、こちらも金属的な硬質さに満ちている。如何に現代が物質および機械に支配されているかを象徴しているかのようである。こうした映像や音楽の面での硬質さ=ある種の無機質さが通奏低音になっているが故に、未来人が環境の荒廃から絶滅の危機に瀕しており、それゆえに文明を滅ぼして豊かな自然に包まれた地球へ回帰したいという意図や願望が感覚的に想像できる。

 

コメント欄で紹介してもらったTENET/テネット 「陽電子は時間を逆行する」の意味&この映画のコンセプトを解説【核心ネタバレなし】という動画の「陽電子は理論上、時間を逆行しうる」という解説により、NHKにもちらほら出てくる東工大の山崎詩郎先生の量子擬人化説に賛同するようになった。鵜の目鷹の目の映画評論家やYouTuberによって、あのシーンのここにあれがこうで・・・という解説や説明、考察の洪水をかき分けながら何度も鑑賞したが、細部に関しては見れば見るほどに難しい。同時に big picture、つまり全体像についてはかなりはっきりした(ような気がしている)。未来人が現代人を使って現代人を滅ぼそうとしているのを、未来人が現代人を使ってそれを止めようとしている。その未来人というのが近未来人と遠未来人になっている。順行と逆行が交錯する”今”という瞬間、あるいは順行と逆行が完全に分離してしまう”今”という瞬間に生まれる人間の儚い関係性、しかし力強い関係性を描いているように見える。それはつまりニールと主人公の友情。ここだけは何度見ても小説および映画の『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』そっくり。原子核と電子が惹きつけ合うのも、電子と電子が対生成、対消滅するのも、愛と憎しみ、生と死のアナロジーで説明できるかもしれない。

 

タイトルのTENETはラテン語学習者なら 原形は tenere で、それの 3rd person, singular, active, present でtenetやなと分かるが、これが原義の「持っている、持って行く、引っ張る」と英語のTENET = 主義主張、思想信条につながり、ラテン語と英語を組み合わせれば、「彼は主義主張を有している」という意味にも解釈ができる。Tenet 単体のラテン語であれば、He remembers.となり、「彼は覚えている」あるいは「彼は忘れない」となり、彼=名もなき主人公の男だと解釈すれば、実に意味深長だ。さらに ten = 10 を前後からくっつけた語にもなっているという解説には正直度肝を抜かれた。最後の10分の時間挟撃作戦というわけである。よくまあ、タイトル一つとってもここまで凝れるものだなと感心させられる。

 

ネガティブ・サイド

初見時と同じ感想になるが、やはり誰かと誰かが対消滅するシーンは必要だったように思う。それによって主人公が謎のマスク男と戦うシーンの緊張感がさらに高まるから。なおかつ、量子の擬人化という作品テーマをこれ以上なく具現化するシーンになっただろうから。

 

序盤に主人公が船の上で「このジェスチャーとテネットという言葉だけを覚えておけ」と言うシーンがあるが、そのジェスチャーが効果的に使われる場面はその後なかった。

 

総評

SF作品には2種類ある。時の経過、つまりは科学の進歩によって色褪せてしまう作品と、科学の進歩によっても色あせない作品である。もちろん科学は常に発展の途上で、過去30年にわたって名作とされてきた作品でも、10年後には核となるアイデアがコモディティティ化しているかもしれない。その意味で本作は恐るべきアイデアと演出と驚き、そして実に陳腐なテーマ(=友情)を備えた作品で、長く時の試練に耐えることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What happened happened.

『 滑走路 』ではMove on = 「前に進む」を紹介したが、そこで What happened happened. にも触れていた。関係代名詞whatが云々と言い出すとJovianの嫌いな文法説明になってしまうのでやめておく。ニールが何度か口にするセリフで、直訳すれば「起こったことは起こった」、意訳すれば「起こったことは変えられない」となる。仕事でミスってしまった時、ひとしきり悔やんだら”What happened happened.”と心の中で唱えて、挽回のために動き出そうではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, SF, アメリカ, エリザベス・デビッキ, ケネス・ブラナー, ジョン・デビッド・ワシントン, ロバート・パティンソン, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 TENET テネット 』 -Blu rayで再鑑賞-

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