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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 中国

『 少林サッカー 』 -突き抜けた馬鹿馬鹿しさ-

Posted on 2022年10月22日 by cool-jupiter

少林サッカー 75点
2022年10月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャウ・シンチー
監督:チャウ・シンチー リー・リクチー

大学で教えている教材のユニットの中に The Changing Face of Kung Fu というものがあった。カンフー映画はたくさんあるが、その中でも本作は群を抜いて異彩を放っている。久しぶりに鑑賞せんと、近所のTSUTAYAで借りてきた。

 

あらすじ

かつてはスター選手だったが、八百長を飲んだことから落ちぶれたファン。しかし、少林拳の求道者である青年シン(チャウ・シンチー)と出会い、彼はシンにサッカーを教えることに。シンは少林拳の仲間を集めてチームを結成する。しかし、かつてのファンの因縁の相手であるハンも異能のサッカーチームを率いていて・・・

 

ポジティブ・サイド

拳法それ自体は中国映画、特に香港映画の主要なモチーフ。ブルース・リーにジャッキー・チェン、ドニー・イェンとスターが定期的に生まれてもいる。しかし、本作は拳法とサッカーを混ぜるのだから、言葉の正しい意味でのジャンル・ミックスと言えるだろう。ある意味『 えびボクサー 』や『 ミスターGO! 』に近いのかもしれない。

 

拳法家としてのシンの純朴さが光る。そのため、少林サッカーの馬鹿馬鹿しさが余計に映える。よくこんな大真面目にアホな構図の数々を構想したなと呆れてしまう。これは誉め言葉である。大空翼のドライブシュートか!と思うほどに脚を大きく後ろに反り返した状態から放つスーパーシュート一発でチンピラをのしていくシンに笑わずにはいられようか。

 

シンの仲間の拳法家たちも惜しむことなく笑いを提供してくれる。その一方で、彼らも彼らなりに生活は苦しい。この対比が彼らの快進撃が大きなカタルシスを生む要因になっている。太極拳の達人のムイの変化も見逃せない。醜女から始まって、ジュリアナ系に変身し、最後には坊主に変化する。何をどうやったらこんなプロットを思いつけるのか。

 

チームデビルの面々がアメリカ式のドーピングを使って強化されているのも笑ってしまう。強化されているということにではなく、その強化の見せ方だ。特に長髪ゴールキーパーの守護神ぶりはもはや漫画の領域。ただ、当時はMLBでもど派手なホームラン・ダービーが展開されていて、しかもその多くがステロイド使用者だった。なので、薬を使えば極限までパワーアップできるというアホな設定にも説得力があった時代だった。

 

ブルース・リーのオマージュあり、漫画『 ドラゴンボール 』かと思えるほどの過剰なCG演出ありと、観る者をまったく飽きさせない。22世紀にもカルト映画として鑑賞されていることだろう。

 

ネガティブ・サイド

序盤の展開が少々もたつく。いきなり皆が踊り始めるのは愉快だが、そこは別になくてもいい。皆が心の奥底に封じ込めてしまった夢が、シンたちの活躍によって解き放たれるというのは、別に序盤で示唆しなくてもいい。

 

シンが素でムイの勇気ある告白をスルーするシーンは何度見てもキツイ。ある意味、少林シュートが肉体に与えるダメージ以上に、観る側の精神を削るシーンだ。シンをここまで朴念仁に設定しなくてもよかっただろう。

 

勧善懲悪ものではあるが、悪役であるハンが懲役5年というのは短すぎではないだろうか。

 

総評

コメディの傑作。拳法というのはCGを極力排して、可能な限りレトロな手法で現実的に見せるものだという思い込みを軽々と打ち破ってくれた作品。そう、本作は固定概念をぶち壊してくれるのだ。「拳法を流行させたい」というシンの夢をあっさりと否定するファン。年を取ると夢が見られなくなるが、夢は見ないことには絶対に叶わない。そういう意味で、本作は10年に1回は観た方がいい気がする。本作にインスパイアされて、神韻芸術団の西宮公演のチケットを買ってしまった。単純やね、俺も。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

モウマンタイ

無問題と書いてモウマンタイと読む。ある程度以上の年代なら、ナイナイの岡村の映画『 無問題 』でお馴染みのはず。読んで字のごとく No problem の意味である。タイ語でマイペンライ、韓国語でケンチャナヨーのように、中国旅行をする前に覚えおきたいフレーズ。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, コメディ, チャウ・シンチー, 中国, 監督:チャウ・シンチー, 監督:リー・リクチー, 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズ, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 少林サッカー 』 -突き抜けた馬鹿馬鹿しさ-

『 あなたがここにいてほしい 』 -中国映画界の本領発揮-

Posted on 2022年8月3日 by cool-jupiter

あなたがここにいてほしい 80点
2022年7月31日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:チュー・チューシアオ チャン・ジンイー
監督:シャー・モー

コロナを恐れるJovian妻が何故か心斎橋に行きたいと言う。その答えは本作を観るためであった。塚口サンサン劇場で『 クリーチャー・デザイナーズ ハリウッド特殊効果の魔術師たち 』を観るつもりだったが、急遽こちらのチケットを購入。

 

あらすじ

リュー・チンヤン(チュー・チューシアオ)は、ふとしたきっかけで同じ高校のリン・イーヤオ(チャン・ジンイー)に恋心を抱く。チンヤンは専門学校に、イーヤオは大学に進むが、二人は愛し合い、幸せだった。しかし、大学院生となったイーヤオがチンヤンを母に紹介したが、母はイーヤオを将来成功する器ではないと気に入らず・・・

ポジティブ・サイド

本作は、元々は中国のネットに投稿された『 十年間一緒にいた彼女は、明日他人の嫁に行く 』というストーリーを映画化したものだと言う。これだけ聞けば、ラノベか何かのタイトルだと勘違いしてしまうが、描き出される物語の純粋さ、美しさ、苦しさ、辛さはまさに圧巻である。ネット投稿を元にした作品ということでは、『 猟奇的な彼女 』や『 ソウルメイト 七月と安生 』と並ぶ傑作だろう。

 

まず主演二人が抜群の存在感かつ演技力を見せる。17歳から27歳を全く違和感なく演じて見せる。これが邦画だと『 東京リベンジャーズ 』の北村匠海のように、17歳と27歳が全く一緒に見えたりする。この差は何故?というよりも中国映画界そのものが数多くの駄作の上に一握りの傑作を生み出すという、そうした構造をついに完成させたのか?

 

ともかく、爽やかではあるが、どこか垢抜けない高校生リュー・チンヤンが、職を持ち、兄貴と慕われ、時に怪我を追いながらも、男としてたくましく成長していく姿が分かりやすく描かれる。また、クライマックスの新疆では日焼けしまくりのむさくるしい作業員と何一つ変わらない風貌になっていた。どの年齢においても説得力ある見た目や立ち居振る舞いになっていて、10年という歳月の重みを感じることができた。

 

ヒロインのチャン・ジンイーも同様で、おさげの似合う素朴な女子高生から大学生、大学院生、銀行員と、人生の各段階での表情や話し方の演じ分けが素晴らしかった。特に印象に残ったのはチンヤンに「しばらく養って」と頼む時の表情。高校生の頃は自転車で自分が先に行き、それをチンヤンが追いかける構図がここで逆転する。ある意味で、幼さの抜けきらないチンヤンを男にした。その表情に潜む切なさと期待の眼差しが素晴らしかった。こんな目で見つめられて、真剣になれない男がいようか。どこかハン・ヒョジュを思わせる顔つきで、いつか邦画にも出演してほしい(無理やろなあ・・・)。

 

一途に愛し合う二人に、社会はこれでもかと問題を吹っ掛けてくる。収入、職業、遠距離恋愛、友人関係。特にリュー・チンヤンの親友がダメ男の極みで、こいつのせいでチンヤンとイーヤオの関係が難しくなってしまう。それでもチンヤンは悪友を見捨てられないし、その悪友が何をしたかをイーヤオに告げることもない。男の友情の複雑さを大いに見せつけてくれた。

 

イーヤオの母親が病気で倒れるシーンでは、男性のジレンマ、すなわち「私と仕事、どっちが大事なの?」的なチョイスを迫られるのか、と感じてしまった。会社の不正と現場監督としての倫理と責任の板挟み、そして恋人の母親のピンチ。ここではリアルに胃が痛くなった。また病院に着いたら着いたで「なんだそりゃ」という展開。この病院の階段で無言で並んで座るチンヤンとイーヤオの姿に、人生や社会の不条理が凝縮されていた。愛し合う二人が、普通に仕事をして、普通に生きていくことが何故これほど難しいのか。背景に中国の経済成長や、腐敗を許容する社会構造があるにはあるが、『 ロミオとジュリエット 』の昔からあるように、愛し合う二人に試練はつきものなのか。

 

チンヤンはしばしば「スニーカー」に言及するが、これは彼がイーヤオを好きになったきっかけにスニーカーがあるからだ。この仕掛けは上手いなと感じた。一目惚れは、普通は顔を見た瞬間に起きる。『 ロミオとジュリエット 』然り、『 ウエスト・サイド物語 』然り。しかし、これらはいずれも顔を見てのもの。チンヤンがイーヤオに惚れたのはカーテン越しに隠れるイーヤオのスニーカーを見てだった。このスニーカーが者がタイの随所でアクセントになっているので、これから鑑賞する方は是非そこに注意を払ってほしい。

 

幸せになりたいと願う二人にこれでもかと試練が降り注ぐ。であるがゆえに、観る側はなおのこと二人の幸せの成就を願う。ただ、あまりにも強く深く愛するがゆえに、愛する人を幸せにできないと悟ってしまったチンヤンの決断、それを受け入れるしかなかったイーヤオの心境。このドラマはあまりにも見る者の胸を締め付ける。最後の5分は涙が止まらなかった、というのは大袈裟だが、大粒の涙を何滴か落としたのは本当である。おっさんになって涙もろくなったのは確かだが、それでも本作が観る側の心を強く揺さぶる力を持っていることは疑いようもない。

ネガティブ・サイド

不満を述べさせてもらうなら、以下の一点。

 

チーヤオがダーチャオと対峙したシーン。ダーチャオがチェンチェンへの愛の深さ、その狂おしさを語る場面で、ダーチャオを目で刺すような演出が欲しかった。それによってダーチャオとの友情の大切さと、それ以上にイーヤオを愛してやまないという気持ちをダーチャオに悟らせる。そんなシーンがあれば完璧だったと思う。

総評

原作小説のタイトルは『 十年間一緒にいた彼女は、明日他人の嫁に行く 』。ここだけ見れば低レベルなラノベとしか思えないが、それを珠玉の逸品に仕立て上げてしまう中国映画界に素直に脱帽するしかない。小説や漫画の映像化(≠映画化)に血道を上げるばかりの邦画界の関係者は本作を研究して、ラブストーリーとは何かについて、もう一度よくよく考えられたし。劇場は中高年だらけだったが、若いカップルにこそ観てほしいラブロマンスの大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

公司

会社の意。読みはゴンスゥ。Jovian妻は中国語学習にハマっていて、しょっちゅう「ウォー・ブー・シー・ファン・ゴンスゥ」(私は会社が好きではありません)などと音読している。中国映画の台詞や背景によく出てくる言葉である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, チャン・ジンイー, チュー・チューシアオ, ラブロマンス, 中国, 監督:シャー・モー, 配給会社:リスキットLeave a Comment on 『 あなたがここにいてほしい 』 -中国映画界の本領発揮-

『 ミスターGO! 』 -頭を空っぽにしたい時に-

Posted on 2022年1月8日 by cool-jupiter

ミスターGO! 60点
2022年1月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シュー・チャオ ソン・ドンイル オダギリジョー
監督:キム・ヨンファ

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観終わって身も心も消耗するタイプの映画ばかりを立て続けに観たので、a change of pace が必要だと思い、近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。リフレッシュするにはちょうど良い作品だった。

 

あらすじ

四川省の大地震で祖父を亡くしたウェイウェイ(シュー・チャオ)は、雑技団メンバーと野球の打撃を特技とするゴリラのリンリン、そして支払いきれない借金を託されてしまった。途方に暮れるウェイウェイだったが、韓国の万年再建中のプロ野球団ベアーズがリンリンと契約したいと言い・・・

 

ポジティブ・サイド

よくまあ、こんな奇想天外な設定を思いついたものだと感心するやら呆れるやら。日本でも『 ミスター・ルーキー 』という珍作があり、確かに「覆面をしてプレーをしてはならない」とは野球協約には書いていないらしい。同じく、性別を理由にプロへの門戸が閉ざされることがないのはどこの国でも同じなようで、『 野球少女 』ではプロ野球選手を目指す女子の姿を描いた。しかし、ゴリラをプロでプレーさせようとは・・・ ところがこのCGゴリラ、相当な凝りようだ。中国の『 空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎 』のCG猫はひどい有様だったが、このゴリラは『 ライオンキング 』とは言わないまでも、かなり真に迫っている。

 

無垢な中国の少女をなかば騙すかのような形で強引に契約を結んでしまうベアーズのエージェント・ソンが韓国映画お得意の悪徳商売人・・・と見せかけて終盤に思わぬ感動を呼んでくれる。

 

ゴリラ使いのウェイウェイの操るウッホウッホなゴリラ語(?)も、照れなどは全くなく、むしろ外連味たっぷりで笑わせてくれる。指令を受けるゴリラのリンリンも規格外のホームランを連発し、それに対抗する他チームの投手陣は、あの手この手で打たせまいとしてくるが、それらを全て弾き飛ばすリンリンの打撃がとにかく痛快だ。

 

途中で読売と中日のオーナーがやって来るが、韓国球界が日本をどう見ているのかが垣間見えて、なかなかに興味深い。2020年5月に以下のようなツイートがなされて、野球ファンの間で結構話題になったのを覚えている人もいることだろう。

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極めて妥当な評価だと思う。韓国球界からすれば、スターを日本に高く売りつけるのは、NPBがスターをメジャーにポスティングするようなものだろう。韓国や台湾で活躍した選手が日本で苦労するのは李承燁や王柏融など、打者では枚挙にいとまがない。投手は結構成功している印象で、日本の打者もメジャーではさっぱりだが、投手はなぜか成功することが多いのとよく似ている。

 

閑話休題。リンリン以外の野球シーンも結構本格的で、ダブルプレーを独特なカメラアングルで捉えたりするなど、工夫のほどがうかがえる。終盤にはリンリンの対とも言うべき、ゴリラの投手レイティが現われ、200km/hの剛速球を投げる。当然、人間に打てるはずもなく、畢竟、物語はリンリンとレイティのゴリラ対決につながっていく。その結末は見届けてもらうほかないが、よくこんなことを考えたなと感心させられた。序盤に野球協約がゴリラのプレーを禁じていないことに言及したことで、野球のルールのちょっとした盲点になっているところを上手く突きつつ、そこに説得力を与えている。

 

韓国の俳優たちが結構な量の日本語を割と流ちょうに操っているので、そうしたシーンを楽しむのもいいだろう。頭を空っぽにして楽しめるし、あるいは日韓比較スポーツ文化論の材料にもなりうるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ウェイウェイとエージェント・ソンのヒューマンドラマは不要だったかな。もっと「ゴリラが野球をする」という部分にフォーカスをしていれば、コメディとしてもっと突き抜けることができただろう。また、ウェイウェイの演技が going overboard =大げさだったと感じる。感情を爆発させるお国柄ではあるが、その部分にもう少しメリハリが必要だった。

 

リンリンが打撃専門となるまでの描写も必要だったように思う。CG製作に時間も金もかかるというのなら、ベアーズの首脳陣がミーティングをする場面でもよい。リンリンが一塁手だったら、または捕手だったら・・・と誰でも想像するだろう。打撃でWARを積み上げるが守備でそれを帳消し、あるいはチーム構成上守備は困難という、野球にもっとフォーカスした場面が欲しかった。

 

最終盤のチェイスとアクションは完全に蛇足。乱闘が野球の華だったのは平成の中頃まで。それは韓国でもアメリカでも同じだろう。

 

総評

スポーツコメディとしてまずまずの出来。ソンが日本語で罵詈雑言をがなり立てるシーンはかなり笑える。野球はしばしば人間ドラマや人生の縮図に還元されるが、それをゴリラを使って実行してしまえという構想力には感心すると同時に呆れてもしまう。重苦しい映画を立て続けに観たことによる心身の重さはこれにて回復。天候やコロナのせいで出歩けないという終末に、頭をリセットするにはちょうど良い作品ではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The Doosan Bears

斗山ベアーズの英語名である。スポーツチーム名は、それが複数形である場合、まず間違いなく頭に定冠詞 the がつく。

僕はニューヨークメッツの一員になりたい。
I want to be a New York Met.

彼はかつてシカゴブルズの一員だった。
He used to be a Chicago Bull.

のように言えるが、a Bull や a Met の集団が、The Bulls や The Metsになる。ここでザ・シンプソンズを思い浮かべた人は good である。これは、「シンプソンという人の集団」=「シンプソン一家」ということである。ここまでくれば、The United States や The Philipines、The Bahamas、The Maldivesといった国の名前に the がつく理由も見えてくるだろう。州や島の連合体が一つにまとまっているということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, オダギリジョー, コメディ, シュー・チャオ, スポーツ, ソン・ドンイル, 中国, 監督:キム・ヨンファ, 配給会社:ギャガ, 韓国Leave a Comment on 『 ミスターGO! 』 -頭を空っぽにしたい時に-

『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

Posted on 2021年8月13日 by cool-jupiter

ソウルメイト 七月と安生 80点
2021年8月3日 京都シネマにて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ マー・スーチュン トビー・リー
監督:デレク・ツァン

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『 少年の君 』鑑賞後に打ちのめされてしまい、チョウ・ドンユィの作品、またはデレク・ツァンの作品を一刻も早く観なければという思いに駆られ、超絶繁忙期にもかかわらず無理やり半休を取って京都に出陣。京都シネマが本作をリバイバル上映してくれていたことに感謝である。

 

あらすじ

アンシェン(チョウ・ドンユィ)とチーユエ(マー・スーチュン)の二人は13歳の頃からの親友。常に二人で友情をはぐくんできたが、チーユエにジアミン(トビー・リー)という恋人ができたことで、二人の関係は微妙な変化を見せていき・・・

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ポジティブ・サイド

デレク・ツァンの映画製作手法がこれでもかと詰め込まれている。『 少年の君 』と同じく、キャラクターと物語の両方がdevelopしていく。13歳から高校生、専門学校生、そしてその先へとアンシェンとチーユエが進んでいく。凄いなと感じたのは、二人が関係の始まりから「女」だったこと。邦画が絶対に描かないであろう、少女同士の奇妙な友情。それがどうしようもなく「男」の存在を想起させる。

 

その男、ジアミンの存在をめぐる二人の関係は単純にして複雑だ。要するに、親友の恋人を好きになってしまったという、古今東西の恋愛話あるあるなのだが、その描き方が秀逸。アンシェンは家庭的には恵まれておらず、チーユエの家でしょっちゅうご飯を食べさせてもらい、風呂にも入れてもらう。そうした有形無形の様々な借りのようなものが、アンシェンをしてチーユエとジアミンから遠ざかることを決断させるのだが、そこに至る道筋の描き方がとにかくcinematic、つまり映像によって語られるのだ。冒頭ではナレーションが多めだったが、それ以降は徹底して映像で登場人物の心象を映し出す。風景、街並み、ちょっとした視線の先にあるもの。それらがとても雄弁だ。

 

アンシェンとチーユエとジアミンが連れ立ってサイクリングと山登りに興じるところで、ついに3人の微妙な距離感が壊れていく。アンシェンとジアミンの接近、それを見て見ぬふりをするチーユエ。下手なサスペンスよりもスリリングで、ここからドラマも大きくうねり始める。

 

地元に縛られながらジアミンとの交際を続けるチーユエと、文字通りに世界をめぐりながら男遍歴を重ねていくアンシェン。アンシェンの方が旅先から一方的に手紙を送るので、チーユエは返信のしようがない。この距離感と一方通行性が、終盤のとある展開に大きく作用してくる。この脚本の妙。

 

そしてついに再会を果たす二人の旅行と、その旅先のレストランでのケンカのシーンは白眉。映像で物語られてきたシーンの意味を再確認させつつ、目の前で起きている二人の感情変化も同時に伝えてくれる。ケンカになるシーンは終盤手前にもう一つ。こちらはバスルームでの感情のぶつけあいなのだが、こちらもロングのワンショットで二人の赤裸々な感情の衝突を淡々と描く。『 美人が婚活してみたら 』でも女性同士の醜い言い争いがあった。迫力では負けていないが、一方がしゃべるたびにカメラがそちらにカットしていくことには閉口した。明らかに作られたシーンだからだ。本作のケンカのシーンは、言い争う二人をカメラが長回しで捉え続けながら、少しずつ引いていく。まるで自分がそこにいるかのように。しかし、実際には周りには誰もいないということを強調するかのように。基本的な演出だが、迫真の演技と合わさることで、素晴らしい臨場感を生み出している。

 

チョウ・ドンユィの演技力抜きに本作を語ることはできない。中学生から20代後半までを全く違和感なく演じるその能力には脱帽するしかない。単純に年齢だけではなく、純粋な10代半ば、すれていく10代後半、早くも人生の酸いも甘いも嚙み分けた感のある20代前半、険のとれた20代半ばと、まさに変幻自在。チーユエを演じるマー・スーチュンの硬軟織り交ぜた演技も素晴らしい。無邪気な笑顔の裏にあるほんのわずかな毒、愁いを帯びた表情の中にあるちょっとした安堵。女の見せる表情=心情という等式が成り立たないということを、この役者はよくよく体現していた。

 

ネット小説と絡めた筋立ても良い。小説は小説でも、フィクションではなくノンフィクション、あるいは私小説であるが、そこに虚実皮膜の間がある。終盤では様々な事柄が次々に明かされるが、何が事実なのか、何が真実なのか。その境目を揺るがすような怒涛の展開には、まさに息もできない。愛憎入り混じる二人の関係、そこに女性と社会の歪な関係性も挿入された傑作である。『 Daughters(ドーターズ) 』を楽しめた人なら、本作はその10倍楽しめるだろう。

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ネガティブ・サイド

けちのつけようのない本作であるが、一点だけ。アンシェンとジアミンの”関係”は、もっと密やかに描くべきだった。もしくは、その”関係”を仄めかすことすらも、もしかしたら不要だったかもしれない。そうすれば、終盤の車内でのアンシェンとジアミンの会話の内容が、もっと衝撃的に聞こえてきたかもしれない。

 

総評

2016年の映画であるが、この時点で中国映画はこんなにも面白かったのかとビックリさせられる。香港映画と中国映画は別物で、中国映画と言えば『 ムーラン 戦場の花 』のように、面白いけれど洗練されていないという印象を抱いていたが、それは偏見だった。おそらく中国は韓国の10年前ぐらいの段階にいるのだろう。つまり、国を挙げて映画をバンバン作って、てんこ盛りの凡作の上にごくわずかな傑作を積み上げて行っているのだろう。本作が聳え立つ凡作の山の頂きに立つわずかな作品の一つであることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

soul

soul = 魂 であるが、では魂とは何かというと哲学になってしまう。ここではより実践的な使い方を説明するために、昔、Jovianが数名のネイティブに尋ねた質問と回答を持ってくる。

「”You are on my mind.”と”You are in my heart.”と”You are in my soul.”では、どの順に想いが強い?」

答えは全員同じで、

1.You are in my soul.

2.You are in my heart.

3.You are on my mind.

であった。英語の上級者を自任する人であれば、サザンオールスターズの『 いとしのエリー 』とRod Stewartの『 You’re in my soul 』を聞き比べてみるのも一興かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, チョウ・ドンユィ, トビー・リー, ヒューマンドラマ, マー・スーチュン, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

Posted on 2021年8月7日 by cool-jupiter

少年の君 85点
2021年7月31日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ イー・ヤンチェンシー
監督:デレク・ツァン

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嫁さんが面白そうだと言っていたので、チケット購入。鑑賞後は「中国映画はいつの間にかここまで来ていたのか」と自らの蒙を啓かれたように思えた。チンピラと少女の邂逅物語としては『 息もできない 』以上ではないかと感じた。

 

あらすじ

高校3年生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユィ)はいじめを苦に飛び降り自殺をした同級生の遺体にシャツを被せてあげた。それがきっかけで今度はチェン・ニェン自身がいじめの標的にされてしまう。ある日、下校にチンピラ同士のケンカに遭遇したチェン・ニェンはシャオベイ(イー・ヤンチェンシー)という不良少年と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

中国=学歴社会であることがよくわかる。Jovianも大学時代に何人かの中国人留学生塗料で一緒に暮らしたことがあるが、日本の学生よりもはるかにたくさん勉強する。何故そんなに勉強するのかと一度尋ねたことがあるが「俺たちは勉強量と知人友人の数が帰国後の地位と収入に直結するから」という答えだった。ちなみにロシア人も同じようなこと言っていた。超学歴社会と加熱する受験戦争の下地は2000年ごろには既にその萌芽はあったわけである。

 

そんな学校社会において、萌芽のような甘ったるいボーイ・ミーツ・ガールが展開されるはずがない。甘酸っぱいキスなどとは言えない、チンピラたちに強制されたキスから始まるチェン・ニェンとシャオベイの関係。どこかキム・ギドクの『 悪い男 』を彷彿させる。憎しみで結ばれる男と女ではないが、チェン・ニェンとシャオベイは社会に居場所がない孤独な者たちという点で結ばれ、歪であるがゆえに、その関係はますます強まっていく。ロマンス映画ならば、男女の関係が近くなっていく様を楽しめるが、この二人の距離はある時点まで常に一定だ。

 

随所で挿入される暴力シーンにいじめのシーン。五輪たけなわの日本であるが、小山田圭吾のいじめ武勇伝に再び注目が集まっているが、まるでその現代版いじめを見るかのようであり、結構しんどい思いをさせられる。そのいじめの背景にあるのは、貧富の格差に受験の重圧である。それを感じさせるシーンが随所で挿入されるため、いじめる側にもそれなりの理があるかのように感じてしまい、ゾッとした。

 

シャオベイの無言のプレッシャーによりいじめから解放されたチェン・ニェンが、一瞬のスキをついて凄絶な虐待を食らう展開は、言葉そのままの意味で胸糞が悪くなった。それを知ったシャオベイの怒り、走り出そうとするシャオベイを制止するチェン・ニェン。そして二人してバリカンで髪を刈り上げるシーンは、『 アジョシ 』のウォンビンの決意を想起させた。

 

ある大事件の発覚。その後の二人の思いやりと共謀。特に対面した二人が言葉ではなく表情だけでやり取りするシーンでは鳥肌が立った。もちろん顔面で演技するのは役者にとって基本中の基本であるが、二人の表情だけでのコミュニケーションを見ている自分の頭に、次々に二人の言葉が溢れてきたのだ。「この物語をここまで丹念に追ってきたのなら、二人の間で交わされる言葉が何だかわかるでしょ?」とデレク・ツァン監督は言っているわけである。この演出の冴えと観客への信頼よ。特にチェン・ニェンを演じたチョウ・ドンユィの演技力は、この場面だけではなく全編を通じて遺憾なく発揮された。アジアでトップクラスの女優であることは疑いようもない。

 

最後の監視カメラの映像にも様々な意味が込められている。今見ているものは幻なのだとも、あるいは幻ではないのだとも解釈できる。そんな映像だ。同時に、中国が恐るべき監視社会で、いじめは絶対に許さない、誰かが必ず見ているのだ、というメッセージであるとも受け取れる。冒頭のチョウ・ドンユィがある生徒に向ける眼差しとラストシーンの眼差しを対比させれば、中国社会の優しやと恐ろしさの両方が実感できる。いやはや、凄い映画である。

 

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ネガティブ・サイド

物語上のキーパーソンとしての刑事の存在感が途中で消えてしまう。この刑事は、言うなれば監視中国社会の擬人化であり、なおかつ一党独裁共産党の善の部分の具現化でもある。本作自体が国家的な規模で製作された虐め撲滅キャンペーン推進コマーシャル動画なのだから、この刑事の存在を消してしまうような筋立てはいかがなものか。

 

さらにこの刑事、終盤でサラっととんでもないセリフを吐くが、これは終始感情を押し殺しているチェン・ニェンの感情爆発シーンを描くためのやや不自然かつ唐突なお芝居に見えてしまった。

 

総評

『 共謀家族 』にも度肝を抜かれたが、本作はさらにその上を行く。もちろん『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』という傑作もあったが、これはアニメ作品。実写で、人間関係や学校・受験というシステムの暗部を真正面から捉えつつ、瑞々しく、そして痛々しいガール・ミーツ・ボーイな物語を送り出してきた中国映画界に脱帽する。今作も、韓国映画と同じく、いわば国策映画。Jovianは中国共産党を支持する者ではないが、それでも中国社会が自国の闇をさらけ出し、なおかつそこに介入し、改善していくのだという力強いメッセージを発していることは評価したい。なによりも主演のチョウ・ドンユィが素晴らしすぎる。仕事が超絶繁忙期にもかかわらず半休を取って『 ソウルメイト 七月と安生 』を鑑賞すべく、チケットを買った。中国が韓国のような映画先進国になる日も近そうである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

used to V

劇中でチェン・ニェン自身が説明しているように、現在にはもう失われてしまった過去の営為を表現する際に使われる表現。あまり知られていないが、否定形や疑問形でも使われる。疑問形の場合は

Did you use to live here? = 前はここに住んでたの?

のように使う。否定形の場合は、

I never used to live here. = ここに住んだことはない。

のように never を使うことが今は主流になっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, イー・ヤンチェンシー, チョウ・ドンユィ, ロマンス, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

『 共謀家族 』 -中国映画の本領発揮-

Posted on 2021年7月27日 by cool-jupiter

共謀家族 75点
2021年7月23日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:シャオ・ヤン タン・ジュオ ジョアン・チェン
監督:サム・クァー

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英語タイトルはSheep without a shepherd、羊飼いなき羊(たち)の意。イエス・キリストを欠いた迷える信者集団の謂いなのだが、本作では単純に父を欠いた家族は無力であるということらしい。

 

あらすじ

中国からタイへの移民であるリー・ウェイジェ(シャオ・ヤン)は小さなネット回線会社を営んでいて、地域にも溶け込んでいた。映画好きで、「映画を1000本見れば、この世に分からないことはない」とも豪語していた。ある日、娘がサマーキャンプで一服盛られ、そのことで脅迫を受ける。脅迫相手を思わぬ形で殺害してしまった娘を守るため、ウェイジェは映画の知識を生かして・・・

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ポジティブ・サイド

オリジナルのインド映画は未鑑賞だが、これを中国でリメイクすることになったのは、中央に対する批判、権威への反抗の意味合いが強かったからだと思われる。ただし、それを中国の都市部でやるとまずい(かつての中国人の教え子によると、中国都市部で「打倒、共産党!」と叫ぶと10分以内に連行されるとのこと)。なので舞台を中国国境に近いタイに持って行ったと思われる。

 

冒頭で鮮やかな推理を披露する警察局長。しかし、推理は的を射ていても、証拠品はでっち上げ。そのことを悪いとも何とも思っていない。なるほど、この人がヴィランなのかとすぐに分かる。なんと『 ラスト・エンペラー 』の皇后様ではないか。母親としての情念から悪魔的なまでの警察局長としての権威を体現している。天海祐希や木村多江でも、こんな演技はできるかどうか。

 

対するウェイジェ役のシャオ・ヤンの存在感も大したもの。パッと見は矢本悠馬と亀田大毅を足して2で割ったような普通のオッサン顔なのだが、そこに家族愛と狡猾さの両方を同居させるという複雑なキャラクター。映画の知識を巧みに援用して、アリバイ工作を行う様は、一見すると何をやっているのか意味不明。しかし、その種明かしがなされてみれば、なるほどと膝を打ってしまった。人間心理の盲点を上手くついたトリックで、北村薫や有栖川有栖が思いつきそう。警察の捜査や取り調べの方法を映画で学んでおり、それに対する対抗策を家族全員に叩き込む様には、日本が忘れて久しい「頼もしい父親像」を見出した。わざとらしいカメラワークや音響、そしてBGMがやたらと自己主張をしてくるが、これらは全て狙ったもの。物語、特にトリック部分の構造と映画の演出が一致しているという憎らしい構成である。

 

1940年代から1960年代ぐらいの日本の横暴警察官を彷彿させるサンクンという警察官のめちゃくちゃぶりが、そのまま中国本土の警察官のイメージを喚起させる。彼の暴れっぷりが逆説的な当局への批判になっているだけではなく、物語の重要な部分を補強してくれているというところもポイントが高い。

 

警察のめちゃくちゃな取り調べとそれに耐えるウェイジェ一家の構図は、決して「中国だから」で済ませてはいけない。共謀罪などという「犯罪を構想しただけ、相談しただけ」で罪になるという法律がまかり通っている現代日本で、いつかどこかで起きるであろう抑圧の絵図であると本作を観ることもできるはずだ。

 

ラストの展開で多少モタモタを感じさせるが、『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュのためと考えれば納得できるというもの。

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ネガティブ・サイド

肝腎かなめの長女ピンピンのトラウマ克服過程が一切描かれていない。これは大いに不満である。睡眠薬を使って女を手篭めにするような男は有罪確定である。ぶっ殺したくなるのは当然である。しかし、本当に殺してしまったことで、「こいつは死んで当然」という気持ちと「こんな奴でも殺してしまうのはやりすぎだ」という気持ちの葛藤が一切描かれなかった。これがないと、家族総出で完全犯罪を目論んで、実行していこうとする過程のリアリティが出てこない。

 

父・ウェイジェの cinephile としての描写も甘かった。普段のちょっとした街の人々とのやりとりで色んな名作映画のセリフを引用する(そして、コアな映画ファンは気付くが、町の人は気付かない、など)といった演出が欲しかった。またウェイジェの映画鑑賞数(もちろん配信のみだろうが)1000本以下というのも少々興ざめ。配信だけで1000本観ていたという設定でも良かったはず。

 

総評

一言、面白い。中国映画は今が過渡期なのだろう。韓国と同じく、中国の映画人も今や大卒だらけらしい。看護師歴数十年のJovian母も「専修学校卒の看護師の方が現場ですぐに活躍してくれるが、すぐに成長が頭打ちになる」と言っている。日本の大学も映画学科をもっと作ってほしい。そうしなければ、エンタメ要素と社会的メッセージの両方を併せ持った作品を生み出せるクリエイターを輩出できない。

 

Jovian先生のワンポイントタイ語レッスン

サワディーカップ

タイ語で「こんにちは」の意味。男性が使う。女性の場合は「サワディーカー」となる。あいさつは何か国語で言えてもいい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, シャオ・ヤン, ジョアン・チェン, タン・ジュオ, 中国, 監督:サム・クァー, 配給会社:アーク・フィルムズ, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 共謀家族 』 -中国映画の本領発揮-

『 ムーラン 戦場の花 』 -中国映画は洗練の途上-

Posted on 2021年5月2日 by cool-jupiter

ムーラン 美しき英雄 40点
2021年4月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:フー・シェアール
監督:チェン・チェン

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無能な政府の責任逃れのための緊急事態宣言で兵庫・大阪の映画館は休業に。こういう時には近所のTSUTAYAへ。結局日本では劇場公開されなかったディズニーの『 ムーラン 』の写真を大々的に掲げているコーナーに本作があったので、「お、借りてみるか」とレンタルしてみたら全くの別物。詐欺とは言うまい。一杯食わされるほうが悪いのである。

 

あらすじ

北魏の村で暮らす木蘭(フー・シェアール)は女性でありながら町一番の武芸者。ある日、柔然が国境を侵してきたことから、ムーランの父も軍に招集される。しかし、老身の父を思いやったムーランは男性に扮し、父の代わりに従軍し、前線である北辺の要塞に赴くことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ムーランを演じたフー・シェアールがボーイッシュさを出しつつも、舞いの時には美声と女性的な魅力も醸し出している。アクションもかなり体を張っていて、まるで神韻芸術団の一員のようにすら感じてしまう。また韓国の歴史ドラマあるいは歴史映画かと思うほどに回し蹴りが多用される。現実的な戦闘描写とは思えないが、cinematicであればこれもまたOKである。

 

ムーランとその仲間たちの友情の描写も、戦争ものにありがちながら、胸を打つものがある。特に、獅子身中の虫的な味方キャラの立身出世欲のために伍のメンバーがたびたび危険にさらされるが、ムーランが持ち前の武力で、仲間たちもそれに続く形で勝利を収めていく姿は、非常にハリウッド映画的だ。つまり万人受けするわけだ。

 

中国後漢末の王異だとか、日本で言うところの巴御前のようなキャラであると考えればいいだろう。ディズニーのムーランではなく、文芸史上の華麗な女戦士の物語だと思って楽しむべし。

 

ネガティブ・サイド

るろ剣シリーズを立て続けに観たせいか、ワイヤーアクションの粗が目立つ。粗というよりも、人でも予算も技術もなく、リハーサル段階の映像をそのまま本番にしてしまったという印象。戦闘シーンも、エキストラの人数をそろえられなかったのか、それともエキストラの人数分の鎧や武具を調達あるいは制作できなかったか、またはCGで人数を増やして見せる技術または予算がなかったのか、どこまで行っても戦闘ではあっても戦争という感じは生み出せていなかった。中国のような広大な大地と長大な歴史を誇る国の戦争なのだから、いくら北辺の一辺境とはいえ、もっとダイナミックな戦闘シーンを構想し、実現してほしかった。

 

ネズミの襲来には笑ってしまった。確かに猫いらずなどは存在しない時代だが、それでも火を使う、剣や槍ではなくホウキや、もしくは鍬や鋤といった面の大きな道具で撃退するなど、知恵を使えばそれほど怖い相手ではないだろう。そのネズミも大群ではなく、何匹かを細かなショットに分けて映すという、これまた予算のなさを思わせる苦肉の策的な撮影。もっと何かほかに工夫があるだろう。

 

一番呆気に取られたのは、ムーランのバックグラウンド。平原の戦闘のど真ん中でヤギか何かの動物を抱擁しているシーンからは何も伝わってこなかった。長じては町で男相手に喧嘩して、叩きのめす。ここからは特別な力の持ち主というよりは、単なる暴れん坊という印象を強く受ける。さらに、老身の父親に代わって従軍するにあたっての悲壮感などは何もなく、朝になったら消えていたというあっけない旅立ち。ディズニーアニメを全肯定するわけでは決してないが、女性の身であることを隠して戦地に赴くことへの決意が一切ないままに、あれよあれよと前線に向かっていくのだから、ムーランに感情移入することも、ムーランを応援したいという気持ちになることが難しい。中国ではムーランは有名キャラで、そうした背景を描くのは逆にノイズになるのだろうか。

 

最後(厳密にはその一つ手前)の「この映画を中国人民解放軍に捧ぐ」とは何ぞや。中国様よ、世界市場に向けて映画を作りたいなら、共産党よりも外の世界を見ようぜ。

 

総評

昨年に引き続き我慢のGWである。ステイホームのお供に日本中で多くの人が間違えて借りてしまっているものと思う。ムーランの物語だと思わず、中国の戦争映画、ヒーロー映画だと思って鑑賞するべし。『 ラスト・サンライズ 』でも感じたが、今の中国映画はおそらく進化の途に就いたばかりだろう。粗ばかりの映画だが、伸びしろだらけという見方もできる。暇つぶしにはちょうどよいと思うので、このGWにディズニー映画と見比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

match

本作の英語タイトルが Matchless Mulan である。matchには「合う」以外に、名詞として釣り合う相手のような意味がある。ボクシングで試合を組む役割を担う人、縁談を取り持つ人が英語でmatchmakerと呼ばれるのは、matchを作っているからである。matchlessというのはmeet one’s match = 自分と互角かそれ以上の相手に出会う、という表現もぜひ知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, フー・シェアール, 中国, 監督:チェン・チェンLeave a Comment on 『 ムーラン 戦場の花 』 -中国映画は洗練の途上-

『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

Posted on 2021年4月11日 by cool-jupiter

21ブリッジ 55点
2021年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン J・K・シモンズ ステファン・ジェームス
監督:ブライアン・カーク

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ブラックパンサーのチャドウィック・ボーズマンの遺作。マンハッタン封鎖という壮大なスケール+話題性に惹かれて鑑賞。エンタメの面だけ見れば上々である。

 

あらすじ

マンハッタンで警察官8人が射殺されるという事件が発生した。警察官殺しの犯人を過去に何度も射殺してきたアンドレ・デイビス(チャドウィック・ボーズマン)刑事が犯人を逮捕するため、マンハッタンを全面封鎖するが・・・

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ポジティブ・サイド

チャドウィック・ボーズマンの雄姿が光る。冒頭の査問シーンから、容赦なく相手を射殺していくタイプかと思いきや、血も涙もある人間だった。認知症の母親をいたわる姿に、Mama’s boyとしての顔と、激務である刑事の仕事に誇りを持っているというプロフェッショナリズムの両方が見えた。これがあるためにラストの言葉による対決が説得力を持っていた。

 

犯人たちを追跡するシークエンスも大迫力。追いかけるデイビスは『 チェイサー 』のキム・ユンソクばりに走る走る、逃げる。犯人の一人であるマイケルも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウばりに逃げる逃げる。マンハッタンの街中や道路、地下鉄、住宅などを縦横無尽に駆け巡る追跡&逃走劇は、邦画では描けない臨場感。追う者と追われる者がいつしか自分たちだけの一体感を得ていくというのは、よくある話であるが、それゆえに説得力がある。

 

ハリウッド映画で感じるのは、銃撃のリアリティ。銃撃されたことはないけれど、色々なものが確実に伝わってくる。Jovianは大昔に一度だけアメリカで銃を撃ったことがあるけれど、銃器って重いんだ。それを扱っている人間の体の動きや姿勢、撃った後の反動、それに音響などの迫真性がたまらなく恐ろしい。こればっかりは邦画が逆立ちしても勝てない領域(勝つ必要はないけれど)。

 

チャドウィック・ボーズマンのファンならば、彼の雄姿を目に焼き付けるべし。

 

ネガティブ・サイド

デイビスのキャラクターをもう少し深堀りすることはできなかったか。警官殺しを容赦なく殺すというのは、なかなか強烈なキャラクターだ。だからこそ、冒頭で描かれる彼の父親の死や、実際に彼が行ってきた容疑者や犯人の射殺に至る経緯をもっと詳しく見せる必要がある。それが中途半端ゆえに「あれ、撃ち殺すんじゃないの?」という疑問がわき、それが「ああ、撃ち殺せないプロット上の理由があるのね」とつながってしまう。このあたりからストーリーの全体像が読めてしまうし、2020年夏の米ウィスコンシン州のジェイコブ・ブレイク事件を彷彿させる、無抵抗な人間を警察が容赦なく射殺・銃撃するシーンを見せられれば、否が応でも黒幕の存在にはピンとくる。韓国映画の警察が無能というのは常識だが、アメリカ映画の警察が味方とは限らないというのもまた常識である。

 

デイビスの孤立無援、孤軍奮闘っぷりばかりが目立つが、「ヨランダ」にもう少し後半に出番があってもよかったのではないか。「ケリー」の方にはあるのだから、ここはバランスをとってほしかった。というか、ヨランダがデイビスにかけてきた電話はいったい・・・

 

総評

警察という仕事の困難さはJovianも義理の親父から何度か聞かされた。しかし、警察という仕事の誇らしさもそれ以上に聞かされた。そういう意味で、マンハッタン封鎖作戦以降は、警察1vs警察の物語として観るべし。ただしデイビスの人間性はうまく描出されていたが、デイビスの警察官としてのバックグラウンドがほとんど描かれなかった点が惜しい。同じようなテーマの『 ブラック アンド ブルー 』の方が面白さは上だと感じた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on borrowed time

『 サヨナラまでの30分 』で紹介した live on borrowed time とほぼ同じ意味である。つまり、借り物の時間で存在している=死ぬのは時間の問題、ということ。劇中のアメリカの警察の恐ろしさを実感させてくれるセリフである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, J・K・シモンズ, アクション, アメリカ, ステファン・ジェームス, チャドウィック・ボーズマン, 中国, 監督:ブライアン・カーク, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

Posted on 2021年2月25日2021年2月25日 by cool-jupiter

ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン

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TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。

 

あらすじ

ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。

 

EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。

 

本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。

 

太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。

 

また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・

 

クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・

 

総評

政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tomorrow

言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, ジャン・ジュエ, ジャン・ラン, ロマンス, 中国, 監督:レン・ウェン, 配給会社:竹書房Leave a Comment on 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 - 新世紀の中国アニメ-

Posted on 2020年12月31日 by cool-jupiter

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羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 80点
2020年12月31日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:花澤香菜 宮野真守 櫻井孝宏
監督:MTJJ

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ずっと観に行こうと思いながら、タイミングが合わなかった作品。思いがけず2020年の締めくくりに劇場鑑賞することになった。本作を観て感じるのは、アニメーションは日本が中国に伝授したものであっても、日本的とされる自然観や世界観の源流は古代中国にあったのだろうなということ。そして、日本的とされるアニメーションは下手をすれば中国にぶち抜かれる恐れすらあるのだろう。

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あらすじ

森でのどかに暮らしていた猫の妖精・小黒(花澤香菜)は、人間の開発によって住処を追われる。放浪の旅の最中に同じく妖精のフーシー(櫻井孝宏)たちと出会った小黒は、彼らの住処で共に暮らすことになる。しかし、そこに最強の執行人、ムゲン(宮野真守)が現れ、フーシーらを撃退する。小黒はムゲンに連れ去られてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

小黒の猫バージョンの狙ったかのような「あざとかわいさ」を見よ。これがロードトリップムービーの導入だと言われれば素直に理解できるが、サイキック・バトルアクション系の主人公だと言われれば、「またまたご冗談を」と言いたくなるだろう。だが、本作はそういう話なのだ。つまり、ジャンルミックス作品であり、それゆえ必然的にインターテクスチュアリティ(間テクスト性=intertextuality)に溢れる作品となっている。

 

冒頭から『 もののけ姫 』を思わせる森林の風景が美しい。こだまを彷彿させるキャラクターがその印象をますます強めてくれる。そして逃げ惑う動物。立ち向かわんとする小黒。切り拓かれる森。これを『 もののけ姫 』と言わずして何とする。

 

小黒がフーシーと出会い、仲間にしていく流れもスムーズだ。妖精同士の出会いと語らい、そして団らんに言葉はいらない。世界からある意味で疎外された者同士だけに通じる直感的なコミュニケーションには大いに考えさせられた。異形の者だから疎外されるのではなく、異能の者だから疎外される。妖精たちは必ずしも姿かたちのために疎外されているわけではないことがテンフーとロジュの造形を比較してみれば分かる。妖精の世界も妖精の世界で、なかなかに複雑だ。一枚岩と思わせてそうではないところが、本作を単なるおとぎ話やファンタジーにしていない。本作の目指すところは共生である。それが現実の中国の目指す「一帯一路」構想とどれくらい軌を一にするものなのかは分からないが、様々な異民族との共存共栄を志向するクリエイターが中国に存在し、その作品が中国国内のみならず国外のマーケットでも公開されることの意義は決して小さくない。

 

例えて言えば、これは『 X-MEN 』であり、『 妖怪人間ベム 』であり、『 AKIRA 』を中国風に味付けしなおした作品である。ムゲンなどはまさにマグニートーであるし、妖精社会の内ゲバと人間を守らんとする戦いはベム、ベラ、ベロの影が見え隠れする。そしてラストの領界はどうみても『 AKIRA 』だろう。観る人が観れば、より多くのオマージュやガジェット、あらゆる意味での間テクスト性のエビデンスを発見できそうだが、それは本作のオリジナリティの低さを証明するものではない。逆だ。中国は日本やアメリカの先行作品に貪欲に学んだのですよ、あなた方と肩を並べるところまで来ましたよ、もうすぐで追い抜きますよ、と宣言しているのだ。実際にバトルシーンのスピード感はアニメ映画の『 ドラゴンボール 』的でありながら、その背景や細かいキャラの動きの変化の書き込みは同作の比ではない。少なくとも『 あした世界が終わるとしても 』レベルのバトルシーンは遥かに超えている。様々なオマージュもクオリティを高めれば、立派なオリジナルになる。

 

原題の中国社会を下敷きに鑑賞すべきだろう。ストーリーもキャラクターも面白いし、深みがある。ムゲンはどことなく『 千と千尋の神隠し 』のハクのパワーアップ版以上のキャラだし、フーシーも単純な善悪二元論で割り切れるキャラではない。いつの間にやら移民大国になっている日本でも、異能・異端の者たちとどのように交流し、彼ら彼女らをどのように社会に包摂するか、あるいはしないのかを選択する時がきっと訪れる。もちろん、正解などない。必要なのは、答えを求め続けようとする姿勢を維持すること、つまりは旅を共にすることなのだろう。昨年の内に観ておきたかったと思う。

 

そうそう、Jovianは基本的には外国産映画は現地語を聞き、字幕を読むことを是としているが、本作は吹き替えで充分に楽しめる。見た目が日本のアニメ的であるし、中国人キャラクターが日本語をしゃべっても違和感を覚えなかった。

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ネガティブ・サイド

ムゲンと小黒がイカダで旅をするシークエンスが少々長かった。海上シーンをもう少し削るか、あるいはムゲンと小黒に何らかの対話をさせてほしかった。

 

戦闘シーンの疾走感と迫力は文句なしであるが、妖精たちの属性についてもう少し掘り下げて説明してほしかった。台詞は不要。ただ、陰陽五行説の木火土金水の相克関係を、バトルを通じて視覚的に分かりやすく見せてくれれば、中学生以下にもっと刺さるのではないか。

 

館の妖精たちが街の住人たちを救助していくシーンもスピーディーでスリリングだった。その一方で、館の館長と龍遊市の政治的指導者層との折衝の様子も一瞬でいいから見せてほしかった。妖精と人間の共存関係はナイーブなものではなく、高度に政治的な判断の元で維持されているものだと提示されれば、さらに大人向けのアニメとなったことだろう。

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総評

古今東西のあれやこれやのオマージュが詰め込まれた作品。かといって古いわけではなく新しい。様々なコンテンツを浴びるようにして育った個人がアメリカでは『 レディ・プレイヤー1 』を作り、『 封神演義 』や『 西遊記 』といった中国古典をベースにした教養人が本作を作ったと言えるのかもしれない。「中国映画で猫?『 空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 』みたいな地雷作品じゃねーだろうな?」と疑わしく感じてしまう向きにこそお勧めしたい傑作に仕上がっている。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The more S + V, the more S + V.

エンディング曲で“More we divide, more we collide”という歌詞がある。正しくは“The more we divide, the more we collide”=「私たちが分裂すればするほど、私たちはもっと衝突する」ということ。The 比較級 S + V, the 比較級 S + V. で「SがもっとVすれば、SはもっとVする」という意味になる。

 

The older you are, the weaker you become.

年をとればとるほど、弱くなっていく。

 

The more you sleep, the longer you live.

寝れば寝るほど、長生きする。

 

The more money I have, the less secure I feel.

より多くのお金を持つほどに、どんどん安心感がなくなっていく。

 

などのように使う。この構文がサラッと使えれば、英会話の中級(CEFRでB1手前)だろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, 2020年代, A Rank, 中国, 宮野真守, 櫻井孝宏, 監督:MTJJ, 花澤香菜, 配給会社:アニプレックス, 配給会社:チームジョイLeave a Comment on 『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 - 新世紀の中国アニメ-

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