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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

シライサン 50点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:飯能まりえ 稲葉友
監督:安達寛高

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『 貞子 』が無残な駄作に堕ちてしまった2019年。2020年は、新たなジャパネスク・ホラーの勃興が期待される。そこへ本作である。結果としては、可もあり、不可もある作品であった。

 

あらすじ

瑞紀(飯豊まりえ)はレストランで食事中に、親友の眼球が破裂し、心不全を起こすというが不可解な死に方をするのを目撃してしまった。同じ大学の春男(稲葉友)の弟も、同じような死に方をしていたと知った二人は、調査に乗り出す。そこで分かったのは「シライサン」という名の女性にまつわる怪談だった・・・

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以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

ポジティブ・サイド

日本には昔から、「だるまさんがころんだ」や、ゲーム『 スーパーマリオブラザーズ3 』以来おなじみの“テレサ”など、見ていれば近づいてこないという存在があった。しかし、それをホラー映画のネタにしようというのは斬新である。まさに、古い革袋に新しい酒である。この発想は、『 イット・フォローズ 』の、遠くからゆっくりと毎回違う姿で近づいてくる“それ”の突飛さや斬新さと並ぶと思う。

 

また、半陰半陽の貞子の後継者として、近親相姦の繰り返しの結果として誕生してきたと示唆されるシライサンの設定も悪くない。異様に大きな目というのも、遺伝子の異常で説明がつきそうだからである。またシライサンが、しゃなりとした身のこなしでチリンと鈴を鳴らすシーンはかなり怖かった。『 地獄少女 』でブレイクダンスを踊った変なハゲチャビン爺さんは、シライサンの爪の垢を煎じて飲むべきである。

 

「目をそらすな」というのは、慣れてしまえば簡単そうに思えるが、あの手この手で目をそらさせようというシライサンはなかなかに策士である。人間の心の隙や弱さというものをよく理解している。特に忍成修吾演じるライター間宮への責めは反則スレスレではないか。そして、クライマックスの春男への責めは反則ではないか。しかし、怪異というのは理不尽なものである。これで良いのである。

 

巻き込み型の怪談は、昔からの定番である。本作はイヤホン360上映のお知らせを開演前に行ってくれるが、その通知から『 シライサン 』の世界は始まっている。20世紀FOXが『 ターミネーター ニュー・フェイト 』などで見せたように、映画上映前から映画世界がスクリーンに展開されていく。単純な仕掛けであるが、このような工夫は歓迎したい。また、エンディング・クレジットも見逃してはならない。特に脚本家の名前に注目されたい。以上である。

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ネガティブ・サイド

様々な描写が中途半端である。シライサンが呪いの対象者を死に至らしめる過程が、特にそうである。目玉を抉りとって潰す様を全部映してしまうというスプラッタ路線で行くか、効果音や叫び声などを最小限に抑えて、観客の想像力を最大限に刺激するような心理的な細工を徹底する路線で行くか、何らかのポリシーを貫いてほしかった。死に方が怖いのではなく、シライサンの顔が不気味であるという怖さになってしまっていた。

 

またシライサンは一種のミームであると考えられるが、その呪いのルールを解明することにもっと時間を費やしてよかった。シライサンの呪いがどのように伝播するのかをもっと検証するべきだった。『 リング 』の怖さは“そのビデオを見たら一週間後に死ぬ”ということで、面白さはどんな“オマジナイ”でその死を回避できるかを探るということだった。同じく、シライサンに関しても、考察をもっと深めるべきだった。ミームとしてのシライサンをfidelity=忠実さ、fecundity=繁殖力、longevity=寿命の全て、またはいずれかの観点から分析するべきだった。例えば、シライサンの呪いの成立する為には、どの程度正確に怪談を語らなければならないのか、あるいは怪談の形式ではなくとも、話の筋さえ合っていれば良いのか、それともシライサンという怪異が存在するということだけを知ればよいのか、などの分析・考察に瑞紀と春男、そして間宮は奔走するべきだった。ホラーは、理詰めでどうにもならない部分と、理詰めでなんとかなる部分のバランスを、適切に配分することで生まれるからである。

 

そして、肝心のシライサン対策が忘れることだとは・・・ ご都合主義にもほどがある。また瑞紀の考え付くシライサン対策が、まんま『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 の対策と同じである。もっとオリジナルでユニークなアイデアが欲しかった。

 

最後に細かい指摘を三つだけ。

 

1.GoogleマップやGoogleアースを使え。

2.現役の大学生は「大学時代からの友人」とは言わない。

3.愛する人が死んでいいことが一つだけある話、必要か?

 

総評

貞子や伽椰子の後継者になれるかどうかは分からない。それは映画ファンは一般大衆が決めることである。だが、シライサンはジャパネスク・ホラーの歴史の一ページを刻んだことは間違いない。それなりに恐怖を感じさせるし、主演の二人も素人っぽさを醸し出す演技は、ホラーのテイストによく合っていた。ディープなホラー映画ファンには自信を持ってお勧めはできないが、カジュアルな映画ファンにはお勧めをしたい。カップルのデートムービーにも使えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t look away.

「目をそらさないで」の私訳である。Lookときたら、atかforというのが中高の英語の定石だろう。しかし、lookには様々な語がくっついて、その意味を豊かに膨らませる。Awayもその一つで、look away=目をそらす、である。『 デッドプール 』でデットプールが、エージェントをぶちのめす前にカメラに向かって、また最終決戦前に下着を脱ぐ前にネガソニックに、“Look away.”と言っていた。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ホラー, 日本, 監督:安達寛高, 稲葉友, 配給会社:松竹メディア事業部, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

『 箱入り息子の恋 』 -細部とクライマックスに難あり-

Posted on 2020年1月11日 by cool-jupiter

箱入り息子の恋 50点
2020年1月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:星野源 夏帆
監督:市井昌秀

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劇場公開されたのは2013年の作品である。日本の少子化、それを加速させる要因の一つである未婚および晩婚化の傾向を描いているわけではないが、主役の星野源は、阿部寛とは全く異なる意味での『 結婚できない男 』の属性が付与されている。ただ、正しくは『 結婚の準備ができていない男 』というべきなのだろう。なかなかに面白いドラマであった。

 

あらすじ

天滴健太郎(星野源)は年齢=彼女いない歴の、うだつの上がらない市役所職員。そんな息子を見かねた両親は、代理見合いパーティーに出席し、今井夫妻の娘、菜穂子(夏帆)と健太郎の見合いをセッティングする。しかし、見合いの場で初めて分かったのだが、菜穂子は全盲だった・・・

 

ポジティブ・サイド

星野源が非常になよなよしている。これは褒め言葉である。無表情で、声も小さく、職務に精勤してはいても昇進は一度も無し。そして趣味は貯金。こうした属性に共感できる男性は実は多いのではないか。養老孟司が何かのエッセイで「しつけというのは、本来は不自然なもの。「 男の子に、『 男の子らしく外で遊べ 』と言うのは、そう言わないとインドア派に育つから。女の子に、『 女の子らしくおしとやかにしなさい 』と言うのは、そう言わないと活発に育つから 」と書いていたのを思い出した。つまり、星野源演じる健太郎は、ある意味ではとても自然な男の姿なのだ。甘やかされて育てられたという背景も臭わされるが、非常に現代的な日本男児の姿が見えた。本作はそんな健太郎のビルドゥングスロマンなのである。

 

男が変わる契機というのは、現実でもフィクションでも大体は女絡みと相場は決まっている。天滴という名字が牽強付会にも思えるが、健太郎と菜穂子の最初の出会いはそれなりに印象的だったし、二回目のお見合いも開始1分で修羅場に突入というテンポの良さ。当事者不在で火花を散らす親同士に、案外日本の少子化の原因の一つはこれなのかもしれない、などと考えた。つまり、親が子どもなのだ。親が幼稚なままなら、その子どもも、子どもは作らんわなと思う。

 

Back on track. 非モテの高齢童貞と全盲の美女との関係が徐々に発展していく過程は悪くなかった。一歩間違えれば『 タクシードライバー 』のトラヴィスのようなアホなデートになってしまってもおかしくないのだが、吉野家が絶妙なバランスの上で良い味を出している。テーブルの店でいきなり隣同士に座るのは難しいが、吉野家のようなカウンター席主体の店なら、隣同士に座れる。吉野家というのは殺伐とした、女子供はすっこんでいるべき場所のはずだが、菜穂子にはそんなものは関係ない。このロマンチックさのかけらもないデートがこの上なくロマンチックに映るのは、星野源のカッコ悪さと夏帆の飾らない可憐さのバランスが取れているからであろう。健太郎は菜穂子も、筋金入りの箱入りであるという意味では似た者同士なのである。この不器用な二人の歩みは、2020年代でも共感呼べることだろう。

 

ネガティブ・サイド

夏帆の盲目の演技は普通に良かったが、演出がそれをダメにしている。『 マスカレードホテル 』はヒントとしてそれを行っていたが、本作はうっかりだろう。もしくはそこまで考えていなかったか。全盲の菜穂子が夜にピアノを弾く時に、なぜ電気をつけているのか。普通はつけない。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』でも『 見えない目撃者 』でも、全盲の人間は自分のプライベートな空間では、夜でも照明は必要としないのである。初めてのラブホテルの室内が暗かったので、余計に気になってしまった。

 

また、健太郎の趣味が格闘ゲームとカエルの飼育だけ、というのも気にかかった。というのも、あまりにも察しが良いからである。菜穂子は健太郎に「言葉にしてくれて嬉しい」と伝えた。対照的にするなら、菜穂子は言葉に出しづらいので態度や仕草、たとえば健太郎の手を取り、手のひらを自分のほほに置かせる、あるいは期するところありげに小さく舌なめずりをしてしまう(少しはしたないか・・・)、もしくは相手の胸に顔をうずめるでも何でもよい。もじもじした様子だけで朴念仁の健太郎が察するというのには違和感を覚えた。健太郎の趣味に映画鑑賞や小説を読むことなどがあれば、まだ納得しやすかったのだが。

 

また、韓国ドラマや韓国映画的な唐突な交通事故というのは、あまりにもクリシェである。しかも悪いのは菜穂子ではなく、どう考えても運転手だろう。大杉漣と黒木瞳の迫真の修羅場に水を指す、不自然極まりないイベントであった。

 

最終盤はギャグである。飼育槽から何とか脱出しようと試みるカエルは、まさに健太郎という“男性自身”である。だが、それなら何故、健太郎と菜穂子のまぐわいの在り方にまでこだわらないのか。メスに後ろから覆いかぶさるのがカエルのオスなのではないか。ドレープカーテンを使ったペッティングは、カエルではなくナメクジに見える。非常にシネマティックでロマンチックなシーンであるはずなのに、ただのギャグにしか見えない。演出が何もかも中途半端なのである。そして全盲の成人の部屋のベランダの柵がそんな落ちやすく作られているわけがない。菜穂子の父親はカネなら充分持っているはずだし、菜穂子の為に家のリフォーム代をケチるような男ではない筈だ。ベランダからの転落にはリアリティがまったく存在しない。無理やりで滅茶苦茶なまとめ方である。

 

総評

障がい者との付き合い方について一考を促される作品である。また、草食系などと呼称される男性や、その家庭の在り方などについても、まあまあ上手く描けているように思える。何よりも夏帆が可憐である。百戦錬磨の感じが出ていないのが新鮮である。細部のリアリティが色々と欠落しているが、全体的にはきれいにまとまった作品である。ラブシーンもあるが、高校生ぐらいからなら視聴しても問題ないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

When A Man’s In Love

www.youtube.com

歌詞はここでどうぞ。

健太郎は表情にもジェスチャーにも乏しい男だが、男が恋をした時にはこの歌のようになるものである。健太郎も内面はそうだったはずだ。

以下は真面目なレッスン。

A special needs person / A person with special needs

本ブログでも「障害者」とは書かずに、「障がい者」と表記するようにしているが、英語でもhandicapped personやdisabled personとは最早言わない。A person with disabilities または a special needs person / a person with special needsという表現が一般的である。特別なケアを必要とする人、ぐらいに訳せるだろうか。れいわ新撰組によって、日本人の意識も変わってくるだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 夏帆, 日本, 星野源, 監督:市井昌秀, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 箱入り息子の恋 』 -細部とクライマックスに難あり-

『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

フランシス・ハ 75点
2020年1月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:グレタ・ガーウィグ アダム・ドライバー
監督:ノア・バームバック

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『 レディ・バード 』の監督グレタ・ガーウィグの主演作。モノクロ映画というのは観る側の想像力を掻き立てるものがある。

 

あらすじ

NYの街でモダン・ダンサーになることを夢見るフランシス(グレタ・ガーウィグ)は親友のソフィーと二人暮らし。しかし、ボーイフレンドとの同居を拒んだことから破局。その上、ソフィーは将来を見据えて転居することに。フランシスは仕方なく元カレの友人のルームメイトであるレヴ(アダム・ドライバー)の家に転がり込むが・・・

 

ポジティブ・サイド

主人公フランシスが何とも愛おしい。美人だからとかセクシーだからとかではない。彼女の人生は、実はまったく上手く行っていない。にもかかわらずフランシスはへこたれない。ウソでもホラでも何でもござれの奇妙なバイタリティで突き進んでいく。しかし、その方向も全然正しくない。こんなキャラクターが主人公なのに、なぜこれほどフランシスを応援したくなってしまうのか。

 

一つには彼女の目指すものがモダン・ダンサーであるということ。Jovianは職業柄、TOEFL iBTというテスト対策を教えることが多い。そこでは、しばしばアメリカ史が扱われるが、その傾向はほとんど常に“時代の転換点”である。モダン・ダンスはバレエの枠を破壊することから生まれた。フランシスは、サクラメントの片田舎出身の自分という枠を、ニューヨークで華々しく踊る自分という像でもって壊そうとしている。ダンスとは自己表現の極まった形である。ところが、これが上手く行かない。いつまで経ってもフランシスは実習生(apprentice)のままである。自分というものをさらけ出しているにもかかわらず、それが認められない。なんとも現代的ではないか。

 

もう一つには、彼女の年齢もあるのだろう。27歳というと、一昔前の日本なら所帯を持ち始めることを期待される年齢だろう。それはアメリカでも同じようである。だが、モラトリアム期間が長くなった現代、27歳は本当ならまだまだ自分の可能性を模索することに多くの時間を費やしてよい年齢にも思える。一方で、親友のソフィーが結婚に向けて動き出したように、人生の形をある程度定めることを考え始めなくてはならないのも事実である。このあたりが『 ブリジット・ジョーンズの日記 』と共通するところで、それゆえに男性よりも女性の支持や共感を得るポイントだろう。この、若いけれどもそれほど若くない、というジレンマをブリジットとは違う切り口で描いたところに本作の価値がある。

 

さらに、彼女の出身地と、実際に暮らしている場所のギャップもある。『 レディ・バード 』でも描かれていたが、サクラメントは極めて保守的な土地だ。ニューヨークとは全く異なる世界とも言えるだろう。だが、サクラメントで家族や地元の人々と過ごすクリスマスの何と充実していて、なおかつ何と寒々しいことか。濃密な交流が行われているにもかかわらず、フランシスは溶け込めない。充実した人間関係とは、親交のある人間の数ではなく、親交の深さで測られるべきなのだ。そして、非モテ=undatableとのレッテルを貼られた自分が、本当に必要としているものが何であったのかに気がつく。保守的な土地から先進的な土地に出てきた自分の考えが保守的になっていたことに、フランシスは気付く。哲学者M・ハイデガーの言う「気遣い」、日本語で言うところの「有難み」である。自分探しとは、畢竟、自分と世界との関わり方を規定するということなのだ。

 

モノクロ映画ゆえに色の表現が乏しいが、それゆえに想像力が刺激される。実際に、フランシスが腕から出血しているところはよく見えないし、実家のまな板の色が赤であることも伝わらない。しかし、バームバックの狙いはそこではない。フランシスの行く先々では、様々な人々の会話や交流が生まれるのだが、それらが必ずしも描かれない。夏合宿の寮の管理人として、廊下でうずくまって泣く少女とのシーンが好例である。大人と子どもの鮮やかな対比が描かれ、フランシス自身が自分の姿に気付く・・・というシーンは描かれない。だが、それで良いのである。世阿弥の言う「秘すれば花なり」である。想像力を刺激する。それだけで、それは素晴らしい芸術である。

 

フランシス・ハの「ハ」は、おそらく間投詞だろう。英語圏でも、よく使われる音声である。Jovianは大昔、ナムコの『 エースコンバット 』シリーズにハマっていた。その一つ、『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』でWingmanのピクシーというキャラは鉄器を撃墜すると“Ha!”と叫んでいた。またディスク表面のタイトル表記も、このことを裏付けているように思う。我々が文字を大きく書くのは、それを大きな声で読んで欲しい時である。以上より、フランシスは最後の最後にフランシスに成長した。そのことに、自ら感嘆の声を上げていると考えられる。何とも素敵な演出ではないか。

 

ネガティブ・サイド

アダム・ドライバーの出番が少ない。まあ、それはしょうがない。彼が本格的に売れる前の作品なのだから。

 

二番目のルームメイトとなるベンジーがいい奴すぎる。こんな素敵な男性がいるのだろうか。Jovianは大学の四年間を男子寮で暮らしていたから分かる。こんなに良い男はめったにいない。ベンジーに一瞬でもグラリと来ないフランシスはどうかしている。一瞬の気の迷いのようなものでもよい。ベンジーとフランシスの間にロマンティックな空気が流れる瞬間があればよかったのだが。

 

最後の最後は『 オズの魔法使 』のように、一瞬だけカラーに転じても良かったかもしれないと、少しだけ思う。

 

総評

女の友情が基軸となっているが、男でも同じである。自分が何者であるのか、または何者になるのか、そのことに悩み苦しむのが若さである。奇しくも同じテーマは同じくバームバック監督の『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』でも繰り返されている。回り道に見えても、振り返ってみれば、それが最適なルートだった。人生とは往々にしてそういうものである。日本ではアラサー前後の男女がデモグラフィックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pass up

見逃す、の意味である。テレビ番組を見逃すのではなく、チャンスを見逃すの意味で使われる。劇中では“It is too good to pass up.”=「それ(そのアパート)は良過ぎて、逃す手はないの」という具合に使われていた。またジョージ・ルーカスも『 ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス 』で“It was an opportunity I could not pass up.”というように、この表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, グレタ・ガーウィグ, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:エスパース・サロウLeave a Comment on 『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

ロード・オブ・モンスターズ 30点
2020年1月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エイドリアン・ブーシェ
監督:マーク・アトキンス

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TSUTAYAのボックスカバーは、思いっきり『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』をパクっていて、これはクソ映画に違いないと確信した。I was in the mood for some American garbage, especially after watching a great Korean film and a great French film.

 

あらすじ

海底資源探査の会社を経営するフォード(エイドリアン・ブーシェ)は、偶然にも巨大な“怪獣”に遭遇してしまう。マグマを血液に持つ規格外の生物“テング”に立ち向かうため、フォードは地質神話学者や沿岸警備隊と連携する。そして、テングを倒すには伝説の怪獣“生きた山”を目覚めさせるしかないと分かり・・・

 

ポジティブ・サイド

原題はMonster Island、これだけ聞くと『 怪獣総進撃 』を思い出してしまうし、敢えてそうさせようというマーケティング上の理由があるのだろう。中身はゴジラとは似ても似つかない怪獣が現れるストーリーからである。少しでもビューワーの気を惹くためなら、多少の無理めな邦題やパッケージ・デザインでも行ってまえ!というノリは買いである。

 

設定は荒唐無稽だが、劇中で披見される科学的知識や地質神話学の知見は、まあまあ納得できる。太古、“怪獣”とは地震や火山噴火、津波の謂いであったとうのは宗教学専攻だったJovianにも首肯できる意見である。

 

また遠洋に船を出す爺さんが良い味を出している。いきなり映画『 アビス 』を持ちだして、“They are down there. = 未知の生命は海底にいる”と呟く様は渋い。海の男は、海を知り尽くしているという雰囲気よりも、海はどこまでも奥深い領域であると弁えた雰囲気を湛えているものなのだろう。その方が東洋の世界観の産物である“怪獣”とよくマッチすると、あらためて思わされた。

 

ネガティブ・サイド

科学的な知識はそれなりに正しいのに、主人公たちは自分で使っている機材やテクノロジーについての設定をすぐに忘れてしまう。間抜けにも程がある。海中探査用ROVの映像には1分のタイムラグがある、と冒頭で説明しておきながら、その後の描写ではほぼリアルタイムで映像を見ているとしか思えない反応を示す。監督兼脚本のM・アトキンスは何をやっているのか。また40メートル級の津波はどこへ行った?

 

またテングの質量が250万トンというのは無茶苦茶にも程がある。最新ゴジラが9万トンなのだから、その30倍弱の重量というのは規格外過ぎる。怪獣映画の基準はゴジラであるべきで、そこから逸脱しすぎるとファンタジーになる。

 

またテングの卵から生まれるのが、似ても似つかぬクリーチャーというのは何故だ?テングがヒトデで、なおかつメスで、オスを探しているのではないか?という仮説は「お?『 GODZILLA ゴジラ 』のMUTO的な展開か?」と期待させてくれたが、それもなし。興奮を煽っておきながら、おあずけされるとはこれ如何に。怪獣映画ファンはマゾでないと務まらないのか。

 

そしてクライマックスの“テング”と“生きた山”の激突とその結末は・・・とんでもない拍子抜けである。男性キャラクターはあっさりと死ぬ、というポリシーを持っていた本作であるが、最後の最後に来てそれを引っ繰り返した。これをドンデン返しと受け取れというのは、いくらなんでも無理である。ポリシーは一貫してこそポリシーである。ひどいクソ映画であり、ひどいクソ結末である。

 

総評

超低予算、超短期間撮影、超ローテクで作った割には、クソ映画レベルにまとまっている。決して、超絶駄作ではない。怪獣好き、洋画の中で唐突に日本語が聞こえてくるのが好き、という変わった趣向の持ち主なら楽しめるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

They are down there.

英語のWe, You, Theyというのは奥深い人称代名詞である。日本語ではWeの用法があるが、それは主に企業や組織で使われている。保険会社やクレジットカード会社のコールセンターのオペレーターは例外なく「私ども」という言葉を使うが、複数形にすることで組織代表になるわけである。Theyには、その場にいない者たち全般の意味となり、SF映画や生物学者、天文学者たちはしばしば

“We are not alone. But where are they?”

という問いを立てる。「我々地球人は(この広い宇宙の中で)孤独ではない。だが彼ら=宇宙の他の生命体たちはどこにいるのだ?」の意である。ここまでスケールが大きくなくとも、Theyというのは英語ネイティブがあらゆるレベルで頻繁に使う言葉である。これを自然に使えるようになれば、英会話力は中級以上である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, エイドリアン・ブーシェ, 怪獣映画, 監督:マーク・アトキンスLeave a Comment on 『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

Posted on 2020年1月8日2020年1月8日 by cool-jupiter

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジャック・ガンブラン レティシア・カスタ
監督:ニルス・タベルニエ

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嫁さんが観たいと言ったのでチケットを買ったが、これが大当たり。本作は珠玉の biopic である。フェルディナン・シュヴァルは、フランス語辞書の「愚直」、「朴訥」といった語の説明用の挿絵に使われるような男だということが、本作を通じて実感を持って感じることができた。

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あらすじ

郵便配達人のF・シュヴァルは妻に先立たれ、息子も里子に出すことになってしまった。悲しみを押し殺し、黙々と職務に打ち込むシュヴァルは、未亡人のフィロメーヌと知り合い、再婚する。そしてアリスという娘を授かる。ある日、大きな石につまずき、山肌を滑落してしまったシュヴァルは、その石を掘り返し持ち帰った。それ以来、シュヴァルは石やセメントで自分の空想の中にある宮殿を作り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

なんという壮大な物語なのだろうか。物語の舞台となるのはフランスの片田舎だが、劇中で流れる時間の長さ、そしてシュヴァルという男の人生に降りかかってくる試練の数々に、男泣きを禁じ得ない。

 

全編をほとんど実物の「理想宮」とその周辺地域を使って撮影されているという。そのためか、空や山々といった景観は、確かに19世紀末から20世紀初頭であるように感じられた。『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』でも感じたが、フランス南西部には素朴な自然が今でも残っているようである。日本には今でも各地に日本昔話級の田舎が残っているが、そうした場所を舞台にした素朴な物語がもっと生産されてほしいと心から願う。決して『 青夏 君に恋した30日 』のような物語を作ってはならない。もうすぐ大阪で公開予定の『 ハルカの陶 』には期待している。Jovianは岡山県備前市に縁があったのである。日本であれ、フランスであれ、自然豊かな地方には人工物がない。言い換えれば、曲線や色彩に満ちている。シュヴァルが建築や地質学の教育を受けた背景がないにも関わらず、巨大な宮殿を建造することができたのは、自然の造形から知らず知らず学んでいたからではないか。ちょうど『 風立ちぬ 』で堀越二郎が魚の骨の湾曲具合からインスピレーションを得たように。

 

ジャック・ガンブランは見事な演技で『 SANJU サンジュ 』のランビール・カプール以上に一人の男の“人生”を描き切った。言葉ではなく行動の男であるシュヴァルは、時にコミュニケーション障がい者に見えてしまう。しかし、意思疎通に多少の問題があるからと言って木石であるとは限らない。喜怒哀楽の表現がないからといって、喜怒哀楽を感じないわけではないのだ。そんな男が全身で悲しみを表現する様には胸を打たれた。そんな男が愛を伝えられなかったことを悔やむシーンには胸が潰れた。

 

このような朴念仁と出会い、愛し合い、添い遂げた女性をレティシア・カスタは好演した。シュヴァルがこねたパン生地をひょいとつまみ食いするフィロメーヌに愛おしさを感じない男がいるだろうか。さらに妊娠が分かった時の、体を横向きにしたシルエットとその時の誇らしげで嬉しそうな表情は、『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』で、エリザベス女王が衣服をたくしあげて、自分の膨らんだお腹のシルエットを何とも言えない表情で眺めていたシーンと残酷なコントラストになっている。フランス映画の女性=脱ぐ、という誤った観念を抱いていたが、本作によって「さすがは芸術の国、フランスである」との思いを取り戻した。

 

終盤に写真を取るシーンがあるが、そのシーンでは秒間のコマ数を大幅に減らして、カクカクの動きを実現。20世紀初頭の雰囲気を生み出していた。

 

『 ショーシャンクの空に 』のアンディのような忍耐力と、『 マーウェン 』のマークの構想力と想像力を備えた、フランス版『 鉄道員(ぽっぽや) 』の伝記物語である。拝金主義に塗れた現代の職業人は、このシュヴァルという男の生きざまに思わず襟を正してしまうことだろう。伝記映画の傑作である。

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ネガティブ・サイド

妻フィロメーヌの老け具合が今一つである。シュヴァルのメイクアップには力を入れているのに、妻フィロメーヌのメイクアップに力を入れないのは何故なのか。もちろん、あの時代のあの地域の女性が化粧をしていたと思えない。だが、年齢相応に見せるためのメイクは化粧ではない。フィロメーヌに加齢メイクが施されていないことで、劇中でシュヴァルがばかりが年齢を重ねているように思えるシーンがあり、そこは不満だった。

 

映画そのものへのケチではないが、副題の【ある郵便配達員の夢】という部分は必要だろうか。シュヴァルが理想宮の建造に費やした時間の多くで、すでにシュヴァルは郵便配達員を引退していたはず。この副題は、まるで韓国ドラマ『 宮廷女官チャングムの誓い 』のようである。チャングムは女官時代より医女時代の方が遥かに長かった。本作もシンプルに『 シュヴァルの理想宮 』で良かったのでは?

 

総評

フランス産の小説は10~20代の頃に少し読んでいた。フランス産の映画、またはフランスやフランス人についての映画も今後はもっと観てみたいと感じるようになった。『 コレット 』のような、華々しい都を舞台にした話ではないが、片田舎の愚鈍で愚直な男の人生もこの上なくドラマチックになりうると証明してくれる作品である。フランス映画はヌードがお約束、というJovianの蒙昧と偏見を本作は打破してくれた。あらゆる世代にお勧めできる感動的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

Au revoir

無理やり発音をカタカナ化すれば「オルヴォワール」か。フランス語で「さようなら」の意である。冒頭の埋葬のシーンで牧師だか神父だかが「お別れを言いましょう」と言った時に聞こえてきた。フランスに旅行した時、あるいはフランス人と話す時に使ってみようではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, ジャック・ガンブラン, ヒューマンドラマ, フランス, レティシア・カスタ, 伝記, 監督:ニルス・タベルニエ, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

『 エクストリーム・ジョブ 』 -会心の韓流コメディ-

Posted on 2020年1月6日2020年1月6日 by cool-jupiter

エクストリーム・ジョブ 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:リュ・スンリョン チン・ソンギュ
監督:イ・ビョンホン

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イ・ビョンホンが監督だと知って、「テレビドラマ『 美しき日々 』や映画『 マグニフィセント・セブン 』の俳優イ・ビョンホンが監督デビューしたのか」と思ったら、さにあらず。同姓同名の別人だった。だが、そんなことは全く関係なく本作は面白い。

 

あらすじ

コ班長(リュ・スンリョン)は、マ刑事(チン・ソンギュ)ら個性的過ぎる面々を率いて麻薬捜査を行っていたが、成果が上がらない。後輩には先に出世され、チームも解散の危機に。そんな時に、裏社会の大物が関わる麻薬取引を捜査することになる。張り込みの為にチキン屋を買い取るが、マ刑事がとっさに考案したカルビ用のタレとフライドチキンを合わせたメニューが大ヒットしてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』のような、笑いの中にシリアスさがあり、シリアスさの中に笑いがあるような作品ではない。本作は徹頭徹尾、笑いを取りにきている。刑事が勤務中に副業にいそしむコメディとしてはハリソン・フォード主演の『 ハリウッド的殺人事件 』(このタイトルは誤訳。正しくは『 ハリウッド殺人捜査課 』か『 ハリウッド殺人課 』だろう)があるが、そちらのスラップスティック具合よりも遥かに突き出て面白い。

 

オープニングのシークエンスから笑わせてくれる。麻薬をやっているちゃちなチンピラを捕まえるために颯爽と登場・・・しないのである。それだけではなく、相手を取り逃がし、捕まえたと思ったら、またも取り逃がし・・・ 『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭のシークエンスと真逆の進行であると言えば、その間抜けっぷりが伝わるだろうか。人の見た目や街並みが日本にそっくりでも、そこは厳然たる外国。日本人のような「武士は食わねど高楊枝」とはならない。メシをおごると言われれば、コ班長は後輩にだってホイホイとついていく。チームの面々も彼に続くことは言うまでもない。鶏料理屋を始めたあたりからマ刑事とジェフンのコミック・リリーフっぷりはさらに加速していく。そしてコ班長の家庭人としての顔。泣かせると同時に笑わせてくれる。『 国家が破産する日 』の町工場のガプス負債・・・ではなく夫妻のような心暖まるベテラン夫婦でありながら、そこからも容赦のない笑いを生み出してくる。このユーモアは独身者には分かるまい。既婚者は、笑いながら、背筋がうすら寒くなること請け合いである。また愛娘とも素晴らしい関係を築いているが、娘の小さい頃の夢にも爆笑必至である。とにかく班長がこうなのだから、その班のメンバーも推して知るべしである。どいつもこいつも一級のコメディアンである。

 

こんなダメダメな連中がどうやって大捕物を成し遂げようというのか。そこには絶妙の仕掛けがある。鶏肉を揚げているだけでは、連中が来店してくれるのをひたすら待つだけになる。しかし、宅配サービスをすれば、連中のアジトにすんなりと入り込めるではないか。その時に、あれをこうして、これをああして・・・という作戦会議に、やっと真面目に仕事をするのかと思いきや、ここでもストーリーは意外な方向へ。いったいどうやって収拾をつけるのかと考え込んだが、ここまでの全ての描写や演出に意味があったのである。そう、相手が麻薬取引の大物であることも、フライドチキンの味付けがカルビ用のタレであることも、その店がデリバリーを行うことも、全ては周到に計算された必然的な設定だったのである。Jovianはこの展開に、はたと膝を打った。脚本のムン・チュンイルの何という手練手管か。

 

クライマックスのアクションシーンは圧倒的である。中盤にも部屋住みのような連中同士のバトルがあったりするが、格闘の一瞬一瞬がかなり痛そうである。つまり、それだけ迫真の演技になっている。また敵方に女格闘家がいるが、フルコン空手を本気でやったらこうなるのかという圧倒的な強さ。土屋太鳳や山本舞香もなかなかのアクションスターだと思っているが、いかんせん手足の長さが・・・ まるでキム・ヨナと浅田真央の関係のようである。技術的に大きな差は無くても、すらりと伸びた四肢の分だけキム・ヨナの方がどうしても見映えがよかった。日本でもスレンダーでありながら、ハードな格闘アクションをこなしてくれる女優の登場を期待したい。

 

ダメダメだった班のメンバーがやっと本領を発揮する。面白いことに班の面々にテコンドー使いがいない。日本やタイの国技を披露してくれる。それは本作が自国の外のマーケットを意識しているからだろう。事実、非常に流暢な日本語が聞こえてくるシーンもあるし、アメリカや中国を軽くおちょくるようなシーンもある。素晴らしいサービス精神であり、フロンティア精神である。韓国で記録的な興行収入を揚げた・・・ではなく上げたのも納得である。

 

鶴橋で焼肉も良いが、鶏料理も捨てがたい。今度、サムゲタンを食べられる店にでも繰り出すとしようか。

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ネガティブ・サイド

警察署長がムン・ジェイン大統領に似ているのは偶然なのか、何か政治的な風刺なのだろうか。その割りには大した見せ場を作れていなかった。やるならきっちり政治も笑いに昇華してほしいものである。

 

全体を通して、BGMの音量が通常の映画よりもかなり大きかったように感じた。韓国映画だとこんなものだろうか。いや、世界的なマーケットを視野に入れているのであれば、BGMの音量などもグローバル・スタンダードを意識して調節すべきであると思う。本作はかなり耳を消耗させる。

 

総評

笑いに国境はないのだと感じる。同時に、コ班長の生き様にも痺れる。家庭人としても職業人としても、一人の中年男性としても、このような人間でありたいとほんの少しだけ憧れた。夫婦で観ても良し、カップルで観ても良し。新春から大いに笑おうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クレド

「けれど」、「だけど」、「しかし」などの逆接の接続詞。韓国ドラマや韓国映画でも最頻出の言葉である。日本語の「けれど」に発音がそっくりなので覚えやすい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, コメディ, チン・ソンギュ, リュ・スンリョン, 監督:イ・ビョンホン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エクストリーム・ジョブ 』 -会心の韓流コメディ-

『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

魔眼の匣の殺人 60点
2020年1月3日から1月4日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

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『 屍人荘の殺人(小説) 』はそこそこ面白かった。映画化された『 屍人荘の殺人(映画) 』は、とある重要なバックグラウンドの情報を削除してしまっていた。これは、あわよくば映画の続編が製作されれば、そこでその存在を明らかにし、もしも映画が売れなければ一作完結できる形を狙ったのだろう。多分、続編たる本作は映画化されないように思われる。映像化のハードルが相当に高い部分がある。

 

あらすじ

オカルト雑誌の記事から斑目機関の手がかりらしきものを掴んだ葉村譲と剣崎比留子は、真雁という土地を訪れる。そこはサキミという予言を司る老女に支配された土地だった。サキミによると11月の最後の2日の間に、男女二人ずつが真雁で死ぬという。そこに、もう一人、予知能力を持つという十色真理絵という高校生もやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

ホワイダニットととしては、なかなかの力作である。ミステリというジャンルにおいて“ハウダニット”は限界に達しているからである。そのことは『 屍人荘の殺人(小説) 』でも触れた。本作でもハウについては、そこまで追求はしない。やはり“ホワイ”が重要である。その意味では、今回の犯人の犯行動機はよく練られていると感じた。詳述はできないが、こういうタイプの人間は我々の身の回りにたくさんいるはずである。我々がそれに気づいていないだけである。

 

劇中にある人物の手記が挿入されているが、その内容が読ませる。鍛えられたミステリファンならば、日記や手記の類に直接話法が使われているところに最大限の注意を払うのが習慣になっていることだろう。竹本健治や北村薫、または島田荘司の作品の愛好家ならば尚更だろう。そうした意味では本作の手記は非常にフェアで、読み応えもある。

 

比留子と葉村の関係も健全な形で発展中のようである。前作のような「ちゅー」とかいった描写ではなく、人間的に深みが生まれたということである。死者を悼む心を持つ。生きていくことに困難さを見出す。まるで『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』のようである。かといってラノベのような萌え描写もないわけではない。十色と茎村という二人の高校生ペアは、間接的にではあるが比留子と葉村の関係を映し出している。かかあ天下的なカップル、あるいはJovianのところのような婦唱夫随の夫婦は大いに納得させられることだろう。

 

今作もやはりホワイダニットものである。しかし、ハウの部分にも新しいアイデアが込められている。詳しくは書けないが、古いネタ同士をくっつけるという、ある意味でこの著者が前作で行ったような手法がここでも繰り返されている。一つはフレドリック・ブラウンの有名な小説であり、もう一つは『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』のレビューで白字で記した、とある小説および邦画のトリックである。これはかなり刺激的で上手いと感じた。

 

ネガティブ・サイド

予知や予言という超自然的な能力をモチーフに使うのは構わない。前作はゾンビ祭りだったのだから。しかし、予言の自己成就的な展開を持ち出すというのはフェアではない。自己言及矛盾に陥る。また、比留子というキャラクターの重要な構成要素である、“事件を呼び寄せてしまう体質”が本作では薄まってしまった。呼び寄せるのではなく、自分から出向いているからだ。

 

古典的なミステリで最も重要なものとは何か。それは死体である。だが、本作では最初の犠牲者の死体があがらない。というか埋まって掘り起こせない。もちろん状況的にはほぼ間違いなく死亡しているのだろうが、ミステリの大原則はとにかく死体なのである。その死体の存在を確定的に描かないことで、絶対に外れないとされるサキミの予言の説得力が弱まる。少なくとも自分にはそのように感じられた。また、このご都合主義的描写によって、後半の比留子の消失(ネタばれでもなんでもない、目次に【 第四章 消えた比留子 】とある)にサスペンスが生まれてこない。

 

また、ポジティブ・サイドで触れた犯人のとある心的特徴であるが、(→犯人に関するネタばれ)そこまで強い思いを抱いているのであれば、Jovianであれば絶対にバイクから降りる時にお守りを手放さない。うっかりミスは誰にでもあるが、「ド田舎だから置き引きにあう心配はない」と言われた程度で安心するというのは、どう考えてもおかしい。これもご都合主義である。心理的に~~~である、という条件設定の不条理さについては『 屍人荘の殺人(小説)』レビューでも述べた通りである。描写の巧みさは認めるが、設定の一貫性の無さは評価できない。

 

総評

第三作の刊行も明示されているが、どのようなスーパーナチュラル要素と本格要素を組み合わせてくるのだろうか。過去の大量殺人にまつわる何かになりそうだが、条件付きテレポーテーションやらテレキネシスだろうか。それとも強烈な催眠、マインド・コントロールあたりか。そして本作は果たして映像化できるだろうか。『 ビブリア古書堂の事件手帖 』みたいになりそうで少々不安である。『 屍人荘の殺人 』を面白いと感じた人なら、読んでも損はしないだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

アニー・イン・ザ・ターミナル 30点
2019年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー サイモン・ペッグ デクスター・フレッチャー
監督:ボーン・ステイン

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前々から気になっていたので、TSUTAYAで準新作になったので早速レンタル。マーゴット・ロビーとサイモン・ペッグに惹かれたが、中身はイマイチであった。

 

あらすじ

ロンドン地下鉄のとあるターミナルの24時間営業カフェで働くアニー(マーゴット・ロビー)は、地下クラブで働くコールガールでもあり、フィクサーの下で街のトラブルを裏で解決する仕事人でもあった。彼女の真の狙いは・・・

 

ポジティブ・サイド

マーゴット・ロビーの怪演とサイモン・ペッグの熟練の演技ぐらいしかい観るべきものはない。赤のストロボライトの明滅の合間に妖しい笑顔と平然とした表情を織り交ぜるのは絵としては良かった。

 

またロンドンは20km離れれば、日本で言えば200km離れたぐらいに違う言葉を話すと言われているが、劇中では確かにそのように感じられた。殺し屋稼業の二人組とサイモン・ペッグ、夜間管理人の男たちは、同じLondonerでも、日本で言えば大阪弁と岡山弁ぐらい違う言葉を話していた。

 

ネガティブ・サイド

クリシェだらけである。

 

時系列を狂わせて物語を見せるのは『 市民ケーン 』以来の一つの型であるが、そのことが結末の驚きにつながってこない。というか、それなりに型破りな見せ方をするのであれば、結末にもっとアッと驚く仕掛けを持ってきてほしい。邦画の『 イニシエーション・ラブ 』の方がはるかに優っている。

 

また『 グッドウィル・ハンティング 』以来、掃除人には何かがあると考える癖が映画ファンにはついてしまった。またはテレビドラマ『 家なき子 』の庭師のじいさんでよいだろう。こうしたjanitorは往々にして見かけ以上の役割を担っている。

 

また、地下世界への案内人が白ウサギという“アリス”以来の伝統にも変化球が必要である。『 マトリックス 』のように、ウサギはウサギでも、ウサギっぽくなさそうなキャラを用意すべきである。うさ耳カチューシャをつけたコールガールというのは、あまりにも下品である。

 

なによりもクリシェなのはアニーそのものに仕込まれたトリックである。まさか2010年代にもなってこのようなネタを使ってくるとは、脚本家は何を考えているのか。せめて『 シンプル・フェイバー 』ぐらいの変化球を放るべきである。このような手垢のついたトリックはもはや害悪である。そういう設定で観る者を驚かせたいなら、邦画『 キサラギ 』や同じく邦画『 アヒルと鴨のコインロッカー 』を参考にすべきだろう。

 

総評

はっきり言って観る価値はない。マーゴット・ロビーの熱烈なファン以外に勧めることはできない。といっても、マーゴット・ロビー信者でもこのプロットには腹を立てると思われるが・・・ 中盤まではひたすらに眠くなるような展開なので、一種の睡眠導入剤にはなるのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

have bigger fish to fry

実は今作で初めて耳にした表現である。しかし、ストーリーの文脈から意味はすぐに分かった(アニーは ”We got bigger fish to fry.” と言った)。直訳すれば「揚げるべきもっと大きな魚がいる」だが、その意味は「もっと大事な用事がある」である。調べてみたところイギリス英語らしいが、コンテクストが明らかであればアメリカ人にも通じると思われる。フィッシュ&チップスのお国らしい、面白い表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, イギリス, サイモン・ペッグ, ハンガリー, マーゴット・ロビー, ミステリ, 監督:ボーン・ステイン, 配給会社:アットエンタテインメント, 香港Leave a Comment on 『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

Posted on 2020年1月3日 by cool-jupiter

リバーズ・エッジ 65点
2019年1月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:吉沢亮 二階堂ふみ 森川葵
監督:行定勲

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2018年に劇場で見逃してしまった作品。決して二階堂ふみのヌード目当てではない。『 チワワちゃん 』原作者の岡崎京子の作品であるということに惹かれたのである。

 

あらすじ

若草ハルナ(二階堂ふみ)は、いじめられっ子の山田一郎(吉沢亮)をひょんなことから助ける。そのお礼に山田の宝物である、川原の死体を見せてもらうことになる。そこから、闇を抱える高校生たちの物語は徐々に暗転し・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ママレード・ボーイ 』、『 BLEACH  』、『 あのコの、トリコ。 』という、2018年の邦画20点トリオの全てに出演してしまった吉沢の、これはベスト(当時)である。吉沢のキャリアハイは『 キングダム 』だと思うが、本作はそれに次ぐパフォーマンスである。無表情で、ぶっきらぼうな口調で話す。そして基本的に他者と目を合わさない。そのことが終盤のあるカットで大きな効果をもたらす。

 

時折映し出される工場廃水や煙、オゾン層破壊のニュース、そして携帯電話が普及している気配がないところから、舞台は1990年代の半ばだろうか。当時の空気では、同性愛は個性ではなく疾患、障害(敢えてこの字を使う)、異常と考えられていたように思う。そして、いじめによって中学生がどんどんと自殺をしていた時代でもあった。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』もこの頃だったか。本作に登場する若者達は皆、リビドーとデストルドーの狭間にたゆたう、とても儚い存在だ。そのことは随所に挿入されるドキュメンタリー風のインタビューで問われる、「生きていることの実感はあるか?」との問いに対する応答に、ぼんやりと表れている。「生きる」という行為もしくは状態は、心臓が動いているだとか呼吸をしているという生理現象とイコールではない。仕事で疲れ切っている時、ひとっ風呂した後のビールで「生き返ったような気分」になる、そういった体験が「生きる」ということである(高校生に飲酒を推奨しているわけではない、念のため)。その意味では、死体=宝物と認識する若者3人の奇妙な絆には、妙な説得力がある。

 

全編これ、キラキラとまばゆい青春映画とは全く違う、ドロドロのドラマの連続である。だが、それもまた青春の一つの形だろう。アスペクト比4:3の映像が、古さを思い起こさせる。ちょうどDVDレコーダーの出始めの頃、VHSをDVDに移したりしていたことを思い出した。エンディングのポエムのシーンはフルサイズである。つまり、生きづらさは過去だけではなく現在にもある、普遍的なサムシングなのですよというのが行定監督と岡崎京子のメッセージなのだろう。Jovianはその見解に賛成である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら主要な登場人物のほとんどが高校生に見えない。『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』ではメイ・ホイットマンがアラサーにして女子高生を演じたが、彼女はかなりの幼児体型なのでそれなりに説得力があった。だが小山ルミを演じた土居志央梨に高校生を演じさせるのは無理がある。彼女は悪い役者ではないが、制服を着て学校にいるだけで、とてつもない異物感を放っている。もちろん、多様なセックスシーンやフェラチオシーンなどを未成年に演じさせるのは難しいだろうが、『 惡の華 』における秋田汐梨のような素材は探せば見つかったのではないだろうか。本作のテーマの一部は、セックスでしか陳腐な承認欲求を満たせない若者の存在である。だからといって、セックス描写に力を入れる必要はない。いかに薄っぺらいセックスをしているのかを伝えるだけで充分で、必ずしもそれを見せる必要はなかった。極端な話、脱ぐのは二階堂ふみだけで良かった。

 

また、その二階堂ふみは煙草を吸い過ぎである。いや、それは構わない。Jovianもかつては喫煙者だった。だが、一度高校生の時に自室のゴミ箱をかなり焦がしてしまい、父親にしこたま怒られた。当たり前である。それ以来、止めはしなかったものの、煙草が怖くなったものだ。そのため、煙草の火の不始末をしでかしたハルナが、煙草をポイ捨てしまくるのには、かなりの嫌悪感を抱いた。

 

総評

暗い青春を送った人にお勧めである。というのは冗談で、若者よりも、むしろ青年や壮年が我が身の青春を振り返ってあれこれ考えるのに適している気がする。雨の日の室内デートにはあまり向いていないので、高校生や大学生カップルは注意されたし。逆に1990年代に高校生だったという層には刺さるだろう。Jovianには一部チクリと刺さった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re annoying.

一郎がガールフレンドの田島に「うるさいなあ!」と切れる時の言葉である。うるさい=noisyなどと短絡的に結び付けてはいけない。ここでは、うるさい=ウザい、である。そして、ウザい=annoyingである。Annoyingはかなり強い不快感を表明する言葉なので、使用する際には注意が必要である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 二階堂ふみ, 吉沢亮, 日本, 森川葵, 監督:行定勲, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

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