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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

Posted on 2020年4月19日 by cool-jupiter

悪女 AKUJO 80点
2020年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・オクビン
監督:チョン・ビョンギル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200419233311j:plain
 

劇場公開当時、心斎橋シネマートに行こう行こうと思いつつも、スルーしてしまった作品。近所のTSUTAYAでやっと準新作から旧作扱いに。満を持してレンタル。うーむ、韓国映画界では良い意味で頭のおかしい才能が育つのだなと感心してしまった。

 

あらすじ

スクヒ(キム・オクビン)は、殺し屋として自分を育てたジュンサンを愛し、結婚する。だが、そのジュンサンが敵対組織に暗殺されてしまう。復讐の鬼と化したスクヒは、敵アジトに乗り込み、数十人を皆殺しにする。逮捕されたスクヒは、その戦闘力から国家情報機関の手先として10年間働くことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の1分間はまるでFPS(first person shooter)のゲームである。ゲームセンターにあるゾンビを撃ち殺しまくるアレである。次の1分間は一人称視点での『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で冴羽獠がジェロム・レ・バンナらを相手に大乱闘を繰り広げたシーンの屋内版である。そこからナイフバトルが1分間。逆手でナイフを使うのは『 96時間 』へのオマージュか。そして徒手空拳バトルが1分間。ブラック・ウィドウ的な黒のタイトスーツで、鉄棒を使ったジャッキー・チェン的アクションを彷彿させる。オープニングの掴みのシークエンスとしては、近年では『 ベイビー・ドライバー 』に次ぐものであったように感じた。

 

その他のアクションも楽しい。『 ニキータ 』や『 ジョン・ウィック 』的な、スタンディングのガン・アクションに、どこからどう見ても『 キル・ビル 』へのオマージュとしか思えない花嫁姿での銃撃。本作には古さと新しさが同居している。

 

個人的に最も面白いと感じたのは、高速走行バイクでの日本刀バトル。特に数台のバイクがカメラを一気に追い越したところを180度パンした瞬間に、視点がバイクと同じ高速移動に移行するシーンは、まさに観る者に疾走感を味わわせてくれる。そして漫画としか思えないような走行中のバイク同士のチャンバラ劇。最近リメイクが発売されたゲーム『 ファイナルファンタジーⅦ 』のバイクバトルを思い出させてくれた。日本刀を前輪ホイールに突き刺してバイクを止めるのは『 デッドプール 』へのオマージュか。そうそう、バイクのシーンではないが『 アトミック・ブロンド 』的なロープ・アクションもあった。

 

最終盤には邦画『 初恋 』がアニメーションでお茶を濁してしまったクルマの大ジャンプを敢行。そして、小説『 ブラック・プリンス 』に漫画『 シティーハンター 』、映画『 スター・ウォーズ 』が何度も繰り返し描いてきた師弟対決、そして親子対決(厳密には本作は夫婦対決だが、エンタメで分類すれば親子対決だろう)。ボンネットからクルマを運転するという狂気のカーチェイスからバス車内に飛び込んでの大乱闘は、手に汗握るを超えて笑うしかない仕上がり。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが金づちなら、本作のキム・オクビンは手斧。『 The Witch 魔女 』のジャユンに並ぶ韓流女性ダークヒーローの誕生である。『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』で、Birds of preyに入れてもらえるだろう。いや、逆に喧嘩になって皆殺しにしてしまうかもしれない。ハリウッドあたりが『 ジョン・ウィック 』ならぬ『 ジェーン・ウィック 』みたいなパロディを作ってくれないから。

 

ネガティブ・サイド

アクションはどれもこれも秀逸だが、同じ女性工作員との木刀バトルのシーンだけがイマイチだった。もっと尺を長く取るか、あるいは額から流血ではなく、腕や足に内出血させるような、観ているこちらが痛みをリアルに想像してしまうような演出が欲しかった。木刀とは、流血させるというよりも、打撃でダメージを与える武器だろう。

 

女衒としての諜報活動を見破られるシーンで、妙な血しぶきのかかり方があった。目の前で向かい合っている仲間が後ろから首を切られたのに、その返り血が正面にいるスクヒの顔にまともに当たっていたが、これはおかしい。仕込みの血袋からCG処理まで、韓国映画らしい血みどろの演出に凝っていたが、このシーンだけは決定的におかしいと感じた。

 

それにしても我々は『 ユージュアル・サスペクツ 』以来、足をひきずって歩く男を信じられなくなってしまった。邦画の『 愚行録 』しかり。このあたりはクリシェが過ぎたように思う。

 

ストーリーもあってないようなもの。古今東西、死ぬほど量産されてきた「死んだはずの奴が生きていた」と「出会ってはいけなかった二人」の物語のちゃんぽん。闘って何が解決するのか分からないが、闘わないことには何も解決しないというWWE的なノリで進んでいく。薄っぺらいのだ。しかし、孔子曰はく「備わらんことを一人に求むるなかれ」である。

 

総評 

日本でもリメイクすべし。スクヒは戸田恵梨香。クォン部長は真飛聖。ジュンサンは筧利夫。ヒョンスは大谷亮平。監督は、アイデア豊富な一点突破型の新人を思い切って抜擢すべし。上田慎一郎的な、一つのテイストに秀でた才能は日本にも眠っているはず。そうした在野の士を辛抱強く掘り起こしていくことが今後の邦画界に求められる。無難にまとまった作品はいらない。一芸に秀でたタレントを発掘し磨くべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カジャ

軽く「さあ、行こう」みたいな場面でたびたび使われている。調べてみたら、やはりその通りの意味だった。言葉の意味はいきなり調べるのではなく、状況から類推する癖をつけておこう。語彙力=既知の言葉の量+未知の言葉の意味を推測する力、である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, キム・オクビン, 監督:チョン・ビョンギル, 配給会社:KADOKAWA, 韓国Leave a Comment on 『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

『 ちょっと今から仕事やめてくる 』 -生きていれば何とかなる-

Posted on 2020年4月19日 by cool-jupiter

ちょっと今から仕事やめてくる 60点
2020年4月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:工藤阿須加 福士蒼汰 黒木華 吉田鋼太郎
監督:成島出

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200419130523j:plain
 

原作小説を買って、そのまま積読にしてしまっていた。先にDVDを観てしまおうと決断。Jovianも去年、会社を辞めて転職したので、それなりの期待をもって鑑賞した。

 

あらすじ

広告代理店の営業の青山(工藤阿須加)は、ブラックな職場環境・上司によって精神的に疲弊していた。自ら線路に落ちようとしたところ、小学校の同級生の山本(福士蒼汰)に助けられる。意気投合した二人は飲みに行く。そこから青山は少しずつ明るさを取り戻し、仕事でも成果を出せるようになってきたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 』は、最後には先輩社員も怒鳴りながらも仕事に協力してくれた。一方で、本作で職場をブラックにしているのは、先輩社員ではなく部長。そこにある力関係の差はさらに大きい。Jovianは、管理職が怒鳴るだけではブラック企業とは認定できない。Jovianの幼馴染のブラック企業の定義を引用させてもらうと、「ブラック企業とは、お客さんからではなく従業員から儲ける企業である」。つまり、休日出勤や時間外労働をさせる、罰金を取る、有給休暇を取得させない、経費を出さない&給料から差っ引く、などなどである。青山の職場はこれらが漏れなくそろっている。間違いなくブラック企業である。暴力や暴言は認められるべきでも許されれるべきでもないが、それに値するミスをやらかしてしまうことはありうる。問題はそれに対して、どのようなフォローを組織が行うのかである。その他にもPCのセキュリティがガバガバだったりと、企業研究映画としても少々興味深い作品である。

 

工藤阿須加の自然体に近い演技も悪くない。最近、韓国映画を立て続けに見ているせいか、心情がそのまま言動に出てくるストレートな演技との対比がよく見て取れた。青山の会社の社訓の一つに「心なんか捨てろ、折れる心がなければ耐えられる」というものがあった。これは洗脳に近い。無表情に虚空を見つめて立ち尽くす青山の姿には、山本ならずとも剣呑な雰囲気を感じ取ることだろう。青山の心の声に「俺、このまま壊れちゃうのかな」的なものがあったが、これは“すでに壊れている”者の声であると思ってよい。壊れてからでは手遅れである。壊れそう=壊れている、という認識で動かなければ、過労死や自殺は減らないのである。青山はブラック企業勤めのサラリーマンの悲哀をかなり上手に体現していたものと思う。

 

福士演じる山本のケアも評価できる。経済的な格差が拡がって久しいが、日本における貧困層は遥か昔から存在していた。Jovianは大学の授業の課題図書であった『 日本の下層社会 』を読んで、衝撃を受けたことを今でも覚えている。貧困の原因の多くは、家族の喪失であったり、障がいや疾病にあることを看破していたのだ。というよりも、国はそうした者たちへのセーフティネットを整備してこなかった、と言ったほうが良いのかもしれない(このことは、コロナ禍にあえぐ一般国民への支援体制をさっぱり構築できない現政府を見れば実感いただけよう)。『 ヘヴィ・ドライヴ 』にも描かれていたが、すでにこの上なく奪われた者たちから、さらに奪うようなことをしてはならないのである。その先にあるのは正の拒否しかないのだから。山本は青山を常に酒食に誘うが、これは非常に重要なことである。一つには、鬱のサインの一つに食欲減退があるということである。劇中でそのことが明示されるわけではないが、山本は明らかに青山のヘルプサインの有無にアンテナを張っている。もう一つには、関係を近づけ、コミュニケーションを円滑にするためである。『 RED  』で柄本佑が夏帆に「コミュニケーション取りやすくしとくのって重要だよ?」といけしゃあしゃあと言ってのけるシーンがあるが、これは蓋し真実である。また、飲食を共にすることが実際にそのような効果を持つことは『 食べる女 』や『 風の電話 』が明らかにしている。

 

山本の生き様は、格差や分断が固定してしまった日本社会対する一つのアンチテーゼとしての意味を有している。日本語では“仕事”という言葉で一括りにされるが、例えば英語なら、job, work, task, occupationなど様々に分類されている。「アメリカの野球はプレーだが、日本の野球はワークだ」と言った助っ人プロ野球選手もいたのである。生きていくうえで何をすべきか、それはvocation = 天職を得ることだろう。Vocationとは、「声に呼ばれること」という意味である。天の声でも内なる声でもいい。そうした声に耳を傾けて行う仕事がvocationである。同義語にcallingもある。山本と青山の交流の果てにあるようなcallingを、我々も日々の生活の中で少しずつ追求していきたいものである。

 

ネガティブ・サイド

非常に良い話であるが、やはり福士蒼汰の大阪弁がノイズであった。イントネーションはだいたい合っている。大阪弁を研究し、練習した跡は認められる。しかし、決定的にダメなのは、ほんのちょっとした長母音の使い方である。なんのこっちゃという方は、身近に大阪人(関西人でもよい)に「目」「歯」「手」を音読してもらおう。それぞれ「めぇ」、「はぁ」、「てぇ」となるだろう。大阪出身京都育ちのはずの黒木華が、このあたりは現場で指導してやることはできなかったのだろうか。大阪弁ネイティブではない人間に山本役を演じさせることで、山本という存在の背景情報が非常に胡散臭く感じられてしまう。そういう効果を敢えて狙う必要はない。ストーリーが展開していけば、自然にそうなるようになっているのだから。

 

Facebookの投稿の“Hello! Stage first day today.”という投稿もいただけない。英語に堪能な者にチェックを受けていないのがバレバレである。stage first dayなどというコロケーションは存在しない。おそらく機械翻訳にかけたのだろう。正しくは“Hello! It’s opening day today!”もしくは“Hello! It’s my play’s opening day today!”などとすべきである。ニューヨークで演出家というのは『 マリッジ・ストーリー 』におけるアダム・ドライバーである。英語がペラペラでなければ絶対に務まらない。ファンタジーなのは福士の山本ではなくこちらであろう。

 

原題も本当は「ちょっと今から会社やめてくる」であるべきなのだろう。会社はいくらでも辞めていいが、仕事は辞めてはいけない。青山の母もが「生きていれば何とかなる」と言ってくれていることの意味の一部には、「会社で働かなくても、仕事をすることはできる」ということも含まれているはずである。

 

山本の正体が明らかになる後半からは、ストーリーのテンポがかなり落ちる。妙なホラーテイストのシーンもちらほらあるが、それらはすべてノイズである。1時間5分ぐらいで話のトーンが大きく変わるが、それを1時間15分あたりに持ってきて、後半から終盤をもっと凝縮することができれば、カタルシスもより大きくなったかもしれない。

 

総評

軽いタイトルに重い内容である。しかし、2017年の作品であってもまったく古くないし、おそらく2025年に鑑賞しても古くならない内容だろう。現代では個の強さが求められるとビジネス誌やインフルエンサーは叫ぶばかりだが、それらが指すのは結局スキルであることが多い。そうではなく、自分の心の声、あるいは天の声に耳を傾けてみようではないかというのが、本作のメッセージの一つである。大学生や20代、30代の比較的若いサラリーマンにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What do you do?

よく「お仕事は何ですか?」=What do you do? のように説明・解説されているいるが、厳密に言えば間違っている。What do you do? というのは文字通り「今は何をしているの?」である。小学校の同級生と10年ぶり20年ぶりに再会すれば「うわっ、久しぶり!今、なにやってんの?」と尋ねるだろう。そして答えは「今は自営業やねん」とか「実は大学院に行ってる」だったりするだろう。What do you do? は、必ずしも仕事だけを尋ねる表現ではないのである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 工藤阿須加, 日本, 監督:成島出, 福士蒼汰, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ちょっと今から仕事やめてくる 』 -生きていれば何とかなる-

『 ヘヴィ・ドライヴ 』 -アメリカ下層社会の現実-

Posted on 2020年4月18日 by cool-jupiter

ヘヴィ・ドライヴ 65点
2020年4月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テッサ・トンプソン リリー・ジェームズ
監督:ニア・ダコスタ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200418185341j:plain
 

まずDVDのジャケットを作ったデザイナーおよびコピーライターに天誅を。原題は‘Little Woods’なのに邦題は『 ヘヴィ・ドライブ 』、しかも爆発をフィーチャーしたジャケットに、惹句が【 国境を越えろ! 世界一ヤバいブツを運べ! “運び屋”エンタテインメント 】である。運び屋の部分は確かにほんの少しだけ『 運び屋 』的な人間ドラマだが、その他は全部、誇大広告か虚偽広告である。

 

あらすじ

オリー(テッサ・トンプソン)はドラッグ所持のかどで保護観察処分に。その処分があと10日で解けるという時に妹のデブ(リリー・ジェームズ)が子どもを連れて現れる。しかも妊娠して。中絶を望む彼女に金銭的援助を与えるために、オリーはドラッグの密売稼業に戻るのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

デブを演じたリリー・ジェームズのやさぐれ感がいい。もちろんメイクアップアーティストやヘアドレッサー、照明の尽力あってのことだが、『 シンデレラ 』の頃の可憐さは一切なかった。そして『 ベイビー・ドライバー 』のデボラを思わせるデブ(Deb)という名前。本名はデボラ(DeboraまたはDebra)なのだろうが、『 ベイビー・ドライバー 』直後のデボラの末路、あるいは『 イエスタデイ 』でジャックが駅に来なかった世界のスピンオフを見ているようで、妙に物悲しく感じた。近年、スカーレット・ジョハンソンがママキャラへと見事な変貌を遂げたが、リリー・ジェームズにも役者としての転機が訪れている。社会の下層にいながら、それでも与えられることなく奪われる一方という境遇の悲哀を巧みに表現できていた。

 

主役のテッサ・トンプソンの静かな存在感も光る。トレイラーを走らせ、日雇い労働者的な男たちに食品や物品を都合する何でも屋を営む姿に、個の強さを見た。また前身が drug trafficker というのもアメリカ社会の闇を表していて、何とも言えない悲壮感と皮相な人生観を表している。生きるということは尊いことであるが、一方で生きることにはどうしようもない汚さやもある。ドラッグを売りさばいて得たカネで生計を立てるのは悪である。だが、そうしなければ生きていけない社会に誰がした?あるいは、下層に生きる人間の生には尊厳などないと言うのか。このあたりは『 ジョーカー 』が提起した問題であり、今なお解決を見ないし、今後も解決はされないだろう。

 

カネがいると言いながら、子どもの父親から受け取ったカネは投げ捨てる。衣食住の問題ではないと言いながら、衣食住を頑張って提供するというお腹の子どもの父親の言葉は拒絶する。一見するとデブの言動は支離滅裂だ。だが、「生きる」という営為の意味を真摯に見つめれば、そこに一定の答えが見えてくる。本作で衝撃的なのは、中絶を巡る姉妹それぞれの思いと人間関係だ。我々はよく妊娠、そして出産を崇高なものとして報じ奉る。一方で、自宅で出産したとか、誰にも妊娠を知らせることなく死産させてしまったというニュースが報じられるたびに、「なぜ周囲の協力や理解を得ないのか」と無責任に批判する。生が持つはずの尊さや崇高さが、別のものにかき消されていることに気づかない。タバコの紫煙を吐き出すデブの姿と、その姿に涙するオリーの姉妹の絆に、何とも言えないショックを受けた。『 イニシエーション・ラブ 』で前田敦子が「プハーッ!!」とビールを一気飲みするシーンがあるが、あのようなシーンの意味について我々はもっと思いを馳せるべきなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほんの少しで良いので、オリーとデブの母親が健在だった頃、またはオリーとデブの幼少期の回想シーンが欲しかった。姉妹と言いながらも、姉は黒人、妹は白人。複雑な背景があるのは分かる。長じてから疎遠になってしまった姉妹だが、心の奥底では通じ合えている。それはかつて、こんなドラマが二人にあったから・・・というベタな演出をちょっとでいいから観たかった。

 

カナダとの国境近くの町で偽造IDの仕事を頼むことになる野郎どもがクズである必要はあったのか。こういう奴らがダーク・ヒーローであるとは決して思わないが、少なくとも必要悪なのではないか。違法な仕事で身を立ててますが何か?と開き直るぐらいでよかった。こういうクズな若い男を出すのならば、『 ガルヴェストン 』で安モーテルを経営していたナンシー・コヴィントン的な老婆を出すべきである。そうでないとストーリーのバランスが取れない。

 

総評

何か普通に日本でもありそうなストーリーで、時に胸を締め付けられるような気持にすらさせられる。これをアクション・クライムドラマとして売り出している日本の宣伝広報担当の会社および担当者は腹を切るべきである。それができないならば眼科と耳鼻科を受診すべし。なぜなら本作を正しく観たり聞いたりできていないことは明らかだからである。巣ごもり中の映画ファンは、凡百のアクション映画と思うことなかれ。かなり深いヒューマンドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be natural.

オリーの保護観察官が、面接前のオリーにかける言葉。字幕は「自然体でな」だったか。TOEFL ITPのWorkbookで時々出てくるマジシャンのDai Vernonの有名なQuoteの一つに“Be natural, be yourself.”というものがある。思想家のラルフ・ワルド・エマーソンあたりが残していそうな箴言である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, テッサ・トンプソン, ヒューマンドラマ, リリー・ジェームズ, 監督:ニア・ダコスタLeave a Comment on 『 ヘヴィ・ドライヴ 』 -アメリカ下層社会の現実-

『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

Posted on 2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ(2014) 50点
2020年4月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョシュ・ブローリン エリザベス・オルセン シャルト・コプリー
監督:スパイク・リー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200415232244j:plain
 

『 オールド・ボーイ 』のハリウッド版リメイク。オリジナルとリメイク、両方見比べるのも乙なものである。邦画は韓国映画にいつの間にか置き去りにされてしまったが、ハリウッドはどうか。

 

あらすじ

うだつの上がらないセールスマンのジョセフ・デューセット(ジョシュ・ブローリン)は、いきなり拉致され、監禁されてしまう。そして、閉じ込められた部屋のテレビで、妻が殺害され、その容疑者が自分であることを知る。誰が、いったい何のために・・・ そして20年が過ぎた時、彼は突然解放されて・・・

 

ポジティブ・サイド

エリザベス・オルセンの濡れ場、これに尽きる。眼福であった。

 

で終わったら、レビューでも何でもないので真面目に書く。ジョシュ・ブローリンの起用は正解だった。2018年総括でジョシュ・ブローリンを海外最優秀俳優の次点に挙げさせてもらったが、サノスという史上最強級のヴィランを演じる男は、生身でも相当の強者でなければならない。暴れるのを見ていて違和感がなかった。また、険のある顔もいい。特に目当ての餃子を見つけて、確信を得るためにそれを貪り食う時の表情は、本家チェ・ミンシクに負けていなかった。

 

黒幕役に配するのが、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる『 第9地区 』のシャルト・コプリーというのも、趣があっていい。分かりやすい悪役というのはブリティッシュ・イングリッシュを話すか、あるいはロシア語訛りの英語を話すというのが、ハリウッドから決して消えないクリシェである(そのうち中国語訛りの悪役がわんさか登場するだろうが)。韓国版にあった、いつでも死ねるスイッチというやや意味不明なガジェットは削除。その代わりに、ボディガードを女性にすることで、薄っぺらい悪役との印象をさらに濃くすることに成功した。ジョセフに「タイムリミットまでに謎を解け」と迫るのも、小物感があってよい。裏で糸を引いている人間がちっぽけに見えれば見えるほど、計画の壮大さが際立つ。

 

アクション・シーンはなかなかの見ごたえ。街のチンピラではなく、アメフトのプレーヤーたちをなぎ倒していくことで、ジョセフのスーパー・パワーアップをきっちりと説明。オリジナルにあった廊下での大立ち回りは本作にも引き継がれ、金づちを使うアクションの量もアップ(その分、ボクシング要素はダウンしたが)。特に、その直前に『 ボヘミアン・ラプソディ 』で主演を張ったラミ・マレックが頭をカチ割られるシーンは痛快だ。オリジナルにはなかった『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュなのか、マレックが最後にかけられる言葉が「モンテ・クリスト伯」というのもなかなか面白い(『 ショーシャンクの空に 』では、”Count of Monte Chrisco”だった笑)。

 

オリジナルとは異なるエンディングも個人的には納得。オリジナルを鑑賞した時に「オ・デスはこうするのでは?」と思った行動をジョセフが取ってくれる。『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホの行動に相通ずるものがある。このあたりのアメリカ流の解釈は気に入った。

 

ネガティブ・サイド

えらくきれいなシロネズミがジョセフの監禁先に現れるが、そこはドブネズミだろう。スパイク・リーのセンスを疑う。また、オリジナルでオ・デスがエアロビのインストラクターや女性歌手に欲情したシーンも、こちらには輸入されず。代わりに定期的に差し入れられる酒を便器に流す日々。このあたりがアメリカの限界か。韓国映画が容赦なく描く人間の決して美しくないが、しかし本質的な面を描くのを巧妙に避けている。また、序盤でジョシュ・ブローリンが上半身裸で鏡の前にたたずむシーンがあるが、それもいらない。そういうシーンを挿入するのなら、痩せてあばらが浮いた体か、あるいはビール腹を見せてくれないと、監禁生活で体を鍛えまくった時とのコントラストが生まれない。このあたりもオリジナルに負けている。

 

またオリジナルの欠点でもあった、シャバに出てきた主人公が周囲の環境や新しいテクノロジーに馴染むのが早すぎるという点も解消あるいは改善されていなかった。20年も運転から遠ざかっていたら、そうそういきなりはクルマを乗りこなせないだろう。

 

クライマックスの迫力も弱い。監禁の真相を知らされたジョセフはとある自傷行為に出るが、イマイチである。躊躇なく相手の靴をベロベロ舐めまわし、情けなく犬になって尻をふりふりするオ・デスの方が遥かに衝撃的だった。

 

サミュエル・L・ジャクソンは・・・ミスキャストだったかな。サノスにへいこらするニック・フューリーに見えたわけではないけれど、この役にここまでの大物を配置する必要はなかった。

 

総評

オリジナルの『 オールド・ボーイ 』に軍配が上がる。ただし、アメリカ流の解釈も悪くはない。ますます日本版リメイクの制作が待たれる。残念ながら日本で長期にわたる拉致監禁事件は定期的に明らかになっている。今こそ日本流の新解釈が期待されるところだ。アメリカ版を先に観た人は韓国版を観よう。両方を観た人はJovianと同じように、日本版リメイク制作の機運を盛り上げようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hold still.

ジョセフがあるキャラを拷問にかける時に言うセリフである。「動くな」、「じっとしていろ」の意である。stillというのはなかなかに味わい深い語である。日本語でスチル写真やスチル画像というのは、このstillであり、その原義は「動かない」である。I still love you.=「I love youという状態は動いていない」=「僕はまだ君を愛している」というわけである。「まだ」と辞書に載っていることからyetと混同する人が多いが、still=動かない、というイメージで把握しよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エリザベス・オルセン, シャルト・コプリー, ジョシュ・ブローリン, スリラー, 監督:スパイク・リー, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

Posted on 2020年4月14日2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ 80点
2020年4月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チェ・ミンシク カン・へジョン
監督:パク・チャヌク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200414233705j:plain
 

心斎橋シネマートで韓国映画を観たいが、それもままならない。ならば近所のTSUTAYAの韓国映画コーナーで面白そうなものを借りてくるだけである。

 

あらすじ

オ・デス(チェ・ミンシク)はある日、突然誘拐され、以来15年間監禁されていた。部屋の壁を何とか削りながら、なんとか自力で脱出を果たせるかという時に、彼は突然解放される。途方に暮れるオ・デスは、しかし、自分を監禁した者への復讐を誓い・・・

 

ポジティブ・サイド

日本の漫画が原作ということだが、この映画のプロットと原作はどれくらい似通っているのだろうか。妥協しないバイオレンス・アクションと度肝を抜かれる展開に、2000年代の韓国映画の底力を見たような気がする。

 

あれよとあれよという間にオ・デスが監禁され、観る側はオ・デスと共に「何故?」「どこ?」「誰?」といった疑問を抱・・・く間もなく、オ・デスは復讐を誓い、ガムシャラに体を鍛え、『 ショーシャンクの空に 』のアンディのごとく、脱出を図る。そしていざ・・・という時に勝手に解放される。ここまでの展開のジェットコースター的なスピードよ。作る側は早くオ・デスを暴れさせたい、観る側は早くオ・デスが大暴れし、監禁された謎が解かれるのを見たい。両者の思いが見事にシンクロする。粗っぽく進行するのと、念入りに描写しながらもそのねちっこさを一切感じさせずスピーディーに進むのは全然違う。前者はアマチュアの仕事、後者はプロの仕事である。

 

シャバに舞い戻ったデスは、町のチンピラとの乱闘からイカの踊り喰いまで、監禁されていたとは思えないほどの健康的な振る舞いを見せる。いや、健康的というよりも、火山が噴火前にマグマをとことん溜め込むかのように、デスは監禁部屋の一室でマグマを内に溜め込んでいたのだ。デスとミドの出会いのシーンは一見して意味不明である。これもあれよあれよという間に話が進み、一気に恋仲になり燃え上がる二人になる。このあたりは昭和や平成初期の任侠映画や、アメリカン・ニューシネマの逃亡物のようである。それにしても、ミドを演じるカン・ヘジョンの何と官能的で魅力的であることか。『 RED 』の夏帆の2度目のラブシーンも艶めかしかったが、デスとのまぐわいは動物的と言おうか、愛情表現や濃密なコミュニケーションではなく、本能的につながってしまったという印象を強く受けた。美しいラブシーンではなく、荒々しいセックス。この演出が後々、二重の意味で効いてくる。一つはデスが自分を「獣にも劣る人間」と語るところ、もう一つは終盤のドンデン返しである。この計算された粗さと荒々しさというのがパク・チャヌク監督の持ち味なのだろうか。

 

アクションも楽しい。見ごたえがある。特に廊下の大立ち回りは、ロングのワンカットになっており、どれだけリハーサルを重ねたのか、心配になるほどの上々のクオリティ。何が素晴らしいかと言えば、ちゃんと主役の息が切れるアクションになっていること。これが例えばランボーやイーサン・ハント、ジェームズ・ボンドなら、息も乱さず雑魚を一掃するが、オ・デスはそうではない。テレビのボクシングを見様見真似で練習し、決して殴り返してこない壁を相手にパンチングを行い、妄想の中でスパーリングをこなしてきたのである。何人かを撃退したところでゼーゼーハァハァである。世間の評判はイマイチだったが、Jovianは同じ理由でシャーリーズ・セロンの『 アトミック・ブロンド 』を高く評価している。いくら主人公が強くても、息は絶対に切れるのである。それにしてもこの廊下の大乱闘の完成度の高さよ。特に、オ・デスが角材を右でガードしてからの左ストレートのカウンターを見舞う様は芸術的だ。

 

アクション以外の映像芸術面でも魅せる。デスが母校を訪ねるシーンも印象的。ホームページに映る校庭、そこで遊んでいる生徒たち、という動画が流れていると思わせて、そこにデスの乗る車が走って来るという映像のつなぎ方には唸らされた。セピア色の後者をかけるかつての自分を追いかけるシーンはベタな演出だが、謎解きの本質に迫る感じがしてグッド。手鏡と窓というガジェットの使い方も印象的である。それにしても、韓国というのは美女でも美少女でもどんどん脱ぐのだなと感心する。青春というのはキラキラと輝いている一方で、ドロドロの性欲に支配されている時期でもある。ついつい勢いでセックスしました、までは行かなくても過激なペッティングをしてしまいました、というのは説得力ある展開である。それもこれも、女優さんが文字通り一肌脱ぐから成立するんだよな。日本の二十歳前後の女優も頑張ってほしい。

 

終盤のドンデン返しは、箱の時点で感づいた。デヴィッド・フィンチャーの『 セブン 』以来、このような展開で箱を見ると中に最悪のものが入っているといやでも想像するようになってしまった。今作でもその予感は正しかった。うーむ、悔しいなあ。なぜ15年なのか。なぜ監禁者はデスを殺さなかったのか。なぜ監禁者は暴れまわるデスを一思いに始末しないのか。ここらあたりをとことん突き詰めて考えれば、人によってはあらすじから結末が読み解けるかもしれない。真相を知ったデスの振る舞いは、演技の域を超えてほとんど発狂した人間のそれである。イカの踊り喰いも、ある意味ではこの行動の前振りだったのか。ラストのデスの表情が物語るものは何か。『 殺人の追憶 』のソン・ガンホのラストの表情と並ぶ、渾身の顔面の演技である。やっていることは『 母なる証明 』の母に通底するものがあるのだが、これが韓国流の父性や母性の解釈なのだろう。人間の弱さや醜さ、汚さから絶対に目をそらさないという強さが、そこにはある。

 

それにしても本作の俳優さんたちは、なぜか日本の俳優に雰囲気がそっくりな人が多い。北村有起哉や中村獅童、千原せいじに水原希子などの顔がパッと浮かんできた。

 

ネガティブ・サイド 

15年ぶりに外の世界で出てきて、いきなり違和感なく携帯電話やパソコンを使うというのは少々疑問だ。この当時の携帯やPCは、『 スティーブ・ジョブズ 』が目指したような“子どもや高齢者でも直感的に使うことができるインターフェース”は実装されていない。テレビでプロダクトを見たからといって、いきなりそのまま使える代物ではない。解放された直後のオ・デスがもっと時の流れに戸惑うシーンが欲しかった。

 

欲を言えば、オ・デスが金づちをメイン・ウェポンに選ぶくだりをもっときっちりと描いてほしかった。DVDのカバーにもなっている、妖しいオーラを放つ不気味な中年が金づちを振りかぶっているという構図のインパクトは非常に大きい。このトレードマークとも言える金づちとデスの結びつきを示す演出が欲しかった。

 

総評

大傑作である。暴力も性も人間の業も、全てひっくるめてパーフェクトに近い。ハリウッドでリメイクされているが、これは日本版のリメイクも作るべきだ。というか、原作漫画は日本産なのだから、日本こそ本作を映画化すべきだ。制作委員会がガタガタうるさいのだろうが、日活あたりが腹をくくって制作費3~4億円ぐらいポンと出してくれないかな。主演は音尾琢真で、監督は三池崇史かなあ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アジョシ

「おじさん」の意である。劇中で何度も何度も使われるので、すぐにわかる。英語でも韓国語でもロシア語でも、語学学習で大切なことは“正しい文脈の中で学ぶ”ということである。そうした意味で、映画は語学学習の非常に大きな助けになってくれる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, カン・ヘジョン, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:東芝エンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

Posted on 2020年4月13日2020年9月20日 by cool-jupiter

エンドレス 繰り返される悪夢 65点
2020年4月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ミョンミン ピョン・ヨハン チョ・ウニョン
監督:チョ・ソンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200413221923j:plain
 

COVID-19の感染爆発の重大局面(というかすでに爆発してるでしょ・・・)により映画館はどこも休業。仕方がない。家のテレビでDVDやAmazon Prime Videoを観るしかないのである。家ではどうしても他に気を取られることがある。なので、軽めのシチュエーション・スリラーでも観るか、と本作を借りてきた。

 

あらすじ

外国帰りの心臓血管外科医のジュニョン(キム・ミョンミン)は娘との待ち合わせ場所に急いでいた。しかし、娘は交通事故により死亡。次の瞬間、ジュニョンはソウル到着前の機上の人に戻っていた。再び、娘の元に向かうジュニョンだが、やはり娘は死んでしまう。ループするたびに何とか手を尽くすがジュニョンはどうしても娘を助けられない。だが、そこのもう一人ループしている男、ミンチョル(ピョン・ヨハン)も加わり・・・

 

ポジティブ・サイド 

タイムループものは、タイムトラベルものや記憶喪失ものと並んで、出だしの面白さが保証されているジャンルである。ただし、話のオチをつけるのが難しい。その意味では、本作はかなり健闘している。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』と同じような展開、つまりだんだんと主人公がタイムループ現象を理解し、理詰めで少しずつ状況を打開していく流れは、説得力がある。

 

序盤のジュニョンの試行錯誤が、観る側が「ここで、こうしてみたら?」というアイデアとかなり一致するのは非常に心地いい。観ていてストレスになるようなアホな行動をジュニョンがとらないのもポイントが高い。成功しないと分かっていても、ジュニョンを応援したくなるのだ。チョ・ソンホ監督、なかなかの手練れである。

 

謎解き要素だけではなく、適度なアクションやカーチェイスもあり、単純に画面を眺めているだけでもそこそこ楽しめる。またネタバレを極力避けて書くが、本作を動かしていく三人の男たちの熱演は、相当数の男性の共感を得ることだろう。ある者は父親として、ある者は夫として、またある者は高い倫理観を備えたプロフェッショナルとして、彼らの物語を見つめるだろう。ヒューマンドラマとしても、一定の水準に達している。

 

ネガティブ・サイド

タイムループ現象に関して論理的な説明を求める向きには不適な作品である。例えば小林泰三の短編『 酔歩する男 』を読んで、「ふざけるな!」と憤慨するようなSFファンは決して本作を観るべきではない。

 

また一部のキャラクターが常軌を逸した行動をとり続けるが、そうした行動の過激さに眉をひそめるような向きにもお勧めはできない。というか、エクストリームさが特色の韓国映画全般に当てはまることだが、大袈裟な事柄を「大袈裟すぎる」として、現実的・理性的な描写を求めるのはお門違いである。

 

結構なゴア(血みどろ)の描写もあるので、耐性のない人は注意のこと。

 

総評

凡百のタイムループものかと思いきや、意外な掘り出し物である。『 殺人の告白 』からアクションシーンを極力減らして日本風に料理した『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ように、邦画界にはぜひ本作のリメイクにトライしてほしい。その時は『 ブラインド 』を見事に換骨奪胎して『 見えない目撃者 』を作り上げた森純一監督にメガホンを託したい。コロナで引きこもるなら、本作をウォッチ・リストに加えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ネガ

韓国語で「私が」「僕が」の意味である。韓流ドラマや韓国映画でしょっちゅう聞こえてくるのでご存じの方も多いことだろう。「ネガ+動詞」のパターンを身に着ければ、動詞のボキャブラリーを増やすだけで表現力も増す。語学学習の王道は、一定のパターンに一つずつ習熟していくことである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ミョンミン, サスペンス, スリラー, チョ・ウニョン, ピョン・ヨハン, ミステリ, 監督:チョ・ソンホ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

Posted on 2020年4月11日 by cool-jupiter

トガニ 幼き瞳の告発 80点
2020年4月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ
監督:ファン・ドンヒョク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200411141316j:plain
 

心斎橋シネマートに行くことができないので、近所のTSUTAYAでずっと気になっていた作品をレンタル。傑作であったが、鑑賞には精神的なスタミナが必要である。2時間の作品を全て観るのに、三日を要してしまった。

 

あらすじ

恩師の紹介で地方の聴覚障がい者学校に赴任した美術教師カン・イノ(コン・ユ)は、そこで校長や教諭による生徒への性的虐待や暴行が行われていることを知る。人権センターの活動家ユジン(チョン・ユミ)と共に、彼らを告発するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 岸和田少年愚連隊 』ならば笑い飛ばせるような教師から生徒への暴力も、聴覚障がい者への平手打ち連発やストンピングというのは笑えない。最初こそ憤りを感じたものの、だんだんとそれが恐怖に代わり、最後には吐き気になった。2時間5分の映画なのに、開始35分の時点で、もう観る側の精神はズタボロである。容赦のない体罰、いや暴力、虐待の嵐が吹き荒れている。そんなシーンの直後に挿入される無邪気な天使の笑顔。この落差は何なのだ。ここから勧善懲悪物語が本格的にスタートするのだという予想はしかし、見事に裏切られる。開始54分ちょうどで、ホラー映画的な展開に。初日はここで観るのをいったんストップしてしまった。近所のTSUTAYAで色々と借りてきたのはよいが、観る順番を間違えたようである。

 

それでもカン先生やユジンの尽力もあり、悪徳教師らを一気に逮捕。裁判に持ち込んだまではいいが、ここでも精神を削られる展開が。『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のオープニングで、車イスの軍人に「起立して右手を上げて宣誓しなさい」と軍事法廷の裁判官が述べ、瞬時に己の愚を悟り、謝罪するシーンがある。対照的に、本作の裁判長(野間口徹によく似ている)は聴覚障がいの傍聴人らに口頭で注意をし、「手話通訳をつけてほしい」と叫ぶユジンを容赦なく退廷させる。公正公平な裁判制度とは何なのか、慨嘆させられる。そして、見た目だけではすぐに分からない障がいの持ち主に対する配慮のあるべき姿についても考えさせられる。『 37セカンズ 』という良作が邦画の世界でも生み出されるようになってきた。今こそ『 レインツリーの国 』のようなファンタジー・ロマンスではなく、聴覚障がい者による骨太の人間ドラマの制作が待ち望まれる。

 

それにしても、暴力シーンにせよレイプシーンにせよ、子ども相手にここまでやるのかと心配になってくる。『 PERFECT BLUE 』の暴行凌辱シーンの撮影では、男優が未麻を気遣うシーンが見られたが、韓国の子役たちのメンタルケアは万全なのだろうか。まあ、万全だからこうして公開されているのだろうが、『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』が言うところの【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】である。少女が無理やり手籠めにされるだけではなく、男性が少年を“愛でる”シーンは、凡百のホラーよりもよほど恐ろしいシーンである。観ていて本当に胸が締め付けられるような苦しさを感じる。特にミンス役の子の泣きと嗚咽の演技には魂を持っているかれそうになった。障がいを持つ子どもの演技としては『 ギルバート・グレイプ 』におけるレオナルド・ディカプリオに並ぶと感じた。子役だけではなく大人も見せる。特にユン・ジャエ先生、怖すぎである。日本で同じレベルの狂気の演技にトライしてほしいのは市川実日子か。時にgoing overboardな韓国俳優の演技であるが、本作ではその過剰なまでの演技が物言えぬ子どもらとのコントラストを特に際立たせた。

 

クライマックスの法廷からエンディングまでは『 黒い司法 0%からの奇跡 』的な展開を期待させてくれる。そして我々は地獄に突き落とされるような気分を味わう。このような気持ちになったのは、カトリーヌ・アルレーの小説『 わらの女 』や江戸川乱歩の小説『 陰獣 』を読んで以来・・・というのは大袈裟かもしれない。だが、この報われないエンディングこそが、公開当時の韓国社会を突き動かす原動力となったのだろう。『 殺人の追憶 』もそうだが、優れた映画というのは商業的・芸術的な媒体には留まらないものなのである。

 

ネガティブ・サイド

主人公の動きがとろい。もたもたしすぎである。ネチネチと小言を言う母親との絡みも中途半端であるように思う。カン先生の父性を描写するために、敢えて父性の欠如を描くのは悪いアイデアではない。ただ、子どもを病弱にする必要はなかった。言葉はアレだが、カン先生の子どもは健常な健康優良児に設定すればよかった。

 

またカン先生の恩師の教授に、もっと善人っぽい顔の人をキャスティングできなかったのか。普通っぽい人であるせいで、恩師からのプレッシャーがカン先生にそれほど強く重くのしかからないように見えてしまった。

 

総評

社会性と娯楽性(良い意味でも悪い意味でも)を兼ね備えたコリアン・ムービーの傑作である。この映画の公開を機に、事件の再捜査と法整備がなされ、再審理も行われたという。現実の事件が映画となり、映画が現実に影響を及ぼす。韓国社会における映画がどういったものであるのかを垣間見ることもできる。作品としては、非常に素晴らしい出来であるが、repeat viewingをしたいとは一切思わない。それほど精神的にキツイ映画である。鑑賞前後にメンタルを整える準備をされたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ペゴパ

「おなか減った」の意である。語尾を上げて、ペゴパ?(⤴)とすれば疑問文にもなる。韓国旅行(2021年以降か)で地元の食堂などに入った時に使ってみようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, コン・ユ, サスペンス, チョン・ユミ, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』 -究極の共生を目指して-

Posted on 2020年4月10日 by cool-jupiter

ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 80点
2020年4月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジョン・チェスター モリー・チェスター
監督:ジョン・チェスター

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4月5日の19:30の時点で座席の売れ行きをHPで確認。何とゼロ!密閉空間ではあるが、密集も密接もしない。以前から気になっていた映画の数々を涙を飲んでスルーしているが、今回は地元の映画館に現金を落とすべく出動した。非国民と呼ばば呼べ。ちなみに劇場鑑賞者はJovian含め3人だった。

 

あらすじ

ジョンとモリーのチェスター夫婦は、愛犬トッドの鳴き声が原因でLAのアパートを出ることに。それを機に料理ブロガーであるモリーは、自身の古くからの夢である健康的な食材を自分たちで育てるという夢を実現すべく、投資を募り、アランというアドバイザーを得て、前代未聞の規模の有機農場を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

これは2020年屈指の名作である。ドキュメンタリーというジャンルに限定すれば、間違いなく年間ベストである。2020年がまだ3か月しか経過していない時点で、Jovianはそう断言してしまう。それほど、本作が観る者に与える示唆とインスピレーションは巨大である。

 

本作でジョンとモリーが作り出そうとする農園は、その精緻さとスケールにおいて『 サッドヒルを掘り返せ 』における共同円形墓地、『 マーウェン 』における架空の村マーウェン、『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』における壮大な宮殿に勝るとも劣らない。いや、生きた動植物を直接に扱っているぶん、モリー夫妻のファームの方が、発展させていくのはより難しいかもしれない。

 

本作の描くテーマは“共生”である。共生とは、人間と微生物、人間と虫、人間と動物、人間と植物、つまり大げさに言えば人間と地球の共生である。NHKのテレビ番組『 ダーウィンが来た! 』や『 サイエンスZERO 』で海底火山の噴火で拡大した西ノ島の様子が特集されていたが、そこでは鳥の死骸を虫が食べ、その糞と岩が細かく砕かれた砂が混じることで、植物を育てうる土壌が生み出されているとリポートされていた。チェスター夫妻、そして彼らのメンターのアランの行おうとしていることも、これと同じである。様々な生物 -牛や豚や鶏そしてミミズなど- らを不毛な大地に放ち、それらの糞尿で大地を文字通りに肥やしていく。まるで文明そして農業の歴史の曙光を見るかのようである。小説『 死都日本 』でも「これからは生ゴミや排せつ物の争奪戦が始まります!」という日本国総理大臣の勇ましい演説が聞けるが、このファームはまさにそうした食べて出して食べて出してのサイクルを見事に回している、まことに稀有な農場である。こうした発想の有機農法を、アジア人ではなくアメリカ人が発想し、そして実行していることに衝撃を受けた。

 

また、ビッグ・リトル・ファームの面積が200エーカーというのも驚きである。『 プーと大人になった僕 』で100エーカーの森が描かれたが、あの2倍の広さである。当然、チェスター夫妻が解き放った多種多様な動物たちだけではなく、野生の動物たちもやってくるわけである。そして農園になる野菜や果物が、動物たち、そして虫たちに食い荒らされる。卵を手に入れるために飼っているニワトリも、コヨーテに襲われる。人間が自然をコントロールするのは、やはりおこがましいことなのか・・・ だが、ここで奇跡が起きる。パズルのピースがすべてそろった時、我々は自然の全体像を知る。生きとし生けるものには、すべて役割があったのである。中には少々痛ましいシーンもあるのだが、それも『 野性の呼び声 』にリアリティを与えるものであろう。飼い犬のロージーは野性の呼び声を聞いたのである。

 

本作を観てつくづく感じるのは、天命は確かに存在するということである。そして、現代人の価値観(それは多くの場合、経済的な観念に支配されているのだが)では、カネを稼いでナンボである。だが、カネは手段であって目的ではない。目的は、幸福を生み出すことだ。そして究極の幸福は、夢の実現と他者との共生にある。本作は、そのことを教えてくれる。観る者に生きる勇気と希望を与えてくれる珠玉のドキュメンタリーである。

 

ネガティブ・サイド

序盤の『 インターステラー 』の迫り来る砂塵のごとき山火事の煙のシーンは、最終盤に回してよかったのではないか。すべての歯車がガッチリと噛み合い回り始めた矢先にアクシデントが起きる・・・という展開の方が、ベタではあるが、物語に起伏は生まれただろう。

 

また、ジョンとモリーのメンターであるアランの経歴をもっと知りたいと感じた。最初はとんだいっぱい食わせ者かと思わせてくれたが、実は恐るべき忍耐力と慧眼の持ち主である。偏見を承知で言わせてもらうが、アメリカ人らしからぬ思想・哲学の人である。彼の先祖はヨーロッパ系ではなく17000年前にアメリカ大陸に渡ってきたアジア系移民であろう。

 

また、チェスター夫妻に金を出してくれた投資家というのも、どんな人物なのか気になるし、1年分のカネを6か月で使ってしまったというセリフもあった。カネの流れや動きについても、ほんの少しだけでいいから描写が欲しかったところである。

 

総評

あるシーンでは『 スター・ウォーズ 』のTシャツを着たキャラクターが登場する。その意味するところは明らかである。つまりは、世界にバランスをもたらすことである。映画館が休業する前に本作を鑑賞できたことを映画の神様に感謝したい。ぜひ劇場が再会したら、またはDVDや配信で視聴可能になったら、多くの方に本作を観て頂きたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in harmony with ~

「~と調和して」の意である。live in harmony with nature=自然と調和して生きる、となる。“和を以て貴しとなす”を是とする日本人であれば、こうした表現を知っておいても良いだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジョン・チェスター, ドキュメンタリー, モリー・チェスター, 監督:ジョン・チェスター, 配給会社:シンカLeave a Comment on 『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』 -究極の共生を目指して-

『 もみの家 』 -命の輝く場所はある-

Posted on 2020年4月7日2020年9月26日 by cool-jupiter

もみの家 70点
2020年4月4日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:南沙良 緒形直人 田中美里
監督:坂本欣弘

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200407000653j:plain
 

Jovianは、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』以来、南沙良にくびったけである。そんな彼女の主演映画を鑑賞するのは、不要不急の外出にあたるのだろうか。そんな葛藤を抱いていたが、前々から予約していた梅田の皮膚科受診を奇貨として、テアトル梅田に足を運んだ次第である。

 

あらすじ

彩花(南沙良)は不登校の女子高生。そんな彩花を何とかすべく、母親は彩花を富山県の「もみの家」に送り込む。そこは、農作業と共同生活を通じて、若者たちが少しずつ社会に居場所を見出していく手助けをする場所だった。佐藤泰利(緒形直人)と恵(田中美里)の夫妻、そして共に暮らす年の近い仲間たち、地域の大人たちに囲まれ、彩花は少しずつ自分と向き合っていき・・・

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ポジティブ・サイド 

思春期というのは難しい時期である。誰しも自分自身の身体の変化に戸惑い、精神・心理的な変化に戸惑い、周囲の人間との距離感の変化にも戸惑う。自分が自分であることに違和感を覚える。誰もが経験することであるが、それを克服する方法は千差万別だろう。彩花は、大勢の人間に囲まれている方がより強く孤独を感じる少女だった。そうした経験を過去に持った大人は多いだろうし、リアルタイムでそう感じている小中高大学生も数多くいることだろう。そうした人間たちの共感を大いに得るストーリーが見事に紡がれていた。

 

主演の南沙良は、こういう路線で良いのだろう。キャピキャピの女子高生が、恥じらいながらも恐るおそる恋愛してみました、みたいなキャラクターを演じる必要はゼロだ。もしやるとするなら、『 センセイ君主 』の浜辺美波のようなコメディエンヌ像を追求してもらいたい。今回は鼻水こそ垂らさなかったものの、感情表現の豊かさは同年代の女優の追随を許さない。完全なアパシーであると確信させる序盤、他者との出会いと交流によって声から刺々しさが、表情から険が抜けていく中盤、そして思わぬ別離に動揺し、しかし強かに成長したことをしっかと伝える立ち居振る舞いは堂に入ったもの。南のハンドラーは絶対に手垢のついた役を彼女に演じさせないでほしい。

 

それにしても緒形直人と田中美里の包容力よ。『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』の萩原聖人に勝るとも劣らない。子ども達(と言うには成長しすぎているが)の喧嘩を見て、「物を投げんな」とは言っても「喧嘩をするな」とは言わない。もみの家は矯正施設ではなく、本人のありのままの姿を引き出す場所なのだということを遠回しに語る名シーンだった。田植えや稲刈りにトラクターを使わない。それは、稲という植物・食物のありのままを引き出す農法だ。野菜にしてもしかり。誰かが手塩にかけて育てた野菜は、びっくりするぐらい美味しい。彩花は自分が収穫したトマトを「味がちょっと濃いかな」と表現するが、これも上手い演出だと感じた。東京の味覚が抜けきらず、しかしオーガニックなものの味が少しわかり始めた。もみの家に少しずつ馴染み始めたことを非常に間接的に表す見事なシーンだった。

 

『 万引き家族 』や『 食べる女 』、『 風の電話 』と同じく、本作も【 日本全国を子ども食堂化しようプロジェクト 】の一環である。その役目の大きな部分を負ったおはぎ名人のハナエさんを演じた佐々木すみ江は、まさに『 となりのトトロ 』のカンタのおばあちゃんである。Rest in peace. 個人的に最も印象に残っているのは大河ドラマ『 篤姫 』での「本当は、ひいおばあちゃん」と言った時のいたずらっぽい笑顔である。こういうおばあちゃんが減ってしまって久しい。映画という、ある意味で究極のフィクションの中でこそ、このような味わい深いおばあちゃんキャラを生かし続けてほしい。切にそう願う。

 

四季の移り変わりが、そのまま彩花の変化そして成長とがシンクロしている。『 羊と鋼の森 』の外村直樹にも使われた成長ドラマの手法であるが、公開の時期が良い。桜花咲く川沿いの道を自転車で駆ける彩花の姿が、とてもリアルに感じられた。桜は散って、また花開く。命は尽きて、また生まれてくる。知らない間に我々はこの世界に産み落とされているが、我々が生きている背景には命の営みがある。子を産み育て、食べさせる。彩花が悟った人生の単純明快な真理を多くの人、特に若い世代に体験してほしい。

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ネガティブ・サイド

素晴らしい作品であるが、いくつかの弱点も目立つ。まず展開に一切のひねりがない。「ああ、このキャラは途中で退場するなあ」と感じたキャラは、やはり退場するし、「ああ、このキャラも途中でいなくなるだろうなあ」と感じたキャラも、きっちり途中でいなくなる。「ああ、このキャラは死ぬだろうな」と予感したキャラもきっちりと死んでしまう。観る側の予想を裏切る展開がないため、ドラマチックな展開がそれほどドラマチックに感じられない。予定調和的に感じられてしまうのである。

 

また説明的なセリフが多いのも気になる。変なアイドルを一切起用していないのだから、それこそ芝居と映像と音で物語ればよいところを、妙にセリフで説明してしまうシーンが目についた。特に田んぼのオッサンや、一部の緒形直人のシーンやセリフが冗長だった。彩花が地域の人たちと獅子舞を練習するシーンぐらいの演出でよいのだ。高校生や大学生をメインのデモグラフィックに想定しているのかもしれないが、丁寧に教えてあげることが必ずしも良い結果を生むわけでない。学校という、ある意味でeducateではなくdoctorinateをしている場所に馴染めなかった彩花が、もみの家という本人のありのままの姿をelicitする場所で本当の自分を少しずつ見出していく。その過程を、観る側にそれとなく悟ってもらう、感じ取ってもらう。そうした作りの方が好ましかった。

 

余韻を残すべきシーンについてもいくつか勿体ないと感じた。新緑の木々が茂る山を背景に、四方を風にそよぐ稲穂に囲まれたもみの家は、何もないように見えて、大きな優しさと温もりに包まれた場所であると感じられた。だが、そのショットがあまりにも短かった。おそらく2秒ぐらいだったろうか。このようなEstablishing Shotは7~8秒画面に映し続けてもよいはずだ。縁側で優しく「彩花は自分の成りたい自分になればいいんだよ」と優しく諭す緒形直人のシーンも、あっという間に切り替わってしまった。彩花と共に観る側も、彼女の成長していく姿に思いをはせるべき重要なシーンだったが、ここもあっという間に次の場面に切り替わってしまった。坂本欣弘監督よ、そんなに急いでどこに行こうというのか。

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総評

一言、傑作である。このような映画こそ東宝や松竹に作ってほしい。そして全国200館規模で公開してほしいのである。青春に完全燃焼、大人に頼らず同級生や同年代と一緒に駆け抜けろ的な展開の邦画は法律で禁じてもらいたい。なかなか映画館に足を運ぶのが難しい昨今であるが、DVDや配信サービスで視聴可能になったら、カジュアルな映画ファンからディープな映画ファンにまで、幅広く観てほしいと思える良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Like what?

劇中で彩花が、富山にも東京と共通するところがる、と言われて「たとえば?」と返すシーンがある。答えは「イオン」とのことだが、浅くて深い回答である。たとえば=for exampleまたはfor instanceと自動変換する人は多いが、For example/For instanceは自分で言葉をつなげる時に使うことが多い。一方で、Like what?は相手に例を挙げるように促す表現である。この二つをナチュラルに使い分けられれば、英会話の中級者である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 田中美里, 監督:坂本欣弘, 緒形直人, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もみの家 』 -命の輝く場所はある-

『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

Posted on 2020年4月5日 by cool-jupiter

いなくなれ、群青 50点
2020年4月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 飯豊まりえ
監督:柳明菜

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これもたしか梅田ブルク7で公開されていたが、観に行けなかった作品。なかなかにartisticではあったが、cinematicではなかった。では、dramticだったか?うーむ・・・

 

あらすじ

七草(横浜流星)は気が付くと階段島にいた。この島にいる人たちは、なぜ自分がここにいるのか誰も知らない。島での生活に溶け込んだ七草は、しかし、幼馴染の真辺由宇(飯豊まりえ)と再会したことで、様々な人間模様が泡立ち始め・・・

 

ポジティブ・サイド

何というかPS2ゲーム『 ICO 』と『 CROSS†CHANNEL 〜To all people〜 』の一部の要素を抜き出してきて、足し合わせたような世界である。こうしたミステリアスな世界観は嫌いではない。魔女が支配する島、という響きも悪くない。古今東西、魔女は様々に再解釈され、そのたびに新しい世界観を生み出してきた。魔女は恐怖の対象であるだけではない、もはやない。『 魔女の宅急便 』しかり、変化球だがPSゲームの『ファイナルファンタジーVIII 』しかり。本作では明かされることのない魔女の正体だが、そこには支配者としての属性と庇護者としての属性、その両方が感じ取れる。こうした様々な解釈や考察の余地をほどよく残す作品で、賛否は分かれやすいだろうが、好きな人はとことん好きになれる世界観である。

 

本作のミステリアス、そしてファンタスティカル(fantasitical)な点を決定づけるものは、島の名前にもなっている“階段”である。もちろん、物理的な意味での階段ではなく、何かの象徴としての階段であることは明らかで、それが階段島にいる面々、特に真辺や七草ら高校生にとっては意義深いものであろう。我々はよく「●●への階段を上る」などと言ったりする。そして、階段島の階段を“一人で”上り切れた者はいないと言う。その意味するところは極めて明快である。

 

それは同時に、“群青”の象徴するものも明らかにしている。晴れ渡った空の色であり、文字通りの意味では“青”の“群れ”となる。終盤に空へと消えていく真辺由宇は、青春との決別の一つの形である。青春の終わりというのは、だいたいにおいて妥協なのだ。そして青春の始まりは、自意識の一部の極端な肥大化である。やたらと理屈っぽい奴、感情的な奴、逆に無関心・無感情な者など、何らかの特徴を自分で自分に与える過程とも言えるかもしれない。青春とは自己内対話の極まった形と定義してもよいのかもしれない。本作のキャラクターたちの、どこか誌的で、全体的に感情に欠ける対話の数々は、『 脳内ポイズンベリー 』と対比してみると面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

ドラマチックさに欠ける。それは間違いない。こういう作品は映画よりも、むしろ部隊演劇にすべきでは?と感じる。

 

飯豊まりえは演技力・表現力ともに今一つ。顔の表情だけで演技している。ふとした仕草もなく、声の出し方に工夫もない。原作に忠実なのかもしれないが、映画的とは言えない。同じことは横浜流星にも当てはまる。観念的・哲学的な対話をしばしば繰り広げるが、小説ならばそれでも良いし、舞台や野外円形劇場で上演するのなら、これも一つの演技・演出だろう。だが、どうにも映画的ではない。

 

映画は、何よりも視覚的に最も強く訴えてこなければダメだ。セリフでもってシーンを動かしていくなら、『 シン・ゴジラ 』や『 脳内ポイズンベリー 』のような超高速会話劇を志向するか、あるいは映像でもってセリフを補完するような演出を強めるべきだ。それが最も強く感じられるのは終盤およびエピローグ。無駄にだらだらと長い。ミステリアスなタイトルの「群青」の意味を思わせぶりなセリフとシーンで伝えようとするのではなく、群青の空を背景に一気に『 いなくなれ、群青 』というタイトルを映してしまえばよいのではないか。特に本作のような思弁的な作品は、説明してはならない。観る者の理性や知識ではなく、感性や直感に訴える方がはるかに効果的であると思われる。『 ここは退屈迎えに来て 』のような切れ味の鋭さは本作にこそ求められる。そうした方が余韻が残る。無意味に長いエピローグは完全に逆効果である。

 

原作の小説はシリーズ化されているようだが、続編の映画は作れないだろう。今でもキャストの年齢・容貌に無理があるのだから。

 

総評

映像化は成功している。海外や空の美しさを見事に捉えたショットが散りばめられている。また音楽も良い。特にピアノとバイオリンの合奏シーンは、近年の邦画では『 蜜蜂と遠雷 』のクライマックスの松岡茉優の演奏シーンに次ぐものであると感じた。一方で、ストーリーテリングは破綻している。いったんページを繰る手を止めて思考することができる小説と違い、否応なく場面が進んでいく映画なのだから、説明するのではなく、一発で理解できるような見せ方を追求すべきだった。これが原作未読者の感想である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be gone, my blues.

『 いなくなれ、群青 』というタイトルおよび七草の台詞の試訳。解釈はそれこそ無数にあるが、字義通りの意味と象徴的な意味の両方を備えたblueを使ってみようと直感した。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ファンタジー, 日本, 横浜流星, 監督:柳明菜, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

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