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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 記憶の技法 』 -ミステリ要素が弱い-

Posted on 2020年12月6日 by cool-jupiter
『 記憶の技法 』 -ミステリ要素が弱い-

記憶の技法 55点
2020年12月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:石井杏奈 栗原吾郎
監督:池田千尋

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201206131917j:plain
 

タイトルだけでチケット購入。販促物を見ても「ドンデン返し」や「衝撃の展開」などという惹句は見当たらない。こういう作品にこそドンデン返しや衝撃の展開が潜んでいるはずと期待して劇場に向かったが、期待は裏切られた。プロモーションとはかくも難しい。

 

あらすじ

華蓮(石井杏奈)は幼少時の謎の記憶のビジョンを見ることがあった。修学旅行で韓国に行くことになった華蓮は戸籍謄本から自身に姉がいて、さらに自分は養子だったことを知る。自分の出自や記憶の謎を探るため、華蓮は修学旅行をキャンセルし、同級生の怜(栗原吾郎)の強力の元、福岡へ向かうが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201206131937j:plain
 

ポジティブ・サイド

なかなか現代風なテーマを孕んでいる。移民大国となった日本の学校には、いわゆるハーフ(今後はダブルやミックスという呼称が一般的になるだろう)の子ども達がたくさんいる。同時に『 朝が来る 』絵にがかれたような養子もますます市民権を得ていくことだろう。そうした子ども達が大きくなる過程で自身のアイデンティティを問うことになるのはとても自然なことだ。両親はひそひそ話しているのを偶然にも聞いてしまい・・・というテレビドラマ的展開ではなかったところは評価したい。

 

劇中では明示されないが、華蓮のお供をすることになる怜も、おそらく祖父母あたりがミックスで、自身にたまたま劣性遺伝の青い瞳が発現したのではないか。裕福な家の出であらながら cast out されていることが暗示されている。怜が華蓮の旅に同行することによって、観る側はある種の「連帯感」を与えられる。安易なロマンスの予感を漂わせないところも良い。

 

怜の機転の良さやさりげない配慮が随所にあり、頼りない華蓮を支えるという演出が随所に光る。福岡の郊外で断片的な記憶のその先を思い出すシーンは非常にリアルだった。Jovian自身もハネムーンで訪れたカナダのホテルが、10代の時に宿泊したホテルと同じだと気づいた瞬間の脳内の奇妙な時間の流れ方をよく覚えている。その時は、ホテルのロビーの動物のオブジェを見て思い出したのだが、まさにこのオブジェが劇中で言うところの「検索ワード」だったのだろう。

 

華蓮の記憶のビジョンに映る女の子、そして最初からその存在が明示されていたもう一人の人物の造形も巧みだ。ちょっと老け過ぎだろうとは思うが、その影のある生き方には大いに説得力がある。またも卑近な例になるが、Jovianの備前市時代の同級生も、父親が犯した犯罪のせいで残された家族は逃げるように岡山を去った。しかし、その息子は岡山に帰ってきているのである。記憶、過去、出自。自分にとってあやふやなものであっても、確実に存在するそのようなものに、我々は翻弄されて生きている。けれど、そうした曖昧模糊としたものが確固たる意味を持つ時、人は強くなれるし、希望を抱いて前に進んでいける。本作からはそうしたことを感じ取ることができた。

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ネガティブ・サイド

色々なキャラクターの一貫性がないと感じられた。主人公の華蓮も、新宿の夜の街に制服姿で行くことができる、というよりも未成年お断りのバーを何軒も渡り歩く度胸があるのなら、両親にじっくり話を聞いてみるべきではないのか。警察に補導されることを全く恐れていないのなら、もう一歩踏み込んで両親に尋ねてみるべきではなかったか。自分で役所に行けるなら、新宿駅のINFORMATIONなどに足を運べば、どこで新幹線のチケットが取れて、どこで高速バスのチケットが取れて、宿の手配はどこそこの旅行代理店が・・・と親切に教えてくれるだろう。というか、スマホを持っていないのか、それとも極度の箱入り娘なのか。華蓮の積極性と消極性のアンバランスさが物語のリアリティを損なっている。

 

東京―福岡―釜山の記憶を巡る旅・・・というのは羊頭狗肉であった。というか、釜山は記憶に関係ないやろ・・・。非常にローカルな事件と見せかけたその裏に国際的なスケールの犯罪が・・・と深読みした自分が愚かだったと思うことにしよう。

 

旅の中でもう一人の主人公であるべき怜の因果が掘り下げられなかったのも残念だった。自分の家族が自分の本当の家族ではないという華蓮に、同病相憐れむ形で協力することになるのだが、何か一言、その複雑な胸中を吐露するシーンがあってほしかった。「修学旅行よりも、こっちの方が面白そう」だけではなく「一人でいるより皆といる方が独りだ」みたいなセリフがあれば、華蓮の旅について行き、あれこれと助けてくれることの理由の説明としては十分だったはずだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201206132012j:plain
 

総評

非常に静かな立ち上がりそのままに、ラストまで静謐な雰囲気を維持したまま収束していく。けれども、登場人物の内面は大きく変化している。日本的かつ現代調のビルドゥングスロマンとしては及第点であろう。しかし、ミステリ部分の演出が貧弱で、謎解きの感覚は味わえない。華蓮と怜の真相探しの旅にもっとミステリ要素があれば、ドラマも盛りあがったのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a 30% interest rate

「3割増し」の意味。厳密には「30%の金利」の意。利子付きで返済する=give back the money with an interestは、金融・信販関係の人間なら押さえておきたい表現。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 日本, 栗原吾郎, 監督:池田千尋, 石井杏奈, 配給会社:KAZUMOLeave a Comment on 『 記憶の技法 』 -ミステリ要素が弱い-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

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近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

Posted on 2020年12月2日2020年12月6日 by cool-jupiter
『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

佐々木、イン、マイマイン 75点
2020年11月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原季節 細川岳 遊屋慎太郎 森優作 河合優実
監督:内山拓也

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201202173151j:plain
 

このタイトルのインパクトは大きい。『 我が心の佐々木 』でもなく『 佐々木よ、お前を忘れない 』でもなく、『 佐々木 イン マイ マインド 』でもなく、『 佐々木、イン、マイマイン 』。なんかよく分からんが、凄いタイトルであることだけは分かる。そして中身も負けず劣らずに凄かった。

 

あらすじ

役者として芽が出ない悠二(藤原季節)は、職場で偶然、高校の同級生で親友だった多田(遊屋慎太郎)と再会する。変わっていく他人。変わっていない自分。それを意識する悠二は、佐々木(細川岳)という奇妙な親友のことも思い起こしていき・・・

 

ポジティブ・サイド

何というか、まるで自身の高校時代、そして紆余曲折あった20代をまざまざと見せつけられたように感じた。もちろん、悠二の人生とJovianの人生はまったく異なるものだが、この物語には普遍性がある。プロット自体はありふれたもの。夢を追い求めているものの、その夢に届かないまま現実に埋没していく男が、過去の輝いていた、少なくとも楽しんでいた、笑えていた時期を思い起こして、今を生きるためのエネルギーを得るというもの。読み飽きた、見飽きた物語である。では、何が本作をユニークにしているのか。

 

それはタイトルロールにある佐々木である。誰しも中学や高校、または大学の同級生に「そういえば〇〇というアホな奴がいたなあ」と思い出せることだろう。だが、本作で映し出される佐々木はただのアホではない。無邪気に笑う少年で、苦悩する男で、血肉のある人間なのだ。回想シーンでは、佐々木のアホな面ばかりが強調されるが、真に見るべきはそこではない。一昔前の言い方をするならば母親のいない欠損家庭の育ちであり、父親も家にはあまり帰ってこず、命綱はカップラーメンという高校生である。佐々木コールでスッポンポンになる姿は微笑ましいと同時に痛々しい。下の名前を呼んでくれる存在がいないのだ。

 

『 セトウツミ 』の川べりでのしゃべりのように、家でゲームをし、球にバッティングセンターに行く4人組。親友であることは間違いない。だが、上京する者あり、地元に残って就職する者あり、地元に残って就職しない者もありと、いつの間にか離散してしまっている。このあたりの描写が中年には結構きつい。身につまされる思いがする。あの友情はどこに行ってしまったのか。出会えば幼馴染のように一気に昔の関係に戻れるが、一方がスーツで既婚、もう一方がヨレヨレの私服でバイト暮らしでは、その関係性も昔のままのようにはなかなか行かない。そうした友情の在り方を本作は一面では問うている。その反面、そうした友情を愚直に、無邪気に、馬鹿正直なまでに大切にし、ずっと心の中で維持し続けてくれる友人もいる。それが佐々木なのだ。佐々木とは、我々中年が本当ならば保っているべき友への感謝、信頼、期待などの気持ちの代弁者であり体現者なのだ。

 

佐々木という豪快で繊細な男を演じ切った細川岳のパフォーマンスは見事の一語に尽きる。親友、そして事実上の喪主とも言える女性と巡り合えたことは僥倖だったし、そのことを我が事のように嬉しく感じられた。芝居で芽が出ない悠二も、自分の生き方と「役者」としての生き様が交錯するラストも万感胸に迫るものがある。10代20代よりも30代40代50代にこそ突き刺さる、青春映画の傑作の誕生である。

 

ネガティブ・サイド

悠二と同棲している元カノの存在が微妙にノイズであると感じた。夢の中身を「今日はどんな世界だった」と尋ねるのも奇異だ。別れた女と同棲しているのなら、そんなロマンティックな会話は慎めよと思うが、どうやらそれがルーティンらしい。だったらフラれた後にも、しっかりと口説き続けろと悠二には言いたい。

 

村上虹郎に「僕はあなたの芝居が好きだ」と評された悠二の芝居の独特なところや印象的なところ、佐々木にも「お前は続けなきゃだめだ」と言われた演技力が、回想シーンでは一度も描かれなかったのは残念である。

 

総評

佐々木には実在のモデルがいるということには驚かないが、これが長編デビュー作という内山監督のポテンシャルには驚く。次作以降へも期待が高まる。傑作を作るのに有名キャストや有名監督は必ずしも必要だとは限らないという好個の一例である。仕事にくたびれた中年サラリーマンよ、疲れているかもしれないが劇場へ行こう。その労力以上のエネルギーを本作から受け取ることができる。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chant

日本語で言うところの「コール」である。「佐々木コールやれよ!」というのは、“Do the Sasaki chant!”または“Break out the Sasaki chant!”となり、「イチローコールは忘れられない」というのも“The Ichiro chant is unforgettable.”となる。応援などで言うcall=コールは典型的なジャパングリッシュなので注意のこと。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 森優作, 河合優実, 監督:内山拓也, 細川岳, 藤原季節, 遊屋慎太郎, 配給会社:パルコ, 青春Leave a Comment on 『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

Posted on 2020年12月1日2021年4月18日 by cool-jupiter
『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

アンダードッグ 前編 70点
2020年11月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 勝地涼
監督:武正晴

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201201000132j:plain
 

ボクシングはJovianの好きなスポーツである。自分では絶対にやらないが、見ているのは楽しい。『 お勧めの映画系サイト 』で徳山昌守、ウラディミール・クリチコなどの“塩”ボクサーを好むと述べたが、もちろんスイートなボクサーも好きである。しかもタイトルがアンダードッグ、負け犬である。これは興味をそそられる。

 

あらすじ

かつての日本ランク1位、末永晃(森山未來)はタイトルマッチでの逆転負けを引きずり、咬ませ犬としてボクシングを続けていた。そんな末永はひょんなことから大村龍太(北村匠海)というデビュー前のボクサーと知り合う。また宮木瞬(勝地涼)は、大御所俳優の父の七光りで芸人をやっているが全然面白くない。そんな宮木にテレビの企画でボクサーデビューし、末永とエキシビション・マッチを行うという企画が浮上し・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201201000153j:plain
 

ポジティブ・サイド

森山未來の風貌が、まさに負け犬である。悪い意味ではない。良い意味で言っている。激闘型のボクサーはキャリアを積むにつれて“良い顔”になっていく者が多い。近年の日本のボクサーだと川嶋勝重や八重樫東の顔が当てはまる。打たれまくったおかげで顔が全体的に扁平になり、目からもパッチリさが失われてしまった。森山の顔もまさに歴戦のボクサーのそれで、ポスターの写真だけで「これはボクサー、それもアルトゥロ・ガッティのような激闘型だ!」と確信できた。まさにキャスティングの勝利である。

 

この末永が過去のトラウマに囚われている様が物語を駆動させている。ここに説得力がある。かの赤井英和は「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語り、吉野弘幸も「(金山戦の時のように)もう一回はじけてみたい」と語るわけである。同じように世界のボクシング界には「メキシカンは二度引退する」という格言がある。いずれも過去の栄光を忘れられない、脳内麻薬の中毒者である。末永は違う。漫画『 はじめの一歩 』の木村と同じ、日本タイトルマッチであと一歩のところで敗れた経験を引きずっている。日本タイトルが欲しいのではない。『 あしたのジョー 』の矢吹ジョーのごとく、燃え尽きてまっ白な灰になりたいのである。後編を観ずともそれがこの男の結末であると分かる(と勝手に断言させてもらう)。

 

ボクシングシーンもなかなかの迫力。末永vs宮木のエキシビションでは、素人相手にはウィービングやスウェー、ダッキングで充分、仕留めるために距離を詰める時にはブロッキングという、まるでF・メイウェザーvs那須川天心のような展開。この脚本家と演出家(=監督)はボクシングをよく知っている。『 百円の恋 』はフロックではなかった。

 

前編で一番優遇されていたのは勝地涼。はっきり言って現代版お笑いガチンコファイトクラブなのだが、ボクシングの巧拙は問題ではない。圧倒的に不利な立場の負け犬が、それでも雄々しく立ち上がる姿が我々の胸を打つのである。邦画のホラーは貞子の呪縛に囚われているが、ボクシング映画やボクサーの物語はいまだに『 ロッキー 』の文法に従って描かれている。この差はいったい何なのか。

 

ここに北村匠海演じる新星、大村が絡んでくることになる後編が待ち遠しい。施設上がりで、妻が妊娠したことを知った時の闇を感じさせる台詞に、末永、宮木、大村の三者三様の物語が交錯し、燃え上がり、まっ白な灰へと変わっていく様を観るのが待ち遠しくてならない。

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ネガティブ・サイド

北村匠海も体を作ってきたのは分かるが、深夜のジムに潜り込んで末永相手にスパーを提案する際のアリ・シャッフルがヘタすぎる。単なるフットワーク?いや、単にシャッフルの練習不足だろう。日本のボクサーというのはそうでもないが、世界的にも歴史的にもボクサーは減らず口をたたいてナンボ。その減らず口をたたくだけの実力を証明した者が名とカネを手に入れる。北村のキレの無いステップは、将来を嘱望されるボクサーのそれではなかった。

 

末永のジムの会長の目が節穴もいいところだ。どう見てもグラスジョーになっていることが分からないのか。「ジムの経営も楽じゃないんだ」とぶつくさ言う前に、己のところのボクサーをしっかり見ろ。

 

末永の働くデリヘルの常連客である車イスの男が気になる。まさか「クララが勃った立った!」ネタの要員ではあるまいな。普通にEDで良かったのではないか。

 

総評

前編だけしか観ていないが、後編を観るのが楽しみでならない。12月5日(日)には観に行きたい。ボクシングに造詣が深くなくとも理解ができるのがボクシングの良いところである。そういう意味では『 三月のライオン 』や『 聖の青春 』、『 泣き虫しょったんの奇跡 』といった将棋映画は、何が凄いのか一般人にはよくわからないが、ボクシングは観ているだけで痛さが伝わるし、アドレナリンが出てくる。この前編は勝地涼の代表作になったと言ってよい出来栄えである。勝地ファンのみならず、普通の映画ファンにこそ観てほしい作品だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a peek

「覗く」の意である。しばしばtake a peek at ~ という形で使われる。My wife took a peek at my LINE.のように使う。最近、ロイ・ジョーンズ・Jr.とエキシビション・マッチを行ったマイク・タイソンのピーカブースタイルはpeek-a-boo styleと書く。いないいないばあスタイル、つまり両のグローブの隙間から相手を覗き見るスタイルである。Don’t take a peek at your partner’s smartphone!

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, スポーツ, ヒューマンドラマ, ボクシング, 勝地涼, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

Posted on 2020年11月28日 by cool-jupiter
『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

真・鮫島事件 15点
2020年11月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:武田玲奈 小西桜子 しゅはまはるみ
監督:永江二朗

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Jovianは1998年大学入学、2002年卒業なので、携帯電話やパソコンが一般に普及していく過程を体がよく覚えている。同時に、2ちゃんねるのようなインターネット世界(梅田望夫が言うところの「あちら側」)にも結構ハマっていた。なので、鮫島事件や電車男のことはよく覚えている。なので、本作にはそれほど期待せずに、淡い郷愁の念のようなものだけを持って劇場へ向かった。甘かった。やはり単なるゴミ、低クオリティのホラー映画だった。

 

あらすじ

菜奈(武田玲奈)はコロナ禍のため、高校時代の同級生たちとオンライン飲み会を開催するが、メンバーが一人足りない。その仲間のボーイフレンドが代わりにウェブ上に現れ、仲間の死を告げる。そして自分自身も謎の死を遂げてしまう。この超常的な現象には「2ちゃんねる」で決して語られることのなかった「鮫島事件」が関わっていて・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

というのはダメか。ごみ溜めにも美点を見出さねば。

 

街行く人々が皆マスクを着けており、菜奈も帰るや否や手洗いとうがい。今後の映画ではこうした「ニューノーマル」なシーンが当たり前のようにインサートされてくるのだろう。現実のパンデミックの風景を虚構の鮫島事件につなげていく役割は十分に果たせていた。

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ネガティブ・サイド

鮫島事件を超常的な呪い現象に持って行ってしまったことがまず気に入らない。百歩譲ってそこは認めたとしても、なぜ鮫島事件の呪いが発動するよりも前、菜奈の帰り道の時点で怪異が起きているのか。しかもその怪異はどれもこれも手垢のついたクリシェとも呼べなくなったジャンプ・スケアばかり。『 リング 』、『 オーディション 』、『 呪怨 』などのある意味クラッシックな作品から、近年の『 来る 』や『 貞子 』、『 犬鳴村 』、『 事故物件 怖い間取り 』まですべてに共通するようなもの。つまりはジャパネスク・ホラーはこの20年以上、進化していないとも言える。事前の情報をほとんど入れずに鑑賞に臨んだが、開始5分で「ああ、こういう物語か・・・」といきなり慨嘆させられた。だいたい登場人物の死にっぷりが怖くない。というか、殺しっぷりが怖くないと言うべきか。いつまで邦画は貞子の幻影に縛られなければならないのか。

 

鮫島事件の呪いを変に分析しようとする姿勢も気に食わない。どうせやるなら『 シライサン 』のようなスケールで分析および対処してほしかった。せっかく“呪い”をコロナウィルスのアナロジーで説明しようとしているのだから、その呪いを「変異」させようというアイデアは思いつけなかったか。まあ、それも小説の『 リング 』、『 らせん 』、『 ループ 』三部作でネタとしてはある意味では先取りされているのだが。警察に電話もつながらずネットでコンタクトできないのに、まとめサイトには接続可能というのは拍子抜けである。だったら、そこにこそアプローチすべきだろう。呪いをネット中継してしまう、鮫島事件を現代に一挙にインターネット・ミームとして増殖拡大させてしまう。それぐらいのスケールの大きなホラーを構想する力は邦画の世界にはないのか。

 

ストーリー以外の部分でもツッコミどころ満載である。やたらとデカい音を出すエレベーターが、5階で扉が閉まる時にだけ音を出さないのはどういうわけか。重要なアイテムと見せかけたフルートはいったい何だったのか。事件の核心とされる出来事を〇〇したというが、当時の技術レベルではそれは不可能。というか、それが真相なら「語ることができない」事件にはならない。武田玲奈の兄もバイクに乗るならヘルメットをかぶりなさい。その廃墟も到着したのは夜中であるにも関わらず、窓の外が明るいシーンと真っ暗のシーンが混在。勘弁してくれ。撮っている最中、または編集の最中に誰も何も気づかなかったというのか。柏が出てきてEOMに触れられないというのは、いったいどういう了見なのか。

 

Jovianが脚本家なら、超常現象は一切採用しない。「鮫島事件」がインターネット・ミームと化す過程に介在したであろう「不特定多数」の人間が、実はごく少数の人間だけで構成されていた、または高度に発達したAIの仕業だった。その目的は鮫島事件の真相を求めて近づいてきたもののIDまたは情報を全て奪い取り、別人に成り代わる、あるいは人工知能搭載ロボットが人間社会に溶け込んでいいく・・・という筋立てにするだろう。まあ、これも『 アナイアレイション 全滅領域 』や『 エクス・マキナ 』の焼き直しやなと自分でも思うんやけどね。

 

総評

はっきり言って見どころは何一つない。これをわざわざ劇場鑑賞するのは熱心な武田玲奈ファンぐらいだろうが、そうしたファンに対して何らのサービスもない(しゅはまはるみが谷間を拝ませてくれるが)。レンタルまたは配信を待つのが吉である。武田のファンでなければ観る価値なし。これに時間とカネを使うなら、オンラインリアル脱出ゲーム×お化け屋敷「呪い鏡の家からの脱出」の方が投資効率は遥かに高そうだ。ちなみにJovianはポイント鑑賞。製作者側の懐に一銭も与えることがなく満足している。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get a job

 

「就職する」の意。ただし日本語で就職というと正社員になったということとほぼ同義だが、これはどんな形であれ仕事を手に入れれば使える表現。

 

get a job in 業界・土地

get a job in IT=IT業界に就職する

get a job in Kobe=神戸で就職する

 

get a job with 会社・組織

get a job with NTT=NTTに就職する

get a job with a small restaurant=小さなレストランで仕事を得る

 

と前置詞以降までをセットで覚えよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, しゅはまはるみ, ホラー, 小西桜子, 日本, 武田玲奈, 監督:永江二朗, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

Posted on 2020年11月27日 by cool-jupiter
『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

ウルフウォーカー 80点
2020年11月22日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:オナー・ニーフシー エヴァ・ウィテカー
監督:トム・ムーア ロス・スチュアート

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『 ブレッドウィナー 』は劇場鑑賞できなかったが、テアトル梅田で観たトレイラーはずっと気になっていた。同じ絵柄の本作はタイミングも合い、チケットを購入。なんとも幻想的な世界に瞬時に引き込まれてしまった。

 

あらすじ

1650年、アイルランドのキルケニー。イングランドから父と共にやって来た少女ロビン(オナー・ニーフシー)はハンターになることを夢見ていた。ある出来事をきっかけにロビンは「ウルフウォーカー」であるメーブ(エヴァ・ウィテカー)と出会い、自身も「ウルフウォーカー」となって・・・

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ポジティブ・サイド

まるで絵本のような絵が逆に新鮮でリアリティがある。森の風景では様々な事物の太い枠線と細い枠線が使い分けられ、さらに細かい色の濃淡が、まるで手描きされた絵の具のように鮮やかなグラデーションを成していた。これがアイルランドのアニメーションの実力なのか。冒頭の鹿が、デザインから動きまで『 もののけ姫 』のシシ神そっくりである。造形上のオマージュであることは疑いようがなく、さらにストーリー上のオマージュにもなっているのだろう。実際に狼≒山犬、サン≒メーブという見方も成り立たないことはない。これは森とそこに住まう動物と、人間との闘いの物語であり、人間の人間性を考察する試みでもある。

 

北ヨーロッパは古くから狼と縁があるのだろうか。『 獣は月夜に夢を見る 』も狼人間の物語だった。本作はおとぎ話のようでいて違う。時期は1650年で、場所もアイルランドのキルケニーだと特定されている。おとぎ話は『 スター・ウォーズ 』のように、Once upon a time in a land (galaxy) far, far away … 時期も場所も特定しないことが鉄則である。敢えて本作を寓話風に仕立てた意図は何か。 それは自然と調和できない現代人への警告だろう。『 もののけ姫 』と似ているところが多いが、決定的に違うのは共存や共生を志向しないところである。これはこれで一つの答えになっていると感じた。

 

ウルフウォーカーとなったロビンの感覚の描写が面白い。『 ブラインド 』や『 見えない目撃者 』が視覚障がい者の音による外界認識をビジュアル化してくれたが、本作はさらに匂いや振動もビジュアル化してくれている。なかなかに面白い試みで、確かに人間など足元にも及ばない鋭敏な嗅覚や聴覚、触覚を持つ狼らしさが出ていた良かった。ウルフウォーカーとなってしまったロビンが、人間が持っていた獣性に気付くシーンは子ども向けではない。ありきたりな展開と言えばそれまでだが、少女の身でありながらハンターになることを目指してきたロビンにはショッキングだったことだろう。人間とは生物学的な人間=humanを指すのではなく、humane=人間らしさを持った者を指す。人間らしさとは何か。それは想像力だ。他者になる力だ。苦しんでいる者の苦しみをその身で引き受けられる者、喜んでいる者がいれば一緒になって喜べる者だ。ウルフウォーカーの「寝ている間は狼になる」という特質は、人間の持つ想像力が最大限に発揮された状態を暗喩しているのだと思えてならない。

 

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』で描かれたように、狼も大自然の一部で、調和を保つための欠くべからざるピースなのである。事実、本作の狼も自分から人間は襲わない。自分たちの領域に侵入してくる人間を襲うだけである。これはおそらくアイルランドに攻め込んでくるローマ人やらイングランド人を人間に投影しているのだろう。狼=アイルランドは実は無抵抗で、人間=外国が一方的に侵略してくる。結果として難民が発生しているのだ、という見方も本作を通じて可能である。本来は相容れないと思われた人間と狼の中間的存在であるウルフウォーカーこそが、実は最も自由で平和的な主体である。本作はそのように受け取ることも可能である。子どもから大人まで、幅広い層をエンターテインする傑作である。

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ネガティブ・サイド 

ロビンの相棒である鳥の名前がマーリンというのは、アーサー王に仕えた魔術師マーリンを思わせる。このネーミングはどちらかというと護国卿の側近向けではなかったか。

 

ロビンの父、グッドフェローが罠を仕掛けるシーンも不可解である。本当に狼を捉えるのに躍起になっている護国卿から、鶏肉や牛肉の塊をもらってくるべきではないのか。その上で、そんな罠に引っかからない、人間のにおいのついた肉などは食べない狼がこの森には生息している、という神秘性につなげてほしかった。

 

総評

日本のアニメも売れてはいるが、テンプレに従って作ったミュージック・プロモーション・ビデオの大長編版のような路線(例『 君の名は。 』など。『 鬼滅の刃 』も?)に近年は走り過ぎであると感じる。アニメが日本のお家芸であるとするなら、そこで展開されるべき物語はもっと日本的であるべきだ。このままではアニメーションの分野でも他国に追い抜かれる日は遠くない。海の向こうから来た大傑作に、本邦の落日を見る思いである。人は人に狼=Homo homini lupus estと喝破したのは本作のストーリーと同時代のイングランド人哲学者トマス・ホッブズ。人は狼に狼、 Homo lupo lupus estではなく、人は人に人、Homo homini homo estを志向したいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Get a move on

このフレーズでB’zの“BREAK THROUGH”のサビを思い浮かべる人は、かなり初期からのB’zファンだろう。意味は「急げ」、「さっさと動け」である。“C’mon, people. We’re getting off at 5:30. Get a move on.”=「さあ、みんな。5時には(仕事を)上がるぞ、急げ」のように使う。B’zファンならずとも知っておきたいフレーズ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アイルランド, アニメ, エヴァ・ウィテカー, オナー・ニーフシー, ファンタジー, ルクセンブルク, 監督:トム・ムーア, 監督:ロス・スチュアート, 配給会社:チャイルド・フィルムLeave a Comment on 『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

Posted on 2020年11月25日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

泣く子はいねぇが 75点
2020年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:仲野太賀 吉岡里帆 柳葉敏郎 余貴美子
監督:佐藤快磨

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20代後半ではフロントランナーの仲野大賀、そして『 見えない目撃者 』で大いに株を上げた吉岡里帆。舞台は地方で、モチーフがなまはげ。これは観るしかないだろうとチケットを買った。鑑賞後は「何か凄いものを観た・・・」と感じた。何がどう凄いかを言語化するのは難しいが、以下でそれにトライしてみる。

 

あらすじ

たすく(仲野太賀)とことね(吉岡里帆)は女児のなぎが生まれたばかり。「酒も飲まずにすぐに帰ってくる」と約束したたすくは、しかし、泥酔して全裸で街中を走っていくところをテレビカメラに映されてしまう。ことねに愛想をつかされ、逃げるように秋田から東京へ逃げたたすくだが、やはりことねと娘のなぎのために生きたいと思い、秋田へと返ってくる・・・

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ポジティブ・サイド

邦画は往々にして東京もしくはその周辺で物語が展開するが、これは地方、それも秋田の男鹿という本当に狭い範囲にフォーカスしている。『 小さな恋のうた 』、『 ハルカの陶 』や本作のように、地方を舞台にした映画がその地方でなければ描けない物語を見せてくるのは本当にありがたい。もちろん東京都の対比もある。劇中にたすくの悪友が繰り返し言う「東京に無いものがこっちにはある」という台詞がそれを表している。それは恵みの海であり、ゆっくりと流れる時間である。そうした地域の人間関係は都市部のそれよりも暖かく、そして厳しいものである。

 

仲野大賀の演技がキレッキレである。過剰に演じているのではなく、自然に演じているが、それが恐ろしくハマっている。冒頭で出生届を出しに役所に来るが、時間外窓口で居眠りしているおっさんに大きな声で呼びかけることもできないという小物っぷりに、「こいつ、大丈夫かな?」と思わされるが、全然大丈夫ではなかった。妙なタイミングで出る薄ら笑い、話している相手となかなか合わない目線、自分を棚に上げての他人(友人)の論評など、ダメな男の特徴をこれでもかと備えている。最悪なのは、酒を飲まずに早く帰ってくるという妻との約束をあっさりと反故にするところ。こんなブログを読んでいる10代20代の健全な男子がどれだけいるのかは知らないが、諸君らに言っておく。女子との約束は破ってはならない。1度2度ならお目こぼしをもらえるかもしれないが、それは許してもらっているのではない。彼女らは怒りを静かに貯金しているのである。もちろん金利は単利ではなく複利計算だ。その怒りの貯蓄が一定額を超えると、もうダメである。たすくは若さゆえにそのことを分かっていない。それが中年のJovianには非常にもどかしい。何故か。たすくに過去の自分を思い起こすからだ。この男は自分が怒らせて逃してしまった女に償えるのか、縒りを戻せるのか。たすくの物語の行く末に強く関心を抱いてしまう。

 

結局たすくはことねに見限られてしまい、自らの大失態により地元にも居場所をなくし、東京へ逃げることになる。そこでもどこか周囲に溶け込めないたすく。フットサル仲間の女子をなりゆきで一晩部屋に泊めて、その女子にあけすけに誘惑されて「自分には子どもがいる!」と叫んで拒絶する。なんと情けない男なのか。それを機に、別れた妻と成長したであろう娘に会いたいという気持ちから帰郷するが、そこでもなかなか地元に溶け込めない。結局、悪友と共に shady business に精を出すのだが、そんなカネを誰が喜んでくれるのか。このあたりの思考がたすくが大人になれていないことの証拠である。夜の街で接待を伴う飲食店で働くことねとそのパートナーのことを知って、「あんなところで働かせる奴にことねを渡したくない」って、それはお前が原因だー!!!!と、Jovianがたすくの兄ならば鉄拳でもって分からせてやったことだろう。ことほどさようにたすくは未熟なのである。

 

そのたすくがどのように自分の人生に向き合っていくのか。物語の大きな岐路に、海辺に停めたクルマの中でのことねとの対話がある。いや、対話というよりは演説、決意表明といった方がいいか。『 きばいやんせ!私 』でも、仲野太賀は夏帆を相手にクルマの中で“仕事の価値とはどれだけ真剣に打ち込めるか”だと熱弁を振るっていた。そのシーンを彷彿させる渾身の芝居を披露する。大声を張り上げるわけではなく、淡々と、しかし力強く、自らの生きる決意、働いていく熱意をことねに切々と訴えかけていく。それに対することねの返答は・・・ 観る側はここで、「たすく、やっとひとつ成長できたな・・・」と複雑な心境になる。また、とある行事の場でのたすくの涙もポイントが高い。父親というのはなるものではない。母親は無意識に自分の子どもを産むことはまずないが、父親は場合によっては子どもに父親だと認識されないと父親になれない。同時に自分も子どもを認識しないと父親になれない。アホだな、たすく。そんなことも分からんのか。と、子どものいないJovianが思ってしまうわけだが、それほどにこのシーンのたすくの涙は観る者の胸を打つ。

 

この芝居を受けて立つ吉岡里帆も見事の一語に尽きる。この女優は「かわいい」だとか「スタイルがいい」だとか「濡れ場を演じられる」などの点で評価すべきではない。『 見えない目撃者 』のように、追い詰められた状況でこそ真価を発揮する。怒って金切り声を上げる演技なら、そこらの中学生にでも出来る。しかし、不信、怒り、疲労、悲しみ、安堵などの様々な感情がないまぜになったところを、大袈裟なアクションや発話ではなく、その表情やたたずまいで表現できることこそがこの女優の強みである。彼女のハンドラーは、くれぐれも少女漫画や恋愛小説の映画化作品のヒロインに彼女を推さないようにして頂きたいものである。

 

母親、兄、悪友に良い意味でも悪い意味でも支えられるたすくの物語は、大みそかの夜で閉じる。この結末は途中ですぐに思い浮かぶ。たすくは少しは成長できたものの、まだまだ未熟なままである。キャッチフレーズの如く、カネもないし、仕事もない。自分に自信もない。だから愛する娘に会わせる顔もない。『 シラノ恋愛操作団 』のテウンのようにはなれたものの、愛娘への思慕はいかんともしがたい。「会うのはこれが最後」と言ったことねの言葉を振り切り、過去の自分の過ちに向き合い、たすくは乾坤一擲の勝負に出る。たすくの魂の咆哮を聞け。柳葉敏郎が言うように「なまはげは人生の意味や家族の絆を考えさせてくれる存在」なのだ。たすくは父親にはなれない。しかし、なまはげにはなれる。娘の記憶と人生に残るためにたすくが選んだ方法に、どうしたって胸を締め付けられずにはいられない。

 

「泣く子はいねぇがーーー!!!」

 

Jovianは少し泣いてしまった。

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ネガティブ・サイド

たすくが男鹿にいられなくなった理由には説得力がある。ただテレビカメラが映すか?ちらっと一瞬だけカメラの前を横切ったのは仕方がないにしても、かなり長い間、たすくの尻を映し続けたのは、はっきり言ってプロカメラマンにあるまじきミスだと感じた。

 

たすくとことねの歴史は色々とほのめかされるだけで終わるが、この二人が結構な幼馴染で色々なドラマを紡いできたことは想像に難くない。であれば、なぜことねは大晦日の男衆に、あるいは世話役である柳葉敏郎に電話なり何なりをして、「たすくに飲ませないでほしい、早めに帰らせてほしい」と伝えなかったのか。たすくのダメ男加減はことねが一番わかっているはずではないか。そうしたことねの根回しも虚しく、たすくは酒で大失敗してしまう。その方がストーリー展開をもっと明快に分かりやすくできたように思う。

 

総評

観る者を幸せにしてくれる作品かと言われれば、決してそうではない。けれども不器用な男の不器用なりのビルドゥングスロマンに、多くの男性が勇気づけられるのは間違いない。コロナ禍で閉塞感が漂っているが、年末に向けて出来るだけ多くの人、特に若い男性に本作を鑑賞して何かを感じ取ってほしいと願う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Any crybabies around?

YouTubeのこの動画で「泣く子はいねぇが」=Any crybabies around? だと学んだ。厳密には頭に Are there をつけるのだが、決まり文句にそこまで杓子定規になることはないだろう。Any movie buffs around? 映画マニアはいねぇが?

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 余貴美子, 吉岡里帆, 日本, 柳葉敏郎, 監督:佐藤快磨, 配給会社:スターサンズ, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

Posted on 2020年11月22日 by cool-jupiter

フード・ラック!食運 50点
2020年11月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:EXILE NAOTO 土屋太鳳 りょう 石黒賢 松尾諭
監督:寺門ジモン

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『 ハルカの陶 』で書いてしまったが、Jovianの実家は焼肉屋であった。自分でも店に短期だが関わったことがあるし、家族で焼肉研究をしていた時期もある。今年の4~5月、さらにその後にも続く飲食業界の惨状を焼肉業界は1996年のO-157、そして2001年の狂牛病ですでに経験していた。だからこそ今も存続している、あるいは新規にこの業界にチャレンジしてきた店には個人的には満腔の敬意を表している。ちなみに監督の寺門ジモンは顔も名前も知らなかったし、今も知らない。嫁さんから「ダチョウ俱楽部やん!」と言われたが、ダチョウ倶楽部というのも名前しか知らない。浮世離れと言わば言え。

 

あらすじ

類まれな食運を持つ良人(EXCILE NAOTO)は、新庄(石黒賢)の依頼で竹中静香(土屋太鳳)と組んで、本当においしい焼肉屋だけを取り上げたグルメサイトを立ち上げることに協力する。静香と二人であちこちの名店を訪れていく良人は、やがて自らの実家、「根岸苑」と母・安江の味の秘密にも迫っていくことになる・・・

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ポジティブ・サイド

焼肉愛が画面を通じて伝わってくる。なんでもかんでも炭火を良しとする向きがあるが、劇中で良人の指摘する通り、炭火はムラがある。本当に炭火に特化した焼肉を提供するなら、タンもカルビもロースもホルモン系もすべて切り方や厚みを変えなければならない。本作はガス焼きの店ばかりが登場し、そのいずれもが薄切り肉に特化している。この一貫性は見事である。

 

また焼肉という料理の特性もしっかりと捉えた議論ができている点も素晴らしい。焼肉というのは一部のお好み焼きや鍋料理と並んで、最後の調理部分を客が担う料理である。だからこそ、店は客と信頼関係を結んでいて、場合によっては一見さんお断りも可能になるとJovianは解釈している(そういう意味では寿司屋の一見さんお断りは意味がちょっとわからない)。良人が焼き方にとことん真剣にこだわる姿勢は元焼肉屋として非常に好ましいものとして映った。

 

良人というキャラが食のライターとして葛藤するところも良い。自分の書いたものが正しく解釈されず、店を苦境に追いやってしまう。それはとても恐ろしいことだ。実際にそうした影響力を持つ個人というのは存在するし、ごく最近でもとある前科者のIT実業家が餃子店の経営を窮地に追いやった。Jovianも映画の出来をコテンパンに酷評することがあるが、それによってダメージを受けている人がいるのかもしれないと感じた(ただし、自分はクソ作品にも美点を見出す努力を忘れていないつもりである)。良人のまっとうな人間としての感覚が、彼の人間ドラマの部分、すなわち母親との関係性や食への向き合い方にリアリティを与えている。

 

相棒となる竹中静香というキャラも悪くない。はっきり言って仕事ぶりはちょっとアレだが、その分、良人の母親への接し方に素の人間性がよく出ていたように思う。余命いくばくもない人間には元気に接するぐらいでいい。息子のパートナーとなるかもしれないと母親に予感させるような女性は、妙にへりくだるよりも堂々としているぐらいがいい。土屋太鳳も年齢的に演じる役柄の転換点を迎えているが、女子高生役ではなく新卒社会人役をまずは違和感なくこなせていた。そして安江役のりょうの若作りと病床での痩せ具合。首筋にしわが大きく見えていたのは、特殊メイクではなく本当に減量した結果なのだろうと思わせてくれた。本作はある意味で一から十まで安江の幻影を追うストーリーである。様々な焼肉職人らと時代や地域を超えて協業してきた安江とその夫のストーリーは描かれることはないものの、その立ち居振る舞いと存在感でキャラクターの重厚性を表現したのは見事の一語に尽きる。

 

焼肉を提供する側の努力や工夫をさりげなく見せているところも好感度が高い。エンドクレジットで一瞬映る厨房には包丁がパッと見で10本ほどあった。Jovianの実家は8本。回らない寿司屋だと1~4本ぐらいが多い気がする。焼肉屋は実は日本で一番包丁を使い分けているところなのだ。また熟成肉を解体するシーンが見られるところもポイントが高い。なぜそれが熟成肉だと分かるのか。店で解体しているからだ。つまり、〇月×日から□月△日まで冷蔵庫で寝かせておいたということが証明できる。今はどうか知らないが、20年ほど前は「熟成肉でござい」と言って売ってくる業者もいたのである(しかも港のマイナス60度とかの倉庫で半年眠っていたような肉)。上等かつ良心的な焼肉屋の舞台裏を大スクリーンで見せるところに寺門ジモンの肉愛が感じられる。エンドクレジットというのが心肉い、いや心憎いではないか。

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ネガティブ・サイド

寺門ジモンに焼肉愛があることは分かったが、映画愛はそれほどでもないのだろう。愛とは愛情だけではなく造詣や、新境地を切り拓いてやろうというフロンティア・スピリットは感じ取れなかった。たとえば「焼肉が最高の演技をしたらどうなる?」とトレイラーは散々煽ってくれたが、果たして肉に熱が加えられていく様をこれまでにない角度で撮影できたか?その音をこれまでにないクオリティで録音できたか?全くダメだった。肉の焼ける様を鉄板や網の裏側から映す、あるいは俯瞰視点からズームインして秒単位で経時的に肉の表面の焼き色がどう変化していくかを捉える“通”の目線など、新規の実験的なカメラワークはまったくなかった。音響にしても同じで、肉が焦げ、脂がはじける音に究極的にフォーカスしたか。一切していない。既存の映画の調理シーンとなんら変わることのないアプローチで、これで「焼肉が最高の演技をした」ところを捉えたとはとても言えない。肉好き、肉通ではあっても映画好き、映画通の作劇術ではない。

 

ストーリーにも説得力がない。本物の店だけを掲載するサイトを作るというが、そんなものの需要がいったいどこにあるのか。Jovianは食べログを盲信してはいないが、集合知というものに対しては楽観的な見方をしている。ごく少数の人間が意見や情報を世に発信するというのはインターネット以前のマスメディア的な権威のやり方そのものであり、敢えて時代に逆行するやり方を採用するからには、既存の集合知(たとえば食べログ)の弱点を修正する、あるいは補完するという意義が必要である。だが結局やっているのは古山というもう一人の権威者との対決で、だったら食べログなどの設定は一切無視して世の中の権威と称される人間に挑戦していく筋立てにするか、食べログには乗らない上質なお店を丹念に救い上げていく筋立てするか、そのどちらかで良かった。安江と良人の関係性を描いていくのなら前者だけにフォーカスすればよく、やたらと「食べログが~、食べログで~」というのは単なるノイズになってしまった。

 

また良人が食運を持っているという設定がまったくもって活かされていない。独特の感覚で上手い店を発掘するという才能も、結局は冒頭の一軒だけ。あとはすべて静香に連れられて行く食べログで星が云々の店がメイン。せっかくの食運という魅力的な属性設定が台無しの脚本である。また静香も正攻法の取材をするのか覆面取材をするのかがはっきりしない。このあたり、脚本を通読した時に誰も何も思わなかったのだろうか。

 

全体的に肉にばかり目が行ってしまい、焼肉屋のその他の工夫を救い上げられていない。冒頭で古山と鉢合わせする店は無煙ロースターがあったにもかかわらず、もくもくと煙が上がっていて、「これは煙とにおいに関するうんちくが聞けそうだ」と期待したが何もなし。その他の無煙ロースターを敢えて使わない店で「いよいよ何か語ってくれるか?」という店でも何もなし。それやったら最初の店は煙の演出いらんやろ・・・結局のところ、牧場の直売契約や仲買業者との付き合いができるかどうかで手に入れられる肉の味は大きく左右される。であるならば焼肉屋で本当に見るべきところはタレや各種調味料であったり、キムチやスープ類などのサイドメニューである。そのあたりをもう少し物語に組み込むべきだったと思う。

 

ひとつ気になったのが和牛と米国産輸入牛の違いを良人が古山と議論していた場面。「お、禁断の和牛と国産牛の違いに触れるのか?」と期待したが、それは無し。興味のある方は「和牛 国産牛 違い」でググられたし。日本の食肉業界および行政の闇が垣間見えることだろう。

 

余談だが、Jovianの実家の店のタレは醤油ベースの至ってノーマルなものだったが、隠し味にピーナッツを炒ったものを粉末にして混ぜていた。同じくキムチも至ってノーマルだったが、味付けのために殻をむいたエビを電子レンジで15~20分加熱してパリパリにしたものをゴマすり器で粉末状にしたものを一緒に漬け込んでいた。良い機会なのでここに記録を残しておく。

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総評

肉通には面白い作品かもしれないが、では映画通を唸らせるか?というとはなはだ疑問である。お笑い芸人が映画監督をやってみましたという作品なら『 洗骨 』の方が優っている。こうして考えてみると北野武というのは相当に特異な才能の持ち主なのだなとあらためて思わされる。焼肉好きなら劇場へ行こう。映像美やドラマを求めるなら、スルー可である。

 

Jovian先生のお勧め焼肉屋 

岡山県岡山市の焼肉韓国料理 『 南大門 』

肉も内蔵も鮮度抜群。ユッケやナマセンも超美味だった。岡山の親戚、ホテルOZやホテルmesaのオーナー御用達の名店。もう7~8年行っていないが、食べログによるとまだまだ頑張っているようだ。

 

大阪府大阪市の『 万両 』(南森町店)

某法律事務所の専従経営者の方のお勧め。グルメリポートをやる芸能人やアナウンサーは極度のボキャ貧で「美味し~、やわらか~い」ぐらいしか言えないが、それは主に「脂」の味と触感。ここは「肉」の味と触感を重視している。肉の繊維質まで味わえる、王道でありながら数少ない焼肉屋。

 

大阪府大阪市の和匠肉料理 『 松屋 』(阪急うめだ本店)

文の里の商店街のポスターの文句「いいものを安くできるわけないやろ!」の精神を発揮して、「いいものやから高いに決まってるやろ!」で商売している。肉の柔らかさと噛み応えの両方を堪能させてくれる稀有な店。Jovianは夫婦の誕生日や結婚記念日に行く。それぐらい値段が高く、しかしプレミアム感のあるお店。機会があればぜひ来店されたし。ちなみに『 松屋 』はJovianの大学の後輩の弟が現社長だったりする。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, EXILE NAOTO, ヒューマンドラマ, りょう, 土屋太鳳, 日本, 松尾諭, 監督:寺門ジモン, 石黒賢, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

Posted on 2020年11月21日 by cool-jupiter

グエムル-漢江の怪物- 75点
2020年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソン・ガンホ ペ・ドゥナ ピョン・ヒボン パク・ヘイル オ・ダルス
監督:ポン・ジュノ

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『 ゴジラ 』がそうであるように、怪獣は戦争や災害、あるいは人間の業の象徴である。本作を通じてポン・ジュノは何を描こうとしたのか。英語タイトルが“The Host”であるところから、『 パラサイト 半地下の家族 』の対になる作品であることは間違いない。

 

あらすじ

在韓米軍基地は毒薬を漢江に垂れ流していた。その数年後、突如として漢江から巨大なオタマジャクシのような怪物が出現し、人間を襲っていく。怪物に娘ヒョンソをさらわれたカンドゥ(ソン・ガンホ)は家族総出でヒョンソを救出しようとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』が韓国人家族と韓国人家族(と韓国人家族)の寄生関係を描いたものであるとすれば、本作の英語タイトルが指し示す“宿主”とは何か。それは歪な韓国社会そのものだろう。歪とはどういうことか。それは宗主国たるアメリカの軍部に言われれば、自らの国土を猛毒で汚染することもいとわない国家の体質だ。いわば、このグエムルは韓国社会の鬼子なのだ。

 

本作は怪獣映画にしては珍しく、怪獣の登場を引っ張らない。開始10分も経たないうちに怪獣が姿を現す。そして人々を襲っていく。ゴジラ級のサイズではなく、マイクロバス程度の大きさの怪獣が白昼堂々と全身を晒して人間を食べていく様は爽快ですらある。凡百の作り手ならば、グエムルの初登場は夜、それも酔っぱらって、ひとり夜風にあたろうと川べりにやってきた者を尻尾でヒュンと引き寄せて終わり、のような焦らす構成にするはず。ポン・ジュノ監督はそれをせず、怪獣の見せ場をいきなり序盤に持ってきた。そうして怪獣の社会に与えるインパクトを最大限に観客に見せつけ、そこから怪獣に対処していく韓国政府や米軍、そして娘を奪われた家族の動きに視線をフォーカスしていく。『 GODZILLA ゴジラ 』のサブプロットになりそうだった「怪獣出現によって離散してしまった(主人公とは赤の他人の)親と子の物語」を、『 エイリアン2 』でリプリーがニュートを救出せんとする勢いで展開される家族の奮闘物語は、日本の怪獣映画ジャンルではあまり見られなかったものだろう。怪獣が暴れていなくても、カンドゥの家族が当局や軍を向こうに回して奮戦して、緊張感が途絶えない。

 

ダメ男であるソン・ガンホが娘のために立ち上がり、一度はあきらめかけた家族が、それでもヒョンソ救出のために一致団結して、韓国の当局や米軍をも相手に回して、堂々とグエムルに立ち向かっていく描写は、リアリスティックとは言えないが、非常に力強く上質なファミリードラマになっている。ぺ・ドゥナがアーチェリー選手というのもいい。映画の世界では『 ロード・オブ・ザ・リング 』のレゴラス、『 ハンガー・ゲーム 』のジェニファー・ローレンスに次ぐ射手で、スマートに標的を素早く射抜くのではなく、泥まみれになって必中のタイミングを待つタイプである。終盤の一撃はひたすらにかっこいい。

 

本作の背景には『 サニー 永遠の仲間たち 』で描かれたような、軍事政権に圧迫されていた民衆の蜂起の歴史がある。グエムルは鬼子であって奇形生物であり、その原因は米軍が作ったとなると、どうやってもベトナムを想起しないわけにはいかない。『 息もできない 』で描かれたように、戦争は人間の心を壊すのである。本作は、家族の再生物語でもあるのだ。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』にも通じる、というか受け継がれたエンディングがそこにある。邦画の世界が『 朝が来る 』で提示したテーマを、韓国は10年以上前に先取りしていたようである。さらにCOVID-19やMERS以前でありながら、マスク姿の市民のパニックを正確に描き出してもいる。ポン・ジュノの慧眼、恐るべし。

 

ネガティブ・サイド

結末がちょっと・・・ 韓国の家族観には感動させられることもあるが、困惑させられることもある。本作はその両方を味わわせてくれるが、感動3:困惑7の割合である。

 

グエムルを倒すための最終兵器もやや???である。グエムルに効いて、人間相手には効いたり、効かなかったりする。もちろん米軍への皮肉なのであろうが、気象条件によっては使用できない兵器というのはいかがなものか。いっそのこと、漢江に対グエムルの物質を大量に放流するぐらいのエクストリームな展開にしてもよかったのではないかと思う。

 

最後に米軍サイドの人間にもなんらかの勧善懲悪的な展開があってほしかった・・・ これは大人の事情で難しいか。

 

総評

シンプルに面白い一作。コロナ禍の今だからこそ再鑑賞する意味や機運が高まっていると言えそう。怪物グエムルのCGっぽさに2000年代を感じさせるが、その他の家族ドラマの部分には普遍性が感じられるし、国家や社会の怪物(およびウィルス)への反応には先見性が感じられる。年末年始は里帰りせずstay homeの予定であるという向きは、本作をwatch listに入れておかれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be broad-minded

『 罪の声 』で三頭竜=Three-headed Dragonなど、分詞の形容詞的用法の例を紹介させてもらった続きである。序盤の米軍科学者が“The Han River is a broad river. Let’s be broad-minded.”=漢江は広い川だ。我々も広い心を持とう(そして汚染物質を川に流そう)と言うシーンがある。narrow-minded=偏狭な、狭量な、心の狭い、とセットで覚えよう。

 

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『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

Posted on 2020年11月20日2022年9月19日 by cool-jupiter

ホテルローヤル 40点
2020年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 安田顕 松山ケンイチ
監督:武正晴

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武正晴監督は、基本的に可もなく不可もない作品を量産する御仁であるが、時に『 百円の恋 』のような年間最優秀作品レベルの映画を時折送り出してくる。本作はどうか。やはり可もなく不可もない出来栄えであった。

 

あらすじ

雅代(波瑠)は大学受験に不合格したことから、家業のラブホテル経営を手伝うことに。しかし、頼みの母が不倫相手と出て行ってしまい、父と二人でホテルを切り盛りすることに。雅代はホテルで働く従業員や、ホテルの客の人生の様々な一面に触れていくことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201120225027j:plain
 

ポジティブ・サイド

役者陣はいずれも頑張っている。安田顕のオーナーっぷりは堂に入ったものだし、出番こそ少ないものの夏川結衣は milfy なオーラを発していた。余貴美子が呆然自失とした表情で歌う様は、とてもサブプロットとは思えない迫力があった。

 

ラブホテルに来るお客もユニークだ。特に中年夫婦の風呂場での語らいとまぐわいには大いに説得力を感じた。Jovianはとある受講生だった産婦人科の先生に「妊娠は通常ではないけれど正常で、決して異常ではない」と教わったことがある。これを少々言い換えさせてもらえれば、「セックスは日常ではないけれど正常で、決して異常ではない」となるだろうか。若者の恋愛やセックスよりも、中年夫婦のセックスの方が見ていて癒される。これはむずがゆくも新しい発見であった。

 

波瑠は『 弥生、三月 君を愛した30年 』と同じく、高校生から大人までを演じ切った。常にアンニュイなオーラを醸し出しながら、優しさもありならが激情も秘めていた。父親に対してのみ気持ちを言葉にして発するが、それ以外は基本的に表情や立ち居振る舞いで表現しているところが好ましく映った。ラスト近くで服を脱ぐ所作もGood。長回しのワンカットだったが、カメラの距離やアングルを完璧に把握して、“期待させる”シーンを生み出していた。

 

踏切で過去と現在が交錯する演出も面白かった。性とは生であり正なのかもしれないと、ほんの少しだけ感じた。

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ネガティブ・サイド

ラブホのバックヤードにリアリティが感じられない。Jovianには岡山県でラブホをいくつか経営している親戚がいる(岡山県でこの映画のタイトルっぽいホテルを見かけたら、ぜひご利用いただきたい)。なので、親戚を尋ねた時に2度ほど舞台裏をのぞかせてもらったことがある。まず、声などは絶対にバックヤードまで漏れ聞こえてこない(隣の部屋の声が聞こえることはあるが)し、もし構造上それが可能であるならばただちに是正されているはずだ。親戚に言わせると年に1回ぐらい警察がやってきて、ホテルの隅から隅まで見て回るのだ。おそらく仕事をしているふりなのだろうが、行政指導、下手をすれば営業許可の取り消しを食らいかねない建造物の欠陥を何年も何十年も放置するか?信じがたいことだ。

 

またオバちゃん連中の仕事がベッドメーキングばかりで、ラブホの仕事で一番大変とされる泡風呂の後始末については何も描かれなかった。観客のかなりの数がラブホユーザーの生態に興味があると同時に、ラブホを経営・運営する人間に興味があって劇場に足を運んだはず。そうしたラブホを支える仕事人たちのプロフェッショナリズムが映し出されなかったのは残念である。

 

火災報知機のシークエンスは場面のつなぎがおかしかった。廊下に客が溢れ出してきたのに、雅代が携帯で通話し始めると全員がパッと消えた。編集の時点で奇妙さに気が付かなかったのだろうか。

 

メインキャストは頑張っていたが、一部の俳優はミスキャストであるように感じた。特に伊藤沙莉の女子高生役は無理があるし、キャバ嬢の真似事も妙に似合っているせいで、逆にシラケてしまった。というか、武監督は何をどう演出してリアルなキャバ嬢を伊藤に演じさせたのだろう。馬鹿な女子高生が馬鹿なことをやっているという絵を撮りたければ、リアルにキャバ嬢を演じさせる必要はないだろう。上手な演技ではなく下手な演技を指導することも時には必要である。

 

その伊藤沙莉とホテルにやってくる岡山天音の演技・演出面はもう一つ。嘔吐したなら最後に「ペッ」とやりなさいよ。そして口ぐらい拭いなさい。すぐ目の前にトイレットペーパーがあるのだから、それを使えばいいのに、何をダラダラとセリフをしゃべっているのか。仮に酔っぱらって吐いたという経験がなくとも、それぐらいの演技はできるだろう。それとも武監督の手抜きだろうか。

 

雅代が最後にボソッと呟く「あまりに久しぶりなので忘れてしまいました」という台詞も引っかかった。ご無沙汰なのは良いとして、では最後の経験はいつ、どこで?少なくともそれを感じ取らせるようなシーンは必要だったと思う。八百屋の同級生の言う同窓会がそれにあたるのかもしれないが、だったら同窓会で酒を飲んでため息をつく雅代のシーンを挟んでおけば、観る側が脳内で保管できる。手間がかかるのは百も承知だが、そうしたちょっとしたひと手間が作品のクオリティを高めるのである。

 

総評

コメディかと期待して劇場に行くと面食らうだろう。様々なヒューマンドラマが展開されるが、ちょっと非日常感が強めで、そこを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは観る人による。ただし、細部のリアリティについては神経が行き届いているとは言えないし、物語が放つメッセージも極めて不明瞭である。波瑠のファンなら鑑賞しても損はないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I no longer have a home to return to.

伊藤沙莉演じる女子高生の言う「もう帰る家がない」という台詞の私訳。a home to return toで一種のセットフレーズである。どういうわけか a home to go back to だとか a home to get back to という言い方はほとんどしないし、a home to return to という表現も、おそらく九分九厘は否定形で使われる。a moment of glory を求めてのone night stand の結果、“I no longer have a home to return to.”となる人間が一定数生まれるのも人の世の常であろうか。

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