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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

アニー・イン・ザ・ターミナル 30点
2019年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー サイモン・ペッグ デクスター・フレッチャー
監督:ボーン・ステイン

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前々から気になっていたので、TSUTAYAで準新作になったので早速レンタル。マーゴット・ロビーとサイモン・ペッグに惹かれたが、中身はイマイチであった。

 

あらすじ

ロンドン地下鉄のとあるターミナルの24時間営業カフェで働くアニー(マーゴット・ロビー)は、地下クラブで働くコールガールでもあり、フィクサーの下で街のトラブルを裏で解決する仕事人でもあった。彼女の真の狙いは・・・

 

ポジティブ・サイド

マーゴット・ロビーの怪演とサイモン・ペッグの熟練の演技ぐらいしかい観るべきものはない。赤のストロボライトの明滅の合間に妖しい笑顔と平然とした表情を織り交ぜるのは絵としては良かった。

 

またロンドンは20km離れれば、日本で言えば200km離れたぐらいに違う言葉を話すと言われているが、劇中では確かにそのように感じられた。殺し屋稼業の二人組とサイモン・ペッグ、夜間管理人の男たちは、同じLondonerでも、日本で言えば大阪弁と岡山弁ぐらい違う言葉を話していた。

 

ネガティブ・サイド

クリシェだらけである。

 

時系列を狂わせて物語を見せるのは『 市民ケーン 』以来の一つの型であるが、そのことが結末の驚きにつながってこない。というか、それなりに型破りな見せ方をするのであれば、結末にもっとアッと驚く仕掛けを持ってきてほしい。邦画の『 イニシエーション・ラブ 』の方がはるかに優っている。

 

また『 グッドウィル・ハンティング 』以来、掃除人には何かがあると考える癖が映画ファンにはついてしまった。またはテレビドラマ『 家なき子 』の庭師のじいさんでよいだろう。こうしたjanitorは往々にして見かけ以上の役割を担っている。

 

また、地下世界への案内人が白ウサギという“アリス”以来の伝統にも変化球が必要である。『 マトリックス 』のように、ウサギはウサギでも、ウサギっぽくなさそうなキャラを用意すべきである。うさ耳カチューシャをつけたコールガールというのは、あまりにも下品である。

 

なによりもクリシェなのはアニーそのものに仕込まれたトリックである。まさか2010年代にもなってこのようなネタを使ってくるとは、脚本家は何を考えているのか。せめて『 シンプル・フェイバー 』ぐらいの変化球を放るべきである。このような手垢のついたトリックはもはや害悪である。そういう設定で観る者を驚かせたいなら、邦画『 キサラギ 』や同じく邦画『 アヒルと鴨のコインロッカー 』を参考にすべきだろう。

 

総評

はっきり言って観る価値はない。マーゴット・ロビーの熱烈なファン以外に勧めることはできない。といっても、マーゴット・ロビー信者でもこのプロットには腹を立てると思われるが・・・ 中盤まではひたすらに眠くなるような展開なので、一種の睡眠導入剤にはなるのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

have bigger fish to fry

実は今作で初めて耳にした表現である。しかし、ストーリーの文脈から意味はすぐに分かった(アニーは ”We got bigger fish to fry.” と言った)。直訳すれば「揚げるべきもっと大きな魚がいる」だが、その意味は「もっと大事な用事がある」である。調べてみたところイギリス英語らしいが、コンテクストが明らかであればアメリカ人にも通じると思われる。フィッシュ&チップスのお国らしい、面白い表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, イギリス, サイモン・ペッグ, ハンガリー, マーゴット・ロビー, ミステリ, 監督:ボーン・ステイン, 配給会社:アットエンタテインメント, 香港Leave a Comment on 『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』 -全てがクリシェのクソ映画-

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

Posted on 2020年1月3日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2020年1月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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新年早々、また観に行ってしまった。中毒症状を呈している・・・とまでは思わないが、義務感に駆られているわけでもない。正月にすることがない。だからチケットを買い、劇場に行く。そこでたまたま『 スター・ウォーズ 』が上映されているだけのことである。

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久々に父と母に会ってきた。父は『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』を観て、卒業したとのことである。父は元々、筋金入りのトレッキーである。SF好きではあるが、そのルーツは劇場でリアルタイムで観た『 2001年宇宙の旅 』であり、『 エイリアン 』であったという御仁である・映画好きではあるが、『 ハリー・ポッター 』や『 ロード・オブ・ザ・リング 』はシリーズ途中で離脱している。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』を観る気にならないというのなら、それも善哉である。

 

母は、本作にいたく感動していた。シークエル三部作にはオリジナル三部作に共通するものが多く、それが良いと語っていた。最も気に入ったのは、CGがあまり使われていない、ということらしいが、それは母の目が曇っている。CGだらけである。だが、事の本質はそこではない。オーガニックな雰囲気が良いのである。オールドファンは着ぐるみに安心するのである。

 

今回もいくつかのこと考えながら鑑賞した。

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  • 楽しめた点

輸送船は確かに二隻あった。盲点というのは怖いものである。

 

エンド・クレジットにElisa Kamimoto(だったような気がする)という名前を発見。日系人も頑張っている。

 

スター・デストロイヤーは初代『 スター・ウォーズ 』の冒頭から登場している馴染みの戦艦だが、ついにその名の通り、星をデストロイする性能を手に入れた。このぶっ飛んだ発想は嫌いではない。

 

キジーミの酒場のJohn Williams、確認。2018年に大阪・福島のシンフォニーホールで【 Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~ 】を聴いたが、指揮者の尾高忠明氏はジョン・ウィリアムズを評して「生まれるのが200年早ければ、ベートーベンになっていたかもしれない人」と言っていた。『 スーパーマン 』や『 E.T. 』のテーマも唯一無二だが、『 スター・ウォーズ 』を『 スター・ウォーズ 』たらしめる最大の要素は、ジョン・ウィリアムズの音楽、そして各種の効果音(タイ・ファイターの飛行音やライトセーバーのバズ音など)かもしれない。それほど、『 スター・ウォーズ 』における音は特徴的である。そのことが本作で十二分に確かめられた。

 

最近、立て続けにアダム・ドライバーの出演作品を鑑賞していたせいか、本作を観る時にも主人公のレイ以上にカイロ・レンに注目してしまう。そして見れば見るほどに、この稀代の悪役にして正義のヒーローというキャラクター造形から、『 ハリー・ポッター 』シリーズのセブルス・スネイプに並ぶ愛憎入り混じる複雑な人物に仕上がったように思えてくる。奇しくも、黒を基調とした服装に、髪型や顔の造りにも共通点があるように思うが、いかがだろうか。彼がベン・ソロに回帰し、レイからライトセーバーを受け取る直前の険の消えた表情は、アダム・ドライバーのこれまでの役者人生のハイライトだろう。もちろん、この男のピークはここで終わりではないはずである。

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  • 疑問点

序盤のレイの修行シーン。BB-8はどうやって崖を超えたのだろうか。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』でR2-D2が飛んだ時は、驚嘆したと同時にとてつもない後出しジャンケンを喰らった気持ちになったことを覚えている。どこか迂回路があったのであろう。

 

レンのスター・デストロイヤーに乗り込んだ際に、フィンが覚醒しつつあるフォースを使って、「どっちか分からないが、ついてこい!」というシーンでは、何故かレイの方が先に走り出している。フィンの見せ場は・・・ まあ、レイのフォースの方が格段に強く、正確だというふうに受けとめておきたい。

 

巷であーだこーだ言われているレイの妊娠説について。私見では、それはない。が、その可能性を追究しようとする人は世界中にいるようである。このことは実は、THE CANTINAやRedditで映画の公開初日から議論されていることである。Jovianがレイ妊娠説を否定する根拠は主に二つ。一つには、J・J・エイブラムスは「スカイウォーカー家のサーガを終わらせる」と宣言していたこと。またルークも“Some things are stronger than blood.”と明言していた。もう一つには、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』でレイはカイロ・レンを、“ベン・ソロ”と呼ぶことはあったが、“ベン・スカイウォーカー”とは一度も呼ばなかった。そのベンの子を身ごもったことを理由にスカイウォーカー姓を名乗るだろうか。またレイを蘇らせようと手を胸ではなく腹に置いたこと根拠にする人もいるようだが、卵巣も子宮もそこにはない。まあ、ライフ・フォースは手を当てた位置の少し先に作用する(地下の巨大蛇やカイロ・レン)ようであるが、それを基に考えても、やはり純粋に蘇生の為にわき腹に手を置いたと考えるのが自然なような気がする。レイの妊娠説は仮説としては面白いが、仮説の域を決して出ない。

 

もう1~2回ぐらいは劇場鑑賞してみたいと思う。親父を無理やり連れて行こうかな。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fourth Viewing-

2019年総括と2020年展望

Posted on 2019年12月31日2020年8月29日 by cool-jupiter

2019年総括

2019年は劇場、レンタルで約250本の映画を観たのか。この時間とカネを自分磨きに使っていれば・・・などと思っては負けである。今年は『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』や『 主戦場 』、『 サッドヒルを掘り返せ 』など、力のあるドキュメンタリー作品が多かったという印象を抱いている。またCGと実写の境界線が揺らいだという印象も強い。『 アリータ バトル・エンジェル 』や『 ライオンキング(2019) 』、『 ジェミニマン 』は映像の新世紀の幕開けを告げる作品だろう。

一方で、『 アベンジャーズ 』と『 スター・ウォーズ 』という二大シリーズが完結した年でもある。それが悲しむべきことなのか、喜ぶべきことなのかは、今のところよく分からない。確かなことは、義務感によって劇場に足を運ぶ人の数は減るだろうということ。Jovianは『 スター・ウォーズ 』は何回観ても苦にならないが、『 アベンジャーズ 』は一回でお腹いっぱいである。

邦画の世界は、相も変わらず漫画と小説の映画化に血道を上げている。それ自体は悪いことではない。問題は、それがメインストリームになってしまっていることだ。『 イソップの思うツボ 』と『 スペシャルアクターズ 』はもう一つだったが、上田慎一郎のような実験的な監督あるいはアプローチをする者が、もっと出てきてほしい。

それでは個人的な各賞の発表を。

 

2019年最優秀海外映画

『 存在のない子どもたち 』

2018年の『 判決、ふたつの希望 』に続いて2年続けてレバノン映画を選出させてもらった。テーマの鮮烈さ、それを切り取るドキュメンタリー的な技法、最後にようやく映し出される希望の笑顔。メッセージ性の強さでは群を抜いていた。

 

次点

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』

海外映画というよりもグローバル映画と呼びたい。ゴジラという怪獣は日本が生んだ偉大なキャラクターという枠にとどまらず、地球規模で愛され消費されるコンテンツになったのである。『 ホテル・ムンバイ 』や『 クリード 炎の宿敵 』よりもこちらが上回ったのは、ただただJovianがゴジラ好きであるからに他ならない。

 

次々点

『 ジョーカー 』

悪を新しく定義しなおしたことが本作の最大の貢献だろう。狂っているのは自分なのか、社会なのか。世界中が本作に熱狂している/していたことの意味を、我々はよくよく考察すべきだろう。

 

2019年最優秀国内映画

『 翔んで埼玉 』

近年の邦画では突出した面白さ。それはギャグが面白いからではなく、その奥に鋭く社会を批評する精神を内包しているからである。2020年東京オリンピックでは、マラソンを札幌開催となることが強権的にIOCによって決定された。その際のメディアの矛先は、IOCではなく札幌に向かった。これが本社を東京に置く日本のメディアの正体である。東京をユーモラスに、しかし確実に批判している本作は、娯楽要素と社会派要素を高い次元で融合させた傑作である。

 

次点

『 アルキメデスの大戦 』

戦争を知らない世代が政治権力の中枢に居座り、国民を貧困に追いやり、国際情勢にも混乱をもたらしている。今という時代が戦争前夜であるとは思わないが、戦争前夜の様相を呈しているということは、多くの識者や高齢世代が異口同音に語ることでもある。Jovianは戦争映画は好きであるが、戦争は嫌いである。戦争をフィクションとして楽しめる時代の継続を望みたい。

 

次々点

『 主戦場 』

Jovianの母校の恩師は、「歴史とは虚構である」、「現実は多層である」との教えを叩きこんでくださった。歴史とは現在との遠近法の中で何度でも捉え直されるべきものであるし、現実とは一色で塗りつぶされるものでもない。本作を右派と左派の対立にフォーカスしていると感じる視聴者は、もう一度、ミキ・デザキの主張がどこにあるのかを考え直されたし。

 

2019年最優秀海外俳優

ホアキン・フェニックス

『 ドント・ウォーリー 』と『 ジョーカー 』 の二作の主演で間違いなし。というか、アーサー・フレックを演じた『 ジョーカー 』一作だけでも文句なし。

 

次点

シム・ウンギョン

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』と『 新聞記者 』で日本人役を、少々舌足らずではあったが、見事に演じ切った。日本人も、ハリウッドを目指すだけではなく韓国、中国、タイ、ベトナムなどに進出をするべきだ。

 

次々点

フィリップ・ラショー 

『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で残したインパクトは100トン級だった。

 

2019年最優秀国内俳優

成田凌

『 チワワちゃん 』、『 愛がなんだ 』、『 さよならくちびる 』、『 カツベン! 』の四作品出演で文句なし。『 カツベン! 』は映画として悪かっただけで、役者に責められるべきポイントは少なかった。

 

次点

吉沢亮 

『 キングダム 』 の秦王政、『 空の青さを知る人よ 』の慎之介の voice acting で、その確かな演技力を強烈に印象付けた。これまでは出演作のクオリティに恵まれなかったが、2019年は吉沢亮の年になったと言ってよいだろう。

 

次々点

松岡茉優 

『 バースデー・ワンダーランド 』、『 蜜蜂と遠雷 』、『 ひとよ 』 の三作品で選出に異論なし。

 

2019年最優秀海外監督

トッド・フィリップス

コメディ畑の監督が『 ジョーカー 』を成功に導いた。キャッチフレーズである”Put On A Happy Face” の真意は、コメディの何たるかを知る同監督ならではであろう。笑いの仮面をかぶるということは、心の中では泣いている、もしくは怒っているということである。そして、人を笑わせたいと願う男が、人に嘲笑われてしまう。病んでいるのは社会か、それとも己なのか。日本社会からいじめが減らない一つの背景に、「いじめ」と「いじり」が峻別されないという実情がある。職場や学校の人気者とされる人々は、本当に幸せ者か。彼ら彼女らは笑わせているのか、笑われているのか。そんなことを、ふと考えた。

 

次点

ノア・バームバック

『 マリッジ・ストーリー 』一作で文句なし。 芸術性と娯楽性の両方を同時に追求することができる稀有な手腕の持ち主である。

 

次々点

スティーブン・ケイプル・Jr.  

『 クリード 炎の宿敵 』 で文句なし。シルベスター・スタローンの新人監督のポテンシャルを嗅ぎつける嗅覚の鋭さには敬服するしかない。

 

2019年最優秀国内監督

真利子哲也

『 宮本から君へ 』 で現代人向けに強烈なメッセージを送ってきた。お前たちは真に生きているのか、と。本作は暴力を称揚しているわけでも容認しているわけでもない。ただ、男という生き物が力を正しく揮うのだとすれば、それは生存を賭けた闘争か、あるいはつがいの女のためであろう。本作は「漫画を映画化するのなら、これぐらいしてみろ!」という真利子監督の邦画界への一喝である。

 

次点

白石和彌 

『 ひとよ 』 で、家族という共同体の一面の真実を炙り出した。相手が憎いのは「好きでありたい」という気持ちの裏返しであり、相手をどうやって受け入れればいいのか分からないというのも「受け入れてやりたい」という気持ちが無ければ生まれてこない疑問である。家族という虚構の共同体の成り立ちに新たな光を当てたと言える。

 

次々点

石井裕也 

『 町田くんの世界 』 で、主演二人に新人を起用。それでも映画を佳作に仕上げ、なおかつ非現実的な展開も序盤の伏線でクリア。『 宮本から君へ 』の宮本に次いでカッコイイ男、町田くんを世に送り出した功績を称えたい。

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』

これほどオリジナリティに欠けるクリシェ満載のホラー映画は貴重である。企画やストーリーボードの段階で、「これ、作ってもつまらないんじゃ・・・」とは誰も感じなかったのか。類似のテーマでもっと面白い作品を観たいという向きには邦画『 いぬやしき 』をお勧めしておく。

 

次点

『 ジェミニマン 』

ウィル・スミスには悪いのだが、点数ゆえにこの位置に来ざるを得ない。というか、IMDbとかRotten Tomatoesを頼りにつまらなそうな映画を事前にスクリーニングしすぎたのかな。もっと自分の直感を頼りに来年はチケットを買おう。

 

次々点

『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』

豪勢な題材を豪勢なキャストで料理しようとして大失敗。いくら素材が良くても、味を決めるのは料理人たる監督であり、それを味わうお客たる視聴者である。

  

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ニセコイ 』

厳密には2018年の作品なのだろうが、ストーリーの面でも映像芸術としての質の面でも、役者の演技面でも、邦画の最底辺だろう。河合勇人監督には捲土重来を期待する。

 

次点

『 二ノ国 』

『 ニセコイ 』との壮絶な一騎打ちに僅差で敗れた。だが、本作もまた邦画、そしてジャパニメーションの最底辺レベルの作品であることは疑いようもない。

 

次々点

『 貞子 』

ジャパネスク・ホラーの夜明けを告げた『 リング 』シリーズは、本作をもって水平線の向こうに沈んでしまった。再び輝きを放てるのは果たしていつの日か。

 

2020年展望

『 ゴジラVSコング 』の公開が2020年3月から2020年11月へ延期されたというのはショッキングなニュースだった。『 スター・ウォーズ 』の完結によってぽっかりと空いた心の隙間を埋めてもらおうと期待していたのだが。

楽しみなのは『 ハリエット 』。女モーゼとも呼ばれたハリエット・タブマンの映画である。彼女は2020年に米20ドル札の表面に載る。それも1920年の第19回憲法修正で女性に参政権が付与された100周年記念の一環として。職業柄、アメリカ近代史に関心のあるJovianは、本作が楽しみでならない。

私事ではあるが、今年で今の会社を辞めて別の会社へ移ることになった。いわゆる転職である。語学業界内での転職だが、職務は少し変わる。外国語、特に英語学習の需要は高まるばかりだが、通訳機や翻訳機のレベルが指数関数的に向上した時、この業界全体がどのような変化を迫られるのだろうか。上司にメールで退職の意を報告したのは『 ジョーカー 』を鑑賞した直後。何ともcinephileらしいではないか。

新年の抱負としては、2020年は10~20記事にひとつぐらいは日英両語で書くようにしたい。また、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】への完全引っ越しも果たしたい。来年も良い年になりますように。

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代Leave a Comment on 2019年総括と2020年展望

『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

Posted on 2019年12月31日2020年9月26日 by cool-jupiter

パラサイト 半地下の家族 75点
2019年12月30日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ チェ・ウシク パク・ソダム
監督:ポン・ジュノ

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半地下とは面白い構造である。『 怪しい彼女 』でも、バンド名に半地下=パン・ジハとつけられていた。韓国・ソウルは坂の街なので、半地下を持つ家、もしくは半地下に存在する家があることは珍しいことではない。しかし、本作の言う半地下の家族には、それ以上の意味がある。

 

あらすじ

半地下の家に暮らすキム一家は、家族そろって失業者。しかし長男ギウが友人の伝手で富裕家族の娘の家庭教師職を得たところから、妹ギジョンも家庭教師として、そして父も母もその一家から仕事を得るようになる。富裕家族に寄生するキム一家は、しかし、悲劇に巻き込まれて行く・・・

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ポジティブ・サイド

2019年の日本を読み解くキーワードの一つに、間違いなく「上級国民」が挙げられるだろう。その対義語はもちろん、「下級国民」である。かつての日本は一億総中流などと言われていたが、そんな時代は過ぎ去って久しい。上級国民=富裕層、特権階級だとすれば、下級国民=貧民層、社会的セーフティネットからの落伍者となろうか。トマ・ピケティの『 21世紀の資本 』を読むまでもなく、バブル崩壊以後の日本では、富める者がますます富み、中流とされた層がどんどん下層化していった。そして、『 国家が破産する日 』でも描かれていたように、韓国社会の経済的な分断は日本の20年先を行っている。つまり、日本においても本作で描かれているような上流階級と下層貧民の分断の進行、そして下層民が上層民に“寄生”して生きていくような社会の到来はほぼ確実であろう。そしてそれはジョーダン・ピールが『 アス 』で描き出そうとしたテーマ、すなわち「我々の敵は我々自身」というものと共通する。ありうべき自分と実際の自分の隔たりが大きくなる。それが、韓国でも日本でも、そしておそらく全ての先進国で進行している事態である。それを本作はコミカルに、さらにサスペンスフルに描いた。

 

キム一家は富裕な家族にうまく取り入り、元いた家政婦も追い出し、経済的な危地も脱する。それは爽快ですらある。やっていることは犯罪すれすれ、というか犯罪だが、そうでもしなければ抜け出せない負のスパイラルというものがある。自分たちが汚泥に塗れたことが、金持ちにとっては僥倖になる。これは決して比喩でも何でもなく、資本主義社会における極まった搾取の構造の一つである。これは韓国版の『 万引き家族 』ならぬ『 寄生家族 』であり、下剋上でもある。

 

ポン・ジュノ監督の要請に従ってネタばれは避けるが、中盤と終盤に素晴らしいドンデン返しが待っている。特に終盤のとあるキャラの豹変の理由を、とある感覚に求めたところは秀逸であると思う。映画は基本的に映像で見せるものであり、時に音声を聴かせるものでもある。見た目や話し方をどれだけ取り繕っても、存在そのものが放つものはごまかしようがない。それは行動や言動の否定ではなく、存在の否定である。耐えがたい屈辱である。『 ジョーカー 』、『 ボーダー 二つの世界 』に続く、虐げられた者にフォーカスした傑作外国映画がここに誕生した。

 

ネガティブ・サイド

富裕一家の長男の“解読作業”はどうなったのだろう。また、あれだけの金持ちがセンサーの不良と疑われるものをあれだけ長く放置するだろうか。そのあたりに上手い説明がなかったのが気になった。

 

序盤のミニョクとギウの友情はニセモノだったのか。ミニョクを裏切るにしても、もう少しギウに葛藤が欲しかった。『 ジョーカー 』のアーサー・フレックは、環境や状況によって道を踏み外さざるを得ないところに追い詰められた。もちろん本人の病気の問題もあったが、それは本人の人間性とは関係がない。ギウの人間性に疑問符がつくような描き方は、本作が目指す「社会構造の欺瞞を撃つ」というテーマを薄めてしまっている。

 

総評

お隣の韓国もなかなかに大変なようである。というか、放っておくと日本もこうなるのは火を見るよりも明らかである。家族という共同体の強固さと社会的な連帯の弱体化は比例するのか反比例するのか。貧富の格差が固定化された身分として定着してしまった時、第二の「フランス革命」が起きることすら予感させる。韓国発のこのサスペンスは、先進国にとって非常に示唆的な作品になっている。2020年、必見だろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

スポイラー

映画の冒頭で監督から「ネタばれ厳禁」のお願い、キャストから「劇場マナー守ってね」メッセージがあったのだが、ポン・ジュノ監督は「ネタばれ」を「スポイラー」と言っていた。つまり、英語のspoilerである。韓国語にはネタばれにあたる語がないのかもしれない。そういう時には、外来語をそのまま使うのが賢いのだろう。劇中でも日本語が最低2回出てくる。一つはとあるガジェットの文字、もう一つは日本発の特定のタイプの人間を指すinternational languageである。といってもsamuraiやninjaではない。詳しくは劇場でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, チェ・ウシク, パク・ソダム, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

Posted on 2019年12月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

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スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月26日 梅田ブルク7(ドルビーシネマ)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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劇場鑑賞3度目。今度はドルビーシネマで。英語の批評サイトなどをひとしきり渉猟してみたところ、否定的なレビュー7、肯定的なレビュー3といったところか。面白い傾向として(英語で)読み取れるのは、肯定派と否定派の視点。肯定派はお約束の展開を楽しみ、否定派はお約束の展開を毛嫌いしているようである。『 スター・ウォーズ 』に何を望むのかを通して見えてくるのは、それを観る人間の心の在りようなのだろう。

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個人的には、『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は何度観ても楽しめる。おそらく、あと3~4回は観るだろう。何故か。それは、童心に帰ることができるからだ。まだ自分が生まれていなかった頃に劇場公開された『 スター・ウォーズ 』と実質的に同じような作品をリアルタイムに、自分のお金を使って、自分のスケジュールを調整して観に行くことができる。やっていることは(一応)大人だが、劇場内にいる自分は子どもである。おとぎ話の世界に浸っているのである。

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『 スター・ウォーズ 』が新しい地平を切り拓いたのは間違いない。だからといって、続編が全て新しい地平を切り拓かなければならないわけではない。それに芸術の分野における「新しい地平」は、しばしば古くからある手法を新しい対象に適用した時、もしくは全く新しい手法を古くからある対象に適用した時に現れるものである。前者の好例はヨーロッパの技法でアメリカの風景を描いたトーマス・コール、後者の好例はアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックだろう。『 スター・ウォーズ 』は、古くからある普遍的な要素を持つおとぎ話を、銀河にまたがる冒険譚風に味付けし直したものだ。よく知られていることだが、そこにはテレビドラマの『 フラッシュ・ゴードン 』や黒澤映画『 隠し砦の三悪人 』、さらに児童文学『 オズの魔法使 』の影響がある。というか、これらの作品は『 スター・ウォーズ 』の紛うことなき先行テクストである。『 スター・ウォーズ 』の革新性は対象ではなく、手法にあることは明らかである。どこからどう見てもSF映画なのに、それをおとぎ話的に語るという手法が『 スター・ウォーズ 』の革新性だったはずだ。

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ジョージ・ルーカスが構想していた物語が何であれ、エピソード1、2、3のような世界観は個人的には勘弁願いたい。おとぎ話世界の神秘性を、政治だの経済だの生物学だので剥ぎ取らないでほしい。その一方で、初めて『 スター・ウォーズ 』を初めて観た時に子どもだった者も、42年を経ればどうしたって大人になる。大人になるということは、色々な物事に距離を取ってしまう、もしくは客観視してしまうようになる。それは自然なことである。だが、たまには童心に帰っても良いのではないだろうか。桃太郎に向かって「犬、猿、キジではなく犬、犬、犬を連れて行けよ」だとか、笠地蔵の物語に「そんなことしても意味はないよ」だとか突っ込まないだろう。Rotten TomatoesやYouTubeあたりでネガティブ・レビューをしている者たちは、頭でっかちになりすぎている。普段から鵜の目鷹の目のJovianであるが、自分が好きなものを見る時には片目をつぶるくらいでちょうどよい。『 結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ 』と言われる。『 トレイラーは両目を大きく開いて見よ。 本編を観る時は片目を閉じよ 』が、本作への望ましい接し方ではないだろうか。

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  • 楽しめた点

3度目の鑑賞で感じたのは、『 アクアマン 』のようであるということ。つまり、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのように、「目的地はあそこ。しかし、そこへ行くためにはこのアイテムが必要。そのアイテムはあの洞窟にあって、あの洞窟の敵を効果的に倒すには、この種類の武器を調達するべきだ」という、非常にRPG的な展開をしている。目まぐるしくはあるが、分かりやすくもある。

 

キャリー・フィッシャーが他のキャラクター達と対話するシーンは非常によく練られている。3度目となれば冷静に観察も出来るようになったが、不自然さが感じられない。これらのシーンを完成させたスタッフに最大限の敬意を表したと思う。

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  • 疑問点

マズ・カナタは何故にレジスタンスに加わっているのか?というよりも、レジスタンスでどういう役割を担っているのか。そこが今一つ分からない。前作のラストで銀河中に助けを求めたが、誰も来てくれなかった。反乱軍の将軍ではあるが、一方で亡国の姫でもあるレイアの助けを呼ぶ声には、応じたくても応じられないという勢力がいた。だが、マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

シスのウェイファインダーへのヒントが刻まれた短剣は、いつ作られたのだろう?そもそも、デス・スターの残骸に合わせて作られていて、なおかつルークもそれを追っていたということは、エピソード6とエピソード7の間に作られたということで、その時点で皇帝は蘇っていた?というか、デス・スターは、文字通りに木っ端みじんに吹き飛んだのではなかったか?なぜ、あのように綺麗な断面を保った巨大な残骸が、エンドアの大気圏との摩擦熱で燃え上がった痕跡もなく、存在できているのか?

 

などと考えてはいけない。一見不合理な事象に意味ある説明をしようとすると、暗黒面に囚われてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I could use your help.

レイが惑星キジーミでゾーイに対して言う台詞である。意味は「あなたの助力があれば有り難い」である。could use ~は、「~を使うことができた」ではなく「~があれば助かる」、「~を有り難く思う」である。『 スター・ウォーズ 』でも、デス・スターへの攻撃前にハン・ソロとルークが

“Why don’t you come with us? You’re pretty good in a fight. We could use you. Come on. Why don’t you take a look around?”

“You know what’s about to happen, what they’re up against. They could use a good pilot like you.”

という言葉を交わす。

“I could use some beer!”

“I could use your advice.”

など、色々なものを対象に使える表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

Posted on 2019年12月26日 by cool-jupiter

ヤング・アダルト・ニューヨーク 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベン・スティラー ナオミ・ワッツ アダム・ドライバー アマンダ・セイフライド
監督:ノア・バームバック

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『 マリッジ・ストーリー 』の脚本および監督も手掛けたノア・バームバックとアダム・ドライバーのタッグ作品。確か、嫁さん(当時はまだ結婚していなかったが)だけが劇場鑑賞して、Jovianは観る機会を逸した作品だった。『 スター・ウォーズ 』のシークエル三部作のアダム・ドライバーは一貫して素晴らしいパフォーマンスだった。今後も彼の出演作はマークして行こうと思う。

 

あらすじ

映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は子どものいない夫婦。ジョシュは8年がかりでドキュメンタリーを制作中だったが、出口が見えない。そんな時、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・セイフライド)の20代夫婦と出会う。若いのにレトロな生活を送る二人に刺激を受け、ジョシュは生活にハリが出てきたと感じるが・・・

 

ポジティブ・サイド

悩める中年のベン・スティラーと怖いもの知らずの若者のアダム・ドライバーの対比が映える。40歳を過ぎたところで、自分がなにがしかの仕事を果たせていないことへの焦燥感、子どもを持てていないこと、妻の父が自分よりも遥かに業績を残した映画監督であること、ジョシュのカメラ・オペレータに給金すら出せないこと、そして自分の老いとなかなか向き合うことができず、新しいツールに飛びつくことで、若さにしがみつこうとする。なんともいたたまれない気持ちにさせられる。何故なら、Jovianはベン・スティラー演じるジョシュの行動(それらの多くは無意識にとられている)の多くを、そのまま理解できるからだ。時間と英語力のある方は【 This exactly what’s wrong with this generation 】という動画を13:18時点からご覧頂きたい。そして『 エニイ・ギブン・サンデー 』でアル・パチーノがジェイミー・フォックスらに語った言葉、“When you get old in life, things get taken from you. That’s part of life. But you only learn that when you start losing stuff.”についても考えてみて頂きたい。ジョシュは「膝が痛い」と言う。「自分はまだ44歳と若いのに、なぜ関節炎になるのだ?」と。Jovianも最近、老眼が始まったようである。だが、そうと分かるまでには時を要した。「なぜ自分の目の調子がおかしいと感じられるのだ?目が何かおかしいということ自体がおかしい」と。とにかく、この物語におけるベン・スティラーの仕事、夫婦および家族関係、友人関係(の痛々しさ)は、アラフォー男性に刺さる。特にナオミ・ワッツ演じる妻コーネリアとの夫婦喧嘩は『 マリッジ・ストーリー 』のスカジョとアダム・ドライバーのそれに迫る迫力である。

 

対になるアダム・ドライバーも味わい深い。若いに似合わず古風な生き方を好む好青年なのだが、その実態は情け容赦のない捕食者であり侵略者である。だが不思議なことに、このジェイミーというキャラクターの言動は常に一貫している。彼自身に善悪があるのではなく、周囲の人間、特にジョシュがジェイミーというキャラクターの邪悪さに気付いても、ジェイミーの言動に変化は見られない。『 もしも君に恋したら。 』では、嫌味なクソ野郎に見えて本当は良い奴だったが、その時もアダム・ドライバー演じるキャラクターの言動に変化はなかった。変化したのは、彼とガールフレンドの関係だった。映画ではキャラクターはしばしば変化する。それは成長するからもしれないし、あるいは堕落する、場合によってはダークサイドに堕ちることもあるだろう。『 パターソン 』でも顕著だったが、変化しないキャラを演じさせれば、アダム・ドライバーは当代で一番なのかもしれない。(だとすれば『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は・・・)

 

老いと若さの単純な二項対立のドラマではない。若さの中に老獪さ、老練さが隠れていれば、老いゆく中にも若さへの自信がある。大切なことは、自分で自分をどう形作るのか。そして、他人に自分をどう形作ってもらうのかだ。ダメダメな邦題が多いが、本作の原題“While We’re Young”が『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』と訳されているのは、悪いセンスではないと思う。

 

ネガティブ・サイド

アマンダ・セイフライドの見せ場が少ない。というよりも、ナオミ・ワッツとの年齢的な対照があまり描かれていなかった。邪悪な夫に対して、小悪魔な妻・・・ではなく、倦怠期の妻になってしまっている。それも若さの対比かもしれないが、「子どもを持つ」ということに対する考え方を軸に、コーネリアとダービーのコントラストを描き出すことはできなかったのだろうか。

 

クライマックスのジョシュとジェイミーの対話劇が少々弱い。コーネリアの父の寵愛を巡る闘争の一環なのだが、これを舞台劇風に料理してしまうのは迫力に欠けた。もっと映画的なアプローチはなかったか。例えば、テーブルをはさんで延々と言葉を交わし合うのではなく、スマホで写真や動画を見せながらだとか、ホームページの記述を相手に読ませたりだとか、ジョシュがジェイミーを探ろうとしてきた努力を、もっと目や耳に訴える形で披露できなかったか。そして、それを60代の義父には理解されず、20代のジェイミーに一蹴されるというシークエンスの方が、絶望感はより深まったはずである。

 

エンディングは意味深である。というよりも、余りにも露骨に示唆的である。邦画の『 ミュージアム 』のエンディングにも同じくどさを感じたが、本作のラストの示すところは救いがない。もっとニュートラルな余韻を残してほしかったと切に思う。

 

総評

視点をどのキャラクターに置くかで観る側の印象は相当に異なるのではないか。Jovianは年齢的にどうしてもジョシュ視点で観てしまうが、劇場公開時に一人で鑑賞した嫁さんは、ジョシュの友人男性ひとりを除けば、男性キャラには誰にも好感を抱かなかったという。観る者の性別もきっと影響するだろう。もしかしたら20年後、Jovianが60歳を迎えた時に見直せば、新たな発見があるかもしれない。そんな予感を持たせてくれる作品であるが、まさに子育て中という世代は、エンディングに納得するかもしれないし、または毛嫌いする可能性も大いにある。映画ファンであれば、話のタネにどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is key.

ジョシュが投資家に自分のプロジェクトを説明する時に言う。「これが鍵だ」の意。話のカギになるポイントの前にこう言おう。keyの前にはaもtheも不要。あっても良いし、なくても良い。この“This is key”は【 How to gain control of your free time 】というTEDトークの動画でも聞くことができる。英語プレゼンなどで機会があれば使ってみよう、

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ドライバー, アマンダ・セイフライド, アメリカ, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, ベン・スティラー, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

Posted on 2019年12月22日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月21日 東宝シネマズなんば(MX4D・3D・字幕版)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。けれど、おとぎ話の世界は残る。劇中のとあるキャラクターではないが、“記憶”の中に美しいイメージを残しておきたいと思う。なので二度目の鑑賞では、楽しめた点と疑問に思った点を整理したい。

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以下、マイルドなネタばれあり

 

  • 楽しめた点

『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』で、“自分にとってのスター・ウォーズとは、John Williamsの音楽とドロイド、ミレニアム・ファルコン号の三者から成るものである”と認識することができたが、その思いは今でも変わらない。様々なクリーチャーも魅力的ではあるが、やはりドロイドだなと思う。R2-D2、C-3PO、BB-8といった魅力的な面々にD-Oというマスコットが加わった。『 最後のジェダイ 』のポーグも悪くないが、やはりドロイドである。

 

また、ミレニアム・ファルコン号の活躍はもちろんのこととして、ラストの大団円でXウイングとファルコン号が対話をしていたように感じられた。

 

ファルコン「 久しぶりだな。えらいボロボロじゃねーか 」

Falcon: “Been a long time, dude. You’ve become a peace of junk.”

Xウイング「 人のことは言えないだろ、お前 」

X-Wing: “Damn you, Look what you look like.”

 

宇宙船というのも、『 スター・ウォーズ 』世界に欠かすべからざる重要なガジェットである。その宇宙船たちの発する声にも我々は耳を傾けるべきだろう。

 

『 スター・ウォーズ 』映画に皆勤しているC-3POの台詞から毒々しさが薄まって。ユーモアが強まった。あらゆるクリーチャーやドロイドとコミュニケーションを取ることが可能なこのドロイドは、グローバル化しつつある世界におけるコミュニケーションの在り方を示唆しているように思えてならない。

 

この完結作は、これまでの『 スター・ウォーズ 』の要素を随所に取りこんでいるが、基本的には『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のリメイクであると言える。

『 用心棒 』が『 荒野の用心棒 』や『 ボディガード 』になったようなものである。したがって基本的な意味で新しさはない。それをどう評価するかは人による。Jovianは普段は鵜の目鷹の目で映画を観てはいるものの、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話だと思っている。おとぎ話の中身をあーだこーだと精査してもしょうがない。楽しむのみである。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』に出てきたような、極端なまでの naysayer にはなりたくない。彼ら彼女らはシスである。J・J・エイブラムスが、今作で無理やりとも言えるストーリーのまとめ方を選んだのは、そうした人々への意趣返しなのだろう。個人的には拍手喝采を彼には送りたいと思っている。

 

レイのキスについて。賛否両論どころか否の意見が全世界的に渦巻いているが、Jovianは一度目の鑑賞では???、二度目の鑑賞では「これもありだろう」と思えるようになった。一つには、ジェダイは恋愛禁止であるということ。これは取りも直さず、ジェダイの終焉を意味している。ハン・ソロと結婚し子どもも生んだレイア・オーガナは、フォースを使うことはあっても、ジェダイとは決して名乗らなかった。もう一つには、この完結作では“Two That Are One”=「二つで一つ」がテーマにもなっている。光と闇、陰と陽(男と女)、ジェダイとシス。レイが見つめる先の二つの太陽は、かつてはルークとレイアの象徴だった。レイはジェダイの志を受け継ぎながらも、自分探し=自分のパートナー探しを夢想しているのだと考えれば、それもおとぎ話の終焉にふさわしいだろうと個人的には思う。

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  • 疑問点

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』で焼かれたはずの聖なるジェダイ・テキストが何故ファルコン号に積み込まれていたのか。その説明は、少なくとも二回見た限りではなかった。

 

同じく『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のカント・バイトでは、武器商人たちがファースト・オーダーとレジスタンス、両方に兵器・武器の類を売っていることが皮肉たっぷりに描かれた。であるならば、あれほど巨大な規模の艦隊を構成するのには、文字通り天文学的なカネが動いているはず。それを誰も察知できなかったというのか。

 

翻訳のミスのようなものも見受けられた。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』劇場版ではカイロ・レンの“The one from the village”が、「あの村の出身」という、トンデモ誤訳になっていたが、今作でも皇帝パルパティーンの

 

“I made Snoke.”

 

という台詞が

 

「 スノークは余の作り出した幻 」

 

という訳になっていた。その一つ前にレジスタンスの科学者が、闇の科学やらクローン技術(『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』への言及か)やらシスの秘術やらに触れていて、なおかつカイロ・レンがエクセゴルで死者を蘇らせようとしている、あるいは死者から生者を培養しようとしている装置(『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のルークが入れられていたような装置そっくり)を見ているにもかかわらず、幻はないだろう。だったら、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のルークの秘術は何だったのか。ブルーレイでは間違いなく修正されるだろうが、それでは遅い。ここで“幻”などという訳語を選定した林完治氏の罪は重い・・・は言い過ぎか。だが、一定の責任を負うことは免れないだろう。

 

ポー・ダメロンの前身が少し明らかになったが、別に眉をひそめるものでもないだろう。ハン・ソロとチューバッカの方がはるかに悪者でならず者だった。キジーミの存在は否定しないが、このサブプロットは少々ノイズ気味である。

 

MX4Dで鑑賞してみたが、水しぶきが思ったほどではなかった。もちろん、一回当たりにシートに貯蓄可能な水量や、あまりにも観客を濡らしてはクレームが出るなどの懸念もあるだろう。しかし、フォースが距離を超えて、互いに物理的に作用しあう領域まで来ているのだから、荒れ狂う海に囲まれたデス・スターの残骸上でのレイとレンのライトセーバー・バトルでは、もっと激しく水しぶきを出してほしかった。まあ、これは映画ではなく劇場への注文か。

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総評

海外のレビューサイトやプロ・アマの批評家は、本作におおむね厳しい評価を下している。だが、かつての、旧世代の『 スター・ウォーズ 』ファンも、プリクエル三部作には厳しい評価を下していたが、新世代ファンにはそのことが理解できなかった。『 スター・ウォーズ 』をどう評価するのか。それは自分の幼年期にどのように向き合うのかとも言い換えられるだろう。そうした意味では、大人になり映画批評を職業にしてしまうと、子どもの頃のような接し方が難しくなる。何度でも言うが、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話である。それが娯楽作品や芸術作品として高く評価されているが、本質的にはおとぎ話なのである。鑑賞においては、このことを念頭に置かれたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll finish what he started.

レイがルークの後を継いで、とある人物を探すミッションに出る時の言葉である。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがベイダーのマスクに“I’ll finish what you started.”と誓っていた台詞と同じ構造である。【 what S + V =SがVするもの・こと 】である。

 

what I like =私の好きなもの

what I hate about this film =この映画で私の嫌いなもの

what they want to get =彼らが手に入れたがっているもの

what she has to fight for =彼女がそのために戦うもの

 

whatという関係代名詞は日常会話でもビジネスでもバンバン使うので、マスターすることは必須である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。そして批評家やファンの評価は割れている。それはとても良いことだと思う。なぜなら、好きな人はとことん好きになれて、好きになれない人には決して好きになれない。これはそんな物語だからである。Jovianは、これを素晴らしいフィナーレであると感じた。少年時代に帰れた、おとぎ話の世界に戻れた。そのように感じたからである。

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あらすじ

死んだはずの銀河皇帝パルパティーンが復活した!ファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レン(アダム・ドライバー)は、銀河の覇権を争う相手としてパルパティーンと対立。彼を追っていた。一方、レイ(デイジー・リドリー)は来る最終決戦に向けて、レイアから課された修行に励んでいた・・・

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以下、ネタばれ部分は白字

 

ポジティブ・サイド

人によってはこれら全てをネガティブに捉えるのだろうが、Jovianはポジティブに捉えた。すなわち、本作はエピソード1、2、3、4、5、6、7、8のごった煮である。なおかつ『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』や『 ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー 』の要素まで盛り込まれている。どこかで見た風景、どこかで見たキャラクター、どこかで見たプロット、どこかで見たイベント、どこかで見た光と影のコントラスト、どこかで見たカメラアングル、どこかで見たガジェット。それらがジョン・ウィリアムズの音楽と共に観る者に迫ってくる。それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは各人の自由である。

 

新しい要素に全く欠けるのかと言えば、さにあらず。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』がフォースの新たな地平を開拓したように、今作もフォースのさらなる可能性を追求した。しかも、それがミディ=ファッキン=クロリアン的な要素を持ちあわせている。それを受け入れられた自分に驚いている。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』に散りばめられていたユーモアの要素と『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』の恐怖の要素が適度な割合で配合されているところでも、J・J・エイブラムス監督の手腕を称賛したい。オリジナル三部作とシークエル三部作が見事に地続きになっている。『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』で、パルパティーンがルークを暗黒面に誘った時よりも、遥かに強い誘惑をレイに対して行う。愛する者を救うために負の感情にその身を任せよという誘引は、プリクエル三部作、特に『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』が放った強烈なメッセージだった。それがパワーアップして帰ってきた。しかも、確たる意味を伴っている。ずっと謎に包まれてきたレイの出自と絡めた、絶妙の演出である。

 

そのレイをレイアがトレーニングするというアイデアも良い。前作ではカリスマ的な指導者から、ジェダイにしてフォースの使い手であることを体現した。そして演じるキャリー・フィッシャーの死そのものまでも物語に組み込むという大胆不敵なプロットに、フィッシャーはきっと満足しているに違いない。

 

エンディングは涙なしに見ることはできない。『 スター・ウォーズ 』を愛した全ての人は、それぞれに思い入れのある風景を持っていることだろう。だが、J・J・エイブラムスとJovianはこの点で波長が完全に合っていた。『 スター・ウォーズ映画考および私的ランキング 』で、自分にとっての『 スター・ウォーズ 』の原風景を語ったが、J・J・エイブラムスも同じだったようだ。光と闇、陰と陽、ジェダイとシス、そしてスカイウォーカー家のサーガは、見事な円環と共に閉じた。

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ネガティブ・サイド

なぜ2時間22分なのだろうか。きりよく2時間30分の物語にできたはずである。もっともっと語られるべきことを、徹底的に語り、見られるべきものを見せて欲しかった。

 

パルパティーン復活の経緯が完全に不明である。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』の最後に、ヨーダとメイス・ウィンドゥは「シスは常に師匠と弟子の二人」と語っていたが、スノークとパルパティーンの関係をこれで説明してもよかったのではないだろうか。

 

新キャラに元トルーパーが出てくるが、最終盤にランドが引き連れてくる大援軍に元トルーパーの脱走兵らがいれば、なお良かったのだが。存在していたが、編集でカットされたのだろうか。

 

カイロ・レンの物語も見事に閉じるが、母レイアとのツーショットはついに実現せず。これはブルーレイの特典映像、もしくはディレクターズ・カットに収録されるのだろうか。

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総評

“スカイウォーカーの夜明け”という副題は、実は正しかった。なるほど、そうだったのかと感じた。日は沈むが、また昇る。それこそがフォースにバランスをもたらすということなのかもしれない。様々な物語の予感を残しつつも、一つのおとぎ話が幕を下ろした。けれども、少年時代の感動は消えないし、これからも、その“記憶”は続いていく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142933j:plain

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid of who you are.

be afraid of ~ =~を恐れる、である。レイアはレイに「自分が何者であるかを恐れるな」と伝える。ヨーダは

 

“Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.”

 

と語った。レイは恐怖に屈しなかった。be afraid of ~という表現自体はそこまで大仰なものではない。I am afraid of dogs. = 私は犬が恐いんです、のように日常会話レベルで頻出する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年12月18日2020年1月16日 by cool-jupiter
スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

趣旨は『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』と同じである。だが、多くの人にとってそうであるように、『 スター・ウォーズ 』はJovianにとっては特別な物語なのである。『 サッドヒルを掘り返せ 』でJovianは『 スター・ウォーズ 』を【おとぎ話】であり【昔話】であり【童話】であると説明した。だが、文学論的に言えば、

 

1.超自然的な要素がある

2.時代や場所を特定できない

3.王族が登場する

 

といったところから、『 スター・ウォーズ 』は本質的には【おとぎ話】に分類されるのだろう。自分にとっても映画の原体験の一つであり、極端に言えば人生にも影響を及ぼした作品が、もう間もなく完結を迎える。その前に、自分の頭と心を整理しておきたい。本稿はそうした試みである。

 

『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』

 

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 95点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

今でもよく覚えている。Jovianが初めて観た映画は、映画好きの父の影響もあり『 王様と私 』だった。そこで「エトセトラ」という言葉を覚えたが、それだけしか印象に残らなかった。次に観たのは『 オズの魔法使 』、そして次に観たのが『 スター・ウォーズ 』だった。当時はタイトルに他に何もなく、『 スター・ウォーズ 』だった。ちなみに次に観たのが『 ダリル D.A.R.Y.L. 』だった気がするが、正直なところ、『 スター・ウォーズ 』以降の映画作品については、古典ミュージカル作品以外は記憶があやふやである。

 

当時は6歳だった。その時はデス・スターへの潜入やブラスターの撃ち合い、ミレニアム・ファルコンのワープ、XウィングとTIEファイターの戦い、そしてオビワンとダース・ベイダーの電光剣(が当時のVHSの字幕だった)対決、そしてデス・スター爆破などのアクション・シーンに心を奪われて、何度も何度も観ていた。おそらく現在までにDVD、ブルーレイで20回以上は観ている。けれど中学生ぐらいだったろうか。ある時、ルークが二つの太陽の夕焼けをやるせない表情で眺め、そのBGMにジョン・ウィリアムズの“Binary Sunset”が流れるあの瞬間にルークと自分がシンクロした。兵庫県から岡山県に引っ越した頃、自分はあるべき場所におらず、なるべき自分になっていないと直感した。そんな自分も、未知なる宇宙に飛び出すことができる。まだ見ぬ冒険をすることができる。『 スター・ウォーズ 』はそんな予感を自分に与えてくれた。だからこれは誰にも当てはまらず、誰にでも当てはまる物語なのだろう。やはり、おとぎ話なのである。

 

VHSやレーザーディスクでリミテッド・エディションが販売され、当然のようにJovianの父も購入。しかし、デス・スターの爆発の様子が異なっている部分に大きな違和感を覚えたことを覚えているし、グリードーが発砲したりしたシーンでも???となった。DVDではハン・ソロの首が動いたところでギョッとしたのを覚えている。後年になって、『 スター・ウォーズ 』がおとぎ話であることに気付いたのは、これらの違和感や異物感からだった。シリーズが完結しても、おそらく最も多く見返すのは本作だろうと思う。

 

『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』

 

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

本作で思い出すのは、ミレニアム・ファルコンがひたすらにかっこいいということ。すぐに故障するボロ船でありながら、常にピンチを脱する。本作でC-3POが「訛りがひどい」と評したことで、ファルコン号は乗物からキャラクターに正式に進化した。

 

本作ではC-3POがバラバラにされるシーンでショックを受けた。というかトラウマになった。前作でもドロイドがドロイドに痛めつけられるシーンは存在したが、何故かあまり印象に残らなかった。

 

本作で最も強く心に刻まれたのは、ファルコン号内でのハン・ソロとレイアのキスシーンである。『 ロッキー 』で、ロッキーが自宅にエイドリアンを誘って、キスをするシーンと並んで、Jovianがこれまでに観てきた中で最もロマンティックなシーンだと思っている。これも小学生ぐらいの頃は映画の中の普通のワンシーンだった。それが中学生高高校生ぐらいになってくると全く異なるシーンに見えてきた。変わったのは物語ではなく、自分だったのだろう。

 

ダース・ベイダーの言う“I am your father.”は、その後のどんな推理小説のトリックにも、どんなミステリ映画のプロットにも優る衝撃を少年時代のJovianの心に与えた。ルークが右手を斬り飛ばされ、ハン・ソロが冷凍され、ヒーロー側が惨敗して終わり・・・というエンディングは、子どもだった自分に強烈なインパクトを残した。初めて観た時は、「早くこの続きを!」という焦りで頭がいっぱいになった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』

 

スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

ルークがパワーアップして、颯爽と帰ってきた。ハン・ソロも復活した。レイアも解放された。序盤の30分だけで満足した記憶がある。

 

地上と宇宙で同時進行する展開に、単身でデス・スターに乗りこむルーク。正式に反乱軍の将校になったハン・ソロとチューバッカにランド・カルリジアンらが、戦闘ではなく戦争をする。前作や前々作は、主人公側が逃げる展開がメインだったが、本作でようやく乾坤一擲の大勝負に出る。助っ人がイウォークというのも良い。惑星エンドアのローカル・クリーチャーでありながら、宇宙戦争に参戦する意気やよし。姿かたちや話す言葉が違っても分かり合える存在が宇宙にはたくさんいる。アクバー提督など、人間ではない生き物と連合する反乱軍に、アイデンティティに迷っていたJovian少年は自分を投影していたように思う。

 

多種多様な生き物を包括して組織される反乱同盟軍と一律にホワイト・トルーパー達で構成される帝国軍の対比は、現代の視点で見返してもコントラストが鮮やかだ。ジョージ・ルーカスは STAR WARS と題しながらも、決して戦争を描くことは望んでいなかったという。戦うことではなく耐えることでジェダイとしてのアナキン・スカイウォーカーを帰還させたルークは、自らの中で永遠のヒーローとなった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』

 

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 40点
出演:ユアン・マクレガー リーアム・ニーソン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か大学二年生の夏休みに劇場公開された時にすぐに観た。Jovianの母校は6月末から夏休みだったのだ。劇場で観た。そしてがっかりした。絶望したと言ってもいい。その理由の第一は、通商連合である。いきなりそんな現実世界と地続きの事象を説明されて、一気にシラケたことを覚えている。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」いきなりゼニカネの話。おとぎ話の世界が現実の経済の論理に侵食された瞬間であった。だが、これはまだ許せた。

 

最も腑に落ちなかったのはミディ=クロリアンである。『 スター・ウォーズ 』のファルコン号内で、オビ=ワンはフォースを銀河を結びつける力と説明した。それとミディ=ファッキン=クロリアンはどう考えても結びつかない。フォースの神秘性が失われて、一つの世界が音を立てて崩れ去っていくかのように感じた。

 

パドメ(替え玉)の衣装と化粧があまりにもけばけばしく、スター・ウォーズ世界で浮いているようにも感じたし、ジャー・ジャー・ビンクスはひたすらに気持ちが悪い。ジャー・ジャー以上に不快なのがグンガンの族長。パドメとの交渉でいちいち顔面をけいれんさせながら唾液をまき散らすことに何のartistic meritsがあるというのか。ジョージ・ルーカスがマーシアと離婚したことで暗黒面に堕ちた(正確に言えば、外部社会との接点が極めて小さくなり、クリエイティブ面で馬耳東風になってしまった)ことはよく知られているが、女性を必要以上に醜く描き、その顔面に唾を吐きかけてやりたいという欲望をそのままストレートに映像化してしまったジョージ・ルーカスは、まさにシスの暗黒卿になってしまったわけだ。そんな男の作品を評価するのは困難極まりないことである。

 

それでも若きオビ=ワンとその師クワイ=ガン・ジンとダース・モールとのライトセーバー・バトルは圧倒的なスペクタクルだった。褒められるところは、それぐらいだった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』

 

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 65点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か2002年7月3日にアメリカはロスアンゼルスで二番目に大きいと言われるモールの中のミニシアターで観た。2002年7月1日から7月7日まで親戚のところに逗留させてもらっていた。4~5割ぐらいしかリスニングできていなかったと思うが、最後のどぅーく―伯爵vsオビ=ワン&アナキンのライトセーバー・バトル、そして真打ヨーダとドゥークー伯爵のライトセーバー・デュエルのおかげで大満足で劇場を後にしたことを覚えている。

 

しかし日本に帰国後、あらためて劇場鑑賞して、「何だそりゃ?」と突っ込まざるを得なかった箇所も多数あった。ジェダイ評議会は動きが遅すぎる。“過激な交渉”で通商連合を封じ込めたパドメが過激な手段で報復されることなど予見できてしかるべきだし、護衛がひよっこのアナキン一人というのも、いかにも不自然だ。星図には何もない=そこには星が存在しない、という思考もクエスチョンマークだ。グーグル検索に引っかからない=検索対象が存在しない、とは普通は考えないだろう。誰かが情報を改竄したか隠蔽していると考えないあたり、ジェダイの騎士はかなりナイーブなようである。

 

それでもアナキンとパドメの逢瀬は美しくも健全な背徳感があり、ロマンスが盛り上がれば盛り上がるほどに悲劇の予感が強まっていく。このあたりも健全な結婚生活を送ることができていたジョージ・ルーカスが理想的な過去の心象風景を銀幕に投影したと考えられなくもない。

 

前作に続き、パドメが戦う姫を体現し、これでこそレイアの母親という印象を観る者に強く刻みつけた。青年アナキンを演じたヘイデン・クリステンセンも、ルーク・スカイウォーカーの父親というビジュアルを体現。ドロイド軍団とジェダイ軍団の大激突から、全面的な戦闘、そしてクライマックスの決闘シーンまでの流れだけならパーフェクトだが、ジャー・ジャー・ビンクスが懲りずにパルパティーンに権力移譲を発議。政治ネタをジャー・ジャーを使ってぶち込んでくるとは、ジョージ・ルーカスはどういう了見をしていたのだ?長所と短所、両方を兼ね備えた評価の難しい作品になってしまった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』

 

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 80点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

アナキンがダース・ベイダーになることは確定している。ならば、どのように暗黒面に堕ちていくのか。ルーカスはその答えを“愛”に求めた。より正確に言えば、愛を失うという恐れに求めた。素人の精神分析学的に言えば、ルーカスはマーシアの愛の喪失により、自らが暗黒卿になってしまった。そして巨万の富を築き、帝国とすら呼べる企業を作り上げてしまった。ジェダイ評議会とは、彼のような異端の映画製作者を認めようとしない既存のハリウッドの映画製作システム全体を象徴していたのだろう。

 

アナキンとドゥークー伯爵のリマッチ、オビ=ワンとグリーヴァス将軍のライトセーバー・バトルなど序盤から大チャンバラ活劇である。おとぎ話に政治的な要素は不要である。本作はとにかくバッタバッタとライトセーバーで敵も味方も斬っていくストーリーを堪能すべしである。孤高のオビ=ワンと孤独なアナキンのコントラストが映えるし、二人の“Duel of the Fate”は、映画史(邦画除く)においては屈指のチャンバラ劇に仕上がっている。同時進行するヨーダと皇帝パルパティーンのライトセーバー・バトルとフォース・バトルも見応えは十分だ。

 

本作は当時、戸田奈津子の珍妙な訳に首を傾げたのを覚えている。オビ=ワンの“So uncivilized.”が「掃除が必要だ」だったり、アナキンの“He must live!”が「お慈悲を!」だったりと、色々と映画の外側のことも覚えている。それでも、全てのバトルが決着し、最後にパドメがルークとレイアを出産、そのルークがタトゥイーンのオーウェン夫妻に引き取られていくシーンでは身震いしたことは、まるで昨日のことのように覚えている。このPrequel Trilogyは、この瞬間のためだけに存在したと言っても過言ではない。

 

『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』

 

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 80点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:J・J・エイブラムス

 

まさかの続編。しかも、『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』の30年後の世界。公開時、劇場で7回観た。ブルーレイを入手後に、確か5回観た。実質的に『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』をフェミニスト・セオリーに則して脱・構築し、再構築したリメイクと言っていい。それだけに、おとぎ話として雰囲気を全編にふんだんに湛えている。

 

劇場が暗転し、20世紀FOXのロゴとファンファーレはなかったものの、

 

A long time ago in a galaxy far,

               far away….

 

が表示され、画面にジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲とともに

 

   STAR   

   WARS   

 

の文字が表示された時、一気に『 スター・ウォーズ 』の世界に引き込まれた。劇場に何度も足を運んだのは、ほとんど全部この瞬間のためだった。初期三部作を劇場でリアルタイムに鑑賞できなかった世代であるJovianは、プリクェル・トリロジー、特に『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』には心底がっかりさせられた。その時の落胆の気持ちを、本作は忘れさせてくれた。いや、薄めてくれたと言うべきか。いずれにせよ、傷がかなり癒されたのは間違いない。

 

本作制作および公開の報が流れた時、最初のトレーラーを観た。砂漠の背景に、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』を想起した。そして第二弾のトレーラーの最後で、ハン・ソロがチューバッカに “Chewie, we’re home.” と呟くシーンに接して、文字通り鳥肌が立った。ハリソン・フォードの老け具合、つまり現実世界の時間の流れが、スター・ウォーズ世界の時間の流れと一致したように感じられた。あのおとぎ話の世界が延長され、拡張されたように感じられたのだ。ハン・ソロの言う ”We’re home.” とは、我々ファンの心の声を代弁したものだった。我が家に帰ってきたのは、ハン・ソロとチューバッカだけではなかった。

 

ストーリーは全くもって陳腐である。『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』の焼き直しだからである。メッセージを携えたドロイドが、砂漠を漂流。ここではないどこかへの脱出を夢想する少年・・・ではなく、今回は少女と出会い、そこから宇宙を駆ける大冒険が始まるからである。少し違うのは、オリジナルのスター・ウォーズにはオビ=ワンという師匠が存在したが、本作は伝説となったルーク・スカイウォーカーを探し求める筋書きである。それが心地好い。ルークとレイアとハン・ソロとミレニアム・ファルコン号と魅力的なドロイドたちあってこそのスター・ウォーズだからである。特にルークである。

 

本作でハン・ソロという映画史上屈指のヒーロー・キャラクターが退場してしまった。Jovianは落涙を禁じ得なかった。キャリー・フィッシャーの訃報が届いたのは、本作公開の約一年後。戦う女性の元祖が逝ってしまった。

 

それでもデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは、伝説を見事に継承したと思う。完結する前からそう断言させてもらう。この二人の光と闇の戦いに胸踊らされないファンもいるようだが、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々である。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』

 

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 75点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:ライアン・ジョンソン

 

遂に巡り合えたルーク・スカイウォーカー。しかし、彼は初登場時のヨーダのような世捨て人だった・・・。ユーモアなのかギャグなのか、よく分からない雰囲気が全編を覆っている。それもライアン・ジョンソン監督なりの深い考えがあってのことだろう。ミディ=ファッキン=クロリアンのような、世界観そのものをぶち壊す概念やガジェットでない限り、Jovianは何でも歓迎したいと思っている。それがレイア姫=オーガナ将軍が宇宙空間でスーパーマン化して復活することでも、宇宙空間を超えて交信することでも何でも良い。

 

レイとレンがタッグを組んで、スノークの親衛隊と戦うシーンを劇場で初めて観た時には脳汁が出た。ベイダーがパルパティーンに叛逆して、ルークを救ったシーンを思い出したからだ。『 ジェダイの帰還 』とは、ルークではなくアナキンのことだった。今作は基本的に『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』と『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のマッシュアップなのだから、一瞬ではあってもそのように夢想したファンは世界中で数百万人はいたはずである。

 

本作と『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』によって、超光速航法それ自体が武器になるという新しいアイデアが提起された。『 銀河英雄伝説 』以来、宇宙空間での戦闘はレーザービームを旨とすべしという不文律に、明確に反している。が、それも時代の流れだろう。

 

クライマックスでルークが夕陽を浴びて、ウォーカーの大軍と対峙するシーンは鳥肌モノである。そして最後の最後にルークが二つの太陽の夕焼けを眺めて消えていくシーンでは、不安と期待の入り混じった予感を残した。ヨーダが本作で登場したことは、何らかの布石になるはずである。

 

エンドクレジットの途中の、

 

In Loving Memory of our Princess

CARRIE FISHER

 

という文字が画面に現れ、壮大なシンフォニーに一瞬、“愛のテーマ”のメロディが挿入された瞬間、劇場で滂沱の涙が流れた。自分でも心底アホだと思うが、劇場で8回観て、8回同じタイミングで泣いた。

 

ランキング

 

1位 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

2位 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還

3位 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲

4位 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒

5位 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐

6位 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ

7位 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

8位 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス

 

総評

『 スター・ウォーズ 』の分析や考察をすることに意味はあるだろうか。自分のアイデンティティ形成にこの物語がどれくらい関わっているのかを考えることには意味がある。しかし、このサーガが歴史や世界に与えたインパクトについては、学者や業界人、筋金入りのファンが既に微に入り細を穿って論じている。興味のある向きは『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』というドキュメンタリーを観るべし。もしくは『 ファンボーイズ 』も良いだろう。キャリー・フィッシャーに出会えるからだ。2015年、余命幾ばくもないファンが特別に『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』を劇場公開前に観ることができたというニュースがあった。そして今年、2019年にもほとんど同じニュースが報じられ、実際に『 スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け 』を末期がん患者が観たという。粋なことである。観ずに死ねるか、という映画はなかなかない。それがこの物語のパワーである。

 

“スカイウォーカーの夜明け”は英語では“The Rise of Skywalker”である。スカイウォーカーが人名である以上、夜明けという訳語の選定には少々違和感が残る。この三部作におけるスカイウォーカーとは誰か。普通に考えればルークだが、カイロ・レンも母レイアからスカイウォーカーの血を受け継いでいる。アナキンが最後の最後にジェダイとして帰還したように、カイロ・レンも暗黒面から光に帰ってくることが予感される。それをありきたりと見るか、それとも王道と見るかは人によるだろう。またはルークがフォース・ゴーストとして“復活”することも考えられる。前作でヨーダが登場したことには何らかの意味が絶対にあるはずだ。パルパティーンが復活するからには、アナキンやオビ=ワンが復活しても良いように思える。

 

Jovianは英語教師の端くれでもあるので、自分でも色々と訳してみたくなる。

 

『 スカイウォーカーの復活 』

『 スカイウォーカーの再臨 』

『 スカイウォーカーの再誕 』

『 スカイウォーカーの再生 』

『 スカイウォーカーの目覚め 』

 

・・・・・・どれもこれもイマイチである。とりあえず、金曜の朝イチに観に行く。できれば土日にもう1~2回は劇場鑑賞したいと思っている。少年時代にもう一度戻れるのか。おとぎ話の世界に浸れるのか。完結作の公開を楽しみに待ちたい。

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