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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

Posted on 2020年3月15日2020年9月26日 by cool-jupiter

エスケープ・ルーム 55点
2020年3月14日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:テイラー・ラッセル
監督:アダム・ロビテル

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2016年だったか、JovianはMOVIXあまがさきでリアル脱出ゲーム「ある映画館からの脱出」にトライしたことがある。結果は、本の半分くらいまでしか進められなかった。あと1時間半あれば、もしかしたら全部解けた・・・かもしれない。そういうわけで、ある意味でリベンジを期して本作に臨んだが、頭脳系というよりはアクションとサスペンスの風味が強めだった。

 

あらすじ

このエスケープ・ルームを最初に攻略した者には賞金1万ドル。各地から集まってきたゾーイ(テイラー・ラッセル)ら6人は、シカゴのビルの一室でゲーム開始を待っていた。だが、部屋のドアノブが外れたのを合図に脱出ゲームがいきなり開始された。この脱出ゲーム、エンターテイメントというにはあまりにもシリアスで過酷なもので・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からただなぬら雰囲気である。足を怪我していると思しき男が、上階から天井を突き破って落下してきた。そしてドアに取り付けられた暗号鍵のヒントを探す。だが、そうする間にも部屋はみるみると縮まっていき、調度品を押しつぶしていく・・・

 

まるでスペインの怪作『 キューブ■RED 』(ちなみにこれは『 キューブ:ホワイト 』と同じで、いわゆる『 CUBE 』の名を模しただけの作品である)のクライマックスにそっくりである。色々な部屋に恐ろしい趣向が凝らしてあるというのは、まさに『 CUBE 』の精神を受け継いでいる。

 

一つ一つの部屋も、しっかりと作りこまれている。このあたりも『 CUBE 』的である。また、一見して建物の中とは思えない部屋も存在する。扉が開くごとに異世界に放り込まれる感覚は、『 キラー・メイズ 』を格段にシリアスにしたようにも感じられた。『 ジュマンジ 』はゲームのキャラになる話だが、こちらはリアル脱出ゲーム。どこかコミカルな前者と違い、全編に緊張感・緊迫感があふれている。

 

集められてきた面々にも「ある要素」が仕込まれており、そのことが物語の早い段階でフェアな形で暗示されている。このあたりは巧みな構成であると感じた。また、彼ら彼女らは集められてきたわけであるが、では集めた側はどうなっているのか。このあたりは米澤穂信の小説および映画化もされた『 インシテミル 』の経済格差社会バージョン。我々が昔、TBSのスポーツエンタメ番組『 SASUKE 』を見ているようなものか。構造は『 インシテミル 』と似ていても、観る側がスーパーリッチ(その姿は当然見えない)であるというところは現代的であると感じた。

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ネガティブ・サイド

キャラクターがほとんど全員立っていない。優等生で内気な少女やゲームヲタクの少年などはその最たる例だろう。死んでいく順番も手に取るように分かってしまう。このあたりにもう少し意外性を期待したかった。

 

ゲームの主催者がビルから一切合切の痕跡を残さず去ってしまうのも、相当に無理がある。現実にゲーム参加者ではない者の死体、それも銃殺されたものがある以上、本腰を入れて捜査せざるを得ないはずだ。なので、捜査は行われるも一切進展せず。警察はあてにならない。という流れの方が説得力があったと思われる。

 

また用意されていた各参加者の死亡新聞記事も、つじつま合わせとしては少々苦しい。特にゲーオタ少年などはほぼ100%、ネット上で活発に発言し、行動するナードだろう。「これから最難関の脱出ゲームに行ってきます!」のようなブログ記事やオンラインメッセージ、メールや友人知人への吹聴などがあったに決まっている。そういったもの全てを消し去る、あるいは歪曲するのは、不可能に思える。

 

総評

続編作る気満々で、実際に早々に続編制作をも決まったらしいが、どうなることやら。こういう作品は単体では面白いが、シリーズ化されてしまうと途端に陳腐になってしまう。それは『 CUBE 』や『 ソウ 』の証明するところである(特にJovianは開始10~15分で『 ソウ 』の仕込みを見破ったから猶更そう感じる)。あまり深く考えず、遊園地のアトラクション的なノリで鑑賞するのが正解かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work

劇中で何度か“It didn’t work.”というセリフが使われたが、「働く」という意味ではない。「上手くいく」という意味である。“It didn’t work.”は「(入力したパスコードが)ダメだった」ということである。日常生活でも

“Your advice worked.”

“This medicine will work.”

などという具合に使ってみるべし。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, シチュエーション・スリラー, テイラー・ラッセル, 監督:アダム・ロビテル, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

Posted on 2020年3月14日 by cool-jupiter

バハールの涙 70点
2020年3月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ゴルシフテ・ファラハニ エマニュエル・ベルコ
監督:エバ・ユッソン

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『 パターソン 』でパターソンの愛妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニの主演映画。英語、フランス語、ペルシャ語にクルド語まで解すとは、いったいどんな才媛なのだ。本作では一転、武器を取り、女性部隊を率いる勇猛な女性役。日本からこういう女優が出てこないのは何故なのだ?

 

あらすじ

バハール(ゴルシフテ・ファラハニ)はある日、ISの襲撃を受け、夫は殺され、息子は連れ去られ、自らと妹も拉致され、凌辱された。なんとか脱出したバハールは、女性部隊「太陽の女たち」を結成する。彼女たちを取材するジャーナリストのマチルド(エマニュエル・ベルコ)も、徐々にバハールの信頼を得ていく・・・

 

ポジティブ・サイド

ゴルシフテ・ファラハニの憂いを帯びた表情が何とも言えず良い。閉ざされ冷え切った心の奥底には、しかし、マグマが煮えたぎっている。そんな相反するような属性を併せ持つキャラクターをしっかりと体現した。バハールという女性は架空の存在のようであるが、その存在感は群を抜いている。小説や映画にありがちな、一見すると小市民だが、実は特殊部隊上がりだったとか、幼少から格闘技や暗殺術を叩き込まれていたといったような、ある意味でお定まりの背景を持っていないことが、逆にリアリティを高めている。平塚らいてうは「元始、女性は太陽だった」という言葉を残した。太陽は光と熱の塊であるが、表面よりも内部の方に圧倒的なエネルギーを蓄えている。植物にその無限のエネルギーを分け与え、我々動物はそのおこぼれに頂戴している。バハールをはじめとした「太陽の女性たち」が歌う「女、命、自由の時代」の歌には、名状しがたい力が溢れている。彼女らの歌う「女 命 自由の時代」というのは、それこそ「男 死 束縛の歴史」が続いてきたことへの痛烈な批判である。これを中東だけの事象であると思い込むことなかれ。ほんの1世紀前の極東の島国は、アジア中に死と破壊をもたらす戦争への道を、男だけの論理の世界で突き進んでいったのである。バハールが常に虚無的な表情で銃を手に持っているのは、それだけ目の前の現実に抑圧されているからに他ならない。我々も妻や母が虚無的な表情になっていないか、少しは気を配ろうではないか。

対照的に、エマニュエル・ベルコ演じるマチルドは、明らかに『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンだろう。ホムスで逝ったコルビンの意思を受け継ぐかのように、マチルドはホムスの爆撃で片目を失明し、それ以来眼帯を巻いている。そのマチルドも、ジャーナリストとしての報道の使命を果たすことや真実を追求するために記者をしているわけではない。コルビンと同じく、市井の名もなき人々との出会いを羅針盤に、彼女は戦地を取材している。「我々は世界のことを考えすぎている」と養老孟司は喝破したが、本当は生身の人間に思いを馳せるべきなのだ。空爆があったとか、災害があった、疫病が流行したというニュースに触れる時、その地域にリアルタイムで生きる人々を想像する力を育むべきなのだ。彼女が自らを突き動かす行動原理を語る時、我々はバハールとマチルドが同志であることを知る。「女は弱し、されど母は強し」とはよく言ったものである。

 

本作は赤と黒が入り混じった光の使い方が印象的である。人間の内部のドロドロとした感情と、「太陽の女たち」を取り巻く現実のダークさ、不透明さを象徴しているかのようである。どこか『 エイリアン2 』を思わせる光の使い方である。

 

良いところなのかどうかは微妙だが、本作を鑑賞するにあたって、中東情勢やイスラム国の台頭、クルド人の歴史などを詳しく知っている必要はない。バハール、そしてコルビン・・・ではなくマチルドという個人の生き様に注目すべし。

 

ネガティブ・サイド

アクションやヒューマンドラマの演出がやや弱い。ストーリーそのものが充分にドラマチックであるからだろうか。ペルシャ絨毯の上に女性たちがどっかと腰を下ろして、各自銃の手入れに余念のない様子は印象的だった。いかにも非日常、緊急事態である。このような何気ない描写の中に感じる違和感=非常時、異常事態のただ中、というものをもっと使ってほしかったと思う。

 

後は石頭の男性司令官を、もうちょっと柔軟に描けなかっただろうか。あれでは融通さに欠けるただの無能、しかも下手をすればへっぴり腰のオッサンにしかならない。女性・母というもののしたたかさを描くために、男性をことさらアホに描く必要はない。男は元来、アホである。だからこそISを作ったり、そこに参加したりするわけである。

 

総評

一言、良作である。派手なドンパチはないが、それでも戦闘の緊迫感は伝わってくるし、なによりもバハールとコルビンの生き様がこの上なく inspirational である。戦争、紛争のニュースに接する時、我々は「あー、なんかやってるな」ぐらいにしか感じないが、それでもそこには生きた人間、死んでいく人間が存在することをこのような映画を通してあらためて知らされた。戦地のスーパーマンではなく、人間として強さの純度を高めた個人の物語であり、非常に現代的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You name it.

序盤の英語とフランス語とクルド語が入り混じっている場面で使われていた。意味は「その他にも色々ある」のような漢字である。実際の使い方についてはこの動画を見てもらえるとよく分かるだろう。こういった何気ない表現を会話やスピーチ、プレゼンの中で自然に使えれば英会話の中級者である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, エマニュエル・ベルコ, ゴルシフテ・ファラハニ, ジョージア, スイス, ヒューマンドラマ, フランス, ベルギー, 監督:エバ・ユッソン, 配給会社:コムストック・グループ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

Posted on 2020年3月8日2020年9月26日 by cool-jupiter
『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

野性の呼び声 65点
2020年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ハリソン・フォード ダン・スティーブンス オマール・シー
監督:クリス・サンダース

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Jovianは小さい頃にアニメ『銀牙 -流れ星 銀- 』が好きだった。ある程度活字にはまるようになってからは本作の原作者ジャック・ロンドンの『 白い牙 』も繰り返し読んだ(文庫や単行本ではなく、巻末に付録がたくさんついた児童文学書だった)。本作は『 白い牙 』とは裏腹に、飼い犬が野性に帰っていくストーリーである。

 

あらすじ

19世紀末。飼い犬だったバックは、盗難の末に売り飛ばされ、そり犬となる。郵便配達人のそりを引く群れに加わったことでバックは徐々に野性を取り戻していく。しかし、その郵便配達チームも解散。数奇な運命をたどるバックは、ジョン・ソーントン(ハリソン・フォード)と再会を果たして・・・

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ポジティブ・サイド

本作には厳然たるテーマが存在する。バックが最初に連れて来られるアラスカ州、そしてユーコン準州は大自然という言葉では言い表せない自然の威厳、驚異、そして美がある。日本人は「自然」という英語をしばしば nature と訳すが、本作に描かれる自然はまさに wilderness である。本作の大部分はカナダだが、鑑賞中にアメリカの裸足の郵便配達人(ジェームズ・E・エド・ハミルトンが特に著名)を思い起こした。本作の描く一つ目のテーマは現代社会にも共通するものである。

 

一つには、テクノロジーの発展により仕事を奪われる者が出てくることである。そして、仕事を奪われるのは人間だけとも限らない。犬もそうである。時と場所を変えれば、牛や馬もそうだろう。郵便配達人として犬そりを操るペロー(オマール・シー)の情熱と、それゆえに仕事を失った時の落胆のコントラストは、現代社会に生きる我々にも大きな説得力を持って迫って来る。

 

二つには、大自然への憧憬である。今という時代ほど、科学が日進月歩し、人類全体の世界に対する知識が向上しつつある時代はなかった。GoogleアースやGoogleマップ、Googleストリートビューは、良いか悪いかは別にして、地球上の大部分から未知の土地という概念を奪い取ってしまった。人間はすでに持っているものよりも、持っていないものを欲しがる生き物である。文学『 野性の呼び声 』が時を超えて何度も映画化されるのは、我々がそれだけ大自然への憧憬、さらには畏怖を求めているからに他ならない。そうした文脈で考えれば、なぜキングコングが現代に復活し、ゴジラと対決するのかにも意味を見出すことができる。地図にない土地を目指すソーントンとバックのコンビは、逆説的であるが現代人の姿をそのまま反映したものである。

 

三つには、人間性とは何かという問いである。本作のテーマの柱はバックが野性の呼び声を聞き、野性に回帰していくことであるが、それが同時にバックの相棒であるソーントンが人間性を取り戻す旅路でもある。人間とは何かを定義、説明することは難しい。だが我々は直感的に人間らしくない事柄は理解することができる。「血も涙もない奴だな。それでもお前は人間か!」と思ったことは誰でもあるだろう。もしくは「そこまでやっちゃあ、人間おしまいだよ」でも良い。我々は本能的にありうべき“人間像”を持っている。ソーントンを巡っては大きく二つの物語がある。一つは彼の家族、もう一つは彼と揉めて、彼を狙うゴールド・ハンターである。家族との別離に懊悩するのも人間であるが、その苦しみから逃れるために人里離れたユーコンに引きこもるのは人間らしいとは言えない。そのソーントンがバックとの交流を通じて変化していく様には迫真性がある。特に砂金を集めて何をするのかを自問するソーントンの姿は、ともすれば経済活動に没頭しがちな現代人への遠回しな批判となっている。

 

ハリソン・フォードのナレーションが耳にとても心地よい。『 ショーシャンクの空に 』におけるモーガン・フリーマンの何とも言えないゆったりとしたナレーションにそっくりで、それが耳にとてもよく馴染む。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』でも、息子と難しい関係を持つ父親を演じていたが、本作のフォードの演技はそれよりも遥かに味わい深いものがある。

 

動物にとっての自然なこと、そして人間にとって自然なこと。そうした雄大なテーマをユーコンやアラスカの大自然を背景に描く本作は、ファミリーで観るのにうってつけだろう。小中学生の息子と父親というペアをお勧めしたい。

ネガティブ・サイド

『 ライオンキング 』のCGと同じで、バックという犬、その他の犬や動物たちの再現度も非常に高い。にもかかわらず、やはりCG酔いを起こしてしまいそうになるのは、本作はテーマにおいても映像面においても、自然と人工物(CG)の対比がこれ以上なく露になるからである。『 ライオンキング 』のように、全編にわたって一切人間が出てこないのであれば、CG動物たちにも映像的な一貫性が感じられる。だが、人間との交流や動物同士の交流や対立をふんだんに描く本作では、バックがあまりにも擬人化されていると感じられたり、他の犬とバックとの関係にあまり動物らしさを感じられなかったりもした。『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』のような、本物の犬を起用した映画はもう作れないのだろうか。JovianはAnimal rightsの考え方に大方では同意するが、それでも動物に危害を加えない方法での映画撮影というのはできると思っている。

 

全編を通じて、本作はBGMが弱い。BGMのクオリティが低いという意味ではない。音量が全体的に小さすぎると思う。犬ぞりが疾走するシーンや雪崩のシーン、カヌーで川下りをするシーンなどでは特にそう感じた。本作は会話劇やアクションで魅せるタイプの映画ではない。映像と音楽・効果音で観る者の想像力を刺激しなければいけないタイプの作品である。その意味では、音質ではなく音量の低さが少々気になったところである。せっかくの素晴らしいBGMが、腹にまで響いてこなかった。

 

総評

チケット代の元は十分に取れるクオリティの作品である。単なる動物物語ではなく、そこに時代を切り結ぶテーマがあり、さらに普遍的なテーマもある。だからといって小難しい理屈が分からないと楽しめないというわけではない。アニメの『 フランダースの犬 』が理解できる子どもであれば、人間と犬は非常に濃密な関係を構築することが肌で理解できることだろう。今般の事情では難しいが、親子連れで映画館で鑑賞してほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Here be dragons

作中で直接使用される表現ではないが、地図の範囲外、あるいは地図はあっても誰もその内部を探検したことがないという領域は“Here be dragons”と呼称される。外資系に勤めている方で、完全に新規の事業を興したり、あるいは新規の地域での顧客開拓を目指すとなった時に、「そこは“Here be dragons”ですね」と(心の中で)呟いてみてはどうだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アメリカ, オマール・シー, ダン・スティーブンス, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 監督:クリス・サンダース, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 野性の呼び声 』 -野性と人間性の鮮やかな対比-

『 ジュディ 虹の彼方に 』 -愛は虚妄ではない-

Posted on 2020年3月7日2020年9月26日 by cool-jupiter

ジュディ 虹のかなたに 75点
2020年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レニー・ゼルウィガー ジェシー・バックリー フィン・ウィットロック
監督:ルパート・グールド

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『 オズの魔法使 』は『 スター・ウォーズ 』と並んで、Jovianにとってオールタイム・ベストの一つである。そこでドロシーを演じたジュディ・ガーランドの晩年を描いた物語とあれば、観ないという選択肢は存在しない。

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あらすじ

ジュディ(レニー・ゼルウィガー)は子どもと共にステージに上がって、日銭を稼ぐ日々。カネが底を尽き、ホテルとの契約も解消となったジュディは元夫の家に駆けこむ。子どもと一緒に暮らすための家、そして親権を手に入れるため、ジュディはロンドンでの公演に臨むが・・・

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ポジティブ・サイド

ジュディ・ガーランドについては、実はそれほど多くは知らない。ただ、一般的な意味での幸せな人生を歩んでこなかった人であるということは、どこかで読んでいた。彼女はバイセクシャルで、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョンのような、マイノリティの悲哀を誰よりも先に体現した、一種の先駆者だったのだ。『 イミテーション・ゲーム 』で描かれた頃の英国が舞台で、いわゆるLGBTが枕を高くして寝られる地域でも時代でもなかった。そうした状況で、彼女が同性愛の男性カップルとささやかな交流を持つシーンに、大女優にして大歌手であるジュディ・ガーランドではなく、一人の“普通”の人間の姿を垣間見るようだった。

 

本作は、過酷な生活環境に置かれたジュディの子役時代と現在を行き来する。そうすることで、現在の彼女の苦しみの根の深さを浮き彫りにする。同時に、彼女が何を求め、何を得られなかったのかをも明らかにする。ジュディが求めていたもの、それは愛である。愛ほど定義に困る概念はないが、本作でジュディの求める愛は「求めること」である。あの虹の彼方に夢の国がある。夢の国にたどり着くことではなく、その旅路そのものに意味があるのだ。ラストの“Over the Rainbow”のもたらす感動は圧倒的である。『 サウンド・オブ・ミュージック 』の“エーデルワイス”、そして『 キャッツ 』の“メモリー”、そして“Beautiful Ghosts”を合わせたかのようである。

 

『 アリー / スター誕生 』の冒頭のタイトルが浮かび上がってくるシーンでレディー・ガガが口ずさんでいたのが“Over the Rainbow”である。『 スタア誕生 』で得られるはずだったオスカーは、しかし、ジュディの手には渡らなかった。それをゼルウィガーが今年、手に入れた。泉下の人となって久しいジュディも、get happy したことと思う。

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ネガティブ・サイド

LGBT、ドラッグ、乱れた生活、壊れていく人間関係。成功する人間が堕ちていく様には一定のルールでも存在しているのだろうか。もちろん、ジュディ・ガーランドは20世紀半ばの人物で、彼女こそが成功と失敗のジェットコースターに乗った第一世代ではあるのだが、ストーリーそのものにも真新しさはなかった。

 

また、ある人物の特定の時期にスポットライトを当てるやり方も『 スティーブ・ジョブズ 』などでお馴染みである。もっと『 オズの魔法使 』制作当時に比重を置いた作りでも良かったのかもしれないと感じる。

 

後はエンディングのクレジットシーンで、ジュディ・ガーランド本人の映像や写真が絶対に映されると期待していたが、それがなかった。何故だ。権利関係なのか。作りはハリウッドのbiopicのクリシェなのに、こうしたところでは王道を外してくる。何故なのだ、ルパート・グールド監督?

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総評

ジュディ・ガーランドの名を知らなくても、“Over the Rainbow”を知らないという人はいないだろう。歌手としても歌の方が、女優としてよりも作品の方が大きいという存在。それがジュディ・ガーランドである。そんな彼女がジュディ・ガーランドとしてではなく、一人の人間としてステージ上で“愛”を求めて歌う。若い世代で本作に感銘を受けたならば、ぜひとも『 オズの魔法使 』や『 スタア誕生 』を観てほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take ~ seriously

「 ~を真剣に受け取る 」、「 ~を真面目に捉える 」といったような意味である。『 ダークナイト 』でジョーカーが【 昼間のセラピー・セッション 】から立ち去る時に、“Why don’t you give me a call when you wanna take things a little more seriously?”と言い放つときにも使われている。これの反対表現は take ~ lightly である。ちなみに『 グーグル ネット覇者の真実: 追われる立場から追う立場へ 』には“Are you taking me lightly?”というフレーズは一時グーグル社内で流行したというくだりがある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, ジェシー・バックリー, ヒューマンドラマ, フィン・ウィットロック, レニー・ゼルウィガー, 伝記, 歴史, 監督:ルパート・グールド, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ジュディ 虹の彼方に 』 -愛は虚妄ではない-

『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

Posted on 2020年3月4日2020年9月26日 by cool-jupiter

PMC ザ・バンカー 70点
2020年3月1日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ イ・ソンギュン
監督:キム・ビョンウ

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原題はTake Point、つまり「最前線に行く」である。韓国と北朝鮮を隔てる38度線の地下で繰り広げられる戦闘を描いている。面白いなと思うのは、米朝首脳会談、その先の米大統領選がストーリーの下敷きになっているところ。2018年制作ということは、企画はその数年前だろう。制作者に先見の明があったのかもしれない。

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あらすじ

傭兵エイハブ(ハ・ジョンウ)は仲間と共に38度線地下のバンカーから北朝鮮の要人を拉致、護送する任務をCIAより受ける。だが現場に現れたのは最高指導者、通称キング。それでも作戦は結構され、簡単に成功・・・したかに見えた。しかし、米中の二超大国の政治的思惑に翻弄され、エイハブは一転、キング暗殺犯に仕立て上げられてしまう。唯一の挽回策は敵だらけのバンカーから生きてキングを脱出させることだけ・・・

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ポジティブ・サイド

大阪ステーションシティシネマで見逃した『 神と共に 』の穴埋めとばかりに、ハ・ジョンウ主演の本作を鑑賞したが、何と渋い役者であることか。太々しさの内に優しさを内包しつつ、それでいて容赦のない傭兵のリーダーを見事に体現した。英語も普通に堪能である。というか、日本の役者でここまで出来るのは平岳大ぐらいか?『 決闘の大地で 』のチャン・ドンゴン、『 マグニフィセント・セブン 』のイ・ビョンホンの100倍ぐらい英語のセリフをしゃべっている。1~2年の学習ではないはず。『 リンダ リンダ リンダ 』のぺ・ドゥナや『 新聞記者  』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホのように、韓国の役者は日本語も流暢に操る。つまりは、韓国エンタメ界は外国志向なのだ。『 パラサイト 半地下の家族 』は、そのトレンドの一つの帰結であった。日本も続かなければならない。

 

Back on track. 英語が飛び交う本作であるが、韓国映画お得意の血と硝煙と土埃のリアリティは本作でも健在である。日本のガン・アクションというと『 Diner ダイナー 』みたいな周回遅れの演出になったりするが、さすがに(今でも厳密な意味では戦時下の)韓国の作る映画である。本作は銃撃戦の激しさに加えて、独特のカメラアングルも冴える。具体的には小さなボール状の移動式スパイカメラ視点の映像。床にへばりついた視点から壁を這う視点、天井の梁の上からの視点など、通常ではありえないアングルからの映像がスリリングだ。

 

主人公の名前がエイハブだというのも面白い。言わずと知れたメルヴィルの『 白鯨 』のキャプテン・エイハブである。グレゴリー・ペックが不気味に手招きするエンディングが印象的だった。Jovianと同世代なら、漫画『 魁!!男塾 』のキャプテン鱏破布を思い出す人もいるかもしれない。軍人が義手や義足、義眼だったりするのは珍しいことではないが、エイハブが義足になった経緯がクライマックスにしっかりと関連してくる演出が心憎い。このラストのアクションシーンは非常にリアルである。空気抵抗が確かにそこにはあった。韓国の空挺部隊所属軍人がアドバイザーにいるのだろうか。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』の金持ち父さんを演じたイ・ソンギュンも医師を熱演。インテリ役が似合うが、それだけではない。泥臭さや汗臭さを放つ演技を全く厭わない本格派でもある。エイハブと互いを「韓国人」、「北朝鮮人」と呼び合う様が滑稽であると同時に、同じ言語を話すにもかかわらず分断された民族であることの悲哀をも表している。朝鮮半島が超大国の代理戦争の舞台となったことは『 スウィング・キッズ 』でも描かれていた。そこで戦う傭兵たちがアメリカへの不法移民たちであるという対比がいい。無国籍軍の男たちが、超大国の兵隊相手に必死の抵抗を見せる。そうした姿に自分を重ね合わせてしまう観客も多いのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

エイハブと奥さんのやりとりは正直なところ不要だった。カネにしか興味がないはずの傭兵が、実は誰よりも熱く仲間思いであるという設定だけで充分である。続編はないはずだが、万が一にも制作されれば、悪役はエイハブの家族を人質にする、あるいはターゲットにするはずである。『 エクスペンダブルズ 』のように、チームのメンバーが家族であるという作りで充分である。

 

序盤のもたもたした展開もマイナスである。特にエイハブが序盤で動けなくなるのが痛い。アクション映画なのに、主人公がアクションをしない。もちろん、エイハブはエイハブで奮闘するのだが、我々が見たいのは銃撃戦や格闘なのである。

 

序盤のポリティカルなあれやこれやの説明もくどかった。CIAエージェントのマックとエイハブの対話も、本当なら緊張感あふれるものであるはずだが、このパートもだらだらしたものに映った。序盤の様々な要素を引き締め、無国籍な傭兵たちとエイハブの関係をもう少し深めておけば、エイハブがユン医師を“仲間”と見なすようになる過程により一層のリアリティと説得力が生まれたと思うのだが。

 

総評

韓国映画の真骨頂である激しいアクションは本作でも健在である。同時に時代を先読みしたかのような導入に、大国・隣国に翻弄される近現代史の悲哀を脚本に上手く落とし込んだ作りになっている。セリフの7割ほどが英語であるのも、アメリカ市場、英語圏市場を見据えてのことだろう。邦画もこれに負けてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s every man for himself.

「(この状況では)自分の身は自分で守れ」の意である。英語音声の戦争ゲームやWWEのRoyal Rumbleでよく聞こえてくる決まり文句である。おそらく戦争映画でもバンバン使われてきたフレーズであるし、これからもドンドン使われるフレーズのはずである。たしか『 レザボア・ドッグス 』のセリフで聞こえてきた気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, イ・ソンギュン, ハ・ジョンウ, 監督:キム・ビョンウ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

『 黒い司法 0%からの奇跡 』 -人間の良心に切々と訴える-

Posted on 2020年3月2日2020年9月26日 by cool-jupiter

黒い司法 0%からの奇跡 75点
2020年2月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マイケル・B・ジョーダン ジェイミー・フォックス ブリー・ラーソン
監督:デスティン・ダニエル・クレットン

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原題は“Just mercy”。これはdouble meaning=ダブル・ミーニングで、一つの意味は「ただ慈悲のみ」、もう一つの意味は「公正な慈悲」である。民法のドキュメンタリー番組か何かのタイトルのごとき邦題に頭痛がしてくる。黒人差別(正確には貧困差別)を撃つ作品のタイトルに「黒い」という形容詞を用いるセンスがよく分からない。普通に「慈悲と公正」とか「司法と正義」のような比較的シンプルなタイトルにできなかったのだろうか。

 

あらすじ

アラバマ州で林業を営むジョニー・D(ジェイミー・フォックス)は、突然警察に逮捕され、死刑囚にされてしまった。犯してもいない罪で、刑務所に入れられた彼のような人々の元に、ハーバード大学卒業の黒人弁護士ブライアン・スティーブンソン(マイケル・B・ジョーダン)がやって来た。冤罪を晴らし、自由を得るための苦闘が始まるが・・・

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ポジティブ・サイド

これが30年前のアメリカの現実であり、そして21世紀も20年が過ぎようとしている今という時代にも現在進行形の物語である。そのことに驚かない自分に驚かされる。『 私はあなたのニグロではない 』から『 ブラック・クランズマン 』まで、黒人差別をテーマにした映画は、それこそ無数に作られてきた。本作は何が違うのか。それは、差別の構図に別の角度から光を当てたことである。

 

冤罪で収監され、有罪判決を受けた黒人。それを支援しようとする黒人弁護士。だが、ジョニー・Dはそのことに心を動かされない。彼にとっては最初、ブライアンは同胞でも味方でもない。北部からやってきたよそ者、大学卒のエリート。そうした自分とは異なる属性の人間だった。黒人差別や人種差別という言葉には、それ自体に差別の概念が埋め込まれている。なぜなら黒人は黒人を差別しない、アジア人はアジア人を差別しない、そうしたことを無邪気に前提しているかのように聞こえるからである。実際にはそうでない。ブライアンは最終盤で、差別の構造を鮮やかに解き明かして見せる。このシーンではJovianは思わず膝を打った。日本でも“上級国民”なるワードが人口に膾炙するようになって久しい。本当にそうした人種が存在するのかどうかはさておき、池袋高齢者ドライバー暴走事故は確かに我々に上級国民の存在を示唆する非常に象徴的な事件となった。上級国民の反対概念とは何か。それは下級国民である。では、下級とはどのようにして決まるのか。ブライアンは“それ”を正義の反対概念に置くことで、世界で急速に進む富の寡占、世界の分断を遠回しにだが強烈に撃ち抜く。ジョニー・Dの有罪の決め手となった証言をしたマイヤーズという男の肌の色、そして経済状態を見よ。彼こそが下級国民の象徴である。

 

同時に本作は差別からの解放を謳い上げるだけではなく、人間の尊厳についても非常に鋭く切り込んでいく。ベトナム戦争によりPTSDになり、殺人に至ってしまった男の死刑執行のシークエンスには恐怖と荘厳さが同時に存在する。なぜ死刑囚の死にこれほど心が揺さぶられるのか。それは我々が彼に同化するからである。共感するからである。ブライアンに心を開かなかったジョニー・Dが、なぜブライアンと共闘する気持ちになったのか。囚人たち(大部分は冤罪だが)が互いに固い絆を結び合っているのはどうしてなのか。それは孔子の言う仁である。巧言令色鮮し仁と言うが、ブライアンがジョニー・Dとの面談を重ねていく過程をよくよく見てほしい。人権派弁護士とは、理論家ではなく行動家なのだ。看護師の祖ナイチンゲールも「天使とは、美しい花を振り撒く者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ」と喝破している。ブライアンは、『 クリード チャンプを継ぐ男 』、『 クリード 炎の宿敵 』のアドニス・クリード並みに戦っている。派手さはない。しかし、ブライアンもまたファイターであることは疑いようもない。

 

それにしてもアメリカでも日本でも、裁判官というのはむちゃくちゃだなと思わされる。『 裁判官! 当職そこが知りたかったのです。 -民事訴訟がはかどる本-  』は知り合いの弁護士先生方にすこぶる評判が悪いが、普通の人間であるならば感じるべきことを感じられない裁判官の存在に、恐ろしいまでの無力感や絶望感を味わわされてしまう。これは下手のホラー映画よりも遥かに怖い。ブライアンはそれをどう乗り越えたんか。それは良心である。従容として電気椅子に座る死刑囚にも、自らの正義を盲信する保安官にも、良心がある。それこそが人間を人間にしてくれるのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

ブライアンが受ける屈辱的な仕打ちや、命の危険すら感じる脅迫的な警察の対応が序盤でパタッと終わってしまうのは少々拍子抜けである。アラバマというディープ・サウスの土地柄を表しているのかもしれないが、実際には調査や接見のあらゆる局面で差別や妨害があったはずである。職務上のパートナーであるエバ(ブリー・ラーソン)も脅迫を受けるが、そうしたシーンやプロットにもう少し尺を割けなかっただろうか。再審請求までが、少しトントン拍子に進み過ぎているように感じられた。差別されるのは黒人という属性ではない。エバは白人であっても差別の対象になっている。マイヤーズもそうだ。序盤の展開があまりにも黒人差別にフォーカスしているせいで、終盤に差別の本質が明かされた時のインパクトがあまり強くなっていないように感じられた。

 

ブライアンを脱がせた刑務所職員の男の変節(?)というか変化も不自然に感じられた。彼が変わっていく契機は、死刑の執行ではなく、囚人たちの人間関係に感化されることであるべきだった。

 

総評

これは傑作である。このような戦う弁護士が存在し、着実にたくさんの人々を救ったということに畏敬の念を抱かずにはいられない。同時に、正義とは何であるのかについても強く考えさせられる。法の下での平等がただのお題目に過ぎないのか。法治国家と言いながらも人治国家になりつつある某島国に暮らす人々は本作を観よう。袴田事件に憤り、涙を流す人なら、本作は必見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get away with murder

直訳すれば「殺人をもって逃げる」だが、実際は「めちゃくちゃなことをしてもお咎めなし」、「好き勝手し放題である」というような意味となる。ジョニー・Dは冤罪であり、真犯人は「文字通りの意味で殺人を犯しながらもお咎めなしで済んでいる(=literally get away with murder)」と劇中では使われている。読売新聞が米大統領の発言を「(日本や中国は)25年にわたって『殺人』を犯しておきながら許されている」と訳して物議をかもしたのは記憶に新しい。日本の貿易が犯罪的であるかどうかは別にして、某国の某総理大臣夫妻などはまさにこれ=get away with murderであろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ジェイミー・フォックス, ヒューマンドラマ, ブリー・ラーソン, マイケル・B・ジョーダン, 伝記, 監督:デスティン・ダニエル・クレットン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 黒い司法 0%からの奇跡 』 -人間の良心に切々と訴える-

『 グッドライアー 偽りのゲーム 』 -少々拍子抜けのミステリ-

Posted on 2020年3月1日2020年9月27日 by cool-jupiter

グッド・ライアー 偽りのゲーム 60点
2020年2月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イアン・マッケラン ヘレン・ミレン
監督:ジム・コンドン

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イアン・マッケランとヘレン・ミレンの共演、そして競演。日本で言えば石橋蓮司と吉永小百合をダブルキャストするようなものか。このキャスティングだけでも観る価値はある。だが、キャスティング以上に見るものは残念ながらなかった。

 

あらすじ

ロイ(イアン・マッケラン)は年季の入った老齢の詐欺師。インターネットの出会い系サイトで知り合った未亡人のベティ(ヘレン・ミレン)の資産をそっくり頂戴してしまおうと画策していた。彼女の孫に手を焼きながらもベティの信頼を得ていくロイ。しかし、二人でドイツに旅行に行くことになったことから、事態は思わぬ方向へと動き出し・・・

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ポジティブ・サイド

イアン・マッケランほどになるとキャラクターをactingするのではなく、キャラクターをbeingする。そのような感想さえ抱く。この御仁はマグニートーのイメージが強いが、ガンダルフの白髭もパッと思い浮かぶ。善と悪、両方で象徴的な役を演じられるのはそれだけで名優の証拠である。本作でも好々爺然とした顔と冷酷無比で暴力に訴えることにも躊躇しない極悪人の顔の両方を瞬時に入れ替えて見せる。目と口角だけですべてを語り切れる男である。ジェームズ・マカヴォイの40年後は、こんな俳優なのだろう。

 

受けて立つヘレン・ミレンも素晴らしい。御年70歳であるが、高貴な気品に満ち溢れている。だが、『 クィーン 』で現英国女王エリザベス2世を演じる一方で、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』のマザー・ジンジャーも好演するなど、その演技の幅の広さはイアン・マッケランに引けを取らない。その演技の何が素晴らしいかと言えば、未亡人の在り方をまさに体現しているところ。夫と死別したという不幸を背負いながらも、自分の人生は自分のもの。私は私として生きていくのだという楽天的とも必死とも言える決意を秘めた様は、古今東西の未亡人の鑑であろう。皆さんの周りにもきっといるだろう、とてつもない亭主関白の夫婦が。だが、そんな夫婦でも夫が先に逝くとどうなるか。残された妻は生き生きとするのである。いや、それは不謹慎だと言うなら、一度平日の昼間の大病院の外来を覗かれたし。多くの老人をそこに見ることができるだろう。そして男女比に目を凝らしてほしい。女性の方が多いことに気づくはずである。なぜなら、年老いた男は一人では病院には来れない。妻か、あるいは娘が90%の確率で付き添っている。一方で矍鑠たる女性たちを見よ。病院で一人で名前を呼ばれるのを待っているのはほぼ間違いなく女性である。そして、おしゃべりに花を咲かせるのも100%近く女性である。ヘレン・ミレンはそんな生き生きとした女性像を鮮やかに、しかし非常に貞淑に打ち出した。

 

何を言ってもネタバレをしてしまう恐れがあるため控えるが、演技合戦という意味では『 天才作家の妻 40年目の真実 』にも勝るだろう。『 2人のローマ教皇 』のアンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスの競演にも勝るとも劣らない。老練・熟練という言葉では足りない。極上の演技合戦を堪能するなら、本作で決まりである。

 

ネガティブ・サイド

トレイラーにあるように、好々爺の仮面をかぶった詐欺師が近付いてくるのを、資産家未亡人の孫が何とか食い止めようとするのだが・・・という煽り方で何か不都合があったのだろうか。制作国のアメリカでも、【 ヘレン・ミレンが“最強の悪女”に! 】、【 大人の騙し合い! 】などというアホな宣伝をしていたのだろうか。これでは原題の“The Good Liar”(単数形)が誰を指すのか、一目瞭然ではないか。何故に作品のミステリ要素を最初から減じてしまうような興ざめなことをやらかすのか。アホなのか。

 

本作は要するに『 太陽がいっぱい 』なのである。本来はポジティブな要素なのだろうが、なぜ舞台が2019年ではなく2009年なのか。Jovianは冒頭から疑問であった。だが、ある瞬間にピンと来てしまった。それはJovianの職業に少々関係がある。とにかく何を言ってもネタバレになってしまうから言えないのだが、Jovianは話のどんでん返し部分にかなり前に気づいてしまった。なので本作のミステリ部分、そこから生まれるサスペンスを味わうことができなかった。何のことか分からん、という人はJovianが毎回やっているワンポイントレッスンが何なのか、確認されたし。まあ、普通はこんなことは絶対に思い至らないだろうが、Jovianと同じ職業の人はある瞬間のロイのセリフに「ん?」となると思われる。フェアな伏線だったが、すれっからしの英会話スクール勤務のサラリーマン・シネファイルの目と耳はごまかせないのである。

 

本作で少々気になったのは監視カメラ。意味ありげにあるシーンでずーっと映っていたので、「ははーん、ロイは監視カメラの一つは上手く避けたが、これが後々効いてくるのだな」と思わせて、何もなかったところ。それだけならJovianの深読みしすぎで済む。しかし、この監視カメラ絡みの事件でロイが裁かれないのは不満であった。

 

総評

途中で真相が見えてしまうと、どんなに秀逸なミステリでも興ざめしてしまう。ただ、割と辛めの点数をつけているが、実際には70~75点は与えられるはず。なぜならJovian妻は真相を知って驚天動地という面持ちだったからである。演技を堪能しても良し、真相を見破ってやろうと意気込むも良し、きれいに騙されるのも良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tiny

「とても小さい」の意である。ベティが心臓発作の程度を表して、このように言う。どれくらい小さいかというと、かのマイケル・ジョーダンが電撃引退後にバスケットボール復帰への可能性を問われ“Tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny.”とtinyを9回繰り返した。MJがその後、野球を経由したもののNBAに復帰したのは誰もが知るところである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イアン・マッケラン, サスペンス, ヘレン・ミレン, ミステリ, 監督:ジム・コンドン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 グッドライアー 偽りのゲーム 』 -少々拍子抜けのミステリ-

『 ガルヴェストン 』 -逃避行ものの佳作-

Posted on 2020年2月29日 by cool-jupiter

ガルヴェストン 60点
2020年2月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ベン・フォスター リリ・ラインハート
監督:メラニー・ロラン

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シネ・リーブル梅田で見逃した作品。あの怪作『 複製された男 』にメインキャストとして出演していたメラニー・ロランの監督作ということは後で知った。これは観るしかない。

 

あらすじ

裏社会の男ロイ(ベン・フォスター) は肺を病んでいた。医師の説明もまともに聞かず病院を去ったロイは、組織のボスに命じられるまま仕事先に向かう。だが彼はそこで襲撃を受ける。組織はロイを始末しようとしたのだ。相手を撃ち殺したロイは、その場に居合わせた若い娼婦のロッキー(エル・ファニング)を連れ、逃亡の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

ベン・フォスターがベテランの貫禄を見せれば、エル・ファニングも新鋭以上の存在として重厚な演技を見せる。水着などはただのサービスに過ぎない。酒場での酒の飲み方、たばこの吸い方に咥え方、歩き方に笑い方、すべてに slutty な雰囲気をまとっていた。『 ウォールフラワー 』のエマ・ワトソンも悪くなかったが、彼女はどうしてもハーマイオニーのイメージから脱却できないところがある。エル・ファニングは『 マレフィセント2 』でも、充実の初夜を過ごしたという表情を見せていた。つまりは演技派なのだ。

 

だが、ファニング以上に印象に残ったのは、テキサス州ガルヴェストンの安モーテルを経営するナンシー・コヴィントンを演じたC・K・マクファーランドである。このオバちゃんの放つ存在感よ。『 影踏み 』の安宿のお上もそれなりに裏街道の人間という風情があったが、比較にならない。地下世界の殺し屋や素性不明の娼婦相手に初対面で上下関係を植え付け、それでいて包容力も見せつける。BiographyをIMDbでチェックしたが、映画やテレビドラマのチョイ役として息長く活躍している女優のようである。このオバちゃんの圧倒的なオーラを体感するだけでも本作を観る価値はあるだろう。

 

物語はテキサスの陽光や海のきらめきを活写しつつも、ストーリーはダークな領域に向かっていく。不惑のロイと19歳のロッキーの間に小さな女の子が入ってくることで、物語が陳腐なロマンスに堕してしまうことを防いでいるし、この子の存在がエンディングに驚きと彩りを与えている。どこかアメリカン・ニューシネマを思わせる作りである。エル・ファニングの新境地・・・とまでは言わないが、新しい一面に触れられるだろう。

 

ネガティブ・サイド

アメリカン・ニューシネマを思わせるというのは、アメリカン・ニューシネマではないからそう言えるわけである。ロイという殺し稼業の男の運命が、途中で見えてしまうのが本作の弱点である。これ見よがしにロイにタバコを吸わせるのは逆効果だった。

 

逃避行にあまり緊張感がないのが残念である。『 ベイビー・ドライバー 』のように、明らかに警察に追われているという単純なスリルやサスペンスがないし、ロイの属していた組織やそのボスの怖さもあまり伝わってこない。ロイの犯した殺人がテレビのニュースで報じられるシーンというのは、それまでのロイのプロフェッショナルな姿勢や警戒心がただの杞憂だったように感じられるのである。逃亡劇が面白いのは、『 逃亡者 』のリチャード・キンブルのように逃げる者が肉体的に強者ではなかったり、あるいは漫画『 カムイ伝 』の抜け忍びカムイのように逃げる側が実力者であったりする場合である。ロイは弱くもなく、さりとて強くもなくという感じである。超凄腕であるが、病気のために弱っている・・・という描き方をすれば、また異なる緊張感を生み出せたのではないだろうか。

 

中盤にロッキーが客を取るシーン(明確に描写はされないが)では、どこで手に入れてきたのか、whoreのコスチュームをゲットしてくる。どこで買ってきたのか。なぜ買ってきたのか。いつ買ってきたのか。このあたりの展開や描写にリアリティを著しく欠いていた。

 

終盤の展開と描写が、どことなく『 ベイビー・ドライバー 』と重複する。ガン・アクションやカーアクションは、正直言って拍子抜けするレベルである。このあたりにもう少し力を入れれば、芸術度は上がらなくても娯楽性は上がっただろう。劇場で鑑賞すれば、ポップコーンがもうちょっとは進んだに違いない。

 

総評

傑作ではないが、駄作でもない。COVID-19が本格的に流行し始め、不要不急の集まりや外出は控えよとの政府のお達しも出ている。手持無沙汰の終末に、レンタルや配信で自宅で気軽に鑑賞するのに向いている作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Just so you know

「一応言っておくけど」、「念のために言わせてもらうが」のような意味合いである。Jovianが感銘を受けたNancy Covingtonが“I’m friends with lots of cops, just so you know.”とロイに不敵に言い放つシーンは迫力満点である。自分で使えずとも、こうしたすべての単語は知っていても、それらが組み合わさると字面にはない意味になる表現というのは、知っておいて損はない。『 女神の見えざる手 』でも聞かれた。英語好きな人にはこちらの動画(02:38~)を勧めたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, エル・ファニング, ヒューマンドラマ, ベン・フォスター, リリ・ラインハート, 監督:メラニー・ロラン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ガルヴェストン 』 -逃避行ものの佳作-

『 ミッドサマー 』 -不協和音的ホラー映画-

Posted on 2020年2月27日2020年9月26日 by cool-jupiter

ミッドサマー 50点
2020年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:フローレンス・ピュー
監督:アリ・アスター

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予告編の日本語ナレーションが【 明るいところが怖くなる 】と煽ってきたので、「お、変化球のホラーが来たか」と思っていたら、『 ヘレディタリー/継承 』のアリ・アスター監督作だった。なんとなくだが、この人は波長の合う人はばっちり合うのだろうが、合わない人はとことん合わないように思う。Jovianはあんまり合わないかな・・・

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あらすじ

女子大生のダニー(フローレンス・ピュー)は、双極性障害の妹がる発作的に両親を殺害し、自身も自殺してしまったことから天涯孤独になってしまった。頼れるのはボーイフレンドのクリスチャンだけ。だが彼もダニーとの別れを考えていた。しかし、独りきりになってしまったダニーに別れを告げられない。そんな中、クリスチャンはダニーと距離を取るべく人類学の論文の調査のために、留学生の友人ペレの地元、スウェーデンの夏至祭に仲間と赴くことにする。だが結局はダニーも同行してしまう。その先には奇妙なコミューンが待ち受けているとも知らず・・・

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ポジティブ・サイド

何とも不穏な始まり方である。妹から奇妙な連絡が来たことを極度に不安がり、ボーイフレンドにヒステリックなまでに電話し続ける痛い女、ダニー。彼氏であるクリスチャンに粘着し、彼の「ごめん」の一言にも「謝ってほしいわけじゃない」と返す会話の無限ループ。さらには旅先にまで無理やりついて行くストーカー気質。映画文法に沿ったキャラではなく、極めてリアルなキャラなのである。つまり、ホラー映画もしくはラブコメに出てきそうなキャラではなく、実在するアッパーかつダウナー系の女子大生っぽさを醸し出している。主人公の女性が典型的映画キャラではないことが、今作にリアリティを与えている。

 

スウェーデン(実際はハンガリーらしいが)に作られた撮影用のコミューンも素晴らしい。このプロダクション・デザインは、ホラー映画としては異例の美しさである。陽の光が燦々と降り注ぐ自然に満ち溢れた村のかしこに見られる性的なアートやオブジェが、それゆえに際立って異様に映る。この神経にぞわぞわと来る感じがいい。明と暗のコントラストがあるが、この不快感に近い恐怖感はジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』や『 アス 』に近いと感じた。こけおどしのジャンプ・スケアではなく、観る側が期待する恐怖感。それが本作にはある。

 

クライマックスのシュールさは近年稀に見るレベルである。詳しくは観てもらうしかないが、性的なオブジェに対して我々が抱くポジティブな感情・感覚とネガティブな感情・感覚がごちゃまぜにされる。その不快感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。この混乱に近い感覚は、新時代のホラー映画のひとつの基軸になるかもしれない。理不尽な怪異ではなく、理解できそうで理解できない不条理。『 ヘレディタリー/継承 』とは異なるテイストのホラー映画である。

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ネガティブ・サイド

以下にJovianが本作鑑賞中および鑑賞後にパッと思い起こした作品をいくつか挙げる。

 

『 タイタス 』
『 グリーン・インフェルノ 』
『 ウィッカーマン(1973) 』
『 ウィッカーマン(2006) 』
『 レクイエム・フォー・ドリーム 』

 

他にも色々と先行作品はあるのだろうが、普通にこれだけ思い浮かぶ。つまり、ストーリーとしてはそれだけ陳腐である。本作の面白さの肝は、ストーリーの見せ方であって、ストーリー展開そのものではない。ここにもう一工夫、あるいはもう一捻りがあれば、もっと高い評価を与えることができたのだが。

 

ゴア描写も『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』の二番煎じだった。人体破壊を売りする安易なホラーと本作は一線を画すものだが、ここでもやはりオリジナリティの欠如が惜しまれる。

 

いくつか不可解に思えることもある。なぜ夏至祭は90年に一度なのか。人生を18年ごとに四季のように区切るのならば、72年に一度ではないのか?

 

夜中(といっても白夜なのだが)にしきりに聞こえる赤ん坊の泣き声が不快感をいやでも増幅してくるが、いったい何歳なのか。普通に考えれば夏至祭は4~5年に一回はやっているだろう。人類学・民俗学的に90年に一度のお祭りというのは考えづらい。『 凛 りん 』の“100年に一度”と同じで、信ぴょう性はゼロである。人類学の学徒であるクリスチャンやその友人が、このように思い至らないことが、宗教学専攻だったJovianにとっては全く腑に落ちない。

 

最も不満なのはドラッグの使い方である。『 レクイエム・フォー・ドリーム 』や、あるいは邦画では『 クリーピー 偽りの隣人 』など、ドラッグでトリップしたのでゴニョゴニョというのは個人的には受け入れがたい。これもまた二番煎じであるが、『 ジョーカー 』のように、抗うつ薬の効き目が弱くなった時のダニーが本当のダニーの姿である、というような描写をもっとクリアな形で序盤に入れておくべきだった。

 

また、ダニーの妹の死および両親との心中が双極性障害だったからというのにも説得力がない。というか配慮がない。躁状態であれ鬱状態であれ、それをはっきりと言明してしまうと、現実世界で双極性障害や鬱病、躁病に苦しむ人々があらぬ疑いをかけられてしまう。だからこそ、例えば『 四月は君の嘘 』や『 3D彼女 リアルガール 』では、病名が明かされないのである。

 

最も盛り下がったのは、とある動物が描写された瞬間である。上で挙げた作品の一つには、とんでもないギャグシーン(としか思えない)を含む作品があるが、まさかそれをここでも繰り返すとはゆめにも思わなかった。何度でもいうが、オリジナリティが欲しいのである。

 

総評

嫌ミス的なテイストの作品を好む向きにはぜひおすすめしたい。『 ヘレディタリー/継承 』と波長が合わないと感じた人も、本作は一度試しに見てみるのも一興である。ただし、カップルで鑑賞する際はタイミングに注意を要する。コミューンの住人との虚々実々のミステリに興味がある向きは、奥泉光の小説『 葦と百合 』を読もう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Problem solved.

「問題が解決された」の意である。冠詞やbe動詞は不要である。これはこういう決まり文句なのである。会議でトラブルの解決法が示され、実際にそれで解決の見通しが立った、あるいは解決された時に“Problem solved”とつぶやこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, フローレンス・ピュー, ホラー, 監督:アリ・アスター, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ミッドサマー 』 -不協和音的ホラー映画-

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