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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

Posted on 2022年2月26日 by cool-jupiter

バットマン・フォーエヴァー 65点
2022年2月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:バル・キルマー ジム・キャリー トミー・リー・ジョーンズ ニコール・キッドマン
監督:ジョエル・シュマッカー

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『 THE BATMAN ザ・バットマン 』公開前に復習鑑賞。多分20年ぶりくらいに鑑賞したが、ダークな中にユーモアを内包するティム・バートンのバットマンとは異なり、本作はユーモアの中に狂気を内包している。

 

あらすじ

検事ハーヴィー・デント(トミー・リー・ジョーンズ)は狂気の怪人、トゥー・フェイスとなり、ゴッサム・シティの銀行を襲撃する。バットマンによって凶事は防がれたものの、今度はウェイン・エンタープライズの従業員、エドワード・ニグマ(ジム・キャリー)が海神リドラーに変身。ブルース・ウェイン(バル・キルマー)に彼らの魔の手が迫る・・・

 

ポジティブ・サイド

再鑑賞して真っ先に思ったのは、プロダクションデザインに相当に力が入っているなということ。CGが全盛になる前の、ある意味で正統派の映画を観たように感じた。ウェイン宅の調度品からバット・ケイブの造作まで、これはこれでジョエル・シュマッカーの世界観が出ている。前二作は、ジャック・ニコルソンの狂喜のジョーカーに、シリアスでダークで政治色も強めの哀れなペンギンだったので、ある意味の揺り戻しが来たのも納得。

 

トミー・リー・ジョーンズは素晴らしい役者だと感じた。個人的には『 タイ・カップ 』がベストだと感じているが、本作のトゥー・フェイス役もかなりのはまり役。この作品だけ単体で観ればただの変なおじさんだが、作品ごとにガラリと芸風を変えられる演技ボキャブラリーを持っていることが分かる。笑いながら笑えない暴力を行使するキャラとしては、ジャック・ニコルソンのジョーカーに次ぐ奇妙な可笑しさと怖さがあると思う。ビリー・ディー・ウィリアムズがトゥー・フェイスを演じても、おそらくここまで突き抜けたキャラにはなれないだろう。

 

このトゥー・フェイスを上回るどころか、主役のバットマンさえ霞ませるのがジム・キャリー演じるリドラー。『 マスク 』や『 グリンチ 』など、マスクをかぶったり変装したりするキャラで本領を発揮する怪優だが、本作でもその高い演技力を遺憾なく発揮している。頭が飛びぬけて良いが狂っている、あるいは狂っているが恐ろしく頭脳明晰という二律背反キャラを完璧なまでに演じている。コミカルな動きでバット・ボムを放り投げてバット・ケイブおよびバット・モービルを破壊していく様の何ともいえない薄気味悪さと怖さはジム・キャリーにしか出せない味だろう。Jovianの職場はカナダ人が多めだが、彼ら彼女らが高く評価する自国の俳優はだいたいジム・キャリーである(ちなみに監督だとジェームズ・キャメロン)。

 

バル・キルマーは結構よいキャスティングだった。若くてハンサム、そして経営者としてのカリスマ性も感じられ、ブルース・ウェインとして説得力があった。バットマンとしても、hand to hand combat でトゥー・フェイスの手下たちを次から次へと片付けていく様子が非常に小気味良かった。ミステリアスさなどの影の部分が前面に出ていたマイケル・キートンとは一味違ったバットマン像を打ち出せていた。ダークナイトとしての使命を果たそうとしながら、一人の人間としての人生も生きようとする姿が、悪役トゥー・フェイスやニグマ/リドラーと奇妙なコントラストを成していた。ティム・バートンの描き出す陰影のあるゴッサムおよびバットマンとは大いに趣が異なるが、こうしたバットマンもありだろうと感じた。

 

ネガティブ・サイド

ロビンのキャラが軽すぎるように感じた。トゥー・フェイスに復讐を果たしたい理由があるのは分かるが、脚本に説得力を欠いていた。家族の復讐のためというよりも、ヴィランが二人なので、バットマンの相棒ロビンを出そうという意味合いの方が強かったように映った。もちろんロビンにはロビンの悲しい過去があり。バットマンにはバットマンの悲しい過去があるのだが、互いが相手を必要とするようになる過程の描写が弱かったと感じる。

 

トゥー・フェイスとリドラーの直接の絡みはもう少し減らして良かった。アクの強い者同士を混ぜると、たいていは bad chemistry となる。本作もそうなってしまった。両ヴィランとも単独で十分にキャラ立ちしており、共闘することで1+1=2ではなく、1+1=1になっていたように思う。基本的には一映画で一ヴィランであるべき、もしくはヴィランを一人倒したら、また新たなヴィランが現われるという方が、ゴッサム・シティらしいのでは。

 

トゥー・フェイスを殺してしまうのはバットマンらしくない。コインの表裏で潔く自決するようなプロットは描けなかったものか。

 

総評

久しぶりに鑑賞したが、リドラーの予習にはならないと実感。悪役が強烈すぎて主役が食われてしまっている。ただ『 THE BATMAN ザ・バットマン 』に興味があって、なおかつ「リドラーって誰?」という人は本作を鑑賞するのも一つの手かもしれない。最新作は間違いなく、恐ろしいほど狂ったリドラーではなく、恐ろしいリドラーを描いているはず。そのギャップをJovianは楽しみにしている。この次のシュワちゃんのMr. フリーズは文字通りの意味で寒いギャグが連発されるので、猛暑の夏にでも気が向いたら再鑑賞しようと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Old habits die hard.

直訳すれば「古い習慣は一生懸命死ぬ」だが、意訳すれば「古い習慣はなかなか消えない」となる。日常生活でもビジネスでも時々使われる表現。die hard というとブルース・ウィリスを思い浮かべる映画ファンは多いだろうが、あれも「一生懸命死ぬ」転じて「なかなか死なないタフな奴」の意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アクション, アメリカ, ジム・キャリー, トミー・リー・ジョーンズ, ニコール・キッドマン, バル・キルマー, 監督:ジョエル・シュマッカー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

Posted on 2022年2月24日2022年3月4日 by cool-jupiter

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ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ

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傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。

 

あらすじ

再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。

 

レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。

 

アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。 

 

どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また  “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。

 

オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。

 

トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。

 

オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。

 

ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。 

 

ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。

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ネガティブ・サイド

前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。

 

ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。

 

リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。

 

ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。

 

“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。

 

オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。

 

『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。

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総評

歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

catch someone by surprise

誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, ミュージカル, ラブロマンス, リタ・モレノ, レイチェル・ゼグラー, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

ウエスト・サイド物語 80点
2022年2月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ウッド ジョージ・チャキリス リチャード・ベイマー ラス・タンブリン リタ・モレノ
監督:ロバート・ワイズ ジェローム・ロビンス

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S・スピルバーグが本作をリメイクしたというニュースは2年前からあったと記憶しているが、公開がここまで遅れるとは。本作も小学生の時にVHSで観て以来、多分10回ぐらいは観ている。久しぶりに再鑑賞して、やはり時を超える傑作だと感じた。

 

あらすじ

ニューヨークのマンハッタン。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団は、ストリートで抗争を繰り広げていた。ダンス・パーティーの場で、ジェット団のボスであるリフ(ラス・タンブリン)のかつての兄貴分トニー(リチャード・ベイマー)は、シャーク団のボス、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹、マリア(ナタリー・ウッド)と皮肉にも運命的な出会いを果たす・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の音楽だけで、ある意味で物語の全てが描かれている。この色とりどりに変わっていくロゴ画面とサントラのコンビネーションの素晴らしさは、『 2001年宇宙の旅 』の冒頭数分の真っ暗な画面と雑音、そこから太陽が輝き出す瞬間に大音量で流れる『 ツァラトゥストラはかく語りき 』に匹敵する。というか。『 2001年宇宙の旅 』よりも本作の方が古かった。ロバート・ワイズの先見性よ。

 

不遇への不満、怒りから、胸の高鳴りから愛まで、すべてが見事な歌と踊りで表現されている。冒頭のジェット団の指パッチンと口笛が印象的な『 Prologue 』、絢爛豪華な中に危うさも感じさせる『 Dance at the Gym 』、アメリカの正の面と負の面をユーモラスに歌い踊り上げる『 America 』、決闘と逢瀬の両方を待ち焦がれる、おそらく本作で最も有名な『 Tonight 』、同じく不朽の名作『 サウンド・オブ・ミュージック 』を強く予感させる『 I Feel Pretty 』など、レナード・バーンスタインの音楽が冴えわたる。

 

ダンスも息を呑むほどの素晴らしさ。特にベルナルド役のジョージ・チャキリスとリフ役のラス・タンブリンがやはり目を引く。一つ一つのダンスシーンやその導入部分もロングのワンカットが多用されていて、臨場感抜群。衣装や背景も1960年代の雰囲気を醸し出している。トニーの歌う『 Something’s coming 』のシーンは『 イン・ザ・ハイツ 』を彷彿とさせた。というか、あちらが本作にインスパイアされたと見るべきか。

 

マリアとトニーの出会いのシーンは『 フランシス・ハ 』でフランシスが開陳していた愛の定義に合致する。すなわち、周囲に多くの人がいるにもかかわらず、誰も自分たちに気付かない。しかし、自分たちはお互いに相手こそが運命の人だと理解しているという瞬間を共有できることだ。子どもの頃に見て美しいと思ったが、今見てもやはり美しいシーンだ。カメラの性能だとかそういうことではなく、人間の本質が捉えられているからだろう。

 

ストーリーはまんま『 ロミオとジュリエット 』だ。敵対関係にある陣営の男女が恋に落ちる。しかし、悲劇が・・・ 思えば、10年ぐらい前まではグローバル化だ多様化だと声高に叫ばれていたが、それはつまり世界がそれだけ分断されていた証拠なのだろう。修身斉家治国平天下と言うが、まず修身のレベルからして難しい。いつの時代、どの地域でも、個人レベルですら本当に理解し合い、愛し合うのは難しい。いや、個人同士は上手くいっても、その個人が属するちょっとした集団同士が仲良くするのは、どういうわけか難しい。『 シュリ 』や『 JSA 』を観ても分かる通り、同じ民族ですら個人同士では愛し合えても、国同士では分かり合えない。陳腐な筋立てだが、どういうわけか胸を打つ。憎しみからは何も生まれない。マリアの言葉が強く響く。

 

ネガティブ・サイド

スペイン語を使う場面がもう少しあってもよかったように思う。特にチノがダンス・パーティーの場でマリアに「帰ろう」と呼びかけるのは英語ではなくスペイン語であるべきだろう。

 

クラプキ巡査の去り際、緊急通報が入ったというのにパトカーが一切サイレンを鳴らないのは何故なのか。

 

映画の出来そのものとは関係ないが、漫画に出てくる Captain Marvel をマーヴェル船長と訳してしまうのは時代のせいか。それでもDVDにする頃にはアメコミの知識も少しは日本に入ってきていたと思うが。

 

総評

まごうことなき傑作。スピルバーグがリメイクしたくなるのも分かるが、よほど良い味付けのアイデアがないと、失敗は目に見えている。鑑賞するのが楽しみなような、怖いような。今度は元ネタである『 ロミオとジュリエット 』を再鑑賞しようかな。というか、買おうかな。ミュージカルには興味がないという向きにもお勧めしたい。『 ベイビー・ドライバー 』と同じく、最初の10分を楽しめれば、後はエンディングまで一直線である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Beat it

「失せろ」の意。マイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のおかげで、80年代が青春だったという世代なら、発音や意味はお馴染みだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, アメリカ, ジョージ・チャキリス, ナタリー・ウッド, ミュージカル, ラス・タンブリン, ラブロマンス, リタ・モレノ, リチャード・ベイマー, 監督:ジェローム・ロビンス, 監督:ロバート・ワイズ, 配給会社:シネカノンLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

『 エンダーのゲーム 』 -微妙なジュブナイル映画-

Posted on 2022年2月17日 by cool-jupiter

エンダーのゲーム 45点
2022年2月14日 WOWOW録画にて鑑賞
出演:エイサ・バターフィールド ハリソン・フォード ベン・キングスレー ヘイリー・スタインフェルド 
監督:ギャビン・フッド

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バレンタインデーである。ロッテファンのJovianはボビー・バレンタインを思い浮かべるが、何故かふと本作に登場するキャラクターのバレンタインを思い出して、Blu-rayディスクを引っ張り出してきて再鑑賞した。

 

あらすじ

かつて異星人の侵攻を受けたことから、人類は次なる侵攻に備えて優秀な兵士や指揮官を育成せんとしていた。そして衛星軌道上にバトルスクールを設立し、素質のある子どもを集めていためていた。グラッフ大佐(ハリソン・フォード)にスカウトされたエンダー(エイサ・バターフィールド)は、家族と離れ、バトルスクールへと向かう・・・

 

ポジティブ・サイド

ジュブナイル小説、あるいはヤング・アダルト向けの小説の映画化ということで『 メイズ・ランナー 』や『 ハンガー・ゲーム 』と、ある意味で同工異曲。しかし、それが面白いところでもある。つまり、子どもが大人に反抗する、もっと言えば世界や秩序に対して反抗するストーリーだからだ。

 

人口抑制政策の例外としてエンダーが生まれてきたという設定も現代的で良い。1980年代にそうした世界観を持っていたのは卓見と言える。このエンダーが第三子=サードであるというところから、彼の反抗の物語が始まる。おぎゃあと産声を上げた瞬間から、彼は異端分子だった。こうした疎外された存在には感情移入しやすい。

 

また、凶暴な兄貴とダダ甘な姉、そして頼りになりそうで頼りにならない父の存在が、逆説的にではあるが、エンダーの成長と自立を促している。エンダーのポテンシャルが垣間見える地上の学校でのエピソードは、兄貴との衝突の日々が皮肉にも生きている。

 

バトルスクール、その先のコマンドスクールでも異端児として頭角を現していく。無重力空間でのバトル訓練はなかなかユニーク。一種のスポーツで、ルールのある中でいかに合法的に勝つのかを考え、実行する良い機会であると感じた。実際、エンダーの考案したフォーメーションはラグビーのドライビングモールで、フットボール好きのアメリカ人らしからぬ発想だと感心した。

 

異星生命フォーミックとの最終決戦に備える展開は、劇場で初めて観た際にはポカーンとなってしまったが、よくよく見れば細かな伏線やら演出があったのだなと再鑑賞して確認できた。ハリソン・フォードは相変わらずハリソン・フォードだが、ノンソー・アノジーが『 シンデレラ 』同様の役柄で非常に良い味を出している。じっくり観ても良いし、あっさり観てもよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

ジュブナイル映画であるのは間違いないが、ビルドゥングスロマンになっていない。エンダーが家族の中ですら浮いた存在であること、兄貴は落ちこぼれで狂暴、父親はあまり頼りにならないという中で、ハリソン・フォード演じるグラッフ大佐がエンダーにとっての良き兄貴分、良き親父分という positive male figure になれていない。ところどころでドラマが盛り上がりそうになるが、どれもこれもが中途半端に終わる。かろうじて最後の戦いの後ぐらいか、盛り上がったのは。

 

エンダーのシスコンっぷりも度を越している。Jovianお気に入りのヘイリー・スタインフェルドが、ただのチームメイト的存在にとどまっている。別にロマンスの対象にしろと言っているわけではない。エンダーのシスター・コンプレックスを癒やす、あるいはより刺激してしまうといったドラマが生まれたはずなのに、それがなかった。原作小説ではあるのだろうか?

 

ボンソーとの対決はエンダーの哲学、すなわち勝つことよりも勝ち方が大事なのだという考えを生み出す、あるいは強化するという意味で非常に重要だった。しかし、この戦い自体がエンダーとフォーミックの戦いについて何かしらの有意な影響を与えていないのは虚しい。ボンソーは単なる引き立て役にすぎなかったのか。ボンソーと争うにしても、それはエンダーの兄との確執を低減する契機になるようなものであるべきで、厄介な奴には途中退場願うというのは何か違うのではなかろうか。

 

エンダーのプレーする最後のゲーム、そしてその後の選択に説得力がない。それは、そこに当時のアメリカ的な価値観が色濃く出てしまっているからだろう。相手を死ぬまで叩くのではなく、歯向かってくる気をなくすようなやり方で叩けばいいというのは、個人同士のケンカならいざ知らず、国家同士、あるいは文明同士というレベルの争いにも適用できるのか。『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』でもAIが人間と人類を弁別できないことが描かれたが、人間も異種の生命を個体と種として区別できていない。相手がアリのような群体生物という点はあるにしても、これは個人を国家に属させる、個人を国家と同一視するというアメリカ人の悪癖であると思う。実際にアメリカはそのやり方をベトナムやらイラクで散々試したが、上手くいったのは日本だけではないか。

 

ジュブナイル小説の映画化ではあるが、大人の世界の嫌な現実がめちゃくちゃ透けて見えるという意味では、本作はティーンエイジャー向きではないのかもしれない。

 

総評

『 オフィシャル・シークレット 』の脚本兼監督の作品とは思えないが、これもギャビン・フッド自身の倫理観なのだろう。もしくは2010年~2015年あたりで心境に変化が生じたのか。まあ、小難しく頭を使わなければ楽しめない作品というわけではない。少年としての葛藤、弟としての葛藤など、観る側の感情移入を容易にする属性が主人公にはたくさんある。ストーリー展開や演出で「ん?」と思うところもそれなりにあるが、2時間弱を飽きることなく観ることはできるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a shoulder to cry on

直訳すれば「そこで泣くための肩」だが、転じて「悩みや愚痴を聞いてくれる人」を意味する。名曲『 ラスト・クリスマス 』でも My God, I thought you were someone to rely on. Me? I guess I was a shoulder to cry on. という歌詞がある。まあ、Jovianはロッド・スチュワートのファンなので、”Last Christmas”よりも”To Be With You”の出だしの歌詞として紹介をしたい慣用表現である。

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『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

Posted on 2022年2月11日 by cool-jupiter

リトル・シングス 50点
2022年2月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デンゼル・ワシントン ラミ・マレック ジャレッド・レト
監督:ジョン・リー・ハンコック

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『 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ 』のジョン・リー・ハンコックの監督作にして、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でスターの仲間入りを果たしたラミ・マレック、大御所デンゼル・ワシントン、超実力派ジャレッド・レトのそろい踏み。しかし、サスペンスもミステリも中途半端だった。

 

あらすじ

保安官代理のディーコン(デンゼル・ワシントン)は、古巣のLAに出張するが、そこで連続殺人事件の捜査に加わることになる。捜査の陣頭に立つバクスター(ラミ・マレック)は、厄介者扱いされるディーコンの力量を認め、良きパートナーになっていく。そして、容疑者としてスパルマ(ジャレッド・レト)が浮上してくるが・・・

 

ポジティブ・サイド

デンゼル・ワシントンの好演が光る。2010年代以降では絶滅危惧種、あるいは絶滅種になってしまったであろう古いタイプの警察。ハイテクや高度な犯罪心理学の知識ではなく、自らの観察眼と直感に忠実な、ある意味で極めて日本的な警察とも言える。そういう意味では、非常に感情移入しやすいキャラクターだった。落ち着いた物腰の中に垣間見えるハンターの目が印象的で、今後は中年以降のクリント・イーストウッドのように、アクションではなく、オーラで役者をやっていくのだろう。

 

相棒となるラミ・マレックも正義の執行に執念を燃やすタイプの刑事で、敏腕ではあるが、いわゆる鼻持ちならないインテリの刑事ではない。なので、こちらのキャラクターの思考や心情も、観ている側に伝わりやすいし、マレック自身の目線の演技がさらにそれを助けている。ラストで見せる非常に虚ろな目が特に味わい深い。

 

ジャレッド・レトはいつ見ても普通ではない役を演じていて、きっと本人もノリノリなのだろう。サイコパス的な不気味さと犯罪・警察マニアという皮相さが絶妙にブレンドされて、限りなく怪しいけれど、しかしマニアが調子こいているだけかもしれないという、gray area を極めて強く印象付ける。こういう虚々実々の役作りにおいては、存命俳優の中ではトップクラスだろう。クライマックスでラミ・マレックと対峙した時、徐々に力関係が逆転していく様子は見応えがあった。

 

捜査の過程で事件の謎だけではなく、ディーコン自身がLAで厄介者になってしまった経緯も徐々に明らかになっていく。そして今回の事件の真相(と言っていいのかどうか・・・)を知ることで、原題の The Little Things が巧妙なダブルミーニングになっていることに気付く。ステイホームの週末の時間つぶしにちょうどいい作品かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

何というか、脚本に力がない。『 セブン 』や『 羊たちの沈黙 』、『 チェイサー 』や『 殺人の追憶 』のようなサスペンスを生み出すポテンシャルがありながら、その可能性を追求せず、スターをキャスティングすることで満足してしまったように思える。

 

冒頭、不穏さが充満するクルマの追走シーンで、殺人の過程を描かないのは別に構わない。匂わせるだけの方が効果的な場合もあるからだ。ただ、本作はあまりにも匂わせるだけのシーンが多すぎる。『 セブン 』にあったような陰惨極まりない事件現場や、『 羊たちの沈黙 』で描かれたような残虐シーンがない。ディークとバクスターが犯人を追いかけていく様には『 チェイサー 』のキム・ユンソクのような執念が感じられなかった。特にバクスターの方は、何が彼をそこまで駆り立てるのかについての描写が明らかに不足していた。単なる正義感では説明がつかないし、信仰心でも答えにならない。バクスターの背景が見えてこないことが、ディークと彼のバディ同士としてのバランスが上手く取れていないように映る主要因だったと感じる。

 

この何ともモヤモヤする感じのクライマックスの展開は、悪いとは言わないが、少々物足りない。この容疑者が本当に犯人なのか、それとも犯人ではないのかというモヤモヤ感を楽しむ分野の作品には『 殺人の追憶 』といった傑作があるので、どうしても比較対象になってしまう。

 

本作の脚本上の弱点は、テーマがぼやけてしまっている点にあると思う。The Little things = 小さなこと(それは時に文字通りの小物であったり、あるいはちょっとした言動だったりする)へのフォーカスが弱い。どちらかというと、警察が職務外でもどれだけ警察官たりえるのか、あるいは警察がその私人性を突かれた時にどれだけ警察でいられるのか、といったテーマの方が色濃くにじみ出ていた。そういった意味でも『 セブン 』や『 殺人の追憶 』といった先行作品に大きく水をあけられていると感じた。

 

それにしてもラミ・マレックの相棒がジョー・ディーコンというのは笑ってしまう。脚本家またはプロデューサーがQueenのファンなのだろうか。

 

総評

事件そのものに謎やサスペンスを生み出す力は弱いが、逆に言えばあまりにも陰鬱かつ残虐な映画は勘弁・・・という向きに合っているのかもしれない。主演の3人の演技合戦を素直に楽しむべきなのだろう。デンゼル・ワシントンのファンならば、ディークの存在感と人間臭さを堪能するために、観ておいて損はない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get on the fast track for a promotion

「出世街道に乗る」の意。Jovianも初めて聞いた表現だが、これは色々な場面で使えそうに思える。ひとまず自分の職場のネイティブ連中相手に使ってみようと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, サスペンス, ジャレッド・レト, デンゼル・ワシントン, ラミ・マレック, 監督:ジョン・リー・ハンコックLeave a Comment on 『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

『 コンジアム 』 -韓国ホラー映画の不発弾-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

コンジアム 50点
2022年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウィ・ハジュン イ・スンウク
監督:チョン・ボムシク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220206225949j:plain

近所のTSUTAYAで目についた。確か塚口サンサン劇場かどこかで上映していた時に、スルーしてしまった作品。サスペンスでは文句なしの韓国映画だが、ホラーではどうか。うーむ・・・という出来だった。

 

あらすじ

廃墟となったコンジアム精神病院への潜入ルポをYouTube配信しようというハジュン(ウィ・ハジュン)とその仲間たち。各種機材やカメラ、そして少々の演出も準備して臨んだ撮影だが、徐々に怪奇現象が起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

このコンジアム廃病院は、何と実在するようである。セットや大道具、小道具では出せないおどろおどろしさが建物内には確かに充満していた。精神病院に首吊り自殺だの集団自殺だの人体実験だのといった属性を付与していくのは、現代日本だと難しそう。差別的、あるいは既に存在する差別を助長するかどで、そんな設定の映画や小説があれば、すぐに糾弾されるように思う。それをやってしまう韓国のエンタメ追求精神よ。

 

YouTuberとホラーという点では『 貞子 』よりもこちらが先行していた。その着眼点も悪くない。ホラー映画では登場人物の真後ろや真横から怪異がいきなり登場するのが最早お約束だが、今回の潜入パーティーのメンバーは皆、全身にカメラ装備。あらゆる角度を撮影していている。これにより、多くのホラー作品にありがちな「そのショットは誰が撮っているの?」という問い、すなわちカメラマンの存在を観る側の意識から消すことに役立っている。

 

このカメラマンの存在というのが、後半に明らかになる序盤にすでに起きていた怪奇現象につながっていて、これには少し唸らされた。

 

ジャケット裏の黒目少女はインパクトがあったが、これはマイナスか。ただし、彼女がしゃべる異言には一瞬だけ怖くなってしまったことは告白しておかねばなるまい。

 

ネガティブ・サイド

廃病院に行くまでは『 キャビン 』のように男女がワイワイしている。それはいい。だが、コンジアム病院に行くまでが長く感じられるし、肝腎のコンジアム病院内でも、ことが起こり始めるまでがひたすらに長い。定番のホラー的な展開になるまでに58分を要するというのは、いかがなものか。

 

霊の起こす怪異も、すでにどこかで見たものばかり。廃病院のただならぬ雰囲気を伝えるのに腐心しすぎて、観る側に恐怖の感情を催させることに失敗している。YouTuberの潜入レポートなら、雰囲気を伝えるだけで十分。しかし、これは潜入YouTuberを題材にした映画。捉えるべきはキャラクターの感じる恐怖。その意味では、多彩かつ臨場感あるカメラワークそのものは興味深かったものの、彼ら彼女らの恐怖の感情を存分に映し出したとは言い難い。その意味では『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』は素晴らしかった。何も起きていないのに恐怖する学生たちの様を赤裸々に映し出していた。

 

マネキンやかつらなどのガジェットもジャパネスク・ホラーで散々扱われて手垢がついている。それを使うというのは感心しない。『 パラノーマル・アクティビティ 』から『 サイレントヒル 』まで、どこかで観たシーンや演出の繰り返しで、60分以降は完全に惰性で画面を眺めるだけになってしまった。

 

隊長のハジュンが、隊員からのギャラのアップ要求を受けるシーンも何か違うのではないか。逆にハジュンの方から隊員にギャラアップを申し出て、撮影を完了させる意志を見せるべきだったように思う。韓国語の「生きよう」の字が「死のう」に変わるのを見たことで弱気になるのなら、そもそもコンジアム病院に突撃しないだろうし、隊員が不甲斐ないからと自ら出陣もしないだろうと思う。

 

ハジュンの死に方も怖くない。例えば、霊に捕まって、どこかに閉じ込められて、救いの手が伸びてきたので力いっぱい掴んだ。しかし、それが実は序盤にロッカーに手を入れてきた隊員の女子の手で・・・という展開で暗転して終わり、という展開なら、観ているこちらも相当なショックを受けただろう。

 

総評

サスペンスでは邦画は韓国映画に手も足も出ないが、ホラーならまだまだ勝てるかな。とは言え、『 牛首村 』の出来映えによっては、ジャパネスク・ホラーもいよいよ終焉し、韓国映画に全ジャンルで抜かれてしまうかもしれない。大して怖い作品ではないので、ホラー映画に興味があるけれど、どれを入門編に選んでよいか分からない、という向きにお勧めできる程度の怖さである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チンチャ

廃病院内でパーティーの面々が何度も何度も「チンチャ、チンチャ」と言っている。字幕は「本当だよ!」だったような。雰囲気的には「マジだって」、「ホントなんだよ」のような、カジュアル要素が感じられた。一時期、女子高生の間で「チンチャそれな」というフレーズが流行っていたらしいが、実際にそういうノリで使う言葉なのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イ・スンウク, ウィ・ハジュン, ホラー, 監督:チョン・ボムシク, 配給会社:ブロードウェイ, 韓国Leave a Comment on 『 コンジアム 』 -韓国ホラー映画の不発弾-

tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, アンドリュー・ガーフィールド, ミュージカル, ロビン・デヘスス, 伝記, 監督:リン=マニュエル・ミランダ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

Posted on 2022年1月24日2022年1月24日 by cool-jupiter

ブラックボックス 音声分析捜査 70点
2021年1月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ピエール・ニネ ルー・ドゥ・ラージュ
監督:ヤン・ゴズラン

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音声データを頼りに捜査をする作品となると『 THE GUILTY ギルティ 』や『 ザ・コール 緊急通報指令室 』が思い出される。どちらも良作だった。ということで、本作のチケットを購入。

 

あらすじ

航空機が墜落し、乗客300名、乗員16名の全員が死亡するという大事故が起きる。回収されたブラックボックスの分析官ポロックは突如失踪。調査を引き継いだマチュー(ピエール・ニネ)はテロの可能性を指摘した。しかし、乗客の一人が妻に残した事故の最中の留守電の音声が、ブラック・ボックスの音声記録と3分の時間差があることにマチューは気付く。そして、事故の更なる調査にのめり込んでいくが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニング・シークエンスが非常に印象的。飛行機のコクピットから徐々にズームアウトしていき、キャビン、そして尾翼部にあるブラック・ボックスにまで一直線に引いていく絵と墜落に至る音声が聞こえてくる導入部には鳥肌が立った。

 

音声だけから状況を三次元的、四次元的に把握しようとする分析官の仕事ぶりが丁寧に導入されていたのは有難かった。Jovianも英語のリスニング問題を作ったりする際に audacity や bearaudio.com をよく使うので、あの音声データの波形をPCディスプレイ上で見て、思わずニヤリとした。 

 

主人公のマチューの神経質なところもプラスに映った。『 ちはやふる -結び- 』で周防名人が街の雑踏を極力シャットアウトしようとしていたように、マチューもその飛びぬけた聴力ゆえに、周囲に同調することが難しい。それゆえに仕事では有能だが、融通の利かない人間に映る。このことが後半以降の展開を大いにサスペンスフルにしている。マチューが実直で有能であるがゆえに、上司や同僚とはどこか距離があり、そのことがマチュー視点では彼ら全員を疑わしい存在に見せてしまう。この真相に迫っているのに、逆に遠ざかっていくような感覚に陥るというプロセスが、本作ではよく効いていた。

 

マチューとその妻ノエミや、マチューの直属の上司ポロック、その他数人だけを覚えておけば、物語の理解に支障はない。このあたりはいかにもフランスで、少ない人数でミステリとサスペンスを生み出すというフランスの小説の伝統的な技巧は映画にも活かされている。

 

真相はなかなかに現代的である。ラダイト運動の歴史を振り返るまでもなく、技術の進歩は常に人間に失業の危機感を味わわせてきた。同時に、技術の進歩は、人間が介在する余地をゼロにはできない仕事もあるのだということも我々に再確認させてきた。本作はそのことを非常に強く感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

序盤は正直なところ、眠たくなる。テロリストによる犯行が真相なわけはないのだから、その結論に至るまでのマチューの描写は、単なる導入部としか見られなかった。だいたいテロであるならば、さっさと犯行声明が出されるだろう。

 

音声分析捜査というサブタイトルのわりに、結構な量の動画分析も含まれている。別にそれを決定的なマイナスとまでは思わないが、やはりもっと音声データに焦点を当てて欲しかった。

 

職務上の機密情報がローカルドライブに置かれている描写があったが、そんなことがありうるのだろうか。IT音痴の日本の企業なら分からんでもないのだが・・・

 

真相は非常に示唆的であるが、その描写に迫真性はない。ああいう時は、以下白字まずはケーブルを抜くだろう。でなければPCを強制終了するはず。人間、パニックになればあんなものかもしれないが、やや拍子抜けする真相であった。

 

総評

サスペンス映画の佳作である。航空機(に限らずクルマでも電車でも何でもいい)に関連する技術と人間の関わり方に大いなる問いを投げかけている。序盤は少々もたもたした語り口という印象だが、中盤以降はジェットコースター的な上がり下がりの激しい展開を味わえる。真相はちょっと弱いが、そこに至るまでの緊張感をずっと維持するストーリーテリングは素晴らしい。平日の夜や週末が手持ち無沙汰なら、本作のチケットを購入されたし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

putain

劇中ではピュターンと発音されていた。アクセントは後ろのターン。字幕では「くそ」となっていたように思う。2021年の夏にフランスの某サッカー選手たちが日本を侮辱する文脈で使ったとされる言葉で、アホのひ〇〇きが必死に擁護して騒動になったのを覚えている人もいるだろう。使ってはいけない言葉とされるが、ドイツ語の scheisse やロシア語の blyad など、互いの母国語の卑罵語を教え合うことで友情が深まるというのも、Jovianの経験からは、一面の真実である。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ピエール・ニネ, フランス, ルー・ドゥ・ラージュ, 監督:ヤン・ゴズラン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

『 グレート・インディアン・キッチン 』 -私作る人、僕食べる人 in India-

Posted on 2022年1月23日 by cool-jupiter

グレート・インディアン・キッチン 75点
2022年1月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ニミシャ・サジャヤン スラージ・ベニャーラムード 
監督:ジヨー・ベービ

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事前情報はほぼ入れずに妻と鑑賞。インドの話であるが、一昔前の日本とそっくりである。ど田舎なら、これと似たような話は今でもいくらでも転がっているのではなかろうか。

 

あらすじ

インドの富裕な家に嫁いできたバーレーン育ちの女性と、彼女を優しく迎える新郎。幸せな日々は、しかし、徐々にインドの保守的・家父長的な伝統や価値観によって少しずつ壊れていき・・・

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ポジティブ・サイド

初々しい顔合わせから、めでたい結婚。そして初夜。旦那の実家での二世帯暮らし。始まりこそ幸せな家族という感じで、キッチンで作られる様々な料理の食材が色鮮やかに画面を彩り、包丁とまな板がリズミカルな音楽を奏でる。義理の母は大変な働き者で、さらに嫁を気遣い、手伝ってくれる。

 

そこに少しずつ不協和音が混じり始める。夫や義理の父の見せるちょっとしたテーブルマナーであったり、あるいはコミュニケーションのすれ違い(といっても完全に夫が悪いのだが)である。よくある夫婦のちょっとしたボタンの掛け違いなのだが、にわかにそれがエスカレートしていく。配管の故障のための業者を手配するのを夫がずっと忘れていたり、あるいは残飯を皿ではなくテーブルクロスの上に残していったり。そこに義理の父親のモラハラが加わってくるのだから苦しい。妻や息子の嫁をナチュラルに家政婦か何かとしか思っていないことがありありと伝わってくる。米は炊飯器で炊かずに釜で炊けだの、洗濯機だと服が傷むから手洗いしろだの、渾身の左フックを三発ぐらいテンプルにお見舞いしてやりたくなる。ここに至るまでにこの男どもが画面で見せるのは食っちゃ寝の繰り返しだけである。単なるうんこ製造機にしか見えないのである。頼りの義母も、自分の娘が臨月で、そちらのヘルプに向かわざるを得ない。畢竟、妻の負担は増すばかり。

 

外食先での夫のマナーについて言及したことで、訳の分からない怒りを買って謝罪させられたり、夜の営みについてちょっとしたお願いをしたところ、貞操を疑うような目を向けられたりと、これは現代インド版の『 おしん 』を見るかのようであった。

 

ここから先は筆舌に尽くしがたい屈辱が続くわけだが、上手いなと感じさせられたのは、インドの宗教や文化、政治を遠回しに、しかしダイレクトに批判しているところ。宗教上の戒律のしからしめるところによって、夫は様々な行動の制約を受ける。女が生理中に隔離されるのは『 パッドマン 五億人の女性を救った男 』でも描かれていたが、これがインドの一部または多くの宗教では不浄とされる。そして信者の潔斎の期間中は、不浄の女性を見たり触ったりできない。笑ってしまうのは、その戒律を破ってしまった際のキャンセル技が「牛糞を食す」あるいは「牛糞の上澄みを飲む」であること。もっと笑ってしまうのは、そこを自分たちに都合よく「沐浴でOK」としてしまうご都合主義がまかり通ることだ。

 

また生理中の女性を隔離するのは憲法違反であるとする判決が出たことがニュースで報じられるが、夫とその親類や信者仲間はそんなことにはお構いなし。この夫は教師で、一家の親類は広く法曹の世界に根付いているが、社会の指導者層的な立場の人間がこれなのだ。

 

とにかく見ていて非常に痛々しい。今の若い世代はどうか分からないが、Jovianも一昔前までは正月やお盆のたびに母や叔母が大忙し、父や叔父は食っちゃ寝、というのを毎年見てきた。それが悪いというのではない。時代だったのだ。問題は、時代に対してアップデートができないこと。願わくば、某島国の保守的与党が目指す「美しい国」というのが、このような家族像の延長線上に成立するものではないことを切に願う。

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ネガティブ・サイド

インド映画は時々始まるまでに、ポスト・クレジットならぬプリ・クレジット(?)が挿入されることがあるが、それが長い。ひたすら長い。派手な映像や音楽・音響もなく、延々とSpecial Thanks を流すだけ。ここだけは改善の余地がある。世界のマーケットに売るために時間を2時間にし、歌やダンスを少しずつ削っていっているとは聞くが、このオープニングには明確に否と言いたい。

 

バーレーン育ちの主人公を、実家までもが冷たく突き放すシーンはあまりにドラマを作りすぎだと感じた。異人は殊更に自らの異人性を強調するものではあるが、だったら何故、主人公である妻が進歩的に見える価値観を有するようになったのか。インドでまで「女三界に家無し」というのは、あまりにも酷ではないか。このせいでラストの集団舞踊の美しさや華々しさが、個人的には少し減じてしまったと感じた。

 

総評

国や民族の暗部というものは、とかく隠したくなるものだが、それを積極的に映画にするというのは、世界の目を自国に向け、その外圧を変革の呼び水にするという意味では有効なのかもしれない。韓国映画の十八番だが、インド映画も負けていない。幸い日本には「人の振り見て我が振り直せ」という有難い金言がある。日本の、特に中年以上の男性は配偶者と一緒に本作を鑑賞しよう。そして、まずはそのコップを洗って、食器棚に戻すところから始めようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

definition

定義の意。劇中で夫が「家族の定義」を講義するシーンがある。definitionの動詞は define で、これは de + fine に分解される。fine は finish などにもつながるラテン語由来の語で、「終わり」の意味。define というのは、この言葉の範囲はここからここまでで終わり、ということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, インド, サスペンス, スラージ・ベニャーラムード, ニミシャ・サジャヤン, 監督:ジヨー・ベービ, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 グレート・インディアン・キッチン 』 -私作る人、僕食べる人 in India-

『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

Posted on 2022年1月19日 by cool-jupiter

ハウス・オブ・グッチ 70点
2022年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レディー・ガガ アダム・ドライバー ジャレッド・レト アル・パチーノ
監督:リドリー・スコット

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年老いてなお意気軒高なリドリー・スコット御大の作品。『 ゲティ家の身代金 』のクオリティを期待してチケットを購入。

 

あらすじ

パトリツィア(レディー・ガガ)は、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)。マウリツィオの叔父のアルド(アル・パチーノ)の手引きもあり、一時は義絶されていたグッチ家に復帰する。幸せな時を過ごすパトリツィア達だったが、ある時、グッチの鞄のフェイクを発見したことをパトリツィアがアルドとマウリツィオの耳に入れて・・・

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ポジティブ・サイド

グッチと言えば鞄、というぐらいは知っている。逆にそれぐらいしか知らない。Jovianはそうであるし、それぐらいの予備知識で本作を鑑賞する層が最も多いのではないだろうか。心配ご無用。グッチの製品およびグッチ家のあれやこれやを全く知らなくても、一種の緊張感ある歴史サスペンスとして充分に楽しむことができる。

 

『 アリー / スター誕生 』以来のレディー・ガガの演技が光っている。基本的には、純朴な田舎娘が大きな野心を抱くようになり・・・というキャラクターという意味では同じだが、明らかに演技力が向上している。パトリツィアの目が、野望はもちろんのこと、怒りや悲しみまでもを雄弁に物語っていた。

 

対するアダム・ドライバーも、純朴な青年から、人好きはするが暗愚な経営者までを幅広く好演。演技ボキャブラリーの豊富さをあらためて証明した。マウリツィオ・グッチの人生を客観的に見れば、女性を見る目のないボンクラ2世なのだが、アダム・ドライバーが演じることで、どこか憎めないキャラクターになった。

 

対照的にどこからどう見てもボンクラだったのが、アルドの息子でマウリツィオのいとこであるパオロ。ジャレッド・レトが演じていることに全く気付かなかった。『 最後の決闘裁判 』でもベン・アフレックが嫌味な領主を演じていることに気が付かなかったが、今回のレトのメイクアップと演技はそれを遥かに超える。大志を抱く無能というコミカルにして悲劇的なキャラをけれんみたっぷりに演じている。この男にドメニコのような腹心・耳目・爪牙となるような側近がいなかったのは、幸運だったのか不運だったのか。

 

20年に亘るグッチ家およびグッチという企業の転落および復活の内幕を、必要最低限の登場人物で濃密に描き切る。2時間半超の大部の作品だが、パトリツィアの野心の発露とマウリツィオの心変わりに至る過程がじっくりと描かれていて、観る側を決して飽きさせない。イタリアはトスカーナ地方の雄大な自然とそこにたたずむ小さな村における人々の生活が色彩豊かに描かれていて、ニューヨークのオフィスやきらびやかなファッション・モデルの世界と鮮やかなコントラストをなしていた。

 

パトリツィアが段々とダークサイドに堕ちていく様がビジュアルによって表現されているのも興味深い。船上でのマウリツィオとのロマンティックなキス、バスタブでの情熱的なキスが、最終的には泥エステとなり、そこは怪しげな占い師との共謀の語らいの場となる。Jovianには正直言って、マウリツィオを殺したいとまで思うパトリツィアの情念が頭では理解できなかった。しかし頭の中ではいつしか石川さゆりの『 天城越え 』が聞こえてきた。「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というあの名曲である。ここまで来て、リドリー・スコットが本当に描きたかったのは、タイトルになっている「グッチの家」ではなく、パトリツィアという一人の女の底知れない情念だったのではないかと思い至った。そうした目でストーリー全体を思い起こしてみれば、1978年から20年に及ぶ物語が、別の意味を帯びていると感じられた。つまり、グッチ家という特殊な一家の栄光と転落の物語ではなく、パトリツィアというどこにでもいそうな普通の女が傾城の美女=悪女になっていく物語であって、抑圧されてきた女性が男性支配を打破する物語ではない。逆にアホな男どもをある意味で手玉に取っていく物語である。パトリツィアを加害者と見るか、それとも被害者と見るかは意見が分かれるところだろう。パトリツィアが欲しかったのは愛だったのか、それともカネだったのか。

 

Jovianは観終わってから、嫁さんと晩飯を食いながら、本作についてあーだこーだと議論をしたが、男性と女性というだけで見方が変わるのだから面白い。ぜひ異性と鑑賞されたい。そして、パトリツィアなのか、それともマウリツィオなのか、誰に自分を重ね合わせてしまうかを考察するべし。

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ネガティブ・サイド

中盤に至るまで、BGMを多用しすぎであると感じた。多様なミュージックを流し、そのテイストの移り変わりで時代の変遷を表現しているのだろうが、これはリドリー・スコット御大の本来の手法ではないだろう。

 

グッチの再建に向けての道筋があまりよく見えなかった。気鋭のデザイナーを起用して、ショーでかつての名声を取り戻すという描写だけではなく、いかに品質の良い鞄をプロデュースし、いかにブランドとしての地位を築いてきたのかというビジネスの側面を描かないと、マウリツィオが放漫経営していたという事実が際立ってこない。

 

アル・パチーノ演じるアルドが、イタリア語風にパトリツィアと発音したり英語風にパトリーシャと発音したりするシーンが混在しているが、リドリー・スコットをしてもリテイクをすることができなかったのか。

 

総評

2時間半超の作品であるが、一気に観ることができる良作である。グッチに関する予備知識も必要ない。アホな男と情念に駆られる女という普遍的な構図さえ捉えておけば、重厚なドラマとして堪能することができる。2022年は始まったばかりだが、ジャレッド・レトには私的に年間ベスト助演男優賞を与えたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

イタリア語で ”How are you?” の意。カタカナで発音を書くと「コメ スタイ」となる。 Ciao や Grazie と一緒にこれぐらいは知っておいてもよいだろう。ちなみに劇中ではアル・パチーノが見事なブロークン・ジャパニーズで、Come staiに近い表現を使っている。結構笑えると同時に、在りし日の好景気の日本の見られ方が分かる、懐かしさを覚えるシーンでもある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, アル・パチーノ, ジャレッド・レト, ヒューマンドラマ, レディー・ガガ, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

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