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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

空母いぶき 50点
2019年5月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:西島秀俊 佐々木蔵之介 佐藤浩市 
監督:若松節朗

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どこかのアホなハゲチャビン放送作家がいちゃもんをつけていたので、どれほどのものかと思い、鑑賞。観る前から酷評していたコピペ作家とは違い、Jovianは劇場に赴き、この目で観た。感想は、素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流であった。

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あらすじ

世界の警察を自任する国がその座から降りたことで、各国にはナショナリズムが再燃しつつあった。その中でも小国家連合「東亜連邦」は、日本近海で緊張感を高め、軍事衝突の危機が高まりつつあった・・・

 

ポジティブ・サイド

佐々木蔵之介のキャリアで、これは最高の演技であろう。少々近視眼的な思考の持ち主であるものの、職務に忠実、使命を必達しようとする強い意志を持ち、何より有能にして、平和を真に希求する軍人にして船乗りである。自衛隊もしくは大日本帝国海軍にモデルとなる人物がいる/いたのだろうか。

 

空母いぶきを含む連隊全艦に、政治と軍事の狭間でぎりぎりの行動、つまり専守防衛を逸脱しない範囲で軍事力の行使をしなければならないという緊張感が全編に漂っている、いや漲っている。それは特に艦長の秋津竜太(西島秀俊)と副長の新波歳也(佐々木蔵之介)の関係が、日本という国の持つ矛盾(と言っていいだろう)をそのまま体現しているからだ。軍事力を有するということは、それを行使するかしないかの問題ではない。いつ、どこで、どのようにそれを行使するかが問題になる。なぜなら、現代の兵器はあまりにも進み過ぎてしまって、一発の破壊力が大きいからである。あるいは、日本の場合なら、ミサイルや爆弾の一発、敵機一機、敵船一隻、極端な話、敵兵一名に防衛線を破られただけで、ある意味負けだからである。守りに徹するというのは、甘んじて先制攻撃を受けるということであり、核兵器を持つような狂った相手が敵になるなら、その時点ですでに敗れているとさえ言える。それでも日本が核武装を選ぶことなく、そして今後もそうすることを選ばないだろうということを、本作は強く語りかける。

 

本作で最も光ったのは「忖度」シーン。Jovianの義父は元警察官であるが、どうしても同期と出世に差がつくことは有りうる。片や巡査長、片や警察署署長。同期であっても敬語で話す。しかし、二人きり、あるいはプライベートの付き合いであれば、警察学校時代の関係に戻れる。そうしたフラットな関係が根底にあるから、上司となった同期にも忖度ができる。周囲に対して、上下関係を示すことができる。そうしたことを切々と教えてもらったことがある。秋津と新波の対話は、ドラマのひとつのピークであった。

 

ネガティブ・サイド

コンビニのシーンは不要である。これは全てノイズである。中井貴一は素晴らしい役者だが、何の存在感も感じられなかった。本田翼もいらない。あんなジャーナリストはいらない。100社中でたった2社だけが建造間もない航空母艦の取材乗船を許可されたというのに、もっと張り切れと言いたい。冒頭で東アジアで軍事的緊張が高まっているとご丁寧にもアナウンスしてくれているのに、リポーターがこの調子では・・・ 中井貴一らは平和ボケ日本の象徴と言えないこともないが、マスコミまでもがこの調子では日本の未来は本当に暗いと言わざるを得ない。これらのシーンを全て削れば、2時間以内に収まったのではないか。

 

海上自衛隊も何をしているのか。マスコミの持ち物検査ぐらいしろ。何故に民間人が作戦行動中の船内を自由に行き来できるというのか。それを許可させるなら、広報担当官を貼りつけさせるか、もしくは護衛を口実に同室内にいてその挙動には常に目を光らせるべきだろう。戦闘において最も危険なのは、強大な敵ではなく足を引っ張る味方だからだ。結果的にグッジョブを成し遂げたとはいえ、それは偶然の産物に過ぎない。

 

キャラクターには臨場感、緊張感、緊迫感があるが、肝心かなめのストーリー展開にそれがない。何故に東亜連邦軍は、最もやってはいけない戦力の逐次投入をしてくるのか。いぶき艦隊に「どうぞ各個撃破してください」と言っているようにしか思えなかった。せっかく初撃でいぶきに打撃を与えたのだから、そのダメージの程度を探ろうとしないのは何故か。観る側としては、艦載機を飛ばせない空母に襲いかかる敵航空編隊というのをどうしても期待する。当たり前田の広島クリシェだが、それが最もサスペンスフルな展開だからだ。であるにもかかわらず、艦載機用のエレベーターの修理が完了した、ちょうどそのタイミングで敵機襲来というのは、あまりにもご都合主義が過ぎる展開だろう。これでハラハラドキドキしてください、と観客に伝えるのは無理だ。

 

佐藤浩市演じる垂水総理の優柔不断っぷりから歴史的決断に至る過程、周囲からの過剰とも思える圧力も、残念ながら既に『 シン・ゴジラ 』が描き出してくれていた。二番煎じであるし、何よりもポリティカル・サスペンスとして弱いと言わざるを得ない。

 

本作全体を通じての最大の弱点は、間延びした台詞の数々である。それこそ『 シン・ゴジラ 』の二番煎じとなってしまうが、全員が1.3倍速ぐらいで喋れたはずだ。トレイラーにあるのでネタばれにはあたらないが、玉木宏の「総員、衝撃に備えい!」がその最も悪い例であろう。記憶が鮮明ではないが、「アルバトロス隊、会敵まで○秒」や「敵魚雷、着弾まで○秒」というカウントにまったく緊張感がない。絶叫しろと言っているわけではない。張りつめた声を出してほしいと言っているのだ。戦闘シーンも前半はBGM無し、後半はありと方針がはっきりしない。とにかくキャラの台詞が間延びしていて気持ち悪い。特に気持ちが悪いのは高嶋政宏である。スーパーX3に搭乗してデストロイアに向かっていった孤高の軍人はどこに行った?この男だけは張りつめた声で軟弱な台詞を吐くという離れ業を見せてくれた。ギャグにすらなっていない、ひどいキャラクターである。

 

その他、対艦ミサイルを食らい、間近で僚艦が爆発炎上したにも関わらず、戦闘翌日の朝日を一身に浴びる空母いぶきのなんと美しいことよ。艦隊にいささかの煤けもなく、甲板に金属片や微細なひびなども見当たらない。戦闘そのものが乗員全員の白昼夢だったとでも言うのか。若松監督はこの絵で何を伝えたかったのというのか。一介の映画ファンには知る由もない。

 

総評

自衛隊の協力が得られていないところから色々と察することができる。原作未読者の感想であるが、キャラクターはいずれも立っている。しかし、一部の大根役者の演技がその他大勢の役者の足を引っ張っている。また、演出にリアリティが圧倒的に足りない。大人の鑑賞に耐える作品に仕上がっていない。かといって子どもに見せるような作りにもなっていない。残念ながら、興行的にも振るわないだろうし、批評家や一般ファンからの評価も芳しいものとはならないだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, サスペンス, 佐々木蔵之介, 佐藤浩市, 日本, 監督:若松節朗, 西島秀俊, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

PERFECT BLUE 75点
2019年5月23日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:岩男潤子
監督:今敏

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恥ずかしながら、これまでこの作品のことは耳にしながら、観る機会を持っていなかった。『 プラダを着た悪魔 』と同じく、観ようと思いながら、何かが自分を押し留めていた。いつになったら自分は『 タイタニック 』を観るだろうか?そんなことも映画館から帰り道で考えてしまった。

 

あらすじ

アイドル活動をしていた霧越未麻(岩男潤子)は女優への転身を目指していた。あるテレビドラマでレイプされるシーンに体当たりで挑んだことで、女優としての評価を高め始めた。しかし、彼女の周りで奇妙な傷害事件や殺人事件までもが発生するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどにクリシェに満ちた作品である。しかし、それは現代的な視点で観たからこそ言えることで、逆に言えば本作はどれほど後発の作品にインスピレーションを与えたか、その影響の巨大さを窺い知ることができる。

 

飯田譲治の小説『 アナザヘヴン 』のナニカの移動や運動シーンは、ここから丸パクリしたのではないかというピョーンというステップ。

 

M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』および『 ミスター・ガラス 』のジャケットデザインのヒントはここにあったのではないかというクライマックスのワンシーン。

 

プレイステーションのやるドラゲームの『 ダブルキャスト 』も、おそらく本作から多大な影響を受けている。そのことは、劇中作のタイトルが“ダブルバインド”であることからも明らかだろう。

 

本作サウンドトラックの肝とも言える楽曲“Virtual Mima”は、プレイステーションゲームの『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』のサウンドトラックの無機質かつオーガニックでメタリックなサウンドにも影響を及ぼしたのではないかとも思えてならなかった。AC3自体が、かなり時代を先取りしすぎていたゲームだったが、主人公の名前もNemoとMima、何か似ているように思えないだろうか。ちなみに塚口サンサン劇場は、本作開始前に延々と“Virtual Mima”を劇場内に流し続け、観客の精神に軽い不協和音を引き起こしていた。こうした工夫は歓迎すべきなのだろう。

 

本作は、霧越未麻という人物とミマというアイドルが虚実皮膜のあわいに溶け合い、そして別れていく物語である。自分が生きている世界が何であるのか。自分という存在が確かに実在することを、誰が、または何が担保してくれるのか。女優という虚構の生を紡ぎ出すことを生業とする未麻もまた、誰かに演じられたキャラクターではないのか。何がリアルで何がフェイクなのかが分からなくなる。そんな感覚を紙上で再現してやろうと、我が兄弟子の奥泉光は意気込んで『 プラトン学園 』を執筆したのだろうか。

 

劇中でたびたび繰り返される問い、「あなた、誰なの?」に対する回答が最後の最後で語られるが、それすらも噂話好きの看護師たちへの回答なのかもしれない。どこまでも入れ子構造、二重構造を貫くその作家性は嫌いではない。

 

とにかく『 PERFECT BLUE 』が1990年代後半の様々なメディアやコンテンツに巨大な有形無形の影響を与えたことは間違いない。同時期の『 攻殻機動隊 』や『 新世紀エヴァンゲリオン 』と並ぶ古典的・記念碑的作品であることは疑いようもない。

 

ネガティブ・サイド

事件の真相探しは極めて簡単である。Jovianは最初の10~12分で犯人は分かった。時代が全く違うし、本作はそもそもミステリーではなくサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーであることから、殺人事件の犯人や真相を追うことに主眼を置いていない。にもかかわらず、観る側に怪しいと思って欲しいキャラクターをこれ見よがしに配置するのは、少々邪魔くさく感じた。

 

また、いくらインターネット黎明期の頃の話とはいえ、自分で作っていないサイトが存在していることを未麻はもっと不審に感じて然るべきである。ファックスや電話番号にしても同じで、1980年代くらいの本には、巻末に著者の住所や電話番号が普通に乗っていたりしたのものだが、90年代だと、どうだったのだろうか。

 

総評

リアリティの面でやや弱いかなと感じるところもあるが、これはサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーの佳作にして、ジャパニメーションの一つの到達点である。アニメに抵抗が無い、グロ描写にも抵抗が無いという向きは、時間を見つけて是非鑑賞しよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, アニメ, サスペンス, スリラー, 岩男潤子, 日本, 監督:今敏Leave a Comment on 『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

Posted on 2019年5月19日2020年10月18日 by cool-jupiter

居眠り磐音 75点
2019年5月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 芳根京子 南沙良
監督:本木克英

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山本耕史から松坂桃李へと確かにバトンは受け渡された。長谷川平蔵や水戸光圀など、役者を変えながらシリーズを存続させていく、あるいはリメイクし、あるいはリブートするというのは古今東西で用いられてきた手法である。それが奏功する場合もあれば、盛大に失敗することもある。テレビドラマから銀幕へと移ってきた本作はどうか。成功である。

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あらすじ

江戸勤番を終えた坂崎磐音(松坂桃李)とその仲間達。幼馴染であり、これからは祝言を挙げて義理の兄弟にもなろうという時に、ちょっとした行き違いから互いに斬り合うことに。親友を斬ってしまった磐音は、妻となるべき奈緒(芳根京子)の元をも去り、江戸で浪々の身になっていた。そんな時、磐音に両替屋の用心棒にならないかとの誘いがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは何をおいても、ピエール瀧の代役を務めた、というよりも取り直しによって作品の質をさらに高めてくれた(勝手にそう断言させてもらう)奥田瑛二に満腔の敬意を表したい。『 ゲティ家の身代金 』で、ケビン・スペイシーの代役を務めたクリストファー・プラマーと同じく、彼の仕事は本作の骨格をより太くしてくれた。

 

そして芳根京子と奥田瑛二が相対するシーンでの彼女の涙。喜怒哀楽は演技の基本にして究極だが、芳根がこのロングのワンカットで流す涙は、『 君の膵臓をたべたい 』で北村匠海が桜良の家で流す涙のドラマチックさに匹敵する。芳根には、今後はあまり女子高生役などは引き受けることなく、本格路線を目指してほしい。その時は、Joviam一押しの南沙良も一緒に連れて行ってあげて欲しい。

 

そして山本耕史からのバトンを見事に受け継いだ松坂桃李も称えたい。ドラマ版では柄の部分をシャキーンと持ち変えて開眼するスタイルだったのを、剣をまるで杖であるかのように扱う様が妙にシネマティックで銀幕に映えたのは、松坂の雰囲気と撮影監督の手腕であろう。また磐音が強すぎないのも良い。ドラマ版を毎回欠かさず観ていたわけではないが、昼行灯の磐音の描写は映画版の本作の方がより説得力があった。鰻を黙々と捌く手つきに職人気質がありありと感じられながら、長屋暮らしには生活感が欠けており、生活力がありそうなのに無い、しかし仕事はきっちりやるという、磐音の本質が見事に描写されていた。そんな磐音のチャンバラでも、適度に負傷するのも良い。何食わぬ顔で「浅手じゃ」と、おこんに告げるところでも、実はこの男が木刀剣術、道場剣術のみの男ではないことを間接的に告げており、心憎い演出。今、日本映画における侍ヒーローと言えば、坂崎磐音か緋村剣心だろう。

 

監督は『 空飛ぶタイヤ 』で、巨大な組織と個人との関わりについて非常に大きな示唆を残した本木克英。今作では江戸幕府や豊後藩という巨大な体制と、江戸の町人連中の中に生きる浪々の侍を活写した。会社勤めのサラリーマンが思わぬ形で同期を危地に追いやってしまい、それを苦にした本人も退職。フリーター生活を送るうちに、大企業や政府の巨大な陰謀を巡る、一般庶民の代理権力闘争に巻き込まれていくという具合に読み替えていくこともできた。それもこれも、磐音の剣の実力と、実直さ、誠実さ、勤勉さといった人間力に依るところが大きい。腕は立つが決して無敵ではなく、頭は切れるが、決して利得のみを計算することはしない。この新時代のヒーローは、社畜サラリーマンの心にかなりの確率で突き刺さるだろう。

 

ネガティブ・サイド

まずはトレーラーや予告編がよろしくない。ほとんど全部、話の筋がばれてしまっているではないか。特に奈緒を花魁にするシーンなどは、予告編には無用だろう。また、その奈緒が豊後の国家老の宍戸文六の“援助交際”の申し出を断るシーンは剣劇さならがの迫力だったが、全体を通して見ればノイズだったのかもしれない。

 

銭の妖怪と化した柄本明も凄みを見せつけるが、断末魔が間延びしすぎだ。磐音のトラウマを抉るような発言などしなくとも、観る側は人を斬るたびに磐音がトラウマを呼び起こされることなど百も承知である。受け手をもっと信頼した作りにしてもらいたい。熱演すればするほど、ストーリーテリングを壊してしまっていた。

 

また磐音と幼馴染たちの一人称が一定していないところも少し気になった。冒頭では「オレ」なのに、その後は「ワシ」になっていた。

 

総評

細かい部分に不満はあるものの、素晴らしい作品に仕上がっている。奈緒とおこんを巡る続編も観てみたいし、その時はパラレルワールドな展開を夢想したいと思う。芳根京子に奥田瑛二と来ると、どうしても『 散り椿 』を思い出されるが、侍のパトスとエートスについては本作の方が上質な描写をしている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 時代劇, 松坂桃李, 監督:本木克英, 芳根京子, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

Posted on 2019年5月18日2020年2月8日 by cool-jupiter

ソラニン 70点
レンタルDVDにて鑑賞
出演:高良健吾 宮崎あおい 桐谷健太
監督:三木孝浩

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Jovianは高良健吾を高く評価している。三木孝浩監督については、まだ評価は定まっていない。『 坂道のアポロン 』、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』は良作、『 先生! 、、、好きになってもいいですか? 』、『 アオハライド 』は駄作、『 ホットロード 』、『 青空エール 』は凡作であると思っているからである。ちなみに『 フォルトゥナの瞳 』を観るつもりはない。原作者を好きではないからである。

 

あらすじ

バンドのヴォーカル兼ギタリストの種田(高良健吾)は、アルバイト生活をしながら音楽に夢を見続けていた。そんな彼と同棲している芽衣子(宮崎あおい)は、OL生活二年目にして要領の悪い生き方、働き方をしていた。そんな芽衣子がある日、会社を辞めてしまう。経済的に不安定になる二人。しかし、種田は音楽に賭ける決心をして・・・

 

ポジティブ・サイド

『 チワワちゃん 』とは一味違った青春模様である。といっても、ほとばしるエネルギー、若気の至り、といったような青春の正の面にフォーカスするのではなく、かといって無分別さのような負の面にフォーカスするでもなく、モラトリアム的な時間をいかに生きるべきかに光が当たる。Jovianはいわゆる就職超氷河期の人間だが、確かに大学4年生や社会人1~2年生というのは、子どもでもない大人でもない宙ぶらりんの存在である。小説および映画の『 何者 』ではないが、本当に何者にもなれていないのである。自分の可能性を追求できる最後のチャンス、それがこの時期なのだ。種田と芽衣子の関係の強さが、どこか儚げでどこか朧げなのは、二人の可能性が追求されていないからなのだ。そのことがほんのちょっとした言葉のやり取りや表情、立ち居振る舞いに表れている。種田の無邪気な笑顔は確かにパートナーをエンパワーしている。しかし、経済的に自立できていない以上、そこに説得力は無い。しかし、若さがある。そこにはポテンシャルが確かにある。そうした二律背反的な不安定さを種田と芽衣子のみならず、ドラムの桐谷健太やベースの近藤洋一も持っている。彼らが実家の薬局を継いだり、就職先を決めていくことは、彼らの音楽的な可能性、音楽で生きる未来像が閉じていくことと同義である。それは若さへの決別でもある。しかし、音楽によって永遠を生きることも可能なのではないか。そのことを非常に婉曲的に示唆したの『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』であり、圧倒的なリアリティで主張したのが『 ボヘミアン・ラプソディ 』ではなかったか。少人数の間の濃密過ぎず薄すぎない人間関係の描写がコンパクトで心地よい作品である。

 

ネガティブ・サイド

うだつの上がらないOLの芽衣子が「辞表」を出すのはどういうわけなのだ?そこは「退職願」もしくは「退職届」だろう。脚本およびそれの校正担当者の重大ミスである。

 

宮崎あおいの歌唱力は、もう少し鍛えられなかったのだろうか。『 リンダ リンダ リンダ 』のペ・ドゥナのような野性的な歌唱でも良いから、魂の叫びが聞いてみたかった。

 

桐谷健太は、もっとドラムでもって心情を語らしめることができたはずだ。『 TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ 』でも見事な腕前を披露してくれたのだから、部屋で雑誌の山をベシベシ叩くだけではなく、色んなものをぶっ叩くシーンがあっても良かったし、ラストのステージシーンでも、芽衣子に声をかけるのではなく、シンバルでも一発バーンと気付けに鳴らしてやればよかったのではないか。音楽にフィーチャーした映画なのだから、そうした演出がもっと必要だった。

 

総評

宮崎あおいの若々しさと高良健吾の若さ。この二つが良い感じにブレンドされた作品である。音楽に生きる男とそれについて行く女という構図は『 アリー / スター誕生 』とそっくりだが、こちらの方が個人的には面白さは上であると感じる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 宮崎あおい, 日本, 桐谷健太, 監督:三木孝浩, 配給会社:アスミック・エース, 高良健吾Leave a Comment on 『 ソラニン 』 -青春モラトリアム映画の良品-

『 バースデー・ワンダーランド 』 -各種ファンタジーのパッチワーク-

Posted on 2019年5月9日 by cool-jupiter

バースデー・ワンダーランド 40点
2019年5月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松岡茉優 杏 麻生久美子 市村正親
監督:原恵一

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松岡茉優に引かれたのではない。杏と麻生久美子と原恵一に惹かれたのである。あと、市村正親にも。彼が犬の役をしていた舞台『 青い鳥 』のテレビ放映バージョンは、しっかりとVHSで録画されているのである。

 

あらすじ

アカネ(松岡茉優)は学校で憂鬱な出来事があった翌日、仮病で学校を休んだ。母親のミドリ(麻生久美子)は優しく見守ってくれるが、翌日のアカネの誕生日プレゼントをアカネ自身で取りに行けと言う。しぶしぶ叔母のチィ(杏)の営むChii’s ちゅうとはんぱ屋へと向かう。そこでアカネは異世界の錬金術師ヒポクラテス(市村正親)と出会い・・・

 

ポジティブ・サイド

美麗な絵である。『 グリンチ(2018) 』のような暴力的な質感でもなく、スタジオジブリの作品のような一瞬の光と影に命を吹き込むようなハッとさせられるような絵でもない。真っ暗な映画館で大画面で観るには、これぐらいのクオリティがひょっとすると眼と脳に最も優しいのかもしれない。

 

杏の声はよかった。小学生5~6年生ぐらいのアカネに対して、大人の余裕を見せつけつつも子どもらしさを残していて、とても魅力的なキャラに映った。杏が美人だから、という先入観はここではな働いていない・・・はず。Jovianはいつも映画を好き嫌いではなく、メッセージ性で判断している・・・はず・・・

 

母親ミドリの声の演技もよかった。出番はほとんどないのだが、何と言っても麻生久美子なのである。麻生久美子ほど、本人の年齢と演じる役柄がマッチしている役者はなかなかいない。『 ぼくたちと駐在さんの700日戦争 』の若妻役から『 翔んで埼玉 』の母親役まで、見事にキャリアを磨いていっている。Jovianは第二の樹木希林は沢口靖子だと思っているが、第三の樹木希林は麻生久美子になるのではないかとも感じている。

 

市村正親も良い。立派な髭を蓄えたスーツの老紳士が○○になるところが良いのである。貫禄とコメディックさを兼ね備えた年のとり方をしたいと思う。

 

今から書くことは人によってはかなりセンシティブに捉えるかもしれない。しかし、日本は意見表明の自由が保証されているので、思ったままに書いてしまう。本作の裏テーマは日本のロイヤル・ファミリーなのだろうか。明仁天皇が退位され、新元号と共に新天皇が即位あそばされたが、天皇とは日本史においてほとんど常にお飾りであった。ほとんどは言い過ぎか。平安中期以降は天皇はお飾りであった。『 バイス 』の表現を借りるならば、a symbolic job ということである。王権とは元来、魔力、生産力、軍事力の体現者だったのだ。そのことは、三種の神器の八咫鏡=魔力、八尺瓊勾玉=生産力、草那藝之大刀=軍事力の象徴であることからも自明である。現代の日本国民が天皇および皇族に無意識のうちに願いとして投影するのは、生産力の象徴たることだろう。だからこその少子化というのは穿ち過ぎた見方であろうか。本作でも行方不明の王子が姿勢の人たちに期待されているのは、王子個人の存在の在り方ではなく、祭司的儀礼の執行者としての機能だけであることが示唆されている。それが故に王子は歪み、なおかつ異世界の住人=そんな価値観とは無縁の人からの理解を得て、立ち直る。まるでどこかの島国のロイヤル・ファミリーと国民の関係性を描いているようではないか。もしも本作の製作者がこのような意図を劇中に盛り込んだのであれば、その意気やよし。『 検察側の罪人 』も、インパール作戦を通じて政治風刺、政治批評を行った。メッセージは中身が問題なのであるが、作品になんらかのメッセージ性を持たせようとする試みは、その心意気の有無が問題である。原監督にはメッセージがあったようである。そこは評価する。

 

ネガティブ・サイド

松岡茉優は良い役者である。そこに異論を挟む人は少ないだろう。しかし、voice actressとしては、まだまだ勉強しなければならないことが山ほどある。まず、小学生を演じようとしているようには聞こえない。舌滑も決してよくない。菅田将暉も『 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 』ではイマイチだった。俳優と声優の間の垣根は低くなりつつあるが、それでもアニメ作品の主役級には本職を使って欲しいし、海外の実写作品でも同様に思う。

 

本作の問題は、対象を大人にしているのか子どもにしているのか分からないところである。多分、子ども向けなのだろうが、ところどころにチィのサービスショットが挿入されるのはどういうわけなのだ。

 

いや、そんなことは瑣末なことで、ストーリーとキャラクターと映像がつながっていないシーンに溢れているのが最大の欠点か。こちら側の世界には色が無い、とアカネは異世界で言うが、チィの店に自転車で向かうアカネの目に入る世界は十分にカラフルだ。また、そもそも学校を休むきっかけになった女子間の小さな抗争劇が、アカネのビルドゥングスロマンの背景として全く機能していない。冒頭のシーンはノイズとしてバッサリとカットしても良かった。

 

肝心のあちら側の世界も独創性を欠いている。今さら、魔法使いやら錬金術師はないだろう。底浅いオタク連中に媚び諂うのが、原恵一監督の意向なのか、それとも製作側の意向なのか。また世界観の面でも、おもいっきり陰陽五行思想を採用している。木火土金水をユニークな家や溶鉱炉、アメリカのナショナル・パークのThe Waveを丸パクリしたとしか思えない土地、見映えのしない錬金術、それに巨大錦鯉などで、それぞれカラフルに表現している。その映像美は認める。しかしオリジナリティの欠如が甚だしい。キャラクターにおいてもそうだ。猫が重要なモチーフになる作品は数限りなく存在するが、本作は漫画およびアニメ映画『 じゃりン子チエ 』にも、アニメ映画『 銀河鉄道の夜 』や『 グスコーブドリの伝記 』(世界裁判長へのオマージュのつもりだったのだろうか?)にも、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域〈上〉 』にも、全く及ばない。猫の魅力を再発見できないのであれば、猫キャラを使うべきではない。ここまで独創性を欠く作りになっていると、もはや犯罪的であるとすら言える。

 

ヨロイネズミはネーミングはともかく、造形は良かった。惜しむらくは、ザン・グの正体があまりにも簡単に推測できてしまうところである。これはザン・グが悠仁内親王をモデルにしたキャラクターだからだろうか。また、アカネがクライマックスで言い放つ「あなたなら出来るよ」という言葉は完全に逆効果だと思うのだが・・・

 

エンドクレジットで流れる歌まで“The Show”の日本語版替え歌である。『 マネーボール 』の挿入歌として効果的に用いられており、歌詞の意味も本作にマッチしている。だが、前出したようにオリジナリティの欠如が甚だしい本作のエンディングを飾るには相応しくなかった。それとも製作者側も、最後の最後まで何かの二番煎じで良いのだと開き直ったのだろうか。

 

総評

はっきり言って駄作である。映像美だけは認められるが、ストーリーも破綻しているし、キャラ同士の掛け合いも全くもって普通である。色んなガジェットを詰め込もう詰め込もうとし過ぎて、メッセージだけがグロテスクに浮き上がったきた。そんな印象を受けた。ただ、そのメッセージも受け取る人間と受け取らない/受け取れない人間に二分されていることだろう。原恵一監督には『 レディ・プレイヤー1 』や『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』のような、純粋なエンタメ路線をもう一度追求してほしいと切に願う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, ファンタジー, 市村正親, 日本, 杏, 松岡茉優, 監督:原恵一, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 麻生久美子Leave a Comment on 『 バースデー・ワンダーランド 』 -各種ファンタジーのパッチワーク-

『 GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 』 -着眼点は良かった-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 35点
2019年5月5日 宇治市源氏物語ミュージアムにて鑑賞
出演:前野智昭 M・A・O
監督:太田里香

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まったく何の予備知識も無く、たまたま立ち寄った京都の博物館にて鑑賞。おそらくこの作品をしっかりレビューしようという好事家は日本広しと言えどJovianくらいではなかろうか。

 

あらすじ

華が早蕨の道を歩いていると植物にヒカルゲンジの名が与えられていた。同級生の光二に光源氏の話題をふられるも、興味が示さない華。しかし、そこに光源氏が現れて華はタイムスリップ、そこでは猫の姿になっていて・・・

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ポジティブ・サイド

タイトルとは裏腹に、話の焦点は光源氏ではなく紫式部にある。つまり、キャラクターではなく、そのクリエイターの方にある。これは正解であろう。尼崎城VRシアターでも、近松門左衛門が主役兼ナレーターだった。何かを紹介したいと願うなら、キャラよりも作者をフィーチャーした方が良い。その方が間口が広がる。また世界を見渡しても、アメリカやインドなどで女性にフォーカスした作品が数多く生み出されるようになってきている。ここで言う女性とは、主体性を持った女性ということである。決して、男性にとって都合のよい女性像の体現者という意味ではない。そうした流れの中で、日本が世界に誇るべき女性作家・文学者として、紫式部に新しい光をあてたのは、太田里香監督の卓見だろう。

 

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ネガティブ・サイド

当たり前と言えば当たり前であるが、背景は全くと言っていいほど動かない。光や風の表現もない。アニメーションだからと言って、スタジオジブリのクオリティを絶対に期待してはいけない。

 

また声優の猫撫で声の演技もやや鼻につく。猫撫で声と猫の声というのは似て非なるものだということを知らねばならない。

 

ちょっとしたドッキリというかドンデン返し的なプロットもあるが、その見せ方もまるで男に媚びるようだ。光源氏に恋をするというのは、イケメンに惚れるということではないはずだ。1000年読み継がれてきた物語が、これから1000年先の未来にまで読み継がれるように自分でも読む、つまり歴史にコミットするということのはずだ。光源氏に恋をするというのは、光源氏というキャラクターを生かし続けたいということのはずだ。それこそが紫式部の想いのはずで、そのメッセージをダイレクトに受け取った次の瞬間の華の変節ぶりは、いったい何なのだ。こういう短編を作りたいのなら、ミュージアムではなくYouTubeでやってくれ。

 

総評

目の付けどころは良かったが、着地で盛大に失敗した作品である。泉下の紫式部も頭を抱えていることだろう。それでも『 千年の恋 ひかる源氏物語 』『 源氏物語 千年の謎 』や漫画『 源君物語 』など、現代においても源氏物語は古典であり、巨大なインスピレーションでもある。もしも京都府宇治市を訪れることがあれば、観てもよいかもしれない。20分程度の短編なのですぐに終わる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, アニメ, 前野智昭, 日本, 監督:太田里香, 配給会社:宇治市源氏物語ミュージアムLeave a Comment on 『 GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 』 -着眼点は良かった-

『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 65点
2019年5月4日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 笹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督自身によるスピンオフ作品である。というよりも続編である。今作によって、上田慎一郎という監督の嗜好がよりはっきり見えたような気がする。

 

あらすじ

前作から半年。千夏(秋山ゆずき)はショックのあまり、声を出せなくなってしまっていた。失意のうちに、髪を金髪に染め、名前もホリーとして、ハリウッドのとあるレストランで働くようになった千夏。しかし、そこにもゾンビが現れてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

今作ではゾンビ以外の要素として、ドラキュラもパロディ化されている。上田監督もベラ・ルゴシの『 魔人ドラキュラ 』などを観て、映画オタクになったのだろう。なぜ彼がオタクであると推測、というよりも断言してしまうのか。それは上田監督がマーティン・スコセッシ監督の『 タクシードライバー 』の最も有名な台詞(というよりも、映画史においても最も有名な台詞の一つ)を、劇中で堂々とパロっているからだ。トラヴィスとは違った意味で狂ってしまった男をぜひ堪能されたい。

 

本作でもロングのワンカットは健在である。いわゆるメインストリームの映画でも『 きばいやんせ!私 』の対話シーンや、『 愛がなんだ 』のピロートーク(事後ではないが・・・)のシーンなどでも用いられている。しかし、これほどダイナミックなワンカットは珍しい。これが上田監督の持ち味なのだろう。『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭でアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも、30回撮影を重ねて編集したものだと聞く。それを思えば、ワンカットを本当にワンカットで撮り切るというのは、ポリシーなのだろう。カメラワークに凝る人もいれば、照明に凝る人もいる。台詞回しに凝る人もいれば、役者の自由裁量にゆだねる人もいるし、反対に役者には自分のビジョンを共有し、体現してもらうように強く求める人もいる。監督が名を上げるには作品を売ることだが、それ以外にも特徴=個性を持つという方法もある。北野武ならば、暴力を媒介した人間関係を描くことだろうし、是枝裕和ならば、家族という最も小さく最も奇妙な共同体をテーマにすることだと言える。上田慎一郎は、見えている部分を見せることで、逆に見えない部分をよりはっきりと浮き上がらせることを目指しているのではないか。Jovianは『 カメラを止めるな! 』を「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」と評したが、続編たる本作もその路線を踏襲している。

 

続編というよりも、同窓会という言葉が似合うのかもしれない。前作の台詞や必殺技がそのまま使われているところがあり、これらによってJovianはスター・ウォーズにおける“I’ve got a bad feeling about this.”やターミネーターにおける“Come with me if you want to live.”などの台詞を聞いた時と同じ感慨にふけったからである。前作を堪能したという向きは、ミニシアターなどで公開されているので鑑賞してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

英語が頂けない。“Do you listen me?”としか聞こえないシーンがあったが、脚本段階で専門家と言わずとも、誰か少しは英語ができる人間にチェックはしてもらわなかったのか。Jovianなら、よほどの量でなければ手弁当で引き受けるけどね。

 

全体的に前作の焼き直しで、なおかつ説明不足なところが少々見受けられた。最初のゾンビの「オエッ」は前作では巧みに説明されていたが、今作ではそれはなし。また、ポンッ!のキレももう一つだったように見えた。また真魚は、もう少し表情の練習および基礎的な発声練習を積んだ方が良いと思われる。また父親および監督役の濱津隆之の出番も思ったより少なかった。前作はしゅはまはるみとこの人のリードで成立していたのだから、今作でももう少し登場シーンおよび台詞があっても良かったように思う。

 

総評

基本的に前作の焼き直しなので、前作を楽しんだという人にはお勧めできるとも言えるし、できないとも言える。ただユーモアの点では確実に前作に劣る。それでも笑うべきポイントや感心するべきポイントはしっかりとあるので、初見の人でなければ、つまり前作を観た人であれば、1時間を費やして損をすることは無いだろう。そうそう、露骨にネスレが宣伝されるが、そこは大人の事情というやつで我慢しましょう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 提供会社:ネスレ日本, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子Leave a Comment on 『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

お米とおっぱい。 65点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高木公佑
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督のキャリア初期の実験的作品である。こういう作品を見ると、上田慎一郎監督という人は、ビッグバジェット・ムービーにはあまり興味は無く、自分の信頼できるスタッフと共に、自分の思い描くビジョンを生み出すのが好きな映画人のようだ。近いタイプとしてはM・ナイト・シャマランが挙げられるだろうか。

 

あらすじ

公民館の一室に集まった互いに面識の無い5人の男。「おっぱいとお米、この世に残すとすればどちらなのか」を討議し、全員一致の結論を出すことができれば、一人につき謝礼十万円が支払われる。彼らはまずは決を取って、おっぱい派とお米派に分かれた。そして議論の戦端は開かれたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 十二人の怒れる男 』、『 キサラギ 』、『 エグザム 』などのテイストを意識的にか無意識的にか取り入れた作品に仕上がっている。つまり、閉鎖空間内部で赤の他人同士が次第に濃密な人間関係を構築していく=濃密な対話やフィジカルな交流(それは時に暴力でもある)を行う様を映画にしたのである。上田監督は『 カメラを止めるな! 』でもその傾向は顕著だったが、一つのクローズドな空間を徹底的に撮り切るのが好きなのだろう。そして、それは本作でもある程度は成功している。

 

議論の本質はおっぱい vs お米ではない。男たちは時に功利主義的な、時に哲学的な議論を戦わせるが、その議論の根底にあるのは自らの人生観であると考えて間違いない。おっぱいに仮託して語ること、もしくはお米に仮託して語ることで、彼らのディベートは青年と壮年の世代間闘争や、フリーランサーとサラリーマン、または経営者と非正規雇用者という対立軸までも生み出していく。非常に舞台ドラマ的で、人間の心という究極の閉鎖空間の在り様を、この公民館の一室内に再現するのが監督の目論みなのだろう。それは成功した。人間の思考は根本的に分裂状態で、それらを最も巨大な意識が統合したものを、我々は通常、「自我」と呼んでいる。このような思考の過程を大仰な形で可視化することで、人は変わりうるし、現に変わるのだということを見せようとしている。好むと好まざるとに関わらず、グローバル化待ったなし、移民の増加待ったなしの日本において、対話の重要性はいや増すばかりである。そうした背景を下敷きに観れば、アホな議論に多層性が見出せるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ところどころに意図がはっきりしないカメラワークがある。ここは天井からのショットではないだろう、ここでこそ360°のショットだろうという、少しこちらの期待と実際の撮影の間のずれがあった。こうした対話劇は、徹底的にPOVにしてしまうか、全体を俯瞰するような視点で撮り切ってしまうか、どちらかの方が良かったように思う。いずれにしろ、もっと実験的なアプローチをカメラワークにも求めたい。と感じてしまうのは、やはり『 カメラを止めるな! 』が傑作だったことの証左なのだろう。

 

暴力は、状況によっては必要な小道具だが、絵をびりびりに破るのはどうなのか。そのことについての真摯な悔悛の言葉が聞かれれば良かったのだが、そんなものはなかった。お米派の中年オヤジに対しては、どす黒い嫌悪感が募るばかりであった。もちろん、この男にはこの男なりの分かりやすい背景があるのだが、それと彼の暴挙が上手くリンクしているとは感じなかった。

 

総評

かなり観る人を選ぶ作品であろう。ドラマチックな要素はあっても、シネマティックな要素には欠ける作品なので、『 カメラを止めるな! 』に大笑いしただけの人が興味本位で鑑賞するとがっかりするかもしれない。大の男の真剣にアホな対話劇を自己に重ね合わせることができる、そうした人が鑑賞すれば、上田慎一郎の才能の一端に触れられるのだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, サスペンス, 日本, 監督:上田慎一郎, 高木公佑Leave a Comment on 『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

予兆 散歩する侵略者 劇場版 50点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:夏帆 染谷将太 東出昌大 岸井ゆきの
監督:黒沢清

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率直に言わせてもらえば、黒沢清監督は駄作メーカーだ。『 CURE 』以外に、標準レベルより上に達している作品は無いと言わせてもらう。東出も、正直なところ大根役者だと思っている。彼が最高の演技を見せたのは、自分自身の色を出そうとせず、ある意味で羽生善治の物まねに徹した『 聖の青春 』だった。本作はそんな二人の久々のヒットだと評したい。

 

あらすじ

悦子(夏帆)は、同僚のみゆき(岸井ゆきの)の「幽霊が見える」という相談を受ける。困惑しつつも、宿を提供する悦子だが、みゆきは悦子の夫、辰雄(染谷将太)に対しても異常な反応を見せる。不安を覚えた悦子は、夫の勤める病院にみゆきを連れていくが、そこにいた新任の外科医、真壁(東出昌大)に悦子はただならぬ何かを感じ取り・・・

 

ポジティブ・サイド

『 散歩する侵略者 』の不可解な点に、長澤まさみを妻に持つような男が浮気をするのか?というものがあった。まあ、男女、夫婦の仲には色々あるが、浮気を疑っていた夫とやりお直すチャンスをそこに見出す妻、というのも個人的にはリアリティを感じなかった。本作にはそうした要素はない。ちょっと歪な夫婦の形がそこにあるだけである。これならば許容できる。

 

夏帆のキャラが良い。マイケル・クライトンの小説『 アンドロメダ病原体 』でも、一部のキャラが感染を免れたように、宇宙人の概念泥棒が通用しない地球人個体というのは、非常にリアリティのある存在である。本編の長澤まさみは、個体として特殊なのか、それとも抱いていた愛の概念が特殊なのか、今一つ判断ができなかった。今回の、特殊な個体の存在を描写するというのは、良い試みであると言えよう。

 

東出も中盤まではいつもの東出なのだが、最終盤に魅せる。『 散歩する侵略者 』の長谷川博己が爆撃を食らった後に文字通り人間離れした動きを見せたのと同じような動きを見せる。また、概念を盗む際にまばたきを一切しなくなるというのも、『 ゴジラ FINAL WARS 』のX星人ネタではあるが、キャラを立たせる要素として機能していた。東出は演じるよりも真似をする方が良い仕事をする。本作では久々に良い東出を見た気がした。

 

本編では宇宙人が動物に乗り移りながら最終的に人間に寄生し、奇妙な装置を作り上げて、本隊と交信していたが、本作ではより直接的な描写を見せる。こちらの方が感覚的に分かりやすい面もあり、これはこれでありだと思えた。

 

宇宙人同士のコミュニケーションの噛み合わなさ加減や、支配-被支配の関係の不気味さ、また実質的に3人しか出てこなかった本編とは異なり、こちらはそこかしこに宇宙人のガイドがいるのではないかと予感させるサスペンスフルな作りになっていて、観る側の想像力をより喚起させてくれる。個人的にはこういう構成も好みである。

 

ネガティブ・サイド

染谷将太の右腕ネタは不要だったかもしれない。どうしたって『 寄生獣 』を連想する。そうしたメタなネタを取り入れるのならば、監督や原作者、他キャストなどに何らかの共通点がある時だけにしてもらいたい。

 

同じく染谷将太演じる辰雄があまりにも人間的すぎる。概念を盗むターゲットを選ぶのに、バックストーリーは必要だったのだろうか。ほんのちょっとした違和感の積み重ねが不安やサスペンスを盛り上げてくれるのだが、観る側が共感してしまうようなエピソードを放り込んできては、「概念」を盗むという非常に奇抜なアイデアの良さが損なわれてしまうではないか。彼我の思考にはどうしようもない違いがある、というところが散歩する侵略者の特徴なのだから、そんな侵略者に共感を覚えるような要素は極力排除すべきだと個人的には考える。

 

また低予算だったためか、全体的な作り込みにしょぼさを感じる。逃げ惑う人々のショットがわずか一つだけ、時間にして2秒程度というのはいかがなものか。また、『 シン・ゴジラ 』とまでは言わないが、都市部でグリッドロック現象が起きているような描写も必要だろう。テレビやラジオ放送の声にも緊迫感が足りず、侵略の予兆を感じ取るのが難しかった。

 

総評

スピンオフというよりもリメイクまたはリブート的なもののように感じられた。スピンオフならば、本編に登場した警察官もしくは医療従事者たちの視点からストーリーを捉え直すようなものであるべきだろう。ただ、『 散歩する侵略者 』と本作の両方を鑑賞することで、物語の理解が深まったり、異なるものが見えてくるのも事実である。本編が気に入ったという人ならば、鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, 夏帆, 岸井ゆきの, 日本, 東出昌大, 染谷将太, 監督:黒沢清, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

映画 賭ケグルイ55点
2019年5月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:浜辺美波 高杉真宙 池田エライザ
監督:英勉

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190504004514j:plain

元は漫画、そしてテレビドラマ化された作品が満を持して銀幕に登場。これが意味するところは、よほど原作およびドラマが面白いということか。Jovianが南沙良と並んで最も買っている若手女優の浜辺美波が主演とあらば、観ないという選択肢は存在しない。

 

あらすじ

 

舞台はギャンブルの強さで学園内の序列が決まる百花王学園。そこに転校してきた蛇喰夢子(浜辺美波)は、学園の頂点に君臨する生徒会長、桃喰綺羅莉(池田エライザ)とのギャンブル勝負を渇望していた。しかし、学園にはギャンブルを拒絶する集団「ヴィレッジ」も台頭しつつあった。夢子とヴィレッジ、両方を一挙に叩き潰そうと画策する生徒会は、「生徒代表指名選挙」を開催する。夢子は鈴井涼太(高杉真宙)を相棒に参戦するが・・・

 

ポジティブ・サイド

前向きなヒロイン像から少女漫画の定型を外れるヒロイン像、それらの加えてギャンブルにエクスタシーを感じるヒロイン像を浜辺美波は開拓した。これはファンとして大いに歓迎したい。天然で、それでいてシニカルで、ユーモラスでもあり、賢しらさを隠さない狡猾さを、その口調や佇まいで悟らせない。そんな複雑なキャラをしっかりと演じた浜辺をまずは称えようではないか。

 

歩火樹絵里を演じた福原遥の演技力にも舌を巻いた。彼女はテレビや映画よりも、舞台上で演じる方が映えるのではないか。カリスマ性すら感じさせる演技で、今後も多方面での活躍を期待できるだろう。今作のような世界観の作品やキャラクターばかりを演じると、藤原竜也のように chew up the scene の役者になってしまう恐れがあるので、彼女のハンドラー達には注意をしてもらいたいものである。ちなみにJovianは藤原竜也を高く買っていることをを申し添えておく。

 

その他には小野寺晃良、中村ゆりか、秋田汐梨らも印象に残った。この世代の若手俳優は、一頃のサッカー日本代表とは異なり、人材難ではなさそうだと思えた。それが一番の収穫だったと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

個人的な嗜好の問題も多分にあるのだろうが、先行作品の世界観の構築の点で『 カイジ 人生逆転ゲーム 』に劣り、勝負の駆け引きや頭脳性の描き方において『 ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ 』に劣る。ライアーゲームやカイジは原作を読んでいて、こちらに関しては原作漫画、テレビドラマ、いずれも鑑賞していないので、このあたりの評価に偏りが生じているのは承知している。

 

浜辺美波は良い仕事をしたが、クライマックスのシーンを販促物に載せる必要は一切ない。究極のドヤ顔を、上映前に見せまくってどうする。それをするのであれば、プロローグの夢子の紹介シーン全てで賭け狂っている時の必殺の顔として観る側に認知させておくべきだった。こういうのは出し惜しみしておくべきだと切に思う。

 

肝心のギャンブルについても突っ込みどころが満載である。票争奪じゃんけん勝負を先手必勝とあるキャラクターコンビは結論付けたが、これはおかしい。普通に考えれば、1/3の確率で敗北する勝負に先手必勝などあり得ない。まずは自分の手札を秘密にし、素早く勝負が発生する場に行き、誰がどの手を有しているかを観察しなければならない。1/3の確率であいこが発生するのだから、その勝負を見届けてから動く方が合理的だ。というか、自分から真っ先に手札をばらしに行くというのは、どうなのだろうか。誰か他の者に獲物をさらわれるのがオチだと思うのだが。

 

トランプの1~7+ジョーカーを使うデュアルクラッシュ・ポーカーにも突っ込みたい。これも普通に考えれば、チームで相談し、第1ターンは2人そろって最弱の1を出して、相手チームの手札を削りにかかるのではないだろうか。というか、チームで相談することなく、つまりバッティングをいつ起こすのか、もしくは起こさないようにするのかを相談しないなどということは、ゲームの性質上、ありえないし、考えられない。このあたりが本作がライアーゲームに及ばないと感じる一番の理由である。

 

森川葵の生脚は眼福であるが、池田エライザは何故、生脚ではないのか。そして、ああいう座り方をする以上は『 氷の微笑 』の審問シーン的なサービスショットを盛り込んでくれても良いではないか。オッサン映画ファン100人に訊けば100人が賛同してくれるだろう。

 

全体的には、賭けに狂っている高校生達というよりは、ゲームを楽しんでいる若者達という印象の方が強い。そこがディレクションの一番の問題点であろう。

 

総評

浜辺の新たな一面を切り拓いた作品と言えるが、その他のキャストに関してはどうだろうか。以前にも評したが、英勉監督は『 貞子3D 』および『 貞子3D2 』という超絶クソ作品を世に送り出した。一方で、『 あさひなぐ 』のような佳作を作る力もある。今作では若手俳優たちの演技力に救われた感があるが、監督としてはかなり伸び悩んでいるのかもしれない。劇場に行く際には、ドラマもしくは漫画である程度の予習が必要かもしれない。また、続編政策にかなり色気を見せたエンドクレジットを作っているが、その時には英監督以外を起用することも選択肢に入れるべきであろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, スリラー, 日本, 池田エライザ, 浜辺美波, 監督:英勉, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

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