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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 65点
2019年5月4日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 笹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督自身によるスピンオフ作品である。というよりも続編である。今作によって、上田慎一郎という監督の嗜好がよりはっきり見えたような気がする。

 

あらすじ

前作から半年。千夏(秋山ゆずき)はショックのあまり、声を出せなくなってしまっていた。失意のうちに、髪を金髪に染め、名前もホリーとして、ハリウッドのとあるレストランで働くようになった千夏。しかし、そこにもゾンビが現れてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

今作ではゾンビ以外の要素として、ドラキュラもパロディ化されている。上田監督もベラ・ルゴシの『 魔人ドラキュラ 』などを観て、映画オタクになったのだろう。なぜ彼がオタクであると推測、というよりも断言してしまうのか。それは上田監督がマーティン・スコセッシ監督の『 タクシードライバー 』の最も有名な台詞(というよりも、映画史においても最も有名な台詞の一つ)を、劇中で堂々とパロっているからだ。トラヴィスとは違った意味で狂ってしまった男をぜひ堪能されたい。

 

本作でもロングのワンカットは健在である。いわゆるメインストリームの映画でも『 きばいやんせ!私 』の対話シーンや、『 愛がなんだ 』のピロートーク(事後ではないが・・・)のシーンなどでも用いられている。しかし、これほどダイナミックなワンカットは珍しい。これが上田監督の持ち味なのだろう。『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭でアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも、30回撮影を重ねて編集したものだと聞く。それを思えば、ワンカットを本当にワンカットで撮り切るというのは、ポリシーなのだろう。カメラワークに凝る人もいれば、照明に凝る人もいる。台詞回しに凝る人もいれば、役者の自由裁量にゆだねる人もいるし、反対に役者には自分のビジョンを共有し、体現してもらうように強く求める人もいる。監督が名を上げるには作品を売ることだが、それ以外にも特徴=個性を持つという方法もある。北野武ならば、暴力を媒介した人間関係を描くことだろうし、是枝裕和ならば、家族という最も小さく最も奇妙な共同体をテーマにすることだと言える。上田慎一郎は、見えている部分を見せることで、逆に見えない部分をよりはっきりと浮き上がらせることを目指しているのではないか。Jovianは『 カメラを止めるな! 』を「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」と評したが、続編たる本作もその路線を踏襲している。

 

続編というよりも、同窓会という言葉が似合うのかもしれない。前作の台詞や必殺技がそのまま使われているところがあり、これらによってJovianはスター・ウォーズにおける“I’ve got a bad feeling about this.”やターミネーターにおける“Come with me if you want to live.”などの台詞を聞いた時と同じ感慨にふけったからである。前作を堪能したという向きは、ミニシアターなどで公開されているので鑑賞してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

英語が頂けない。“Do you listen me?”としか聞こえないシーンがあったが、脚本段階で専門家と言わずとも、誰か少しは英語ができる人間にチェックはしてもらわなかったのか。Jovianなら、よほどの量でなければ手弁当で引き受けるけどね。

 

全体的に前作の焼き直しで、なおかつ説明不足なところが少々見受けられた。最初のゾンビの「オエッ」は前作では巧みに説明されていたが、今作ではそれはなし。また、ポンッ!のキレももう一つだったように見えた。また真魚は、もう少し表情の練習および基礎的な発声練習を積んだ方が良いと思われる。また父親および監督役の濱津隆之の出番も思ったより少なかった。前作はしゅはまはるみとこの人のリードで成立していたのだから、今作でももう少し登場シーンおよび台詞があっても良かったように思う。

 

総評

基本的に前作の焼き直しなので、前作を楽しんだという人にはお勧めできるとも言えるし、できないとも言える。ただユーモアの点では確実に前作に劣る。それでも笑うべきポイントや感心するべきポイントはしっかりとあるので、初見の人でなければ、つまり前作を観た人であれば、1時間を費やして損をすることは無いだろう。そうそう、露骨にネスレが宣伝されるが、そこは大人の事情というやつで我慢しましょう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 提供会社:ネスレ日本, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子Leave a Comment on 『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

お米とおっぱい。 65点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高木公佑
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督のキャリア初期の実験的作品である。こういう作品を見ると、上田慎一郎監督という人は、ビッグバジェット・ムービーにはあまり興味は無く、自分の信頼できるスタッフと共に、自分の思い描くビジョンを生み出すのが好きな映画人のようだ。近いタイプとしてはM・ナイト・シャマランが挙げられるだろうか。

 

あらすじ

公民館の一室に集まった互いに面識の無い5人の男。「おっぱいとお米、この世に残すとすればどちらなのか」を討議し、全員一致の結論を出すことができれば、一人につき謝礼十万円が支払われる。彼らはまずは決を取って、おっぱい派とお米派に分かれた。そして議論の戦端は開かれたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 十二人の怒れる男 』、『 キサラギ 』、『 エグザム 』などのテイストを意識的にか無意識的にか取り入れた作品に仕上がっている。つまり、閉鎖空間内部で赤の他人同士が次第に濃密な人間関係を構築していく=濃密な対話やフィジカルな交流(それは時に暴力でもある)を行う様を映画にしたのである。上田監督は『 カメラを止めるな! 』でもその傾向は顕著だったが、一つのクローズドな空間を徹底的に撮り切るのが好きなのだろう。そして、それは本作でもある程度は成功している。

 

議論の本質はおっぱい vs お米ではない。男たちは時に功利主義的な、時に哲学的な議論を戦わせるが、その議論の根底にあるのは自らの人生観であると考えて間違いない。おっぱいに仮託して語ること、もしくはお米に仮託して語ることで、彼らのディベートは青年と壮年の世代間闘争や、フリーランサーとサラリーマン、または経営者と非正規雇用者という対立軸までも生み出していく。非常に舞台ドラマ的で、人間の心という究極の閉鎖空間の在り様を、この公民館の一室内に再現するのが監督の目論みなのだろう。それは成功した。人間の思考は根本的に分裂状態で、それらを最も巨大な意識が統合したものを、我々は通常、「自我」と呼んでいる。このような思考の過程を大仰な形で可視化することで、人は変わりうるし、現に変わるのだということを見せようとしている。好むと好まざるとに関わらず、グローバル化待ったなし、移民の増加待ったなしの日本において、対話の重要性はいや増すばかりである。そうした背景を下敷きに観れば、アホな議論に多層性が見出せるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ところどころに意図がはっきりしないカメラワークがある。ここは天井からのショットではないだろう、ここでこそ360°のショットだろうという、少しこちらの期待と実際の撮影の間のずれがあった。こうした対話劇は、徹底的にPOVにしてしまうか、全体を俯瞰するような視点で撮り切ってしまうか、どちらかの方が良かったように思う。いずれにしろ、もっと実験的なアプローチをカメラワークにも求めたい。と感じてしまうのは、やはり『 カメラを止めるな! 』が傑作だったことの証左なのだろう。

 

暴力は、状況によっては必要な小道具だが、絵をびりびりに破るのはどうなのか。そのことについての真摯な悔悛の言葉が聞かれれば良かったのだが、そんなものはなかった。お米派の中年オヤジに対しては、どす黒い嫌悪感が募るばかりであった。もちろん、この男にはこの男なりの分かりやすい背景があるのだが、それと彼の暴挙が上手くリンクしているとは感じなかった。

 

総評

かなり観る人を選ぶ作品であろう。ドラマチックな要素はあっても、シネマティックな要素には欠ける作品なので、『 カメラを止めるな! 』に大笑いしただけの人が興味本位で鑑賞するとがっかりするかもしれない。大の男の真剣にアホな対話劇を自己に重ね合わせることができる、そうした人が鑑賞すれば、上田慎一郎の才能の一端に触れられるのだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, サスペンス, 日本, 監督:上田慎一郎, 高木公佑Leave a Comment on 『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

予兆 散歩する侵略者 劇場版 50点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:夏帆 染谷将太 東出昌大 岸井ゆきの
監督:黒沢清

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率直に言わせてもらえば、黒沢清監督は駄作メーカーだ。『 CURE 』以外に、標準レベルより上に達している作品は無いと言わせてもらう。東出も、正直なところ大根役者だと思っている。彼が最高の演技を見せたのは、自分自身の色を出そうとせず、ある意味で羽生善治の物まねに徹した『 聖の青春 』だった。本作はそんな二人の久々のヒットだと評したい。

 

あらすじ

悦子(夏帆)は、同僚のみゆき(岸井ゆきの)の「幽霊が見える」という相談を受ける。困惑しつつも、宿を提供する悦子だが、みゆきは悦子の夫、辰雄(染谷将太)に対しても異常な反応を見せる。不安を覚えた悦子は、夫の勤める病院にみゆきを連れていくが、そこにいた新任の外科医、真壁(東出昌大)に悦子はただならぬ何かを感じ取り・・・

 

ポジティブ・サイド

『 散歩する侵略者 』の不可解な点に、長澤まさみを妻に持つような男が浮気をするのか?というものがあった。まあ、男女、夫婦の仲には色々あるが、浮気を疑っていた夫とやりお直すチャンスをそこに見出す妻、というのも個人的にはリアリティを感じなかった。本作にはそうした要素はない。ちょっと歪な夫婦の形がそこにあるだけである。これならば許容できる。

 

夏帆のキャラが良い。マイケル・クライトンの小説『 アンドロメダ病原体 』でも、一部のキャラが感染を免れたように、宇宙人の概念泥棒が通用しない地球人個体というのは、非常にリアリティのある存在である。本編の長澤まさみは、個体として特殊なのか、それとも抱いていた愛の概念が特殊なのか、今一つ判断ができなかった。今回の、特殊な個体の存在を描写するというのは、良い試みであると言えよう。

 

東出も中盤まではいつもの東出なのだが、最終盤に魅せる。『 散歩する侵略者 』の長谷川博己が爆撃を食らった後に文字通り人間離れした動きを見せたのと同じような動きを見せる。また、概念を盗む際にまばたきを一切しなくなるというのも、『 ゴジラ FINAL WARS 』のX星人ネタではあるが、キャラを立たせる要素として機能していた。東出は演じるよりも真似をする方が良い仕事をする。本作では久々に良い東出を見た気がした。

 

本編では宇宙人が動物に乗り移りながら最終的に人間に寄生し、奇妙な装置を作り上げて、本隊と交信していたが、本作ではより直接的な描写を見せる。こちらの方が感覚的に分かりやすい面もあり、これはこれでありだと思えた。

 

宇宙人同士のコミュニケーションの噛み合わなさ加減や、支配-被支配の関係の不気味さ、また実質的に3人しか出てこなかった本編とは異なり、こちらはそこかしこに宇宙人のガイドがいるのではないかと予感させるサスペンスフルな作りになっていて、観る側の想像力をより喚起させてくれる。個人的にはこういう構成も好みである。

 

ネガティブ・サイド

染谷将太の右腕ネタは不要だったかもしれない。どうしたって『 寄生獣 』を連想する。そうしたメタなネタを取り入れるのならば、監督や原作者、他キャストなどに何らかの共通点がある時だけにしてもらいたい。

 

同じく染谷将太演じる辰雄があまりにも人間的すぎる。概念を盗むターゲットを選ぶのに、バックストーリーは必要だったのだろうか。ほんのちょっとした違和感の積み重ねが不安やサスペンスを盛り上げてくれるのだが、観る側が共感してしまうようなエピソードを放り込んできては、「概念」を盗むという非常に奇抜なアイデアの良さが損なわれてしまうではないか。彼我の思考にはどうしようもない違いがある、というところが散歩する侵略者の特徴なのだから、そんな侵略者に共感を覚えるような要素は極力排除すべきだと個人的には考える。

 

また低予算だったためか、全体的な作り込みにしょぼさを感じる。逃げ惑う人々のショットがわずか一つだけ、時間にして2秒程度というのはいかがなものか。また、『 シン・ゴジラ 』とまでは言わないが、都市部でグリッドロック現象が起きているような描写も必要だろう。テレビやラジオ放送の声にも緊迫感が足りず、侵略の予兆を感じ取るのが難しかった。

 

総評

スピンオフというよりもリメイクまたはリブート的なもののように感じられた。スピンオフならば、本編に登場した警察官もしくは医療従事者たちの視点からストーリーを捉え直すようなものであるべきだろう。ただ、『 散歩する侵略者 』と本作の両方を鑑賞することで、物語の理解が深まったり、異なるものが見えてくるのも事実である。本編が気に入ったという人ならば、鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, 夏帆, 岸井ゆきの, 日本, 東出昌大, 染谷将太, 監督:黒沢清, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

映画 賭ケグルイ55点
2019年5月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:浜辺美波 高杉真宙 池田エライザ
監督:英勉

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元は漫画、そしてテレビドラマ化された作品が満を持して銀幕に登場。これが意味するところは、よほど原作およびドラマが面白いということか。Jovianが南沙良と並んで最も買っている若手女優の浜辺美波が主演とあらば、観ないという選択肢は存在しない。

 

あらすじ

 

舞台はギャンブルの強さで学園内の序列が決まる百花王学園。そこに転校してきた蛇喰夢子(浜辺美波)は、学園の頂点に君臨する生徒会長、桃喰綺羅莉(池田エライザ)とのギャンブル勝負を渇望していた。しかし、学園にはギャンブルを拒絶する集団「ヴィレッジ」も台頭しつつあった。夢子とヴィレッジ、両方を一挙に叩き潰そうと画策する生徒会は、「生徒代表指名選挙」を開催する。夢子は鈴井涼太(高杉真宙)を相棒に参戦するが・・・

 

ポジティブ・サイド

前向きなヒロイン像から少女漫画の定型を外れるヒロイン像、それらの加えてギャンブルにエクスタシーを感じるヒロイン像を浜辺美波は開拓した。これはファンとして大いに歓迎したい。天然で、それでいてシニカルで、ユーモラスでもあり、賢しらさを隠さない狡猾さを、その口調や佇まいで悟らせない。そんな複雑なキャラをしっかりと演じた浜辺をまずは称えようではないか。

 

歩火樹絵里を演じた福原遥の演技力にも舌を巻いた。彼女はテレビや映画よりも、舞台上で演じる方が映えるのではないか。カリスマ性すら感じさせる演技で、今後も多方面での活躍を期待できるだろう。今作のような世界観の作品やキャラクターばかりを演じると、藤原竜也のように chew up the scene の役者になってしまう恐れがあるので、彼女のハンドラー達には注意をしてもらいたいものである。ちなみにJovianは藤原竜也を高く買っていることをを申し添えておく。

 

その他には小野寺晃良、中村ゆりか、秋田汐梨らも印象に残った。この世代の若手俳優は、一頃のサッカー日本代表とは異なり、人材難ではなさそうだと思えた。それが一番の収穫だったと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

個人的な嗜好の問題も多分にあるのだろうが、先行作品の世界観の構築の点で『 カイジ 人生逆転ゲーム 』に劣り、勝負の駆け引きや頭脳性の描き方において『 ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ 』に劣る。ライアーゲームやカイジは原作を読んでいて、こちらに関しては原作漫画、テレビドラマ、いずれも鑑賞していないので、このあたりの評価に偏りが生じているのは承知している。

 

浜辺美波は良い仕事をしたが、クライマックスのシーンを販促物に載せる必要は一切ない。究極のドヤ顔を、上映前に見せまくってどうする。それをするのであれば、プロローグの夢子の紹介シーン全てで賭け狂っている時の必殺の顔として観る側に認知させておくべきだった。こういうのは出し惜しみしておくべきだと切に思う。

 

肝心のギャンブルについても突っ込みどころが満載である。票争奪じゃんけん勝負を先手必勝とあるキャラクターコンビは結論付けたが、これはおかしい。普通に考えれば、1/3の確率で敗北する勝負に先手必勝などあり得ない。まずは自分の手札を秘密にし、素早く勝負が発生する場に行き、誰がどの手を有しているかを観察しなければならない。1/3の確率であいこが発生するのだから、その勝負を見届けてから動く方が合理的だ。というか、自分から真っ先に手札をばらしに行くというのは、どうなのだろうか。誰か他の者に獲物をさらわれるのがオチだと思うのだが。

 

トランプの1~7+ジョーカーを使うデュアルクラッシュ・ポーカーにも突っ込みたい。これも普通に考えれば、チームで相談し、第1ターンは2人そろって最弱の1を出して、相手チームの手札を削りにかかるのではないだろうか。というか、チームで相談することなく、つまりバッティングをいつ起こすのか、もしくは起こさないようにするのかを相談しないなどということは、ゲームの性質上、ありえないし、考えられない。このあたりが本作がライアーゲームに及ばないと感じる一番の理由である。

 

森川葵の生脚は眼福であるが、池田エライザは何故、生脚ではないのか。そして、ああいう座り方をする以上は『 氷の微笑 』の審問シーン的なサービスショットを盛り込んでくれても良いではないか。オッサン映画ファン100人に訊けば100人が賛同してくれるだろう。

 

全体的には、賭けに狂っている高校生達というよりは、ゲームを楽しんでいる若者達という印象の方が強い。そこがディレクションの一番の問題点であろう。

 

総評

浜辺の新たな一面を切り拓いた作品と言えるが、その他のキャストに関してはどうだろうか。以前にも評したが、英勉監督は『 貞子3D 』および『 貞子3D2 』という超絶クソ作品を世に送り出した。一方で、『 あさひなぐ 』のような佳作を作る力もある。今作では若手俳優たちの演技力に救われた感があるが、監督としてはかなり伸び悩んでいるのかもしれない。劇場に行く際には、ドラマもしくは漫画である程度の予習が必要かもしれない。また、続編政策にかなり色気を見せたエンドクレジットを作っているが、その時には英監督以外を起用することも選択肢に入れるべきであろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, スリラー, 日本, 池田エライザ, 浜辺美波, 監督:英勉, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

『 愛がなんだ 』 -この不条理な愛という心の形-

Posted on 2019年4月29日2020年1月28日 by cool-jupiter

愛がなんだ 70点
2019年4月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岸井ゆきの 成田凌
監督:今泉力哉

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愛とは何かと問われて即座に返答できるのは、宗教学者や哲学者であろう。しかし、彼ら彼女らの出す答えというのは往々にして一般人の肌感覚とは合わない。それなら、「愛とはためらわないことさ!」と、どこかで聞いた台詞でごまかすのも一つの手だ。本作はそんな愛の形を非常に興味深い形で映し出す。

 

あらすじ

山田テルコ(岸井ゆきの)は、マモちゃんこと田中守(成田凌)にぞっこんで、呼ばれれば深夜に赴き、飯炊きから風呂掃除まで甲斐甲斐しく彼の世話をしていた。だが、守はテルコを恋人にするつもりはさらさらなかった。ある時、守とついにベッドインを果たしたテルコは有頂天になるも、突然部屋から追い出され、それから守からの連絡が途絶えてしまうのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは岸井ゆきのの演技に敬意を表したい。『 娼年 』における桜井ユキと、『 食べる女 』における広瀬アリスの両方の属性をさらに誇張したようなキャラを見事に体現してくれた。入浴シーンや、直接的ではないベッドシーンもあるので、スケベ視聴者はその辺にも期待して良い。何よりも注目したいのは、テルコが自分を客観視する視線の痛々しさと、自分で自分をまるで客観視できない痛々しさを同居させているキャラであること。特に即興ラップのシーンと銭湯のシーンには笑わされてしまった。こうした自己と対象との間に距離が生じた時、同一もしくは類似の対象への認識にずれが生じた時に、笑いが励起される。「人のふり見て我がふり直せ」と言うが、テルコの恋愛面での痛々しさは、多くの人間、おそらくはテルコと同じ20代後半女子の共感を呼ぶことだろう。ここで言う共感とは、テルコがマモちゃん一辺倒になって仕事も何もかもそっちのけで尽くそうとする様に対して「分かる、その気持ち」と感じることと、「えー、そんなのダメ」という相反する気持ちの両方を抱かせるということだ。このことは劇中でも一種のフラクタル構造になっていて、他キャラクターがもう一方のキャラクターへの接し方、大げさに言えば存在の在り様が、自分に重なりつつも自分とは違うという感情を呼び起こす。それは自己認識のずれであり、多くの人間が陥る「恋は盲目」状態である。そうした姿を時には激しい口論の形で提示する本作は、非常に上質なエンターテインメントである。恋やら愛やらは美しいものであること以上にドロドロとした醜悪なものでもある。テルコのストーカーまがいの気持ちは、美醜両方を兼ね備えていて、それゆえに岸井ゆきのの演技が光っている。

 

成田凌は、ようやくエキセントリックではない男の役がまわってきたか。いや、本作のキャラも充分に下衆な男ではあるが、それは守というキャラの一面に過ぎない。冒頭から玲淡とすら思わせる言動を見せつけてくれるが、それが物語終盤に鮮やかにひっくり返るロングのワンテイクの対話シーンがあり、守という男が単なる嫌な男ではなく、まず一人の人間であって、必死に甲斐甲斐しく尽くそうとするテルコに全く見合わない男なのではなく、彼自身にも彼の在り方があるのだということがしっかりと伝わってきた。注意すべきは、守というキャラクターもまた、様々な人間模様のフラクタル構造の一部であるということ。テルコに対する彼の姿勢は、そのまま江口のりこ演じるキャラの守への姿勢として跳ね返って来ているということ。

 

本作はテルコと守の閉じた関係を描くのではなく、テルコの親友やその友人男性(この男もまた痛々しい、それが泣けるし笑わせてくれる)らを巻き込んで、物語のあちらこちらに人間模様の相似形が展開されていく。これが何ともリアルである。中盤以降に、江口のりこのキャラクターが、あるキャラの一途な想いをぶち壊そうと口舌を振るうが、これが『 君が君で君だ 』における向井理とYOUのように、偏執的な想いに凝り固まったキャラの頭にガツンと一発見舞ってくる。そこからフラクタルは崩壊に向かい、一つの模様に帰着するのだが、これまた何とも痛々しい。テルコに拍手。テルコに乾杯だ。

 

本作は撮影に関しても優れている。カメラの長回しをするのであれば、それはキャラクターに焦点を強く長く当てたい時だ。であるならば、彼ら彼女らの表情や息遣いをそこに収めなければならない。少女漫画の実写化で何故か遠景からのショットを延々と撮り続ける意味不明なワンカットが一頃横行していたが、本作のような基本に忠実で、観る者に本当に見せたいショットをワンカットで提供するようにしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

成田凌演じる守を「かっこいい」と「かっこよくない」に二分法で「かっこよくない」に分類するのは難しいのではないか。かっこいいの定義は人による。しかし、何よりも映像や絵を見せる映画という媒体では、かっこいい=外見、見目麗しさを指すものだと捉えられる。ならば原作小説を翻案して、「いいひと」か「あんまりいい人じゃない」のように変えてしまう必要性も認められたのではないだろうか。

 

後はテルコ目線で、もう少し守の最大の魅力である手を描いたり、あるいはたいてい何かをパクついているテルコの食べ物をもう少し映し出してほしかった。テルコの良いところは(?)は、はたから見れば疲れてしまう環境、状態におかれてもお腹はしっかり減るところ、何かをがっつり食べるところで、それは一般的な恋愛模様とは真逆である。典型的には、女子は恋をすると食べ物がのどを通らなくなり、痩せる。したがって綺麗になる。テルコは逆で、常に何かを食べている。テルコは無償の愛を与える側ではなく、むしろ対象から栄養を吸い取るような、屈折した愛情の持ち主であるというフラクタル構造が見て取れる。だから、テルコが食べているもの=テルコ目線での男の良いところ、を観る側にもっとシェアして欲しかった。そう思えてならないのである。

また、愛をアガペーやエロス的なもの、もしくはキリスト教的な愛(=対象に変わりたい)という、やや哲学的、宗教的な匂いのする観念が散りばめられているのが、個人的には少々ノイズであった。このあたりは気にしない人も多いだろうけれど。

 

総評

久々に良い邦画を観たと感じた。今泉監督の、観る側や原作者に媚びない姿勢というか、「俺の世界解釈はこうなのだ」というビジョンを共有できた気がする。人間関係というのは自己と他者の関わり以外にも、自己と自己の関わり、自己内対話でも成り立っている。単なる恋愛感情以上のものがそこにあることを提示してくれる本作は、20代以上の男女に是非とも観て欲しいと思わせる逸品である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ラブロマンス, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:今泉力哉, 配給会社:エレファントハウスLeave a Comment on 『 愛がなんだ 』 -この不条理な愛という心の形-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

Posted on 2019年4月14日2020年2月2日 by cool-jupiter

L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 40点
2019年4月11日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:上白石萌音 杉野遥亮 横浜流星
監督:川村泰祐

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少し前までセレブ社長とラブラブだった剛力彩芽が演じた西森葵を、上白石萌音が引き継ぎ、山崎賢人演じた久我山柊聖を杉野遥亮が引き継ぐ。杉野は山崎に似せようと努力しているが、そもそも原作キャラとそこまで似ていない。そして上白石は悪い役者ではないが、剛力にも似ていないし、かといって漫画原作のキャラにも似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』でオールデン・エアエンライクがコテンパンに叩かれたのは、彼がそもそもハン・ソロおよびハリソン・フォードに似ていなかったからである。

あらすじ

西森葵(上白石萌音)と久我山柊聖(杉野遥亮)は周囲に秘密の同棲生活を続けていた。そんな時、アメリカから柊聖の親戚、久我山玲苑(横浜流星)がやってきて、柊聖をアメリカに連れ帰ろうとする。葵を理由にそれを拒む柊聖に納得いかない玲苑に、葵の良さを教えるためと同居を勧める柊聖。かくして奇妙な一つ屋根の下生活が始まった・・・

ポジティブ・サイド

スレンダーな剛力から、ちんちくりんの上白石へのバトンタッチは英断だった。無愛想なモテ男が、愛情をストレートにぶつけられることで陥落するプロットは少女漫画の王道だが、そうした愛情の深さ、包容力は上白石の方が表現者としては上手である。同時に根っこの部分に強さと弱さを併せ持つところも良い。無礼千万な玲苑に対して毅然と立ち向かうところ、そして柊聖と離れ離れになることの苦しさを素直に吐露できる弱さの中にある強さ。この子(と言っては失礼か)のハンドラーには、舵取りを誤らないで頂きたいと思う。

メイクアップ・アーティストやヘア・スタイリスト、衣装などの裏方さんはかなり頑張られたことと思う。杉野は顔の輪郭はそれなりに山崎に似ているが、その他の部分はそうでもない。それを、ここまで違和感少なく同一のキャラであると観る側に思わせるように仕上げるのは一方ならぬ労苦であったと思う。彼ら彼女らの仕事に敬意を表したい。

ネガティブ・サイド

杉野と横浜の演技力は何とかならなかったのだろうか。もちろん山崎や剛力の演技が優っていたなど言うつもりは毫もないが、それでももう少し本人たちの努力や周りの指導が必要だろう。特に主演の杉野。『 あのコの、トリコ 』から成長していない。笑い方、怒り方、泣き方。発声と発音の練習。これらを日頃から練習しているとはとても思えない。

横浜にしても同じで、アメリカ帰りで英語ができない日本人を見下す役を演じるなら、それを演じ切りなさいと言いたい。『 シン・ゴジラ 』で叩かれまくった石原さとみをJovianは一貫して擁護してきたが、それは彼女の発する帰国子女的な雰囲気と気宇壮大な夢を誰はばかることなく語るところに説得力を認めたからだ。加えて彼女の英語。これは可もなく不可もなく。だが、横浜のキャラはアメリカ育ちとは思えない、少なくともこの物語世界におけるアメリカという国のポジティブな価値観を受け継いでおらず、悪い方の価値観を受け継いでいる。「二ヶ国語を話すのをバイリンガル、三ヶ国語をトリリンガル、一ヶ国語しか話さないのはアメリカンと言う」というジョークがある。もしアメリカ的な属性を強調したいのなら発音にはもう少し注意した方がいい。“Don’t take it out on me just because your English sucks!”の sucks が sex という発音に近かった、というかセックスだった。それが横浜なりの女子ファンへのサービス精神、そして川村監督の意図した演出であるならば仕方がない。だがそれは、英語指導・監修としてクレジットされていた2名の方に disrespectful だろう。

物語自体も残念ながら破綻している。学校という場所は噂が生まれ、拡散される場所であるが、なぜAという出来事に対しては大きな噂がすぐに広まるのに、Bという出来事にはそれが起きないのか。また、なぜXというキャラのAという(失礼極まる)行動は周囲に波風を立てない一方で、YというキャラのAという行動はそうならないのか。漫画のエピソードを数十分に一気に圧縮しようとして失敗したのだろう。脚本段階で瑕疵があったとしか考えられない。キャラたちの行動原理がよく分からない。なぜ体育館でバスケをするのに下足なのか。またデパルマ・タッチでスローで見せるべきは、シュート時の身のこなしであって、ボールがネットに swash するところではない。そういうのはバスケ映画の技法であって、キャラにフォーカスする本作のような映画の撮影技法ではない。

総評

残念ながら様々な意味で駄作である。しかし、見方を変えれば、テレビドラマではなく映画、特に邦画の世界でも、数年後に異なるキャストで異なるエピソードを作ることが可能ということを示したとも言える。原作ファンの支持を得られれば、数年後に再映画化企画が持ち上がるかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 上白石萌音, 日本, 監督:川村泰祐, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』 -いっそのことシリーズ化しては-

『 君は月夜に光り輝く 』 -ファンタジー映画に徹すべきだった-

Posted on 2019年4月7日2020年2月2日 by cool-jupiter

君は月夜に光り輝く 45点
2019年4月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 北村匠海
監督:月川翔

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『 君の膵臓をたべたい 』の月川翔監督と北村匠海が、ヒロインに永野芽郁を迎えて、小説を映画化したのが本作である。「きみすい」の二番煎じの匂いがプンプンと漂ってくるが、その予感は間違いではなかった。

あらすじ

渡良瀬まみず(永野芽郁)は発光病という不治の病で入院中。そこにクラスの代表として嫌々ながらお見舞いに訪れた岡田卓也(北村匠海)は、まみずの願望を一つ一つ代行して叶えていくことを引き受けて・・・

ポジティブ・サイド

北村匠海の静かで、一見すると感情の乏しい演技は、こうした役どころによく当てはまる。月川監督はそれを上手く使っている。エナジェティックな女子に振り回される、受け身な男子という役が合うが、もうそろそろ違う路線を模索し始めてみてもいいのではないだろうか。それでも、北村のしなやかな強さを内に秘めた存在感や優しさ、時に一徹なまでの頑固さ、表情には決して現れることのない直情径行さ、そうしたものを全て内包したような立ち居振る舞いを魅せられるところが、単なる期待の若手俳優たちと彼を分かつ一線であろう。

永野芽郁も発光の美少女・・・、ではなく薄倖の美少女が似合う。単に病魔に冒されたか弱い女の子というだけではなく、そのうちにある願望、悲しみ、怒り、邪(よこしま)とも言えそうな欲望などの感情をないまぜにしつつも、笑顔でそれを吹き飛ばしてしまうような天真爛漫さは、『 君の膵臓をたべたい 』の浜辺美波とはまた一味違った良さがある。浜辺がミステリアス女子だとすれば、永野はパワフル女子だろう。

二人のキャラクター造形はとても魅力的で、卓也がまみずとの距離を縮めていく願望代行過程には、余命ゼロというシリアスさとは裏腹のユーモアがある。そのユーモラスな展開が、冒頭ではっきりと描かれるまみずとの永遠の別離をいっそう切ないものにしている。脇を固める長谷川京子や及川光博も、これらの若い才能のサポート役に徹しつつも、見せ場を作った。凡百のラブストーリーではあるが、多くの見せ場があり、これらキャストのファンであれば鑑賞をためらう理由はないだろう。

ネガティブ・サイド

ちょいと映画ファンさんよ。聞いてくれよ。

ブログとあんま関係ないけどさ。

このあいだ、近所の映画館行ったんです。映画館。

そしたらなんか『 君は月夜に光り輝く 』で

ヒロインが発光病に冒されてるんです。

で、よく見たらなんか窓とか超大きくて、

病室が光に溢れてるんです。

もうね、アホかと。馬鹿かと。

(略)

病院ってのはな、もっと患者の容態に対して注意深くあるべきなんだよ。

さっきまで元気そうだった患者さんが、

次の瞬間に急変して緊急手術になってもおかしくない、

そんな殺伐とした雰囲気がいいんじゃねーか。健康な奴は、すっこんでろ。

などと古すぎるコピペを使いたくなるほど、本作の欠点は大きすぎる。死期が近付くほどに強く光を放つということは、ほんの少しの弱い光を放ち始めた瞬間を捉えることこそが、治療や看護、本人や家族への告知や説明の面から、決定的に重要なことなのだ。この陽光が溢れる病室は、監督、撮影監督、照明のこだわりが結実したものなのだろうが、リアリズムの観点からは完全に誤った選択である。まみずの母親も、怒りの矛先を卓也ではなく病院に向けてはどうか。

『 タイヨウのうた 』や『 青夏 君に恋した30日 』のように、本作もいくつかの場面で、季節と時刻にマッチしない光の使い方をしている。“光”が重要なモチーフになっている作品にしてこのあり様とは・・・ 月川監督は個人的には高く評価しているのだ。事実、Jovianは2018年の国内最優秀監督の次点に推している。氏の奮励と捲土重来を期したい。

主演二人の演技は及第点もしくはそれ以上を与えられるものの、甲斐翔真と今田美桜の二人の棒読みは何とかならなかったのか。さんざん練習してあのレベルなのか、それともあまり練習をせずに撮影に臨んだのかは知らないが、根本的な発声練習にもっと励むべきだ。『 ブレードランナー 2049 』のライアン・ゴズリングが見せた、彼が普段からやっていたような発声練習をもっとやるべきだ。彼ほどのトップスターでもこうした地道なトレーニングを積んでいるのだ。もっと真剣に役者業をやれと言いたい。

これは原作者にその責があるのだろうが、なぜに日本の漫画、小説、映画は劇中劇を行うとなると「 ロミオとジュリエット 」なのだ。馬鹿の一つ覚えとはこのことであろう。『 あのコの、トリコ 』という駄作だけで、これはもうお腹いっぱいである。北村匠海に女装をさせたい、あるいは芸域を広げるために女形をやってほしいということであれば、別にジュリエットである必要はない。『 ピース オブ ケイク 』の松坂桃李や『 彼らが本気で編むときは、 』の生田斗真のような役を演じる別の機会がきっと訪れるはずだ。

総評

実写の『 君の膵臓をたべたい 』の水準を期待すると、がっかりさせられる。しかし、最初からファンタジー映画であると割り切って、バイオフォトンなどという怪しげな言葉に惑わされないようにして鑑賞すれば、つまりリアリズムなど一切考えることなく観れば、純粋で芳醇で、やや苦いロマンスを味わうことができる。チケットを買う前に、よくよくそのことを心に留めておくべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 北村匠海, 日本, 永野芽郁, 監督:月川翔, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 君は月夜に光り輝く 』 -ファンタジー映画に徹すべきだった-

『 九月の恋と出会うまで 』 -タイムリープ要素以外はまあまあ-

Posted on 2019年4月7日2020年2月2日 by cool-jupiter

九月の恋と出会うまで 50点
2019年3月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:高橋一生 川口春奈
監督:山本透

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何ともミステリアスなタイトルである。『 わたしに××しなさい! 』の山本透監督が、タイムリープものを扱うということに、期待と不安の両方を抱えながら、結局は鑑賞してしまった。タイムトラベルものというのは何をどうやっても矛盾が生じるものだが、そこにさえ目をつぶれば、それなりに楽しめる作品になっている。

あらすじ                    

あるアパートに引っ越してきた志織(川口春奈)は、ある夜、エアコンのダクトから「あなたに危険が迫っている」という未来からの声を聞く。不審に思う志織だったが、次々に未来を言い当てるその声を信じることに。すると声は同じアパートに住む平野(高橋一生)を尾行するように依頼してきて・・・

ポジティブ・サイド

川口春奈がいつの間にやら美人になっている。ちょっと前まで美少女だった気がするが、今は美人になっている。川栄李奈の先輩という役どころも、大人の女性らしさの演出を後押ししている。

高橋一生も変わらぬ安定感である。どこかコミュ障気味のサラリーマンを、視線を合わせず、声に抑揚を持たせず、また病人である女性に配慮ある行動はできるものの、ロマンチックさのかけらもない言葉を浴びせるなど、まさに nerd である。映画『 サイコ 』へのオマージュと思しきシーンでも、高橋一生のちょっと浮世離れした人間特有の雰囲気が、物語序盤のサスペンスを見事に盛り上げる。

この二人がどのように恋に落ちるのか。恋に落ちていく過程はどのようなものであるのか。このあたりに説得力があった。特に二人が向きになって不毛な言い争いを繰り広げる様は、誠に微笑ましい限りである。いくらかご都合主義的な展開もあるが、不必要にドラマチックな展開も少なく、全体的には非常にリアリスティックな恋模様が描かれる。高校生の恋愛模様とは一味違う、落ち着いて鑑賞できるストーリーになっている。

ネガティブ・サイド

『 コーヒーが冷めないうちに 』と同じく、タイムリープもの、タイムトラベルものの矛盾=パラドクスがそこかしこに存在する。本作はそこに「歴史の修正力」説を採用するが、なぜそのような力が働くと考えられるのかの根拠の呈示が非常に脆弱である。平野というキャラを nerd にして作家の卵にしたのは、こうしたパラドキシカルな事象を理路整然(必ずしもそれが的を射ていたり分かりやすかったりする必要はない)と説明するためではないのか。実際に本人も嬉々としてそれを語るが、そうした事柄への好奇心や愛着の見せ方が弱かった。そこが弱いために、志織は自らが消滅してしまうビジョンに怯えはするものの、そのことを現実の脅威として捉えていないように映ってしまった。従容として運命を受け入れんとする女性と、なんとかそれを阻止しようと奔走する男性というのは、クリシェではあるが、現代的とは言えない。メッセージ性が足りないのだ。それが本作の最大の欠点である。

もう一つ提言するなら、平野と詩織を巡る時間の円環が閉じた、という感覚を得られないことも問題であろう。運命に翻弄される男と女が最終的に添い遂げるというのは、古今東西で最大のクリシェであるが、なぜそうしたプロットが生き延びているのか。それは陳腐な物語に身を任せた先にあるカタルシスの爽快さの故である。『 わたしに××しなさい! 』についてもエンディングの弱さを指摘したが、このあたりが山本透監督の課題であろう。さらなる精進を期待したい。

総評

可もなく不可もなくであろう。本当に面白いタイムリープものなら、高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』が白眉である(映像化されているようだがJovianは未見である)。または、同じく小説から映画化された『 僕は明日、昨日の君とデートする 』の方が、ファンタジー作品と割り切っている分、より純粋にストーリーを味わうことができる。また、時間のループが綺麗に始まり、綺麗に閉じる物語としてはジェームズ・P・ホーガンの古典的名作小説『 星を継ぐもの 』、『 ガニメデの優しい巨人 』、『 巨人たちの星 』がお勧めである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 川口春奈, 日本, 監督:山本透, 配給会社:, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高橋一生Leave a Comment on 『 九月の恋と出会うまで 』 -タイムリープ要素以外はまあまあ-

『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

きばいやんせ!私 50点
2019年3月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:夏帆
監督:武正晴

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『 百円の恋 』は、ボクシングシーンにいくつかケチをつけたくなったが、それ以外の面では文句なしに名作であった。その武正晴監督の作品で、舞台挨拶もあるというからには出陣せねばなるまい、とチケットを購入。しかし、作品の完成度はこちらが期待したほど高くはなかった。

あらすじ

アナウンサーの児島貴子(夏帆)は、自身の不倫騒動のせいで華やかな表舞台ではなく、裏番組で細々と活動することを余儀なくされていた。しかし、プロデューサーから日本全国の奇祭特集を成功させれば、花形番組への復帰の道も開けてくるとの言葉に、嫌々ながらも小学生の頃に一年だけ過ごした鹿児島に飛び、かつての同級生らを通じて祭りの取材をしていくが・・・

ポジティブ・サイド

まず何よりも、俳優陣が披露してくれた見事な鹿児島弁に最大限の敬意を表したい。Jovianは鹿児島に行ったことがなく、鹿児島出身の同級生は大学にいたものの、鹿児島弁は喋らないというポリシーの持ち主だったので、鹿児島弁なるものをまるで知らない。反対に関西弁は良く分かる。関西弁ネイティブなのだから当たり前だ。その関西弁も、播州弁や神戸弁、大阪弁、河内弁や泉州弁、京都弁などは微妙に異なるので、おそらく鹿児島県民の話すネイティブ鹿児島弁にも微妙な違いがあるに違いない。それでも本作で役者陣が話す鹿児島弁が堂に入ったものであることは直感的に分かる。その素晴らしさ、迫真さは称賛に値する。舞台挨拶で監督や役場職員の田村正和を演じた坂田聡氏が語っていたが、仕事でなければこんなことはしない。それは太賀や岡山天音にしても同じで、仕事でなければあんな神輿を担いだり、幟を立てたりなどはしない。

本作は監督自身が語る通り、「仕事とは何か」を追求する作品である。それを語り合う印象的なシーンが二つある。一つは貴子と不倫相手との会話。もう一つは貴子と幼馴染の太郎(太賀)の会話である。前者で仕事とは他人の期待に応えること。後者では仕事とは好き嫌いではなく一生懸命さの度合いで決まるということが貴子に諭される。上映後の舞台挨拶で武正監督は、「 この作品を見て、若い人たちが色々と考えてくれると嬉しい。多くの人がこの作品を愛してくれると嬉しい 」と語っていた。説教臭い話ではあるが、そうしたメッセージは確かに作品から伝わってきた。そこは評価しなければならないと思う。

ネガティブ・サイド

本作の最大の弱点は、フォーカスがどこに当たっているのかが初見ではよく分からないことである。というよりも、たいていの映画は一期一会だ。映画を見て、すぐさまそれを見返す、何度も劇場に足を運ぶ、DVDやBlu Rayを買うという人はそれほど多くないだろう。映画の完成度は、初見でどれほどの、あるいはどんな種類の印象を残せるかで決まると言ってもいいだろう。無論、中には例外的な映画もある。何度も何度も見ることで、やっと解釈できるような作品もある。『 2001年宇宙の旅 』は3回、『 ブレードランナー 』は4回鑑賞して、Jovianはようやく自分なりに納得できた。しかし、このように何度も観たくなる、観ねばならないと思わせる映画は例外なのだ。

【 「クソ女」のまんまじゃ終われない 】と言うなら、貴子がクソ女から脱却する流れを丁寧に描写するべきなのだが、祭りと神輿運びに余りにもフォーカスが行き過ぎていた。軽いネタばれになってしまうが、貴子が女人禁制であるはずの祭りに堂々と参加し、神輿を担いでしまうシーンに対して、伊吹吾郎演じる地元のボスキャラが不覚にも心動かされてしまうような描写がなくては説得力が生まれない。彼らが頑なに守ろうとしてきた伝統の形式は、実は金科玉条視されるべきものではなく、それによって自分たちがゲマインシャフトを創出し、維持してきたのだということを確認するためのものであったことを知るからだ。自分が必死になって行っているものではなく、昔から続いているから続けている。誠に日本的な仕事観であるが、それを覆されたと御崎祭りの担い手が感じること。それこそが貴子の成長であり、変身ではないのか。監督自身が舞台挨拶で語っていたのが、撮影当日に雨が降り始め、足場は悪くなり、とにかく事故や怪我が心配になったということ。期せずしてドラマチックな絵が撮れたわけだが、その棚ぼた的な絵をあまりに前面に押し出しすぎたせいで、物語が貴子の成長物語なのか御崎祭り特集による町興しなのか、その焦点がぼやけてしまった。もうもうと煙を吹く桜島をほとんど映さない画作りから、「なるほど、焦点は土地ではなく人なのだな」と受け取ったのだが・・・

もう一つ、現実世界を舞台にして、実在の有名人の名前をポンポン使うのなら、Googleもほぼそのまま使ってもよいのでは?gggleというネーミングセンスはいかがなものかと思う。

総評

役者陣は皆、素晴らしい仕事をした。弱点は監督と編集、そして音楽だろうか。「仕事とは何か」というテーマと、劇中の事件のドラマティックさのバランスでは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』の方が遥かに面白い。興味のある向きは、ぜひ鑑賞されたい。

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写真を取るマスコミをパシャリ

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 日本, 監督:武正晴, 配給会社:アイエス・フィールドLeave a Comment on 『 きばいやんせ!私 』 -主題にもっとフォーカスを-

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