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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 未分類

『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

映画 賭ケグルイ55点
2019年5月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:浜辺美波 高杉真宙 池田エライザ
監督:英勉

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元は漫画、そしてテレビドラマ化された作品が満を持して銀幕に登場。これが意味するところは、よほど原作およびドラマが面白いということか。Jovianが南沙良と並んで最も買っている若手女優の浜辺美波が主演とあらば、観ないという選択肢は存在しない。

 

あらすじ

 

舞台はギャンブルの強さで学園内の序列が決まる百花王学園。そこに転校してきた蛇喰夢子(浜辺美波)は、学園の頂点に君臨する生徒会長、桃喰綺羅莉(池田エライザ)とのギャンブル勝負を渇望していた。しかし、学園にはギャンブルを拒絶する集団「ヴィレッジ」も台頭しつつあった。夢子とヴィレッジ、両方を一挙に叩き潰そうと画策する生徒会は、「生徒代表指名選挙」を開催する。夢子は鈴井涼太(高杉真宙)を相棒に参戦するが・・・

 

ポジティブ・サイド

前向きなヒロイン像から少女漫画の定型を外れるヒロイン像、それらの加えてギャンブルにエクスタシーを感じるヒロイン像を浜辺美波は開拓した。これはファンとして大いに歓迎したい。天然で、それでいてシニカルで、ユーモラスでもあり、賢しらさを隠さない狡猾さを、その口調や佇まいで悟らせない。そんな複雑なキャラをしっかりと演じた浜辺をまずは称えようではないか。

 

歩火樹絵里を演じた福原遥の演技力にも舌を巻いた。彼女はテレビや映画よりも、舞台上で演じる方が映えるのではないか。カリスマ性すら感じさせる演技で、今後も多方面での活躍を期待できるだろう。今作のような世界観の作品やキャラクターばかりを演じると、藤原竜也のように chew up the scene の役者になってしまう恐れがあるので、彼女のハンドラー達には注意をしてもらいたいものである。ちなみにJovianは藤原竜也を高く買っていることをを申し添えておく。

 

その他には小野寺晃良、中村ゆりか、秋田汐梨らも印象に残った。この世代の若手俳優は、一頃のサッカー日本代表とは異なり、人材難ではなさそうだと思えた。それが一番の収穫だったと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

個人的な嗜好の問題も多分にあるのだろうが、先行作品の世界観の構築の点で『 カイジ 人生逆転ゲーム 』に劣り、勝負の駆け引きや頭脳性の描き方において『 ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ 』に劣る。ライアーゲームやカイジは原作を読んでいて、こちらに関しては原作漫画、テレビドラマ、いずれも鑑賞していないので、このあたりの評価に偏りが生じているのは承知している。

 

浜辺美波は良い仕事をしたが、クライマックスのシーンを販促物に載せる必要は一切ない。究極のドヤ顔を、上映前に見せまくってどうする。それをするのであれば、プロローグの夢子の紹介シーン全てで賭け狂っている時の必殺の顔として観る側に認知させておくべきだった。こういうのは出し惜しみしておくべきだと切に思う。

 

肝心のギャンブルについても突っ込みどころが満載である。票争奪じゃんけん勝負を先手必勝とあるキャラクターコンビは結論付けたが、これはおかしい。普通に考えれば、1/3の確率で敗北する勝負に先手必勝などあり得ない。まずは自分の手札を秘密にし、素早く勝負が発生する場に行き、誰がどの手を有しているかを観察しなければならない。1/3の確率であいこが発生するのだから、その勝負を見届けてから動く方が合理的だ。というか、自分から真っ先に手札をばらしに行くというのは、どうなのだろうか。誰か他の者に獲物をさらわれるのがオチだと思うのだが。

 

トランプの1~7+ジョーカーを使うデュアルクラッシュ・ポーカーにも突っ込みたい。これも普通に考えれば、チームで相談し、第1ターンは2人そろって最弱の1を出して、相手チームの手札を削りにかかるのではないだろうか。というか、チームで相談することなく、つまりバッティングをいつ起こすのか、もしくは起こさないようにするのかを相談しないなどということは、ゲームの性質上、ありえないし、考えられない。このあたりが本作がライアーゲームに及ばないと感じる一番の理由である。

 

森川葵の生脚は眼福であるが、池田エライザは何故、生脚ではないのか。そして、ああいう座り方をする以上は『 氷の微笑 』の審問シーン的なサービスショットを盛り込んでくれても良いではないか。オッサン映画ファン100人に訊けば100人が賛同してくれるだろう。

 

全体的には、賭けに狂っている高校生達というよりは、ゲームを楽しんでいる若者達という印象の方が強い。そこがディレクションの一番の問題点であろう。

 

総評

浜辺の新たな一面を切り拓いた作品と言えるが、その他のキャストに関してはどうだろうか。以前にも評したが、英勉監督は『 貞子3D 』および『 貞子3D2 』という超絶クソ作品を世に送り出した。一方で、『 あさひなぐ 』のような佳作を作る力もある。今作では若手俳優たちの演技力に救われた感があるが、監督としてはかなり伸び悩んでいるのかもしれない。劇場に行く際には、ドラマもしくは漫画である程度の予習が必要かもしれない。また、続編政策にかなり色気を見せたエンドクレジットを作っているが、その時には英監督以外を起用することも選択肢に入れるべきであろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, スリラー, 日本, 池田エライザ, 浜辺美波, 監督:英勉, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

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全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

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  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

2018年総括と2019年展望

Posted on 2019年1月3日2020年3月22日 by cool-jupiter

以下はあくまでも私的な雑感である。世の中には多様な意見があってしかるべきで、意見は表明されて初めて意見であると思う。以下の考え方に賛成する方も反対する方も、等しく歓迎したいと思う。

 

最優秀外国映画

『 判決、ふたつの希望 』

この一作で、世界の人々の意識にレバノンという国の存在を刻みつけたと思われる。レバノンという国が抱える課題をテーマに選んだからではなく、自国の問題を映画という文化・芸術という媒体を通じて世に広く問うことができるほどに、レバノン国民の意識が向上したからである。世界には、何かを発信したいから万博を誘致するのではなく、土地が有効活用できていないから万博を誘致しようなどと考える国もあるのである。

 

次点

『 スリー・ビルボード 』

過ちを犯すも人間、それを許すも人間。人は変わることができるし、変わることでしか前に進めないこともあるのである。

 

次々点

『 ボヘミアン・ラブソディ 』

発声可能上映が広まりつつある。好き勝手な意見でも表明はしてみるものである。

 

 

最優秀日本映画

『 羊と鋼の森 』

観終わった瞬間から、これに決まっていた。それほど個人的には心の琴線に触れる映画だった。

 次点

『 カメラを止めるな! 』

 

邦画の底力を思い知らされた。コミックや小説の映画化に明け暮れるばかりの日本映画界に、新たなインスピレーションを与えた。

次々点

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』

映像、音響、音声、そして物語、その全てにおいて非常にハイレベルにまとまった作品。

 

国内最優秀俳優

 

大泉洋

『 恋は雨上がりのように 』と『 焼肉ドラゴン 』、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』、『 グリンチ(吹替え版) 』の四作品出演で文句なし。

 

次点

浜辺美波

 

海外最優秀俳優

アンドリュー・ガーフィールド

『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』と『 ブレス しあわせの呼吸 』で、俳優としての新たな境地を開拓し続けていることを証明した。

 

次点

ジョシュ・ブローリン

 

国内最優秀監督

上田慎一郎

 

『 カメラを止めるな! 』は、邦画に勇気とインスピレーションを与えた。さらに、日本のみならず世界中で評価を得、人々に映画館に行くことの楽しさを再発見させた。インパクトは『 シン・ゴジラ 』級であった。

 

次点

月川翔

 

 

海外最優秀監督

ブライアン・シンガー

『 ボヘミアン・ラブソディ 』で文句なし。

 

次点

ライアン・クーグラー

 

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ママレード・ボーイ 』で間違いなし。今後、クソ映画のお手本として良い教材になるだろう。

 

次点

『 BLEACH 』

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ザ・プレデター 』

プレデターという一癖も二癖もある魅力的な宇宙侍が、ただの凡百の地球外知的生命体に堕してしまった。その罪は重いし、消せない。

 

次点

『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』

 

2019年展望

なんといっても新作のゴジラが楽しみだ。『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』もMarvel Cinematic Universeを、どのように収束および終息させるのか。また『 スター・ウォーズ 』のエピソード9も年末公開が予定され、今から興奮が収まらない。しかし、直近で最も楽しみにしているのは『 ミスター・ガラス 』だったりする。

日本映画界に目を映せば、コミックと小説の映画化が今後も続いていくのだろう。広瀬すずと土屋太鳳は、そろそろ女子高生役を卒業しないとおかしい。小栗旬が2020年のゴジラvsキングコングに出演することが報じられているが、これに続く俳優が出てこなければならない。坂口健太郎、窪田 正孝、佐藤健、松岡 茉優、黒木華、杉咲花あたりは、英語を本格的に学び、ハリウッドでオーディションを受けるべし。邦画で期待したいのは漫画原作の『 キングダム 』。しかし、これは失敗の可能性が高そうだ。それでも、少女漫画ではない漫画が映画化されるのだ。こうしたチャレンジそのものを喜ぼうではないか。

今年も良い年になりますように。

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Posted in 未分類Leave a Comment on 2018年総括と2019年展望

『 アラサー女子の恋愛事情 』 -邦題をつけた担当者に天誅を-

Posted on 2018年10月28日2019年11月3日 by cool-jupiter

アラサー女子の恋愛事情 45点
2018年10月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ クロエ・グレース・モレッツ サム・ロックウェル
監督:リン・シェルトン

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原題は ”Laggies” である。監督のリン・シェルトンは当初は本作の舞台をオレンジ・カウンティにしようとしていたようである。オレンジ・カウンティと聞いてピンとくる人はかなりの大谷翔平ファンであろう。そう、カリフォルニア州オレンジ郡なのである。しかし、様々な事情から舞台はシアトルに移る。このYouTube動画によると、シアトル(の一部の界隈、一部の世代?)では、Laggieという言葉を、友人や仲間を指す時に使うらしい。本作を鑑賞すれば、Laggiesとは誰のことを指すのかが分かる。それにしても、このようなふざけた邦題が付けられてしまうメカニズムとは一体何であるのか。映画ファンはもっと真剣に呆れ、怒ってもよいはずだ。

 

あらすじ

大学院卒の肩書を有しながら、仕事と言えば公認会計士の父親の事務所の看板持ちという28歳のメーガン(キーラ・ナイトレイ)は、女友達やボーイフレンドに囲まれ、それなりに幸せに暮らしていた。しかし、あるパーティーであるものを目撃したことでパニックになる。ひょんなことから知り合ったアニカ(クロエ・グレース・モレッツ)の家に匿ってもらうのだが、アニカやその友人たちの交流、そしてアニカの父親のクレイグ(サム・ロックウェル)との出会いにより、彼女は変化を自覚し始める・・・

 

ポジティブ・サイド

主要キャラの中では、キーラ・ナイトレイが最も素晴らしかった。コテコテのブリティッシュ・イングリッシュしか話せないと思っていたが、どうしてなかなかアメリカン・イングリッシュも上手い。また、同世代の仲間たちとの微妙なズレを知ってか知らずか際立たせてしまう、いわゆる空気の読めないキャラクターであることを絶妙な不器用さで序盤はに描き切った。この部分の説得力の有無が、物語のクライマックスの成否に関わってくるのだが、ひとまず合格点を与えられる。

 

サム・ロックウェルはちょいワル親父の雰囲気を存分に醸し出す安定の演技力を披露。この人の真価は、『 グリーンマイル 』や『 スリー・ビルボード 』のように、目には見えないものの、しっかりと圧を発するというか、ヤバい奴オーラとでも言おうか、底知れなさが魅力なのだが、どうしてなかなか普通のおっさんキャラもいける。『 プールサイド・デイズ 』のような、positive male figureを演じられる役者として、まだまだ出番は絶えないだろう。

 

ネガティブ・サイド

このあたりは主観になるが、キーラ演じるメーガンと観る側の距離感によって、彼女は最高のキャラであり、また最低のキャラにもなりうる。Jovianの目には、最低に近いキャラに映った。それは演技力の勝利でもあるのだが、脚本としては失敗であろう。第一に、自分の親が過ちを犯してしまうところで酷く動揺するのだが、自分も全く同じ構図の過ちを犯してしまうところ。しかも、こちらの方が性質が悪いというおまけ付き。第二に、人間関係というのは常に変化し続けるものだという尊い教えを得たというのに、結局その人間関係に引きずられて、切るべきところを切らずに、切らなくていいところを切ってしまうというトンデモな決断をしてしまう。これは我が妻もドン引きしていたので、あながち男目線だけによる一方的な分析ではないはずである。第三に、アニカという10歳も年下の女子相手にすることで自尊心を回復させてはいけない。もちろん、そんなことをするようなダメ人間だからこそ愛おしいと思える人もいるはずだ。しかし、『 はじまりのうた 』でヘイリー・スタインフェルドに余裕たっぷりに講釈を垂れたのとは、画的にはそっくりでも、その内実は全くもって異なる。あちらは大人と子ども、こちらは子どもと子どもだからだ。

 

サム・ロックウェルも、弁護士という、ある意味で人間の真実と嘘の最前線に立つ職業でありながら、キーラの咄嗟の出まかせにあっさり騙されるのは少し不可解だった。

 

全体的に見れば、アラサー女子なる不可解なワードは、映画の内容をしっかり伝えるためではなく、本作を手にして安心をしてほしい(と広告代理店などが思う)人、つまり30歳前後の仕事もプライベートもどこか地に足のつかない女性を対象にしているからなのかと妙に納得できる。『 ブリジット・ジョーンズの日記 』よろしく、ある意味で自分は何も変わらずに幸せを掴みたいという夢を見るだけの人は、本作で大いに勇気づけられるのかもしれない。そんな人は少数派だろうと信じでいるが。

 

総評

邦題に騙されてはいけない。そこまで浅はかな作りではない。しかし、練りに練られた作品かと問われれば、答えは否。結婚を意識していないカップルが、雨の日のお部屋デートに鑑賞して、気まずくなるのか、それとも真剣に将来に向き合おうとするのか、そこは分からないが、なにやらそうしたカップルのリトマス試験紙的な意味でなら、鑑賞する価値はあるかもしれない。すでに結婚している人や、高校生以下の人は敢えて観るまでもない。

 

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Posted in 未分類Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, キーラ・ナイトレイ, クロエ・グレース・モレッツ, サム・ロックウェル, ラブロマンス, 監督:リン・シェルトンLeave a Comment on 『 アラサー女子の恋愛事情 』 -邦題をつけた担当者に天誅を-

『クワイエット・プレイス』 -突っ込みどころ満載のSFスリラー-

Posted on 2018年10月9日2019年8月24日 by cool-jupiter

クワイエット・プレイス 50点
2018年10月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エミリー:ブラント
監督:ジョン・クラシンスキー

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以下、ネタばれに類する情報あり

あらすじ

地球はいつの間にか静寂の支配する世界に変貌してしまった。音を立てるものを容赦なく抹殺する謎の侵略が原因である。そんな世界でも、エヴリン(エミリー・ブラント)とリー(ジョン・クラシンスキー)の家族は、手話やその他の工夫を凝らしながら生き延びていた。しかし、末っ子が音の出るおもちゃで遊んでしまい、あえなく襲われ死亡。その遠因となってしまった聴覚に障害を持つ姉は、罪悪感に苛まされる。それから約1年、エヴリンはお腹に新たな子を宿していた。しかし、謎の侵略の魔手がすぐそこまで迫っていた・・・

 

まず、この映画は突っ込みどころが満載である。その点を最初に指摘しておかねばならない。何故、人類は滅亡の一歩手前まで追いやられてしまったのか。何故、そこに至るまで音を立ててはいけないという鉄則に気付かなかったのか。許容される音の大きさや波長はどうなっているのか。次から次へと疑問が湧いてくる。しかし、それらのマイナス点と同じくらいプラスな点もある。まずはそれらを見ていこう。

 

ポジティブ・サイド

エミリー・ブラントとジョン・クラシンスキーの演技の全てが圧巻である。実生活でも夫婦である二人だからこそか、手話や、本当に小さな囁き声でしか会話ができない世界でも、ほんのちょっとした表情や仕草でコミュニケーションが成立するのは見事である。といっても、我々も実は同じようなことをやっている。例えば、ベテラン夫婦になってくると、「なあ、アレってどこやったっけ?」という夫に対して「ほら、コレやろ?」というように返す妻はそれほど珍しくないだろう。必要最低限以下の言葉でも通じてしまうのが、夫婦の絆の一つの証明と言えるかもしれない。

 

またクラシンスキーのキャラは、科学者でありエンジニアでもある。文明が崩壊した世界でも川で魚を獲り、住処の周りに警戒網と信号を張り巡らし、他都市との通信もあきらめず、娘のために補聴器を試作したりさえする。まさにアメリカ社会の思い描く Positive Male Figure の体現というか理想形のような男である。『 オデッセイ 』が強く打ち出していたことであったが、科学的な知識と技術はサバイバルの基礎であり土台である。そのことが分かっているから、エヴリンも息子への教育を怠らない。この一家は未来への希望を捨てていないのだ。話の設定上、台詞で状況を説明することができないのだが、それを逆手にとって濃密な人間ドラマを構築する。SFホラー映画のはずが、いつの間にやら見事なヒューマンドラマ、ファミリードラマに仕上がっている。クラシンスキーは監督としてもなかなかの手練れである。

 

ネガティブ・サイド

一方で否定的にならざるを得ない面も確かに存在する。本作は『 フィフス・ウェイブ 』と『 クローバーフィールド HAKAISHA 』的な事態が地球上で展開され、『10 クローバーフィールド・レーン』および『 死の谷間 』的な世界に取り残された一家が、『サイン』さながらに『スーパー8』のモンスターから逃れようとする映画である。つまり、どこかで観たようなシーンのツギハギ、パッチワークなのである。そこに「 音 」という要素をぶち込んできたのが、古い革袋に新しい酒というやつで、本作の売りになる部分なのだが、とにかくストーリーが余りにも弱すぎる。その他のオリジナリティが無さ過ぎる。

他には、冒頭の末っ子が殺されてしまうシークエンスについて。あの世界のあのシチュエーションで目を離すか?何をするか分からないのが子どもという存在で、夫婦としての経験値の高さと親としての経験値の低さの同居を見せられたような気がして、その後の展開にもう一つ釈然としない場面が出てきた。ああでもしないことには平穏無事に一家が過ごしてしまっては映画にならないのは分かるが、しかし・・・

 

また、音を立ててはいけない世界でジャンプスケアを使うというのは、あまりにも陳腐ではないか。我々が恐怖を感じるのは、恐怖を感じる対象の正体が不明だからであって、ジャンプスケアには恐怖を感じない。あれはただ単にびっくりしているだけなのだ。というか、ジャンプスケアのタイミングも余りにも予定調和すぎる。ホラー映画初心者ならいざ知らず、ある程度の映画鑑賞経験の持ち主には子供だまし、こけおどしに過ぎない。音でびっくりさせるのではなく、いつ、どこで、どのように音が鳴ってしまうのか分からない。そんなシチュエーションでこそスリルやサスペンスが生まれるし、それこそが本作が目指すべき王道のホラー路線だったはずだ。いきなり化け物や悪霊、エイリアンが姿を現すのではなく、その姿を見せながらゆっくりとゆっくりと近づいていくる異色のホラー作品『イット・フォローズ』のように、もしかしたらホラー映画にパラダイム・シフトを起こし得たかもしれないポテンシャルを秘めていたのにと思う。続編があるらしいが、期待できるのだろうか。

 

総評

もしも観るとするなら、レイトショーがお勧めかもしれない。本作のような作品を芯からじっくりと味わうためには、真っ暗な劇場で、少数の観客と互いに呼吸や衣擦れの音さえも意識し合いながら、大画面に没入したい。中学生辺りが劇場にいると、空気を読まずにポップコーンをボリボリと頬張ったり、隣の奴とひそひそ声で話したりするからだ。エミリー・ブラントが体現する「女は弱し、されど母は強し」を味わうも良し。クリシェ満載と知りながら、敢えてホラー要素を楽しむも良し。チケット代の価値は十分にあるだろう。

 

考察

あの侵略者は、上位の異性文明のペット動物か人工生命体だよね?続編を作るなら、世界観を壊すことなくリアリティを確保しなければならないけれど、『 インディペンデンス・デイ:リサージェンス 』の続編(出るの?)みたいに、嫌な予感しかしない。You have to prove me wrong, John Krasinski !!

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エミリー・ブラント, サスペンス, ジョン・クラシンスキー, スリラー, 監督:ジョン・クラシンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『クワイエット・プレイス』 -突っ込みどころ満載のSFスリラー-

『ブレス しあわせの呼吸』 -現代日本でこそ観られるべき作品-

Posted on 2018年9月26日2019年8月22日 by cool-jupiter

ブレス しあわせの呼吸 70点

2018年9月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド クレア・フォイ トム・ホランダー
監督:アンディ・サーキス

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書評家の佐藤圭は「小説とは嘘っぱちの中に面白さを見出すもの、文学とは嘘っぱちの中に真実を見出すもの」と喝破した。その定義法を拝借するならば、映画というものには二種類あると言えるかもしれない。すなわち、物語の中に面白さを見出すべきものと、物語の中に真実を見出せるものとである。では、本作は前者なのか後者なのか。答えは両方である。

英国人のロビン・カベンディッシュ(アンドリュー・ガーフィールド)は茶葉の買い付け仲買人。運命の人ダイアナ(クレア・フォイ)とめでたく結婚し、子を儲けるも、幸せは長くは続かなかった。出張先のケニアはナイロビで、ポリオに罹患してしまったことにより、首より下に麻痺を負ってしまう。人工呼吸器なしでは生命維持も不可能で、医師からは余命数カ月を宣告されてしまう。病院を出たいというロビンに、ダイアナは自宅での看護を決心する。

この映画の時代背景に、まず驚かされる。ロビンのポリオ発症が1958年なのである。そして友人らの助けを借りて人工呼吸器搭載可能な車イスの発明が1962年。50年以上前に紡がれた物語が今という時代に影響を及ぼしているということに思いを致さずにはいられないし、同時にこの国でバリアフリー、ノーマライゼーション、セルフケアという概念が本当の意味で浸透し、結実し始めたのが2000年以降であるという事実には慨嘆させられてしまう。もちろん、社会のインフラがそう簡単に作りかえられるものではないが、それでもベビーカーもしくは車イスを押したことのある人ならば、我々の暮らす社会がどれほどバリアに満ちているのかを実感したことがあるはずだ。そして、そうしたバリアを是正すべく、公共の駅などにはエレベーターがどんどんと設置され、新しく建設されたショッピングモールなどは徹底的に段差をなくし、映画館は車イス使用者専用のスペースを設けている。しかし、本当のバリアは人の心の中にあるのだ。満員電車にベビーカー連れで乗り込むのは有りや無しやという議論が定期的に沸騰するが、こんな議論はそもそも論外なのだ。ベビーカーに寛容になれない社会が、車イスに寛容になれるわけがない。我々が障がい者を見るとき、我々は同時に自分が障がいを負った時の姿を投影せねばならない。人に優しくなれないのに、自分には優しくしてほしいなどというのは成熟した社会の一員とは言えまい(成熟した、は社会を修飾していると捉えても、社会の一員を修飾していると捉えてもらってもよい)。我々がいかに車イスを見るにせよ、この映画が終盤近くに見せるドイツの病院は、我々に恐ろしいまでのショックを与える。それによって、確かにわずか数十年とはいえ、我々は見方や考え方を改めてきているようだ。

本作は実話を基にしているとはいえ、おそらくかなりドラマタイズされた部分もある。死にたいと願うロビンが、生を謳歌するようになったのには、妻ダイアナの愛があったのは間違いない。素晴らしいと思えるのは、その愛を育むロマンチック、ドラマチックなエピソードを本作はほとんど映さない。撮影はして、編集でカットしてしまったのかもしれないが、その判断は正解である。劇的な愛ではなく、ありふれた愛、日常的な愛、普通の愛であるからこそ、献身的にも映る看護ができたのだろう。もちろん、この夫婦にダークな側面が無かったとは言い切れない。例えば、ロビンに間接的に多くを負っていたであろうスティーブン・ホーキング博士を描いた『博士と彼女のセオリー』は、間接的に不倫をにおわせ、最後は儚くも美しい別離に至る関係を描いていたし、一歩間違えれば江戸川乱歩の小説『芋虫』のような展開を迎えていたかもしれないのだ。邦画で似たような関係を描いた秀作では『8年越しの花嫁 奇跡の実話』が挙げられるかもしれない。劇場で観たが、Jovianの実家の隣町の話なので、DVDをレンタルしてもう一度観るかもしれない。そうそう、現実にあった乙武氏の不倫問題なども忘れるべきではないだろう。とにかく、男女の愛は様々な異なる形を取るものだが、ロビンとダイアナの愛はその普通さゆえに異彩を放っている。

Back to the topic. 本作は、観る者に感動やショックだけではなく新たな視座を与えてくれもする。劇中でロビンが「専門家はすぐに無理だと言う」と言うが、蓋し名言であろう。これは専門知識やスキルの蔑視というわけでは決してない。そうではなく、何か新しいことをするときには、自分を信じろということだ。本作には、現代の視点で見れば、数々のトンデモ医者が登場する。しかし、そうした医者たちも当時の自分たちの価値観に照らし合わせて、患者のために良かれと思ってあれやこれやを行っていたのだ。大切なのは、それが本当に他者の利益になっているかどうかを確かめることだ。患者を病気やけがという属性で語ることの愚は『君の膵臓をたべたい』で触れた。患者を人間として見ることが肝心要なのだ。

近くの映画館で本作を上映しているという方は、ぜひ観よう。単なるヒューマンドラマ以上のものが本作には盛り込まれているし、我々はそのメッセージを受け取らねばならない社会に生きているのだから。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アンドリュー・ガーフィールド, イギリス, ヒューマンドラマ, 監督:アンディ・サーキス, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『ブレス しあわせの呼吸』 -現代日本でこそ観られるべき作品-

『食べる女』-愛情を表現したくなる、優しさ溢れる作品-

Posted on 2018年9月24日2019年8月22日 by cool-jupiter

食べる女 70点

2018年9月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:小泉今日子 鈴木京香 沢尻エリカ 広瀬アリス シャーロット・ケイト・フォックス 前田敦子 壇蜜 ユースケ・サンタマリア 間宮祥太朗
監督:生野慈朗

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180924015437j:plain

派手なアクションや手に汗握るスリル、背筋が凍るような恐怖感や息もできなくなりそうなサスペンスを求める向きには全くもってお勧めできない作品である。映画とは、何よりもまず、一般家庭では享受できないような大画面と大音響を楽しむための媒体で、そうした文字どおりの意味でのスペクタクルはこの作品には全く盛り込まれていないからである。だからといって本作には劇場鑑賞する価値が無いのかと言えば、さにあらず。充分にチケット代以上の満足感は得られるだろう。

餅月敦子(小泉今日子)ことトン子は、古本屋と文筆業の二足のわらじを履いている。同居人は猫の“しらたま”である。古本といっても料理に関連するものばかりで、トン子自身もかなりの腕前の持ち主。そんなトン子の編集者の小麦田圭子(沢尻エリカ)ことドド、トン子の親友にして割烹料理屋の女将、鴨舌美冬(鈴木京香)、ドドの飲み友、テレビドラマ制作会社のアシスタントプロデューサー白子多実子(前田敦子)らは、定期的にトン子宅で料理に舌鼓を打ちながら、男や仕事について語り合うのであったが・・・

まずエンドクレジットの特別協力だったか特別協賛だったかの、

 

      sagami original

 

というデカデカとした表示に我あらず笑ってしまった。もちろん、商品そのものは映らないのだが、それを使っているであろうシーン(使ってなさそうなシーンも)しっかり用意されているから、スケベ視聴者はそれなりに期待してよい。最もそういったシーンが期待できるはずの壇蜜     と鈴木京香    にそれがなく、逆にシャーロット    が体を張ってくれたことに個人的に拍手を送りたい。

さて、冒頭に記したようにドラマチックな展開にはいささか欠ける本作であるが、ドラマがないわけではない。実は非常に深いテーマも孕んだドラマがある。それは「人間は変わりうる」ということである。変わると言っても、何も宗教的回心のような、それこそ劇的な体験のことではない。日々の生活の中で得るほんのちょっとした気付きがきっかけになったり、人間関係の変化であったり、経済的な変化であったり、身体的な変化であったりもする。我々は普段、そうした変化があまりにも静かに進む、もしくは起きることが多いために、そうした変化を見過ごしがちである。しかし、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉「万物は流転する」を引くまでもなく、変化しないものはない。仏教にも≪諸行無常≫と言うように、人間の本質は古今東西においても変化なのである。そんな変わっていく自分、変わっていく他者に愛情を注ぐことができれば、それは自分という存在そのものを肯定することにもつながる。なぜなら、繰り返しになるが人間存在の本質が変化であるからだ。こんな自分は嫌いだという人は変化を求めれば良いし、こんな自分が好きという人は、そのように変化していく自分をそのまま楽しめば良い。なにやらニーチェの永劫回帰思想やゲーテの『ファウスト』にも通じるものがありそうだ。

印象的なプロットを紹介すると、ドドとタナベの出会いが思い浮かぶ。これなどは正に、“袖振り合うも多生の縁”を地で行くような Story Arc である。もう一つは、あかりの受動から能動への変化である。詳しくは本作を観てもらうべきだろう。一見すると下半身がだらしない女のように見えてしまうが、貞操概念に欠けるのではなく、愛情を注がれることに快楽を見出す女なのだ。それは例えば料理をおいしそうに食べてくれたり、あるいはベッドで自分を愛撫し、動いてくれることだったりする。そうではなく、愛情をストレートに自分から表現しにいくシークエンスは、昨今の少女漫画原作の映画化作品に見られる、ヒロインが走っていくのを横から車で並走しながら撮影していく、アホのような画の再生産ではなく、本当に真正面からのものだった。非常に新鮮で、『巫女っちゃけん。』あたりから既に変化の兆しは見られていたが、広瀬アリスという役者の大いなる成長を目の当たりにしたかのようだった。最後に、シャーロット・ケイト・フォックスである。そそっかしいという自覚のある人は、彼女の Story Arc を決して早合点しないようにしてほしい。ダメな女の成長物語と唐竹割の如く切って捨てるように評するのはたやすい。しかし、そうした見方をしてしまう時、我々は既に自分の中に「ダメな女」像と「できる女」像を抱いてしまっていることを自覚せねばならない。人間というものを変化する主体ではなく、固定されたキャラクターであるかのように見てしまう癖が、どうしても我々にはあるようだ。しかし、古代中国の故事に「士別三日、即更刮目相待」とある。三日で人は変わりうるし、我々も見る目を変えねばならない。割烹料理屋での無音の中でのやりとりに、静かな、それでいて非常に力強いドラマが進行していることを、本作は感じさせてくれた。こここそが本作のハイライトで、凝り固まった頭の男性諸賢は心して観るように。

反面で指摘しなければならない粗もいくつかある。ジャズバーのシーンでは明らかにBGMが編集されたものだったが、ここは店内の雰囲気をもっと濃密に醸し出すために、それこそLPレコード音を背景に撮影するぐらいでも良かった。デジタル全盛の時代ではあるが、古い写真に味わいが出てくるように、レコードにも味わいが出てくるものだ。そういえば古さを賛美する印象的なシーンが『マンマ・ミーア! ヒア・ウィ―・ゴー』で見られた。” Sir, in your case, age becomes you. As it does a tree, a wine… and a cheese.”という、コリン・ファースへの台詞だ。映画の醍醐味には音という要素もあるのだから、ここを生野監督にはもっと追求してほしかった。また、ネコが前半で大活躍するのが、名前がしらたまというのはどうなのだろうか。稲葉そーへーの某漫画を連想したのはJovianだけではあるまい。

弱点、欠点はいくつか抱えているものの、それでも本作は秀逸な作品である。十数年前になるか、某信販会社にいた頃、20~30代女子向けに“自分にご褒美”キャンペーンとして、週末のホテル宿泊を推していたことがあった。おそらく2000年代あたりから、モノの消費から、コトの消費へと個の快楽の追求はシフトし始めていたが、本当にそれが根付き定着したのはごく最近になってからではなかろうか。失われて久しい、皆で卓を囲んでご飯を味わうという体験の歪さと新鮮さを『万引き家族』は我々に見せつけたが、本作の女たちの食事シーンは、ある意味での人間関係の最新形と言える。愛情は男女間だけのものではなく、自分で自分に向けるものでもあるし、ほんのちょっとしたことで知り合う他者にも大いに注いで良いものなのだ。それが実践できれば、愛しいセックスをしている時と同様に、人は暴力や差別から遠ざかることができるのだろう。その先に、“修身斉家治国平天下”があるのだろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 小泉今日子, 広瀬アリス, 日本, 沢尻エリカ, 監督:生野慈朗, 配給会社:東映, 鈴木京香Leave a Comment on 『食べる女』-愛情を表現したくなる、優しさ溢れる作品-

『はじまりのうた』 -やり直す勇気をくれる、音楽と物語の力-

Posted on 2018年9月14日2020年2月14日 by cool-jupiter

はじまりのうた 65点
2018年9月12日 レンタルDVD観賞
出演:キーラ・ナイトレイ マーク・ラファロ ヘイリー・スタインフェルド アダム・レヴィーン ジェームズ・コーデン キャサリン・キーナー
監督:ジョン・カーニー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180914020936j:plain

原題は“Begin Again”、「もう一度始めよう」の意である。もう一度、というところが本作の肝である。

音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)は、かつては敏腕でグラミー賞受賞者もプロデュースしたこともあるほど。しかし、ここ数年はヒットを出せず、酒に溺れ、妻のミリアム(キャサリン・キーナー)とは別居。娘のバイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)を月に一度、学校に迎えに行くだけの父親業も失格の男。ある日、娘を職場に連れて行ったものの、あえなくその場で解雇を宣告されてしまう。失意のどん底のダンは、しかし、とあるバーでシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)の歌と演奏に聴き惚れる。必死の思いで彼女を説得し、ニューヨークの街中を舞台にゲリラレコーディングを敢行していくことで、ダンの周囲も、グレタと恋人のデイヴ(アダム・レヴィーン)にも変化の兆しが見られるようになる。

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』でも触れたが、アメリカという国は≪セカンド・チャンス≫というものを信じている。本作は、音楽の力を通じで、そのセカンド・チャンスを人々がものにしていくストーリーなのである。燻っていた情熱の残り火を、もう一度完全燃焼させたいと願っているサラリーマンは、日本には大勢ではないにしろ、それなりの数が存在しているはずだ。そんな人にこそぜひ見てほしい作品に仕上がっている。また、娘が難しい年頃になったことで、距離の取り方に難儀するようになった中年の悲哀に対しても、本作は一定の対応方法を提示してくれる。洋楽はちょっと・・・と敬遠してしまうような中年サラリーマンにこそ、観て欲しい映画になっているのだ。

一例を挙げよう。ダンはグレタのギターと歌唱を聴きながら、伴奏のピアノやバイオリンによるアレンジを生き生きと思い描き、歌に命を吹き込むビジョンを抱く。そんな creativity は自分には無縁だと思うサラリーマンも多いだろう。だが待ってほしい。街の中で空き地を見つけて、アパートかオフィスビルが駐車場にならないかと想像を巡らせたことが一切ないという不動産会社や建築・建設会社の社員がいるだろうか。ダンと我々小市民サラリーマンの違いは、スキルや能力ではなく、何らかのポテンシャルに巡り合えた時に、自分を信じられるかどうかである。何らかの可能性ある投資先を見つけられるかどうかではない。小説および映画の『何者』にあった台詞、「どんな芝居でも、企画段階では全部傑作なんだよ」という言葉が思い出される。当たり前といえば当たり前だが、我々はくだらないことよりも素晴らしいものの方を想像しがちだ。その想像を創造につなげていく勇気を持つ人間のなんと少ないことか。そんな小市民たる我々は、ダンとグレタに救われるのだ。

印象的な点をもう一つ。ダンとグレタが互いに素晴らしいと認めるミュージシャン、アーティストを挙げていく酒場のシーンがある。「どんなものを食べているかを言ってみたまえ。君がどんな人間であるのかを言い当ててみせよう」とはジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの言葉であるが、これは「どんな音楽を聴いているかを言ってみたまえ。君がどんな人間であるのかを言い当ててみせよう」と言い換えることも可能であろう。ダンとグレタは、互いのプレイリストを二股のイヤホンを使ってシェアするが、これなどは我々が互いの本棚や映画のライブラリを見せ合うのに等しい。我々は普段からスーツに身を包み、自分を偽装することに抜け目がない。しかし、自分が普段から聴いている音楽を人にさらけ出すというのは実は非常に勇気がいることだ。もし、この例えがピンと来ないのであれば、あなたのPCやスマホのブラウザのお気に入りを誰かに見せるということだと思ってみてほしい。ダンとグレタの男と女とは一味違う、もっと奥深いところで響き合う関係に感銘を受けるだろう。

それにしてもキーラ・ナイトレイの歌の意外な上手さに pleasantly surprised である。Maroon 5のアダム・レヴィーンが本職の実力と迫力を見せてくれること以上に、彼女の歌う“Like a Fool”に哀愁と力強さが同居することに感動のようなものを覚えた。恋人もしくは元彼がいかに約束を守ってくれなかったかを詰る歌は無数に存在する。Christina Perriの“Jar of Hearts”、Diana Rossの“I’m Still Waiting”など、枚挙に暇がない。それでもJovianがキーラの歌う“Like a Fool”に殊更に魅了されたのは、単にBritish beautyが個人的な好みだからなのだろうか。

いずれにしても、これは素晴らしい作品である。サラリーマンとして、父として、または夫として、とにかく人生に何らかの行き詰まりを感じている男性はここから何らかの「やり直す勇気」を受け取ってほしい。切にそう願う。そうそう、早まってエンドクレジットが始まった途端に再生を止めたり、画面の前から離れたりせず、最後まで観るように。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, マーク・ラファロ, 監督:ジョン・カーニー, 配給会社:ポニーキャニオン, 音楽Leave a Comment on 『はじまりのうた』 -やり直す勇気をくれる、音楽と物語の力-

『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

Posted on 2018年8月26日2020年1月10日 by cool-jupiter

『追想』 60点

2018年8月26日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン ビリー・ハウル エミリー・ワトソン 
監督:ドミニク・クック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180826223855j:plain

原題は”On Chesil Beach”、「チェシル・ビーチにて」となるだろうか。原作の小説ではタイトルは『初夜』となっているようだ。つまり、結婚後、初の夜とその夜の営みを指す。性行為を子どもを作るために持つ、というカップルは少ないだろう。というか、性行為のほとんどは愛情またはコミュニケーションの延長もしくは一形態であって、子どもを作るためという共通の目的を持って行為を持つ割合は低い、と言い直すべきか。性行為に関する認識は時代によって変わるし、地域によっても変わるし、もちろん個々人によっても変わってくる。本作は若くして出会い、結婚した2人の結婚初日、馴れ初めと交際、その後を三幕形式でフラッシュバックを交えて描いていく。

第一幕は、若い二人の結婚式直後の様子を描く。フローレンス(シアーシャ・ローナン)は英国上流階級出身の教養あるお嬢様。エドワード(ビリー・ハウル)は悲劇的な事故から若年性認知症を患う母を持つ下層社会出身者。二人は新婚ホヤホヤにもかかわらず、いや、それ故にか、やけにぎこちない。ベッドインに向けてエドワードは一人で盛り上がるが、フローレンスは何故かはぐらかし続ける。その合間に第二幕、つまり二人の馴れ初めから交際の模様が描き出される。非常に対称的なペアで、1960年代という政治的な動乱の時代を背景に、社会階層の分断の様子も静かに、しかし力強いタッチで画面に映し出される。そんな中でも、フローレンスの献身性やコミュニケーション力、家政能力は卓越しており、エドワードの父は ”Marry her.” =「結婚しろ」と即座に息子にアドバイスするほど。これほど率直な結婚の勧めは、近年だと『ジオストーム』の大統領の ”Marry her.” ぐらいしか思いつかない。しかし、結婚という因習は、当時も今もこれから先も、目に見えて若部分の相性の良し悪しと、決して人目に触れない部分での相性の良し悪しの両方で維持されるものなのだ。本作は、本来なら人目に触れない性の領域に光を当てた、ダークストーリーである。どのあたりがダークなのかは実際に観賞してもらうとして、最も目を惹かれたのは第三幕、すなわち別離したその後である。

劇場は日曜日ということもあり、かなりの入りであった。そのほとんどが中年夫婦と思しきカップルであったのは果たしで偶然だろうか。本作が提示するテーマは、セックスの相性や良し悪しという皮相的なものでは決してない。愛は性行為が無くとも成立するし、そのことを鮮烈に描いたのが小説の映画化としては珠玉の名作『彼女がその名を知らない鳥たち』ではなかったか。反対に、愛の大部分をセックスに負っている映画としては昭和や平成の初めごろまで量産されていたヤクザ映画であろう。女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という、紋切り型の洗脳セックスとでも呼べばいいのか、そういう作品が溢れていた。

フローレンスとエドワードのようなカップルは実は現代でも珍しくないのではないだろうか。一昔前は成田離婚なるワードがあったが、そうしたスピード離婚の背景には少なからず、本作が提示するテーマに関連したものがあったことは疑いの余地は無い。性的にかなり奔放になった現代、男女ともに晩婚化の傾向が進み、未婚率および離婚率が高止まりしているのも、フローレンスやエドワードのようなカップルが静かに増殖しているからなのか。

人間の心の中の仄暗い領域に光を当てる作品の常で、本作の Establishing Shot も非常に薄暗い。フラッシュバック手法が多用される本作に置いて、説明不足に感じる一瞬のフローレンスのフラッシュバックは、観る者によってはトラウマを刺激されかねないような想像力を喚起させる。しかし、その暗さから某かの教訓を引き出すことができるだろうと思わせるところに本作の価値がある。シアーシャ・ローナンのファンも、そうでない映画ファンも、時間があれば劇場に足を運んでみて観ても良いだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, 監督:ドミニク・クック, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

Posted on 2018年8月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

ザ・ホスト 美しき侵略者 45点

2018年8月23日 レンタルDVDにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン
監督:アンドリュー・ニコル

シアーシャ・ローナン目当てで借りてきたレンタルDVD。人間の体を乗っ取る宇宙生命体の話と言えば、近年の邦画では、まず『散歩する侵略者』が思い浮かぶし、名作漫画原作の『寄生獣』もこのジャンルに分類できるだろう。さらに人間そのものに擬態するものでは古典的名作の『遊星からの物体X』や『ゼイリブ』が外せない。今作のエイリアンは人間のボディを乗っ取ると眼が白く光る。まるで『光る眼』だ。ことほどさように、古今東西のSFのパッチワークになっているのが本作であり、またそのような特徴を併せ持つ作品は、ちょっと大きめのTUSTAYAに行けば軽く50本以上は見つかるであろう。つまり、本作を観る目的は、大雑把に言ってしまえば2つしかない。

1.シアーシャ・ローナンを見ること。

2.雨や風の日、気温が高すぎて出歩けない日の暇つぶし。これである。

本作で少し面白いなと思うのが、メラニー(シアーシャ・ローナン)がしっかりと宇宙人として扱われるところ。物語の序盤過ぎに男だらけのコミュニティに加わることになるのだが、侵略してきたエイリアンとはいえ、人畜無害な若い女子がやってきたら、あっという間に嬲りものにされてもおかしくないように思うが、そこは一応、ライフル片手に叔父さんがグループのイニシアチブを握っているからか。もう一つは、男は女のキャラクターを愛するのか、それとも体を愛するのかという問題。公開間近の『寝ても覚めても』の主題もこれに近そうだ。人は人の外面を愛すのか、内面を愛すのか。人は、中身が人でなくとも外見が人であれば、無節操に愛することができるのか。このあたりは文学よりも、SFこそが追求すべきテーマになっている。なぜなら、人工知能に代表されるようなテクノロジーの進歩は確実に人間の人間性を狭める、もしくは拡張していくからだ。また、パラリンピックの走り幅跳び記録が、追い風参考とはいえ、オリンピックのそれを上回るということは、生身の体を超える可能性を持つ<義体>の萌芽が既にそこに見られるということだ。個人的に最も興味を惹かれたのは『第9地区』でのクリストファー・ジョンソンが茫然と佇立するシーンの焼き直しが本作にあったこと。人間の無慈悲さこそが、人間性の根源にあることを抉りだすシーンだ。

一つ素朴な疑問が。この地球外生命体、いったいどうやって繁殖しているのか。おそらくこの生態では、交配しても生まれてくるのは『寄生獣』と同じく、ホストと同じ生命が再生産されるはず。ソウルの名の通り、人類には及びもつかない方法で生殖しているのか。SFの文法に、論理的(≠科学的)に辻褄が合う世界を創り出すというものがあるが、オカルト・ホラー小説家のリチャード・マシスン著『地球最後の男』的などんでん返しっぽい展開もある。劇場で観賞するにはきついが、自宅でのひまつぶしになら最適だろう。シアーシャ・ローナンのファンであるならば、観ておいて損は無いだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, シアーシャ・ローナン, 監督:アンドリュー・ニコル, 配給会社:ハピネット, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

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