Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

カテゴリー: 映画

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

Posted on 2019年12月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004354j:plain

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月26日 梅田ブルク7(ドルビーシネマ)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004002j:plain

 

劇場鑑賞3度目。今度はドルビーシネマで。英語の批評サイトなどをひとしきり渉猟してみたところ、否定的なレビュー7、肯定的なレビュー3といったところか。面白い傾向として(英語で)読み取れるのは、肯定派と否定派の視点。肯定派はお約束の展開を楽しみ、否定派はお約束の展開を毛嫌いしているようである。『 スター・ウォーズ 』に何を望むのかを通して見えてくるのは、それを観る人間の心の在りようなのだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004122j:plain
 

個人的には、『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は何度観ても楽しめる。おそらく、あと3~4回は観るだろう。何故か。それは、童心に帰ることができるからだ。まだ自分が生まれていなかった頃に劇場公開された『 スター・ウォーズ 』と実質的に同じような作品をリアルタイムに、自分のお金を使って、自分のスケジュールを調整して観に行くことができる。やっていることは(一応)大人だが、劇場内にいる自分は子どもである。おとぎ話の世界に浸っているのである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004140j:plain

 

『 スター・ウォーズ 』が新しい地平を切り拓いたのは間違いない。だからといって、続編が全て新しい地平を切り拓かなければならないわけではない。それに芸術の分野における「新しい地平」は、しばしば古くからある手法を新しい対象に適用した時、もしくは全く新しい手法を古くからある対象に適用した時に現れるものである。前者の好例はヨーロッパの技法でアメリカの風景を描いたトーマス・コール、後者の好例はアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックだろう。『 スター・ウォーズ 』は、古くからある普遍的な要素を持つおとぎ話を、銀河にまたがる冒険譚風に味付けし直したものだ。よく知られていることだが、そこにはテレビドラマの『 フラッシュ・ゴードン 』や黒澤映画『 隠し砦の三悪人 』、さらに児童文学『 オズの魔法使 』の影響がある。というか、これらの作品は『 スター・ウォーズ 』の紛うことなき先行テクストである。『 スター・ウォーズ 』の革新性は対象ではなく、手法にあることは明らかである。どこからどう見てもSF映画なのに、それをおとぎ話的に語るという手法が『 スター・ウォーズ 』の革新性だったはずだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004303j:plain

 

ジョージ・ルーカスが構想していた物語が何であれ、エピソード1、2、3のような世界観は個人的には勘弁願いたい。おとぎ話世界の神秘性を、政治だの経済だの生物学だので剥ぎ取らないでほしい。その一方で、初めて『 スター・ウォーズ 』を初めて観た時に子どもだった者も、42年を経ればどうしたって大人になる。大人になるということは、色々な物事に距離を取ってしまう、もしくは客観視してしまうようになる。それは自然なことである。だが、たまには童心に帰っても良いのではないだろうか。桃太郎に向かって「犬、猿、キジではなく犬、犬、犬を連れて行けよ」だとか、笠地蔵の物語に「そんなことしても意味はないよ」だとか突っ込まないだろう。Rotten TomatoesやYouTubeあたりでネガティブ・レビューをしている者たちは、頭でっかちになりすぎている。普段から鵜の目鷹の目のJovianであるが、自分が好きなものを見る時には片目をつぶるくらいでちょうどよい。『 結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ 』と言われる。『 トレイラーは両目を大きく開いて見よ。 本編を観る時は片目を閉じよ 』が、本作への望ましい接し方ではないだろうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004324j:plain

 

  • 楽しめた点

3度目の鑑賞で感じたのは、『 アクアマン 』のようであるということ。つまり、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのように、「目的地はあそこ。しかし、そこへ行くためにはこのアイテムが必要。そのアイテムはあの洞窟にあって、あの洞窟の敵を効果的に倒すには、この種類の武器を調達するべきだ」という、非常にRPG的な展開をしている。目まぐるしくはあるが、分かりやすくもある。

 

キャリー・フィッシャーが他のキャラクター達と対話するシーンは非常によく練られている。3度目となれば冷静に観察も出来るようになったが、不自然さが感じられない。これらのシーンを完成させたスタッフに最大限の敬意を表したと思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004206j:plain

 

  • 疑問点

マズ・カナタは何故にレジスタンスに加わっているのか?というよりも、レジスタンスでどういう役割を担っているのか。そこが今一つ分からない。前作のラストで銀河中に助けを求めたが、誰も来てくれなかった。反乱軍の将軍ではあるが、一方で亡国の姫でもあるレイアの助けを呼ぶ声には、応じたくても応じられないという勢力がいた。だが、マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

シスのウェイファインダーへのヒントが刻まれた短剣は、いつ作られたのだろう?そもそも、デス・スターの残骸に合わせて作られていて、なおかつルークもそれを追っていたということは、エピソード6とエピソード7の間に作られたということで、その時点で皇帝は蘇っていた?というか、デス・スターは、文字通りに木っ端みじんに吹き飛んだのではなかったか?なぜ、あのように綺麗な断面を保った巨大な残骸が、エンドアの大気圏との摩擦熱で燃え上がった痕跡もなく、存在できているのか?

 

などと考えてはいけない。一見不合理な事象に意味ある説明をしようとすると、暗黒面に囚われてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I could use your help.

レイが惑星キジーミでゾーイに対して言う台詞である。意味は「あなたの助力があれば有り難い」である。could use ~は、「~を使うことができた」ではなく「~があれば助かる」、「~を有り難く思う」である。『 スター・ウォーズ 』でも、デス・スターへの攻撃前にハン・ソロとルークが

“Why don’t you come with us? You’re pretty good in a fight. We could use you. Come on. Why don’t you take a look around?”

“You know what’s about to happen, what they’re up against. They could use a good pilot like you.”

という言葉を交わす。

“I could use some beer!”

“I could use your advice.”

など、色々なものを対象に使える表現である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191229004440j:plain

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:デイズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -3rd and DolbyCinema Viewing-

『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

Posted on 2019年12月27日 by cool-jupiter

ぼくらの七日間戦争 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:宮沢りえ 笹野高史 大地康雄 佐野史郎 賀来千香子
監督:菅原比呂志

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191227161700j:plain


30年ぶりの続編というか、地続き世界の物語が公開されている。鑑賞前にオリジナルを見返しておきたいと思い、近所のTSUTAYAで借りてきた。Jovianも嫁さんも、若い頃は宗田理の本は何冊も読んでいた。今回あらためて夫婦で鑑賞し、色々と感じるところがあった。

 

あらすじ

青葉中学の男子生徒菊池ら8人が集団エスケープした。横暴な学校教師や親への反発からだった。彼らは大蔵省管轄下の廃工場で密かに暮らし始めた。そこへ学級委員のひとみ(宮沢りえ)たちも加わり、共同生活は11人に。だが、居場所を嗅ぎつけた教師たちが廃工場にやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

確か劇場でリアルタイムに観るのではなく小学校6年生ぐらいに当時の友人宅のVHSで観た。その友人が本作を好きで、確か彼の家で3回ぐらい観たことを覚えているし、小室サウンドのある意味で原型とも言えるTM NETWORKの“SEVEN DAYS WAR”は、同級生たちの何人もがカセットテープを持っていた。二十数年ぶりに見返したが、まるでタイムマシーンのような作品である。なにしろ冒頭が、宮沢りえが閉まる校門にギリギリセーフで駆けこむシーンなのだから。『 ニセコイ 』で酷評させてもらった閉まる校門のシーンは今考えても論外中の論外だが、本作は実際の校門圧死事件よりも前なのだから。

 

魅力の第一は、宮沢りえだろう。はっきり言って、荒削りもいいところの演技だが、それでも同時代、同世代の榎本加奈子のドラマ『 家なき子 』での大根役者っぷりに比べれば、遥かに高く評価できる。

 

意外なところで笹野高史も印象的だ。『 岸和田少年愚連隊 』で教師役だったが、1980年代に既に今の好々爺の面影が相当に濃い。その一方で佐野史郎は「若返りの泉」の場所でも知っているのだろうか。冬彦さんよりも前の作品である本作では理不尽な教師役を好演。確かにJovianの行った小学校や中学校にも、こういう嫌な大人は存在していた。そして対照的に健康的な色気(色香でも艶でもなく色気)を放つ賀来千香子。テレビドラマ『 ずっとあなたが好きだった 』の冬彦さん同様に、こちらも老化スピードが極端に遅いのか。本当に30年という時が経過しているのだろうか。

 

その賀来千香子にも怒声を放つ大地康雄。本作では、理不尽、暴力的、権威的、頑固一徹、それでいて窮地に陥ると弱いという、まさに日本のダメおやじのネガティブ要素を凝縮したかのようなキャラクターで、観る者を大いに憤らせ、また笑わせてくれる。彼の最終的なコスチュームは、津山三十人殺しの都井睦雄を思わせる出で立ちである。ビデオで何度目かの鑑賞をした後、テレビドラマの『 お父さんは心配症 』を観て、そのキャラクターの落差にびっくりしたことを覚えている。大地康雄は順調に老けていて何故か安心する。

 

倉田保昭演じるジャージの体育教師もどこか懐かしい存在だ。漫画『 ろくでなしBLUES 』の竹原みたいな教師(こちらの方が後発だが)そっくりで、菊池ら男子を蹴散らしていく様は痛快であり滑稽であり、非常に腹立たしくもある。今は体罰がすぐに通報される良い時代である。昔は体育の授業のサッカーやバスケ、ひどい時には柔道の時間に、気に入らない生徒に指導と称した折檻をする教師がいた。中学生たちも反抗したくなろうというものだ。

 

教師や機動隊とのバトルはアクションにしてコメディである。爽快にして笑いの坪も心得ている。教師を追い返すことはできたとしても、機動隊を追い返すのは不可能だろう。『 警察密着24時 』で、全国の祭りに装束で現れる愚連隊数十人を、警棒、盾、ヘルメットその他で装備した同人数程度の機動隊が一瞬で制圧していくのを見たことがある人も多いだろう。爆竹やタイヤでパニックに陥る機動隊員など、リアリティ欠如も甚だしい。だが、そこを巧みなカメラワークと各種ガジェット、そしてコメディタッチの活劇でごまかしきった菅原監督の手腕は認めなければならない。そして、一切何も解決していないが、全てに意味があり、全てが報われたかのように錯覚させる圧倒的にシネマティックなクライマックス。『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』と並んで、Jovian少年の心に与えたインパクトは大だった。

 

ネガティブ・サイド

全体的に演技者のレベルが低すぎる。特に子役連中は、宮沢りえを含めて、基本的な発声や表情の作り方の練習が不足していることがすぐに分かる。その証拠は、彼ら彼女が現代まで生き残っていないからである。

 

また原作と大いに異なる「戦争」シーンは賛否両論あるべきだろう。菅原監督はコメディ色とアクション色を絶妙に配合したが、「ぼくらシリーズ」の骨子である“子どもが大人に挑む”のではなく、子どもが大人をからかう、もしくは翻弄するように見えてしまうのはマイナスだろう。七日間戦争はどう見ても全共闘のミニチュア版で、そのことは校長の「これは国家を揺るがす事態です!」という台詞に端的に表れている。つまり、『 主戦場 』と同じく“思想戦”のパロディもしくはコメディ化なのである。戦争シーンのアクションは痛快ではあるが、大人の醜さ、汚さ、酷さを子どもが大人にそのまま見せつけるというプロットを本作は映像化できなかった。だからこそ、わけのわからんパワーのあるエンディングで押し切ったのだろう。その判断は正しい。しかし、30年後に見返した時に粗が見えてくることも否めない。つまり、時代の空気を醸し出すことはできても、時代の課題や問題意識までもが反映できているわけではない。そのあたりが、友情の普遍性にフォーカスした『 スタンド・バイ・ミー 』などの古典的な作品に比べて劣ると言わざるを得ない。

 

総評

2019年時点の小学校高学年や中学生が観ると、どのような感想を抱くのだろうか。理不尽さとバイオレンスで、途中で観るのをやめてしまうような気がする。だからこそ、アニメーションにして続編を作るのだろう。そして、「ぼくらシリーズ」の持っていた一種の反骨心を現代風に味付けし直すのだろう。本作は懐古趣味をくすぐる出来であったが、さすがに不惑になって観ると粗が目立つ。だが、復習鑑賞してみる価値も色々と見出せた。まずは既に公開されている続編アニメを観に行くのが楽しみになったという意味では、良い作品なのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s talk it out.

佐野史郎が言う「話し合おうじゃないか」の私訳。基本的にtalkとくれば、

talk about ~   ~について話す

talk to / with ~   ~と話す(会話する)

だが、

talk it out = 話し合いで結論を出す、話し合いで決着をつける、不満や納得いかないことについて語り合う

という使い方をすることもある。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, 佐野史郎, 大地康雄, 宮沢りえ, 日本, 監督:菅原比呂志, 笹野高史, 賀来千香子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

Posted on 2019年12月26日 by cool-jupiter

ヤング・アダルト・ニューヨーク 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベン・スティラー ナオミ・ワッツ アダム・ドライバー アマンダ・セイフライド
監督:ノア・バームバック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191226131848j:plain

 

『 マリッジ・ストーリー 』の脚本および監督も手掛けたノア・バームバックとアダム・ドライバーのタッグ作品。確か、嫁さん(当時はまだ結婚していなかったが)だけが劇場鑑賞して、Jovianは観る機会を逸した作品だった。『 スター・ウォーズ 』のシークエル三部作のアダム・ドライバーは一貫して素晴らしいパフォーマンスだった。今後も彼の出演作はマークして行こうと思う。

 

あらすじ

映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は子どものいない夫婦。ジョシュは8年がかりでドキュメンタリーを制作中だったが、出口が見えない。そんな時、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・セイフライド)の20代夫婦と出会う。若いのにレトロな生活を送る二人に刺激を受け、ジョシュは生活にハリが出てきたと感じるが・・・

 

ポジティブ・サイド

悩める中年のベン・スティラーと怖いもの知らずの若者のアダム・ドライバーの対比が映える。40歳を過ぎたところで、自分がなにがしかの仕事を果たせていないことへの焦燥感、子どもを持てていないこと、妻の父が自分よりも遥かに業績を残した映画監督であること、ジョシュのカメラ・オペレータに給金すら出せないこと、そして自分の老いとなかなか向き合うことができず、新しいツールに飛びつくことで、若さにしがみつこうとする。なんともいたたまれない気持ちにさせられる。何故なら、Jovianはベン・スティラー演じるジョシュの行動(それらの多くは無意識にとられている)の多くを、そのまま理解できるからだ。時間と英語力のある方は【 This exactly what’s wrong with this generation 】という動画を13:18時点からご覧頂きたい。そして『 エニイ・ギブン・サンデー 』でアル・パチーノがジェイミー・フォックスらに語った言葉、“When you get old in life, things get taken from you. That’s part of life. But you only learn that when you start losing stuff.”についても考えてみて頂きたい。ジョシュは「膝が痛い」と言う。「自分はまだ44歳と若いのに、なぜ関節炎になるのだ?」と。Jovianも最近、老眼が始まったようである。だが、そうと分かるまでには時を要した。「なぜ自分の目の調子がおかしいと感じられるのだ?目が何かおかしいということ自体がおかしい」と。とにかく、この物語におけるベン・スティラーの仕事、夫婦および家族関係、友人関係(の痛々しさ)は、アラフォー男性に刺さる。特にナオミ・ワッツ演じる妻コーネリアとの夫婦喧嘩は『 マリッジ・ストーリー 』のスカジョとアダム・ドライバーのそれに迫る迫力である。

 

対になるアダム・ドライバーも味わい深い。若いに似合わず古風な生き方を好む好青年なのだが、その実態は情け容赦のない捕食者であり侵略者である。だが不思議なことに、このジェイミーというキャラクターの言動は常に一貫している。彼自身に善悪があるのではなく、周囲の人間、特にジョシュがジェイミーというキャラクターの邪悪さに気付いても、ジェイミーの言動に変化は見られない。『 もしも君に恋したら。 』では、嫌味なクソ野郎に見えて本当は良い奴だったが、その時もアダム・ドライバー演じるキャラクターの言動に変化はなかった。変化したのは、彼とガールフレンドの関係だった。映画ではキャラクターはしばしば変化する。それは成長するからもしれないし、あるいは堕落する、場合によってはダークサイドに堕ちることもあるだろう。『 パターソン 』でも顕著だったが、変化しないキャラを演じさせれば、アダム・ドライバーは当代で一番なのかもしれない。(だとすれば『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は・・・)

 

老いと若さの単純な二項対立のドラマではない。若さの中に老獪さ、老練さが隠れていれば、老いゆく中にも若さへの自信がある。大切なことは、自分で自分をどう形作るのか。そして、他人に自分をどう形作ってもらうのかだ。ダメダメな邦題が多いが、本作の原題“While We’re Young”が『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』と訳されているのは、悪いセンスではないと思う。

 

ネガティブ・サイド

アマンダ・セイフライドの見せ場が少ない。というよりも、ナオミ・ワッツとの年齢的な対照があまり描かれていなかった。邪悪な夫に対して、小悪魔な妻・・・ではなく、倦怠期の妻になってしまっている。それも若さの対比かもしれないが、「子どもを持つ」ということに対する考え方を軸に、コーネリアとダービーのコントラストを描き出すことはできなかったのだろうか。

 

クライマックスのジョシュとジェイミーの対話劇が少々弱い。コーネリアの父の寵愛を巡る闘争の一環なのだが、これを舞台劇風に料理してしまうのは迫力に欠けた。もっと映画的なアプローチはなかったか。例えば、テーブルをはさんで延々と言葉を交わし合うのではなく、スマホで写真や動画を見せながらだとか、ホームページの記述を相手に読ませたりだとか、ジョシュがジェイミーを探ろうとしてきた努力を、もっと目や耳に訴える形で披露できなかったか。そして、それを60代の義父には理解されず、20代のジェイミーに一蹴されるというシークエンスの方が、絶望感はより深まったはずである。

 

エンディングは意味深である。というよりも、余りにも露骨に示唆的である。邦画の『 ミュージアム 』のエンディングにも同じくどさを感じたが、本作のラストの示すところは救いがない。もっとニュートラルな余韻を残してほしかったと切に思う。

 

総評

視点をどのキャラクターに置くかで観る側の印象は相当に異なるのではないか。Jovianは年齢的にどうしてもジョシュ視点で観てしまうが、劇場公開時に一人で鑑賞した嫁さんは、ジョシュの友人男性ひとりを除けば、男性キャラには誰にも好感を抱かなかったという。観る者の性別もきっと影響するだろう。もしかしたら20年後、Jovianが60歳を迎えた時に見直せば、新たな発見があるかもしれない。そんな予感を持たせてくれる作品であるが、まさに子育て中という世代は、エンディングに納得するかもしれないし、または毛嫌いする可能性も大いにある。映画ファンであれば、話のタネにどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is key.

ジョシュが投資家に自分のプロジェクトを説明する時に言う。「これが鍵だ」の意。話のカギになるポイントの前にこう言おう。keyの前にはaもtheも不要。あっても良いし、なくても良い。この“This is key”は【 How to gain control of your free time 】というTEDトークの動画でも聞くことができる。英語プレゼンなどで機会があれば使ってみよう、

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ドライバー, アマンダ・セイフライド, アメリカ, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, ベン・スティラー, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

Posted on 2019年12月23日2020年9月26日 by cool-jupiter

カツベン! 30点
2019年12月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾
監督:周防正行

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191223010344j:plain
 

成田凌は個人的にかなり買っている。出演作の多さとパフォーマンスの高さから、2018年の国内最優秀俳優の候補にも考えていた。本作ではどうか。素晴らしい演技だった。しかし作品としてはダメダメである。

 

あらすじ

時は大正。染谷俊太郎と栗原梅子は、活動写真館に潜り込んでは活動写真を楽しんでいた。しかし、俊太郎はキャラメルを万引きしたことで捕まってしまう。時は流れ、俊太郎(成田凌)は泥棒一味の中でニセ活動弁士になっていた。アクシデントからカネと共に足抜けを果たした俊太郎は、正道に立ち返るべく、青木館という活動写真館に住みこみで働き始めるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191223010403j:plain

 

ポジティブ・サイド

今年の夏、大阪でJAZZ講談を聞いた時、玉田玉秀斎氏の話芸に驚嘆した。日本には数百年にわたる噺の伝統があり、それが外来の活動写真と結びついたのは必然であったとも言える。そこに周防監督が目を付けたのには、おそらく2つの事由がある。

 

一つには、映画と人々との関わりの変化である。『 アバター 』あたりから少しずつ、しかし本格的に興隆し始めた3D映像体験、IMAXやドルビーシネマといった映像や音響技術の進歩、さらに4DXやMX4Dといった視覚や聴覚以外の感覚にも訴える映画体験技術の導入と普及、さらにイヤホン360上映など、映画館や劇場という場所でしか提供できない価値が生み出されている。ケーブルテレビやネット配信など、映画と人々との距離や関わり方は過去10年で劇的に変化した。今一度、映画の原点を振り返ろう、そして日本の映画が世界的にも実は相当にユニークなものであったという歴史的事実を再確認しようという機運が、映画人たちの中で盛り上がったことは想像に難くない。

 

もう一つには、技術の進歩によって仕事を奪われることになる人間の悲哀の問題である。歴史的な事件としてのラダイト運動や、映画『 トランセンデンス 』のような科学者襲撃事件が起こる可能性は高いと思っている。AIが将棋や囲碁のプロを完全に上回り、レントゲンなどの画像の読影でも専門医を凌駕するようになった。今後10年、20年で消える職業も定期的なニュースになっている。また、RPAにより定型的な事務作業のほとんどが代替される時代も目前である。活動弁士だけではなく、映写技師や楽師といった職業がかつて存在し、映画という媒体の黎明期を支えていたという事実を顕彰することには意義がある。そこになにがしかのヒントを見出すことが、現代人にもできるはずである。

 

成田凌は2018年から2019年にかけて最も伸びた俳優の一人である。それを支える永瀬正敏や音尾琢真は(最後の最後を除いて)素晴らしい仕事をしたと思う。ポジティブな面は以上である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191223010425j:plain
 

ネガティブ・サイド

本作は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』と同じく、一部の役者の演技力に頼るばかりで、プロットの面白さや細部のリアリティが突きつめられていない。非常に残念な出来である。

 

まず、関西人以外が作った、あるいは関西人以外が演じた役者の関西弁というのは、どうしてこれほど下手くそなのか。下手くそという表現が過激ならば、稚拙と言おう。大俳優の小日向文世にして「 血ぃは争えんな 」を「 地位は争えんな 」と発話してしまっている。関西弁は一文字語をしばしば伸ばして発音する。「 目 」は「 目ぇ 」、「 手 」は「 手ぇ 」、「 胃 」は「 胃ぃ 」、「 蚊 」は「 蚊ぁ 」となる。この時、抑揚はつかない。語尾に来る小文字の音程は前音のままとなるのが絶対的ルールである。関西以外の人はテレビなどで関西人の喋りに耳を傾けて頂くか、あるいは身近な関西出身者に尋ねてみて頂きたい。

 

また、最終盤で音尾琢真もやらかしている。ネタばれにならないと思うので書いてしまうが、「 手間かけやがって! 」という謎の日本語を吐く。文脈によってはこれも正しくなるだろう。たとえばお弁当箱を開けてみると、非常に凝った食事が入っていた時などは、弁当の作り手に感謝をこめて「 手間かけやがって 」と言うことはありうる。しかし、この場面は違う。正しい日本語は「 手間取らせやがって! 」か「 手間かけさせやがって! 」である。脚本段階のミスか?それとも、撮影段階に気付かなかった監督はじめスタッフのミスである。『 旅猫リポート 』でも不可思議な日本語があったが、邦画の世界にまで日本語の乱れが広がっているのだろうか。憂うべきことである。

 

大正時代の雰囲気を出そうと頑張っているのは分かるが、細部にリアリティが宿っていない。まず街が清潔すぎる。舗装されていない往来を人や自転車や大八車や自動車が行き交えば土ぼこりも舞う。しかし建物や看板がどれもこれもあまりにもきれいすぎる。作り物感がありありである。また、ネタばれにならない程度に書くが、当時の火消しや官憲がまったくの無能のように描かれているのは、いったい何なのか。現代の官憲の無能さを遠回しに揶揄する意図があるわけでもなさそうであるし、火消し=消防に周防監督はいったい何の不満があるというのか。

 

本作はコメディに分類されるべきなのだろうが、ギャグやユーモアに笑えるところが本当に少ない。タンス攻撃の応酬のいったいどこを笑えというのか。こういうのは吉本新喜劇の舞台のように、やりあう二者が同時に目に入ってこそ面白いのである。一回ごとにカットして場面転換しては面白さが激減してしまう。しかも、くどい。笑いというのは一瞬で喚起されるべきもので、何度も何度も同じことを繰り返して笑わせる手法というのは、故・島木譲二以外が使ってはいけないのである。

 

キャラクター造形もおかしい。俊太郎が活動写真の撮影に割り込むのは、子どものすることなので許せないこともない。しかし、万引きはれっきとした犯罪で、長じてから泥棒一味に加わることに違和感はない。問題は、「自分は騙されたのだ」という俊太郎の被害者意識である。『 ひとよ 』の斎藤洋介の言を借りるまでもなく、万引きは小売業の天敵である。俊太郎の幼少期の万引き常習者という背景は不要である。普通に梅子が引っ越していく。俊太郎はその後、騙されて泥棒の片棒を担がされる。どうしてこのような流れにならなかったのか。これで充分に納得できるはずだし、カネを奪って逃げたのも咄嗟のことで魔が差してしまったで説明できるはずだ。小さな頃から泥棒というのは、キャラクターの高感度を著しく下げるだけで、逆効果である。

 

クライマックスのカメラワークにも不満が残る。活動写真ではなく弁士や楽士のアップをひたすら映す意図がよくわからない。時代に翻弄された職業人たちであるが、これはドキュメンタリーや伝記ではないだろう。映すべきは彼らの仕事=彼らの遺産たる活動写真とそれを鑑賞、堪能する観衆たちとの一体感ではないのか。個々人の顔面を延々と映し出すことに芸術的な意味も娯楽的な意味も見出せない。本当に訳が分からないクライマックスである。

 

総評

『 それでもボクはやってない 』はまぐれだったのか。周防監督の手腕を疑問視せざるを得ない。成田凌のファンでなければ、チケット代と2時間をつぎ込む価値は認められない。時代の転換点に映画はどうあるべきかを考えるきっかけを与えてくれはするものの、それに対して一定の答えを出しているわけでもない。残念ながら駄作と評価せざるを得ない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let me do it.

俊太郎の言う「俺にやらせてください」の英訳である。Let は「させてやる」の意で、ビートルズの名曲“Let it be”やアナ雪主題歌“Let it go”でもお馴染みである。また『 ロケットマン 』でも“Don’t Let The Sun Go Down”が使われていた。つまり、よく使われる動詞ということである。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 成田凌, 日本, 永瀬正敏, 監督:周防正行, 配給会社:東映, 高良健吾, 黒島結菜Leave a Comment on 『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

Posted on 2019年12月22日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月21日 東宝シネマズなんば(MX4D・3D・字幕版)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191222162023j:plain

 

『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。けれど、おとぎ話の世界は残る。劇中のとあるキャラクターではないが、“記憶”の中に美しいイメージを残しておきたいと思う。なので二度目の鑑賞では、楽しめた点と疑問に思った点を整理したい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191222162055j:plain


 

以下、マイルドなネタばれあり

 

  • 楽しめた点

『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』で、“自分にとってのスター・ウォーズとは、John Williamsの音楽とドロイド、ミレニアム・ファルコン号の三者から成るものである”と認識することができたが、その思いは今でも変わらない。様々なクリーチャーも魅力的ではあるが、やはりドロイドだなと思う。R2-D2、C-3PO、BB-8といった魅力的な面々にD-Oというマスコットが加わった。『 最後のジェダイ 』のポーグも悪くないが、やはりドロイドである。

 

また、ミレニアム・ファルコン号の活躍はもちろんのこととして、ラストの大団円でXウイングとファルコン号が対話をしていたように感じられた。

 

ファルコン「 久しぶりだな。えらいボロボロじゃねーか 」

Falcon: “Been a long time, dude. You’ve become a peace of junk.”

Xウイング「 人のことは言えないだろ、お前 」

X-Wing: “Damn you, Look what you look like.”

 

宇宙船というのも、『 スター・ウォーズ 』世界に欠かすべからざる重要なガジェットである。その宇宙船たちの発する声にも我々は耳を傾けるべきだろう。

 

『 スター・ウォーズ 』映画に皆勤しているC-3POの台詞から毒々しさが薄まって。ユーモアが強まった。あらゆるクリーチャーやドロイドとコミュニケーションを取ることが可能なこのドロイドは、グローバル化しつつある世界におけるコミュニケーションの在り方を示唆しているように思えてならない。

 

この完結作は、これまでの『 スター・ウォーズ 』の要素を随所に取りこんでいるが、基本的には『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のリメイクであると言える。

『 用心棒 』が『 荒野の用心棒 』や『 ボディガード 』になったようなものである。したがって基本的な意味で新しさはない。それをどう評価するかは人による。Jovianは普段は鵜の目鷹の目で映画を観てはいるものの、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話だと思っている。おとぎ話の中身をあーだこーだと精査してもしょうがない。楽しむのみである。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』に出てきたような、極端なまでの naysayer にはなりたくない。彼ら彼女らはシスである。J・J・エイブラムスが、今作で無理やりとも言えるストーリーのまとめ方を選んだのは、そうした人々への意趣返しなのだろう。個人的には拍手喝采を彼には送りたいと思っている。

 

レイのキスについて。賛否両論どころか否の意見が全世界的に渦巻いているが、Jovianは一度目の鑑賞では???、二度目の鑑賞では「これもありだろう」と思えるようになった。一つには、ジェダイは恋愛禁止であるということ。これは取りも直さず、ジェダイの終焉を意味している。ハン・ソロと結婚し子どもも生んだレイア・オーガナは、フォースを使うことはあっても、ジェダイとは決して名乗らなかった。もう一つには、この完結作では“Two That Are One”=「二つで一つ」がテーマにもなっている。光と闇、陰と陽(男と女)、ジェダイとシス。レイが見つめる先の二つの太陽は、かつてはルークとレイアの象徴だった。レイはジェダイの志を受け継ぎながらも、自分探し=自分のパートナー探しを夢想しているのだと考えれば、それもおとぎ話の終焉にふさわしいだろうと個人的には思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191222162131j:plain

  • 疑問点

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』で焼かれたはずの聖なるジェダイ・テキストが何故ファルコン号に積み込まれていたのか。その説明は、少なくとも二回見た限りではなかった。

 

同じく『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のカント・バイトでは、武器商人たちがファースト・オーダーとレジスタンス、両方に兵器・武器の類を売っていることが皮肉たっぷりに描かれた。であるならば、あれほど巨大な規模の艦隊を構成するのには、文字通り天文学的なカネが動いているはず。それを誰も察知できなかったというのか。

 

翻訳のミスのようなものも見受けられた。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』劇場版ではカイロ・レンの“The one from the village”が、「あの村の出身」という、トンデモ誤訳になっていたが、今作でも皇帝パルパティーンの

 

“I made Snoke.”

 

という台詞が

 

「 スノークは余の作り出した幻 」

 

という訳になっていた。その一つ前にレジスタンスの科学者が、闇の科学やらクローン技術(『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』への言及か)やらシスの秘術やらに触れていて、なおかつカイロ・レンがエクセゴルで死者を蘇らせようとしている、あるいは死者から生者を培養しようとしている装置(『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のルークが入れられていたような装置そっくり)を見ているにもかかわらず、幻はないだろう。だったら、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のルークの秘術は何だったのか。ブルーレイでは間違いなく修正されるだろうが、それでは遅い。ここで“幻”などという訳語を選定した林完治氏の罪は重い・・・は言い過ぎか。だが、一定の責任を負うことは免れないだろう。

 

ポー・ダメロンの前身が少し明らかになったが、別に眉をひそめるものでもないだろう。ハン・ソロとチューバッカの方がはるかに悪者でならず者だった。キジーミの存在は否定しないが、このサブプロットは少々ノイズ気味である。

 

MX4Dで鑑賞してみたが、水しぶきが思ったほどではなかった。もちろん、一回当たりにシートに貯蓄可能な水量や、あまりにも観客を濡らしてはクレームが出るなどの懸念もあるだろう。しかし、フォースが距離を超えて、互いに物理的に作用しあう領域まで来ているのだから、荒れ狂う海に囲まれたデス・スターの残骸上でのレイとレンのライトセーバー・バトルでは、もっと激しく水しぶきを出してほしかった。まあ、これは映画ではなく劇場への注文か。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191222162201j:plain

 

総評

海外のレビューサイトやプロ・アマの批評家は、本作におおむね厳しい評価を下している。だが、かつての、旧世代の『 スター・ウォーズ 』ファンも、プリクエル三部作には厳しい評価を下していたが、新世代ファンにはそのことが理解できなかった。『 スター・ウォーズ 』をどう評価するのか。それは自分の幼年期にどのように向き合うのかとも言い換えられるだろう。そうした意味では、大人になり映画批評を職業にしてしまうと、子どもの頃のような接し方が難しくなる。何度でも言うが、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話である。それが娯楽作品や芸術作品として高く評価されているが、本質的にはおとぎ話なのである。鑑賞においては、このことを念頭に置かれたし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191222162220j:plain

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll finish what he started.

レイがルークの後を継いで、とある人物を探すミッションに出る時の言葉である。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがベイダーのマスクに“I’ll finish what you started.”と誓っていた台詞と同じ構造である。【 what S + V =SがVするもの・こと 】である。

 

what I like =私の好きなもの

what I hate about this film =この映画で私の嫌いなもの

what they want to get =彼らが手に入れたがっているもの

what she has to fight for =彼女がそのために戦うもの

 

whatという関係代名詞は日常会話でもビジネスでもバンバン使うので、マスターすることは必須である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142152j:plain

 

『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。そして批評家やファンの評価は割れている。それはとても良いことだと思う。なぜなら、好きな人はとことん好きになれて、好きになれない人には決して好きになれない。これはそんな物語だからである。Jovianは、これを素晴らしいフィナーレであると感じた。少年時代に帰れた、おとぎ話の世界に戻れた。そのように感じたからである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142239j:plain

あらすじ

死んだはずの銀河皇帝パルパティーンが復活した!ファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レン(アダム・ドライバー)は、銀河の覇権を争う相手としてパルパティーンと対立。彼を追っていた。一方、レイ(デイジー・リドリー)は来る最終決戦に向けて、レイアから課された修行に励んでいた・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142323j:plain

 

以下、ネタばれ部分は白字

 

ポジティブ・サイド

人によってはこれら全てをネガティブに捉えるのだろうが、Jovianはポジティブに捉えた。すなわち、本作はエピソード1、2、3、4、5、6、7、8のごった煮である。なおかつ『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』や『 ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー 』の要素まで盛り込まれている。どこかで見た風景、どこかで見たキャラクター、どこかで見たプロット、どこかで見たイベント、どこかで見た光と影のコントラスト、どこかで見たカメラアングル、どこかで見たガジェット。それらがジョン・ウィリアムズの音楽と共に観る者に迫ってくる。それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは各人の自由である。

 

新しい要素に全く欠けるのかと言えば、さにあらず。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』がフォースの新たな地平を開拓したように、今作もフォースのさらなる可能性を追求した。しかも、それがミディ=ファッキン=クロリアン的な要素を持ちあわせている。それを受け入れられた自分に驚いている。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』に散りばめられていたユーモアの要素と『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』の恐怖の要素が適度な割合で配合されているところでも、J・J・エイブラムス監督の手腕を称賛したい。オリジナル三部作とシークエル三部作が見事に地続きになっている。『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』で、パルパティーンがルークを暗黒面に誘った時よりも、遥かに強い誘惑をレイに対して行う。愛する者を救うために負の感情にその身を任せよという誘引は、プリクエル三部作、特に『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』が放った強烈なメッセージだった。それがパワーアップして帰ってきた。しかも、確たる意味を伴っている。ずっと謎に包まれてきたレイの出自と絡めた、絶妙の演出である。

 

そのレイをレイアがトレーニングするというアイデアも良い。前作ではカリスマ的な指導者から、ジェダイにしてフォースの使い手であることを体現した。そして演じるキャリー・フィッシャーの死そのものまでも物語に組み込むという大胆不敵なプロットに、フィッシャーはきっと満足しているに違いない。

 

エンディングは涙なしに見ることはできない。『 スター・ウォーズ 』を愛した全ての人は、それぞれに思い入れのある風景を持っていることだろう。だが、J・J・エイブラムスとJovianはこの点で波長が完全に合っていた。『 スター・ウォーズ映画考および私的ランキング 』で、自分にとっての『 スター・ウォーズ 』の原風景を語ったが、J・J・エイブラムスも同じだったようだ。光と闇、陰と陽、ジェダイとシス、そしてスカイウォーカー家のサーガは、見事な円環と共に閉じた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142354j:plain

 

ネガティブ・サイド

なぜ2時間22分なのだろうか。きりよく2時間30分の物語にできたはずである。もっともっと語られるべきことを、徹底的に語り、見られるべきものを見せて欲しかった。

 

パルパティーン復活の経緯が完全に不明である。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』の最後に、ヨーダとメイス・ウィンドゥは「シスは常に師匠と弟子の二人」と語っていたが、スノークとパルパティーンの関係をこれで説明してもよかったのではないだろうか。

 

新キャラに元トルーパーが出てくるが、最終盤にランドが引き連れてくる大援軍に元トルーパーの脱走兵らがいれば、なお良かったのだが。存在していたが、編集でカットされたのだろうか。

 

カイロ・レンの物語も見事に閉じるが、母レイアとのツーショットはついに実現せず。これはブルーレイの特典映像、もしくはディレクターズ・カットに収録されるのだろうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142912j:plain

 

総評

“スカイウォーカーの夜明け”という副題は、実は正しかった。なるほど、そうだったのかと感じた。日は沈むが、また昇る。それこそがフォースにバランスをもたらすということなのかもしれない。様々な物語の予感を残しつつも、一つのおとぎ話が幕を下ろした。けれども、少年時代の感動は消えないし、これからも、その“記憶”は続いていく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220142933j:plain

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid of who you are.

be afraid of ~ =~を恐れる、である。レイアはレイに「自分が何者であるかを恐れるな」と伝える。ヨーダは

 

“Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.”

 

と語った。レイは恐怖に屈しなかった。be afraid of ~という表現自体はそこまで大仰なものではない。I am afraid of dogs. = 私は犬が恐いんです、のように日常会話レベルで頻出する。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter

殺さない彼と死なない彼女 70点
2019年12月19日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:間宮祥太朗 桜井日奈子 恒松祐里
監督:小林啓一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220002150j:plain
 

鷲田清一みたいな感想を持ってしまったが、確かに本作では、各キャラクター達が死なないでいる理由を追い求めていく。プロットにもちょっとした仕掛けもある。若者から中年まで幅広い層が劇場に足を運び、なかなかの入りだった。終盤ではかしこですすり泣きが聞こえた。この作品で泣けるのは、間違いなく若者である。そして、それは良いことだ。

 

あらすじ

留年高校生の小坂れい(間宮祥太朗)は、ふとしたことからリストカット常習者の鹿野なな(桜井日奈子)に興味を持つ。「殺すぞ」、「死ね」、そんな言葉を掛け合う二人だったが、いつしか二人の時間がとても愛おしいものになっていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220002207j:plain

 

ポジティブ・サイド

原作者の世紀末は、角川文庫から出ている『 死なないでいる理由 』(著者:鷲田清一)を読んだのだろうか。それとも、人間の生と死を考察していくと、誰でもこのような思考にたどり着くものなのだろうか。哲学的に非常に深い問いの答えを、高校生たちの不器用な友情や恋愛未満といった関係を描写することで呈示しようとしている。小林啓一監督はかなりの手練れである。

 

「殺すぞ」だとか「死ね」といった過激な言葉を使ったことのない者はいないだろう。軽口のつもりで言うことがほとんどだろうし、本気で言ってしまったこともあるだろう。ただ、我々がこのような攻撃的な言辞を弄する時、ほとんどの場合は本気ではない。職場の上司や同僚がむかつく、だから「死ね」と思うことはあっても、本当に死んでほしいと心から願っているわけではない。むしろ、近しい関係だからこそ、そのような言葉を使うことができるという見方も可能である。一方で、我々はニュースで凶悪犯罪が報じられたりすると、「こんなことをする奴は死刑だ!」などと簡単に他者の死を願う。劇中でも触れられるが、遠くの人間の死、数の多過ぎる死は、我々にとって意味を成さない。「今、この瞬間にも飢えで亡くなる人がいるのです」と言われても、ピンとこない。鹿野ななは、そこに想いを馳せることができる貴重な人間である。そんな鹿野に興味を持てるれいもとても人間味にあふれた人間である。

 

本作の登場人物たちは、びっくりするほどテキストによるコミュニケーションを行わない。つまり、LINEやメールをしないのだ。「こいつら、本当に高校生か?」と思わされるが、それもまた小林監督の計算である。彼は東浩紀の『 郵便的不安たち 』を読んでいる。間違いない。携帯、さらにスマホによりコミュニケーション手段はより確実に、より強固になった。にも関わらず、我々は未読や既読スルーに悩まされるようになった。コミュニケーションが郵便的なのだ。手紙が届いたのかどうか、その不安により強く悩まされているわけだ。対面での、声によるコミュニケーションに徹底的にこだわっているのが本作の特徴である。

 

カメラワークも多くを語っている。ロングのワンカットがこれほど多用されている邦画は珍しい。特に桜井と間宮は、何かを食べているシーンばかりなので、NG → リテイクを繰り返せば、確実にカロリーオーバーだっただろう。また、キャラクターたちが一人の時は後ろから、二人の時は前から撮るというポリシーが、ほぼ全編を通じて貫かれている。一人の時は誰かを求めて前に進む。二人の時には、その後ろの道、つまり共に歩んできた時間が見える。そう言っているかのようである。

 

本作はオムニバス形式で進んでいく。きゃぴ子と地味子の女の友情、撫子と八千代の一方通行の恋が、それぞれに思わぬ形で「彼」と「彼女」の物語と関わりを持っている。人と人が関わること、その意義をこれほどまでに陳腐な手法で、これほどまでに深く、鋭くえぐり出した作品はちょっと思いつかない。2019年の邦画の中でも白眉の一つである。

 

ネガティブ・サイド

間宮祥太朗の演技に悪いところは見当たらないが、キャスティングにかなり無理がある。留年しているという設定にしても、高校生は無理がある。彼は悪い役者ではないが、本作では少々苦しかった。

 

八千代のキャラクターがイマイチだ。演じるゆうたろう自身も『 3D彼女 リアルガール 』と、何も変わっていないように見えた。また、八千代というキャラ自身が心の内に抱えているものも『 空の青さを知る人よ 』の某キャラと同じだった。どんな因果を抱えているのかと思っていたが、それならそれで自分なりに動いているということが分かる演出が欲しかった。八千代はあらゆる意味でがきんちょであった。

 

意識的か無意識になのかは不明だが、『 君の膵臓をたべたい 』と構成がそっくりである。それは長所でもあり短所でもある。しかし、本作の終盤は暗転 → 場面転換の繰り返しで少々ダレてしまう。非常に良い余韻を残すエンディングであるが、そこに行くまでに中だるみがあるのが残念である。

 

総評

『 ママレード・ボーイ 』で可もなく不可もなかった桜井日奈子が、これほどの成長を遂げているとは驚きである。可愛いだけの処女漫画的なキャラではなく、確かに息をして生きているキャラを具現化した。生きるということは、誰かと関わることであるというテーマを、近年では最も鮮烈に表現した邦画である。劇場で公開しているうちに観るべし。例え見逃しても、レンタルや配信で観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Die!

「死ね!」を直訳するとこうなる。実際に戦争映画では戦闘機や爆撃機のパイロットや戦車の砲撃手、狙撃兵などがしばしばこの台詞を呟いたり叫んだりする。日常で使うべきではない言葉だが、本作鑑賞後にこの言葉の意味に今一度想いを馳せてみて頂きたい。

 

また、本作に刺激を受けた、本作に考えさせられたという向きには鷲田清一の『 死なないでいる理由 』と東浩紀の『 郵便的不安たち 』をお勧めしておく。

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 恒松祐里, 日本, 桜井日奈子, 監督:小林啓一, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ポニーキャニオン, 間宮祥太朗Leave a Comment on 『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

『 チア男子!! 』 -This film will cheer you on-

Posted on 2019年12月19日2020年4月20日 by cool-jupiter

チア男子!! 60点
2019年12月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 中尾暢樹 唐田えりか
監督:風間太樹

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191219173412j:plain

 

たしか梅田ブルク7で上映していたが、タイミングが合わず見逃した。『 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 』と同じく、実話に基づいているらしい。ストーリーは同工異曲だが、男女の差以上のシリアスな背景もあり、思った以上に見応えのある作品に仕上がっていた。

 

あらすじ

晴希(横浜流星)は柔道で肩を負傷してしまう。柔道から離れた晴希は、柔道仲間の一馬(中尾暢樹)の誘いで、大学で男子チアリーディング部を立ち上げることになった。大学で徐々に仲間を集めていく二人だったが・・・

 

ポジティブ・サイド

女性の社会進出が叫ばれて久しいが、女性の聖域的な分野に男性が進出することも必要だろう。日本の航空会社の客室乗務員は99%女性であるが、海外の航空会社では客室乗務員の20~30%は屈強な男性である。日本が他国の水準に追いつくのはいつになるのか。そう思っていたところに、本作である。これにより男子チアリーディング部が存在することを知った。固定概念に囚われなかった若者がいたということに、なぜだか胸が熱くなる。

 

まずは俳優陣がしっかりと側転からのバク転をできるようにトレーニングしてきたこと、さらに技の名前を忘れてしまったが、人間を空中に放り投げて受けとめる技を本当にやっているらしいことに驚かされた。主演の片方の中尾暢樹は『 一礼して、キス 』という恐ろしいまでの駄作でクソ不自然でクソつまらないキャラを演じていたが、今作では素直な笑顔がチャーミングな好青年を無難に演じていた。

 

もう一人の主役のキラキラネームならぬデコトラネームの横浜流星は『 虹色デイズ 』ではどこかシニカルな高校生がまあまあ似合っていたが、本作でも心にモヤモヤを抱えた大学生を好演。外見から来るイメージとのギャップを上手く活かせるようになってきたか。

 

学校という閉鎖空間では、しばしばカースト制度が生み出される。大学によっては所属学部や部活、サークルによって階級が決定されることが多い。その中でも男子チアリーディングというのは異端だろう。チアを通じて育まれる友情、チアを通じて亀裂が入る人間関係。そしてチアを通じての成長とチアを通じての葛藤。非常にベタではあるが、それぞれのメンバーが個性的な背景を持っていることで、単なる部活以上のストーリーに仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

実話に基づいているとはいっても、ある程度の美化や演出は許容範囲だろう。たとえば柔道のバックグラウンドを持つ晴希や野球経験者のイチローや野球とサッカー両方をやっていたゲンたちが、チアの練習中に一言も自身のスポーツ経験とチアを比較するような言葉を発さないのは不自然だった。晴希には猫背になる悪癖があるが、これは柔道ではアドバンテージになるのだろうか、それともディスアドバンテージになるのだろうか。いずれにせよ、チアリーディングとはどのようなものかを詳しく知っている人間の絶対数は圧倒的に少ない。観る側にチアとはどんなものなのかを見せるだけではなく、簡潔明瞭に語る努力があっても良かったのではないか。

 

また男がチアリーディングをするというのはこれまでの常識に反しているが、それを揶揄してくるのがもっぱら男連中であることも気になった。普通は、「女の世界に男が入ってくるな!」と思う女子も一定数必ず存在するはず。男子チアをいいように利用しようとする女子だけではなく、男子チアに普通に反発する女子も描いた方が、より自然に感じられたと思う。

 

チアのパフォーマンスに全体的に華がない。怪我のリスクのある技というのは確かに見応えがあるが、それ自体が見せものになってしまっている。チアとは応援なのだから、学祭の一環ではなく、スポーツイベントや、色々と絡んできたテニスサークルの応援などで魅せてくれた方が、チアの本質により迫ることができたのではないだろうか。

 

後は関西弁をもっと勉強および練習しろと一部キャストに言いたい。アニメ『 じゃりン子チエ 』の中山千夏を見習うべし。

 

総評

悪い作品ではない。男同士のぶつかり合いが、エゴの衝突になっていない。主役連中だけではなく脇役連中にも充分なスポットライトが当たっている。広瀬すずや中条あやみのへそ出しの次には、こちらを鑑賞してみよう。共通点や相違点が浮かび上がって、なかなかに興味深い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m not into beating someone.

晴希が言う「俺、誰かに勝つのって好きじゃないんだ」という台詞の私訳である。好き=likeと単純に考えてはいけない。 be into ~で「~が好きである」、「~にはまっている」などのような意味となる。勝つ=winだが、win someoneというコロケーションは基本的には存在しない。win someone overやwin agaist someoneならば可能。晴希には柔道のバックグラウンドがあるので、beat=倒す、という動詞を選択してみた。

 

I’m into cooking.

My wife is into yoga.

 

色々と自分なりに表現をしてみよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, スポーツ, ヒューマンドラマ, 中尾暢樹, 唐田えりか, 日本, 横浜流星, 監督:風間太樹, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 チア男子!! 』 -This film will cheer you on-

スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年12月18日2020年1月16日 by cool-jupiter
スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

趣旨は『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』と同じである。だが、多くの人にとってそうであるように、『 スター・ウォーズ 』はJovianにとっては特別な物語なのである。『 サッドヒルを掘り返せ 』でJovianは『 スター・ウォーズ 』を【おとぎ話】であり【昔話】であり【童話】であると説明した。だが、文学論的に言えば、

 

1.超自然的な要素がある

2.時代や場所を特定できない

3.王族が登場する

 

といったところから、『 スター・ウォーズ 』は本質的には【おとぎ話】に分類されるのだろう。自分にとっても映画の原体験の一つであり、極端に言えば人生にも影響を及ぼした作品が、もう間もなく完結を迎える。その前に、自分の頭と心を整理しておきたい。本稿はそうした試みである。

 

『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』

 

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 95点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

今でもよく覚えている。Jovianが初めて観た映画は、映画好きの父の影響もあり『 王様と私 』だった。そこで「エトセトラ」という言葉を覚えたが、それだけしか印象に残らなかった。次に観たのは『 オズの魔法使 』、そして次に観たのが『 スター・ウォーズ 』だった。当時はタイトルに他に何もなく、『 スター・ウォーズ 』だった。ちなみに次に観たのが『 ダリル D.A.R.Y.L. 』だった気がするが、正直なところ、『 スター・ウォーズ 』以降の映画作品については、古典ミュージカル作品以外は記憶があやふやである。

 

当時は6歳だった。その時はデス・スターへの潜入やブラスターの撃ち合い、ミレニアム・ファルコンのワープ、XウィングとTIEファイターの戦い、そしてオビワンとダース・ベイダーの電光剣(が当時のVHSの字幕だった)対決、そしてデス・スター爆破などのアクション・シーンに心を奪われて、何度も何度も観ていた。おそらく現在までにDVD、ブルーレイで20回以上は観ている。けれど中学生ぐらいだったろうか。ある時、ルークが二つの太陽の夕焼けをやるせない表情で眺め、そのBGMにジョン・ウィリアムズの“Binary Sunset”が流れるあの瞬間にルークと自分がシンクロした。兵庫県から岡山県に引っ越した頃、自分はあるべき場所におらず、なるべき自分になっていないと直感した。そんな自分も、未知なる宇宙に飛び出すことができる。まだ見ぬ冒険をすることができる。『 スター・ウォーズ 』はそんな予感を自分に与えてくれた。だからこれは誰にも当てはまらず、誰にでも当てはまる物語なのだろう。やはり、おとぎ話なのである。

 

VHSやレーザーディスクでリミテッド・エディションが販売され、当然のようにJovianの父も購入。しかし、デス・スターの爆発の様子が異なっている部分に大きな違和感を覚えたことを覚えているし、グリードーが発砲したりしたシーンでも???となった。DVDではハン・ソロの首が動いたところでギョッとしたのを覚えている。後年になって、『 スター・ウォーズ 』がおとぎ話であることに気付いたのは、これらの違和感や異物感からだった。シリーズが完結しても、おそらく最も多く見返すのは本作だろうと思う。

 

『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』

 

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

本作で思い出すのは、ミレニアム・ファルコンがひたすらにかっこいいということ。すぐに故障するボロ船でありながら、常にピンチを脱する。本作でC-3POが「訛りがひどい」と評したことで、ファルコン号は乗物からキャラクターに正式に進化した。

 

本作ではC-3POがバラバラにされるシーンでショックを受けた。というかトラウマになった。前作でもドロイドがドロイドに痛めつけられるシーンは存在したが、何故かあまり印象に残らなかった。

 

本作で最も強く心に刻まれたのは、ファルコン号内でのハン・ソロとレイアのキスシーンである。『 ロッキー 』で、ロッキーが自宅にエイドリアンを誘って、キスをするシーンと並んで、Jovianがこれまでに観てきた中で最もロマンティックなシーンだと思っている。これも小学生ぐらいの頃は映画の中の普通のワンシーンだった。それが中学生高高校生ぐらいになってくると全く異なるシーンに見えてきた。変わったのは物語ではなく、自分だったのだろう。

 

ダース・ベイダーの言う“I am your father.”は、その後のどんな推理小説のトリックにも、どんなミステリ映画のプロットにも優る衝撃を少年時代のJovianの心に与えた。ルークが右手を斬り飛ばされ、ハン・ソロが冷凍され、ヒーロー側が惨敗して終わり・・・というエンディングは、子どもだった自分に強烈なインパクトを残した。初めて観た時は、「早くこの続きを!」という焦りで頭がいっぱいになった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』

 

スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

ルークがパワーアップして、颯爽と帰ってきた。ハン・ソロも復活した。レイアも解放された。序盤の30分だけで満足した記憶がある。

 

地上と宇宙で同時進行する展開に、単身でデス・スターに乗りこむルーク。正式に反乱軍の将校になったハン・ソロとチューバッカにランド・カルリジアンらが、戦闘ではなく戦争をする。前作や前々作は、主人公側が逃げる展開がメインだったが、本作でようやく乾坤一擲の大勝負に出る。助っ人がイウォークというのも良い。惑星エンドアのローカル・クリーチャーでありながら、宇宙戦争に参戦する意気やよし。姿かたちや話す言葉が違っても分かり合える存在が宇宙にはたくさんいる。アクバー提督など、人間ではない生き物と連合する反乱軍に、アイデンティティに迷っていたJovian少年は自分を投影していたように思う。

 

多種多様な生き物を包括して組織される反乱同盟軍と一律にホワイト・トルーパー達で構成される帝国軍の対比は、現代の視点で見返してもコントラストが鮮やかだ。ジョージ・ルーカスは STAR WARS と題しながらも、決して戦争を描くことは望んでいなかったという。戦うことではなく耐えることでジェダイとしてのアナキン・スカイウォーカーを帰還させたルークは、自らの中で永遠のヒーローとなった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』

 

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 40点
出演:ユアン・マクレガー リーアム・ニーソン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か大学二年生の夏休みに劇場公開された時にすぐに観た。Jovianの母校は6月末から夏休みだったのだ。劇場で観た。そしてがっかりした。絶望したと言ってもいい。その理由の第一は、通商連合である。いきなりそんな現実世界と地続きの事象を説明されて、一気にシラケたことを覚えている。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」いきなりゼニカネの話。おとぎ話の世界が現実の経済の論理に侵食された瞬間であった。だが、これはまだ許せた。

 

最も腑に落ちなかったのはミディ=クロリアンである。『 スター・ウォーズ 』のファルコン号内で、オビ=ワンはフォースを銀河を結びつける力と説明した。それとミディ=ファッキン=クロリアンはどう考えても結びつかない。フォースの神秘性が失われて、一つの世界が音を立てて崩れ去っていくかのように感じた。

 

パドメ(替え玉)の衣装と化粧があまりにもけばけばしく、スター・ウォーズ世界で浮いているようにも感じたし、ジャー・ジャー・ビンクスはひたすらに気持ちが悪い。ジャー・ジャー以上に不快なのがグンガンの族長。パドメとの交渉でいちいち顔面をけいれんさせながら唾液をまき散らすことに何のartistic meritsがあるというのか。ジョージ・ルーカスがマーシアと離婚したことで暗黒面に堕ちた(正確に言えば、外部社会との接点が極めて小さくなり、クリエイティブ面で馬耳東風になってしまった)ことはよく知られているが、女性を必要以上に醜く描き、その顔面に唾を吐きかけてやりたいという欲望をそのままストレートに映像化してしまったジョージ・ルーカスは、まさにシスの暗黒卿になってしまったわけだ。そんな男の作品を評価するのは困難極まりないことである。

 

それでも若きオビ=ワンとその師クワイ=ガン・ジンとダース・モールとのライトセーバー・バトルは圧倒的なスペクタクルだった。褒められるところは、それぐらいだった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』

 

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 65点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か2002年7月3日にアメリカはロスアンゼルスで二番目に大きいと言われるモールの中のミニシアターで観た。2002年7月1日から7月7日まで親戚のところに逗留させてもらっていた。4~5割ぐらいしかリスニングできていなかったと思うが、最後のどぅーく―伯爵vsオビ=ワン&アナキンのライトセーバー・バトル、そして真打ヨーダとドゥークー伯爵のライトセーバー・デュエルのおかげで大満足で劇場を後にしたことを覚えている。

 

しかし日本に帰国後、あらためて劇場鑑賞して、「何だそりゃ?」と突っ込まざるを得なかった箇所も多数あった。ジェダイ評議会は動きが遅すぎる。“過激な交渉”で通商連合を封じ込めたパドメが過激な手段で報復されることなど予見できてしかるべきだし、護衛がひよっこのアナキン一人というのも、いかにも不自然だ。星図には何もない=そこには星が存在しない、という思考もクエスチョンマークだ。グーグル検索に引っかからない=検索対象が存在しない、とは普通は考えないだろう。誰かが情報を改竄したか隠蔽していると考えないあたり、ジェダイの騎士はかなりナイーブなようである。

 

それでもアナキンとパドメの逢瀬は美しくも健全な背徳感があり、ロマンスが盛り上がれば盛り上がるほどに悲劇の予感が強まっていく。このあたりも健全な結婚生活を送ることができていたジョージ・ルーカスが理想的な過去の心象風景を銀幕に投影したと考えられなくもない。

 

前作に続き、パドメが戦う姫を体現し、これでこそレイアの母親という印象を観る者に強く刻みつけた。青年アナキンを演じたヘイデン・クリステンセンも、ルーク・スカイウォーカーの父親というビジュアルを体現。ドロイド軍団とジェダイ軍団の大激突から、全面的な戦闘、そしてクライマックスの決闘シーンまでの流れだけならパーフェクトだが、ジャー・ジャー・ビンクスが懲りずにパルパティーンに権力移譲を発議。政治ネタをジャー・ジャーを使ってぶち込んでくるとは、ジョージ・ルーカスはどういう了見をしていたのだ?長所と短所、両方を兼ね備えた評価の難しい作品になってしまった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』

 

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 80点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

アナキンがダース・ベイダーになることは確定している。ならば、どのように暗黒面に堕ちていくのか。ルーカスはその答えを“愛”に求めた。より正確に言えば、愛を失うという恐れに求めた。素人の精神分析学的に言えば、ルーカスはマーシアの愛の喪失により、自らが暗黒卿になってしまった。そして巨万の富を築き、帝国とすら呼べる企業を作り上げてしまった。ジェダイ評議会とは、彼のような異端の映画製作者を認めようとしない既存のハリウッドの映画製作システム全体を象徴していたのだろう。

 

アナキンとドゥークー伯爵のリマッチ、オビ=ワンとグリーヴァス将軍のライトセーバー・バトルなど序盤から大チャンバラ活劇である。おとぎ話に政治的な要素は不要である。本作はとにかくバッタバッタとライトセーバーで敵も味方も斬っていくストーリーを堪能すべしである。孤高のオビ=ワンと孤独なアナキンのコントラストが映えるし、二人の“Duel of the Fate”は、映画史(邦画除く)においては屈指のチャンバラ劇に仕上がっている。同時進行するヨーダと皇帝パルパティーンのライトセーバー・バトルとフォース・バトルも見応えは十分だ。

 

本作は当時、戸田奈津子の珍妙な訳に首を傾げたのを覚えている。オビ=ワンの“So uncivilized.”が「掃除が必要だ」だったり、アナキンの“He must live!”が「お慈悲を!」だったりと、色々と映画の外側のことも覚えている。それでも、全てのバトルが決着し、最後にパドメがルークとレイアを出産、そのルークがタトゥイーンのオーウェン夫妻に引き取られていくシーンでは身震いしたことは、まるで昨日のことのように覚えている。このPrequel Trilogyは、この瞬間のためだけに存在したと言っても過言ではない。

 

『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』

 

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 80点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:J・J・エイブラムス

 

まさかの続編。しかも、『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』の30年後の世界。公開時、劇場で7回観た。ブルーレイを入手後に、確か5回観た。実質的に『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』をフェミニスト・セオリーに則して脱・構築し、再構築したリメイクと言っていい。それだけに、おとぎ話として雰囲気を全編にふんだんに湛えている。

 

劇場が暗転し、20世紀FOXのロゴとファンファーレはなかったものの、

 

A long time ago in a galaxy far,

               far away….

 

が表示され、画面にジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲とともに

 

   STAR   

   WARS   

 

の文字が表示された時、一気に『 スター・ウォーズ 』の世界に引き込まれた。劇場に何度も足を運んだのは、ほとんど全部この瞬間のためだった。初期三部作を劇場でリアルタイムに鑑賞できなかった世代であるJovianは、プリクェル・トリロジー、特に『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』には心底がっかりさせられた。その時の落胆の気持ちを、本作は忘れさせてくれた。いや、薄めてくれたと言うべきか。いずれにせよ、傷がかなり癒されたのは間違いない。

 

本作制作および公開の報が流れた時、最初のトレーラーを観た。砂漠の背景に、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』を想起した。そして第二弾のトレーラーの最後で、ハン・ソロがチューバッカに “Chewie, we’re home.” と呟くシーンに接して、文字通り鳥肌が立った。ハリソン・フォードの老け具合、つまり現実世界の時間の流れが、スター・ウォーズ世界の時間の流れと一致したように感じられた。あのおとぎ話の世界が延長され、拡張されたように感じられたのだ。ハン・ソロの言う ”We’re home.” とは、我々ファンの心の声を代弁したものだった。我が家に帰ってきたのは、ハン・ソロとチューバッカだけではなかった。

 

ストーリーは全くもって陳腐である。『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』の焼き直しだからである。メッセージを携えたドロイドが、砂漠を漂流。ここではないどこかへの脱出を夢想する少年・・・ではなく、今回は少女と出会い、そこから宇宙を駆ける大冒険が始まるからである。少し違うのは、オリジナルのスター・ウォーズにはオビ=ワンという師匠が存在したが、本作は伝説となったルーク・スカイウォーカーを探し求める筋書きである。それが心地好い。ルークとレイアとハン・ソロとミレニアム・ファルコン号と魅力的なドロイドたちあってこそのスター・ウォーズだからである。特にルークである。

 

本作でハン・ソロという映画史上屈指のヒーロー・キャラクターが退場してしまった。Jovianは落涙を禁じ得なかった。キャリー・フィッシャーの訃報が届いたのは、本作公開の約一年後。戦う女性の元祖が逝ってしまった。

 

それでもデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは、伝説を見事に継承したと思う。完結する前からそう断言させてもらう。この二人の光と闇の戦いに胸踊らされないファンもいるようだが、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々である。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』

 

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 75点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:ライアン・ジョンソン

 

遂に巡り合えたルーク・スカイウォーカー。しかし、彼は初登場時のヨーダのような世捨て人だった・・・。ユーモアなのかギャグなのか、よく分からない雰囲気が全編を覆っている。それもライアン・ジョンソン監督なりの深い考えがあってのことだろう。ミディ=ファッキン=クロリアンのような、世界観そのものをぶち壊す概念やガジェットでない限り、Jovianは何でも歓迎したいと思っている。それがレイア姫=オーガナ将軍が宇宙空間でスーパーマン化して復活することでも、宇宙空間を超えて交信することでも何でも良い。

 

レイとレンがタッグを組んで、スノークの親衛隊と戦うシーンを劇場で初めて観た時には脳汁が出た。ベイダーがパルパティーンに叛逆して、ルークを救ったシーンを思い出したからだ。『 ジェダイの帰還 』とは、ルークではなくアナキンのことだった。今作は基本的に『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』と『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のマッシュアップなのだから、一瞬ではあってもそのように夢想したファンは世界中で数百万人はいたはずである。

 

本作と『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』によって、超光速航法それ自体が武器になるという新しいアイデアが提起された。『 銀河英雄伝説 』以来、宇宙空間での戦闘はレーザービームを旨とすべしという不文律に、明確に反している。が、それも時代の流れだろう。

 

クライマックスでルークが夕陽を浴びて、ウォーカーの大軍と対峙するシーンは鳥肌モノである。そして最後の最後にルークが二つの太陽の夕焼けを眺めて消えていくシーンでは、不安と期待の入り混じった予感を残した。ヨーダが本作で登場したことは、何らかの布石になるはずである。

 

エンドクレジットの途中の、

 

In Loving Memory of our Princess

CARRIE FISHER

 

という文字が画面に現れ、壮大なシンフォニーに一瞬、“愛のテーマ”のメロディが挿入された瞬間、劇場で滂沱の涙が流れた。自分でも心底アホだと思うが、劇場で8回観て、8回同じタイミングで泣いた。

 

ランキング

 

1位 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

2位 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還

3位 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲

4位 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒

5位 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐

6位 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ

7位 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

8位 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス

 

総評

『 スター・ウォーズ 』の分析や考察をすることに意味はあるだろうか。自分のアイデンティティ形成にこの物語がどれくらい関わっているのかを考えることには意味がある。しかし、このサーガが歴史や世界に与えたインパクトについては、学者や業界人、筋金入りのファンが既に微に入り細を穿って論じている。興味のある向きは『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』というドキュメンタリーを観るべし。もしくは『 ファンボーイズ 』も良いだろう。キャリー・フィッシャーに出会えるからだ。2015年、余命幾ばくもないファンが特別に『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』を劇場公開前に観ることができたというニュースがあった。そして今年、2019年にもほとんど同じニュースが報じられ、実際に『 スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け 』を末期がん患者が観たという。粋なことである。観ずに死ねるか、という映画はなかなかない。それがこの物語のパワーである。

 

“スカイウォーカーの夜明け”は英語では“The Rise of Skywalker”である。スカイウォーカーが人名である以上、夜明けという訳語の選定には少々違和感が残る。この三部作におけるスカイウォーカーとは誰か。普通に考えればルークだが、カイロ・レンも母レイアからスカイウォーカーの血を受け継いでいる。アナキンが最後の最後にジェダイとして帰還したように、カイロ・レンも暗黒面から光に帰ってくることが予感される。それをありきたりと見るか、それとも王道と見るかは人によるだろう。またはルークがフォース・ゴーストとして“復活”することも考えられる。前作でヨーダが登場したことには何らかの意味が絶対にあるはずだ。パルパティーンが復活するからには、アナキンやオビ=ワンが復活しても良いように思える。

 

Jovianは英語教師の端くれでもあるので、自分でも色々と訳してみたくなる。

 

『 スカイウォーカーの復活 』

『 スカイウォーカーの再臨 』

『 スカイウォーカーの再誕 』

『 スカイウォーカーの再生 』

『 スカイウォーカーの目覚め 』

 

・・・・・・どれもこれもイマイチである。とりあえず、金曜の朝イチに観に行く。できれば土日にもう1~2回は劇場鑑賞したいと思っている。少年時代にもう一度戻れるのか。おとぎ話の世界に浸れるのか。完結作の公開を楽しみに待ちたい。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged アダム・ドライバー, キャリー・フィッシャー, スター・ウォーズ, デイジー・リドリー, ハリソン・フォード, マーク・ハミル, 監督:ジョージ・ルーカスLeave a Comment on スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』 -お下劣面白フランス映画-

Posted on 2019年12月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 80点
2019年12月15日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:フィリップ・ラショー エロディ・フォンタン
監督:フィリップ・ラショー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191216013513j:plain
 

よくよく思い返してみれば、週刊少年漫画誌で平気で「もっこり」や「君と一発やりたい」などのネタがよく掲載OKになっていたものだ。『 シティーハンター 』や『 ジャングルの王者ターちゃん 』、『 BASTARD!! -暗黒の破壊神- 』などは当時の少年たち(自分含む)に強烈なイメージを植え付けていた。そうしたかつての少年たちをデモグラフィックにした作品の中でも、本作は出色の出来である。フランス映画界、恐るべしである。

 

あらすじ

シティーハンターのリョウ(フィリップ・ラショー)は裏の世界の凄腕ガンマンとして、相棒のカオリと共に数々の依頼を請け負っていた。ある時、究極の惚れ薬である「キューピッドの香水」が奪われた。その香りを嗅いでいたカオリやその他の者たちは48時間以内に解毒剤を服用できるのか・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191216013529j:plain

 

ポジティブ・サイド

作り手の原作に対する愛とリスペクトがスクリーンから直接伝わってくる。脚本・監督・主演の全てを務めたフィリップ・ラショーは漫画『 シティーハンター 』を再解釈するのではなく、“再現”することを試みた。そして見事に成功した。フランス人がリョウやカオリを演じているのに違和感を覚えない。これはすごいことである。

 

まずオープニングからして親切だ。というのも、シティーハンターとは誰で、どんな仕事をしているのかを一切説明することなく物語が始まるからである。この作品を観に来る人を作り手が最初からスクリーニングしている。これが心地好い。たとえば『 アメイジング・スパイダーマン 』でピーターがクモに咬まれるシークエンスや『 バットマン・ビギンズ 』でブルースの両親が強盗に殺されるシークエンスなどは、正直なところ多くのファンが「ああ、このシーン要らないよね・・・みんな知ってるし」と感じていたはずである。本作は、当たり前のように『 シティーハンター 』の世界に入って行ける。招かれるのではなく、いきなりその世界に存在している。そんなオープニング・シークエンスが待っている。

 

その冒頭のアクション・シーンも、映画ではなく漫画である。『 アクアマン 』も漫画的だったが、本作は漫画そのものである。まず、モザイクの代わりにジャンプのあのカラスがそのまま使われている。何のことか分からない人は残念ながら本作の対象外だ。何のことか分かる人は、一刻も早く劇場へGo!!!である。そして本来ならば緊迫感溢れるバトルのはずが、非常にユーモラスで、それでいてサスペンスフルでありスリリングでもある。そんな人は少数派だろうと思われるが、たとえシティーハンターを全く知らないままに劇場に来た人でさえ、冒頭の10分で冴場リョウというキャラクターが理解できる。このオープニングの疾走感とユーモアは『 デッドプール 』のそれに匹敵する。

 

ストーリーの要所をアクションで語るのも良い。話の展開はシンプルそのもので、ヤバい惚れ薬を、それを濫用している男から取り戻すということである。惚れ薬が使われる一方で、リョウたちはアクションを見せてくれて、その配分が適切だ。また、非常に珍しいPOV視点の格闘シーンがあり、『 ALI アリ 』や『 クリード 炎の宿敵 』などのボクシング映画の試合シーンで使われることはあっても、その他ジャンルではあまり見ない撮影技法である。このシーンのhand to hand combatと狙撃のシーンはかなり楽しかった。

 

終盤のド派手ファイトとガンアクションも『 マトリックス 』に迫る出来である。この場面ですら容赦のないギャグが放り込まれ、シリアスな展開にもかかわらず漫画世界にいるという安心感すら漂う。そして、この原作へのリスペクト溢れる漫画世界にいるという安心感を、ぶち壊しながらも確保するという離れ業のクライマックス。漫画を映像化しているのに、これほど漫画に見えてしまうのは何故なのか。実写であるにも関わらず、まるでアニメーションのようにすら感じてしまうのは何故なのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ劇場で自身の目でお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

大きく不満と言えるものは二つだけ。

 

一つは、リョウの「もっこり」シーンがなかったこと。といってもベッドシーンやラブシーンというわけではなく、下半身を隆起させる一コマがなかったということ。編集でカットされたのだろうか。

 

もう一つは、原作で最高の名場面である「ガラス越しのキス」がなかったことである。話の流れやエンディング直前のとある台詞のためにも、原作そのままに再現することが難しいのは理解できる。しかし、それを何とか実現する脚本は書けなかったものか。

 

総評

『 シティーハンター 』愛に満ちた作品である。のみならず亀仙人にしか見えないおじいさんや、『 らんま1/2 』ネタ、『 キャプテン翼 』や『 聖戦士星矢 』のネタなど、ジャンプ漫画へのオマージュも多数ある。30代後半以上でこれらの漫画をリアルタイムで楽しんでいた人には、チケット代と2時間という時間の投資を惜しむ理由は何もない。事実、Jovianは行こう行こうと思いながらも、チケット予約でいつも後手に回り、嫁さんと二人並んで座れる席の確保に苦労した。そして、実際の劇場も40歳前後か、それ以上のカップルがマジョリティだった。原作ファンならば本作を見逃してはならない。

 

Jovian先生のワンポイント仏会話レッスン

Je t’aime

挿入歌で繰り返しこのセンテンスが聞こえてきた。“I love you.”の意であることはよく知られている。Je t’aime, je t’aime, je t’aime comme ca.のように聞こえたが、だとすればI love you, I love you, I love you like this.の意である。知っている言葉ならリスニングはたやすい。逆に言えば、リスニングできなければ、まだ理解できていないということ。これはおそらくどんな言語を学習していても真理だろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アドベンチャー, エロディ・フォンタン, フィリップ・ラショー, ロマンス, 監督:フィリップ・ラショーLeave a Comment on 『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』 -お下劣面白フランス映画-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 8番出口 』 -平々凡々な脚本-
  • 『 Osaka Shion Wind Orchestra ドラゴンクエストコンサート in 伊丹 』  -DQ Ⅳ, Ⅴ, Ⅵ-
  • 『 桐島です 』 -時代遅れの逃亡者-
  • 『 あの夏、僕たちが好きだったソナへ 』 -青春を追体験する物語-
  • 『 ジュラシック・ワールド/復活の大地 』 -単なる過去作の焼き直し-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme