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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

Posted on 2022年5月9日 by cool-jupiter

マイスモールランド 85点
2022年5月7日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:嵐莉菜 奥平大兼
監督:川和田恵真

これはまた凄い作品が送り出されてきた。個人的には『 存在のない子供たち 』に近い衝撃を受けた。年間ベスト候補の一つである。

 

あらすじ

難民として日本にやってきたクルド人家族たち。幼い頃から日本で暮らしてきた高校生のサーリャ(嵐莉菜)はアルバイト先で聡太(奥平大兼)と出会い、親しくなっていく。しかし一家の難民申請は却下され、サーリャたちは在留資格を喪失してしまう・・・

ポジティブ・サイド

クルド人と聞いてピンとくる人はどれくらいいるだろうか。Jovianもせいぜい第二次湾岸戦争時のアメリカがイラク攻撃の口実として「イラクは過去にクルド人を虐殺するために化学兵器を使った、だから今も大量破壊兵器を持っているはずだ」という無茶苦茶な論理を振りかざしていた時に初めて耳にした。少し調べてみると、まさに現在のウクライナと似通っていて、ある土地に住まう民族は何も変わっていないのに、周辺国の論理で国境線が書き換えられ、その結果、根無し草になってしまった。つまりは、パレスチナ人と同じくディアスポラなのだ。その意味で移民・難民とは無縁だった日本人には『 テルアビブ・オン・ファイア 』のようなブラック・コメディはウケなかったが、今後はもう違う。ロヒンギャやウクライナの現実を目の当たりにして、無知・無関心ではいられないだろう。

 

Jovianは語学教育業界に10年いるが、たまにネイティブ非常勤講師が警察のお世話になる。事件や事故を起こしたとかではなく、たまたま職質された時に在留カードを不携帯だった、あるいは財布やカバンと一緒に在留カードを紛失したので、警察に遺失物届を出しに行ったら、何故かそのまま拘留された、などのトラブルが年に1~2回程度の頻度で起こる。その度に会社の講師人事担当者は上を下への大騒ぎとなる。大阪や京都在住のアメリカ人やカナダ人といった白人でもこうなのだ。非白人、非欧米人が日本でどういう扱いを受けるかは推して知るべしだろう。

 

クルド式の結婚式に戸惑いながらも、日本の学校、日本のアルバイト先、日本の地域に溶け込んでいるサーリャとその家族は、無情にも難民認定申請が却下される。それによって就労禁止になったり、埼玉県外への移動が原則不可となる。入管は入管としての仕事をしているだけなのだろうが、ここで考えざるを得ないのは日本人が移民・難民にならざるを得なくなった時のこと。外国で日本人が同じ対応をされても、これでは文句を言えないと思う。ウクライナ戦争が泥沼化、台湾情勢も緊迫とは言わないまでも楽観視できない。そして先軍政治に邁進する北朝鮮と、日本の平和と安全もいつまで保てるやら。肝心なのは「やられる前にやる」の精神ではなく、そうしたことをさせない外交努力、そして万一戦禍を被ったとしても助けてくれる友邦を持つことだ。

 

閑話休題。働くな、県外に出るなと言われても、生活があるのだからそうは行かない。サーリャも自身の夢を叶えるために、大学進学のために、バイト代を貯めねばならない。そこで出会う同世代の聡太との出会いが、何ともドラマチックさに欠けるボーイ・ミーツ・ガールだ。しかし、ドラマチックであるということは非現実的でもあるということ。本当に何気ない言葉の掛け合いから始まるサーリャと聡太の関係にこそ迫真性がある。超えてはならない荒川をしばしば超える二人は、織姫と彦星のようではないか。サーリャから聡太に贈る「こんにちは」と「さようなら」のスキンシップは、この上なくロマンチックで、しかしこの上なく物悲しくもある。

 

押し付けられていると感じるクルドの宗教、文化、風俗習慣、さらに父親から「聡太にはもう会うな」と言われてしまうサーリャの心情はいかばかりか。一方で、その父が逮捕拘留されるという悲劇。クルドに帰属感を得られず、日本にも帰属できず。これは本当につらい。引き裂かれるような気持ちで観た。しかし、父の秘めたる愛情、そして聡太の不器用な想いに何とか救われたような気持になる。ラストシーンをどう解釈するかは我々次第である。日本というのは国籍と民族がほとんどの場合一致する世界的に珍しい国である。しかし、日本に住んでいることと日本人であることが一致しなくなりつつある現在、日本は排外的になるのか、それとも包摂的になるのか。それを決めるのは我々である。

 

ネガティブ・サイド

平泉成演じる弁護士が無能すぎる。これも国選弁護人か?とんでもない田舎でもない限り、在留外国人をサポートする非営利・非政府系の団体は結構ある。そういうところと連携しなさいよ。そうした団体が実際に力になるかどうかは別にして、サーリャ一家の危機を全てこの弁護士に任せっきりにしてしまう物語は少しリアリティに欠けると感じた。綿密な取材の上、支援団体は当てにならないと判断したのかもしれないが、希望の光を少しは見せてくれないと、ラストのサーリャの祈りの言葉の解釈が難しくなる。

 

総評

派手なBGMや、奇をてらったカメラワークを一切排除した、セミ・ドキュメンタリー風の作品である。観る人を選ぶかもしれないが、中学生、高校生、大学生にこそ観てほしいと心から思う。同時に、その親世代にも観てほしい。新時代の日本がどうあるべきかを示唆する2022年の最重要作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take refuge

避難する、の意。危険や危機から逃れるための行動を指す。take refuge from Ukraine to Poland のように使う。似たような表現に take shelter があるが、これは核爆発があったら核シェルターに逃げ込む、のような安全な場所そのものへ逃げ込むことを指す。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 奥平大兼, 嵐莉菜, 日本, 監督:川和田恵真, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 マイスモールランド 』 -未来に光を灯せるか-

『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

Posted on 2022年5月7日2022年12月31日 by cool-jupiter

死刑にいたる病 80点
2022年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:阿部サダヲ 岡田健史 宮崎優
監督:白石和彌

大袈裟な言い方をすると『 羊たちの沈黙 』や『 殺人の追憶 』に近い衝撃を受けた。邦画もアメリカ映画や韓国映画に負けないダークな世界を追求できるのだと証明した逸品だと言える。

 

あらすじ

大学生の雅也(岡田健史)は、24人を殺したとされる榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙を受け取る。雅也は中学生の頃、榛村の営むパン屋の常連客だった。死刑判決を受けた榛村だったが、起訴された9件のうち、最後の9件目だけは自分の犯行ではないと言う。雅也は独自に事件の調査を始めるが・・・

以下、マイナーなネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

これは原作小説の勝利なのだが、まず設定が素晴らしい。24人を殺したとされるが、そのうちの1件は自分ではないと訴える死刑囚。これだけで興味を惹き起こされずにはいられない。また、演じる阿部サダヲが素晴らしい。人好きのする好青年から無表情に人を痛めつける殺人鬼、そしてカリスマ性すら感じさせるサイコパスを具体化している。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』から更にレベルアップしたと感じる。瞬きしないのは役者の基本だが、その絶妙に黒目がちになるうっすらとした目の開け方が底知れない不気味さを更に引き立てる。サイコパスの演技の到達点だと言っていいかもしれない。日本のハンニバル・レクターとは褒めすぎかもしれないが、それほどの凄みを感じた。

 

対する岡田健史は『 弥生、三月 君を愛した30年 』や『 望み 』での、どこか弱々しい息子役という印象しかなかったが、本作で一皮むけたと言える。いや、弱々しい息子という点では本作でも同じなのだが、まるで『 殺人の追憶 』のソ刑事のように、序盤と終盤で別人であるかのように変貌する。元々の家族関係の悪さから内に相当なフラストレーションが堆積していたのが、調査を進めていく中でとある可能性に遭遇することで、一気に爆発する。その描き方がリアルだった。特に雅也が大学に行くたびに、背景の時間と雅也の時間がずれているのが秀逸。まさに「異なる世界に住んでいる」あるいは「この世界には属していない」という描写だった。

 

最もサスペンスフルなのは、何度か行われる榛村と雅也の面会シーン。BGMを一切廃し、役者の台詞とカメラワークと照明、音響だけで勝負していた。そして勝利を収めていたと評してよいだろう。今やお馴染みとなったアクリル板のこちらと向こうで、微妙に声の響かせ方・聞こえ方を変えて臨場感を生み出していた。また、しばしば雅也と榛村の顔の反射がアクリル板上で重なり合う。これにより二人の心理的・心情的な同化が視覚化されていた。面会シーンはどれもその場の空気が伝わって来るかのような緊迫感と臨場感があり、一つの謎が明かされると、更なる謎が生まれるという、ミステリーがサスペンスを生み、サスペンスがミステリーを生み出すというエンタメの極致だった。

 

雅也の重要な変化を示すものとして、雅也と二人の女性との距離が挙げられる。一人目は中山美穂演じる母親。最初は地方の旧家にありがちな極めて封建的・保守的な中年女性に見えたが、そこには別の被抑圧的な因子があったことが判明する。もう一人は雅也が大学で再会する同級生、灯里。大学に一切なじめない、つまり実家と榛村以外に現実と接点のない雅也の貴重な友人、そして恋人(というか情婦?)となる。この灯里との距離感がそのまま榛村との距離感と反比例する、という構成は非常に巧みであると感じた・・・その次の瞬間にすべてをぶち壊された。良い意味でも悪い意味でも。これは例えて言うなら、小説『 イニシエーション・ラブ 』の最後の2行に匹敵するインパクトとでも言おうか。これ以上書くと興ざめになるので止めておく。とにかく劇場でも配信でもレンタルでも良いので、出来るだけ多くの人に本作を鑑賞してほしいと思う次第である。

ネガティブ・サイド

榛村の弁護士(国選弁護人か?)が無能という印象を受ける。いや、別に無能でもよいのだが、リアリティがない。雅也の調査について中盤以降にあれこれと言ってくるが、だったら最初から色々と説明しておけと思う。また、そうした説明があったほうが雅也が矩を踰えるようになっていく展開が、雅也の内面の変化をより如実に表わせたのではないだろか。

 

総評

間違いなく阿部サダヲの代表作である。阿部定事件並み、いやそれ以上に猟奇的なシーンもあるので、鑑賞には注意を要する。いずれにせよ白石和彌監督が『 孤狼の血 LEVEL2 』を上回る衝撃作を世に送り出してきたのは間違いない。ちょっとジャンルは違うが、野崎まどの小説『 舞面真面とお面の女 』や『 死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~ 』を読んで楽しかったという人は、本作も堪能できると思う。この二冊を読了の上で本作を鑑賞してみようという酔狂な方は、是非とも本作冒頭と最後のシーンの意味のつながりを考察されたし。または本作鑑賞後に、上記の二冊を読むというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look into ~

~を調べる、の意。その殺人事件を調べる = look into the murder case のように使う。事実を掘り下げたりする意味での「調べる」ということで、辞書などで語句の意味を「調べる」時には look up を使う。Jovianも大学の授業で時々 “You have 30 seconds to look up this word in your dictionary app.” と言っている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, サスペンス, 宮崎優, 岡田健史, 日本, 監督:白石和彌, 配給会社:クロックワークス, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

Posted on 2022年5月7日 by cool-jupiter

女子高生に殺されたい 65点
2022年5月5日 梅田ブルク7にて鑑賞

出演:田中圭 南沙良 河合優実 細田佳央太
監督:城定秀夫

タイトルだけでスルーしようとしていたが、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良が出演していると気付いて、ギリギリでチケット購入。上映最終日であっても、劇場の入りは4割程度となかなかだった。

 

あらすじ

教師の欠員が出た二鷹高校に赴任してきた東山春人(田中圭)は、そのルックスと人当たりの良さでたちまち人気教師となる。しかし、彼には秘密があった。目をつけていた女子高生、佐々木真帆(南沙良)に殺されたいというオートアサシノフィリアの持ち主だった。春とは密かに練っていた計画を進めようとするが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

タイトルだけ読めば「どこのアホの妄想だ?」と思わされるが、中身はどうしてなかなか練られていた。シネフィル=映画好きな人、シネフィリア=映画好きということだが、オートアサシノフィリアというのは初めて聞いた。ありそうだと感じたし、実際に存在するようだ。この一見突飛な性癖(この語も、ここ10~20年で意味が変わってきたように思う)に説得力を持たせる背景にも現実味がある。田中圭は『 哀愁しんでれら 』あたりから少しずつ芸風を変え始めたようで、もう少し頑張れば中堅からもう一つ上の段階に進めるかもしれない。

 

女子校生役で目についたのは河合優実。『 サマーフィルムにのって 』や『 佐々木、イン、マイマイン 』など、作品ごとにガラリと異なる演技を見せる。今作のキャラにリアリティがあったかどうかはさておき、キャラの迫真性は十分に堪能できた。テレビドラマなどには極力出ずに、映画や舞台で腕を磨き続けてほしい役者だ。

 

南沙良の目の演技も見応えがあった。正統派の美少女キャラよりも、陰のある、あるいは闇を秘めた役を演じるのが似合う。こういう女子高生になら殺されたい。

 

最初は意味不明に思えた春人の行動の数々が中盤以降に一気に形を成していくプロセスは面白かった。高校生ものでゲップが出るくらい見飽きた学園祭をこういう風に使うのには恐れ入った。学園祭の変化球的な使い方の作品といえば恩田陸の小説『 六番目の小夜子 』と赤川次郎の小説『 死者の学園祭 』が印象に残っているが、本作も同様のインパクトを残した。

 

色鮮やかな序盤から陰影の濃くなる終盤の照明のコントラストがキャラクターたちの心情を反映している。またBGMも静謐ながら不穏な空気を醸し出すのに一役買っていた。タイトルで損をしていると思うが、普通に面白い作品。河合優実のファンなら要チェックである。

 

ネガティブ・サイド

本作の肝である「春人は一体誰に殺されたいのか?」という謎の部分がやや弱い。いじめっ子、柔道娘、予知娘、多重人格娘と取り揃えてはいるが、4択ではなく実質的には2択だった。というよりも1択か。最初から2択に絞り込むか、あるいは4択のまま観る側を惑わすような展開にもっと力を入れた方が中盤までのミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうと思う。

 

河合優実のキャラの地震予知能力は必要だったか?あの世界には緊急地震速報というものはないのだろうか。というか、予知能力と物語が何一つリンクしていなかった。この設定はそぎ落としてよかった。

 

南沙良のキャラのDIDも、もっとさり気ない演出を要所に仕込めたはず。『 39 刑法第三十九条 』などを参考にすべし。駄作だった『 プラチナデータ 』もそのあたりの伏線はしっかりと張ってあった。殺してほしい相手を南沙良の1択に絞って、ほんのちょっとした仕草や表情などを追い続けた方が物語の一貫性やフェアな伏線が生まれたはず。

 

総評

多重人格の扱いがちょっとアレだが、ストーリー自体はかなり面白い。南沙良、河合優美などの、いわゆるアイドルではなくオーディションを潜り抜けてきた若手女優たちの演技も光っているし、照明や音楽も良い仕事をしている。それらをまとめ上げる城定秀夫監督の手腕は称賛に値する。劇場で見逃してしまった人も、ぜひレンタルや配信で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

auto

元々はギリシャ語の self に当たる語に由来している。意味は「自身」あるいは「自動」。automobile = 自分で動く = 自動車である。他にも FA = factory automation = 工場稼働の自動化だし、autobiography = 自分で書く伝記 = 自伝である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 南沙良, 日本, 河合優美, 田中圭, 監督:城定秀夫, 細田佳央太, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

Posted on 2022年5月5日 by cool-jupiter

ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 45点
2022年5月4日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ベネディクト・カンバーバッチ エリザベス・オルセン ソーチー・ゴメス
監督:サム・ライミ

 

先月退職した元・同僚カナダ人と共に鑑賞。彼もJovianもイマイチだという感想で一致した。

あらすじ

異世界で魔物から少女を助けようとする夢を見たドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は、かつての恋人クリスティーンの結婚式に参列していた。しかし、その最中に夢で見た少女アメリカ(ソーチー・ゴメス)が怪物に襲われているところに遭遇する。辛くも少女を助けたストレンジは、アメリカはマルチバースから来たと知る。助力を必要とするストレンジは、自身と同じく魔法使いであるワンダ(エリザベス・オルセン)を訪ねるが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

ドクター・ストレンジのスティーブンの部分、つまり腕の立つ外科医であり、鼻持ちならない人間の部分がクローズアップされたのは良かった。スーパーヒーローは人間部分とヒーロー部分のせめぎ合いが大きなドラマになるが、それが最も面白いのはスパイダーマン、次いでアイアンマン、その次にドクター・ストレンジだと感じている(ちなみにその次はハルク)。冒頭の結婚式から一挙に魔物とのバトルになだれ込んでいくシークエンスで「ここから先は全部スーパーヒーローのパートですよ」と丁寧に教えてくれるのは配慮があってよろしい。クリスティーンと良い意味で決別できたことで、短いながらもスティーブンの成長物語にもなっていた。

 

これはネガティブと表裏一体なのだが、「え?」というキャラクターが「え?」という役者に演じられて登場する。このシーンは震えた。予告編でも散々フォーカスされていて気になっていたが、この御仁を持ってくるとは。ヒントは『 デッドプール 』。彼が時系列関連で云々言う際にマルチバースっぽい台詞を言う。その時の名前がヒントである。

 

映像は美麗を通り越して、もはや訳が分からないレベル。特に最初のマルチバース行きのシーンはポケモンショックを起こすレベルではないかと思う(一応、褒めているつもり)。魔法のグラフィックや、その他のスーパーヒーローの技のエフェクトも、通り一遍ではあるが、エキサイティングであることは疑いようがない。特に面白かったのは音符さらには楽譜が魔法になるシーン。ある攻撃の強さや衝撃度は1)視覚的に、2)効果音によって示されるが、そこに明確に音楽を乗せてきたのは新しい手法であると感じた。今後、これをマネする作品がちらほら出てくるものと思われる。

 

サム・ライミが監督ということでホラーのテイストが入っているが、良い意味でMCUっぽさを裏切っていて面白かった。MCU作品はスター・ウォーズ以上にプロデューサー連中が強固すぎる世界観を構築していて、そこからの逸脱は一切許されない=監督や脚本家の個性は不要という印象があったが、ディズニー上層部もマルチバース的な寛容の精神を持ち始めたのだろうか。

ネガティブ・サイド

予告編で散々ワンダが出てきたいたので、彼女がヴィランであることは分かる。けれども、テレビドラマの視聴を前提に映画を作るか?これはテレビドラマの劇場版映画ではないはずだが。一緒に観たカナダ人は「電車の中でドラマのrecap動画を観たから何とか意味は分かった」と言っていたが、ドラマには一切触れていないJovianには何のこっちゃ抹茶に紅茶な展開であった。

 

第一の疑問として、何故ワンダに子どもがいる?いや、別に子どもがいてもいいが、なんであんなに成長した子どもがいるの?『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』から10年以上経過したようには思えないが。劇中で「魔法で創った」と説明されるが、だったら何故にもう一度魔法で子どもを創らないのか?まあ、親からすれば子どもは唯一無二なのだろうが、それならそれで別の宇宙の自分から自分の子どもを奪うという結論に至る思考回路が謎となる。

 

第二の違和感はワンダ強すぎということ。インフィニティ・ウォーやエンドゲームでもうすうす感じていたが、ワンダが強すぎる。ワンダとキャプテン・マーベルだけでサノスを十分に倒せたのでは?『 エターナルズ 』の 面々より普通に強いだろう。他の不満点としては、せっかく出てきたファンタスティック・フォーたちがあっさりとやられたり、挙句にはあのキャラまでワンダにねじり殺されてしまう始末。うーむ・・・

 

マルチバース関連で一番よく分からないのは、どこのユニバースでもドクター・ストレンジがベネディクト・カンバーバッチであるということ。『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』を思い出そう。別のユニバースには別のピーター・パーカーが存在していた。なぜ本作ではカンバーバッチ版のストレンジしか出てこないのか。もちろんスパイダーマンとドクター・ストレンジを同列に扱えるわけはないが、互いにリンクしている作品同士、もう少しこのあたりの説明が必要だったと思う。またアメリカは72のユニバースを巡ったそうだが、そのいずれでもサノスは倒されていたのか?それだけ巡れば、いくつかはサノスによって生命が半滅させられたユニバースに遭遇しそうなものだが。

 

アメリカが語る他のユニバースでの鉄則その1は良いとして、その2の食べ物の部分が良く分からない。それが何か重要な展開につながるわけでもなんでもないからだ。ポストクレジットシーンその2にはつながるが、ここのユーモアは笑えないし、完全に空回りしていた。

 

魔法を使った戦いにはそれなりに満足できたが、ストレンジが華麗な体術を駆使して戦うシーンは個人的には萎えた。浮遊マントがストレンジの体を逆に操って、hand to hand combat で敵を倒す、というのならまだ理解できるのだが。

 

ポストクレジット・シーンその1では、シャーリーズ・セロンが登場。しかし、誰よ、これ?『 エターナルズ 』のラストもそうだが、もはやMCU作品はそれ自体が別作品のインフォマーシャルと化している。映画が映画を宣伝するというのは、好ましくない。もしやるなら『 ワンダーウーマン 1984 』のように、たいていの人が分かるようなキャラを持ってくるべきだ。

 

総評

ぶっちゃけた話、『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以降、スパイダーマン以外のMCUものは面白くない。ドラマその他の媒体と相互補完させたりするような商法が更に目立つからだ。MCUは元々そのような側面が強かったが、そこがさらに強引になったと感じる。一応、義務感で次作も観るつもりではいるものの、『 モービウス 』もスルーしたし、そろそろこのジャンルから降りてもいいかもしれないと個人的には感じる。映画館自体は大盛況だったので、この路線自体は成功かもしれないが、あまり積極的に勧めたいと思える出来ではなかった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Try as I might, 

劇中のウォンのセリフの一部。頑張ってはみたものの、の意。ほぼ間違いなく、I couldn’t … が続く。私 = I 以外が主語になることもあるが、I が最もよく使われるように思う。

Try as I might, I couldn’t fix the printer.
頑張ってみたが、プリンターを直せなかった。

などのように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ソーチー・ゴメス, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

『 さがす 』 -邦画サスペンスの良作-

Posted on 2022年5月4日2022年5月4日 by cool-jupiter

さがす 75点
2022年5月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:佐藤二朗 伊東蒼 清水尋也
監督:片山慎三

 

テアトル梅田で見逃した作品。地元の塚口サンサン劇場で遅れて上映していたので、これ幸いとチケット購入。邦画もまだまだ捨てたものではない、と感じさせてくれた。

あらすじ

大阪市西成区に暮らす原田楓(伊東蒼)の父、智(佐藤二朗)が突如失踪した。智は前日に報奨金300万円で指名手配中の連続殺人犯を偶然見かけたと言い残していた。警察も取り合ってくれない中、楓は父の働く日雇いの工事現場を訪れる。そこには原田智という名前の全く別人が働いていた。しかし、その男は智が目撃したと言っていた指名手配犯に酷似しており・・・

ポジティブ・サイド

舞台が大阪、それも新今宮=西成区なので、コテコテの大阪を通り越して、時代に取り残された大阪が活写されている。尼崎出身、尼崎在住のJovianには非常に親近感のある風景である。単に下町が舞台だからではなく、地べたを這いずり回って生きる人間の姿がしっかりと見えた。邦画だと『 万引き家族 』以来の描写であるように思う。

 

佐藤二朗と伊東蒼の親子がリアリティを生んでいる。特に佐藤二朗はダメな大人を見事に体現している。20円が足りずに万引きしようとし、そこへ娘が駆け込んでくる冒頭のシーン、さらに路上でクッチャクッチャと音を立てながら食べる父親、それを注意しながらも、家に帰れば互いに気の置けない親子であることを映し出す。外で見える風景と中から見る風景のコントラストが鮮やかである。

 

万引きの場面では警察官がスーパーの店長に示談を勧める。元大阪府警のJovian義父が憤慨するであろうシーンだが、大阪府警=無能という印象を一発で観る側に与える非常に効果的な演出である。これがあるおかげでその後の様々な警察絡みの展開に無理がなくなっている。

 

父を必死に探す楓を伊東蒼が熱演。『 空白 』でトラックにはねられる万引き娘や『 ギャングース 』の家なき子の印象が残っているが、本作の熱演はそれらの印象をすべて上書きするもの。まさに西成のじゃりン子で、身寄りのない子を引き取るシスターの顔面に唾を吐きかけるわ、街中で先生に相手に大声で悪態をつくわと、周りの大人の協力を自ら遠ざける。しかし、一方で日雇い外国人労働者とはじっくり話ができるなど、他者や大人をすべて拒絶しているのではなく、同病相憐れむ的な価値観で動いていることが分かる。このあたりは日本の現実、就中、大阪という都市の闇も垣間見せていて興味深い。

 

単純に姿を消した父親を娘が探し出そうとする物語と見せかけてさにあらず。スクリーンに「3か月前」と表示されたところから、一気に物語の背景が明かされ始める。そこで明らかになる真実に関しても、序盤のうちにフェアな伏線が張られているので、納得しながら受け入れることができる。この脚本は上手いと感じた。

 

疑惑の殺人鬼役を清水尋也が怪演。『 ミスミソウ 』でも存在感を発揮していたが、日本の俳優で異常者を正面から演じられる若手俳優は少ない。『 キャラクター 』のFukaseや『 ミュージアム 』の妻夫木聡が印象に残っているが、清水は韓国のクライム・サスペンスなどに出ても爪痕を残せるのではないかと感じた。『 殺人の追憶 』を日本でリメイクするとしたら、柔らかい手の青年は清水尋也で決まりだろう。

 

近年話題になったSNSの闇や、人間の生と死についての非常に現実的な問題提起もなされている。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』や『 いのちの停車場 』などが有耶無耶にしてしまった命の尊厳について逆説的な形で切り込んでいった野心作。かなり血生臭いが、ぜひ多くの人に鑑賞いただきたい一作である。

ネガティブ・サイド

伊東蒼はさすがの大阪弁ネイティブだが、佐藤二朗の大阪弁はイマイチだった。じゃりン子チエ役の中山千夏レベルとまでは言わないが、それぐらいにまでは仕上げてほしかった。佐藤の芸歴なら出来るはずだし、片山監督もそこまで演出してもよかった。

 

楓のボーイフレンドが終始役立たずだった。この男が活躍する、そしてあっさり撃退されるシーンや、あるいは楓の父・悟に正面からぶつかっていくような展開があれば、もっとドラマが盛り上がっただろうと思う。

 

総評

佐藤二朗というと福田雄一作品の常連だが、ハッキリ言ってJovianは福田はあまり好きではない。『 HK 変態仮面 』は面白かったが『 ヲタクに恋は難しい 』あたりで絶望して『 新解釈・三國志 』は観ても腹が立つだけだろうと思い、回避した。佐藤二朗もNHKの『 歴史探偵 』の所長っぷりがチャラけていて好きではなかったが、良い脚本および良い演出に巡り合えば、こんなにも違う顔を見せるのかと感心させられた。老老介護の悲劇やSNSを通じた集団自殺・殺人など、命について考える機会が否応なく増える日本社会において、本作の放つメッセージは決して軽くはない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Not a chance

劇中であるキャラが言う「んなわけねーだろ」の私訳。Not a chance = そんな可能性はない、という意味で、質問に対する答えとして使われる。

A: Do you think I’ll get a job offer from them?
あの会社から内定もらえるかな?

B: Not a chance.
まあ、無理だろ。

というのが用例である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 伊東蒼, 佐藤二朗, 日本, 清水尋也, 監督:片山慎三, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 さがす 』 -邦画サスペンスの良作-

『 3022 』 -もっと見せ方に工夫が必要-

Posted on 2022年5月1日2022年5月1日 by cool-jupiter

3022 40点
2022年4月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オマー・エップス ケイト・ウォルシュ
監督:ジョン・スーツ

観終わって気が付いた。監督は何と『 アンチ・ライフ 』のジョン・スーツではないか。とはいえ、さすがに『 アンチ・ライフ 』のような超絶駄作ではなかった。

 

あらすじ

木星の衛星エウロパへの入植のために、宇宙ステーション「パンゲア」が設立された。各国クルーが10年単位で運用を担当するが、米国人クルーたちは次第に疎遠になり、精神的に病み始めた。医師がミッションの失敗を地球に伝えようとした時、地球との通信が途絶える。そしてパンゲアは謎の衝撃波に襲われ・・・

 

ポジティブ・サイド

シンボリズムに溢れた作品である。今でも小中学校の教科書に載っているのだろうか。パンゲアとは過去の地球に存在した一つの超大陸のこと。つまり宇宙ステーション「パンゲア」は今日様々な大陸に分断されてしまった人類を再び一つにする場所ということ。だが、悲しいかな、人が集まると分断が生じるのが世の常。本作の展開はそのことをよく表していると思う。

 

地球消滅(別にネタバレでも何でもない)の後、宇宙に残された数少ない人類がどう振る舞うのかという思考実験をそのまま映像化(≠映画化)した感じで、そういう意味では雰囲気はよく出ている。命令を出せる者、命令が出せない者、命令がないと動けない者、命令がなくても動いてしまう者など、人間というのは極限状況でも日常でもあまり変わり映えしないのだろう。人間模様にはそれなりに説得力が感じられた。

 

パンゲアの船長のジョンのヒゲの有無によって、映し出されているのがいつの時点なのかを見せるのは面白いと感じた。過去と現在、そして未来を行き来する映像体験はそれなりに楽しめる。

 

ネガティブ・サイド

『 ラスト・サンライズ 』では太陽が消滅し、残された中国人社会の大混乱ぶりが活写された。本作はパンゲアという宇宙ステーションのみで話が進み、出てくるのも結局欧米人のみ。自分たちだけが覇権を握りたい中国と、欧米(今風に言えばNATOか)の枠組みで世界を牛耳りたいアメリカがよくよく対比されている。どっちもダメである。だいたい最終目的地がエウロパというのが、うーむ・・・ 結局ヨーロッパに回帰するのね。『 オブリビオン 』はタイタンを目指していたが。

 

低予算のために絵や音楽で魅せられないのは分かるが、そこを何とかするのが創意工夫というものだろう。結構な勢いで喋りまくるが、予算的に『 ロード・オブ・モンスターズ 』と同程度なのか?さすがにそこまでではないだろう。

 

人間模様はそれなりに迫真性があったが、それを効果的に映し出せていない。カメラワークや効果音などで、場の閉塞感や緊張感を演出することはできたはずだが、それも無し。ここは予算が少ないせいにはできない。同じ低予算映画でも『 CUBE 』にはそれが出来ていた。『 ドント・ルック・アップ 』とまでは言わずとも、『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』程度には人間ドラマを深めることができたのではと思う。

 

最も意味不明なのは3022というタイトル。いや、日数のことなのだとは劇中で言及されているが、そこに何か深い意味はないのか?自分が読み取れないだけ?別に2971でも3412でも良い?あれこれ考えながら観るのには向かないか。

 

総評

積極的にお勧めできる作品ではない。梅雨時に面白耐性を意図的に下げたい時には良いのではないだろうか。あるいは『 アド・アストラ 』が面白かったという人なら、本作も堪能できるかもしれないが、万人向きではないことだけは確かである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

night terrors

夜驚症の意。睡眠中に暴れるなど、睡眠障害が極度に悪化した症状を呈する。夜恐症ではなく夜驚症と書かれるので注意。lost in translation か、あるいは「夜そのものを怖がる病気」と勘違いされないようにするための漢字だと考えられる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, オマー・エップス, ケイト・ウォルシュ, 監督:ジョン・スーツLeave a Comment on 『 3022 』 -もっと見せ方に工夫が必要-

『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

N号棟 10点
2022年4月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:萩原みのり 筒井真理子
監督:後藤庸介

超絶駄作である。ジャパネスク・ホラーは夜明け前どころか丑三つ時にすらなっていないのではないか。『 成れの果て 』の萩原みのりを目当てにしていたが、チケット購入ではなくポイント鑑賞。その判断は正しかった。

 

あらすじ

死恐怖症を抱える女子大生の史織(萩原みのり)は、元カレが卒業制作のロケハンのために廃団地に行くというので、強引について行く。団地の敷地に入るも、そこには住人が住んでいた。史織が「入居希望者です」と言うと、管理人らは親切に団地を案内してくれるが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

安楽死あるいは尊厳死の是非に対する一つの回答を呈示した点だけは評価できる。もう一つだけ評価するのは、萩原みのりの cleavage ぐらいか(Silly me! = アホな俺)。

ネガティブ・サイド

冒頭から『 ポルターガイスト 』へのオマージュと思しき真夜中のテレビの砂嵐画面だが、ちょっと待て。アナログ放送は2011年に終了している。だったら本作はGoogle Earthリリース(2005年)よりも後で、2011年よりも前?いや、スマホでGoogle Earthを使って、地方の一地点にピンを貼って、しかも人間の顔が見えるほどの高解像度の画像が得られるようになったのは震災後、2015年だとか、そのへんだったはず。冒頭の時点から「いつの時代だ、これは?」と思い、物語に入っていけなかった。

 

肝心の団地も全然怖くない。二番煎じと言われようと『 呪怨 』のようなコテコテのホラーっぽさが必要だった。親切そうな団地の面々が態度を豹変させるのも中途半端。地方の人間が突然に不機嫌になる、あるいはよそよそしくなる様については、後藤庸介監督は横溝正史を読むなどして勉強した方がいい。

 

団地の幽霊(?)も、これまた怖くない。ジャンプ・スケアにありがちなびっくりさせる効果音を多用しなかったが、それがあっても怖くなかっただろうし、あってもやはり怖くなかっただろう。というのも、すべてがテンプレ通りというか、ここでこうなりそうだ、という予感が全部的中するから。別に自画自賛しているわけではない。ちょっと映画を観慣れた人なら、次の展開、次の演出を容易に想像できるだろう。これで怖がれというのは無理がある。

 

無理があるのは団地の仕組み(?)も同様だ。謎の投身自殺はそれはそれで不気味だが、なぜ肝心の死体にクローズアップしない?なぜ肝心の死体を映さない?この人は死んだ、間違いなく死んだという印象を観る側に焼き付けるショットや演出がないために、その後の展開に驚きや戸惑いが生まれない。また、ことあるごとにカメラを回させる史織だが、役立たずの元カレが死体を撮影しないために、史織がタナトフォビアであるがネクロフォビアではない、むしろネクロフィリア的な気質が備わっているという重要な事実を描写する機会を逸している。脚本上の致命的なミスだろう。この描写が欠けているせいで、その後の史織の活劇がすべてギャグに見えてしまう。

 

白日の下でのランチや謎の踊りは明らかに『 ミッドサマー 』へのオマージュだろうが、完全に空回りしている。やるなら徹底的に白い太陽に映える白い装束、そして一糸乱れぬ踊りが名状しがたい不安感を呼び起こす。そんなシーンを模索すべきだった。それに『 ミッドサマー 』へのオマージュなら

1)死体の損壊

2)セックスシーン

この2つの方が本作には合っていたはずだ。1)については、せっかくそれらしいシーンがあったのに何もかもが中途半端(「俺だって、こんなことやりたくねー」の男はその後どうなったのだ?)。2)は、それこそ団地に泊まる羽目になった史織と元カレが、怪奇現象からの現実逃避のために肉欲に溺れるという絶好のサブプロットが追求できたはずなのに、あっさりとそれもパス。がっかりである。

 

一番意味不明なのは、死者が蘇ってくる前に、団地の住民全体でヒステリーを起こすところ。なんか意味あるの?シュールすぎて怖くないし、かといって笑えるでもない。まったくもって意味不明。この絵が恐怖を喚起すると思っていたのなら、後藤監督は金輪際ホラーには手を出さない方がいい。だいたい幽霊も、物を落としたり窓を開けたりはしても、直接危害を加えてくることがゼロなのだから、怖がりたくても怖がれない。というか、筒井真理子の恋人役の霊(?)と肉体、あれはどういう関係?死体の処理は?意味わからん・・・

 

幽霊と暮らしているから死は怖くないという理論は理解できなくもないが、それは史織の抱えるタナトフォビアの解決にはならないだろう。それこそ『 シックス・センス 』のような、「実はもう死んでました」路線で行くべきではなかったか。または『 カメラを止めるな! 』のように、ある時点までの展開はすべて映像作品でした、この映像を使って、観た人を団地におびき寄せます・・・のようなプロットは模索できなかったか。「自分ならここはああする、あそこはこうする」と必死に考えることでしか眠気と格闘できなかった。それぐらい酷い作品である。

 

総評

こんなクソ作品に時間もカネも費やすべきではない。言葉は悪いが、ダメな監督がダメな脚本を映画にしたとしか言えない。2022年に関しては『 大怪獣のあとしまつ 』という couldn’t be any worse な作品が存在するのが救いだが、そうでなければクソ映画オブ・ザ・イヤーの最右翼である。予告で流れてきた『 “それ”がいる森 』は、果たして本作を上回るか、下回るか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. This was such an awful movie that I need to forget it as soon as possible.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 日本, 監督:後藤庸介, 筒井真理子, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

銀河鉄道の夜 85点
2022年4月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:田中真弓 坂本千夏
監督:杉井ギサブロー

『 銀河鉄道999 』シリーズで野沢雅子の声に久々に触れたが、やっぱりイメージとしては孫悟空。ならばクリリン=田中真弓が主人公であり、『 銀河鉄道999 』の元ネタでもある本作も観てみたいと感じ、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

病弱な母と共に北の海の漁から帰らない父を待つジョバンニ(田中真弓)は、星祭りの夜も同級生たちになじめず、町はずれで空を眺めていた。すると空から汽車が現れた。乗りこむと、そこには友人のカムパネルラ(坂本千夏)がいた。二人は不思議な銀河の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

宮沢賢治といえば子ども向け作品のイメージが強かったが、それは非常に表面的な見方だった。何年か前の『 コズミックフロント☆NEXT‏ 』で『 銀河鉄道の夜 』は賢治の時代の最先端の天文学の知識が反映されていたと知って大いに驚いたことを思い出した。

 

『 風の谷のナウシカ 』は小学校の体育館で観たが、本作も確か小3か小4の頃にやはり体育館で観た覚えがある。その後、高校2年生の頃に講談社のバイリンガル文庫の『 銀河鉄道の夜 』を岡山の紀伊国屋で買って読んだ。そうした懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

本作は「文部省特選」と銘打たれているが、子ども向けの作りとは言い難い。冒頭から木の葉落としのように学校に迫っていくカメラワークや、薄暗い教室、クラスメイトに影口をたたかれる少年、活版印刷所で大人に混じって働くも、その大人たちにも揶揄される。父は家に帰って来ず、母親も病身。ジョバンニは幸せとは言い難い。しかし、それこそが賢治が伝えたかったことなのだろう。

 

銀河鉄道に乗ったジョバンニがカムパネルラと共に訪れ、目にする光景はどれも美しく、そして悲劇的である。120万年の時を駆けた証のくるみも、あっという間にボロボロになってしまう。せっかく知り合えた大人や同年代の他者を疎ましく思ってしまう。ジョバンニは自分の小さな幸せを奪われる、あるいは壊されると感じてしまうが、幸せの形とはそのようなものではない。幸せは与えられるものではなく、与えるものである。自己犠牲の先に幸せがある。そう受け取るのは簡単だが、それだけがメッセージではないようにも思う。カール・ブッセの『 山のあなた 』のように、幸せとは常にそれを追い求めていく対象であって、手に入れる対象ではないのだとも言える。ハッピーエンド=父親が帰ってくるかどうかはっきりしないという本作の結末そのものが、それを示唆しているように感じる。

 

キャラクターを猫にしてしまうことで物語の幻想度が増している。これはこれでありだと思う。また絵そのものの美しさも際立っている。ジョバンニたちの住む町の欧風かつオリエンタルなデザインも非常に味わい深い。2010年代後半以降のアニメは光の力が強すぎたり、あるいはキャラが不気味にゆらゆらと動くところが個人的にはしんどい。この時代のアニメーションの方がオッサンにはありがたい。細野晴臣の珠玉のBGMも本作を傑作タラ占めている。ジョバンニの心象風景をそのまま音楽にのせて、観る側にダイレクトに伝えてくる。何でもかんでもナレーションや説明的なセリフにしてしまう今のクリエイターたちに、もう一度基本に立ち返ってほしいと、本作を鑑賞してあらためて感じた。

 

観終わった直後に repeat viewing したが、数々の伏線の妙に驚かされた。特に最後のナレーションで「命は青い照明の明滅」だと語られるが、それがオープニングのクレジット・シーンに反映されていることに衝撃を受けた。他にもジョバンニがカムパネルラ家でアルコールで走る汽車の模型を見たという話は、『 オズの魔法使 』を思い起こさせた。ドロシーはオズへ行ったのか、それとも竜巻の衝撃で頭を打って、一時的な夢を見たのか。それと同じで、ジョバンニは本当に銀河鉄道に乗ったのか、それとも丘の上で一時的にまどろんだだけなのか。いかようにも解釈できるところが本作の素晴らしいところである。

 

ネガティブ・サイド

タイタニック号沈没のシーンは、東日本大震災と津波の被害をリアルタイムで経験した人にとっては相当に苦しい時間になりそう。もちろん賢治がそんなことを予見できるはずもないのだが。

 

無線技士の受け取る謎のメッセージをもう少しだけ鮮明にしてくれれば良かった。ここを海の事故を暗示するものではなく、北の海の漁船が帰ってくるという暗示のようなものにすれば、全体的に重苦しい雰囲気が少しは和らいだものになったと思う。

 

総評

文字通り時を超えた名作。少年の友情物語として鑑賞することもできるし、壮大なファンタジーとしてもアドベンチャーとしても解釈できる。正義・友情・勝利という、少年ジャンプ的な世界観や、2000年代以降のだらだらとした日常系とも一線を画している。親としても自分の子どもに安心して見せられる作品である。もちろん、大人も一緒に鑑賞して、子どもたちが抱くであろう様々な疑問に自分なりに答えてやってほしい。自分でも今度甥っ子たちに買ってやろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

~の悪口を言う、の意。ザネリのような子どもはいつの時代もいる。それはしょうがない。Ill weeds grow fast. 憎まれっ子世に憚る、である。ただ、ザネリたちのジョバンニへの態度は make fun of ~ = ~をからかう、笑いものにする、馬鹿にする、がより適切な訳かとも感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, アニメ, ファンタジー, 坂本千夏, 日本, 田中真弓, 監督:杉井ギサブロー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

Posted on 2022年4月27日 by cool-jupiter

さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 55点
2022年4月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

『 銀河鉄道999 』の続編。これまたアクション多め、かつ旅情もしっかり感じさせてくれる作品。ただ展開の強引さは否めないし、前作の大部分を否定する作りはいかがなものかと思う。

 

あらすじ

惑星メーテルから地球に帰還した鉄郎(野沢雅子)は機械化人と人間の戦乱にその身を投じていた。劣勢の中、メーテルから「999へ乗りなさい」とのメッセージを受け取った鉄郎は、再び銀河鉄道999に乗り込み、アンドロメダを目指すが・・・

ポジティブ・サイド

ある意味で『 ターミネーター 』を先取りしたかのような戦火のただ中にいきなり放り込まれるオープニングはかなりの迫力。ここで次々に倒れていく大人の戦士たちが渋い。ドラマチックな死に方などせず、アッという今に死んでいく。水木しげるが最も顕著だが、松本零士も世代的に10代20代の頃など元兵士が周りにたくさんいたことだろう。そうした人々が描く戦争のリアリティには胸が潰れそうになる。

 

前作よりもさらに西部劇のテイストがアップ。特にオルゴールが重要な役割を果たすシーンは、どうやっても『 夕陽のガンマン 』を思い起こさずにはいられない。鉄郎との間に芽生える奇妙な友情は、前作で過ぎ去ってしまった少年時代の再来だった。このエピソードがないと、鉄郎の少年時代との決別、すなわち literal な意味での父親殺しが達成されず、物語に決着がつけられない。

 

幽霊列車の描写も興味深い。原作漫画の銀河鉄道は国鉄どころか省電のごとき権威で列車のスムーズな運航を至上命題にしていたが、それが堂々と押しのけられるのだから、この幽霊列車のインパクトは大きかった。元ネタはおそらく『 ソイレント・グリーン 』だろう。何のことだか分からないという人は、決してググらないように。また、この幽霊列車は個人的にはFF6の魔列車の元ネタになったのではないかと思っている。間テクスト性が多く見られる作品というのは、それだけ先行作品をリスペクトし、後発作品にリスペクトされているということだろう。そういう意味では黒騎士ファウストも漫画『 キングダム 』の王翦将軍の元ネタになっている?

 

謎の美女メーテルの神秘のヴェールをはぎとってしまった前作を逆手にとって、そのメーテルに別の属性を与えることによって新たな物語を作るのは見事。ミステリアスな美女との旅は、それだけでドラマになる。

 

ネガティブ・サイド

前作と同じで、やはりキャプテン・ハーロックやエメラルダスが前面に出すぎている。これらのキャラは原作漫画やテレビアニメでもたまに出てくるから良かったのだが、2時間の映画でこれだけの頻度で登場すると、さすがに少々煩わしい。

 

機械人間が接種・・・ではなく摂取する「命の灯」のアイデアは悪くはないが、取って付けたような設定にしか見えない。なぜ機械化人は戦争で人間を生け捕りにするのではなく、殺そうとするのか。道理に合わない。プロメシュームの意思は地球には届かない?そんな馬鹿な。それにいくら機械化人が超長命だといえど、戦争の前線に出てきて盛大に散るだろうか。前作の機械伯爵と同じく、頭部など重要部位を破壊されれば、機械化人の生命もそこで終わる。機械と人間の戦争は考えられなくもないが、機械化人と人間の戦争は考えにくい。

 

最も釈然としないのは「サイレンの魔女」と呼ばれる大暗黒彗星。都合よく現れて、機械化人および機械化文明のエネルギーを根こそぎ吸い取っていくが、なぜ機械エネルギーを吸い取って、生きた生命体のエネルギーは吸い取らないのか。本作では機械化人は「命の灯」をエネルギー源にしていることが明示されたが、それと人間の命の違いは何であるのか。またアルカディア号からの砲撃ビームを捻じ曲げるほどの重力あるいは吸引力を有しているのに、鉄郎と黒騎士ファウストの決闘においてはお互いに獲物をまっすぐに打ち合うという矛盾した描写も見られる。このデウス・エクス・マキナによる物語の強引な畳み方は納得しがたい。

 

総評

前作よりもパワーダウン。しかし前作のテーマであった「そして少年は大人になる」についてはしっかりと継承されていた。冒頭で鉄道を999に乗せんと奮戦する中高年オヤジたちのカッコよさよ。不惑を超えて彼らの男らしさにしびれた。もちろん、若い世代が観ても楽しめる要素はいっぱいある。これもGWに親子二代、できれば父と息子のペアで鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

if you like

メーテルから鉄郎に「あなたさえよければ、どこかの惑星で死ぬまで一緒に暮らしてもいい」と言う場面がある。「あなたさえよければ」というのは日本語でもよく使う表現で、これの英訳が ”if you like” である。

I can live with you on some planet for the rest of my life, if you like.

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

Posted on 2022年4月24日 by cool-jupiter

銀河鉄道999 70点
2022年4月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

どういうわけかこのタイミングで本作のデジタルリマスター版が劇場公開。『 ネバーエンディング・ストーリー 』に続いて、A Never Ending Journey へ。

 

あらすじ

星野鉄郎(野沢雅子)は機械伯爵の人間狩りによって母を殺されてしまう。復讐を誓う鉄郎は宇宙のどこかにあると噂される無償で機械の体を与えてくれる星に向かうため、メガロポリスのスラム街で銀河鉄道999の切符を手に入れるチャンスをうかがう。そんな時、鉄郎は自分に銀河鉄道999のパスをくれるという謎の美女メーテル(池田晶子)と出会い・・・

ポジティブ・サイド

冒頭から貧富の格差を描くシーンにぎょっとさせられた。本作が公開された1979年はJovianの生年である。イラン・イラク戦争前夜で、景気が良い時代とは言えないが、それでも経済的な格差の萌芽はすでに当時あったのだろう。松本零士の炯眼と言えるかもしれない。

 

鉄郎とメーテルが999に乗って赴く先がそれぞれに興味深い。特に土星の衛星タイタンが『 オブリビオン 』以前にフィーチャーされているのも先見の明があると感じた。冥王星が惑星から準惑星に格下げになったのは仕方ないが、だからといってその独特の軌道=彷徨う星としての性格が失われたわけでもない。今日では冥王星は実は内部に熱源を持っているとされるが、そのことが本作の価値を損なうわけでもない。宇宙には常にロマンがあり神秘がある。宇宙空間を記者が走るのだ。本作はサイエンス・フィクションではなくファンタジーであり、アドベンチャーである。

 

キャプテン・ハーロックにエメラルダス、海賊アンタレスやトチローなど、主要な登場人物が皆アウトローなのも良い。人間的な秩序が行き渡った宇宙は冒険の対象にはなりえない。特にトチローは(Jovianの勝手な推測だが)松本零士その人の東映・・・ではなく投影だろうと感じる。男は見た目ではなく甲斐性。強い思いに支えられた生き様があれば、エメラルダスのような美女とも添い遂げられる。

 

キャラクターで最も印象深いのは、やはりメーテル。切れ長の目に面長の金髪美女。しかし、服装は上から下まで黒というコントラスト。フードにコートと非常に厚い着こなしだが、脱ぐ時は脱ぐというギャップ。漫画でも映像でも魅せる。主役である鉄郎も漫画のユーモラスなところはそのままに、シリアスさを増したキャラ造形で、漫画の方が男の子なら、映画では「男の子」と「男」の中間だろうか。本作は人類全体の「幼年期の終わり」=Childhood’s End を描いているが、同時に星野鉄郎の「少年期の終わり」=Boyhood’s End をも描いている。

 

銀河鉄道の実現は難しそうだが、軌道エレベーターは何とかなるかもしれない。機械の体は難しくても、人体の一部の機械化なら可能かもしれない。作品自体はレトロだが、現代から未来にかけて考えるべき材料をたくさん含んだ良作だろう。懐かしのテーマソングと共に宇宙旅行に思いを馳せるのも一興である。

ネガティブ・サイド

原作漫画の主要なエピソードを詰め込みすぎな感じがする。アンタレスやエメラルダス、キャプテン・ハーロックなどはいずれもお馴染みのキャラだが、一作に全員を集めてしまうのは少々やりすぎ。鉄郎に何かピンチやトラブルがあるたびに彼ら彼女らが現れる。これではデウス・エクス・マキナと変わらない。もう少し鉄郎とメーテルの二人旅と言うことを強調した作りにはできなかっただろうか。

 

後はメーテルの正体というか、鉄郎の母との関係が少し曖昧だった。機械伯爵に剥製にされた母とプロメシュームの与えた肉体との関係については、もっとはっきりさせるか、あるいはもっとぼんやりさせた方がよかった。

 

総評

あまり小難しいことを考えなくても、アクション多めのアドベンチャー映画になっているので、小さな子どもでも楽しめる構成になっている。ブルートレインに乗ってあちこちへ旅したという世代は、ちょうど本作をリアルタイムで観た、あるいはテレビ放映などで見た世代だろう。ぜひ親子二代で劇場鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

miss one’s stop

電車やバスで「乗り過ごす」ことを言う。誰しも一度は経験があるだろう。個人的に最もショックだったのは、新幹線で新大阪で降りるはずが、福山まで行ってしまったこと。I missed my stop and found myself at Fukuyama station. 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1970年代, B Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

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