Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

月: 2020年1月

『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

トップガン 90点
2020年1月22日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:トム・クルーズ
監督:トニー・スコット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122220448j:plain
 

『 ティーンスピリット 』が個人的にイマイチだったので、なにか音楽+ドラマで盛り上がれそうなものをAmazonで漁っていたら、本作に行き着いた。確か親父が買ってきたVHSを一緒に観ていたら、ラブシーンを早送りされたんだったか。今年は続編も公開予定なので、ちょっと早めの復習鑑賞を。

 

あらすじ

F-14パイロットのマーベリック(トム・クルーズ)は無鉄砲な操縦を繰り返す海軍の問題児。そんな彼と相棒のグースはエリート養成機関「トップガン」に送り込まれる。他の部隊の腕利きや教官との衝突や、民間人アドバイザーのチャーリーとのロマンスを通じて、マーベリックは成長していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

本作も通算では6~7回は観ているように思う。確か二度目に観たのは大学4年生ぐらいの時で、戦闘機のカッコよさにしびれて、ゲームの『 ACE COMBAT 04 shattered skies 』を衝動的に買って、かなりハマってしまったんだった。さらにつられて、漫画『 エリア88 』や『 ファントム無頼 』も古本屋で全巻買ったんだったか。

 

MiGがA-4スカイホークなのはご愛敬。本作の面白さの一つは、戦闘機のリアルさにある。ゲームのAce Combatさながら(というか、ゲームが映画を真似ているのか)、本物の戦闘機のジェットエンジン音を使うことで臨場感が増す。そのおかげで、本物のF-14やA-4の飛行シーンと模型を使った撮影シーンが混在していても違和感がない。近年の映画では戦闘機などもCGで描かれるが、その挙動に空気感がない。空気抵抗と言ってもいい。泳ぐように空を飛ぶと言うと変だが、実際の飛行機で戦闘機動(combat maneuver)を行えば、そういう挙動になるものだ。本作はCGが発達していない1980年代の制作ゆえに逆に臨場感と迫真性が生まれている。撮影に協力したアメリカ空軍と海軍のパイロットに満腔の敬意を表したい。また、空母から飛び立つF-14を誘導するクルー、カタパルトをチェックするクルーなど、空を飛ばない人たちの存在もしっかりとフィーチャーされているところもポイントが高い。『 エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー 』の空母ケストレルからの最初の発艦シーンは、本作へのオマージュであることは間違いない。

 

酒場でのパーティーやビーチバレーなども刹那的な青春を感じさせる。いつ死ぬか分からないパイロットの生態を上手く表していると感じたし、中盤まではゲイなのかと思うほど互いにベッタリなマーベリックとグース、アイスマンとスライダーのコンビは、『 ファントム無頼 』の神田と栗原のようである。彼らの友情と衝突と別れ、そしてチャーリーとのロマンス、父の死の真相など、ドラマパートも大いに盛り上がる。それらに主に80年代のヒットソングが彩りを加えている。特に“Take My Breath Away”、“Danger Zone”、“Mighty Wings”、“Top Gun Anthem”は本作のトーンに絶妙にマッチしている。マイケル・ジャクソン以来、音楽と映像の関係は密接不可分なものに昇華したが、これほど歌と映像が見事にコラボしている作品80年代では、『 ロッキー 』シリーズの“Eye of the Tiger”と“Burning Heart”ぐらいだろうか。

 

クライマックスの空中戦の迫力と臨場感は圧巻である。友の死、父の死、そして自らの死の恐怖を乗り越えて、数で勝る敵機に立ち向かっていくマーベリックの雄姿に、アドレナリンが過剰分泌される。そしてオーバーシュートさせてからの敵機撃墜で、血圧と心拍数はマックスとなる。軍事的な考証などは考えなくていい。戦闘機映画としても、ビルドゥングスロマンとしても、音楽と映像のコラボレーションの面でも、20世紀の映画作品の中でも最高峰の一つと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

せっかく戦闘機の挙動が真に迫っているのだから、訓練や実戦の際にもパイロットやRIOにGを感じるシーンや演出が欲しかった。それがあれば更にリアリティが増したことだろう。

 

あとはMiG-28にもっと似た飛行機を採用できていれば・・・。

 

総評

頭を空っぽにして2時間楽しめる映画である。音楽もいい。40代以上なら、ノスタルジーを感じさせる楽曲が多いだろう。様々な要素を詰め込みながら、テンポが緩まず、ドラマもしっかり盛り上がる。続編の『 トップガン マーヴェリック 』も2020年7月に公開予定とのこと。Jovianは、親父を誘って観に行こうと思っている。父親が息子を誘ってもよいし、祖父が孫を映画館に連れて行ってやるのもありだろう。たとえ続編が駄作だったとしても、本作の価値はいささかも減じることはない。世代を超えて観られるべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is what I call ~

That is what I call ~ もある。「これでこそ~だ」のような意味合いで頻繁に使われる表現である。とても美味しい寿司を食べて、「これぞ寿司だ」と思ったら、

“This is what I call sushi.”

「これこそ正にアクション映画だ!」と思ったら、

“This is what I call an action movie!”

会議でブレストが上手く行っていたら

“This is what I call brainstorming.”

何度か使えば身につくので、状況に応じて使ってみよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ロマンス, 監督:トニー・スコット, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 トップガン 』 -戦闘機+友情+ロマンス+音楽=Top Gun-

『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

ウォーリー 85点
2020年1月21日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ベン・バート
監督:アンドリュー・スタントン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122154011j:plain
 

Jovianはアニメーション映画をそれほど好まない。アニメ映画は、それなりに鑑賞する。アニメーション=映像を主眼にする。アニメ=ストーリーテリングを主眼にする。手塚治虫にならって、そのように区別したい。その意味では、本作はアニメーションとアニメ、両方の分野における極北である。まさに炉火純青である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122154037j:plain
 

あらすじ

人類が宇宙に旅立った後の荒涼とした地球で、ロボットのウォーリー(ベン・バート)はゴミ収集に明け暮れていた。唯一の友だちはゴキブリのハル。だが、ある日、空から宇宙船がやってきて、探査ロボット、イヴを置いていった。イヴに一目惚れしたウォーリーは、何とかイヴとコミュニケーションを取ろうとするが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122154205j:plain

 

ポジティブ・サイド

ピクサー作品はLA行きの機内で観た『 モンスターズ・インク 』が個人的にさほどでもなかったので、以来長きにわたって敬遠していた。しかし、先日訪れたピクサー展の内容をつぶさに見て、その技術の粋に感銘を受けた。そして、ストーリーが最も面白そうな本作を借りてきた。その判断は間違いではなかったと思う。これは文句なしの傑作である。

 

オープニングから数十分、セリフが全くない。これだけで名作の予感がする。『 続・夕陽のガンマン 』もそうだった。テレビドラマではないのだから、映画は映像でもって物語を語らしめるべきである。『 グリンチ(2018) 』のアニメーションも美麗だったが、ピクサーはその一段上を行っている。その技術の高さについては、関西在住の方は大阪梅田のグランフロントでピクサー展を行っているので、そちらに行かれたし。このクオリティのCG画像が2008年のものだとすると、現在のピクサーの技術水準はどのあたりにあるのだろうか。それとも、時間とカネと人手をかければ、どこの組織や会社でも、この画のレベルに到達できるのだろうか。

 

それにしてもウォーリーというキャラクターの可愛らしさよ。それは外見から来るものではない。人によっては見方は様々だろうが、パッと見ではウォーリーは可愛らしくは見えない。しかし、誰もいない世界で一人せっせとゴミを収集し続ける様に、観る側もどうしても孤独感を共有してしまう。そしてその孤独さは、人間だけではなくロボットすらも蝕むものであることを思い知る。『 孤独なふりした世界で 』でピーター・ディングレイジの演じたデルという男の broken な様はウォーリーにインスピレーションを得たのではないかとも感じられた。孤独に適応した者ほど、他者とのつながりを断ち切りにくいのだ。

 

このウォーリーはR2-D2やディズニー映画『 ブラックホール 』のV.I.N.CENT.やB.O.B.の系譜に連なるロボットである。つまり、初見では可愛くは見えないのだが、徐々に愛着が湧いてくるタイプである。その造形は『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』的であるとも言える。ウォーリーが長く孤独なゴミ収集生活から、文化的な品々を選り分け、大切に保管していることに、Humanity=ヒューマニティー=人間性と、Humanities=ヒューマニティーズ=人文学の両方の芽生えが見て取れる。一方で、地上のみならず軌道上までゴミだらけにしていく人類=Humanityとは、いったい何であるのか。そして、宇宙船アクシオム号で怠惰に生きる人類に、人間性はあるのか。その人間性が欠落したかに見える人類の産物であるイヴに、どうやって人間性が芽生えるのか。その過程が素晴らしく美しい。邦画『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』のとある脚色部分は、本作に着想を得たのではないか。

 

融通の利かないロボットたちと、故障扱いされたロボットたちのスラップスティックな対立、そして『 2001年宇宙の旅 』的な人間vs人工知能という対立、それらをすべて内包する形で花開くウォーリーとイヴの物語は、2000年代最高峰のものの一つだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122154228j:plain
 

ネガティブ・サイド

ストーリーにオリジナリティが少々欠けている。未来そして宇宙の世界の人間像は、漫画『 銀河鉄道999 』のとあるエピソードの丸パクリ(まあ、偶然の一致・・・というか、誰でも考え付く陳腐な未来像)である。

 

『 エリジウム 』や『 オブリビオン 』、『 インターステラー 』、『 パッセンジャー 』といった作品の下敷き的な描写もあるが、そもそも荒涼とした地球、そして宇宙に新天地を求める人類といったテーマ自体が手垢のついたものになっている。ウォーリーの孤独と人類の業をもう少し新たな次元で関連付けることはできなかっただろうか。

 

また、映像はめちゃくちゃ美しいが、これは小学校低学年の子どもを引き付けられるのだろうか。Jovian自身の経験や、甥っ子たちの観察からすると、子どもを引き付けるのは絵だけではなく声もである。その声が序盤はほとんど聞こえない、つまり本当に小さな子どもなら序盤で寝落ちしてしまう恐れなしとしないところが弱点である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200122154255j:plain
 

総評

愛嬌のあるロボットの物語というのは、元来は日本のお家芸だったはずである。アメリカでロボットと言えば『 アイ、ロボット 』のように反乱するのがお約束。『 ターミネーター 』も元々は殺戮マシーンだった。だが、本作で紡がれるウォーリーとイヴの物語は、CG映像よりも美しい。中学生以上であれば、何かを感じ取れるに違いない。もちろん大人が楽しむことも十二分に可能な大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

rogue

凶暴な、荒くれの、面倒な、のような意味である。劇中でウォーリーとイヴが“Caution, rogue robots”としてアクシオム艦内で指名手配される。人間に危害を加えかねないロボットにつき注意というわけだ。『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』や『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』など、メジャーな映画のタイトルにも含まれている語。ドナルド・トランプ米大統領が北朝鮮を指して「ならず者国家」と言った時にも’Rogue Nation’という表現を使っていた。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, SF, アニメ, アメリカ, ベン・バート, ロマンス, 監督:アンドリュー・スタントン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

『 ジョジョ・ラビット 』 -戦争と差別の愚かしさをユーモラスに批判する-

Posted on 2020年1月21日 by cool-jupiter

ジョジョ・ラビット 75点
2020年1月20日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ローマン・グリフィン・デイビス トマシン・マッケンジー スカーレット・ジョハンソン サム・ロックウェル
監督:タイカ・ワイティティ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200121211650j:plain
 

正直なところ、トレイラーを観る限りは面白そうに思えなかった。しかし、アメリカではかなり評価が分かれているようである。評価が分かれるというのは、好きな人は好きになれるし、嫌いな人にとっては忌むべき作品ということである。誰もが50点をつける映画ならば、お呼びでないのである。

 

あらすじ

母ロージー(スカーレット・ジョハンソン)と暮らすジョハネス(ローマン・グリフィン・デイビス)はナチズムを信奉する10歳のドイツ人少年。彼のイマジナリー・フレンドはアドルフ・ヒトラー総統その人だった。ヒトラーの親衛隊になることを夢見るジョジョは、キャプテン・K(サム・ロックウェル)が開く合宿で、手りゅう弾による怪我を負ってしまう。自宅で養生するジョジョは、母が匿っているユダヤ人のエルサ(トマシン・マッケンジー)と遭遇してしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200121211711j:plain
 

ポジティブ・サイド

役者陣の奮闘が目立つ。コメディカルでフレンドリーでありながら、ファシストの顔を全く隠せていないヒトラーを演じた監督タイカ・ワイティティは、正直なところ総統閣下に外見は似ていない。しかし、髪を振り乱し、大げさなジェスチャーで、煽るかのようにがなり立てるのは、確かにヒトラーその人の特徴をよく捉えていた。

 

その友だち(?)であるジョジョと、さらにその友だちであるヨーキーは、確かに子供らしい子どもだった。『 IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』の子どもたちは一部「ガキども」と呼びたい連中が混ざっていたが、ヨーキーは純粋だった。純粋ということは染まりやすいということで、染まりやすいということは、別の色にもすぐに染まるということである。事実、ユダヤ人の脅威を感じていたヨーキーは、戦局苛烈となるとすぐさま反ロシア、反アメリカに転じた。このことがヨーキーの心を揺るがす様は切ない。そして、ジョジョが蝶を追いかけた先で見せる表情そして動作に、我々は心臓を握りつぶされてしまうかのような苦しみを感じる。この子役たちの演技は見事である。

 

しかし最も印象に残ったのはスカーレット・ジョハンソンとサム・ロックウェルだった。『 マリッジ・ストーリー 』でも母親役を熱演したが、ジョハンソンはこのまま篠原涼子の路線に突入するのであろう。つまり、健康的な色気を振りまきつつ、硬軟を自在に織り交ぜた母親像を見せてくれるに違いない。演技面でも、コロコロと変わる表情に、元々ハスキーな声を生かしたシークエンスが光っていた。そして、嗚呼、サム・ロックウェル!頭のイカれた軍人と思わせて、人間味溢れる大人の男を好演した。ある尋問のシーンの睨みつけるような目つき、そして連行されていく時の「やり切った男の誇らしげな笑顔」に、我あらず敬礼をしてしまった。

 

第二次大戦当時の街並みや服装、家具調度品にはリアリティがあったし、ブリティッシュ寄りの、ややゲルマン風の英語を話す役者たちも、ドイツ人として受け取ることができた。そのドイツ人の中でも、ゲシュタポ(秘密警察)の連中の馬鹿馬鹿しさと恐ろしさの同居した言動は、ファシズムの再来は絶対に阻止せねばならないとの思いを強くさせてくれる。同時に、このような恐怖と脅威の源は「国家のため」という美辞麗句と共にやって来るのだということを改めて知った。ゲシュタポのリーダー格の長身の大尉が見せる笑顔は、狂信者のそれである。あの時代のドイツがいかに狂っていたのか、背筋が寒くなる。なぜなら、それは当時の日本の姿でもあるからである。

 

エルサとジョジョの関係は、どうなるのか。それは観る者の想像力に委ねられているのだろう。しかし、『 The Fiction Over the Curtains 追記とその他雑感 』で触れたように、誰かに強制された形ではなく、自発的な意志で表現することが必要である。それこそが自由の証だからである。二人が幸せになれたかどうかは分からない。だが、エルサとジョジョは自由になった。それだけで鑑賞後、胸がいっぱいになった。

 

ネガティブ・サイド

ジョジョの顔の怪我の程度が軽すぎる。『 ワンダー 君は太陽 』のオギーとまでは言わないが、せめて『 累 かさね 』の累ぐらいのメイクは施せたのではないか。こうした妙な配慮のようなものが、ディズニーの悪いところの一つである。

 

ジョジョが母ロージーから言い渡される「ウサギのように勇敢で賢くあれ」という教えを体現する場面が欲しかった。ゲシュタポが登場するシーンで、ジョジョが機転を利かせると期待したのだが・・・

 

どうでもいいことだが、ウサギの死体をあのように放り投げても、あんなにクルクル回転はしないと思うが。その嫌な年上の少年の顛末を描いてくれなかったのは、少々残念だった。Jovianの脳内では、あの二人組は戦地の上官に修正を喰らって、歯を2~3本折られたことになっている。

 

総評

前半はコメディ、中盤で一瞬だけ『 ダンケルク 』的な戦争映画となり、後半からエンディングはジョジョのビルドゥングスロマンである。子どもの目から見ると戦争や差別的な思想が空虚で愚かに映るのか、それとも戦争や差別が、本来はタブラ・ラサである子どもをアホにしてしまうのか。おそらくは両方ともが正解なのだろう。このヒトラー率いるドイツ(とムッソリーニ率いるイタリア)と同盟を組んで世界を敵に回し戦った日本は、悪い意味で忘れてはならない。偏狭なナショナリズムが(またも)台頭しつつある日本人こそ、本作を観るべきではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I couldn’t care less.

ジョジョことジョハネスの脳内ヒトラーのセリフである。直訳すれば「今以上に少なく気にかけようと思ってもできない」である。意訳すれば「クソどうでもいい」となる。Less = より少なく、can’t / couldn’t = できない、を組み合わせて、「より少なくできない、なぜなら今が最小だからだ」ということ。似たような表現に I couldn’t agree more. = 今以上に賛成しようとしてもできない=「これ以上なく賛成」がある。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, コメディ, サム・ロックウェル, スカーレット・ジョハンソン, トマシン・マッケンジー, ヒューマンドラマ, ローマン・グリフィン・デイビス, 監督:タイカ・ワイティティ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ジョジョ・ラビット 』 -戦争と差別の愚かしさをユーモラスに批判する-

『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

Posted on 2020年1月20日 by cool-jupiter

仮面病棟 65点
2020年1月19日に読了
著者:知念実希人
発行元:実業之日本社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200120131534j:plain
 

『 神のダイスを見上げて 』が結構読みやすかったので、本作(小説)も購入。現役医師が病棟を舞台に描くだけあって、臨場感もプロットの妙も、こちらの方がかなり上であると感じた。

 

あらすじ

外科医・速水秀悟は先輩の代打で当直バイトのため、田所病院に入った。その夜、ピエロの仮面をかぶった男が病院に押し入り、「この女を治せ」と腹部に銃創のある女性を連れてきた。ピエロは自らを金目当ての強盗だと言うが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200120131605j:plain

 

ポジティブ・サイド

グイグイと引き込まれた。330ページ弱と、小説としては標準的な長さだが、2時間ちょうどで一気読みできた。帯の惹句の【 一気読み注意! 】という文言は本当である。

 

また医師が書いているだけあって、病棟の構造や患者の設定にリアリティがある。それも海堂尊の作品に共通して見られる、医師や医療従事者、官僚などが専門用語を使ったり、倫理観を戦わせたり、徹底した手洗いやオペの手技に悦に入っているような描写ではない。一般人にも十分に理解できるような語彙を使ったり、情景描写を行ったりしている。一方で、治療の場面などはスピード重視。専門的な語彙を存分に駆使しながらも、やはり海堂作品にやたらと見られる、ルー大柴的(日本語とカタカナ語のちゃんぽん)な言葉の使い方をしていないので、専門用語(数は多くない)も漢字から意味がスッと理解できたり、その後に続く動詞が平易であるので、何を行っているのかというイメージを脳内に描きやすい。なかなかの書き手である。

 

ジャンル分けすれば、ミステリ、サスペンス、シチュエーション・スリラーだろうか。この田所病院には「館」的な趣がある。そして、それは全く荒唐無稽ではない。おそらく本職の医師や看護師らコ・メディカルであれば、田所病院各階フロア図を見て何かに気づくことであろう。天狗になるわけではないが、Jovianも本文を読み始める前にピンときた。これは漫画『 おたんこナース 』のとあるエピソードから病院独特のシステムがあることを学んでいたからである。また同じく漫画『 スーパードクターK 』を読んだことがある人なら、とある闇のビジネスについてもピンとくるかもしれない。日本の社会構造が目に見える形で変わってきている今、こうした問題はいつか本当に起こるかもしれない。

 

数少ない登場人物、病院という閉鎖空間、時間にして一日足らず(実際は数日だが、事件そのものは一日足らず)という極めて短い時間でありながら、ミステリ要素も社会派要素も込められていた。小説の映画化ではないが、韓国映画『 ブラインド 』を日本式に換骨奪胎して成功させた『 見えない目撃者 』のような、ミステリとサスペンスの両方を貪欲に追求するような作品である。また、映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない。これは知念実希人先生の隠れたグッジョブかもしれない。読むならば、次の日が休日の夜にすべきである。

 

ネガティブ・サイド

このピエロの犯人像には感心しない。詳しくは言及できないが、普通に考えれば速水よりも先に病院の構造上のある秘密に気がつくはずである(映画のトレイラーは盛大にネタバレを含んでいるので注意!)。また、ある程度大きな病院には地下に発電施設などがあることが多いが、この病院には地下室はない。うーむ。ストーリーが十分にアングラだからだろうか。

 

ひとつ不自然に感じたのは、あるキャラクターのある言動である。怪しいのはセリフそのものではなく、そのセリフを言う相手である。ヒントとしてあからさま過ぎる。

 

「もしかしたら・・・、いえ、先に確かめてきます」 

↓ 

死体として発見される 

 

のような現実世界では不自然極まりないがミステリ世界では全う至極な展開は構築できなかっただろうか。また、順番が前後するが、犯行の構造が『 神のダイスを見上げて 』とそっくりである。こちらを読んだ人なら、真相に一気に迫れるかもしれない。これは知念実希人の癖なのだろうか。

 

総評

あわよくばシリーズ化も狙えたかもしれないが、それをあっさりと放棄するエンディングは個人的に好感触であった。ダークヒーローというのは、マイノリティだからかっこいいのである。誰もかれもがダークヒーローになる必要はない。映画化に際しての不安材料は、トレイラーにある「国家の陰謀」なるナレーションである。そこまで話を大きくする必要はない。その点、小説版はコンパクトにまとまっている。映画はさらにもう一捻りを加えてくるのは間違いないと思われる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。吉3:凶7ぐらいの確率だろうか。非常にリーダビリティの高い作品なので、3月の映画公開前に一読をお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown

ピエロというのはフランス語で、英語では clown と言う。『 ジョーカー 』を思い浮かべてもらうのがちょうどいい。日本ではあまり見ない存在であるが、clown aroundという熟語は覚えておいて損はないかもしれない。「道化師のごとく、ふざけた真似をする」の意である。ただし、必ずしも顔をペイントしたり派手な衣装を身にまとったりする必要はない。飲み会などで同僚たちのバカ騒ぎが過ぎるときに、心の中でつぶやくとよいだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 日本, 発行元:実業之日本社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

『 リチャード・ジュエル 』 -権力は暴走する-

Posted on 2020年1月19日 by cool-jupiter

リチャード・ジュエル 70点
2020年1月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ポール・ウォルター・ハウザー サム・ロックウェル
監督:クリント・イーストウッド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200119013325j:plain
 

『 ザ・レポート 』や『 スノーデン 』で描かれていたように、巨大な力を持つ組織というのは、暴走する危険を常に孕んでいる。クリント・イーストウッドはその点でFBIに目を付けた。日本でも、安倍首相にヤジを飛ばしただけで警察官に引っ張っていかれる時代である。本作を見て学べることは多いかもしれない。

 

あらすじ

リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は法執行官に憧れる警備員。記念公園の警備中に発見した不審なリュックには爆弾が仕掛けられていた。人々を必死に避難させる中、爆発が起こる。リチャードは英雄として報じられた。しかし、FBIは彼を容疑者として扱い始めた。リチャードは旧知の弁護士ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)に救いを求めて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200119013348j:plain
 

ポジティブ・サイド

Jovianは1996年当時、高校生だったので、なんとなくこの事件のことは覚えている。が、それよりも松本サリン事件や地下鉄サリン事件のインパクトの方が強かった。どちらにも共通するのは、権力は暴走するということだ。序盤にリチャードとワトソンが出会い、そして別れるシーンが特に印象的だ。ワトソンの言う“Don’t become an asshole.”=「クソ野郎になるな」というのは、クリント・イーストウッドがメディアや警察権力に対して発したいメッセージなのだろう。『 ハドソン川の奇跡 』と本作は、その最も象徴的な作品である。

 

フェイクニュースの時代の萌芽が1990年代に既に見られていたというのは、新鮮な発見だった。こうした風潮は、インターネットの発達を見た2000年代に端を発すると思っていた。メディアスクラムの圧迫感はいつの時代、どの地域でも変わらないことも再確認できた。メディアが欲しているのは英雄でも極悪人でもなく、ニュースそのものであるようだ。終盤にリチャードが言い放つセリフは、そのまま松本サリン事件の冤罪被害者の河野義行氏の言葉と受け取ることもできる。権力に屈してはならないのだ。アメリカでも日本でも、世界のたいていの国では、主権者は国民であって、国家や国家機関ではない。これに関しては、まんまとレバノンへの逃亡を果たしたカルロス・ゴーンに対して法相の森雅子が「無罪を自ら証明せよ」と発言して、日本は“推定有罪”の国だと改めて内外に示したことを思い出してもよらえばよい。権力は暴走する。そして暴走した権力ほど厄介なものはない。『 スノーデン 』でも感じたことだが、権力の暴走に歯止めをかけるのは権力側ではなく、市民・国民側なのだ。そして、そのためには適切な知識も必要である。日本のテレビドラマでは今でも取り調べに弁護士が同席しないことがほとんどのようである。『 まだ結婚できない男 』の何話目かにそんなエピソードがあった。めちゃくちゃである。何かの間違いで警察に引っ張られたら、弁護士の同席および黙秘を主張する。本作からは、あらためてそのことを学ぶことができる。

 

それにしても、主演のポール・ウォルター・ハウザーは『 アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル 』で“But I do.”を繰り返した、薄気味悪い陰謀論男そのままの雰囲気。それゆえに英雄から容疑者に転落していく様が、奇妙に似合っている。劇中でも形容されたように、「下層白人男性」という表現が合っている。White Trashという概念もこの時代に生まれていたのだろうか。はっきり言って、弁護士のアドバイスを実行できないアホなのであるが、それはアホだからではなくナイーブだからである。そのことは、彼とその母ボビの関係から見て取れる。その母を演じたキャシー・ベイツは、圧巻の演技。今すぐアカデミー賞の助演女優賞にノミネートしろ、と言いたくなるほどである。特に中盤終わりに記者会見の場で行ったスピーチは、母親という人種の愛の深さを観る者の心に切々と訴えかけてきた。

 

弁護士のワトソンを演じたサム・ロックウェルは、本人には全然似ていない。しかし、情報不足でメディアに揚げ足を取られながらも、自らが見込んだ男を救うために真剣に取り組む様にプロフェッショナリズムを見た。Jovianも最近、弁護士の先生から法的な助言を頂く機会があったが、情報というのは包み隠さず伝えなければならない。医療従事者と法曹相手にはなおさらであると、改めて感じた次第である。喋るなと言われているのにペラペラと喋るリチャードの弁護を降りなかったのは、それだけで尊敬に値する。ないとは思いたいが、本格的に弁護士の力を借りる事態が出来すれば、このような男に依頼したい。

 

ネガティブ・サイド

アトランタ・ジャーナルの女性記者はいったいどこまでが実話なのだろうか。ワトソンの車に勝手に乗り込んだり、FBI捜査官から文字通りの寝技で情報を取ったり、“疑惑”と“事実”と合弁したりと、支離滅裂である。特に、疑惑を事実として報じる姿勢は『 ザ・レポート 』の素人心理学者の言う「彼が真実を言っていない、という真実が明らかになった」という論法と同じである。屁理屈の極みである。その同じ女性が、リチャードの母の魂の演説に心動かされ、改悛の涙で頬を濡らすのは、あまりにも唐突すぎやしないか。もっと丹念にリチャードの周辺を調査したり、今風に言えばファクトチェックを綿密に行ったりする描写がないままに心変わりを見せられても、シラケるだけである。

 

その調査についてもFBIはお粗末の一語に尽きる。公衆電話までの距離や、そこに到達するまでの時間も調査すらしない。普通に考えればリチャードとその母の家の捜索および物品の押収に踏み切るまでに、公衆電話の受話器の指紋の有無や、当日のリチャードの荷物や服装に関する聞き込み、各所にあるはずの防犯カメラの映像のチェックなど、素人ですらパッと考え付く捜査を行わない。少なくともそのような描写はない。FBIから突っ込みが入りそうである。もしくは事実として、これらの捜査は(少なくとも事件の初期段階では)行われていなかったのだろうか。背景に何があったのかが見えないので、メディアやFBIの方針転換が唐突に映ってしまうのが弱点である。

 

日本語版トレイラーにあった、【 最後に明らかになる衝撃の真実とは- 】という煽りは必要か?そういう物語ではないはずだが。

 

総評

繰り返して言うが、権力とは暴走するものである。アメリカの、それも1990年代のことだからと、他人事と思うことなかれ。真実を追わず胡散臭そうな者を追う警察の腐敗した姿勢は、日本に生きる我々も注意せねばならない点である。カタルシスには少々欠けるし、伝記映画として見ても、キャラクターの深掘りが足りない。しかし、ヒューマンドラマとしては立派に成立している。社会派映画としても良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Give me a holler.

直訳すると「叫び声をよこせ」だが、実際は「呼んで/声かけてね」ぐらいの意味である。『 サイモン・バーチ 』でも、まったく同じセリフが使われているシーンがあった。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, ポール・ウォルター・ハウザー, 伝記, 監督:クリント・イーストウッド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 リチャード・ジュエル 』 -権力は暴走する-

『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

Posted on 2020年1月18日 by cool-jupiter

スティーブ・ジョブズ(2016) 50点
2020年1月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・ファスベンダー
監督:ダニー・ボイル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200118171102j:plain


 

Jovianの大学の図書館や寮のPCはある時期までマッキントッシュ一辺倒だった。中にはWindowsを熱心に推す先輩や同級生もいて、派閥抗争の様相を呈することもあった。当時はIEとネスケのブラウザ戦争が決着して数年という時代で、新しい何かを求める空気があったように思う。その新しい何かをもたらした男、ジョブズが死去して10年近くが経つ。あらためて映画でジョブズを振り返るのも良いかもしれない。

 

あらすじ

スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)は新作マッキントッシュのプレゼンテーション前のあわただしい時間を過ごしていた。「ハロー」と発話するはずのPCが発話しない。「何としても直せ!」と部下に詰め寄るジョブズ。そこに認知していない娘リサとその母親クリスアンが訪れて・・・

 

ポジティブ・サイド

スティーブ・ジョブズについては生前から色々なことが報じられてきた。だいたいコンピュータ産業(現IT産業)で一旗揚げられる人間は偏屈な geek であると相場は決まっている。そしてジョブズはまさにその通りの人物であった。本作は、ジョブズの背景などには極力迫ることなく(この映画を観る人は、かなりの程度知ってるでしょ?的なスタンスで)、ジョブズの転機となった三つのプロダクト・ローンチのプレゼンの舞台裏を、超高速会話劇で描いている。なのでテンポは素晴らしい。サクサクと進んでいく。

 

また、セリフに次ぐセリフでドラマを動かしていく一方で、肝心な部分は映像で伝えてくる。幼い娘リサがマッキントッシュを使って線画を描くところが、その好例である。ジョブズのビジョンは常に、「直感的に使えるもの」、「子どもや老人でも手軽に使えるもの」だったことはよく知られている。その通りに、未就学児童のリサがマックを使えたということに感銘を受けるジョブズは、大人や親としてはどうかと思うが、ビジョナリーやアントレプレナーとしては素晴らしい。本作sはそうしたジョブズの欠落した人格の中に多大な能力や天才性を、実に巧みに浮かび上がらせている。

 

本作は、これまで経営者としてフォーカスされることの多かったジョブズの、家庭人(?)としての顔を浮かび上がらせた。ジョブズがいかに夫としても父親としても不適格な人間であるかを浮き彫りにすることで、彼の人間的な臭さと言おうか、もっと言えば娘に対する不器用すぎる接し方(それを愛情と呼ぶこともできるかもしれない)を前面に出すことで、頭のネジの外れた短気で吝嗇のテックナードという人間像が虚像に見えてくる。なんとも不思議であるが、それゆえに愛すべき嫌味な男という、ジョブズの人間性が際立っている。マイケル・ファスベンダーの面目躍如である。

 

ネガティブ・サイド

スティーブ・ジョブズやアップル、マッキントッシュに関する背景知識がある程度ないと、ストーリーに入っていくことができない。冒頭のコンピュータ産業の黎明の部分を、もう1~2分伸ばして、もう少しintroductoryなオープニングにできなかっただろうか。

 

ジョブズ以外のアップルの主要な登場人物たちが、とても味わいのあるキャラクターに描かれている反面、最後の最後にはジョブズの引き立て役にされてしまっているのが気になった。同じスティーブの名を持つウォズニアックを、小さな親切大きなお世話をする人間に描いてしまう(そう映った)のは、うーむ・・・ 本当の意味でコンピュータ産業を“前進”させたのは、ウォズニアックのはずだ。ジョブズはアントレプレナーでビジョナリーであった。それは間違いない。だが、時代を変えるようなプラグラマーやエンジニアではなかった。経営者 > 現場の人間 のような描き方は、小市民かつ平社員のJovianには刺さらなかった。

 

この作品は人間ジョブズの一面を捉えてはいるが、あくまで一面である。おそらくジョブズの歴史的評価も、2040年代や2050年代に定まってくるのかもしれない。ジョブズが執着した「コンピュータも芸術作品であるべき」という信念や、直感的に使い方が分かるプロダクトを作るという情熱の源については触れられない。そうした視点からのジョブズ映画も今後は作られてくるのだろうが、本作単体を見たとき、 biopic としての奥行に欠ける点は否めないだろう。

 

総評

天才というのは往々にして奇人変人狂人である。なので、彼ら彼女らのbiopicは上手く作れば面白くなるし、調理法を間違えると好みが大きく分かれてしまう。本作は、そういう意味ではかなり好みが分かれる作品に仕上がっている。日本は出る杭を打つか、引っこ抜くかしてしまうので、天才を描いた物語は存外に少ない。だが邦画の世界も、もっと真剣なbiopicを作るべきであると考える。中村哲先生とか、絶対にやるべきだと思うのだが。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll give you that.

「それは認めよう」の意。thatは、その直前の内容を表している。

Kei Nishikori is a fantastic tennis player. I’ll give him that.

のように、you以外を据えて使うことも可能な表現である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, マイケル・ファスベンダー, 伝記, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 スティーブ・ジョブズ(2016) 』 -稀代の奇人のbiopic-

『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

Posted on 2020年1月18日2020年8月29日 by cool-jupiter

ザ・レポート 70点
2020年1月17日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー
監督:スコット・Z・バーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200118004331j:plain
 

遅ればせながらAmazon Prime Videoにsubscribeした。動画配信サービスはNetflixやHuluやUstreamなど、色々あって迷ったが、まずは通販で慣れ親しんだAmazonを選択。余裕が生まれれば、Netflixにも加入してみたいと考えている。まあ、アナログ人間なので、近所のTSUTAYAにも足繫く通い続けるとは思うが。

 

あらすじ

ダニエル・ジョーンズ(アダム・ドライバー)は、米上院議員のファインスタインの下で、CIAの行ってきた拘留および尋問に関する調査を行う。資料の山から判明したのは、CIAが「強化尋問テクニック」と呼ばれる拷問を行っていたということ、そしてその事実がひた隠しにされてきたということだった・・・

 

ポジティブ・サイド

9.11の余波は留まることを知らない。あのテロ事件によって、戦争とは国家間で行われるものではなく、国家ではない集団と国家の間でも起こりうるものだと認識されるようになったからだ。そして、戦争ほど非人道的かつ違法/不法な行為もないと思う。本作は、“戦時下”のアメリカにおける正義と愛国の意味を厳しく問うている。

 

拷問を「強化尋問テクニック」と言い換えるのは詭弁であり詐術である。まるで旧日本軍が撤退を「転進」と、全滅を「玉砕」と言い換えたのと同じである。拷問は拷問で、許されるものではない。戦争を錦の御旗にして暴走するCIAを、我々は本当ならば他山の石とせねばならない。しかし、日本では警察の取り調べすら、なかなか可視化されない。さらに、CIAによる文書やデータの隠蔽、さらには削除が行われていることも示唆されている。どこかの島国は何事も米国の20~30年遅れで行う傾向があるが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』で描かれたベトナム戦争時代のアメリカと同じような隠蔽工作が今も堂々と行われていることに唖然とさせられる。

 

真実を追求するのに効果を持たない拷問を、なぜにCIAは継続して行ったのか。そこに愛国心の罠がある。本作の劇中でも、とある女性キャラクターが「私たちは愛する国を守りたいから」拷問・・・ではなく、強化尋問テクニックを使っていると主張する。それに対してアダム・ドライバー演じる主人公ダン・ジョーンズは「僕も同じだ」として、愛国心ゆえにCIAの調査をしていると答える。愛国とは何か。国を愛することである。では、愛するとはどういう営為なのか。CIA局員たちは国家と自分を同一視する。自分の身が可愛い。自分の身を守りたい。偏狭な自己愛である。ダン・ジョーンズの愛国心は異なる。自分の理想とする国家像があり、国家がその姿になっていなければ、国家がそあるべく厳しく働きかける。どちらが健全な愛国心であるかは火を見るよりも明らかである。精神を国家に従属させる輩が昨今の日本の言論空間にも跋扈しているが、愛とは美しいものであり、同時に厳しいものでもあるはずだ。我々はそうした心構えを持たなければならない。心からそう思う。

 

それにしても、『 マーターズ 』とまではいかないが、繰り返される拷問の数々はショッキングである。普通の神経であれば、人間をそこまで痛めつけることに躊躇を覚えるはずである。そうならないのは、CIA側に負い目があるからではないか。すなわち、次のテロの情報が欲しいというのは建前で、9.11を阻止することができなかったという心理的なトラウマを、誰でもいいから痛めつけることで、癒したかったのではないか。『 新聞記者 』で描かれた日本の内調も狂っているが、CIAはもっと狂っている。作中で上院議員に「裏切者として」言及される『 スノーデン 』だが、ダン・ジョーンズはエドワード・スノーデンというよりも、『 JFK 』のジム・ギャリソンである。愛国とは、国の間違いを正す勇気を持つことである。愛国無罪は愛国ではなく、売国である。本作のメッセージを現代日本は真摯に受け止めなければならない。

 

ネガティブ・サイド

『 スノーデン 』でも『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、このようなbiopicの最後には本人が登場するものであるが、本作ではダニエル・ジョーンズその人は登場しない。残念である。しかも、演じるアダム・ドライバーが本人と似ても似つかない。アダム・ドライバーは今、最も旬な俳優であるが、もう少し容姿が似た役者をキャスティングできたのではないか。

 

制作国はイギリスであるが『 アンロック 陰謀のコード 』では主人公はCIA局員にして尋問のスペシャリストである。こうしたエキスパートが現在、CIAにいるのかどうかも知りたかった。退役軍人が歪んだ愛国心を振りかざし、付け焼刃ですらない知識を元に、「強化尋問テクニック」を生み出し、CIAがそれを採用するというのは、歴史の汚点である。その汚点が修正されたのかを我々は知りたいのである。

 

総評

Amazon Prime Videoでしか視聴できないようだが、こういった作品こそ日本の提供会社・配給会社は劇場公開できるように努力すべきである。「アメリカって怖いな」という感想にとどまってはならない。愛国心とは何か。正義とは何か。人権とは何か。問われているのはそれである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

see the light of day

字義どおりに「日の目を見る」の意である。

It’s a shame that his achievement hasn’t seen the light of day.

I’ve waited a long time for my debut book to see the light of day.

のように使う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, Amazon Prime Video, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, サスペンス, 伝記, 監督:スコット・Z・バーンズLeave a Comment on 『 ザ・レポート 』 -愛国とは何かを問う-

『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

Posted on 2020年1月17日 by cool-jupiter

神のダイスを見上げて 50点
2020年1月15~16日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:光文社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163505j:plain
 

Jovianは世代的に終末ものが好きである。そして、このジャンルでは、佳作は量産されるが、傑作は生まれにくい。当たり前である。世界滅亡を描いて、だれもかれもが喝采を送ることができる作品など、そうそうは生まれない。だからこそチャレンジし甲斐のある分野であるとも言える。

 

あらすじ

直径400kmの超巨大小惑星が、あと5日で地球に最接近する。世界各国の政府は「衝突はしない」と発表しているが、それを疑う人間も多い。そんな中、高校生の亮の姉、圭子が殺害された。ほかに家族のいない亮にとって、圭子は“世界そのもの”だった。ダイス衝突によって一瞬で蒸発などさせない。犯人はこの手で殺してやる。亮はそう、固く決心し犯人を追うが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200117163527j:plain
 

ポジティブ・サイド

ミステリにおける常道、すなわち最も犯人っぽくない者が犯人である、というセオリーをちゃんと外してくれている。この著者はわかっている。ミステリファンは、読む前に犯人を当ててやろう、少なくとも犯人の属性を絞り込んでやろう、と意気込む生き物なのである。まず表紙カバーの女の子は除外する。あらすじから、天文学同好会やカルト集団「賽の目」の関係者も除外する。そして読み始めた。序盤から中盤にかけて「まあ、コイツが犯人だな」と感じられた。そして外れた。ミステリとしてはありふれた変化球であるが、Jovianは思いっきり空振りを食らってしまった。

 

クラスの禁忌とされる四元美咲もなかなかに良い感じである。とはいっても、綾辻行人の『 Another 』の見崎鳴のような存在ではない。ちょっとアングラでダークな女子である。物語は亮と美咲の関係性の発展をメインのプロットにしないのは清々しい。こちとら、セカイ系の作品は、ゼロ年代にそれなりに食べ散らかしたのである。

 

世界が滅亡する時、自分はだれの傍らにいたいのかと考えることは重要である。哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、ヘーゲル的な形而上学世界を批判した。同様に、我々は絶対的な世界を普段は意識することなく、我々自身の属する“生活世界”に生きている。その“世界”とは、人によっては会社であり、家庭であり、学校であり、また一個人でもありうる。だが、そうした“世界”の崩壊は、それこそ世界そのものの終わりに近いインパクトを与えることもある。会社をリストラされても、それを家族に告げられず、毎朝、ちょっと遠くの公園に出勤するオジサンを、誰が笑えるだろうか。

 

星が降ってくる物語としては、『 君の名は。 』よりも『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のテイストに近い。また、“世界”=一個人に押し込めてしまう世界観は『 火口のふたり 』のそれに近い。この辺の作品を楽しめたという人なら、この小説も楽しめるように思う。

 

008ページでの映画『 アルマゲドン 』への言及にニヤリ。本作は、映画化するとしたら105分のアニメーションになるだろう。

 

ネガティブ・サイド

小惑星が落下してくる直前で、警察のマンパワーも治安維持に回されるのも詮無いことであるが、ミステリ要素に関してはもう少しフェアプレーが必要だったと感じられた。検死まではしないにしても、膣に裂傷がないかどうかぐらいはルーペで調べるものだ。その有無で犯人の属性がかなり絞られる。Jovianも帯に「全裸で胸にナイフを突き刺された」とあることから、怨恨?強姦?計画的?などクエスチョンマークをかなり頭に並べた状態で読み始めた。しかし、欲しい情報、あるべき情報はなかった。純粋なミステリ作品ならば、これはアウトである。ジャンル混合作品としても、アンフェアである。

 

主人公の亮というキャラクターの頭が悪すぎる。男子高校生というのはその程度なのかもしれないが、それに付随して刑事たちまで頭が悪すぎる。

大学構内で真夜中に殺人事件発生 → 第一の容疑者は高校生 

いくら無理やりにでも事件を解決したい事情があるにせよ、これは酷過ぎる。どう考えても、その大学の関係者が実行犯だろう。冤罪でもなんでも構わないからホシを挙げたいという気持ちは理解できる。世界が滅亡する瞬間、小さな子どもの側にいてやりたい。親として自然な欲求であり、願望だ。だったら大学の同級生や職員、警備員などを無理やりワッパにかければ済む話で、高校生の亮(いくら死んだ姉の通っていた大学での出来事はいえど)を容疑者にする必然性はない。この刑事の存在で、物語からリアリティが吹っ飛んでしまっている。

 

また2023年を舞台にしているが、直前までダイスが地球に激突するかどうかが判明しないという設定にも無理がある。政府が真実を公表しないという疑念は理解できる。しかし、現実に小惑星が地球との衝突コースに乗ったら、あるいはその可能性が少しでもあれば、天文学者のネットワークが絶対に検知するはずである。ましてやダイスは直径400kmという、準惑星セレスの半分近い大きさ。これほどマクロな天体の動きがシミュレーションできないのはおかしいし、政府が虚偽の発表を繰り返したとしても、どこかの天文学者が絶対に真実を公表するはずである。ところが作中では天文学者は影も形も存在しない。そんなアホな・・・

 

総評

一種のジュブナイル小説として読むのが正しい。純正のミステリや純正のSFだと考えると、ドツボにはまる。ただ、シリアスな考証がほとんどないため、読みやすさは普通のミステリやSFよりも格段に上がっている。まさに高校生、大学生向けの作品だろう。世界の終末をテーマにしたシリアスなSFを読みたい向きには『 僕たちの終末 』をお勧めする。この著者の作品では『 仮面病棟 』が映画としてもうすぐ公開される。Amazonでポチッたので、そちらも読了次第、レビューをしてみたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Laters.

作中で四元美咲が何度か言う「またね」である。普通は“See you later.”と言うが、“Laters.”と later に s をつけるのがミソである。カジュアルな表現で話し言葉としても、メールやチャットなどでも使う。ただ、ビジネスの場では使うのを避けたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 発行元:光文社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 神のダイスを見上げて 』 -世界の終末+ヤングアダルト+ミステリ-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

Posted on 2020年1月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2020年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200116163347j:plain
 

色々とニュースやレビューやインタビュー内容や考察に接しているうちに、また観たくなってしまった。なので5度目の鑑賞へ。もっと時間とカネを有効活用せねばとは思うが、引き寄せられてしまうのだから仕様がない。

 

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』で、BB-8はどうやって崖を越えたのかという疑問を呈したが、よく見ると越えていなかった。一度向こう側へジャンプしたレイを、こちら側でずっと待っていたのを確認できた。やはり何事もよく目を凝らして見なければならない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200116163411j:plain

 

今回は主にベン・ソロを鑑賞。確かに人差し指を立てて「黙れ」の意思を相手に伝えるのは、『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』のハン・ソロっぽかった。またブラスターのノー・ルック射撃も、『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロへのオマージュなのだろう。

 

日本語のレビュー・感想でも英語のレビュー・感想でも、多くの人が共通して不満、または不可解に思っているのは、最後の最後にやってくる援軍。クレイトの戦いでの呼び掛けに応じなったのに、今回は何故だ?ということのようだ。素直に考えれば、自分のミニ脅威が迫っていることが分かったからだろう。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のスター・キラーも相当にヤバい代物だったが、今作のスター・デストロイヤーは本当に星を破壊してしまう。それが何百隻、何千隻と建造されて、出撃の時を待っていると聞かされれば、普通は「はあ?」だろう。だが、惑星キジーミが実際に破壊されたとの報は銀河を駆け巡ったことだろう。そうなると、明日は我が身。座して死を待つよりは、義勇軍として立ち上がり、乾坤一擲の勝負に出る。そのように考える者は何千、何万、何十万人と存在するはずだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200116163432j:plain
 

レイとベン(≠レン)のキスに異議を唱える人も多い。別にええやんけ・・・と思う。本編ではカイロ・レンの台詞としては出てこなかったが、トレイラーにあった

レイ “People keep telling me they know me. No one does.”

レン “But I do”

というやりとりが全てだろう。アダム・ドライバーも出演していた『 フランシス・ハ 』で、フランシスが自身の恋愛観を開陳するが、それは以下のようなものだ。

 

I want this one moment. It’s – it’s what I want in a relationship…which might explain why I am single now. Ha, ha. It’s, uh – It’s kind of hard lo – it’s that thing when you’re with someone…and you love them and they know it…and they love you and you know it…but it’s a party…and you’re both talking to other people…and you’re laughing and shining…and you look across the room…and catch each other’s eyes…but – but not because you’re possessive…or it’s precisely sexual…but because…that is your person in this life. And ifs funny and sad, but only because…this life will end, and it’s this secret world…that exists right there…in public, unnoticed, that no one else knows about.It’s sort of like how they say that other dimensions exist…all around us, but we don’t have

the ability to perceive them. That’s – That’s what I want out of a relationship. Or just life, I guess. Love.

 

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=frances-ha

 

かいつまんで言うと、「皆がいる公共の場で、それでも誰にも気付かれることなく、他の人々には知覚できないが確かに実在する別次元で目と目を合わせることができるような関係」をフランシスは「愛」と定義し、そうした関係を人生で手に入れたいと願っている。これはまさにレイとレンの関係そっくりである。文字通り、別次元で語らい戦う二人なのである。キスぐらい大目に見てやろうではないか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200116163458j:plain
 

コリン・トレヴォロウの手によるEP9のスクリプトがYouTube経由でRedditにリークされたというニュースが入った。このバージョンではランド・カルリジアンが密輸業者の勢力を糾合する役割を担うとされていたらしい。2019年12月29日の『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のレビューで

 

>マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、

>それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

という疑問を呈したが、トレヴォロウと似たようなことを考え付いた自分を褒めてやりたいと思う。

 

何か新しいニュースや考察が出てきたら、また劇場で鑑賞したいと思う。5回観たので、普通の『 スター・ウォーズ 』ファンの義理は果たしたと思いたい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200116163517j:plain

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

up and running

元気である、正常である、順調である、などの意味で、人やモノ、システムなどを対象に使われる。しばしば

have / get + O + up and running

という形で使われる。ポーがミレニアム・ファルコン号の修理が完了したかどうか尋ねる際に“Did you get it up and running?”のように言っていた(台詞はうろ覚え)。ビジネス英語では、まあまあよく使われるので知っておいて損はないだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

『 カイジ ファイナルゲーム 』 -ようこそ、底辺の世界へ-

Posted on 2020年1月15日 by cool-jupiter

カイジ ファイナルゲーム 55点
2020年1月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原竜也 関水渚
監督:佐藤東弥

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200115172619j:plain
 

原作はほとんど読んでいないが、映画されたカイジは2作とも観ている。比喩的な意味での地下世界と文字通りの意味での地下世界を融合させた独特の世界観は、本作でも健在である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200115172635j:plain
 

あらすじ

2020年の東京五輪終了後、日本の景気は恐ろしく冷え込んだ。円の価値は暴落し、インフレが進行し、日本の産業は外資に次々と買われた。日本は、ごく一部の富裕層と大多数の貧民に分断されてしまった。派遣会社にピンはねを喰らいながら、カイジ(藤原竜也)は貧困の中で生きていた。ある時、多額の賞金もしくは秘密の情報が懸賞として得られる「バベルの塔」というゲームへの参加を促される。それは、日本という国家をも巻き込む壮絶なゲームへの入り口だった・・・

 

ポジティブ・サイド

もはや藤原竜也劇場である。独壇場である。底辺の似合う男とは言い得て妙である。Jovianは原作をほとんど読んでいないが、藤原竜也が漫画のカイジに似ていない(容姿や振る舞いetc)ことは直感で分かる。それでも、漫画のカイジというキャラクターを自らの演技でねじ伏せ、新たなカイジ像を作り上げたのは藤原の演技力の勝利として称えるべきである。

 

爽やかな優男という路線で行き詰っていた福士蒼太も、『 ザ・ファブル 』に続いて、まあまあ良い感じである。大義名分のために弱者を切り捨てることを厭わない姿勢に、今の日本の根本的な政治姿勢に通じる。財政健全化を謳いながら、道路や建設関連にカネをジャブジャブと使い、福祉の拡充を謳って消費増税を断行した直後に、高齢者医療費の自己負担比率の引き上げを検討する(Jovianはその政策自体には賛成であるが、現政権は言っていることとやっていることが違い過ぎるのが大問題である)など、口から出まかせもいいところである。虚偽と欺瞞に満ちた自分に陶酔する木っ端役人が実に似合っていた。福士は爽やか路線を中川大志に譲り、嫌味な奴、もしくはクズ路線を藤原竜也から受け継ぐべし。

 

日本社会全体を巻き込むスケールの壮大さは評価できる。カイジの世界(映画に限っては)について言えることは、クモの糸は常に垂らされているということ。その糸を奪い合うのか、順番に掴むのか。それとも全員が掴める方法を考えるのか。問われているのは、そこである。これは正解を選ぶという問題ではなく、自分の生き方を定義するということである。「こうするしかないんだ!」と絶叫する官僚=上級国民は、物事は白か黒か、正解か不正解かしかないという思考の陥穽に囚われている。「みんなで泥水をすするべきだ!」と力強く宣言するカイジは「みんなで貧困を分かち合うべきだ」と言っているわけではない。困っている人がいれば、手を差し伸べよう。情けは人のためならず。カイジはそう言っている。そして、それが原作者の福本伸行や監督の佐藤東弥のメッセージであろう。少々鼻につくメッセージではあるが、Jovianはこうしたストレートな社会的な主張を行うこと自体を評価したいと思っている。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200115172657j:plain
 

ネガティブ・サイド

『 カイジ 』シリーズを観たことがある者ならば、展開が容易に読める。というか、ちょっとしたミステリやサスペンスを見慣れていれば、中盤まではほとんど誰にでも分かるような展開である。愛人がいた。その愛人が子どもを産んだ。愛人は子どもを産んだ直後に死亡した。では、その子どもは?という疑問に思い至らないというのは考えづらい。

 

またストーリーの本筋(ゲーム/ギャンブル)と直接の関連がないので書いてしまうが、旧円を廃止して新円を発行するというトンデモなアイデアが出される。いや、そうしたアイデア自体は突拍子もないわけではない。本作は不景気がますます進行した近未来の日本を舞台にしているわけで、無能な政治家や官僚に打てる手は「徳政令」くらいだろう。本作では預金封鎖で庶民から接収したカネで国の借金をチャラにしてしまおうという気宇壮大なプランが描かれるが、これはリアリティが無さ過ぎる。第一に、減りつつあるとはいえ、日本のタンス預金は数百兆円と見積もられている。貧困が拡大した世界で、物語中のタンス預金がこの10分の1だとしても数十兆円。これらのカネが一気に新円と交換されれば、あっという間に円高となり、日本の生命線の輸出関連産業が吹っ飛ぶ。第二に、政治家や資産家が預金封鎖前に新円をしこたま仕入れておくというのもリアリティに乏しい。環境大臣・小泉進次郎の公開された資産が0円だったというのは記憶に新しいが、こういう連中はとっくにオフショアやタックスヘイヴンで資産を運用しているものなのである。劇中で総理大臣はじめ、有力政治家や資産家が新円の事前入手に血道を上げるのは不自然かつ不可解にも映る。まあ、金持ちの底なしの欲望を表しているのかもしれないが・・・

 

その欲深連中を映すカメラのアングルがおかしい場面がある。カイジ側が食い込んでいたのは造幣局であって、閣僚連中ではなかったはず。どう考えても閣僚・資産家の一人が撮影したとしか思えないショットが映る。これは普通に編集ミスだろう。

 

人間秤というゲームのルールにある3つのF、すなわちFRIEND、FIXER、FAMILYが最初に画面に映し出される時のFIXERの綴りがFIXARになっていた。2度目に表示された時は正しいFIXERになっていたが。この程度の英語はしっかり確認すべきだし、編集やCG作成作業時に誰も気付かなかったというのは、キツイ表現を使えば、恥ずべきことである。

 

関水渚のラッキーガールという設定は何だったのか。ゲームやギャンブルに絡む描写はほとんど無かった。もうちょっとマシな扱いをしてほしかった。また外野のザワザワもなかった。少しさびしいファイナルであった。

 

総評

過去作のキャストも一瞬だけ駆けつけたりしてくるので、いきなり本作を観るというのはお勧めできない。実質的なギャンブル勝負は2回だけなので、そこに物足りなさを感じる向きも多いかもしれないし、一部のキャラクターに仕込まれた設定の読みやすさは明白にマイナスである。しかし、一寸の虫にも五分の魂を感じさせる展開もあり、下剋上のカタルシスもある。シリーズに付き合ってきた人々も、カイジ/藤原竜也にお別れをするために、シリーズ未見の人は過去作をチェックした上で、劇場に向かわれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The price has gone up again!

「また値上がりしてやがる」というカイジの台詞の私訳。「上がる」というのは、だいたい go up で表現できる。血糖値や血圧、税率、仕事量、飛行機、風船など、上に行くものなら何でも go up でOKである。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 日本, 監督:佐藤東弥, 藤原竜也, 配給会社:東宝, 関水渚Leave a Comment on 『 カイジ ファイナルゲーム 』 -ようこそ、底辺の世界へ-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 ラブ・イン・ザ・ビッグシティ 』 -自分らしさを弱点と思う勿れ-
  • 『 近畿地方のある場所について 』 -やや竜頭蛇尾か-
  • 『 脱走 』 -南へ向かう理由とは-
  • 『 JUNK WORLD 』 -鬼才は死なず-
  • 『 リライト 』 -小説をまあまあ上手く改変-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme