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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年5月

『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

Posted on 2019年5月31日2020年4月11日 by cool-jupiter

シン・ゴジラ 90点
2019年5月30日 塚口サンサン劇場にて鑑賞(劇場鑑賞は通算8回目)
出演:長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 高良健吾 大杉漣
監督:樋口真嗣
総監督:庵野秀明

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タイトル発表時、シンの字の意味が色々と推測されていた。公開前の特番で松尾諭が「進」の字を当てていたのが印象に残っている。日本で大ヒットを記録し、海外で大絶賛と大顰蹙の両方を得た本作であるが、Jovianは傑作であると評価したい。

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あらすじ

東京湾内で謎の水蒸気爆発が発生。トンネル崩落事故や、船舶航行の停止、航空機の離着陸が停止されるなどの影響が出る中、原因は巨大不明生物であることが判明。その生物は川を遡上し、ついには東京都に上陸。甚大な被害を引き起こしていく。政府の取るべき対策は・・・

 

ポジティブ・サイド

≪重低音ウーハー上映≫および≪日本語字幕付き≫上映に行ってきた。そういえば、エアカナダの機内で英語字幕版も鑑賞していたんだったか。ブルーレイで3回鑑賞しているはずなので、通算では11回観たことになる。それでも2016年当時はテレビで「14回観た」とか「18回観た」とか、東京都内ではシン・ゴジラの感想を喋りまくれる喫茶店(的な店)が臨時オープンしたというようなニュースもあった気がする。それだけの熱量ある反応を生み出せる傑作であるとあらためて感じた。完全に時期外れなので、雑感レベルの落書きになるが、ご容赦を。

 

何よりも新ゴジラである。1954年のオリジナルの呪縛から解き放たれたと言うべきか、第一作を踏襲し、その上で乗り越えてやろうという気概を以って望んだ脚本家や監督はこれまでいなかったのだろう。庵野秀明はそれを希求した。そして異論は有ろうが、部分的にはそれを成し遂げた。戦争の爪痕や負の記憶が色濃く残る時代にゴジラという怪獣を送り込んだのと同様に、震災と津波、そして原発のメルトダウンにより大被害を被った2011年の記憶も生々しい時期に、ゴジラという怪獣が日本に現れたことには意味があるのだ。佐野史郎が震災直後に東宝の関係者に「作るなら今ですよね?」と進言したところ、「実はアメリカで作る話が先行しちゃってるのよ」と返されたという逸話を深夜番組で語っていたが、映画人の中にもゴジラのゴジラ性、すなわちゴジラは時代と切り結ぶ怪獣であるということをよくよく理解している方が存在することを知って心強く思った。

 

本作は震ゴジラでもあり、侵ゴジラでもあるだろう。不明な勢力からの侵略的行為に対して、この国の政府はどのように動き、またはどのような動きが取れないのかを、本作は徹底したリアリティ追求路線で明かしてしまった。はっきり言って『 空母いぶき 』製作者たち(原作者除く)は、本作を20回は観返して勉強した方が良い。

 

ハイライトのひとつであるタバ作戦の迎撃シーンも恐ろしい。何が恐ろしいかと言うと自衛隊の錬度。『 GODZILLA ゴジラ 』における米軍とは雲泥の違いだからである。いや、昭和から平成までのゴジラ映画において、自衛隊の攻撃の命中率はかなり悪かった。それは、子ども向けの怪獣映画だからでもあっただろう。しかし、本作の自衛隊は本物の自衛隊と見紛うばかりである。ヘリコプターの射撃やミサイル、戦車の砲火、長距離ミサイル、攻撃機からの爆弾(レーザー誘導弾なので当たり前の精度と言えるが・・・)が、一発たりとも外れないのである。ゴジラファンならばどうしても想像する、「もしもこれらの火力が、ゴジラをはずして、そこらの建造物に命中したら・・・?」と。おそらく武蔵小杉駅周辺はものの数分で瓦礫の山だろう。ゴジラだけに命中する火力の凄まじさを見せつけることで、ヤシオリ作戦のゴジラ固定プロセスが光る。この構成には唸らされた。

 

本作の描き方の特徴に両義性が挙げられる。「ゴジラを倒せ!」と「ゴジラは神だ!」と叫び合うデモ隊、日本政府に事前通告なく、いきなり攻撃機を送り込んでくる米政府に、日本の住民避難の時間の無さを心から憂う米大使館関係者、冷静沈着な矢口が激昂する瞬間に、ちゃらんぽらんにしか見えなかった泉が最も冷静さを保っていたこと、中盤のタバ作戦の迫真の戦闘描写&重厚なBGMと、終盤のヤシオリ作戦の漫画的戦闘描写&宇宙大戦争マーチ、陽のカヨコ・アン・パターソンに陰の尾頭ヒロミ、などなど枚挙にいとまがい。観るほどに発見がある。日本で大ヒット、海外ではおおむね酷評というのも、そう考えれば「らしい」結果と言えるのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ゴジラの血液サンプルは、蒲田さんから取れた。それは良い。しかし、鎌倉さんゴジラがタバ作戦を乗り越えて東京都心に侵攻、米軍のバンカーバスターで傷ついたゴジラは、背びれの一部を破損した。それも良い。しかし、その後にゴジラ自身が口から放射熱戦を大量に吐き出し、あたり一面を文字通り火の海にしてしまった。その時に、背びれ表面および中の血液も蒸発してしまうはずでは?自衛隊員のすぐそばにかなりの血液まみれの肉片が背びれから剥離して落ちてきたのは、やや不可解であった。

 

もう一つ、素人でも気になったのが鎌倉さんゴジラを上陸直前まで探知できなかったこと。現実の海上自衛隊や海上保安庁が総力を以ってすれば、易々と捕捉できるはずだ。『 ハンターキラー 潜航せよ 』を思い返すまでもなく、水は空気よりも音をよく伝える。日本中の潜水艦およびソノブイをフル稼働させれば、上陸前に文字通り水際で作戦展開できたはずだ。リアル路線の中でも、ここだけはもう少し上手い言い訳を思いついて欲しかったと切に願う。

 

総評

今さらではあるが、本作は傑作である。2016年の日本アカデミー賞は本作と『 怒り 』の一騎打ちになると多くのメディアが予測していたが、蓋を開けてみれば本作の圧勝であった。それもむべなるかな。ゴジラファンのみならず、小出恵介やピエール瀧と再会したい映画ファンは、本作を観ると良い。というのは冗談であるが、シン・ゴジラは日本映画史に確実に残る一本である。怪獣というだけで敬遠するなかれ。本作を堪能できるかどうか。それが子どもと大人を見分けるためのリトマス試験紙になるはずである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, S Rank, ゴジラ, 大杉漣, 怪獣映画, 日本, 監督:庵野秀明, 監督:樋口真嗣, 石原さとみ, 竹野内豊, 配給会社:東宝, 長谷川博己, 高良健吾Leave a Comment on 『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

『 RBG 最強の85歳 』 -日本からは出てこない破天荒ばあちゃん-

Posted on 2019年5月30日2020年2月8日 by cool-jupiter

RBG 最強の85歳 70点
2019年5月27日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
監督:ベッツィ・ウェスト ジュリー・コーエン

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来年2020年は、アメリカ合衆国憲法修正第19条から100周年にあたる。だからこそ、ヒラリー・クリントンは大統領選に出馬したわけだ。『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』が遠因で落選したわけだが。2020年には20ドル札の表面にハリエット・タブマンがデビューする記念すべき年で、女性の社会進出およびそれを成し遂げる原動力になった人々を顕彰しようというムーブメントが起きている。ルース・ベイダー・ギンズバーグにフォーカスした『 ビリーブ 未来への大逆転 』もその一環だったわけである。

 

あらすじ

85歳という高齢でも、アメリカ合衆国最高裁判所の現役判事として活躍を続けるルース・ベイダー・ギンズバーグの人間性に迫るドキュメンタリー。彼女はいかにして法律家となり、女性差別撤廃の先鞭をつけ、現代アメリカ社会のアイコンの一つにまで登りつめたのかを活写する。

 

ポジティブ・サイド

『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも強調されていたことだが、RBGが輝かしいキャリアを築くことができたのは、女性の地位向上に固執したからではなく、男性が強いられる不平等の是正にも尽力したからだ。そのことが、本作ではよりクリアーに描かれている。平等というのは、もしかすると世界平和と同じくらいに達成が難しいのかもしれない。人はしばしば虐げられた状態から平等に扱われるようになったとしても、それ以上の待遇の是正を求めがちになるからだ。そのことはマルコムXの言葉、「白人は黒人の背中に30cmのナイフを突き刺した。白人はそれを揺すりながら引き抜いている。15cmくらいは出ただろう。それだけで黒人は有難いと思わなくてはならないのか?白人がナイフを抜いてくれたとしても、まだ背中に傷が残ったままじゃないか」によくよく表れている。白人を男性に、黒人を女性に置き換えてみても、この言葉に説得力があると感じるのはJovianだけではないはずだ。そして、アメリカ社会はオバマ大統領を誕生させたわけだが、彼が選択した統治の方針はマルコムXのそれではなく、RGBの(正確にはサラ・グリムキの)「私が同胞の男性諸氏に求めるのは、私たちの首を踏みつけるその足をどけてくれということ」という思想に添ったものだった。そして、そのことが黒人層の不満につながり、The Divided States of Americaを、つまりはトランプ政権の爆誕につながったのは皮肉であるとしか言いようがない。だが、だからこそRBGの現実的な感覚がなお一層強く支持され、求められるようになったとも言える。トランプ候補への彼女の苦言は、咎められはしたものの、この文脈で考えれば、必然的であったとも考えられる。

 

閑話休題。本作は、RBGの夫や子ども、それに過去の判例の関係者らの詳細な証言を集めることに成功している。特にビル・クリントン元大統領の回想シーンは、近現代のアメリカ政治史に関心を抱く者ならば必見必聴であると言えよう。彼女には彼女なりの信念があり、国家の柱石としての自負もある。彼女のワークアウトのシーンに、Jovianは思わずNHKの番組『 「素数の魔力に囚(とら)われた人々~リーマン予想・天才たちの150年の闘い」 』におけるルイ・ド・ブランジュ博士を思い出した。ドキュメンタリとしては、そこそこ面白いが、数学専門の大学生や大学院生に言わせると「色々なものを端折り過ぎ」た番組らしい。興味のある人はYouTubeで視聴してみてはどうか。

 

またまた閑話休題。RGBがどれほどのポップ・アイコンになっているかをまざまざと見せつけてくれる物まね芸人が登場するが、物まねの本質とは、目立つ特徴を適度に誇張することであることがよく分かる。完全なるコピーでは面白くないのだ。ユーモアとは対象と適切な距離を取ることで生じるが、物まねに思わず噴き出すRBGを観て、滑稽だと思うか、微笑ましく思うか。おそらくフローレンス・ナイチンゲールが現代に蘇り、自身の物まね芸人をテレビで観れば、後者の反応を見せるのではないか。象徴となったRBGと人間であるRGB。この二つの間の隔たりに思いを馳せてみれば、最近代替わりを経験した日本という国の象徴へ向ける国民の眼差しも、少しは違ってくるのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

RBGの妻として、そして母としての側面が強く打ち出されていたが、RBGと彼女自身の母親との関係を描くのに、もう少し時間を使って欲しかったと思う。彼女の強さは母譲りであり、また母の遺言通りなのだが、RBGという突然変異的な個体から全てが始まったのではなく、彼女の母やサラ・グリムキなどの運動家にも、もう少しだけ光を当てて欲しかったというのは望み過ぎだろうか。『 シンデレラ 』における母と娘の別離は、RBGから来たのではないかと思えてしまうぐらいのだから。

 

総評

ドキュメンタリとしては、『 サッドヒルを掘り返せ 』に次ぐ面白さである。女性が女性を差別して恥じないどこかの島国の政治家連中に強制的に視聴させてやりたい作品である。おそらくRBGも近い将来にアメリカ紙幣に載るだろう。そう確信させてくれる作品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ルース・ベイダー・ギンズバーグ, 監督:ジュリー・コーエン, 監督:ベッツィ・ウェスト, 配給会社:ファインフィルムズLeave a Comment on 『 RBG 最強の85歳 』 -日本からは出てこない破天荒ばあちゃん-

ゴジラ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年5月29日2019年5月30日 by cool-jupiter

Jovianは小学1年生から高校3年生まで、『 ゴジラ 』映画シリーズと『 少年探偵団 』シリーズに耽溺していた。もちろんゴジラ愛や江戸川乱歩愛は今も変わらずに続いているが、流石に少年の頃のようなときめきは最早ない。しかし、今でも折に触れては観返し、あるいは読み返す。それがゴジラと少年探偵団である。Jovianの青春の二本柱の片方のゴジラ映画も何と34作品を数えるまでになった。もちろん、過激なゴジラファンは1998年のマシュー・ブロデリックverを今でも認めないらしいが、それも含めて、今一度ゴジラとは何かを、これまでのゴジラ映画に順位付けすることで考えてみたい。ゴジラ映画はアニメを除けば、どれも最低2回は観た。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』公開前に、今一度自分の頭を整理してみたいと思う。

 

34位 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年) 25点

私的には、これがワースト・ゴジラ映画である。いじめられっ子の一郎が夢の中でミニラと会話することで勇気づけられるというプロットは悪くない。だが、ミニラがガバラに立ち向かっていけるのは、後ろにゴジラが控えているからで、そこが一郎とは違う。肝心のゴジラの戦闘シーンも過去作の流用で、なおかつ本編プロットに誘拐犯まで絡んできて訳が分からない。なぜ一郎がここまで虐げられなければならないのか。誘拐犯といじめっ子、両方に立ち向かえというのは無理がある。ゴジラは常に時代の問題と切り結ぶ形で現れてくる怪獣だが、本作はそうしたメッセージも弱く、怪獣バトルシーンも全く盛り上がらない。非常に残念な作品である。

 

 

33位 怪獣総進撃(1968年) 40点  

Jovianだけではなく多くの人が、キングギドラのことを「実は弱い」と思っているのではないか。キングギドラというゴジラ世界(のみならず怪獣世界 ex. モスラ世界など)における最も魅力的な敵キャラが、最もあっけなく退治されてしまうのが本作である。怪獣勢ぞろいのバトルは楽しいが、もう少しギドラという神々しいまでの敵キャラモンスターを輝かせてくれてもよいのではないだろうか。

 

 

32位 怪獣大戦争(1965年) 40点

これは非常に上質なエンターテインメント作品である。シェーが恐ろしく印象的であるが、ストーリーははっきり言って意味不明に近い。ラドンとゴジラを惑星間移送できるテクノロジーがあるのなら、ギドラぐらい何とかなるだろう。宇宙人と地球人のロマンスも、もう少し美しく描写する方法は模索できなかったのだろうか。

 

 

31位 GODZILLA(1998年) 40点

1998年のアメリカ版ゴジラである。ゴジラではなくジラと呼ぶべきかもしれないが、これもまたゴジラの一つの形だろう。最大の不満は劇場公開前にあれだけ「ゴジラがニューヨークで大暴れ!」と煽っておきながら、実際にニューヨークの街を一番ぶち壊したのは米軍だったところ。ゴジラの体温が低く、熱探知型の誘導弾が外れてしまうというのは、アイデアとしては斬新で面白い。しかし、ゴジラというのはミサイルやら爆弾やらを雨あられの如く食らってもケロッとしていなければならない。ミサイル数発で絶命してしまっては本当のゴジラではない。

 

 

30位 ゴジラ対メガロ(1973年) 40点 

海底王国というところにロマンを感じないわけではないが、地上人の核実験に抗議する為にメガロを送り込んだら、核実験の申し子にして被害者のゴジラと鉢合わせというのは、何の皮肉なのだろうか。助っ人にガイガンを呼ぶのは Good idea だが、Jovianは何度観てもジェットジャガーが好きになれなかった。あの顔とエンディングの訳の分からない電波ソングが、どうにも苦手なのである。

 

 

29位 GODZILLA 怪獣惑星(2017年) 45点

アニメゴジラの記念すべき第一作。実験精神に満ちた作品であることは高く評価したい。

しかし、知恵を尽くしたとはいえ、通常兵器だけでゴジラを倒してどうする。劇場鑑賞中に釈然としない思いを抱いたことをよく覚えている。

 

 

28位 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年) 50点

これも怪獣大乱闘劇で本来はJovianの好みにぴったり合致するのだが、クライマックスの展開が『 モスラ対ゴジラ 』の二番煎じになってしまっている。ミレニアム・シリーズの中では珍しく、『 ゴジラ(1954) 』の直接の続編ではなく、『 ゴジラ×メカゴジラ 』の続編となっている。ならば新しい世界線に踏み出せば良いのだが、ここでもオリジナル・ゴジラに回帰すべく、メカゴジラ機龍の骨を海に返してしまう。さすがにこの頃になると、「次の展開を観たい」ファンと、「次の展開を思いつけない」東宝の図式が固まってしまっていた。

 

 

27位 ゴジラ×メカゴジラ(2002年) 50点 

メカゴジラの暴走&東京破壊シーンは大スペクタクルである。しかし、メカゴジラによる破壊のオンパレードは既に見たし、『 ゴジラvsメカゴジラ 』のメカゴジラの方が確実にゴジラにダメージを与えていた印象がある。こちらのメカゴジラはその基盤にメカキングギドラを採用したのが失敗だったのかもしれない。平成ゴジラは、常に昭和ゴジラの影に付き纏われていたという印象が強く残る。

 

 

26位 GODZILLA 星を喰う者(2018年) 50点

アニメゴジラの第三作。とにかくギドラが動かない。予算が無いのは仕方がないが、それならそれで時間の流れを乱すような描写、物理法則を捻じ曲げるような描写をするべきだろう。非常に良い素材を個性派料理人に調理させたところ、好みがはっきり分かれる味に仕上がった。そんな印象である。

 

 

25位 GODZILLA ゴジラ(2014年) 55点

記念すべきアメリカ版ゴジラのリブート、というかオリジナルを尊重しながらもアメリカ版として新たに生まれ変わったゴジラの物語である。非常に野心的な作品であったが、人間パートのドラマがイマイチ盛り上がらないところ、そして怪獣同士のバトルが今まさに始まろうとしている瞬間に次のシーンに切り替わるというイライラさせられる展開、そしてクライマックスのバトルが暗過ぎて劇場では何が起きているのかよく分からないという致命的な欠陥あり。DVDやブルーレイで明度調整をすれば見やすくなるが、劇場で見えにくければ、それは失敗作である。誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

 

24位 ゴジラの逆襲(1955年) 55点

確かアンギラスやゴジラを数万年前の恐竜の変異したものと、劇中で説明していた。時代が時代とはいえ、めちゃくちゃな科学的知識である。クライマックスの飛行機の連続爆撃シーンは素晴らしいシークエンスに仕上がっているが、第一作の『 ゴジラ 』にあった空襲から逃げ惑う人々のメタファーは、本作には存在しなかった。

 

 

23位 メカゴジラの逆襲(1975年) 60点

モスラ以外に強風でゴジラを押さえ込めるのはチタノザウルスだけだろう。また、ゴジラに噛みついて、ブン回して、その巨体を空に向かって投げ飛ばすという離れ業を演じた。メカゴジラも、首をもぎ取られても動くという、ある意味でホラー映画的展開を見せてくれた。とにかく色々な意味で子ども心に強烈なインパクトを残してくれた作品。海に去っていくゴジラのイメージを決定づけたのは、おそらく本作ではないだろうか。

 

 

22位 ゴジラvsメカゴジラ(1993年) 65点

ゴジラの生物としての側面、すなわち子孫を残すところと、メカゴジラの非生物としての側面、すなわち攻撃だけに特化したところが、見事に激突する。ゴジラに電気を逆流させる能力や、あるいはラドンの助太刀がなければ、メカゴジラの完勝だったのではないか。実際にこのメカゴジラはラドンを一捻りした。そこでゴジラの敗北を阻止する要因になったのがベビーの存在であるところが奥深い。生命の神秘の一つの到達点としての怪獣と、科学技術の粋としてのメカゴジラの対比が映える。

 

 

21位 ゴジラ対メカゴジラ(1974年) 65点

こちらのメカゴジラも恐ろしいインパクトを残した。というよりもこちらが本家である。アンギラスを一蹴したり、石油コンビナートをド派手に爆発炎上させたり、本物のゴジラを徳俵まで追い詰めたりと、印象的な活躍を見せた。キングシーサーがアホみたいに長い歌を聞かせないと目覚めないところ、なおかつ目覚めてからもメカゴジラに歯が立たないところが減点対象か。

 

 

20位 GODZILLA 決戦機動増殖都市(2018年) 65点

アニメゴジラの第二作。頼れる存在であり、邪悪な存在でもあったメカゴジラを、全く違う角度から捉え直した。ナノメタルを材料としたシティ(というか基地)全体がメカゴジラという新解釈は、確かに面白い。メカゴジラは敵でもあり味方でもあり、味方である時も勝手に暴走したりする面が見られたが、今作はそのような敵味方の境目を超越したかのようなメカゴジラが見られる。メカゴジラは善悪の彼岸に存在するのである。

 

 

19位 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年) 65点

ガイガンがとにかく Cool なのである。悪役の雰囲気をぷんぷん漂わせているからである。ガイガンがキングギドラと共に地球の空をくるくる旋回するシーンは小学生の時に観て、ものすごく興奮したことを今でもはっきり覚えている。侵略的な怪獣から、ゴジラが地球を守るという伝統的なプロットは本作から始まったのではなかったか。プロレス的タッグチームマッチは見応え抜群である。

 

 

18位 ゴジラvsモスラ(1992年) 65点

フィリピン沖の海底火山に沈んだゴジラがマグマの流れに乗って富士山の火口から登場するというエクストリームにも程がある超展開。「奴は我々の常識が通じる相手じゃないんだ」という台詞が、これまでの、そして今後のゴジラの超耐久力を見事に説明してくれている。一発で幼虫から成長に変身するバトラや、その成虫バトラの観覧車アタックなどが特に印象的。

 

 

17位 ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) 65点

宇宙人そして2000年問題をも絡めた作品である。ゴジラをあっさりと退けてしまう不気味な宇宙船、そして阿部寛が主導する対ゴジラ兵器、民間人によるゴジラ観測と、エンターテインメント要素が詰まっている。佐野史郎の言う、「ゴジラ、お前は何者なんだ?」という問いは多くのゴジラファンの胸に響いていることであろう。

 

 

16位 ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) 65点

ラドン世界のメガギラスがゴジラ世界に移籍してきて大活躍するのが非常に印象的。また、数多あるゴジラ世界の超兵器の中でも群を抜いたテクノロジーであるディメンジョン・タイドには、「本当にゴジラを消滅させてしまうのか?」という期待感と不安感があった。ゴジラのフライング・ボディ・プレスが炸裂する怪獣プロレス劇と、シン・ゴジラさながらのポリティカル・サスペンス要素を両立させた佳作。

 

 

15位 キングコング対ゴジラ(1962年) 70点

確か小学1年か2年の頃に、母方の祖母の家の白黒テレビで見た覚えがある。祖母の家にはカラーテレビと白黒テレビがあったが、子どもは白黒を観るように言われていたんだったか。長じてからも何度か見たが、テレビ屋が視聴率至上主義であることは時代を通じての普遍の真理のようである。ゴジラとキングコングのプロレスバトルの中でも、パペットゴジラの飛び膝蹴りが特に印象的だ。

 

 

14位 ゴジラ(1984年) 70点

冷戦時代の社会の空気を色濃く反映した作品。ゴジラが原子力発電所を襲撃し、恍惚とした表情で放射能を吸収するシーンがショッキングである。また、ソ連が核ミサイルを本当に発射したり、それが超上空で本当に爆発してしまうなど、怪獣映画の中でもかなりエクストリームな展開を見せる。人類の科学の粋である超兵器スーパーXと、火山という地球最大の自然エネルギーの組み合わせでゴジラに対抗しようという、非常に日本らしい哲学を反映させた作品でもある。

 

 

13位 ゴジラvsビオランテ(1989年) 70点

沢口靖子の棒読み大根演技が印象的。マッドサイエンティストをテーマにした作品は数多く生産されてきたが、人間、植物、怪獣(ゴジラ)の細胞をミックスしてしまおうというクレイジーなアイデアは一体全体誰が思いついたのだろうか。言ってしまえばリトル・ショップ・オブ・ホラーズ vs ゴジラなのだが、芦ノ湖に屹立するビオランテの神々しさと禍々しさを同時に宿した造形、そして地響きを上げながらゴジラに襲いかかり、ゴジラの腕を貫通するほどの破壊力を見せる触手の一撃などは、多くのゴジラファンに衝撃を与えたことは間違いない。

 

 

12位 ゴジラvsキングギドラ(1991年) 70点

経済大国日本が、未来において超経済大国となるという、笑えないプロット。しかし、ゴジラの起源をゴジラザウルスに求め、さらに兵器でも超兵器でもなく、タイムトラベルという全く異なるアプローチによってゴジラに対処しようとしたところが強く印象に残っている。日本を叩けるのはゴジラだけ、そのゴジラを叩けるのはキングギドラだけ、そのキングギドラを叩けるのはパワーアップしたゴジラだけ、そのパワーアップしたゴジラを叩けるのはメカキングギドラだけ、という具合に怪獣バトルの規模が際限なくレベルアップしていくことに、10代の頃とても興奮したのを覚えている。本作はキングギドラの起源を人間に求めているところがユニーク。同時に、ゴジラザウルスがゴジラになり、かつて旧日本兵であった土屋嘉男が至近距離でゴジラから熱戦を浴びて爆散するシーンは、劇場鑑賞したJovianの心にトラウマ級のインパクトを残した。

 

 

11位 ゴジラvsスペースゴジラ(1994年) 70点

柄本明と中尾彬、二人の「あきら」が渋い。MOGERAの強さがイマイチ伝わらないが、スペースゴジラの圧倒的なパワーと存在感を、人類とゴジラが共闘することで打ち破るカタルシスは、他では味わえない。三枝未希にハートを奪われた男子中高生はかなり多かったのではないかと思われる。

 

 

10位 モスラ対ゴジラ(1964年) 70点

モスラという人間に崇め奉られ、人間のために戦うという、怪獣界では異端の存在モスラがゴジラに挑む。はっきり言って勝負になるはずがないのだが、鱗粉や突風を駆使して互角の勝負になってしまうのだから面白い。また、成虫がゴジラに敗れると、幼虫が二匹がかりでゴジラに襲いかかり撃退してしまうところは、レンタルのVHSを見ながら文字通りに手に汗を握った。幼虫モスラの噛みつき攻撃もゴジラに確実にダメージを与えており、人類の通常兵器による攻撃はものともしないゴジラも、怪獣の攻撃にはダメージを受けてしまうという設定は、本作で確定したのかもしれない。

 

 

9位 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) 70点

『 エイリアン4 』のニューボーンの原形は、本作のミニラなのではないかと密かに疑っている。ミニラをいたぶるカマキラスを圧倒的なパワーで蹴散らしていくゴジラと、そのゴジラに一撃を食らわせるクモンガのバトルは、昭和ゴジラの中でもなかなかのハイレベル。しかし、本作はゴジラの子育てシーンが何と言ってもハイライト・リールである。げんこつを振るおうとするゴジラに、尻尾縄跳びするミニラを半ば呆れたように見つめるゴジラ。クライマックスで寄り添うように、抱き合うように、雪に埋もれていく二匹に、我々の心はじんわりと温かくなるのである。ゴジラの新たな一面を追求した味わい深い一作。

 

 

8位 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年) 70点

人間パートと怪獣パートの配分バランスが良い。というよりも、元々の企画がキングコングだったためか、美女に興味を示す、雷でパワーアップなど、ゴジラらしからぬ特性を示す。怪獣をコントロールする人間の愚かしさが、あっさりその怪獣に殺されてしまうところによく表れている。核兵器の開発にしてもそうだが、人間の業は時代を問わず深いもののようだ。そこにモスラを参加させることで物語全体のトーンが上手い具合に中和されている。世間の評判はいま一つのようだが、Jovianのお気に入り作品の一つ。

 

 

7位 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) 75点

ゴジラとラドンが喋った。衝撃である。いや、喋るだけではない。『 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 』でも、ゴジラとアンギラスが吹き出しで会話をしていた。問題は、その言葉の意味するところである。子ども心にゴジラの「人間はいつも俺たちを苛めている」という言葉にショックを受けたことは今でもよく覚えている。この言葉は幼いJovianに二重の意味で衝撃を与えた。一つには、怪獣>>>人間という強さの序列の感覚が破壊されてしまったこと。もう一つには、ゴジラという怪獣が人間らしい感性の持ち主であったということだ。ゴジラは時代と切り結ぶ存在、様々な意味を未分化なままに内包する象徴的な存在であったが、本作で人間らしさをも獲得した。賛否がはっきり分かれるであろう作品であるが、Jovianは賛である。そうそう、ラドンがキングギドラを体当たりで撃墜するシーンは、数ある怪獣映画のアクションシーンの中でも白眉である。

 

 

6位 ゴジラ FINAL WARS(2004年) 80点

人間パート=バトル、怪獣パート=バトル。もう全てがバトルで、哲学やメッセージ性などをお構いなしの娯楽120%作品。ケイン・コスギにドン・フライをキャスティングしているところから、演技で見せる意図はゼロであることは明らか。全ては演出である。ゴジラが過去作に登場した怪獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていく疾走感と爽快感は30作を超えるシリーズ作品の中でも間違いなくトップクラス。

 

 

5位 ゴジラvsデストロイア(1995年) 80点

オープニングのタイトルシーンが物語を全て語っている。バーニング・ゴジラの暴威と最強デストロイアの激突、そこに参戦する人間勢力の三つ巴大合戦はまさに世紀末的な様相を呈している。「これで、我々の来年の予算はゼロだな。来年があればの話だが」の名セリフを淡々と吐く黒木特佐がひたすらに渋い。進化する生物の強かさ、核の恐怖、人間と怪獣の共闘など、シリーズの醍醐味の全てが詰まっている。ゴジラの終わりと始まりを同時に描く、記念碑的傑作。

 

 

4位 ゴジラ対ヘドラ(1971年) 80点

個人的に最も好きな作品。レンタルビデオで初めて視聴した時、人間が白骨に変わる瞬間、さらにはゴジラの片目を潰し、片腕を溶かすというゴジラ史上最大級のダメージをゴジラに与えたことにショックを受けた少年少女は多かったに違いない。Jovianもその一人だった。また一千万人単位で人が死ぬという、天変地異を超えるダメージを列島にもたらしたヘドラが、単なる公害の象徴にとどまらないところもポイント高し。なぜ猫は助かり、人間は死んだのか。ヘドラの歌の「か~えせ~」が英語版では“Save the Earth”になっているところが興味深い。ヘドラは宇宙からやってきた侵略怪獣ではなく、地球が呼び寄せた救世主だったとの解釈も成り立つわけである。怪獣バトルあり、人間の参戦あり、哲学的なメッセージの発信ありと、個人的に大満足の一作。

 

 

3位 ゴジラ(1954年) 85点

言わずと知れたオリジナル。白黒でありながらも、そのリアリティに圧倒される。小学生たちが歌う鎮魂歌、「もうすぐお父さんに会えるよ」と言いながら、従容として死んでいく母と娘、ゴジラの襲来に逃げ惑う人々に姿に、何をどうやっても戦争の災禍に思いを馳せずにはいられない。当たり前だ。戦争終結から10年と経たないうちに、戦争をその身で知る人々によって作られたのが本作なのだ。10分ほどだろうか、ゴジラがただひたすらに東京の街や建物を破壊していく様に、理不尽な暴威への怒りや無念が湧いてくるが、一方で山根博士は「なぜ皆、生物としてのゴジラを理解しようとしないんだ」と呟く。マッドサイエンティストの言にして、真っ当な科学者としての言でもあろう。怪獣は基本的には災害や戦争の象徴だが、生存本能に従う巨大な生物であるという視点が第一作の段階で見られることに驚かされる。『 ジョーズ 』は駆除の対象になるが、鮫に尋ねれば「俺はただ生きているだけだ」と言うことだろう。怪獣を戦争のメタファーであると同時に、畏怖すべき動物という極めて日本的な視点をも内包している。オキシジェン・デストロイヤーという、ある意味で核兵器以上の威力を持つ武器を持つこと、それを使うことへの逡巡も非常に日本的である。白黒映画と侮るなかれ。邦画の到達点の一つである。

 

 

2位 シン・ゴジラ(2016年) 90点

社会現象にもなった一作。Jovianも劇場で7回観た。近く8回目を観に行く予定である。これまでに散々繰り返されてきた第一作の続編という作りではなく、全く新しいゴジラ誕生の物語という点がまず目を引く。そのうえで、『 ゴジラ(1984) 』と同じく、上質なポリティカル・サスペンスに仕上がっている。本作の特徴として、ゴジラの質感、存在感、迫真性を生み出すために、様々なショットを駆使していることが挙げられる。例えば、鎌倉さんゴジラが家屋をパッカーンと蹴り上げるシーン、悠然と大地を闊歩するゴジラを車から見上げるシーン、そして逃げ惑う人々の遠景に小さく、しかし確実に接近してくるゴジラが確認できるシーンなど、まさに「神は細部に宿る」ことを実感させてくれる。自衛隊の火力を総結集させたかのようなリアルな描写を中盤に持ってくることで、最終盤のトンデモ作戦を受け入れられるようになっている。これも緻密な計算の賜物。新ゴジラ、真ゴジラ、神ゴジラ、進ゴジラ(松尾諭)、芯ゴジラ(石原さとみ)などと様々に解釈されているが、Jovianは震ゴジラおよび侵ゴジラという漢字をあてたい。問答無用の大傑作である。

 

 

1位 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) 90点

シリーズ全作品を通じて、唯一の白目オンリーのゴジラ。ゴジラの目には、愛らしいもの、恐ろしいもの、こちらの理解を拒む爬虫類的なものなど様々なものがあったが、この白目のゴジラが最も不気味な存在であるように思う。今作はゴジラを非常に複雑な悪の権化として描く。というのも、先の戦争で亡くなった旧日本兵の霊魂がゴジラに乗り移っているからだという、非常に屈折した説を採用しているからだ。ゴジラは戦争のメタファーとして描かれることが多かったが、英霊のメタファーであるとの解釈は本作が最初にして最後であろう。自衛隊を蹴散らし、護国聖獣を一体ずつ撃破していくゴジラの圧倒的なまでの破壊の化身としての姿は、メメント・モリ、死を忘るるなかれとの教訓を観る者に思い起こさせる。日本がアジア諸国で振るった猛威と暴威が、そのままゴジラの姿で現代日本に蘇ってくることは、取りも直さず靖国の英霊を無条件に賛美する政治家連中への痛烈な批判に他ならない。そう思えてならない。本作は、お仕事ムービーでもある。各人が各様に各々の仕事をこなしていく姿を描き出す。ある者は虚構を報じ、ある者は虚飾を虚飾で糊塗する。しかし、ある者は真実を伝えんとし、ある者は命を捨てて使命を完遂せんとする。それこそがゴジラを複雑な悪の権化と評する所以である。ゴジラは破壊の限りを尽くす悪逆無道の怪物であるが、ゴジラはゴジラとしての使命を果たそうとしているに過ぎないのかもしれない。護国の聖獣も、無辜の日本国民を殺しながらも、ゴジラを撃退せんとして戦う。単純に善と悪の戦いと人間の理屈で割り切れない怪獣同士の戦いを本作は強烈なインパクトとメッセージで以って描出する。異論は多々あろうが、Jovianはゴジラ映画の私的ナンバーワンとして、本作を強く推したい。

 

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『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

貞子 10点
2019年5月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池田エライザ
監督:中田秀夫

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鈴木光司作品に高校生の頃から親しんできたJovianにとっては『 リング 』シリーズ、さらに“貞子”は時を超えて心に残るサムシングなのである、とは言わないまでも、それなりに思い入れのある作品そしてキャラクターなのだ。しかし、どこで間違ってしまったのか・・・。このような超絶的な駄作を見せられては、二の句が継げないではないか。

 

あらすじ

心理カウンセラーの秋川茉優(池田エライザ)は、YouTuberとなった弟の和真が霊能者が死んだという団地の火災後で動画の撮影後に行方不明になったと知らされる。時を同じくして、その団地の火災のあった部屋に住んでいたと思われる少女が保護され、茉優の務める病院に入院。その時から、奇怪な現象が起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

池田エライザの絶叫が、そこそこ響いたかなというぐらい。後は佐藤仁美と久々に再会したというぐらいかな。

 

そうそう、貞子はすでに一般レベルで消費できるコンテンツとして確立されているので、出し惜しみをする必要はない。ホラー映画は往々にして恐怖の源の登場シーンを後ろに持って行こうとする傾向があるが、今作は割とすぐに貞子を登場させてくれる。そこは褒めても良いだろう。

 

ネガティブ・サイド

まず「撮ったら呪われる」というコンセプトが非常につまらない。つまらないという言葉が辛辣に過ぎるなら、面白くないと言おう。いや、はっきり言って怖くないのである。いくらYouTuberという職業が認知されつつある現代でも、映像作品を作る人間と言うのは圧倒的にマイノリティである。つまり、呪いの対象になりうる可能性が圧倒的に低い。つまり、恐怖感を与えにくい設定になってしまっている。動画を観たら呪われる、なら分かる。誰も彼もがスマホやPCで動画を観る今、流れ弾的に呪いの動画を観てしまうことはありうる。凝った演出ができるならば、そちらの方が遥かに観客に恐怖を与えられる。劇場で映画鑑賞後に我々が真っ先にすることは何か。スマホの電源を入れることである。撮ったら死ぬ、ではなく、観たら/見たら死ぬ、の路線で行くべきだった。今さら言っても詮無いことだが・・・

 

肝心の貞子もひどい。特に、テレビ画面からのっそりと抜け出てくるシーンは『 リング 』を撮った中田秀夫監督のオリジナルアイデアで、小説版に優る点である。しかし、その後が良くない。思わず劇場内で失笑してしまうところだった。爬虫類は、無機質な目やチロチロとした舌の動き、静から動に一瞬にして切り替わる動きを見せることで、観る者を時々驚かせるが、貞子にトカゲか何かのような匍匐前進をさせて、それで観る者に恐怖感を与えられると一体誰が考えたのだ?この瞬間をもって本作はホラー映画からギャグ映画に一挙に転換してしまった。

 

謎の少女も意味が分からない。貞子の依り代か何かと思わせながら、どうもそうではないようだ。しかしそれ以上に、老婆や老人を曰くありげなガジェットとして配置するのはやめてもらいたい。手垢のついたクリシェ以外の何物でもない。ギャグとホラーの境界線上を敢えて進もうとする作品なら『 来る 』が先行している。二番煎じは不要である。

 

ホラー映画における恐怖とは、怪異の原理が不明であることから産生されるのである。しかし、本作で不明なのは貞子の行動原理よりも登場人物の行動原理の方だ。YouTuberとして身を立てたいというのは別に構わない。しかし、事件現場に立ち入って動画を撮るのは何故なのだ?いや、ただの動画を撮るならまだいい。自分の顔や声を一切出さないようにして、そうした動画をネット上にこっそりアップするというのなら、まだ理解できる。しかし、警察や消防が封鎖している事件現場に白昼堂々と忍び込み、顔出し動画をネットに上げる意味がさっぱり分からない。即、逮捕されて終了ではないか。起訴されるかどうかは分からないが、YouTubeの運営側にアカBANされるのは火を見るより明らかだ。本当に大学生なのか。

 

訳が分からないのは、塚本高史演じるWebマーケターもである。「動画は削除されてますけど、探せばいくらでも出てきますよ」ちゃうやろ。その場で検索して、見せたれよ。その上でエライザのために一肌脱いだらんかいな。そして、貞子と対決してあっけなく、しかし華々しく死んでいかなあかんやろ。何を呑気に生き延びてんねん。しかも、岩を動かそうとする時に、重力とてこの原理を全く無視してて、大いに笑わせてもらったわ。とことん何の役にも立たんキャラやったな。

 

と冷静さを失って関西弁になってしまうほど、酷い出来の映画なのであった。

 

総評

一言、つまらない。

これから鑑賞を予定している諸氏におかれては、チケット代と2時間をドブに捨てる覚悟で臨んで頂きたい。貞子は今後、『 富江 』シリーズのように、売り出し中の美少女の登竜門的作品になってしまうのだろうか。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, F Rank, ホラー, 日本, 池田エライザ, 監督:中田秀夫, 配給会社:KADOKAWA『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- への4件のコメント

『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

空母いぶき 50点
2019年5月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:西島秀俊 佐々木蔵之介 佐藤浩市 
監督:若松節朗

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どこかのアホなハゲチャビン放送作家がいちゃもんをつけていたので、どれほどのものかと思い、鑑賞。観る前から酷評していたコピペ作家とは違い、Jovianは劇場に赴き、この目で観た。感想は、素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流であった。

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あらすじ

世界の警察を自任する国がその座から降りたことで、各国にはナショナリズムが再燃しつつあった。その中でも小国家連合「東亜連邦」は、日本近海で緊張感を高め、軍事衝突の危機が高まりつつあった・・・

 

ポジティブ・サイド

佐々木蔵之介のキャリアで、これは最高の演技であろう。少々近視眼的な思考の持ち主であるものの、職務に忠実、使命を必達しようとする強い意志を持ち、何より有能にして、平和を真に希求する軍人にして船乗りである。自衛隊もしくは大日本帝国海軍にモデルとなる人物がいる/いたのだろうか。

 

空母いぶきを含む連隊全艦に、政治と軍事の狭間でぎりぎりの行動、つまり専守防衛を逸脱しない範囲で軍事力の行使をしなければならないという緊張感が全編に漂っている、いや漲っている。それは特に艦長の秋津竜太(西島秀俊)と副長の新波歳也(佐々木蔵之介)の関係が、日本という国の持つ矛盾(と言っていいだろう)をそのまま体現しているからだ。軍事力を有するということは、それを行使するかしないかの問題ではない。いつ、どこで、どのようにそれを行使するかが問題になる。なぜなら、現代の兵器はあまりにも進み過ぎてしまって、一発の破壊力が大きいからである。あるいは、日本の場合なら、ミサイルや爆弾の一発、敵機一機、敵船一隻、極端な話、敵兵一名に防衛線を破られただけで、ある意味負けだからである。守りに徹するというのは、甘んじて先制攻撃を受けるということであり、核兵器を持つような狂った相手が敵になるなら、その時点ですでに敗れているとさえ言える。それでも日本が核武装を選ぶことなく、そして今後もそうすることを選ばないだろうということを、本作は強く語りかける。

 

本作で最も光ったのは「忖度」シーン。Jovianの義父は元警察官であるが、どうしても同期と出世に差がつくことは有りうる。片や巡査長、片や警察署署長。同期であっても敬語で話す。しかし、二人きり、あるいはプライベートの付き合いであれば、警察学校時代の関係に戻れる。そうしたフラットな関係が根底にあるから、上司となった同期にも忖度ができる。周囲に対して、上下関係を示すことができる。そうしたことを切々と教えてもらったことがある。秋津と新波の対話は、ドラマのひとつのピークであった。

 

ネガティブ・サイド

コンビニのシーンは不要である。これは全てノイズである。中井貴一は素晴らしい役者だが、何の存在感も感じられなかった。本田翼もいらない。あんなジャーナリストはいらない。100社中でたった2社だけが建造間もない航空母艦の取材乗船を許可されたというのに、もっと張り切れと言いたい。冒頭で東アジアで軍事的緊張が高まっているとご丁寧にもアナウンスしてくれているのに、リポーターがこの調子では・・・ 中井貴一らは平和ボケ日本の象徴と言えないこともないが、マスコミまでもがこの調子では日本の未来は本当に暗いと言わざるを得ない。これらのシーンを全て削れば、2時間以内に収まったのではないか。

 

海上自衛隊も何をしているのか。マスコミの持ち物検査ぐらいしろ。何故に民間人が作戦行動中の船内を自由に行き来できるというのか。それを許可させるなら、広報担当官を貼りつけさせるか、もしくは護衛を口実に同室内にいてその挙動には常に目を光らせるべきだろう。戦闘において最も危険なのは、強大な敵ではなく足を引っ張る味方だからだ。結果的にグッジョブを成し遂げたとはいえ、それは偶然の産物に過ぎない。

 

キャラクターには臨場感、緊張感、緊迫感があるが、肝心かなめのストーリー展開にそれがない。何故に東亜連邦軍は、最もやってはいけない戦力の逐次投入をしてくるのか。いぶき艦隊に「どうぞ各個撃破してください」と言っているようにしか思えなかった。せっかく初撃でいぶきに打撃を与えたのだから、そのダメージの程度を探ろうとしないのは何故か。観る側としては、艦載機を飛ばせない空母に襲いかかる敵航空編隊というのをどうしても期待する。当たり前田の広島クリシェだが、それが最もサスペンスフルな展開だからだ。であるにもかかわらず、艦載機用のエレベーターの修理が完了した、ちょうどそのタイミングで敵機襲来というのは、あまりにもご都合主義が過ぎる展開だろう。これでハラハラドキドキしてください、と観客に伝えるのは無理だ。

 

佐藤浩市演じる垂水総理の優柔不断っぷりから歴史的決断に至る過程、周囲からの過剰とも思える圧力も、残念ながら既に『 シン・ゴジラ 』が描き出してくれていた。二番煎じであるし、何よりもポリティカル・サスペンスとして弱いと言わざるを得ない。

 

本作全体を通じての最大の弱点は、間延びした台詞の数々である。それこそ『 シン・ゴジラ 』の二番煎じとなってしまうが、全員が1.3倍速ぐらいで喋れたはずだ。トレイラーにあるのでネタばれにはあたらないが、玉木宏の「総員、衝撃に備えい!」がその最も悪い例であろう。記憶が鮮明ではないが、「アルバトロス隊、会敵まで○秒」や「敵魚雷、着弾まで○秒」というカウントにまったく緊張感がない。絶叫しろと言っているわけではない。張りつめた声を出してほしいと言っているのだ。戦闘シーンも前半はBGM無し、後半はありと方針がはっきりしない。とにかくキャラの台詞が間延びしていて気持ち悪い。特に気持ちが悪いのは高嶋政宏である。スーパーX3に搭乗してデストロイアに向かっていった孤高の軍人はどこに行った?この男だけは張りつめた声で軟弱な台詞を吐くという離れ業を見せてくれた。ギャグにすらなっていない、ひどいキャラクターである。

 

その他、対艦ミサイルを食らい、間近で僚艦が爆発炎上したにも関わらず、戦闘翌日の朝日を一身に浴びる空母いぶきのなんと美しいことよ。艦隊にいささかの煤けもなく、甲板に金属片や微細なひびなども見当たらない。戦闘そのものが乗員全員の白昼夢だったとでも言うのか。若松監督はこの絵で何を伝えたかったのというのか。一介の映画ファンには知る由もない。

 

総評

自衛隊の協力が得られていないところから色々と察することができる。原作未読者の感想であるが、キャラクターはいずれも立っている。しかし、一部の大根役者の演技がその他大勢の役者の足を引っ張っている。また、演出にリアリティが圧倒的に足りない。大人の鑑賞に耐える作品に仕上がっていない。かといって子どもに見せるような作りにもなっていない。残念ながら、興行的にも振るわないだろうし、批評家や一般ファンからの評価も芳しいものとはならないだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, サスペンス, 佐々木蔵之介, 佐藤浩市, 日本, 監督:若松節朗, 西島秀俊, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

PERFECT BLUE 75点
2019年5月23日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:岩男潤子
監督:今敏

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恥ずかしながら、これまでこの作品のことは耳にしながら、観る機会を持っていなかった。『 プラダを着た悪魔 』と同じく、観ようと思いながら、何かが自分を押し留めていた。いつになったら自分は『 タイタニック 』を観るだろうか?そんなことも映画館から帰り道で考えてしまった。

 

あらすじ

アイドル活動をしていた霧越未麻(岩男潤子)は女優への転身を目指していた。あるテレビドラマでレイプされるシーンに体当たりで挑んだことで、女優としての評価を高め始めた。しかし、彼女の周りで奇妙な傷害事件や殺人事件までもが発生するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどにクリシェに満ちた作品である。しかし、それは現代的な視点で観たからこそ言えることで、逆に言えば本作はどれほど後発の作品にインスピレーションを与えたか、その影響の巨大さを窺い知ることができる。

 

飯田譲治の小説『 アナザヘヴン 』のナニカの移動や運動シーンは、ここから丸パクリしたのではないかというピョーンというステップ。

 

M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』および『 ミスター・ガラス 』のジャケットデザインのヒントはここにあったのではないかというクライマックスのワンシーン。

 

プレイステーションのやるドラゲームの『 ダブルキャスト 』も、おそらく本作から多大な影響を受けている。そのことは、劇中作のタイトルが“ダブルバインド”であることからも明らかだろう。

 

本作サウンドトラックの肝とも言える楽曲“Virtual Mima”は、プレイステーションゲームの『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』のサウンドトラックの無機質かつオーガニックでメタリックなサウンドにも影響を及ぼしたのではないかとも思えてならなかった。AC3自体が、かなり時代を先取りしすぎていたゲームだったが、主人公の名前もNemoとMima、何か似ているように思えないだろうか。ちなみに塚口サンサン劇場は、本作開始前に延々と“Virtual Mima”を劇場内に流し続け、観客の精神に軽い不協和音を引き起こしていた。こうした工夫は歓迎すべきなのだろう。

 

本作は、霧越未麻という人物とミマというアイドルが虚実皮膜のあわいに溶け合い、そして別れていく物語である。自分が生きている世界が何であるのか。自分という存在が確かに実在することを、誰が、または何が担保してくれるのか。女優という虚構の生を紡ぎ出すことを生業とする未麻もまた、誰かに演じられたキャラクターではないのか。何がリアルで何がフェイクなのかが分からなくなる。そんな感覚を紙上で再現してやろうと、我が兄弟子の奥泉光は意気込んで『 プラトン学園 』を執筆したのだろうか。

 

劇中でたびたび繰り返される問い、「あなた、誰なの?」に対する回答が最後の最後で語られるが、それすらも噂話好きの看護師たちへの回答なのかもしれない。どこまでも入れ子構造、二重構造を貫くその作家性は嫌いではない。

 

とにかく『 PERFECT BLUE 』が1990年代後半の様々なメディアやコンテンツに巨大な有形無形の影響を与えたことは間違いない。同時期の『 攻殻機動隊 』や『 新世紀エヴァンゲリオン 』と並ぶ古典的・記念碑的作品であることは疑いようもない。

 

ネガティブ・サイド

事件の真相探しは極めて簡単である。Jovianは最初の10~12分で犯人は分かった。時代が全く違うし、本作はそもそもミステリーではなくサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーであることから、殺人事件の犯人や真相を追うことに主眼を置いていない。にもかかわらず、観る側に怪しいと思って欲しいキャラクターをこれ見よがしに配置するのは、少々邪魔くさく感じた。

 

また、いくらインターネット黎明期の頃の話とはいえ、自分で作っていないサイトが存在していることを未麻はもっと不審に感じて然るべきである。ファックスや電話番号にしても同じで、1980年代くらいの本には、巻末に著者の住所や電話番号が普通に乗っていたりしたのものだが、90年代だと、どうだったのだろうか。

 

総評

リアリティの面でやや弱いかなと感じるところもあるが、これはサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーの佳作にして、ジャパニメーションの一つの到達点である。アニメに抵抗が無い、グロ描写にも抵抗が無いという向きは、時間を見つけて是非鑑賞しよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, アニメ, サスペンス, スリラー, 岩男潤子, 日本, 監督:今敏Leave a Comment on 『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

Posted on 2019年5月23日 by cool-jupiter

アメリア 永遠の翼 65点
2019年5月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヒラリー・スワンク リチャード・ギア ユアン・マクレガー
監督:ミーラー・ナーイル

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Jovianは時々、英語のテストであるTOEFLを教えるが、過去問や問題集に決まって出てくる人物が何名かいる。おそらく女性で最もフォーカスされているのは、20ドル札に載ることが決まっていて、映画『 Harriet 』が2019年11月1日にアメリカで公開予定のハリエット・タブマンと、(アメリカでの)女性パイロットの先駆けであり、2018年に機体および遺体の一部が発見されたとされるアメリア・エアハートである。本作はそのアメリアの伝記映画である。

 

あらすじ

1937年、飛行家のアメリア・エアハートは世界一周を達成すべく飛び立った。二度と着陸することなく、彼女は消息を絶った。彼女の人生とは、いかなるものだったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずビジュアル面でのアメリア・エアハートの再現度合いが素晴らしい。ヒラリー・スワンク以外に誰が彼女を演じられようか。メイクアップ・アーティストの助けがあれば、サム・ロックウェルもジョージ・W・ブッシュを、クリスチャン・ベールもディック・チェイニーを演じられることは『 バイス 』でも証明された。しかし、本当に求められるのは、外見ではなく内面からにじみ出てくるものを再現することで、その意味でもヒラリー・スワンク以外に適任はいなかっただろう。溢れる自信、しかしその心の奥底にある満たされなさ、結婚という因習に囚われない自由な精神、その一方で誰かをひたむきに愛する心も忘れない。このアメリアの、いわば二重性を帯びた性格や行動が、夫となるパットナム(リチャード・ギア)との関係とクライマックスの対話で最もドラマチックな盛り上がりを見せる。Jovianの先輩には自衛隊の輸送機パイロットをしていた方がいるが、その奥様はいつもその仕事を辞めてもらいたがっていた。航空業界では「空を飛ぶのが危険なのではない。墜落するのが危険なのだ」と言われるらしいが、そんなことは一般人からすればどうでもいいことだ。しかしアメリアのような飛行家にとっては、空を飛ぶこと=生きること、パットナムのような実業家にとっては彼女を支援すること=生きることだった。この二人の愛の形がすれ違う様には、哀愁とそれゆえの普通の夫婦にはあり得ない深い愛情が感じられる。趣もプロットも媒体も異なるが、先へ進もうとする女とそれを追いかけてサポートする男という構図に興味のある向きは、小川一水の小説『 第六大陸 』をどうぞ。

 

Jovianは1995年にアメリカ旅行をした時、グランド・キャニオン上空をセスナ機で遊覧飛行したことがある。その時のパイロットは、おそらく40歳前後の女性だったことをよく覚えている。彼女も、アメリアの遺児で後継者だったのだろう。そんなことを、本作を観て、ふと思い出した。

 

ネガティブ・サイド

劇中で何度かチャールズ・リンドバーグが言及されるが、彼が妻アンと共にがソビエトで受けた衝撃、すなわち女性パイロットがごろごろいて、彼女たちは男性並みにガンガン空を飛んでいた、という描写はさすがに入れられなかったか。興味のある方は、アン・モロー・リンドバーグを調べて頂きたい。

 

飛行シーンのいくつかがあまりにも露骨に合成およびCGである。空を飛ぶ飛行機の描写こそが本作の映像美の肝になるところなのだから、このあたりをもっと追求して欲しかった。『 ダンケルク 』の最終盤でも燃料切れのプロペラ機がまっすぐに滑空するシーンがあったが、あれよりも酷い合成だと言ったら、お分かりいただけるだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、劇中で飛行機がトラブルを起こす、もしくは墜落するような描写が極めて少ない。航空機は最も安全な乗り物であることは知られているが、その一方で最も悲惨な事故を起こす乗り物でもあり、また最も捕捉が難しい乗り物でもある。航空機に関するあれやこれや、計器類の多さ、それらを読み解く難しさ、天測の重要性と困難さ、機体バランスを保つための工夫(メモ用紙のやり取りなどは好例である)の数々などを、もっと描写してくれていれば、アメリアの悲劇的な最後にもっとサスペンスとドラマ性が生まれたものと思う。

 

総評 

2017年は大型旅客機の墜落事故が世界でゼロだったことが話題になった。一方で、同じ年にはオスプレイなる機が度々事故を起こしていた。空を飛ぶということの素晴らしさと怖さを我々はもう一度、知るべきなのだろう。奇しくも昨年2018年に、アメリア・エアハートの遺骨が発見されたとの報がもたらされた。本作製作からちょうど10年。あらためて再評価がされても良い作品なのではないだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ヒラリー・スワンク, ユアン・マクレガー, リチャード・ギア, 伝記, 監督:ミーラー・ナーイル, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

Posted on 2019年5月22日2020年2月8日 by cool-jupiter

アメリカン・アニマルズ 50点
2019年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エバン・ピーターズ バリー・コーガン ブレイク・ジェナー ジャレッド・アブラハムソン
監督:バート・レイトン

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シネ・リーブル梅田で始めたチラシを手にした時、これは面白そうだと予感した。しかし、Hype can ruin your experience. 『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』の水準を期待すると拍子抜けさせられる。本作の見せ場は、罪を犯した本人たちの回想録的なドキュメンタリーを含むところであって、本編の犯行のレベルの高さではない。

 

あらすじ

ウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、大学に進学したものの、キャンパスライフに馴染めずにいた。ある時、ウォーレンは大学の図書館に18世紀に書かれた稀覯本があるのを知り、それらを盗み出す計画を立てることに・・・

 

ポジティブ・サイド

犯罪にも色々ある。警察や法律家に言わせれば違うのだろうが、立ち小便は犯罪、少なくとも重犯罪ではないだろうし、盗んだバイクで走り出すのも若気の無分別で済ませてもらえるかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン直筆の書物を盗み出して、闇マーケットで売り払い、大金を儲けてやろうというのは、どう考えても重犯罪だ。それを敢えてやろうというのだから、その意気やよし。存分にやってくれ。事実は小説よりも奇なりと言うが、大馬鹿と馬鹿と馬鹿と小利口者が計画をあれこれと練っていくシーンはそれなりに楽しい。また、役者たちの演技シーンと本人たちへのインタビューシーンが交互に切り替わるタイミングが絶妙で、重要文化財窃盗を決意する過程、そして何故それを実行に移してしまったのかという心情が赤裸々に語られるのがありがたかった。Jovianはビジュアル・ストーリーテリングを重要視するが、複雑な入れ子構造の映画も好きなのである(『 メメント 』みたいな晦渋過ぎるのは勘弁だが)。

 

本作は、アメリカの片田舎のアホな大学生がアホなノリでアホなことをやらかしてしまったという意味だけで観るべきではないだろう。内輪の仲間だけでシェアするつもりだったバイト先での愚行・・・というのとも少し違う。話を超大げさに拡大して受け取るならば、大日本帝国が第二次世界大戦に揚々と参戦していったのと同じような思考の過程、行動様式、組織構造を見出すこともできるのではないか。事前の調査不足もさることながら、これで上手く行く筈がないと誰もが思いながら、なかなかそれを言い出せない。それをようやく言い出せても、声がでかい奴に押し切られる。まるでどこかの島国のかつての軍上層部とそっくりではないか。そして、このアニマルズが服役を経ても、芯の部分では藩政をしていないのではないかと思わせるところに本作の妙味がある。あの窃盗事件の真実とは何か。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、事実ではなく真実を追求しているということを鑑賞中は念頭に置かれたし。

 

ネガティブ・サイド

『 オーシャンズ11 』や『 オーシャンズ8 』、『 ジーサンズ はじめての強盗 』のような華麗にして緻密な組織犯罪を期待するとガッカリするだろう。というよりも、計画のあらゆる部分に無理があり過ぎる。アホな扮装をした中年ジジイ4人組が図書館に入ってくれば、何をどうやっても注目を集めてしまうし、よしんばそれで学生たちの目を欺けたとしても、逆にそれだけ強い印象を残してしまえば、警察がしらみつぶしに在校生のアリバイを調べていけば、捜査線上に自分たちが浮上してくるということに気付かないのか。神風など、そうそう吹くものではないのだ。

 

再現ドラマパートと本人たちへのインタビューによるドキュメンタリーパートを混在させるのは、非常に面白い野心的な構成だが、本編ドラマでもっと凝ったカメラワークが欲しかった。なぜ自分たちは満たされないのか。なぜ自分たちは特別になれないのか。自分たちと特別な人間の境目は何か。逆に、自分たちは凡百の人間ではない、あいつらとは違うんだ、という中二病全開思考を表すようなショットが欲しかった。キャンパスの芝生に寝そべって、他愛もないおしゃべりに興じる大学生たち、といった平凡な、しかし色鮮やかなショットが効果的にちりばめられていれば、アニマルズのダメさ加減や哀れさがもっと際立ったであろう。

 

総評

高く評価できる部分と、そうではない部分が混在する作品であり、評価は難しい。しかし、鑑賞後のJovianの第一感は「何じゃ、こりゃ?」だった。シネ・リーブル梅田推しの作品でも時々ハズレはあるのである。しかし、単なる物語の再構築以上に、危険な思考の陥穽、まとめ役あるいは諌め役の欠如したチームの末路など、教訓を引き出すには良い作品であるとも感じられるようになった。マニア中のマニアであれば、『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』と比べてどっちが f**k という言葉をより多く使ったか調べてみるのも一興かもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, エバン・ピーターズ, クライムドラマ, ドキュメンタリー, バリー・コーガン, 監督:バート・レイトン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

コレット 70点
2019年5月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ
監督:ウォッシュ・ウエストモアランド

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『https://jovianreviews.com/2018/09/05/movie-review-tully/ タリーと私の秘密の時間 』で描かれた男という生き物の生活能力の低さと、『 天才作家の妻 40年目の真実 』で晒された男という生き物の病的に肥大化しやすいエゴが、本作によってまたも満天下に晒されてしまった。Jovianが鑑賞した劇場でも、お客さんの7割5分は女性であった。男は本能的、直観的に本作を避けているのだろうか。

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あらすじ

 

自然豊かな地方で育ったガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は、物書きのウィリーとの結婚により、花の都パリに移り住む。ウィリーはコレットの文才を見抜き、彼女に「クローディーヌ」シリーズを代筆させる。しかし、浪費家な夫と才能豊かな妻は徐々にすれ違い・・・

 

ポジティブ・サイド

フランスの作家で読んだことがあるのは、マルセル・プルースト、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、セバスチャン・ジャプリゾ、ジョルジュ・ランジュラン(彼は少し違うか)ぐらいだろうか。シドニー=ガブリエル・コレットという作家は始めて知った。ディズニーは作品の映画化に際して盛んにフェミニスト・セオリーを実践しているが、世界にはまだまだ発掘されるべき女性がいるものである。

 

キーラ・ナイトレイは、言葉は悪いが薹が立ってきたなと感じていた。しかし、本作では片田舎の純朴そうな少女から、パリのサロンでも堂々と立ち振る舞う淑女に、そして年上の夫を容赦なく怒鳴りつける芯のある妻に、そして自らの才能と能力を駆使し、心が命じるままに寝るべき相手や仕事を共にする相手を選ぶという強かさを備えた個人を見事に具現化した。ジェニファー・ローレンスが『 レッド・スパロー 』で我々の度肝を抜いたほどではないが、久々に胸も晒してくれる。彼女は色気、色香、艶というものをボディライン、スタイルの良し悪しではなく、大げさな言い方をすれば生き方そのもので体現してくれる。

 

それにしても、ダメな男、ダメな夫をあらゆる意味で具現化するドミニク・ウェストの芸達者ぶりよ。飴と鞭ではないが、折檻と愛情の両輪で、金のなる木である妻をコントロールしていたはずが、いつの間にか自分という人間の醜さ、弱さ、至らなさというものがどんどんと浮き彫りになってくるという展開には、昭和や平成の初め頃まで量産されていた、ヤクザ映画、任侠映画にそっくりだなと思わされた。どういうわけか女性という生き物には、男がふとした弱さを見せると、そのギャップにコロッといってしまう傾向がある。一方で、本作のコレットはそうした女性性を持ちつつも、女性であることを軽々と超えていく強さと自由な精神も有している。この男女の奇妙な夫婦関係は最終的に破局に終わるわけだが、結婚という奇妙な因習の限界と奥深さを表しているとも言える。共働きの夫婦で鑑賞して観れば、自分達の新たな一面に気付かせてくれるかもしれない。または、性生活、もしくは子どもを作る作らないで互いの考えに微妙な齟齬がある夫婦で鑑賞するのもありだろう。そう、子どもである。パリの文壇を席巻するのみならず、一般女性の偶像にまで昇華されたクローディーヌというキャラクターは、コレットの子どもなのだ。娘なのだ。冒頭で描かれるコレットの両親の関係、コレットとの親子関係に是非とも注目をしてほしい。そして、親にとって子とは何か。子を産み育てるのに、男はどこまで必要なのかという根源的な問いに、コレットの生きざまは一つの示唆的な答えを与えてくれる。クライマックスのキーラ演じるコレットの内面の吐露をしっかりと受け止めて欲しい。本作を観たからと言って夫婦関係に亀裂が入るようなことはない。むしろ、夫婦の対話、向き合い方について学べるはずだ。独身はパートナーと、既婚者は配偶者と観るべし。

 

ネガティブ・サイド

なぜフランス映画界は、ガブリエル・コレットその人の映画化を英米に委ねてしまったのだろうか。フランス人が脚本を作り、フランス人が演じ、フランス人が監督した「コレット映画」を観てみたかったと思うし、フランスversionが製作されるなら、喜んでチケットを買わせてもらう。立ち上がれ、フランス映画界よ! This begs for a French remake, c’mon!

 

クローディーヌというキャラクターもの以外の作品が当時のパリおよびフランスでどのように受け止められたのかを、劇中でもっと知りたかったと思うし、コレットの華やかにして異端児的な恋愛遍歴についても、もっと描写が欲しかった。というか、このような立志伝中の人物を描写するのには2時間ではそもそも不足だったか。パントマイムや両刀使いの描写をばっさりと切って、「クローディーヌ」シリーズの生みの親としての顔にフォーカスしても良かったのではないかと思う。さあ、フランス映画界よ、リメイク製作の機運は高まっているぞ。It’s about f**king time for a remake, French cinema!

 

総評

『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じスコアをつけさせてもらったが、エンターテインメント性では本作が優る。女性という生き物が生物学的に優れている(=子どもを産める)ことのみならず、個としての強さと弱さの両方を併せ持ち、それでいて夫婦というものの在り方についても教えてくれる、貴重な伝記映画である。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、真実を事実の集積以上の意味で映し出している。単なる女性のエンパワーメント映画ではないので、男性諸氏も臆することなく劇場へと向かうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ウォッシュ・ウェストモアランド, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

Posted on 2019年5月19日2020年10月18日 by cool-jupiter

居眠り磐音 75点
2019年5月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 芳根京子 南沙良
監督:本木克英

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山本耕史から松坂桃李へと確かにバトンは受け渡された。長谷川平蔵や水戸光圀など、役者を変えながらシリーズを存続させていく、あるいはリメイクし、あるいはリブートするというのは古今東西で用いられてきた手法である。それが奏功する場合もあれば、盛大に失敗することもある。テレビドラマから銀幕へと移ってきた本作はどうか。成功である。

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あらすじ

江戸勤番を終えた坂崎磐音(松坂桃李)とその仲間達。幼馴染であり、これからは祝言を挙げて義理の兄弟にもなろうという時に、ちょっとした行き違いから互いに斬り合うことに。親友を斬ってしまった磐音は、妻となるべき奈緒(芳根京子)の元をも去り、江戸で浪々の身になっていた。そんな時、磐音に両替屋の用心棒にならないかとの誘いがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは何をおいても、ピエール瀧の代役を務めた、というよりも取り直しによって作品の質をさらに高めてくれた(勝手にそう断言させてもらう)奥田瑛二に満腔の敬意を表したい。『 ゲティ家の身代金 』で、ケビン・スペイシーの代役を務めたクリストファー・プラマーと同じく、彼の仕事は本作の骨格をより太くしてくれた。

 

そして芳根京子と奥田瑛二が相対するシーンでの彼女の涙。喜怒哀楽は演技の基本にして究極だが、芳根がこのロングのワンカットで流す涙は、『 君の膵臓をたべたい 』で北村匠海が桜良の家で流す涙のドラマチックさに匹敵する。芳根には、今後はあまり女子高生役などは引き受けることなく、本格路線を目指してほしい。その時は、Joviam一押しの南沙良も一緒に連れて行ってあげて欲しい。

 

そして山本耕史からのバトンを見事に受け継いだ松坂桃李も称えたい。ドラマ版では柄の部分をシャキーンと持ち変えて開眼するスタイルだったのを、剣をまるで杖であるかのように扱う様が妙にシネマティックで銀幕に映えたのは、松坂の雰囲気と撮影監督の手腕であろう。また磐音が強すぎないのも良い。ドラマ版を毎回欠かさず観ていたわけではないが、昼行灯の磐音の描写は映画版の本作の方がより説得力があった。鰻を黙々と捌く手つきに職人気質がありありと感じられながら、長屋暮らしには生活感が欠けており、生活力がありそうなのに無い、しかし仕事はきっちりやるという、磐音の本質が見事に描写されていた。そんな磐音のチャンバラでも、適度に負傷するのも良い。何食わぬ顔で「浅手じゃ」と、おこんに告げるところでも、実はこの男が木刀剣術、道場剣術のみの男ではないことを間接的に告げており、心憎い演出。今、日本映画における侍ヒーローと言えば、坂崎磐音か緋村剣心だろう。

 

監督は『 空飛ぶタイヤ 』で、巨大な組織と個人との関わりについて非常に大きな示唆を残した本木克英。今作では江戸幕府や豊後藩という巨大な体制と、江戸の町人連中の中に生きる浪々の侍を活写した。会社勤めのサラリーマンが思わぬ形で同期を危地に追いやってしまい、それを苦にした本人も退職。フリーター生活を送るうちに、大企業や政府の巨大な陰謀を巡る、一般庶民の代理権力闘争に巻き込まれていくという具合に読み替えていくこともできた。それもこれも、磐音の剣の実力と、実直さ、誠実さ、勤勉さといった人間力に依るところが大きい。腕は立つが決して無敵ではなく、頭は切れるが、決して利得のみを計算することはしない。この新時代のヒーローは、社畜サラリーマンの心にかなりの確率で突き刺さるだろう。

 

ネガティブ・サイド

まずはトレーラーや予告編がよろしくない。ほとんど全部、話の筋がばれてしまっているではないか。特に奈緒を花魁にするシーンなどは、予告編には無用だろう。また、その奈緒が豊後の国家老の宍戸文六の“援助交際”の申し出を断るシーンは剣劇さならがの迫力だったが、全体を通して見ればノイズだったのかもしれない。

 

銭の妖怪と化した柄本明も凄みを見せつけるが、断末魔が間延びしすぎだ。磐音のトラウマを抉るような発言などしなくとも、観る側は人を斬るたびに磐音がトラウマを呼び起こされることなど百も承知である。受け手をもっと信頼した作りにしてもらいたい。熱演すればするほど、ストーリーテリングを壊してしまっていた。

 

また磐音と幼馴染たちの一人称が一定していないところも少し気になった。冒頭では「オレ」なのに、その後は「ワシ」になっていた。

 

総評

細かい部分に不満はあるものの、素晴らしい作品に仕上がっている。奈緒とおこんを巡る続編も観てみたいし、その時はパラレルワールドな展開を夢想したいと思う。芳根京子に奥田瑛二と来ると、どうしても『 散り椿 』を思い出されるが、侍のパトスとエートスについては本作の方が上質な描写をしている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 時代劇, 松坂桃李, 監督:本木克英, 芳根京子, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

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