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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

Posted on 2020年9月18日2022年9月15日 by cool-jupiter

妖怪人間ベラ 50点
2020年9月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:森崎ウィン emma 桜田ひより
監督:英勉

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『 ぐらんぶる 』は悪いが予告編だけ観て、「これは時間とカネの無駄かな」と感じたが、同じ監督がどうしてなかなかのサイコサスペンスを送り出してきた。惜しむらくはラストに失速してしまったこと。着地さえしっかりしていれば、今年の邦画トップ5に入れたかもしれない。

 

あらすじ

新田康介(森崎ウィン)はTVアニメ『 妖怪人間ベム 』のコンプリートDVDボックス発売の仕事の際に、幻の最終回を観ることになる。その衝撃的な展開を目の当たりにした康介は徐々に精神のバランスを崩していく。その頃、ある高校に謎めいた少女、ベラ(emma)が転校してきていた・・・

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ポジティブ・サイド

ベラを演じたemmaは不気味さと可憐さを両立させるという稀有な役割をしっかりとこなした。『 富江 』や『 貞子 』とは異なる方向性のキャラクターで、現代的かつ正統的ゴシック・キャラクターになっていた。

 

桜田ひより演じるキャラの狂いっぷりもなかなか。青春とはキラキラと輝くだけではなく、どす黒い情念も渦巻いているもの。ベラという相反する属性の魅力を持つキャラにあてられた人間の無様さや非情さを体現していた。

 

だが、やはり一番の狂いっぷりを発揮したのは森崎ウィンだろう。豹変という表現にふさわしい変わり方で、家の電話で部長と話す時のそれは、そんじょそこらのホラー映画以上の怖さだった。手斧を抱えて家族を追うのは『 シャイニング 』のジャック・ニコルソンへの大胆なオマージュで、本家に劣らぬ恐怖と迫力を生みだせていた。

 

今という時代に妖怪にフィーチャーする意味を考えてみるのも面白いだろう。Jovianの世代では妖怪と言えば鬼太郎であってベムではなかったが、両者に共通するのは人間の与り知らぬ領域で人間に害為す存在と戦っているということだ。元々、彼ら妖怪は日本人の差別意識の裏返し的な存在だったと思われるが、コロナ禍で浮き彫りになったエッセンシャル・ワーカーという存在がどういうわけか世間からいわれのない差別を受けているという今日的背景を透かして本作を鑑賞するのも、それはそれで乙なものである。

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ネガティブ・サイド

これはもうラストの展開に尽きる。キャストの無駄遣いもいいところだし、原作『 妖怪人間ベム 』の作品に宿る精神をぶち壊すかのような展開にはめまいがしてしまった。CGも低品質だし、とあるアイテムの使い方も間違えている(タバコは吸いこまないと火がつかない)。無理やりこうやって終わらせるしかなかったのか・・・

 

人間関係の描写も弱い。というか、康介が綾瀬の葬式を訪ねる必然性が見当たらなかった。芸能事務所とDVD制作・販売の仕事をつなげる描写をほんの少しでも入れておくべきだろう。

 

様々な展開が虚実皮膜の間にたゆとう本作だが、実の部分の細部に粗が目立った。清水尋也のキャラクターが康介に「そろそろ会社に出た方がいいっすよ」的なアドバイスを送るが、会社をさぼってベムにのめり込んでいるという描写はなかったし、オフィスで上司が「あいつは何故出勤してこない?」と言うようなシーンもなかった。また綾瀬の死の真犯人など、警察がちょっと捜査すれば一発で判明するだろう。そんな相手がずっと野放しになっているのは何故なのか。

 

ベラと康介の接触の回数が少なすぎる。あるいは、接触に濃密さが圧倒的に不足していた。きっかけは幻の最終回だったかもしれないが、康介の狂気の触媒はベラとの出会いだったのは間違いない。ならば、ベラと康介の邂逅をよりドラマチックなものにするか、あるいは接触の回数をもう少し増やすべきだっただろう。

 

総評

かなり観る人を選ぶであろう。ホラーは苦手という人は避けたほうが良いかもしれない。逆にホラー好きなら終盤の手前まではかなり楽しめることだろう。『 妖怪人間ベム 』の知識が皆無な人が本作を観るとは思えないが、なんらかの知識を持っていることが望ましい。いったん鑑賞を始めてしまえば、シーンとシーンのつながりの悪さには目をつぶるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take medicine

薬を飲む、の意。受験英語では今でもdrink medicineは誤りだと教えることがあるらしいが、液体の薬ならdrink medicineと言ってもOKである。だが、一般的には take medicine の使用頻度が高い。medicineのところにa pillやa tablet、syrupやa cough dropなど具体的な薬を表す語を入れて使ってみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, emma, サスペンス, スリラー, 日本, 桜田ひより, 森崎ウィン, 監督:英勉, 配給会社:DLELeave a Comment on 『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

Posted on 2020年9月14日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

喜劇 愛妻物語 70点
2020年9月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:水川あさみ 濱田岳
監督:足立紳

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『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の脚本家、足立紳が原作・脚本・監督を手掛けた一作。喜劇と銘打っている割には笑えないシーンも多かったが、大筋では世の既婚男性を既婚女性の両方をエンターテインできる作品に仕上がっている。

 

あらすじ

売れない脚本家の豪太(濱田岳)は、超恐妻のチカにまったく頭が上がらず、夫婦の営みもほとんどなし。ある時、豪太の脚本家が映画になりそうだということで、豪太は妻チカと娘アキを連れて香川まで取材旅行に出向く。そして、これを機に妻とセックスしようと決意するのだが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の川の字で寝ている親子の朝のシーン。娘が居間でテレビを観始めたところで、妻の方ににじり寄る豪太の何と情けない姿であることか。妻の体を触るのに、それほどおどおどしてどうする。堂々と触れ!お前は俺か!!そのように心の中で叫んだ日本の恐妻家たちの数はいかほどだろうか。試算では軽く200万人はいると思うのだが、どうだろう。

 

上手いなと感じたのは、夫・豪太の年収を50万円に設定したところ。男はアホな生き物なので、何か一つ相手に勝っているものがあれば安心できる。それが収入なら尚更である。チカ=水川あさみ級の美女を嫁に持つことができる男など、日本では1万人もいるかどうか。その点で、この映画を観る男性のほとんどは豪太に嫉妬する。嫉妬せざるを得ない。水川あさみと代わりに同衾させろ。そこで脚本家の足立紳は言葉の暴力を妻チカに振るわせ、豪太に浴びせかける。妻に虐げられる全国200万人の同志は、チカの言葉の暴力の容赦の無さに怖気を震うことだろう。そして自分の妻を思い浮かべて「本質的にはウチもアッチも変わらねーな」と感じる。何故そのように感じてしまうのか、その絶妙な仕掛けを知りたい人はぜひ観るべし(ただし独身者および未成年は除く)。

 

チカと、その親友のユミ(夏帆)の女子会的な夜のトークも軽妙にして重厚だ。野郎同士は夜に集まって話しても仕事絡みの愚痴か、浅薄な政治経済論ぐらいである。つまり自分がない。空っぽだ。対して女子には自分がある。自分の感覚を何よりも信じているし、大切にしている。そこにはとてもユーモラスで、なおかつ恐ろしい男女のコントラストがある。ユミの行動原理と豪太の行動原理を比較対照してみると実に面白い。

 

クライマックスは圧巻である。ラブホテル、川、道路、墓場で親子が三位一体となる姿はカオスの極致である。ラブホ=恋愛、川=三途の川、道路=境界線、墓場=人生の終着点のシンボルだと思えば、結婚、夫婦、家族という関係が人それぞれにくっきりと浮かび上がってくることだろう。

 

エンディングも味わい深い。豪太の目線の先にあるもの、それは妻の愛だった。『 青い鳥 』のように、幸せは常にそこにあった。結局、男とは女に支えられないと一人立ちできない哀れで未熟で、それゆえに愛おしい存在なのかもしれない。 

ネガティブ・サイド

それにしても豪太の情けなさよ。妻とセックスしたくてたまらないのは分かるが、やり方がいちいち姑息なのだ。もちろん、その過程を楽しむ作品なのであるが、豪太の不倫の背景は不要ではないか。これから不倫してやるぜ!という方がよかったのにと思う。世の既婚男性で不倫願望があるのは多分70%ぐらいだと勝手に見積もるが、実際に行動に移すのは20%ぐらいだろう。つまり、豪太はマイノリティなわけで、この点で感情移入がしづらくなる。同様にユミの年下カレシ設定も、一線を越える前ぐらいが望ましかった。

 

また、豪太やチカの家族が一切出てこない点も気になった。日本に限らず、恐妻家になる男性のかなり割合はマザコンの度が強いと推測される。豪太の母親が一瞬出てきて、あるいは電話やメールで「あんた、チカちゃんに迷惑かけてるんじゃないだろうね?」みたいに言う。それに対して豪太がしどろもどろで返答する。そんなシーンが欲しかった。

 

あとは全体のバランスか。コメディではあるのだが、笑えるシーンは序盤に集中しすぎていて、後半のシリアス展開が異様に重く観る側にのしかかってきた。このあたりは素直にアメリカのラブコメ映画の文法を参照し、採用しても良かった。

 

総評

観る人を選ぶ作品である。というよりも、観る側がこの作品を選ぶには、様々な基準が存在すると言うべきか。既婚男性ならば問題ない。妻が天使であろうと鬼嫁であろうと自分なりに楽しめることだろう。既婚女性も大丈夫だ。夫が輝けるかどうかは妻次第だという、ある意味ジェンダー・ロール論をバリバリに展開する本作であるが、そこは足立紳監督は心得たもの。女性かくあるべしという論ではなく、女性かくあるべしという理想形を実現できるか否かは男性側にかかっていることを密やかに、しかし高らかに宣言している。逆に言えば、このあたりのメッセージを受け取りづらい若い世代には、単なる嫌な夫婦物語に見えてしまうかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give a massage

マッサージする、の意。しばしば give 誰それ a massage という形で用いられる。一般的に「する」というと do を思い浮かべる人が多いが、英語で「○○する」という際には、他にもmakeやgiveが使われることが非常に多い。

 

give a presentation = プレゼンをする

give a speech = スピーチをする

give a big hand = 盛大な拍手をする

 

相手に何かをしてあげるという際にはgiveを使おう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ブラック・コメディ, 日本, 水川あさみ, 濱田岳, 監督:足立紳, 配給会社:キューテック, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

Posted on 2020年9月13日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

人数の町 55点
2020年9月11日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋静河 立花恵理
監督:荒木伸二

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『 君が世界のはじまり 』鑑賞前の予告編に本作があった。その乾いた空気感と謎めいた設定に胸が躍った。事実、本作はかなり味わい深い一品に仕上がっている。

 

あらすじ

借金取りに追われていた蒼山(中村倫也)は、不思議な男に窮地を救われる。そして、そのまま「人数の町」という不思議な町へと向かうことになった。そこでは働く必要もなく、誰にでも自由にセックスが申し込めるところだった。蒼山はそこで奇妙な生活を始めるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド 

何とも奇妙な空間と人間たちの集まりでありながら、観る者をぐいぐいと引き込んでいく。派手な映像や音楽や演出があるわけではない。ただ、人数の町という場所のミステリだけで引っ張っていく。町にあるべき人通りや喧騒もなく、車の往来も信号もない。食料供給は謎。酒やたばこも手に入る。「ハイ、フェロー、○○○○ね」とあいさつの後に誉め言葉をつなげる決まり。フリーセックスが許されており、美女は男に苦労しない。そんな場所があるのなら自分でも住んでみたいと一瞬思うが、随所に挿入される意味深長な統計の数々が、否が応でも我々の思考を刺激する。なるほど、これはそういう物語なのか、と。一見、現実離れした人数の町だが、よくよく思い返せば日本の地方都市にはバブル時代から平成の半ばぐらいまで、アホかというほど意味のない建物を作りまくった過去がある。劇中で登場人物に説明的なセリフを一切喋らせることなく、また人数の町の秘密やカラクリを一切映像にすることもなく、ただただ現代日本と人数の町の関係を想像させる。この仕掛けは上手い。「豚が豚を食う」と揶揄するシーンがあるが、これはつまり人が人を食う社会の謂いであろう。

 

順応性が極めて低い男の役を演じた中村倫也は、『 水曜日が消えた 』よりも、さらに控えた演技が光った(というよりも『 水曜日が消えた 』のストーリーがあまりにダメだった)。状況になじめないがゆえに素直に周りの人間に尋ねてしまう。そうしたキャラ設定が状況とよくマッチしていた。観ている我々が疑問に思っていることをスッと訊いてくれる。その間がいい。そして、そうした蒼山の問いに時に優しく答え、時に冷たくあしらう謎の美女を演じた立花恵理の水着姿は眼福。というか、人数の町のフリーセックスの要素はほとんど彼女一人が体現していたが、日本人らしからぬ長身細身で出るところは出ているという役者さん。もっと(劇中とは違う意味で)追い込めば、もっとポテンシャルが発揮されそう。

 

石橋静河演じる紅子が異物として人数の町にやってきたところから物語は大きく動き出す。日本の闇というか、光と影が交錯する部分に「人数」が存在しているのだということが示される。人が社会的に存在するためには、人の役に立たなければならないという、一歩間違えれば功利主義・全体主義へ一直線の価値観を壊そうとあがく物語が展開される。何が言えば即ネタバレという種類の作品であり、なおかつ解釈の余地を狭めてしまうという、なんとも通好みの作品ではある。弱点は色々と見えているが、脚本がオリジナルな邦画として、非常に野心的な作品が生み出されたと言える。

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ネガティブ・サイド

BGMや音響が使用される頻度が極めて低い。それはある演出のためでもあるのだが、それでもこの謎めいた町を描写するのには映像やセリフだけではなく、それにふさわしい音楽が必要だったと思う。ピアノ独奏のBGMはなかなかに雰囲気があってよかったが、もっと人数の町という異様な空間を際立たせるBGMが求めらていたように思う。例えば、どういうわけかJovianの耳には北野武の『 その男、凶暴につき 』のあのBGMが流れてきた。それだけ耳が寂しかったのと、人間の発する音が排除された人数の町そのものが発する音を感じたかったのだろう。

 

人数の町そのものにはリアリティがあったが、町の外の行動にはリアリティがなかった、ツッコミどころは色々とあったが、一番は(疑似)テロ事件だろうか。なぜわざわざ目立つ方法で人数を得ようとするのだろうか。意味が分からない。

 

他にも“戸籍が無い”という理由で色々と住民サービスを受けられなくなる描写があるが、これは個人的にはあまりピンとこなかった。戸籍がなくとも自分という存在を証明する方法はいくらでもあるからだ。小学校や中学校だと顔が変わっている可能性が高いが、高校生にもなれば大人の顔が出来上がっているはず。中村倫也は役所でダメなら、自分の出身学校を頼るべきだった。あるいは、メディアや弁護士同伴で警察に出向くべきだった。町の外のあれやこれやの考証が不足していたように思う。おそらく、全編が町の中で展開されるストーリーなら、もっと違う味わいが生み出せたのではないかと思う。

 

石橋演じる紅子が人数の町にやってくるまで、そして人数の町で中村と共闘するようになるまでの流れや、町の外への逃亡後の展開も粗っぽいことこの上ない。いくら追い詰められているからといっても、成熟した大人の行動には見えなかった。バス内であっさりとスマホを没収されるが、点検係には最後にもう一度金属探知機をかざせと言いたいし、怪しげな治験を担当しているコーディネーターっぽい女性も、相手が薬を飲んだ直後に「今日はもう結構です」とは・・・。そこから3時間ごとに定期的に血液検査などをするのが常道だろう。明らかに国家権力が絡んだ町にしては、ディテールに穴が多すぎた。

 

総評

中村倫也というスターの素材を十分に料理できたとは言い難いが、中村でないと出せない味は確かに出ていた。また現代日本に対する独特の視線も感じられ、それが何とも言えない余韻を残す。細かい点には目をつむって観るのが吉である。あれこれと自分の脳内で情報を補完するのが好きなタイプの映画ファンにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fellow

日本語でフェローと言えば大学や研究機関に身分を持った者を指すが、英語では「仲間」や「同士」を意味する。特定の組織や共同体に属する仲間という意味合いが強い。極端なフェローの物語が観たければ『 グッドフェローズ 』(原題はGoodfellas)をお勧めしておく。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 監督:荒木伸二, 石川静河, 立花恵理, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

『 糸 』 -壮大なファンタジーだが、残念ながら二番煎じ-

Posted on 2020年9月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

糸 60点
2020年8月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 小松菜奈
監督:瀬々敬久

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傑作と凡作と駄作の全てをコンスタントに放ってくる瀬々敬久監督の最新作。本作は、可もあり不可もある中庸の作品か。

 

あらすじ

漣(菅田将暉)と葵(小松菜奈)は北海道の美瑛で出会ったが、様々な事情から引き離されてしまう。北海道で生きる漣と、東京、沖縄、シンガポールと流れていく葵。二人の運命の糸は果たして交わるのか・・・

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ポジティブ・サイド

小松菜奈が何とも良いオーラを醸し出している。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』とは違い、年月の移り変わりとともに確実に年齢を重ねているということを観る側に実感させてくれた。もちろんメイクアップアーティストや衣装の力も大きいことは言うまでもない。子役の子の顔との連続性も感じられた。ほくろが印象的な小松だが、それ以外にも髪型やあごの形など、非常にうまく少女時代と成人時代を結び付けたと思う。

 

『 ディストラクション・ベイビーズ 』でも感じたことだが、小松菜奈はケバイ衣装がよく似合う。同時に『 沈黙 -サイレンス- 』で必死に英語(なぜポルトガル語ではなかったのか?)でお上に訴える少女役で見せたような、また『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で演じたような苦難に耐える役もまたよく似合う。小松菜奈のファンであれば本作はmust watchだろう。

 

本作は平成13年から令和元年までの間の漣と葵の二人の人生を描くという壮大な絵巻である。中学生にして駆け落ちを試みるも失敗。その後、成田凌演じる幼馴染の結婚(相手が葵の友だち)式のために初めて訪れた東京で、葵と8年ぶりの再会を果たすというのは、ベタではあるがリアルだ。その後の二人の運命も数奇としか言いようがない。縦の糸として、つまり北海道の美瑛から動かずに生きることを決意する漣と、横の糸として、つまり各地を転々として葵が、それぞれに出会いと別れを経験し、自らの人生を切り拓いていく様は、その片方だけにフィーチャーしても一本の映画が作れそうなほど濃密である。『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』にインスパイアされたかのような展開には不覚にも涙したし、『 洗骨 』のようなまったりゆったりした沖縄の時間の流れ方には(一瞬だけ)和んだ。

 

シンガポールで成功を掴んだかに見えた葵が、ここでも打ちのめされることになる展開はさすがにこれは現代版『 おしん 』なのか?とも思えたが、ここで小松がとあるカネに手を付け、さらにとあるものを食べながら涙するシーンが極めて印象的だ。『 さよならくちびる 』でも、カレーを食べながら思わず涙してしまうというシーンがあったが、小松菜奈は単純な涙だけではない、シーン全体で心情を表現できる女優に成長しつつあるようだ。

 

様々な紆余曲折を経て、それぞれの人生を歩んでいく漣と葵。運命の糸というのは、果たして存在するのか。存在するとして、その糸と糸が結ばれることはあるのか。劇中で何度か流れる『 糸 』だけではなく、成田凌が熱唱する『 ファイト 』も実に味わい深い。時は令和二年。平成という時代を振り返るには好適の映画である。

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ネガティブ・サイド

スケールは確かに壮大であるが、肝心のストーリーが『 弥生、三月 君を愛した30年 』とかなり重複している、というかはっきり言って二番煎じ見える。特に、幼馴染同士が結ばれることなく、互い違いに絶妙にすれ違っていく様は『 弥生、三月 君を愛した30年 』が先取りしている。そして何よりも成田凌の起用。彼は悪い役者では全くないが、それでも何故にこのようなキャスティングになるのか、首をひねる人は多いだろう。製作者が『 弥生~ 』を意識していなかったはずがないではないか。

 

平成と言えば阪神大震災に東日本大震災だが、実際のニュース映像を使うのはどうなのだろう。特に後者の津波のニュース映像。『 オフィシャル・シークレット 』でも強く感じたが、当時のニュース映像というのはタイムマシンのようなもので、取り扱いには要注意だ。作中の二階堂ふみではないが、大阪生まれ大阪育ちのJovianの嫁さんですら、津波の映像には今でもショックを受けるのだ。

 

細かい粗が随所で目立つ作品でもある。渾身の役作りをした榮倉奈々に対して、菅田将暉のひょろひょろ具合は何なのか。彼も悪い役者ではないが、今回は役作りにそこまで時間をかけられなかったのか。チーズ作りというのは重労働だろう。何百何千リットルもの牛乳を搾り、運び、発酵・凝固させ、チーズの原型を運び出すという過程のごく一部だけしか画面には映し出されなかったが、毎日毎日それだけの労働をしていれば腕や肩、そして胸板は相当に筋肉質になるはずだ。菅田は同世代の役者ではフロントランナーの一人であるが、今作の役作り(≠演技)は残念ながら落第。演技は及第である。

 

小松菜奈は残念ながら英語がヘタになってしまった。それは別によい。ただ、言ってもいないことをしゃべらせてはならない。山本美月がこれまた稚拙な英語で“Japan can no longer relay on domestic consumption(demands?)”とインタビューに答えていたが、まずrelay onではなくrely onである。発音が全然違う。また、この文章を素直に訳しても、字幕に出てきた「内需主導」などという訳は出てこない。

 

エンディングで流れる楽曲『 糸 』はオリジナルであるべきだと強く感じた。縦の糸はあなた=漣であるはずが、ヴォーカルが男性になってしまったことでそこが狂ってしまった。それによりエンディングの余韻が壊れてしまったように感じた。うーむ・・・

 

総評

漫画や小説を映像化するのも良いが、邦画はもっとオリジナル作品を生み出すべきである。オリジナルとは完全に独創的という意味ではない。何らかのモチーフを全く新規に再解釈することから生み出された作品も、オリジナル作品と呼べるはずだ。その意味で、本作はオリジナルと言える。B’zの『 Pleasure’91 〜人生の快楽〜』の“僕”と“あいつ”の物語を再解釈する脚本家や監督が現れるのを期待したい。本作に続く邦画の制作と公開を待ちたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chauffeur

ショウファー、と読む。アクセントは、ショウファーの位置にある。シンガポールの高杉真宙がこれであった。「運転手」の意味だが、driverとは違い、結構なステータスのお抱え運転手を意味する。『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーはダイナーでデボラと出会ったときに“Oh, like a chauffeur?”と言われていたし、『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホはdriverではなくchauffeurである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 小松菜奈, 日本, 監督:瀬々敬久, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 糸 』 -壮大なファンタジーだが、残念ながら二番煎じ-

『 事故物件 怖い間取り 』 -2020年度クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2020年9月1日2021年2月23日 by cool-jupiter

事故物件 怖い間取り 5点
2020年8月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:亀梨和也 奈緒
監督:中田秀夫

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『 エミリー・ローズ 』のレビューで本作から地雷臭がすると述べたが、本作は地雷ではない。完全なるゴミである。『 記憶屋 あなたを忘れない 』や『 ヲタクに恋は難しい 』をさらに下回る駄作で、我が映画鑑賞人生においても最低レベルの作品である。

 

あらすじ

売れない漫才コンビのジョナサンズの一人、山野ヤマメ(亀梨和也)はコンビ解散後にひょんなことから「事故物件住みます芸人」に転身することになる。そして、不動産屋で事故物件を紹介してもらい、そこに住み始める。しかし、それ以来、身の回りで怪奇現象が起き始め・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

いや、奈緒の出演で5点だけは与えておく。

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ネガティブ・サイド

なにから突っ込んでよいのか分からない。どいつもこいつも下手くそな関西弁をしゃべり、何がきっかけで売れたのか分からないまま「事故物件住みます芸人」として人気が出たのか、その経緯も不明。

 

相方との関係も意味不明。ビジネスパートナーなのか戦友なのか、『 火花 』のようにそこを明らかにせんかいな。亀梨は元・相方に実家に帰れといった次の瞬間に、「なんで実家に帰るんだ?」って、アホか。その相方も奈緒演じる梓に「アイツとは縁を切れ」ってなんでやねん。とにかくジョナサンズの二人の関係性がまったく理解できない。だから、この二人が同じ画面内にいてもなんのドラマも生まれない。

 

亀梨は都合4件の事故物件に住むが、そのどれもが怖くも何ともない。すべてがこけおどし、または使い古されたクリシェに過ぎない。特に千葉の4件目はギャグか何かとしか思えない昭和の遊園地の片隅に見られた子供騙しのお化け屋敷状態。キャンキャンとした効果音がうるさかったが、それがなければJovianの失笑が半径10mぐらいの範囲に聞こえてしまっていたことだろう。ラスボス(?)的な存在もギャグである。これが怖いと思えるのは小学校低学年の女子ぐらいだろう。脚本、絵コンテ、撮影、編集のいずれの段階で監督も役者もスタッフも、誰も何も感じなかったのか。そんな姿勢で映画を作っているから、韓国映画やインド映画に大きく水をあけられるのだ。本作はジャパネスク・ホラー完全終了のお知らせということ以上に、邦画の終わりの始まりを告げる作品と受け取るべきなのかもしれない。

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総評

本当なら8月30日に観た『 糸 』のレビューを先にすべきなのだろうが、どうしてもこちらを先に片付けたくなってしまった。とにかく本作は観てはいけない。こんな作品にカネと時間を使ってはならない。我々がかつて敬服した中田秀夫監督はもう死んだ。そう思うしかない。冥福を祈る。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to erase my memory of this film ASAP.

  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 亀梨和也, 奈緒, 日本, 監督:中田秀夫, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 事故物件 怖い間取り 』 -2020年度クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 僕の好きな女の子 』 -Boys be romanticists-

Posted on 2020年8月19日2021年1月22日 by cool-jupiter

僕の好きな女の子 70点
2020年8月17日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:渡辺大知 奈緒
監督:玉田真也

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テレビドラマの『 まだ結婚できない男 』と邦画『 ハルカの陶 』を観て、奈緒という女優を今後マークしようと思っていた。その奈緒と、Jovian一押しの俳優、渡辺大知の共演である。というわけで平日の昼間から劇場へ行ってきた。

 

あらすじ

加藤(渡辺大知)は脚本家。美帆(奈緒)は写真家兼アルバイター。二人は大の親友だが、加藤は美帆に恋心を抱いていた。けれど、告白することで、二人の関係が変わってしまうことを恐れている。加藤は美帆との距離を縮められるのか・・・

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ポジティブ・サイド

渡辺大知が『 勝手にふるえてろ 』の二とは真逆のキャラクターを好演。好きだという気持ちを意中の相手にストレートにぶつけられない世の男性10億人から、無限の共感を呼ぶパフォーマンスである。または『 愛がなんだ 』のテルコと同じく、好きだというオーラを全身から発しながらも、相手がそれに気づいてくれない、それでも満足だという少々屈折した一途キャラ。これまた世の男性5億人からの共感を呼ぶであろう。人は誰でもできない理由を思いつくことに関しては天才かつ饒舌なのだが、そのことが加藤とその悪友たちとの他愛もない喋りの中によく表れている。単なる喋りではなく、渡辺の目の演技にも注目である。さりげない演技ではなく分かりやすい演技、しかし、わざとらしい演技ではない。目で正の感情や負の感情を語っていて、美帆と共有する時間を知っているオーディエンスには伝わるが、美帆と共有する時間を知らない悪友たちには、その目の語る事柄が伝わらないという憎い演出である。

 

奈緒演じるヒロインの美帆をどう捉えるかで本作の評価はガラリと変わる。加藤の悪友の言うようにビッチ(という表現は不穏当だと思うが)と見るか、計算ずくで加藤をキープし続ける小悪魔なのか、それとも本当に男女の友情を信じて維持している、ある意味で非常に純粋な女なのか。Jovianは小悪魔であると感じた。理由は二つ。1つには写真。被写体に対する愛情がないと撮れない写真というものがある。それは、例えば『 思い、思われ、ふり、ふられ 』のカズが撮った写真であったり、『 マーウェン 』のマークが撮る人形の写真だったりする。そうしたものは一目見れば分かるし、そうした写真を無意識で撮ったとすれば、撮影者は小悪魔ではなく悪魔であろう。理由のその二は、公園で泣く美帆と、その彼氏である大賀の所作。大賀に責められたから泣いたのではなく、自分の意識していない薄汚れた面に気付いてしまって泣いたのだろう。大賀が慰めるように肩に手をかけていたのは、美帆を思いやる以上に「今は涙をこらえろ。加藤にその涙を見せるな」という意味だと受け取った。このあたりは観る人ごとに解釈が分かれるものと思う。

 

大賀と渡辺の喫茶店での対峙シーンは素晴らしい。『 聖の青春 』の松山ケンイチと東出昌大の食堂での語らいを彷彿とさせた。大賀は登場時間こそ少ないものの、スクリーンに映っている時間は、画面内のすべてを支配したと言っても過言ではない。

 

全編が芝居がかっていて、劇作家である玉田真也監督の真骨頂という感じである。居酒屋のシーンや加藤の自宅のシーンなど、下北沢の芝居小屋で見られそうなトーク劇だった。あれだけ軽妙かつ切れ味鋭いシーンをどうやって撮ったのだろう。すべて台本通りなのだろうか。それとも、大まかな方向性だけを与えて、役者たちのインスピレーションに任せて何パターンか撮影して、その中から良いものを選んできたのだろうか。

 

Jovianは東京都三鷹市の大学生だったので、井の頭公園はまさに庭だった。渡辺大知の卓抜した演技だけではなく、馴染みのある風景がいくつも出てきたことで、作品世界に力強く引き込まれた。井の頭公園で歌うギタリストの歌も素晴らしくロマンチックだった。世の細君および女子にお願いしたいのは、パートナーが沈思黙考していたら、是非そっとしておいてやってほしい。本当に考え事に耽っていることもあるが、過去の美しい思い出を反芻している時もあるから。

 

ネガティブ・サイド

加藤の職業が脚本家というのは、少々無理があると感じた。実際にテレビで放映されているわけで、美帆がそれを観ないという保証はどこにもない。又吉のエッセイが原作ということだが、加藤は駆け出しの小説家ぐらいで良かったのではないか。それなら出版前の原稿を仲間内でわいわいがやがやと論評合戦してもなんの問題もない。ジュースもケーキも手渡せないようなヘタレな加藤が、美帆との時間をそのままテレビドラマのネタにしてしまうというのは、キャラ的に合っていないと思えた。

 

萩原みのり演じる加藤の女友達、または徳永えり演じる美帆のビジネスパートナーに、何か波乱を起こして欲しかった。自分が誰かを好きな気持ちを、その誰かは決して気付いていてくれない。そのことを加藤自身が図らずも実践してしまうというサブプロットがあれば、またはそうした思考実験的なもの(たとえばドラマの脚本の推敲の過程で)を挟む瞬間があれば、よりリアルに、よりドラマチックになったのではと思う。

 

総評

カップルのデートムービーに向くかと言われれば難しい。かといって友達以上恋人未満な関係の相手と観に行くのにも向かない。畢竟、一人で観るか、あるいは夫婦で観るかというところか。Jovianは一人で観た。井の頭公園や渋谷が庭だ、という人には文句なしにお勧めできる。ラストは賛否両論あるだろうが、男という面倒くさい生き物の生態の一面を正確に捉えているという点で、Jovianは高く評価したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

lover

「恋人」の意。日常会話ではほとんど使わない。日本語でも「カレシ」、「カノジョ」の方が圧倒的に使用頻度が高いのと同じである。劇中で二度歌われる『 友達じゃがまんできない 』の歌詞、「あなたの恋人になりたい」が泣かせる。「あなたの恋人にしてほしい」ではないのである。加藤にはTaylor Swiftの“You Are In Love”と“How You Get The Girl”、そしてRod Stewartの“No Holding Back”と”When I Was Your Man“を贈る。いつかドラマの挿入歌にでも使ってほしい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ラブロマンス, 奈緒, 日本, 渡辺大知, 監督:玉田真也, 配給会社:吉本興業Leave a Comment on 『 僕の好きな女の子 』 -Boys be romanticists-

『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

Posted on 2020年8月18日2021年1月22日 by cool-jupiter

思い、思われ、ふり、ふられ 45点
2020年8月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:浜辺美波 北村匠海 福本莉子 赤楚衛二
監督:三木孝浩

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映画ファンなら「この監督の作品は観ることに決めている」、「この役者が出ているなら観ようかな」と感じる対象がいるものと思う。Jovianは浜辺美波のファンであり、彼女の出演作は一応チェックすることに決めているし、本作でも及第の演技を見せた。だが、邦画の弱点というか、漫画や小説の映像化(≠映画化)の限界をも思い知らされた気もする。

 

あらすじ

朱里(浜辺美波)と理央(北村匠海)は高校生。親同士の再婚によって姉弟になったが、理央は朱里への思いを胸に秘めていた。同じマンションに暮らす朱里の親友の由奈(福本莉子)やカズ(赤楚衛二)を含めた4人の恋模様が交差していき・・・

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ポジティブ・サイド

浜辺美波の顔芸は今作でも健在である。『 センセイ君主 』のような笑いを取りに行く顔芸ではなく、表情で心情を伝える演技だ。目は口程に物を言うという諺通りである。

 

浜辺よりもっとそれが顕著だったのは、気弱な由奈を演じた福本莉子だったように思う。明らかに胸の内を隠す、あるいは取り繕うための過剰な表情、「演技をしているという演技」をしていた浜辺とは対照的に、恋に臆病で、それでも恋に真剣な少女を好演。演技をしているのだけれども、それを感じさせない演技力。特に雨宿りの最中に理央に告白するシーンは、序盤ながらも本作のハイライトとなった。

 

血はつながっていないが兄弟姉妹である、それゆえに好きでも告白できない関係、というのは駄作『 ママレード・ボーイ 』でも描かれたが、本作はそこに親友や同級生を混ぜてきた。これによって各キャラクターの story arc の密度が減少するというデメリットは生まれたものの、邦画では絶対に描けない禁断の恋愛関係の手前のあれやこれやな時間つぶし的エピソードが挿入されずにすんだというメリットもある。

 

本作は漫画原作には珍しく、主要キャラが堂々と将来の夢を語る。誰々とこのままずっと一緒に幸せに生きていきたい・・・的な安易なエンディングにならないところには好感を持てる。特に通訳になりたいという朱里と映画関係の仕事をしたいというカズの二人は、素直に応援してやりたいという気持ちになれた。特にカズは、単なる映画好きではなく、映画が現実からの一時的な逃避先であるということが効果的に描写されていたので、余計に「頑張れ」と思えた。

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ネガティブ・サイド

端的に言って、エピソードを詰め込み過ぎである。これは漫画原作の方が全般に言えることだが、もう夏祭りとか文化祭とか部活風景とか授業風景とか教室での昼食風景とか登下校風景には飽き飽きである。そうしたシーンを見せられることに飽きたのではなく、そうしたシーンのカメラワークやコマ割り、時間配分などにウンザリなのである。映画が2時間だとすれば、最初の山場は30分あたりに持ってきて、最後の山場は1時間50分、主人公とヒロインが見つめ合う、あるいは抱擁を交わすシーンで主題歌を大音量で挿入とか、漫画の実写化の公式が存在するかのようで、本作もその例に当てはまるところが多い。というよりも三木孝浩監督こそ、そうした定番の構成を作り上げることに多大な貢献をした先般の一人とも言うべきで、多分もう彼は知恵を振り絞って映画を作っていない。少なくとも漫画の実写化についてはそう言える。ほとんどすべてのシーンに既視感を覚える人は多いだろう。

 

細かなディテールも破綻しているシーンが多い。一番「何じゃこりゃ?」と頭を抱えたのは、朱里とカズが夜の帰り道で高台に寄り道するシーン。二人の10~20メートル後ろを歩いていたスーツの男性が、ズームアウトした視点に切り替わった瞬間に影も形もなく消えていた。映画作りとは編集の痕跡を消す作業なのだ。誰も気付かなかったのか。気付いていたけれど、時間の節約のためにもうワンテイク撮ることを断念したのか。いずれにしろめちゃくちゃなシーンであった。

 

その他の季節の移り変わりの描写も乱暴だ。「寒い」と言いながら吐く息は全く白くない。だったら手袋したり、あるいは両手をこすり合わせたりなど、ちょっとした小道具や演技で観る者に寒さを伝える工夫はできるはず。それをしないのは監督の怠慢だろう。通学路や校庭の木々は青々していたり枯れていたりというシーンが混在しているのも編集のミス、または怠慢だ。

 

また劇場の予告編で散々流れていたトレイラーのLINEメッセージは何だったのか。「既読にならない」ということに理央は思い悩んでいたのではなかったのか。トレイラーでは朱里は思いっきり既読にしている。劇場で当該シーンを観た時、「???」となってしまった。誰がトレイラーを作っていて、誰が編集担当なのか?

 

ストーリー展開上の演出や小道具大道具も雑である。まず朱里と理央の家に生活感がなさすぎる。中年カップルの結婚は普通にあることとして、年頃の娘と息子が暮らす家で、風呂場のドアに何らかのサインぐらい用意しないのか?それこそ「父 使用中」とか「朱里 使用中」とか、朱里の母のあわてふためき具合を見れば、そうした小道具ぐらいあってしかるべきだろうと感じる。

 

一番よく理解できないのはカズと理央の距離感。「マッドマックス」「の、どれ?」という具合に初対面から意気投合できるのに、その後のビミョーな距離が腑に落ちない。特に学校の下駄箱で同級生が理央と朱里を茶化すシーンに介入するのは男らしいが、だったら何故同じ迫力と剣幕で理央に迫らないのか。倫理の二重基準があると言われても仕方がないだろう

 

総評

首を傾げざるを得ないシーンやストーリー展開が多い。主要キャラを4人にしたいのなら、もっと密度の濃い映画にすべきである。手垢のついたエピソードを、これまた手垢のついた撮影方法と編集で料理してはいけない。そうするぐらいなら、ばっさりとカットしていい。ストーリーはどうでもいい。若い売れっ子の役者たちを観たいという向きにはお勧めできるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

interpret

「通訳する」の意味だが、一般的には「解釈する」で知られているだろう。通訳者=interpreter、翻訳者=translatorである。有名な通訳者のエピソードに以下のようなものがある。ある日本人のスピーカーが日本語でダジャレを言った。通訳者は「今、この人は冗談を言いました。なので皆さん、笑ってくださると嬉しいです」と当意即妙に“通訳”を行い、結果として聴衆から笑いを引き出し、スピーカーからは更なる信頼を得た。InterpreterとTranslatorの違いが、少しお分かり頂けただろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, 北村匠海, 日本, 浜辺美波, 監督:三木孝浩, 福本莉子, 赤楚衛二, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

Posted on 2020年8月2日2021年1月22日 by cool-jupiter

君が世界のはじまり 65点
2020年8月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:松本穂香 中田青渚 片山友希 
監督:ふくだももこ

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『 わたしは光をにぎっている 』の松本穂香の主演と聞いて食指が動いた。舞台は大阪。主要キャストは関西人で固められている。コロナの第二波で映画館が再びシャットダウンされる前に観ようとテアトル梅田へ出向く。

 

あらすじ

縁(松本穂香)は優等生。親友の琴子(中田青渚)は恋多き女。父への苛立ちから学校とショッピングモールにしか居場所がない純(片山友希)。それぞれが心の奥底に秘める鬱屈と同じ学校の男子への恋心が芽生える時、互いの関係が徐々に変化していき・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から不穏なスタートである。父親を殺害したと見られる高校生が警察によって連行されていくシーンから始まる。その高校生の顔は見えない。なるほど。この高校生が誰であるのかを予想しながら鑑賞せよ、ということか。Jovianは「こいつだろう」と変化球的に予想して見事に外した。これから観る人も、このシーンを常に頭の片隅に置きながら鑑賞してみよう。

 

本作の舞台は大阪とはいっても、いわゆるキタやミナミが舞台ではないし、北摂のハイソな住宅地でもない。南海もしくは近鉄の支線のやや先っぽの方であろう。なんとなく雰囲気的に貝塚や富田林のように思えた。それとももう少し先の方だろうか。『 岸和田少年愚連隊 』ではお好み焼き屋のばあさんから「早うここから出て行きさらせ」と罵倒されたチュンバと利一だったが、出て行こうにも行けるのが地元のショッピングセンターぐらいしかないという閉塞感が通奏低音として全編を貫いていた。同時に、そのショッピングセンターが間もなく閉店するということに、自分たちの小さな世界が一つの終わりを迎えるということを高校生たちが感じ取る。代り映えしない退屈な日常がショッピングモールに仮託されているわけだ。

 

 

『 ここは退屈迎えに来て 』で描かれた幹線道路沿いに延々と続く代わり映えのしない店や施設の繰り返しと同じく、BELL MALLというショッピングモールが代わり映えしない世界の象徴になっている。それをぶち壊す一つの契機が、純が検索する「気が狂いそう」というフレーズである。そう、THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』だ。2019年になっても甲本ヒロトの歌詞と歌唱に救われる若者がいることに、何故か心が震わされた。THE BLUE HEARTSの楽曲はクライマックス近くでも本作を彩る重要な要素になっている。そこは本作のハイライトリールでもある。

 

モール以外にもう一つの重要なモチーフとして現れるのが、タンクである。中身は水か、コンクリートか、何だから分からない。まるで、それを見つめる縁と業平の胸の内のようである。そのタンクの向こうに夕焼けが広がるシーンの美しさに、我あらず、日暮れて道遠しなどと感じてしまった。青春映画の夕焼けにこのような感慨を抱くことは稀である。

 

本作の見どころは、各キャラクターの青春との向き合い方である。琴子は業平に一目惚れし、セックスだけの関係から「真剣交際」の道を模索する。それを母親(江口のりこ)は「あの子もようやく初恋か」と感慨深げに見守る。東京から引っ越してきた伊尾(金子大地)は、純との衝動的な、刹那的な肉体関係のその先に踏み出せない。伊尾の抱える闇もなかなかに暗く、深い。普通に被虐待児なのではないかと思う。そして家庭でも学校でも優等生であるはずの縁も、心の内を見透かされることの羞恥に耐えられずメルトダウンを起こす。どれもこれも鮮烈な青春の1ページだ。

 

主演の松本穂香は闇の中でもきらりと光る目の力と、フェロモンを放たずに魅力をアピールするという子どもと大人の中間、少女と女性の中間的な存在を見事に体現した。親友の琴子役の中田青渚はビッチでありながらも乙女チックに変身しようとする、これまた難しい役どころを熱演。父と距離と母の不在に思い悩む純役の片山友希は、闇を抱える少年に一歩も引かずに向き合う「人にやさしい」を体当たりで実現した。

 

全員が関西人なので、しゃべりもノイズに聞こえない。本当はこういう映画こそミニシアターではなく、TOHOシネマズあたりでやってほしいのだけれど。邦画の青春映画としてはかなりの力作である。

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ネガティブ・サイド

主要な女子3人と男子3人の関係が途中まであまりにも希薄すぎる。BELL MALLで実は同時刻に違う場所にいたのだという描写がもっとたくさん欲しかった。それと同時に、モール内に同じ制服を着て、同じように時間を潰す高校生たちを映してほしかった。彼ら彼女らが、時に屈託なく、時に深刻な表情でモールで過ごす様が映し出されていれば、主要な6人だけではなく、その地域の高校生たちが抱える閉塞感や刹那的な享楽・歓楽への傾倒をもっと印象付けることができた。そうすることで殺人事件の犯人像にもっと説得力を持たせられたのにと思う。

 

琴子はしばしば買い食いするが、それがお好み焼きだったりたこ焼きだったりするが、もっとマニアック(?)かつディープに串カツやらイカ焼きやらカスうどんやらを食べさせることはできなかったか。一般的な映画ファンが思い浮かべるだろう大阪は道頓堀やら通天閣あたりだろうが、舞台はもっと南あるいは南東の方、ある意味でモールぐらいしか拠点がない没個性な町である。だからこそ、ちょっとした食べ物ぐらいは個性的なものを採用してほしかった。縁の家での晩餐についても同じことが言える。粉もんをオカズにご飯を食べるのは、らしいと言えばらしいのだが、そうした大阪大阪した描写は本作のメッセージとは相反するところがある。

 

後は縁、純、業平の父親像をもう少しだけ深掘りしてほしかった。特に縁の父親の放屁のシークエンスはもう少し追求できただろうにと思う。あれで笑える家庭、あれを受け入れられる業平という角度から、逆に業平とその父親の関係をもっと推測させることもできただろうにと、そこは少し残念だった。

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総評

青春時代の閉塞感というのは誰にでもある。それは環境の変化であったり、自身の肉体的精神的変化だったり、あるいは人間関係の変化であったりである。そうした青春の暗い側面と、暗いからこそ光を放つ一瞬を本作は活写している。大学一年生あたりは入学式もなくオリエンテーションもなく登校することなく、オンライン授業と課題とバイトの毎日で気が滅入っている。そうした大学生たちにこそ観てほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drive someone nuts

「誰かの気を狂わせる」、「頭をおかしくさせる」の意味。This is driving me nuts. や Both my boss and my client always drive me nuts. のように使う。THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』の歌い出しが耳に聞こえたら、このフレーズに変換しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 中田青渚, 日本, 松本穂香, 片山友希, 監督:ふくだももこ, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 青春Leave a Comment on 『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

『 アルプススタンドのはしの方 』 -異色の青春群像劇-

Posted on 2020年7月28日2021年1月21日 by cool-jupiter

アルプススタンドのはしの方 70点
2020年7月26日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:小野莉奈 平井亜門 西本まりん 中村守里
監督:城定秀夫

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これは快作である。『 カメラを止めるな! 』のようなインパクトがある、というのはほめ過ぎだが、非常にユニークなフォームの映画である。『 セトウツミ 』の亜種にして、ついに現れた『 キサラギ 』の後継作品でもある。

 

あらすじ

夏の高校野球県大会のアルプススタンドのはしの方で、演劇部員のあすは(小野莉奈)とひかる(西本まりん)は野球のルールもよく分からないままに応援していた。そこに補習上がりの元野球部の藤野(平井亜門)と学校一の優等生、宮下(中村守里)も徐々に加わり・・・

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ポジティブ・サイド

正にタイトルの通り、アルプススタンドのはしの方だけで展開される会話劇である。『 キサラギ 』の密室での推理談義、そして『 セトウツミ 』の川辺の階段での他愛のない雑談に続く作品だと言えるだろう。高校や大学の映研が本作の模倣作品を作り始めるのは間違いない。アイデア次第で、演劇をそのまま映画にできるし、なおかつ面白さも保てるのだ。

 

本作をユニークにしているものはいくつかあるが、一つには野球を一切映すことなく野球を見せていることである。彼女たちのスタンドでの位置や立ち居振る舞いだけでも彼女たちがスクール・カーストの上位者でないことが分かるし、野球のことをよく知らない女子というだけで男子と“活発に交流する”タイプでないことも伝わってくる。娯楽やスポーツの多様化が進んで久しいが、それでも野球は日本ではまだまだメインストリームの球技である。

 

そんな彼女たち+男子一人+時々教師一名が繰り広げる会話劇がべらぼうに面白い。女子高生同士の他愛のない野球に関わるトークに男子が一人加わることで奥行きが生まれ、優等生が加わることで深みも生まれた。元は兵庫県の高校生の演劇脚本のようだが、資金も道具も人員もないからこそ生まれる面白さが本作にはある。Jovianがあっさりとプロットを見破った『 ソウ 』も、資金不足から大部分をスタジオ内=監禁部屋で撮影したことで、面白さが増したと言われている。同じように、会話劇から徐々に明らかになる様々な背景情報、そして目に見える形で変わっていく登場人物同士の距離。それが、すぐそこで行われている野球の試合展開と奇妙にシンクロしている。強豪に立ち向かう自校のチームと、人生の壁にぶつかっているあすはや藤野。決して青春群像劇の主人公的なキャラクターたちではないが、それゆえに我々一般人の共感を得やすい。少女漫画原作の青春映画の主役キャラに「ああ、俺にもこんな青春があったな」と感じられる人間はごく少数だろうし、そうした人間はそもそも青春映画など見ないだろう。普通の大人が普通に共感できる邦画が生まれたと評してもいいだろう。

 

本作は『 桐島、部活やめるってよ 』の亜種でもある。本作で桐島にあたるのは矢野である。といっても、矢野はスクール・カーストの上位者ではないし、野球部のレギュラーでもない。(オーディエンスに)姿は見えないが、その存在が他者に絶大な影響を及ぼしていくところが桐島と共通している。矢野とはどんな男か。「うおおおおお、矢野ーー!!!大好きだーーー!!!俺はお前を応援するぞおおおおおお!!」と叫びたい気持ちにさせてくれる男である。何がそうさせるのか。アルプススタンドのはしの方にいるキャラクターたちは、みな自己効力感が低い。けれど、彼女たちが徐々に自身を信じ、一歩を踏み出す勇気を得て、他者に声援を送るようになる過程が丹念に描かれることで、我々も知らず知らずのうちに物語世界に引き込まれていく。その過程は劇場で体験してほしい。

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ネガティブ・サイド

城定監督は真夏の炎天下、野球場で野球を見たことがないのだろうか。あんなピーカンだと、ステンレスの手すりに両手を乗せていた宮下のてのひらは軽度の火傷を負うぞ。あすはとひかるも同じ。座っていられない。尻の下にタオルを敷くのが定石である。妙な陽炎を後から映像に加えていたようだが、完全なる蛇足。「日焼け止め持ってたりする?」のようなセリフが一つあれば、暑さも伝えられたはず。会話劇なのだから、会話で堂々と気温や日差しに言及してもよかった。

 

藤野はいくら投手だとはいっても、バッティングフォームが窮屈すぎる。完全なる手打ちフォームで、とても野球経験者には見えない。ここはもっと演出や演技指導が必要だった。

 

また吹奏楽部やベンチ入りできなかった野球部連中が試合を観ている時の顔の向きとあすはたちが試合を観ている時の顔の向きが一致していない。いや、一致はしないのだが、どう考えてもそっちはピッチャーマウンドまたはホームベースの方向ではないだろうというシーンのつなぎが何度かあった。一塁側アルプススタンドの外野側のはしの方にいるあすはたちが左45度を剥いているのに、スタンドの野球部連中が真正面を向いていたりする。いったいどこのどんなプレーを見ているのか。

 

打球音からホームランの弾着までの時間が異様に短かったのは弾丸ライナーだったからと納得はできても、藤野がナイスキャッチしたファウルボールはおかしい。打球音と打球の軌道、さらに打球のスピードのどれ一つとして一致していない不思議なボールが飛んできた。監督もしくは助監督は、アルプススタンドで野球観戦することを、もう少し綿密に取材すべきだった、あるいは自身で体感してみるべきだった。

 

総評

こうしたユニークな映画が日本でもっと生みされてほしい。久しぶりに邦画を応援したくなった。本作はそういう気持ちにさせてくれる映画である。Jovianはやたら藤野にもひかるに宮下にも、やたら大声を張り上げる教師にも共感できた。もっとこの世界を見守りたいと感じた。2020年は映画にとって不幸な年だが、本作はその中でも異色の面白さを持った映画である。中年映画ファンも劇場へGoだ。高校生や大学生のデートムービーにも最適である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a catch

野球やアメフトでボールをキャッチすることをmake a catchと言う。do a catchとは言わない。~する=do ~と理解している人が多いが、実際にはmake ~もよく使われる。do homework, do laundry, do the dishes。make a mistake, make a speech, make a catch. do は手順や対象がすでに定まっていることを「する」、一方でmakeは自分で一から生み出すようなものを「する」。このように理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 中村守里, 小野莉奈, 平井亜門, 日本, 監督:城定秀夫, 西本まりん, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONS, 青春Leave a Comment on 『 アルプススタンドのはしの方 』 -異色の青春群像劇-

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