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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ??点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 
監督:庵野秀明

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311174830j:plain
 

ちょっと頭が混乱している。何か大きな感動を味わったような気もするし、肝心なところは有耶無耶なまま騙されたような気もする。レビューも書けそうにない。前3作はすべて劇場で観たが、最後のQから何年経ったのか。やはり復習鑑賞無しで臨むのは無理があったか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311174852j:plain
 

以下、取り留めのないメモ

 

・トウジやケンスケ、委員長が「大人」になっていることを素直に嬉しく思えた。子ども=性と労働から解放されている者、大人=性と労働に関わる者である。

 

・第三村のパートが少し冗長か。

 

・碇ゲンドウがひたすらキモイ。これはもう昔からそうだが、ユイと再会したいと願いつつ、結局そこにあるのは胎内回帰願望。人類補完計画と大仰に銘打っても、結局はユイを抱きたい、ユイに抱かれたいという非常に幼児的な欲求でしかないように思う。

 

・綾波の笑顔は、やはり絵が粗い最初期のものが一番ステキだなと感じる。

 

・アスカ、報われない女・・・

 

・マリ、いい女。

 

・『 残酷な天使のテーゼ 』も『 魂のルフラン 』も流れなかった。:||という反復記号の意味は・・・?

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311175018j:plain元々のテレビアニメはJovianが高校生の頃に深夜放送していた。当時は“知る人ぞ知るアニメ”だったように思う。それこそクラス人数30人のうち、見ていたのは自分含め3人ぐらいしかいなかった。そこから一つの大きな潮流が生まれ、そして完結するという事象をリアルタイムに体験することができたのは僥倖だが、作品そのものを楽しめたのかどうか、それが自分でも分からない。本作で碇シンジはエヴァンゲリオンから「卒業」したわけだが、これはクリエイターとしての庵野秀明にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件で閉塞感に満ちた世界から、ある意味で逃避できる作品だったのかな。かつて庵野から「いい加減、目を覚ませ」と痛烈なメッセージをリアルに受け取った世代としては、本作が完結であると受け止めづらい。そう感じるのは碇シンジが音になってしまったからなのか、庵野秀明が大人になってしまったからなのか、自分が大人になってしまったからなのか、それとも自分が大人になり切れていないからなのか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, アニメ, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

Posted on 2021年3月8日 by cool-jupiter

野球少女 65点
2021年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イ・ジュヨン イ・ジュニョク
監督:チェ・ユンテ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210308013239j:plain
 

日本プロ野球の歴史上、印象的な韓国人助っ人と言えばソン・ドンヨルだろうか。千葉ロッテマリーンズファンのJovianはイ・スンヨプも忘れがたい。そんな韓国から、プロを目指す野球女子のストーリーが届けられたので、興味津々でチケットを買った。

 

あらすじ

女子高生チュ・スイン(イ・ジュヨン)は、プロ野球選手になることを目標にしていた。しかし時速130kmという速球も「女子にしては」という但し書き付きの評価で、トライアウトも許可されない。そんな時に、独立リーグ出身のチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が新人コーチとしてチームに加わり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210308013255j:plain
 

ポジティブ・サイド

野球少女というタイトルではあるが、決して過度に主人公スインの女性性を強調したりはしない。もちろん更衣室が別だとか合宿に行くと個室が必要だから余計に金がかかるだとか、そういう描写や説明はある。しかし、スインが学校や野球部で「女子であること」が明確なハンディキャップになっている描写はない。それをやってしまうと、スインの努力が、韓国野球史上で前例のないことへの挑戦ではなく、学校や部を見返してやることに矮小化してしまう。そこを避けたのは賢明だった。むしろ、スインの友人女子がオーディションで落ちたことを通じて、歌やダンスの練習をどれだけ積み重ねても見た目で拒絶されてしまうという現実を突きつけてくる。これは効果的だった。セクシズムだけではなくルッキズムも含まれる、いや、もっと言えばチャンスを与えてもいい人間とチャンスを与えるまでもない人間がいるという考え方を厳しく批判することになっているからだ。

 

コーチが微妙に負け犬設定なところもいい。これが元プロだとか、元大学野球のスターとか、釈迦人野球で実績を残したという人物だと、観る側も共感しづらい。だがチェ・ジンテは独立リーグ出身。プロに近い世界ではなく、プロからかなり離れたところ出身のコーチだからこそ、自分の果たせなかった夢を追うスインが最初は気に食わなかった。しかし、そんな自分がスインを育成することこそがredemptionになるのではないかと腹を括るシーンはよかった(校庭を30周も走らせるのはどうかと思うが)。その後の「短所はカバーできない、長所を伸ばせ」というアドバイスは適切だったと思う。

 

クライマックスをトライアウトに持ってきたのは正解。本作は『 野球少女 』というタイトルだが、実際に描かれているのは固定観念の打破、機会均等(≠結果の平等)の追求なのだ。スインの目標はトライアウトの合格だが、物語が描き出したいのはトライアウトにこぎつけること。チェ・ユンテ監督がスインの物語と映画の物語を一致させなかったのは英断だと思う。スインが実際にプロ野球選手として活躍できるかは誰にも分からない。というか、むしろその可能性は限りなく低い。球団のお偉いさんの「スインが本当に大変なのはこれからですよ」という言葉が真実だろう。ただ、エンドロールの最後に聞こえてくる鳥の鳴き声に、長かった冬の終わりが予感させられる。それは季節が変わったということだけではなく、一つの新しい時代が到来したということの暗示でもあるのだろう。

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ネガティブ・サイド

もっと野球そのものにフォーカスしてほしかったと思う。スインがナックルを選択するようになったのは当然だが、そのナックルの魔球ぶりをもっと分かりやすく見せてほしかった。日韓のファン、特にJovianとほぼ同世代の本作監督チェ・ユンテならボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールド投手をテレビでリアルタイムに観ていたはず。その時も捕手はボールをミットのど真ん中ではなく、先っぽや土手でキャッチすることがしばしばあった。トライアウト時に捕手がミットを大きいものに変えるシーンがあったが、同じようにナックルをミットの真ん中でなく先っぽや土手でかろうじて受けているという描写が欲しかった。

 

スインの野球選手としての苦悩の部分の見せ方も弱かったと思う。たとえばスインのリトル・リーグや中学時代の練習や試合の風景を映し出す。そこで得た野球選手としての称賛に「女の子なのに」や「女の子でも」といった枕詞が必ずついてくる。そうした経験をスインがしてきたという説明は、セリフだけではなく実際に映像として見せるべきだった。その方がスインの感じる抑圧感、今風の言葉で言えばガラスの天井の存在を、より強く観る側に印象付けることができたはずだ。

 

他にもそぎ落とせるサブプロットがいくつもあった。最も不要だと感じたのは、父親の資格試験。普通に不合格でした、で充分だった。逮捕劇によって家族にさらなる亀裂と劇的な関係改善が・・・ということもなかった。いったいあれは何だったのか。

 

総評

韓国映画が得意とするドラマチックな物語ではない。演出面でも少々物足りない。しかし、性別を理由に門戸が開放されない職業など、本来は存在しないはず。保守的とされる韓国であるが、よくよく考えれば女性大統領を輩出するなどgender equalityの面では日本の先を行っている。女性のプロ野球選手も案外、日本よりも韓国が先に輩出するかもしれない。日本も負けていてはいられない。スポーツでもその他の分野でも。そんな気にさせてくれる映画である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

『 ブラインド 』でも紹介した表現。「分かった」の意。韓国映画を観ていると、ほぼ間違いなく出てくる表現。他にもアルゲッソヨ=「分かりました」もよく聞こえる表現だが、こちらは同じ意味でも丁寧な言い方。映画やドラマで語学を学ぶ利点の一つに、人間関係やストーリーの中で学べるということがある。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, C Rank, イ・ジュニョク, イ・ジュヨン, スポーツ, 監督:チェ・ユンテ, 配給会社:ロングライド, 韓国Leave a Comment on 『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

Posted on 2021年3月7日 by cool-jupiter

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けったいな町医者 80点
2021年3月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:長尾和宏
監督:毛利安孝

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我が町・尼崎のけったいな町医者にフォーカスしたドキュメンタリー。監督の毛利安孝は『 樹海村 』や『 さよならくちびる 』で助監督、『 犬鳴村 』で監督補を務めるなどした現場上がりの人。本作は現代日本への真摯なメッセージであり、このような作品が送り出されることを評価したい。

 

あらすじ

長尾和宏は勤務医時代の患者の自殺、阪神淡路大震災を経て、兵庫県尼崎市で町医者となる。医療=往診という哲学の元、痛くない死に方、在宅での看取りを追求する長尾と患者、その家族の奮闘の日々が描かれる。

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ポジティブ・サイド

冒頭から、医療=往診であるという文言がスーパーインポーズされる。つまり、それこそが本作が一番に訴えたいメッセージだということだ。確かに我々は病気や怪我をすると、医者のところに行くということを当たり前だと感じている。しかし、それは実は違うのではないか。医師こそが患者の元に出向くべきではないのか。それこそがドクター長尾の意思である。

 

劇中で長尾医師は、現代日本の医療の根本を覆すような過激な言動を見せる。その一つが「製薬会社に魂を売ってない大学教授がいたら見せてくださいよ」というものである。大学教授の講演=薬の宣伝であると厳しくは批判しているのだ。政府や大企業に忖度など一切せず、歯に衣着せぬその言動は痛快である。誰もがうすうす「こんなに薬が必要なのかな?」と思っているが、誰もその疑問を口に出せない。医師という職業は権威だからだ。「そんなことはない、医者もただの人間だ」と思う人もいるだろうが、そうした人も「はい、では呼吸と心臓のチェックをします」と言われれば、服を上げて裸の胸を晒すし、「おなかの調子は?」と聞かれれば、便の状態などを話したりもする。警察や弁護士も権威だが、服を脱いだり、排せつ物の話をしたりはしないだろう。それこそが医師の権威というものである。ところが長尾医師は、権威の象徴たる白衣を一切着ない。その理由は本編を観てもらうとして、この町医者は患者を患者としてではなく、まず人間として看る。

 

コロナ禍の最中の今の目で見ると信じられないほどに、長尾医師は患者に触れる。それは患者の手だったり、顔だったり、腕だったり、肩だったりと様々だ。もちろん触れることによって得られる医学的な知見(脈拍や体温など)もあるからだろうが、それよりも目の前にいる人間を患者ではなく“人間”として見ているからだろう。長尾医師は舞台挨拶で「どうか人間を好きになってほしい」とおっしゃった。その通りのことを実践していた。『 人生、ただいま修行中 』でも述べたが、Jovianはかつて看護学生だった。そこで「304号室の胃がんだけど、~~~」のように、患者を名前ではなく病名で呼ぶ医師や看護師をちらほら見たのである。これは日本中の病院で観察される日常の一コマであると思われる。長尾医師の診療風景はかなり変わっている。診察を受けたことがある人なら誰でも、医師の第一声は「今日はどうされましたか?」だと感じている。長尾医師は症状などは尋ねない。ひたすら自分のことを語る。あるいは患者さんと家族の関係について語り、またそのことを尋ねる。最後の最後に体調や症状を聞いたり、今後の治療について話す。普通の診療とは全然違う。

 

長尾医師が追い求める平穏死についても劇中で描写される。死にたてホヤホヤの人も出てくるので、そこは事前に注意が必要かもしれない(決してグロい死体ではない)。本作で描かれるのは、死=敗北という価値観ではなく、死=生の成就という価値観である。今も訪問看護師として働くJovianの母は「人は生きたように死ぬ」と言う。あっさりと生きてきた人はあっさりと死ぬ。粘り強く生きてきた人は粘り強く死ぬ。前者はJovianの父方の祖母で、後者はJovianの母方の祖母がそうだった。本作ではある人の死が直接的に描かれるが、そこでは是非その方の背景情報を思い出してほしい。Jovianは、その死に様にその方の生き様が現れているように感じた。

 

多死社会であり、医療崩壊も現実に起きることが立証された時代である。在宅医療、終活、看取り。現代日本がヒントにすべき医療と死の問題への対処法の一端がここには描かれている。多くの人に鑑賞いただきたい労作である。

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ネガティブ・サイド

A Downtown Doctorという英語タイトルには感心しない。まず尼崎はダウンタウンの出身地ではあっても、いわゆる英語のdowntownではない。英語のdowntownはビジネスや商業の中心地のことで、長尾先生はそうしたエリアで働いているわけではない。いや、阪神尼崎周辺は確かに尼崎の中ではdowntownだが、それをdoctorに冠してしまうと、作品の持つメッセージが薄まる、というか誤解されてしまうだろう。海外セールス担当者は、もっと専門家と協働しないと。

 

長尾医師を指して「規格外の人」と、ある人物が評すシーンがあるが、このような第三者視点がもう少しだけ必要だったと思う。クスリの量や数を減らしたことで状態が良くなったという患者、あるいは家族の声などを聴くことができれば、現代の医療体制批判のメッセージがより強くなり、長尾医師のけったいさがもっと強調されただろう。

 

総評

劇場前が人でごった返していたびっくりしたが、初回も満員、Jovianが観た2回目の舞台挨拶付き上映も9割の入りだった。塚口サンサン劇場にこれほどの人が集まるのはいつ以来だろう。もちろん地元が舞台ということもあるのだろうが、実際に劇場に来ていた人の多くは、家族を長尾医師に看取ってもらった方々なのではないかと思う。あまり感心しないが、映画の台詞を先に言ってしまうおばちゃん(本人?)あり、「ああ、あん時は確かにこうやったわ」と独り言ちるおばあちゃんありと、当事者だらけでしゃべりまくりという異例の映画体験だった。コロナ禍の中、あまり感心はしないが、臨場感のある作品に仕上がっているということである。尼崎市民ならずとも必見のドキュメンタリーである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The People’s Doctor

町医者というのは辞書ではgeneral practitionerだと記載されていることが多いが、感覚的にはtown doctorだろうと思う。Jovianは長尾医師が自身を指して言う町医者の英訳語に“The People’s Doctor”を用いたい。モハメド・アリやマニー・パッキャオといったボクサーが“The People’s Champion”と呼ばれていた、そして今でも呼ばれているのは、彼らが市井の人々に寄り添ってきたからに他ならない。長尾医師にもそうした寄り添いを強く感じるからこそ、このように呼称したい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ドキュメンタリー, 日本, 監督:毛利安孝, 配給会社:渋谷プロダクション, 長尾和宏Leave a Comment on 『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

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近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

Posted on 2021年2月28日 by cool-jupiter

藁にもすがる獣たち 75点
2021年2月27日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:チョン・ドヨン チョン・ウソン ペ・ソンウ チョン・マンシク
監督:キム・ヨンフン

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『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』をブルク7で観た際に本作の予告編を観て、気になっていた。原作は日本の小説とのことだが、これは相当に脚色されているのだろう。見事なまでに韓国色に染まっている。

 

あらすじ

サウナのロッカーに残されたカバンの中に眠る札束の山。失踪板恋人の残した借金で首が回らない男、家業を潰してしまい、アルバイトで生計を立てる男、夫によるDVから逃れたい女、様々な人間たちが人間性をかなぐり捨ててカネを求めていく先には・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210228015831j:plain
 

ポジティブ・サイド

日本の原作小説は知らないが、これだけ漫画や小説の実写映画化が花盛りの日本で映画化されず、逆に韓国で映画化されるということは、『 オールド・ボーイ 』と同じくガンガン人が死ぬ、あるいは傷つけられる展開がてんこ盛りだからだろう。実際に本作でも死人が出るし、暴力的な描写もえげつない。スラッシャー・ムービーと見紛うシーンもあるが、そこは直接は映し出されないので安心してほしい。

 

いや、それにしても“獣たち”とは言い得て妙である。人間など、一皮むけば獣なのだ。特に痴情と大金が絡めば尚更である。獣たちが一匹ずつ章ごとに紹介され、彼ら彼女らの物語が独自に展開されていく。そして、最後にはすべてが見事にひとつに収斂していく。これは脚本家の手腕だろう。それとも原作もそうなのか。いずれにしても、映画の面白さの第一は脚本=キャラクターとストーリーなのだ、

 

本作の獣、もといキャラクターたちは誰もかれもが「あ、見たことあるぞ」という役者たちばかり。つまりは実力派俳優ばかり。彼ら彼女らのアンサンブル・キャストは見応え抜群。特にチョン・ドヨンの凛とした美しさとやられたら倍返しの精神は、さすがの一語に尽きる。40代後半に差し掛かろうというのに露天風呂で柔肌を披露。肌も美肌で、服を着ている時でも健康的な魅力と妖しい魔力の両方を同時に放つという魔性の女。石田ゆり子や篠原涼子がチョン・ドヨン並みに攻めてくれれば、邦画の演技・演出レベルも少しは上がるのだが。

 

また『 息もできない 』の良心担当のチョン・マンシクが本作でも信販業者の社長としてカムバック・・・してくれたのは結構だが、これはちょっとイメチェンしすぎではないか。はっきり言ってヤバい人である。もちろん普通のビジネスマンにも『 アウトレイジ 最終章 』の白竜のようなヤバい人はいる。しかし、今回のチョン・マンシクはヤバいの意味が違う。気に入らない相手は銃で撃ち殺すのではなく、包丁で切り刻んでしまう。そして用心棒が肉や内臓を食べてしまう。ムチャクチャである。その用心棒も風貌が凄いのだ。『 殺人の追憶 』の序盤で警察が容疑者連中を雑に取り調べていくシーンでもインパクト抜群の顔面の持ち主がいたが、この用心棒もすごい。いったいどこからこんな個性的な顔の役者を見つけてくるのだろか。

 

大金の入ったヴィトンのカバンを巡って、次から次へとキャラクターたちが入れ代わり立ち代わりで物語をあちらこちらへと無秩序に進めていく様のスピード感よ。同時に、被害者が加害者に、弱者が虐げる側へと簡単に変貌していく様からは、人間の弱さや滑稽さをまざまざと見せつけられた感じがする。

 

本作はストーリー進行にちょっとしたネタが仕込まれている。原作が日本産というところ、章立てで話が進んでいくというところから『 去年の冬、きみと別れ 』を思い浮かべられればVery goodである。Jovianは途中で気が付いたが、登場人物たちの関係や、そのつながりの開陳の仕方、その鮮やかさにすっかり魅了されてしまった。映像芸術の面でも見どころは満載だ。あるキャラの元の商売が刺身屋さん、そして刺身の盛り合わせがチョン・マンシク演じる社長の脅迫シーンのカメラの端に映し出されているのは上手いと思った。キャラのつながりの暗示であると同時に、「切り刻まれて食べられたいのか?」というこれ以上ない脅しの小道具としても機能していた。他にもネオン街からの赤のストロボが、とあるキャラの室内の惨状とキャラクターの心情を如実に表していて、これまた巧みだと感じた。キム・ヨンフン監督はこれが長編の商業映画デビュー作だという。『 はちどり 』のキム・ボラ監督もそうだが、隣国の新人映画監督のレベルはちょっと高過ぎじゃないですかね・・・

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ネガティブ・サイド

いくら韓国の警察が無能だと言っても、まさか刺青で身元確認はしないだろう。わざとらしく髪の毛を切るシーンがあれば「ああ、DNA鑑定だな」とこちらも思う。そうした一瞬の演出が欲しかった。

 

夜中の2~3時に人をクルマで撥ねて、その死体を山まで運び、穴を掘って、そこに埋めて、また街中まで帰って来たのに、まだ夜が明けていないとはこれいかに。その後も延々と夜のシーンが続くという謎の時間軸。ここだけは矛盾があまりにも大きく減点せざるを得ない。

 

韓国のクルマにはエアバッグの装着が義務化されていないのだろうか。クルマで人をドカンと撥ね飛ばしたら、エアバッグが作動しそうだが。といっても、邦画やアメリカ映画でもエアバッグはこういう時は作動しないお約束になっているからね。

 

総評

これぞまさしく韓国ノワールとも言うべき作品である。人がどんどん死ぬので、そのあたりに耐性がない人は観るべきではない。デートムービーにも決して向かない。逆に言えば、デートで観にさえ行かなければ良い。韓国お得意の人間の内面を容赦なく抉り出す、さらけ出す極上エンターテインメント作品である。映画好きならば見逃す手はない。原作小説を読んだという人にも、ぜひ鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヨボセヨ

日本語で言うところの「もしもし」である。これも韓国映画や韓流ドラマでお馴染みである。電話の第一声であることが多いが、ドアをノックしながら「ヨボセヨ」と言うこともあるし、相手がボーっとしている時にも「ヨボセヨ」と言える。まさに日本語の「もしもし」である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, チョン・ウソン, チョン・ドヨン, チョン・マンシク, ペ・ソンウ, 監督:キム・ヨンフン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 藁にもすがる獣たち 』 -韓国ノワールの秀作-

『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

Posted on 2021年2月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

あの頃。 60点
2021年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 仲野太賀 若葉竜也
監督:今泉力哉

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『 愛がなんだ 』の今泉力哉監督作品。仲野太賀が助演というだけでチケットを購入。

 

あらすじ

バイトとバンド練習で特に生き生きすることもなく暮らしていた劔(松坂桃李)は、ふとしたことで松浦亜弥のDVDを見て、感動。ハロプロのアイドルの熱烈ファンになる。そしてトークイベントで知り合ったコズミン(仲野太賀)たちのハロプロファンたちとともに、中学10年生のようなノリで楽しい日々を過ごすようになるが・・・

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ポジティブ・サイド 

Establishing Shotからして、なかなか凝っている。防音スタジオでセッション中に、劔がミスをして怒鳴られるというシーン。これだけで、劔が非常に狭い世界で窮屈な思いをしながら生きているという実感が簡単に伝わってくる。このオープニングがあるからこそ、あややのDVDに感涙してしまう劔の姿に説得力が生まれる。

 

時代の空気もうまい具合に反映されている。劇中で主に描写されるゼロ年代というと、オタクが少数民族として迫害された90年代とは違い、個々人の様々な趣味嗜好が徐々に社会に受容されつつある時代だった。Jovian自身も大学生の頃にはモーニング娘。の『 LOVEマシーン 』を寮の行事でノリノリで踊ったりしていた。なので、ハロプロにハマる劔やコズミンの感覚には充分に共感できた。

 

同時に、コズミンが仲間に向かってしばしば吐き捨てる「無職のオッサン連中」的な侮蔑の言葉も理解できるのだ。なぜハロプロなのか。なぜオタク趣味にハマるのか。それは社会に明るさが無いからだ。働くことそのものに喜びや希望が見いだせないからだ。あの頃は、そういう時代だったのだ。そして、その頃の空気の一部は現代にも確実に受け継がれている。だからこそ、本作は現在進行形ではなく過去形で語られる。本作は現在10代の若もには刺さるところが少なく、逆に30代40代50代には刺さりまくりだと思われる。

 

松坂桃李が良い感じ。歌が超絶下手くそなところも、逆に好感度を上げている。パンツ一丁の姿を堂々と披露するなど、サービス精神も旺盛だ。複数の女子といい感じにムードが盛り上がりながらも、結局何もしないままに終わってしまうところもオタクらしさ全開で非常に良い。

 

しかし、主役のはずの松坂桃李からsteal the showをしたのは中村太賀。こんなに憎たらしいキャラでありながら、しかし心底からは憎めないというギリギリの線を見切った演技。オタクにあるまじき肉食系男子で、略奪愛もなんのその。しかし、ネット弁慶ではあってもリアルの喧嘩(殴り合いではなく)ではへっぴり腰という、非常に血肉の通ったキャラクター。こんな奴と一緒に過ごす青春は、確かに忘れがたいだろう。『 佐々木、イン、マイマイン 』の佐々木に続く、青春の青臭さと素晴らしさを決定づけるキャラクターである。

 

大人になれば卒業はないとは言うものの、大人になるということは社会に適応するということ。つまり、個人の趣味嗜好をある程度は制限することになる。けれど、そこにギリギリのところで折り合いをつける生き方を選び取ったかに見える劔やその仲間たちには、なれなかったもう一人の自分を重ね合わせるかのような感慨がある。ラストシーンはなかなかに感動的。冒頭で劔が自転車で通り過ぎるあるシーンにつながり、この場面があることで劔やコズミンの物語が彼らだけのものではなく、広く他の人間にも当てはまることであるという演出になっている。良い作品とは、対象との距離を縮めてくれる作品である。

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ネガティブ・サイド

劔の友人の「パチンコ」のアクセントがもうダメダメである。もっと大阪弁を勉強しろと言いたい。仲野太賀の第一声は何と言ったか忘れてしまったが、そこでも思わず頭を抱えてしまった。なんだかんだで大阪弁は現代日本の方言の中でも別格の地位にある。役者たるもの、もっと勉強してほしいし、監督もそうそう簡単にOKを出すべきではない。フォローをしておくと、仲野太賀のそれ以後の大阪弁の演技はすべて及第点以上だった。なぜ第一声だけが・・・

 

『 アンダー・ユア・ベッド 』の高良健吾が本質的にキモメンではないように、松坂桃李も本質的にキモメンではない。そこはやはりミスキャストか。勘違いしないで頂きたいが、オタク=キモメンと言っているわけでも、キモメン=オタクと言っているわけではない。このあたりについては『 ヲタクに恋は難しい 』のネガティブ・サイドでも論じたので、本稿では省略させていただく。

 

劔が常に「今が一番楽しい」というのは、作品そのもののテーマと矛盾しているように感じる。「今も楽しいけど、あの頃の楽しさはまったくの別物だった」という台詞こそがふさわしかったのではないか。

 

それにしても、なぜ本物の松浦亜弥を起用できなかったのだろうか。代役も悪い役者には見えなかったが、オーラが無かった。本人を起用してデジタル・ディエイジングを施すか、もしくはあやや役の女優の顔だけ松浦亜弥に差し替えるという選択肢はなかったのか。

 

総評

鮮烈・・・とは言い難いが、それでも印象的な青春ドラマである。ゼロ年代に20代だったJovianと同世代の映画ファンならば、当時の空気が再現されていることを懐かしく感じ取ることができるだろう。令和の今も、閉塞感溢れる社会という意味では、ゼロ年代と似通ったところがある。「松浦亜弥って誰?」となる若い世代も、意外に楽しめる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

過去記事で何度か紹介した表現。「あの頃が懐かしい」、「当時は良かった」の意味。このように言い合える仲間がいれば、それは人生が豊かであったことの証明だろう。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 仲野太賀, 日本, 松坂桃李, 監督:今泉力哉, 若葉竜也, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

Posted on 2021年2月21日2021年2月26日 by cool-jupiter
『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

すばらしき世界 85点
2021年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 北村有起哉
監督:西川美和

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『 ヤクザと家族 The Family 』に続いて、反社の人間と社会の距離感を描き出す傑作が送り届けられた。社会という大きな枠の中では、ヤクザや犯罪者というのは受け入れがたい存在だ。しかし、個人と個人の関係にフォーカスをしてくることで見えてくる世界の姿は、果たして本当にすばらしいのだろうか。本作はそうした問題提起である。

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あらすじ

殺人犯として13年の服役を終えた三上(役所広司)は、弁護士らの助けを得て、東京で自立を目指していた。だが、元殺人犯で元暴力団員の三上に、行政は支援を渋る。そんな時、三上を使ってドキュメンタリー番組を作ろうと津乃田(仲野太賀)たちが三上に接近してきて・・・

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ポジティブ・サイド

役所広司の円熟味を極めた演技が光る。三上という元暴力団員を見事に体現して見せた。直情径行を絵に描いたような男で、出所後も自分の意に沿わないことには声を荒げ、暴力にも訴えることにも抵抗が無い。そんな社会の粗大ごみ的な男であるが、よくよく見れば反社の人間というよりも、自分の価値観にとことん忠実な任侠の男。夜中にアパートで騒ぐ若者の元締め(元暴力団員)相手に律義に仁義を切ってからケンカをおっぱじめようというシーンには笑った。そう、三上という男は世の中に害をなしてやろうという思いなどなく、自分の正義感、そして自分の居場所を与えてくれる者たちに忠実なだけなのだ。その原因を三上の生い立ちに求めているが、そのドラマに非常に説得力がある。だからこそ、三上という人間の生き様に不可思議な魅力がある。

 

『 関ケ原 』で岡田准一、『 孤狼の血 』で松坂桃李相手に格の違いを見せつけてきた役所広司だが、今度は仲野太賀をクラッシュ・・・していない。むしろ自分の高みに昇ってこいと引き上げてやったかのように映った。奇しくも三上を追い、並んで歩くことになる津乃田のビルドゥングスロマンにもなっているのだ。二人の男が裸で汗と涙を流し合う場面(と書くと「何のこっちゃ?」と思われるだろうが)は、近年の邦画ではトップクラスの涙腺崩壊シーンである。

 

その他、脇を固める役者たちも出色のパフォーマンス。ついこの前にヤクザの若頭を演じていた北村有起哉が、三上の自立を支援するソーシャルワーカーを好演。はじめは行政の職員として石頭丸出しの対応だったのが、徐々に三上に親身に寄り添っていくようになる様は観る側の胸を打つ。また、近所のスーパーの店長を演じた六角精児も、三上の万引きを疑ったところから、三上が父親の郷里の隣町出身ということから熱心な支持者に転向していく。袖振り合うも多生の縁との言葉通り、ほんのちょっとした関係が深い縁になりうる。そうした現代社会が忘れていきつつある価値観を本作は強く印象付けてくる。

 

『 ミセス・ノイズィ 』でも描かれていたように、事実と真実はしばしば異なるものだ。三上がついに職を得て、働き始めた場所でも、三上の義憤に火をつけるような出来事が勃発する。しかし、三上は自制する。そのことによって悩み苦しむ。しかし、そこで思わぬ言葉を聞かされるシーンが象徴的だ。暴力男に正義があり、暴力を振るわれる弱者に非があるとしたら・・・そして弱者(それはしばしば障がい者や前科者、元反社の人間だ)の側に、社会の大多数の人間は寄り添ってはくれないのだ。しかし、ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。西川美和監督の問題意識と柔らかで、それでいて厳しい視線が感じられる傑作である。

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ネガティブ・サイド

三上が母親を探し求めるサブプロットに決着をつけてやってほしかった。福岡でソープ嬢と母親を語らうのも「らしい」と言えば「らしい」が、やはり施設でサッカー後に泣き崩れるシーンが少々弱かった。地面に崩れ落ちるよりも、過去の自分の分身かもしれない目の前の子を力強く抱きしめてほしかったと思う。

 

あとは長澤まさみの出番か。三上と、三上を取り巻く人々の輪を見て、これはテレビ屋の関わってよい領分ではないと感得するシーンが欲しかったと思う。

 

最後の雨のシーンは正直、しょぼかった。『 パラサイト 半地下の家族 』のようなクオリティまでは求めないが、いかにも画面の外からシャワーを降らせてます、みたいな雨はやめてほしい。

 

総評

これは年間ベスト級の作品である。西川美和監督の渾身の一作である。これまで観よう観ようと思いながら先延ばしにしていた『 ゆれる 』や『 永い言い訳 』も、2021年中に鑑賞せねばと感じた。時代によって変わる個人と個人の距離感、そして個人と社会の距離感を秀逸な人間ドラマの形で活写した傑作。ぜひ多くの人に鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hypertension

ハイパーテンションと書いてあるが、精神状態が極度に高揚しているわけではない。これは「高血圧」の意。 I have hypertension. =「自分、高血圧持ちでして」のような形で使う。high blood pressureの方が遥かに分かりやすいが、実際の使用頻度はほぼ五分五分であると感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 六角精児, 北村有起哉, 役所広司, 感得:西川美和, 日本, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

『 ノンストップ 』 -コメディOK、アクションOK-

Posted on 2021年2月20日2021年2月20日 by cool-jupiter

ノンストップ 70点
2021年2月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:オム・ジョンファ パク・ソンウン
監督:イ・チョルハ

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アクション風味の韓国産コメディだと思い、軽い気持ちでチケットを購入。しかし、なかなかどうして、人間ドラマ要素もしっかりしており、適度なドンデン返しもありの佳作。当たり前のことではあるが、韓国が輸出(あるいは日本が輸入)してくる作品というのはハズレが少ない。

 

あらすじ

揚げパン屋を営むミヨン(オム・ジョンファ)はジャンクショップで働く夫ソクファン(パク・ソンウン)と一人娘ナリの3人で、偶然に当選したハワイ旅行のため、機上の人に。しかし、そこには北朝鮮のテロリスト集団も乗り込んでいた。この状況に、ミヨンの隠してきた能力が発揮され・・・

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ポジティブ・サイド

オム・ジョンファの魅力が爆発している。Jovianよりかなり年上だが、若々しさはあちらの方がはるかに上。芝居の一つひとつがとてもエネルギッシュだ。ことあるごとに「オッケー」とジェスチャー付きで言うのだが、その笑顔もとびっきりチャーミング。石田ゆり子とほぼ同年代ながら、石田ゆり子には決して出せない韓国のアジュンマ(韓国語でおばちゃんの意)のオーラも発揮している。そして過去は凄腕の工作員で、その格闘能力や戦術眼は今も健在というギャップ。キャラ属性だけ見ればよくあるタイプだが、その奥行きが深く、幅が広いのだ。

 

夫役のパク・ソンウンも負けていない。はっきり言ってうだつの上がらないダメ夫にしてダメ父親。駄々をこねるかの如く叫びまくる演技に、一瞬役者本人の精神年齢を疑ってしまうが、それだけ迫真の演技になっているということである。邦画や日本のテレビドラマでは、これほどストレートに妻への愛情を表現する男というのはなかなか見られない。

 

この夫に負けず劣らずのコミックリリーフが機内の男性CA。スパイ活劇に憧れを持っており、平常時もピンチの時も、とにかくそこにいるだけで場をしっかりと和ませ、時に大いに笑わせてくれる。もともと三枚目の役者だが、それに輪をかけて顔芸が最高である。とにかく韓国の役者の芝居はエネルギーに満ち溢れており、アホな演技をする時は突き抜けてアホである。なので、こちらも演技力や演出に注目する必要なく、素直にクスクス、ワハハと笑うことができる。

 

笑いだけではなく、社会的な風刺もところどころでしっかり効いている。国会議員が非常時でも横柄な態度を取り、上流階級のマダムは臨月の息子の嫁をハワイに連れていき、そこで出産させようとしている。とある映画監督と映画スターの秘話(あくまでストーリー内での)もこっそりと盛り込まれており、韓国の映画業界そのものをチクリとやりつつ、笑いのネタにもしている。当然、北と南の緊張関係が下敷きにあるので、コミカルな中にもシリアスが、しかしシリアスな中にもコミカルさがある。ハイジャックものというと、どうしてもシリアスな展開にならざるを得ず、そこは本作も例外ではない。敵であるテロリストたちの内部分裂あり、意外な黒幕の登場ありと、序盤のユーモアはどこへやらというハラハラドキドキの終盤から、ちょっとしたドンデン返しの利いたハッピーエンドまで、まさにノンストップだ。

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ネガティブ・サイド

予告の段階でミヨンが元凄腕のエージェントだということは判明しているのだから、序盤のちょっとしたパン作りのシーンに、ミヨンには非凡な身体能力や運動神経が備わっているということを見せる演出が欲しかった。機内のビジネスクラスでマカデミアナッツをピシュンと放る演出は、タイミング的に遅く、また演出としても大仰すぎる。

 

韓国映画で毎回思うのは、北朝鮮のスパイや工作員が有能すぎるということ。まさか本当に『 サスペクト 哀しき容疑者 』のドンチョルのような奴が定期的に出てくるはずもないだろう。

 

冒頭の潜入作戦の時のミヨンをアン・セラ、回想シーンのソクファンの馴れ初めの時のミヨンをオム・ジョンファが演じるというのは、少々無理があると感じた。これならミヨンは全てオム・ジョンファ、その代わりにアン・セラ役の女優のシーン、たとえば機内の映画のアクションシーンや中盤以降のバトルシーンでのアシストなどで増やした方が、一貫性は保たれたと思われる。

 

総評

韓国産の映画の勢いはなかなか衰えない。コメディにしてもヒューマンドラマにしても、役者が振り切れた演技を見せるからだろう。テンポも良く、ユーモアも冴えている。韓国映画の入門としては、本作ぐらいがちょうど良い。高校生や大学生のデートムービーにもなりうるが、やはり本作は中年または熟年カップルにこそ観てもらいたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

OK

そのまま「オーケー」の意味。使い方は日本も韓国も変わらないようだ。ただし、この語が応答ではなく形容詞になると話が変わってくる。この場合、OKというのは「まあまあ」とか「可もなく不可もなく」という意味になる。

 

A: How did you like that restaurant?

  あのレストラン、どうだった?

B: It was OK.

  まあまあだったな。

 

X:Did you watch this movie?

  この映画は観た?

Y:Yeah, that was an OK comedy.

  ああ、可もなく不可もないコメディだったよ。

 

などが用例である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, オム・ジョンファ, コメディ, パク・ソンウン, 監督:イ・チョルハ, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 ノンストップ 』 -コメディOK、アクションOK-

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

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ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

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原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

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ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

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