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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

Posted on 2022年2月24日2022年3月4日 by cool-jupiter

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ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ

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傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。

 

あらすじ

再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。

 

レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。

 

アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。 

 

どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また  “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。

 

オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。

 

トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。

 

オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。

 

ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。 

 

ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。

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ネガティブ・サイド

前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。

 

ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。

 

リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。

 

ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。

 

“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。

 

オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。

 

『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。

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総評

歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

catch someone by surprise

誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, ミュージカル, ラブロマンス, リタ・モレノ, レイチェル・ゼグラー, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

Posted on 2022年2月23日 by cool-jupiter

牛首村 10点
2022年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:Kōki, 萩原利久 芋生遥
監督:清水崇

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『 犬鳴村 』、『 樹海村 』に続く「恐怖の村」シリーズ第3弾。ジャパネスク・ホラーに一抹の希望を抱いて観たが、前二作に負けず劣らずの超絶駄作だった。 I gave up on 清水崇. 

 

あらすじ

奏音(Kōki,)はボーイフレンドの蓮(萩原利久)に、心霊スポット潜入動画を教えてもらう。そこには自分と瓜二つの女子高生が映っており、しかもそこで行方不明になっていた。何かを感じ取った奏音は蓮と共に撮影が行われた廃墟のある富山県へと向かうが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

飛び降りシーンが何度もリフレインされるところは少しだけ disturbing だった。

 

芋生悠が渾身の顔芸を披露しており、そこは評価せねばなるまい。『 犬鳴村 』の無表情なブレイクダンスは、怖さよりも滑稽さが遥かに優っていて、そこはさすがに反省材料にしたのだろうと思う。 

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ネガティブ・サイド

まず牛の首というのがよく分からない。牛首村と最初の心霊スポット潜入につながりがない。『 樹海村 』は青木ヶ原樹海、『 犬鳴村 』は犬鳴トンネルと、分かりやすい元ネタがあった。一方で、牛の首というのは???肝心の牛首村も、別に牛を飼っている様子はなく、この牛の首というものに最初から最後まで必然性が感じられなかった。「牛の首」という怪談の中身がすっからかんだったのと同様、物語もすっからかんという印象。

 

いまさら双子がどうこうとか何周遅れの『 シャイニング 』へのオマージュなのか。それにクソ田舎の集落に双子が生まれすぎ。集団心理もあるとはいえ、あのような露骨な口減らしに加担できるというのは、それだけの頻度であのような儀式を行っているわけで、やはりどう考えてもおかしい。一卵性双生児が自然分娩で生まれる率は0.4%。1000回に4回なわけで、穴倉の奥底に定期的に捨てられる双子の片割れを食料にアヤコが生き延びるにしても、月に一度ぐらいのペースでないと餓死するだろう。人口40万人台の尼崎市の年間出生数が4000件を少し上回る程度なので、月1で食料が供給されるには年間12人の双子が生まれる必要がある。年間12人の双子ということは一人だけで生まれてくるのはその250倍、すすなわち3000人。牛首村の人口は30万人ちょっとと見積もられる・・・って、んなアホな。劇場鑑賞中にも???だったが、あらためて計算してみて更に??????となった・

 

そもそも3歳だか4歳そこらで子どもが神隠しに遭ったというのに、双子のもう片方が行方不明の方を助けてきたというのは、親や周りの大人がいかに子どもに目を配っていないかの証拠だろう。一人いなくなったら、もう片方からは余計に目が離せなくなると思うが。またそんなことがあった村からは家族そろって脱出するのが普通の判断ではないか。なぜ奏音と父は東京に出て、詩音と母は村に残ったのか。そのあたりの説明も全くないし、推測できるような材料も提示されなかった。

 

キャラクターの行動原理も謎だ。ネット隆盛、SNS全盛時代の若者が、いきなり現地に赴くか?動画配信アカウントから普通に Instagram だか Facebook のアカウントに行けるのだから、そこから相手にコンタクトを試みる方が自然だろう。なんなら顔写真を送ってやればいい。それを一切せず、後から「実はあいつら全員死んでる」とか言われても、はあ?としか思えない。詩音も顔出しNGだというなら、何故被り物を脱ぐのか。いや、SNSで顔出ししている以上、動画配信などやればあっという間に顔など割れるだろう。いじめのような構図がそこにあるのは分かったが、それでも詩音の行動は意味不明だ。アヤコの呪いの対象も、本来なら詩音や奏音ではなく、同じ双子の片割れであるタエコになるのではないのか。もしくは、古くから村にいる年寄り連中か。発狂しているから手当たり次第に呪うのだ、というのなら松尾諭の死に方にも納得が行く。しかし、だったら何故に奏音の恋人の方は呪い殺されて、詩音の恋人の方は呪い殺されなかったのか(異世界に連れ込まれはしたが)。

 

廃墟そのものもリアリティが足りない。作られた廃墟にしか見えない。そういう意味ではストーリー自体はこけおどしだった『 コンジアム 』のプロダクションデザインだけは素晴らしかった。坪野鉱泉ホテルは遠目には『 ホテルローヤル 』のさびれたラブホのように見えたし、中の荒れ具合も一時期ニュースで話題になった鬼怒川温泉の廃墟ホテルの方が、中はよっぽど不気味だった。この坪野鉱泉と牛首村の穴蔵が実はつながっていて水だけは湧いている、ということなら、アヤコのサバイバルにも少しだけリアリティが出てくるのだが、そんな描写も一切なし。心霊現象を見せたいのか、それとも生きている人間やそこから生み出される風習の怖さを見せたいのか、そこの軸がはっきりしていないのが大きな弱点だ。

 

細部にもおかしな描写がいっぱいだ。いくら富山とはいえ真夏に窓ガラスが結露するか?しかも朝ではなく夜に。どれだけ短時間で寒暖の差がつくというのか。また、10年以上にわたって文字通りの意味で野ざらし雨ざらしにされていたちょうちょの墓がそのままの形で残っていることに座席から滑り落ちそうになった。富山のあの地域は風も吹かないし雨も降らないし雑草も一切生えないのか。そんなことはないだろう。実際に劇中でも2度雨が降っているし、そのうちの2回目は結構な土砂降りだ。あれでミニ盛土と墓標となる石が10年以上手つかずというのは説得力ゼロだ。

 

ホラー映画としての演出も栗シェのオンパレードで最早ギャグの領域。「ここでこうなるぞ」、「次はこれやな」という予感が次々と当たる。ちょっとホラーを観ている映画ファンのほとんどはこのように感じたのではないだろうか。ポストクレジットのシーンが始まった途端に「おいおい、『 犬鳴村 』エンドちゃうやろな」と不安になったが、やっぱり『 犬鳴村 』エンドだった。頼むから捻らんかい。クリシェはもうええっちゅうねん。

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総評

『 恐怖の村 』シリーズの中でも飛びぬけて怖くない。このシリーズは盛り下がる一方である。こんな作品の制作者側にカネなど一銭もやってたまるかと思う。無料クーポンで鑑賞した自分を褒めてやりたい。Kōki,が望んで出演したのか、それとも親の七光りなのかは分からないが、役者の才能は感じない。恐怖の村シリーズは駄作揃いだったが、三吉彩花や山田杏奈など、キャスティングは頑張っていた。Kōki,は三吉のようなルックスやスタイルはないし、山田のような表現者にもならないだろうとは感じた。ホラー映画好きにお勧めできる作品では決してないし、だからといってホラー初心者にお勧めするのも難しい。一つ言えるのは、清水崇はもうホラーを作らないほうが良いということぐらいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this terrible movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, Kōki, ホラー, 日本, 監督:清水崇, 芋生悠, 萩原利久, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

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ちょっと思い出しただけ 75点
2022年2月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池松壮亮 伊藤沙莉 河合優実
監督:松居大悟

 

『 くれなずめ 』や『 君が君で君だ 』など、終わらない青春、あるいは青春を引きずる姿を追究してきた松居大悟監督の最新作。またJovianの大学の後輩がプロデューサーも務めている。

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あらすじ

ダンサーだったが、怪我で舞台の照明係に転身した照生(池松壮亮)。タクシー運転手としてコロナ不景気に翻弄される葉(伊藤沙莉)。葉はある客を乗せたことで、照生と付き合っていた、かつての日々を思い起こして・・・

 

ポジティブ・サイド

一年の特定の日付だけを映し出していく構成というと『 弥生、三月 君を愛した30年 』に少し似ているところがあるが、それを名作『 ペパーミント・キャンディー 』のように過去に逆行していく形で提示していくところがユニークだと感じた。作品によっては、視点が今なのか、それとも回想なのか分かり辛いものもあるが、本作はマスク着用や手洗いが生活様式として定着したところから始まっているので、現在と回想の見分けが容易。これは思わぬコロナの副産物だろう。

 

池松壮亮演じる照生が夢と現実の狭間でもがく姿に激しく共感する。同時に軽蔑のような念も覚える。それはおそらく、多くの男が持つ大人になってしまった自分と若者のままでいたい自分の葛藤を具象化させられたかのように感じるからだ。男は基本アホなので、付き合っている女性はいつまでも自分を好いてくれると思い込んでいるし、相手の言う「何があっても好き」のような言葉も鵜呑みにしてしまう。鑑賞中に何度「照生、このアホ、そこはそうちゃうやろ」と思ってしまったか分からない。

 

葉を演じた伊藤沙莉は、これが代表作になるのではないか。決して美人ではないのだが、ある瞬間にめちゃくちゃ可愛く見えるのは本人の力なのか、それともメイクアップアーティストやカメラマンの力なのか。『 息もできない 』のキム・コッピのように、大声を張り上げることも、とびきりチャーミングな笑顔を見せることもできる女優。ラブシーンも普通にいけそう。一番可愛らしいと感じたのは、タクシーを降りるところを照生に止められるシーン。ここでの葉のはしゃぎっぷりは恋する女子の演技としては白眉だろう。浮かれていながらも「言葉にしてほしい」という女子が共通して持つ強烈な願望が駄々漏れになっていて、非常に微笑ましく、かつ恐ろしい。男性諸君、言葉にすることの重要性をゆめ忘れることなかれ。

 

回想を経るごとにちょっとした小道具の存在の有無や照生の行動の違いなどが明らかになっていき、どんどんと物語に引き込まれていく。ただ時間をさかのぼりながらも、未来に向かっている部分もあった。永瀬正敏演じる、待っているおじさんがそれで、このサブプロットはなかなかにパンチが効いている。妻を待ち続ける=妻に執着し続ける姿は、そのまま照生の未来に見えてくるし、事実その通りである。というか、男全般に当てはまるわ、これ。『 パターソン 』でも何気ない日常の連続をある意味で壊す役割を演じた永瀬が、今度はその何気ない日常を延々と続ける姿はある意味で感動的でもあった。

 

男女の幸せだった日々が、理想と現実のはざまで少しずつずれていってしまうという意味では『 花束みたいな恋をした 』とも共通するところがある。しかし、本作では男の情けなさというか、女々しさ(この言葉が不適切でないことを祈る)が存分に表出されていて、かなり酸っぱさ濃いめの甘酸っぱい物語に仕上がった。松居大悟は作家性とエンタメ性をバランスよく表現できる監督で、氏の作品は今後も要チェックであると感じた。

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ネガティブ・サイド

言葉とダンスに関する問答が印象的だったが、特にダンスに関する部分はもっと突き詰められたのではないかと思う。外国映画は字幕か吹き替えかは、それこそ観る側が自由に選択すればよいと思う。ただ、言葉にしてくれないと分からないという時の言葉というのは、言語に関係があることなのか?とは感じた。何語で発話しようとも、なんらかの感情や思考が表現されたという事実は変わらないだろう。

 

もうひとつ、ダンスは言語を超えるというのにも大いに納得したが、ぜひ照生が葉に踊って見せるシーンをもっと取り入れてほしかった。愛情を踊りで伝える照生と、そのメッセージを受け取りながらも十分に解釈しきれない葉のコントラストがあれば、甘酸っぱさの甘さと酸っぱさが両方増しただろうと思う。

 

総評

男性の過去の恋愛への執着を描いた『 僕の好きな女の子 』と対を成すかのような作品。女性が過去の恋愛をいかにカジュアルに忘却できるかを、非常に説得力のある形で描き出している。男性が覚えているのに対し、女性は思い出す(その前提には「忘れる」がある)ものなのだ。そういうわけで、デートムービーにはあまり向かないかもしれない。どちらかというと、男女ともにおひとり様での鑑賞が望ましいと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop the question

直訳すれば「例の質問をポンッと出す」の意、意訳すれば「プロポーズする」の意。プロポーズの言葉は十中八九、”Will you marry me?”(最後は falling tone で)である。疑問文=質問であるが、語尾は上げずに下げて言うべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 伊藤沙莉, 日本, 池松壮亮, 河合優実, 監督:松居大悟, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

Posted on 2022年2月14日2022年2月14日 by cool-jupiter

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地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 50点
2022年2月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

 

『 地球外少年少女  前編「地球外からの使者」 』の続き。Jovianの予想が外れたのもあるが、全体的に内向きに閉じた完結編だった。

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あらすじ

なんとか彗星の欠片との衝突に耐え、管制室との通信も回復した登矢(藤原夏海)たちだったが、彗星本体はなお地球軌道上を周回している。しかも、彗星からのナノマシンはかつて破棄された超AI、セブン由来だった。状況を打開するために登矢たちはダッキーとブライトをフレーム合体させ、ダッキーの知能リミッターを解除するが・・・

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ポジティブ・サイド

前編と同じく30分で1エピソードというテレビアニメ的な構成。そのことが引き続き、展開をジェットコースター的にしている。宇宙ステーションが事故や災害に見舞われるというのは『 ゼロ・グラビティ 』など、SF映画・小説では日常茶飯事だが、やはり宇宙=真空=死という恐怖感がこたえられないサスペンスを生み出す。このあたり、主役級の登場人物は誰一人として死なないのだろうと予想していても、ハラハラドキドキさせられてしまった。

 

UN2に代表されるような地球人が彗星の破壊を試みる一方で、登矢たち地球外少年少女たちが彗星との対話、それによる説得を試みるという対照的なアプローチは面白かった。UN2自体は相手を問答無用で破壊しようとするが、問答を試みるというのは極めて日本的・・・とまでは言えないが、それでも本作をユニークたらしめる一つの要因になっている。

 

説得成功の直前に、潜入していたテロリストが牙を剥く。まあ、テロリストというよりは狂信者なのだが、『 コンタクト 』然り、この展開は現代に刺さる。特に、新型コロナウィルスやそのワクチン関連の狂騒、さらには地球温暖化などの環境問題と、絶えて久しいと思われた終末思想の相性の良さを、本作であらためて間接的に見せられたように思う。だからといってエンタメ性が失われているわけではなく、元々の長所であるテンポの良いストーリー展開をさらに強化するのに役立っている。このあたりが本作を単なるジュブナイル映画に留めていない点で非常に好ましく感じられる。

 

超知性と化したセブンと、インプラントの不調で死の危機に瀕する心葉を救おうとする登矢との対話も実に興味深い。取捨選択された情報だけを与えられた旧知性であるルナティック・セブンと、人間の清濁の両面すべての情報を吸収した超知性であるルナティック・セブンが、人間と人類を峻別しているところが目を引く。行きつくところは命とは何かという問いと、それに対する一定の答えになるわけで、Jovianは本作の提示する答えが最適解だとは思わない。もちろん、最適解があると考えることそのものがあまりに人間的なのかもしれないし、逆にあまりにも非人間的とも言えるかもしれない。ただ、このあたりの解釈はかなりの程度、受け取り手側に委ねられており、ここを考えるきっかけを得るだけでも本作を鑑賞する価値はあるのだろうと感じた。

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ネガティブ・サイド

全体的に盛り下がった感じがする。前編に堂々と「地球外からの使者」と銘打っておいて、実際は地球由来だったというのはこれ如何に。太陽系外の異星文明から飛来した超高度AIが自らの創造主に代わって恒星間飛行に飛び立った。そこで地球に飛来して、地球外で生まれ育った登矢の存在に興味を示し・・・という展開を予想していたのだが、これはまるっきりハズレ。

 

この過去に破壊され、廃棄されたシンギュラリティに達したルナティック・セブンが、ナノマシンとして宇宙で増殖し、彗星に乗って帰ってくるというのは、まんま『 太陽の簒奪者 』と『 二重螺旋の悪魔 』のアイデアを味付けし直したもの。ここはもっとオリジナリティが欲しかった。

 

最も違和感を覚えたのはルナティック・セブンの残したポエム=予言。起こる事象をある程度正確に予測するならまだしも、美衣奈といった固有名詞まで出るものだろうか。そこまでいくと超知性ではなく、オカルトである。オカルトとSFは混ぜてはいけない。

 

総評

前編の勢いが少し落ちたが、それでも非常にテンポの良い作品であることは間違いない。『 海獣の子供 』と同じく、エンタメ性と深遠なテーマの両方を成立させた佳作である。小学校高学年であれば直感的に理解できるストーリーになっているし、高校生あたりのデートムービーにもちょうどいい。もちろん、ファミリーでの鑑賞もありである。Netflixで視聴可能なようなので、週末のステイホーム時に6話を一気に観るというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Terran

地球人の意。terraというのはラテン語で、土地、大地、陸地を意味する。ここから地球という意味が生まれた(ちなみに gaia は terra のギリシャ語)。America → American となるように、Terra → Terran で地球人となる。もちろん複数形は Terrans である。宇宙人が普通に出てくる英語SF小説で「地球人」という言葉が出てきたら、Terran か、またはEarthman が使われていると思ってよい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

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『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

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ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

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大怪獣のあとしまつ 0点
2022年2月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田涼介 土屋太鳳 濱田岳
監督:三木聡

 

怪獣というのはJovianの好物テーマである。2021年の夏頃だったか、本作のトレイラーを観て「ついに来たのか」と胸躍らせるテーマの作品に興奮したが、実物を鑑賞して心底がっかり。まだ2月だというのに、本作が年間ワースト映画に決定したと断言する。

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あらすじ

巨大怪獣が、ある日突然謎の光に包まれて死んだ。安堵する政府だったが、残された死体は徐々に腐敗・膨張し、ガス爆発を起こす。死体処理の責任者に抜擢されたのは特務隊員のアラタ(山田涼介)は、怪獣の後始末のために動くが、そこには元恋人の雨音ユキノ(土屋太鳳)、そして彼女の夫にして総理秘書官の雨音正彦(濱田岳)の姿もあり・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

監督・脚本の三木聡と、プロデューサーまわりの人間は、二度と映画作りに関わらないでもらいたい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

 

本作が『 シン・ゴジラ 』を始めとする多くの先行怪獣映画にインスパイアされたのは火を見るよりも明らか。それ自体は一向に構わない。さらにコロナ禍によって明らかになった日本政府の無能っぷりをあざ笑うのも構わない。問題は『 シン・ゴジラ 』の謡っていた日本=《現実》VSゴジラ=《虚構》が、実は有能な日本政府=虚構、ゴジラ≒原発あるいはコロナ=現実になったということを、全く下敷きにできてない作劇術にある。

 

設定にもキャラクターにもリアリティがない。『 シン・ゴジラ 』が却下した矢口とカヨコのロマンスネタを、本作はわざわざ放り込んできた。それが物語に一切の広がりを与えていないし、キャラクターの背景やキャラ同士の関係にも深みを与えていない。ひたすらに平板で薄っぺらい。『 シン・ゴジラ 』自体がヱヴァンゲリヲンとの壮大なマッシュアップであるが、本作はエヴァの要素を皮相的には取り入れつつも、物語性の面では何一つ引き継げていない。ゴジラやエヴァが面白いのは、自衛隊やネルフなどの機関の背後に、無数の人々の姿、そのエネルギー、仕事、協力、献身を感じ取ることができるからだ。本作はそうした背景の広がりや深みを一切考慮することなく、ひたすら内向きに展開する。閣僚同士の馴れ合いに、夫婦だの元カノ元カレといった極めて閉鎖的な人間関係にすべてを還元して、大怪獣という日本および日本国民が一丸となって闘うべき、そして処理すべき問題であるという意識を放棄している。それは冒頭の緊急速報のイタズラでも明らかである。普通、このような世界観であのようなイタズラをする、もしくは怪獣が死んだと考えられて、わずか10日であのようなおもちゃが作られて、売られるはずがない。そんなものが市場に出れば袋叩きにあうだろうし、使う人間も袋叩き似合うだろう。そうなっていない時点で、本作の提示する世界観はギャグ以外の何者でもない。

 

ギャグならギャグに振り切ってくれればいいのだが、どのシーンをとっても笑えない。蓮舫ネタはすべて滑っている。またギャグのつもりでやっているのかもしれないが、隣国をネタに笑いを取ろうとする試みも盛大に失敗している。笑いとは対象との距離から生まれるもので、隣国が言いそうなことをそのまま劇中で繰り返しても面白くない。そこを笑いのネタにするのなら、隣国の特徴を極限まで肥大化させるべきだ。「怪獣を死に至らしめた光は、我が偉大なる書記長の神通力によるものである。よって怪獣の死体は偉大なる我が国に属するのは当然のことである」というようなことを、民族衣装を着た老年女性アナウンサーに仰々しく喋らせるぐらいすべきである。

 

肝腎かなめの怪獣のあとしまつネタが、どれもこれも現実的な考証に基づいていない。陸に上がった鯨の死体が腑排ガスによって爆発するように、怪獣の死体が膨張して爆発するところまでは納得できる。問題は、それに対応する特務隊や国防軍のアホさ加減である。なぜ何の防護服も着用せずに怪獣に接近するのか。なぜ怪獣の体液をアホほど浴びた面々が、シャワーだけで無罪放免なのか。あらゆる機関で検査を受けるに決まっているだろう。また、怪獣が爆発するというのに、事前に何の防御壁らしきものも、ガスマスクも用意していない前線基地とは一体何なのか。自衛隊の面々が本作を見たら、頭を抱えることだろう。

 

あとしまつの作戦その一として凍結させるというのも、またもや『 シン・ゴジラ 』ネタ。それだけならまだしも、液化炭酸ガスで凍らせるというが、それだけの量の液化炭酸ガスなるものをどうやって用意するのか。『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦で準備された血液凝固剤はおそらく数千リットル。この数千リットルを用意するために、巨災対の面々は各方面に頭を下げまくった。本作にそのような描写は毫もなかった。怪獣の体表から体内深部まで凍結させるとなると、少なく見積もっても怪獣と同質量の液化炭酸ガスが必要である。シン・ゴジラの体重が9万2千トン。9万2千トンのガスなど製造できないし、貯蔵もできないし、もちろん輸送もできない。それに、河川上でそんな凍結作戦を実行すれば、河ごと凍るに決まっている。そうなれば、ダムを決壊させることなく河川の氾濫が起きる。しかし、そうはならなかった。監督権脚本の三木聡は、いったいどこまで考察したのか。それとも考察はそもそもしていないのか。

 

ダムを決壊させて、水洗トイレのごとく押し流すというのも、アイデアとしては悪くないが、その作戦の成功率を押し上げようという試みが一切ないのはどういうわけだ?たとえば、怪獣手前に即席でもよいので可能な限り河岸段丘を作って、水流の圧をアップさせようだとか、それこそ海上自衛隊の艦艇と怪獣を係留して引っ張るだとか、国力を挙げての作戦という感じが一向に伝わってこない。コメディだから・・・と思ってはならない。笑えるのは対象と距離があるからこそで、努力をつぎ込んだからこその結果との落差が笑いを呼ぶのであって、失敗が予想できるところで失敗しても、何も笑えない。

 

腐敗ガスを上空に飛ばすというのも笑止千万。そんなガスを噴出させる箇所、その角度をちょっと間違えただけでアウトという精度や確度を求められるミッションなら、それこそ風向きがちょっと変わった、風がちょっと強くなった、または弱くなっただけでアウトではないか。元焼肉屋としてこのアイデアは買いたかったが、あまりのアホさ加減に擁護のしようがない。ミサイルを撃ち込むという国防軍の作戦にしても、一発目のミサイルが何者かに迎撃されているのだから、その邪魔者の正体を確認したり、排除したりせずに、作戦を続行するのは不可解の極みである。

 

クライマックスの展開には開いた口が塞がらない。デウス・エクス・マキナと聞いて、個人的にゲーム『 Remember11 』を思い出したが、アレよりも更にひどいエンディングを見ることになるとは思わなかった。ウルトラマンを馬鹿にしているとしか思えないし、ゴジラも馬鹿にしているとしか思えない。

 

ポスト・クレジットにもワンシーン挿入されているが、観る価値なし。観れば腹が立つこと請け合いである。本気なのかどうか知らないが、続編を作るなら勝手にやってくれ。その時には、ゴジラファン、ウルトラマンファン、ガメラファン、その他もろもろの特撮ファンや、ライトな映画ファン以外の映画ファン全てを敵に回すことになるだろう。

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総評

金曜の夜に韓国ホラーの『 コンジアム 』を鑑賞していたが、どうしてもこちらを先にレビューせねばと思った。まさか0点をつける作品に出会うことがあるとは思わなかった。観てはならない。チケットも買ってはならない。関連グッズも購入してはならない。高く評価している評論家やレビュワーがいれば、それは利害関係者によるステマである。この作品の制作に関わった人間すべての頭を角材で思いっきりぶっ叩いてやりたい。心の底からそれほどの怒りが湧いてきた。「ごみ溜めにも美点を見出す」ことを美徳とするJovianですら、この作品の何かしらを評価するのは無理である。ミシュラン風に評価すれば、マイナス5つ星である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this shitty movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 土屋太鳳, 山田涼介, 怪獣, 日本, 濱田岳, 監督:三木聡, 配給会社:東映, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, アンドリュー・ガーフィールド, ミュージカル, ロビン・デヘスス, 伝記, 監督:リン=マニュエル・ミランダ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

Posted on 2022年2月1日2022年2月14日 by cool-jupiter

地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 70点
2022年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

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オミクロン株が猛威を振るい、まん防が発令されても、映画館が営業してくれるのはありがたい。それでも週末の昼~夕方は喋りまくる客が多すぎて、さすがに二の足を踏む。なのでしばらくはレイトショーを中心に、若者が少なそうな作品を鑑賞するしかないか。

 

あらすじ

2045年。「あんしん」は世界初の未成年も宿泊できる宇宙ステーションとして稼働していた。そこにやってきた少年少女たちだが、彗星の欠片との衝突事故が起きてしまう。月で生まれた14歳の登矢(藤原夏海)心葉は、皆と力を合わせて窮地を脱しようとするが・・・

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ポジティブ・サイド

AIと宇宙、そしてファースト・コンタクトという、Jovianが好物としているSFジャンルが全て詰まっている。

 

AIが生活の隅々にまで浸透し、宇宙ステーションのオペレーションもAIに依存するところ大というのは、現実的であるように思う。ちょうど先日鑑賞した『 ブラックボックス 音声分析捜査 』でも、航空機の安全のために人間の介在する余地を減らす云々という考え方が開陳されていたが、そのこと自体はあながち間違っていないと思う。また同じくAIが浸透していた『 イヴの時間 』の世界とは少し異なり、本作ではユニークな形のドローンが個々人に付属している。これもありそうな未来の形に映った。

 

宇宙に関しても、世界各国で様々なベンチャー企業が生まれ、宇宙への輸送や、宇宙からの送電、デブリ掃除などは現実の企画として存在しているし、宇宙宿泊も時間の問題だろう。このあたり小川一水の小説『 第六大陸 』を彷彿させるし、SF世界でありながら法律云々の話になるのも同作を強く想起させる。単なる少年少女のスペース・ファンタジーではなく、ハードSF風味のアドベンチャー物語になっているところが好ましい。

 

主人公の登矢がひねくれたガキンチョであることにしっかりとした意味付けがなされているのが良い。宇宙生まれ宇宙育ちという存在が出現するかどうかは分からない。しかし、外国生まれ外国育ちの日本人というのはたくさんいるし、今後ますます増えていくだろう。その中で『 ルース・エドガー 』のような異端児は必ず出てくる。登矢は、まさにそうした異端の天才児である。そうした人間を日本社会は包摂できるのか。本作はそうした視点に立って作られていると見ることも可能である。

 

本作は2022年という今と劇中の2045年の間に何があったのかを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。もちろん、断片的な情報は大いに語られる。全体像が見えそうで、決して見えない。そのもどかしさが知的興奮とサスペンスにつながっている。一話30分×三話構成という劇場上映作品らしからぬ作りだが、これによって中だるみすることなく、常に一定以上の緊張感あるストーリー描写が続いていく。

 

本作はシンギュラリティ=技術的特異点以後の世界が描かれており、AIがどのように進化し、またその進化がどのように人間によって封じ込められたのかについても、後編で明らかになるはず。後編の上映が待ち遠しい。

 

ネガティブ・サイド

「地球外からの使者」という、どう考えてもファースト・コンタクトを示唆しているとしか思えない副題がつけられているが、前編に関する限りでは、異星人のいの字がちょっとにおわされているのかな、という程度。ただ、このアイデアは野尻包介の小説『 太陽の簒奪者 』のオマージュのような気がしてならない。または野崎まどの小説『 know 』のラストそっくりの展開が、後編のクライマックスになるような気がしてならない。または長谷敏司の『 BEATLESS 』のような、モノがヒトを凌駕した世界での実存の意味を問うシーンもありそうだ。

 

こうした予想は見事に裏切ってくれればそれで良いのだが、全編を通じて漂うチープさはもう少し何とかならなかったのか、そらTuberだとか、ジョン・ドウだとか、現代のYouTuberやアノニマスをそのまま言葉だけ変えても未来感は出ない。現在には存在しない、かつ現代人が予想もできないようなテクノロジー、たとえば教育ツール(なぜ博士が博士というニックネームを持つのかと絡めれば尚よい)が一つでも描写されていれば素晴らしさを増したことだろう。

 

常にBGMが鳴り響いていて、少々うるさい。映画的というよりも、テレビアニメ的である。その構成自体は面白さに貢献しているが、BGMの面ではマイナスであると感じた。また楽曲そのもののクオリティもあまり高いとは感じず、ビジュアルやシーンとは噛みあってないなかったように思えた。

 

総評

オッサンが見ても面白かった。レイトショーで鑑賞したからかもしれないが、劇場の観客で一番若く見えたのは30代男性だった。かといって子どもが楽しめないわけでは決してない。『 劇場版 ダーウィンが来た! 』を鑑賞するような家族にも、ぜひともお勧めしたい。本作が最もターゲットにしているのは、異端の存在や変革の時に臨んで、柔軟に対応できる者である。そこに老若男女は関係ないが、やはり若い世代にこそ、そうした柔軟性を求めたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s not your business.

作中で何度か登場する「お前には関係ない」の意。少々無礼な表現なので、自分からは使わないようにしたい。似たような表現に Mind your own business. がある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

Posted on 2022年1月24日2022年1月24日 by cool-jupiter

ブラックボックス 音声分析捜査 70点
2021年1月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ピエール・ニネ ルー・ドゥ・ラージュ
監督:ヤン・ゴズラン

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音声データを頼りに捜査をする作品となると『 THE GUILTY ギルティ 』や『 ザ・コール 緊急通報指令室 』が思い出される。どちらも良作だった。ということで、本作のチケットを購入。

 

あらすじ

航空機が墜落し、乗客300名、乗員16名の全員が死亡するという大事故が起きる。回収されたブラックボックスの分析官ポロックは突如失踪。調査を引き継いだマチュー(ピエール・ニネ)はテロの可能性を指摘した。しかし、乗客の一人が妻に残した事故の最中の留守電の音声が、ブラック・ボックスの音声記録と3分の時間差があることにマチューは気付く。そして、事故の更なる調査にのめり込んでいくが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニング・シークエンスが非常に印象的。飛行機のコクピットから徐々にズームアウトしていき、キャビン、そして尾翼部にあるブラック・ボックスにまで一直線に引いていく絵と墜落に至る音声が聞こえてくる導入部には鳥肌が立った。

 

音声だけから状況を三次元的、四次元的に把握しようとする分析官の仕事ぶりが丁寧に導入されていたのは有難かった。Jovianも英語のリスニング問題を作ったりする際に audacity や bearaudio.com をよく使うので、あの音声データの波形をPCディスプレイ上で見て、思わずニヤリとした。 

 

主人公のマチューの神経質なところもプラスに映った。『 ちはやふる -結び- 』で周防名人が街の雑踏を極力シャットアウトしようとしていたように、マチューもその飛びぬけた聴力ゆえに、周囲に同調することが難しい。それゆえに仕事では有能だが、融通の利かない人間に映る。このことが後半以降の展開を大いにサスペンスフルにしている。マチューが実直で有能であるがゆえに、上司や同僚とはどこか距離があり、そのことがマチュー視点では彼ら全員を疑わしい存在に見せてしまう。この真相に迫っているのに、逆に遠ざかっていくような感覚に陥るというプロセスが、本作ではよく効いていた。

 

マチューとその妻ノエミや、マチューの直属の上司ポロック、その他数人だけを覚えておけば、物語の理解に支障はない。このあたりはいかにもフランスで、少ない人数でミステリとサスペンスを生み出すというフランスの小説の伝統的な技巧は映画にも活かされている。

 

真相はなかなかに現代的である。ラダイト運動の歴史を振り返るまでもなく、技術の進歩は常に人間に失業の危機感を味わわせてきた。同時に、技術の進歩は、人間が介在する余地をゼロにはできない仕事もあるのだということも我々に再確認させてきた。本作はそのことを非常に強く感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

序盤は正直なところ、眠たくなる。テロリストによる犯行が真相なわけはないのだから、その結論に至るまでのマチューの描写は、単なる導入部としか見られなかった。だいたいテロであるならば、さっさと犯行声明が出されるだろう。

 

音声分析捜査というサブタイトルのわりに、結構な量の動画分析も含まれている。別にそれを決定的なマイナスとまでは思わないが、やはりもっと音声データに焦点を当てて欲しかった。

 

職務上の機密情報がローカルドライブに置かれている描写があったが、そんなことがありうるのだろうか。IT音痴の日本の企業なら分からんでもないのだが・・・

 

真相は非常に示唆的であるが、その描写に迫真性はない。ああいう時は、以下白字まずはケーブルを抜くだろう。でなければPCを強制終了するはず。人間、パニックになればあんなものかもしれないが、やや拍子抜けする真相であった。

 

総評

サスペンス映画の佳作である。航空機(に限らずクルマでも電車でも何でもいい)に関連する技術と人間の関わり方に大いなる問いを投げかけている。序盤は少々もたもたした語り口という印象だが、中盤以降はジェットコースター的な上がり下がりの激しい展開を味わえる。真相はちょっと弱いが、そこに至るまでの緊張感をずっと維持するストーリーテリングは素晴らしい。平日の夜や週末が手持ち無沙汰なら、本作のチケットを購入されたし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

putain

劇中ではピュターンと発音されていた。アクセントは後ろのターン。字幕では「くそ」となっていたように思う。2021年の夏にフランスの某サッカー選手たちが日本を侮辱する文脈で使ったとされる言葉で、アホのひ〇〇きが必死に擁護して騒動になったのを覚えている人もいるだろう。使ってはいけない言葉とされるが、ドイツ語の scheisse やロシア語の blyad など、互いの母国語の卑罵語を教え合うことで友情が深まるというのも、Jovianの経験からは、一面の真実である。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ピエール・ニネ, フランス, ルー・ドゥ・ラージュ, 監督:ヤン・ゴズラン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

『 グレート・インディアン・キッチン 』 -私作る人、僕食べる人 in India-

Posted on 2022年1月23日 by cool-jupiter

グレート・インディアン・キッチン 75点
2022年1月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ニミシャ・サジャヤン スラージ・ベニャーラムード 
監督:ジヨー・ベービ

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事前情報はほぼ入れずに妻と鑑賞。インドの話であるが、一昔前の日本とそっくりである。ど田舎なら、これと似たような話は今でもいくらでも転がっているのではなかろうか。

 

あらすじ

インドの富裕な家に嫁いできたバーレーン育ちの女性と、彼女を優しく迎える新郎。幸せな日々は、しかし、徐々にインドの保守的・家父長的な伝統や価値観によって少しずつ壊れていき・・・

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ポジティブ・サイド

初々しい顔合わせから、めでたい結婚。そして初夜。旦那の実家での二世帯暮らし。始まりこそ幸せな家族という感じで、キッチンで作られる様々な料理の食材が色鮮やかに画面を彩り、包丁とまな板がリズミカルな音楽を奏でる。義理の母は大変な働き者で、さらに嫁を気遣い、手伝ってくれる。

 

そこに少しずつ不協和音が混じり始める。夫や義理の父の見せるちょっとしたテーブルマナーであったり、あるいはコミュニケーションのすれ違い(といっても完全に夫が悪いのだが)である。よくある夫婦のちょっとしたボタンの掛け違いなのだが、にわかにそれがエスカレートしていく。配管の故障のための業者を手配するのを夫がずっと忘れていたり、あるいは残飯を皿ではなくテーブルクロスの上に残していったり。そこに義理の父親のモラハラが加わってくるのだから苦しい。妻や息子の嫁をナチュラルに家政婦か何かとしか思っていないことがありありと伝わってくる。米は炊飯器で炊かずに釜で炊けだの、洗濯機だと服が傷むから手洗いしろだの、渾身の左フックを三発ぐらいテンプルにお見舞いしてやりたくなる。ここに至るまでにこの男どもが画面で見せるのは食っちゃ寝の繰り返しだけである。単なるうんこ製造機にしか見えないのである。頼りの義母も、自分の娘が臨月で、そちらのヘルプに向かわざるを得ない。畢竟、妻の負担は増すばかり。

 

外食先での夫のマナーについて言及したことで、訳の分からない怒りを買って謝罪させられたり、夜の営みについてちょっとしたお願いをしたところ、貞操を疑うような目を向けられたりと、これは現代インド版の『 おしん 』を見るかのようであった。

 

ここから先は筆舌に尽くしがたい屈辱が続くわけだが、上手いなと感じさせられたのは、インドの宗教や文化、政治を遠回しに、しかしダイレクトに批判しているところ。宗教上の戒律のしからしめるところによって、夫は様々な行動の制約を受ける。女が生理中に隔離されるのは『 パッドマン 五億人の女性を救った男 』でも描かれていたが、これがインドの一部または多くの宗教では不浄とされる。そして信者の潔斎の期間中は、不浄の女性を見たり触ったりできない。笑ってしまうのは、その戒律を破ってしまった際のキャンセル技が「牛糞を食す」あるいは「牛糞の上澄みを飲む」であること。もっと笑ってしまうのは、そこを自分たちに都合よく「沐浴でOK」としてしまうご都合主義がまかり通ることだ。

 

また生理中の女性を隔離するのは憲法違反であるとする判決が出たことがニュースで報じられるが、夫とその親類や信者仲間はそんなことにはお構いなし。この夫は教師で、一家の親類は広く法曹の世界に根付いているが、社会の指導者層的な立場の人間がこれなのだ。

 

とにかく見ていて非常に痛々しい。今の若い世代はどうか分からないが、Jovianも一昔前までは正月やお盆のたびに母や叔母が大忙し、父や叔父は食っちゃ寝、というのを毎年見てきた。それが悪いというのではない。時代だったのだ。問題は、時代に対してアップデートができないこと。願わくば、某島国の保守的与党が目指す「美しい国」というのが、このような家族像の延長線上に成立するものではないことを切に願う。

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ネガティブ・サイド

インド映画は時々始まるまでに、ポスト・クレジットならぬプリ・クレジット(?)が挿入されることがあるが、それが長い。ひたすら長い。派手な映像や音楽・音響もなく、延々とSpecial Thanks を流すだけ。ここだけは改善の余地がある。世界のマーケットに売るために時間を2時間にし、歌やダンスを少しずつ削っていっているとは聞くが、このオープニングには明確に否と言いたい。

 

バーレーン育ちの主人公を、実家までもが冷たく突き放すシーンはあまりにドラマを作りすぎだと感じた。異人は殊更に自らの異人性を強調するものではあるが、だったら何故、主人公である妻が進歩的に見える価値観を有するようになったのか。インドでまで「女三界に家無し」というのは、あまりにも酷ではないか。このせいでラストの集団舞踊の美しさや華々しさが、個人的には少し減じてしまったと感じた。

 

総評

国や民族の暗部というものは、とかく隠したくなるものだが、それを積極的に映画にするというのは、世界の目を自国に向け、その外圧を変革の呼び水にするという意味では有効なのかもしれない。韓国映画の十八番だが、インド映画も負けていない。幸い日本には「人の振り見て我が振り直せ」という有難い金言がある。日本の、特に中年以上の男性は配偶者と一緒に本作を鑑賞しよう。そして、まずはそのコップを洗って、食器棚に戻すところから始めようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

definition

定義の意。劇中で夫が「家族の定義」を講義するシーンがある。definitionの動詞は define で、これは de + fine に分解される。fine は finish などにもつながるラテン語由来の語で、「終わり」の意味。define というのは、この言葉の範囲はここからここまでで終わり、ということである。

 

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