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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

Posted on 2019年6月15日2020年4月11日 by cool-jupiter

キラー・メイズ 50点
2019年6月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニック・スーン ミーラ・ロフィット・カンブハニ
監督:ビル・ワッターソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190615022205j:plain

近所のTSUTAYAで準新作を108円で借りられるクーポンが定期的に使える。いつもなら劇場で見逃して、しかし新作料金を払うほどでないと思える作品を借りる時に使うのだが、『 パズル 』を借りてきた時のように、Sometimes, I like watching garbage. だが本作はゴミと呼ぶほどの駄作ではなかった。

 

あらすじ

30歳近くになろうというのに定職もないデイブ(ニック・スーン)は、ある時段ボール箱で迷宮を作った。しかし、それは本物の迷宮になってしまい、デイブは迷子になる。そんなデイブを救出する為、ガールフレンドのアニー(ミーラ・ロフィット・カンブハニ)はデイブの悪友たちと共に段ボール箱の迷宮に足を踏み入れるが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもオーガニックな作りである。誰しも小さな頃、段ボールで出来た迷路や迷宮で遊んだことがあるだろう。それを題材に映画を作ったと思えば良い。しかし、そこには監督や脚本家の識閾下に眠っていた、あるいは彼ら彼女らが常日頃から愛してやまない数々のガジェットが詰め込まれている。迷宮といえばミノタウロスというのはPSゲームの『 ファイナルファンタジーⅧ 』や、漫画『 ミキストリ -太陽の死神- 』でもお馴染みだろう。また、『 スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望 』のワンシーンのパロディ的なものや『 ナイト ミュージアム 』へのオマージュ、『 キューブ 』を思わせるトラップの数々に、『 スーパーマンⅢ 電子の要塞 』的なキャラクター変化もある。そして全体的なスラップスティック・コメディ的なノリとミノタウロスからの逃走劇は、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』の同工異曲。こういう作品の作り手に作家性やメッセージを求めてはいけないのである。自分の心の赴くままに作ってみたら、こんな風になりました、というものを、受け手側としては素直に評価するのみである。

 

それにしてもヒロイン(それともヒーロー?)を演じたミーラ・ロフィット・カンブハニは、その名前と容貌からインド系であることが推察されるが、彼女は美女である。『 PK 』のアヌシュカ・シャルマは西欧的な美女であるが、カンブハニは『 パドマーワト 女神の誕生 』のディーピカー・パードゥコーンのようなインド系、アジア系、オリエント系の美女である。テレビへの出演経験が豊富なようだが、もっと銀幕に出てきてほしいもの。

 

デイブの悪友キャラもそれなりに立っている。特に撮影の男はほとんどしゃべらない代わりに、否、それゆえか、しゃべる時に残すインパクトは絶大である。また、その他の眼鏡キャラ二人にも、”Don’t wear glasses, or you’ll look like effin’ nerds.”という言葉を送ってやりたい。素晴らしく陳腐なキャラである。これは褒め言葉である。

 

そうそう、序盤のとあるキャラの怪我が、終盤に残された素朴な疑問への答えになる。なかなかに良く練られた構想、そして脚本である。

 

ネガティブ・サイド

映画そのものの罪ではないのだが、原題の“Dave made a maze”に『 キラー・メイズ 』なる珍妙な邦題を奉ってしまうのは何故なのだ。毎年夏頃になるとわんさか出てくる低級お馬鹿ホラー映画と見せかけて、シチュエーション・スリラーチックなコメディだったではないか。Dave made a maze. というのは、I like Ike for President.のような言葉遊びなのだ。「メイズ メイズ メイズ」のような悪ふざけタイトルか、「デイブが作った迷宮」、「メイズ・ランナー 段ボールの迷宮」のような、さらに悪乗りしたタイトルでも良かったのでは?

 

ストーリーもかなり単調である。スティーブン・キング原作のテレビ映画『 ランゴリアーズ 』並みに象徴的な lady parts が現れる。これがデイブの深層心理であるというなら、アニーともっとお互いをさらけ出すよう口喧嘩シーンがあってもよかった。デイブとアニーの恋人感がどうにも弱いのだ。デイブと悪友たちとの狎れ合いは上手い具合に描けている。こういう不器用な男、自己効力感の低そうな男が、愛する人からの叱咤激励を受けて一皮むけるシーンがないのが実に悔やまれるところである。

 

総評 

雨の日の暇つぶしに最適な一本である。それ以上でもそれ以下でもない。梅雨のこの時期に何もすることが無いと言う時に、近くのレンタルビデオ店、またはストリーミングでどうぞ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, コメディ, シチュエーション・スリラー, ニック・スーン, ミーラ・ロフィット・カンブハニ, 監督:ビル・ワッターソン, 配給会社:ブラウニーLeave a Comment on 『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

『 クリミナル・タウン 』 -凡百のクライム・サスペンス-

Posted on 2019年6月11日2020年4月11日 by cool-jupiter

クリミナル・タウン 30点
2019年6月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート クロエ・グレース・モレッツ
監督:サーシャ・ガバシ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190611091646j:plain

アンセル・エルゴートとクロエ・グレース・モレッツの共演ということで、劇場公開時に何度かなんばまで観に行こうと思っていたが、どうにもタイミングが合わなかった。そして当時の評判も芳しいものではなかった。だが、評価は自分の目で鑑賞してから下すべきであろう。

 

あらすじ

ワシントンDCの一角で、男子高校生が射殺された。警察が捜査するも、その方向性がアディソン(アンセル・エルゴート)には的外れに見える。業を煮やしたアディソンは独自に事件の捜査を進めていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは2015年に、大阪市内でワシントンDCからやってきたアメリカ人ファミリーと半日を過ごしたことがある(詳細は後日、【自己紹介/ABOUT ME】にて公開予定)。その時に、「DCの一角では毎日のように殺人事件が起きている」と聞いた。そうしたことから、本作には妙なリアリティを感じた。さっきまで普通に会話をしていた同級生が殺されたことに対する周囲の反応の薄さ、それに対するアディソンの苛立ち、若気の無分別による暴走を、アンセル・エルゴートはそれなりに上手く表現していた。

 

ネガティブ・サイド 

クロエ・グレース・モレッツ演じるフィービーというキャラは不要である。彼女の存在は完全にノイズである。86分という、かなり短い run time であるが、フィービーのパートを全カットすれば60分ちょうどに収まるだろう。はっきり言って脚本家が一捻りを加えることができずに、苦肉の策でアディソンとフィービーの初体験エピソードをねじ込んだのではないかと思えるほどに、ストーリーは薄っぺらい。

 

薄っぺらいのはアディソンの母親に関するエピソードもである。『 ベイビー・ドライバー 』とそっくりなのだが、母親の幻影をいつまでも追い求めているような心情描写も無いし、フィービーにセックスを求める一方で、母性を求めたりはしない。矛盾しているのだ。父親役のデビッド・ストラザーンも米版ゴジラ映画に連続で出演したりと、決して悪い俳優ではないが、高校生の父親役として説得力を持たせるにはかなり無理がある。年齢差があり過ぎる。

 

肝心の同級生ケビンの殺害の真相も拍子抜けである。というよりも、アディソンも気付け。友人の死と周囲の無関心に苛立つのは分かるが、死者を想い、死者を悼むために必要なのは、真相の追究ではなく、まずはその死を受け入れることだ。校長に突っ込みを入れるタイミングもワンテンポ遅れている。トロンボーンではなくトランペットであるならば、即座にそのことを指摘すべきだ。生者が死者を鎮魂するには、記憶を、思い出を持ち続けることが第一なのだから。

 

総評

ミステリとしてもサスペンスとしてもジュヴナイルものとしても非常に貧弱な作品である。何故こんな杜撰な脚本が通り、それなりに知名度も人気もあるキャストを集めてしまえるのか。そこにこそ本作最大のミステリが存在する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, クロエ・グレース・モレッツ, サスペンス, ミステリ, 監督:サーシャ・ガバシ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 クリミナル・タウン 』 -凡百のクライム・サスペンス-

『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

Posted on 2019年6月10日2020年4月11日 by cool-jupiter

パドマーワト80点
2019年6月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ディーピカー・パードゥコーン ランビール・シン シャーヒド・カプール
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190610011104j:plain

監督はインドの黒澤明と呼ばれているらしい。しかし、黒澤は音楽に一家言はあっても、自分で音楽を創り出すことはしなかった。そうした意味では、サンジャイ・リーラー・バンサーリーはスコット・スピア-やジェレミー・ジャスパーのようなマルチな才能の持ち主と言うべきなのかもしれない。世代的にも、ちょうど黒澤と彼らの間に属しているようだ。

 

あらすじ

傾城の美女パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)はメーワール国の王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)と結ばれ王妃となる。しかし、デリーでスルタンとなったアラーウッディーン(ランビール・シン)はとあることからパドマーワティに執着するようになり、ついにはメーワール国へと出兵する・・・

 

ポジティブ・サイド

相変わらずの映像美である。ディズニーの実写版『 アラジン 』は、トレイラーの絵があまりにも綺麗過ぎて、つまり本物であるように感じられず、どうにも食指が動かないが、本作はこれまでのインド映画の文法から外れることなく、動物以外には極力CGを使わずに実物、または精巧なセット、大道具、小道具を駆使して映像美を生み出している。

 

そして音楽も良い。BGMや効果音にどこか techy なところを感じさせつつも、基本は非常にオーガニックな音なのである。50代の監督だが、音楽にしても最先端の機器や技術を貪欲に取り入れているのだろう。特にパドマーワティの舞う「グーマル」とアラーウッディーンの舞う「カリバリ」が強く印象に残った。前者は30kgにもなる衣装を身につけての舞踊と知ってびっくり。後者はアッラーウッディーンの悪逆無道さと純粋なまでの強欲さが鬼気迫る表情と力強い踊りで表現されており、ひとつのハイライトになっている。インド映画にハマって日は浅いが、このようなダークなトーンのダンスシーンは珍しいのではないだろうか。

 

戦闘シーンは『 バーフバリ 王の凱旋 』には及ばないものの、『 キングダム 』と同水準かそれ以上であると言える。とはいっても、映画『 キングダム 』では大兵力と大兵力のぶつかり合いが(まだ)描かれていないので、これはアンフェアな評価なのかもしれない。とある攻城兵器をCGで描いているのだが、これが全体の調和を崩さないのだから、インドのCG製作技術の高さを認めないわけにはいかない。というか、同じ予算で同じCGを作らせたら、全体的にはインドの方が日本より上かもしれない。一騎討ちもかなりロングのワンテイクを繋ぎ合わされており、作り手の意気込みがうかがえる。

 

しかし、何と言っても役者、演技者、表現者としての白眉はランビール・シンに尽きる。パドマーワティは戦を「正義と悪の戦い」という二項対立で捉えるが、アラーウッディーンは単なる悪には留まらない魅力がある。スルタンである伯父を弑逆しながらもその家臣団を変わらずに統率し、甥の毒矢に倒れながらも、家来たちに動揺は見られなかった。つまりはカリスマの持ち主なのだ。ラタン・シンとの会談時に、「歴史とは燃やせば消える紙のことではない」と喝破されながらも、「私の名前を記さない歴史書に意味は無い」という断言で応じる胆力。どこぞの歴史修正主義者たちも、これぐらいの神経の図太さを持ってみてはどうか。

 

現代的なメッセージも含まれている。殉死を奨励するわけではないことは冒頭でも明示されるが、死を以ってしかできない抗議というのは確かにある。ベトナムの仏僧ティック・クアン・ドックが燃えるプラカードになった事件を知っている人も多いはずだ。傾城の美女を巡って男どもドンパチとチャンバラを繰り返すだけのアクション映画ではなく、女性同士の連帯、女性の知略と勇気をもしっかりと描き出しているのが本作の特徴である。このような描写がしっかりしているからこそ、クライマックスのシーンがなおのこと際立つ。『 バーフバリ 王の凱旋 』とは一味もふた味も違うが、本作も確かに傑作である。

 

ネガティブ・サイド

アラーウッディーンの側近となる奴隷の活躍はどこだ?思わせぶりに登場して、暗殺者やスパイ、破壊工作員として大いにその腕を振るうのではと予感させておきながら、大した活躍は無かった。何という肩すかし。

 

叙事詩の内容と異なるのかもしれないが、デリー軍とメーワール国の二度目の戦争では、ぜひ周辺諸国の連合軍が結成されると思っていたが、これも無し。衣装やセットに予算をつぎ込み過ぎたのか。欲を言えば、単純明快なバトルシークエンスがもう少しだけ欲しかった。

 

パドマーワティと妃殿下の対立シーンも、ややノイズであるように感じられた。妃殿下はいっそのこと存在ごとばっさりカットして、上映時間を150分程度に抑える工夫をしても良かったのではないかと考える。

 

総評

スペクタクルである。ロマンである。インド映画に外れなしである。アクション映画ファンも、サスペンス映画ファンも、ミュージカル好きでさえも唸らせる作品が届けられた。ぜひ劇場で堪能して欲しいと思う。その場合は、事前のトイレはしっかりと。鑑賞中の水分摂取もほどほどに。Jovianの鑑賞回でも、少なくとも5人はトイレに立っていたので。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, シャーヒド・カプール, ディーピカー・パードゥコーン, ランビール・シン, 歴史, 監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

Posted on 2019年6月9日2020年11月11日 by cool-jupiter

小さな恋のうた 40点
2019年6月8日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 
監督:橋本光二郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190609211609j:plain

MONGL800の歌には不思議なインパクトがあった。事実、『 小さな恋のうた 』は平成を通じて男性がカラオケで歌った曲としては一位という集計データもあるらしい。そしてJovian機体の橋本光二郎監督がメガホンを取ってこの名曲の誕生秘話をドラマ仕立てにしたというのだから、期待も高まる。Alas, I did it again. Don’t ever get your hopes up.

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190609211642j:plain


あらすじ 

沖縄の高校生、リョウタ(佐野勇斗)とシンジ、コウタロウ(森永悠希)はバンドを組んで、真摯に音楽に打ち込んでいた。しかし、シンジとリョウタが交通事故に巻き込まれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

山田杏奈は頑張っていた。山田は『 わたしに××しなさい! 』の頃より少しふっくらしたように感じたが、存在感も増していた。良いことである。前半はほとんど台詞もないが、それが爆発する終盤手前のシーンは見事の一語に尽きる。

 

森永悠希にも感銘を受けた。『 カノジョは嘘を愛しすぎてる 』ではドラムを叩き、『 羊と鋼の森 』ではピアノを弾きこなし、本作でもドラマーを演じ切った。楽器を弾ける役者は希少価値がある。もちろん、音は後からプロが入れ直しているだろうが、主要キャストの中では森永の演奏シーンが最も迫真性が感じられた。

 

世良公則のキャラクターも良かった。不可解な言動を取る大人が数名存在するこの世界で、子どものまま素直に大きくなったような大人の存在は一種の清涼剤であった。

 

ネガティブ・サイド

 

以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

沖縄を舞台にするのはよい。それがモンパチの出身地なのだから。しかし、そこで描写すべき沖縄成分が圧倒的に不足していた。米軍基地の軍人相手に商売するバーは構わない。しかし、沖縄の空と海、沖縄らしい料理、方言をもう少し、時間にして2分で良いから描写して欲しかった。このあたりは『 洗骨 』から学ぶべきだろう。

 

不可解なのは、バンドのメンバーたちが東京の方角に向かって叫ぶシーン。しかし、そこには夕陽が。沖縄のどこの地点でも、いつの時点でも、夕陽の方角に東京は無い。何故こんな初歩的なミスを犯すのか。まさか朝日なのかとも思ったが、放課後のシーンなので夕陽で間違いない。滅茶苦茶もいいところだ。

 

全体的には物語のトーンとテーマに統一感が感じられない。楽曲の素晴らしさを売りにしたいのか。それとも友情の強さ、美しさを前面に押し出したいのか。それとも国境を超えた少年少女の心温まる交流劇を見て欲しいのか。監督の意図が分かり辛い。楽曲の素晴らしさを売りにしているわけではなさそうだ。何故なら、もしそうであるなら学園祭の屋上ライブをあのタイミングでストップしてしまうのは理にかなっていないからだ。全曲披露して、その上で教師にしこたま説教を食らえば良い。男同士、バンドメンバーの結束や友情、絆がメインテーマというわけでもなさそうだ。もしそこに焦点を当てるなら、ヴォーカルがドラマーに向かって「お前はただ叩いているだけでいいよな」などと言えるわけがないからだ。Jovianがドラマーなら相手を20発はぶん殴るだろうし、Jovianがヴォーカルでポロっとこんなことを口走ってしまったなら、20分は土下座する。そういう描写こそが必要なのだ。佐野の演じるリョウタが、この瞬間から甘ったれたガキンチョにしか見えなくなってしまった。米軍基地内に暮らすリサとの交流がメインというわけでもないようだ。沖縄の現実と米軍基地の問題を切り離すことはできない。デモ隊と基地の対立、デモ隊と主人公らの関係が特に強く描かれるわけでもなく、そこにさらに親子の葛藤という対立軸まで放り込まれても、こちらはとても消化しきれない。

 

他にも、序盤のシーンではシンジに影がなく、終盤のシーンではシンジに影があるという具合に、演出面でも統一を欠いた。影云々は、製作者側の意図的なものかもしれないが、ただでさえ色々な面でとっちらかってしまっている作品に、これ以上を混乱をもたらすような演出は不要である。

 

総評

高校生がバンドを組んで学園祭でパフォーマンスをするという映画なら『 リンダ リンダ リンダ 』の方が一枚も二枚も上手である。だが、Jovianが嫁さんと鑑賞した劇場内では、かなりの人数の女子が泣いていた。「もう2時間ずっと泣きっぱなしやったわ」という声も聞かれた。当たり前田は広島カープであるが、一レビュワーが低く評価しているからといって、作品の質が低いというわけではない。作品とそれを鑑賞するものの間には、波長のようなものがあり、それが合うと評価が高くなりやすいのだ。モンパチのファンであるなら、劇場鑑賞も一つの選択肢として検討しても良いのではないか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190609211735j:plain

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 佐野勇斗, 山田杏奈, 日本, 森永悠希, 監督:橋本光二郎, 配給会社:東映, 音楽Leave a Comment on 『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

『 ベン・イズ・バック 』 -タフな母親を描く上質サスペンス-

Posted on 2019年6月9日2020年4月11日 by cool-jupiter

ベン・イズ・バック 75点
2019年6月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジュリア・ロバーツ ルーカス・ヘッジス
監督:ピーター・ヘッジス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190609004750j:plain

本作ではジュリア・ロバーツ会心の演技が堪能できる。こうしたタフな母親像というのは『 スリー・ビルボード 』でミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンド、『 ハナレイ・ベイ 』におけるサチを演じた吉田羊で一つの完成形を見たと思ったが、ジュリア・ロバーツが新しい解を提供してくれたようである。

 

あらすじ

クリスマスイブの朝、薬物依存症者のリハビリ施設にいるはずのベン(ルーカス・ヘッジズ)が前触れもなく帰ってきた。まっすぐにベンを受け入れる母ホリー(ジュリア・ロバーツ)だが、父や妹は懐疑的な態度を崩せない。一日だけ共に過ごすことを認められたベンだが、家族が教会から帰ると自宅が荒らされ、愛犬が消えていた。昔のドラッグ仲間の仕業と確信するベンは家を出る。それを追いかけるホリーだが・・・

 

ポジティブ・サイド

近年、特にこの3年ほどは女性を主題に持つ映画が量産されてきた。その中でも本作は異色である。『 エリン・ブロコビッチ 』や『 ワンダー 君は太陽 』で力強い母親を演じてきたジュリア・ロバーツが、さらに複雑な母親像を描き出すことに成功したからだ。『 スリー・ビルボード 』のミルドレッドは警察署長のがんの告白にも一切動じない鉄面皮だったが、今作のホリーは菩薩の慈悲深さと鬼夜叉の激情を併せ持つ、まさしく「母親」という獣を描出した。息子の帰還に心から喜びを表現しながら、その数分後には鬼の形相で「これから24時間、あなたを監視下に置く」と宣言する。いや、息子に強く厳しく接するだけならよい。この母は、息子の薬物依存のきっかけを作った、今や認知症の症状を呈する医師にも牙をむく。このシーンは多くの観客を震え上がらせたことであろう。街を当て所もなく彷徨うホリーは『 ハナレイ・ベイ 』のサチを思い起こさせる。しかし、なによりも強烈なのは、息子の居場所を知るためなら、薬物依存から抜け出したがっている、しかし禁断症状に苛まされているかつての息子の友人に、情報と引き換えにあっさりと薬物を渡してしまう場面である。息子の居場所を探るためなら、誰がジャンキーになっても良い。ホリーの息子ベンへの態度、歪んでいるようにすら映ってしまう愛情の濃さ、深さ、強さは、彼女自身が息子依存症を罹患しているのではないかと疑わせるほどだ。母親という人種は洋の東西を問わず、非常に強かな生き物なのだ。Women are weak, but mothers are strong. 『 ある少年の告白 』のニコール・キッドマンも脱帽するであろう渾身の演技をジュリア・ロバーツは見せてくれた。

 

『 ある少年の告白 』で主人公のジャレッドを演じたルーカス・ヘッジズは、今作では薬物依存症者を演じる。『 ビューティフル・ボーイ 』でティモシー・シャラメは薬物依存の暗黒面に堕ちていってしまうが、そこで描かれたのは彼の心理的なダークサイドが主であった。今作では、ベンの心の中の闇の深さは、ミーティングに出席するワンシーンを除いては、ほとんど描写されない。だが、彼が社会的に与えた負のインパクトの大きさ、彼がドラッグを通じて培ってしまった闇の人間関係の深さと薄汚さに、観る者の多くは怖気を振るうだろうし、そこに躊躇なく突っ込んでいける母親像にも、感銘を受けるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ジュリア・ロバーツが車のドアを開けて嘔吐するシーンは必要だっただろうか。耳をふさぎたくなるような悪態をつくぐらいでよかった。彼女の神経の太さと意外な繊細さを表すには、もっと適切な手法・演出があったのではないかと思う。

 

ベンが踏み込んでいった先のアングラな連中が、それほど恐ろしさを感じさせないのもマイナス点。『 運び屋 』でも顕著だったが、麻薬取引に関わる人間というのは、一見して堅気ではないと分かる、独特のオーラを纏っている(ことが多そう)。本作に出てくるクレイトンは、そういう意味ではちょっと迫力不足である。

 

最後の最後のシーンでは、ベンの胸が全く上下しないにもかかわらず、息を吹き返していた。肺に空気が届いているようには見えず、ちょっと冷めてしまった。

 

総評

ジュリア・ロバーツの近年の出演作、というか彼女自身のキャリアを通じても一、二を争うほどの会心の出来栄えではないだろうか。我々(特に男性陣)は、しばしば母親を慈母のイメージで眺めてしまう。特に本作のようなクリスマスイブが舞台であれば、なおさらそのようなイメージを喚起させられる。しかし、鬼夜叉の如き母親というのも、母の確かな一面であるし、その新境地を開拓してくれたロバーツには脱帽するしかない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190609004928j:plain

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, ジュリア・ロバーツ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ピーター・ヘッジズ, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ベン・イズ・バック 』 -タフな母親を描く上質サスペンス-

『 パラレルワールド・ラブストーリー 』 -文句なしに駄作-

Posted on 2019年6月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

パラレルワールド・ラブストーリー 20点
2019年6月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:玉森裕太 吉岡里帆 染谷将太 
監督:森義隆

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最初のトレイラーを観た時は、「なんか駄目っぽい」という印象だった。Jovianはそもそも東野圭吾との相性が良くないのだ。だが監督が『 聖の青春 』の森義隆ということで少し期待感が高まった。しかし、2つ目か3つ目のトレイラーの「こっちが・・・現実だ・・・」という玉森の台詞にがっくりさせられた。並行世界の物語ではなく、仮想現実または妄想・空想の世界の物語であることがバレてしまったからだ。それでも鑑賞を決断したのは、このトレイラー自体も misleading のための仕掛けではないかと思ったからだ。そして、このタイトルはmisleadingであり、かつmisleadingではなかった。

 

あらすじ

敦賀崇史(玉森裕太)は恋人の津野麻由子(吉岡里帆)と同棲していた。しかし、目覚めると麻由子は親友の三輪智彦(染谷将太)の恋人になっていた。二つの世界を行き来する崇史。いったい彼の見ている現実とは何なのか・・・

 

ポジティブ・サイド

吉岡里帆のベッドシーン。肝心の部分は見せてもらえないが、誰もが『 娼年 』のような映画に出演して、すっぽんぽんになれるわけではない。そんなことになったら、ラブシーンの価値が下がるだけである。吉岡ファンならば、劇場鑑賞はありであろう。音響の良い映画館ならば、吐息の音をリアルに感じられるかもしれない。

 

構成も悪くない。序盤でCG丸出しの山手線と京浜東北線が二手に分かれていく様は、確かに世界の分岐、パラレルワールドの存在を感じさせてくれた。わずか一駅だけの間、並走する電車の中に運命的な相手を見いだせれば、それは相当にロマンティックなことだろう。JR西日本では、宝塚線の快速と神戸線の快速が、しばしば尼崎駅をほぼ同時刻に発車して、この物語と同じように並走する。交わりそうで交わらない線が、思いがけない形で交わる時、人が正常でいられなくなるのは無理からぬことなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

残念ながら様々な面でリアリティを欠き過ぎている。冒頭からファンタジー路線ではなく、脳科学に関する業務の話が専門的な用語を交えてポンポンと飛び出してくるが、これはsciencyではあってもscientificではなかった。というよりも、記憶を改変・改編させるのに大袈裟な装置を使う必然性が見つからない。根気良く催眠療法的なセッションを繰り返してはいけないのだろうか。また、脳の特定部位の励起状態を別領域に転写する、それを光刺激を与えることで特定遺伝子を刺激することでその状態を生み出せるなどという説明があるが、完全に意味不明だ。光刺激を目に入れないところが分からないし、百歩譲って皮膚に光を照射、メラニンへの刺激経由で脳に影響を波及させるというなら話は分からないでもないが、そもそも照射装置が見当たらない。また、色々な電極やコードらしきものが光を放つにしても、髪の毛ふさふさの頭には効果は極小だろう。

他にも、記憶の分類を劇中でしっかり行わないため、記憶改変のインパクトが強く感じられない。あるキャラクターが出身地に関する記憶を改変されてしまうのだが、エピソード記憶をいじくることが可能というインパクトは個人的には大きかった。しかし、劇中の、しかも白衣を着てラボで働くような連中が事の重大性を全く認識していないかのように振る舞うのは不可解極まりない。人間の記憶ほどあてにならないものはない。それは、亡国の政治家や官僚の答弁を聞けば、よくよく分かることである。また、記憶改変によって周辺記憶と齟齬をきたした場合には、自分に都合の良いように話を置換してしまう“ドミノ効果”なるものもイマイチ分からない。これこそまさに“バタフライ・エフェクト”で、その効果・影響の大きさなど知る由もないではないか。なぜ智彦はこんな危険な効果を指して「100%大丈夫だ」などと断言できるのか。サンプル数が1とか2という段階で、こんなことを言えてしまうとは本当に科学者なのか。また、会社の上層部もこの研究や装置については把握していたようだが、ならば何故こんな危険性が未知数の代物を、一研究者が自由に使えてしまう状況を放置するのか。複数役員の承認、それも指紋や声紋、虹彩による認証などを必要とするようなものに思えるが、課長または部長級に見える男性が監視らしき真似ごとをするのみ。麻由子も監視するならちゃんと監視しろ。スリープ状態になってしまう恐れがあるのだから、呑気に電話報告するにしても、尾行ぐらいしろ。巨大企業の危機管理とは思えない杜撰さ。リアリティがとにかく足りない。

だが、何よりも不可解なのは、キャラクターの行動原理だ。それこそ「恋愛感情」というもので済ませてしまえばよいのだが、あまりにも醜い面が噴出しすぎている。友情よりも恋愛に走る崇史は誰も批判や非難はできない。しかし、レイプは完全に犯罪ではないか。麻由子とベッドインできない智彦には同情するが、だからといって自ら身をひこうなどとは思えない。障がいを揶揄するつもりは一切ないが、乙武氏でも立派に不倫・不貞行為はできるのだ。何をくよくよしているのだ。

ラストはそれこそ『 バタフライ・エフェクト 』の丸パクリ。様々な可能性を残して、観る側の想像力に委ねるのは、ここまで来るともはやクリシェを通り越して、製作者側の怠慢である。

 

総評

駄作である。『 プラチナデータ 』級の科学的不可解さが満載である。「記憶」または「タイムトラベル」を巡る物語の序盤は常に面白いものだ。しかし、本作はストーリーの根幹を支えるべき科学的リアリティとキャラクターの人間性の酷さによって、それなりに良い食材が、最後まで食べるのが苦痛なフルコースになってしまった。残念至極である。記憶をテーマにした映画や小説はそれこそ無数にある。よほどの東野圭吾ファンでなければ、これを選択する意味は無い。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, SF, ミステリ, 吉岡里帆, 日本, 染谷将太, 玉森裕太, 監督:森義隆, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 パラレルワールド・ラブストーリー 』 -文句なしに駄作-

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 85点
2019年6月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
2019年6月2日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:カイル・チャンドラー ベラ・ファーミガ ミリー・ボビー・ブラウン 渡辺謙 チャン・ツィイー
監督:マイケル・ドハティ

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土曜のレイトショーを観て、売店で思わず帽子とTシャツを衝動買いしてしまった。もう一度、もっと大きな画面と良質な音響で鑑賞したいという思いと、「ん?」と感じてしまった場面を検証したくなり、日曜朝のチケットも購入した次第である。最初は90点に思えたが、二度目の鑑賞を経て85点に落ち着いた。

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あらすじ

2014年にロサンゼルスで起こったゴジラとMUTOの戦いは、住民に甚大な被害を与えていた。それから5年。マーク(カイル・チャンドラー)は、酒に溺れた。その妻のエマ(ベラ・ファーミガ)はモナークと共に、各地に眠る神話時代の怪獣、タイタンたちとの意思疎通を図るための装置を作っていた。そして、中国でモスラの卵が孵るが・・・

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以下、本作および『 ゴジラ 』シリーズおよび他の怪獣映画のネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

Jovianが常々願っていた、「神々しいキングギドラ」が遂に降臨した!『 GODZILLA 星を喰う者 』のギドラもそれなりにまばゆい異形のモンスターであったが、とにかくアクションに乏しく、なおかつ異次元の禍々しさがなかった。Jovianの一押しである『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』で千年竜王として覚醒したギドラは赫奕たる聖獣だったが、あまりにもあっさりと爆散させられてしまった。その不遇の怪獣ギドラがついに輝く時が来た。トレイラーにもある火山の頂上で鎌首をもたげ、翼を目いっぱい広げる姿には、文字通りに身震いさせられた。また、真ん中の首はやたらと左の首にきつくあたっており、ドハティ監督が強調していた個性は確かに表現されていた。

 

そしてラドンの雄姿。『 空の大怪獣ラドン 』で活写された、戦闘機以上の超音速飛行に、ラドンの引き起こす衝撃波で街や橋などの建造物が破壊されていく描写が、ハリウッドの巨額予算とCG技術でウルトラ・グレードアップ!キングギドラが上空を飛ぶことで街に巨大な影を落とすシーンは『 モスラ3 キングギドラ来襲 』だったか。そこではギドラが飛ぶだけで子どもが消えた。また、『 ゴジラ対ヘドラ 』では、ヘドラが上空を飛ぶだけで人間が白骨化した。しかし、本作のラドンは、怪獣の飛行によって引き起こされる惨禍としては最上級のスペクタクルを提供してくれた。トレイラーはやや見せ過ぎな感があるが、ラドンの空中戦シーンは本当に凄いし面白い。迫力満点である。

 

モスラの造形も良い。『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』における蜂的な、つまり攻撃的な要素も取り込みつつ、しかし母性、慈愛にあふれるキャラクターとしても描かれている。モスラは怪獣にしては珍しく、卵、幼虫、繭、成虫と怪獣にしては珍しくコロコロその姿を変える。また平成モスラシリーズで特に顕著だったように、成虫は敵との戦いに応じて、その姿をびっくりするほど変化させる。ゴジラも各作品ごとに姿かたちは少しずつ異なるが、モスラはその変化の度合いがとても大きい。ではモスラをモスラたらしめる要素とは何か。それは何と「モスラの歌」だったようである。

 

だが本作の主役は何と言ってもゴジラだ。ハリウッドのゴジラ映画で伊福部昭の“ゴジラ復活す”と“ゴジラ登場”を聞くことができる日が来るとは・・・ これがあったからこそ、MOVIXで鑑賞した翌日に東宝のDOLBY ATMOSに追加料金を払う気になったのだ。売店では至る所でゴジラ誕生65周年を記念するグッズが売られていたが、伊福部サウンドが、もちろん編曲され、録音環境や録音技術も格段に向上しているとはいえ、65年経った今でも、何の違和感もなくゴジラという規格外のキャラクターを表現する最上の媒体として機能することに畏敬の念を抱くしかない。『 GODZILLA 星を喰う者 』で、ドビュッシーの『 月の光 』を思わせる云々などど書いて、実際にドビュッシーの『 月の光 』だと分かって一人赤面したが、これはドハティ監督が伊福部サウンドをクラシカルなものとして認めているということを表しているのだろう。2014年のギャレス・エドワーズ監督の『 GODZILLA ゴジラ 』におけるゴジラに決定的に足りなかった要素が遂に補われた。『 シン・ゴジラ 』の続編は期待薄だが、本作はゴジラが日本のキャラクターではなく、日本発にして日本初のグローバルキャラクターとして確立された記念碑的作品として評価されるべきであろう。

 

前作の反省を生かし、怪獣バトルを出し惜しみせず、真っ暗闇で何が起きているのか分からないような描写は一切ない。これは喜ぶべきことだ。また、人間など蟻んこほどにも意識しなかったゴジラが、芹沢博士を、そして人間を認識するようになったのは今後のMonsterverseの展開を考えれば、様々な可能性への扉を開いたと言えるだろう。そして『 レディ・プレイヤー1 』並みとまではいかないが、怪獣コンテンツ、特に過去のゴジラ映画へのオマージュがこれでもかと詰め込まれている。古代ニライカナイならぬアトランティス、フィリピン沖から三原山への超短時間での移動を可能にしたのはこれだったのかという地球空洞説、『 モスラ3 キングギドラ来襲 』のギドラ並みの再生力を持つモンスター・ゼロ、そして『 ゴジラvsデストロイア 』におけるバーニング・ゴジラの再来と、ゴジラが実際にメルトダウンしそうになった時に周囲で何が起こるのかを実際に見せてくれるところ、そして極めつけのオキシジェン・デストロイヤーなど、怪獣映画愛に溢れた描写がそこかしこに挿入されている。映画ファン、怪獣ファン、そしてゴジラファンならば決して見逃せない大作である。

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ネガティブ・サイド

一度目では目立たなかったが、二度目の鑑賞ではっきりと見えるようになった欠点もいくつかある。まず雨のシーンが多すぎる。本作で本当に雨、そして雲が映えるのは成虫モスラが洋上に飛来するシーンだけだろう。

 

またモナークが少し画面にでしゃばり過ぎである。秘密組織であるにもかかわらず、何故あのような巨大飛行船を所有しているのだ?『 未来少年コナン 』の空中要塞ギガント、『 ふしぎの海のナディア 』の空中戦艦、PS2ゲーム『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』のフレスベルクの亜種にしか見えないが、給油や整備に成田や関空以上の空港・基地が必要になりそうだ。そんなものを所有する秘密組織があってよいのか?そしてこの巨大飛行船が、しばしば怪獣バトルに割って入るのだ。いや、割って入るだけならよい。観客の視界をふさがないでほしい。

 

また、『 GODZILLA ゴジラ 』で芹沢博士の右腕的存在だったグレアム博士(サリー・ホーキンス)を退場させる必要はあったのか?ジョー・ブロディを死なせる必要が無かったように、グレアム博士も死ぬ必要は無かった。代わりに追加された新キャラクターは、アホな台詞ばかりをしゃべる初老の科学者。

 

マーク “My God”

科学者 “zilla”

 

というやり取りはトレイラーにもあったが、Zillaにまで言及する必要はない。ここは本編からカットするべきだったのだ。ラドン登場シーンで、逃げ惑う人々の群れの中で子どもが転倒、大人が駆け寄る、轟音がして振り返るとそこには大怪獣が・・・ というクリシェはまだ許せる。しかし、軽口ばかり叩いて緊張感が感じられないキャラクターは『 ザ・プレデター 』という駄作だけでお腹いっぱいである。

 

怪獣を使って地球上化を目論むテロ組織も色々とおかしい。オルカという最重要な機器を見張りもつけずに放置して、あっさりとマディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)に奪われるなど、あまりにも不可解だ。ご都合主義が過ぎる。また、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』でも見られた齟齬だが、音波というのは音速 ≒ 時速1200 km で進むわけで、ボストンから音響を大音量で鳴らしたタイミングでワールドニュースが「世界中の怪獣がいっせいにおとなしくなりました」と報じるのは、あまりにも科学的にも論理的にも常識的にもおかしい。怪獣という途轍もない虚構をリアルなものとして成立させるためには、周辺のリアリティをしっかりと確保することが至上命題なのだ。

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総評

弱点や欠点が目立ちはするものの、それを補って余りある長所が認められる。これまでは、多勢に無勢で一方的に倒されることが多かったキングギドラが、久しぶりにゴジラと1 on 1 で戦えるのだ。そして、前作で芹沢博士がゴジラを“An ancient alpha predator(古代の頂点捕食者)”と評した理由が遂に明らかになるラストは、観る者の多くの度肝を抜き、震え上がらせることであろう。Marvel Cinematic Universeが完結し、X-MENも完結間近である。しかし、Monsterverseはここからが始まりなのだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:マイケル・ドハティ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter

GODZILLA ゴジラ 55点
2019年5月30日 所有ブルーレイにて鑑賞
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン 渡辺謙 エリザベス・オルセン
監督:ギャレス・エドワーズ

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『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』の前日譚にあたるのが本作である。その意味では、復習上映にちょうどよいタイミングであろう。『 シン・ゴジラ 』を劇場鑑賞したからに、USゴジラも鑑賞しないことにはバランスが悪い。

 

あらすじ

怪獣を秘密裏に調査してきた組織モナークはフィリピンで巨大生物の痕跡を発見していた。その後、日本の原子炉で不可解な事故が発生。それは巨大生物の復活の狼煙で・・・

 

ポジティブ・サイド

原子炉の事故というのは、間違いなく3.11への言及だ。日本ではなくアメリカがこのことに言及したことは、それだけで意義深い。また、巨大不明生物の出す音に着目している点も興味深い。『 シン・ゴジラ 』では、「奴の知能の程度は不明だが、我々とのコミュニケーションは無理だろうな」と言われてしまったが、怪獣とのコミュニケーションの可能性を模索する方向性が2014年時点で示唆されていることは称賛に値する。三枝未希的なキャラはそう何度も生み出せるものではないのだ。

 

敵怪獣のMUTOには賛否両論があるが、EMP攻撃でF-22を面白いように落としていく様は観る側を絶望的な気分にさせてくれる。山本弘の小説『 MM9 』へのオマージュなのだろうか。常識的に考えれば、人類の科学技術の粋である現代兵器が通じない相手など存在するわけがない。それが実際に通じないところが怪獣の怪獣たる所以なのだが、そんな化け物がゴジラ以外にたくさん存在されるのも何かと不都合だ。だからこそ、攻撃がいくら命中しても効果なし、から、電気系統がすべて切れてしまう=兵器が無力化される、というアイデアに価値が認められる。

 

ゴジラが人類の攻撃を屁とも思わず、ひたすらMUTOを追いかけまわすのも良い。Godをその名に含むからには、人間とは別次元の存在であらねばならない。米艦隊を引き連れているかのように悠然と大海原を往くゴジラの姿には確かに神々しさが感じられた。

 

主人公が爆弾解体のスペシャリストというのもユニークだ。決して花形ではないが、いぶし銀的なミッションの数々に従事してきたのであろうと思わせる雰囲気が、アーロン・テイラー=ジョンソンから発せられていた。

 

ゴジラという人間を歯牙にもかけず、都市を完膚なきまでに破壊し、それでも結果的には人類を守ってくれた存在に、人はどう接するべきなのだろうか。泰然として海に還っていくゴジラを見送る芹沢博士の誇らしげな笑顔とグレアム博士の畏敬の念からの涙に、ゴジラという存在の巨大さ、複雑さ、奥深さが確かに感じ取れた。

 

ネガティブ・サイド

ジョー・ブロディを途中退場させる意味はまるでなかった。また、フォードが途中で子どもを助けるシーンも、あっという間に子どもが両親のもとに帰っていけるのであれば必要ない。どうしても人間ドラマ、家族ドラマを描きたいのは分かるし、Jovianが怪獣映画を監督する、またはそれ用の脚本を書く機会が与えられたならば、何らかのヒューマンな要素を入れるのは間違いない。なのでドラマを持ち込もうとすることは否定しない。問題はその描き方である。妻を失ったジョーは、息子や孫までは失えないと息子と協力して、これまでに個人的なリサーチで溜めこんできた情報をモナークおよび米軍にシェアする。または、フォードが電車で助けるのを子どもではなく老人にする。その老人の姿を通じて、フォードは間接的に父の愛情の深さと大きさを知ることになる。そんな風なドラマが観たかったと思ってしまう。人間パートが、どうにもちぐはぐなのだ。我々が見たいのは怪獣同士のバトルである、もしくは軍隊が怪獣に果敢に向かっていきながらもあっさりと蹴散らされるシークエンスである。

 

だが、そうしたシーンもどんどんと先延ばしにされてしまう。ハワイでの激突シーンもテレビ放送画面に切り替わり、本土決戦でもエリザベス・オルセンがシェルターに逃げ込むと同時に別画面に切り替わる。クライマックスの怪獣バトルのカタルシスを最大化したいという意図は分かるが、ちょっと焦らし過ぎではないか。だが最大の問題点は、ゴジラとMUTOの最終決戦があまりにも暗過ぎて何が起きているのかよく分からないところだ。肝心のMUTOへのトドメも、『 ゴジラ2000 ミレニアム 』とかぶっている。もしもこれがオマージュであると言うなら、もっと徹底的にやってほしかったと思う。

 

総評

決して悪い映画ではない。しかし、ゴジラというタイトルを冠するからには、ゴジラをゴジラたらしめるサムシングを備えていなければならない。それが何であるのかを定義するのは困難極まる。しかし、そうではないものはひと目で分かる。本作が描くのは、間違いなくゴジラである。ただ、少しゴジラ成分が足りないように思えてならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アーロン・テイラー=ジョンソン, アメリカ, エリザベス・オルセン, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:ギャレス・エドワーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

Posted on 2019年5月31日2020年4月11日 by cool-jupiter

シン・ゴジラ 90点
2019年5月30日 塚口サンサン劇場にて鑑賞(劇場鑑賞は通算8回目)
出演:長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 高良健吾 大杉漣
監督:樋口真嗣
総監督:庵野秀明

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タイトル発表時、シンの字の意味が色々と推測されていた。公開前の特番で松尾諭が「進」の字を当てていたのが印象に残っている。日本で大ヒットを記録し、海外で大絶賛と大顰蹙の両方を得た本作であるが、Jovianは傑作であると評価したい。

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あらすじ

東京湾内で謎の水蒸気爆発が発生。トンネル崩落事故や、船舶航行の停止、航空機の離着陸が停止されるなどの影響が出る中、原因は巨大不明生物であることが判明。その生物は川を遡上し、ついには東京都に上陸。甚大な被害を引き起こしていく。政府の取るべき対策は・・・

 

ポジティブ・サイド

≪重低音ウーハー上映≫および≪日本語字幕付き≫上映に行ってきた。そういえば、エアカナダの機内で英語字幕版も鑑賞していたんだったか。ブルーレイで3回鑑賞しているはずなので、通算では11回観たことになる。それでも2016年当時はテレビで「14回観た」とか「18回観た」とか、東京都内ではシン・ゴジラの感想を喋りまくれる喫茶店(的な店)が臨時オープンしたというようなニュースもあった気がする。それだけの熱量ある反応を生み出せる傑作であるとあらためて感じた。完全に時期外れなので、雑感レベルの落書きになるが、ご容赦を。

 

何よりも新ゴジラである。1954年のオリジナルの呪縛から解き放たれたと言うべきか、第一作を踏襲し、その上で乗り越えてやろうという気概を以って望んだ脚本家や監督はこれまでいなかったのだろう。庵野秀明はそれを希求した。そして異論は有ろうが、部分的にはそれを成し遂げた。戦争の爪痕や負の記憶が色濃く残る時代にゴジラという怪獣を送り込んだのと同様に、震災と津波、そして原発のメルトダウンにより大被害を被った2011年の記憶も生々しい時期に、ゴジラという怪獣が日本に現れたことには意味があるのだ。佐野史郎が震災直後に東宝の関係者に「作るなら今ですよね?」と進言したところ、「実はアメリカで作る話が先行しちゃってるのよ」と返されたという逸話を深夜番組で語っていたが、映画人の中にもゴジラのゴジラ性、すなわちゴジラは時代と切り結ぶ怪獣であるということをよくよく理解している方が存在することを知って心強く思った。

 

本作は震ゴジラでもあり、侵ゴジラでもあるだろう。不明な勢力からの侵略的行為に対して、この国の政府はどのように動き、またはどのような動きが取れないのかを、本作は徹底したリアリティ追求路線で明かしてしまった。はっきり言って『 空母いぶき 』製作者たち(原作者除く)は、本作を20回は観返して勉強した方が良い。

 

ハイライトのひとつであるタバ作戦の迎撃シーンも恐ろしい。何が恐ろしいかと言うと自衛隊の錬度。『 GODZILLA ゴジラ 』における米軍とは雲泥の違いだからである。いや、昭和から平成までのゴジラ映画において、自衛隊の攻撃の命中率はかなり悪かった。それは、子ども向けの怪獣映画だからでもあっただろう。しかし、本作の自衛隊は本物の自衛隊と見紛うばかりである。ヘリコプターの射撃やミサイル、戦車の砲火、長距離ミサイル、攻撃機からの爆弾(レーザー誘導弾なので当たり前の精度と言えるが・・・)が、一発たりとも外れないのである。ゴジラファンならばどうしても想像する、「もしもこれらの火力が、ゴジラをはずして、そこらの建造物に命中したら・・・?」と。おそらく武蔵小杉駅周辺はものの数分で瓦礫の山だろう。ゴジラだけに命中する火力の凄まじさを見せつけることで、ヤシオリ作戦のゴジラ固定プロセスが光る。この構成には唸らされた。

 

本作の描き方の特徴に両義性が挙げられる。「ゴジラを倒せ!」と「ゴジラは神だ!」と叫び合うデモ隊、日本政府に事前通告なく、いきなり攻撃機を送り込んでくる米政府に、日本の住民避難の時間の無さを心から憂う米大使館関係者、冷静沈着な矢口が激昂する瞬間に、ちゃらんぽらんにしか見えなかった泉が最も冷静さを保っていたこと、中盤のタバ作戦の迫真の戦闘描写&重厚なBGMと、終盤のヤシオリ作戦の漫画的戦闘描写&宇宙大戦争マーチ、陽のカヨコ・アン・パターソンに陰の尾頭ヒロミ、などなど枚挙にいとまがい。観るほどに発見がある。日本で大ヒット、海外ではおおむね酷評というのも、そう考えれば「らしい」結果と言えるのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ゴジラの血液サンプルは、蒲田さんから取れた。それは良い。しかし、鎌倉さんゴジラがタバ作戦を乗り越えて東京都心に侵攻、米軍のバンカーバスターで傷ついたゴジラは、背びれの一部を破損した。それも良い。しかし、その後にゴジラ自身が口から放射熱戦を大量に吐き出し、あたり一面を文字通り火の海にしてしまった。その時に、背びれ表面および中の血液も蒸発してしまうはずでは?自衛隊員のすぐそばにかなりの血液まみれの肉片が背びれから剥離して落ちてきたのは、やや不可解であった。

 

もう一つ、素人でも気になったのが鎌倉さんゴジラを上陸直前まで探知できなかったこと。現実の海上自衛隊や海上保安庁が総力を以ってすれば、易々と捕捉できるはずだ。『 ハンターキラー 潜航せよ 』を思い返すまでもなく、水は空気よりも音をよく伝える。日本中の潜水艦およびソノブイをフル稼働させれば、上陸前に文字通り水際で作戦展開できたはずだ。リアル路線の中でも、ここだけはもう少し上手い言い訳を思いついて欲しかったと切に願う。

 

総評

今さらではあるが、本作は傑作である。2016年の日本アカデミー賞は本作と『 怒り 』の一騎打ちになると多くのメディアが予測していたが、蓋を開けてみれば本作の圧勝であった。それもむべなるかな。ゴジラファンのみならず、小出恵介やピエール瀧と再会したい映画ファンは、本作を観ると良い。というのは冗談であるが、シン・ゴジラは日本映画史に確実に残る一本である。怪獣というだけで敬遠するなかれ。本作を堪能できるかどうか。それが子どもと大人を見分けるためのリトマス試験紙になるはずである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, S Rank, ゴジラ, 大杉漣, 怪獣映画, 日本, 監督:庵野秀明, 監督:樋口真嗣, 石原さとみ, 竹野内豊, 配給会社:東宝, 長谷川博己, 高良健吾Leave a Comment on 『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

『 RBG 最強の85歳 』 -日本からは出てこない破天荒ばあちゃん-

Posted on 2019年5月30日2020年2月8日 by cool-jupiter

RBG 最強の85歳 70点
2019年5月27日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
監督:ベッツィ・ウェスト ジュリー・コーエン

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来年2020年は、アメリカ合衆国憲法修正第19条から100周年にあたる。だからこそ、ヒラリー・クリントンは大統領選に出馬したわけだ。『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』が遠因で落選したわけだが。2020年には20ドル札の表面にハリエット・タブマンがデビューする記念すべき年で、女性の社会進出およびそれを成し遂げる原動力になった人々を顕彰しようというムーブメントが起きている。ルース・ベイダー・ギンズバーグにフォーカスした『 ビリーブ 未来への大逆転 』もその一環だったわけである。

 

あらすじ

85歳という高齢でも、アメリカ合衆国最高裁判所の現役判事として活躍を続けるルース・ベイダー・ギンズバーグの人間性に迫るドキュメンタリー。彼女はいかにして法律家となり、女性差別撤廃の先鞭をつけ、現代アメリカ社会のアイコンの一つにまで登りつめたのかを活写する。

 

ポジティブ・サイド

『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも強調されていたことだが、RBGが輝かしいキャリアを築くことができたのは、女性の地位向上に固執したからではなく、男性が強いられる不平等の是正にも尽力したからだ。そのことが、本作ではよりクリアーに描かれている。平等というのは、もしかすると世界平和と同じくらいに達成が難しいのかもしれない。人はしばしば虐げられた状態から平等に扱われるようになったとしても、それ以上の待遇の是正を求めがちになるからだ。そのことはマルコムXの言葉、「白人は黒人の背中に30cmのナイフを突き刺した。白人はそれを揺すりながら引き抜いている。15cmくらいは出ただろう。それだけで黒人は有難いと思わなくてはならないのか?白人がナイフを抜いてくれたとしても、まだ背中に傷が残ったままじゃないか」によくよく表れている。白人を男性に、黒人を女性に置き換えてみても、この言葉に説得力があると感じるのはJovianだけではないはずだ。そして、アメリカ社会はオバマ大統領を誕生させたわけだが、彼が選択した統治の方針はマルコムXのそれではなく、RGBの(正確にはサラ・グリムキの)「私が同胞の男性諸氏に求めるのは、私たちの首を踏みつけるその足をどけてくれということ」という思想に添ったものだった。そして、そのことが黒人層の不満につながり、The Divided States of Americaを、つまりはトランプ政権の爆誕につながったのは皮肉であるとしか言いようがない。だが、だからこそRBGの現実的な感覚がなお一層強く支持され、求められるようになったとも言える。トランプ候補への彼女の苦言は、咎められはしたものの、この文脈で考えれば、必然的であったとも考えられる。

 

閑話休題。本作は、RBGの夫や子ども、それに過去の判例の関係者らの詳細な証言を集めることに成功している。特にビル・クリントン元大統領の回想シーンは、近現代のアメリカ政治史に関心を抱く者ならば必見必聴であると言えよう。彼女には彼女なりの信念があり、国家の柱石としての自負もある。彼女のワークアウトのシーンに、Jovianは思わずNHKの番組『 「素数の魔力に囚(とら)われた人々~リーマン予想・天才たちの150年の闘い」 』におけるルイ・ド・ブランジュ博士を思い出した。ドキュメンタリとしては、そこそこ面白いが、数学専門の大学生や大学院生に言わせると「色々なものを端折り過ぎ」た番組らしい。興味のある人はYouTubeで視聴してみてはどうか。

 

またまた閑話休題。RGBがどれほどのポップ・アイコンになっているかをまざまざと見せつけてくれる物まね芸人が登場するが、物まねの本質とは、目立つ特徴を適度に誇張することであることがよく分かる。完全なるコピーでは面白くないのだ。ユーモアとは対象と適切な距離を取ることで生じるが、物まねに思わず噴き出すRBGを観て、滑稽だと思うか、微笑ましく思うか。おそらくフローレンス・ナイチンゲールが現代に蘇り、自身の物まね芸人をテレビで観れば、後者の反応を見せるのではないか。象徴となったRBGと人間であるRGB。この二つの間の隔たりに思いを馳せてみれば、最近代替わりを経験した日本という国の象徴へ向ける国民の眼差しも、少しは違ってくるのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

RBGの妻として、そして母としての側面が強く打ち出されていたが、RBGと彼女自身の母親との関係を描くのに、もう少し時間を使って欲しかったと思う。彼女の強さは母譲りであり、また母の遺言通りなのだが、RBGという突然変異的な個体から全てが始まったのではなく、彼女の母やサラ・グリムキなどの運動家にも、もう少しだけ光を当てて欲しかったというのは望み過ぎだろうか。『 シンデレラ 』における母と娘の別離は、RBGから来たのではないかと思えてしまうぐらいのだから。

 

総評

ドキュメンタリとしては、『 サッドヒルを掘り返せ 』に次ぐ面白さである。女性が女性を差別して恥じないどこかの島国の政治家連中に強制的に視聴させてやりたい作品である。おそらくRBGも近い将来にアメリカ紙幣に載るだろう。そう確信させてくれる作品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ルース・ベイダー・ギンズバーグ, 監督:ジュリー・コーエン, 監督:ベッツィ・ウェスト, 配給会社:ファインフィルムズLeave a Comment on 『 RBG 最強の85歳 』 -日本からは出てこない破天荒ばあちゃん-

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