Jovianは小学1年生から高校3年生まで、『 ゴジラ 』映画シリーズと『 少年探偵団 』シリーズに耽溺していた。もちろんゴジラ愛や江戸川乱歩愛は今も変わらずに続いているが、流石に少年の頃のようなときめきは最早ない。しかし、今でも折に触れては観返し、あるいは読み返す。それがゴジラと少年探偵団である。Jovianの青春の二本柱の片方のゴジラ映画も何と34作品を数えるまでになった。もちろん、過激なゴジラファンは1998年のマシュー・ブロデリックverを今でも認めないらしいが、それも含めて、今一度ゴジラとは何かを、これまでのゴジラ映画に順位付けすることで考えてみたい。ゴジラ映画はアニメを除けば、どれも最低2回は観た。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』公開前に、今一度自分の頭を整理してみたいと思う。
34位 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年) 25点
私的には、これがワースト・ゴジラ映画である。いじめられっ子の一郎が夢の中でミニラと会話することで勇気づけられるというプロットは悪くない。だが、ミニラがガバラに立ち向かっていけるのは、後ろにゴジラが控えているからで、そこが一郎とは違う。肝心のゴジラの戦闘シーンも過去作の流用で、なおかつ本編プロットに誘拐犯まで絡んできて訳が分からない。なぜ一郎がここまで虐げられなければならないのか。誘拐犯といじめっ子、両方に立ち向かえというのは無理がある。ゴジラは常に時代の問題と切り結ぶ形で現れてくる怪獣だが、本作はそうしたメッセージも弱く、怪獣バトルシーンも全く盛り上がらない。非常に残念な作品である。
33位 怪獣総進撃(1968年) 40点
Jovianだけではなく多くの人が、キングギドラのことを「実は弱い」と思っているのではないか。キングギドラというゴジラ世界(のみならず怪獣世界 ex. モスラ世界など)における最も魅力的な敵キャラが、最もあっけなく退治されてしまうのが本作である。怪獣勢ぞろいのバトルは楽しいが、もう少しギドラという神々しいまでの敵キャラモンスターを輝かせてくれてもよいのではないだろうか。
32位 怪獣大戦争(1965年) 40点
これは非常に上質なエンターテインメント作品である。シェーが恐ろしく印象的であるが、ストーリーははっきり言って意味不明に近い。ラドンとゴジラを惑星間移送できるテクノロジーがあるのなら、ギドラぐらい何とかなるだろう。宇宙人と地球人のロマンスも、もう少し美しく描写する方法は模索できなかったのだろうか。
31位 GODZILLA(1998年) 40点
1998年のアメリカ版ゴジラである。ゴジラではなくジラと呼ぶべきかもしれないが、これもまたゴジラの一つの形だろう。最大の不満は劇場公開前にあれだけ「ゴジラがニューヨークで大暴れ!」と煽っておきながら、実際にニューヨークの街を一番ぶち壊したのは米軍だったところ。ゴジラの体温が低く、熱探知型の誘導弾が外れてしまうというのは、アイデアとしては斬新で面白い。しかし、ゴジラというのはミサイルやら爆弾やらを雨あられの如く食らってもケロッとしていなければならない。ミサイル数発で絶命してしまっては本当のゴジラではない。
30位 ゴジラ対メガロ(1973年) 40点
海底王国というところにロマンを感じないわけではないが、地上人の核実験に抗議する為にメガロを送り込んだら、核実験の申し子にして被害者のゴジラと鉢合わせというのは、何の皮肉なのだろうか。助っ人にガイガンを呼ぶのは Good idea だが、Jovianは何度観てもジェットジャガーが好きになれなかった。あの顔とエンディングの訳の分からない電波ソングが、どうにも苦手なのである。
29位 GODZILLA 怪獣惑星(2017年) 45点
アニメゴジラの記念すべき第一作。実験精神に満ちた作品であることは高く評価したい。
しかし、知恵を尽くしたとはいえ、通常兵器だけでゴジラを倒してどうする。劇場鑑賞中に釈然としない思いを抱いたことをよく覚えている。
28位 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年) 50点
これも怪獣大乱闘劇で本来はJovianの好みにぴったり合致するのだが、クライマックスの展開が『 モスラ対ゴジラ 』の二番煎じになってしまっている。ミレニアム・シリーズの中では珍しく、『 ゴジラ(1954) 』の直接の続編ではなく、『 ゴジラ×メカゴジラ 』の続編となっている。ならば新しい世界線に踏み出せば良いのだが、ここでもオリジナル・ゴジラに回帰すべく、メカゴジラ機龍の骨を海に返してしまう。さすがにこの頃になると、「次の展開を観たい」ファンと、「次の展開を思いつけない」東宝の図式が固まってしまっていた。
27位 ゴジラ×メカゴジラ(2002年) 50点
メカゴジラの暴走&東京破壊シーンは大スペクタクルである。しかし、メカゴジラによる破壊のオンパレードは既に見たし、『 ゴジラvsメカゴジラ 』のメカゴジラの方が確実にゴジラにダメージを与えていた印象がある。こちらのメカゴジラはその基盤にメカキングギドラを採用したのが失敗だったのかもしれない。平成ゴジラは、常に昭和ゴジラの影に付き纏われていたという印象が強く残る。
26位 GODZILLA 星を喰う者(2018年) 50点
アニメゴジラの第三作。とにかくギドラが動かない。予算が無いのは仕方がないが、それならそれで時間の流れを乱すような描写、物理法則を捻じ曲げるような描写をするべきだろう。非常に良い素材を個性派料理人に調理させたところ、好みがはっきり分かれる味に仕上がった。そんな印象である。
25位 GODZILLA ゴジラ(2014年) 55点
記念すべきアメリカ版ゴジラのリブート、というかオリジナルを尊重しながらもアメリカ版として新たに生まれ変わったゴジラの物語である。非常に野心的な作品であったが、人間パートのドラマがイマイチ盛り上がらないところ、そして怪獣同士のバトルが今まさに始まろうとしている瞬間に次のシーンに切り替わるというイライラさせられる展開、そしてクライマックスのバトルが暗過ぎて劇場では何が起きているのかよく分からないという致命的な欠陥あり。DVDやブルーレイで明度調整をすれば見やすくなるが、劇場で見えにくければ、それは失敗作である。誠に惜しいと言わざるを得ない。
24位 ゴジラの逆襲(1955年) 55点
確かアンギラスやゴジラを数万年前の恐竜の変異したものと、劇中で説明していた。時代が時代とはいえ、めちゃくちゃな科学的知識である。クライマックスの飛行機の連続爆撃シーンは素晴らしいシークエンスに仕上がっているが、第一作の『 ゴジラ 』にあった空襲から逃げ惑う人々のメタファーは、本作には存在しなかった。
23位 メカゴジラの逆襲(1975年) 60点
モスラ以外に強風でゴジラを押さえ込めるのはチタノザウルスだけだろう。また、ゴジラに噛みついて、ブン回して、その巨体を空に向かって投げ飛ばすという離れ業を演じた。メカゴジラも、首をもぎ取られても動くという、ある意味でホラー映画的展開を見せてくれた。とにかく色々な意味で子ども心に強烈なインパクトを残してくれた作品。海に去っていくゴジラのイメージを決定づけたのは、おそらく本作ではないだろうか。
22位 ゴジラvsメカゴジラ(1993年) 65点
ゴジラの生物としての側面、すなわち子孫を残すところと、メカゴジラの非生物としての側面、すなわち攻撃だけに特化したところが、見事に激突する。ゴジラに電気を逆流させる能力や、あるいはラドンの助太刀がなければ、メカゴジラの完勝だったのではないか。実際にこのメカゴジラはラドンを一捻りした。そこでゴジラの敗北を阻止する要因になったのがベビーの存在であるところが奥深い。生命の神秘の一つの到達点としての怪獣と、科学技術の粋としてのメカゴジラの対比が映える。
21位 ゴジラ対メカゴジラ(1974年) 65点
こちらのメカゴジラも恐ろしいインパクトを残した。というよりもこちらが本家である。アンギラスを一蹴したり、石油コンビナートをド派手に爆発炎上させたり、本物のゴジラを徳俵まで追い詰めたりと、印象的な活躍を見せた。キングシーサーがアホみたいに長い歌を聞かせないと目覚めないところ、なおかつ目覚めてからもメカゴジラに歯が立たないところが減点対象か。
20位 GODZILLA 決戦機動増殖都市(2018年) 65点
アニメゴジラの第二作。頼れる存在であり、邪悪な存在でもあったメカゴジラを、全く違う角度から捉え直した。ナノメタルを材料としたシティ(というか基地)全体がメカゴジラという新解釈は、確かに面白い。メカゴジラは敵でもあり味方でもあり、味方である時も勝手に暴走したりする面が見られたが、今作はそのような敵味方の境目を超越したかのようなメカゴジラが見られる。メカゴジラは善悪の彼岸に存在するのである。
19位 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年) 65点
ガイガンがとにかく Cool なのである。悪役の雰囲気をぷんぷん漂わせているからである。ガイガンがキングギドラと共に地球の空をくるくる旋回するシーンは小学生の時に観て、ものすごく興奮したことを今でもはっきり覚えている。侵略的な怪獣から、ゴジラが地球を守るという伝統的なプロットは本作から始まったのではなかったか。プロレス的タッグチームマッチは見応え抜群である。
18位 ゴジラvsモスラ(1992年) 65点
フィリピン沖の海底火山に沈んだゴジラがマグマの流れに乗って富士山の火口から登場するというエクストリームにも程がある超展開。「奴は我々の常識が通じる相手じゃないんだ」という台詞が、これまでの、そして今後のゴジラの超耐久力を見事に説明してくれている。一発で幼虫から成長に変身するバトラや、その成虫バトラの観覧車アタックなどが特に印象的。
17位 ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) 65点
宇宙人そして2000年問題をも絡めた作品である。ゴジラをあっさりと退けてしまう不気味な宇宙船、そして阿部寛が主導する対ゴジラ兵器、民間人によるゴジラ観測と、エンターテインメント要素が詰まっている。佐野史郎の言う、「ゴジラ、お前は何者なんだ?」という問いは多くのゴジラファンの胸に響いていることであろう。
16位 ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) 65点
ラドン世界のメガギラスがゴジラ世界に移籍してきて大活躍するのが非常に印象的。また、数多あるゴジラ世界の超兵器の中でも群を抜いたテクノロジーであるディメンジョン・タイドには、「本当にゴジラを消滅させてしまうのか?」という期待感と不安感があった。ゴジラのフライング・ボディ・プレスが炸裂する怪獣プロレス劇と、シン・ゴジラさながらのポリティカル・サスペンス要素を両立させた佳作。
15位 キングコング対ゴジラ(1962年) 70点
確か小学1年か2年の頃に、母方の祖母の家の白黒テレビで見た覚えがある。祖母の家にはカラーテレビと白黒テレビがあったが、子どもは白黒を観るように言われていたんだったか。長じてからも何度か見たが、テレビ屋が視聴率至上主義であることは時代を通じての普遍の真理のようである。ゴジラとキングコングのプロレスバトルの中でも、パペットゴジラの飛び膝蹴りが特に印象的だ。
14位 ゴジラ(1984年) 70点
冷戦時代の社会の空気を色濃く反映した作品。ゴジラが原子力発電所を襲撃し、恍惚とした表情で放射能を吸収するシーンがショッキングである。また、ソ連が核ミサイルを本当に発射したり、それが超上空で本当に爆発してしまうなど、怪獣映画の中でもかなりエクストリームな展開を見せる。人類の科学の粋である超兵器スーパーXと、火山という地球最大の自然エネルギーの組み合わせでゴジラに対抗しようという、非常に日本らしい哲学を反映させた作品でもある。
13位 ゴジラvsビオランテ(1989年) 70点
沢口靖子の棒読み大根演技が印象的。マッドサイエンティストをテーマにした作品は数多く生産されてきたが、人間、植物、怪獣(ゴジラ)の細胞をミックスしてしまおうというクレイジーなアイデアは一体全体誰が思いついたのだろうか。言ってしまえばリトル・ショップ・オブ・ホラーズ vs ゴジラなのだが、芦ノ湖に屹立するビオランテの神々しさと禍々しさを同時に宿した造形、そして地響きを上げながらゴジラに襲いかかり、ゴジラの腕を貫通するほどの破壊力を見せる触手の一撃などは、多くのゴジラファンに衝撃を与えたことは間違いない。
12位 ゴジラvsキングギドラ(1991年) 70点
経済大国日本が、未来において超経済大国となるという、笑えないプロット。しかし、ゴジラの起源をゴジラザウルスに求め、さらに兵器でも超兵器でもなく、タイムトラベルという全く異なるアプローチによってゴジラに対処しようとしたところが強く印象に残っている。日本を叩けるのはゴジラだけ、そのゴジラを叩けるのはキングギドラだけ、そのキングギドラを叩けるのはパワーアップしたゴジラだけ、そのパワーアップしたゴジラを叩けるのはメカキングギドラだけ、という具合に怪獣バトルの規模が際限なくレベルアップしていくことに、10代の頃とても興奮したのを覚えている。本作はキングギドラの起源を人間に求めているところがユニーク。同時に、ゴジラザウルスがゴジラになり、かつて旧日本兵であった土屋嘉男が至近距離でゴジラから熱戦を浴びて爆散するシーンは、劇場鑑賞したJovianの心にトラウマ級のインパクトを残した。
11位 ゴジラvsスペースゴジラ(1994年) 70点
柄本明と中尾彬、二人の「あきら」が渋い。MOGERAの強さがイマイチ伝わらないが、スペースゴジラの圧倒的なパワーと存在感を、人類とゴジラが共闘することで打ち破るカタルシスは、他では味わえない。三枝未希にハートを奪われた男子中高生はかなり多かったのではないかと思われる。
10位 モスラ対ゴジラ(1964年) 70点
モスラという人間に崇め奉られ、人間のために戦うという、怪獣界では異端の存在モスラがゴジラに挑む。はっきり言って勝負になるはずがないのだが、鱗粉や突風を駆使して互角の勝負になってしまうのだから面白い。また、成虫がゴジラに敗れると、幼虫が二匹がかりでゴジラに襲いかかり撃退してしまうところは、レンタルのVHSを見ながら文字通りに手に汗を握った。幼虫モスラの噛みつき攻撃もゴジラに確実にダメージを与えており、人類の通常兵器による攻撃はものともしないゴジラも、怪獣の攻撃にはダメージを受けてしまうという設定は、本作で確定したのかもしれない。
9位 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) 70点
『 エイリアン4 』のニューボーンの原形は、本作のミニラなのではないかと密かに疑っている。ミニラをいたぶるカマキラスを圧倒的なパワーで蹴散らしていくゴジラと、そのゴジラに一撃を食らわせるクモンガのバトルは、昭和ゴジラの中でもなかなかのハイレベル。しかし、本作はゴジラの子育てシーンが何と言ってもハイライト・リールである。げんこつを振るおうとするゴジラに、尻尾縄跳びするミニラを半ば呆れたように見つめるゴジラ。クライマックスで寄り添うように、抱き合うように、雪に埋もれていく二匹に、我々の心はじんわりと温かくなるのである。ゴジラの新たな一面を追求した味わい深い一作。
8位 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年) 70点
人間パートと怪獣パートの配分バランスが良い。というよりも、元々の企画がキングコングだったためか、美女に興味を示す、雷でパワーアップなど、ゴジラらしからぬ特性を示す。怪獣をコントロールする人間の愚かしさが、あっさりその怪獣に殺されてしまうところによく表れている。核兵器の開発にしてもそうだが、人間の業は時代を問わず深いもののようだ。そこにモスラを参加させることで物語全体のトーンが上手い具合に中和されている。世間の評判はいま一つのようだが、Jovianのお気に入り作品の一つ。
7位 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) 75点
ゴジラとラドンが喋った。衝撃である。いや、喋るだけではない。『 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 』でも、ゴジラとアンギラスが吹き出しで会話をしていた。問題は、その言葉の意味するところである。子ども心にゴジラの「人間はいつも俺たちを苛めている」という言葉にショックを受けたことは今でもよく覚えている。この言葉は幼いJovianに二重の意味で衝撃を与えた。一つには、怪獣>>>人間という強さの序列の感覚が破壊されてしまったこと。もう一つには、ゴジラという怪獣が人間らしい感性の持ち主であったということだ。ゴジラは時代と切り結ぶ存在、様々な意味を未分化なままに内包する象徴的な存在であったが、本作で人間らしさをも獲得した。賛否がはっきり分かれるであろう作品であるが、Jovianは賛である。そうそう、ラドンがキングギドラを体当たりで撃墜するシーンは、数ある怪獣映画のアクションシーンの中でも白眉である。
6位 ゴジラ FINAL WARS(2004年) 80点
人間パート=バトル、怪獣パート=バトル。もう全てがバトルで、哲学やメッセージ性などをお構いなしの娯楽120%作品。ケイン・コスギにドン・フライをキャスティングしているところから、演技で見せる意図はゼロであることは明らか。全ては演出である。ゴジラが過去作に登場した怪獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていく疾走感と爽快感は30作を超えるシリーズ作品の中でも間違いなくトップクラス。
5位 ゴジラvsデストロイア(1995年) 80点
オープニングのタイトルシーンが物語を全て語っている。バーニング・ゴジラの暴威と最強デストロイアの激突、そこに参戦する人間勢力の三つ巴大合戦はまさに世紀末的な様相を呈している。「これで、我々の来年の予算はゼロだな。来年があればの話だが」の名セリフを淡々と吐く黒木特佐がひたすらに渋い。進化する生物の強かさ、核の恐怖、人間と怪獣の共闘など、シリーズの醍醐味の全てが詰まっている。ゴジラの終わりと始まりを同時に描く、記念碑的傑作。
4位 ゴジラ対ヘドラ(1971年) 80点
個人的に最も好きな作品。レンタルビデオで初めて視聴した時、人間が白骨に変わる瞬間、さらにはゴジラの片目を潰し、片腕を溶かすというゴジラ史上最大級のダメージをゴジラに与えたことにショックを受けた少年少女は多かったに違いない。Jovianもその一人だった。また一千万人単位で人が死ぬという、天変地異を超えるダメージを列島にもたらしたヘドラが、単なる公害の象徴にとどまらないところもポイント高し。なぜ猫は助かり、人間は死んだのか。ヘドラの歌の「か~えせ~」が英語版では“Save the Earth”になっているところが興味深い。ヘドラは宇宙からやってきた侵略怪獣ではなく、地球が呼び寄せた救世主だったとの解釈も成り立つわけである。怪獣バトルあり、人間の参戦あり、哲学的なメッセージの発信ありと、個人的に大満足の一作。
3位 ゴジラ(1954年) 85点
言わずと知れたオリジナル。白黒でありながらも、そのリアリティに圧倒される。小学生たちが歌う鎮魂歌、「もうすぐお父さんに会えるよ」と言いながら、従容として死んでいく母と娘、ゴジラの襲来に逃げ惑う人々に姿に、何をどうやっても戦争の災禍に思いを馳せずにはいられない。当たり前だ。戦争終結から10年と経たないうちに、戦争をその身で知る人々によって作られたのが本作なのだ。10分ほどだろうか、ゴジラがただひたすらに東京の街や建物を破壊していく様に、理不尽な暴威への怒りや無念が湧いてくるが、一方で山根博士は「なぜ皆、生物としてのゴジラを理解しようとしないんだ」と呟く。マッドサイエンティストの言にして、真っ当な科学者としての言でもあろう。怪獣は基本的には災害や戦争の象徴だが、生存本能に従う巨大な生物であるという視点が第一作の段階で見られることに驚かされる。『 ジョーズ 』は駆除の対象になるが、鮫に尋ねれば「俺はただ生きているだけだ」と言うことだろう。怪獣を戦争のメタファーであると同時に、畏怖すべき動物という極めて日本的な視点をも内包している。オキシジェン・デストロイヤーという、ある意味で核兵器以上の威力を持つ武器を持つこと、それを使うことへの逡巡も非常に日本的である。白黒映画と侮るなかれ。邦画の到達点の一つである。
2位 シン・ゴジラ(2016年) 90点
社会現象にもなった一作。Jovianも劇場で7回観た。近く8回目を観に行く予定である。これまでに散々繰り返されてきた第一作の続編という作りではなく、全く新しいゴジラ誕生の物語という点がまず目を引く。そのうえで、『 ゴジラ(1984) 』と同じく、上質なポリティカル・サスペンスに仕上がっている。本作の特徴として、ゴジラの質感、存在感、迫真性を生み出すために、様々なショットを駆使していることが挙げられる。例えば、鎌倉さんゴジラが家屋をパッカーンと蹴り上げるシーン、悠然と大地を闊歩するゴジラを車から見上げるシーン、そして逃げ惑う人々の遠景に小さく、しかし確実に接近してくるゴジラが確認できるシーンなど、まさに「神は細部に宿る」ことを実感させてくれる。自衛隊の火力を総結集させたかのようなリアルな描写を中盤に持ってくることで、最終盤のトンデモ作戦を受け入れられるようになっている。これも緻密な計算の賜物。新ゴジラ、真ゴジラ、神ゴジラ、進ゴジラ(松尾諭)、芯ゴジラ(石原さとみ)などと様々に解釈されているが、Jovianは震ゴジラおよび侵ゴジラという漢字をあてたい。問答無用の大傑作である。
1位 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) 90点
シリーズ全作品を通じて、唯一の白目オンリーのゴジラ。ゴジラの目には、愛らしいもの、恐ろしいもの、こちらの理解を拒む爬虫類的なものなど様々なものがあったが、この白目のゴジラが最も不気味な存在であるように思う。今作はゴジラを非常に複雑な悪の権化として描く。というのも、先の戦争で亡くなった旧日本兵の霊魂がゴジラに乗り移っているからだという、非常に屈折した説を採用しているからだ。ゴジラは戦争のメタファーとして描かれることが多かったが、英霊のメタファーであるとの解釈は本作が最初にして最後であろう。自衛隊を蹴散らし、護国聖獣を一体ずつ撃破していくゴジラの圧倒的なまでの破壊の化身としての姿は、メメント・モリ、死を忘るるなかれとの教訓を観る者に思い起こさせる。日本がアジア諸国で振るった猛威と暴威が、そのままゴジラの姿で現代日本に蘇ってくることは、取りも直さず靖国の英霊を無条件に賛美する政治家連中への痛烈な批判に他ならない。そう思えてならない。本作は、お仕事ムービーでもある。各人が各様に各々の仕事をこなしていく姿を描き出す。ある者は虚構を報じ、ある者は虚飾を虚飾で糊塗する。しかし、ある者は真実を伝えんとし、ある者は命を捨てて使命を完遂せんとする。それこそがゴジラを複雑な悪の権化と評する所以である。ゴジラは破壊の限りを尽くす悪逆無道の怪物であるが、ゴジラはゴジラとしての使命を果たそうとしているに過ぎないのかもしれない。護国の聖獣も、無辜の日本国民を殺しながらも、ゴジラを撃退せんとして戦う。単純に善と悪の戦いと人間の理屈で割り切れない怪獣同士の戦いを本作は強烈なインパクトとメッセージで以って描出する。異論は多々あろうが、Jovianはゴジラ映画の私的ナンバーワンとして、本作を強く推したい。