Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 日本

『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

Posted on 2021年12月30日 by cool-jupiter

モスラ 80点
2021年12月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フランキー堺 小泉博 香川京子
監督:本多猪四郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211230222121j:plain

ゴジラが唯一まともに勝利したことのない怪獣、それがモスラである。Monsterverseでも怪獣の女王と崇め奉られるなど、誕生から50年以上が経過しても存在感はいささかも薄れない。4Kデジタルリマスターで上映されるというのでチケットを購入。

 

あらすじ

台風のために太平洋上で座礁した第二玄洋丸の船員は、船を捨てて脱出する。その後、水爆実験によって放射能汚染されたインファント島から救出されるが、船員らには放射能汚染の症状は一切なかった。「原住民に飲ませてもらった赤い液体のおかげ」という言葉から、インファント島行きの調査団が組まれる。調査団に同行した新聞記者の福田(フランキー堺)と中条博士(小泉博)は、島で不思議な小美人に遭遇し・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211230222140j:plain

ポジティブ・サイド

小学4年生ぐらいにVHSで観た時以来である。平成モスラシリーズの作品はいずれも2回鑑賞しているが、本家本元はなかなか再鑑賞できていなかった。午前十時の映画祭に感謝である。

 

昭和ゴジラシリーズに通底していた「時代と向き合う」という姿勢が本作でも明確だった。本多猪四郎が監督なのだからそれも当然か。第二玄洋丸は第五福竜丸を下敷きにしているのは明白である。その第二玄洋丸の座礁の原因が台風というのも寓意的である。初代ゴジラの大戸島での登場もそうだが、怪獣とは大自然の脅威の実体化なのだ。わざわざ台風の瞬間最大風速が80メートルなどと表現するのは、モスラという大怪獣がもたらす大旋風は、まさに台風なのだと言いたいからだろう。

 

小美人を発見したネルソンが、彼女らを捕獲して見世物小屋をプロデュースするというのも時代を表していると言える。昭和のど真ん中の江戸川乱歩の小説には、しばしば見世物小屋や、それにインスパイアされたと思しきパノラマが登場する。人権意識もなにもないが、『 キングコング 』も元々は見世物にされるためにアメリカに連れてこられた。当時の日本人が小美人を観るために長蛇の列を作ったというのは大いにありうる話である。悪役ネルソンを見事に演じきったジェリー伊藤は素晴らしい。

 

それに対するは新聞記者と学者。学者が主人公というのは初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラvsデストロイア 』、怪獣ジャンル以外でも『 夏への扉 』や『 ダ・ヴィンチ・コード 』などいくらでも思いつく。ジャーナリストが主役の映画となると、『 プライベート・ウォー 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』、変化球では『 スーパーマン 』もあるが、邦画では『 新聞記者 』ぐらいしか思いつかない。メディアと学問に信を置ける時代があったのだなと感じる。同時に髑髏島やインファント島といった未知なる土地がなくなり、誰もがミニコミとして自由に情報を検索し、かつ発信できる時代に、メディアは何をすべきかを本作は描いている。それは人々の良心に訴えかけることである。また学者とは問題を解決する手段を見出す者であることも本作は描き出している。この50年で日本が得たもの、そして失ったものがありありと見えてくるではないか。

 

モスラが東京タワーを折って繭を作るシーンは美しいと同時に、当時の時代背景がしのばれて興味深い。ちょうど石原裕次郎が銀幕のスターからテレビのスターに変貌する時期で、本多猪四郎らの映画人からすれば、東京タワー=地上波テレビという図式が成立したのだろう。こういう社会批評と個人の意志表明とエンタメ性を同時に追求する試みは、高く評価されねばならない。

 

それにしてもフランキー堺の軽妙さの中に見えるプロフェッショナリズムは素晴らしいと思う。スッポンの善ちゃんは言い得て妙で、いつでもどこでも記者魂は忘れないし、体を張って闘うときは闘う。結構長めのアクションもワンカットでこなすなど、フィルム撮影の時代の俳優のプロ根性が垣間見えて良かった。

 

モスラが中盤以降にもたらす破壊の数々も味わい深い。ニューカーク市街地をただ単に飛ぶだけで蹂躙してしまう。もちろん壊れているのはミニチュアだが、これを汗水たらして作った人々、そしてモスラを操演した人々の姿が浮かんでくる。こういった特撮にはCGで出せない質感、リアリティがある。製作者側はミニチュアの出来に満足していなかったと言うから、どれだけ本物志向だったのか。流れ作業的に映画を作っている今の”職業”映画監督たちには昭和の古き良き映画に時々立ち帰ってほしいと願う。

 

初代モスラは明確に人類の味方ではないという描写も今の目で見れば新鮮だった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のマイケル・ドハティ監督は、怪獣=自然の回復力の象徴として描いたが、現代人は自然を保護するものと考えすぎなのかもしれない。SDGsはその好例だろう。モスラにしろ小美人にしろ、本来いるべき場所から遠ざけてはいけないのである。自然保護をしなくてもよいと主張しているわけではない。自然を利用するにしろ保護するにしろ、人間の力で自然を何とかできると考えてしまうのはいささか傲慢にすぎるのではないかというアジア的な価値観をもう一度見つめ直そうというだけである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211230222158j:plain

ネガティブ・サイド

ロリシカから提供された兵器が謎すぎる。普通に自衛隊と米軍のアライアンスでモスラに攻撃をする、で良かったのではないだろうか。ロリシカもアメリカで良かったのでは?なにかロシアとアメリカを足したような名前で、この架空の国家は少々奇異すぎるように思えてならない。

 

人類が怪獣とコミュニケーションが可能というのは、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でも重要な設定となったが、インファント島原住民の野生のダンスと歌ともっと直接的な関連のあるコミュニケーション方法が望ましかった。キリスト教の影響を色濃く受けたコミュニケーションというのは、東宝、つまり日本の生み出した怪獣にはそぐわないと思う。

 

総評

初代『 ゴジラ 』に次ぐ怪獣映画の原点で、会社は違うものの人間の味方をする『 ガメラ 』という大怪獣にも与えた影響は大きいと思われる。手作りでしか出せない味わいが随所に感じられる。怪獣映画でありながら、人間賛歌ともなっており、本作をあらためて鑑賞することによって勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

know right from wrong

善悪/正邪の区別がつく、の意。right or wrong ではないので注意。小美人は「モスラに善悪の区別はありません」と言っていたが、それを訳すならこの表現が使われると思う。

Even very young children know right from wrong. 
小さな子どもでも善悪の区別はつく。

You are old enough to know right from wrong.
君はもう善悪の分別がついてしかるべき年齢だ。

のように使う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 1960年代, A Rank, フランキー堺, 小泉博, 怪獣映画, 日本, 監督:本多猪四郎, 配給会社:東宝, 香川京子Leave a Comment on 『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192234j:plain

『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192250j:plain

ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211227192305j:plain

ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

Posted on 2021年12月4日 by cool-jupiter

彼女が好きなものは 75点
2021年11月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:神尾楓珠 山田杏奈
監督:草野翔吾

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003321j:plain

Jovian一押しの山田杏奈出演作品。原作小説はタイトルだけは聞いたことがあった。キワモノ作品と思いきや、骨太の社会は作品であった。、

 

あらすじ

高校生の安藤(神尾楓珠)はゲイで、同性の恋人もいるが、親も含めて周囲にはカミングアウトできずにいた。ある日、書店を訪れた安藤は、クラスメイトの三浦(山田杏奈)がBL好きであること知る。三浦は口止めを頼むが、安藤には一つの思惑が生まれて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003353j:plain

ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』は国内でも大ヒットし、民族的なマイノリティかつ性的なマイノリティの味わう孤独や疎外感は広く日本人も共有されるようになった。NHKでも定期的に障がい者やLGBTQへの理解を広げるような番組が製作・放送されるようになっており、ゆっくりとではあるが確実に包括的な社会という方向に進んでいるように思える。本作のリリースのタイミングはドンピシャだろう。

 

冒頭から濃厚な濡れ場である。ある意味、『 怒り 』の綾野剛と妻夫木聡の絡み以上のラブシーンである。このおかげで本作がタイトルもしくは原作タイトルが予感させるユーモラスな物語にならないことが一発で伝わった。

 

主演の神尾楓珠はどこかジャニーズ風、あるいは山崎賢人や北村匠海を思わせるビジュアルながら正統派の演技派俳優。濡れ場だけではなく、普通の高校生としての感情も存分に表現した。初めての性体験にウキウキしてしまうところ、母親に対してどこかよそよそしくなってしまうところなど、普通の男子高校生らしい振る舞いの一つ一つが、彼が普通の人間であり、なおかつ普通であることをだれよりも強く渇望している人間であることを雄弁に物語る。これがあることで、終盤の病院のシーンでの偽らざる心境の吐露に、我々の心は激しく揺さぶられる。監督の演出の力もあるのだろうが、これは役者本人の character study が成功したのだと解釈したい。

 

山田杏奈も魅せる。2021年に最もブレイクした若手女優であることは疑いようもない。『 ひらいて 』では同性相手のベッドシーンを演じ、異性相手にも自ら脱いで迫るという演技を披露したが、今作でも初々しいキスからの勢いでのセックスシーンに挑戦。本番やトップレスのシーンはないのでスケベ映画ファンは期待するべからず。しかし、永野芽郁や橋本環奈が絶対にやろうとしない(あるいは彼女らのハンドラーが絶対にさせない)シーンを次々と軽々と演じていく様には敬服する。体育館での長広舌は、近年では『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良の体育館でのシーンに次ぐ名場面になったと感じる。

 

本作についてはプロットには一切触れない方がよい。腐女子であることを隠したい女子高生と、ゲイであることをカミングアウトできない男子高校生の、不器用だが清々しい恋愛ものだと思い込んで鑑賞した方が、物語に入っていきやすく、なおかつ大きなショックを味わえることだろう。渡辺大知演じるキャラはノンケのある意味での無邪気さが、いかに無遠慮であるかということを突きつけてくるし、安藤の親友が、そのまた友達から言われた一言に何も言い返せなくなるシーンも、観る側の心に突き刺さってくる。だが、我々が最も学ぶべきなのは「お前らのチ〇コなんか見ねーよ」という安藤のセリフだろう。ゲイからノンケを見て、異性とは全て恋愛対象、あるいは欲情の対象だと映っているだろうか。もしも自分が同性のゲイに見られて気持ち悪いと感じるならば、自分が異性をどのように見ているのかについて、一度真剣に思いを至らせたほうがよい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003411j:plain

ネガティブ・サイド

ペーシングにやや難ありと感じる。終盤の衝撃的なシーン以降は、かなり語り口が遅くなったと感じた。特に安藤のTwitterつながりの友人との展開は、もっとテンポよく進められたのではないかと思う。

 

教室でのディスカッションのシーンが空々しかった。役者の卵たちに喋らせているのだろうが、それこそ本物の高校生を連れてきて、『 真剣10代しゃべり場 』みたいな絵を撮り、それを上手く編集した方がリアリティがあっただろう。どこか優等生的な言葉を発する役者よりも、自分の感覚を素直に言語化する10代の方が、本作を本当に観るべき世代に近いはずで、そうした自らと合わせ鏡になるような存在を作品中に見出すことで、現実社会の中に確実に存在するLGBTQとの交流に何か生かせるようになるのではないかと思う。

 

総評

タイトルだけなら『 ヲタクに恋は難しい 』と同様の香ばしさを感じるが、あちらは超絶駄作、こちらは標準をはるかに超える水準であり、比較にならない。Jovianも授業を持たせてもらっている大学のプレゼン英語の授業でSDGsをテーマにした際、多くの学生が「ジェンダー平等」を挙げた。その際に、『 glee/グリー 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』を理解促進の助けに挙げた学生がいたが、彼女は本作も「観るつもりです」と言っていた。ぜひ10代20代の若者たちに観てほしいと心から思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

choose A over B

BよりもAを選ぶ、の意。作中のあるシーンで、重要キャラが二択を問われるシーンがある。そんな時には choose を使おう。この語は初習者には見慣れないかもしれないが、名詞は choice = チョイスである。これなら日本語にもなっている語で、なじみ深いだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 山田杏奈, 日本, 監督:草野翔吾, 神尾楓珠, 配給会社:アニモプロデュース, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

『 土竜の唄 FINAL 』 -堂々の完結-

Posted on 2021年11月24日2021年11月24日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211124220409j:plain

土竜の唄 FINAL 65点
2021年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:生田斗真 鈴木亮平 堤真一
監督:三池崇史

 

生田斗真の渾身のコメディシリーズが堂々の完結。ナンセンス系のギャグやら、そのCMネタはOKなのか?という瞬間もあったが、物語の幕はきれいな形で下りた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211124220423j:plain

あらすじ

潜入捜査官、通称モグラとして会長・轟周宝逮捕のため数寄屋会に潜入した菊川玲二(生田斗真)は、順調に出世し、系列組の組長・日浦、通称パピヨン(堤真一)と義兄弟になっていた。そんな時、数寄屋会がイタリアのマフィアから大領の麻薬を仕入れるとの情報が入る。同時に、周宝の息子・レオ(鈴木亮平)が海外から帰国してきて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211124220438j:plain

ポジティブ・サイド

もう冒頭から笑わせに来ている。生田斗真の裸と、見えそうで見えない局部のハラハラドキドキを楽しむというお下劣ギャグ。そこに『 シティーハンター 』並みのモッコリも披露。とことん笑わせてやろうというサービス精神。

 

続く銭湯のシーンも馬鹿馬鹿しいことこの上ない。カモメにつつかれた玲二の局部を3馬鹿上司どもがしげしげと眺める図はまさに漫画。でかい声でこれまでの物語のあれこれをご丁寧に語ってくれるのは、シリーズを追いかけてきたファンへのサービス。しかし、銭湯というのは基本的に裸で、その筋の人かどうかがすぐに分かる場所。さらに入場制限さえしてしまえば、部外者は入りえず、その意味では堂々と警察が捜査の話をするのはありなのだろうと感じた。

 

『 孤狼の血 LEVEL2 』で我々を震え上がらせた鈴木亮平が、やはり剛腕でヤクザの世界でのし上がっていく。登場シーンこそギャグだが、やっていることは『 仁義なき戦い 』に現代の経済ヤクザの要素を足して、さらに『 ザ・バッド・ガイズ 』並みの国際的なスケールで描くノワールものでもある。ストーリーそのものが壮大で、なおかつテンポがいい。

 

『 カイジ ファイナルゲーム 』と同じく、過去作の登場人物たちも続々と登場する。特に岡村は前作同様の超はっちゃけ演技で、個人的には岡村隆史の映画代表作は『 岸和田少年愚連隊 』から、本シリーズになったのではと思う。

 

悪逆の限りを尽くすレオと、それを追う玲二との対決は漫画とは思えない迫力で、しかし漫画的な面白味やおかしさがある。三池監督はヒット作の追求に余念がない御仁だが、最近はそのキレを取り戻しつつあるようである。

 

パピヨンとの義兄弟関係、純奈との交際関係、そうした玲二というキャラクターの重要な部分もしっかりと掘り下げられていく。玲二というキャラクターのビルドゥングスロマンであり、生田斗真のこれまでのキャリアにおいてもベストと言える熱演である。佐藤健の代表作が『 るろうに剣心 』シリーズであるなら、生田斗真の代表作は『 土竜の唄 』シリーズである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211124220454j:plain

ネガティブ・サイド

土竜の唄のラップversionは感心しない。あのわけのわからないリズムでオッサンたちが歌うから面白かったんだがなあ。

 

ポッと出てきた滝沢カレンであるが、いくらなんでも大根過ぎるだろう。一応、テレビドラマや映画にいくつか出演歴があるらしいが、あの身のこなしや喋りは、とうてい演技者と言えない。悪いが、モデル業やタレント業に精を出すべきで、映画の世界からはさっさと足を洗ってほしい。

 

元々の警察の標的だった岩城滉一が、劇中で息子のレオに跡目相続させようとしていたが、俳優の岩城自身が残念ながらヨレヨレである。もっと年上の石橋蓮司などが矍鑠として頑張っているのだから、生田や鈴木、堤真一らをも食ってしまうような場面を一つでも二つでもいいから作って欲しかった。

 

唐突に某CMのセリフが出てくるが、この選択は「ありえない」でしょう。その時々の社会的な事件や事象を取り込んだり、先行作品や類似作品と間テクスト性(Intertextuality)を持たせるのはOKだが、CMのキャッチフレーズというのはどうなのだろうか。ケーブルテレビやWOWOWなどの有料チャンネルというのは基本的にCMから逃れたい人向けのサービスだ。映画も同様に安くないチケット代を払っているのだから、「作品そのもの」を鑑賞させてほしい。

 

総評

近年の三池作品の中ではまずまずの出来栄えだろう。ユーモアとシリアスの両方がほどよくブレンドされていて、笑えるところは笑えるし、シリアスな場面では胸が締め付けられそうになる。クドカンも脚本に当たりはずれが多いが、本作に関しては安心していい。生田斗真ファンならずとも、菊川玲二というキャラの生き様を見届けようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

undercover

カバーの下ということから「覆面の」、「正体を隠した」のような意味。潜入捜査官のことはundercover agentと言う。コロナが終わったら、元大阪府警であるJovian義父に、本当に警察は「モグラ」という隠語を使うのか尋ねてみたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, コメディ, 堤真一, 日本, 生田斗真, 監督:三池崇史, 配給会社:東宝, 鈴木亮平Leave a Comment on 『 土竜の唄 FINAL 』 -堂々の完結-

『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

Posted on 2021年11月21日 by cool-jupiter

死神の棋譜 75点
2021年11月16日~11月19日にかけて読了
著者:奥泉光
発行元:新潮社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211121010734j:plain

奥泉光とJovianは並木浩一という共通の師を持つ。その縁もあって、奥泉宅のクリスマス会に過去に二度ほど招かれたことがある。そんな大先輩が上梓した一冊を、藤井聡太の竜王戴冠の軌跡に合わせて読んでみた。

 

あらすじ

元奨励会員の夏尾は神社で不可解な矢文を見つけた。そこには不詰めの詰将棋の図面が結ばれていた。その後、夏尾は謎の失踪を遂げる。将棋ライターの北沢は、かつて存在したとされる棋道会と謎の不詰めの図面、そして夏尾の失踪の謎を追うが・・・

 

ポジティブ・サイド

阪神大震災翌年の羽生の七冠フィーバーも凄かったが、今の藤井フィーバーはそれ以上かもしれない。将棋は漫画になり、アニメになり、小説になり、映画にもなってきたが、ほとんどは「青春」というジャンルに分類されてきたように思う。そこへミステリである。しかも書き手は虚々実々の手練手管で、読者を常に虚実皮膜の間に落とし込んできた奥泉光である。

 

事実、本書の物語は常に現実と虚構の間を行き来する。奥泉小説の特徴であるが、主人公の経験する事象が、現実なのか非現実なのかがはっきりしない。夏尾という夢破れた男の悲哀、その後の人生は、大崎善生の『 将棋の子 』を思い起こさせる。つまり、それだけリアリティがある。一方で、夏尾がたどり着いた龍神棋は、大山康晴が若かりし頃に修行の一環で取り組んだとされる中将棋のイメージが投影されているし、その龍神棋という狂気の世界は、かつて米長邦雄や羽生善治が語った「読み続けていくと、そこから帰ってこれなくなる狂気の世界」のイメージも投影されているように感じた(ちなみに、将棋の読みの狂気の領域に到達してしまった棋士としては加藤一二三が挙げられるのではないかというのがJovianの私見である)。

 

磐というのが本作のキーワードの一つであるが、これは天照大神の岩戸隠れ伝説を下敷きにしているように思えてならない。遥か地の底、闇の底で、夏尾と北沢が指す龍神棋の圧倒的なイメージとビジョンは奥泉ならではの筆力。この場面だけは棋譜と読み筋が詳述されるが、おそらく将棋初心者にとっても全く気にならない迫力。ぐいぐいと引き込まれる。

 

同じく北沢と女流二段・玖村の爛れた関係も読ませる。「将棋に負けることは少し死ぬこと」というのは、まさに勝負師の言であるが、実際に現・将棋連盟会長の佐藤康光は対極に負けた悔しさで泣くことがあるというのを、先崎が著書でばらしていた。幼少の藤井聡太が谷川浩二との駒落ち対局で勝てなかったことで大泣きしたというエピソードも広く知られるようになった。とにかく将棋で負けるというのは、素人でもプロでも結構つらいものがあるのである。

 

昨今の将棋界の良い面も悪い面も意欲的に取り込んだ野心作である。Jovianは本書の最後で示唆される内容に怖気をふるった。すべては「ある人物」の読み筋であり、登場人物はすべて駒だったのか。それとも、その見方も「一局」なのか。もちろん、本作における本当の意味での真相は闇の中であり、それも奥泉流だろう。将棋ファンならば一読をお勧めする。

 

ネガティブ・サイド

兄弟子にネガティブなことを言うのは憚られるが、文人・奥泉光だからこそ棋道会や龍神棋を巡る物語に、愛棋家で知られた山口瞳や団鬼六のエピソードも盛り込んでほしかったと思う。

 

升田幸三や木村義男まで登場するが、将棋の磐の底、龍神棋という異形の世界を広さや深さを描き出すためには、それこそ時空を超えた描写があれば、もっと混沌とした世界を描けていたと思う。たとえば、天野宗歩や初代・伊藤看寿を登場させたり、あるいは女性の名人、もしくは外国人の名人を登場させるなど、現代の将棋界のイメージをぶち壊すような世界観が呈示されれば、ショッキングではあるだろうが、将棋の可能性を推し広げるビジョンになっていだろう。

 

総評

帯に「圧倒的引力で読ませる」とあるが、この惹句は本当である。特に112ページからは、ページを繰る手が止まらなくなる。奥泉ワールドに親しんできた人ならなおさらだろう。本書ではちょろっと藤井聡太も登場する。ライトな将棋ファンもディープな将棋ファンも、一番の関心は「藤井が谷川浩司の持つ最年少名人記録を更新できるか」であろう。おそらく達成するだろう。その時、本作の評価はもう一段上がるであろうと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drop

「落とす」の意味だが、将棋では「持ち駒を打つ」の意。Sota Fujii dropped a silver on 4 1. = 藤井聡太は41に銀を打った、のように使う。Habu’s amazing 5 2 silver drop is one of his most famous moves. = 羽生の52銀打ちは、彼のもっとも有名な指し手の一つである、のように名詞でも使う。将棋の英語解説に興味がある人はYouTubeでHIDETCHIと検索されたし。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 書籍Tagged 2020年代, B Rank, ミステリ, 日本, 発行元:新潮社, 著者:奥泉光Leave a Comment on 『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

Posted on 2021年11月7日2021年11月7日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107103717j:plain

そして、バトンは渡された 20点
2021年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 石原さとみ 田中圭
監督:前田哲

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102245j:plain

トレイラーを観て「なるほど、大体こういうストーリーのはずだが、どこかでひねりを入れてくるに違いない」と期待して、チケット購入。ひねりは全くなかった。感動の押し売りは結構である。

 

あらすじ

いつでも笑顔の優子(永野芽郁)は、血のつながらない父、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。これまでに苗字が4回も変わったことから、学校に友達もいない。ある時、優子は卒業式の合唱のピアノを担当することになる。そこで出会った同級生の早瀬のピアノ演奏に、優子は心を奪われて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102301j:plain

ポジティブ・サイド

みぃたんを演じた子役の稲垣来泉が印象に残った。子どもと動物は時々予想のはるか上を行くことがある。稲垣が演じることでみぃたんというキャラの健気さ、気丈さ、明るさ、そして憂げな感じが巧みに描出されていた。

 

田中圭は『 哀愁しんでれら 』とは全く違うテイストが出せていた。今後は『 アウトレイジ 』の椎名桔平のような武闘派ヤクザ役に期待。

 

一応、色々な伏線的なものがフェアに張られているところは評価したい(ちょっとあからさますぎだとは思うが)。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107102318j:plain

ネガティブ・サイド

 

以下、ネタバレあり

 

原作小説は未読だが、映像化に際してかなり改変されていることだろう。改悪と言うべきか。本というのは自分のペースでページをめくっていくことができるので、物語を自分なりに消化しながら進んでいくことができる。本作はペーシングの面でかなりの問題を抱えている。2時間17分の作品であるが、体感では2時間40分ほどに感じた。前半と後半でもっとメリハリをつければ2時間ちょうどにできたはず。『 いのちの停車場 』でも感じたことだが、削るべきは削らねば。

 

キャラの行動原理が色々と意味不明だ。大森南朋演じる最初かつ実の父親のあまりの無軌道ぶりに本気で怒りを覚えた。「家族なら俺の夢についてこい!」って、アホかいな。いや、夢を持つことは全然否定しないし、むしろ素晴らしいし応援したい。問題は、ブラジル行きを誰とも相談することなく決め、また勝手に会社も辞めてしまったこと。若気の至りで済ませられるものではない。また若気の至りと言えるような年齢のキャラでもない。普通に成熟したカップルでも、パートナーにそれをやられたらかなりの確率で破局だろう。それに梨花の病気のことを知っていながら、気候も食事も言語も文化も違うブラジルに移り住もうというのは、非人間的とすら感じる。手紙のやりとり云々を絡めて美談にしようとしているが、やってしまったことが社会人失格、家庭人失格なので、終盤の父親巡りで「はい、ここで感動してくださいよ」というシーンではひたすらに白けるばかりであった。

 

田中圭演じる森宮さんの価値観もおかしい。いや、森宮さんというか原作者や脚本家の思想かな。やたらと「俺は父親なんだから」と口にし、職場では損な役回りながらも真面目に働き、家では料理を始め家事もこなす。再婚することなく、女の影もなく、酒も断って、子育てに邁進する。それは美しい。けれど、それが全て「バトン」を渡すためって何やねん。優子はモノ扱いなのか。しかも、渡す先の男に優子も森宮もそろって「ピアノ弾け」って、音大なめてるやろ。芸術の分野で一回レール外れてから元に戻るのがどれだけ大変か。そこから音楽一つで食っていけるようになるのがどれだけ大変か。しかも預金たんまりの通帳を渡しておきながら「これから大変だぞ」って、思いやりなのか嫌味なのか。こんな風に感じるのはJovianがひねくれ者だからなのか。いやいや、優子自身も大手レストランをあっさり自分から辞めているわけで、料理人でも音楽家でも、一本立ちへの道のりは険しい。それを分かっていて、片方に甘く、片方に厳しいというのは、古い父親像と新しい父親像が悪い意味で混淆している。自分というものがない、単に物語を都合よく進めていくだけのデウス・エクス・マキナとしか思えなかった。

 

ストーリー以外の演出面でも不満が残る。ピアノにフォーカスするのなら、いっそのこと劇中BGMは全部ピアノにしてしまうぐらいの思い切りがあっても良かったのではないか。また優子がピアノを好きになるシーンの演出も弱く感じた。友達がピアノを習っているから、というくだりは不要であると感じた。母子家庭になってしまったことで、友達の親が「みぃたんとはあまり付き合っちゃいけません」的なことを言うシーンがあり、さらに傷心のみぃたんがピアノの音に癒され、ピアノを心底好きになる。そんなシーンが望ましかった。雨の中でピアノの音に合わせて踊るみぃたんはシネマティックだったが、ここをそれこそ『 雨に唄えば 』のジーン・ケリー並みにみぃたんを躍らせていれば、みぃたんにとってのピアノの意味がもっと大きくなり、そのピアノを弾く早瀬くんへの思慕も大きくなった。これならもっと説得力があった。

 

石原さとみの梨花という母親像の好き嫌いは言うまい。ただ『 母なる証明 』のキム・ヘジャや『 MOTHER マザー 』の長澤まさみのような強烈な母性があったかというと否である。母親であろうとする姿に絶対性がなかった。

 

総評

世間の評価がやたら高いが、これこそ典型的な感動ポルノでは?邦画の悪いところが全部詰まった作品にしか思えなかった。キャラの行動原理が、自分自身の思考や信念、哲学に基づいたものではなく、観る側を感動させるためには何が必要か、で決まっているように見えて仕方がなかった。まるで昔の徳光和夫の感動押し売り家族再会バラエティーを見ているかのよう。Jovianがひねくれているのか、それとも予定調和の感動物語の需要が高いのか。まあ、両方だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give someone away

someone =「誰か」だが、ほとんどの場合、ここには bride =「花嫁」が入る。『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』でソフィが、”Who’s gonna give me away?”というシーンがあったが、これは「結婚式の場で父が娘を新郎に手渡す」という意味である。ごく限定されたシチュエーションでしか使わない表現だが、知っておいて損はない。give ~ away は、「~をどんどん与える」というコアのイメージを押さえておけば、『 プラネタリウム 』でも触れた”Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.”の意味もすぐに類推できるはずである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 永野芽郁, 田中圭, 監督:前田哲, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

Posted on 2021年10月10日 by cool-jupiter

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 85点
2021年10月7日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一
監督:押井守

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211010152435j:plain

緊急事態宣言の解除は喜ぶべきことだが、明らかにノーマスクの人間や、あごマスクで飛沫を飛ばす人間も増えた。映画館好きとしては、以前のような人手の少なさや間隔を空けての崎瀬販売が望ましかったが、そうも言ってはいられない。ならば人が少ない時間帯を狙って、本作をピックアウト。

 

あらすじ

近未来。全身を義体化した公安9課の少佐こと草薙素子(田中敦子)はサイバー犯罪や国際テロと日々戦い続けていた。ある時、国際指名手配されている謎のハッカー「人形使い」が日本に現われ、草薙素子は相棒のバトーやトグサらと共に捜査に乗り出すが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211010152450j:plain

ポジティブ・サイド

新劇場版の『 攻殻機動隊 』はビジュアルからして「うーむ・・・」だったし、スカーレット・ジョハンソン主演の『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』は原作および本作にあった哲学的命題を完全無視していて、これまた「うーむ・・・」だった。そこで初代アニメーションの本作である。確か公開当時リアルタイムでは鑑賞できず、WOWOWで放送されたのを家族で観たんだったか。その後、大学の寮でもジブリアニメ研究にやってきたスコットランド人と一緒に観た。

 

3度目の鑑賞で最初に強く印象に残ったのは、バトーが素子に向ける視線。いや、視線を逸らすところと言うべきか。冒頭で素子がいきなり服を脱ぎ捨てるところからして面食らうが、その直後に素子の全身が義体であることを散々に見せつけられる。にもかかわらず、バトーは素子の裸から思わず目をそらす。確か高校生および大学生のJovianも、いたたまれなさを覚えたように記憶している。すぐそばに家族や友人がいたということもあるだろう、けれど、今の目で見て思ったのは「なぜバトーは全身サイボーグの素子の裸を観ることに羞恥心あるいは罪悪感を抱くのか?」ということである。

 

これは難しい問いである。一つにはバトーは生身の女性の裸に反応したわけではなく、女体という「記号」に反応したと考えられる。もう一つには、素子が恥じらわなかったということも挙げられる。素子の側が「見るな」という素振りを見せたり、あるいは言葉を口にしていれば、「でもそれって義体じゃねーか」という反論が可能になる。つまり、居心地の悪さを感じるのは自分ではなく素子の側となる。人間が人間であるためにはどこまでの義体化が許容されるのか。漫画『 火の鳥 復活編 』からの変わらぬテーマである。人間と機械の境目はどこにあるのか。生命と非生命の境界はどこなのか。全編にわたって、そのことが静かに、しかし雄弁に問われている。

 

生命哲学=命とは何かという問いは20世紀初頭から盛んに問われてきていたが、1990年代前半の時点で、インターネット=膨大な情報の海という世界観の呈示ができたのは、士郎正宗や押井守の先見性だと評価できる。若い世代には意味不明だろうが、Windows95以前の世界、PCで何をするにもコマンド入力が求められた時代だったのだ(その時代性は指を義体化させ、超高速でキーボードをたたくキャラクター達に見て取れる)。直接には描かれることはないが、ネット世界の豊饒さと現実世界の汚穢が見事なコントラストになっている。『 ブレード・ランナー 』と同じく、きらびやかな摩天楼と打ち捨てられた下流社会という世界観の呈示も原作者らの先見性として評価できるだろう。

 

本作が投げかけたもう一つの重要な問いは「記憶」である。自己同一性は「意識」ではなく「記憶」にあるということを、本作はそのテクノロジーがまだ本格的に萌芽していない段階で見抜いていた。現に人格転移ネタはフィクションの世界では古今東西でお馴染みであるが、1990年代においては西澤保彦の小説『 人格転移の殺人 』でもゲーム『 アナザー・マインド 』でも、移植・移動の対象は意識であって記憶ではなかった。だが、記憶こそが人格の根本であり、それを外部に移動させられるということが人類史上の一大転換点だったという2003年の林譲治の小説『 記憶汚染 』まで待たなければならなかった。ここにも本作の恐るべき先見性がある。

 

原作漫画において「結婚」と表現された、素子と人形使いの出会いと対話であるが、生命の本質を鋭く抉っている。『 マトリックス レボリューションズ 』でエージェント・スミスが喝破する”The purpose of life is to end.” = 「生命の目的とは終わることだ」という考えは、間違いなく本作から来ている。ウォシャウスキー兄弟(当時)も、本作の同作への影響を認めている。サイバーパンクであり、ディストピアであり、期待と不安に満ちた未来へのまなざしがそこにある。劇中およびエンディングで流れる『 謡 』のように、総てが揺れ動き、それでいて確固たる強さが感じられる作品。日本アニメ史の金字塔の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

都市の光と影の部分にフォーカスしていたが、地方や外国はどうなっているのだろう。特に序盤で新興の独裁国へのODAの話をしていたが、そこにもっと電脳や義体の要素を交えてくれていれば、これが全世界的な未来の姿であるという世界観がより強化されたものと思う。

 

「感度が良い」とされる9課の自動ドアであるが、いったい何に感応していたのだろうか。赤外線ではないだろうし、重量でもない。だとすればいったい何に?

 

総評

4K上映とはいえ、元がCGではなく手描きであるが故の線の太さや粗さは隠しようがない。しかし、面白さとは映像美とイコールではない。ごく少数の登場人物と実質ひとつの事件だけで、広大無辺な情報と電脳、そして義体化の先の世界にダイブさせてくれる本作こそ、クールジャパンの代名詞であろう。クールジャパンとは博物館のプロデュースではなく、ユニークさのプロデュースである。『 花束みたいな恋をした 』で神とまで称された押井守の才能が遺憾なく発揮された記念碑的作品。ハードSFは苦手だという人以外は、絶対に観るべし。ハードSFは苦手な人は、2029年に観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a ghost from the past

ゴーストというのは亡霊以外にも様々な意味がある。a ghost from the past というのは、しばしば「過去の亡霊」と訳され、忌まわしい過去を呼び起こす存在が今また目の前に現れた、という時に使われることが多い。ただ必ずしもネガティブな意味ばかりではなく、単に長年であっていなかった知人に久しぶりに会ったという時に、相手を指して a ghost from the past と言うこともできる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, SF, アニメ, 大塚明夫, 山寺宏一, 日本, 田中敦子, 監督:押井守, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

Posted on 2021年10月3日 by cool-jupiter

護られなかった者たちへ 75点
2021年10月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 阿部寛 清原果耶 倍賞美津子
監督:瀬々敬久

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233225j:plain

『 糸 』や『 友罪 』のように、社会問題とエンタメの両立を常に志向する瀬々敬久監督の作品に阿部寛と佐藤健、そして清原果耶が出演するということでチケット購入。

 

あらすじ

宮城県仙台市若葉区で、役所の生活支援課職員を対象にした連続殺人事件が複数発生。県警捜査一課の変わり者と呼ばれる笘篠(阿部寛)は、捜査の過程で利根(佐藤健)という男にたどり着く。そして利根の過去には、震災発生当時、避難所で知り合った老女と少女がいたことが分かり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233241j:plain

ポジティブ・サイド

始まりからして非常に暗く、重苦しい。それもそうだ。あの大震災からわずか10年半しか経過していないのだ。震災および津波が日本にもたらしたものとして、地域共同体への物理的なダメージと人間への心理的・精神的なダメージの両方がある。本作は前者が後者にいかにつながっていってしまったかを、敢えて説明せず、しかし着実にストーリーの形で見せていく。

 

冒頭、果てしなく薄暗いスクリーンの中の世界であるが、倍賞美津子演じる遠島けいさんというおばあちゃんの温もりに救われる。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも発揮された倍賞美津子の母性溢れる包容力は健在である。母親を失くしてしまった少女かんちゃんと、そもそも母親を知らない利根の、奇妙な連帯が本作の見どころ。3人が素うどんをすするシーンは、我々が忘れつつある、あるいは忘れてしまった家族の在り方だろう。

 

震災の地に帰ってきた刑務所上がりの利根。殺人事件の発生。犯人を追う笘篠ら、宮城県警。これらをつなぐ要素として社会福祉、なかんずく生活保護制度がある。そして、その制度の運用についての闇が明らかにされる。ただ勘違いしてはいけないのは、生活保護の不正受給というのは確かに問題だが、おおよそこの社会の制度で悪用されていないものなどない。求人サイト経由できた有望そうな人材に面接の場で「今日このままハローワークに行って、そこから再応募してほしい。すぐに内定を出すから」と伝える中小企業などいっぱいあるのだ。

 

生活保護を「恥ずかしい」と感じてしまう。ここに日本人的な精神の病根がある。不正に受給するのが恥ずかしいことなのであって、正当に受給することに恥を覚える必要などない。それでも生活保護を指して恥だと感じてしまうのは何故か。恥とは要するに他者からの視線である。他者にとって自分は生きている価値がないのではないかという懐疑が恥の感覚につながっている。震災によって多くのものを失ってしまった人間が、それでも生きていていいのだろうかという問いかけを発している。それに応える者が少数だが存在する。本作はそうした物語である。

 

佐藤健と阿部寛の険のある表情対決は、2021年の邦画の中でも屈指の演技合戦。NHKの朝ドラ(Jovianは一切観ていないのだが)のヒロインの座をつかんだ清原果耶も、芯の強さを備えた演技で男性陣に一歩も引けを取らない。BGMがかなり少な目、あるいは抑え目で、派手なカメラワークもない。しかし、それゆえに役者の演技が観る側をどんどんと引き込んでくれる。人は人に狼な世の中であるが、人は人に寄り添うこともできる。『 すばらしき世界 』と同種のメッセージを本作は力強く発している。

 

あまりプロットやキャラクターに触れると興ざめになってしまうので、最後に鑑賞上の注意を一つ。本作はミステリ仕立てであるが、ミステリそのものではないと言っておく。役所の生活支援課の職員が、拉致監禁され、脱水症状からの餓死に追い込まれるという殺人事件が本作の胆である。未鑑賞の人にアドバイスしておきたいのは、事件が胆なのであって、フーダニットやハウダニットに神経を集中させるべからず。本作をミステリ映画、推理ものだと分類してしまうと、話が一挙に陳腐化してしまいかねない。すれっからしのミステリファンは、片目をつぶって鑑賞すべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211003233314j:plain

ネガティブ・サイド

とある措置期の備品の使い方が気になった。いつ、誰が、どれくらいの時間それを使用したかという履歴がばっちり残るはず。そこの組織内で誰もそれの用途や使用時間について注意を払わなかったのだろうか。

 

利根の持つ性質というか特徴が説明されるが、それが強く発露する場面がなかった。また、エンディングは万感胸に迫るものがあったが、それでも利根の持つこのトラウマ(と言っていいだろう)を刺激する場面に見えて仕方がなかった。原作もああなのだろうか。

 

総評

東日本大震災後の人間関係を描くドラマとしては『 風の電話 』に次ぐものであると感じた。コロナ禍という100年に一度のパンデミックによって我々の生活は一変した。そのような時代、そのような世界で、人間はどう生きるべきなのか。政治や行政はどうあるべきなのか。エンターテインメント要素と社会はメッセージを両立させた傑作と言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on welfare

生活保護を受けている、の意。アメリカ合衆国では大きな選挙のたびに共和党支持者(Republican)、民主党支持者(Democrat)、その他(Independent)に別れて激論が繰り広げられるが、その際の共和党支持者が”I’m Republican Because We Can’t All Be On Welfare.”という文言を載せたTシャツが、もう10年以上トレンドになっている。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 倍賞美津子, 日本, 清原果耶, 監督:瀬々敬久, 配給会社:松竹, 阿部寛Leave a Comment on 『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

Posted on 2021年9月30日 by cool-jupiter

空白 75点
2021年9月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:古田新太 松坂桃李
監督:吉田恵輔

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001758j:plain

邦画が不得意とする人間の心の闇、暴走のようなものを描く作品ということで、期待してチケットを購入。なかなかの作品であると感じた。

 

あらすじ

女子中学生の花音は万引を店長の青柳(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げる花音だが、道路に飛び出したところで事故に遭い、死んでしまう。花音が万引きなどするわけがない信じる父・充(古田新太)は、深層を明らかにすべく、青柳を激しく追及していき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001812j:plain

ポジティブ・サイド

何の変哲もない街の何の変哲もない人間たちに、恐るべきドラマが待っていた。トレイラーで散々交通事故のシーンが流れていくが、あれは実は露払い。その後のシーンと、その結果を渾身の演技で説明・描写する古田新太が光る。

 

この物語で特に強く感銘を受けたのは、善人もおらず、さらには悪人もいないところ。いるのは、それぞれに弱さや欠点を抱えた人間。例えば松坂桃李演じる青柳は、父の死に際にパチンコに興じていて、死に瀕していた父に「電話するなら俺じゃなくて119番だろ」的なことを言い放つ。もちろん、心からそう思っているわけではない。しかし、いくらかは本音だろうし、Jovianもそう思う。古田新太演じるモンスター親父の充は、粗野な性格が災いして、妻には去られ、娘とは没交渉。他にも花音の学校の、人間の弱さや醜さをそのまま体現したような校長や男性教師など、善良な人間というものが見当たらない。それがドラマを非常に生々しくしている。

 

一方、一人だけ異彩を放つ寺島しのぶ演じるスーパーのパートのおばちゃんは、これこそ善意のモンスターで、仕事熱心でボランティア活動にも精を出す。窮地にあるスーパーの危機に、非番の日でもビラ配り。ここまで大げさではなくとも、誰しもこのようなおせっかい好き、世話焼き大好きな人間に出会ったことがあるだろう。そしてこう思ったはずだ、「うざい奴だな」と。まさに『 図書館戦争 』で岡田准一が言う「正論は正しい。しかし正論を武器にするのは正しくない」を地で行くキャラである。寺島しのぶは欠点や弱さを持つ小市民でいっぱいの本作の中で、一人だけで善悪スペクトルの対極を体現し、物語全体のバランスを保っているのはさすがである。

 

本作はメディアの報道についても問題提起をしているところが異色である。ニュースは報じられるだけではなく、作ることもできる。そしてニュースバリューは善良な人間よりも悪人の方が生み出しやすい。『 私は確信する 』や『 ミセス・ノイズィ 』は、メディアがいかに人物像を歪めてしまうのかを描いた作品であるが、本作もそうした社会的なメッセージを放っている。

 

追い詰める充と追い詰められる青柳。二人の関係はどこまでも歪だが、二人が花音の死を悼んでいるということに変わりはない。心に生まれた空白は埋めようにも埋められない。しかし、埋めようと努力することはできる。または埋めるためのピースを探し求めることはできる。それは新しい命かもしれないし、故人の遺品かもしれない。『 スリー・ビルボード 』とまではいかずとも、人は人を赦せるし、人は変わることもできるだと思わせてくれる。間違いなく良作であろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210930001828j:plain

ネガティブ・サイド

花音の死に関わった人物の一人がとんでもないことになるが、その母親の言葉に多大なる違和感を覚えた。謝罪根性とでも言うのだろうか、「悪いのはこちらでございます」的な態度は潔くありながらも、本作の世界観には合わない。小市民だらけの世界に一人だけ聖人君子がいるというのはどうなのか。

 

藤原季節演じるキャラがどうにも中途半端だった。充を腕のいい漁師だが偏屈な職人気質の船乗りで、人付き合いが苦手なタイプであると描きたいのだろうが、これだと人付き合いが苦手というよりも、単なるコミュ障中年である。海では仕事ができる男、狙った獲物は逃がさない頑固一徹タイプの人間だと描写できれば、青柳店長を執拗に追いかける様にも、分かる人にだけ分かる人間味が感じられだろうに。

 

総評

邦画もやればできるじゃないかとという感じである。一方で、トレイラーの作り方に課題を感じた。これから鑑賞される方は、あまり販促物や予告編を観ずに、なるべくまっさらな状態で鑑賞されたし。世の中というものは安易に白と黒に分けられないものだが、善悪や正邪の彼岸にこそ人間らしさがあるのだということを物語る、最近の邦画とは思えない力作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

do the right thing

「正しいことをする」の意。do what is right という表現もよく使われるが、こちらは少々抽象的。親が子に「正しいことをしなさい」とアドバイスするような時には do the right thing と言う。ただし、自分で自分の行いを the right thing だと盲目的に信じるようになっては棄権である。 

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 古田新太, 日本, 松坂桃李, 監督:吉田恵輔, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210924001931j:plain

『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来 』 -絶対領界音域&字幕版鑑賞-
  • 『 もののけ姫 』 -4Kデジタルリマスター上映-
  • 『 羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来 』 -吹き替え鑑賞-
  • 『 プレデター バッドランド 』 -Clan Over Family-
  • 『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 -劇場再鑑賞-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme