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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 日本

『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

Posted on 2022年3月21日 by cool-jupiter

永遠の831 25点
2022年3月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斉藤壮馬 M・A・O
監督:神山健治

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先週も土曜日出勤。来週も再来週も出勤確定。夏休み並みの長期休暇気分でも味わうつもりで、あらすじも何も知らないままチケットを購入。

 

あらすじ

大災厄が起きた世界。新聞奨学生のスズシロウ(斉藤壮馬)は、大きな怒りを感じると時間を止めてしまうという能力に悩まされていた。ある時、止まった時間の中で自分と同じように動いている少女を見つけたスズシロウは、彼女を密かに尾行するが・・・

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ポジティブ・サイド

大災厄というのが何であるのか明示されないが、それが物語のフィクション性を高めつつ、リアリティも増している。大地震でも津波でも原発事故でもコロナでも何でもよい。ほんの少しでも考えてみれば、日本という国に上がり目がなく、なおかつ日本という国の政治が末期症状の一歩手前に来ていることは、国会論戦の空虚さとコメンテーター連中の頭の悪い評論活動を見れば明らか。そうした作り手の姿勢は嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

『 あした世界が終わるとしても 』で感じた、アニメキャラがモーションキャプチャーでゆらゆら動くことの気味悪さは、個人的には全く克服できそうにない。

 

新聞屋の若い女性オーナーのお色気設定がよく分からない。スズシロウがこの女性に辟易していたところに、対照的に清純そうななずなが現れた・・・というわけでもなかった。お色気担当?要らないな。

 

「時間を止める」というアイデアは古典だから良いとして、時間を止める方法がバラバラであることに必然性を見出せなかった。また時間が止まっている長さが、スズシロウの場合は3分から1週間と幅がありすぎる。おそらく、なずなも同様だろう。そう考えると、この方法で831戦線が犯行を重ねていくのは無理がありすぎる。

 

なずなが時間を止めるために命の危険を感じなくてはならないというのも地味に意味不明だ。いや、その設定自体は受け入れるにしても、兄が妹を銃で撃つ必要があるのか?あれだとすぐに近隣住民から警察に通報されて、犯行もクソもないと思うが。

 

止まった時間の中で、なずなやスズシロウが触ったものが動き出すというのも、これまた地味に意味不明だ。スマホは電波が止まって使えなくなったが、だったら何故エレベーターは電気が通って使えていた?どうして車は走れた?

 

政治的な主張が込められているのは構わないが、それを成し遂げようというのが官僚の息子というのもどうなのか。阿川兄妹のバックグラウンドを考えれば、公安や内閣情報調査室に常にマークされているだろう。

 

総評

細かいところに突っ込みだすと、いくらでも突っ込めてしまう。ストーリーを堪能するのではなく、今という時代を背景にしながら観ることで、個人個人で感じ取れるものを感じ取ればよいのだろう。ただ、アニメはちょっと・・・という層には勧めにくいし、いわゆる日本的なアニメの文法からもかなり逸脱した作品である。鑑賞するのなら、下調べをほとんどせずに臨むか、あるいはこれ以上なくリサーチした上で観るべきだろう。ただ、どういう見方をしてもエンタメ要素に乏しいという欠点は消せないだろうが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ransom

身代金の意。ランサムウェアなる言葉を聞いたことのある方もいるだろう。コンピュータを使用可能にするマルウェアを解除してやるからカネを払え、というやつである。誘拐系のミステリやサスペンス映画ではしょっちゅう聞こえてくるので、そういう作品を鑑賞する時には耳を澄ませてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, M・A・O, アニメ, ファンタジー, 斉藤壮馬, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:WOWOWLeave a Comment on 『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

『 余命10年 』 -難病ジャンルの文法には忠実-

Posted on 2022年3月15日2022年3月15日 by cool-jupiter

余命10年 65点
2022年3月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:小松菜奈 坂口健太郎
監督:藤井道人

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『 デイアンドナイト 』『 新聞記者 』、『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』、『 ヤクザと家族 The Family 』の藤井道人監督の作品。さらにJovianお気に入りの奈緒も出演しているとなれば、チケットを買わないという選択肢は存在しない。超繁忙期なので簡易レビューを。

 

あらすじ

茉莉(小松菜奈)は、百万人に1人の病を患ってしまう。発病後に10年生きた人はほとんどいないことから、彼女は自身の余命を10年以内と悟る。ある日、中学の同窓会で和人(坂口健太郎)と再会するも、和人がアパートの自室から飛び降りてしまう。生きることに自暴自棄になっていた和人に「私も頑張るから、あなたも頑張って」とエールを送る茉莉だったが、自分の病気を知らない和人との距離を縮めることを常に恐れていて・・・

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ポジティブ・サイド

2011年に始まり、2017年に幕を閉じる本作。つまり、7年の歳月を描き切ったわけであるが、主演の小松菜奈はその月日の尊さ、美しさ、素晴らしさを一身に体現する演技を見せた。説明的なセリフも非常に少なく、キャラクターの表情やたたずまいに多くを語らせる姿勢には好感が持てる。いつ死ぬともしれない身だからこそ、一瞬一瞬を生きようとする。季節の移り変わりというのは、ありふれた自然現象であるが、来年にはもう桜は見られない、あるいは来年にはもう雪に触れないとなれば、おのずとそれらを慈しむようになる。茉莉の生き様からはそれが伝わってきた。

 

ビデオカメラがちょうど良い小道具になっていて、茉莉が自分の生きた証を残すものとして効果的に使われる。同時に、その映像が消えていく様に、死がどうしようもない虚無であるという現実も見えてくる。死ぬ準備はできたが、本当は死にたくないと泣く演技では『 秘密への招待状 』のジュリアン・ムーア並みに良かったと思う。

 

余命10年というタイトルが示す通りに、奇跡が起きてハッピーエンドを迎えることはないわけだが、それでも茉莉という名前が残り、茉莉の書く小説が残ることで、彼女は確かに生きていたし、ある意味では今も生き続けていると言える。劇場のあちこちから聞こえてきたすすり泣きは、茉莉の死に対する悲しみに対する涙であったのと同時に、茉莉のように生きられなかった自身に対する改悛の涙なのだろう。Jovianはオッサン過ぎて涙を流すには至らなかったが、劇場に来ていた多くの10代たちの感性は鈍くないのだなと感じるには十分だった。

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ネガティブ・サイド

和人が茉莉の父に「あの子を受け止めてほしい」と言われた後の行動が腑に落ちなかった。中学生から10年経過ということは23歳から25歳。しかも、その時点では茉莉との再会から1~2年過ぎていた?ということは25~27歳でもありうる。この年齢で想い人の父親から上のような言葉を掛けられたら、あっさり引くことはないように感じる。

 

茉莉が家族に対して言う「私たちって、どっちが可哀そうなんだろうね」というセリフにはドキリとさせられた。両親や姉の抱く葛藤を間接的にでもよいので、もっと見せてくれていたら、このセリフの切れ味というか、心に残す傷の深さはもっとすごいものになっただろうに。

 

和人の両親と義絶しているという背景も、少しは見せてほしかった。「父親の会社を継げば人生安泰だったのに」という言葉も聞かれたが、ここらへんの親子関係をほんの少し掘り下げるだけで、和人が茉莉の父にかけられた言葉の重みに気付かなかったことの説明になったのだが。

 

総評

素晴らしい出来映えと評せるが、難病ものというジャンルとして見た場合、真新しさはなかった。藤井道人は社会や人間の光と闇の描き分けに長けているので、もっと茉莉や和人の心の底のダークな面を見せてくれても良かったのにと思う。プロデューサーはキャスティングで若い世代を惹きつけようとしていたのだろう。実際に劇場は7分の入りで、来場者の9割は若者、その半分以上はカップルに見えた。すすり泣いていたのは彼ら彼女らがほとんどだろう。ただJovianは観終わって、三浦透子あるいは奈緒が茉莉を演じていたら、磯村勇人が和人を演じていたら、とも感じた。美男美女の恋愛模様は、どこかファンタジーに見えるのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disown

own = 所有する、の反対語。しばしば「勘当する」や「義絶する」の意味で用いられる。接頭辞の dis は動詞の意味を反対にする。cover = カバーで覆う、discover = 覆いを取り除いて発見する、continue = 続ける、discontinue = 続けるのを止めて廃止する、connect = つなげる、disconnect = つながりを断つ、などは知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 坂口健太郎, 小松菜奈, 日本, 監督:藤井道人, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 余命10年 』 -難病ジャンルの文法には忠実-

『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

Posted on 2022年3月3日2022年3月3日 by cool-jupiter

Ribbon 65点
2022年2月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:のん 能年玲奈 山下リオ 渡辺大知
監督:のん 能年玲奈

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のん(能年玲奈)による主演・脚本・監督作品。メジャーな舞台への復帰を模索するばかりでなく、今後はこういった方向の表現者であることを希求するのも良いのではないか。そう思える出来映えだった。

 

あらすじ

2020年、突如訪れた新型コロナ禍により、大学の卒業制作展が中止となった。制作意欲を失った美大生のいつか(のん)は、手持無沙汰のままステイホームする。ある時、運動不足解消のために散歩を始めたいつかは、近所の公園で不審な若い男性と遭遇するようになり・・・

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ポジティブ・サイド

『 ちょっと思い出しただけ 』や『 真・鮫島事件 』でもコロナ禍は描かれていたが、本作は物語の根幹にコロナ禍が据えられているという点で意義深いと思う。Jovianは一応、2020年春から大学での語学教育に携わっているので、いつかの物語をかなり自分の教え子の経験に重ねて観ることができた。

 

コロナ禍というタイムリーかつシリアスな問題を扱いながらも、のん演じるいつかのアンニュイな日常生活風景には、どこか牧歌的な感じも漂う。いつかの母、父、そして妹が次々といつかのアパートにやって来るが、これが非常に濃い面々。完全防御の汗だくの格好でやってきて手料理を振る舞ってくれる母に、不審者撃退用さすまたを持ち運んでいて職質されたという父に、これまた職質上等スタイルの妹。この上なく深刻なはずの世相が、とてもユーモラスなものになっている。受けて立つのんもなかなかの演技。『 私をくいとめて 』の充実したおひとり様ライフとは対照的に、グダグダの日常を送る姿にも説得力があった。

 

印象に残ったのは圧倒的に母親。いくらなんでも描きかけの絵を捨てるかと思うが、こういう母親は実際に結構な数が存在しているように思う。Jovianも大昔、一人暮らしをしているところに訪ねてきた母親によって、部屋の掃除をしてもらいつつも、大学時代のノートや思い出の品をゴミとして処分されそうになった経験がある。なので、いつかの怒りに共感するところ大だった。

 

コロナ禍によって顕著に変化したのは、人と人との距離だろう。ソーシャル・ディスタンスという物理的な距離も変化したし、ZoomやGoogle Meetなどのツールによって、リアルスペースで出会うことなく仕事をしていくことにも我々は慣れてきた。しかし、見逃してはならないのは、自分と自分との距離まで離れてしまったことだろう。離人症とまでは言わないが、コロナ禍という現実を受け入れられず、精神を病み、休学・退学になってしまった学生もたくさん出たのである。本来あるべき自分になろうとしていたのに、それを阻まれてしまった。その苦悩は若者ほど大きいだろう。「私ってこんなに承認欲求強かったんだあ」といつかと平井は自覚する。その欲求の根源、いつかにとっては中学時代の忘れてしまっていた青春の一コマをやがて回想するようになるという脚本はなかなかの手練れだと感じた。

 

マスクで顔の半分が見えず、誰が誰だか確信が持てない、あるいは素顔を知らないというのは現代人あるあるで、のんが渡辺大知演じる公園の男と絶妙な距離を保つ一連の流れは非常に上質なコント。いや、笑ってはいけないのだが、これはのんがこうした距離感を呵々として笑い飛ばしたいという願望をストレートに表現したのだと受け取ろうではないか。

 

最後にささやかに開かれる卒展に、芸術は人の心を動かす力を持っているのだというメッセージを受け取った。新人監督かつ新人脚本家・のんのまっすぐな心意気は確かに伝わった。

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ネガティブ・サイド

タイトルのリボンがいちかの心情を表していたのだろうが、いかにもCGといった演出には感心しない。美大生の心をリボンの色と動きで表現しようと試みたのだろうが、それならいつかを絵描きではなく、ダイレクトにファインアート作家の卵に設定すればよかった。その方がより自然である。または、いつかが色とりどりのペンキを心象風景のキャンバスにぶちまける様をリボンで表しても良かった。それならリボンの意味もあろうというものだ。いつかの美術のバックグラウンドとリボンがあまり結びついていないのは残念である。

 

親友の平井との諍いは不要。物語を大きく動かしたかったのだろうが、もっと静かに動かしつつ、なおかつ迫真性のあるドラマは生み出せたはず。たとえば、卒展が中止になり、涙ながらに自らの作品を破壊する学生たちの姿が冒頭で映し出されたが、そこから急遽、大学側がオンラインでバーチャル展覧会を開催すると決定、学生たちには歓喜と混乱が広がり・・・という筋立てであれば、多くの大学の2020年および2021年の大学祭と重なるところが多く、リアルな人間ドラマにつなげられただろうと思う。

 

終盤のシーンでも、大声やら大きな音を出してはいけないシチュエーションで思いっきり大声や騒音を出すのはどうかと思った。それが青春の一つの形だとは思うが、リアリティは感じなかった。同じく、BGMを多用しすぎだと感じた。色々と凝りたくなるのだろうが、思い切ってそぎ落とす方が効果的な場合もある。

 

総評

多くの娯楽や芸術に「不要不急」というレッテルが貼られた2020年。確かに不急かもしれないが、不要ではないだろうと思う。そうした憤りや不満を、文書や動画ではなく、映画作品として発表してしまうのだから、大したものだと思う。多くの映画人が記者会見やホームページ、SNSなどで意見を発してきたが、作品という形で「芸術は人間にとって必要なものなのだ」と静かに、しかし高らかに宣言したのは邦画では本作が初めてではないか。ぜひ多くの映画ファンに鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a job offer

「就職内定」の意。an offer of employment もよく使われる。「内定をもらう」という動詞には、get や receive が使われることもセットで覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, のん, 山下リオ, 日本, 渡辺大知, 監督:のん, 能年玲奈, 配給会社:イオンエンターテイメント, 青春Leave a Comment on 『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

Posted on 2022年2月23日 by cool-jupiter

牛首村 10点
2022年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:Kōki, 萩原利久 芋生遥
監督:清水崇

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『 犬鳴村 』、『 樹海村 』に続く「恐怖の村」シリーズ第3弾。ジャパネスク・ホラーに一抹の希望を抱いて観たが、前二作に負けず劣らずの超絶駄作だった。 I gave up on 清水崇. 

 

あらすじ

奏音(Kōki,)はボーイフレンドの蓮(萩原利久)に、心霊スポット潜入動画を教えてもらう。そこには自分と瓜二つの女子高生が映っており、しかもそこで行方不明になっていた。何かを感じ取った奏音は蓮と共に撮影が行われた廃墟のある富山県へと向かうが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

飛び降りシーンが何度もリフレインされるところは少しだけ disturbing だった。

 

芋生悠が渾身の顔芸を披露しており、そこは評価せねばなるまい。『 犬鳴村 』の無表情なブレイクダンスは、怖さよりも滑稽さが遥かに優っていて、そこはさすがに反省材料にしたのだろうと思う。 

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ネガティブ・サイド

まず牛の首というのがよく分からない。牛首村と最初の心霊スポット潜入につながりがない。『 樹海村 』は青木ヶ原樹海、『 犬鳴村 』は犬鳴トンネルと、分かりやすい元ネタがあった。一方で、牛の首というのは???肝心の牛首村も、別に牛を飼っている様子はなく、この牛の首というものに最初から最後まで必然性が感じられなかった。「牛の首」という怪談の中身がすっからかんだったのと同様、物語もすっからかんという印象。

 

いまさら双子がどうこうとか何周遅れの『 シャイニング 』へのオマージュなのか。それにクソ田舎の集落に双子が生まれすぎ。集団心理もあるとはいえ、あのような露骨な口減らしに加担できるというのは、それだけの頻度であのような儀式を行っているわけで、やはりどう考えてもおかしい。一卵性双生児が自然分娩で生まれる率は0.4%。1000回に4回なわけで、穴倉の奥底に定期的に捨てられる双子の片割れを食料にアヤコが生き延びるにしても、月に一度ぐらいのペースでないと餓死するだろう。人口40万人台の尼崎市の年間出生数が4000件を少し上回る程度なので、月1で食料が供給されるには年間12人の双子が生まれる必要がある。年間12人の双子ということは一人だけで生まれてくるのはその250倍、すすなわち3000人。牛首村の人口は30万人ちょっとと見積もられる・・・って、んなアホな。劇場鑑賞中にも???だったが、あらためて計算してみて更に??????となった・

 

そもそも3歳だか4歳そこらで子どもが神隠しに遭ったというのに、双子のもう片方が行方不明の方を助けてきたというのは、親や周りの大人がいかに子どもに目を配っていないかの証拠だろう。一人いなくなったら、もう片方からは余計に目が離せなくなると思うが。またそんなことがあった村からは家族そろって脱出するのが普通の判断ではないか。なぜ奏音と父は東京に出て、詩音と母は村に残ったのか。そのあたりの説明も全くないし、推測できるような材料も提示されなかった。

 

キャラクターの行動原理も謎だ。ネット隆盛、SNS全盛時代の若者が、いきなり現地に赴くか?動画配信アカウントから普通に Instagram だか Facebook のアカウントに行けるのだから、そこから相手にコンタクトを試みる方が自然だろう。なんなら顔写真を送ってやればいい。それを一切せず、後から「実はあいつら全員死んでる」とか言われても、はあ?としか思えない。詩音も顔出しNGだというなら、何故被り物を脱ぐのか。いや、SNSで顔出ししている以上、動画配信などやればあっという間に顔など割れるだろう。いじめのような構図がそこにあるのは分かったが、それでも詩音の行動は意味不明だ。アヤコの呪いの対象も、本来なら詩音や奏音ではなく、同じ双子の片割れであるタエコになるのではないのか。もしくは、古くから村にいる年寄り連中か。発狂しているから手当たり次第に呪うのだ、というのなら松尾諭の死に方にも納得が行く。しかし、だったら何故に奏音の恋人の方は呪い殺されて、詩音の恋人の方は呪い殺されなかったのか(異世界に連れ込まれはしたが)。

 

廃墟そのものもリアリティが足りない。作られた廃墟にしか見えない。そういう意味ではストーリー自体はこけおどしだった『 コンジアム 』のプロダクションデザインだけは素晴らしかった。坪野鉱泉ホテルは遠目には『 ホテルローヤル 』のさびれたラブホのように見えたし、中の荒れ具合も一時期ニュースで話題になった鬼怒川温泉の廃墟ホテルの方が、中はよっぽど不気味だった。この坪野鉱泉と牛首村の穴蔵が実はつながっていて水だけは湧いている、ということなら、アヤコのサバイバルにも少しだけリアリティが出てくるのだが、そんな描写も一切なし。心霊現象を見せたいのか、それとも生きている人間やそこから生み出される風習の怖さを見せたいのか、そこの軸がはっきりしていないのが大きな弱点だ。

 

細部にもおかしな描写がいっぱいだ。いくら富山とはいえ真夏に窓ガラスが結露するか?しかも朝ではなく夜に。どれだけ短時間で寒暖の差がつくというのか。また、10年以上にわたって文字通りの意味で野ざらし雨ざらしにされていたちょうちょの墓がそのままの形で残っていることに座席から滑り落ちそうになった。富山のあの地域は風も吹かないし雨も降らないし雑草も一切生えないのか。そんなことはないだろう。実際に劇中でも2度雨が降っているし、そのうちの2回目は結構な土砂降りだ。あれでミニ盛土と墓標となる石が10年以上手つかずというのは説得力ゼロだ。

 

ホラー映画としての演出も栗シェのオンパレードで最早ギャグの領域。「ここでこうなるぞ」、「次はこれやな」という予感が次々と当たる。ちょっとホラーを観ている映画ファンのほとんどはこのように感じたのではないだろうか。ポストクレジットのシーンが始まった途端に「おいおい、『 犬鳴村 』エンドちゃうやろな」と不安になったが、やっぱり『 犬鳴村 』エンドだった。頼むから捻らんかい。クリシェはもうええっちゅうねん。

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総評

『 恐怖の村 』シリーズの中でも飛びぬけて怖くない。このシリーズは盛り下がる一方である。こんな作品の制作者側にカネなど一銭もやってたまるかと思う。無料クーポンで鑑賞した自分を褒めてやりたい。Kōki,が望んで出演したのか、それとも親の七光りなのかは分からないが、役者の才能は感じない。恐怖の村シリーズは駄作揃いだったが、三吉彩花や山田杏奈など、キャスティングは頑張っていた。Kōki,は三吉のようなルックスやスタイルはないし、山田のような表現者にもならないだろうとは感じた。ホラー映画好きにお勧めできる作品では決してないし、だからといってホラー初心者にお勧めするのも難しい。一つ言えるのは、清水崇はもうホラーを作らないほうが良いということぐらいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this terrible movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, Kōki, ホラー, 日本, 監督:清水崇, 芋生悠, 萩原利久, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

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ちょっと思い出しただけ 75点
2022年2月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池松壮亮 伊藤沙莉 河合優実
監督:松居大悟

 

『 くれなずめ 』や『 君が君で君だ 』など、終わらない青春、あるいは青春を引きずる姿を追究してきた松居大悟監督の最新作。またJovianの大学の後輩がプロデューサーも務めている。

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あらすじ

ダンサーだったが、怪我で舞台の照明係に転身した照生(池松壮亮)。タクシー運転手としてコロナ不景気に翻弄される葉(伊藤沙莉)。葉はある客を乗せたことで、照生と付き合っていた、かつての日々を思い起こして・・・

 

ポジティブ・サイド

一年の特定の日付だけを映し出していく構成というと『 弥生、三月 君を愛した30年 』に少し似ているところがあるが、それを名作『 ペパーミント・キャンディー 』のように過去に逆行していく形で提示していくところがユニークだと感じた。作品によっては、視点が今なのか、それとも回想なのか分かり辛いものもあるが、本作はマスク着用や手洗いが生活様式として定着したところから始まっているので、現在と回想の見分けが容易。これは思わぬコロナの副産物だろう。

 

池松壮亮演じる照生が夢と現実の狭間でもがく姿に激しく共感する。同時に軽蔑のような念も覚える。それはおそらく、多くの男が持つ大人になってしまった自分と若者のままでいたい自分の葛藤を具象化させられたかのように感じるからだ。男は基本アホなので、付き合っている女性はいつまでも自分を好いてくれると思い込んでいるし、相手の言う「何があっても好き」のような言葉も鵜呑みにしてしまう。鑑賞中に何度「照生、このアホ、そこはそうちゃうやろ」と思ってしまったか分からない。

 

葉を演じた伊藤沙莉は、これが代表作になるのではないか。決して美人ではないのだが、ある瞬間にめちゃくちゃ可愛く見えるのは本人の力なのか、それともメイクアップアーティストやカメラマンの力なのか。『 息もできない 』のキム・コッピのように、大声を張り上げることも、とびきりチャーミングな笑顔を見せることもできる女優。ラブシーンも普通にいけそう。一番可愛らしいと感じたのは、タクシーを降りるところを照生に止められるシーン。ここでの葉のはしゃぎっぷりは恋する女子の演技としては白眉だろう。浮かれていながらも「言葉にしてほしい」という女子が共通して持つ強烈な願望が駄々漏れになっていて、非常に微笑ましく、かつ恐ろしい。男性諸君、言葉にすることの重要性をゆめ忘れることなかれ。

 

回想を経るごとにちょっとした小道具の存在の有無や照生の行動の違いなどが明らかになっていき、どんどんと物語に引き込まれていく。ただ時間をさかのぼりながらも、未来に向かっている部分もあった。永瀬正敏演じる、待っているおじさんがそれで、このサブプロットはなかなかにパンチが効いている。妻を待ち続ける=妻に執着し続ける姿は、そのまま照生の未来に見えてくるし、事実その通りである。というか、男全般に当てはまるわ、これ。『 パターソン 』でも何気ない日常の連続をある意味で壊す役割を演じた永瀬が、今度はその何気ない日常を延々と続ける姿はある意味で感動的でもあった。

 

男女の幸せだった日々が、理想と現実のはざまで少しずつずれていってしまうという意味では『 花束みたいな恋をした 』とも共通するところがある。しかし、本作では男の情けなさというか、女々しさ(この言葉が不適切でないことを祈る)が存分に表出されていて、かなり酸っぱさ濃いめの甘酸っぱい物語に仕上がった。松居大悟は作家性とエンタメ性をバランスよく表現できる監督で、氏の作品は今後も要チェックであると感じた。

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ネガティブ・サイド

言葉とダンスに関する問答が印象的だったが、特にダンスに関する部分はもっと突き詰められたのではないかと思う。外国映画は字幕か吹き替えかは、それこそ観る側が自由に選択すればよいと思う。ただ、言葉にしてくれないと分からないという時の言葉というのは、言語に関係があることなのか?とは感じた。何語で発話しようとも、なんらかの感情や思考が表現されたという事実は変わらないだろう。

 

もうひとつ、ダンスは言語を超えるというのにも大いに納得したが、ぜひ照生が葉に踊って見せるシーンをもっと取り入れてほしかった。愛情を踊りで伝える照生と、そのメッセージを受け取りながらも十分に解釈しきれない葉のコントラストがあれば、甘酸っぱさの甘さと酸っぱさが両方増しただろうと思う。

 

総評

男性の過去の恋愛への執着を描いた『 僕の好きな女の子 』と対を成すかのような作品。女性が過去の恋愛をいかにカジュアルに忘却できるかを、非常に説得力のある形で描き出している。男性が覚えているのに対し、女性は思い出す(その前提には「忘れる」がある)ものなのだ。そういうわけで、デートムービーにはあまり向かないかもしれない。どちらかというと、男女ともにおひとり様での鑑賞が望ましいと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop the question

直訳すれば「例の質問をポンッと出す」の意、意訳すれば「プロポーズする」の意。プロポーズの言葉は十中八九、”Will you marry me?”(最後は falling tone で)である。疑問文=質問であるが、語尾は上げずに下げて言うべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 伊藤沙莉, 日本, 池松壮亮, 河合優実, 監督:松居大悟, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

Posted on 2022年2月14日2022年2月14日 by cool-jupiter

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地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 50点
2022年2月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

 

『 地球外少年少女  前編「地球外からの使者」 』の続き。Jovianの予想が外れたのもあるが、全体的に内向きに閉じた完結編だった。

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あらすじ

なんとか彗星の欠片との衝突に耐え、管制室との通信も回復した登矢(藤原夏海)たちだったが、彗星本体はなお地球軌道上を周回している。しかも、彗星からのナノマシンはかつて破棄された超AI、セブン由来だった。状況を打開するために登矢たちはダッキーとブライトをフレーム合体させ、ダッキーの知能リミッターを解除するが・・・

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ポジティブ・サイド

前編と同じく30分で1エピソードというテレビアニメ的な構成。そのことが引き続き、展開をジェットコースター的にしている。宇宙ステーションが事故や災害に見舞われるというのは『 ゼロ・グラビティ 』など、SF映画・小説では日常茶飯事だが、やはり宇宙=真空=死という恐怖感がこたえられないサスペンスを生み出す。このあたり、主役級の登場人物は誰一人として死なないのだろうと予想していても、ハラハラドキドキさせられてしまった。

 

UN2に代表されるような地球人が彗星の破壊を試みる一方で、登矢たち地球外少年少女たちが彗星との対話、それによる説得を試みるという対照的なアプローチは面白かった。UN2自体は相手を問答無用で破壊しようとするが、問答を試みるというのは極めて日本的・・・とまでは言えないが、それでも本作をユニークたらしめる一つの要因になっている。

 

説得成功の直前に、潜入していたテロリストが牙を剥く。まあ、テロリストというよりは狂信者なのだが、『 コンタクト 』然り、この展開は現代に刺さる。特に、新型コロナウィルスやそのワクチン関連の狂騒、さらには地球温暖化などの環境問題と、絶えて久しいと思われた終末思想の相性の良さを、本作であらためて間接的に見せられたように思う。だからといってエンタメ性が失われているわけではなく、元々の長所であるテンポの良いストーリー展開をさらに強化するのに役立っている。このあたりが本作を単なるジュブナイル映画に留めていない点で非常に好ましく感じられる。

 

超知性と化したセブンと、インプラントの不調で死の危機に瀕する心葉を救おうとする登矢との対話も実に興味深い。取捨選択された情報だけを与えられた旧知性であるルナティック・セブンと、人間の清濁の両面すべての情報を吸収した超知性であるルナティック・セブンが、人間と人類を峻別しているところが目を引く。行きつくところは命とは何かという問いと、それに対する一定の答えになるわけで、Jovianは本作の提示する答えが最適解だとは思わない。もちろん、最適解があると考えることそのものがあまりに人間的なのかもしれないし、逆にあまりにも非人間的とも言えるかもしれない。ただ、このあたりの解釈はかなりの程度、受け取り手側に委ねられており、ここを考えるきっかけを得るだけでも本作を鑑賞する価値はあるのだろうと感じた。

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ネガティブ・サイド

全体的に盛り下がった感じがする。前編に堂々と「地球外からの使者」と銘打っておいて、実際は地球由来だったというのはこれ如何に。太陽系外の異星文明から飛来した超高度AIが自らの創造主に代わって恒星間飛行に飛び立った。そこで地球に飛来して、地球外で生まれ育った登矢の存在に興味を示し・・・という展開を予想していたのだが、これはまるっきりハズレ。

 

この過去に破壊され、廃棄されたシンギュラリティに達したルナティック・セブンが、ナノマシンとして宇宙で増殖し、彗星に乗って帰ってくるというのは、まんま『 太陽の簒奪者 』と『 二重螺旋の悪魔 』のアイデアを味付けし直したもの。ここはもっとオリジナリティが欲しかった。

 

最も違和感を覚えたのはルナティック・セブンの残したポエム=予言。起こる事象をある程度正確に予測するならまだしも、美衣奈といった固有名詞まで出るものだろうか。そこまでいくと超知性ではなく、オカルトである。オカルトとSFは混ぜてはいけない。

 

総評

前編の勢いが少し落ちたが、それでも非常にテンポの良い作品であることは間違いない。『 海獣の子供 』と同じく、エンタメ性と深遠なテーマの両方を成立させた佳作である。小学校高学年であれば直感的に理解できるストーリーになっているし、高校生あたりのデートムービーにもちょうどいい。もちろん、ファミリーでの鑑賞もありである。Netflixで視聴可能なようなので、週末のステイホーム時に6話を一気に観るというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Terran

地球人の意。terraというのはラテン語で、土地、大地、陸地を意味する。ここから地球という意味が生まれた(ちなみに gaia は terra のギリシャ語)。America → American となるように、Terra → Terran で地球人となる。もちろん複数形は Terrans である。宇宙人が普通に出てくる英語SF小説で「地球人」という言葉が出てきたら、Terran か、またはEarthman が使われていると思ってよい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

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『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

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ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

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大怪獣のあとしまつ 0点
2022年2月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田涼介 土屋太鳳 濱田岳
監督:三木聡

 

怪獣というのはJovianの好物テーマである。2021年の夏頃だったか、本作のトレイラーを観て「ついに来たのか」と胸躍らせるテーマの作品に興奮したが、実物を鑑賞して心底がっかり。まだ2月だというのに、本作が年間ワースト映画に決定したと断言する。

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あらすじ

巨大怪獣が、ある日突然謎の光に包まれて死んだ。安堵する政府だったが、残された死体は徐々に腐敗・膨張し、ガス爆発を起こす。死体処理の責任者に抜擢されたのは特務隊員のアラタ(山田涼介)は、怪獣の後始末のために動くが、そこには元恋人の雨音ユキノ(土屋太鳳)、そして彼女の夫にして総理秘書官の雨音正彦(濱田岳)の姿もあり・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

監督・脚本の三木聡と、プロデューサーまわりの人間は、二度と映画作りに関わらないでもらいたい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

 

本作が『 シン・ゴジラ 』を始めとする多くの先行怪獣映画にインスパイアされたのは火を見るよりも明らか。それ自体は一向に構わない。さらにコロナ禍によって明らかになった日本政府の無能っぷりをあざ笑うのも構わない。問題は『 シン・ゴジラ 』の謡っていた日本=《現実》VSゴジラ=《虚構》が、実は有能な日本政府=虚構、ゴジラ≒原発あるいはコロナ=現実になったということを、全く下敷きにできてない作劇術にある。

 

設定にもキャラクターにもリアリティがない。『 シン・ゴジラ 』が却下した矢口とカヨコのロマンスネタを、本作はわざわざ放り込んできた。それが物語に一切の広がりを与えていないし、キャラクターの背景やキャラ同士の関係にも深みを与えていない。ひたすらに平板で薄っぺらい。『 シン・ゴジラ 』自体がヱヴァンゲリヲンとの壮大なマッシュアップであるが、本作はエヴァの要素を皮相的には取り入れつつも、物語性の面では何一つ引き継げていない。ゴジラやエヴァが面白いのは、自衛隊やネルフなどの機関の背後に、無数の人々の姿、そのエネルギー、仕事、協力、献身を感じ取ることができるからだ。本作はそうした背景の広がりや深みを一切考慮することなく、ひたすら内向きに展開する。閣僚同士の馴れ合いに、夫婦だの元カノ元カレといった極めて閉鎖的な人間関係にすべてを還元して、大怪獣という日本および日本国民が一丸となって闘うべき、そして処理すべき問題であるという意識を放棄している。それは冒頭の緊急速報のイタズラでも明らかである。普通、このような世界観であのようなイタズラをする、もしくは怪獣が死んだと考えられて、わずか10日であのようなおもちゃが作られて、売られるはずがない。そんなものが市場に出れば袋叩きにあうだろうし、使う人間も袋叩き似合うだろう。そうなっていない時点で、本作の提示する世界観はギャグ以外の何者でもない。

 

ギャグならギャグに振り切ってくれればいいのだが、どのシーンをとっても笑えない。蓮舫ネタはすべて滑っている。またギャグのつもりでやっているのかもしれないが、隣国をネタに笑いを取ろうとする試みも盛大に失敗している。笑いとは対象との距離から生まれるもので、隣国が言いそうなことをそのまま劇中で繰り返しても面白くない。そこを笑いのネタにするのなら、隣国の特徴を極限まで肥大化させるべきだ。「怪獣を死に至らしめた光は、我が偉大なる書記長の神通力によるものである。よって怪獣の死体は偉大なる我が国に属するのは当然のことである」というようなことを、民族衣装を着た老年女性アナウンサーに仰々しく喋らせるぐらいすべきである。

 

肝腎かなめの怪獣のあとしまつネタが、どれもこれも現実的な考証に基づいていない。陸に上がった鯨の死体が腑排ガスによって爆発するように、怪獣の死体が膨張して爆発するところまでは納得できる。問題は、それに対応する特務隊や国防軍のアホさ加減である。なぜ何の防護服も着用せずに怪獣に接近するのか。なぜ怪獣の体液をアホほど浴びた面々が、シャワーだけで無罪放免なのか。あらゆる機関で検査を受けるに決まっているだろう。また、怪獣が爆発するというのに、事前に何の防御壁らしきものも、ガスマスクも用意していない前線基地とは一体何なのか。自衛隊の面々が本作を見たら、頭を抱えることだろう。

 

あとしまつの作戦その一として凍結させるというのも、またもや『 シン・ゴジラ 』ネタ。それだけならまだしも、液化炭酸ガスで凍らせるというが、それだけの量の液化炭酸ガスなるものをどうやって用意するのか。『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦で準備された血液凝固剤はおそらく数千リットル。この数千リットルを用意するために、巨災対の面々は各方面に頭を下げまくった。本作にそのような描写は毫もなかった。怪獣の体表から体内深部まで凍結させるとなると、少なく見積もっても怪獣と同質量の液化炭酸ガスが必要である。シン・ゴジラの体重が9万2千トン。9万2千トンのガスなど製造できないし、貯蔵もできないし、もちろん輸送もできない。それに、河川上でそんな凍結作戦を実行すれば、河ごと凍るに決まっている。そうなれば、ダムを決壊させることなく河川の氾濫が起きる。しかし、そうはならなかった。監督権脚本の三木聡は、いったいどこまで考察したのか。それとも考察はそもそもしていないのか。

 

ダムを決壊させて、水洗トイレのごとく押し流すというのも、アイデアとしては悪くないが、その作戦の成功率を押し上げようという試みが一切ないのはどういうわけだ?たとえば、怪獣手前に即席でもよいので可能な限り河岸段丘を作って、水流の圧をアップさせようだとか、それこそ海上自衛隊の艦艇と怪獣を係留して引っ張るだとか、国力を挙げての作戦という感じが一向に伝わってこない。コメディだから・・・と思ってはならない。笑えるのは対象と距離があるからこそで、努力をつぎ込んだからこその結果との落差が笑いを呼ぶのであって、失敗が予想できるところで失敗しても、何も笑えない。

 

腐敗ガスを上空に飛ばすというのも笑止千万。そんなガスを噴出させる箇所、その角度をちょっと間違えただけでアウトという精度や確度を求められるミッションなら、それこそ風向きがちょっと変わった、風がちょっと強くなった、または弱くなっただけでアウトではないか。元焼肉屋としてこのアイデアは買いたかったが、あまりのアホさ加減に擁護のしようがない。ミサイルを撃ち込むという国防軍の作戦にしても、一発目のミサイルが何者かに迎撃されているのだから、その邪魔者の正体を確認したり、排除したりせずに、作戦を続行するのは不可解の極みである。

 

クライマックスの展開には開いた口が塞がらない。デウス・エクス・マキナと聞いて、個人的にゲーム『 Remember11 』を思い出したが、アレよりも更にひどいエンディングを見ることになるとは思わなかった。ウルトラマンを馬鹿にしているとしか思えないし、ゴジラも馬鹿にしているとしか思えない。

 

ポスト・クレジットにもワンシーン挿入されているが、観る価値なし。観れば腹が立つこと請け合いである。本気なのかどうか知らないが、続編を作るなら勝手にやってくれ。その時には、ゴジラファン、ウルトラマンファン、ガメラファン、その他もろもろの特撮ファンや、ライトな映画ファン以外の映画ファン全てを敵に回すことになるだろう。

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総評

金曜の夜に韓国ホラーの『 コンジアム 』を鑑賞していたが、どうしてもこちらを先にレビューせねばと思った。まさか0点をつける作品に出会うことがあるとは思わなかった。観てはならない。チケットも買ってはならない。関連グッズも購入してはならない。高く評価している評論家やレビュワーがいれば、それは利害関係者によるステマである。この作品の制作に関わった人間すべての頭を角材で思いっきりぶっ叩いてやりたい。心の底からそれほどの怒りが湧いてきた。「ごみ溜めにも美点を見出す」ことを美徳とするJovianですら、この作品の何かしらを評価するのは無理である。ミシュラン風に評価すれば、マイナス5つ星である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this shitty movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 土屋太鳳, 山田涼介, 怪獣, 日本, 濱田岳, 監督:三木聡, 配給会社:東映, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

Posted on 2022年2月1日2022年2月14日 by cool-jupiter

地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 70点
2022年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

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オミクロン株が猛威を振るい、まん防が発令されても、映画館が営業してくれるのはありがたい。それでも週末の昼~夕方は喋りまくる客が多すぎて、さすがに二の足を踏む。なのでしばらくはレイトショーを中心に、若者が少なそうな作品を鑑賞するしかないか。

 

あらすじ

2045年。「あんしん」は世界初の未成年も宿泊できる宇宙ステーションとして稼働していた。そこにやってきた少年少女たちだが、彗星の欠片との衝突事故が起きてしまう。月で生まれた14歳の登矢(藤原夏海)心葉は、皆と力を合わせて窮地を脱しようとするが・・・

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ポジティブ・サイド

AIと宇宙、そしてファースト・コンタクトという、Jovianが好物としているSFジャンルが全て詰まっている。

 

AIが生活の隅々にまで浸透し、宇宙ステーションのオペレーションもAIに依存するところ大というのは、現実的であるように思う。ちょうど先日鑑賞した『 ブラックボックス 音声分析捜査 』でも、航空機の安全のために人間の介在する余地を減らす云々という考え方が開陳されていたが、そのこと自体はあながち間違っていないと思う。また同じくAIが浸透していた『 イヴの時間 』の世界とは少し異なり、本作ではユニークな形のドローンが個々人に付属している。これもありそうな未来の形に映った。

 

宇宙に関しても、世界各国で様々なベンチャー企業が生まれ、宇宙への輸送や、宇宙からの送電、デブリ掃除などは現実の企画として存在しているし、宇宙宿泊も時間の問題だろう。このあたり小川一水の小説『 第六大陸 』を彷彿させるし、SF世界でありながら法律云々の話になるのも同作を強く想起させる。単なる少年少女のスペース・ファンタジーではなく、ハードSF風味のアドベンチャー物語になっているところが好ましい。

 

主人公の登矢がひねくれたガキンチョであることにしっかりとした意味付けがなされているのが良い。宇宙生まれ宇宙育ちという存在が出現するかどうかは分からない。しかし、外国生まれ外国育ちの日本人というのはたくさんいるし、今後ますます増えていくだろう。その中で『 ルース・エドガー 』のような異端児は必ず出てくる。登矢は、まさにそうした異端の天才児である。そうした人間を日本社会は包摂できるのか。本作はそうした視点に立って作られていると見ることも可能である。

 

本作は2022年という今と劇中の2045年の間に何があったのかを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。もちろん、断片的な情報は大いに語られる。全体像が見えそうで、決して見えない。そのもどかしさが知的興奮とサスペンスにつながっている。一話30分×三話構成という劇場上映作品らしからぬ作りだが、これによって中だるみすることなく、常に一定以上の緊張感あるストーリー描写が続いていく。

 

本作はシンギュラリティ=技術的特異点以後の世界が描かれており、AIがどのように進化し、またその進化がどのように人間によって封じ込められたのかについても、後編で明らかになるはず。後編の上映が待ち遠しい。

 

ネガティブ・サイド

「地球外からの使者」という、どう考えてもファースト・コンタクトを示唆しているとしか思えない副題がつけられているが、前編に関する限りでは、異星人のいの字がちょっとにおわされているのかな、という程度。ただ、このアイデアは野尻包介の小説『 太陽の簒奪者 』のオマージュのような気がしてならない。または野崎まどの小説『 know 』のラストそっくりの展開が、後編のクライマックスになるような気がしてならない。または長谷敏司の『 BEATLESS 』のような、モノがヒトを凌駕した世界での実存の意味を問うシーンもありそうだ。

 

こうした予想は見事に裏切ってくれればそれで良いのだが、全編を通じて漂うチープさはもう少し何とかならなかったのか、そらTuberだとか、ジョン・ドウだとか、現代のYouTuberやアノニマスをそのまま言葉だけ変えても未来感は出ない。現在には存在しない、かつ現代人が予想もできないようなテクノロジー、たとえば教育ツール(なぜ博士が博士というニックネームを持つのかと絡めれば尚よい)が一つでも描写されていれば素晴らしさを増したことだろう。

 

常にBGMが鳴り響いていて、少々うるさい。映画的というよりも、テレビアニメ的である。その構成自体は面白さに貢献しているが、BGMの面ではマイナスであると感じた。また楽曲そのもののクオリティもあまり高いとは感じず、ビジュアルやシーンとは噛みあってないなかったように思えた。

 

総評

オッサンが見ても面白かった。レイトショーで鑑賞したからかもしれないが、劇場の観客で一番若く見えたのは30代男性だった。かといって子どもが楽しめないわけでは決してない。『 劇場版 ダーウィンが来た! 』を鑑賞するような家族にも、ぜひともお勧めしたい。本作が最もターゲットにしているのは、異端の存在や変革の時に臨んで、柔軟に対応できる者である。そこに老若男女は関係ないが、やはり若い世代にこそ、そうした柔軟性を求めたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s not your business.

作中で何度か登場する「お前には関係ない」の意。少々無礼な表現なので、自分からは使わないようにしたい。似たような表現に Mind your own business. がある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

Posted on 2022年1月23日2022年1月23日 by cool-jupiter

遺跡の声 75点
2022年1月19日~1月22日にかけて読了
著者:堀晃
発行元:東京創元社

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オミクロン株が猛威を振るっている。コロナが流行ると、近所のTSUTAYAが混雑する。そういう時は映画ではなく小説に一時退避する。それも、昔読んで手ごたえのあったもの、かつ、今という時代にフィットする作品が良い。というわけで本作を本棚からサルベージ。

 

あらすじ

銀河の辺境、ペルセウスの腕の先端部で滅亡した文明の遺跡を調査する私に、太陽風事故で死亡したかつての婚約者オリビアの頭脳が転写された観測システムを訪れるようにとの指令が入る。その途上で、私は宇宙を漂流する謎のソーラーセイル状のものと遭遇し・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の主人公は『 TENET テネット 』同様に名前がない。すべて一人称の「私」、または「あなた」もしくは「君」で表現されて終わりである。それゆえに感情移入というか、この主人公と自分を identify =同一視しやすくなっている。さらに登場人物も驚きの少なさ。極端に言えば、オリビア、トリニティ、超空間通信で連絡してくる男、これだけ把握しておけばいい。というか、トリニティだけでも十分である。 

 

「私」とトリニティが銀河辺境領域の星々で遺跡を調査したり、救助作業に従事したり、あるいは異星文明とのファースト・コンタクトを果たしていく。それらが短編集に収められている。

 

主人公がひたすら孤独なのだが、その孤独さが孤高さにも感じられる。黙々と職務に励む姿に自分を重ね合わせるサラリーマンは多いはず。相棒がトリニティという結晶生命体なのだが、これが単なる補助コンピュータ的な存在から、パートナー、息子、そして全く位相の異なるものにまで変化していく様が、全編にわたって描かれていく。このトリニティ、『 ガニメデの優しい巨人 』のゾラックのようでもあるし、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域 』のMICAの進化の元ネタは本作最後の『 遺跡の声 』であると思っている。

 

どの作品にも共通しているのは、破壊もしくは破滅のイメージである。遺跡とはそういうものだが、これほどまでに静謐な死のイメージを湛える作品の数々を構想し、それをリアルなストーリーとして描き切るという先見性にはお見逸れするしかない。地球温暖化による気候変動や食糧危機問題など、2020年代の今であればそのようなビジョンも湧きやすいだろうが、2007年に発表された『 渦の底で 』を除けば、本作所収の作品はすべて1970〜1980年代に発表されたものなのだ。科学はどうしても時間によって風化してしまうのだが、本作で描かれる地球の科学技術や滅亡した異星文明には、古いと感じられるところがほとんどない。

 

個人的なお勧めは『 流砂都市 』と『 ペルセウスの指 』。前者は、いわゆるナノテクもので、そのスケールの大きさは野尻抱介の『 太陽の簒奪者 』に次ぐ。後者は、藤崎慎吾の『 クリスタルサイレンス 』のKTはこれにインスパイアされたものではないかと密かに考えている。これらはあくまでもJovianの感想(妄想かもしれない)であって、本作を楽しむにあたってハードSFの素養が必要とされるということを意味しない。活字アレルギーかつSFアレルギーでなければ、ぜひ読んでほしい。

 

一話の長さは30〜40ページ。全部で9話が収められている。平均的なサラリーマンが通勤電車に乗る時間に一話が読み切れるだろう。

 

ネガティブ・サイド

悪い点はほとんど見当たらないのだが、フェルマーの最終定理のところだけは現実がフィクションを先行してしまった。そういえば未だ解かれていないリーマン予想の答えを異星由来の知性体(霧子だったかな・・・)に尋ねるものの「データを取り寄せるのに少なくとも4万年かかります」みたいに返されるSFもあった。この作品のタイトル名が思い出せないので、知っている人がいればお知らせいただけると有難いです。

 

主人公の「私」がオリビアを回想するシーンがもう少しあっても良かったのにと思う。性別のない結晶生命と、性別のある地球生命のコミュニケーションから生まれる独自のパーソナリティの形成という過程をもっと詳細に描かれていれば、SFのもたらしてくれる知的興奮という楽しみが更に増したはずだ。

 

総評

コロナ禍の第6波のただ中で、ディスタンスを取ることが必須となっている。だが現実的にはなかなか難しい。せめて物語の中だけでもディスタンスを・・・という人は少数派だろうが、そんな少数派に自信をもってお勧めできる短編集である。もしくは、ここ数年の本屋では訳の分からない転生もののラノベばかりが平積みされていると嘆く向きにもお勧めしたい。スムーズに読めるが、読後に不思議な苦みを残すという、大人の短編集である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call

「呼び声」の意。表紙に Call of the Ruin とあり、これを訳せば「遺跡の呼び声」となり、タイトルの『 遺跡の声 』となる。『 野性の呼び声 』の原題 The Call of the Wild に従うなら、The Call of the Ruin と定冠詞 The を頭につけるのが(文法的には)正しいのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, SF, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:堀晃Leave a Comment on 『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

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