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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 日本

『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

Posted on 2022年2月14日2022年2月14日 by cool-jupiter

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地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 50点
2022年2月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

 

『 地球外少年少女  前編「地球外からの使者」 』の続き。Jovianの予想が外れたのもあるが、全体的に内向きに閉じた完結編だった。

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あらすじ

なんとか彗星の欠片との衝突に耐え、管制室との通信も回復した登矢(藤原夏海)たちだったが、彗星本体はなお地球軌道上を周回している。しかも、彗星からのナノマシンはかつて破棄された超AI、セブン由来だった。状況を打開するために登矢たちはダッキーとブライトをフレーム合体させ、ダッキーの知能リミッターを解除するが・・・

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ポジティブ・サイド

前編と同じく30分で1エピソードというテレビアニメ的な構成。そのことが引き続き、展開をジェットコースター的にしている。宇宙ステーションが事故や災害に見舞われるというのは『 ゼロ・グラビティ 』など、SF映画・小説では日常茶飯事だが、やはり宇宙=真空=死という恐怖感がこたえられないサスペンスを生み出す。このあたり、主役級の登場人物は誰一人として死なないのだろうと予想していても、ハラハラドキドキさせられてしまった。

 

UN2に代表されるような地球人が彗星の破壊を試みる一方で、登矢たち地球外少年少女たちが彗星との対話、それによる説得を試みるという対照的なアプローチは面白かった。UN2自体は相手を問答無用で破壊しようとするが、問答を試みるというのは極めて日本的・・・とまでは言えないが、それでも本作をユニークたらしめる一つの要因になっている。

 

説得成功の直前に、潜入していたテロリストが牙を剥く。まあ、テロリストというよりは狂信者なのだが、『 コンタクト 』然り、この展開は現代に刺さる。特に、新型コロナウィルスやそのワクチン関連の狂騒、さらには地球温暖化などの環境問題と、絶えて久しいと思われた終末思想の相性の良さを、本作であらためて間接的に見せられたように思う。だからといってエンタメ性が失われているわけではなく、元々の長所であるテンポの良いストーリー展開をさらに強化するのに役立っている。このあたりが本作を単なるジュブナイル映画に留めていない点で非常に好ましく感じられる。

 

超知性と化したセブンと、インプラントの不調で死の危機に瀕する心葉を救おうとする登矢との対話も実に興味深い。取捨選択された情報だけを与えられた旧知性であるルナティック・セブンと、人間の清濁の両面すべての情報を吸収した超知性であるルナティック・セブンが、人間と人類を峻別しているところが目を引く。行きつくところは命とは何かという問いと、それに対する一定の答えになるわけで、Jovianは本作の提示する答えが最適解だとは思わない。もちろん、最適解があると考えることそのものがあまりに人間的なのかもしれないし、逆にあまりにも非人間的とも言えるかもしれない。ただ、このあたりの解釈はかなりの程度、受け取り手側に委ねられており、ここを考えるきっかけを得るだけでも本作を鑑賞する価値はあるのだろうと感じた。

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ネガティブ・サイド

全体的に盛り下がった感じがする。前編に堂々と「地球外からの使者」と銘打っておいて、実際は地球由来だったというのはこれ如何に。太陽系外の異星文明から飛来した超高度AIが自らの創造主に代わって恒星間飛行に飛び立った。そこで地球に飛来して、地球外で生まれ育った登矢の存在に興味を示し・・・という展開を予想していたのだが、これはまるっきりハズレ。

 

この過去に破壊され、廃棄されたシンギュラリティに達したルナティック・セブンが、ナノマシンとして宇宙で増殖し、彗星に乗って帰ってくるというのは、まんま『 太陽の簒奪者 』と『 二重螺旋の悪魔 』のアイデアを味付けし直したもの。ここはもっとオリジナリティが欲しかった。

 

最も違和感を覚えたのはルナティック・セブンの残したポエム=予言。起こる事象をある程度正確に予測するならまだしも、美衣奈といった固有名詞まで出るものだろうか。そこまでいくと超知性ではなく、オカルトである。オカルトとSFは混ぜてはいけない。

 

総評

前編の勢いが少し落ちたが、それでも非常にテンポの良い作品であることは間違いない。『 海獣の子供 』と同じく、エンタメ性と深遠なテーマの両方を成立させた佳作である。小学校高学年であれば直感的に理解できるストーリーになっているし、高校生あたりのデートムービーにもちょうどいい。もちろん、ファミリーでの鑑賞もありである。Netflixで視聴可能なようなので、週末のステイホーム時に6話を一気に観るというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Terran

地球人の意。terraというのはラテン語で、土地、大地、陸地を意味する。ここから地球という意味が生まれた(ちなみに gaia は terra のギリシャ語)。America → American となるように、Terra → Terran で地球人となる。もちろん複数形は Terrans である。宇宙人が普通に出てくる英語SF小説で「地球人」という言葉が出てきたら、Terran か、またはEarthman が使われていると思ってよい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』 -もっとオリジナリティを-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

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『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

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ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

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大怪獣のあとしまつ 0点
2022年2月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田涼介 土屋太鳳 濱田岳
監督:三木聡

 

怪獣というのはJovianの好物テーマである。2021年の夏頃だったか、本作のトレイラーを観て「ついに来たのか」と胸躍らせるテーマの作品に興奮したが、実物を鑑賞して心底がっかり。まだ2月だというのに、本作が年間ワースト映画に決定したと断言する。

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あらすじ

巨大怪獣が、ある日突然謎の光に包まれて死んだ。安堵する政府だったが、残された死体は徐々に腐敗・膨張し、ガス爆発を起こす。死体処理の責任者に抜擢されたのは特務隊員のアラタ(山田涼介)は、怪獣の後始末のために動くが、そこには元恋人の雨音ユキノ(土屋太鳳)、そして彼女の夫にして総理秘書官の雨音正彦(濱田岳)の姿もあり・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

監督・脚本の三木聡と、プロデューサーまわりの人間は、二度と映画作りに関わらないでもらいたい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

 

本作が『 シン・ゴジラ 』を始めとする多くの先行怪獣映画にインスパイアされたのは火を見るよりも明らか。それ自体は一向に構わない。さらにコロナ禍によって明らかになった日本政府の無能っぷりをあざ笑うのも構わない。問題は『 シン・ゴジラ 』の謡っていた日本=《現実》VSゴジラ=《虚構》が、実は有能な日本政府=虚構、ゴジラ≒原発あるいはコロナ=現実になったということを、全く下敷きにできてない作劇術にある。

 

設定にもキャラクターにもリアリティがない。『 シン・ゴジラ 』が却下した矢口とカヨコのロマンスネタを、本作はわざわざ放り込んできた。それが物語に一切の広がりを与えていないし、キャラクターの背景やキャラ同士の関係にも深みを与えていない。ひたすらに平板で薄っぺらい。『 シン・ゴジラ 』自体がヱヴァンゲリヲンとの壮大なマッシュアップであるが、本作はエヴァの要素を皮相的には取り入れつつも、物語性の面では何一つ引き継げていない。ゴジラやエヴァが面白いのは、自衛隊やネルフなどの機関の背後に、無数の人々の姿、そのエネルギー、仕事、協力、献身を感じ取ることができるからだ。本作はそうした背景の広がりや深みを一切考慮することなく、ひたすら内向きに展開する。閣僚同士の馴れ合いに、夫婦だの元カノ元カレといった極めて閉鎖的な人間関係にすべてを還元して、大怪獣という日本および日本国民が一丸となって闘うべき、そして処理すべき問題であるという意識を放棄している。それは冒頭の緊急速報のイタズラでも明らかである。普通、このような世界観であのようなイタズラをする、もしくは怪獣が死んだと考えられて、わずか10日であのようなおもちゃが作られて、売られるはずがない。そんなものが市場に出れば袋叩きにあうだろうし、使う人間も袋叩き似合うだろう。そうなっていない時点で、本作の提示する世界観はギャグ以外の何者でもない。

 

ギャグならギャグに振り切ってくれればいいのだが、どのシーンをとっても笑えない。蓮舫ネタはすべて滑っている。またギャグのつもりでやっているのかもしれないが、隣国をネタに笑いを取ろうとする試みも盛大に失敗している。笑いとは対象との距離から生まれるもので、隣国が言いそうなことをそのまま劇中で繰り返しても面白くない。そこを笑いのネタにするのなら、隣国の特徴を極限まで肥大化させるべきだ。「怪獣を死に至らしめた光は、我が偉大なる書記長の神通力によるものである。よって怪獣の死体は偉大なる我が国に属するのは当然のことである」というようなことを、民族衣装を着た老年女性アナウンサーに仰々しく喋らせるぐらいすべきである。

 

肝腎かなめの怪獣のあとしまつネタが、どれもこれも現実的な考証に基づいていない。陸に上がった鯨の死体が腑排ガスによって爆発するように、怪獣の死体が膨張して爆発するところまでは納得できる。問題は、それに対応する特務隊や国防軍のアホさ加減である。なぜ何の防護服も着用せずに怪獣に接近するのか。なぜ怪獣の体液をアホほど浴びた面々が、シャワーだけで無罪放免なのか。あらゆる機関で検査を受けるに決まっているだろう。また、怪獣が爆発するというのに、事前に何の防御壁らしきものも、ガスマスクも用意していない前線基地とは一体何なのか。自衛隊の面々が本作を見たら、頭を抱えることだろう。

 

あとしまつの作戦その一として凍結させるというのも、またもや『 シン・ゴジラ 』ネタ。それだけならまだしも、液化炭酸ガスで凍らせるというが、それだけの量の液化炭酸ガスなるものをどうやって用意するのか。『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦で準備された血液凝固剤はおそらく数千リットル。この数千リットルを用意するために、巨災対の面々は各方面に頭を下げまくった。本作にそのような描写は毫もなかった。怪獣の体表から体内深部まで凍結させるとなると、少なく見積もっても怪獣と同質量の液化炭酸ガスが必要である。シン・ゴジラの体重が9万2千トン。9万2千トンのガスなど製造できないし、貯蔵もできないし、もちろん輸送もできない。それに、河川上でそんな凍結作戦を実行すれば、河ごと凍るに決まっている。そうなれば、ダムを決壊させることなく河川の氾濫が起きる。しかし、そうはならなかった。監督権脚本の三木聡は、いったいどこまで考察したのか。それとも考察はそもそもしていないのか。

 

ダムを決壊させて、水洗トイレのごとく押し流すというのも、アイデアとしては悪くないが、その作戦の成功率を押し上げようという試みが一切ないのはどういうわけだ?たとえば、怪獣手前に即席でもよいので可能な限り河岸段丘を作って、水流の圧をアップさせようだとか、それこそ海上自衛隊の艦艇と怪獣を係留して引っ張るだとか、国力を挙げての作戦という感じが一向に伝わってこない。コメディだから・・・と思ってはならない。笑えるのは対象と距離があるからこそで、努力をつぎ込んだからこその結果との落差が笑いを呼ぶのであって、失敗が予想できるところで失敗しても、何も笑えない。

 

腐敗ガスを上空に飛ばすというのも笑止千万。そんなガスを噴出させる箇所、その角度をちょっと間違えただけでアウトという精度や確度を求められるミッションなら、それこそ風向きがちょっと変わった、風がちょっと強くなった、または弱くなっただけでアウトではないか。元焼肉屋としてこのアイデアは買いたかったが、あまりのアホさ加減に擁護のしようがない。ミサイルを撃ち込むという国防軍の作戦にしても、一発目のミサイルが何者かに迎撃されているのだから、その邪魔者の正体を確認したり、排除したりせずに、作戦を続行するのは不可解の極みである。

 

クライマックスの展開には開いた口が塞がらない。デウス・エクス・マキナと聞いて、個人的にゲーム『 Remember11 』を思い出したが、アレよりも更にひどいエンディングを見ることになるとは思わなかった。ウルトラマンを馬鹿にしているとしか思えないし、ゴジラも馬鹿にしているとしか思えない。

 

ポスト・クレジットにもワンシーン挿入されているが、観る価値なし。観れば腹が立つこと請け合いである。本気なのかどうか知らないが、続編を作るなら勝手にやってくれ。その時には、ゴジラファン、ウルトラマンファン、ガメラファン、その他もろもろの特撮ファンや、ライトな映画ファン以外の映画ファン全てを敵に回すことになるだろう。

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総評

金曜の夜に韓国ホラーの『 コンジアム 』を鑑賞していたが、どうしてもこちらを先にレビューせねばと思った。まさか0点をつける作品に出会うことがあるとは思わなかった。観てはならない。チケットも買ってはならない。関連グッズも購入してはならない。高く評価している評論家やレビュワーがいれば、それは利害関係者によるステマである。この作品の制作に関わった人間すべての頭を角材で思いっきりぶっ叩いてやりたい。心の底からそれほどの怒りが湧いてきた。「ごみ溜めにも美点を見出す」ことを美徳とするJovianですら、この作品の何かしらを評価するのは無理である。ミシュラン風に評価すれば、マイナス5つ星である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this shitty movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 土屋太鳳, 山田涼介, 怪獣, 日本, 濱田岳, 監督:三木聡, 配給会社:東映, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

Posted on 2022年2月1日2022年2月14日 by cool-jupiter

地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 70点
2022年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原夏海
監督:磯光雄

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オミクロン株が猛威を振るい、まん防が発令されても、映画館が営業してくれるのはありがたい。それでも週末の昼~夕方は喋りまくる客が多すぎて、さすがに二の足を踏む。なのでしばらくはレイトショーを中心に、若者が少なそうな作品を鑑賞するしかないか。

 

あらすじ

2045年。「あんしん」は世界初の未成年も宿泊できる宇宙ステーションとして稼働していた。そこにやってきた少年少女たちだが、彗星の欠片との衝突事故が起きてしまう。月で生まれた14歳の登矢(藤原夏海)心葉は、皆と力を合わせて窮地を脱しようとするが・・・

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ポジティブ・サイド

AIと宇宙、そしてファースト・コンタクトという、Jovianが好物としているSFジャンルが全て詰まっている。

 

AIが生活の隅々にまで浸透し、宇宙ステーションのオペレーションもAIに依存するところ大というのは、現実的であるように思う。ちょうど先日鑑賞した『 ブラックボックス 音声分析捜査 』でも、航空機の安全のために人間の介在する余地を減らす云々という考え方が開陳されていたが、そのこと自体はあながち間違っていないと思う。また同じくAIが浸透していた『 イヴの時間 』の世界とは少し異なり、本作ではユニークな形のドローンが個々人に付属している。これもありそうな未来の形に映った。

 

宇宙に関しても、世界各国で様々なベンチャー企業が生まれ、宇宙への輸送や、宇宙からの送電、デブリ掃除などは現実の企画として存在しているし、宇宙宿泊も時間の問題だろう。このあたり小川一水の小説『 第六大陸 』を彷彿させるし、SF世界でありながら法律云々の話になるのも同作を強く想起させる。単なる少年少女のスペース・ファンタジーではなく、ハードSF風味のアドベンチャー物語になっているところが好ましい。

 

主人公の登矢がひねくれたガキンチョであることにしっかりとした意味付けがなされているのが良い。宇宙生まれ宇宙育ちという存在が出現するかどうかは分からない。しかし、外国生まれ外国育ちの日本人というのはたくさんいるし、今後ますます増えていくだろう。その中で『 ルース・エドガー 』のような異端児は必ず出てくる。登矢は、まさにそうした異端の天才児である。そうした人間を日本社会は包摂できるのか。本作はそうした視点に立って作られていると見ることも可能である。

 

本作は2022年という今と劇中の2045年の間に何があったのかを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。もちろん、断片的な情報は大いに語られる。全体像が見えそうで、決して見えない。そのもどかしさが知的興奮とサスペンスにつながっている。一話30分×三話構成という劇場上映作品らしからぬ作りだが、これによって中だるみすることなく、常に一定以上の緊張感あるストーリー描写が続いていく。

 

本作はシンギュラリティ=技術的特異点以後の世界が描かれており、AIがどのように進化し、またその進化がどのように人間によって封じ込められたのかについても、後編で明らかになるはず。後編の上映が待ち遠しい。

 

ネガティブ・サイド

「地球外からの使者」という、どう考えてもファースト・コンタクトを示唆しているとしか思えない副題がつけられているが、前編に関する限りでは、異星人のいの字がちょっとにおわされているのかな、という程度。ただ、このアイデアは野尻包介の小説『 太陽の簒奪者 』のオマージュのような気がしてならない。または野崎まどの小説『 know 』のラストそっくりの展開が、後編のクライマックスになるような気がしてならない。または長谷敏司の『 BEATLESS 』のような、モノがヒトを凌駕した世界での実存の意味を問うシーンもありそうだ。

 

こうした予想は見事に裏切ってくれればそれで良いのだが、全編を通じて漂うチープさはもう少し何とかならなかったのか、そらTuberだとか、ジョン・ドウだとか、現代のYouTuberやアノニマスをそのまま言葉だけ変えても未来感は出ない。現在には存在しない、かつ現代人が予想もできないようなテクノロジー、たとえば教育ツール(なぜ博士が博士というニックネームを持つのかと絡めれば尚よい)が一つでも描写されていれば素晴らしさを増したことだろう。

 

常にBGMが鳴り響いていて、少々うるさい。映画的というよりも、テレビアニメ的である。その構成自体は面白さに貢献しているが、BGMの面ではマイナスであると感じた。また楽曲そのもののクオリティもあまり高いとは感じず、ビジュアルやシーンとは噛みあってないなかったように思えた。

 

総評

オッサンが見ても面白かった。レイトショーで鑑賞したからかもしれないが、劇場の観客で一番若く見えたのは30代男性だった。かといって子どもが楽しめないわけでは決してない。『 劇場版 ダーウィンが来た! 』を鑑賞するような家族にも、ぜひともお勧めしたい。本作が最もターゲットにしているのは、異端の存在や変革の時に臨んで、柔軟に対応できる者である。そこに老若男女は関係ないが、やはり若い世代にこそ、そうした柔軟性を求めたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s not your business.

作中で何度か登場する「お前には関係ない」の意。少々無礼な表現なので、自分からは使わないようにしたい。似たような表現に Mind your own business. がある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, SF, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:磯光雄, 藤原夏海, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 地球外少年少女 前編「地球外からの使者」 』 -予想外に硬質なSFアドベンチャー-

『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

Posted on 2022年1月23日2022年1月23日 by cool-jupiter

遺跡の声 75点
2022年1月19日~1月22日にかけて読了
著者:堀晃
発行元:東京創元社

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オミクロン株が猛威を振るっている。コロナが流行ると、近所のTSUTAYAが混雑する。そういう時は映画ではなく小説に一時退避する。それも、昔読んで手ごたえのあったもの、かつ、今という時代にフィットする作品が良い。というわけで本作を本棚からサルベージ。

 

あらすじ

銀河の辺境、ペルセウスの腕の先端部で滅亡した文明の遺跡を調査する私に、太陽風事故で死亡したかつての婚約者オリビアの頭脳が転写された観測システムを訪れるようにとの指令が入る。その途上で、私は宇宙を漂流する謎のソーラーセイル状のものと遭遇し・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の主人公は『 TENET テネット 』同様に名前がない。すべて一人称の「私」、または「あなた」もしくは「君」で表現されて終わりである。それゆえに感情移入というか、この主人公と自分を identify =同一視しやすくなっている。さらに登場人物も驚きの少なさ。極端に言えば、オリビア、トリニティ、超空間通信で連絡してくる男、これだけ把握しておけばいい。というか、トリニティだけでも十分である。 

 

「私」とトリニティが銀河辺境領域の星々で遺跡を調査したり、救助作業に従事したり、あるいは異星文明とのファースト・コンタクトを果たしていく。それらが短編集に収められている。

 

主人公がひたすら孤独なのだが、その孤独さが孤高さにも感じられる。黙々と職務に励む姿に自分を重ね合わせるサラリーマンは多いはず。相棒がトリニティという結晶生命体なのだが、これが単なる補助コンピュータ的な存在から、パートナー、息子、そして全く位相の異なるものにまで変化していく様が、全編にわたって描かれていく。このトリニティ、『 ガニメデの優しい巨人 』のゾラックのようでもあるし、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域 』のMICAの進化の元ネタは本作最後の『 遺跡の声 』であると思っている。

 

どの作品にも共通しているのは、破壊もしくは破滅のイメージである。遺跡とはそういうものだが、これほどまでに静謐な死のイメージを湛える作品の数々を構想し、それをリアルなストーリーとして描き切るという先見性にはお見逸れするしかない。地球温暖化による気候変動や食糧危機問題など、2020年代の今であればそのようなビジョンも湧きやすいだろうが、2007年に発表された『 渦の底で 』を除けば、本作所収の作品はすべて1970〜1980年代に発表されたものなのだ。科学はどうしても時間によって風化してしまうのだが、本作で描かれる地球の科学技術や滅亡した異星文明には、古いと感じられるところがほとんどない。

 

個人的なお勧めは『 流砂都市 』と『 ペルセウスの指 』。前者は、いわゆるナノテクもので、そのスケールの大きさは野尻抱介の『 太陽の簒奪者 』に次ぐ。後者は、藤崎慎吾の『 クリスタルサイレンス 』のKTはこれにインスパイアされたものではないかと密かに考えている。これらはあくまでもJovianの感想(妄想かもしれない)であって、本作を楽しむにあたってハードSFの素養が必要とされるということを意味しない。活字アレルギーかつSFアレルギーでなければ、ぜひ読んでほしい。

 

一話の長さは30〜40ページ。全部で9話が収められている。平均的なサラリーマンが通勤電車に乗る時間に一話が読み切れるだろう。

 

ネガティブ・サイド

悪い点はほとんど見当たらないのだが、フェルマーの最終定理のところだけは現実がフィクションを先行してしまった。そういえば未だ解かれていないリーマン予想の答えを異星由来の知性体(霧子だったかな・・・)に尋ねるものの「データを取り寄せるのに少なくとも4万年かかります」みたいに返されるSFもあった。この作品のタイトル名が思い出せないので、知っている人がいればお知らせいただけると有難いです。

 

主人公の「私」がオリビアを回想するシーンがもう少しあっても良かったのにと思う。性別のない結晶生命と、性別のある地球生命のコミュニケーションから生まれる独自のパーソナリティの形成という過程をもっと詳細に描かれていれば、SFのもたらしてくれる知的興奮という楽しみが更に増したはずだ。

 

総評

コロナ禍の第6波のただ中で、ディスタンスを取ることが必須となっている。だが現実的にはなかなか難しい。せめて物語の中だけでもディスタンスを・・・という人は少数派だろうが、そんな少数派に自信をもってお勧めできる短編集である。もしくは、ここ数年の本屋では訳の分からない転生もののラノベばかりが平積みされていると嘆く向きにもお勧めしたい。スムーズに読めるが、読後に不思議な苦みを残すという、大人の短編集である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call

「呼び声」の意。表紙に Call of the Ruin とあり、これを訳せば「遺跡の呼び声」となり、タイトルの『 遺跡の声 』となる。『 野性の呼び声 』の原題 The Call of the Wild に従うなら、The Call of the Ruin と定冠詞 The を頭につけるのが(文法的には)正しいのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, SF, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:堀晃Leave a Comment on 『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

Posted on 2022年1月16日 by cool-jupiter

決戦は日曜日 70点
2022年1月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 宮沢りえ 内田慈
監督:坂下雄一郎

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『 ピンカートンに会いにいく 』の坂下雄一郎監督の作品。日本では珍しい政治風刺のブラック・コメディで、オリジナルものとしては『 記憶にございません! 』以来ではなかろうか。

 

あらすじ

国会議員・川島の秘書である谷村(窪田正孝)は、選挙間近というタイミングで当の川村が病気で倒れてしまう。陣営は川島の娘の有美(宮沢りえ)を後継に担ぎだすが、有美はとんでもなく浮世離れしていた。谷村は有美になんとか選挙活動をしてもらうべく奮闘するが・・・

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ポジティブ・サイド

民自党というのは自民党のパロディであることは明らか。まあ、出るわ出るわの痛快風刺。冒頭のおんぶ政務官ネタに始まり、小学生レベルの漢字を読み間違える、求職者に対する「今まで何やってた?」発言、「子どもを産まない方が悪い」発言、そして「お年寄りが用水路に落ちて危ないというのは、お年寄りが落ちた用水路は危ない」といった進次郎構文などなど、笑ってはいけないのに笑ってしまうネタが満載である。特に漢字の各々を「かくかく」と読み続ける会見シーンのラストには思わず吹き出してしまった。

 

宮沢りえが天然ボケ的なキャラを見事に演じていて、確かにこんな政治家および政治家候補はいそうだなと感じた。その要因として、講演会のじいさん連中が挙げられる。Jovianは2004年頃に当時金融担当大臣だった伊藤達也を擁するチームと三鷹市民リーグで対戦したことがある(ちなみに三本間で転んだ大臣をショートJovianがホームで刺した)。大会後のバックネット裏で大会運営委員かつ三鷹や調布の顔であるM氏にしこたま説教され、平身低頭するばかりだった大臣を見たことも鮮明に覚えている。いつまでたっても政治家というのは後援会とは inseparable なのだ。

 

ところが世間知らずの有美は自分から後援会の爺さんたちを切り捨ててしまう。事務所の秘書連中も密かに「老害」と呼ぶお歴々なので、その瞬間は非常に爽快だ。が、好事魔多しと言おうか、以降の有美の講演会は閑古鳥が鳴くばかり。聴衆よりもスタッフの数の方が多いというありさま。このままではダメだということで秘書たる谷村が有美を諭していく。その様はまさに直言居士・・・なのだが、だんだんと進言ではなく誹謗中傷まがいの内容になっていく。このあたりも笑わせる。

 

かといって笑いばかりにフォーカスしているわけではない。非常にシリアスでダークな領域にも踏み込んでいく。倒れた川島に代わって、市議会議員や県会議員、地元の有力企業とのパイプ役を務める濱口(小市慢太郎)の存在感が抜群である。この人は『 下町ロケット 』の経理や『 るろうに剣心 京都大火編 』の川路役などの印象が強い。つまりは縁の下の力持ちがはまり役で、今作ではそれに加えて悪の秘書をも見事に体現。政治家のスキャンダルへの言い訳として「秘書が勝手にやった」は常套句だが、中には勝手に色々差配してしまう秘書もいるのかもしれないと思わされた。いわゆる「清須会議みたいこと」は、政治や選挙の世界では割と普通なのかもしれないと思わされた。ある意味で対極だったのが秘書の向井(音尾琢真)。川島議員のスキャンダルの泥をかぶる役を自ら買って出る。一昔前の政治家は、確かに秘書に汚れ役をさせて、代償として家族や親類縁者の面倒を看ることもあったらしい。そうした古き良き(?)政治をも垣間見せてくれた。

 

谷村も良識ある秘書と見せかけて、「やめてやる」という有美に懇切丁寧に脅迫的な言辞を弄して、選挙から撤退させないという鬼畜。しかし、その語り口や立ち居振る舞いにどこかコミカルさがあり、言っていることはメチャクチャだが、見ている分には面白いという不思議なシーンを生み出した。ある出来事をきっかけに、当選運動から落選運動に有美と共に転じていくが、切れ者・敏腕というオーラを出しつつも、なぜか逆に支持率が上がってしまうのは、予想通りとはいえ笑ってしまう。ここでも近年の現実の国際情勢ネタをぶっこんできており、ある意味でとても不謹慎な笑いを提供してくれる。

 

テレビがひっそりとあるニュースを報じる中で終幕となるが、これは選挙制度や政治家を嗤う作品ではなく、有権者そのものに向けた一種のブラック・ジョークであることが分かる。それが何を意味するかは劇場鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

谷村と有美の関わりには笑わせられること、そして考えさせられることが多かったが、他の秘書たちと有美がどう関わるのかも見てみたかった。

 

意図的に支持率を低下させたいというのは前代未聞で、それゆえにどんなアイデアが投入されているのかを楽しみにしていたが、ここは期待外れというか拍子抜けした。有美登場直前の事務所内で、「韓国と揉めて支持率が上がった時に解散していればなあ」と秘書同士で話すシーンがあり、嫌韓ネタ=支持率アップという認識があったはず。にもかかわらず、落選運動で「中韓が日本人の職を奪っている。排除せよ」と叫ぶのは矛盾している。本当に支持率を下げたいのなら、谷村が掴んでいた有美の脅迫ネタを使うか、暴力団とつながりがある、もしくはシルバー民主主義を徹底機に揶揄するような発言をさせるべきだった。そのうえで予想の斜め上の出来事のせいでなぜか支持率アップ、という流れにすべきだったと思う。

 

谷村が回心(≠改心)するきっかけとなるエピソードにリアリティがなかった。選挙の時だけに使うアイテムだと言うが、それこそ客人に振る舞ったりする機会がこれまでに幾度もあったはず。誰も何も感じなかったというのか。それとも選挙に関わる人間はすべて感覚がマヒしているというのか。うーむ・・・

 

総評

クスっと笑えて、ウームと考えさせられる映画である。苦みを残して終わるわけだが、もっと毒を盛り込んでも良かったのではないかと思う。それこそ麻生や安倍といった面々は、

世が世ならしょっ引かれていなければおかしいと思うJovianだからの感想だからかもしれないが。「神輿は軽くてパーがいい」と言われるが、その言葉の意味がよくよく分かる。今夏には参院選が行われる予定だが、本作はその舞台裏に思いを巡らすための良い材料になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

run / stand

どちらも立候補する、の意味で使われる基本動詞。run = アメリカ英語、stand = イギリス英語である。使い方は以下の通り。

run in 選挙 / stand in 選挙

run for 役職 / stand for 役職

He’s decided to run in the next election. 
彼は次の選挙に出ることを決めた。

I never thought Trump would run for presidency.
私はトランプが大統領選に出るとは全く思わなかった。

のように使う。今でも受験英語や大学のリメディアル英語のテキストでは run for 選挙 のような記述が見受けられるが、これは間違いである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ブラック・コメディ, 内田慈, 宮沢りえ, 日本, 監督:坂下雄一郎, 窪田正孝, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

Posted on 2022年1月3日 by cool-jupiter

成れの果て 80点
2021年1月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:萩原みのり 柊瑠美 木口健太
監督:宮岡太郎

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新年の劇場鑑賞第一号。TOHOシネマズ梅田や大阪ステーションシティシネマあたりは、野放図な若者がちらほらいたりして、小康状態のコロナの再燃が懸念される。梅田茶屋町も若者だらけで妻がなかなか首を縦に振ってくれないが、元日なら店も開いていない=若者が少ないということで、テアトル梅田へ。

 

あらすじ

小夜(萩原みのり)は姉あすみ(柊瑠美)から「結婚を考えている」という電話を受ける。しかし、その相手は小夜にとってどうしても許せない相手、布施野(木口健太)だった。帰郷した小夜は、周囲の人間関係に波紋を呼び起こしていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220103234559j:plain

ポジティブ・サイド

観終わってすぐの感想は「迎春の気分が一気に吹っ飛んだなあ」というものだった。とにかく、観る側の心に重い澱を残す作品であることは間違いない。予定調和なハッピーエンドを望む向きには絶対にお勧めできない作品である。しかし、この作品がミニシアターではなく大手シネコンなどを含め全国200館以上で公開されるようになれば、それは日本の映画ファンが韓国化したと言っていいだろう。それが良い変化なのか悪い変化なのかは分からない。

 

だだっ広い部屋の真ん中でプリンを食べるあすみをロングで撮り続けるファーストショットからして不穏な空気が充満していることを感じさせる。「誰か死んだ?」と問いかけてくる小夜にも心臓がドキリとする。「お姉ちゃん、そういうことでしか電話してこないし」というセリフから、この姉妹の一筋縄ではいかない関係性が垣間見える。

 

小夜と布施野の因縁が何であるかはすぐに見当がつく。問題は、その事件が狭いコミュニティ内であまねく知れ渡っていること。これは本当にそうで、田舎の情報伝播速度と情報保存の正確さは都市のそれとは比較にならない。本作はそうした村社会の怖さを間接的にではあるが存分に描き出してもいる。

 

それにしても主演の萩原みのりの鬼気迫る演技は大したものだ。なかなか解釈が難しい役だが、それを上手く消化し、自分のものにして描出できていたように思う。特に過去の自分を知る人間たちと再会した時に見せる相手を射抜くような視線の強さには感じ入った。ネガティブな意味での眼光炯々とでも言おうか、相手を刺すような目の力があった。『 佐々木、イン、マイマイン 』でもそうだったが、萩原みのりは陰のある女性、毒を秘めた女性という役が上手い。

 

本作は極めて少人数の登場人物かつ短い上映時間ながら、その人間関係はとてつもなく濃密である。それは役者一人一人の役柄の解釈が的確で、演技力も高いからだ。原作が小説や漫画ではなく舞台であることも影響しているのだろう。臨場感を第一義にする舞台演劇の緊張感が、スクリーン上でそのまま再現されているように感じた。人物のいずれもがダークサイドを抱えていて、それがまた人間ドラマをさらに濃くしていく。狭いコミュニティ内の閉塞感から脱出しようとする者、そこに敢えて安住しようという者が入り混じる中、東京からやってきた小夜とその友人の野本が絶妙な触媒になっていく。

 

この野本という男、ガタイも良く、顔面もいかつい。一種の暴力装置として小夜に随伴してきているのだが、本業はメイクアップアーティストで、しかもゲイという、political correctness を意識したキャラなのかと思ったが、これは大いなる勘違い。小夜が布施野に仕掛けた罠のシーンでJovianは『 デッドプール 』の ”Calendar Girl” のワンシーンを思い浮かべた。これはすこぶる効果的なリベンジで、『 息もできない 』の主人公サンフンが「殴られないと痛みは分からない」というようなことを言いながら、相手をボコボコに殴るシーンがあったが、結局はそういうことなのかもしれない。

 

邦画が韓国映画に決定的に負けていると感じさせられるものに演技力がある。特に、女性が半狂乱を通り越して全狂乱になる演技の迫真性で、日本は韓国にまったく敵わない。しかし、本作の女性の発狂シーンの迫力は韓国女優に優るものがある。「士は己を知る者のために死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」と言われるが、化粧の下にある女性の本性をこれほどまでに恐ろしい形で提示した作品は近年では思いつかない。最終盤のこのシーンだけでもチケットの代価としては充分以上である。

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ネガティブ・サイド

マー君というキャラが学校に居場所を作った方法というのに、少々説得力が足りない。あれこれ事件のことを吹聴したとしても、そんなものは一過性のブームのようなもの。そこからスクールカーストの最下層から脱出したとしても、ブームが終わればすぐに最下層民に転落しそうに思える。

またあすみの同居人である婚活アプリ女子も、金欲しさに家屋の権利書を持ち出そうとするが、それで家や土地を金に換えられるわけがない。なぜ通帳やキャッシュカードではなかったのだろうか。

 

総評

大傑作であると断言する。『 カメラを止めるな! 』がそうだったように、まっとうなクリエイターが、自身のビジョンを忠実に再現すべく、信頼できるスタッフや役者と共に作り上げた作品であることが伝わってくる。予定調和を許さない展開に、容赦のない人間の業への眼差し。日本アカデミー賞がノミネートすべきはこのような作品であるべきだ。良いヒューマンドラマは人間の温かみだけではなく、人間の醜さも明らかにする。その意味で、本作は紛れもなく上質なヒューマンドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pick out

劇中でとあるキャラクターが「それを私がピックアップして~」などと語って、観る側をとことんイラつかせるシーンがある。ピックアップはある意味で和製英語で、「抜き取る」、「選び出す」などの意味で使われているが、英語の pick up にそのような意味はない。そうした意味を持つのは pick out である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 木口健太, 柊瑠美, 監督:宮岡太郎, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 成れの果て 』 -私的年間ベスト級映画-

『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

Posted on 2022年1月2日 by cool-jupiter

ソワレ 70点
2021年1月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:村上虹郎 芋生悠
監督:外山文治

新年第一号鑑賞。テアトル梅田で見逃した作品。『 ひらいて 』で印象的な演技を見せた芋生遥だったが、その前作のこちらの方が遥かに鮮烈な役を演じていた。

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あらすじ

東京で役者を目指す翔太(村上虹郎)は芽が出せず、オレオレ詐欺に加担して糊口を凌いでいた。ある夏、翔太は故郷の和歌山のグループホームで演劇を教えることになり、そこで少女タカラ(芋生悠)と出会う。偶然にも翔太はタカラが実の父を刺す場に居合わせてしまい、そこから二人は当て所のない逃避行に出ることになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

村上虹郎がうだつの上がらない役者を好演。オレオレ詐欺で弁護士や代理人を騙る際に持ち前の演技力を発揮。ところどころで垣間見せる「何やってんだろうな、俺は」という表情が印象深い。

 

ただ本作の事実上の主役は圧倒的に芋生悠だ。物憂げというか、悲愴というか、陰のある表情が素晴らしい。天真爛漫なアイドル系の女優がもてはやされる風潮が強い邦画の世界であるが、もっとこのような女優にもスポットライトを当ててほしいと思う。

 

『 ひらいて 』の山田杏奈とのベッドシーンも良かったが、本作ではレイプシーンに加えてトップレスのヌードも披露。体を張るという表現は大げさかもしれないが、ストーリー上の必然性があれば躊躇なく脱げるというのは大女優の資質。そういえば本作にも出演している江口のりこも若いころに『 ジョゼと虎と魚たち 』で脱いでいたっけ。芋生遥には寺島しのぶや安藤サクラの領域にたどり着いてほしいと切に願う。それだけのポテンシャルがあると思う。

 

逃避行の中での二人のコントラストも鮮やかだ。競輪やパチンコで手持ちの金を増やそうとする翔太と、スナックで短期的なバイトを見つけ、堅実に稼ぐタカラ。誰にも頼れず、バイトをさせてくれる家の金まで盗もうとする翔太と、実の母を訪ねて拒絶されるタカラ。社会的な弱者同士の連帯が描かれるのかと思わせて、翔太はタカラに厳しく当たる。この弱い者がさらに弱い者に強く当たっていくという構図は、見ていてなかなかにしんどい。『 パラサイト 半地下の家族 』で描かれた一方の弱者がもう一方の弱者を攻撃するという図である。日韓の社会経済構造が同じというわけではないが、それでも連帯が必要とされる状況でも、連帯が生まれないというのはもどかしい。が、だからこそ生まれるドラマもある。

 

二人の距離が埋まりそうで埋まらないということを、映像が何度も何度も強調する。川沿いの道で、山道で、浜辺で、二人で歩きながらもその距離は縮まらず、そして周囲には誰もいないという画が何度も画面に映し出される。セリフもBGMも削ぎ落され、役者の演技と映像で物語る手法は見事だと思う。

 

若くして、ある意味で救いようのない境遇に陥ってしまった二人だが、人生はやりなおすことはできない。しかし、生き方を一時的にでも変えることはできる。それが役を演じるということで、二人が和歌山の街中で夜中に演じる芝居は、逃避行の中での更なる逃避行で、仮初の生だからこそ、なおさら強く輝いていた。本作の中でも最も美しいシーンだった。

 

翔太が語る「役者になったのは、誰かの心に残ることができるから」という考えが、彼自身の知らぬところで実を結んでいたというのは、ベタながら感動的である。袖振り合うも多生の縁と言うが、人と人とは思いがけない形でつながり合っているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

高齢者施設で、老人が突然に倒れ、そのままこと切れる展開は必要があっただろうか。普通に徘徊する人が出る。認知症が進行した人がいる。失禁など、排泄に問題を抱えている人がいる。そうした描写で十分だったのではないかと思う。

 

同じくタカラの父親が死ぬという展開は必要だっただろうか。傷害と殺人だと罪の重さは段違いとなる。そこまで重い十字架をタカラに背負わせるのは、いささかやりすぎだと感じる。

 

またタカラは父親から受けた数々の虐待のせいで、男性、それがとっくに枯れたような老人であっても、触れられることに相当のストレスを感じるというのは、設定からして無理がある。Jovian自身でも病院実習で経験があるが、一定以上の高齢者は本当に体を支えないと歩けないし、あるいは簡単に暴力をふるう(といっても小突いてくる程度だが)患者というのもいる。同級生の女子が尻を触られたなどというのも、日常茶飯事とまではいわないが、看護実習あるあるの一つである。タカラがグループホームの職員を長く続けられているという設定には違和感ありありである。同じことはスナックのアルバイトにも当てはまる。

 

総評

やや不自然なキャラ設定が見受けられるものの、物語の重苦しさ、その先にある一筋の救いの光明に力強さを感じられる作品である。芋生遥は2020年代の邦画を牽引していく力を秘めた女優であるし、村上虹郎も親の七光以上の存在感を獲得しつつある。外山文治は、自ら脚本も書くという邦画では珍しくなりつつある監督で、映画製作に関しては自らのビジョンに忠実でありたいと願っているタイプであると拝察する。もちろん映画も一種の芸能であり、究極的には商業なのだが、このようなタイプの監督が辺縁に存在することは今後の邦画の世界では極めて重要であると思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

DNR

ディーエヌアールと読む。Do not resuscitate. のそれぞれの語のイニシャルをつなげたもので、意味は「蘇生しないで」である。海外の医療ドラマなどでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

She is a DNR. 
彼女は蘇生処置は不要の人だ。

のように使う。医療系の職業の人ならよくよくなじみのある表現だろう。

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 村上虹郎, 監督:外山文治, 芋生遥, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ソワレ 』 -心に残る生き方を-

『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

Posted on 2021年12月30日 by cool-jupiter

モスラ 80点
2021年12月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フランキー堺 小泉博 香川京子
監督:本多猪四郎

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ゴジラが唯一まともに勝利したことのない怪獣、それがモスラである。Monsterverseでも怪獣の女王と崇め奉られるなど、誕生から50年以上が経過しても存在感はいささかも薄れない。4Kデジタルリマスターで上映されるというのでチケットを購入。

 

あらすじ

台風のために太平洋上で座礁した第二玄洋丸の船員は、船を捨てて脱出する。その後、水爆実験によって放射能汚染されたインファント島から救出されるが、船員らには放射能汚染の症状は一切なかった。「原住民に飲ませてもらった赤い液体のおかげ」という言葉から、インファント島行きの調査団が組まれる。調査団に同行した新聞記者の福田(フランキー堺)と中条博士(小泉博)は、島で不思議な小美人に遭遇し・・・

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ポジティブ・サイド

小学4年生ぐらいにVHSで観た時以来である。平成モスラシリーズの作品はいずれも2回鑑賞しているが、本家本元はなかなか再鑑賞できていなかった。午前十時の映画祭に感謝である。

 

昭和ゴジラシリーズに通底していた「時代と向き合う」という姿勢が本作でも明確だった。本多猪四郎が監督なのだからそれも当然か。第二玄洋丸は第五福竜丸を下敷きにしているのは明白である。その第二玄洋丸の座礁の原因が台風というのも寓意的である。初代ゴジラの大戸島での登場もそうだが、怪獣とは大自然の脅威の実体化なのだ。わざわざ台風の瞬間最大風速が80メートルなどと表現するのは、モスラという大怪獣がもたらす大旋風は、まさに台風なのだと言いたいからだろう。

 

小美人を発見したネルソンが、彼女らを捕獲して見世物小屋をプロデュースするというのも時代を表していると言える。昭和のど真ん中の江戸川乱歩の小説には、しばしば見世物小屋や、それにインスパイアされたと思しきパノラマが登場する。人権意識もなにもないが、『 キングコング 』も元々は見世物にされるためにアメリカに連れてこられた。当時の日本人が小美人を観るために長蛇の列を作ったというのは大いにありうる話である。悪役ネルソンを見事に演じきったジェリー伊藤は素晴らしい。

 

それに対するは新聞記者と学者。学者が主人公というのは初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラvsデストロイア 』、怪獣ジャンル以外でも『 夏への扉 』や『 ダ・ヴィンチ・コード 』などいくらでも思いつく。ジャーナリストが主役の映画となると、『 プライベート・ウォー 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』、変化球では『 スーパーマン 』もあるが、邦画では『 新聞記者 』ぐらいしか思いつかない。メディアと学問に信を置ける時代があったのだなと感じる。同時に髑髏島やインファント島といった未知なる土地がなくなり、誰もがミニコミとして自由に情報を検索し、かつ発信できる時代に、メディアは何をすべきかを本作は描いている。それは人々の良心に訴えかけることである。また学者とは問題を解決する手段を見出す者であることも本作は描き出している。この50年で日本が得たもの、そして失ったものがありありと見えてくるではないか。

 

モスラが東京タワーを折って繭を作るシーンは美しいと同時に、当時の時代背景がしのばれて興味深い。ちょうど石原裕次郎が銀幕のスターからテレビのスターに変貌する時期で、本多猪四郎らの映画人からすれば、東京タワー=地上波テレビという図式が成立したのだろう。こういう社会批評と個人の意志表明とエンタメ性を同時に追求する試みは、高く評価されねばならない。

 

それにしてもフランキー堺の軽妙さの中に見えるプロフェッショナリズムは素晴らしいと思う。スッポンの善ちゃんは言い得て妙で、いつでもどこでも記者魂は忘れないし、体を張って闘うときは闘う。結構長めのアクションもワンカットでこなすなど、フィルム撮影の時代の俳優のプロ根性が垣間見えて良かった。

 

モスラが中盤以降にもたらす破壊の数々も味わい深い。ニューカーク市街地をただ単に飛ぶだけで蹂躙してしまう。もちろん壊れているのはミニチュアだが、これを汗水たらして作った人々、そしてモスラを操演した人々の姿が浮かんでくる。こういった特撮にはCGで出せない質感、リアリティがある。製作者側はミニチュアの出来に満足していなかったと言うから、どれだけ本物志向だったのか。流れ作業的に映画を作っている今の”職業”映画監督たちには昭和の古き良き映画に時々立ち帰ってほしいと願う。

 

初代モスラは明確に人類の味方ではないという描写も今の目で見れば新鮮だった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のマイケル・ドハティ監督は、怪獣=自然の回復力の象徴として描いたが、現代人は自然を保護するものと考えすぎなのかもしれない。SDGsはその好例だろう。モスラにしろ小美人にしろ、本来いるべき場所から遠ざけてはいけないのである。自然保護をしなくてもよいと主張しているわけではない。自然を利用するにしろ保護するにしろ、人間の力で自然を何とかできると考えてしまうのはいささか傲慢にすぎるのではないかというアジア的な価値観をもう一度見つめ直そうというだけである。

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ネガティブ・サイド

ロリシカから提供された兵器が謎すぎる。普通に自衛隊と米軍のアライアンスでモスラに攻撃をする、で良かったのではないだろうか。ロリシカもアメリカで良かったのでは?なにかロシアとアメリカを足したような名前で、この架空の国家は少々奇異すぎるように思えてならない。

 

人類が怪獣とコミュニケーションが可能というのは、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でも重要な設定となったが、インファント島原住民の野生のダンスと歌ともっと直接的な関連のあるコミュニケーション方法が望ましかった。キリスト教の影響を色濃く受けたコミュニケーションというのは、東宝、つまり日本の生み出した怪獣にはそぐわないと思う。

 

総評

初代『 ゴジラ 』に次ぐ怪獣映画の原点で、会社は違うものの人間の味方をする『 ガメラ 』という大怪獣にも与えた影響は大きいと思われる。手作りでしか出せない味わいが随所に感じられる。怪獣映画でありながら、人間賛歌ともなっており、本作をあらためて鑑賞することによって勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

know right from wrong

善悪/正邪の区別がつく、の意。right or wrong ではないので注意。小美人は「モスラに善悪の区別はありません」と言っていたが、それを訳すならこの表現が使われると思う。

Even very young children know right from wrong. 
小さな子どもでも善悪の区別はつく。

You are old enough to know right from wrong.
君はもう善悪の分別がついてしかるべき年齢だ。

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1960年代, A Rank, フランキー堺, 小泉博, 怪獣映画, 日本, 監督:本多猪四郎, 配給会社:東宝, 香川京子Leave a Comment on 『 モスラ 』 -怪獣映画の原点の一つ-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

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『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

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ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

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ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

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